#67【全日本・四天王】有田が“四天王”誕生のドラマを紐解く!!【全日本の危機を救った男たち】
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- Опубликовано: 6 ноя 2022
- くりぃむしちゅー有田哲平の【公式】RUclipsチャンネル!
第67回は全日本プロレスの【四天王】前編!1990年代に黄金時代を築いた三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)の「プロレス四天王」は、一体どのようにして誕生したのか!?1980年代後半、ジャンボ鶴田が絶対的エースとして君臨していた全日本プロレス。ジャパン・プロレスとして参戦していた長州力の離脱をきっかけに天龍が鶴田に反旗を翻し、その後『鶴龍対決』が看板カードになっていたが、その天龍がなんと全日本を退団!かつてない大きな危機を迎えた全日本プロレスだったが、そこで立ち上がったのが、あの男だった…!有田が“四天王”誕生の背景を紐解いていく!
※後編はコチラ▷ • #68【四天王名勝負】有田が四天王プロレスを...
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■この動画で有田さんがお話した大会・触れた大会
・1987.8.31 全日本プロレス 日本武道館
「'87サマーアクション・シリーズ2」
(ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎|鶴龍対決第1戦)
・1988.11.19 全日本プロレス 足利市民体育館
「'88世界最強タッグ決定リーグ戦」開幕戦
(試合前の記者会見で阿修羅・原の解雇を発表)
・1990.4.19 全日本プロレス 横浜文化体育館
「'90チャンピオン・カーニバル」最終戦
(ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎|鶴龍対決第7戦→天龍全日離脱)
・1990.5.14 全日本プロレス 東京体育館
「'90スーパーパワー・シリーズ」開幕戦
(タイガーマスク&川田利明 vs 谷津嘉章&サムソン冬木|三沢がマスクを脱ぎ素顔になる)
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■視聴者のみなさまへ
有田さんが記憶をもとにその場で語っているため、多少、言い間違えたり記憶違いをされていたりすることもあるかもしれませんが、そのあたりも含めて、ぜひ有田さんの熱いプロレストークをお楽しみ頂けたらと思います!(スタッフより)
※この動画は、感染防止対策を行った上で収録しております。
#有田哲平
#プロレス
#オマエ有田だろ
#福田充徳
#全日本プロレス
#ajpw
#四天王
#ジャイアント馬場
#ジャンボ鶴田
#天龍源一郎
#三沢光晴
OP作詞作曲:MC JAPAN&GREEN BREW STUDIO
OPCG:斎藤良浩
©2022「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」プロジェクト Развлечения
いよいよ、四天王を考察ですね
鶴龍対決あたりから全日本を見始めて面白くてそこから鶴田VS超世代軍、四天王とハマってました。
新日の話が多い有田さんだけど全日もきっちり語ってくれるのがうれしいですね。
連日連夜、命を削るが如く闘いを繰り広げていた四天王プロレス。
見る側も過熱する試合展開に完全に麻痺ししていたと思います。
フェイスロックで鶴田からギブアップとったの忘れられない。
誰とでも器用に試合を組み立てる三沢とは別に、不器用そうなのに実はとても器用で名勝負製造機だった川田が一番好きなプロレスラーです。
そのへんがフューチャーされるといいなあ。
四天王プロレスを語るのに
話の入り口がジャパンプロレス。
さすがです。
毎週月曜日は寝不足が当たり前だった 楽しかったなぁ!
日曜深夜は熱かった!
鶴田選手が壁となって、超世代軍が挑む。
青春の握り拳と共に私の青春です。
中学2年の時タイガーから三沢になり
そこから全日にハマりました。
それまで新日しか見てなかったですが
超世代軍にはまりました。プププ プロレスニュースも面白かったな~。
あの時、テレビ中継の若林アナも実況が良かったですね。
まさに全日本史に残る名場面です。
深夜でよく観てました。
実況も含めての黄金時代ですね
煽りVTRや試合後のマイクなんか全く必要ない四天王プロレスでしたが、珍しく三沢が小橋戦の後にマイクを持ち、「小橋ありがとう」の三沢の一言は、武道館全員が泣いた瞬間でした。
マイクアピールが安く思えた良い時代でした。
それとは違った三沢のあのマイクは、今でも時々思い出しますね。。。
マスク脱いで三沢に戻った試合テレビで見ました
次の日の月曜は朝から「おはよう」よりも先に
「昨日見た?」で盛り上がったのを思い出しました
四天王プロレス1時間スペシャル希望です
この時代の話は歴史の授業みたいであっという間に過ぎますね。
次回も楽しみです。
天龍達が抜けて全日大丈夫か⁉️と思ったけど三沢サンが鶴田さんに挑み四天王が生まれ自分の中で一番プロレスにハマった時代でしたね🤩
超世代軍で 菊地毅の存在は 忘れてはならない…
ジャンボ鶴田にボッコボコにやられたのを思い出しました!
ああ、この世代の話題、たまらんわぁーっ!これこそ、面と向かっていろんな人間と語り会いたいっ!
ある意味全日に1番感情移入できたのは超世代軍の時でした。NWAのタイトルマッチや豪華外人時代を越えました。
鶴龍~超世代軍は当時本当に夢中になって見てたので嬉しくて思わず目頭が熱くなってしまいました😭
鶴田越えはもちろん🎵小橋VSウィリアムズや川田VSオブライトの初対決も最高でしたし四天王同士の三冠ヘビーはどの試合も本当にハイレベルでしたよね😉👍
中でも川田VSオブライトの初対決は個人的には90年代のベストバウトだと思ってて今でもなにか落ち込んだりすることがあったらあの試合を見て元気をもらってます‼️💪あの時の川田選手の鬼気迫るファイトがたまらなかったです‼️
四天王プロレスは本当に極限までせめぎ合い、凄い内容だったことは間違いない。ただ、首や頭への攻撃や、えぐい落とし方などが凄すぎて、見ていて個人的に不安を感じることもあった。
三沢さんの素顔にした時おぼえていますよ
衝撃的でしたよ
90年代は、四天王の存在がプロレスにハマるきっかけになる人が多かった気がしますね。
いつかレフリーについても深掘りして欲しいですね。
昔の全日ももっともっと詳しくなりたいので嬉しいです✌️
youtube全盛の今、鶴田三沢の両氏から「ぶっちゃけ当時はこうだった」という話が聞けないのがつくづく残念でならない。
この両氏による当時の振り返り話がなければ、永遠にピースは埋まらないんですよね…
ここからが見たい!三沢ファン!
鶴田vs長州 天龍vs長州も最高だけど😂鶴田vs天龍は別の意味で凄まじい試合でした。
鶴龍タッグ 鶴龍対決❗️この時代に生でプロレス見れたのは幸せです。
この時代の放送席、福澤・竹内コンビ大好きだった。
若林・竹内コンビも好きだった
「川田のストレッチプラム!田上の首をねじ切らんばかりに締め上げる!どうですか竹内さん」
「いやー悪くないですよー」
「おっと田上、ここで胸突き八丁の喉輪落とし!どうですか竹内さん」
「いやー悪くないですよー」
四天王をテーマにそこまで遡るとは😰
あの東京体育館は、会場で見てても一大転換点だったなー。
超世代vs鶴田軍はまさに青春だった。。。
有田編集長の話を聞いてたからプロレスクラシックを観ると、いちだんと味わい深い☕
全日系のファンからしたら、
やっとか!😂
という感じです😊。
動画に関係ないコメントですが…
有田さん本当に天才❗️
これからも楽しませてもらいます😄
昔の天龍と言えば「天龍チョップ」が得意技で、子供心にもまさに木村健吾的なポジションに思ってました。それが長州との激闘、天龍革命を経てミスタープロレスなるんだから面白い。
えっ、ここで終わんの?!って三沢ファンの私は思ってしまいました。次楽しみにしてます!
アリペイくん…語るねぇ…(笑)その考察力も…プロレスなんですよねぇ…ありがとうございました。
この動画を見ていて気づいてしまった。鶴田さんが亡くなられた時はまだ20代だった自分が鶴田さんの年齢に追いついていた事に😢
有田さんに是非「三沢光晴」を語って欲しい。今なお大好きなレスラーなんで
鶴田超えの試合は、今見ても泣けます😢
宮原健斗時代もしゃべってほしい。
ずーっと全日本プロレスは面白いわ。
武藤全日本時代も面白かったし
四天王時代も面白い
今は当たり前だけど、投げっぱなしジャーマンを見た時の衝撃凄かったなぁ〜。
超世代軍に退治する鶴田が憎たらしいくらい強かったのが印象的でしたね。
超世代軍とハンセンや殺人魚雷コンビとの対決も心躍りました。
ジャストミート福沢の登場もあって全日本プロレスが最高に面白かった時代でしたね。
四天王プロレス、あの会場で観客の足踏み、ジョー樋口コールとか思い出すね
重低音ストンピング攻撃!(byジャストミート福澤アナ)
観客のムーブがプロレス技として昇華した例の一つ。
92年に三沢さんの限界ギリギリの試合を見てプロレスを見始め、
93年に小橋さんが急成長していく姿にプロレスにハマり、
94年にその巧さとラフファイトに魅せられ1番好きなレスラーが川田さんになる(現在に至る)
それから時は流れ2020年、仙台のお店でホールを仕切っていた菊池さんに会い写真を撮らせていただいた。
超世代軍は青春であって、人生でもある。
有田さんのプロレス話いつも楽しみにしてます。
有田と週刊プロレスで使ってた
名前が書いているマグネット便利でしたよね。使えないのかなとふと思いました!
人間関係が複雑で変動も激しいので
有田さんが大変じゃないかな?と…
手書きも味があって良きですが。
もう絶対に今では出来ない肉体の限界のプロレスだったと思います…三沢のエルボーは今でも最強のフィニッシュブローです!
四天王がテーマでジャパンプロの全日本参戦から始めるところに
「えっ⁉️そこから」
と思いましたが、やはりこの夜明け前というか序章は必要ですね。
80~90年代の全日本プロレスもいいけど、現在の全日にも触れてほしい…。
宮原、ジェイク、青柳とかいい選手いっぱいいるので。
有田と週刊プロレス時代から一度も触れられてない。
川田にマスクを取らせソレを鶴田に投げた三沢の試合はTVで見た記憶がある。
鶴田が一線を引いたあとは、イデオロギーや世代対立が完結しちゃったんだよね
その後の全日はアスリートによる「タフマンコンテスト」
プロレスという格闘とドラマのショーではなく、危険な技をどれだけ受けられるかという極限の耐久戦
プロレス観のひとつとしてある、「プロレスは相手の技を逃げてはいけない、受けなければいけない」というのは
この時の全日が究極だったんじゃないかなあ
その中で、三沢川田戦は唯一、「先輩後輩」「川田にとって越えられない山」「全日本のエース三沢と二番手川田」という
背景があって、プロレスとしてドラマ性も競技性も完ぺきだった(他の四天王の小橋田上はそういう関係性は薄いし)
三沢も川田には遠慮がないし、二人の対決で何度「死んじゃうよ、これ」と思ったか
ふたりがいるリングは本当の「非日常」で、興奮したし、涙が出た
やっぱりタイガーマスクがマスクを脱いだところですよね
四天王時代は俺の青春であり
プロレス界最高の戦いだった。
鶴田さんがもし病になって居なかったら
ずっーと四天王の高い壁であり続けたんだろうなーって思う
事実、シングルで鶴田超えしたのは三沢のみだし
有田さんと同い年なのですが、ワシの回りは全日派だらけでした。
天龍さんやカブキさんや谷津さんたちがSWSに行き、更に以前より、アメリカから一流レスラーも呼べなくなり、反則負けや両者リングアウトのような曖昧な試合を無くして、過激なプロレスで勝負するしか、生き残る道がなかったのではないかと思います。
特に平成2年と平成3年は、初代タイガーマスクがいた、新日本プロレスに負けないぐらい、お客さんが入っていました。
私は当時、全日本プロレスの日本人選手が泊まっていました、ホテルに良くいつておりました、フアンの暖かさが嬉しかったのか、ジャイアント馬場さんの奥さんである、元子さんは凄く優しかったです。
[誰のサインが欲しいの]と元子さんが私に声を掛けてくれて、私は[川田さんです]と答えると、川田さんがロビーに来ると、元子さんが川田さんに[サインしてあげて]と言ってくれたりもしていだだきました。
亡くなった三沢選手は言わずもがな引退した川田選手、小橋選手、田上選手、
みな肉体がボロボロになっているので四天王プロレスとは技術と鍛えあげた肉体を持った
レスラーが限界を超えた技を受けた今では危険すぎて再現不能な戦いだと思います
俺も見た試合数でいえば断然新日の方が多いけど、試合が面白いと思うのは全日だな。
三沢さんの活躍とともに見始めた全日だったので、その前の件は知りませんでした。実に明快な説明でようやくあの頃を理解できました。 四天王のあの興奮をどう解説していただけるのか 更新楽しみにしています
倉持さんの前で小橋の話ができなかったのが残念に思ってました。待ちに待った全日回
三沢川田戦は今観ても戦慄の試合を繰り広げてる。まさに闘いの挽歌だった
ジャンボ鶴田がまさかのギブアップ負け!ビックリ武道館!
記憶違いかもしれませんがSWS設立記者会見か何かで「プロレスがスポーツニュースで取り上げられるようにしたい」という趣旨の発言が田中社長からあって、それを皮肉った形で始まったのが「プププ、プロレスニュース」だったと覚えています。
有田さんは新日も全日も偏りなく、全てを網羅して語ってくれるから、神様のような伝道師。
次が早く見たい‼️
多分、分岐点になったのが、東京体育館のタイガー、川田VS谷津、冬木のタッグ戦だったような、マスクを外すように指示するタイガー選手とそれに答えて外す川田選手は名場面ですね☺️
良い時代だった。だが激しすぎて皆んな身体を壊してしまった😢
長州さんはジャパンプロ旗揚げの何年も前から「全日で興味のある選手は天龍」「天龍選手はなかなか良い」というような事を言ってました。おそらくブレイクする前の自身とどこか重なる感じを受けていたのだと思います。
たぶん長州は自分と重ねてたんじゃないかな。
藤波=鶴田、長州=天龍、後継者ポジションは既に決まっていて自分がどう足掻いてもNo.3ポジションが限界である立場って事を。
だから自分と同じ立場の天龍にお前も馬場、鶴田(No.1、No.2)に噛みつけって。
初めて武道館で生観戦したのが、全日四天王時代でした。馬場さんとツーショットを撮っていただいたり、お別れ会にも参加させていただきました。武道館は私と馬場さんとの思い出の地です。
長州vs天龍のシングル3試合は、観返したくなる。
長州のエプロンでのバックドロップはやばかったし、
長州力が天龍をフォールし、返そうとした肩を体勢をずらして押さえて勝ち、負けた天龍の顔色が変わって抗議したシーンが、凄く記憶に残ってる。
四天王プロレスは今思うと抑圧された中
そこから這い上がったり他よりも強いプライドの相乗効果だったと
激しい攻防や危険な技で語られるが
その独特な環境にあがらう人間関係や信念が人々の心を揺さぶったんだと思う
その後の丸藤や杉浦も凄い攻防してるのに物足りなさと思われるのはあの時の全日本とプロレス界の環境の特殊さが違うからだと思う
超世代軍は青春。いい言葉です。
ずっとプロレス見てましたが超世代軍でドップリ全日にハマった私としては
試合外のストーリーより試合内容に重視した四天王プロレスが、まさに青春で大好きでした。
個人的にはアメリカをはじめとする演劇プロレスは全然面白くない。やっぱり試合内容重視ですね。そう言うと四天王プロレスは危険とかあんなのやっちゃ駄目だと言われるんですよね。
@@user-dd9wl7fb6u 様
アングルのほうが有田さん的にもお話しやすいと思いますが、私も試合内容が好きです!
四天王プロレスは激しく行くところまで行き過ぎてしまったのは確かにあるのかもしれません。
でもだからこそ私達ファンも熱狂できたんだろうと思います。
この熱こそ青春だったなと思うところだと感じています。
@@kituneudon07 僕も90年代前半の四天王プロレスは中学から高校生の時で青春でした。昔はブックとか裏の事は何も知らなかったので純粋に楽しみました。懐かしい。戻れるものならば戻りたい~🤧
天龍に1番近かった川田選手が、残留したのは本当驚きでした。また、菊地毅選手や小川良成選手といったバイプレーヤー、ゴディ、ウィリアムス、そしてハンセンといった外国人たちの存在も大きかったですよね。
ハンセンが、コーナーから飛んできた小橋選手をラリアットで撃墜とかもあったとか。
カンナムエクスプレス、あとイーと叫ぶブラックハーツとか多士済々でしたね。
こんなチャンネルあったんだ。
キングコングバンディ対猪木のボディスラムマッチみてえじゃん
超世代軍とやってたジャンボ鶴田のキチンシンクはなんか迫力あったなー次の回も楽しみです。
同感です。小橋、菊池が技食らって悶絶してたのを思い出します。とんでもなくキツそうでした。
あと菊池への超高角度ボディスラムと、背中くらいまで持ち上げてからのアトミックホイップ
あと相手の喉元がロープに当たるように無造作に投げ捨てるヤツが迫力満点でした
馬場さんの策略、という視点は興味深いですね、格を大事にする方みたいですから
有田さんが四天王を語るというのも、鶴龍対決が最高峰というのも非常に意外です、次回が楽しみ
ゲスト回みたいな。
新日以外の団体の話も話したり聞いたりして欲しい。
出来ればシングルが夢だったけど、三沢さんvs武藤さんが実現して良かった
なんとなく桜庭秋山の試合の話を聞きたいかも
4人の成長についてはハンセンの存在は大きかったと思うな
四天王は全日までは普通に興奮して観れれと思います。
ノアになってからの断崖式がやりすぎてる感しかして直視できませんでした
三沢タイガーがマスクを脱いだ時に、対角にはサムソン冬木がいたりした。
解説はカブキさんでしたね。
「何してん!
って
@@yucha7288様
確かにそんな感じでした。
懐かしいですね♪
超世代軍は俺の青春だったな…
馬場、鶴田、天龍、長州
プロレスの最高到達点。期間限定プロレス。これ以上ない。最も後世まで語り継がねばならないプロレス。文字通り、命を削る戦いを約七年間(1993~)繰り広げた四人の男たち。こんなに凄いものに夢中になった(今も)自分は幸せです。感謝しかないです。
SWS自体は失敗でしたが…
プロレス界に与えた影響は大きいですね。
今の全日本について語って欲しいです
個人的には馬場さんの超全盛期の凄さを語ってほしいですね。
2m9cmで、145キロ以上?、しかも胸板が分厚くて、動きも相当早かった頃の馬場さん。
あの時代、単身世界に出て、シングルの世界タイトルを戴冠していた頃。
あのポテンシャルを超える日本人レスラーはいないと思うんだけど、
我々の多くが知る馬場さんは、ちょっと胸板が薄くなった馬場さんで、
軽く見る人が多いのがもどかしいです。私は昔の映像を見て驚きました。
四天王については三沢✕ハンセン、川田✕ハンセンというようにハンセンがあの時代に全日にいたことが重要なファクター。
プロレスファンは、ハンセンとタイガーマスクを馬場と猪木ー同様に敬意をもって銅像を建ててもおかしくない。
昔、VジャンプでSWSにマスクマンが現れるマンガがやってました
ティラノザウラーってマンガで3話くらいやったんですかね
三沢タイガーのマスク取った人嬉しかったやろなぁ!
長州力が来た頃、猪木の技(延髄切りや卍固め)を使い始めUNベルトを取り、最強タッグでは鶴田のパートナーとなり2年目で優勝、正に第三の男となった頃ですね。
うちの地方だと確かその頃の全日は日曜のお昼にやってたような記憶があります。
90年代というと、当時小学生なのであまり見た記憶がないですね(^_^;)
今、CSで食い入るように見てます(笑)
全日に長州があがっていた頃、あまり天龍は、ガンガンやっていたようには見えなかった。
長州が「夢がない」と言って全日を去った。
その後天龍は発奮して天龍革命を起こした。
当時、情報媒体も多かったのでいろんな解釈ができますね。
自分にとって超世代軍と鶴田軍との闘いっぷりは本当に青春そのものでした。
後に四天王となる人達の戦いも勿論良かったのですが、個人的には菊地毅が世界ジュニアのタイトル戦で何度も何度も渕正信に跳ね返されて他のファンと一緒に悔しい思いをしていたのが一番の思い出ですね。
菊地毅のタイトル奪取は遅きに失した感がありましたね。やったというより、やっとみたいな。
たまには全日を特集するのもいいですね。
次はノアを語ってほしいですね
全日本プロレスは馬場全日本→三沢全日本→馬場 元子全日本→武藤全日本→内田全日本→白石全日本→秋山全日本→現在の全日本と、新日本プロレスに負けず劣らず色々な歴史を持っているので、今後何処かで四天王プロレスの時代から今の全日本プロレスまでの歴史を語って欲しいです!!
めっちゃわかりやすいw
プロレス初心者はここから入るべきw
後の天龍曰く、SWSへの移籍は川田などがんばってる後輩たちの扱いが悪すぎるので、自分が抜けることで彼らが日の目を見ることができればという思いもあったそうですね。
三銃士が台頭したのもUWFの大量移籍で新日がピンチになった時。やはりピンチを切り抜けると大きな変化がありますね。
現在ラーメン屋店主兼プロレス解説する為に店を休業する…川田 明さんの名が、まだ名がないっすね。小橋 健太さんの名も出て無い…まだ…ジャンボ 鶴田さんもご命存して元気だった頃なんですね。ミスター解雇と有田 哲平さんが、戒めた。阿修羅 原と同時、阿修羅二天王と呼ばれたマジンカーZのヒール役の阿修羅男爵も忘れられない存在でしたね。(笑)
ストーリー無しで魅せることができる四天王プロレス。
正直、長州と天龍に抜けてもらって良かった。
いたら新日化してたかもしれない。
大ピンチに馬場も立ち上がったが悲しいかな怪我、便りの鶴田もゴディに負けて最悪の時だったが
あの時は日テレも一丸となって頑張ってた プロレスニュース 超世代軍
鶴田軍と外人軍団とメンバー少ないなか 熱い試合を繰り広げてた
予想通り前段で終わってしまった笑笑
四天王=頭から落とす、と決めつけられがちだが
実際ここぞという場面以外では肩から落としてるし、頭部落下を連発するだけで40分50分も試合を持たせられるわけないだろう
派手な技でなく基本的な打撃で試合を盛り上げられる4人の試合巧者ぶりはもっと評価されるべき。
そうなんですよね。
四天王を始めとする当時の全日は足、腕攻めから始まり、最終盤で大技という流れでした。
起承転結がありましたので、その流れに乗る形で観客のボリュームも盛り上がっていきました。
前フリ長いな笑
三沢がマスク脱いでしばらくは素顔にタイガーマスクのコスチュームだったのが、妙にリアルだったよな~