Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
急行「たかやま」や山陰・九州連絡急行「さんべ」の全盛期に連結されていたら、それなりに需要があったかもしれない。
一枚窓のキハシが気動車らしくてカッコイイですね。妄想をかき立てられます。
色褪せた車体や風景との光の加減など動画の映像のリアルさに感心しました。少年時代にまだあった国鉄車両がなつかしくもあり、当時の記録映像かと思ったほどです😅
良い妄想ですね気動車急行ビュフェ。私の実家は中央東線沿線でしたので、かなり後年まで急行「アルプス」の冷房電源車替わりにサハシ165が編成に組み込まれて走っていました。その後の列車での供食体制の衰退の経緯を見るに、例えバブル期の徒花とは言え100系新幹線X編成やV編成の2階建て食堂車って破格の対応だったんだなって…🤔
これを見ていると創作意欲が湧いてきますね。いずれキハ58系列のビュッフェ車両作ってみたいなという気持ちが起こっています。
今思うと「キハシ27」は宗谷・天北・狩勝・大雪・ニセコで、「キハシ28」はみちのく・陸中・おが・いいで・アルプス・ちくま・越後・紀州・だいせん・さんべなど連結しても良さそうな列車があったのに・・・
このチャンネルのおかげで「if」な車両を作る楽しみが増えました。
夢を見ているような楽しい時間を過ごせますよね。有りがたいです。
気動車ビュフェ‼️想像するだけで楽しい😀
最後はあっさり締められていますけれど、783系電車のカフェテリアや、787系電車のビュフェなど意欲的な取り組みはありました。ですが、今は東海道新幹線の車内販売すらなくなる時代ですからね…そんな中、首都圏の普通列車グリーン車で車内販売が残っているのは面白いです。
商売になるかどうかの問題かと思う。首都圏グリーン車のお客様はお財布の紐が緩いんでしょう
気動車はいろいろな面で電車よりも冷遇されていたような気がします。もっとも技術面でついていけてなかったからかもしれませんが...
急行型は碓氷峠向け以外はコイルバネ台車だし特急型もカーテンじゃなくて巻き上げブラインドだったのでカネをかけたくなかったのは事実。特急型気動車では、ブラインド閉める閉めないで前後の列の人とのバトルが繰り広げられました。
気動車は亜幹線やローカル線向けという事で幹線用の電車よりもコストダウンした様です。急行型では↑の方が言われた様に台車はコイルバネ等要所要所で廉価仕様になりました。短編成に対応する為にグリーン車以外全て運転台付きとなったのも一因かも知れません。特急型のキハ81ですらクハ151と比べて同じボンネット型でも不恰好で(あれはあれで良いのですが、一説に依ると当時の東北、常磐線は運転台が低い方が信号が見やすいとか)如何にもに金をかけてない仕様でした。
ただ一般車両の車体については気動車の設計のほうが正解稼げる電車急行でも私鉄なら締めるところはしっかり締める
確かにマシ35やオシ17の石炭レンジは火災で危ないから電気レンジに変えたいがカシ36やスシ17に重量嵩む
@@魔改造人間 381系の中桟入った窓はそういう経緯やったか
いわゆる急行型の気動車群は分割併合の自由さが長所だった。それに運転台なしの車両を入れるのはキロ以外はしたくなかったのかもしれませんね。
準急や急行電車にビュッフェが連結された時代があったんですね。寿司職人を乗せてしまうというアイデアもすごい。
寿司提供はフルサイズ食堂車ほど機材を多く搭載出来ない故に考案された苦肉の策だったのです。実際にビュッフェで寿司を握っておられた静岡県清水市つばめ鮨の大将(故人)からはビュッフェや食堂車勤務時代の貴重なエピソードを伺う事が出来ました
@@金澤華 話題作りでとか奇をてらってでなく合理的な理由から寿司ビュフェが登場したというのがいいですね。お客さんにも好評だったのがなおいいです。
寿司屋は「サハシ153」でしたが、「サハシ165」は蕎麦屋でした。
急行のビュッフェを利用したのは急行「信州」のサハシ169だけですが、今になってみるととても貴重な経験でしたね。需要が望めてキハで作ることになったとすれば、やはり大出力エンジンが開発された後だったでしょうね。電源用エンジンは必須ですから、さらに走行用エンジンを積むと水タンクなどの搭載が難しくなるから、キサハシになったことでしょう。
中央沿線住まいです。やはり内燃機関は日本はあまり強くないので小型軽量大出力の機関は生まれてこなかったね。やけのヤンぱちで、58系G車にも2エンジンにしたりして苦労してたが。。。。
いいですね。自分は新幹線0系のビュッフェを利用した思い出があります。今では新幹線ですらビュッフェみたいな車両は無くなってしまいましたね。
誰でも気軽に利用出来た食堂車/ビュッフェの系譜としては近鉄しまかぜでのカフェカーがおそらく最後になるでしょうね。サフィールは価格に対して提供内容がチープですし、CTや要予約観光列車は気軽に利用出来る形態ではないですから。
もし気動車ビュフェ作るなら名鉄キハ8200のように3エンジン搭載でキハシ58やな(笑)DMH17Hx2/4VKx1…しかし当時の国鉄にその発想はなかった!!(爆)。余ったキハ58のビュフェ改造なら実現性高いが…経年で諦めたんやな!?
上尾事件解説動画だと怨嗟の的となっていたようでツラいです。食堂車って展望車と共に夢の車両ですよね。
地方幹線なら需給の関係から「キロシ」も有りかと
キハシ28が急行紀州についたら目張り寿司が、志摩についたら伊勢うどんが食べれたかもしれませぬ😋
ほほう、高山本線なら急行のりくら/たかやまで飛騨朴葉寿司/ケイチャンが提供されたんかな(笑)しかし特急ひだが食堂車ナシやから期待薄やなぁ。
解説、映像、BGM全てマッチしてますね!
長距離DCは「狩勝」に根室札幌全区間、「しらゆき」に一部区間乗れて、「大社」は乗りたかったけど叶わずでした。こんな列車にDCビュッフェあったら、長時間居座りたかったです。急行ビュッフェで利用した経験が唯一あるのは、急行「アルプス」でした。廃止になる直前くらいでしょうか。小学生でしたが、アルペンルートの帰りに信濃大町から普通指定が売り切れで、自分としては運良くグリーン車に乗ることが出来て、当然隣の車両がサハシ165でした。父が鮎の塩焼きを買ったのをご相伴に預かることが出来ました。アルプスはすしじゃなくて、そばうどんだったんでしょうね。当時のメニューを知りたいです。
函館発着の急行宗谷、狩勝なんか連結してもよかったんじゃないのかな?本州ではしらゆき、赤倉、越後。九州では青島、フェニックス。山陰ではだいせんなんかが候補にあがりますね。
道内急行列車で客車による列車がいくつか存在しており近代化改造されたマシ35などフルサイズの食堂車が連結されていましたね
もしもの話し… 電子レンジがあったのなら、後の183系気動車のような車販準備室があっても良かった気がします。1/3を準備室+売店とするアイデアは当時の国鉄には無かったのが惜しまれます。
183系気動車のキロ182にあった車販準備室は、80系気動車時代に有った食堂車の代替手段として作られたものだから。食堂車利用客にとっては批判の的でしたね。
内地と違い乗車時間が長い道内の列車では食事が取れない事が文字通り命取りになりましたからね。特に冬季は。183になって冬季の寒い隙間風から解放されたものの、冷たい弁当と車販準備室で販売していた軽食ではあまりにもお粗末だった。編成を乱すとしても尾久や米子で余剰になっていたキサシ180を転属させ改造して編入して欲しかったものです。
本線筋の優等列車は客車列車という意識が強い時代。ディーゼル機関由来の騒音と振動に排気ガスと油臭い気動車による優等列車は下に見ていましたね。支線や亜幹線からやって来る準急や準急上がりの急行列車が多かった故にですが。食堂車を連結しても運転線区の需要が小さく、細かく分割や併結する運転形態ではビュフェ合造車は足枷になるでしょう。山岳区間で重荷になるのは言うまでもない事です。
私の勝手な妄想ですがキハ58のビュッフェ車両キハシ57をイメージした。普通車と食堂車の合造車で当時、北海道の長距離急行「宗谷」(函館〜札幌経由〜稚内)に連結し、蕎麦とラーメンがメインビュッフェのラーメンを食べながら見る車窓を想像します。あってもおかしく無い車両で苗穂なら出来そうと私は思う。素晴らしいイメージ通りの車両です。
音威子府駅の黒蕎麦をキハシで…
@@長田清司-z2h さん、そうですね、是非 音威子府駅の黒蕎麦をキハシ(国鉄とJR北海道)の宗谷に入れてほしいし食の遺産と言っても過言では無い。私の父(当時の国鉄の運転士)から聞いた黒蕎麦を食べれなかったのが無念···
ビュフェは 現在ではほとんどは観光列車系にしか有りませんね
もしも気動車のビュッフェ車が登場していたら、北海道は「宗谷」本州なら「しらゆき」「赤倉」「だいせん」「白兎」なら需要は有りそうな感じはしますね。
上野・秋田間のおがもありではないかと(*^^*)
青函連絡船連絡で長距離旅客がいた宗谷やしらゆきは兎も角、他の長距離列車は時代の経過ととも短距離利用客が入れ替わるようになっていました。また混雑が激しい区間と閑散区間の格差が目立ってきていました。金沢/名古屋〜出雲市(大社)を半日掛けて運転していた急行大社などは夏季の若狭湾沿岸では混雑が激しい一方で、西進するほど旅客が減り続ける有様でした。
取り上げて頂きありがとうございました。次の妄想は実車試験まで行われた寝台気動車でしょうか?もう計画されてるのかもしれませんが。さてキハシ28の妄想は、子供の頃に見たエンドウのHOカタログに掲載があった気がして。見間違いなんでしょうが、当時はボンネット特急からステンレスの通勤車までディーゼル版を作った時代。こんな車両もあったらナアと妄想も膨らみます。
寝台気動車も妄想中です。ビュフェ気動車と違い、こちらは国鉄でもかなり必要性を感じて具体的に検討した資料があり、キハ52で自然冷却器やエンジン支持機構の改良による騒音低減、寝台の配置などを試したようですが、やはり騒音と振動で断念したとか。現実が示すように付随車とするしかなかったようですね。
寝台気動車で実際に運行された物は民営化後に製造されたキサイネ86が唯一ではないでしょうか
瑞風はもちろん四季島も、広い意味ではそうかもしれませんね。本来の意味では急行利尻などで運用されたスハネフ14が「気動車寝台」に最も近いかもしれません。
寝台気動車が製造されてたら同時にビュフェ気動車も製造されたかもしれませんね
40代後半ですが、こんなおっさんですら、物心ついたときはすでに在来線ビュフェ車は営業を休止しており、編成から外されて、もはや「鉄道ずかん」でしか見られない存在でした。(一部は80年代初頭までサービス電源用として残っていたそうですが)なので昔から憧れの存在で、ビュフェ部分はキノコ型クーラー、座席車部分は箱型クーラーと、一両で2つの形状の冷房を搭載していたのも魅力に感じました。165系急行「アルプス」において、サハシの不足を補うため、車販準備室を拡大してカウンターを設けたサハ164や、特急型になりますが、キハ183系で食堂車の代替としてビュフェスペースを設けたキロ182など、ビュフェ車を名乗らなくてもビュフェ機能を併せ持った車両も意外とあって調べるとなかなか奥が深いものがありますね。
同じアラフィフ親父(54)ですー…食堂車があった頃は貧乏で食事する機会もなかったでホンマ…中卒で働いてりゃ体験できたかもしれまへんが。
勾配線でも運用されるキハ58系にビュフェ車を組み込むなら付随車では編成出力の低下を招くのでキサハシではなく1機関搭載のキシハ28という形式になったと思う。長距離、比較的平坦路線の「しらゆき」「大社」「フェニックス」等では問題なく、それなりの需要もあったはず。ただ気動車は分割が前提だし、支線区の隅々まで供食体制を維持するには人材確保もネックになる。また中央本線では2機関搭載が必須だけどビュフェ車に限っては大型の水タンクや冷房、その電源の搭載が求められる。ただでさえ床下はいっぱいなのに2機関でこれらをも装備し、いわゆるキシハ58を造るのは当時の技術では至難の業だったろう。
3機関なら名鉄キハ8200の例があるが1969年登場では遅すぎ、1折戸かつ床上機械室過大では輸送効率重視の国鉄設計陣経営陣には受入れられまい。
使えるとしたら、当時だと北海道長距離急行、「しらゆき」「おが」「うわじま」「あしずり」「だいせん」「白兎」等の一部の急行位のものだった気もしますね。自分の子供の頃の想像列車並みに実現が難しかった気はします。(想像列車:急行きたぐに1号(当時の立山1号を発車時間を少し早めて、特急白鳥と同じくらいに青森に着く昼行急行w)、急行忍者(京都発和歌山行き、草津線、関西線、桜井線、和歌山線経由で甲賀、伊賀、柳生の北隣(=笠置)、根来と通る急行、甲賀、伊賀上野、笠置、岩出は絶対に停車w))
西日本(60Hz地域)では他にも、名古屋発着「赤倉」「大社」「のりくら(富山行)」「紀州」、関西圏「みささ」、山陰九州「あきよし」「さんべ」、九州「日南」「えびの」…ただしビュフェは1両しか繋げられなさそうですー。
まあ電車急行でもビュフェ付きの方が少ないくらいなので国鉄としてやる気は無かったのが本音でしょう。数少ない客車の方もあの事故をきっかけに急行は全滅でしたから。
急行の場合は窓が開く関係、駅弁や車内販売で済んだのもあると思います。
気動車特急は食堂車ありましたね。紀勢本線だったと思いましたよ。確かえらく揺れたのを憶えてます。帰りは急行だったので駅弁を買って食べたのを記憶してます。
そうそう気動車急行は駅弁と車内販売が流行ってました。駅で窓が開閉できるし車内販売業者も忙しそうでした。急行のりくら廃止後は駅弁業者が次々に廃業していきましたよ(例外的に美濃太田は最近まで残ってた)。
DC急行は自由に分割併合出来るところがウリなので、なかなか使いどころが難しいかもしれない。
その場合は連結両数の多い編成にブチ込むでひょ!?特にグリーン車の隣ならありそう。
山岳線、高速線向けにキハシ28、平坦線向けにキサハシ28を、一時期量産したなあ・・・。
気動車どころか電車でも予約無しで食べられるのが近鉄だけになってしまいましたね。東北新幹線とか札幌まで行くなら時間的にあっても良い気がします。乗るとき買い込んでも後半持たないし。
トミックスのキハ28イジって作った事ありますわやっぱみんな考えるもんなんだな
サロ152とサハシ153を切って交換してサロシ153とサロハ153を作りました。
一昔前のマイクロエースだったら飛びつきそうなネタですね。
@@pin5861 伊豆急乗り入れに居そうな車両だ…伊豆急も100系で半室グリーン車を2両でグリーン車1両分!とかやってた時代があったとか
@@魔改造人間 グリーンマックスイイですよね…自分の場合は余ってたオシ14ぶったぎって使ってましたが
鉄道模型の食堂車やビュッフェ車を手に取ると床下には立派な水タンクがその存在感を示していて、さすがに気動車で給食施設を持つ車両だとキシ80のように車内スペース潰してたか、それとも屋根上に水タンクがあったのか…。
特急気動車はトイレの上に水タンクありましたよね…キロ80/キハ182/キロ182が典型例、急行型キハ56/57/58も然り。もしキハシ65なる車両があればそれも屋根上に水タンクがあったと思われます。
母が結婚前(1970年代)、食堂車勤務してました。1970年代だから、もちろん携帯電話なんて通信機器もなく、食材が切らしたら、通過駅に投げ文して、運が良ければ、次の停車駅で補給があったって、しみじみ思い出してました。
急行のダイヤを緩くし始めた1964年以降でも付随車は無理があり二等車に倣った中間車化は必須な上電源問題は常に付きまとい、水タンクの数々をさらに屋根上搭載とする事になったのではないでしょうか出現タイミングはパノラミックウィンドゥ車が登場し東北地区を中心とした気動車不足が解消されたぐらいで低屋根構造かキハ65に似通った断面だったとい思いますどちらにせよ短命さではキサシ180を超えたかもしれません
美しい再現映像と、素晴らしいコンセプト、いつも楽しく拝見してます以前の「急行用キハ・中間車」同様、今回もまさに「ソレな!」的な特集ですね少しだけ時代が下りますが、「サシ183・189」とか「オロネ15」とかも妄想してしまいます「キシ183」は、さすがに時代的に無理感強いですけど。。。
昔、同僚に82系山陰特急「まつかぜ」をこよなく愛するものがおり、豪華列車を妄想していました。その編成に、キロバフ82という形式のディーゼル動車が組み込まれていました。バはバー付き、つまりカウンターの飲酒スペース。フは風呂付きだと言っていました。JR西の瑞風はまさにそれを実現したような列車。妄想は楽しいものです。
Wikipediaからの受け売りですが上越線特急「とき」が183-1000系に置換えされる際に食堂車運営会社から食堂車の存在要望があったらしく当時余剰になりつつあったサシ481を183系1000番台対応化改造を施してサシ183が生まれるという話があったそうです。結局はとき183系化では食堂車連結は見送りになりそれらの余剰サシ481はつばさが485-1000系化される際に活用されたらしいです。
個人的には、食堂車を御役御免となった後は普通車改造をされるか、はたまた教習車に改造されるか...なんて魔改造の妄想まで膨らんでしまいます🤤←
気動車急行用キハシ28が運用されても、あっという間に不要になって、サシ481形を改造した雷鳥用のサロ481形500番代(和風電車「だんらん」)のようにお座敷グリーン車に改造されて、四国の気動車急行に連結される妄想まで浮かびました!
昭和50年代半ばになろうかという時代、急行アルプスに乗車した際、サハシを見たことが有ります。編成に組み込まれてたのか、隣の急行だったのかは判然としませんが、ビュッフェは休業してて、カウンターに寝そべってる方もいました。
そのくらいだと中央線のアルプス、信越線の信州、妙高がS51年まで営業していました。上越線の佐渡、よねやまにも連結されてましたが営業はしてなかったと思います。東北線系統も営業はされていなかったですね。北陸線や九州方面は存じ上げません。
@@N--jv3go 食事するカウンターに寝てる方を見た時は絶句しました。。。
食堂車の衰退には北陸トンネル火災事故は切っても切り離せないですね
初期車58窓 後期車(または100番台等)65窓というマニア向けの製造だったらおもしろい……(しかも65窓は1両しか作られないオチ)
そういえば昔鉄道模型趣味で北海道の急行ニセコのキハ56系という設定で急行型気動車のハシの作例がありましたね。模型だとサハシ455辺りから改造する事になると思いますがキハ58系列は窓形状の他雨樋位置なども異なるのでかなり大がかりな改造になります。キハ65系列ならそれは必要ない代わりにドアの交換が…
急行気動車用食堂車及びビュッフェは座席車の走行用エンジンが最大の問題、いっそのことDMF9HZ(定格出力180ps)でも開発し搭載するのもいいかも、電源用エンジンに関しては食堂車及ビュッフェに発電用として4VKを搭載していたかも。連結する列車に関しても、そのような列車が少ないのも問題、分割併合がないもしくは少なくて長距離を走り食堂車及びビュッフェの利用需要のある列車だと、急行しらゆきや新幹線博多開業前の広島、呉発着の急行青島や急行出島なら少しは可能性があったかも
当時の国鉄に名鉄キハ8200形3エンジン車(自車冷房可能)を真似る発想はなかった。もし真似ればローカル線で軸重過大になった?
オシ16の特集、某鉄道誌で見ましたが実情を是非ともやってほしいです。←しかし、キハ28・58系列で永らく長距離急行であった「みちのく」や上野発着時代の「陸中」をはじめとして、車両流用を考えても日本海縦貫線の「しらゆき」や昼行時代の「きたぐに」・中央西線の最長距離急行であった「赤倉」や山陰急行の「だいせん」・「白兎」、北海道内でも運転するだけで勝手に長距離運用になる「すずらん」・「ニセコ」はもとより、「大雪」・「狩勝」・「宗谷」あたりならビュフェ車はいけたかもと…。いずれにしても、国鉄の赤字拡大と食堂車や車内販売を経営してた当時の日本食堂や鉄道弘済会ですら要員不足に陥ってたのが痛すぎるかも。←
模型で似たようなもの作った事がある
そう言う計画はあったとか聞いてます。実現して欲しかった。
気動車ビュッフェかあ、たしかに存在はしませんでしたが、国鉄内では議論に上がってたんじゃないかな。大出力エンジン開発後となると、キハ91やキハ65の頃ですよね。時代的に合致しなかった気がします。すでに急行から特急への格上げが各地で始まっていたんじゃないですか?東海道新幹線開業以降、国鉄は火の車でしたから。ただ、妄想の世界で模型化するのはおもしろそうですね。すばらしいCG?ですね。本物の動画かと思ってしまいました。編成の中に入れると、キユニが入り込んでるみたいで、これまたおもしろいですね。
寿司があったのはビックリ
食べてみたかったですね!
気動車急行ビュフェというのは、面白い視点ですね。気動車急行ビュフェがあったらと、いろいろ想像にふけるのも面白いです。確かに当時はこれはなかったですね。北海道、四国、九州、山陰あたりだと、実現する可能性もなきにしもあらずといった状況だったでしょうか。登山も好きで、北アルプスや八ヶ岳等の登山の際、中央線に一日2往復あった、58系の急行「アルプス」に「八ヶ岳」「こまがね」「かわぐち」がくっついている列車に、新宿あたりから何度か乗りました。主に58系2エンジン車やキハ65₅₀₀で組成される最長12両編成のもので、そのうちDMH17Hの1エンジン車は2両程度だったでしょうか。グリーン車ですら2エンジンのキロ58でしたからね。それでもあまり速いという印象はなかったですね。めいっぱいという感じでした(この当時は旧線の辰野経由で、塩嶺ルートはない。)。この編成からもわかる通り、おおよそ分割併合のためにあった列車です。その後、昭和50年3月に、急行「アルプス」は165系電車に統一されました。ちなみに、走行システムがキハ58とほぼ同じ、高山線乗り入れ用の、名鉄キハ8000(8200形)系では、走行用エンジン2基の他に電源用エンジンまで載せていました。やればできなくもなかったのです。急行「アルプス」の165系の方には、ビュッフェ車が連結されていました。ビュッフェで信州ソバを食べた記憶があります。うまかったあああ!!!その後すぐに、ビュッフェ車は連結されてはいましたが、閉鎖になってしまいました。いろいろ採算性等が合わなかったようです。電車ですらこうでした。閉鎖後のビュッフェ車は、疲れた登山客のたまり場になっていました。ビュッフェのカウンターの上に乗っかって横になり、リュックを枕にいびきをかいて寝ている人もいました。急行「アルプス」のビュッフェ車は、通称「寝台車」と言われていました。
お疲れ様です。2011年頃、香港広州間を特急で移動(新幹線開業前)食堂車でコーヒーを注文。ネスカフェインスタントコーヒーでした。
TGVとかICEとか他の日本以外のアジア高速列車でもインスタントコーヒーが当たり前ですね~それが日本の新幹線在来線特急ではシッカリと豆を挽いたドリップタイプをポットサービスで砂糖とコーヒークリーム付きの税抜き価格300円以下。モノが違うんですよ~(笑)
形式キハシ28😋Nゲージ・キハ58系でキロ28・キハ28と165系のサハシ165をサンコイチ💦してビュッフェ😋を3両試作しました。急行アルプス国鉄色急行アルプス長野色(フリーランス)急行たかやま
食堂車やビッフェ車両が無くなって久しくなりますが、もうこれらの復活は無いのかな?新幹線だけでもいいので復活してほしいですね!それが無理なら大手のコンビニでも1両丸々コンビニにしてほしいものです。
後のキロ182の基本番台やモハ156やサハ164のようなコンロやコーヒーメーカーなどの調理器具設置の大きめの社販準備室なら回送運転台付き中間車として実現可能だったかもしれなかったかも
気動車にビュッフェ、以外とありかもしれません。運行距離が長い列車が多いので息抜きという点でもありかと。 キハ28とキハ65のように2エンジン積んでブースターと冷房用電源も兼ねて。
立食い寿司屋で飲食する度に、かつて東海道本線を走っていた急行「なにわ」にあったビッフェ車の寿司コーナーを想像してしまう
1980年直前(昭和50年代後半)まで残った長距離急行「狩勝」「おが」「赤倉」、これらではどうかすると車内で2食必要な所要時間でしたね。もっとも後者2つはなぜいつまでもDC?だったのですがw寝台特急北斗星の海峡御膳やフルコースの高額さが話題になりましたが、すべてが遠い日本史のようです。
青函連絡船接続の函館発急行列車は兎も角、1970年代になると長距離急行列車は運転されていても通しでの利用者が減少して短距離での区間利用者が入れ替わる傾向が強くなっていました。程なくして系統分離や短縮に需要低下で列車設定そのものが消滅する列車も出現しました。
急行赤倉電車化は結局上越新幹線開業に伴い急行佐渡から玉突きで転用されるまでDCだった記憶
@@金澤華 さん大宮暫定開業ではたしか上野⇔直江津行き「よねやま」(と特急「はくたか」)が廃止されましたね。それで運用に空きができたので電車化かつ長野⇔新潟間になった気がします。郵便荷物車があるわけでなし、全区間架線下の不思議な急行でした。そういえば寝覚の床を通る際はちゃんと案内放送してくれましたね。
キハシをいろいろ想定してみた…キサシハは当時のDMH17Hエンジンの性能から期待できず、最低でもキハシ28だがそれでも電源が問題で出力低下も免れず、キハシ58やと名鉄キハ8200(3エンジン)の如く機器室増大/客室面積低下/軸重過大を招き使用線区も限られる(耐荷軸重が高山本線クラスならok)。それやから窓が開く特性を生かして駅弁や車内販売で済ませたんちゃう!?しらんけど。
形式が「キハシ58」にはなれないやれたとしても「キハシ28」か「キサハシ28」でしょう。ビュッフェの調理器具用の電源🔌のため、一つ発電用のエンジンが必要になる関係上
キハシ58は国鉄内のタブー「軸重過大回避」「出力低下防止」「室内面積確保」で計画も消えた…反対にそのタブーに捉われぬ名鉄はキハ8200で車体狭隘化の犠牲を払い3機関搭載、高山本線の耐荷軸重が割と大きいから入れたんかな。
寝台気動車を造ろうという企画があったらしい。😅これは国鉄時代の資料を沢山所蔵、研究されている方のチャンネルの動画で紹介されていた。(車両はとりあえずキハ52で、簡易的なものだった模様、当然実用化されなかったけど。😅)
14系客車で緩急車が事実上の“寝台気動車”でしたね。夏場だとクーラー由来の騒音も加わり賑やかでした。
@@金澤華 さん、その事実上の寝台気動車の14系がのちにキハ40(とあえて言っておこう)にサンドイッチされて運転されるとは...
動画の内容とは関係ありませんが、荷物車のドアの取っ手が逆ですね。荷物車はごく一部を除き、妻面に向かって開く開き戸ではなく、車体側に開く引き戸です。
10系客車にオシ16が存在してたけど、生まれてくるのが早すぎた気がするなあ…
気動車の場合サービス電源が問題で、国鉄時代の国産エンジンでは余力がなかった。カミンズなどの外国エンジンの採用もあり得たもののタブー視され、質の向上はJR化まで放置された。
キハ58の片エンジンがキハ28このやり方をしたらなんとかなるけどね
鉄道会社の思想哲学の違いもあろう。名鉄キハ8200の3機関なんざ国鉄のタブー[機械室設置&客室狭隘化]を無視して冷房電源を付けたからなぁ(代わりに車体幅狭くなった)。
キサハシ作る場合、キハ28の運転席側をレサーソーで切り取って、そこにサハシのビュッフェ側の車体を溶接した形状になると思います。車両の高さなどはキハに合わせます。
キサシの仮想デザインだけど、車端がデッキでなくて客室なら妻板に窓は要らないんじゃない?
上野↔秋田の急行『おが』号にビュフェ車両があったら、稲庭うどんでしょうか❔
音楽が弁天町の交通科学館ジオラマを思い出す。運転界中盤(昼情景)にはチゴイネルワイゼンも良くかかっていたなあ。
ファーストフードがお寿司という発案てのがいい今はスシローとかがその役割を担っている
まあ、航空機などに対抗するには、トータルで四時間の壁を切らないといけないかつては鉄道における長時間の乗車が余儀なくされていたため、乗車時間が六時間を超える列車には食堂車などの供食設備が必要となり、八時間を超える場合には寝台車の連結が必要とされた気動車による特急運用や急行列車は、極端な言い方をすれば電化が完成するまでのつなぎという考えがあったらしく、特急列車にはその品格を維持する目的で食堂車の連結がされたそうです
ギリギリ新幹線のビュッフェを知ってます。高くてあんまり美味しくなかった記憶w
現在のようなマニュアル化されていた時代でもないので担当する企業間でも提供内容の格差があり、同じ企業でも営業所や料理人によって得意とする料理に差がありました。フライなどは車内で捌いてから揚げていたので市中の洋食屋程度の品質はありましたよ。
急行用気動車にキシ80を組み込む発想は無かったのでしょうか?構造上不可能でしょうか?模型ならば訳ないですね。
それは当時の国鉄の特急誘導増収策上好ましくなかったみたい。気動車急行ビュッフェ不採用の真相に入る!?
気動車急行ビュフェに近いものはリゾートしらかみ橅編成に昨年まで存在していたORAHO カウンターかもしれませんね。
電源エンジンや発電機、水タンクなどの搭載とならば、付随車キサハシになったかと思いますね。
当時の国鉄の設計思想ではキハシ28が限界。名鉄キハ8200の3エンジンとて高山本線の耐荷軸重が大きいから入れたw…キハシ58なんて存在してもレールブレーカーになりかねんで!?(要は重たい)
もしもシリーズ大好きです♪(^^ゞ👍
走れ!ヂーゼル急行ビュフェ
そういえば大昔車内販売が当たり前にあったな。
ビュッフェ合造車が 付随車 なら、キサハシ だね!きざはし (階) に、似てる。実現していたらあるいは、その後の鉄道事情が変わる ステップ になっていたのかもしれませんね。
夢がありますね
先日、札幌から稚内まで行きました。ビュッフェ車があったらよかったなー
つまり「キサハシ」か。あ、サかどうかは小型軽量機関が開発されればな。流石にこのチャンネル、内燃車両に特化してるね。
精々キハシ28が限界、キハシ58やと軸重過大で走行線区限られるでw(名鉄キハ8200の高山本線が限界)。
キロシ28が出来ても不思議はないんですが?
キハシ58とかキハシ65🤣
キハシ58は名鉄キハ8200の如く3エンジン必須、キハシ65は軸重問題勃発…地方線区には重たすぎるのが諦めた真相?
食堂車の窓が吹き曝しなの、なーでなーで?
いまの車内の飲食は駅ナカで買えだが
キシ58🥰
中国に新幹線を作って貰ったら再び食堂車が復活すると思いました。
タイ国鉄新車の中国製寝台特急車両には食堂車がありますね。タイでは良く使ってます
急行「たかやま」や山陰・九州連絡急行「さんべ」の全盛期に連結されていたら、それなりに需要があったかもしれない。
一枚窓のキハシが気動車らしくてカッコイイですね。
妄想をかき立てられます。
色褪せた車体や風景との光の加減など動画の映像のリアルさに感心しました。少年時代にまだあった国鉄車両がなつかしくもあり、当時の記録映像かと思ったほどです😅
良い妄想ですね気動車急行ビュフェ。
私の実家は中央東線沿線でしたので、かなり後年まで急行「アルプス」の冷房電源車替わりにサハシ165が編成に組み込まれて走っていました。
その後の列車での供食体制の衰退の経緯を見るに、例えバブル期の徒花とは言え100系新幹線X編成やV編成の2階建て食堂車って破格の対応だったんだなって…🤔
これを見ていると創作意欲が湧いてきますね。
いずれキハ58系列のビュッフェ車両作ってみたいなという気持ちが起こっています。
今思うと「キハシ27」は宗谷・天北・狩勝・大雪・ニセコで、「キハシ28」はみちのく・陸中・おが・いいで・アルプス・ちくま・越後・紀州・だいせん・さんべなど連結しても良さそうな列車があったのに・・・
このチャンネルのおかげで「if」な車両を作る楽しみが増えました。
夢を見ているような楽しい時間を過ごせますよね。有りがたいです。
気動車ビュフェ‼️想像するだけで楽しい😀
最後はあっさり締められていますけれど、783系電車のカフェテリアや、787系電車のビュフェなど意欲的な取り組みはありました。
ですが、今は東海道新幹線の車内販売すらなくなる時代ですからね…
そんな中、首都圏の普通列車グリーン車で車内販売が残っているのは面白いです。
商売になるかどうかの問題かと思う。首都圏グリーン車のお客様はお財布の紐が緩いんでしょう
気動車はいろいろな面で電車よりも冷遇されていたような気がします。もっとも技術面でついていけてなかったからかもしれませんが...
急行型は碓氷峠向け以外はコイルバネ台車だし特急型もカーテンじゃなくて巻き上げブラインドだったのでカネをかけたくなかったのは事実。特急型気動車では、ブラインド閉める閉めないで前後の列の人とのバトルが繰り広げられました。
気動車は亜幹線やローカル線向けという事で幹線用の電車よりもコストダウンした様です。急行型では↑の方が言われた様に台車はコイルバネ等要所要所で廉価仕様になりました。短編成に対応する為にグリーン車以外全て運転台付きとなったのも一因かも知れません。特急型のキハ81ですらクハ151と比べて同じボンネット型でも不恰好で(あれはあれで良いのですが、一説に依ると当時の東北、常磐線は運転台が低い方が信号が見やすいとか)如何にもに金をかけてない仕様でした。
ただ一般車両の車体については気動車の設計のほうが正解
稼げる電車急行でも私鉄なら締めるところはしっかり締める
確かにマシ35やオシ17の石炭レンジは火災で危ないから電気レンジに変えたいがカシ36やスシ17に重量嵩む
@@魔改造人間 381系の中桟入った窓はそういう経緯やったか
いわゆる急行型の気動車群は
分割併合の自由さが長所だった。
それに運転台なしの車両を入れるのはキロ以外はしたくなかったのかもしれませんね。
準急や急行電車にビュッフェが連結された時代があったんですね。寿司職人を乗せてしまうというアイデアもすごい。
寿司提供はフルサイズ食堂車ほど機材を多く搭載出来ない故に考案された苦肉の策だったのです。
実際にビュッフェで寿司を握っておられた静岡県清水市つばめ鮨の大将(故人)からはビュッフェや食堂車勤務時代の貴重なエピソードを伺う事が出来ました
@@金澤華 話題作りでとか奇をてらってでなく合理的な理由から寿司ビュフェが登場したというのがいいですね。お客さんにも好評だったのがなおいいです。
寿司屋は「サハシ153」でしたが、「サハシ165」は蕎麦屋でした。
急行のビュッフェを利用したのは急行「信州」のサハシ169だけですが、今になってみるととても貴重な経験でしたね。需要が望めてキハで作ることになったとすれば、やはり大出力エンジンが開発された後だったでしょうね。電源用エンジンは必須ですから、さらに走行用エンジンを積むと水タンクなどの搭載が難しくなるから、キサハシになったことでしょう。
中央沿線住まいです。やはり内燃機関は日本はあまり強くないので小型軽量大出力の機関は生まれてこなかったね。やけのヤンぱちで、58系G車にも2エンジンにしたりして苦労してたが。。。。
いいですね。
自分は新幹線0系のビュッフェを利用した思い出があります。今では新幹線ですらビュッフェみたいな車両は無くなってしまいましたね。
誰でも気軽に利用出来た食堂車/ビュッフェの系譜としては近鉄しまかぜでのカフェカーがおそらく最後になるでしょうね。
サフィールは価格に対して提供内容がチープですし、
CTや要予約観光列車は気軽に利用出来る形態ではないですから。
もし気動車ビュフェ作るなら名鉄キハ8200のように3エンジン搭載でキハシ58やな(笑)DMH17Hx2/4VKx1…しかし当時の国鉄にその発想はなかった!!(爆)。余ったキハ58のビュフェ改造なら実現性高いが…経年で諦めたんやな!?
上尾事件解説動画だと怨嗟の的となっていたようでツラいです。食堂車って展望車と共に夢の車両ですよね。
地方幹線なら需給の関係から「キロシ」も有りかと
キハシ28が急行紀州についたら目張り寿司が、志摩についたら伊勢うどんが食べれたかもしれませぬ😋
ほほう、高山本線なら急行のりくら/たかやまで飛騨朴葉寿司/ケイチャンが提供されたんかな(笑)しかし特急ひだが食堂車ナシやから期待薄やなぁ。
解説、映像、BGM全てマッチしてますね!
長距離DCは「狩勝」に根室札幌全区間、「しらゆき」に一部区間乗れて、「大社」は乗りたかったけど叶わずでした。こんな列車にDCビュッフェあったら、長時間居座りたかったです。急行ビュッフェで利用した経験が唯一あるのは、急行「アルプス」でした。廃止になる直前くらいでしょうか。小学生でしたが、アルペンルートの帰りに信濃大町から普通指定が売り切れで、自分としては運良くグリーン車に乗ることが出来て、当然隣の車両がサハシ165でした。父が鮎の塩焼きを買ったのをご相伴に預かることが出来ました。アルプスはすしじゃなくて、そばうどんだったんでしょうね。当時のメニューを知りたいです。
函館発着の急行宗谷、狩勝なんか連結してもよかったんじゃないのかな?
本州ではしらゆき、赤倉、越後。
九州では青島、フェニックス。山陰ではだいせんなんかが候補にあがりますね。
道内急行列車で客車による列車がいくつか存在しており近代化改造されたマシ35などフルサイズの食堂車が連結されていましたね
もしもの話し… 電子レンジがあったのなら、後の183系気動車のような車販準備室があっても良かった気がします。
1/3を準備室+売店とするアイデアは当時の国鉄には無かったのが惜しまれます。
183系気動車のキロ182にあった車販準備室は、80系気動車時代に有った食堂車の代替手段として作られたものだから。
食堂車利用客にとっては批判の的でしたね。
内地と違い乗車時間が長い道内の列車では食事が取れない事が文字通り命取りになりましたからね。
特に冬季は。
183になって冬季の寒い隙間風から解放されたものの、
冷たい弁当と車販準備室で販売していた軽食ではあまりにもお粗末だった。
編成を乱すとしても尾久や米子で余剰になっていたキサシ180を転属させ改造して編入して欲しかったものです。
本線筋の優等列車は客車列車という意識が強い時代。
ディーゼル機関由来の騒音と振動に排気ガスと油臭い気動車による優等列車は下に見ていましたね。
支線や亜幹線からやって来る準急や準急上がりの急行列車が多かった故にですが。
食堂車を連結しても運転線区の需要が小さく、
細かく分割や併結する運転形態ではビュフェ合造車は足枷になるでしょう。
山岳区間で重荷になるのは言うまでもない事です。
私の勝手な妄想ですがキハ58のビュッフェ車両キハシ57をイメージした。普通車と食堂車の合造車で当時、北海道の長距離急行「宗谷」(函館〜札幌経由〜稚内)に連結し、蕎麦とラーメンがメインビュッフェのラーメンを食べながら見る車窓を想像します。あってもおかしく無い車両で苗穂なら出来そうと私は思う。素晴らしいイメージ通りの車両です。
音威子府駅の黒蕎麦をキハシで…
@@長田清司-z2h さん、そうですね、是非 音威子府駅の黒蕎麦をキハシ(国鉄とJR北海道)の宗谷に入れてほしいし食の遺産と言っても過言では無い。私の父(当時の国鉄の運転士)から聞いた黒蕎麦を食べれなかったのが無念···
ビュフェは 現在では
ほとんどは観光列車系にしか有りませんね
もしも気動車のビュッフェ車が登場していたら、北海道は「宗谷」本州なら「しらゆき」「赤倉」「だいせん」「白兎」なら需要は有りそうな感じはしますね。
上野・秋田間のおがもありではないかと(*^^*)
青函連絡船連絡で長距離旅客がいた宗谷やしらゆきは兎も角、
他の長距離列車は時代の経過ととも短距離利用客が入れ替わるようになっていました。
また混雑が激しい区間と閑散区間の格差が目立ってきていました。
金沢/名古屋〜出雲市(大社)を半日掛けて運転していた急行大社などは夏季の若狭湾沿岸では混雑が激しい一方で、
西進するほど旅客が減り続ける有様でした。
取り上げて頂きありがとうございました。次の妄想は実車試験まで行われた寝台気動車でしょうか?
もう計画されてるのかもしれませんが。
さてキハシ28の妄想は、子供の頃に見たエンドウのHOカタログに掲載があった気がして。
見間違いなんでしょうが、当時はボンネット特急からステンレスの通勤車までディーゼル版を作った時代。こんな車両もあったらナアと妄想も膨らみます。
寝台気動車も妄想中です。ビュフェ気動車と違い、こちらは国鉄でもかなり必要性を感じて具体的に検討した資料があり、キハ52で自然冷却器やエンジン支持機構の改良による騒音低減、寝台の配置などを試したようですが、やはり騒音と振動で断念したとか。
現実が示すように付随車とするしかなかったようですね。
寝台気動車で実際に運行された物は民営化後に製造されたキサイネ86が唯一ではないでしょうか
瑞風はもちろん四季島も、広い意味ではそうかもしれませんね。
本来の意味では急行利尻などで運用されたスハネフ14が「気動車寝台」に最も近いかもしれません。
寝台気動車が製造されてたら同時にビュフェ気動車も製造されたかもしれませんね
40代後半ですが、こんなおっさんですら、物心ついたときはすでに在来線ビュフェ車は営業を休止しており、
編成から外されて、もはや「鉄道ずかん」でしか見られない存在でした。(一部は80年代初頭までサービス電源用として残っていたそうですが)
なので昔から憧れの存在で、ビュフェ部分はキノコ型クーラー、座席車部分は箱型クーラーと、一両で2つの形状の冷房を搭載していたのも魅力に感じました。
165系急行「アルプス」において、サハシの不足を補うため、車販準備室を拡大してカウンターを設けたサハ164や、
特急型になりますが、キハ183系で食堂車の代替としてビュフェスペースを設けたキロ182など、ビュフェ車を名乗らなくてもビュフェ機能を併せ持った車両も意外とあって
調べるとなかなか奥が深いものがありますね。
同じアラフィフ親父(54)ですー…食堂車があった頃は貧乏で食事する機会もなかったでホンマ…中卒で働いてりゃ体験できたかもしれまへんが。
勾配線でも運用されるキハ58系にビュフェ車を組み込むなら付随車では編成出力の低下を招くのでキサハシではなく1機関搭載のキシハ28という形式になったと思う。長距離、比較的平坦路線の「しらゆき」「大社」「フェニックス」等では問題なく、それなりの需要もあったはず。
ただ気動車は分割が前提だし、支線区の隅々まで供食体制を維持するには人材確保もネックになる。
また中央本線では2機関搭載が必須だけどビュフェ車に限っては大型の水タンクや冷房、その電源の搭載が求められる。ただでさえ床下はいっぱいなのに2機関でこれらをも装備し、いわゆるキシハ58を造るのは当時の技術では至難の業だったろう。
3機関なら名鉄キハ8200の例があるが1969年登場では遅すぎ、1折戸かつ床上機械室過大では輸送効率重視の国鉄設計陣経営陣には受入れられまい。
使えるとしたら、当時だと北海道長距離急行、「しらゆき」「おが」「うわじま」「あしずり」「だいせん」「白兎」等の一部の急行位のものだった気もしますね。
自分の子供の頃の想像列車並みに実現が難しかった気はします。
(想像列車:急行きたぐに1号(当時の立山1号を発車時間を少し早めて、特急白鳥と同じくらいに青森に着く昼行急行w)、
急行忍者(京都発和歌山行き、草津線、関西線、桜井線、和歌山線経由で甲賀、伊賀、柳生の北隣(=笠置)、根来と通る急行、甲賀、伊賀上野、笠置、岩出は絶対に停車w))
西日本(60Hz地域)では他にも、名古屋発着「赤倉」「大社」「のりくら(富山行)」「紀州」、関西圏「みささ」、山陰九州「あきよし」「さんべ」、九州「日南」「えびの」…ただしビュフェは1両しか繋げられなさそうですー。
まあ電車急行でもビュフェ付きの方が少ないくらいなので国鉄としてやる気は無かったのが本音でしょう。数少ない客車の方もあの事故をきっかけに急行は全滅でしたから。
急行の場合は窓が開く関係、駅弁や車内販売で済んだのもあると思います。
気動車特急は食堂車ありましたね。
紀勢本線だったと思いましたよ。確かえらく揺れたのを憶えてます。
帰りは急行だったので駅弁を買って食べたのを記憶してます。
そうそう気動車急行は駅弁と車内販売が流行ってました。駅で窓が開閉できるし車内販売業者も忙しそうでした。急行のりくら廃止後は駅弁業者が次々に廃業していきましたよ(例外的に美濃太田は最近まで残ってた)。
DC急行は自由に分割併合出来るところがウリなので、なかなか使いどころが難しいかもしれない。
その場合は連結両数の多い編成にブチ込むでひょ!?特にグリーン車の隣ならありそう。
山岳線、高速線向けにキハシ28、平坦線向けにキサハシ28を、一時期量産したなあ・・・。
気動車どころか電車でも予約無しで食べられるのが近鉄だけになってしまいましたね。東北新幹線とか札幌まで行くなら時間的にあっても良い気がします。乗るとき買い込んでも後半持たないし。
トミックスのキハ28イジって作った事ありますわ
やっぱみんな考えるもんなんだな
サロ152とサハシ153を切って交換してサロシ153とサロハ153を作りました。
一昔前のマイクロエースだったら飛びつきそうなネタですね。
@@pin5861 伊豆急乗り入れに居そうな車両だ…
伊豆急も100系で半室グリーン車を2両でグリーン車1両分!とかやってた時代があったとか
@@魔改造人間 グリーンマックスイイですよね…
自分の場合は余ってたオシ14ぶったぎって使ってましたが
鉄道模型の食堂車やビュッフェ車を手に取ると床下には立派な水タンクがその存在感を示していて、
さすがに気動車で給食施設を持つ車両だとキシ80のように車内スペース潰してたか、
それとも屋根上に水タンクがあったのか…。
特急気動車はトイレの上に水タンクありましたよね…キロ80/キハ182/キロ182が典型例、急行型キハ56/57/58も然り。
もしキハシ65なる車両があればそれも屋根上に水タンクがあったと思われます。
母が結婚前(1970年代)、食堂車勤務してました。1970年代だから、もちろん携帯電話なんて通信機器もなく、食材が切らしたら、通過駅に投げ文して、運が良ければ、次の停車駅で補給があったって、しみじみ思い出してました。
急行のダイヤを緩くし始めた1964年以降でも付随車は無理があり二等車に倣った中間車化は必須な上電源問題は常に付きまとい、水タンクの数々をさらに屋根上搭載とする事になったのではないでしょうか
出現タイミングはパノラミックウィンドゥ車が登場し東北地区を中心とした気動車不足が解消されたぐらいで低屋根構造かキハ65に似通った断面だったとい思います
どちらにせよ短命さではキサシ180を超えたかもしれません
美しい再現映像と、素晴らしいコンセプト、いつも楽しく拝見してます
以前の「急行用キハ・中間車」同様、今回もまさに「ソレな!」的な特集ですね
少しだけ時代が下りますが、「サシ183・189」とか「オロネ15」とかも妄想してしまいます
「キシ183」は、さすがに時代的に無理感強いですけど。。。
昔、同僚に82系山陰特急「まつかぜ」をこよなく愛するものがおり、豪華列車を妄想していました。
その編成に、キロバフ82という形式のディーゼル動車が組み込まれていました。
バはバー付き、つまりカウンターの飲酒スペース。
フは風呂付きだと言っていました。
JR西の瑞風はまさにそれを実現したような列車。
妄想は楽しいものです。
Wikipediaからの受け売りですが上越線特急「とき」が183-1000系に置換えされる際に食堂車運営会社から食堂車の存在要望があったらしく当時余剰になりつつあったサシ481を183系1000番台対応化改造を施してサシ183が生まれるという話があったそうです。
結局はとき183系化では食堂車連結は見送りになりそれらの余剰サシ481はつばさが485-1000系化される際に活用されたらしいです。
個人的には、食堂車を御役御免となった後は普通車改造をされるか、はたまた教習車に改造されるか...なんて魔改造の妄想まで膨らんでしまいます🤤←
気動車急行用キハシ28が運用されても、あっという間に不要になって、サシ481形を改造した雷鳥用のサロ481形500番代(和風電車「だんらん」)のようにお座敷グリーン車に改造されて、四国の気動車急行に連結される妄想まで浮かびました!
昭和50年代半ばになろうかという時代、急行アルプスに乗車した際、サハシを見たことが有ります。編成に組み込まれてたのか、隣の急行だったのかは判然としませんが、ビュッフェは休業してて、カウンターに寝そべってる方もいました。
そのくらいだと中央線のアルプス、信越線の信州、妙高がS51年まで営業していました。上越線の佐渡、よねやまにも連結されてましたが営業はしてなかったと思います。東北線系統も営業はされていなかったですね。北陸線や九州方面は存じ上げません。
@@N--jv3go 食事するカウンターに寝てる方を見た時は絶句しました。。。
食堂車の衰退には北陸トンネル火災事故は切っても切り離せないですね
初期車58窓 後期車(または100番台等)65窓というマニア向けの製造だったらおもしろい……(しかも65窓は1両しか作られないオチ)
そういえば昔鉄道模型趣味で北海道の急行ニセコのキハ56系という設定で急行型気動車のハシの作例がありましたね。
模型だとサハシ455辺りから改造する事になると思いますがキハ58系列は窓形状の他雨樋位置なども異なるのでかなり大がかりな改造になります。
キハ65系列ならそれは必要ない代わりにドアの交換が…
急行気動車用食堂車及びビュッフェは座席車の走行用エンジンが最大の問題、いっそのことDMF9HZ(定格出力180ps)でも開発し搭載するのもいいかも、電源用エンジンに関しては食堂車及ビュッフェに発電用として4VKを搭載していたかも。
連結する列車に関しても、そのような列車が少ないのも問題、分割併合がないもしくは少なくて長距離を走り食堂車及びビュッフェの利用需要のある列車だと、急行しらゆきや新幹線博多開業前の広島、呉発着の急行青島や急行出島なら少しは可能性があったかも
当時の国鉄に名鉄キハ8200形3エンジン車(自車冷房可能)を真似る発想はなかった。もし真似ればローカル線で軸重過大になった?
オシ16の特集、某鉄道誌で見ましたが実情を是非ともやってほしいです。←
しかし、キハ28・58系列で永らく長距離急行であった「みちのく」や上野発着時代の「陸中」をはじめとして、車両流用を考えても日本海縦貫線の「しらゆき」や昼行時代の「きたぐに」・中央西線の最長距離急行であった「赤倉」や山陰急行の「だいせん」・「白兎」、北海道内でも運転するだけで勝手に長距離運用になる「すずらん」・「ニセコ」はもとより、「大雪」・「狩勝」・「宗谷」あたりならビュフェ車はいけたかもと…。
いずれにしても、国鉄の赤字拡大と食堂車や車内販売を経営してた当時の日本食堂や鉄道弘済会ですら要員不足に陥ってたのが痛すぎるかも。←
模型で似たようなもの作った事がある
そう言う計画はあったとか聞いてます。
実現して欲しかった。
気動車ビュッフェかあ、たしかに存在はしませんでしたが、国鉄内では議論に上がってたんじゃないかな。
大出力エンジン開発後となると、キハ91やキハ65の頃ですよね。時代的に合致しなかった気がします。すでに急行から特急への格上げが各地で始まっていたんじゃないですか?東海道新幹線開業以降、国鉄は火の車でしたから。ただ、妄想の世界で模型化するのはおもしろそうですね。
すばらしいCG?ですね。本物の動画かと思ってしまいました。編成の中に入れると、キユニが入り込んでるみたいで、これまたおもしろいですね。
寿司があったのはビックリ
食べてみたかったですね!
気動車急行ビュフェというのは、面白い視点ですね。気動車急行ビュフェがあったらと、いろいろ想像にふけるのも面白いです。確かに当時はこれはなかったですね。
北海道、四国、九州、山陰あたりだと、実現する可能性もなきにしもあらずといった状況だったでしょうか。
登山も好きで、北アルプスや八ヶ岳等の登山の際、中央線に一日2往復あった、58系の急行「アルプス」に「八ヶ岳」「こまがね」「かわぐち」がくっついている列車に、新宿あたりから何度か乗りました。
主に58系2エンジン車やキハ65₅₀₀で組成される最長12両編成のもので、そのうちDMH17Hの1エンジン車は2両程度だったでしょうか。グリーン車ですら2エンジンのキロ58でしたからね。それでもあまり速いという印象はなかったですね。めいっぱいという感じでした(この当時は旧線の辰野経由で、塩嶺ルートはない。)。
この編成からもわかる通り、おおよそ分割併合のためにあった列車です。その後、昭和50年3月に、急行「アルプス」は165系電車に統一されました。
ちなみに、走行システムがキハ58とほぼ同じ、高山線乗り入れ用の、名鉄キハ8000(8200形)系では、走行用エンジン2基の他に電源用エンジンまで載せていました。やればできなくもなかったのです。
急行「アルプス」の165系の方には、ビュッフェ車が連結されていました。ビュッフェで信州ソバを食べた記憶があります。うまかったあああ!!!
その後すぐに、ビュッフェ車は連結されてはいましたが、閉鎖になってしまいました。いろいろ採算性等が合わなかったようです。電車ですらこうでした。
閉鎖後のビュッフェ車は、疲れた登山客のたまり場になっていました。
ビュッフェのカウンターの上に乗っかって横になり、リュックを枕にいびきをかいて寝ている人もいました。急行「アルプス」のビュッフェ車は、通称「寝台車」と言われていました。
お疲れ様です。2011年頃、香港広州間を特急で移動(新幹線開業前)
食堂車でコーヒーを注文。
ネスカフェインスタントコーヒーでした。
TGVとかICEとか他の日本以外のアジア高速列車でも
インスタントコーヒーが当たり前ですね~
それが日本の新幹線在来線特急では
シッカリと豆を挽いたドリップタイプを
ポットサービスで砂糖とコーヒークリーム付きの税抜き価格300円以下。
モノが違うんですよ~(笑)
形式キハシ28😋
Nゲージ・キハ58系で
キロ28・キハ28と
165系のサハシ165を
サンコイチ💦して
ビュッフェ😋を
3両試作しました。
急行アルプス国鉄色
急行アルプス長野色
(フリーランス)
急行たかやま
食堂車やビッフェ車両が無くなって久しくなりますが、もうこれらの復活は無いのかな?新幹線だけでもいいので復活してほしいですね!それが無理なら大手のコンビニでも1両丸々コンビニにしてほしいものです。
後のキロ182の基本番台やモハ156やサハ164のような
コンロやコーヒーメーカーなどの調理器具設置の大きめの社販準備室なら
回送運転台付き中間車として実現可能だったかもしれなかったかも
気動車にビュッフェ、以外とありかもしれません。運行距離が長い列車が多いので息抜きという点でもありかと。
キハ28とキハ65のように2エンジン積んでブースターと冷房用電源も兼ねて。
立食い寿司屋で飲食する度に、かつて東海道本線を走っていた急行「なにわ」にあったビッフェ車の寿司コーナーを想像してしまう
1980年直前(昭和50年代後半)まで残った長距離急行「狩勝」「おが」「赤倉」、これらではどうかすると車内で2食必要な所要時間でしたね。
もっとも後者2つはなぜいつまでもDC?だったのですがw
寝台特急北斗星の海峡御膳やフルコースの高額さが話題になりましたが、すべてが遠い日本史のようです。
青函連絡船接続の函館発急行列車は兎も角、
1970年代になると長距離急行列車は運転されていても通しでの利用者が減少して短距離での区間利用者が入れ替わる傾向が強くなっていました。
程なくして系統分離や短縮に需要低下で列車設定そのものが消滅する列車も出現しました。
急行赤倉電車化は結局上越新幹線開業に伴い急行佐渡から玉突きで転用されるまでDCだった記憶
@@金澤華 さん
大宮暫定開業ではたしか上野⇔直江津行き「よねやま」(と特急「はくたか」)が廃止されましたね。
それで運用に空きができたので電車化かつ長野⇔新潟間になった気がします。
郵便荷物車があるわけでなし、全区間架線下の不思議な急行でした。
そういえば寝覚の床を通る際はちゃんと案内放送してくれましたね。
キハシをいろいろ想定してみた…キサシハは当時のDMH17Hエンジンの性能から期待できず、最低でもキハシ28だがそれでも電源が問題で出力低下も免れず、キハシ58やと名鉄キハ8200(3エンジン)の如く機器室増大/客室面積低下/軸重過大を招き使用線区も限られる(耐荷軸重が高山本線クラスならok)。それやから窓が開く特性を生かして駅弁や車内販売で済ませたんちゃう!?しらんけど。
形式が「キハシ58」にはなれない
やれたとしても「キハシ28」か「キサハシ28」でしょう。
ビュッフェの調理器具用の電源🔌のため、一つ発電用のエンジンが必要になる関係上
キハシ58は国鉄内のタブー「軸重過大回避」「出力低下防止」「室内面積確保」で計画も消えた…反対にそのタブーに捉われぬ名鉄はキハ8200で車体狭隘化の犠牲を払い3機関搭載、高山本線の耐荷軸重が割と大きいから入れたんかな。
寝台気動車を造ろうという企画があったらしい。😅
これは国鉄時代の資料を沢山所蔵、研究されている方のチャンネルの動画で紹介されていた。
(車両はとりあえずキハ52で、簡易的なものだった模様、当然実用化されなかったけど。😅)
14系客車で緩急車が事実上の“寝台気動車”でしたね。
夏場だとクーラー由来の騒音も加わり賑やかでした。
@@金澤華 さん、
その事実上の寝台気動車の14系がのちにキハ40(とあえて言っておこう)にサンドイッチされて運転されるとは...
動画の内容とは関係ありませんが、荷物車のドアの取っ手が逆ですね。
荷物車はごく一部を除き、妻面に向かって開く開き戸ではなく、車体側に開く引き戸です。
10系客車にオシ16が存在してたけど、生まれてくるのが早すぎた気がするなあ…
気動車の場合サービス電源が問題で、国鉄時代の国産エンジンでは余力がなかった。カミンズなどの外国エンジンの採用もあり得たもののタブー視され、質の向上はJR化まで放置された。
キハ58の片エンジンがキハ28
このやり方をしたらなんとかなるけどね
鉄道会社の思想哲学の違いもあろう。名鉄キハ8200の3機関なんざ国鉄のタブー[機械室設置&客室狭隘化]を無視して冷房電源を付けたからなぁ(代わりに車体幅狭くなった)。
キサハシ作る場合、キハ28の運転席側をレサーソーで切り取って、そこにサハシのビュッフェ側の車体を溶接した形状になると思います。
車両の高さなどはキハに合わせます。
キサシの仮想デザインだけど、車端がデッキでなくて客室なら妻板に窓は要らないんじゃない?
上野↔秋田の急行『おが』号にビュフェ車両があったら、稲庭うどんでしょうか❔
音楽が弁天町の交通科学館ジオラマを思い出す。運転界中盤(昼情景)にはチゴイネルワイゼンも良くかかっていたなあ。
ファーストフードがお寿司という発案てのがいい
今はスシローとかがその役割を担っている
まあ、航空機などに対抗するには、トータルで四時間の壁を切らないといけない
かつては鉄道における長時間の乗車が余儀なくされていたため、乗車時間が六時間を超える列車には食堂車などの供食設備が必要となり、八時間を超える場合には寝台車の連結が必要とされた
気動車による特急運用や急行列車は、極端な言い方をすれば電化が完成するまでのつなぎという考えがあったらしく、特急列車にはその品格を維持する目的で食堂車の連結がされたそうです
ギリギリ新幹線のビュッフェを知ってます。高くてあんまり美味しくなかった記憶w
現在のようなマニュアル化されていた時代でもないので担当する企業間でも提供内容の格差があり、
同じ企業でも営業所や料理人によって得意とする料理に差がありました。
フライなどは車内で捌いてから揚げていたので市中の洋食屋程度の品質はありましたよ。
急行用気動車にキシ80を組み込む発想は無かったのでしょうか?構造上不可能でしょうか?模型ならば訳ないですね。
それは当時の国鉄の特急誘導増収策上好ましくなかったみたい。気動車急行ビュッフェ不採用の真相に入る!?
気動車急行ビュフェに近いものはリゾートしらかみ橅編成に昨年まで存在していたORAHO カウンターかもしれませんね。
電源エンジンや発電機、水タンクなどの搭載とならば、付随車キサハシになったかと思いますね。
当時の国鉄の設計思想ではキハシ28が限界。名鉄キハ8200の3エンジンとて高山本線の耐荷軸重が大きいから入れたw…キハシ58なんて存在してもレールブレーカーになりかねんで!?(要は重たい)
もしもシリーズ大好きです♪(^^ゞ👍
走れ!ヂーゼル急行ビュフェ
そういえば大昔車内販売が当たり前にあったな。
ビュッフェ合造車が 付随車 なら、キサハシ だね!
きざはし (階) に、似てる。
実現していたらあるいは、その後の鉄道事情が変わる ステップ になっていたのかもしれませんね。
夢がありますね
先日、札幌から稚内まで行きました。ビュッフェ車があったらよかったなー
つまり「キサハシ」か。あ、サかどうかは小型軽量機関が開発されればな。流石にこのチャンネル、内燃車両に特化してるね。
精々キハシ28が限界、キハシ58やと軸重過大で走行線区限られるでw(名鉄キハ8200の高山本線が限界)。
キロシ28が出来ても不思議はないんですが?
キハシ58とかキハシ65🤣
キハシ58は名鉄キハ8200の如く3エンジン必須、キハシ65は軸重問題勃発…地方線区には重たすぎるのが諦めた真相?
食堂車の窓が吹き曝しなの、なーでなーで?
いまの車内の飲食は駅ナカで買えだが
キシ58🥰
中国に新幹線を作って貰ったら再び食堂車が復活すると思いました。
タイ国鉄新車の中国製寝台特急車両には食堂車がありますね。タイでは良く使ってます