磐越西線の歴史
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- Опубликовано: 4 окт 2024
- 郡山から新津までを結ぶ磐越西線、その歴史をややAGA目線で編集しました
いろいろ詰め込んだので長めで、いろいろ間違いなどありそうですが広いココロで見ていただけたら助かります
参考資料
郷土出版社 磐越西線の100年
東蒲原郡史編さん委員会 図説東蒲原郡史 阿賀の里(下巻)
津川町教育委員会 津川町の歴史と文化財
講談社 週刊 鉄道の旅 東北⑪
新潮社 今尾恵介監修 日本鉄道旅行地図帳 2 東北
新潮社 今尾恵介監修 日本鉄道旅行地図帳 6 北信越
その他 ウイキペディアなどからの情報多数
阿賀町で育ち磐越西線は東京に集団就職、お盆に帰るのが楽しみで特急ときは高くてのれず急行佐渡
の切符を仕事が終って緑の窓口に徹夜で並んで指定席を買った記憶が有ります。乗り継いで新潟から磐越西線で津川駅で降りてお袋の顔を見に帰りました、60年もなりますかね!廃線にならない様祈るのみ!
コメントありがとうございます
磐越西線は大事な路線なのですが、最近の乗客数は深刻です…町の方々には楽観論も聞こえてますが、今のうちから意識しないとヤバいと思ってます…
なくなってから初めて感じる街の財産…(という地域をたくさん見てる)なくならないように願うばかりですね
1年前の動画ですが、コメント失礼します。
磐越西線は標準軌ではなく狭軌です。
あ、失礼しました、そのとおりですね
沼尻温泉に父親が勤めていた会社の保養所があり、急行いなわしろでよく会津には行きました。翁島ー若松間のあのぐにゃぐにゃの路線はなぜなのか、日中線のC12を撮りに喜多方に行ったものです。
国道49で猪苗代から会津に出るときかなりの坂があり、勾配に弱い鉄道はぐねぐね曲がりながら距離を稼ぎ勾配を克服した結果なんですが…ミニ新幹線でも呼ばない限りあのままでしょうか?(旅情的にはいいものだけど💦)
日中線に関しては個人チャンネルで【熱塩駅】で触れたことありますが、転車台がなく逆走するSLは見てみたかったな…とは思います。
急行いなわしろにのったことないので羨ましいです…
【野岩羽線】が繋がっていたら全然違う世界線があったんですが…
R4.8.3豪雨で喜多方駅近くの鉄橋が崩落してしまいました。復旧することを願っています。
以前只見線の応援活動もしていたので、橋梁が流されるのは同じ思いで痛々しいところです。
来春に復旧?ということなので早くもとに戻って欲しいです…
まだ快速がそれなりにあったり、SLが休日に走ってたり、ローカル線にしてはよくやってる路線だよね
磐越東線とか、水郡線、只見線なんかは鈍行しかないから、恵まれてるよ
コメントありがとうございます
磐越東線と只見線は以前活性化に取り組んでいたこともあり磐越西線が恵まれているのはすごく感じます、やはり乗ってナンボなところがあるので情報発信はしていかないと…
景色もいいし乗っていただけるような動画をどんどん出せれば…ですね
よくまとめてありますね(^^
磐越西線、一日も早く復旧してほしいです。
阿賀町をはじめ東蒲原郡は、かつては会津潘ですよ~
昔は、上野駅まで直通の『急行いいで』が走ってたんですよね。
3両編成で真ん中がグリーン車でした。
日出谷駅には転車台があり、駅弁を食べながら給水など作業を見た記憶があります。
今回も素敵な動画をありがとうございました。
自分は乗ったことないので、資料で物事言ってますが、体験談が最強ですね!体験したかった…
とはいえ動画を通じて体験談が聞けるのはありがたい!作ったかいがあるものですね!
準急「あがの」「あいづ」→急行「あがの」「いなわしろ」で白石⇆会津柳津間(約4時間)で何十回乗車した事か(あがの乗車時は会津若松迄)…
磐西線電化迄は煉瓦積みの旧トンネルを通っていたのを覚えています。
磐西線には関係無いけど、東北本線内と只見線内では、列車の速度もレール音も変わるし(当時)、客層もがらりと変わるから、まるで別の列車に乗ってる感じだった❗️
因みに旧沼上トンネルはS47年に徒歩で完歩した事が有る☝️(現在は中で閉塞している)
何十回!!いいなぁいいなぁ><
乗り心地や雰囲気変わるのも同じ車両で乗換なしで味わえるのは本当にいいですよね
以前にあげた「酒田→津川(5時間20分)」直通列車もそんな感じがありました(ガラガラ長距離列車→通勤通学列車に様変わりします)
それも含め列車の魅力だと思ってます^^