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危険って簡単に言われがちだけどそこの要素抜いても熱かったですよね。川田にだけ明らかにムキになる三沢、より怒らせようとする川田、どんどんピープルズレスラーになっていく小橋、噴火した瞬間は他の誰よりも客を熱狂させる田上。エリート扱いなのにボコされながらどんどん上がっていく秋山。あの時代をリアルタイムで見れた事は誇っていいと思います。
それをやるのに「エースでスーパースターをリング上で殺し、後継者へ癈人の如き後遺症を背負わせる」必要は無かったよね。おっしゃる通りのストーリーは美し過ぎで大好きです。でもあんな試合内容(プロ失格の危険技連発)はダメだよ。だから後輩からスターが続かなかったんだし。
@@たつやかねこ-t4l本人たちが望んでやったことを、外野の人間が簡単に否定するのも違うと思いますけどね。何をもってプロ失格という烙印を押すのか、理解できかねます。後遺症ってことなら、川田・田上・小橋よりも武藤・蝶野の方が重いですしね。三沢は家族に対する無念や後悔があるかもしれませんが、四天王の他3人や秋山はいわゆる四天王プロレスをやったことに対する後悔はないと思いますよ。それに後継者が育たなかったのは全く別の理由です。勝手なイメージで貶めるのは良くないと思いますよ。
有田さんが四天王の事を日本のビートルズって言ってくれたの...何だかうれしかったなぁ
一番プロレス観てた四天王時代。変なマイク合戦もなく無骨に闘い合う全日本が本当に好きでした。
馬場さんが「こんなに凄い試合自分には出来ないから解説出来ませんよ」と涙流して感動するくらい尊い時代でしたねあの頃の全日本をリアルタイムで会場で観戦出来て本当に幸せでした
なわなに
あの頃の武道館はカードはマンネリなのに、あれだけ熱狂的にさせる四天王やあの時代の外人は凄すぎる。
我々が満足して楽しんだ分、選手の身体はガタガタになっていたんですね。正に命懸けの試合だった。
この時代の全日の凄さは武道館の三冠だけではない。常に地方でも熱き闘いが行われた事だ。
やっと四天王プロレスを、語ってくれた。プロレスの最高傑作。命を削る戦い、受けのプロレスの頂点今の若い人に見てほしい。もっと語ってほしい
最低作品だよ。人を殺したんだよ?相手を明日も元気よくリングに立たせる。これがプロレスラーの大前提じゃん。それを無視すれば、そりゃ金は稼げるよ。ヤクザと一緒だもんね。四天王プロレスは、金欲しさの黒歴史です。
本当に今のレスラーであそこに入れるのは、オカダ位しかいないのでは?内藤は違う気がするし
四天王というと「危険」という文字が真っ先に紐付いてくるけど、アレはそもそも四天王プロレスが抜群に面白い極上のプロレスであったが為に、「今後ファンがあれを毎回求めたらお互いの為にならんよ」という戒めの意味を持たせた言葉だった筈。その大前提の最上級のプロレスであったという部分が時と共に認識が薄れ、単純に「危険なプロレス」をやっていた時代と捉えられるのは口惜しい限りでした。なので、今回は本当に嬉しかったです。あの熱狂は本物であったと再確認出来ました。
思春期で人生に悩んでモヤモヤして・・・。そんな時期に出会った四天王プロレス。大袈裟でもなくほんとに生きる希望になりました。試合を見た後、明日からまた頑張ろうと思えました。そして今日まで生きてきました。
四天王プロレスって見てる時はすげえすげえすげえーしか無かったけど今見てもやっぱりすげえ以外言葉が出てこないほんとに刺激が強すぎた
有田さんの言うことが大袈裟ではないくらい四天王プロレスはスゲェ。本当にスゲェのは四天王プロレスかもしれない。
あの頃の四天王は、毎試合、命をかけて試合しているのが伝わってきたなぁ。
あの頃の三冠戦はマジでどの試合みても興奮できる
2000年台のプロレス低迷期に全日本新日本ハッスル全てのリングに上がりNOAHでの三沢戦を実現させた川田は本当に凄いと思います。一時期のプロレス界は川田を中心にしないとスイングする試合がなかった。
むう四天王ビートルズ説は妙に納得してしまうなハンセンと誰がやっても熱い好試合で、ウイリアムスは最高のライバル小橋を得ました馬場さん健在のいい時代でしたね
四天王プロレス凄かった。どの試合もベストバウト、もうこんな試合に見る事はないね
深夜にたまたま観たのが鶴田越えできてない頃の全日でしたが抑え込んだ時に会場も一緒にカウントして、返した時の重低音ストンピングは会場の興奮が画面越しににビシビシ伝わって一気にはまりました。あと、三沢さんが封印してるタイガードライバー91やタイガースープレックス84や85など観れたら得した気分になったのも試合に飽きなかった理由の一つだと思います。三沢さんは川田さんに厳しめだったなぁ
メインに行くまでの前座の試合も良かったですよね。馬場さん、ラッシャー木村さん、永源さん、ベテラン勢がメインのための空気作りをしてメインで一気に爆発する。試合観戦終えた後、友人と焼肉屋で語り合う。試合を見て楽しんで、試合後に語り合い楽しむ。最高だったなぁ。
あと自分はこの頃のブッチャーも好きでした。「善vs悪」の構図が無くなった後も決して居場所を失うことなく、ジャイアントキマラ2と組んでジュニアやアジアレベルの選手に対して大きく立ちはだかる壁として貫禄の試合を続けていたのが印象的でした。
プロレス全く興味なかったけど、週末の深夜に放送してた四天王プロレスは毎週みてたわ。素人目でもハンパなくすごかった。
四天王プロレス以前、三沢川田小橋が鶴田ハンセン超えに挑んでいく時期がとても印象に残っている。今と違い明確に格が存在した時代でその格を超えるための過程がショートカット無しの等身大だった。
四天王の試合は今見ても色褪せない、とてつもない試合ばかりで、今の若い子達に見て欲しい!プロレラーの凄さ・強さが分かる。
「青春」か、うまいこと言いはるわ。田上さんが鶴田さんの横でどんどん覚醒していくのがたまらんかった。
四天王プロレスは「たまたま見た試合が全部面白い」という発言に泣きそうになった。本当に感情が揺さぶられる試合ばかりだった。シングル戦は1試合1試合が大事に組まれていたし、タッグ戦線も重厚な試合ばかりだった。幸せな時代だった。
命懸けの戦いってのが本当に伝わってくる凄い4人でした。3カウント入った瞬間の爆発そして安堵感を今でも思い出せます。
プロレスに1番ハマったのは超世代軍がきっかけでした。鶴田さんがリタイアし、三沢さんが三冠を取り、初防衛戦で川田さんと戦ったのが四天王時代の始まりだと思ってます。
学生の頃、夜中に熱い試合を観て興奮して眠れない日々を思い出します。クライマックスに近いのに、カウントワンでフォールを返すスピード感に凄さを感じてました。有田さんが決まった試合をオススメしないのもわかりますね。
nWoブームくらいしかプロレスのことを知らなかった当時、たまたま深夜のテレビで見たのが川田が初めて三沢に勝った試合で、それが衝撃的すぎてガチガチの全日派になった
四天王プロレスを語る上で外せないのは、96年から始まった全日中継の年末1時間スペシャル。四天王がちゃんこを囲んで、福澤アナや金子アナが進行し1年間の試合や出来事を振り返る。そんな中、三沢さんと川田さんからいつも下ネタでイジられる小橋さん。それを蟹を頬張りながらニヤニヤして見つめる田上さん。なんか分からないけど、一生全日に四天王について行こう!と思って現在に至ります。
プロレスの究極進化形が四天王プロレスでしたね。有田さんの話を聞いてるだけで、興奮が蘇り涙が出てきました。あの時代に観ることが出来て本当に良かった。四天王プロレスよ永遠に。。。
高校生の時深夜放送ながら、毎週全日観てたよな😊興奮し過ぎて寝付けなかったのは良い思い出。
俺も有田さんと同じ意見。一番興奮したのは鶴龍対決だったが、「プロレスの試合」という概念で考えたら、最高傑作は四天王〜ノアの三沢小橋だと思う。更に凄いのは、地方でもエゲツない試合をし続けた事。三沢さん達の「(プロレスを、全日を)舐められてたまるか!」という想いが詰まっていた。福田さんは「試合終わって清々しいイメージ」と仰っていたが、実際の試合はエグ過ぎた。俺的には、観戦し終わってビールで乾杯、というより、日本酒でしんみり、という感じ。「何でここまで頑張れるのだろう?それに比べて俺は😢」って感傷的になってしまったのが懐かしい思い出。やっと四天王取り上げて下さり、ありがとうございました🥹。
子供の頃にたまたま深夜日テレにチャンネル合わせてやってたのが1999年6月の三沢vs小橋の全日中継だったあれ見てプロレスって凄いなってハマったの鮮明に覚えてる1999年1月の三沢vs川田も凄かったし、あの頃の全日の壮絶な試合は一生忘れないだろうな
興奮したり感動したりはあるけど、試合中に涙を流して応援していたのは30年プロレス見てきて…この四天王プロレスだけでした。そして現在…やはりあの麻薬の様なプロレスに見惚れてしまったからか、今のプロレスに同じ様な感情は抱けない自分がいます。
今のところ三沢光晴を越えるヒーローはいません。これからも現れないんじゃ無いかな。それくらいファンでした。三沢さんが亡くなってからプロレスから遠ざかり、有田さんのお陰でスターダムにドはまりしてます。
自分も武道館で見ていた世代です。有田さんが言う通り四天王の試合はどの試合も素晴らしくアツいものでした。試合後はガラガラ声になり清々しい気持ちで帰って行った事が懐かしいです。
そのあと仲間達と飲んだ酒と食べたラーメンがたぶん、一番旨かった。懐かしいです。
新日フリークだと思っていた有田さんが全日四天王を褒めまくるの気持ちいい!
武道館のメインが決着して客席が大歓声で爆発した後、各自のテーマが流れると、名前を叫びながらエプロン近くまで自然にダッシュ。テレビで見てても半泣きになるぐらいのフィニッシュの説得力(笑)。最高の時間でしたよ。
私は三沢さんが果敢にハンセンに挑む姿を見てプロレスファンになりました。三沢さんこそ、最高のプロレスラーです。
全日四天王時代はほんとレスラーも観客も麻痺してたよな
有田さんが仰るように、この時期を知ってる者としてはある意味プロレスの頂点を迎えたと言っても過言ではないと思います。どの世界もそうですが時代と共に受け継いでいくもの、変わっていくものがあるんでしょうが、あの頃の熱さは感じません。今でも怪物鶴田に挑む四天王に始まり四天王+秋山他外国人も含めての戦いは名勝負というよりも死闘という言葉が似合う気がします。
新日派だったが、たまたまテレビで秋山の三沢越えの試合見て、全日本にひきこまれました。新日も好きだし、いまのプロレスも大好きだが、あの頃の全日本は凄まじかった。有田さんのビートルズの例え、納得!
四天王プロレス(時代)は危険な技の応酬という側面もありましたが、連続するカウント2.9、そして完全決着という観客を裏切らないクリーンな試合というのことが素晴らしかった。そして関係ないけどプロレスニュースも良かったw
"プロレス界のビートルズ"って例え素敵すぎる👏
有田さん、当時の武道館ほとんど行ってたんだ。確かに純粋なプロレスの試合という点では四天王の試合って頂点を極めてたよね
四天王プロレスの過激な技の中で光る受け身の上手さ。その中でも三沢さんの受け身の上手さは天才的だ。それゆえにあんな最後になってしまったのが悲しい。社長業との兼任が無ければもっと違った未来もあったかもしれない…
馬場さんが一歩引いて、鶴田さん、三沢さんをエースにしたように三沢さんも馬場さんみたいにできなかったんですかね?秋山選手の後は強くてカリスマ性のあるレスラーが育たなかったなぁと個人的には思う。
人生にたらればなし
確かに四天王時代が一番面白かったしワクワクした間違いない…
この四天王のプロレスがすべての面で到達してしまった。という有田さんのコメントが素晴らしいです。この時を超えるプロレスはもう見れないでしょうね。最近は無駄に登場シーンが長くて試合時間は短かったりたいして汗もかかずに終わったりするシーンが残念です。この4人はクールに武骨にただただ激闘を見せてくれました。それが三沢の寿命を削ってしまったことは否めませんが生で見せてもらえたことに感謝したい。日本武道館での三冠戦は素晴らしいものだった!
WWFのエンタメ系や格闘技路線のUWFも良いけど、プロレスの完成形が四天王プロレスでしたね。会場で観戦出来ていた事が改めて有り難く思いました。
この時壮絶な戦いしてた小橋が、数年前に引退試合出来て良かったな〜と思ってたけど、よく考えたら、未だ現役の秋山準は怪物だよな…体を大切に頑張って欲しい
有田さん、その通りだわ。どれ見てもおもろい!試合で魅せるプロレス。それを証明したのが、東京ドームで行われた「夢の架け橋」☝️あの時の観客の全日本コールは忘れられない!
あれは凄かったですよね。完全にメインを食ってました。前の試合の大仁田がなかなか帰らず「早く帰れ!」って怒声が飛び交ってた。
ファンの質も良かったな推しとかなく登場してきた選手全員に大歓声やったわ
子供の時でしたが、深夜にワクワクしながら見てました。いまだに思い出す程、最高のプロレスでした。
三沢のスパルタンXで毎回鳥肌です。自分は三沢対デンジャラスKの三冠戦無制限1本勝負をベストバウトに上げさせて頂きます。ノアになっての三沢対デンジャラスKは号泣しました。
ウイリアムス対小橋のバックドロップ3連発は余りのエグさに観客が静まり返ったのを憶えている。
この時代をリアルタイムで見れて良かった。
鶴田が退いても上手く世代交代が出来たのが大きかったな。外国人選手を含めて層の厚さが凄かったから面白いカードが色々と組めて飽きなかったし。今では贅沢なカードばかりだな。有田さん、全日に残った渕さんも忘れないで!
小橋とウィリアムスの93年豊橋は本当に凄かったですね。レフェリーの和田京平さん、ジョー樋口さんの3カウントが厳しすぎて、どの試合もレスラー にとっては体力を使い果たす試合だったと思います。武道館の1万5000人の中にいられたのは毎回幸せでした。
四天王時代の全日本プロレスが1番好きでした!なかでも三沢光晴は自分のアイドルでした。有田さん!なぜ三沢のエルボーはあそこまで強力だったのか。ぜひ、有田さんに三沢光晴のエルボーについてお聞きしたいです!
入場テーマ曲がかかって第二小節から大三沢コールが湧き起こるのがめちゃテンション上がる。最初は曲に合わせてるけど客のテンション高くてコールが曲より早くなりがち。
三沢vsジョニー・エースの三冠戦も好きな試合の1つです。
確かに全ての試合が刺激的で、この頃の全日本は癖になる面白さだった。
ゴールデンの放送から深夜に移った時代。小学生のころは猪木、タイガー、長州、キッドなど新日派だった自分が闘魂三銃士より三沢vs鶴田に熱くなってました。本当にいい時代を見させて貰いました。
頭から落ちる技が当たり前に行われていた事は賛否は別れるが間違いなく俺が小学生でプロレスにハマった原因が四天王時代の全日今見ても熱くなれる
ホントに尊いプロレスを観ていたんだなあ、と思います。2.9ストンピング攻撃で、後楽園ホールや武道館の床を、絶叫しながら踏みつけたのを思い出します!四天王だけじゃなく、ハンセン、ゴーディ、ウィリアムス、スパイビー、エース、キマラ2、パトリオットら外国人が、アメリカンプロレスではなく、四天王プロレスを選んで一緒に走ってくれたことも大きかったなあと思いました!
有田と週刊プロレスとからずっと四天王を待ち続けてました。フューチャーしてくださってありがとうございます。四天王は中高生だった自分にとって青春そのものでした。会場での観戦はもちろん、ジャストミートの実況と感無量で何も言えなくなった馬場さんの姿も忘れる事が出来ません。
ありがとう有田さん。そうですよね。あれが到達点でしたね。三沢さんが救われます。
RUclipsで色んな人がプロレス語ってるけどやっぱこの2人は話が上手すぎる。そりゃあプロだし当然だけど
2人の話が上手いのは当然として、編集がとてもいい。さすがプロだと思う
@@TheBeautifulBeast ちゃんと家族と旅行して、家族サービスも怠らないしね‼️゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○(笑)
熱かったですよねー!いつも鳥肌ものでした!有田さんのプロレス愛と素晴らしい解説ありがとうございました♪
この頃の試合勝ち負けとかじゃなくいいもん魅せてもらった。感動あり敗者なくどっちも勝者と言えるいい試合でした。
毎週日曜深夜に日テレで中継があってこの4人の試合がほぼメイン中継されてました。会場に何度か見に行った際にフォールすると「ワン」「ツー」「オー」(オーはカウント2.9で返した時の観客の声)というやり取りが両選手で何度もあるハラハラする展開が見てる方を最大限に興奮させてくれる素晴らしい時代でした。確かに、もう出来ませんね、現在では。
有田君、例えるの上手すぎるわ。そしてリスペクトの仕方も素晴らしすぎる!!
危険すぎると批判があるのは理解するし、今の時代に『あの頃のプロレスを見せてくれ』とは言わないけど、四天王プロレスをリアルタイムで観れたのは最高だった。実況が本気で『死んでしまう』と言っていたけど…プロレスの域を超えてしまったんだな…
比べるのは酷なんだけど、四天王プロレスの重みは凄かった。解説の馬場さんの目に涙させたのも印象に残ってます。
それって最悪だよね。プロレスファン失格。三沢はプロレスやったから死んだ。小橋は今、廃人だよ。そんな試合したら誰が憧れる?やれば「今、自分は大金もらえる」けどレスラーはやらないんだよ。同業のルールでさ。だって団体の後輩が失望するもん。
武道館大会は行けるだけ行っていた。毎回声を枯らしてた。試合だけで魅せてくれた。そんな川田さんもハッスルでは...
でもそんなハッスルには有田さんも出ていましたね!
三沢がハンセンを初フォールした時は感動したなぁ
有田さんが全日四天王を語って頂いて嬉しいです!全てやり尽くしてしまった究極の戦いだったと思います。それ故に危険すぎました。でもそれが痺れました。脳内麻薬が出ました。ただ有田さんの話術をもってしても、この四天王プロレスは語りづらいですよね。凄いとしか言いようがないので。アングルのほうが語りとしては面白くなるのもわかります。でも時々で良いので今後も四天王に触れて頂けたら嬉しいです!
当時の職場のプロレス好きな人らで全日シリーズ最終戦の武道館に行くのが恒例で、よく重低音ストンピングやりに行きました。四天王絡みではありませんが、ラッシャーさんのマイクの時にプライベートで来てた上島竜兵さんがキャップを深く被って見つからないようにしてたのが面白かったです。
阪神大震災のあとの60分フルタイムのやつ、大阪府立に観に行きました!!懐かしい。僕、家が大阪だったのに神戸市内で被災して、友達の分のチケットも持ってたのに、電車分断されてて大阪帰ることできなくて、でも大会は中止にならないようだって聞いて必死に帰って行ったんですよねぇ。
私も見に行きました。試合があるかどうかわかりませんでしたが、試合があり感動しました。ラッシャー木村さんのマイクパフォーマンスも神妙でした。
是非、有田と週刊プロレスとで、またの機会とされていたゼロワンでの三沢力皇vs小川村上について語って頂きたいです!
あの試合でリキは絶大な支持を得たよね♪
三沢選手が「エルボー」「フェイスロック」「タイガードライバー」とシリーズごとに必殺技を覚醒させていた時期がたまらなく好きです!テリーゴディをエルボーで倒したメインが忘れられません☝️@(・●・)@
三沢が超えたー!ゴディを超えたー!の名実況ですね。
三沢選手がハンセン選手を破り、川田選手がウイリアムス選手を破り、小橋選手がゴデイ選手を破り、田上選手もゴデイを破る頃は四天王と呼ばれてましたね。小橋選手、田上選手ともゴデイに勝ち越してますね。凄いです。
@@イマイチ-q1v でも四天王プロレスに真正面から対峙してこのプロレスに合わせたゴディ、そして何よりあの歳で戦って壁となったハンセンは凄い
小橋、ジョニー・エース組も好きだったな。あとは、いぶし銀のカンナム。ウィリアムスのバックドロップだと佐藤アナ(多分…)の…『小橋が死んでしまう~』が印象に残ってます。
有田さんのリスペクト、とても好感持てました四天王プロレスは、まさに命をかけた戦いでした、地方に住んでいたため、生観戦はほとんどありませんが、テレビを観ながら涙を流しました今のプロレスラーに、これを求めることはしませんが、四天王プロレスを観て、なぜ毎回武道館が満員になるほど、みなプロレスに熱狂していたかは感じてほしいです
そうなのよー全部面白い試合だったのよー四天王時代大好き❤❤
当時、いすゞ自動車大和工場体育館という会場で四天王プロレスを観戦して大興奮。小さな会場でも手を抜かずにテレビで見ていたあのクオリティの試合内容が目の前で繰り広げられていた。
確か実況が若林さんと新人の福澤アナウンサーだった。どちらも名実況者で観てるこっちも大興奮したのを憶えてる鶴田のオー!とハンセンのウィー!大体どこで出るか分かって一緒に叫んでたなぁー
子どもの頃に地元の小さなプロレス会場で撮った写真が出てきた。恐らく6人タッグだったと思われるが三沢・川田・小橋が同じコーナーに立っていた。すごい顔ぶれ…宝物にします!
ギリギリ全日地上派1時間時代を観てましたが少年時代の私はなぜか田上明を応援していた(´,,•ω•,,`)
有田さんの時代を分析する慧眼に敬服します。今に至るまでのプロレスの進化のパターンを出し尽くしたという意味で、四天王をビートルズに例えるセンスはさすが一流のエンターテイナー。大衆音楽はビートルズ以前と以降で全く異質なものになりました。彼らがやってないのはラップぐらいなもの。2000年代以降に派生した日本のプロレスのあらゆるバリエーションも、四天王プロレスがその発生を運命づけていたんですね。誰がジョン、ポール、ジョージなのか分からないけど、リンゴは確実に田上だな。
川田さんファンです。川田さんはジョージっぽいですかね😊そうなると三沢さんがジョン、小橋さんがポールになる。
@@石峰良幸 三沢さんがジョン、ってマジじゃないですか(泣)。武道館での死闘の幾つかを生で観戦できたのは一生の宝物。我を忘れてあれほど叫んで応援することはきっともうありません。感謝🙇
有田さんの解説はわかりやすいです。自分も超ハマって見てましたが、超世代軍が超えようとしてたのは、鶴田だけでなくハンセンやゴディ、ウィリアムスのような化け物ヘビー級レスラーを含めたサイズとの闘いでもあったと思います。有田さんも釘をさした危険なプロレスはこの化け物達を超えるためにやむを得なかったと重鎮の百田光雄さんが言ってたみたいです。
四天王、ハンセン、ウィリアムスこれらの試合はどの絡みでも壮絶で面白かったそれに加えて実況が若林さん、福澤さんレフェリージョー樋口日曜深夜の思い出
この時代のプロレスは凄かったですね。会場で見たことありますが、熱気が半端なかったです😅
自分は名古屋在住ですが、この時期の名古屋での興業では、毎試合熱い試合が行われていて、叫びすぎて記憶を失うレベルで熱い試合を観ていました(´∀`)もう、このような試合は行ってはいけないと思いますが、今でも生で四天王プロレスを観れたのは誇りですね(´∀`)
鶴田カブキ組が世界タッグ獲ってるとか、シレッと入れる情報が渋くてガチ感あります有田さんがそんなに全日にも精通してるとは田上さんも最初は超世代軍で合宿参加してたんですよね四天王対決はどれをとっても面白いと力説する有田さんに感激です、激しく同意です!それぞれの組み合わせに魅力があるんですよね田上が三沢からピン取ったことも2度ほどありますし田上小橋も30分引き分けが3回続いた後の断崖初披露でしたし…タッグを組んで以降のチャンピオンカーニバルでの川田田上も容赦なしで激しかった小川橋本の裏で後楽園でやった川田小橋のフルタイムも凄まじかったです四人のタッグ対決も言わずもがなですねあの頃に有田さんが武道館に通っていたなんて…毎回同じ空間にいたんですね~感慨深い
90年代全日本は外国人選手もバラエティーに富み面白かったですね…ハンセンはもちろんですが、トレイシースマザース好きでした!!
阪神淡路大震災のわずか2日後に行われた川田vs小橋の三冠戦が1番印象に残っていますね。60分フルタイムドローの死闘は今だに忘れられません!
あの試合を超えるのは無理だと思いますね
私も見に行っていました。感動しました🥲
同じくあの試合を会場で観ました。フルタイムドローの後の会場からの「全日本!全日本!」コールには涙がでましたね~
さすが有田氏良く知ってるまとめも上手い
この時代の全日に捨て試合なし!三沢のエルボー、川田のパワーボム、小橋の剛腕ラリアット、田上の喉輪落とし…今でも一挙手一投足が鮮明に蘇ります😢
三沢選手の左手でのフライングラリアットからの目元の汗を人差し指でピッピッと払うムーブ中学生の頃、体育マットの上で真似してました
@@チャイワン-i7u 俺は今でもします笑
四天王プロレスはある意味究極的でしたね。私は川田の感情剥き出しが好きでした。足利の先輩後輩でもあり、三沢タイガーマスクデビューに向けて練習パートナーでもあった川田。三沢対川田がベストバウトかなー。三沢エルボーのエグさも群を抜いていたし。川田は復帰戦で三沢からT.D.’91喰らった際には『殺意を感じた』と言ってましたね。
初めて四天王プロレスを観たのは、有田さんも語っていた1993年8月31日 豊橋市体育館での次期三冠挑戦者決定戦 小橋VSウィリアムス。脳天から落とすデンジャラスバックドロップ3連発を食らった小橋が足フラフラになりながら、ロープにしがみつき必死に立ち上がろうとする姿は忘れられない。プロレス観て初めて泣いた試合です。
例えにビートルズ出すのが有田さんだね。さすが、ベストヒットUSAに出ただけある。
テレビ埼玉で放送してたはず。小橋がどんどん強くなるのが楽しみでした。逃げずに受けきるのが美しかった
危険って簡単に言われがちだけどそこの要素抜いても熱かったですよね。川田にだけ明らかにムキになる三沢、より怒らせようとする川田、どんどんピープルズレスラーになっていく小橋、噴火した瞬間は他の誰よりも客を熱狂させる田上。エリート扱いなのにボコされながらどんどん上がっていく秋山。あの時代をリアルタイムで見れた事は誇っていいと思います。
それをやるのに「エースでスーパースターをリング上で殺し、後継者へ癈人の如き後遺症を背負わせる」必要は無かったよね。おっしゃる通りのストーリーは美し過ぎで大好きです。でもあんな試合内容(プロ失格の危険技連発)はダメだよ。だから後輩からスターが続かなかったんだし。
@@たつやかねこ-t4l
本人たちが望んでやったことを、外野の人間が簡単に否定するのも違うと思いますけどね。
何をもってプロ失格という烙印を押すのか、理解できかねます。
後遺症ってことなら、川田・田上・小橋よりも武藤・蝶野の方が重いですしね。
三沢は家族に対する無念や後悔があるかもしれませんが、四天王の他3人や秋山はいわゆる四天王プロレスをやったことに対する後悔はないと思いますよ。
それに後継者が育たなかったのは全く別の理由です。
勝手なイメージで貶めるのは良くないと思いますよ。
有田さんが四天王の事を
日本のビートルズって言ってくれたの...何だかうれしかったなぁ
一番プロレス観てた四天王時代。変なマイク合戦もなく無骨に闘い合う全日本が本当に好きでした。
馬場さんが
「こんなに凄い試合自分には出来ないから解説出来ませんよ」
と涙流して感動するくらい尊い時代でしたね
あの頃の全日本をリアルタイムで会場で観戦出来て本当に幸せでした
なわなに
あの頃の武道館はカードはマンネリなのに、あれだけ熱狂的にさせる四天王やあの時代の外人は凄すぎる。
我々が満足して楽しんだ分、選手の身体はガタガタになっていたんですね。正に命懸けの試合だった。
この時代の全日の凄さは武道館の三冠だけではない。
常に地方でも熱き闘いが行われた事だ。
やっと四天王プロレスを、語ってくれた。
プロレスの最高傑作。
命を削る戦い、受けのプロレスの頂点
今の若い人に見てほしい。
もっと語ってほしい
最低作品だよ。人を殺したんだよ?
相手を明日も元気よくリングに立たせる。
これがプロレスラーの大前提じゃん。
それを無視すれば、そりゃ金は稼げるよ。ヤクザと一緒だもんね。
四天王プロレスは、金欲しさの黒歴史です。
本当に今のレスラーであそこに入れるのは、オカダ位しかいないのでは?内藤は違う気がするし
四天王というと「危険」という文字が真っ先に紐付いてくるけど、アレはそもそも四天王プロレスが抜群に面白い極上のプロレスであったが為に、「今後ファンがあれを毎回求めたらお互いの為にならんよ」という戒めの意味を持たせた言葉だった筈。
その大前提の最上級のプロレスであったという部分が時と共に認識が薄れ、単純に「危険なプロレス」をやっていた時代と捉えられるのは口惜しい限りでした。
なので、今回は本当に嬉しかったです。あの熱狂は本物であったと再確認出来ました。
思春期で人生に悩んでモヤモヤして・・・。そんな時期に出会った四天王プロレス。
大袈裟でもなくほんとに生きる希望になりました。
試合を見た後、明日からまた頑張ろうと思えました。そして今日まで生きてきました。
四天王プロレスって見てる時はすげえすげえすげえーしか無かったけど
今見てもやっぱりすげえ以外言葉が出てこない
ほんとに刺激が強すぎた
有田さんの言うことが大袈裟ではないくらい四天王プロレスはスゲェ。
本当にスゲェのは四天王プロレスかもしれない。
あの頃の四天王は、毎試合、命をかけて試合しているのが伝わってきたなぁ。
あの頃の三冠戦はマジでどの試合みても興奮できる
2000年台のプロレス低迷期に全日本新日本ハッスル全てのリングに上がりNOAHでの三沢戦を実現させた川田は本当に凄いと思います。一時期のプロレス界は川田を中心にしないとスイングする試合がなかった。
むう四天王ビートルズ説は妙に納得してしまうな
ハンセンと誰がやっても熱い好試合で、ウイリアムスは最高のライバル小橋を得ました
馬場さん健在のいい時代でしたね
四天王プロレス凄かった。どの試合もベストバウト、もうこんな試合に見る事はないね
深夜にたまたま観たのが鶴田越えできてない頃の全日でしたが抑え込んだ時に会場も一緒にカウントして、返した時の重低音ストンピングは会場の興奮が画面越しににビシビシ伝わって一気にはまりました。あと、三沢さんが封印してるタイガードライバー91やタイガースープレックス84や85など観れたら得した気分になったのも試合に飽きなかった理由の一つだと思います。三沢さんは川田さんに厳しめだったなぁ
メインに行くまでの前座の試合も良かったですよね。馬場さん、ラッシャー木村さん、永源さん、ベテラン勢がメインのための空気作りをしてメインで一気に爆発する。試合観戦終えた後、友人と焼肉屋で語り合う。試合を見て楽しんで、試合後に語り合い楽しむ。最高だったなぁ。
あと自分はこの頃のブッチャーも好きでした。「善vs悪」の構図が無くなった後も決して居場所を失うことなく、ジャイアントキマラ2と組んでジュニアやアジアレベルの選手に対して大きく立ちはだかる壁として貫禄の試合を続けていたのが印象的でした。
プロレス全く興味なかったけど、週末の深夜に放送してた四天王プロレスは毎週みてたわ。素人目でもハンパなくすごかった。
四天王プロレス以前、三沢川田小橋が鶴田ハンセン超えに挑んでいく時期がとても印象に残っている。今と違い明確に格が存在した時代でその格を超えるための過程がショートカット無しの等身大だった。
四天王の試合は今見ても色褪せない、とてつもない試合ばかりで、今の若い子達に見て欲しい!プロレラーの凄さ・強さが分かる。
「青春」か、うまいこと言いはるわ。田上さんが鶴田さんの横でどんどん覚醒していくのがたまらんかった。
四天王プロレスは「たまたま見た試合が全部面白い」という発言に泣きそうになった。
本当に感情が揺さぶられる試合ばかりだった。
シングル戦は1試合1試合が大事に組まれていたし、タッグ戦線も重厚な試合ばかりだった。
幸せな時代だった。
命懸けの戦いってのが本当に伝わってくる凄い4人でした。3カウント入った瞬間の爆発そして安堵感を今でも思い出せます。
プロレスに1番ハマったのは超世代軍がきっかけでした。鶴田さんがリタイアし、三沢さんが三冠を取り、初防衛戦で川田さんと戦ったのが四天王時代の始まりだと思ってます。
学生の頃、夜中に熱い試合を観て興奮して眠れない日々を思い出します。
クライマックスに近いのに、カウントワンでフォールを返すスピード感に凄さを感じてました。
有田さんが決まった試合をオススメしないのもわかりますね。
nWoブームくらいしかプロレスのことを知らなかった当時、
たまたま深夜のテレビで見たのが川田が初めて三沢に勝った試合で、
それが衝撃的すぎてガチガチの全日派になった
四天王プロレスを語る上で外せないのは、96年から始まった全日中継の年末1時間スペシャル。
四天王がちゃんこを囲んで、福澤アナや金子アナが進行し1年間の試合や出来事を振り返る。
そんな中、三沢さんと川田さんからいつも下ネタでイジられる小橋さん。
それを蟹を頬張りながらニヤニヤして見つめる田上さん。
なんか分からないけど、一生全日に四天王について行こう!と思って現在に至ります。
プロレスの究極進化形が四天王プロレスでしたね。
有田さんの話を聞いてるだけで、興奮が蘇り涙が出てきました。
あの時代に観ることが出来て本当に良かった。
四天王プロレスよ永遠に。。。
高校生の時深夜放送ながら、毎週全日観てたよな😊
興奮し過ぎて寝付けなかったのは良い思い出。
俺も有田さんと同じ意見。
一番興奮したのは鶴龍対決だったが、「プロレスの試合」という概念で考えたら、最高傑作は四天王〜ノアの三沢小橋だと思う。
更に凄いのは、地方でもエゲツない試合をし続けた事。三沢さん達の「(プロレスを、全日を)舐められてたまるか!」という想いが詰まっていた。
福田さんは「試合終わって清々しいイメージ」と仰っていたが、実際の試合はエグ過ぎた。
俺的には、観戦し終わってビールで乾杯、というより、日本酒でしんみり、という感じ。
「何でここまで頑張れるのだろう?それに比べて俺は😢」
って感傷的になってしまったのが懐かしい思い出。
やっと四天王取り上げて下さり、ありがとうございました🥹。
子供の頃にたまたま深夜日テレにチャンネル合わせてやってたのが1999年6月の三沢vs小橋の全日中継だった
あれ見てプロレスって凄いなってハマったの鮮明に覚えてる
1999年1月の三沢vs川田も凄かったし、あの頃の全日の壮絶な試合は一生忘れないだろうな
興奮したり感動したりはあるけど、
試合中に涙を流して応援していたのは30年プロレス見てきて…この四天王プロレスだけでした。
そして現在…
やはりあの麻薬の様なプロレスに見惚れてしまったからか、今のプロレスに同じ様な感情は抱けない自分がいます。
今のところ三沢光晴を越えるヒーローは
いません。これからも現れないんじゃ無いかな。それくらい
ファンでした。
三沢さんが亡くなってからプロレスから遠ざかり、有田さんのお陰でスターダムにドはまりしてます。
自分も武道館で見ていた世代です。
有田さんが言う通り四天王の試合は
どの試合も素晴らしくアツいもの
でした。試合後はガラガラ声になり
清々しい気持ちで帰って行った事が
懐かしいです。
そのあと仲間達と飲んだ酒と食べたラーメンがたぶん、一番旨かった。懐かしいです。
新日フリークだと思っていた有田さんが全日四天王を褒めまくるの気持ちいい!
武道館のメインが決着して客席が大歓声で爆発した後、各自のテーマが流れると、名前を叫びながらエプロン近くまで自然にダッシュ。テレビで見てても半泣きになるぐらいのフィニッシュの説得力(笑)。
最高の時間でしたよ。
私は三沢さんが果敢にハンセンに挑む姿を見てプロレスファンになりました。
三沢さんこそ、最高のプロレスラーです。
全日四天王時代は
ほんと
レスラーも観客も麻痺してたよな
有田さんが仰るように、この時期を知ってる者としてはある意味プロレスの頂点を迎えたと言っても過言ではないと思います。どの世界もそうですが時代と共に受け継いでいくもの、変わっていくものがあるんでしょうが、あの頃の熱さは感じません。今でも怪物鶴田に挑む四天王に始まり四天王+秋山他外国人も含めての戦いは名勝負というよりも死闘という言葉が似合う気がします。
新日派だったが、たまたまテレビで秋山の三沢越えの試合見て、全日本にひきこまれました。新日も好きだし、いまのプロレスも大好きだが、あの頃の全日本は凄まじかった。
有田さんのビートルズの例え、納得!
四天王プロレス(時代)は危険な技の応酬という側面もありましたが、連続するカウント2.9、そして完全決着という観客を裏切らないクリーンな試合というのことが素晴らしかった。そして関係ないけどプロレスニュースも良かったw
"プロレス界のビートルズ"って例え素敵すぎる👏
有田さん、当時の武道館ほとんど行ってたんだ。確かに純粋なプロレスの試合という点では四天王の試合って頂点を極めてたよね
四天王プロレスの過激な技の中で光る受け身の上手さ。その中でも三沢さんの受け身の上手さは天才的だ。それゆえにあんな最後になってしまったのが悲しい。社長業との兼任が無ければもっと違った未来もあったかもしれない…
馬場さんが一歩引いて、鶴田さん、三沢さんをエースにしたように三沢さんも馬場さんみたいにできなかったんですかね?秋山選手の後は強くてカリスマ性のあるレスラーが育たなかったなぁと個人的には思う。
人生にたらればなし
確かに四天王時代が一番面白かったしワクワクした
間違いない…
この四天王のプロレスがすべての面で到達してしまった。という有田さんのコメントが素晴らしいです。
この時を超えるプロレスはもう見れないでしょうね。最近は無駄に登場シーンが長くて試合時間は短かったりたいして汗もかかずに終わったりするシーンが残念です。
この4人はクールに武骨にただただ激闘を見せてくれました。
それが三沢の寿命を削ってしまったことは否めませんが生で見せてもらえたことに感謝したい。
日本武道館での三冠戦は素晴らしいものだった!
WWFのエンタメ系や格闘技路線のUWFも良いけど、プロレスの完成形が四天王プロレスでしたね。会場で観戦出来ていた事が改めて有り難く思いました。
この時壮絶な戦いしてた小橋が、数年前に引退試合出来て良かったな〜と思ってたけど、よく考えたら、未だ現役の秋山準は怪物だよな…体を大切に頑張って欲しい
有田さん、その通りだわ。どれ見てもおもろい!試合で魅せるプロレス。それを証明したのが、東京ドームで行われた「夢の架け橋」☝️
あの時の観客の全日本コールは忘れられない!
あれは凄かったですよね。
完全にメインを食ってました。
前の試合の大仁田がなかなか帰らず「早く帰れ!」って怒声が飛び交ってた。
ファンの質も良かったな
推しとかなく登場してきた選手全員に大歓声やったわ
子供の時でしたが、深夜にワクワクしながら見てました。
いまだに思い出す程、最高のプロレスでした。
三沢のスパルタンXで毎回鳥肌です。自分は三沢対デンジャラスKの三冠戦無制限1本勝負をベストバウトに上げさせて頂きます。
ノアになっての三沢対デンジャラスKは号泣しました。
ウイリアムス対小橋のバックドロップ3連発は余りのエグさに観客が静まり返ったのを憶えている。
この時代をリアルタイムで見れて良かった。
鶴田が退いても上手く
世代交代が出来たのが
大きかったな。
外国人選手を含めて層の
厚さが凄かったから面白い
カードが色々と組めて
飽きなかったし。
今では贅沢なカードばかりだな。
有田さん、全日に残った渕さんも
忘れないで!
小橋とウィリアムスの93年豊橋は本当に凄かったですね。
レフェリーの和田京平さん、ジョー樋口さんの3カウントが厳しすぎて、どの試合もレスラー にとっては体力を使い果たす試合だったと思います。
武道館の1万5000人の中にいられたのは毎回幸せでした。
四天王時代の全日本プロレスが1番好きでした!なかでも三沢光晴は自分のアイドルでした。有田さん!なぜ三沢のエルボーはあそこまで強力だったのか。ぜひ、有田さんに三沢光晴のエルボーについてお聞きしたいです!
入場テーマ曲がかかって第二小節から大三沢コールが湧き起こるのがめちゃテンション上がる。最初は曲に合わせてるけど客のテンション高くてコールが曲より早くなりがち。
三沢vsジョニー・エースの三冠戦も好きな試合の1つです。
確かに全ての試合が刺激的で、この頃の全日本は癖になる面白さだった。
ゴールデンの放送から深夜に移った時代。
小学生のころは猪木、タイガー、長州、キッドなど新日派だった自分が闘魂三銃士より三沢vs鶴田に熱くなってました。
本当にいい時代を見させて貰いました。
頭から落ちる技が当たり前に行われていた事は賛否は別れるが
間違いなく俺が小学生でプロレスにハマった原因が四天王時代の全日
今見ても熱くなれる
ホントに尊いプロレスを観ていたんだなあ、と思います。
2.9ストンピング攻撃で、後楽園ホールや武道館の床を、絶叫しながら踏みつけたのを思い出します!
四天王だけじゃなく、ハンセン、ゴーディ、ウィリアムス、スパイビー、エース、キマラ2、パトリオットら外国人が、アメリカンプロレスではなく、四天王プロレスを選んで一緒に走ってくれたことも大きかったなあと思いました!
有田と週刊プロレスとからずっと四天王を待ち続けてました。フューチャーしてくださってありがとうございます。
四天王は中高生だった自分にとって青春そのものでした。会場での観戦はもちろん、ジャストミートの実況と感無量で何も言えなくなった馬場さんの姿も忘れる事が出来ません。
ありがとう有田さん。
そうですよね。あれが到達点でしたね。
三沢さんが救われます。
RUclipsで色んな人がプロレス語ってるけどやっぱこの2人は話が上手すぎる。そりゃあプロだし当然だけど
2人の話が上手いのは当然として、編集がとてもいい。さすがプロだと思う
@@TheBeautifulBeast
ちゃんと家族と旅行して、家族サービスも怠らないしね‼️
゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○(笑)
熱かったですよねー!いつも鳥肌ものでした!有田さんのプロレス愛と素晴らしい解説ありがとうございました♪
この頃の試合勝ち負けとかじゃなくいいもん魅せてもらった。感動あり敗者なくどっちも勝者と言えるいい試合でした。
毎週日曜深夜に日テレで中継があって
この4人の試合がほぼメイン中継されてました。
会場に何度か見に行った際にフォールすると
「ワン」「ツー」「オー」(オーはカウント2.9で返した時の観客の声)
というやり取りが両選手で何度もある
ハラハラする展開が見てる方を最大限に興奮させてくれる
素晴らしい時代でした。
確かに、もう出来ませんね、現在では。
有田君、例えるの上手すぎるわ。
そしてリスペクトの仕方も素晴らしすぎる!!
危険すぎると批判があるのは理解するし、今の時代に『あの頃のプロレスを見せてくれ』とは言わないけど、四天王プロレスをリアルタイムで観れたのは最高だった。
実況が本気で『死んでしまう』と言っていたけど…
プロレスの域を超えてしまったんだな…
比べるのは酷なんだけど、四天王プロレスの重みは凄かった。解説の馬場さんの目に涙させたのも印象に残ってます。
それって最悪だよね。プロレスファン失格。
三沢はプロレスやったから死んだ。
小橋は今、廃人だよ。
そんな試合したら誰が憧れる?
やれば「今、自分は大金もらえる」けど
レスラーはやらないんだよ。同業のルールでさ。だって団体の後輩が失望するもん。
武道館大会は行けるだけ行っていた。
毎回声を枯らしてた。
試合だけで魅せてくれた。
そんな川田さんもハッスルでは...
でもそんなハッスルには有田さんも出ていましたね!
三沢がハンセンを初フォールした時は感動したなぁ
有田さんが全日四天王を語って頂いて嬉しいです!
全てやり尽くしてしまった究極の戦いだったと思います。
それ故に危険すぎました。でもそれが痺れました。脳内麻薬が出ました。
ただ有田さんの話術をもってしても、この四天王プロレスは語りづらいですよね。
凄いとしか言いようがないので。アングルのほうが語りとしては面白くなるのもわかります。
でも時々で良いので今後も四天王に触れて頂けたら嬉しいです!
当時の職場のプロレス好きな人らで全日シリーズ最終戦の武道館に行くのが恒例で、よく重低音ストンピングやりに行きました。
四天王絡みではありませんが、ラッシャーさんのマイクの時にプライベートで来てた上島竜兵さんがキャップを深く被って見つからないようにしてたのが面白かったです。
阪神大震災のあとの60分フルタイムのやつ、大阪府立に観に行きました!!懐かしい。僕、家が大阪だったのに神戸市内で被災して、友達の分のチケットも持ってたのに、電車分断されてて大阪帰ることできなくて、でも大会は中止にならないようだって聞いて必死に帰って行ったんですよねぇ。
私も見に行きました。
試合があるかどうかわかりませんでしたが、試合があり感動しました。
ラッシャー木村さんのマイクパフォーマンスも神妙でした。
是非、有田と週刊プロレスとで、またの機会とされていた
ゼロワンでの三沢力皇vs小川村上について語って頂きたいです!
あの試合でリキは絶大な支持を得たよね♪
三沢選手が「エルボー」「フェイスロック」「タイガードライバー」とシリーズごとに必殺技を覚醒させていた時期がたまらなく好きです!テリーゴディをエルボーで倒したメインが忘れられません☝️@(・●・)@
三沢が超えたー!ゴディを超えたー!
の名実況ですね。
三沢選手がハンセン選手を破り、川田選手がウイリアムス選手を破り、小橋選手がゴデイ選手を破り、田上選手もゴデイを破る頃は四天王と呼ばれてましたね。小橋選手、田上選手ともゴデイに勝ち越してますね。凄いです。
@@イマイチ-q1v
でも四天王プロレスに真正面から対峙して
このプロレスに合わせたゴディ、そして何よりあの歳で戦って壁となったハンセンは凄い
小橋、ジョニー・エース組も好きだったな。
あとは、いぶし銀のカンナム。
ウィリアムスのバックドロップだと佐藤アナ(多分…)の…
『小橋が死んでしまう~』が印象に残ってます。
有田さんのリスペクト、とても好感持てました
四天王プロレスは、まさに命をかけた戦いでした、地方に住んでいたため、生観戦はほとんどありませんが、テレビを観ながら涙を流しました
今のプロレスラーに、これを求めることはしませんが、四天王プロレスを観て、なぜ毎回武道館が満員になるほど、みなプロレスに熱狂していたかは感じてほしいです
そうなのよー
全部面白い試合だったのよー
四天王時代大好き❤❤
当時、いすゞ自動車大和工場体育館という会場で四天王プロレスを観戦して大興奮。
小さな会場でも手を抜かずにテレビで見ていたあのクオリティの試合内容が目の前で繰り広げられていた。
確か実況が若林さんと新人の福澤アナウンサーだった。どちらも名実況者で観てるこっちも大興奮したのを憶えてる
鶴田のオー!とハンセンのウィー!大体どこで出るか分かって一緒に叫んでたなぁー
子どもの頃に地元の小さなプロレス会場で撮った写真が出てきた。恐らく6人タッグだったと思われるが三沢・川田・小橋が同じコーナーに立っていた。すごい顔ぶれ…宝物にします!
ギリギリ全日地上派1時間時代を観てましたが
少年時代の私はなぜか田上明を応援していた(´,,•ω•,,`)
有田さんの時代を分析する慧眼に敬服します。今に至るまでのプロレスの進化のパターンを出し尽くしたという意味で、四天王をビートルズに例えるセンスはさすが一流のエンターテイナー。大衆音楽はビートルズ以前と以降で全く異質なものになりました。彼らがやってないのはラップぐらいなもの。
2000年代以降に派生した日本のプロレスのあらゆるバリエーションも、四天王プロレスがその発生を運命づけていたんですね。
誰がジョン、ポール、ジョージなのか分からないけど、リンゴは確実に田上だな。
川田さんファンです。
川田さんはジョージっぽいですかね😊
そうなると三沢さんがジョン、小橋さんがポールになる。
@@石峰良幸 三沢さんがジョン、ってマジじゃないですか(泣)。
武道館での死闘の幾つかを生で観戦できたのは一生の宝物。
我を忘れてあれほど叫んで応援することはきっともうありません。感謝🙇
有田さんの解説はわかりやすいです。自分も超ハマって見てましたが、超世代軍が超えようとしてたのは、鶴田だけでなくハンセンやゴディ、ウィリアムスのような化け物ヘビー級レスラーを含めたサイズとの闘いでもあったと思います。有田さんも釘をさした危険なプロレスはこの化け物達を超えるためにやむを得なかったと重鎮の百田光雄さんが言ってたみたいです。
四天王、ハンセン、ウィリアムスこれらの試合はどの絡みでも壮絶で面白かった
それに加えて実況が若林さん、福澤さん
レフェリージョー樋口
日曜深夜の思い出
この時代のプロレスは凄かったですね。会場で見たことありますが、熱気が半端なかったです😅
自分は名古屋在住ですが、この時期の名古屋での興業では、毎試合熱い試合が行われていて、叫びすぎて記憶を失うレベルで熱い試合を観ていました(´∀`)
もう、このような試合は行ってはいけないと思いますが、今でも生で四天王プロレスを観れたのは誇りですね(´∀`)
鶴田カブキ組が世界タッグ獲ってるとか、シレッと入れる情報が渋くてガチ感あります
有田さんがそんなに全日にも精通してるとは
田上さんも最初は超世代軍で合宿参加してたんですよね
四天王対決はどれをとっても面白いと力説する有田さんに感激です、激しく同意です!
それぞれの組み合わせに魅力があるんですよね
田上が三沢からピン取ったことも2度ほどありますし
田上小橋も30分引き分けが3回続いた後の断崖初披露でしたし…
タッグを組んで以降のチャンピオンカーニバルでの川田田上も容赦なしで激しかった
小川橋本の裏で後楽園でやった川田小橋のフルタイムも凄まじかったです
四人のタッグ対決も言わずもがなですね
あの頃に有田さんが武道館に通っていたなんて…
毎回同じ空間にいたんですね~感慨深い
90年代全日本は外国人選手もバラエティーに富み面白かったですね…ハンセンはもちろんですが、トレイシースマザース好きでした!!
阪神淡路大震災のわずか2日後に行われた川田vs小橋の三冠戦が1番印象に残っていますね。
60分フルタイムドローの死闘は今だに忘れられません!
あの試合を超えるのは無理だと思いますね
私も見に行っていました。
感動しました🥲
同じくあの試合を会場で観ました。フルタイムドローの後の会場からの「全日本!全日本!」コールには涙がでましたね~
さすが有田氏良く知ってるまとめも上手い
この時代の全日に捨て試合なし!
三沢のエルボー、川田のパワーボム、小橋の剛腕ラリアット、田上の喉輪落とし…今でも一挙手一投足が鮮明に蘇ります😢
三沢選手の左手でのフライングラリアットからの目元の汗を人差し指でピッピッと払うムーブ
中学生の頃、体育マットの上で真似してました
@@チャイワン-i7u
俺は今でもします笑
四天王プロレスはある意味究極的でしたね。
私は川田の感情剥き出しが好きでした。
足利の先輩後輩でもあり、三沢タイガーマスクデビューに向けて練習パートナーでもあった川田。
三沢対川田がベストバウトかなー。三沢エルボーのエグさも群を抜いていたし。
川田は復帰戦で三沢からT.D.’91喰らった際には『殺意を感じた』と言ってましたね。
初めて四天王プロレスを観たのは、有田さんも語っていた1993年8月31日 豊橋市体育館での次期三冠挑戦者決定戦 小橋VSウィリアムス。脳天から落とすデンジャラスバックドロップ3連発を食らった小橋が足フラフラになりながら、ロープにしがみつき必死に立ち上がろうとする姿は忘れられない。プロレス観て初めて泣いた試合です。
例えにビートルズ出すのが有田さんだね。
さすが、ベストヒットUSAに出ただけある。
テレビ埼玉で放送してたはず。
小橋がどんどん強くなるのが楽しみでした。
逃げずに受けきるのが美しかった