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コアグラから買いました。ワールドコートがPCエンジンの中で一番やりました。今なお自分的には最高のテニスゲームです。
おもちゃ屋の閉店セールでスーパーグラフィックスを三分の一の値段で買ってもらった思い出があります、今でもたまに遊んでます。話は変わりますが、ハードの都合にソフトが振り回された事がありますよね、ワードナの森がその代表。
ワードナの森、知る人ぞ知る(>_
ファミ通の発売予定に1番長い間あって発売されなかったというアレか…
PCEngineの「コア構想」自体の考え方は、まさにパソコンそのものでしたね。内部バスがそのまま背面から出ているので、なんでも出来ちゃう。(HuCARD無しで立ち上げたりも出来たはず。。。デバッグ機には、PCEngineがそのまま刺さってた写真を見た記憶がある)そんなロマン溢れる構想に惹かれて、ワクワクしてました。。。
そもそもパソコンはずっと長い間、ディスプレイと言うものから脱却出来なかったので、PCエンジン、つまりパソコンをマルチメディア化させる構想が有ったのでは?と思います。つまりTVの横に鎮座する情報端末をメーカーは常に目指していました。だからPCエンジン、つまりパーソナルコンピューターエンジンと名付けられたんでしょうね。更に言うとなぜ失敗したか?それは世界を見据えて無かったから。だからトランジスタラジオをわざわざ世界各国で営業して売り歩いた実績を持つSONYが残ったんですね。
エメラルドドラゴン、アルナムの牙とかライトスタッフのゲームが好きでしたアンケート送ったら何年も会報をご丁寧に送ってきてくれて。末期は87年発売のハードをベースにしてるとは本当に信じられないタイトルが多かったですねムービー大量のレッドカンパニーのガリバーボーイ、グラフィックにシステムに演出に次元の違う出来だった日本ファルコム風の伝説ザナドゥ2は次世代機のゲーム以上の表現をしてました
発売日にPCエンジンを買いましたが、このハードが一番夢や希望に溢れていたハードでしたねシャトルやスーパーグラフィックス辺りから迷走していましたが、GTやLTなど超高額ながら時代を先取りしてたハードだったと思いますCD-ROM2も初代から買いイースやダライアス、グラディウスIIなど名作ソフトだらけでしたビジュアルムービーもCD-ROM2から主流になり、当時は感動したものです
僕たちのかけがえのない、青春でしたね(^q^)
キャラバン会場でGTで練習している子を見てGTヤバいなと思いました何か凄い未来感がありましたねぇw
やっとの思いでCDROMを手に入れて、天外魔境のOPを見た時の感動は未だに忘れられない。思い出深いハードだった。
イース1&2もね!
パワーコンソールという構想がなければもう少しスーパーグラフィックスもコンパクトに出来たと思いますね(実際中身はスカスカだし)厚みを少し増せば充分コアグラのサイズに収めれただろうし値段を抑えて販売すれば世代交代も叶った様な気もしますそうすれば1年後に発売されたスーファミにもハード面では対抗できただろうし、その後のFXの仕様も変わっていたかもしれません。自身に一番夢を与えてくれたハード、それがPCエンジン 有り難うPCエンジン
PCエンジンが据え置き機を活性化させたと今でも思ってるグラフィックはジャスティス!
NECはPCエンジンの成功で自分達の我を出しすぎて、暴走し大失敗。ハドソンは自分達の想いを捻じ曲げられて悔しかったのでは?
ちゃうちゃうハドソンが迷走したんだよ
当時の少年ジャンプのマンガ「燃える!お兄さん」で、主人公ケンイチの隠された欲望を引き出してやるという敵が出てきて、ケンイチが思い浮かべたのがCDROM2で敵から呆れられるというギャグがありましたねw当時はホント高嶺の花でしたねー。
当時高いと言われたCDロムロムですが、ポータブルCDが5万前後なので、ついでにCD-ROMの機能も付いてくると思えば割安だったと思う接続ユニットの分だけが上乗せ色々な機種が出たのはNECが本体の売り上げで利益を設けていたのと、PCの販売戦略そのままを持ってきたってのが失敗の原因かなぁPCみたいに半年や1年毎に新機種出されたら据え置き機はたまったものではない
バイトをしていて人生で一番お金が自由に使えた高校生時代にPC8801mkⅡFR、サウンドボードⅡ、PCエンジン、CD-ROM2、コアグラとNECにはかなり貢がせてもらったな。
ワールドコートのRPGモードは名作
結局、NECはパソコンのメーカーの流儀から脱却できずPCエンジンのコア構想が失敗した原因なんでしょうね
コアグラ、スパグラ、シャトルのようなセグメント分けはNEC側の担当者がNECらしい発想といってるくらい。パソコンを98,88,80,60とユーザー層で分けたのと同じですね。
初代PCエンジン(白エンジン)ユーザーでした。
この黒いコアグラフィックスだけ持ってます。がっ!!操縦かんコントローラー凄い!!贅沢の極みですね!!
ハードのバリエーション乱発はPCE市場を混乱させ、長い目で見ればマイナスだったと思う。旧ROM2とスパグラをロムロムアダプタで接続とか、雑誌の写真見て何とも言えない気分になったなぁ
でも、当時は市場を見ながら安くなってきて購入しましたよ。そうなった理由は、誰もが疑いようが無くなったあの技術力です(^-^)/
あのデカイコントローラー、渡辺浩弐のテレビ番組でも、確か実物が紹介されましたよね。
パワーコンソールは当時、テレビでやってたPCランドという番組で司会の大竹まことが試作品を見て、あまりのデカさにドン引きしてたのを思い出すw
スパグラを買ったばかりにスーパーCDROM2というレアハードを買う羽目になったオレ
まさかのT型に(T_T)
アルファシステムはキャリーラボでPC-9801のギャプラスを移植したH氏が独立した会社でしたね。パソコンの黎明期から活躍された名プログラマです。
「コブラ」も忘れないでやってください。
面白かったです!
とても発色がよくノイズも抑えられ高級感があり、アナログ技術も高かったと思います。かつての総合電気メーカーが作るとても10年戦えるいいゲーム機でした。ソフトはハドソンが奮闘するもコナミの参入が遅かったのが痛かったように思えます。ときめきメモリアルがプレイできたので魅力的でしたが、その後、他のハードでも発売されることを知り不要となりました。なんといっても一番の原因は、ハドソンの面白いソフトがパタンと出なくなったことです。
うぽつです表記CD-ROM2をちゃんとシーディーロムロムと音声で読み上げてて冒頭から感心ゆっくり解説読み上げ適当なチャンネル多いから世代的に知らないのを解説してるんだろうなぁっていう生声解説動画でも間違って読んでるのも見たことあります
そもそもロムロムっどういう意味ですか?
TS07 どういう意味でしょうね😅
@@ts0719 CD-ROMという新しい媒体の知名度が無かったため親しみが持てるように名付けられたはずです
当時PCエンジンのコア構想に全くついていけなかった(理解できなかった)
「コアグラⅡやりたい。」の大竹まことが縛られてる広告はインパクト大でした。購買意欲には結びつかなかったけどwこっちもしくじり先生出ないかなぁ
合体ゲーム機はロマン(買ったとは言ってない)
PCエンジンと名がつけば絶対見ちゃうわ LTが動かなくなり直せないものかと落ち込んでる 昔旅行に持っていき遊べた
コア グラ コア グラってドラえもんとのび太がCMしてるの覚えてますw
パワーコンソールって発売してなかったんですね。自分の記憶ではてっきり発売したものだと思ってました。
スーパーグラフィックス…確か押し入れの奥に数回使用しただけのがまだ有ったはず(ガサゴソあ、バトルエースと一緒に寝てたわ
当時思ったのはシャトルもスーパーグラフィックスもcdrom2に繋がらないじゃない、でしたね。そいや、ウチのお友達がPC8801MK2のCDがそのままPCEに装着出来るので嬉しいとか言ってたな…逆だったかな?CDROM2を88に搭載出来たんだったか?三国志2をCD音源で遊んでた記憶があるぜ
PCエンジンでは、アーケードゲームからの移植多かったですね。
まさに男のロマン😂
当時R-TYPEをどうしてもやりたくてPCエンジンを買ったんだよね(*´▽`*)本当にすごかった!!
後のX-BOXのやらかしを既にNECがやらかしてたよね。パワーコンソールの件は知ら無かったけど、そう言う事情だったんだ。本来の「コア構想」を捨てたシャトル、スパグラは全く受けなかった。私は、PCエンジンは本体がCDケース大のコンパクトさ、ROMカートリッジがカードと言うコンパクトさが大変、魅力だったのに、シャトルは無駄にデカいし、スパグラも無駄にデカい。CD-ROM2が装着 出来ない(接続オプションがあったかも?)なんて致命的だった。スパグラには憧れたけど。スパグラ完全対応のスーパーCD-ROM2が出て、スパグラには再度、欲しかったけど高過ぎて・・・
RAU30を介してインターフェースコードに接続した
スーグラの時点でFM音源搭載して、カートリッジ対応にしてれば・・メガドライブだ。
スーパーグラフィックス買うならゲーセン行きまくった方がマシ。当時も今もそう思う。
ブルジョア共をターゲットにしたGTとLTが入っていませんねー。発売時期を考えると次回になるのかな?
初年で60万台というのは当時としてはかなり大きかったと思うのですが
パワーコンソールって世界で試作品が1台作られたのみでしたよね?…
コアグラ1~デュオでいったよ
PCエンジンはアイディアと技術力はあるけどマーケティング戦略が甘すぎるイメージがある。
Duo派です
初代Duoは素晴らしいデザインでしたなぁ。惜しむらくはCDロムの読み込みエラーが結構多くて(個体差もあるかも)、読み込みが頻繫にあるRPGとかだと相当悩まされました。
PC エンジンは良かったけど、ユーザーのお財布には全く良くなかった。550円のアルバイトで兄貴頑張ってたな
お情けでファミコンを買ってもらった身としてはPCEも…なんて言えるはずもなく、まさに高嶺の花でしたわ。その後になって当時は全く知らなかった周辺機器など含めると軽く10マンはかかると知って更に驚愕…
今考えると酷いメーカーだなと思うけれど、良い思い出をありがとう!ハドソンとNEC。
結局AV端子が1番感動した。それがpcエンジンである。
せっかく買ったのに・・・「大魔界村」と「ストライダー飛龍」が発表されたら『スーパーグラフィックス専用』だったというショックその結果メガドライブに買い換えた
ヘビーユーザー向けの上位版か、今で言うps4プロみたいやな
シャトル売れなさ過ぎて出荷台数少な過ぎた為に今はプレミア価格のコレクターズアイテムだね
PCエンジンは色んな機種が売られたことによりユーザーが混乱して販売が低迷したのではないかな
…まるで、自民党総裁選の様だ…(-.-;)y-~~~
当時店の棚に置かれていた時は変なゲーム機が置いてあるな、ぐらいにしか思わなくてPCEとは思わなかったな。そこまでゲームに興味が無い層からしたらハードの種類と周辺機器の多さで余計敬遠したくなるね。何を買ったらいいか調べるのがもう面倒クセェってなる。
グランゾートが欲しくて本体と一緒に買ってくれと親にねだったが、買わなくてよかった。
スーパーグラフィックがFM音源ついて30000円台ならスーファミは終わっていた
パワーコンソールに至っては開発中止が決まった時点で関係者がどんちゃん騒ぎで喜んだそうな。
当時社会人だった私は惜し気もなくお金をぶっこみましたよ
拡張性のないカニっていうイメージしかなかったけどそんなコックピットのようなものを作る予定だったんだ・・・じゃあ出せばよかったのにってか゚ナンボバブルとは言え子供のおもちゃにそこまでお金出してくれる家庭そんなにないっていう事実を無視した開発してたけどね・・・
初期型のCDロムロム、CD回転軸にサスペンションがないから、回転が乗った瞬間パカって開くとCDがテイクオフするんですよね。面白がって良く飛ばしてました (´・ω・`)
PCエンジンGTを間違えて買ってしまった
スーパーグラフィックスはグラフィックチップが2倍になっただけで高額だったのは当時でもそれだけ?と思った。しかも、専用ソフトはほとんどなかった。あの時、超有名大人気ソフトをスーパーグラフィックスなら遊べる様にしたら良かったと今なら思う。スーパーグラフィックスは違うなぁという気がほとんど感じなかった。買わなくて正解だった。NECは任天堂とは違い次世代PCエンジンの性能アップ度が当時でさえ、それだけ?と多くの人が思ったのではないか? PC-FXもなんだかよく分からない存在だった。これを発売するときに超人気ソフトを一緒に出さなかったのもイマイチ感を産んだと思う。
…まるで自民党総裁選の様だ…←2回目…(-.-;)y-~~~
正確には、グラフィックのチップを、二個独立させて二重背景に当てていて、カスタムした、強化版CPUで、作動させてる。
コアグラフィックス 新入社員の時点で持ってたなー対応ソフトあんまり無くて泣いた・・・
ファミコン、スーパーファミコンはよくわかり易かったが、PCエンジンはわかりにくかった。ソフトがHuカードから始まって、世界初?のCD-ROMをゲームソフトに採用したことが後でわかったくらいです。後継機種のPC-FXはソフト数でも圧倒的に少ない後継もあって、一年以内?に消滅しました。
スーパーグラフィックスを持っていました 親が持ってたんですけどPCエンジン末期にゲームショップで五千円で投げ売りされていた時に購入したんだそうです ワゴンに山積みになっていたとか言っていました
苦労して手に入れたROM2の後にこんなバカ高い商品を供給されても手が出るワケね~だろ!と当時はガチ切れしてましたwカブトガニもカニパンも買う事無く、初代エンジンと初代ROM2で最後まで戦いましたよ
NECか…その後、PCFXを出して自滅したメーカーですね
ギャルゲーマシン。パソコンが買えない貧乏向けエロマシン。として、某サイトで名を馳せましたね
狙いと名前が混乱を極め終わったな。マーケが悪い
コアグラから買いました。ワールドコートがPCエンジンの中で一番やりました。今なお自分的には最高のテニスゲームです。
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話は変わりますが、ハードの都合にソフトが振り回された事がありますよね、ワードナの森がその代表。
ワードナの森、知る人ぞ知る(>_
ファミ通の発売予定に1番長い間あって発売されなかったというアレか…
PCEngineの「コア構想」自体の考え方は、まさにパソコンそのものでしたね。
内部バスがそのまま背面から出ているので、なんでも出来ちゃう。
(HuCARD無しで立ち上げたりも出来たはず。。。デバッグ機には、PCEngineがそのまま刺さってた写真を見た記憶がある)
そんなロマン溢れる構想に惹かれて、ワクワクしてました。。。
そもそもパソコンはずっと長い間、ディスプレイと言うものから脱却出来なかったので、PCエンジン、つまりパソコンをマルチメディア化させる構想が有ったのでは?と思います。つまりTVの横に鎮座する情報端末をメーカーは常に目指していました。だからPCエンジン、つまりパーソナルコンピューターエンジンと名付けられたんでしょうね。更に言うとなぜ失敗したか?それは世界を見据えて無かったから。だからトランジスタラジオをわざわざ世界各国で営業して売り歩いた実績を持つSONYが残ったんですね。
エメラルドドラゴン、アルナムの牙とかライトスタッフのゲームが好きでした
アンケート送ったら何年も会報をご丁寧に送ってきてくれて。
末期は87年発売のハードをベースにしてるとは本当に信じられないタイトルが多かったですね
ムービー大量のレッドカンパニーのガリバーボーイ、
グラフィックにシステムに演出に次元の違う出来だった日本ファルコム風の伝説ザナドゥ2は次世代機のゲーム以上の表現をしてました
発売日にPCエンジンを買いましたが、このハードが一番夢や希望に溢れていたハードでしたね
シャトルやスーパーグラフィックス辺りから迷走していましたが、GTやLTなど超高額ながら時代を先取りしてたハードだったと思います
CD-ROM2も初代から買いイースやダライアス、グラディウスIIなど名作ソフトだらけでした
ビジュアルムービーもCD-ROM2から主流になり、当時は感動したものです
僕たちのかけがえのない、青春でしたね(^q^)
キャラバン会場でGTで練習している子を見てGTヤバいなと思いました
何か凄い未来感がありましたねぇw
やっとの思いでCDROMを手に入れて、天外魔境のOPを見た時の感動は未だに忘れられない。思い出深いハードだった。
イース1&2もね!
パワーコンソールという構想がなければ
もう少しスーパーグラフィックスもコンパクトに出来たと思いますね(実際中身はスカスカだし)
厚みを少し増せば充分コアグラのサイズに収めれただろうし値段を抑えて販売すれば世代交代も叶った様な気もします
そうすれば1年後に発売されたスーファミにもハード面では対抗できただろうし、
その後のFXの仕様も変わっていたかもしれません。
自身に一番夢を与えてくれたハード、それがPCエンジン 有り難うPCエンジン
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グラフィックはジャスティス!
NECはPCエンジンの成功で自分達の我を出しすぎて、暴走し大失敗。ハドソンは自分達の想いを捻じ曲げられて悔しかったのでは?
ちゃうちゃうハドソンが迷走したんだよ
当時の少年ジャンプのマンガ「燃える!お兄さん」で、主人公ケンイチの隠された欲望を引き出してやるという敵が出てきて、ケンイチが思い浮かべたのがCDROM2で敵から呆れられるというギャグがありましたねw
当時はホント高嶺の花でしたねー。
当時高いと言われたCDロムロムですが、ポータブルCDが5万前後なので、ついでにCD-ROMの機能も付いてくると思えば割安だったと思う
接続ユニットの分だけが上乗せ
色々な機種が出たのはNECが本体の売り上げで利益を設けていたのと、PCの販売戦略そのままを持ってきたってのが失敗の原因かなぁ
PCみたいに半年や1年毎に新機種出されたら据え置き機はたまったものではない
バイトをしていて人生で一番お金が自由に使えた高校生時代に
PC8801mkⅡFR、サウンドボードⅡ、PCエンジン、CD-ROM2、コアグラとNECにはかなり貢がせてもらったな。
ワールドコートのRPGモードは名作
結局、NECはパソコンのメーカーの流儀から脱却できず
PCエンジンのコア構想が失敗した原因なんでしょうね
コアグラ、スパグラ、シャトルのようなセグメント分けはNEC側の担当者がNECらしい発想といってるくらい。
パソコンを98,88,80,60とユーザー層で分けたのと同じですね。
初代PCエンジン(白エンジン)ユーザーでした。
この黒いコアグラフィックスだけ持ってます。がっ!!操縦かんコントローラー凄い!!贅沢の極みですね!!
ハードのバリエーション乱発はPCE市場を混乱させ、長い目で見ればマイナスだったと思う。
旧ROM2とスパグラをロムロムアダプタで接続とか、雑誌の写真見て何とも言えない気分になったなぁ
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パワーコンソールは当時、テレビでやってたPCランドという番組で司会の大竹まことが試作品を見て、あまりのデカさにドン引きしてたのを思い出すw
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まさかのT型に(T_T)
アルファシステムはキャリーラボでPC-9801のギャプラスを移植したH氏が独立した会社でしたね。
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「コブラ」も忘れないでやってください。
面白かったです!
とても発色がよくノイズも抑えられ高級感があり、アナログ技術も高かったと思います。かつての総合電気メーカーが作るとても10年戦えるいいゲーム機でした。ソフトはハドソンが奮闘するもコナミの参入が遅かったのが痛かったように思えます。ときめきメモリアルがプレイできたので魅力的でしたが、その後、他のハードでも発売されることを知り不要となりました。なんといっても一番の原因は、ハドソンの面白いソフトがパタンと出なくなったことです。
うぽつです
表記CD-ROM2をちゃんとシーディーロムロムと音声で読み上げてて冒頭から感心
ゆっくり解説読み上げ適当なチャンネル多いから
世代的に知らないのを解説してるんだろうなぁっていう生声解説動画でも間違って読んでるのも見たことあります
そもそもロムロムっどういう意味ですか?
TS07 どういう意味でしょうね😅
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当時PCエンジンのコア構想に全くついていけなかった(理解できなかった)
「コアグラⅡやりたい。」の大竹まことが縛られてる広告はインパクト大でした。購買意欲には結びつかなかったけどw
こっちもしくじり先生出ないかなぁ
合体ゲーム機はロマン(買ったとは言ってない)
PCエンジンと名がつけば絶対見ちゃうわ LTが動かなくなり直せないものかと落ち込んでる 昔旅行に持っていき遊べた
コア グラ コア グラ
ってドラえもんとのび太がCMしてるの覚えてますw
パワーコンソールって発売してなかったんですね。
自分の記憶ではてっきり発売したものだと思ってました。
スーパーグラフィックス…確か押し入れの奥に数回使用しただけのがまだ有ったはず(ガサゴソ
あ、バトルエースと一緒に寝てたわ
当時思ったのは
シャトルもスーパーグラフィックスもcdrom2に繋がらないじゃない、でしたね。
そいや、ウチのお友達がPC8801MK2のCDがそのままPCEに装着出来るので嬉しいとか言ってたな…
逆だったかな?CDROM2を88に搭載出来たんだったか?三国志2をCD音源で遊んでた記憶があるぜ
PCエンジンでは、アーケードゲームからの移植多かったですね。
まさに男のロマン😂
当時R-TYPEをどうしてもやりたくてPCエンジンを買ったんだよね(*´▽`*)
本当にすごかった!!
後のX-BOXのやらかしを既にNECがやらかしてたよね。パワーコンソールの件は知ら無かったけど、そう言う事情だったんだ。
本来の「コア構想」を捨てたシャトル、スパグラは全く受けなかった。私は、PCエンジンは本体がCDケース大の
コンパクトさ、ROMカートリッジがカードと言うコンパクトさが大変、魅力だったのに、シャトルは無駄にデカいし、
スパグラも無駄にデカい。CD-ROM2が装着 出来ない(接続オプションがあったかも?)なんて致命的だった。
スパグラには憧れたけど。スパグラ完全対応のスーパーCD-ROM2が出て、スパグラには再度、欲しかったけど高過ぎて・・・
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スーグラの時点でFM音源搭載して、カートリッジ対応にしてれば・・メガドライブだ。
スーパーグラフィックス買うならゲーセン行きまくった方がマシ。当時も今もそう思う。
ブルジョア共をターゲットにしたGTとLTが入っていませんねー。
発売時期を考えると次回になるのかな?
初年で60万台というのは当時としてはかなり大きかったと思うのですが
パワーコンソールって世界で
試作品が1台作られたのみ
でしたよね?…
コアグラ1~デュオでいったよ
PCエンジンはアイディアと技術力はあるけどマーケティング戦略が甘すぎるイメージがある。
Duo派です
初代Duoは素晴らしいデザインでしたなぁ。惜しむらくはCDロムの読み込みエラーが結構多くて(個体差もあるかも)、読み込みが頻繫にあるRPGとかだと相当悩まされました。
PC エンジンは良かったけど、ユーザーのお財布には全く良くなかった。
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お情けでファミコンを買ってもらった身としてはPCEも…なんて言えるはずもなく、まさに高嶺の花でしたわ。
その後になって当時は全く知らなかった周辺機器など含めると軽く10マンはかかると知って更に驚愕…
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ハドソンとNEC。
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その結果メガドライブに買い換えた
ヘビーユーザー向けの上位版か、今で言うps4プロみたいやな
シャトル売れなさ過ぎて出荷台数少な過ぎた為に今はプレミア価格のコレクターズアイテムだね
PCエンジンは色んな機種が売られたことによりユーザーが混乱して販売が低迷したのではないかな
…まるで、自民党総裁選の
様だ…(-.-;)y-~~~
当時店の棚に置かれていた時は変なゲーム機が置いてあるな、ぐらいにしか思わなくてPCEとは思わなかったな。
そこまでゲームに興味が無い層からしたらハードの種類と周辺機器の多さで余計敬遠したくなるね。
何を買ったらいいか調べるのがもう面倒クセェってなる。
グランゾートが欲しくて本体と一緒に買ってくれと親にねだったが、買わなくてよかった。
スーパーグラフィックがFM音源ついて30000円台ならスーファミは終わっていた
パワーコンソールに至っては開発中止が決まった時点で関係者がどんちゃん騒ぎで喜んだそうな。
当時社会人だった私は惜し気もなくお金をぶっこみましたよ
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ってか゚ナンボバブルとは言え子供のおもちゃにそこまでお金出してくれる家庭そんなにないっていう事実を無視した開発してたけどね・・・
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PCエンジンGTを間違えて買ってしまった
スーパーグラフィックスはグラフィックチップが2倍になっただけで高額だったのは当時でもそれだけ?と思った。しかも、専用ソフトはほとんどなかった。あの時、超有名大人気ソフトをスーパーグラフィックスなら遊べる様にしたら良かったと今なら思う。スーパーグラフィックスは違うなぁという気がほとんど感じなかった。買わなくて正解だった。NECは任天堂とは違い次世代PCエンジンの性能アップ度が当時でさえ、それだけ?と多くの人が思ったのではないか? PC-FXもなんだかよく分からない存在だった。これを発売するときに超人気ソフトを一緒に出さなかったのもイマイチ感を産んだと思う。
…まるで自民党総裁選の
様だ…←2回目…(-.-;)y-~~~
正確には、グラフィックのチップを、二個独立させて二重背景に当てていて、カスタムした、強化版CPUで、作動させてる。
コアグラフィックス 新入社員の時点で持ってたなー
対応ソフトあんまり無くて泣いた・・・
ファミコン、スーパーファミコンはよくわかり易かったが、PCエンジンはわかりにくかった。ソフトがHuカードから始まって、世界初?のCD-ROMをゲームソフトに採用したことが後でわかったくらいです。後継機種のPC-FXはソフト数でも圧倒的に少ない後継もあって、一年以内?に消滅しました。
スーパーグラフィックスを持っていました 親が持ってたんですけど
PCエンジン末期にゲームショップで五千円で投げ売りされていた時に
購入したんだそうです ワゴンに山積みになっていたとか言っていました
苦労して手に入れたROM2の後にこんなバカ高い商品を供給されても手が出るワケね~だろ!と当時はガチ切れしてましたw
カブトガニもカニパンも買う事無く、初代エンジンと初代ROM2で最後まで戦いましたよ
NECか…その後、PCFXを出して自滅したメーカーですね
ギャルゲーマシン。パソコンが買えない貧乏向けエロマシン。として、某サイトで名を馳せましたね
狙いと名前が混乱を極め終わったな。マーケが悪い