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江戸人の時間感覚にならって生きたい。
おてんと様がのぼったら朝、上に来たら昼、日が暮れたら夜。なんかこういう生活って良いなあ~、とちょっと憧れますね😅1分1秒で管理される現代って、まあハッキリしてて良い面もあるけど、窮屈だなあと感じることも多いです💦
和時計のくだり、最高です!日本人の矜持を感じます!最高だ!
江戸時代の日本人の時間間隔は、多分、十分に用を満たしていただけの話だと思う。不定時法の時計を作って遊んでいた事があったのだけど、本当にお日様と共に生きている実感が湧いて素晴らしいものでした。あんな時間の流れの中で今も生きていけたら良いのになと思っています。本当に時刻を見ただけでそれこそ部屋の中でも太陽を感じられるような気分に浸れますよ。もっとも作ったプログラムは簡易計算で求めていたので、それほど精度が高かった訳でもないのですが…。それでも凡その日出日の入を元にして、更には二十四節気を基準に凡そ半月毎の切り替えで時間を刻むプログラム程度でしたら意外と簡単に作れるので興味があればお試しあれ。
不定時法は知りませんでした。現代感覚だと正確じゃない気がしますが、日中の行動できる限られた時間を等分するというのは電気のない時代の生活に合ったとても合理的で優れた時間認知法のような気がします。長く続いた平穏な江戸時代、その源泉の一つがゆったりした生活様式だった気がします。明治以降、効率を求め時間に追われるにつれて人々に余裕がなくなり心が荒んでいったと想像します。
まず、オープニングがリニューアルされていたので、びっくり😲でも、すごくそして、江戸の時間をわかりやすく丁寧に説明してくれてありがとう今まで、ざっくりとしかわからなかったので、助かります!これからも、江戸時間がわからなくなったら、この動画を見たいと思いますしかし、江戸人が西洋式時計の技術を和時計に応用するなんて、意地と執念を感じます!すばらしい江戸時代、時間にルーズだと西洋人に指摘されたといいますが、細かい時間にとらわれないことも、独自の江戸(日本)文化が発展した一因だったのではないでしょうか?そう感じます今回も細かく掘り下げた内容の動画、ありがとう🙇オープニング動画含めてすごくでした
素晴らしい内容でした。
ホーリイ最高‼️江戸を学問します。
ためになります。子の刻、丑三つ時、明け六つ、正午、おやつなど。
お日様と共に生きる方が健康に良さそうですー
江戸の時間の区切りや不定時法について、自作の絵まで用意して教えていただいたので理解できました。大事なポイント紹介、まとめもあって凄く分かりやすいです和時計、江戸以降の時間の概念に対する変遷など、充実な内容で面白い👍新OP動画にはビックリさせられました‼️全力で元気に時空を駆け巡る💨💨ほーりーとらしい雰囲気で最高です
いつもわかりやすい解説をありがとうございます✨✨✨太陽とともにざっくりと生活する江戸人の暮らし、羨ましいです🍵そして新OP素敵でした!!これからも楽しみにしています♪♪♪
新オープニング、何度も見直します~!
こんな時間にルーズな日本人が、いま世界一時刻に正確な国になったのが面白いですね。日本の鉄道は世界一正確ですね
分かりやすい内容でした。改めて東芝の創業者 田中久重の凄さを感じました。
時間が緩やかに流れていたのがよくわかる
アインシュタインの物理法則も破壊する江戸時代の「不定時法」。いつも為になる面白いお話ありがとうございました。
面白く見せていただきました。丑三時は丑満時かと思っていました。いくつになっても勉強ですね(笑)これからも楽しみに見せていただきます。頑張ってください。
江戸時代の庶民が現代にタイムスリップしたら その時間厳守にビックリするでしょうね!ところでお寺さんが時の鐘を突くのに どのように時間を知ったのか 時計のようなものがあったんでしょうか? 以前からずっと気になっていました
めっちゃ面白かった🎉
オープニングいいですね!列車運行が正確になったのは御召列車(天皇陛下が乗る列車)の運行がきっかけの様です。他の列車に抜かれたり並走すら厳禁、上を越えても駄目など臨時で突っ込むのになかなかの難題を繰り返すうち自然と普段の運行も正確になったそうです。
和時計って、そういうことやったんかー!めちゃめちゃ高度。埼玉の川越にも時の鐘があるのを思い出しました。
新OP~ややこしいけどわかりやすい!時代劇とかで時間わかんなくなったらここ見ればいいですね
清少納言の記録では屋敷の工事のために奈良から大工を呼んだら一日に五回飯を庭先で炊いて食っていて、仕事をしないと怒っていました。当時のガテンは小腹がすいたら適当に食っていたようです。
時間におおらかな江戸時代。時間に厳しい現代。分刻みに列車が稼働するなんて、江戸時代の人が見たら さぞ驚愕するでしょうね。江戸時代の人の尺度で現代を測るのも面白いですね。
楽しいご紹介をありがとうございます。教育史が専門で大学の先生をしている同僚が、日本人が時間を守るようになったのは明治に「近代学校」が始まって以降と教えてくれました。ところが私は、戦後の「生活改善運動」のスローガンの中に、蚊やハエを退治しましょうと並んで、「時間励行」とあるのを発見しました。時間にルーズなの、好きです。
新しくなったOP分かりやすくて良いです👍当時の時刻の表し方、時代小説を読むのにも参考になります。
声が好きです
逢魔が時の解説や江戸時代の風俗と時間の概念の深堀をPart.2あたりでお願いします。(例えば夜の怖さは江戸時代の人はどう感じていたか?)
九の倍数の一の位が九から一まで連続しているのに気がつかなかった。勉強になりました。
オープニングリニューアルされましたね。これからも頑張ってください。
へ〜そうだったんだ!意識してなかったので、勉強になりました。👌
いまも当時も夜の遊びの時間管理は厳しかったようで、遊郭では線香で遊べる時間を計っていたとか聞いたことがあります。
そんな時間に寛容だった日本人が、今では世界一精密な電車の運行をしている一度ルールが決まれば徹底的に守り抜くのが日本人の気質なのかしら
オープニングいいてすね。不定期法に対応する時計を作る発想がすごいですね。
明け六つ〜夜い六つが日の出と日の入りでしたよね、夏と冬ではかなり一刻が違ってきますね寺の鐘撞き坊さんは寝ずに頑張っていたのですかね、寺にも和時計が有ったのですかね一休さん
面白すぎる!!!丑三つ時…そう云う意味があったのか、鬼滅のあの時代は、時間の概念が定着しつつあったとは言え、欧米諸国とはズレてたのか、歴史、面白すぎる!😀
OP映像素敵です!✨オヤツの語源を知れて面白かったです♪せっかちなイメージの江戸っ子も、おおらかな時間を生きていたのですね😸
今の日本人感覚では考えられない!毎日時間に追われてる!
🍮おやつの語源くらいは知ってたけど、あらためて見ると色々学べて確かにこんなザックリ時間だと 前の動画であった大工の出勤時間がルーズなのも納得😀 今回よりopが、よりエンタメ感が増してとてもグー
正確な時間を把握する手段がなかった人達が時の鐘頼りに生活するようになり、時計を見ながら時間厳守な生活になっている時代の流れを感じる。
面白いですよねえ。どう考えても、1日を24時間にしたほうが合理的なのに、それでも日の出、日の入りにこだわった日本人。これは太陽信仰の影響なのか、それとも照明器具がなくて、日中にしか行動できなかったためなのか。
電車が15秒単位でキッチリ運行され、2~3分遅れただけで謝罪のアナウンスが流れる現代の日本。これって、”わずか”ここ100年で日本人に刻まれた「時間感覚」だったのですね!!ところで時間の呼び方が「九つ→四つ」なのはなんででしょうかね?
時代小説が好きでザックリとは理解していると思っていたこの動画大変ためになった。おやつの起源も知らなかった一つ賢くなった。
オープニング変わった〜‼︎びっくり😳したけどいいですねぇー(^^)おぉ、おやつは知っておりましたが、丑三つどきとか、午前午後は知りませなんだ😲為になります👍
「草木も眠る丑三つ時…」子供の頃は、毎年夏に成ると一龍齋貞水さんの怪談話がTVで流れていたのが懐かしい午前午後の午はお馬ちゃんと言われて初めて気が付いたw
今回のお話もとっても分かりやすかったです。あらためて整理できた感じです。時間に厳しい日本人て最近のことなのねって、納得です。でも江戸時代の人も夏と冬、昼と夜で同じ一刻を不定時に体感できたわけではないでしょうね。やっぱり二時間ぐらいの感覚かね?
勉強になりました。「おやつ」は時刻を表す言葉だったんですね。ということは、「三時のおやつ」という言葉は「馬から落馬」みたいな重言になってるんですね。戦国時代に定時法の時計が輸入されて、普通ならそれを機に日本人自体が定時法の生活に切り替わりそうなものですが、それを改良して不定時法の和時計を作ってしまうとは。現代日本の時計技術は世界トップクラスですが、当時からその萌芽があったのですね。
魔改造するのは江戸時代の日本人も同じだったんだと思い笑えました
彩図社教科書には載っていない!江戸時代の暮らしコンビニのラックから本を買ってきて読んだ記憶がある。2012年〜2016年の間
大変勉強に成りましたありがとうございますもし江戸時代の時間を現代に応用すると面白い事が起こりそう夏と冬では、働く時間や賃金は、どう成っていたのでしょうか?
照明も無い当時としては効率的な時間の使い方だったと思います。
今でも聞こえます。上野住みより
いつも楽しく、勉強になります。疑問に思ったのですが、なぜ九つ~四つまでで三つ~一つは無いのですか(午前午後に分けると九~四までの6種類あればいいから?)。また、時間は進むのに九つから数字が減っていくのはなぜですか?
確かに江戸時代のまま来てたら、いまだに電車の時間が定刻通りに来ないんだけどっていう感じかもしれないですね
会社によっては会議の時間になってもなかなか人が集まらなかったりするのは江戸流儀だったのかw
おやつ って 現代では3時のイメージだけど、これだと2時前後ってことになりますね。
いつも面白いけど、ひときわ面白かったです
今回のテーマ「江戸時代の時」の解説、非常に分かりやすく、良かったです❗(これは授業に使えますね(^-^)v)
今は日本人が恐らく世界で一番時間に正確ですよね。私は米国在住29年になる日本人ですが、こちらに来て一番驚いたのは、出勤時間や会議の時間は、日本人であれば10分前に到着しているのが当たり前なのに対して、米国では9時始まりであれば9時に到着することです。ホームパーテイーにいたっては30分遅れは当たり前。ニューヨークの地下鉄は5分や十分遅れても構内放送など流れません。逆に東京に来たアメリカ人が電車が1分遅れただけで謝罪の構内放送が流れたのに驚愕していました。現代のような働き虫の生真面目な国民性が日本に誕生したのも明治以降の極端な西洋化政策の為だと考えると複雑な思いがします。江戸時代のルーズな時間感覚と同時に日本人は本来のおおらかな心も失ってしまったのではないかと。
地元・沖縄では、時間を守らない事を揶揄する『うちなータイム』なる言葉があります(笑)最近、内地から帰ってきたので、今はどーか分かりませんが^^^高校の時の先輩はそんな感じだったので、みんなで「〇〇先輩には30分前に待ち合わせ時間を伝えよう」とかやってましたw
ホームパーティーに関しては時間にルーズというよりは文化ですねパーティー主催側が余裕もって準備出来るように遅れて行くのがマナー日本みたいに時間前に行くと嫌な顔されるまあ最近は定刻通りの開始になってる様ですが
@@花坂寿郎 京都等でも、昔は他家を訪問する時は、約束の時間より5分位遅れて行くのがマナーだと聞いた事があります。但し、10分も15分も遅れて行くのは駄目だったそうです。何処で聞いたのかは忘れてしまいましたが。
😊
金の支払いも遅らせてやれば日本式の良さに否が応でも気づく
捨て鐘3回鳴らして、刻の鐘を○ツ分鳴らしていたと言うのは以前から知っていましたが、実際にどんな音が鳴っていたのか「音」としてまだ聞いたことが無くて、ネットでもどう探しても出て来なくて、良かったら「実際の音」をどこかで再現提供していただけたらと思います。このサイトで聴けるよとか、ここに言ったら聴けるよとかでも構わないので、よろしくお願いします🙇♂
江戸時代の参勤交代は、現代で言う鉄道ダイヤ並みに結構キッチリとタイムテーブルが組まれていたという話しも聞いたことがあります。それが鉄道ダイヤの根幹にもなっているとか。
自分の祖先は百姓や醤油醸造なので、きっと明け六には起きて、暮れ六には寝てたのかな〜
いまでこそ時間厳守!の日本人ですが、江戸時代はゆるゆるだったのですね(-ω-)よく時代劇で「暮れ六つ時、〇〇寺にて待つ」とかありますけど、二時間も幅があったのに、ちゃんと待ち合わせ出来たのでしょうか笑オープニング動画素敵♪
ホリーさんお疲れ様ですところでバックも綺麗成って良いですね❗️バックミュージックも無くなったのですか❓ちょっと物足りないかな
こんにちは!ホーリーさん 昔の時間の説明、良~く理解出来ました、有り難う御座います。一つ質問が有ります、明け六つや暮れ六つと言う言葉は良く聞きますが、他にも夜九つ?とか昼九つ?とか言ったんでしょうか。同じ数字を二回繰り返す訳ですから混乱しない為にもきっと言ったんでしょうね。また昔の庶民は、お寺の鐘で時間を認識していたんでしょうが、じぁ.お寺は何によって時間を知り鐘を突いたんでしょうか?やはり線香もしくはお香を焚いたんですかね。もし線香だとしたら、ずっと線香を焚き続けたのか、始めに線香に火を点けるタイミングは何時なのか、お寺は連携してほぼ同じ時刻に鐘を突いたのか?等々不思議だらけです
知り合いの男性は「東京で正午に産まれた」から「東午(とうご)」さんでした!
新オープニング
感覚的だなぁ
最初の頃のほぼ3分でわかるからあっという間にほぼ5分になりいつの間にか時間設定がなくなったけど事実上ほぼ10分の今でももっと長くてもいいと思うよ、面白いとあっという間に終わるから
東芝の創業者 田中久重の作った和時計は、昼夜長さの調整が自動だった。その秘密が虫歯車。セイコウの技術陣も中を開けるまではその仕組みがわからなかった。青山霊園に墓があるが、彼は天才!
もしよろしければ「時の太鼓」についても解説して頂けないでしょうか?50ほどの藩で行われていた太鼓を用いた時報のようですが、この制度が調べても今一つわからなかったので…。解説して頂ければ幸いです。
和時計の発想初めて知りました○和風文化に技術で変換感動です○維新5年で鉄道 時間○おやつ、怪談、時そば、はそのままで
江戸時代の文字について教えて頂きたいです。ほーりーさんはどの様にして読める様になったんでしょうか・・・・
捨鐘3回を撞かれるとありますが、もし聞き逃したり回数を聞き間違えた時はどうしていたのであろうか?人に聞いていたんでしょうか?
夏と冬で時間の割合が異なるのは知りませんでした。現代は日本人ほど時間に正確な民族は稀だと思いますが、江戸時代は逆だったんですね。でも今こそマイペース時間割に戻した方がいいと思います。
ところで お江戸はどこからかどこまで? 区切りの壁とかあったのですか?
1つ、2つ、3つはどうしちゃったのでしょう?
たぶん細かく分けるところに使っちゃったからでしょうね。
捨て鐘が三つ、とのことですし、鐘の音が1回や2回だと分かりづらいから、わざと四つ以上にしているんじゃないですか? どうなんだろう?
返す返すも田中久重の万年自鳴鐘は凄いと思いますね。不定時法を自動で表現するんですから。
どうして「九つ」から数えるのか?時間が進むと、数を一つずつ減らすのは何故?「一つ」、「二つ」、「三つ」が無い理由は?気になった人は、以下のサイトが参考になります。『なぜ時の数は約2時間刻み?どうして一つずつ減る?~昔の時刻に関するおもしろ豆知識~ [江戸のトリビア]』
大雑把な時間間隔で待ち合わせや約束時間はどうしていたのか疑問ですね。
難しいです。ラメちゃんたらギッチョンチョンでパイのパイのパイ
時の鐘はどうやって打つ時を計っていたの?
う〜ん楽しい✨旧暦といい、時間感覚といい、いいもの沢山据代えられてきたんだなぁ。ゆとり教育が真の意味で改革されてればその時日本はもう少し早く持ち直しできたかも。
暦なんかもどうしたんでしょうか?日記をつけていても日にちを間違ったりします。正確な日にちはどうして分かったんでしょうか。公的な機関で今日は何月何日と発表したのでしょうか。
戊辰戦争で幕軍が敗れた理由にも時間のルーズさがありましたよ。当時の日本人は天体の運行をどう解釈してたんだしょうか?
はじめまして。昔の日本人は、時間に対してマイペースでは無くて(まだ、日暮れでは無いしゆっくりやろうや!)そんな感覚では、ないですかね?🤔現代人も見習いたいものです。
1年もたってからで恐縮ですが、『九つ』とか『六つ』とかの意味(なぜ、9⇒6なの?)を説明していただきたかった。
やっと分かった~😸ホーリーに妖気が出てますよ~😸
八時(やつどき)って、午前11時から2時くらいかと?因みに、江戸時代は、朝と晩に食事で、「八時」は、夕飯までの、ツナギだった。
ところでお寺の人はどうやって時間を測っていたの?
現在日本における、時の概念は実に大正時代からだったんですね。 時代小説が好きで江戸時代の刻は既知でしたが、いつも疑問に思っているのが「お江戸日本橋七つ立ち・・・」立ちというくらいだから、七つに出立すると思っていますが、小説によっては七つに起きるとするものもあり増す。七つに起きるなら、七つに出立できないのでは思いますがどうでしょう?
七つ、と言っても2時間の余裕が有るそうなので、十分可能なのでは?(^^)
@@バードバード-t7b さん 一刻は夏冬違いますがおおよそ2時間はありますからね。良い返信をありがとうございます😊
@@mify11 👍
堀口さんは なんか中島みゆきさんに似てますね
知らなかった~。
不定時法の時刻の数字に疑問を感じたことはないですか? なぜ4から9迄の中途半端な設定なのか?モノの本をいくら探してもこの疑問には答えてくれませんが、私は若い頃に易を勉強していたので、正午が九つで夜明けと日没が六つ…という数字でピンときました。易で言う陽気の象徴的数字が9, 陰気のそれが6で、よく見る算木の読み方も陽を九・陰を六と読むのです。だから時刻の設定が、正午の九と夜明け・日没の六を基本としている事が間違いないと思います。この設定に絶対的重要性があったので季節の変化に合わせて人間が時間感覚を変化させるしかなかったと言う事でしょうね。不便な様ですが時間に縛られてなかったと言うのは素晴らしいと思います。それにしても百年前から日本人の時間感覚が180度変わってしまったのは実に面白い事です。
時間に厳しくなったのはここ100年位ってのがいかにも日本人らしいと思った今では世界一時間に厳しそうな感じなのに…一回決まり事になったらしっかりそれを守る民族性なのかな?
あと、交渉のエピソードは、あえて交渉に付かない理由もあったのでは無かろうかと思ったまずは信頼関係を作るのに、ちょっとお茶して雑談でも…ちょっと景色でも見て話しませんかね?え?いきなり本題に入るの!?こんな事してると顰蹙買っちゃうの!?みたいなw
欧米化で一番困ったのは当時の人だろう
時計を不定時法に合わせて手を加えるなんて・・・この頃から既に日本人には魔改造の癖があったのかw
なんで四つ時の次が九つ時なのかを、誰も触れない。故に珍しさも稀少性も無い動画だわ。
いいねぇ、ウチナータイムならぬお江戸タイム。時間と言葉の統制は中央集権国家の基盤、政治と経済と軍事に人民を縛りつけるのには必須だからね。芝居の時の鐘はお寺の鐘みたいだけど、お屋敷内じゃ和時計の心でオルゴールみたいな時報が、キッカケとして鳴るのは、知らないとちょっとわかりにくいよ。
江戸人の時間感覚にならって生きたい。
おてんと様がのぼったら朝、上に来たら昼、日が暮れたら夜。
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江戸時代の日本人の時間間隔は、多分、十分に用を満たしていただけの話だと思う。
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本当に時刻を見ただけでそれこそ部屋の中でも太陽を感じられるような気分に浸れますよ。
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不定時法は知りませんでした。
現代感覚だと正確じゃない気がしますが、日中の行動できる限られた時間を等分するというのは電気のない時代の生活に合ったとても合理的で優れた時間認知法のような気がします。
長く続いた平穏な江戸時代、その源泉の一つがゆったりした生活様式だった気がします。
明治以降、効率を求め時間に追われるにつれて人々に余裕がなくなり心が荒んでいったと想像します。
まず、オープニングがリニューアルされていたので、びっくり😲でも、すごくそして、江戸の時間をわかりやすく丁寧に説明してくれてありがとう今まで、ざっくりとしかわからなかったので、助かります!これからも、江戸時間がわからなくなったら、この動画を見たいと思いますしかし、江戸人が西洋式時計の技術を和時計に応用するなんて、意地と執念を感じます!すばらしい江戸時代、時間にルーズだと西洋人に指摘されたといいますが、細かい時間にとらわれないことも、独自の江戸(日本)文化が発展した一因だったのではないでしょうか?そう感じます今回も細かく掘り下げた内容の動画、ありがとう🙇オープニング動画含めてすごくでした
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ホーリイ最高‼️江戸を学問します。
ためになります。子の刻、丑三つ時、明け六つ、正午、おやつなど。
お日様と共に生きる方が健康に良さそうですー
江戸の時間の区切りや不定時法について、自作の絵まで用意して教えていただいたので理解できました。大事なポイント紹介、まとめもあって凄く分かりやすいです和時計、江戸以降の時間の概念に対する変遷など、充実な内容で面白い👍
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いつもわかりやすい解説をありがとうございます✨✨✨
太陽とともにざっくりと生活する江戸人の暮らし、羨ましいです🍵
そして新OP素敵でした!!
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こんな時間にルーズな日本人が、いま世界一時刻に正確な国になったのが面白いですね。日本の鉄道は世界一正確ですね
分かりやすい内容でした。
改めて東芝の創業者 田中久重の凄さを感じました。
時間が緩やかに流れていたのがよくわかる
アインシュタインの物理法則も破壊する江戸時代の「不定時法」。いつも為になる面白いお話ありがとうございました。
面白く見せていただきました。丑三時は丑満時かと思っていました。
いくつになっても勉強ですね(笑)
これからも楽しみに見せていただきます。頑張ってください。
江戸時代の庶民が現代にタイムスリップしたら その時間厳守にビックリするでしょうね!
ところでお寺さんが時の鐘を突くのに どのように時間を知ったのか 時計のようなものがあったんでしょうか? 以前からずっと気になっていました
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時間におおらかな江戸時代。
時間に厳しい現代。
分刻みに列車が稼働するなんて、江戸時代の人が見たら さぞ驚愕するでしょうね。
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せっかちなイメージの江戸っ子も、おおらかな時間を生きていたのですね😸
今の日本人感覚では考えられない!毎日時間に追われてる!
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面白いですよねえ。どう考えても、1日を24時間にしたほうが合理的なのに、それでも日の出、日の入りにこだわった日本人。これは太陽信仰の影響なのか、それとも照明器具がなくて、日中にしか行動できなかったためなのか。
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子供の頃は、毎年夏に成ると一龍齋貞水さんの怪談話がTVで流れていたのが懐かしい
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でも江戸時代の人も夏と冬、昼と夜で同じ一刻を不定時に体感できたわけではないでしょうね。やっぱり二時間ぐらいの感覚かね?
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戦国時代に定時法の時計が輸入されて、普通ならそれを機に日本人自体が定時法の生活に切り替わりそうなものですが、それを改良して不定時法の和時計を作ってしまうとは。
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大変勉強に成りました
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地元・沖縄では、時間を守らない事を揶揄する『うちなータイム』なる言葉があります(笑)最近、内地から帰ってきたので、今はどーか分かりませんが^^^
高校の時の先輩はそんな感じだったので、みんなで「〇〇先輩には30分前に待ち合わせ時間を伝えよう」とかやってましたw
ホームパーティーに関しては時間にルーズというよりは文化ですね
パーティー主催側が余裕もって準備出来るように遅れて行くのがマナー
日本みたいに時間前に行くと嫌な顔される
まあ最近は定刻通りの開始になってる様ですが
@@花坂寿郎 京都等でも、昔は他家を訪問する時は、約束の時間より5分位遅れて行くのがマナーだと聞いた事があります。但し、10分も15分も遅れて行くのは駄目だったそうです。何処で聞いたのかは忘れてしまいましたが。
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金の支払いも遅らせてやれば日本式の良さに否が応でも気づく
捨て鐘3回鳴らして、刻の鐘を○ツ分鳴らしていたと言うのは以前から知っていましたが、実際にどんな音が鳴っていたのか「音」としてまだ聞いたことが無くて、ネットでもどう探しても出て来なくて、良かったら「実際の音」をどこかで再現提供していただけたらと思います。このサイトで聴けるよとか、ここに言ったら聴けるよとかでも構わないので、よろしくお願いします🙇♂
江戸時代の参勤交代は、現代で言う鉄道ダイヤ並みに結構キッチリとタイムテーブルが組まれていたという話しも聞いたことがあります。それが鉄道ダイヤの根幹にもなっているとか。
自分の祖先は百姓や醤油醸造なので、きっと明け六には起きて、暮れ六には寝てたのかな〜
いまでこそ時間厳守!の日本人ですが、江戸時代はゆるゆるだったのですね(-ω-)
よく時代劇で「暮れ六つ時、〇〇寺にて待つ」とかありますけど、
二時間も幅があったのに、ちゃんと待ち合わせ出来たのでしょうか笑
オープニング動画素敵♪
ホリーさん
お疲れ様です
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バックミュージックも
無くなったのですか❓
ちょっと物足りない
かな
こんにちは!ホーリーさん
昔の時間の説明、良~く理解出来ました、有り難う御座います。
一つ質問が有ります、明け六つや暮れ六つと言う言葉は良く聞きますが、他にも夜九つ?とか昼九つ?とか言ったんでしょうか。同じ数字を二回繰り返す訳ですから混乱しない為にもきっと言ったんでしょうね。
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お寺は何によって時間を知り鐘を突いたんでしょうか?やはり線香もしくはお香を焚いたんですかね。
もし線香だとしたら、ずっと線香を焚き続けたのか、始めに線香に火を点けるタイミングは何時なのか、お寺は連携してほぼ同じ時刻に鐘を突いたのか?等々不思議だらけです
知り合いの男性は「東京で正午に産まれた」から「東午(とうご)」さんでした!
新オープニング
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最初の頃のほぼ3分でわかるからあっという間にほぼ5分になりいつの間にか時間設定がなくなったけど
事実上ほぼ10分の今でももっと長くてもいいと思うよ、面白いとあっという間に終わるから
東芝の創業者 田中久重の作った和時計は、昼夜長さの調整が自動だった。その秘密が虫歯車。セイコウの技術陣も中を開けるまではその仕組みがわからなかった。青山霊園に墓があるが、彼は天才!
もしよろしければ「時の太鼓」についても解説して頂けないでしょうか?
50ほどの藩で行われていた太鼓を用いた時報のようですが、この制度が調べても今一つわからなかったので…。
解説して頂ければ幸いです。
和時計の発想初めて知りました○和風文化に技術で変換感動です○維新5年で鉄道 時間○おやつ、怪談、時そば、はそのままで
江戸時代の文字について教えて頂きたいです。
ほーりーさんはどの様にして読める様になったんでしょうか・・・・
捨鐘3回を撞かれるとありますが、もし聞き逃したり
回数を聞き間違えた時はどうしていたのであろうか?人に聞いていたんでしょうか?
夏と冬で時間の割合が異なるのは知りませんでした。
現代は日本人ほど時間に正確な民族は稀だと思いますが、江戸時代は逆だったんですね。でも今こそマイペース時間割に戻した方がいいと思います。
ところで お江戸はどこからかどこまで? 区切りの壁とかあったのですか?
1つ、2つ、3つはどうしちゃったのでしょう?
たぶん細かく分けるところに使っちゃったからでしょうね。
捨て鐘が三つ、とのことですし、鐘の音が1回や2回だと分かりづらいから、わざと四つ以上にしているんじゃないですか? どうなんだろう?
返す返すも田中久重の万年自鳴鐘は凄いと思いますね。不定時法を自動で表現するんですから。
どうして「九つ」から数えるのか?
時間が進むと、数を一つずつ減らすのは何故?
「一つ」、「二つ」、「三つ」が無い理由は?
気になった人は、以下のサイトが参考になります。
『なぜ時の数は約2時間刻み?どうして一つずつ減る?~昔の時刻に関するおもしろ豆知識~ [江戸のトリビア]』
大雑把な時間間隔で待ち合わせや約束時間はどうしていたのか疑問ですね。
難しいです。ラメちゃんたらギッチョンチョンでパイのパイのパイ
時の鐘はどうやって打つ時を計っていたの?
う〜ん楽しい✨旧暦といい、時間感覚といい、いいもの沢山据代えられてきたんだなぁ。
ゆとり教育が真の意味で改革されてればその時日本はもう少し早く持ち直しできたかも。
暦なんかもどうしたんでしょうか?日記をつけていても日にちを間違ったりします。正確な日にちはどうして分かったんでしょうか。公的な機関で今日は何月何日と発表したのでしょうか。
戊辰戦争で幕軍が敗れた理由にも時間のルーズさがありましたよ。
当時の日本人は天体の運行をどう解釈してたんだしょうか?
はじめまして。昔の日本人は、時間に対してマイペースでは無くて
(まだ、日暮れでは無いしゆっくりやろうや!)そんな感覚では、ないですかね?🤔
現代人も見習いたいものです。
1年もたってからで恐縮ですが、『九つ』とか『六つ』とかの意味(なぜ、9⇒6なの?)を説明していただきたかった。
やっと分かった~😸
ホーリーに妖気が出てますよ~😸
八時(やつどき)って、午前11時から2時くらいかと?因みに、江戸時代は、朝と晩に食事で、「八時」は、夕飯までの、ツナギだった。
ところでお寺の人はどうやって時間を測っていたの?
現在日本における、時の概念は実に大正時代からだったんですね。 時代小説が好きで江戸時代の刻は既知でしたが、いつも疑問に思っているのが「お江戸日本橋七つ立ち・・・」立ちというくらいだから、七つに出立すると思っていますが、小説によっては七つに起きるとするものもあり増す。七つに起きるなら、七つに出立できないのでは思いますがどうでしょう?
七つ、と言っても2時間の余裕が有るそうなので、十分可能なのでは?(^^)
@@バードバード-t7b さん 一刻は夏冬違いますがおおよそ2時間はありますからね。良い返信をありがとうございます😊
@@mify11 👍
堀口さんは なんか中島みゆきさんに似てますね
知らなかった~。
不定時法の時刻の数字に疑問を感じたことはないですか? なぜ4から9迄の中途半端な設定なのか?
モノの本をいくら探してもこの疑問には答えてくれませんが、私は若い頃に易を勉強していたので、正午が九つで夜明けと日没が六つ…という数字でピンときました。
易で言う陽気の象徴的数字が9, 陰気のそれが6で、よく見る算木の読み方も陽を九・陰を六と読むのです。
だから時刻の設定が、正午の九と夜明け・日没の六を基本としている事が間違いないと思います。
この設定に絶対的重要性があったので季節の変化に合わせて人間が時間感覚を変化させるしかなかったと言う事でしょうね。不便な様ですが時間に縛られてなかったと言うのは素晴らしいと思います。
それにしても百年前から日本人の時間感覚が180度変わってしまったのは実に面白い事です。
時間に厳しくなったのはここ100年位ってのがいかにも日本人らしいと思った
今では世界一時間に厳しそうな感じなのに…
一回決まり事になったらしっかりそれを守る民族性なのかな?
あと、交渉のエピソードは、あえて交渉に付かない理由もあったのでは無かろうかと思った
まずは信頼関係を作るのに、ちょっとお茶して雑談でも…ちょっと景色でも見て話しませんかね?
え?いきなり本題に入るの!?こんな事してると顰蹙買っちゃうの!?みたいなw
欧米化で一番困ったのは当時の人だろう
時計を不定時法に合わせて手を加えるなんて・・・この頃から既に日本人には魔改造の癖があったのかw
なんで四つ時の次が九つ時なのかを、誰も触れない。故に珍しさも稀少性も無い動画だわ。
いいねぇ、ウチナータイムならぬお江戸タイム。
時間と言葉の統制は中央集権国家の基盤、政治と経済と軍事に人民を縛りつけるのには必須だからね。
芝居の時の鐘はお寺の鐘みたいだけど、お屋敷内じゃ和時計の心でオルゴールみたいな時報が、キッカケとして鳴るのは、知らないとちょっとわかりにくいよ。