足利氏だけでなく島津氏にも受け継がれた重忠の系譜 畠山重忠の子孫のその後【鎌倉殿の13人】
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- Опубликовано: 24 июл 2024
- 北条氏の武蔵支配の野望の前に畠山重忠は滅亡しましたが、重忠の妻が足利氏から婿を迎え名前は残ります。
畠山氏は管領を輩出する大大名となり、応仁の乱のきっかけとなるほどの影響力を持つようになります。
一方、諸説あるものの、重忠の娘が、のちに薩摩藩主となる島津氏に嫁いでおり、その縁もあって、畠山氏の関係者が島津氏に多数召し抱えられました。
島津氏も、畠山重忠の武勇を自家と関連付けるために、承久の乱で先陣を志願するなど、重忠の事績を継承しようと積極的に動きます。
今回は、畠山重忠死後の畠山氏の変遷、室町時代以降の畠山氏、そして島津氏に受け継がれた畠山重忠の事績について紹介します!
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参考文献
山野龍太郎「畠山重忠の政治的遺産」(北条氏研究会編『武蔵武士の諸相』)
amzn.to/3dub0p4
清水亮『中世武士 畠山重忠』
amzn.to/3QWY3BT
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【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
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#鎌倉殿の13人 #大河ドラマ #歴史
今回の深掘りも味わい深いですね。
ありがとうございます!
重忠の血筋ではありませんが、時政の娘、ちえの血筋としてゆくゆくは三管領の畠山氏となり、また、重忠の娘が島津忠久に嫁いて、島津氏に繋がっていくこと、いつもながら丁寧な解説、今回も勉強になりました!
ありがとうございます!
次回の大河でちえも出るのでどう描かれるか気になりますね。
今回の動画の足利氏に限らず、女系を軸に見ると意外な家のつながりが見えてきて面白いですよね。
例えば、現在の天皇家に古いところでは織田家、近いところでは島津家の血が流れているのは有名ですし。
男女関わらず血が繋がっていれば子孫ですからね。
滅亡したけどここでつながってる!みたいなの探すの面白いです。
私は畠山で親戚に島津います。歴史はおもしろいです。
重忠の血を引く男子全員の処刑はやっぱり重忠は史実では頼朝にも北条にも警戒されていたというのが本当だった事が実情だった気がしました……
族滅させても一族に名跡だけは継がせるということはありましたから、徹底的に潰すのはやはり…って感じですよね
血は絶えても、名を残すとは恐るべし。北条出身の奥方が名跡と権利を守り、畠山氏が平氏から源氏に代わるまで修羅場だったと思います。歌舞伎の中の役に秩父庄司重忠として、残ってます。家紋は五三桐です。
お若い役者さん、ですのに、は畠山重忠 役、見頃になされ、胸をうたれ、ました、見事な、役者さんと思いました、胸がいっぱいに、なりました。この度の 大河ドラマおも! 目がはなせない、ドラマになりそう~
ですね~
関ヶ原での島津の一文字駆けなどを見ると、勇猛果敢で知られた重忠をお手本にしているのは間違いないですね。
いずれにしても中川大志さんのファンが増えたことは間違いないでしょう。
重忠の血脈は後世、戦国期最強畠山の2人、義就(よしなり)と尚順(ひさのぶ)に引き継がれたと信じたい(笑)
あと匠作家の家督継承に関する美談も。
満家、満慶兄弟の話は今回取り扱おうと思ったのですが、尺の関係でカットしちゃったんですよね…
コメントいただけて嬉しいです!
ありがとうございます。本当にホットしますね~ありがとうございました。👍😉
何かしらの形で畠山重忠の系譜が残っているだけでホッとします!
畠山氏の名跡は北条時政娘を通じて管領畠山氏に繋がっていて、嘘かホントか女系を通して畠山重忠の血筋は薩摩島津氏に繋がっているの面白いな!!
島津氏の家臣として、関ヶ原で島津義弘の影武者として討死した、長寿院盛淳は管領畠山氏の政長流の末裔らしいから、なんか不思議な縁を感じるなぁ
とても参考になる動画をありがとうございます。ただ 登場する足利氏や畠山氏の名前が多すぎで 一度聞いただけでは関係が理解できません。系統図みたいなものがあれば嬉しいです🙇
コメントありがとうございます。
ただ辿っているだけなので系図がないと理解が難しいですよね。申し訳ありません。
一度動画内に系図を盛り込んでみたのですが視認性が悪く、系図作成にも労力がかかるため、現段階ではこうした形での投稿となってしまっております。
今後も、子孫のその後について追う動画は投稿予定ですので、改善策を考えます。
@@rekishock さま、ご丁寧にありがとうございます。また 次回作 お待ちしております。鎌倉殿も いよいよ クライマックスですよね~😍
北畠と畠山ってごっちゃになるよな
重忠の末裔が島津家に繋がる話は割りと有名かもしれませんが、男系では円燿が出家していて、後に九州に渡り、大久保利通の家系に繋がると他動画で言われてます。
これが事実なら、家来筋の大久保家が男系、主家の島津家が女系と、島津としては具合が悪いですねぇ💦
大久保利通に繋がるという話は初耳です。
重忠の直系男系子孫が家来ということになると複雑ですね。
島津忠久の「忠」の由来も気になっています
父親と言われる惟宗広言では「忠」という字に繋げないので、「忠」を使っている惟宗氏の人物を引っ張っている説について、あり得なくはないですが、違和感も感じます
惟宗広言と丹後局は一夜のみで、その後は武蔵武士(畠山・比企・吉見・安達等)の世話になっていたという方が自然な印象です
(養子or 猶子?)
そうなると、忠久の由来は重忠の可能性が出てくると思いますが、
一方で同様に南九州に下った秩父平氏(主に渋谷一族)が露骨に「重」を通字にしているので
「重忠」の字面的に渋谷氏が上で、島津氏が下になってしまっています
また、(出所を忘れてしまったのですが)島津氏は「久」より「忠」を使っている人物が多いとの事でより重要案件に思えてしまいます
大久保利通は李氏朝鮮第二世。
島津家は李氏朝鮮に乗っ取られ、
西郷隆盛の時代に滅んでいます。
現在の島津製作所(理化学研究所)も元は井上。
島津は頼朝の血が入ってるとか、重忠の娘を娶って重忠の血脈が入ったとか、事実かどうかよくわからない事を吹聴するのが得意なんですよね…
動画内でも言われてますが御家のブランド力を上げるためのロビー活動には涙ぐましいものがありますね。
島津と言えば四兄弟に代表されるように剛の者たちというイメージですが、個人的には江戸時代の琉球管理で幕府の目を盗み琉球から年貢を水増し請求して余剰分を着服してたセコい一族というイメージがありますね。関ヶ原で所領安堵されたのに維新では先頭切って倒幕に動くなど正直なんだかなあという感じでしょうか。
後半で仰っているように、島津は美談が語られがちですが、やっていることはだいぶエグいですよね…
徳川慶喜も、長州はもとから敵だったからいいが薩摩は裏切ったので許せないと語っていたのが何となく分かります。
畠山については、滅びた一族を再び盛り上げているようで個人的には好感が持ててしまいました。島津の思う壺ですね笑
@@rekishock
畠山一族に対するリスペクトは確かに感じますね。
私もその辺は印象いいです🙂
島津氏に”忠〇”が多いのは、そういうことか~😊
島津忠久に畠山重忠、忠をつけない理由がないですね!
島津氏は忠久の名前から嫡流は「忠」近い傍流は「久」をつけ、遠くなるとそのいえ独自の通字をつけるように決めております
家の格式で実名に使える字が決まりますので面倒です
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そのように名付けが制度化されたのは江戸・明治以降の家格整理された後の時代からですね。
それ以前は嫡流、傍流関係なく「忠」も「久」も使っていますね。
ただ嫡流では「〇久」という使い方が多い、一方、傍流では「久〇」という使い方が多いのは、何かしらの制限があったのかな?とも想像しますね。
また「忠〇」や「〇久」、「久〇」という使用は多いのに「〇忠」が少ないのは不思議ですね。
あの鬼島津の元がお公家さんだったのは軽くショック
荏原製作所創業者の畠山一清氏は能登畠山氏の後裔ですね。
不勉強で知らなかったです…コメントありがとうございます!
畠山満慶から数えて18代目とのことですが、高家畠山氏の子孫ということなんですかね。
その業界なら誰でも知る、
世界的ポンプメーカー荏原、
しかしながら一般市民が誰も知らねー会社。電子部品の村田と双璧をなす謎のメーカーである。
これ豆
畠山静香は?
重忠の嫁が足利と再婚し、子供を産んだと言う方が年齢的に難しいんじゃないんですか?
畠山重忠の乱の時点で嫁(時政女)はアラフォーか30代半ばぐらいでしょ
35歳で実朝を産んだ北条政子の例もあるので、年齢だけで切れないのがまた難しいのですよ…