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消えたとはいえMSXは、小さい頃の大切な思い出だ。
当時小学生だった自分がファミコン欲しさに親にねだって、ファミコン買えなくて買って貰ったのがMSXだった。もしこの時MSXを買って貰って無かったら全く別の人生を送っていた。本当に偉大なパソコンでした
MSXのロゴデザイン最高
中2の夏にアルバイトで貯めたお金でワープロ機能が付いたナショナルのキングコングを買いました。何もかもが懐かしい・・・
バリバリ使っていましたね。小学校でも標準基準モデルとして、学習や先生達の資料作成に使われていて、ワープロからパソコンへシフトした大人達がたくさんいました。私も、MSX→MSX2→MSX2+→ターボRまで使っていましたが、Windows98が公用文書基準になった事で公の場から消えていったのを思い出しました。
ファミコンを持ってなかったオイラにとってMSX版のドラクエ1が出た時は本当に嬉しかったファミコン版を友達の家でクリアしてるのに購入して何周もプレイしてたなぁ
SONY製のMSXが最初に手に入れたマシンでした。当時松田聖子がCMに出ていた機種ですね。因みに今だに現役で動いております。
いいですね、羨ましいですよ、大事にして下さいね。
SORD m-5からYAMAHAのMSX2へ・・・中学生時代から高校生時代を思い出しました。どちらも自分でお金貯めて買った(MSX2はバイトもした)ので、思い入れは深いです。MSX Magazineとか、わくわくしたなあ・・・
MSXの火の鳥はファミコンと違って見下ろし型で面白かったな。音楽も素晴らしいし。無敵になる裏技あったなぁ
MSXは当時のFM7、PC-88、X1ユーザーからは玩具という認識だった。実際、MSXの画面は1ブロック2色以内というお粗末な表示でアドベンチャーゲームの絵を見ると、情けなくなる。スクロールにしても1ブロック8ドットの絵がガクン、ガクンとスクロールするのでファミコンと比べるとガタガタしていた。シューティングゲームではファミコンに及ばず、絵の表示能力はFM7、PC-88、X1に遠く及ばず。MSXはまさに玩具だった。MSX2になってから、ようやく絵の表現力が多彩になった。
IT業界 28年ぐらい???です。私の下地にはCASIOのPV-7があります。最初はテープ装置持ってないのに毎日BASICを打ち込んでました。
西さんはホームコンピュータ、キャプテンシステムの端末を考えていたんだけど、実際はそうならなかったね。ただプログラミングの入り口としてはかなり成功したと思う。
プログラミングマシンとして買ってもらったが小学生には難しいマニュアルだったし、普通の小学生には使いなせません。ゲームマシンとしては、光栄SLGは、入力が便利だったし、コナミの存在が神だった。MSX2がPCエンジンなみであれば、もっとうれていたかもしれない。
光栄のゲームがしたくてMSX2を無理して買ったな~88は絶対買うことはできなかったので、MSX2はありがたかったロムカートリッジで遊べたのも凄く大きかったな~
当家は親父がPC-8801(無印)持ってたけど音がBEEPしかなかったんで(音声表現力不足)自力でMSX2購入に至りました。プログラミングはN-BASICで覚えたけどMSX-BASICと基本は同じでぺーマガ掲載プログラムもある程度理解できました。
日本人じゃない孫が日本で暴れるところだったわ。
懐かしいねえ。あの頃はMSXがというよりコナミが輝いてた。今や何で大きくなったかということを忘れた会社になり下がったがメタルギアや魔城伝説シリーズなどMSX初みたいなものをまた作ってもらいたいものだ。
エンディングのBGM 泣かせるねぇw 次回も楽しみしております。
プログラムでスプライト使えるのがメチャ楽しかったっす
こういう歴史って面白いですねぇ〜!
本を読んでいたらMSXの事が出てきました。MSXのことは全く知らなかったですが、この動画は分かりやすく解説されていてとても助かりました。
けっきょく南極だっけ?アレめっちゃ遊んだな~、MSXも実際にはソコソコ高かったけど、他のPC88やFM系やX1が高すぎたよ。モニターから一式必要なオプション買うと、上等な中古の軽自動車(当時の)買えるくらいの値段だったから、10万以下でも買えてTVに接続できるMSX安く感じたwカシオのヤツとかめっちゃ安かった記憶がある。(汚れたらボタンが戻ってこないやつw)ファミコンには無いグラフィックはショボいけど面白いゲームいっぱいあった。体験したいけど、手ごろな値段で実際に動くヤツあるのかな?あったとして、知識のない自分みたいなのがどうやって表示させるまでいけるのやらw実機でもエミュでもソフトがないから何も出来ん。
それなんですよね。他の方が指摘されている様に、確かに「PC-8801」「FM-7」「X1」と比べると、おもちゃの様な物かもしれません。ただ、御三家パソコンは本体+モニターで20万円は下らず、MSXが3~7万円程度で購入でき家庭用テレビに繋げる事が出来るのは、やはり大きかった。アルバイトが出来る高校生や大学生なら高額な御三家パソコンも大いに有りだが、小学生~中学生にはMSXは有難い存在だった。それでも買って貰えず、小遣いを貯めてカシオのポケコンPB-200を買ったのですが・・・当時買えないのに、雑誌の資料請求券をはがきに貼って片っ端からカタログを取り寄せ、眺めていました。懐かしい思い出です。
47万円あったら軽の新車が買えたもんね(スズキ初代アルト)。MSX2はセパレートでも20万円以下が多かったし専用モニターが必要ないからその分リーズナブル。MSX1は描画が安っぽいけどそれなりに味のあるソフトも多かったかな。
MSXにそんな歴史があったとはねぇ当時リアルタイム 友達のうちにラリーXやディグダグ タイトル忘れたが 皿回しのゲーム ドラクエ などあったが どれもファミコンを下回るグラフィック でも自分でプログラムを組んでそれをカセットテープにセーブして 単純なゲームばかりだったけど それでも結構楽しんでたのを思い出しましたね
昔ゲームハードを紹介するニコニコの動画で『X68に次ぐ拘りの強い煩いユーザーが多く少しでも間違えられると叩かれるから慎重に調べて上げた遅くなった』って言い訳するシーンが有ってクスっと来てしまった迷ハードですね。MSX2でVDPが強化されるもヘンテコな制限が付く仕様になって頭抱えながらスクロールやスプライトと向き合ったあの頃が懐かしいw。でも慣れると片手間で思いつきのアイディアを走らせるのには楽なハード何だよなぁ。
テグザーやってたなぁ。。懐かしい
MSXはPS1300が初めて買ったパソコンでした。64kbにダブルスロット、おまけにジョイスティックまで付いてくる!でも、一緒に買ったソフトはハイドライドと、、、ジョイスティックも容量もあまり意味なかったというオチでした。
ギャラクシアンとかNECら御三家のハードで出てるやつと、ナムコが直接移植した奴とでは雲泥の差があるのを見てビビった思い出。MSX移植版はグラはさすがにしょぼいものの、本物のギャラクシアンの動きだった。それはハードの差じゃない、腕の差なんだとはっきり認識できた。FC版ゼビウスなどは言わずもがな。電波新聞移植品とかとはぜんぜん違う。業務用専業メーカーには別格の技術力があり、それはコインオペレートという厳しい競争環境で培われたものだと解って、特別な敬意を感じていました。それと比べるとスクウェアとかは、見栄えは良いが本質的に素人作品だと思ってた。今でもそう思う。
このMSXで遊んだ経験が平均的な同年代より、現在のあらゆる電子化を違和感なく受け入れる事が出来るよね
うわーファミコンとかち合っちゃったかあ!
み(M)んな仲良くし(S)ようぜ(X)で、MSXになったわけかぁ・・・合点がいった
自分でゲームを作り、動画編集やアニメーションもMSXで作っていましたね。懐かしいです。でも自分はITの世界に行きませんでしたけどね。結局コンピュータ言語を理解できた人が次の世界に進んでいったのでしょう。今では、普通にキーボードをパチパチタンしていましたが、MSXでは、設定から自分で決めると言う工程が理解出来れば、かなり優秀なハードだと思いますが、今のCPUでMSXを構築したらとんでもないものが出来るのでは無いでしょうか?・・・ゼビウス復活するかな〜・・・
この頃のコナミのMSXへの情熱はハンパなかったなぁ。誰がカートリッジに特殊音源搭載するなんて考えたんだろうか?
カクカクスクロールのグラディウスとかありましたね!ソフト^^
最初に購入したのはmsx2規格のソニー製ヒットビットの何とかmk2だったかな?ディスクドライブが付いているどPSG音源だけだったんだけど松下から出ていたサウンドカードリッジでFM音源に対応させたりその後MSXターボRを買ったのを憶えている
多分、HB-F1〇〇(F1シリーズ型番、確かアルファベット)markⅡでしょうか?
@@yanchitakagi2849 さんひとびとのヒットビットシリーズってキャッチコピーでしたねそれです記憶だと全体は黒なんだけどフロッピードライブの部分だけグレーでFM音源は背面のカートリッジスロットに刺してコナミからSDスナッチャーがSCCサウンドカードリッジ付きのフロッピー版が出ていてこのSCCカートリッジも刺してFMとSCCを全部使ったゲーム音楽のリメイクとか作り直したりして遊んでいました。
このときの「週刊少年ジャンプ」には、後に「ドラゴンクエスト」を手掛けられる堀井雄二氏だけでなく、「桃太郎電鉄」のさくまあきら氏も記事をお書きでした。漫画以外の記事では「マガジン」「サンデー」に後れをとっていたと思われ勝ちな「ジャンプ」ですが、このように書き手は多彩だったのです。
どんなに優れたアイデアも出る時と場所を間違えれば成功しないという残酷な事実を知らしめた証だったな
ただ、当時の処理能力では今のWindowsとかのようなハードウェアの抽象化までは難しかったので、それが制約になった感じですね。
ソビエトの宇宙ステーション ミールとソユーズのドッキング用コンピュータはSONYのMSXバソコンだったのよね
孫正義の手口、まんま総会屋。
当時プログラムを組むことが目的だったからファミコンは眼中になかったな
孫さんがMSXのロイヤリティに反対した背景として、孫さんが立ち上げた日本初のソフトウェア卸業に触れたほうがいいかと。
それってソフトバンクパブリッシングの事?
81年設立の日本ソフトバンクですね。ソフトウェア流通では圧倒的シェアかつ高いロイヤリティで、80年代のソフトハウスからは疎まれてもいたけど無いと困る存在です。ソフトウェア流通の他、82年にはOh!シリーズで出版事業に進出。90年に社名をソフトバンクに変更し、99年に流通はソフトバンクコマース、出版はソフトバンクパブリッシングに分社化したようですね。
@@TheKatsumin1024 昔MSXを所持していてデフォルトのフォントでソフトバンクパブリッシングのタイトルが表示されるソフトで遊んだ事があったのでもしかしたらそうなのかなと思った次第です
@@青木祐太郎-b3g さん今頃「おすすめ」登場ながら、SB名義市販ソフト記憶なく、「もしかしたら?」Oh!HitBit!誌掲載プログラムの可能性もあります。確か、turboR規格近くで(新機種/アップグレードパス出ない)SMC-777ユーザーよりMSXユーザー大半、なる記事のあと休刊です。
かなりのレアソフトだったんですね。とっくの昔に手放しちゃったけど@@yanchitakagi2849
多分令和の今、DNAを受け継いでいるのはラズパイかもしれない。でも当時のMSXより断然性能が良い。昭和は遠くになったなあ(笑)
TurboR持っていたよ。
中1の頃、ナショナルキングコング買ってもらった。MSXが出てきて1年ちょっとしかたってなかったんだな・・あの頃の夢はゲームクリエイターになりたくて仕方なかった。進路にあたって陸上競技かパソコン業界かでかなり揉めたが泣く泣く陸上競技へ・・その後頂点には立てたが陸上を生かした仕事には就いていない。あの時、夢をあきらめていなければ今頃・・・・いや、やめとこう
当時お子様だった俺は、MSXはゲーム機という認識。んで、ゲーム機ならファミコンあればいいので、購入せず。これ買ってプログラミングで遊んでたら、違う未来があったのかもしれぬ。
逆にその辺がファミリーベーシックが普及しなかった一番の原因かもしれませんね。当時の親の財布を緩める理由としてプログラムを組めると言うのはあっただろうし、対して任天堂は初期からゴルフや麻雀を投入して親主に父親も遊ぶことが出来るというのを売りにしてましたからね。
当時のファミコンの性能がオーパーツ過ぎたファミコンの数倍の値段がするMSXが性能では劣るというのは常識的に無理だったMSX2はMSX2でCPUとストレージが非力すぎた。VGA画像の解凍に数十秒かかるようではアドベンチャーゲームも困難だった。turboRが出るのはある意味必然だったが遅すぎた
孫氏はその天才的な商売センスから、要は1枚噛ませろって事で騒いだんじゃないかと邪推してしまう。
当時新聞でMSX規格を知ったとき素晴らしいと思ったけど、発売された機種のほとんどがPC-6001みたいなしょぼい仕様のものばかりで当時でさえがっかりした。少なくともFM-7かPC-8801mkIISR程度以上の仕様のものを出して欲しかった。買いやすい価格で出すということを重要視したみたいな感じだった。その当時は同じ仕様のパソコンを各社が発売して何になる?と思った事がある。しかし、その後のDOS/Vは繁栄しました。DOS/Vの様にならなかったのが残念。やはり、日本市場だけではダメで世界仕様でないとダメだと思った。
今思えばMSX、NEC PC-6001シリーズと基本設計が似てると思いまへんか!?RF出力あり/PSG3音/RAM16kBのスペックが共通やし。
野望はデカかったが、所詮8ビットではね。
hey pengy.....brilliance.........
ファミコンしか知らない俺。
カシオのPV-7持ってた。MSX最安29800円、山田邦子が宣伝してたやつ。拡張ボックスと追加メモリが無いとゲーム以外何もできないので、結局7~8万くらいかかったわ・・・
私も初Pcはそれですw。プログラムうってもカセットIF別売りなので保存方法ががが。メモリ8K…といってもbasic上までいくとすでに半分は埋まってるから4000文字程度としんどいシロモノでしたね。
機能的にファミコンに劣ってたからゲーム機としてはイマイチと言うかゲームに関しては8ビット御三家でさえファミコンに対峙できたか怪しいその位スプライト機能は強力でも日本じゃ共同で企画を作ろうと言う方向自体が珍しい気もする増してや結構な成功を収めたわけだし
まぁそもそもゲーム機自体にPCで勝負かけても・・・結局否定したい人は価格がん10倍のファミコンとか揶揄されて否定してくるだけですから(68k)…まぁMSXは…一歩遅かったよなぁ。1で2並みのスプライト。2で2+並みの横スクロールまで手に入ってれば展開は全然別のものになってたかもしれない。2+はZ80B化でよろしゅw
スペックでは劣っていても、ファミコンではアクションゲームばかりで、アドベンチャーゲームやロールプレイングゲーム等が登場するのが遅かった。そういったジャンルも普通にプレイできていたのは大きかったと思います。ちなみに、テグザーの移植版はMSXでは面白かったですが、ファミコンではレーザーじゃなくて弾になっててク●ゲーでした。グラディウスのレーザーも短かったし、レーザー表現が苦手だったんでしょうか?
@@なぎ-p6y 細かいの調べた訳ではないけどグラディウスのレーザーはFCは普通にスプライトを使うしかないだろうからスプライト欠けを避ける為に短くする必要があったんだろう。PC版は裏技的にテキスト画面使ってゲーム機では削られてるのグラフィック文字の長い線使って表現してる気がする(普通にやってたら重ね合わせの処理が重くなるはず)当たり判定はどちらにしろ地形でグラフィックとかPCG(X1)だからプログラム側で処理しなきゃならんはずだし
そもそも、ハード思想前にハードより自社ソフト利益orサードパーティソフト利権で稼ぐビジネスモデルと比べられても感?
孫正義さんはソフトの卸業をしていたので、そりゃあ、自分の利益が減る部分については文句を言うでしょう。
MSXは、当時としても仕様的にかなり見劣りする物で、興味を持たなかった。いわゆる、安かろう、悪かろうの代表。MSXが発表された翌年の1984には、PC9801-Fが登場。私の興味は、MSXよりもPC9801だったな。
MSXのコンセプトは素晴らしかったけど、初代MSXの性能が低すぎたのが、ユーザーを舐め腐った感じがしたかな。
HITBIT買ったなあ
当時の孫正義にそんな力があったの?
MSXという名前の由来がMicrosoftと関係があったと思いますが、違うでしょうか。ソフト部分をマイクロソフトが担当したのかな。そういうことなら孫氏の言い分はよくわかる。日本独自の規格を普及させるならマイクロソフトのソフトを採用したら結局マイクロソフトの主導になりかねない。パソコンの普及はソフト次第とも言え、重要な判断だったと思います。孫氏の異議は、一見異端児の意見に感じたが、ごもっともな意見だと思う。TRONが潰された経緯を考えると、逆にマイクロソフトの市場独占は日本メーカーの市場参入ができなくなるためマイクロソフトを制裁対象に考えるのは、アメリカ政府がTRONにとった考え方と同じだと思う。目には目を歯には歯をです。
ぶっちゃけ現状松下のみが残ってる(国産PC)感じだよね。え?富士通・NEC?Lenovoが噛んでるじゃんよ。
Let's note(Panasonic)ユーザーですー、呼んだ!?
このころのパソコンてなんで使い物にならないBASICなんぞ充実させていたんだろう。アセンブリ乗っけてほしかった。色々考えてたら腹立ってきた。まともな記憶装置が別売りとかパソコンとしてていをなしてないじゃないだろうか。
MSX?しらねーよおもちゃだろ アウトオブ眼中ファミコンやメガドラのグラフィック能力ほうにびっくりしてたよ。
消えたとはいえMSXは、小さい頃の大切な思い出だ。
当時小学生だった自分がファミコン欲しさに親にねだって、ファミコン買えなくて買って貰ったのがMSXだった。もしこの時MSXを買って貰って無かったら全く別の人生を送っていた。本当に偉大なパソコンでした
MSXのロゴデザイン最高
中2の夏にアルバイトで貯めたお金でワープロ機能が付いたナショナルのキングコングを買いました。何もかもが懐かしい・・・
バリバリ使っていましたね。小学校でも標準基準モデルとして、学習や先生達の資料作成に使われていて、ワープロからパソコンへシフトした大人達がたくさんいました。私も、MSX→MSX2→MSX2+→ターボRまで使っていましたが、Windows98が公用文書基準になった事で公の場から消えていったのを思い出しました。
ファミコンを持ってなかったオイラにとってMSX版のドラクエ1が出た時は本当に嬉しかった
ファミコン版を友達の家でクリアしてるのに購入して何周もプレイしてたなぁ
SONY製のMSXが最初に手に入れたマシンでした。当時松田聖子がCMに出ていた機種ですね。
因みに今だに現役で動いております。
いいですね、羨ましいですよ、大事にして下さいね。
SORD m-5からYAMAHAのMSX2へ・・・中学生時代から高校生時代を思い出しました。どちらも自分でお金貯めて買った(MSX2はバイトもした)ので、思い入れは深いです。MSX Magazineとか、わくわくしたなあ・・・
MSXの火の鳥はファミコンと違って見下ろし型で面白かったな。音楽も素晴らしいし。無敵になる裏技あったなぁ
MSXは当時のFM7、PC-88、X1ユーザーからは玩具という認識だった。
実際、MSXの画面は1ブロック2色以内というお粗末な表示でアドベンチャーゲームの絵を見ると、情けなくなる。
スクロールにしても1ブロック8ドットの絵がガクン、ガクンとスクロールするのでファミコンと比べるとガタガタしていた。
シューティングゲームではファミコンに及ばず、絵の表示能力はFM7、PC-88、X1に遠く及ばず。
MSXはまさに玩具だった。
MSX2になってから、ようやく絵の表現力が多彩になった。
IT業界 28年ぐらい???です。
私の下地にはCASIOのPV-7があります。
最初はテープ装置持ってないのに毎日BASICを打ち込んでました。
西さんはホームコンピュータ、キャプテンシステムの端末を考えていたんだけど、実際はそうならなかったね。
ただプログラミングの入り口としてはかなり成功したと思う。
プログラミングマシンとして買ってもらったが小学生には難しいマニュアルだったし、普通の小学生には使いなせません。
ゲームマシンとしては、光栄SLGは、入力が便利だったし、コナミの存在が神だった。
MSX2がPCエンジンなみであれば、もっとうれていたかもしれない。
光栄のゲームがしたくてMSX2を無理して買ったな~
88は絶対買うことはできなかったので、MSX2はありがたかった
ロムカートリッジで遊べたのも凄く大きかったな~
当家は親父がPC-8801(無印)持ってたけど音がBEEPしかなかったんで(音声表現力不足)自力でMSX2購入に至りました。
プログラミングはN-BASICで覚えたけどMSX-BASICと基本は同じでぺーマガ掲載プログラムもある程度理解できました。
日本人じゃない孫が日本で暴れるところだったわ。
懐かしいねえ。あの頃はMSXがというよりコナミが輝いてた。今や何で大きくなったかということを忘れた会社になり下がったがメタルギアや魔城伝説シリーズなどMSX初みたいなものをまた作ってもらいたいものだ。
エンディングのBGM 泣かせるねぇw 次回も楽しみしております。
プログラムでスプライト使えるのがメチャ楽しかったっす
こういう歴史って面白いですねぇ〜!
本を読んでいたらMSXの事が出てきました。MSXのことは全く知らなかったですが、この動画は分かりやすく解説されていてとても助かりました。
けっきょく南極だっけ?アレめっちゃ遊んだな~、MSXも実際にはソコソコ高かったけど、他のPC88やFM系やX1が高すぎたよ。モニターから一式必要なオプション買うと、上等な中古の軽自動車(当時の)買えるくらいの値段だったから、10万以下でも買えてTVに接続できるMSX安く感じたwカシオのヤツとかめっちゃ安かった記憶がある。(汚れたらボタンが戻ってこないやつw)ファミコンには無いグラフィックはショボいけど面白いゲームいっぱいあった。
体験したいけど、手ごろな値段で実際に動くヤツあるのかな?あったとして、知識のない自分みたいなのがどうやって表示させるまでいけるのやらw
実機でもエミュでもソフトがないから何も出来ん。
それなんですよね。
他の方が指摘されている様に、確かに「PC-8801」「FM-7」「X1」と比べると、おもちゃの様な物かもしれません。
ただ、御三家パソコンは本体+モニターで20万円は下らず、MSXが3~7万円程度で購入でき家庭用テレビに繋げる事が出来るのは、やはり大きかった。
アルバイトが出来る高校生や大学生なら高額な御三家パソコンも大いに有りだが、小学生~中学生にはMSXは有難い存在だった。
それでも買って貰えず、小遣いを貯めてカシオのポケコンPB-200を買ったのですが・・・
当時買えないのに、雑誌の資料請求券をはがきに貼って片っ端からカタログを取り寄せ、眺めていました。懐かしい思い出です。
47万円あったら軽の新車が買えたもんね(スズキ初代アルト)。MSX2はセパレートでも20万円以下が多かったし専用モニターが必要ないからその分リーズナブル。MSX1は描画が安っぽいけどそれなりに味のあるソフトも多かったかな。
MSXにそんな歴史があったとはねぇ
当時リアルタイム 友達のうちにラリーXやディグダグ タイトル忘れたが 皿回しのゲーム ドラクエ などあったが どれもファミコンを下回るグラフィック
でも自分でプログラムを組んでそれをカセットテープにセーブして 単純なゲームばかりだったけど それでも結構楽しんでたのを思い出しましたね
昔ゲームハードを紹介するニコニコの動画で『X68に次ぐ拘りの強い煩いユーザーが多く少しでも間違えられると叩かれるから慎重に調べて上げた遅くなった』って言い訳するシーンが有ってクスっと来てしまった迷ハードですね。MSX2でVDPが強化されるもヘンテコな制限が付く仕様になって頭抱えながらスクロールやスプライトと向き合ったあの頃が懐かしいw。でも慣れると片手間で思いつきのアイディアを走らせるのには楽なハード何だよなぁ。
テグザーやってたなぁ。。懐かしい
MSXはPS1300が初めて買ったパソコンでした。64kbにダブルスロット、おまけにジョイスティックまで付いてくる!
でも、一緒に買ったソフトはハイドライドと、、、
ジョイスティックも容量もあまり意味なかったというオチでした。
ギャラクシアンとかNECら御三家のハードで出てるやつと、ナムコが直接移植した奴とでは雲泥の差があるのを見てビビった思い出。MSX移植版はグラはさすがにしょぼいものの、本物のギャラクシアンの動きだった。それはハードの差じゃない、腕の差なんだとはっきり認識できた。
FC版ゼビウスなどは言わずもがな。電波新聞移植品とかとはぜんぜん違う。業務用専業メーカーには別格の技術力があり、それはコインオペレートという厳しい競争環境で培われたものだと解って、特別な敬意を感じていました。
それと比べるとスクウェアとかは、見栄えは良いが本質的に素人作品だと思ってた。今でもそう思う。
このMSXで遊んだ経験が平均的な同年代より、現在のあらゆる電子化を違和感なく受け入れる事が出来るよね
うわーファミコンとかち合っちゃったかあ!
み(M)んな仲良くし(S)ようぜ(X)で、MSXになったわけかぁ・・・合点がいった
自分でゲームを作り、動画編集やアニメーションもMSXで作っていましたね。懐かしいです。でも自分はITの世界に行きませんでしたけどね。結局コンピュータ言語を理解できた人が次の世界に進んでいったのでしょう。今では、普通にキーボードをパチパチタンしていましたが、MSXでは、設定から自分で決めると言う工程が理解出来れば、かなり優秀なハードだと思いますが、今のCPUでMSXを構築したらとんでもないものが出来るのでは無いでしょうか?・・・ゼビウス復活するかな〜・・・
この頃のコナミのMSXへの情熱はハンパなかったなぁ。誰がカートリッジに特殊音源搭載するなんて考えたんだろうか?
カクカクスクロールのグラディウスとかありましたね!ソフト^^
最初に購入したのはmsx2規格のソニー製ヒットビットの何とかmk2だったかな?
ディスクドライブが付いているどPSG音源だけだったんだけど
松下から出ていたサウンドカードリッジでFM音源に対応させたり
その後MSXターボRを買ったのを憶えている
多分、HB-F1〇〇(F1シリーズ型番、確かアルファベット)markⅡでしょうか?
@@yanchitakagi2849 さん
ひとびとのヒットビットシリーズってキャッチコピーでしたね
それです
記憶だと全体は黒なんだけど
フロッピードライブの部分だけグレーで
FM音源は背面のカートリッジスロットに刺して
コナミからSDスナッチャーがSCCサウンドカードリッジ付きのフロッピー版が出ていて
このSCCカートリッジも刺して
FMとSCCを全部使ったゲーム音楽のリメイクとか作り直したりして遊んでいました。
このときの「週刊少年ジャンプ」には、
後に「ドラゴンクエスト」を手掛けられる堀井雄二氏だけでなく、
「桃太郎電鉄」のさくまあきら氏も記事をお書きでした。
漫画以外の記事では「マガジン」「サンデー」に後れをとっていたと思われ勝ちな「ジャンプ」ですが、
このように書き手は多彩だったのです。
どんなに優れたアイデアも出る時と場所を間違えれば成功しないという残酷な事実を知らしめた証だったな
ただ、当時の処理能力では今のWindowsとかのようなハードウェアの抽象化までは難しかったので、それが制約になった感じですね。
ソビエトの宇宙ステーション ミールとソユーズのドッキング用コンピュータはSONYのMSXバソコンだったのよね
孫正義の手口、まんま総会屋。
当時プログラムを組むことが目的だったからファミコンは眼中になかったな
孫さんがMSXのロイヤリティに反対した背景として、孫さんが立ち上げた日本初のソフトウェア卸業に触れたほうがいいかと。
それってソフトバンクパブリッシングの事?
81年設立の日本ソフトバンクですね。
ソフトウェア流通では圧倒的シェアかつ高いロイヤリティで、80年代のソフトハウスからは疎まれてもいたけど無いと困る存在です。
ソフトウェア流通の他、82年にはOh!シリーズで出版事業に進出。
90年に社名をソフトバンクに変更し、99年に流通はソフトバンクコマース、出版はソフトバンクパブリッシングに分社化したようですね。
@@TheKatsumin1024 昔MSXを所持していてデフォルトのフォントでソフトバンクパブリッシングのタイトルが表示されるソフトで遊んだ事があったのでもしかしたらそうなのかなと思った次第です
@@青木祐太郎-b3g さん
今頃「おすすめ」登場ながら、
SB名義市販ソフト記憶なく、「もしかしたら?」Oh!HitBit!誌掲載プログラムの可能性もあります。
確か、turboR規格近くで(新機種/アップグレードパス出ない)SMC-777ユーザーよりMSXユーザー大半、なる記事のあと休刊です。
かなりのレアソフトだったんですね。とっくの昔に手放しちゃったけど@@yanchitakagi2849
多分令和の今、DNAを受け継いでいるのはラズパイかもしれない。
でも当時のMSXより断然性能が良い。昭和は遠くになったなあ(笑)
TurboR持っていたよ。
中1の頃、ナショナルキングコング買ってもらった。MSXが出てきて1年ちょっとしかたってなかったんだな・・
あの頃の夢はゲームクリエイターになりたくて仕方なかった。進路にあたって陸上競技かパソコン業界かで
かなり揉めたが泣く泣く陸上競技へ・・その後頂点には立てたが陸上を生かした仕事には就いていない。
あの時、夢をあきらめていなければ今頃・・・・いや、やめとこう
当時お子様だった俺は、MSXはゲーム機という認識。
んで、ゲーム機ならファミコンあればいいので、購入せず。
これ買ってプログラミングで遊んでたら、違う未来があったのかもしれぬ。
逆にその辺がファミリーベーシックが普及しなかった一番の原因かもしれませんね。
当時の親の財布を緩める理由としてプログラムを組めると言うのはあっただろうし、対して任天堂は初期からゴルフや麻雀を投入して親主に父親も遊ぶことが出来るというのを売りにしてましたからね。
当時のファミコンの性能がオーパーツ過ぎた
ファミコンの数倍の値段がするMSXが性能では劣るというのは常識的に無理だった
MSX2はMSX2でCPUとストレージが非力すぎた。VGA画像の解凍に数十秒かかるようでは
アドベンチャーゲームも困難だった。turboRが出るのはある意味必然だったが遅すぎた
孫氏はその天才的な商売センスから、要は1枚噛ませろって事で騒いだんじゃないかと邪推してしまう。
当時新聞でMSX規格を知ったとき素晴らしいと思ったけど、発売された機種のほとんどがPC-6001みたいなしょぼい仕様のものばかりで当時でさえがっかりした。少なくともFM-7かPC-8801mkIISR程度以上の仕様のものを出して欲しかった。買いやすい価格で出すということを重要視したみたいな感じだった。その当時は同じ仕様のパソコンを各社が発売して何になる?と思った事がある。しかし、その後のDOS/Vは繁栄しました。DOS/Vの様にならなかったのが残念。やはり、日本市場だけではダメで世界仕様でないとダメだと思った。
今思えばMSX、NEC PC-6001シリーズと基本設計が似てると思いまへんか!?RF出力あり/PSG3音/RAM16kBのスペックが共通やし。
野望はデカかったが、所詮8ビットではね。
hey pengy.....brilliance.........
ファミコンしか知らない俺。
カシオのPV-7持ってた。MSX最安29800円、山田邦子が宣伝してたやつ。
拡張ボックスと追加メモリが無いとゲーム以外何もできないので、結局7~8万くらいかかったわ・・・
私も初Pcはそれですw。プログラムうってもカセットIF別売りなので保存方法ががが。メモリ8K…といってもbasic上までいくとすでに半分は埋まってるから4000文字程度としんどいシロモノでしたね。
機能的にファミコンに劣ってたからゲーム機としてはイマイチ
と言うかゲームに関しては8ビット御三家でさえファミコンに対峙できたか怪しい
その位スプライト機能は強力
でも日本じゃ共同で企画を作ろうと言う方向自体が珍しい気もする
増してや結構な成功を収めたわけだし
まぁそもそもゲーム機自体にPCで勝負かけても・・・結局否定したい人は価格がん10倍のファミコンとか揶揄されて否定してくるだけですから(68k)…まぁMSXは…一歩遅かったよなぁ。1で2並みのスプライト。2で2+並みの横スクロールまで手に入ってれば展開は全然別のものになってたかもしれない。2+はZ80B化でよろしゅw
スペックでは劣っていても、ファミコンではアクションゲームばかりで、アドベンチャーゲームやロールプレイングゲーム等が登場するのが遅かった。
そういったジャンルも普通にプレイできていたのは大きかったと思います。
ちなみに、テグザーの移植版はMSXでは面白かったですが、ファミコンではレーザーじゃなくて弾になっててク●ゲーでした。
グラディウスのレーザーも短かったし、レーザー表現が苦手だったんでしょうか?
@@なぎ-p6y 細かいの調べた訳ではないけどグラディウスのレーザーはFCは普通にスプライトを使うしかないだろうからスプライト欠けを避ける為に短くする必要があったんだろう。PC版は裏技的にテキスト画面使ってゲーム機では削られてるのグラフィック文字の長い線使って表現してる気がする(普通にやってたら重ね合わせの処理が重くなるはず)当たり判定はどちらにしろ地形でグラフィックとかPCG(X1)だからプログラム側で処理しなきゃならんはずだし
そもそも、ハード思想前にハードより自社ソフト利益orサードパーティソフト利権で稼ぐビジネスモデルと比べられても感?
孫正義さんはソフトの卸業をしていたので、そりゃあ、自分の利益が減る部分については文句を言うでしょう。
MSXは、当時としても仕様的にかなり見劣りする物で、興味を持たなかった。
いわゆる、安かろう、悪かろうの代表。
MSXが発表された翌年の1984には、PC9801-Fが登場。
私の興味は、MSXよりもPC9801だったな。
MSXのコンセプトは素晴らしかったけど、初代MSXの性能が低すぎたのが、ユーザーを舐め腐った感じがしたかな。
HITBIT買ったなあ
当時の孫正義にそんな力があったの?
MSXという名前の由来がMicrosoftと関係があったと思いますが、違うでしょうか。ソフト部分をマイクロソフトが担当したのかな。
そういうことなら孫氏の言い分はよくわかる。日本独自の規格を普及させるならマイクロソフトのソフトを採用したら結局
マイクロソフトの主導になりかねない。パソコンの普及はソフト次第とも言え、重要な判断だったと思います。
孫氏の異議は、一見異端児の意見に感じたが、ごもっともな意見だと思う。TRONが潰された経緯を考えると、逆にマイクロソフト
の市場独占は日本メーカーの市場参入ができなくなるためマイクロソフトを制裁対象に考えるのは、アメリカ政府がTRONにとった
考え方と同じだと思う。目には目を歯には歯をです。
ぶっちゃけ現状松下のみが残ってる(国産PC)感じだよね。え?富士通・NEC?Lenovoが噛んでるじゃんよ。
Let's note(Panasonic)ユーザーですー、呼んだ!?
このころのパソコンてなんで使い物にならないBASICなんぞ充実させていたんだろう。アセンブリ乗っけてほしかった。
色々考えてたら腹立ってきた。まともな記憶装置が別売りとかパソコンとしてていをなしてないじゃないだろうか。
MSX?しらねーよおもちゃだろ アウトオブ眼中
ファミコンやメガドラのグラフィック能力ほうにびっくりしてたよ。