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遺影の話をするつもりがすっぽ抜けてしまいました。皆さんご存知の通り、遺影のエアブラシ(現在はレイヤー載せるだけかな?)は大ウソもいいところではありますが誰も異をとなえない極度のレタッチですよね
現在80過ぎの母の、若かりし頃の写真を修復したことがあります。母は色々な大きさにプリントされた数枚の写真を大事に袋に入れて、見合い相手の父に嫁いできたようです。写真の裏には「昭和〇〇年〇子と」などと達筆で書かれていました。デジタルデータやネガすらないので、写真をスキャナーで読み込んでフォトショップでレタッチしました。それを2L判にプリントして母に渡したときの喜びようは今でも忘れません。その時の自分よりも若い「女学生時代の母の姿」は、当時の私には「自分を見てるような、未来の花嫁を見てるような」奇妙な感覚に陥ったのを覚えています。ちなみにその後、私の妻となった女性は、姿こそ違え中身が私の母にそっくりだと思うことが多くなってきました。
報道とアートとではまた違うかもしれませんが、ことアートに関しては個人的にはレタッチするもしないも(もっと言うと加工したりも)、それらも一つの表現だから自由にしたらいいんじゃないかなぁと思います。少なくとも他の人がどうこういう話でもないと思うし、する方も周りの声なんか気にしなくてもいいと思う。もちろん、ある規定の範囲内でのフォトコンの場合は規定以上の事をしたら単なるチートでしょうし、報道であれば真実性が重要だとは思いますが。
動画興味深く拝見させていただきましたスマホカメラとスマホアプリしか使ったことがないのですが、RAW現像をやると、露光量を少し変えるだけでも、明るさだけではなく、色の印象が大きく変わります編集しているうちに、撮影した自分の記憶も曖昧になります色に関しては、レタッチ云々以前に、写真は真実を伝えようがないというのが、いまの感想です
西洋絵画修復の仕事をしています。保存修復は作品維持の為の修復、美術的修復は絵具の欠落箇所の補彩(リタッチ)は以前の資料を参考にいたしますが資料がない場合は難しいです。先にPCによるシミュレーションをしてクライアント(美術館等)と相談後リタッチする事もあります。倫理規定によりますが・・・時価500憶円の「サルバトール・ムンディ」(救世主)の修復リタッチがやり過ぎとか話題になりましたが!大変難しい問題です。
ビネガーシンドローム(温度湿度によるフィルム変形)したフイルムを特殊なフィルムホルダーに挟んでスキャンしてデジタルアーカイブスをしていますがリタッチはしません。多くのフイルムは古いセルロイド製フィルムですが!
新聞の写真修正のお話、興味深く聞かせていただきました。それで思い出したのは20数年前、うろ覚えですが、産経新聞が月の写真で合成したものを掲載してしまったということで、一面で事の経緯と謝罪と再発防止の記事を載せてました。やはり報道という面がありますので良くないのでしょうね。レタッチについては、動画でおっしゃっていたように目的に沿うと言うことももちろんだと思いますし、あとは見る人がある程度レタッチされていることが了解されているという前提も必要なのかと思いました。報道写真についてはレタッチはされてないという前提で人々は見ていると思います。SNSやアート表現としての写真はある程度了解されているとは思いますが、これも人によって受け止め方が異なるので、紅葉写真の例でもそうですが、やり過ぎると問題になることもあるのでしょう。私も夕焼け写真はやはりよく見えるようにレタッチしてしまいます。
レタッチ有無は目的や用途によるのかなと思います。 事実を伝えるもの、手を加えず取る技術を見せるもの、こうなりたいの夢を与えるもの。何がダメよしではなくかなと。 とれたてで何もつけない甘い野菜が好きな人もいれば調理した野菜が好きな人もいるみたいな。 ノーメイクが好きかナチュラルか濃いメイクかみたいな。
(私はどちらかと言うと否定派です。)レタッチ論争は永遠で、時代や世代や、また嗜好性等により様々であって、それも健全だと思っています。ただ、写真とCGの境界線が、レタッチ技術が向上し判別も困難になっていく事で、やはりフォトコンテスト、特に真実を伝える手段としての写真(レポートやドキュメンタリー)では、ルールは必要だと思います。無いものを足し加える。有ったものを消す。原形とかけ離れた修正。自然界では有り得ない色彩アート作品としては有りとも思うのですが、行き過ぎるとそれは写真ではなくCGではないかと?レタッチも終わり無き沼だと思います。
レタッチ・写植という看板でお仕事されていた会社は、ダイレクトにフィルムに、油性ペンで髪の毛増やしたり、何でもござれでしたねーでも、マックじゃなくてアナログのペン・・紙面レイアウトの仕事をしていた頃、入稿されてくる画像が、ポジじゃなく紙焼きなんてのはザラでしたよねおかげで、網点消しとUSMの加え加減が上達しました。フォトショップもレイヤー無い頃は地獄でしたね
しまった遺影の話するのを忘れていたw
自分の場合、写真はフェイクの世界の構築は避けています。やっぱりそこに真実がないと求めたり、辿ったりしないと思う。
楽しい話題です。RAW現像をする以上、レタッチは発生しますね、フィルムでも同じ。レタッチ、コラージュしたのに、「していない。」という嘘がよくないのでしょうね。私は積極的にレタッチ、コラージュをした作品作りをしています。素材はあくまで自分が撮影したモチーフに絞り、人の心や話題性のあるテーマを掘り下げています。みなさん、レタッチした、コラージュした。と明言すれば良いだけでしょう。
どうなんでしょうね。SNSというのはあまりにも文脈から切り離されやすいものです
どうなんでしょう。もはや時代的に撮る側が思うほど、観る側は騙されないと思います。TikTokなどの動画ですら加工でいくらでも可愛くなることが出来る、でもそれに伴って観る側も加工を見透かす力が付いているような気がします。今、SNSをやっている人は情報収集力もあるので、レタッチされた一枚の写真だけで判断しないというか。写真の良いところは、動画よりも情報量の少ない中で背景を想像することの楽しさだと思うと、レタッチもその背景を作る一つだとすれば全然良いのかなと思います。アンドレアス グルスキーの写真はレタッチの最上位だと思うし。
いや~楽しく拝見いたしました、某出版社で、デジタル部門の作業していて、同じようなことやっていましたね、笑ってします、今年出版編集部を定年辞職しましたが、懐かしいです、今は自分の撮影作品を管理と、国内写真撮影などしてます・・(大変だったの)は 昔と今の液晶の画質の差!数年前から4K(ColorEdge写真用)導入したら、昔の修正画像の粗がものすごく目立ったこと、一旦保存管理納品したら手を加えられないのが現状、まいいかで済ましたが、最近個人でもプリントの画質を変えたいから、4K ColorEdge写真液晶へ変更してプリントしてます、またの ためになる動画お待ちしています、ありがとうございました。
私は大学時代世田谷の写真館でバイトし、DEPや運動会の撮影をお手伝いしていました。その写真館のおばあちゃんはレタッチ名人でした。見合い写真や過去写真を再撮影して作った遺景写真を小さな筆や楊枝のようなもので墨汁や白絵具を使いレタッチをされていました。よく見ないとわからないような名人技でその写真館ではそのおばあちゃんしかできませんでした。
そうなんですよ技術職なんですよね
自分はライブハウスでよく写真をとりますが、ライブハウスの照明はいろいろな色のライトを使いますよね。青系や紫計のライトなどは演出としてはいいのですが、そのまま写真に撮ると実に見栄えが悪いものです。自分はそれを見栄えがよくなるように加工するのですが、どこまでやっていいのか分からなくなることがあります。照明によって白い衣装が白でなくなるのですから、なにが真実か分からないですよね。なので自分は出演者の方が見て喜んでもらえる写真に仕上げることを考えています。
写真がデジタルになった時点ですでにレタッチになっている気がします。センサーにより色味も違いますし、黒や白の出方、彩度も違う。もしかしたらフィルム時代からもそうなのではないかと思います。フジカラーのネガ。コダックのネガ。同じ様で薬品の分量により各社各々の色味や風合いが違うのだと思います。どこまでがレタッチか、いや写真を撮影した時点でレタッチなのかもしれませんね。まあ、今の時代でしたら、何かを付け足したり、削除することをする前がその境界線なのかもしれませんね。
自撮りなどはアプリで修正するのが当たり前な時代ですから、逆算的に実際の顔はこんな感じだろうと、無意識に想像する人は多いですよね、特に若年層は。個人的に自撮りに関しては、真実でないと皆分かっているのでどこまで改変しても大きく批判されないような気がします。
私はレタッチについてはその人の表現だし何も気にならないですねカメラはその人の写したいものを写すものと思ってるので、レタッチもその一つと思ってますこの手の話はカメラ内のプリセットはどうなるんだろう感じますねただ、レタッチをしなくても良い写真が撮れればいいけどそういうのは少ないし第一フィルムの増感、減感とか赤みを多くするとかはレタッチじゃないのかと常々思う。濃い味の料理が好きな人もいるし、薄味が好きな人もいるで、いいと思いますねコンテストなどはルールを設ければ問題ないと思います。
話がそれますが、サムネイル画像で眼鏡を掛けていらっしゃるのは、合成?本物?
twitter.com/jetdaisuke/status/1576898871640612864?s=21&t=hXDMuXELCPuUXzOcLokm-w
新聞アーカイブにあった列車事故の写真のお話しを聞いて最初に思ったのは、悲惨すぎてそのままでは掲載出来なかったのでは無いか、ということです。東日本大震災のとき、津波被災地の映像や写真には多くの犠牲者が写り込んでいて、それを避けたり修正したりしてからアウトプットしていたそうです。そして、その作業に携わった人の中にはPTSDになった方もいたそうです。先の鉄道事故の場合も、今のように何百枚もの写真から選ぶのではなく、恐らくは数枚程度が現場から電送された中から選んだときに、そのままでは使えないような事情があったのでは無いか、と想像しました。ちなみに、暗室作業を自分でやっていた私はレタッチ肯定派です。Photoshopで白黒の加工をしていると昔の暗室作業を思い出して楽しいです。
友人の娘さんがつけまつ毛に目覚めて明らかに自然ではない長いまつ毛をしているのですが、暖かい目で笑うしかない感じです。確かに魅力的です。化粧と言うのはそういうもので、大切な人に誤解されないで気にいってもらえたら○ですよね。報道写真などジャンルによっては業界のルールを作る必要があると思います。あ、イギリスでスッピンでミスコンにでて優勝した女性が最近ニュースになっていましたが写真のコンテストでRAWから現像したりフィルムシミュレーションで雰囲気を出したりしない作品は希少だと思います。正直に言ったらサボってると思われるかもしれませんね。
なにが真実なのか、あるいは手を加えたものなのか。見る人の審美眼が、厳しく問われる時代になっているということなんでしょうか。実に深い深いテーマ。自分の語彙力では、なかなかうまく言葉を紡ぐことがむつかしい。もどかしさを感じる。
今はスマホで誰でも綺麗な写真を撮れる時代。アプリでいじってSNSでコミュニケーションとって、写真そのものの概念も変わって来てるのかなと。遊び、趣味なら好きなようにやっていいし誰かの意見など気にする必要も無し。アートと捉えればなおのこと他人が口出しするものでもないと思います。これだけ情報過多の今、見る側の目も試される。SNSで勝手に上がってきたものを見て、自分が求める結果でないからと言って文句言うようなことは論外。良く検索すれば分かるはず。1対1で直接現状を尋ねられた時に盛り過ぎたものを見せるのは罪。報道や公的記録、マスメディアでの発信の場合はNGですね。
このお話しとても良いですね自分は花写真を主に撮っていますが他の方の最近の投稿の中には彼岸花+アゲハ蝶が複数+輝かしい光りとそれが本当に撮れたのならすぐ宝くじを買いに行くレベルのものが多々見られますただそれを「加工だろう!」と断言出来ないのが一番今の写真のダメなところではないでしょうか?後半に言われているようにRAWデータなどの提出やデジタル的な署名 などそういう分野での技術革新があればなぁと感じますいつも大事なお話しをありがとうございます
HIKAKINからきましたー。
趣味でグーグルマップへの投稿をしていますが、レタッチはよくやりますよ。例えばテーブルフォトなら、お皿の汚れやヒビ、茶渋、多分意図せず飛んでしまった薬味、なんかは、目立たなくしたり消しちゃいます。食べたときには気にならない・目に入らないものでも、写真でみると不味そうに見えちゃう。(趣味でやってることで、お店から『あの野郎、変な写真載せやがって』と逆恨みされるのも嫌ですし)(そのくせ、口コミで『くっそ不味かった』と書くのは抵抗がないのはなんでだろ。笑)そもそも撮影時、湯気を見せるために、店員さんがまず置かないような位置に料理を置いて、撮るときもあります。それを、さらに湯気が目立つようにレタッチしたり。外の景色(特に通行人や車両)が不味そうに見える要因になっているときは、ハイライト上げて白飛びさせることも、レタッチ的行為ですかね。風景・建物を撮ったときには、気付かなかった(或いは気付いてはいたが排除できない位置にある)ゴミを、消しちゃうことも。神社仏閣の石碑に刻まれた文字を、読みやすいようにありえないぐらいシャドウを入れてみたり、シャドウ側とハイライト側で色味を変えたりも、します。ライティング機材持ってきゃ、レタッチにたよらず現場でもっと良い演出が出来るんでしょうけど、神社仏閣そのものや他の参拝者に迷惑な話ですから。
おおー面白い話ありがとうございます。まずいのに美味しそうにレタッチというのは何か写真投稿者のサガみたいなものを感じますね。わかる気がします
ホクロが大きくなっている…悪性黒色腫(メラノーマ)って大きくなってくるんだっけ?だとしたら検査した方がいいかも?
当人や専門家を差し置いて不正確なことを書くのは好まれない世の中でありますw
誰が持ても明らかにレタッチされている作品は逆に嫌われていないきがします。昨今SNSではやってるようなアニメの一場面の様な景色は好意的に受け止められているように感じます。紅葉の色味を調整するようなレタッチしてるかどうか分かりずらい写真が嫌われやすいきがします。
仕事柄私の周りにも、”自称”写真家がいて「レタッチは悪!」と言い続けている人がいます。 私に言わせると、PPを使ってる段階ですでにレタッチなんですよね。なぜそれが理解できないのか。。。と思います。まあ偉そうな事を言ってる人もしょせん写真を発明した人でも写真の神様でも無いわけで、「お前ごときが言う事が正しいわけないだろ。 勝手に自分ルールを押し付けるな」で終りですが。
動画を見てお化粧と対比して考えちゃいました。私は不自然に見える過剰な化粧は好きでないです。写真も同じです。でも厚化粧をダメとは言いません。一方で、過剰レタッチの写真はダメって思います。たぶんこの違いは、動画で仰るように、真実だと信じているかどうかの違いなんだと思います。写真は真実を写していると考えるのが根底にあり(アート分野の人からは間違ってると言われそうですが笑)、異常な色彩だったり、動画で話のあった異常に細い女性を見ると違和感からの不快感が生じるんでしょうね。作者の目標達成も重要ですが、人に見せるものである以上、その不快感が生じない程度に抑えるべきだと思います。何はともあれ、動画を視聴してレタッチ技術を磨きたいと思うようになりました笑
遺影の話をするつもりがすっぽ抜けてしまいました。皆さんご存知の通り、遺影のエアブラシ(現在はレイヤー載せるだけかな?)は大ウソもいいところではありますが誰も異をとなえない極度のレタッチですよね
現在80過ぎの母の、若かりし頃の写真を修復したことがあります。
母は色々な大きさにプリントされた数枚の写真を大事に袋に入れて、見合い相手の父に嫁いできたようです。
写真の裏には「昭和〇〇年〇子と」などと達筆で書かれていました。
デジタルデータやネガすらないので、写真をスキャナーで読み込んでフォトショップでレタッチしました。
それを2L判にプリントして母に渡したときの喜びようは今でも忘れません。
その時の自分よりも若い「女学生時代の母の姿」は、当時の私には「自分を見てるような、未来の花嫁を見てるような」奇妙な感覚に陥ったのを覚えています。
ちなみにその後、私の妻となった女性は、姿こそ違え中身が私の母にそっくりだと思うことが多くなってきました。
報道とアートとではまた違うかもしれませんが、ことアートに関しては個人的にはレタッチするもしないも(もっと言うと加工したりも)、それらも一つの表現だから自由にしたらいいんじゃないかなぁと思います。少なくとも他の人がどうこういう話でもないと思うし、する方も周りの声なんか気にしなくてもいいと思う。
もちろん、ある規定の範囲内でのフォトコンの場合は規定以上の事をしたら単なるチートでしょうし、報道であれば真実性が重要だとは思いますが。
動画興味深く拝見させていただきました
スマホカメラとスマホアプリしか使ったことがないのですが、RAW現像をやると、露光量を少し変えるだけでも、明るさだけではなく、色の印象が大きく変わります
編集しているうちに、撮影した自分の記憶も曖昧になります
色に関しては、レタッチ云々以前に、写真は真実を伝えようがないというのが、いまの感想です
西洋絵画修復の仕事をしています。保存修復は作品維持の為の修復、美術的修復は絵具の欠落箇所の補彩(リタッチ)は以前の資料を参考にいたしますが資料がない場合は難しいです。先にPCによるシミュレーションをしてクライアント(美術館等)と相談後リタッチする事もあります。倫理規定によりますが・・・時価500憶円の「サルバトール・ムンディ」(救世主)の修復リタッチがやり過ぎとか話題になりましたが!大変難しい問題です。
ビネガーシンドローム(温度湿度によるフィルム変形)したフイルムを特殊なフィルムホルダーに挟んでスキャンしてデジタルアーカイブスをしていますがリタッチはしません。多くのフイルムは古いセルロイド製フィルムですが!
新聞の写真修正のお話、興味深く聞かせていただきました。
それで思い出したのは20数年前、うろ覚えですが、産経新聞が月の写真で合成したものを掲載してしまったということで、一面で事の経緯と謝罪と再発防止の記事を載せてました。
やはり報道という面がありますので良くないのでしょうね。
レタッチについては、動画でおっしゃっていたように目的に沿うと言うことももちろんだと思いますし、あとは見る人がある程度レタッチされていることが了解されているという前提も必要なのかと思いました。
報道写真についてはレタッチはされてないという前提で人々は見ていると思います。
SNSやアート表現としての写真はある程度了解されているとは思いますが、これも人によって受け止め方が異なるので、紅葉写真の例でもそうですが、やり過ぎると問題になることもあるのでしょう。
私も夕焼け写真はやはりよく見えるようにレタッチしてしまいます。
レタッチ有無は目的や用途によるのかなと思います。 事実を伝えるもの、手を加えず取る技術を見せるもの、こうなりたいの夢を与えるもの。何がダメよしではなくかなと。 とれたてで何もつけない甘い野菜が好きな人もいれば調理した野菜が好きな人もいるみたいな。 ノーメイクが好きかナチュラルか濃いメイクかみたいな。
(私はどちらかと言うと否定派です。)
レタッチ論争は永遠で、時代や世代や、また嗜好性等により様々であって、それも健全だと思っています。
ただ、写真とCGの境界線が、レタッチ技術が向上し判別も困難になっていく事で、やはりフォトコンテスト、特に真実を伝える手段としての写真(レポートやドキュメンタリー)では、ルールは必要だと思います。
無いものを足し加える。
有ったものを消す。
原形とかけ離れた修正。
自然界では有り得ない色彩
アート作品としては有りとも思うのですが、行き過ぎるとそれは写真ではなくCGではないかと?
レタッチも終わり無き沼だと思います。
レタッチ・写植という看板でお仕事されていた会社は、ダイレクトにフィルムに、
油性ペンで髪の毛増やしたり、何でもござれでしたねー
でも、マックじゃなくてアナログのペン・・
紙面レイアウトの仕事をしていた頃、入稿されてくる画像が、ポジじゃなく紙焼きなんてのはザラでしたよね
おかげで、網点消しとUSMの加え加減が上達しました。フォトショップもレイヤー無い頃は地獄でしたね
しまった遺影の話するのを忘れていたw
自分の場合、写真はフェイクの世界の構築は避けています。やっぱりそこに真実がないと求めたり、辿ったりしないと思う。
楽しい話題です。RAW現像をする以上、レタッチは発生しますね、フィルムでも同じ。レタッチ、コラージュしたのに、「していない。」という嘘がよくないのでしょうね。
私は積極的にレタッチ、コラージュをした作品作りをしています。素材はあくまで自分が撮影したモチーフに絞り、人の心や話題性のあるテーマを掘り下げています。みなさん、レタッチした、コラージュした。と明言すれば良いだけでしょう。
どうなんでしょうね。SNSというのはあまりにも文脈から切り離されやすいものです
どうなんでしょう。
もはや時代的に撮る側が思うほど、観る側は騙されないと思います。
TikTokなどの動画ですら加工でいくらでも可愛くなることが出来る、でも
それに伴って観る側も加工を見透かす力が付いているような気がします。
今、SNSをやっている人は情報収集力もあるので、レタッチされた一枚の写真だけで判断しないというか。
写真の良いところは、動画よりも情報量の少ない中で背景を想像することの楽しさだと思うと、レタッチもその背景を作る一つだとすれば全然良いのかなと思います。
アンドレアス グルスキーの写真はレタッチの最上位だと思うし。
いや~楽しく拝見いたしました、某出版社で、デジタル部門の作業していて、同じようなことやっていましたね、笑ってします、今年出版編集部を定年辞職しましたが、懐かしいです、今は自分の撮影作品を管理と、国内写真撮影などしてます・・(大変だったの)は 昔と今の液晶の画質の差!数年前から4K(ColorEdge写真用)導入したら、昔の修正画像の粗がものすごく目立ったこと、一旦保存管理納品したら手を加えられないのが現状、まいいかで済ましたが、最近個人でもプリントの画質を変えたいから、4K ColorEdge写真液晶へ変更してプリントしてます、またの ためになる動画お待ちしています、ありがとうございました。
私は大学時代世田谷の写真館でバイトし、DEPや運動会の撮影をお手伝いしていました。その写真館のおばあちゃんはレタッチ名人でした。見合い写真や過去写真を再撮影して作った遺景写真を小さな筆や楊枝のようなもので墨汁や白絵具を使いレタッチをされていました。よく見ないとわからないような名人技でその写真館ではそのおばあちゃんしかできませんでした。
そうなんですよ技術職なんですよね
自分はライブハウスでよく写真をとりますが、ライブハウスの照明はいろいろな色のライトを使いますよね。
青系や紫計のライトなどは演出としてはいいのですが、そのまま写真に撮ると実に見栄えが悪いものです。
自分はそれを見栄えがよくなるように加工するのですが、どこまでやっていいのか分からなくなることがあります。
照明によって白い衣装が白でなくなるのですから、なにが真実か分からないですよね。
なので自分は出演者の方が見て喜んでもらえる写真に仕上げることを考えています。
写真がデジタルになった時点ですでにレタッチになっている気がします。センサーにより色味も違いますし、黒や白の出方、彩度も違う。
もしかしたらフィルム時代からもそうなのではないかと思います。フジカラーのネガ。コダックのネガ。同じ様で薬品の分量により各社各々の色味や風合いが違うのだと思います。
どこまでがレタッチか、いや写真を撮影した時点でレタッチなのかもしれませんね。
まあ、今の時代でしたら、何かを付け足したり、削除することをする前がその境界線なのかもしれませんね。
自撮りなどはアプリで修正するのが当たり前な時代ですから、逆算的に実際の顔はこんな感じだろうと、無意識に想像する人は多いですよね、特に若年層は。個人的に自撮りに関しては、真実でないと皆分かっているのでどこまで改変しても大きく批判されないような気がします。
私はレタッチについてはその人の表現だし何も気にならないですね
カメラはその人の写したいものを写すものと思ってるので、レタッチもその一つと思ってます
この手の話はカメラ内のプリセットはどうなるんだろう感じますね
ただ、レタッチをしなくても良い写真が撮れればいいけどそういうのは少ないし
第一フィルムの増感、減感とか赤みを多くするとかはレタッチじゃないのかと常々思う。
濃い味の料理が好きな人もいるし、薄味が好きな人もいるで、いいと思いますね
コンテストなどはルールを設ければ問題ないと思います。
話がそれますが、サムネイル画像で眼鏡を掛けていらっしゃるのは、合成?本物?
twitter.com/jetdaisuke/status/1576898871640612864?s=21&t=hXDMuXELCPuUXzOcLokm-w
新聞アーカイブにあった列車事故の写真のお話しを聞いて最初に思ったのは、悲惨すぎてそのままでは掲載出来なかったのでは無いか、ということです。
東日本大震災のとき、津波被災地の映像や写真には多くの犠牲者が写り込んでいて、それを避けたり修正したりしてからアウトプットしていたそうです。
そして、その作業に携わった人の中にはPTSDになった方もいたそうです。
先の鉄道事故の場合も、今のように何百枚もの写真から選ぶのではなく、恐らくは数枚程度が現場から電送された中から選んだときに、そのままでは使えないような事情があったのでは無いか、と想像しました。
ちなみに、暗室作業を自分でやっていた私はレタッチ肯定派です。
Photoshopで白黒の加工をしていると昔の暗室作業を思い出して楽しいです。
友人の娘さんがつけまつ毛に目覚めて明らかに自然ではない長いまつ毛をしているのですが、暖かい目で笑うしかない感じです。確かに魅力的です。化粧と言うのはそういうもので、大切な人に誤解されないで気にいってもらえたら○ですよね。報道写真などジャンルによっては業界のルールを作る必要があると思います。あ、イギリスでスッピンでミスコンにでて優勝した女性が最近ニュースになっていましたが写真のコンテストでRAWから現像したりフィルムシミュレーションで雰囲気を出したりしない作品は希少だと思います。正直に言ったらサボってると思われるかもしれませんね。
なにが真実なのか、あるいは手を加えたものなのか。
見る人の審美眼が、厳しく問われる時代になっているということなんでしょうか。
実に深い深いテーマ。
自分の語彙力では、なかなかうまく言葉を紡ぐことがむつかしい。もどかしさを感じる。
今はスマホで誰でも綺麗な写真を撮れる時代。アプリでいじってSNSでコミュニケーションとって、写真そのものの概念も変わって来てるのかなと。
遊び、趣味なら好きなようにやっていいし誰かの意見など気にする必要も無し。アートと捉えればなおのこと他人が口出しするものでもないと思います。
これだけ情報過多の今、見る側の目も試される。
SNSで勝手に上がってきたものを見て、自分が求める結果でないからと言って文句言うようなことは論外。
良く検索すれば分かるはず。
1対1で直接現状を尋ねられた時に盛り過ぎたものを見せるのは罪。
報道や公的記録、マスメディアでの発信の場合はNGですね。
このお話しとても良いですね
自分は花写真を主に撮っていますが
他の方の最近の投稿の中には彼岸花+アゲハ蝶が複数+輝かしい光りと
それが本当に撮れたのならすぐ宝くじを買いに行くレベルのものが
多々見られます
ただそれを「加工だろう!」と断言出来ないのが
一番今の写真のダメなところではないでしょうか?
後半に言われているようにRAWデータなどの提出や
デジタル的な署名 などそういう分野での技術革新があればなぁと感じます
いつも大事なお話しをありがとうございます
HIKAKINからきましたー。
趣味でグーグルマップへの投稿をしていますが、
レタッチはよくやりますよ。
例えばテーブルフォトなら、お皿の汚れやヒビ、
茶渋、多分意図せず飛んでしまった薬味、
なんかは、目立たなくしたり消しちゃいます。
食べたときには気にならない・目に入らないものでも、写真でみると不味そうに見えちゃう。
(趣味でやってることで、お店から『あの野郎、変な写真載せやがって』と逆恨みされるのも嫌ですし)
(そのくせ、口コミで『くっそ不味かった』と書くのは抵抗がないのはなんでだろ。笑)
そもそも撮影時、湯気を見せるために、店員さんがまず置かないような位置に料理を置いて、
撮るときもあります。
それを、さらに湯気が目立つようにレタッチしたり。
外の景色(特に通行人や車両)が不味そうに見える要因になっているときは、
ハイライト上げて白飛びさせることも、レタッチ的行為ですかね。
風景・建物を撮ったときには、気付かなかった(或いは気付いてはいたが排除できない位置にある)ゴミを、消しちゃうことも。
神社仏閣の石碑に刻まれた文字を、読みやすいようにありえないぐらいシャドウを入れてみたり、
シャドウ側とハイライト側で色味を変えたりも、します。
ライティング機材持ってきゃ、レタッチにたよらず現場でもっと良い演出が出来るんでしょうけど、
神社仏閣そのものや他の参拝者に迷惑な話ですから。
おおー面白い話ありがとうございます。まずいのに美味しそうにレタッチというのは何か写真投稿者のサガみたいなものを感じますね。わかる気がします
ホクロが大きくなっている…
悪性黒色腫(メラノーマ)って大きくなってくるんだっけ?だとしたら検査した方がいいかも?
当人や専門家を差し置いて不正確なことを書くのは好まれない世の中でありますw
誰が持ても明らかにレタッチされている作品は逆に嫌われていないきがします。昨今SNSではやってるようなアニメの一場面の様な景色は好意的に受け止められているように感じます。紅葉の色味を調整するようなレタッチしてるかどうか分かりずらい写真が嫌われやすいきがします。
仕事柄私の周りにも、”自称”写真家がいて「レタッチは悪!」と言い続けている人がいます。 私に言わせると、PPを使ってる段階ですでにレタッチなんですよね。なぜそれが理解できないのか。。。と思います。
まあ偉そうな事を言ってる人もしょせん写真を発明した人でも写真の神様でも無いわけで、「お前ごときが言う事が正しいわけないだろ。 勝手に自分ルールを押し付けるな」で終りですが。
動画を見てお化粧と対比して考えちゃいました。私は不自然に見える過剰な化粧は好きでないです。写真も同じです。
でも厚化粧をダメとは言いません。一方で、過剰レタッチの写真はダメって思います。
たぶんこの違いは、動画で仰るように、真実だと信じているかどうかの違いなんだと思います。写真は真実を写していると考えるのが根底にあり(アート分野の人からは間違ってると言われそうですが笑)、異常な色彩だったり、動画で話のあった異常に細い女性を見ると違和感からの不快感が生じるんでしょうね。作者の目標達成も重要ですが、人に見せるものである以上、その不快感が生じない程度に抑えるべきだと思います。
何はともあれ、動画を視聴してレタッチ技術を磨きたいと思うようになりました笑