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毛利隆元は毛利家の内政を一手にまとめ隆元存命中は毛利が財政で困る事は無かったが隆元逝去後に商人の貸し渋りなどが続出して毛利家は石見銀山を手に入れるまで慢性的な財政難に陥る事になる。小早川隆景は後年、宣教師に領土統治を褒められた際に「私など兄には遠く及びません」と言っている。また、隆元は九州方面軍の主将としても全盛期の大友軍(立花道雪・高橋紹運・角隈石宗健在)と五分に渡り合っている。ちなみに隆元逝去後は小早川隆景に引き継がれているが支えきれず毛利は九州の領土を失っているので軍事面でも才覚があったのは間違いない。
隆元は全然ぼんくらじゃないですよ。彼が死んだ後に元就もかなり後悔し、小早川なども兄のすごさを再認識したってのが定説だと思います。元就さんが友人と呼べる人がいなかった説は納得ですね。信長の様に身内は信じてしまう甘い一面がなかったからこそ中国地方の覇者になって75歳まで長生きして没落した毛利の家を建て直せたんだと思います
隆元はボンクラではありません、自己肯定感があまりにも低く、常に父親の顔色をうかがう傾向があるものの父親と違っていい意味で「人を信じる」タイプの人間で仲裁なども得意として、国の内政面では活躍しています。隆景に対しては一番自分に似ていたからこそ、色々と厳しく釘を刺していたようです。次男元春は武辺者の傾向が強いので、基本やらかした時以外はあんまり説教臭い話はしなかった模様
徳川秀忠タイプの優秀.有能な二代目だと思います。ただそうは言っても、偉大な父に及ばないことは自分が一番判っていたので、すこぶる従順に振舞っていたのでしょう。
いかにも裏方向き
毛利隆元はボンクラじゃないよ。
吉田松陰が毛利隆元に対し、"平重盛の如く"的な事を言ってましたね。
自己評価低過ぎンゴ
ボンクラどころか元就の嫡子として素質は十分あったがあまりにも自分を卑屈に捉えていた為に元就すら心配していた。元就が隠居しようとすると自分も隠居して輝元に当主を譲ると駄々を捏ねるエピソードもある(笑)
隆元は内政や財政面でかなり手腕を発揮しており、亡くなった後、毛利家の収入がかなり減り、元就や弟の元春、隆景らは改めて隆元の器量を見直すとともに、その死を惜しんだという逸話もあります。
戦国武将をさん付けで呼ぶのは新鮮で面白かったです
『景虎出奔』については、家臣らに或る意味「脅しをきかせるパフォーマンス」とも見て取れる。お坊さんには「私がいなくても家臣らだけでやって行けるでしょう」ぐらいに言ってるし、家臣らが頭下げて「戻って来て下さーい!」言うた時には「これからは私の命令を聞くよう」に誓約書書かせたって話も残ってる。
毛利隆元は決してボンクラ息子ではない。内政・裏方としては辣腕を発揮していたし、軍事でも当時人材最盛期の大友氏を相手に致命的な負けを喫していない。残念なのは自分の有能さを自分自身が信用できなかった事。
信用なのか人徳なのか不明ですが、毛利隆元は領民から借金するのが非常に上手かった。なので、彼の死後、父親は金策に困ったという。
残念といえば三好長慶や松永久秀でしょう。長い間長慶は凡庸のイメージが世間一般だったし久秀も裏切りしまくり不忠者のイメージが定着していた気がします
関白を関自と間違え、それをそのまま読むミスは初めて見たね。
今川氏真「俺って割と有能なんだぜ? 相手が悪すぎただけで」小早川秀秋「実は俺、武功あるし内政も得意なんだよなぁ………」足利義昭「実は俺も」一同「いや、お前は酷い」
義昭は正しく室町将軍なだけってばそう
いや、義昭は氏真よりは遥かに有能だぞ?。・・・・・・・まあ、当時としてぶっ飛んでただけだけどw(だからノッブが苦労したわけで・・・)。
毛利元就は小言が多くて奥さんに嫌われていたというエピソードもありますね。
残念な部分も含め、魅力なんですよね(笑)
義元については太原雪斎の死が痛すぎるんよな、甲相駿三国同盟にも亀裂が入ったのもそうだし、義元の大名人生を完全に狂わせたな、結局東海道一の弓取りは雪斎の軍略有りきのものだったんだなって分かる戦だな、後、義元の輿は将軍足利家直々に認められた誉高きものだからネガティブなイメージでは無いね、龍造寺隆信は太り過ぎて馬に乗れないから輿に乗ってたけど義元は違うよ、
義元は「桶狭間の負け戦」のイメージが全ての功績をパーにしてる様な気がする。信長の父・信秀は傍系でありながら実力で織田家の中で発言力強めていったなかなか出来の良い人だったらしいけど、彼ですら義元には散々苦しめられてるぐらいだし、義元は信長より早く鉄砲の有効活用や楽市楽座やってるぐらいだから、決してボンクラじゃねえんだよな。(後、氏真も信長より早く楽市楽座やってるよ。)
私も尊敬する謙信公を見習っており生涯独身童貞を貫き通すつもりであります。
清いな。
毛利隆元は、ボンクラではないですよ!彼が毛利家の財政を支えてましたから。ただ、著しく自己肯定感が低かったです。
歩く信用(プラチナカード)
@@sugisinfkk さんまさに!
隆元「俺みたいな無能なんていなくてもいいや………」家臣「ははっ御冗談を」(半ギレ)
@@ぶらいと-z1t さんボンクラと思ってるの本人だけ。
謙信、美少年には献身的で草
昭和後期大河ドラマでの武田信玄役は中井貴一、高坂弾正役は村上弘明だったから、その当時から信玄優男説や弾正とそういう仲だった説がまことしやかにあったんかね?知らんけど。
上杉謙信の肖像画が、江戸時代の空想画だったとは、知らなかった。
元就の3本の矢も、江戸時代の創作か。笑
信玄のものと言われているのは別人らしいし。
@@ぐうたら猫-h2b 元就が臨終の際に子供を集め…いや、すでに隆元は先立ってるし元春は出征中だが。
野獣先輩戦国大名説
ゲーム内の話で良いなら大内家に幼なじみとも言えた人がいたが友よりも主家を取り討ち死にしたというエピソードがあった。本当のところ真偽はわからん。
上杉謙信って結婚はしてなかったけど どっかの領主の娘と恋人同士だったんだよねぇ ただ 身分の違いがあって結婚には柿崎、宇佐美、長尾らが反対したってのがあったはず
毛利隆元が死んだ後に毛利家の収入が2000貫(4000石相当)ほど減少したそうです。4000石とは一年間に4000人を養って行くのに必要とされるお米の量です。1石で約150kgの玄米です。4000石だと約600トンの玄米に相当する収入が毛利家から消えたわけです。隆元は毛利の縁の下の力持ちでした。戦国乱世には武将としての活躍ばかりが評価されやすいですが、やはり内政や財務環境が充実してこそ戦略と戦術が浮かんでくるものだと思います。
うーん、何か武将たちに親近感がわく動画ですな。「けんしんさん」や「よしもとさん」というタイトルでラノベ書く人が出てきそう・・・。
上杉謙信は政虎と名乗った時期もありました。政所( まん どころ)のまんと竜虎(りゅう こ )のこ、女性そのものを堂々と名乗っていました。
武田晴信(信玄)は裏切りばっかりするから勝頼が苦労する
上杉謙信も細川政元も、女性を遠ざけて、養子を複数受け入れて、結局、死後に養子同士が御家騒動に発展させて一挙に勢力を衰えさせたのを見ると、人の業、歴史は繰り返すということを思いしらされます。
穿った見方の使い方(笑)
手紙魔元就
翻訳するとトイレットペーパーのモユアンでクソ笑った
戦国時代当時女人禁制の高野山に行った事ある謙信が、女性だと今だにおっしゃる。❔謙信は、真言宗の僧としての名も、持っていた。宗心。
上杉謙信の身長は156cmと高くはなかったような。女性でも淀君のように170cm超えの人もいたようですが。上杉謙信はどちらかというと財テクが凄いイメージがある。今川義元は宮下英樹先生が描いた「センゴク外伝桶狭間戦記」のあのキャラが良すぎて。
なんかの本では、身長は170~175cmぐらいあって、体重も70~80㎏あったと書いてあった様な…。
@@てっちゃん-t1k 直江兼続は182cmと高かったらしいですが、上杉謙信の背がそんな高いという説は初耳ですね。無双では2m超える大男ですが(笑)三浦義意、真柄直隆、風魔小太郎に関しては脚色されすぎてる気もします・・・・
10:10輿じゃなくて駕籠の絵?
元春と隆景が輝元ボコってたって初めて聞いたw
12:00鎌倉殿の12人見てたらそれくらい普通なんじゃないかと思えてくる…今ならともかく武士勢力がしのぎを削る時代だし…
12:40身請けを許可してめちゃくちゃ高くしてたのは、人さらいを少なくする意図があったのでは…?
まるで歴史をその目で見てきたかのうような口振りでコメントしてる人が多くて笑える
まるで歴史をその目で見てきたかのような口振りで間違い流してる動画で笑えたからだろ
@@ムラムラ大王 うん?
隆元ファン大集合でワロタ自分も彼が60まで生きられたら毛利幕府全然可能だったと思てる派隆元ー何故すんだーー
「穿った見方」の使い方が間違ってて気になる
サムネで爆笑したwwwww
輝元は折檻されてたらしいね。
それでも輝元は元就をすごく慕っていましたね。おじいちゃんが大好きでした
大河ドラマ毛利元就では、輝元は尼子攻めで功を焦って抜け駆けを犯し、品川狼之助を死なせ、激怒した元就に殴られる場面がありましたね。
元就公の三矢の教えは、サッカーのサンフレッチェ、そして陸上自衛隊第13旅団の部隊章のモチーフになりました。何といっても、元就公は広島の英雄です。
LGBTに日本の戦国時代が知られるとハードゲイ展開がメインの戦国映画になってしまうな。
まぁ、酒癖が悪いのは結構誰だって当てはまり総完璧過ぎる人間もつまらないからね多少は何か有れば親近感は沸きそう・・
謙信は、熱心な仏教徒の癖にすんげえ酒豪だったし、好物が梅干しで、冬の寒い朝にトイレでぶっ倒れてそのまま亡くなってるからなあ。「戦の天才謙信が戦死じゃない」のが果たしてカッコイイのか悪いのか(笑)。
厠(トイレ)にて、(大💩)の最中に中風(脳卒中)で帰らぬ人となったとか…。
法治国家がすごいね。太原は信長の野望でもすぐに死んでしまう。基本的に出家した時は女を抱いてはいけない
謙信は信仰のために女性を近づけなかったという説。あと、女性だったという説もある。
なんかどれも薄い内容だな
毛利隆元は毛利家の内政を一手にまとめ
隆元存命中は毛利が財政で困る事は無かったが
隆元逝去後に商人の貸し渋りなどが続出して毛利家は石見銀山を手に入れるまで
慢性的な財政難に陥る事になる。
小早川隆景は後年、宣教師に領土統治を
褒められた際に
「私など兄には遠く及びません」
と言っている。
また、隆元は九州方面軍の主将としても
全盛期の大友軍(立花道雪・高橋紹運・角隈石宗健在)と五分に渡り合っている。
ちなみに隆元逝去後は小早川隆景に引き継がれているが支えきれず
毛利は九州の領土を失っているので
軍事面でも才覚があったのは間違いない。
隆元は全然ぼんくらじゃないですよ。彼が死んだ後に元就もかなり後悔し、小早川なども兄のすごさを再認識したってのが定説だと思います。
元就さんが友人と呼べる人がいなかった説は納得ですね。信長の様に身内は信じてしまう甘い一面がなかったからこそ中国地方の覇者になって75歳まで長生きして没落した毛利の家を建て直せたんだと思います
隆元はボンクラではありません、自己肯定感があまりにも低く、常に父親の顔色をうかがう傾向があるものの
父親と違っていい意味で「人を信じる」タイプの人間で仲裁なども得意として、国の内政面では活躍しています。
隆景に対しては一番自分に似ていたからこそ、色々と厳しく釘を刺していたようです。
次男元春は武辺者の傾向が強いので、基本やらかした時以外はあんまり説教臭い話はしなかった模様
徳川秀忠タイプの優秀.有能な二代目だと思います。ただそうは言っても、偉大な父に及ばないことは自分が一番判っていたので、すこぶる従順に振舞っていたのでしょう。
いかにも裏方向き
毛利隆元はボンクラじゃないよ。
吉田松陰が毛利隆元に対し、
"平重盛の如く"的な事を言ってましたね。
自己評価低過ぎンゴ
ボンクラどころか元就の嫡子として素質は十分あったがあまりにも自分を卑屈に捉えていた為に元就すら心配していた。
元就が隠居しようとすると自分も隠居して輝元に当主を譲ると駄々を捏ねるエピソードもある(笑)
隆元は内政や財政面でかなり手腕を発揮しており、亡くなった後、毛利家の収入がかなり減り、元就や弟の元春、隆景らは改めて隆元の器量を見直すとともに、その死を惜しんだという逸話もあります。
戦国武将をさん付けで呼ぶのは新鮮で面白かったです
『景虎出奔』については、
家臣らに或る意味「脅しをきかせるパフォーマンス」とも見て取れる。
お坊さんには「私がいなくても家臣らだけでやって行けるでしょう」ぐらいに言ってるし、
家臣らが頭下げて「戻って来て下さーい!」言うた時には
「これからは私の命令を聞くよう」に誓約書書かせたって話も残ってる。
毛利隆元は決してボンクラ息子ではない。
内政・裏方としては辣腕を発揮していたし、
軍事でも当時人材最盛期の大友氏を相手に致命的な負けを喫していない。
残念なのは自分の有能さを自分自身が信用できなかった事。
信用なのか人徳なのか不明ですが、毛利隆元は領民から借金するのが非常に上手かった。なので、彼の死後、父親は金策に困ったという。
残念といえば三好長慶や松永久秀でしょう。
長い間長慶は凡庸のイメージが世間一般だったし久秀も裏切りしまくり不忠者のイメージが定着していた気がします
関白を関自と間違え、それをそのまま読むミスは初めて見たね。
今川氏真「俺って割と有能なんだぜ? 相手が悪すぎただけで」
小早川秀秋「実は俺、武功あるし内政も得意なんだよなぁ………」
足利義昭「実は俺も」
一同「いや、お前は酷い」
義昭は正しく室町将軍なだけってばそう
いや、義昭は氏真よりは遥かに有能だぞ?。
・・・・・・・まあ、当時としてぶっ飛んでただけだけどw(だからノッブが苦労したわけで・・・)。
毛利元就は小言が多くて奥さんに嫌われていたというエピソードもありますね。
残念な部分も含め、魅力なんですよね(笑)
義元については太原雪斎の死が痛すぎるんよな、甲相駿三国同盟にも亀裂が入ったのもそうだし、義元の大名人生を完全に狂わせたな、結局東海道一の弓取りは雪斎の軍略有りきのものだったんだなって分かる戦だな、後、義元の輿は将軍足利家直々に認められた誉高きものだからネガティブなイメージでは無いね、龍造寺隆信は太り過ぎて馬に乗れないから輿に乗ってたけど義元は違うよ、
義元は「桶狭間の負け戦」のイメージが全ての功績をパーにしてる様な気がする。
信長の父・信秀は傍系でありながら実力で織田家の中で発言力強めていった
なかなか出来の良い人だったらしいけど、
彼ですら義元には散々苦しめられてるぐらいだし、
義元は信長より早く鉄砲の有効活用や楽市楽座やってるぐらいだから、
決してボンクラじゃねえんだよな。
(後、氏真も信長より早く楽市楽座やってるよ。)
私も尊敬する謙信公を見習っており生涯独身童貞を貫き通すつもりであります。
清いな。
毛利隆元は、ボンクラではないですよ!
彼が毛利家の財政を支えてましたから。
ただ、著しく自己肯定感が低かったです。
歩く信用(プラチナカード)
@@sugisinfkk さん
まさに!
隆元「俺みたいな無能なんていなくてもいいや………」
家臣「ははっ御冗談を」(半ギレ)
@@ぶらいと-z1t さん
ボンクラと思ってるの本人だけ。
謙信、美少年には献身的で草
昭和後期大河ドラマでの武田信玄役は中井貴一、高坂弾正役は村上弘明だったから、その当時から信玄優男説や弾正とそういう仲だった説がまことしやかにあったんかね?知らんけど。
上杉謙信の肖像画が、江戸時代の空想画だったとは、知らなかった。
元就の3本の矢も、江戸時代の創作か。笑
信玄のものと言われているのは別人らしいし。
@@ぐうたら猫-h2b 元就が臨終の際に子供を集め…いや、すでに隆元は先立ってるし元春は出征中だが。
野獣先輩戦国大名説
ゲーム内の話で良いなら大内家に幼なじみとも言えた人がいたが友よりも主家を取り討ち死にしたというエピソードがあった。本当のところ真偽はわからん。
上杉謙信って結婚はしてなかったけど どっかの領主の娘と恋人同士だったんだよねぇ ただ 身分の違いがあって結婚には柿崎、宇佐美、長尾らが反対したってのがあったはず
毛利隆元が死んだ後に毛利家の収入が2000貫(4000石相当)ほど減少したそうです。
4000石とは一年間に4000人を養って行くのに必要とされるお米の量です。1石で約150kgの玄米です。4000石だと約600トンの玄米に相当する収入が毛利家から消えたわけです。隆元は毛利の縁の下の力持ちでした。
戦国乱世には武将としての活躍ばかりが評価されやすいですが、やはり内政や財務環境が充実してこそ戦略と戦術が浮かんでくるものだと思います。
うーん、何か武将たちに親近感がわく動画ですな。
「けんしんさん」や「よしもとさん」というタイトルでラノベ書く人が出てきそう・・・。
上杉謙信は政虎と名乗った時期もありました。政所( まん どころ)のまんと竜虎(りゅう こ )のこ、女性そのものを堂々と名乗っていました。
武田晴信(信玄)は裏切りばっかりするから勝頼が苦労する
上杉謙信も細川政元も、女性を遠ざけて、養子を複数受け入れて、
結局、死後に養子同士が御家騒動に発展させて一挙に勢力を衰えさせたのを見ると、
人の業、歴史は繰り返すということを思いしらされます。
穿った見方の使い方(笑)
手紙魔元就
翻訳するとトイレットペーパーのモユアンでクソ笑った
戦国時代当時女人禁制の高野山に行った事ある謙信が、女性だと今だにおっしゃる。❔謙信は、真言宗の僧としての名も、持っていた。宗心。
上杉謙信の身長は156cmと高くはなかったような。女性でも淀君のように170cm超えの人もいたようですが。上杉謙信はどちらかというと財テクが凄いイメージがある。
今川義元は宮下英樹先生が描いた「センゴク外伝桶狭間戦記」のあのキャラが良すぎて。
なんかの本では、
身長は170~175cmぐらいあって、
体重も70~80㎏あったと書いてあった様な…。
@@てっちゃん-t1k
直江兼続は182cmと高かったらしいですが、上杉謙信の背がそんな高いという説は初耳ですね。無双では2m超える大男ですが(笑)
三浦義意、真柄直隆、風魔小太郎に関しては脚色されすぎてる気もします・・・・
10:10
輿じゃなくて駕籠の絵?
元春と隆景が輝元ボコってたって初めて聞いたw
12:00
鎌倉殿の12人見てたらそれくらい普通なんじゃないかと思えてくる…
今ならともかく武士勢力がしのぎを削る時代だし…
12:40
身請けを許可してめちゃくちゃ高くしてたのは、人さらいを少なくする意図があったのでは…?
まるで歴史をその目で見てきたかのうような口振りでコメントしてる人が多くて笑える
まるで歴史をその目で見てきたかのような口振りで間違い流してる動画で笑えたからだろ
@@ムラムラ大王 うん?
隆元ファン大集合でワロタ
自分も彼が60まで生きられたら
毛利幕府全然可能だったと思てる派
隆元ー何故すんだーー
「穿った見方」の使い方が間違ってて気になる
サムネで爆笑したwwwww
輝元は折檻されてたらしいね。
それでも輝元は元就をすごく慕っていましたね。おじいちゃんが大好きでした
大河ドラマ毛利元就では、輝元は尼子攻めで功を焦って抜け駆けを犯し、品川狼之助を死なせ、激怒した元就に殴られる場面がありましたね。
元就公の三矢の教えは、サッカーのサンフレッチェ、そして陸上自衛隊第13旅団の部隊章のモチーフになりました。
何といっても、元就公は広島の英雄です。
LGBTに日本の戦国時代が知られるとハードゲイ展開がメインの戦国映画になってしまうな。
まぁ、酒癖が悪いのは結構誰だって当てはまり総完璧過ぎる人間もつまらないからね多少は何か有れば親近感は沸きそう・・
謙信は、熱心な仏教徒の癖にすんげえ酒豪だったし、
好物が梅干しで、
冬の寒い朝にトイレでぶっ倒れてそのまま亡くなってるからなあ。
「戦の天才謙信が戦死じゃない」のが果たしてカッコイイのか悪いのか(笑)。
厠(トイレ)にて、(大💩)の最中に中風(脳卒中)で帰らぬ人となったとか…。
法治国家がすごいね。
太原は信長の野望でもすぐに死んでしまう。基本的に出家した時は女を抱いてはいけない
謙信は信仰のために女性を近づけなかったという説。あと、女性だったという説もある。
なんかどれも薄い内容だな