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もう亡くなったじいちゃんが弓道やってて、右手と左手の長さが3cmぐらい違いました。昔の武士は皆そんな感じだったんだろうなぁ。
「弓手の方が馬手より長い」と『保元物語』鎮西八郎為朝のくだりにもありますからなぁ。。
1:23かっけぇ〜
江戸時代の弓取りの武士の写真見ればわかりますが腕がポパイ状態です笑
「弓は背中で引け」
今まで鎌倉時代が実写作品であんまり描かれていない最大の理由がこれ
視聴率だろ、ボケ
1979 草燃える 26.3%(前年+0.4%)1991 太平記 26.0%(前年+2.8%)2001 北条時宗 18.5%(前年+0.0%)2022 鎌倉殿の13人 12.7%(前年-1.4%)全体で見たら余裕でプラス傾向じゃねぇか…何言ってんだ
@@ItibayNeko論理じゃなくて存在するデータでボコボコにするのかっけえわ、惚れた
@@TanTakaTan0214RUclipsの登録年数を見る限りアラサーぐらいだと思うけど、いい年してこんな発言しちゃうのキツいっすねー
@@オセロン-m1m あら、自爆?
訓練すれば引けるようになるんだろうけど、弓道やってた時20でもそこそこ重っかたし、武士凄すぎる。
こら元も撃退できるわなwww
現代の射ち方で43kg引いてる人おったんやが、、人外かな?
@@ussr-tanaka.tanaka 引き方違うけどわたくしは普通に60kgを引けるよ、清弓(満洲弓)で
@@medbyhi5114どんな凄まじい矢勢なのかめっちゃ気になる。後ろから的が見える画角とかで撮ってRUclipsあげて頂きたいです。
@@medbyhi5114びっくりした。清弓か。それなら納得
鎌倉時代「蒙古襲来」元寇時に参戦した当家に伝わる使用弓の詳細:当家の当時の使用した弓は黒漆塗弐引両重籐弓八尺五寸壱分(約2m59㎝) 弓鏃、有効射程距離 四拾間並びに四拾伍間(80~83m)、最大射程距離壱百九拾八間(約360m)、弓張力九貫弐両弐匁並びに拾壱貫壱斤(36~41kg強)弓張壱人持、並びに弓張参人持、馬は木曽馬か日高馬、当家は木曽馬、弓を射る時はやや馬の頭は前傾させる。訓練で馬が自然にそうなる弓音が耳に響くの防ぐ為。自分の鎧に当たらない。体格の良い人は、もっと強い弓を使用、現在と食事摂取が違うが、鎌倉時代の食事は現在よりみすぼらしいと思うが意外とバランスに取れた栄養良好な食事をしていたようで、何でも食べていた米、玄米、稗、粟、吉備、粳米、糯米、海老芋、里芋、自然薯等川魚、川海老、岩魚 鮭、海魚類、肉類は鹿、兎、雉、鶉他等、野菜も豊富、兎に角食べ物が豊富、食事は朝、夕の弐回の他戦中・朝・夕等他参度、今みたいに焚(炊)くのでは、蒸す食事が多い。武芸修行は毎日、体が小さい人でも、現在人より力は数倍もあったようです。
為朝は、それの5人張りの弓を使っていたと考えると、凄い腕の力で凄い弓の威力だったのか
鎧武者を3人抜きしたらしい
@@kamemusi353人抜きも嘘ではない、条件が揃えば十分にありそう……こわ😂むり😢
五人張りの弓で短い槍のような矢をぶっぱなしてたらしい弓を引けないように腕の健を切られて島流しされても何故か回復して五人張りの弓は引けなくなったけど元から右腕より12cmも長かった左腕が更に伸びてその腕で三人張りの弓をぶっぱなして伊豆七島を制圧したんだってね化け物
鉄製で長く後世に織田信長が徳川家康にこんな長い矢引いてたやついるんだって、普通に引くの無理だから槍に仕立て直して鏃の部分を槍の穂先にしたものをあげるって言って。徳川家の家宝になってたそうな。ちなみに為朝は当時の船を矢で沈めたらしい(笑)。それもあってかfgoってスマホゲームではロボット化してます(笑)
@@kamemusi35 アームリスリング選手のトップ層でも 引く力は 80 kg が限界と思われ。さらに静止させるアイソメトリックの力と指先の握力に射出の技術と目の良さまで必要・・・為朝 ( ためとも ) クラスでないと普段使いは無理だな。
弓道部だった自分が中学生の時引いてた弓が確か15キロとかだった記憶40キロって引手を放すのが恐そう
恐らく、当時と現代とでは身体操作が違う。古武術関係の動画を視聴しているとよく『骨で動け』と聞く。腕力ではなく、例えば背筋で引くとかの身体操作で引くのではないだろうか?背筋ならば130〜200kgオーバーの出力があるので引ききれるのではないかと。
正解。そもそも武士は本来斜面打起しで弓を引いていた。現代では斜面打起しもただの礼法の違いになってしまったが、本来は下半身と背筋を使って重い弓を引く方法。平安・鎌倉の絵巻などでも、弓を引いてる人物の「腰が曲がっている」のが見て取れる。モンゴルやイギリスにはまだこの引き方が伝わっていて、彼らは平気で60kgくらい引けている。English Bowなどで検索すればyoutubeで動画が見れる。
骨で引く、自分の学校の道場にある射法訓の中にある…「射法は、弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり。」同じ意味ではないかもしれないけど…!しっかしすごいなぁ…
当時の大鎧を着た状態での射法が気になりますね。素人考えですが、あの吹き返しのついた兜で引ききるのは難しいように思えます。
別の動画で見たんですけど、上手いこと吹き返しの下側(底辺)に矢筈が来るようにして引いてたようです
@@チハル-t5mそう思うとやはり、作法が必要というか専用の技術の熟達が必要だったんだろうなあ
太平記などでは弓を最大まで引き絞るのに兜と袖を外す描写があるみたいですね
むしろ、大鎧を装備しているから弓力50㎏とか使ってたと思う。小さな引き幅で十分威力出るし。鎧が邪魔するから大きく引き絞れない。
会まで肩を使ってしっかり入れるまでにめちゃくちゃ筋力いるね。肩を入れて会にしっかり入れればある程度キープはできるかもしれないけど、大三とか、絶対持たない
弓流しの逸話って有名よな義経が自分の弓を下流に流しちゃって、部下の制止を振り払って死に物狂いで拾いに行って、理由聞かれたら「叔父の為朝みたいな2人、下手したら3人がかりで張るようなゴリラ弓なら見せつけるために敢えて流したけど俺のは普通のだし、源氏の頭領がこんな弱弓使ってると舐められるから死んでも見られたくなかった」と言って家臣団が感服したって話当時は強い弓を引けること自体が大きなステータスだったんやろね義経自体小柄で軽業師みたいな剣術使いだったって逸話もあるし
その義経の弓の強さが27キロくらいって聞いたことある当時だと子供用寄りの弱い弓らしいけど、現代だとギリギリ用意できるライン程度に強い、一般用より強い弓になる。一般用が20キロ、だっけ?とかって。どっか間違えてたらごめんご!
義経は、自分が弱い弓を使っているのがバレるのが嫌だった訳でなく、義経はこんな弱い弓を使っていると知った敵の士気が上がるのを恐れたんだよ
@yamato3228素朴な疑問なんだが敵方が拾ってどうやって持ち主特定するの?名前とか彫ってたりするのかしら。
@@宝珍-t3q矢にも名前書くから、弓にも書くだろな
当時は五人張りなんて弓をバンバン射ってた武将がいたなんて逸話もあった(当時でも化物扱い)くらいだから鎌倉武士たちの異常さがよく分かる
源為朝だね、放った矢が敵を貫いて後ろの敵に刺さったなんて逸話がある…ちょっとしたライフルかよ…
お見事、お疲れ様でした
義経は24キロの弓使ってたけどそれでも周りからは華奢なやつだと笑われてたらしいちなみに一般的な弓道の弓は15キロ前後らしいからこれでも充分頭おかしい為朝はどんな背筋をしてたんだ?
ガンダムだからね
私は普段15kgの弓を使ってます。20kgになるともう会まで引くことができません。40kgなんか想像することすらできません。
自分は普通に引こうとすると15ですね。思いっきり引きおろしてもいいのなら20まではいけます。それ以上は未知です笑
15kgも十分に強いからね 引ききるのに相当な筋力いるよ
大鎧はこんな矢を受けて63発中貫通5本だったそうな。平家物語より
まさに着る盾ですな
こんなの当たったら即死しかも当時の鏃はノミが飛んでくるようなもんらしい
遺物の鏃を見たことがありますが、それだけで本当にちょっとした果物ナイフくらいはありそうでした
年始名物、京都三十三間堂の通し矢。皆60mの距離を弓を斜め上に放って届かせてる(15kgくらい)昔の人は120mを真っ直ぐ飛ばして当ててる。(ハズレて建物に刺さった矢の痕が建物に残ってる)。
実際は大きく引くんじゃなくて小さい引きでもある程度の威力を確保し、速射するために強い弓を使ってみたいですね
納得
昔使ってたの25kgだったけど その引き方だと多分無理じゃないかな 背筋をつかわないと。でも40はちょっと考え物
居合と剣道しかやったことないけども弓ってすげぇな、余裕出たら弓道もやっていいかな。
やっぱりここまでの重さになると弦がかなり太いんですね
戦国時代の弓取りは130ぐらい平気で引いてたって本で読みました40でこんなに大変ならどのくらい鍛えれば100キロ引けるのか
❓⁉️❓ 40kgの弓 凄いですね〜❗ それで、その40㌔の40㌔の弓を何kg引けてるんですか?❓近隣の連盟教七の先生18㌔の弓で、15㌔しか引けてない小柄な先生も居ます(寸詰まり使ってよ)
仁さん、130の単位は?❓何ですか?❓❕ ㌔ ポンド オンス カン 最後の方に100キロとあるから㌔何でしょうか?私の自己最高の素引きが48キロですが(30歳代後半)自分の体重と同じキロ数は、体は持ちこたえれる筈です 腕立てして体重の半分の重さが両手のひらにかかります 更に片手で横向きに、反対側も出来ます(体重計)と言う事は肩と肘は耐えられます 後は手の内😅😱🌀❗中押しは無理 でも竹弓であれば可能性大⤴️ 弓師によっては 初めから中押しができる弓を作ってくれます私の場合 イットウサイ22キロがそうなんですが、 22キロの弓で、25キロパカスカ当るから30射程引いたら落ちちゃいました⤵️⤵️他の弓を購入 やはり 手の内を作らないと ダメです
130は体格に恵まれたイギリス人でも無理がある数字です。流石に平気ではないと思います。まあいたとは思いますが
昔、松波弓具さんに寸六くらいの弓の下がありましたが あれが現役だった頃でも80㌔は無かったのでは 三十三間堂で30〜50㌔の弓で50〜60㌢の矢(さし矢)を飛ばしてた そんな強い弓で矢束まで引いて離したら鏃の感性と矢の箆の衝撃💥で矢が発射時に粉砕の恐れが有る 現代の矢が1本一万円越えるしっかりした矢ではなく 一本500円〜1000円くらいの矢でないとパカスカ撃てない 現在1000円税別の竹矢は有るがそんな矢で25㌔の弓で引きたくない 鏃の重さが慣性の法則で留まろうとし、強い力で弦に押し出されれば箆が折れ手の内にくすがる
武士って子供の頃から弓などの鍛錬を徹底して仕込まれるから可能だったのでは?イギリスでも腕の長さが変わるくらい練習してロングボウが戦力化されたというし、それくらいしなきゃ鎧を着た相手にダメージ与えられなかったのでは。鉄砲が出てくると女性でも鎧をぶちぬじぇるようになって戦争が変わっちまったと。
今の弓道みたいに耳の後ろまでは引かない説が濃厚だよね。
弓の力も重いし装備にも障りそうだしね
馬上の不安定な状態で使うしね
兜に当たるからそもそも引けない
当時は口割りなんてないです。
今ジャンプで連載してる『逃げ上手の若君』で、これが南北朝時代が舞台の漫画なのね。『弓道の作法とか、武士の行儀礼節を作ったのはこのおっさん』ていう武士が登場するんだけど歴史考証しっかりしてるみたいだから、これがマジだとしてそうなると確かに、『現代の弓道みたいにしっかり引かないのが当然だった時代』が鎌倉にありそうなのはあるよね。
当時は文字通り命がけの戦いなので、現代とは考えられないくらい修練を積んでたから、基準が違いすぎるね。
為朝の五人ばりの威力をロボットかなにかで再現してくれよ
私、アーチェリーやってたんだけど、それが43ポンド(19.5kg)弓で洋弓のなかでは大分重い方。それより遥かに重いと考えると、そのすごさがわかります。
兜被ると吹返しが邪魔で引き込め無い。なので引き尺短くとも強い弓力か必要やったのかも。強い弓力と重く長い矢。多分足軽の使う弓と騎馬武者の使う弓は別物やったのかも。
私が高校時代弓道部で使っていた弓は15キロだったのを思い出しました。百年戦争時代のイングランドのロングボウマン(長弓射手)も体格が左右で違うほどだったと言いますし、このような弓を使っていた人は体格にも影響でそうですね。
2人がかりで弦張るとかどんだけ重いんや…弓道とかアーチェリーやってた人ならこの弓の重さがわかるだろうな
■スナイパーライフル的な扱いなのではないだろうか?■(並んで討ったら:【アニメのビームで一掃!みたいな感じやね。】)■総武線にて、すんごい逆三角形の弓術家のおばちゃん(女戦国武将のってたー!)がおりましたが、あのお方なら・・・!■■ちょい引きで、結構威力出ていそうなので、速射いけそうですね!■■自分、48歳で、肩抜けやすいのでもう引けない・・・■
全身の筋肉がまじでやばそう、引き切って維持する為に体幹も強いんだろうな
部活で使用してた弓が20kgの延びでした。それでも強い方だったのに、さらにその倍の重さとは。。。
昔の弓は強さの比較を厚みで表現してた。甲冑前提なので引尺は現代よりも短い。昔の弓を現在の測り方で強さを表現して20キロだとしても、実際の引尺だと15〜16キロ。ただし、昔の矢数は、おそらく矢が無くなるか敵対者かいなくなるまで。しかも走り回り敵からの攻撃をかわしつつ。やっぱりとんでもない。
弓力というのは、弓のどの部分に手を加えるとここまで変化するんですか?素人質問で申し訳ありません。
伝統的な和弓だと、弓の中に竹ひごが入ってて、それを増やすと弓力が増しますね今だと、カーボンとかが芯材で入ってて、その本数を増やしたりしてるんじゃなかったかな?
@@cvfpratulascivaff ありがとうございます!
素人考え 元ハズ 裏ハズを1㌢づつ詰めれば、2〜3㌔アップしますね 必ず上下均等に クジも均等に
ジャワ上等兵さん 弓道の試合とか行った時に 合成弓の握りの位置 気にしてみて下さい 同じ並寸 同じ伸び寸でも 叉同じ銘柄でも高さが違うのがあります通常ヨリ握り皮が下にあれば強くなります 逆に上に有れば弱くなります 直心 練心シリーズ18㌔までは、2㌢までは極端なバランス異常にはならない ❗⤴️⤴️イイ弓です 素晴らしい弓です 安価で最高⤴️⤴️👍👍
@@ジャワ上等兵 誤雑学 直心18㌔トリウチで折れた弓を折れたすぐ下で切落 セキ板貼付けクジを切り 握りを3分の1辺で作り 素引きwwwww
10人引きの鉄弓とか、5人張りの弓とか、そういうのがゴロゴロあったらしいですね。
>江戸時代に作られた弓力89キロの竹弓を引かせてもらったことがありますが、20-30cmくらいしか引けませんでした。江戸時代の日本人の平均身長は155センチですので、腕の長さも短い分、引く幅は案外狭かったかも知れませんよ。
それが幕末の写真でみるとムキムキの腕でしっかり引いてるのよ。。
@@著超難問チャンネル著 いえ、力の事じゃなくて、距離の話です。現代の平均身長172の男性の腕の長さは、約73センチです。対し、平均身長158の女性の腕の長さは約67センチです。という事は、現在の女性よりも小柄な幕末人の腕の長さは、67センチ以下という事になります。むろん、肩幅も狭い為、弓手から顎元まで弦を引ける範囲が物理的に短くなってしまうという事でございます、はい。(´・ω・`)
@@zali-m5t あーん、それは勘違い。確かに平均身長でみればそうだけど、当時でも180センチあった人も居たし、2メートルあった人も居た。薩摩藩士でも居たよ。そう言う高身長で、訓練した強力の人ーが3人張りとか5人張りの強弓引いたのよ。全員が全員引けた訳ではない。あと、どこだっけ??岩をも貫いたと伝説残ってる鋼鉄製の大弓が残ってる神社あるけど、サイズは今の大弓より大分小さかったよ。
@@zali-m5t日本人、まじでいつから小さくなったんだろうな……🤔江戸とかの頃の記録がそんくらいなのはそうなんだろうけどなんかなー、鎌倉とかもだし……戦国くらいまでかな?そんくらいまでは『異常なほどでっけー武士』って度々いるみたいなんだよね。戦国までの間に、戦闘で絶えたのかもしれんけど。明治くらいにはもう平均小さかったよな。小さくてもムキムキしてるけど。女性でも今より一つ一つ思い米俵を、5つからは運べないと仕事にならなかったとか。わけわからん。この頑丈さ、筋力でバケモノほどでかい日本人がいたとすると、まあ……弓が強くなるのも頷ける。誇張が含まれたとしても、見上げるほど(身長差20センチ異常)だったのはそうなんだろうしな。あるいはまあ……そういう『でっけー』はまさに誇張ででも実績はマジの小さいけどやべームキムキがいっぱいいたって話かもだけど実績ごと誇張だったら、ただの与太話で終わりだし事実は小説よりも奇なりっていうから、ある程度事実だと信じてる派✌️あとそういうヤバ伝説、割と成果が詳細だったりするし。コメ欄見てても『40キロしっかり引き切ってるよ!』って人結構おるし😂ちゅよい
スーパーとかにある米袋を何kgまで持てるか?と調べたら多分大体の人は20〜30kgだけど一部の層は60kg以上持てる。しかしだからといってその人が平均の人より2倍以上の殺傷力をフィジカルで持っている、とは普通は考えない。それを実現するのが弓というとんでもない神ツール
当時の弓には握りを太くしていたり工夫があったのではないですかね?
人差し指と親指で矢をつかみ中指薬指小指を弦にかけ引く、☝手の内は諸つかみ、✊引ききりは肩の上ではなく乳のところ、離れはパー🖐
わたくしは普段から40キロの弓使って練習していますよ、後ろの肩まで引きます、将来は120ポンドくらいの力の弓を使いたいです。いつかお会いたら楽しそうですね。
最近は弓力40キロで速射できました
40kgの強弓を引くために大切なことなどはありますか?
@@simasima_umauma 肩が浮かんだ状態で引くとかなり怪我しやすいので、準備体操してから引きましょうね。
だいたいどれくらい矢数かけられるものなんですか?
@@よっしー-h2l 自分は12本1組を何組か1回の練習でやっているけど、特に硬い弓を引き始めるごろは3本1組、弱い弓で動作を練習する時は24本1組でやったりするので、特に決まりがないと思います。
鎌倉武士は基本的に弓騎兵ってのがまた壊れるなぁ鐙で踏ん張ってこの強弓を引いてたのか
三十三間堂とかなあ……あれがガチならこういう弓、これ以上の弓が必要なのはそうよな……鎌倉とかの弓と鎧で馬で戦ってた頃の人たち、強そうすぎて本当に同じ日本人か?疑わしい😂というか戦前くらいまでの日本人、同じ人間か自信なくなるくらい体が強いwwww強い個体しか生き残ってないんだろうとはいえwwwww実際、今ではあまり見ない遺伝子の可能性は全然あるのか……🤔
実戦弓、初めて知った😁為朝はやはり凄かった😅
たぶん強弓を引ききる術は現在までに途絶えたんだとおもう
源義経「ヤバい……海に弓落としちゃった。大将があんな弱い弓しか引けないのバレたら、平家にバカにされる……。誰か泳いで俺の弓拾って〜!😭」
完全に引いてたのではなく、距離によって引き幅を調整してたのかな?だけど距離によっては最大に引いてたんだろうな。怖い。
私は握力74あるけどこの弓どれ程引けるか試してみたいな😃
体重80kgで二本指の懸垂したら引ける様になれますか?
戦前の一人当たりの作業って一俵(60キロ)が基準みたいなものだからこれを担げないと作業にならない戦後の人間は機械で作業して楽になるからどんどん弱くなる今は一人の作業は安全上25キロまでとなってる
現代の方が大柄なのに引けない物を400年前の武士が、今の平均身長より小柄なのに引けてたと考えると、時代が進むにつれて劣化したんだなと思わされる
元軍も震え上がったやろな、こんな弓を撃ってこられるんだもん、そら何人も何人も呆気なく殺されてしまうわけだわ・・
流鏑馬凄い👏
鎌倉武士の弓はこれでも弱い方ですからねー。。。狩俣なんかでフルで食らったら、もののけ姫みたいに本当に首が飛びます。。。
武士ってバケモンだな日本人同士が殺し合いをしてた時代だもんな肉体、精神共に並じゃない
5人張りの弓を使った平安のガンダムって呼ばれた人がいましてね…
北畠顕家もこんな弓使ってたんかな
that is the hardest bow to shoot. (I shoot olympic, Hun, Chinese, Manchu, western style, Mongolian style too for reference) but it is also a pleasure.
鏃を大型にすればもののけ姫でやってた首すぽーんもありえなくもない
道場に26㎏ってのはあったけど、それでも射型を保てなかった
これ欲しいな😆
需要と供給ではないかな?弓の腕が良いと給料も待遇もよかった昔とくらべ、いまは道楽。レベルが違う。
you can detach chronograph antenna if the light is good enough
ちょっと引くだけでめっちゃ飛びそう
引分200キロの弓とか誰が引けるんだよ。
幼少期から大人になるまで毎日、鍛錬を続けていないと実戦弓は使えないんだろうな。
自分今部活で18キロ(今なら20キロ引けるはず)引いてるけど、40キロとか次元が違うわ笑昔の人ってこわい
0:42 何毛??
おそるべし世界最強日本武士軍団😄
素人だけでは危険⚠️
i think it should be tested by professional kyudo player. Only draeing that little bit can not show the real power of the bow
強靭な紐が気になるな🐕️
現代人が二人掛かりで弓張ったのでも引ききれない・・・じゃあ戦とかそれに備えた鍛練を常日頃からしてた鎌倉のお侍さんが二人掛かりで張ってた弓ってどんな強弓よ・・・?
力かなりいるなこれ俺は無理かも
大好き大好き大好き
どなたかこの愚物にご教授ください。この弓で300m先まで飛ばすことは可能ですか?
張力80kgのロングボウでも200m後半が限界なのでムリだと思います
ググったらこんな感じでしたが、訓練もなしに誰でも使えるものではないし出来が良いモノを使ってたままただったのかも分かりませんロングボウの最大射程は300m(有効射程距離150m)で、和弓の最大射程は450m(有効射程距離300m)
@@ある-s1g6i 飛ばせはするが当たるかどうかは別、という感じですかなこれは
源為朝の五人張の弓ってのはさすがにガセなのかな。地面の上でも上体の姿勢維持できないような代物、とてもじゃないが馬上から射撃なんて無理だろうし。
いくら日々鍛錬しているとは言え現代よりも栄養価の乏しい物を食べていたはずなのにどうしてこんな弓を引けたのか…
たぶんだけど、腸内細菌が違うと思う。今より、山盛りの玄米(日に2合とか?)とちょっとの漬け物とかを食べていた。牛とかの草食動物寄りの雑食性。熊とか。あと白米に比べて玄米はビタミンBとかも豊富だから、現代日本人より栄養価ではしっかりしてる可能性ちょっとある🤔🤔今よりは痩せた米だろうけど、いうても玄米。日本昔ばなしみたいな山盛りを、おかわりもして日に2食。加えて、武士って特権階級だから、毎食一汁一菜くらいは食べてたみたい。食の方はわりと現代と変わらんかもね。免疫とか医療面でいえば今よりガッタガタガタだから、今よりパタパタ人がタヒんでたと思う😌
江戸時代まで食べてるものは玄米と味噌汁、階級高い人達は魚を食べてきてたらしい。そして現代人の腸内細菌は江戸時代の人間と比べても変わってない。つまり鎌倉時代の人間と現代人の腸内細菌はほぼ同じと言っても過言じゃないだろうね恐らく玄米が力の源だったんじゃないかね
@@いおん乃為日に2合じゃなくて1食2合だったはず。そして当時はその辺でとれた動物も食ってた
弓術は今の弓道みたいにゆっくり引いたりとかしないから引き方が全然違うよ今は筋力なくても引ける引き方しかしないから筋トレまともにしてる人もいないし。
この5㌢で30引いてる人って 連盟に入ってたら、五段以上⁉️❓❓❓シマ袴はいてる連盟の試合等で身に着けては行けない物が有ります シマ袴は称号 五段以上はバッチを付ける○○色は好ましく無いってね
もう亡くなったじいちゃんが弓道やってて、右手と左手の長さが3cmぐらい違いました。昔の武士は皆そんな感じだったんだろうなぁ。
「弓手の方が馬手より長い」と『保元物語』鎮西八郎為朝のくだりにもありますからなぁ。。
1:23かっけぇ〜
江戸時代の弓取りの武士の写真見ればわかりますが腕がポパイ状態です笑
「弓は背中で引け」
今まで鎌倉時代が実写作品であんまり描かれていない最大の理由がこれ
視聴率だろ、ボケ
1979 草燃える 26.3%(前年+0.4%)
1991 太平記 26.0%(前年+2.8%)
2001 北条時宗 18.5%(前年+0.0%)
2022 鎌倉殿の13人 12.7%(前年-1.4%)
全体で見たら余裕でプラス傾向じゃねぇか…何言ってんだ
@@ItibayNeko論理じゃなくて存在するデータでボコボコにするのかっけえわ、惚れた
@@TanTakaTan0214RUclipsの登録年数を見る限りアラサーぐらいだと思うけど、いい年してこんな発言しちゃうのキツいっすねー
@@オセロン-m1m あら、自爆?
訓練すれば引けるようになるんだろうけど、弓道やってた時20でもそこそこ重っかたし、武士凄すぎる。
こら元も撃退できるわなwww
現代の射ち方で43kg引いてる人おったんやが、、
人外かな?
@@ussr-tanaka.tanaka 引き方違うけどわたくしは普通に60kgを引けるよ、清弓(満洲弓)で
@@medbyhi5114どんな凄まじい矢勢なのかめっちゃ気になる。後ろから的が見える画角とかで撮ってRUclipsあげて頂きたいです。
@@medbyhi5114びっくりした。清弓か。それなら納得
鎌倉時代「蒙古襲来」元寇時に参戦した当家に伝わる使用弓の詳細:
当家の当時の使用した弓は黒漆塗弐引両重籐弓八尺五寸壱分(約2m59㎝) 弓鏃、有効射程距離 四拾間並びに四拾伍間(80~83m)、最大射程距離壱百九拾八間(約360m)、弓張力九貫弐両弐匁並びに拾壱貫壱斤(36~41kg強)弓張壱人持、並びに弓張参人持、馬は木曽馬か日高馬、当家は木曽馬、弓を射る時はやや馬の頭は前傾させる。訓練で馬が自然にそうなる弓音が耳に響くの防ぐ為。自分の鎧に当たらない。
体格の良い人は、もっと強い弓を使用、現在と食事摂取が違うが、鎌倉時代の食事は現在よりみすぼらしいと思うが意外とバランスに取れた栄養良好な食事をしていたようで、何でも食べていた米、玄米、稗、粟、吉備、粳米、糯米、海老芋、里芋、自然薯等川魚、川海老、岩魚 鮭、海魚類、肉類は鹿、兎、雉、鶉他等、野菜も豊富、兎に角食べ物が豊富、食事は朝、夕の弐回の他戦中・朝・夕等他参度、今みたいに焚(炊)くのでは、蒸す食事が多い。武芸修行は毎日、体が小さい人でも、現在人より力は数倍もあったようです。
為朝は、それの5人張りの弓を使っていたと考えると、凄い腕の力で凄い弓の威力だったのか
鎧武者を3人抜きしたらしい
@@kamemusi353人抜きも嘘ではない、条件が揃えば十分にありそう……
こわ😂
むり😢
五人張りの弓で短い槍のような矢をぶっぱなしてたらしい
弓を引けないように腕の健を切られて島流しされても何故か回復して五人張りの弓は引けなくなったけど元から右腕より12cmも長かった左腕が更に伸びてその腕で三人張りの弓をぶっぱなして伊豆七島を制圧したんだってね
化け物
鉄製で長く後世に織田信長が徳川家康にこんな長い矢引いてたやついるんだって、普通に引くの無理だから槍に仕立て直して鏃の部分を槍の穂先にしたものをあげるって言って。徳川家の家宝になってたそうな。
ちなみに為朝は当時の船を矢で沈めたらしい(笑)。
それもあってかfgoってスマホゲームではロボット化してます(笑)
@@kamemusi35 アームリスリング選手のトップ層でも 引く力は 80 kg が限界と思われ。さらに静止させるアイソメトリックの力と指先の握力に射出の技術と目の良さまで必要・・・為朝 ( ためとも ) クラスでないと普段使いは無理だな。
弓道部だった自分が中学生の時引いてた弓が確か15キロとかだった記憶
40キロって引手を放すのが恐そう
恐らく、当時と現代とでは身体操作が違う。古武術関係の動画を視聴しているとよく『骨で動け』と聞く。
腕力ではなく、例えば背筋で引くとかの身体操作で引くのではないだろうか?背筋ならば130〜200kgオーバーの出力があるので引ききれるのではないかと。
正解。そもそも武士は本来斜面打起しで弓を引いていた。現代では斜面打起しもただの礼法の違いになってしまったが、本来は下半身と背筋を使って重い弓を引く方法。平安・鎌倉の絵巻などでも、弓を引いてる人物の「腰が曲がっている」のが見て取れる。モンゴルやイギリスにはまだこの引き方が伝わっていて、彼らは平気で60kgくらい引けている。English Bowなどで検索すればyoutubeで動画が見れる。
骨で引く、
自分の学校の道場にある射法訓の中にある…
「射法は、弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり。」
同じ意味ではないかもしれないけど…!
しっかしすごいなぁ…
当時の大鎧を着た状態での射法が気になりますね。
素人考えですが、あの吹き返しのついた兜で引ききるのは難しいように思えます。
別の動画で見たんですけど、上手いこと吹き返しの下側(底辺)に矢筈が来るようにして引いてたようです
@@チハル-t5mそう思うとやはり、作法が必要というか
専用の技術の熟達が必要だったんだろうなあ
太平記などでは弓を最大まで引き絞るのに兜と袖を外す描写があるみたいですね
むしろ、大鎧を装備しているから弓力50㎏とか使ってたと思う。
小さな引き幅で十分威力出るし。鎧が邪魔するから大きく引き絞れない。
会まで肩を使ってしっかり入れるまでにめちゃくちゃ筋力いるね。肩を入れて会にしっかり入れればある程度キープはできるかもしれないけど、大三とか、絶対持たない
弓流しの逸話って有名よな
義経が自分の弓を下流に流しちゃって、部下の制止を振り払って死に物狂いで拾いに行って、理由聞かれたら
「叔父の為朝みたいな2人、下手したら3人がかりで張るようなゴリラ弓なら見せつけるために敢えて流したけど俺のは普通のだし、源氏の頭領がこんな弱弓使ってると舐められるから死んでも見られたくなかった」
と言って家臣団が感服したって話
当時は強い弓を引けること自体が大きなステータスだったんやろね
義経自体小柄で軽業師みたいな剣術使いだったって逸話もあるし
その義経の弓の強さが27キロくらいって聞いたことある
当時だと子供用寄りの弱い弓らしいけど、
現代だとギリギリ用意できるライン程度に強い、一般用より強い弓になる。
一般用が20キロ、だっけ?
とかって。
どっか間違えてたらごめんご!
義経は、自分が弱い弓を使っているのがバレるのが嫌だった訳でなく、義経はこんな弱い弓を使っていると知った敵の士気が上がるのを恐れたんだよ
@yamato3228
素朴な疑問なんだが敵方が拾ってどうやって持ち主特定するの?名前とか彫ってたりするのかしら。
@@宝珍-t3q
矢にも名前書くから、弓にも書くだろな
当時は五人張りなんて弓をバンバン射ってた武将がいたなんて逸話もあった(当時でも化物扱い)くらいだから
鎌倉武士たちの異常さがよく分かる
源為朝だね、放った矢が敵を貫いて後ろの敵に刺さったなんて逸話がある…ちょっとしたライフルかよ…
お見事、お疲れ様でした
義経は24キロの弓使ってたけどそれでも周りからは華奢なやつだと笑われてたらしい
ちなみに一般的な弓道の弓は15キロ前後らしいからこれでも充分頭おかしい
為朝はどんな背筋をしてたんだ?
ガンダムだからね
私は普段15kgの弓を使ってます。
20kgになるともう会まで引くことができません。
40kgなんか想像することすらできません。
自分は普通に引こうとすると15ですね。
思いっきり引きおろしてもいいのなら20まではいけます。それ以上は未知です笑
15kgも十分に強いからね 引ききるのに相当な筋力いるよ
大鎧はこんな矢を受けて63発中貫通5本だったそうな。平家物語より
まさに着る盾ですな
こんなの当たったら即死
しかも当時の鏃はノミが飛んでくるようなもんらしい
遺物の鏃を見たことがありますが、それだけで本当にちょっとした果物ナイフくらいはありそうでした
年始名物、京都三十三間堂の通し矢。皆60mの距離を弓を斜め上に放って届かせてる(15kgくらい)昔の人は120mを真っ直ぐ飛ばして当ててる。(ハズレて建物に刺さった矢の痕が建物に残ってる)。
実際は大きく引くんじゃなくて小さい引きでもある程度の威力を確保し、速射するために強い弓を使ってみたいですね
納得
昔使ってたの25kgだったけど その引き方だと多分無理じゃないかな 背筋をつかわないと。でも40はちょっと考え物
居合と剣道しかやったことないけども弓ってすげぇな、余裕出たら弓道もやっていいかな。
やっぱりここまでの重さになると弦がかなり太いんですね
戦国時代の弓取りは130ぐらい平気で引いてたって本で読みました40でこんなに大変ならどのくらい鍛えれば100キロ引けるのか
❓⁉️❓ 40kgの弓 凄いですね〜❗ それで、その40㌔の40㌔の弓を何kg引けてるんですか?❓
近隣の連盟教七の先生18㌔の弓で、15㌔しか引けてない小柄な先生も居ます(寸詰まり使ってよ)
仁さん、130の単位は?❓何ですか?❓❕ ㌔ ポンド オンス カン 最後の方に100キロとあるから㌔何でしょうか?
私の自己最高の素引きが48キロですが(30歳代後半)
自分の体重と同じキロ数は、体は持ちこたえれる筈です 腕立てして体重の半分の重さが両手のひらにかかります 更に片手で横向きに、反対側も出来ます(体重計)と言う事は肩と肘は耐えられます 後は手の内😅😱🌀❗中押しは無理 でも竹弓であれば可能性大⤴️ 弓師によっては 初めから中押しができる弓を作ってくれます
私の場合 イットウサイ22キロがそうなんですが、 22キロの弓で、25キロパカスカ当るから30射程引いたら落ちちゃいました⤵️⤵️
他の弓を購入 やはり 手の内を作らないと ダメです
130は体格に恵まれたイギリス人でも無理がある数字です。流石に平気ではないと思います。まあいたとは思いますが
昔、松波弓具さんに寸六くらいの弓の下がありましたが あれが現役だった頃でも80㌔は無かったのでは 三十三間堂で30〜50㌔の弓で50〜60㌢の矢(さし矢)を飛ばしてた そんな強い弓で矢束まで引いて離したら鏃の感性と矢の箆の衝撃💥で矢が発射時に粉砕の恐れが有る
現代の矢が1本一万円越えるしっかりした矢ではなく 一本500円〜1000円くらいの矢でないとパカスカ撃てない 現在1000円税別の竹矢は有るがそんな矢で25㌔の弓で引きたくない 鏃の重さが慣性の法則で留まろうとし、強い力で弦に押し出されれば箆が折れ手の内にくすがる
武士って子供の頃から弓などの鍛錬を徹底して仕込まれるから可能だったのでは?
イギリスでも腕の長さが変わるくらい練習してロングボウが戦力化されたというし、それくらいしなきゃ鎧を着た相手にダメージ与えられなかったのでは。
鉄砲が出てくると女性でも鎧をぶちぬじぇるようになって戦争が変わっちまったと。
今の弓道みたいに耳の後ろまでは引かない説が濃厚だよね。
弓の力も重いし装備にも障りそうだしね
馬上の不安定な状態で使うしね
兜に当たるからそもそも引けない
当時は口割りなんてないです。
今ジャンプで連載してる『逃げ上手の若君』で、これが南北朝時代が舞台の漫画なのね。
『弓道の作法とか、武士の行儀礼節を作ったのはこのおっさん』ていう武士が登場するんだけど
歴史考証しっかりしてるみたいだから、これがマジだとして
そうなると確かに、『現代の弓道みたいにしっかり引かないのが当然だった時代』が鎌倉にありそうなのはあるよね。
当時は文字通り命がけの戦いなので、現代とは考えられないくらい修練を積んでたから、基準が違いすぎるね。
為朝の五人ばりの威力をロボットかなにかで再現してくれよ
私、アーチェリーやってたんだけど、それが43ポンド(19.5kg)弓で洋弓のなかでは大分重い方。
それより遥かに重いと考えると、そのすごさがわかります。
兜被ると吹返しが邪魔で引き込め無い。なので引き尺短くとも強い弓力か必要やったのかも。強い弓力と重く長い矢。多分足軽の使う弓と騎馬武者の使う弓は別物やったのかも。
私が高校時代弓道部で使っていた弓は15キロだったのを思い出しました。百年戦争時代のイングランドのロングボウマン(長弓射手)も体格が左右で違うほどだったと言いますし、このような弓を使っていた人は体格にも影響でそうですね。
2人がかりで弦張るとかどんだけ重いんや…弓道とかアーチェリーやってた人ならこの弓の重さがわかるだろうな
■スナイパーライフル的な扱いなのではないだろうか?■(並んで討ったら:【アニメのビームで一掃!みたいな感じやね。】)
■総武線にて、すんごい逆三角形の弓術家のおばちゃん(女戦国武将のってたー!)がおりましたが、あのお方なら・・・!■
■ちょい引きで、結構威力出ていそうなので、速射いけそうですね!■
■自分、48歳で、肩抜けやすいのでもう引けない・・・■
全身の筋肉がまじでやばそう、引き切って維持する為に体幹も強いんだろうな
部活で使用してた弓が20kgの延びでした。
それでも強い方だったのに、さらにその倍の重さとは。。。
昔の弓は強さの比較を厚みで表現してた。
甲冑前提なので引尺は現代よりも短い。
昔の弓を現在の測り方で強さを表現して20キロだとしても、実際の引尺だと15〜16キロ。
ただし、昔の矢数は、おそらく矢が無くなるか敵対者かいなくなるまで。
しかも走り回り敵からの攻撃をかわしつつ。
やっぱりとんでもない。
弓力というのは、弓のどの部分に手を加えるとここまで変化するんですか?
素人質問で申し訳ありません。
伝統的な和弓だと、弓の中に竹ひごが入ってて、それを増やすと弓力が増しますね
今だと、カーボンとかが芯材で入ってて、
その本数を増やしたりしてるんじゃなかったかな?
@@cvfpratulascivaff
ありがとうございます!
素人考え 元ハズ 裏ハズを1㌢づつ詰めれば、2〜3㌔アップしますね 必ず上下均等に クジも均等に
ジャワ上等兵さん 弓道の試合とか行った時に 合成弓の握りの位置 気にしてみて下さい 同じ並寸 同じ伸び寸でも 叉同じ銘柄でも高さが違うのがあります
通常ヨリ握り皮が下にあれば強くなります 逆に上に有れば弱くなります
直心 練心シリーズ18㌔までは、2㌢までは極端なバランス異常にはならない ❗⤴️⤴️
イイ弓です 素晴らしい弓です 安価で最高⤴️⤴️👍👍
@@ジャワ上等兵 誤雑学 直心18㌔トリウチで折れた弓を折れたすぐ下で切落 セキ板貼付けクジを切り 握りを3分の1辺で作り 素引きwwwww
10人引きの鉄弓とか、5人張りの弓とか、そういうのがゴロゴロあったらしいですね。
>江戸時代に作られた弓力89キロの竹弓を引かせてもらったことがありますが、20-30cmくらいしか引けませんでした。
江戸時代の日本人の平均身長は155センチですので、腕の長さも短い分、引く幅は案外狭かったかも知れませんよ。
それが幕末の写真でみるとムキムキの腕でしっかり引いてるのよ。。
@@著超難問チャンネル著
いえ、力の事じゃなくて、距離の話です。
現代の平均身長172の男性の腕の長さは、約73センチです。
対し、平均身長158の女性の腕の長さは約67センチです。
という事は、現在の女性よりも小柄な幕末人の腕の長さは、67センチ以下という事になります。
むろん、肩幅も狭い為、弓手から顎元まで弦を引ける範囲が物理的に短くなってしまうという事でございます、はい。(´・ω・`)
@@zali-m5t
あーん、それは勘違い。確かに平均身長でみればそうだけど、当時でも180センチあった人も居たし、2メートルあった人も居た。
薩摩藩士でも居たよ。
そう言う高身長で、訓練した強力の人ーが3人張りとか5人張りの強弓引いたのよ。
全員が全員引けた訳ではない。
あと、どこだっけ??岩をも貫いたと伝説残ってる鋼鉄製の大弓が残ってる神社あるけど、サイズは今の大弓より大分小さかったよ。
@@zali-m5t日本人、まじでいつから小さくなったんだろうな……🤔
江戸とかの頃の記録がそんくらいなのはそうなんだろうけど
なんかなー、鎌倉とかもだし……戦国くらいまでかな?
そんくらいまでは『異常なほどでっけー武士』って度々いるみたいなんだよね。
戦国までの間に、戦闘で絶えたのかもしれんけど。
明治くらいにはもう平均小さかったよな。
小さくてもムキムキしてるけど。
女性でも今より一つ一つ思い米俵を、5つからは運べないと仕事にならなかったとか。
わけわからん。
この頑丈さ、筋力で
バケモノほどでかい日本人
がいたとすると、まあ……弓が強くなるのも頷ける。
誇張が含まれたとしても、見上げるほど(身長差20センチ異常)だったのはそうなんだろうしな。
あるいはまあ……
そういう『でっけー』はまさに誇張で
でも実績はマジの
小さいけどやべームキムキがいっぱいいた
って話かもだけど
実績ごと誇張だったら、ただの与太話で終わりだし
事実は小説よりも奇なりっていうから、ある程度事実だと信じてる派✌️
あとそういうヤバ伝説、割と成果が詳細だったりするし。
コメ欄見てても『40キロしっかり引き切ってるよ!』って人結構おるし😂ちゅよい
スーパーとかにある米袋を何kgまで持てるか?と調べたら多分大体の人は20〜30kgだけど一部の層は60kg以上持てる。しかしだからといってその人が平均の人より2倍以上の殺傷力をフィジカルで持っている、とは普通は考えない。それを実現するのが弓というとんでもない神ツール
当時の弓には握りを太くしていたり工夫があったのではないですかね?
人差し指と親指で矢をつかみ中指薬指小指を弦にかけ引く、☝
手の内は諸つかみ、✊
引ききりは肩の上ではなく乳のところ、
離れはパー🖐
わたくしは普段から40キロの弓使って練習していますよ、後ろの肩まで引きます、将来は120ポンドくらいの力の弓を使いたいです。いつかお会いたら楽しそうですね。
最近は弓力40キロで速射できました
40kgの強弓を引くために大切なことなどはありますか?
@@simasima_umauma 肩が浮かんだ状態で引くとかなり怪我しやすいので、準備体操してから引きましょうね。
だいたいどれくらい矢数かけられるものなんですか?
@@よっしー-h2l 自分は12本1組を何組か1回の練習でやっているけど、特に硬い弓を引き始めるごろは3本1組、弱い弓で動作を練習する時は24本1組でやったりするので、特に決まりがないと思います。
鎌倉武士は基本的に弓騎兵ってのがまた壊れるなぁ
鐙で踏ん張ってこの強弓を引いてたのか
三十三間堂とかなあ……
あれがガチならこういう弓、これ以上の弓が必要なのはそうよな……
鎌倉とかの弓と鎧で馬で戦ってた頃の人たち、強そうすぎて本当に同じ日本人か?疑わしい😂
というか戦前くらいまでの日本人、同じ人間か自信なくなるくらい体が強いwwww
強い個体しか生き残ってないんだろうとはいえwwwww
実際、今ではあまり見ない遺伝子の可能性は全然あるのか……🤔
実戦弓、初めて知った😁為朝はやはり凄かった😅
たぶん強弓を引ききる術は現在までに途絶えたんだとおもう
源義経「ヤバい……海に弓落としちゃった。大将があんな弱い弓しか引けないのバレたら、平家にバカにされる……。誰か泳いで俺の弓拾って〜!😭」
完全に引いてたのではなく、距離によって引き幅を調整してたのかな?
だけど距離によっては最大に引いてたんだろうな。怖い。
私は握力74あるけどこの弓どれ程引けるか試してみたいな😃
体重80kgで二本指の懸垂したら引ける様になれますか?
戦前の一人当たりの作業って一俵(60キロ)が基準みたいなものだから
これを担げないと作業にならない
戦後の人間は機械で作業して楽になるからどんどん弱くなる
今は一人の作業は安全上25キロまでとなってる
現代の方が大柄なのに引けない物を400年前の武士が、今の平均身長より小柄なのに引けてたと考えると、時代が進むにつれて劣化したんだなと思わされる
元軍も震え上がったやろな、こんな弓を撃ってこられるんだもん、そら何人も何人も呆気なく殺されてしまうわけだわ・・
流鏑馬凄い👏
鎌倉武士の弓はこれでも弱い方ですからねー。。。
狩俣なんかでフルで食らったら、もののけ姫みたいに本当に首が飛びます。。。
武士ってバケモンだな
日本人同士が殺し合いをしてた時代だもんな
肉体、精神共に並じゃない
5人張りの弓を使った平安のガンダムって呼ばれた人がいましてね…
北畠顕家もこんな弓使ってたんかな
that is the hardest bow to shoot. (I shoot olympic, Hun, Chinese, Manchu, western style, Mongolian style too for reference) but it is also a pleasure.
鏃を大型にすればもののけ姫でやってた首すぽーんもありえなくもない
道場に26㎏ってのはあったけど、それでも射型を保てなかった
これ欲しいな😆
需要と供給ではないかな?弓の腕が良いと給料も待遇もよかった昔とくらべ、いまは道楽。レベルが違う。
you can detach chronograph antenna if the light is good enough
ちょっと引くだけでめっちゃ飛びそう
引分200キロの弓とか誰が引けるんだよ。
幼少期から大人になるまで毎日、鍛錬を続けていないと実戦弓は使えないんだろうな。
自分今部活で18キロ(今なら20キロ引けるはず)引いてるけど、40キロとか次元が違うわ笑
昔の人ってこわい
0:42 何毛??
おそるべし世界最強日本武士軍団😄
素人だけでは危険⚠️
i think it should be tested by professional kyudo player. Only draeing that little bit can not show the real power of the bow
強靭な紐が気になるな🐕️
現代人が二人掛かりで弓張ったのでも引ききれない・・・
じゃあ戦とかそれに備えた鍛練を常日頃からしてた鎌倉のお侍さんが二人掛かりで張ってた弓ってどんな強弓よ・・・?
力かなりいるなこれ俺は無理かも
大好き大好き大好き
どなたかこの愚物にご教授ください。
この弓で300m先まで飛ばすことは可能ですか?
張力80kgのロングボウでも200m後半が限界なのでムリだと思います
ググったらこんな感じでしたが、訓練もなしに誰でも使えるものではないし出来が良いモノを使ってたままただったのかも分かりません
ロングボウの最大射程は300m(有効射程距離150m)で、和弓の最大射程は450m(有効射程距離300m)
@@ある-s1g6i 飛ばせはするが当たるかどうかは別、という感じですかなこれは
源為朝の五人張の弓ってのはさすがにガセなのかな。地面の上でも上体の姿勢維持できないような代物、とてもじゃないが馬上から射撃なんて無理だろうし。
いくら日々鍛錬しているとは言え現代よりも栄養価の乏しい物を食べていたはずなのにどうしてこんな弓を引けたのか…
たぶんだけど、腸内細菌が違うと思う。
今より、山盛りの玄米(日に2合とか?)とちょっとの漬け物とかを食べていた。
牛とかの草食動物寄りの雑食性。
熊とか。
あと白米に比べて玄米はビタミンBとかも豊富だから、現代日本人より栄養価ではしっかりしてる可能性ちょっとある🤔🤔
今よりは痩せた米だろうけど、いうても玄米。
日本昔ばなしみたいな山盛りを、おかわりもして日に2食。
加えて、武士って特権階級だから、毎食一汁一菜くらいは食べてたみたい。
食の方はわりと現代と変わらんかもね。
免疫とか医療面でいえば今よりガッタガタガタだから、今よりパタパタ人がタヒんでたと思う😌
江戸時代まで食べてるものは玄米と味噌汁、階級高い人達は魚を食べてきてたらしい。
そして現代人の腸内細菌は江戸時代の人間と比べても変わってない。
つまり鎌倉時代の人間と現代人の腸内細菌はほぼ同じと言っても過言じゃないだろうね
恐らく玄米が力の源だったんじゃないかね
@@いおん乃為
日に2合じゃなくて1食2合だったはず。
そして当時はその辺でとれた動物も食ってた
弓術は今の弓道みたいにゆっくり引いたりとかしないから引き方が全然違うよ
今は筋力なくても引ける引き方しかしないから筋トレまともにしてる人もいないし。
この5㌢で30引いてる人って 連盟に入ってたら、五段以上⁉️❓❓❓シマ袴はいてる
連盟の試合等で身に着けては行けない物が有ります シマ袴は称号 五段以上はバッチを付ける
○○色は好ましく無いってね