PCエンジンの誕生、~NECとハドソンが共同開発した名機PCエンジン~
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- Опубликовано: 9 фев 2025
- ハドソンの、ゲームソフト作り主体で、ハード開発を進められるという、自由さ、」
そして、チャレンジ精神の空気があったからこそ、生まれたゲーム機、それが、PCエンジンなんだ。
今回は、家庭用ゲームで、数々の名作を生み出した、そんな、PCエンジンの誕生をご紹介させて頂きます。
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/ @kopengin1
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#PCエンジン #ハドソン #NEC
CDromに度肝抜かれました(笑)
音に関しても最高になりました!
ファミコン時代のハドソンは一種のカリスマでしたね。
雑誌なんかでも何人もスタープログラマーが紹介されてたり、ハドソンに憧れて開発の道に入った人も多いと思いますね。
クロック周波数だけで見たら90年代後半のパソコン用CPUと同等なのか、PCエンジンすげえな
クロック数に関して間違っていますね。小数点が入っていないようです。
ファミコンが1.79MHzでPCエンジンが7.16MHzです。(一応1.79MHzもある)
ファミコンと比べて4倍のクロックで動作しているので当時非常に高速だったと思います。
SG-1000 40万台
セガマークⅢ 70万台
セガ・マスターシステム 40万台
メガドライブ 358万台
PCエンジン 590万台
なんだかんだファミコンの次に売れたハードなんだよね。
スーパーファミコン8962万台。メガドライブ6629万台。PCエンジン1840万台。
PCエンジンは頑張ったけど、PCFXはヘボすぎてガッカリ。セガサターンに乗り換えました。まさかハドソンがコナミに買収されるとは思わなかったです(泣)
へー、ファミコン初のサードパーティーがハドソンだったとは知らなかった!しかもあのファミリーベーシックも手掛けていたとは!
開発力があったんですねー!
友達はみんなスーファミで遊んでるのに自分だけひねくれたようにPC エンジンだけで遊んでいたんで讃えてくれる動画は、あのときのメインストリートを進めなかった自分が救われたような気にさせてくれる。でも性能よくってもアーケードの移植は発売延期の連続だったんだよな。
俺スーパーグラフィックス、妹スーパーファミコン。俺セガサターン、妹プレイステーションと買い分けて広く網を張って楽しんでたよ。
@@urushi73
妹が勝ち組ですね
ファミリーベーシックでゲームが作れる!!!
と思いきや、いざやると難しく
なにも出来なかったなぁ
PC-エンジンはまさに我が青春ど真ん中。
ビックリマンワールドの移植の高さに驚愕した。
というかR-TYPEはすごかった。
唯一の不満点は音。
FM音源搭載してくれたら完璧だった。
17:06 CPUクロック数はファミコンが1.79MHz、PCエンジンが7.16MHzですね。
そうなんですね。
べっくらこいた。
持ってたなぁ。FCの後これ買って貰って、R-typeの色に驚愕したのを思い出す。
PCエンジンはセーブが天の声つけないとセーブできないのだけが不満だったな
Huカードには、電池を搭載していないから仕方ないです。。。
まだこの時代にはフラッシュメモリも存在してないですね。
追加でフロッピーディスクやクイックディスクのドライブをつなげることはできたかも知れませんが、CD-ROM2を考えるといくらになったことやら…。
PC エンジンって、グラフィックが綺麗でしたね。メガドライブが何故か汚なく見えました。
メガドライブの64色というのは結構当時としては致命的でしたね。
とか書き込んでいる私はどちらかといえばメガドラ派・・・
・・・と言いますかレトロゲームは機種ごとに特徴があって結構なんでも好きですね。
MDはパレットカラー数が劣っていたんですよねぇ
僕もメガドラ派でしたが、背景を2画面持ってても色数が少ないので綺麗とは言い難かった・・・
メガCDでもその点は改善できず、折角の大容量が活かせなかった(画面に華やかさが無い)のが
辛いですね
16Bitのメガドライブより8BitのPCエンジンのが性能良さそうに見えるのは何故だろう?
ナムコのアーケードゲームを次々と移植してくれたことは嬉しかったね。ドラゴンスピリットはほんとうにすごかった。アーケードを上回っていた。ただ、さすがにスプライト数が少なくて一部のボスで無理やり表示させたので不具合でたりしたんだよね。
札幌味噌ラーメングループ。
文字キャラクタでお色気野球拳を作った会社
そういえばチップ開発のエプソンは、NECのPC-9800シリーズ互換機作ってたな
エプソンと共同開発した時点でNECの参入は確定事項だったのかもしれませんね
任天堂フリークの私が唯一買った他社機がCD-ROM2。ゲームも少し遊びましたけど、音楽CDの再生機として買いました。(笑)「もはやファミコンの時代ではないなぁ」とも思いましたが、「アイドル八犬伝」(FC)のエンディングを見て「ゲームの見栄えは、ハードの性能ではなく演出」だと考え直しました。「アイドル八犬伝」のエンディングの映像は現在RUclipsで見ることができますが、今となっては流石に地味ですね。
メガドラより売れて任天堂ファミコンの2番手だったのは凄い。でも撤退してしまったもんなぁ。いいソフトあったのに勿体無い
ハドソンのゲームがPCエンジンに多かった理由は自社で開発してたからか、NECの協力が有ったからパソコンの名作がPCエンジンに移植も多かったですね。日本ではヘビーユーザー向けのハードはPCエンジンでしたね
24800円か当時
画面がキレイだなぁ位のイメージだったんだけど開発しやすくしてあるマシンだったのか
新ハードが出る度に開発難度が上がっていったなんて話を聞いた事があるから、プログラマーにとってはPCEとドリキャスって良いハードだったのね
ハドソンが任天堂との仲をどう保ったのかも知りたいですね。
もうすでに売れているソフトあったから、スルーされたのかも?確かに気になりますですね!
自分もそれが気になります。
任天堂のライバルハード自体を製造するなんてスクウェア以上に決別するレベルの気がするのですが、特にそんな気配は無かったですよね。
ctake 510t さん
それだけ強固な信頼関係があったとしか思えません!
ハドソンと孫正義とのエピソードもそうですが、ハドソン工藤兄弟の人間力なのかもしれませんね。
そういえいば、あの頃のナムコのPCエンジンソフトは良く出来てましたよね。
もしかしたら、ファミコン創成期に比べて、一時的にソフトウェアメーカーの発言力が増していた時期だったのかもしれませんね。
クロック数2桁違います。
ほんとだwww
この頃だと、PC98でも8MHzとか10MHz位だったかな(記憶曖昧)
平岸にあった無線機販売店のCQハドソン、平岸街道を挟んで、向かい側のビルに、ハドソン本社が在りました。
弱点は 内蔵音源だよな
それとセーブでしょうか。
低音の出具合は個人的にMDより好みでしたけど
自分が学生時代~社会人初期の頃を過ごした佳き盟友であるPCエンジン、メガドライブ、ゲームボーイ…改めて思えばこの頃は一番ゲームに夢中になっていたのも確かでした。
…また、バブル期だったこともあってかなり良質なソフトが多かったのも確かですね。
動画で言っているCPU動作周波数に誤りがあるのですが、既にコメントに書いてある通りなので自分からはコメントはしないですが、そのおかげもあってスーパーファミコンよりも高速処理であったことからシューティング系のゲームはかなり遊びやすいものが多かったのも覚えております。
自分自身はファミコンは持っていなかったものの、MSXは持っていたのですが、後に友人同士のつながりで背伸びをして癖のあるゲームをしたいというニーズからMSXを持っていたという友人から初代PCエンジンを譲ってもらい、その後CD-ROM2とスーパーシステムカードを買い揃え、こんなにどっぷり夢中になったのが今となっては懐かしいです。
後の話で聴かせてほしいこととして、シャープが出したPCエンジン互換機である、X1 twinについても触れてほしいと思いました。
…シャープとハドソンの絡み、というのもあると思うのですが、他社のPCエンジン互換機であるX1 twinについても知りたいと思っていた矢先でした。
結構PCエンジン絡みの日本語での動画を見たうち、自分が確認した限りでは1件だけX1 twinについて触れた動画もあったのですが、他の動画ではほとんどの機種を網羅していたと思いきや、唯一X1 twinだけが抜けていた、というのも多数見ております。
PCFXでコケたな~
17分あたりにあるクロック周波数はありえませんよ。その100分の1です。
PCエンジンの誕生…
PCエンジン版誕生の事かと思いました
アイドル育成ゲームの
当日!周りからはメガドラにしろって言われてた覚えがあったが
PCエンジンが欲しく
買いました
今もCD-ROMROMと共に大事に撮って有ります( ・ㅂ・)و ̑̑
そもそもNECのゲーム機の印象しかなかったわ
これだけ高性能なゲーム機なのに、何故コアグラフィックやCD-ROM2
など、ハードをどんどん作ったのかな?
PCESGとCDROMの組み合わせで所有していました、単純にSGが投げ売り価格でしたのでw(それでも高かったですけど)
ファミコンの機能に満足できなかったから新しいハードを作ったハドソン、同じくファミコンの機能に満足できなかったコナミはカセットに拡張機能を実装して補ったと、カートリッジの生産を任天堂に委託していたか自社生産していたかの違いが出たんでしょうね
ファミコンのサードパーティウェルカムなハード設計に野心を感じます(≖ᴗ≖ )
開発ツールもファミコン、PCエンジン両方対応したものがあったとかなんとか・・
因みにスーパーファミコンは32768色中256色です。
同時発色は少ないけど持ってる色が多いので綺麗ですよ。
実は色数だけなら当時のAC基盤「ナムコマザーボードシステムⅡ」に匹敵するという・・・。
@@yhaaa5209 システム2は同時発色4096色だっけか
でもモニターの周波数がアレなんで個人的にシステム1の方が好きだった
なんかシステム2のドット間の隙間が嫌でした
スーパーグラフィックス買って漫画の宇宙家族カールビンソン読んでたら作者のあさりよしとおにカニ呼ばわりされた。見た目確かにカニだし対応ソフトは少なかったり色々あるけど。
PCエンジンはグラフィックの色数が多かったがBGが一面だったり音源がFM音源で無かったりその辺りで不満だった。
ただそれらもスーパースターソルジャーはソルジャーブレイドなど技術力でフォローしたゲームがあるので開発側の技術力が試されるゲーム機であったと思います。
色々と言われるが時代を創った偉大な名ハードと思います。
そう、音が兎に角ショボかった。ある開発者が波形メモリのメモリがせめて後2倍あれば…な~んて言ってたのを覚えてる。
BGが2画面あるメガドラの方が奥行きあるゲームが多かった。
スプライトはメガドラの方が数が多いけど、1個のサイズはPCエンジンの方が大きいのでそんなに変わらないかな
MDはFM音源でしたが低音が弱くて軽い感じのでしたので音に関してはPCEが良かったですね
PCエンジン発売と同時期にコナミがMSX向けにカートリッジ内蔵の波形メモリ音源(SCC)を開発したのだけど、メモリ量やビット数が多かったのでPCエンジンより高音質ですよ。
スゲー機種だったんだな
やったことなかったな
15:30 上海も当時はハドソンが日本国内の販売してたのか。
これだけ性能がよかったのにドラクエ4(堀井雄二・中村光一)はようファミコンで頑張ったな
やはりエニックスの一番売れてるハードで出すの方針が強かったのかな
後はセーブ機能の問題?
CPUクロックの件はともかく、自分の記憶と違う点があるので指摘しておきます。
まず、CPUですがNEC-HEと共同開発する前にエプソンに開発委託されているはず。
それをシャープに見せてゲーム機を開発しようとしたところ、任天堂との関係で没になり、NEC-HEとの共同開発になったという経緯だったような。
また、ファミコンはRAMが極端に少ない設計ですが、ROMもメモリなのでROMカートリッジを差せばX1のようなパソコンでオンメモリのゲームをロードした状態と変わらないと思うのですが。ちなみにファミコンのROMは最終的に1MBのものが出ています。
あと、ファミコン以前にもスプライト機能を持ったゲームパソコンは結構あったと思いますよ。
ぴゅう太やソードM5などのTMS9918A搭載機、TI-99/4やコモドール64などは日本でも正規に発売されていました。
この時代、RAMの方がROMより高速だったという事情もありますし、メガロムにしてもバンク切り替えなので、ソフトの作り手にとっては不満があったのは仕方がないかと。
CPUのクロック表記間違っている。
東芝と組めてたら良かったのカモ
記憶によると初めからハードを作るんじゃなく、ゲーム特化のチップを1個作りたいって話じゃなかったかな?
チップ作るのに数億円かかりますが、大丈夫ですか?大丈夫です、お金ならあります!!とかその辺の話も面白かったので入れて欲しかった
で、出来た物が思いのほか良かったのでゲーム機作って販売の流れだと思ったけど違うのかな?
X1、X68kのOSがハドソンとは知りませんでした
MSX「!」
ファミコンはカセットの方で拡張してないと全方向スクロールは無理
素のファミコンはBG画面が2画面分しかないから縦スクロールと決めたら縦にしかスムーズスクロールできない
デビルワールドが縦スクロールガタガタなのもそのせい。
なるほど
ゼルダがあのスクロール方式にしたのはそのせいなのかな?
ファミコン25色?
52色ではありませんでしたっけ?スプライトは両方ともサイズは違えど数は同じで64個、横に並ぶ数がPCエンジンの方が遥かに上でしたね。
PEエンジンで驚愕なのは、CDロムで容量を増やせば並の16ビット機でも悲鳴を上げる様なゲームでも軽々と移植してしまっていたところでしょうか。
勿論プログラマーのセンスや技術が有ってでしょうが。
@わが
ああ、ファミコンて52色中25色だったんですか。
それは知りませんでした。
メガドラはマークⅢとの互換性兼コストダウンの為に64色というのは知ってました。
@わが MDはPCEよりパレットカラー数が少なかった記憶が・・・
@@HIROAKI3721
PCエンジンは512色中最大で512だったと思います。詳しくはウィキペディアで。w
メガドラは512色中64色ですね。
メガドライブ PCエンジン Sファミコン この頃はゲームいっぱいしてたな~。各個性も違ったし。
CDロムロムは驚きだったけど(ゲームも凄かったけど)、やっぱ当時のロード時間と頻度はゲームするには辛かった。オプションROMで多少は良くなってもねぇw
やっぱりカセット(Heカード等も)の即時起動&ロードに慣れてるとイライラしてたwでも欲しかったw
なのにPS1やサターン位からイライラはあったけど段々慣れて、しまいにはメモリ128MB 30GBHDD CPUデュロン900MHz(おっさん以外に知らんだろうなw) で、
OS windowsXP(SPも無し)の起動~何やら何まで耐えれる精神力なってたなぁw SATASSDやM.2SSDしか知らない人だと、高確率でキーボードクラッシャー化してただろうねw
まぁ、MSX等のカセットテープでピーガガやFDDのカッカカ!よりは天国だったけどwコマンド入力もいらんしw
PCEのCDROMはエラー訂正機能が無かったので同じソフトが3本入っている状態だったと聞いたことがありますので余計遅くなったんでしょうねメガCDはエラー訂正機能は実装されていたみたいです
事実誤認が多い残念な動画。試みは支持したいが、指摘された間違いは修正して再アップしていただかないと。放置されると迷惑。
ハドソンが開発したチップ。
セガには持って行かなかったんでしょうか?
ちょうど、チップの完成はメガドライブの開発がスタートする少し前だったみたいだし。
何かちょっと歴史が違っていたら、セガとハドソンのタッグが見れたかも知れないと思うと面白いです。
セガが主体で作ったらPCエンジンにはならないし、Hu6270を使えばメガドライブにはならない。
どんなマシンが生まれたか解りませんけど、ソフトラインナップ面では充実して、
任天堂と良い勝負が出来たんじゃないでしょうか?
ただし、NECと組んでいなかったらCD‐ROM2は無かったかも知れませんね。
SEGAとハドソン(NECタッグ)では見据えてた先が違ったという感じですかね。
新ハードを自ら投入する一方、任天堂と共に歩む事も止めなかったのもまたハドソンの特徴
@@エーテンあき さん、
確かにそうですね。
NECはどうか解りませんけど、ハドソンは最初から高価な上位機としてファミコンとの棲み分けを考えていた感があります。
セガと組んでしまったら、任天堂と対立する道へ進む事になってしまったかも知れません。
開発者側が自らファミコンの接続コードや電源アダプター流用を可能に設計したと言っていたくらい、ファミコンとの併用を前提にユーザー側の利便性を考えて作られていたのには敬服します。
専用パーツや本体で利益を出す事になっていたNECも、結局はハードの普及によってパーツの販売減以上の利益を得た事でしょう。
途中まで懐かしんで見てましたが、動作クロックの誤りが、当時を知らない世代の方が作ってるんだなと思えて見るのやめちゃいました…
若い方にはクロック3桁MHzでも遠い昔のことですもんね😅
当時ハドソンにはチップをカスタマイズできるようなエンジニアがおるにもかかわらず3Dの波にはついていけんかったんやな・・・(´ω`)
かな~り3Dには乗り遅れてましたね~
PCエンジンの失敗はシャトルとスーパーグラフィックではなかろうか?
天下とれるハードっだったけどcdROM2は高すぎる、バッテリーバックアップはなしと
スーファミ出るころには死にハードだったなあ
I can't understand what they are saying ...lol