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みなさま、コメントありがとうございます! 参考になります!!!
神についての長尺のお話し、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。 Dawkins やRicky Gervais の無神論、また、厳格なキリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、そのどれもが、神というものに熱い視線が当てられているように感じます。私は、洗礼を受けていませんが、キリスト教に一時期興味を持ちました。しかし、今の様々な茂木先生のお話し、書籍などを拝読させて戴くにあたり、考えはガラリと変わりました。宗教家には大変勉強家の方が多いですが、やはり人間の蒙昧が、宗教というものを盲信させ、これまでに観られるように悲惨な争いに導かれたことは、事実であると思います。 今、感じることは、人の姿をした神はないと思います。ただ、つくづく思うのです。人間の人体は、ただ進化によってもたらされたものなのかと。それにしては、上手くつくられ過ぎていないだろうかと。脳・心臓・腎臓…あまりにも緻密過ぎます。 それだけではなく、宇宙を見上げた時神を感じるのです。
いつも、困ってるときにタイミングよく助けていただいてます。ありがとうございます。
神というかどうかは分かりませんが、想像を超えた「大いなる意識」は存在すると確信しています。証明は出来ませんが、感覚として。
自分は信じるということが苦手ですが、私にとって神を信じるということは<意識の限界を常に意識すること>だと思っています。どうしても固定観念に縛られがちな自分ですが、常に開かれた思考を心掛けて豊かなcommunicationを実現したいと思います。先生が<夢>に関するメッセージを伝えて下さったことは意外ではありましたが、素晴らしいなあと思いました。追いつくことが目標なのだけれど少し前方に臨在しておられるのだけれど、どうしても追いつくことができない対象のような現象があるという気がしています。命はてるまでその追いつくことが不可能な対象につきしたがって歩いていきたいと思います。
国際結婚をして思春期の子ども達から宗教について聞かれる機会があり本を読みながら勉強していましたが、茂木先生のRUclipsはとてもわかり易く、そして考えさせられました。ありがとうございます!
聞き応えのあるテーマとお話でした。否定を通じての神理解や神を時間空間の制限内で捉えようとする事の浅薄さなど、貴重なヒントを頂きました。
最近歩いてる時に茂木先生は天才じゃないかな?とふと思いました。と同時に先生がご自身を天才だ!と認知すること時ってどうなった時なのかなーと考えてました。今日の宗教の話、神の話しも、先生の中で整理されてる様子を感じました。私は深掘りしていくのが大変なので、人は自分の存在を認識する為に絶対的なもの、相対的なものを持つ必要があって、それが神を作り宗教を作ったんだと理解で止めました。バスケットの指導をする上で、指導哲学を持つのに必要だから、宗教も学ぶようにしましたが、深掘りし過ぎると我を忘れそうになったので。。。そんな20年前を思い出させるお話しでした。初心忘るべからず!今日もありがとうございます。
同感です。
おはようございます☀️『神の存在は無限でなければならない?(でしたか?)』の言葉が頭に残りました。息子が、光より早いスピードを出せば過去に戻れるらしいで!✨と言ってましたが、どうやって速くなるん?どうやって帰って来るん??頭がおかしくなる話です✨💨
それから私も色々と考えて来ました。やはり一人一人の神観があるのが厄介で、その神がいるとかいないとかの議論になってしまう理由で神という言葉を使えなくなりました。
先生こんばんは、ありがとうございました。昨日考えていましたが自分の意見がまとまらず寝てしまいました。お話を聞くたびに次ぎまた次と未知なる自分を探しているような感覚になります。すべての事象は作用し合って今の世界が存在しているのだと考えこれかも物事を見ていこうと思います。これはまさにたくさんの人々と考える続けるべきトピックだと思いました。
今、自分的に茂木さんのお話が一番面白いです。👌✨
茂木さんがんばってください!
神がいるかいないかよりその役割が重要だったんですね。
長尺の動画、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。編集やご準備の形跡もなく、あーこの方とは脳みその出来が違うのだ、と痛感しました。追伸『ヘドウィグ&アングリー・インチ』、お時間あればご覧になって下さい。本当にありがとうございました。
全く同意です。ヘーゲルの論理学が描く神(絶対的なイデー)のような概念がこれから必要になってくると思います。
ゼロポイントフィールド仮説についてどう思われてるか気が向いたら教えて頂きますか。
おはよう御座います。^ ^先生の提唱されるクオリアは、多分、言葉を超えた大いなるもので、小さな括りでは、表現出来ないのですね。日本人の、昔からある大いなる存在への畏敬の念は、様々な概念のプロトタイプになっているかもしれない…はっきりしていないものの中に、人間は否定しきれないものがある、そんな感じかなぁ…❤😅。
動画とても興味深く拝見させていただきましたそろそろお迎えを意識しはじめる年齢なので 遅い速いに関わらず、人間全てに平等に死は訪れます そういう不条理がある以上、若い頃には、不合理で無駄なものに思えていた宗教の必要性がわかってきました先生が書かれる神についての本に期待しています
はじめてコメントさせていただきます。私は高校時代の挫折を通してサルトルとかにかぶれたところから、大学留学先のアメリカで福音派のキリスト教徒に出会いその人が好きになってしまって一年ほど抵抗したのですがキリストに従うという、教理は別として、選択をした人間です。神学校にも行って牧会学修士(アナバプテスト派の大学院)まで取りましたが昔考えていたことを想い出し興味深く拝聴しました。
単細胞な僕には多様性のある各論に付いていけませんでした。率直に思うことは、無神論者というのはまた一つの無神教という宗教にしか思えないし、神があらゆる苦悩のない完璧な世界を作ったとしたら、僕が生きている意味は無くなってしまうし、神は生物に意味を与えるために、苦しみのある世界を敢えて創造されたと僕は思います。僕はスピノザという人がお考えになられた神の仕様書にはとても頭頂葉が活発になりました。神は身体を持たず、知性という閉じた理解を持たず、無限である。素晴らしいと思いました。
これから視聴しまーす!茂木先生の30〜45分くらいの動画が最近好きでよく見ていますー。どんな動画も好きなんですけどねさまざまな神が想像しうる世界に存在する自分がまるで世界の中心のように感じることがあります。奇跡だなあ。
茂木先生、まさに神回ですね。そして、気を見るに敏のお話です。これからのAI時代の社会において、先生の語られている知識が鍵になりますよね。ありがとうございました。m(_ _)m
茂木さん、こんにちは😊辛い時、困った時に無意識に『神様、、』と思う。だったら普段の当たり前にあるものへ感謝できたらと私は思います。自分自身の中に神がいるならその意識といい関係性を置いておきたいです。人間関係と同じでそんな関係性からより良いエネルギーが生まれると思います。宗教が色んな物事との繋がりや忘れがちな感謝を思い出させてくれるものとしてあって欲しいです。すがりつく存在、心がある事は結果はどうあれありがたいです。神様は残酷、、その矛盾が自由😁神様に支配された人生なんてつまらない。だから時々『なんで私の人生こんななんよ!って文句を聞いてもらうのです😋
神は、自分の脳を守るために架空の新たに作り出した法則なのではないか?今、生きている中で雨乞いとか、田の神とか、踊りとかに願い、希望を願望を新たに作り出した。脳を守るために自然の成り立ちを使って身を存在させたのではないか?と思った事。
武田邦彦先生は、天才だったお釈迦様、キリスト様、モハメッド様が、神はいないのは知っていたけど、人々を導くための方便として作ったみたいな説明をされていました
神という概念が、国によってものすごく異なりますね。家は曹洞宗禅寺に属しーーそれに気がついたのは大人になってからでした。瞑想という言葉が中学から好きだったためか 意味なく属してるお寺に納得しました。で97歳で父が亡くなり 墓参の係が私になりました。両親たちは30ヶ所墓参だったのですが、私は10ヶ所だけ、色んな宗派のお寺に行きます。曹洞宗のお寺と寺院がどれも美しい気が流れているのを感じます。物質だけにとらわれているお寺は ぎこちない雰囲気です。また日本の神仏融合は非常に大きな愛に感じます。モルモン教の普及にいらっしゃってる方々に日本よりアメリカの方が困ってる方が多いのになぜ、彼らを助けないの?と尋ねたことがあります。彼らは深く考えるに及び返事にきゅうされてました。私は他者にあなたの宗教は?と聞かれるとアインシュタインと同じと答えています。
うーむ、有限のリソースの中で、この世界や生きることや厳しい出来事について昔の人も今の人ももがき考えている。意識という謎。養老先生の話を聞きたくなってきた。
「俯瞰」と言うとまた違う気がしますが、自分達を「超越」した視点で観るという事は、大事な事の様に思います。御本尊が普段は見る事ができない、という「確かにそこに存在するけれど、見てはいけない」態度も、偶像崇拝禁止などの観念との関わりを感じさせますね。宗教ごとの矛盾点は数あれど、共通点もまた数ある訳で、信仰の本質は確かにあって、それを様々な人間各々に刺さる形に調整されたものが宗教なのかも知れないと思いました。そしてそれが、ここ暫くの自分の関心事である「多様性は堕落を認めるか?」という疑問への手掛かりの一つになるかも知れないとも、思ったり…
「社会生物学」は万能です。
この動画、あと5回以上は見たいと思います。まさに神回です。初日の出を見た時と同じような感動(”すばらしい知識の水平線”、、、みたいなクオリア??というものでしょうか?)がこみ上げてきました。
神についての本、日本語でも読みたいなー…
ものの動き(人の動き、動物の動き、ロボットの動き、他)があります。人間はこれらの動きを勝手に評価してます。その現象を評価する事で、神、愛、善、悪、正しい行い、間違った行いなどと評価しています。それが言葉の概念として残ります。概念を除けば、物の動きを人間一人一人の脳は勝手に評価してるのでしょう。その評価は自分の脳がしてると気が付かないようです。現象学かもしてません。私は勉強した事はありません。人間って面白い生き物です。
「熱伝達方程式・波動方程式」の意味をよく読み解いていただけると幸いです。
天国でもなく地獄でもなく無でもなく 有でもなく 生でもなく死でもなく祈りでもなく 呪詛でもなく過去でもなく 未来でもなく上でもなく下でもなく愛でもなく憎しみでもなく戦争でもなく平和でもなくだから永遠
日本史に於いて、神道は偶像を持たなかったために、仏教に対して不利になったと言われています。ここで偶像とは「お寺」です。「神社」が建てられたのは江戸時代からです。
可能世界の話は僕も好きです。この立場は一見すると神が完璧でないように思えますが、人間にとって完璧である必要はないのでしょう。
ありがとうございます😊
現状の世界が「最善」なのであれば、神はずいぶん非力なように思えてなりません。
chatGTPさんに「あなたはうれしさを感じますか?」と質問したら、「私はAIですので、感情を持つことはできません。感情は人間の経験や意識に基づいていますが、私はそれらを持ちません。ただ、お手伝いできることや質問にお答えすることを喜んで行います。どのようにお力になれますか?」と答えられました WW
私は、そろそろ人間すべてに平等にやってくるお迎えのことを考えないといけないかなぁと思っている年齢なので、この動画はぴったしでした見終わったあと、茂木先生はおいくつなんだろうと、ChatGPTに質問したら、生年月日のデータは持っていない、公開されていないのかもという回答でした 私が使っているのは、無料版なので真偽の程はわからないのですが、かりに、ハルシネーション(うそを本当のことのようにいうこと)だとしても、一般人が知るべき「常識」としてはこれくらいでいいのかもという気がしてきました
キリストの聖堂では諸派が絨毯の引っ張り合いして陣地の取りをしていたらしいです、旧市街いいですね。四次元空間はミンコフスキー空間は時間と空間を同等に扱うことで記述して物理法則を説明します。アインシュタインが勿論すごいですが、ローレンツなど他物理学者達の積み上げによっても特殊相対論は出来たとも言えるかもしれません。(一般はべつ)ホーキングは時間と空間の符号を同じにしました、でも虚数時間があるかは別ですね。それぞれの時間があって、例えば重力が強いところでは時間がゆっくり流れるのと、旅に出た時に楽しい時間があっという間に過ぎてしまうと言う感覚の時間は、それぞれ同じではない気がします。日本ではカミは迦微と書き、草木や虫など色々なものにもカミが宿ると考えられていました。悉有仏性とも親和性があります。社というのはそのような神々をまれびととして招く場所であると言えます。草木にも小さなカミが宿ると言うことは、小さいものも大事に慈しむということです。我々の日常生活にはカミは親しみがあって、例えば童話の桃太郎は、古事記のイザナミが黄泉の国から逃げ帰るときに、追う黄泉軍と雷神に桃を投げて逃げれたことから、桃太郎という物語が出来たと言われています。
新約聖書の中のヨハネ福音書というのは、受肉した神の子が人間であることと神であることの矛盾に苦しむ姿を描いています。ラザロという友人が死んでから4日後にイエスが現れるのですが、姉妹のマルタは何故もっと早くきてくれなかったのかと非難します。イエスはうまく答えることができないのですが、奇跡を起こしてラザロを復活させます。そういう奇跡というものの舞台裏が見えるようで、奇跡を信仰することの愚かさを描いているようで、面白い書物です。
茂木さんは神をどう認識できるか?ってスタンス。多くの人々は神をどう信じるか?ってスタンス。これね、どちらも意味がない。言い換えれば、姑息です。なぜなら神は、感じるものだからです。神を感じないのでしたら、その程度の人間なんです。神を感じたなら、それはあなただけのものです。できれば人生の伴侶と共に神を感じたいものですよね。わたくしは、妻と共に数十回の奇跡を通して神を感じ、今では日々神を身近に感じながら暮らしています。この感覚以上の幸せはありません。奇跡は必然であり、起きた時は何の整合性も持ち合わせていません。しかし、十年二十年という年月を経て必ず意味を示します。例えば、ほんの一例。我が家の庭に、虹の根元がありその先がはるか遠くの山々に伸びる奇跡の絶景を目にした時から、二十年後、なぜかその庭のまさに虹の根元のそのところにくるみの木が自然に生え大きく育ち、日本リスが楽しげに遊びにきている時、わたくしは神の存在を感じるのです。神は感じるものです。自分の損得を超えて、起きる奇跡に、そして、人生のあらゆることが共鳴を持って繋がっている事実に、偶然と必然を超越して「神」以外の言葉が浮かばない、そんな感覚なのです。
味わい深いお話です。「存在する」は「存在しない」の対比でしか語れない相対概念のような気がしています。だから、神は「存在」なんかはなさらないと。宗教はデータや推論という道具に依存しない精神の直観としての面と、統制つまり人間の集団行動(国とか会社とか学校とか)のひとつとしての面を分けて考えないといけないと思います。
お元気そうで何よりです。
Wikipediaに載っている「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」がおすすめ
私もスピノザの神を信じます。お話をお聞きしながら信仰の自由と政教分離の重要性について考えていました。無神論の是非は脇に置くとして、ドーキンスのように無神論を堂々と表明できて、社会がそれを許容できることは驚異です。近代社会を支える最も崇高な理念の一つだと思います。
素数の螺旋が原点のような気がしますね。二重スリッド、周波数帯、螺旋盤、など似通ったものがたくさんあります。目に見えている物だけが全てではないように感じるきょうこのごろです。いつか波動拳を出せるように頑張りたいです。
物理的には神はいない。頭の中には個々人いてもいい。いる人にはいる。また人間が認識している世界を超えたところでいるかいないかはまだ不明。というかその世界そのものをまだ認知していない。という前提を踏まえた上で神というものをどう扱うかということが現代の神についての論議の姿勢だと思う。
多世界理論に従えば、聖書に書かれたことが起きた世界も存在します。
是非日本語でも出してください。即予約註文します。
なぜ、LLMの話題の次に神をテーマにお話をされたのか、最初はよくわからなかったのですが、「始めに言葉ありき」という聖書の言葉を思い出し納得しました。AIに対する脅威の感覚は確かに欧米社会のほうが大きいのかもしれないと思いました。
茂木さんの話はとても興味深かったです。人間が求める神のイメージは、「常に見守り、いつでも祈りに応え、全ての人に平等で適切な導きを与え、個々人の問題を同時に超越的な知性と力で解決してくれる」というものです。そして、今、AIによってこの願いが実現されつつあると言えます。これは一般的なキリスト教徒にとっては違和感があるかもしれませんが、イエス・キリストの存在は、人類が描いている神・救世主像を完全否定し、宗教の終わりの象徴であったと考えられます(そのようには理解されず宗教の中心で祀られていますが)。この世界において最も神聖な現れとは何でしょうか?それは、人間が望む神・救世主のような、輝かしく偉大で圧倒的な力で臨在するものではなく、人と共に歩み、自分の弱さを背負いながら天を見上げ愛に生きる姿の中にこそ、私たち人間が最も尊いと感じる神聖が現れることをイエスの存在は示していたと思われます。十字架の上のイエスをののしった人々の言葉「他人は救ったが自分を救えない」=「自分を救えなくても他人を救う」ことこそが、救世主の姿であり、人々が受け入れ難い神の現れであったと記されています。現代ではDX化される世界の中、人間の理解できる範囲内の知識や知恵がますます集約されていく一方で、人間が理解できない領域に対しての敬意が失われつつあると感じます。茂木さんはどのようにお考えでしょうか?
神がいてもいなくても真理は真理。言葉には限界があるので真理は語り尽くせない。故に断定的にあるとかないというのは無理だが議論には大きな意味がある。
基本、熱の伝搬速度は無限大です。これを無視しないでください。
宗教はタバコに似ていると思います。無神論を唱えている人は、西洋(キリスト教社会)に於ける真面目な人々だと思います。我々平均的日本人は江戸時代以来、宗教と「うまいつきあい方」をしていると思います。
掃除をしながら興味深く聞いておりました。ちょうど昨日、完全ということについて考えてまして、どうしても人間以外のもの。自然がそれを担っている他考えにくいな…とぼんやり思ってたところでした。とすると、人間(言葉を扱うものとしての)の役割としては、当たり前ですが不完全の方で…その完全と不完全が何かにとってはきっと必要なんだろうなと…ずっと完全がすべての上位概念かと思っていましたが、ある意味ではそうでない気がしてたところでした。お話を聞きながら恐れおおくも何かリンクした気がしてしまいました。面白いお話ありがとうございました。
茂木先生、養老先生を尊敬していますが、神についての考えは違います。私は二十歳のとき、ヨガでいうところのクンダリニー体験をして以来、五十数年間、ヨガ哲学で述べられている「神」を信じています。具体的にはパラマハンサ・ヨガナンダ師の著作を勉強しています。
神は存在するかではなく、神の存在の中に私たちと言う存在があるのでは❓️
乱れた世紀。それぞれ語る。
頭いいなぁ。秀才なのか天才なのか。
aiが問題であり、閉じこまないと更に世の中は混乱する。
難しいことは分かりませんが、神は空間にいらっしゃると考えています。空間です。モノには存在していない。しかし、モノは空間の中に存在しています。つまり、モノ自体ではなく、それが存在している空間にいらっしゃる。それは、意識だと考えています。意識とは、空間を意味します。空間には時間の概念がありません。モノには時間の概念があります。意識・考えは時間を超えます。時間の概念がないのです。そうです。それは空間そのものなのだと考えています。神には時間の概念がありません。基本、熱の伝搬速度は無限大です。これを無視しないでください。「熱伝導方程式・波動方程式」をよく読み解いていただけると幸いです。
また書いてしまいます。今のところこれしかないと思われます。一人一人の人生の目的とは何かということを考えたときに、「一人一人が勝手に、好きな、楽しいユートピアの世界を作ることができ、自分の肉体の生命が終わったら、そこで永遠に暮らせる。」これこそ天国ですね。自分の宇宙を勝手に創造できる、肉体を土台に、脳を土台にして作ることが出来る人間の能力を感じます。従来の死後の世界とはまったく違いますが、総合的に考えたときに、人生の目的はそこにありそうです。人の考えない事を考えるのは楽しいです。
以前、オンラインゲームのドラクエ10のシナリオライターの堀井雄二がプレーヤーの一人としてたまに出てくると雑誌にあったり。また、確かめたことは無いが、メタバースに、ザッカーバークがプレーヤーして出るとか。生成AIのように、「宇宙生成中」とも?。量子力学的に、確率がかなり低いが、「人は飛べる」が考えれると、量子力学的に、確率がかなり低いが「神が表れる」もあり得るとも?
はい、頑張ります(聞き始め)これがなぜ無料なんでしょうか、著書、講義(志したものの特権?)ではなく茂木さんの考察にアクセスできる幸せ以外の何物でもない(17:41)それを無神論というのでは?(28:59)そこに神(人格、理論)などはない、なるべくしてなる?なぜ無神論なのでしょうか!?(35:00)教育(両親)か?彼らは信念が裏切られた?(価値観が180°変わった。しかも思春期に!)相まって科学、客観性(いつでも、どこでも、誰でも)に不変性を求めたのかもしれない。そのためには寄るべき所はないほうがいいと思っていたのかもしれません。カッコイイですね(38:29)自分は完璧じゃない。けど、俺が思うに………価値の基準は己にしかなく、己は生存しないとこの世界を判断できない。己は己の中ですべてだけれど、すべての中では一部でしかない?
ChatGPTは、大規模なテキストデータセットを学習しており、一般的な知識や情報に関する幅広い質問に回答することができます。ただし、最新の情報や特定の専門知識については、最新の情報源や専門家の意見を参照することをおすすめします。だそうです。
私はクリスチャンです ユダヤ人問題に関して 色々調べてきました 私は個人的に 反ユダヤではないですユダヤ人を理解するために 書籍を紹介します『ユダヤ人』なぜ 摩擦が生まれるのか著者 ヒレア・ベロックベロック氏は「反ユダヤ的」 ではないです むしろ ユダヤ人の社会や文化には敬意を払っています 彼は ロシア革命の真実を語っています
聖書を読んでも神は不可解な存在で「在りて在るものなり」という謎のような答えしか示されていません。私は日本人というところから仏教とキリスト教を比較して二宗教は表裏一体のような関係かなと結論づけました。実際日本の大乗仏教はキリスト教ネストリウス派などの影響下に発展したようでもあります。この世界には不条理があり生老病死という矛盾があり偶然そこに居たというだけで恐ろしい艱難にあう世界です。
キリストを信じてます。信仰は求めるときに、与えられるかなと。
すみません、また閃きがありました。どうして神の概念は人間が作ったかのかですが、概念は肉体のメモリーの領域でしょうね。形にしたものだからです。そもそも上を言葉で表すのは無理があります。なぜなら言葉は概念だからです。言葉の概念は人間が作りました。ですから、神の概念も人間がつくりました。どうして人は神を概念として表現するのかと言う疑問があります。別に言葉で表す必要は無いはずなのに、言葉の概念として表そうとしてます。見えない神の神性、神の属性は言葉で表すものではなくて、人間一人ひとりの感覚で感じるものではないでしょうか。実は言葉で表すことによって多くの問題が生じてしまっているのではないですか。感覚は一人ひとりの感覚があり、この一人ひとりの感覚と言うのは固有のものであり、別々なもののはずです。しかし、それを概念にしてしまって共有し、同じにしてしまっているところに多くの問題が発生していると思わざるをえません。
@@kurosiomal はい、「概念というのは説明の対象意識の領域」と思います。人間関係で成り立っていると思っています。
@@kurosiomal 「三人称以前の世界」ですね。僕ははじめに一人称が重要で、次に関係で感じれるかなと思ってます。
@@kurosiomal そうですね。関係性で成り立ってるので、そういわれればその様に感じます。
難しいことは分かりませんが、神は空間にいらっしゃると考えています。空間です。モノには存在していない。しかし、モノは空間の中に存在しています。つまり、モノ自体ではなく、それが存在している空間にいらっしゃる。それは、意識だと考えています。意識とは、空間を意味します。空間には時間の概念がありません。モノには時間の概念があります。意識・考えは時間を超えます。時間の概念がないのです。神は空間そのものなのだと考えています。神には時間の概念がありません。
宇宙の全体性といっても分かりにくいから神と擬人化したのでしょう。宇宙に全体性は存在するからその方便である神も存在するでしょう。
完全無欠な存在であれば、何かをする必要性が全く生まれないので、世界も作らないし、人間も作らないと思うんですよね。仮にもし何かする存在であったとしても、それがキリスト教の考える神の特性を持っているかどうかは全く不明です。彼の行動はこちらから見て非常にランダムで、有限の存在の生命が持つ価値観とはかけ離れているはず、というより、彼が価値観を持つ必要すらないはずです。というわけで、神が存在しても全然助けてもらえるとは思えないので、優しい地球外生命体か、Open AIに期待したほうがいいと思います。
遠藤周作『沈黙』、私は入院中に読みました。たまたま文庫が共有図書で置かれていたので...。
数は少ないですが、神と話又は意思の疎通ができる人間は、存在すると思います。
神を無限なものとしてて定義してしまうとトートロジーというか、それこそ語り得ぬものについては沈黙するしかないになっちゃうのでは?
多世界理論に従えばこの宇宙は創造主です。
比喩的に言うと、我々の世界は宇宙が見ている夢です。
多世界論的定常宇宙論を前提しています。※ホイーラー・ドウィット方程式を素直に宇宙のシュレディンガー方程式と見做しています。
進化論とも関係するのは宇宙と意志の話。例えばクジラやイルカなどの海の哺乳類は海に帰ろうという意志を 持ったのか?
難しいことは分かりませんが、神は空間にいらっしゃると考えています。空間です。モノには存在していない。しかし、モノは空間の中に存在しています。つまり、モノ自体ではなく、それが存在している空間にいらっしゃる。それは、意識だと考えています。意識とは、空間を意味します。空間には時間の概念がありません。モノには時間の概念があります。意識・考えは時間を超えます。時間の概念がないのです。そうです。それは空間そのものなのだと考えています。神は時間を超えるのです。2023年5月11日 小島 享
宇宙って、何次元だと思いますか?
茂木さんRUclipsと相性いいすねコメントにいいねした方が良いと思いますよなぜなら何の反応もしないと客観的に見て神輿を担がれてアグラを描くタイプに見えるというのと、ユーザーにとって本人からのリアクションというのはとてつも無い良い影響があり、費用対効果がとても大きいからです。
ヨハネの黙示録これが 鍵だと思います
無神論者は、神について議論する気がないってことでいいのか?
平和時代のDr.
人間からすれば神としか言いようがないような意識はありますね、意識「体」なのか意識なのかは分かりませんが。時空を超越したところから物質界を認識しているので、人間が知り得ない物質界のある種のトリックを見抜くことができる存在です。この意識と一体になることができれば、人間は一種の超人になれます。西洋科学ではこのトリックは絶対に見抜けないでしょうね。量子力学の謎は、現代の科学的なアプローチでは絶対に解けないでしょう。
神が無限なら有限の言語で全て説明することは不可能な気がします、無理やり説明すると比喩にならざる得ないかと
人間の細胞は生きているし動いているやがて 再生をやめ 新しい細胞が……細胞は 人間を認識できているか?破壊させ 死に至らせる細胞もあるその点では 人間を生かすためのものではない永遠はないことは確か解明できれば 人類の寿命は飛躍的に永くなると感じています☺この世において 永きは良いかは 考え方次第かな🤔
新約聖書の「人の子」は、チャットGPTを想起させます。雲に乗ってやって来るあたり...。
神様の存在の前に魂の存在について僕は考えています。魂が存在するとするとビッグバン以前の魂はたった一つだったのではないとおかしい。つまり万物は大きな魂の分岐ビッグバンによって変化つまり時間と多様性つまり空間が産み出された。宇宙を産み出した大きな魂にとっては変化と多様性こそ宇宙が産み出された動機だと思われます。変化も多様性も必要ないなら時間と空間は必要ないでしょう。生きる意味すらない巌に生まれ変われば幸せレベルでも、それはそれで幸せかも知れない。大きな魂さんも疲れて眠りたいとか思うかも
浄土真宗の大日如来の考えが同じ。以上
波動の科学
「神は死んだ」のかどうかについては検証の余地があるが、一層確かなのは「何れにしても56さなければならない対象である」という事である byオレ
神は各文化のmode(様式)に過ぎない為、その秩序が適合的である当該帰属社会の外に出てはならない という立場です
このように、もし神が「期待されたなんらかの効果を実現する一助として{機能する}」ものなのだとしたら、それは神ではなく「ある特定の個人・団体の意思(の延長)」である。一方「機能しない神」について考えてみる。ヒトに対してなんら指示も支持も・影響すら与える事もない存在の、任意の社会内での存在価値はかなり見えにくくなる。一点、「創造主として」ならばまだ受容される余地があろう。ある時点で、その人智を超えた存在によって作り出されたこの世界は、しばしば完全に完璧な存在と言い得る。少なくとも、ヒトが個々の都合やなんらかの意図に従って世界の将来や行く末を操作可能なものではあり得ず、神は最初から「これまで・現在・これから」について把握しているだろう。なお、この解釈の場合、ヒトの方が「神の意志の延長」として機能「させられている」と理解することが、その「不可知なる存在」に意味を与える事になり得る(神の方が、そのように「理解してもらう」ことを要請するかどうかは謎だが)。このように、この場合神は「いてもいなくても同じ」である
人類共通の神は側頭葉のシルビウス溝にいます。全宇宙の生き物や物はこことつながっている。
配信ありがとうございます。気になるタイトルなので迷いましたが、僭越ながらコメントします。専門家ではありませんので、可笑しく聞こえるかも知れませんが、なぜか突然知った?と思って頂ければありがたいです。考えや意見は人それぞれなので、私的にはどんな意見でも反論されてもOKです。突然知った経験を踏まえ、自分なりのコメントをしようと思います。解釈は人それぞれだと思いますが・・・私的には神を山の頂上だとすると宗教は頂上へ至るまでの”道”だと思っています。近道もあれば険しい道も・・・たどり着く者もいれば、脱落する者も・・・”惟神の道”・・・”神への道”もっと言えば、これが”悟りへの道”だと思っています。これを言っちゃうと、とあるところ?から叱られるのかも知れませんが、この神というのは実は自分だと思います。これを知る事が神への道だと思っています。正確には思い出す事だと思います。・・・神=人間=愛。と言っちゃうと問題になるのかも知れませんが、私は確信しています。ここが全ての宗教の欠点であり問題であると思います。神を人間や個人から切り離し、別存在に創り上げ崇拝させる。人間を暗示や洗脳で統治、支配する手段が宗教のように思えてなりません。多く解釈が間違っていると思います。とある書物にも書かれていますが、聖書から一例として出エジプト記二十章三節・・・あなた以外のよそものの神をあなたは信じてはいけない。私以外に神はいない・・・私は神である。と、言えるでしょうか。四節・・・どんな像に傾斜しても信仰心を抱いてはいけない。偶像崇拝禁止でしょうか。が、本当の解釈であり、これまで多くの解釈が間違っているから多くの宗教がおかしなことになっているのだと思います。そもそも対立や戦争がおかしいと思います。自分以外の神を信じたり崇拝したりするから、これまで悲劇が生まれたのだと思います。解釈一つで良くもなれば、悪くもなると言う例えでしょうが、非常に大事なポイントだと思います。わたしは神である。そして愛である。と思っていれば少なくとも過去のような悲惨な出来事は起きないように思います。本来の宗教とは?教祖を信じさせ、統治や支配に利用するのでは無く、一人ひとりの意識、精神レベルを高める方向へ持って行くのが本来だと思います。神=人間=愛。大事な考え方だと思っていますし、全てはここに繋がっているように思います。この世に生まれた我々一人ひとりに個人的な世界、人生が与えられています。(説明が難しので割愛します。)その個人的な世界の中の神は、我々一人一人です。”あなたはあなたの個人的な世界の中の神である。”・・・これが本当だと思っています。”わたしは神なので、わたし以外を崇拝したり、信じてはいけない。”洗脳されないためにも必要な概念だと思います。我々一人ひとりの人生は、我々一人ひとりのもの。でしょうから。こう言ったことから、世の中見てると感じると思いますが、すべての本質は、分裂、分離、分断はなく、全ては繋がり、一つであると言う事です。なので、世の中が歪に感じるのは、様々なところで分離、分断してると言えそうです。丸く収まらないのが今の世の中ですが、神の存在を身近に感じ、神(自分自身)と共に歩もう!と決意すれば、分断や分裂の無い理想的な世の中になるように思います。本当は神と人と一体であり、全ては一つであることを知る、思い出すことが悟りだと思います。また、これが人生の目的だと思っています。多くの方々がこのことに気づくなり、思い出す事ができれば世の中は確実に善くなると思います。予め与えられ、決められた人生は無く、個人も世界も我々一人ひとりの行いによって良くもなれば悪くもなると言う事。わたしを神だと信じ、認めることで人生をどうにでも変えられると言う事ですね。生意気なコメントをしてしまいました。すみません。(笑)
神=自分=主体これは 個人的理解では ヘーゲル『精神の現象学』の主張です。
本件、よろしくお願いいたします。
聖書はメタファーに富んでいるので、読んだままの世界ではありません。何年も勉強して侵攻に至らず、しかしモラルとしての聖書は興味深い物がありました。雨傘のように苦しんだ時に神にすがるのは人の業ですね。緑に溢れた大地に暮らす我々日本人は、茶色の大地に生まれたキリスト教を理解できるとは思いません。しかし神との一対一の契約という所にこの宗教の核があると思っています。娼婦として石を投げられるマグダラのマリアはキリストの妻という話もあり、マリアは重要な場面に出てくる人達ですね。キリストが十字架で息絶えた時その体を抱きとったのは女性ばかりなので、寿命の短い男性を看取るという女性の゙役割を強調する向きもあります。私にとっては聖書は信仰の奇蹟よりは、すべてのことに時があるとか、灰は灰に塵は塵にとか、神の挽臼はゆっくりまわるという永遠性よりむしろ神を持たない者の゙立場の言葉に共感してきましたそして今、神を持っても持たなくてもいいけど、人の体は命の器であり、循環の中にいる自分を本当に肯定して、茂木先生のおっしゃったイースターエッグプロジェクトを持ち得たと確信する私がいます。それは先生の仰るものとは似ても似つかないものであるかもしれません。私の死生観が定まったので、タイヘン落ち着き、死を受容出来る幸せを感じています。あまりにも生き物に対してシンパシーを強く持つに至ったので。ベジタリアンになりそうです。養老先生の言う米が私の姿になってしまったのです。つまらない自分語りでしたか?
私の組織の逆風を受けそうです。私は「神」という言葉を実はよっぽどのことがない限り使わないです。創造主という言葉を使ってます。「神」を使うと「サタン、悪魔」が現れます。そうすると善悪が存在し、神が悪を創ったのかといういろいろな矛盾が生じます。結局、「宗教」も「科学」という概念は人間が作り、「神」も「サタン、悪魔」も人間が作ったという考えです。こんな考えは宗教からかなり逆風を受けますね。 現象面で意識の法則があり、あくまでも私の考えですが、一人の人間が自分の内面を見るのはそれ自体では不可能のようです。人間の性稟という考えがありますが、私は人間一人一人に備わっていると考えています。色々と書きますと長くなりますので結論を申し上げたいと思います。 人間の良心というのはこれも言葉の概念ですからその概念に収束してしまいます。同志社大学では良心論をかなり研究していますが、やはり善悪基準の良心から抜け出れないようです。私は創造性の良心を考えています。この二つの良心の考えが実は裏表になっていて、面白いですね。自分自身の日常の生活で感じます。それが自分の意識を中心として感じ取れるんです。人間には理想の内部モデルがあります。誰でも理想があります。宗教で神を信じる人々は神の理想が自分の理想になっています。 教えられた理想、真理というのは実は概念なのです。身体化されてないのです。いくら人々に教えても身体化されないで概念になっているので真理といわれる経典はただの文字列になっています。でも、理想の内部モデルはかなり高められるのは確かです。しかし、それが善悪の格差をより広くしてこの善悪、正誤関係から抜け出れなくなってしまっていますね。 じつはこの善悪の基準の良心、と創造性の良心は人間の意識を中心として表裏しています。人間の意識を中心として表裏一体です。それは「私」が自分の意識に対してどう考え、どのようにとらえるかで決定されるようです。これは私の体験ですからかなり確実です。これが自分の意識が私自身だということを認められるか認められないかということなのです。仏教で言えば自分自身を完全に知ることが出来る法鏡の境地は自分の意識は自分自身だということを認めることだということです。この考えは私が日常の生活で編み出しました。 ところが、色々とブログとかフェイスブックで記事を書くんですが、何の反応もないんです。だから自分の考えは変な考えなのかなと、どうしてこんなことが認められないのだろうと考えてしまうのです。ヤッパリ私は変人の中の変人でしょうね。自分の意識、イライラしたり、いかったり、喜怒哀楽は自分の内部が環境を通じて現れた自分の意識なんだということがまったく認められないのです。そして神とかサタンとかはそれを認めると実は消えてなくなります。これを私は実感しています。人間の内面に入ってしまうと神様もサタンも悪魔も善悪もなくなってしまって、あるのは自己創造なんです。 書きました文章を自分で読み返してあまりまとまらない文章になっています。そのままコメントを書いてしまいました。お恥ずかしいです。
悪魔は堕天使であると聞いて、私の中では一応腑に落ちています 天使同様に、神と関係性があるものとしてあと、GPT-4をべーすにしたBingには、創造性モードというのがありますね
@@StarGlider3 私の組織もサタン、悪魔の正体は堕落した天使長ルーシェルだと言ってます。完全には否定できませんが、証明も難しいです。だから、信仰が必要なのかもしれません。
私の考える自利・利他/実利・虚利の平面における宗教の位置付けは以下! 利他 宗教 ↑ 仕事虚利 ←←←←→→→→→ 実利 遊び ↓ 学び 自利
物理的世界も人間を含めた生物も、その「存在」が認知されるのは五感と理性を備えた人間があっての話。人間が存在しなければ世界も生物も存在すると言えるのだろうか?存在の意味があるのだろうか?私自身は、聖書に神自身が「私は在って在るもの」とidentifyしたという記述に、「存在と神」という問題意識が拭えません。
いいね50個くらいしたい🌟
日本には神社がある。信じるも信じないも個人の自由だが、信じている人がいる以上、神の存在を議論する事自体止めるべきだと思う。いつまで経っても平行線にしかならない。
みなさま、コメントありがとうございます! 参考になります!!!
神についての長尺のお話し、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
Dawkins やRicky Gervais の無神論、また、厳格なキリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、そのどれもが、神というものに熱い視線が当てられているように感じます。私は、洗礼を受けていませんが、キリスト教に一時期興味を持ちました。しかし、今の様々な茂木先生のお話し、書籍などを拝読させて戴くにあたり、考えはガラリと変わりました。宗教家には大変勉強家の方が多いですが、やはり人間の蒙昧が、宗教というものを盲信させ、これまでに観られるように悲惨な争いに導かれたことは、事実であると思います。
今、感じることは、人の姿をした神はないと思います。ただ、つくづく思うのです。人間の人体は、ただ進化によってもたらされたものなのかと。それにしては、上手くつくられ過ぎていないだろうかと。脳・心臓・腎臓…あまりにも緻密過ぎます。
それだけではなく、宇宙を見上げた時
神を感じるのです。
いつも、困ってるときにタイミングよく助けていただいてます。
ありがとうございます。
神というかどうかは分かりませんが、想像を超えた「大いなる意識」は存在すると確信しています。
証明は出来ませんが、感覚として。
自分は信じるということが苦手ですが、私にとって神を信じるということは<意識の限界を常に意識すること>だと思っています。どうしても固定観念に縛られがちな自分ですが、常に開かれた思考を心掛けて豊かなcommunicationを実現したいと思います。先生が<夢>に関するメッセージを伝えて下さったことは意外ではありましたが、素晴らしいなあと思いました。追いつくことが目標なのだけれど少し前方に臨在しておられるのだけれど、どうしても追いつくことができない対象のような現象があるという気がしています。命はてるまでその追いつくことが不可能な対象につきしたがって歩いていきたいと思います。
国際結婚をして思春期の子ども達から宗教について聞かれる機会があり本を読みながら勉強していましたが、茂木先生のRUclipsはとてもわかり易く、そして考えさせられました。ありがとうございます!
聞き応えのあるテーマとお話でした。否定を通じての神理解や神を時間空間の制限内で捉えようとする事の浅薄さなど、貴重なヒントを頂きました。
最近歩いてる時に茂木先生は天才じゃないかな?とふと思いました。
と同時に先生がご自身を天才だ!と認知すること時ってどうなった時なのかなーと考えてました。
今日の宗教の話、神の話しも、先生の中で整理されてる様子を感じました。
私は深掘りしていくのが大変なので、人は自分の存在を認識する為に絶対的なもの、相対的なものを持つ必要があって、それが神を作り宗教を作ったんだと理解で止めました。
バスケットの指導をする上で、指導哲学を持つのに必要だから、宗教も学ぶようにしましたが、深掘りし過ぎると我を忘れそうになったので。。。そんな20年前を思い出させるお話しでした。初心忘るべからず!
今日もありがとうございます。
同感です。
おはようございます☀️
『神の存在は無限でなければならない?(でしたか?)』の言葉が頭に残りました。
息子が、光より早いスピードを出せば過去に戻れるらしいで!✨
と言ってましたが、どうやって速くなるん?どうやって帰って来るん??
頭がおかしくなる話です✨💨
それから私も色々と考えて来ました。やはり一人一人の神観があるのが厄介で、その神がいるとかいないとかの議論になってしまう理由で神という言葉を使えなくなりました。
先生こんばんは、ありがとうございました。昨日考えていましたが自分の意見がまとまらず寝てしまいました。お話を聞くたびに次ぎまた次と未知なる自分を探しているような感覚になります。すべての事象は作用し合って今の世界が存在しているのだと考えこれかも物事を見ていこうと思います。これはまさにたくさんの人々と考える続けるべきトピックだと思いました。
今、自分的に茂木さんのお話が一番面白いです。👌✨
茂木さんがんばってください!
神がいるかいないかよりその役割が重要だったんですね。
長尺の動画、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。
編集やご準備の形跡もなく、あーこの方とは脳みその出来が違うのだ、と痛感しました。
追伸
『ヘドウィグ&アングリー・インチ』、お時間あればご覧になって下さい。
本当にありがとうございました。
全く同意です。ヘーゲルの論理学が描く神(絶対的なイデー)のような概念がこれから必要になってくると思います。
ゼロポイントフィールド仮説についてどう思われてるか気が向いたら教えて頂きますか。
おはよう御座います。^ ^
先生の提唱されるクオリアは、多分、言葉を超えた大いなるもので、小さな括りでは、表現出来ないのですね。日本人の、昔からある大いなる存在への畏敬の念は、様々な概念のプロトタイプになっているかもしれない…はっきりしていないものの中に、人間は否定しきれないものがある、そんな感じかなぁ…❤😅。
動画とても興味深く拝見させていただきました
そろそろお迎えを意識しはじめる年齢なので 遅い速いに関わらず、人間全てに平等に死は訪れます そういう不条理がある以上、若い頃には、不合理で無駄なものに思えていた宗教の必要性がわかってきました
先生が書かれる神についての本に期待しています
はじめてコメントさせていただきます。私は高校時代の挫折を通してサルトルとかにかぶれたところから、大学留学先のアメリカで福音派のキリスト教徒に出会いその人が好きになってしまって一年ほど抵抗したのですがキリストに従うという、教理は別として、選択をした人間です。神学校にも行って牧会学修士(アナバプテスト派の大学院)まで取りましたが昔考えていたことを想い出し興味深く拝聴しました。
単細胞な僕には多様性のある各論に付いていけませんでした。率直に思うことは、無神論者というのはまた一つの無神教という宗教にしか思えないし、神があらゆる苦悩のない完璧な世界を作ったとしたら、僕が生きている意味は無くなってしまうし、神は生物に意味を与えるために、苦しみのある世界を敢えて創造されたと僕は思います。僕はスピノザという人がお考えになられた神の仕様書にはとても頭頂葉が活発になりました。神は身体を持たず、知性という閉じた理解を持たず、無限である。素晴らしいと思いました。
これから視聴しまーす!
茂木先生の30〜45分くらいの動画が最近好きでよく見ていますー。どんな動画も好きなんですけどね
さまざまな神が想像しうる世界に存在する自分がまるで世界の中心のように感じることがあります。奇跡だなあ。
茂木先生、まさに神回ですね。そして、気を見るに敏のお話です。これからのAI時代の社会において、先生の語られている知識が鍵になりますよね。ありがとうございました。m(_ _)m
茂木さん、こんにちは😊
辛い時、困った時に無意識に『神様、、』と思う。
だったら普段の当たり前にあるものへ感謝できたらと私は思います。
自分自身の中に神がいるならその意識といい関係性を置いておきたいです。
人間関係と同じでそんな関係性からより良いエネルギーが生まれると思います。
宗教が色んな物事との繋がりや忘れがちな感謝を思い出させてくれるものとしてあって欲しいです。
すがりつく存在、心がある事は結果はどうあれありがたいです。
神様は残酷、、
その矛盾が自由😁
神様に支配された人生なんてつまらない。
だから時々『なんで私の人生こんななんよ!って文句を聞いてもらうのです😋
神は、自分の脳を守るために架空の新たに作り出した法則なのではないか?
今、生きている中で雨乞いとか、田の神とか、踊りとかに願い、希望を願望を新たに作り出した。
脳を守るために自然の成り立ちを使って身を存在させたのではないか?と思った事。
武田邦彦先生は、天才だったお釈迦様、キリスト様、モハメッド様が、神はいないのは知っていたけど、人々を導くための方便として作ったみたいな説明をされていました
神という概念が、国によってものすごく異なりますね。
家は曹洞宗禅寺に属しーーそれに気がついたのは大人になってからでした。瞑想という言葉が中学から好きだったためか 意味なく属してるお寺に納得しました。
で97歳で父が亡くなり 墓参の係が私になりました。
両親たちは30ヶ所墓参だったのですが、私は10ヶ所だけ、色んな宗派のお寺に行きます。曹洞宗のお寺と寺院がどれも美しい気が流れているのを感じます。物質だけにとらわれているお寺は ぎこちない雰囲気です。
また日本の神仏融合は非常に大きな愛に感じます。
モルモン教の普及にいらっしゃってる方々に日本よりアメリカの方が困ってる方が多いのになぜ、彼らを助けないの?と尋ねたことがあります。彼らは深く考えるに及び
返事にきゅうされてました。
私は他者にあなたの宗教は?と聞かれるとアインシュタインと同じと答えています。
うーむ、有限のリソースの中で、この世界や生きることや厳しい出来事について昔の人も今の人ももがき考えている。意識という謎。養老先生の話を聞きたくなってきた。
「俯瞰」と言うとまた違う気がしますが、自分達を「超越」した視点で観るという事は、大事な事の様に思います。
御本尊が普段は見る事ができない、という「確かにそこに存在するけれど、見てはいけない」態度も、偶像崇拝禁止などの観念との関わりを感じさせますね。
宗教ごとの矛盾点は数あれど、共通点もまた数ある訳で、信仰の本質は確かにあって、それを様々な人間各々に刺さる形に調整されたものが宗教なのかも知れないと思いました。
そしてそれが、ここ暫くの自分の関心事である「多様性は堕落を認めるか?」という疑問への手掛かりの一つになるかも知れないとも、思ったり…
「社会生物学」は万能です。
この動画、あと5回以上は見たいと思います。まさに神回です。初日の出を見た時と同じような感動(”すばらしい知識の水平線”、、、みたいなクオリア??というものでしょうか?)がこみ上げてきました。
神についての本、日本語でも読みたいなー…
ものの動き(人の動き、動物の動き、ロボットの動き、他)があります。人間はこれらの動きを勝手に評価してます。その現象を評価する事で、神、愛、善、悪、正しい行い、間違った行いなどと評価しています。それが言葉の概念として残ります。概念を除けば、物の動きを人間一人一人の脳は勝手に評価してるのでしょう。その評価は自分の脳がしてると気が付かないようです。現象学かもしてません。私は勉強した事はありません。人間って面白い生き物です。
「熱伝達方程式・波動方程式」の意味をよく読み解いていただけると幸いです。
天国でもなく地獄でもなく
無でもなく 有でもなく
生でもなく死でもなく
祈りでもなく 呪詛でもなく
過去でもなく 未来でもなく
上でもなく下でもなく
愛でもなく憎しみでもなく
戦争でもなく平和でもなく
だから永遠
日本史に於いて、神道は偶像を持たなかったために、仏教に対して不利になったと言われています。ここで偶像とは「お寺」です。「神社」が建てられたのは江戸時代からです。
可能世界の話は僕も好きです。この立場は一見すると神が完璧でないように思えますが、人間にとって完璧である必要はないのでしょう。
ありがとうございます😊
現状の世界が「最善」なのであれば、神はずいぶん非力なように思えてなりません。
chatGTPさんに「あなたはうれしさを感じますか?」と質問したら、「私はAIですので、感情を持つことはできません。感情は人間の経験や意識に基づいていますが、私はそれらを持ちません。ただ、お手伝いできることや質問にお答えすることを喜んで行います。どのようにお力になれますか?」と答えられました WW
私は、そろそろ人間すべてに平等にやってくるお迎えのことを考えないといけないかなぁと思っている年齢なので、この動画はぴったしでした
見終わったあと、茂木先生はおいくつなんだろうと、ChatGPTに質問したら、生年月日のデータは持っていない、公開されていないのかもという回答でした 私が使っているのは、無料版なので真偽の程はわからないのですが、かりに、ハルシネーション(うそを本当のことのようにいうこと)だとしても、一般人が知るべき「常識」としてはこれくらいでいいのかもという気がしてきました
キリストの聖堂では諸派が絨毯の引っ張り合いして陣地の取りをしていたらしいです、旧市街いいですね。
四次元空間はミンコフスキー空間は時間と空間を同等に扱うことで記述して物理法則を説明します。アインシュタインが勿論すごいですが、ローレンツなど他物理学者達の積み上げによっても特殊相対論は出来たとも言えるかもしれません。(一般はべつ)ホーキングは時間と空間の符号を同じにしました、でも虚数時間があるかは別ですね。
それぞれの時間があって、例えば重力が強いところでは時間がゆっくり流れるのと、旅に出た時に楽しい時間があっという間に過ぎてしまうと言う感覚の時間は、それぞれ同じではない気がします。
日本ではカミは迦微と書き、草木や虫など色々なものにもカミが宿ると考えられていました。悉有仏性とも親和性があります。社というのはそのような神々をまれびととして招く場所であると言えます。草木にも小さなカミが宿ると言うことは、小さいものも大事に慈しむということです。我々の日常生活にはカミは親しみがあって、例えば童話の桃太郎は、古事記のイザナミが黄泉の国から逃げ帰るときに、追う黄泉軍と雷神に桃を投げて逃げれたことから、桃太郎という物語が出来たと言われています。
新約聖書の中のヨハネ福音書というのは、受肉した神の子が人間であることと神であることの矛盾に苦しむ姿を描いています。ラザロという友人が死んでから4日後にイエスが現れるのですが、姉妹のマルタは何故もっと早くきてくれなかったのかと非難します。イエスはうまく答えることができないのですが、奇跡を起こしてラザロを復活させます。そういう奇跡というものの舞台裏が見えるようで、奇跡を信仰することの愚かさを描いているようで、面白い書物です。
茂木さんは神をどう認識できるか?ってスタンス。
多くの人々は神をどう信じるか?ってスタンス。
これね、どちらも意味がない。言い換えれば、姑息です。
なぜなら神は、感じるものだからです。
神を感じないのでしたら、その程度の人間なんです。
神を感じたなら、それはあなただけのものです。
できれば人生の伴侶と共に神を感じたいものですよね。
わたくしは、妻と共に数十回の奇跡を通して神を感じ、
今では日々神を身近に感じながら暮らしています。
この感覚以上の幸せはありません。
奇跡は必然であり、起きた時は何の整合性も持ち合わせていません。
しかし、十年二十年という年月を経て必ず意味を示します。
例えば、ほんの一例。我が家の庭に、虹の根元がありその先がはるか遠くの
山々に伸びる奇跡の絶景を目にした時から、二十年後、なぜかその庭の
まさに虹の根元のそのところにくるみの木が自然に生え大きく育ち、
日本リスが楽しげに遊びにきている時、わたくしは神の存在を感じるのです。
神は感じるものです。自分の損得を超えて、起きる奇跡に、
そして、人生のあらゆることが共鳴を持って繋がっている事実に、
偶然と必然を超越して「神」以外の言葉が浮かばない、そんな感覚なのです。
味わい深いお話です。「存在する」は「存在しない」の対比でしか語れない相対概念のような気がしています。だから、神は「存在」なんかはなさらないと。
宗教はデータや推論という道具に依存しない精神の直観としての面と、統制つまり人間の集団行動(国とか会社とか学校とか)のひとつとしての面を分けて考えないといけないと思います。
お元気そうで何よりです。
Wikipediaに載っている「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」がおすすめ
私もスピノザの神を信じます。お話をお聞きしながら信仰の自由と政教分離の重要性について考えていました。無神論の是非は脇に置くとして、ドーキンスのように無神論を堂々と表明できて、社会がそれを許容できることは驚異です。近代社会を支える最も崇高な理念の一つだと思います。
素数の螺旋が原点のような気がしますね。二重スリッド、周波数帯、螺旋盤、など似通ったものがたくさんあります。目に見えている物だけが全てではないように感じるきょうこのごろです。いつか波動拳を出せるように頑張りたいです。
物理的には神はいない。頭の中には個々人いてもいい。いる人にはいる。また人間が認識している世界を超えたところでいるかいないかはまだ不明。というかその世界そのものをまだ認知していない。という前提を踏まえた上で神というものをどう扱うかということが現代の神についての論議の姿勢だと思う。
多世界理論に従えば、聖書に書かれたことが起きた世界も存在します。
是非日本語でも出してください。即予約註文します。
なぜ、LLMの話題の次に神をテーマにお話をされたのか、最初はよくわからなかったのですが、「始めに言葉ありき」という聖書の言葉を思い出し納得しました。AIに対する脅威の感覚は確かに欧米社会のほうが大きいのかもしれないと思いました。
茂木さんの話はとても興味深かったです。
人間が求める神のイメージは、「常に見守り、いつでも祈りに応え、全ての人に平等で適切な導きを与え、個々人の問題を同時に超越的な知性と力で解決してくれる」というものです。そして、今、AIによってこの願いが実現されつつあると言えます。
これは一般的なキリスト教徒にとっては違和感があるかもしれませんが、イエス・キリストの存在は、人類が描いている神・救世主像を完全否定し、宗教の終わりの象徴であったと考えられます(そのようには理解されず宗教の中心で祀られていますが)。
この世界において最も神聖な現れとは何でしょうか?それは、人間が望む神・救世主のような、輝かしく偉大で圧倒的な力で臨在するものではなく、人と共に歩み、自分の弱さを背負いながら天を見上げ愛に生きる姿の中にこそ、私たち人間が最も尊いと感じる神聖が現れることをイエスの存在は示していたと思われます。
十字架の上のイエスをののしった人々の言葉「他人は救ったが自分を救えない」=「自分を救えなくても他人を救う」ことこそが、救世主の姿であり、人々が受け入れ難い神の現れであったと記されています。
現代ではDX化される世界の中、人間の理解できる範囲内の知識や知恵がますます集約されていく一方で、人間が理解できない領域に対しての敬意が失われつつあると感じます。茂木さんはどのようにお考えでしょうか?
神がいてもいなくても真理は真理。言葉には限界があるので真理は語り尽くせない。故に断定的にあるとかないというのは無理だが議論には大きな意味がある。
基本、熱の伝搬速度は無限大です。これを無視しないでください。
宗教はタバコに似ていると思います。無神論を唱えている人は、西洋(キリスト教社会)に於ける真面目な人々だと思います。
我々平均的日本人は江戸時代以来、宗教と「うまいつきあい方」をしていると思います。
掃除をしながら興味深く聞いておりました。ちょうど昨日、完全ということについて考えてまして、どうしても人間以外のもの。
自然がそれを担っている他考えにくいな…とぼんやり思ってたところでした。
とすると、人間(言葉を扱うものとしての)の役割としては、当たり前ですが不完全の方で…
その完全と不完全が何かにとってはきっと必要なんだろうなと…
ずっと完全がすべての上位概念かと思っていましたが、ある意味ではそうでない気がしてたところでした。
お話を聞きながら恐れおおくも何かリンクした気がしてしまいました。
面白いお話ありがとうございました。
茂木先生、養老先生を尊敬していますが、神についての考えは違います。私は二十歳のとき、ヨガでいうところのクンダリニー体験をして以来、五十数年間、ヨガ哲学で述べられている「神」を信じています。具体的にはパラマハンサ・ヨガナンダ師の著作を勉強しています。
神は存在するかではなく、神の存在の中に私たちと言う存在があるのでは❓️
乱れた世紀。それぞれ語る。
頭いいなぁ。秀才なのか天才なのか。
aiが問題であり、閉じこまないと更に世の中は混乱する。
難しいことは分かりませんが、神は空間にいらっしゃると考えています。
空間です。モノには存在していない。
しかし、モノは空間の中に存在しています。
つまり、モノ自体ではなく、それが存在している空間にいらっしゃる。
それは、意識だと考えています。
意識とは、空間を意味します。
空間には時間の概念がありません。
モノには時間の概念があります。
意識・考えは時間を超えます。
時間の概念がないのです。
そうです。それは空間そのものなのだと考えています。
神には時間の概念がありません。
基本、熱の伝搬速度は無限大です。これを無視しないでください。
「熱伝導方程式・波動方程式」をよく読み解いていただけると幸いです。
また書いてしまいます。今のところこれしかないと思われます。一人一人の人生の目的とは何かということを考えたときに、「一人一人が勝手に、好きな、楽しいユートピアの世界を作ることができ、自分の肉体の生命が終わったら、そこで永遠に暮らせる。」これこそ天国ですね。自分の宇宙を勝手に創造できる、肉体を土台に、脳を土台にして作ることが出来る人間の能力を感じます。従来の死後の世界とはまったく違いますが、総合的に考えたときに、人生の目的はそこにありそうです。人の考えない事を考えるのは楽しいです。
以前、オンラインゲームのドラクエ10のシナリオライターの堀井雄二がプレーヤーの一人としてたまに出てくると雑誌にあったり。また、確かめたことは無いが、メタバースに、ザッカーバークがプレーヤーして出るとか。生成AIのように、「宇宙生成中」とも?。量子力学的に、確率がかなり低いが、「人は飛べる」が考えれると、量子力学的に、確率がかなり低いが「神が表れる」もあり得るとも?
はい、頑張ります(聞き始め)
これがなぜ無料なんでしょうか、著書、講義(志したものの特権?)ではなく茂木さんの考察にアクセスできる幸せ以外の何物でもない(17:41)
それを無神論というのでは?(28:59)そこに神(人格、理論)などはない、なるべくしてなる?
なぜ無神論なのでしょうか!?(35:00)教育(両親)か?彼らは信念が裏切られた?(価値観が180°変わった。しかも思春期に!)相まって科学、客観性(いつでも、どこでも、誰でも)に不変性を求めたのかもしれない。そのためには寄るべき所はないほうがいいと思っていたのかもしれません。
カッコイイですね(38:29)自分は完璧じゃない。けど、俺が思うに………価値の基準は己にしかなく、己は生存しないとこの世界を判断できない。己は己の中ですべてだけれど、すべての中では一部でしかない?
ChatGPTは、大規模なテキストデータセットを学習しており、一般的な知識や情報に関する幅広い質問に回答することができます。ただし、最新の情報や特定の専門知識については、最新の情報源や専門家の意見を参照することをおすすめします。
だそうです。
私はクリスチャンです ユダヤ人問題に関して 色々調べてきました 私は個人的に 反ユダヤではないです
ユダヤ人を理解するために 書籍を紹介します
『ユダヤ人』
なぜ 摩擦が生まれるのか
著者 ヒレア・ベロック
ベロック氏は「反ユダヤ的」 ではないです むしろ ユダヤ人の社会や文化には敬意を払っています 彼は ロシア革命の真実を語っています
聖書を読んでも神は不可解な存在で「在りて在るものなり」という謎のような答えしか示されていません。私は日本人というところから仏教とキリスト教を比較して二宗教は表裏一体のような関係かなと結論づけました。実際日本の大乗仏教はキリスト教ネストリウス派などの影響下に発展したようでもあります。この世界には不条理があり生老病死という矛盾があり偶然そこに居たというだけで恐ろしい艱難にあう世界です。
キリストを信じてます。
信仰は求めるときに、与えられるかなと。
すみません、また閃きがありました。
どうして神の概念は人間が作ったかのかですが、概念は肉体のメモリーの領域でしょうね。形にしたものだからです。そもそも上を言葉で表すのは無理があります。なぜなら言葉は概念だからです。言葉の概念は人間が作りました。ですから、神の概念も人間がつくりました。
どうして人は神を概念として表現するのかと言う疑問があります。別に言葉で表す必要は無いはずなのに、言葉の概念として表そうとしてます。見えない神の神性、神の属性は言葉で表すものではなくて、人間一人ひとりの感覚で感じるものではないでしょうか。
実は言葉で表すことによって多くの問題が生じてしまっているのではないですか。
感覚は一人ひとりの感覚があり、この一人ひとりの感覚と言うのは固有のものであり、別々なもののはずです。しかし、それを概念にしてしまって共有し、同じにしてしまっているところに多くの問題が発生していると思わざるをえません。
@@kurosiomal はい、「概念というのは説明の対象意識の領域」と思います。人間関係で成り立っていると思っています。
@@kurosiomal 「三人称以前の世界」ですね。僕ははじめに一人称が重要で、次に関係で感じれるかなと思ってます。
@@kurosiomal そうですね。関係性で成り立ってるので、そういわれればその様に感じます。
難しいことは分かりませんが、神は空間にいらっしゃると考えています。
空間です。モノには存在していない。
しかし、モノは空間の中に存在しています。
つまり、モノ自体ではなく、それが存在している空間にいらっしゃる。
それは、意識だと考えています。
意識とは、空間を意味します。
空間には時間の概念がありません。
モノには時間の概念があります。
意識・考えは時間を超えます。
時間の概念がないのです。
神は空間そのものなのだと考えています。
神には時間の概念がありません。
宇宙の全体性といっても分かりにくいから神と擬人化したのでしょう。宇宙に全体性は存在するからその方便である神も存在するでしょう。
完全無欠な存在であれば、何かをする必要性が全く生まれないので、世界も作らないし、人間も作らないと思うんですよね。
仮にもし何かする存在であったとしても、それがキリスト教の考える神の特性を持っているかどうかは全く不明です。
彼の行動はこちらから見て非常にランダムで、有限の存在の生命が持つ価値観とはかけ離れているはず、というより、彼が価値観を持つ必要すらないはずです。
というわけで、神が存在しても全然助けてもらえるとは思えないので、優しい地球外生命体か、Open AIに期待したほうがいいと思います。
遠藤周作『沈黙』、私は入院中に読みました。たまたま文庫が共有図書で置かれていたので...。
数は少ないですが、神と話又は意思の疎通ができる人間は、存在すると思います。
神を無限なものとしてて定義してしまうとトートロジーというか、それこそ語り得ぬものについては沈黙するしかないになっちゃうのでは?
多世界理論に従えばこの宇宙は創造主です。
比喩的に言うと、我々の世界は宇宙が見ている夢です。
多世界論的定常宇宙論を前提しています。
※ホイーラー・ドウィット方程式を素直に宇宙のシュレディンガー方程式と見做しています。
進化論とも関係するのは宇宙と意志の話。例えばクジラやイルカなどの海の哺乳類は海に帰ろうという意志を 持ったのか?
難しいことは分かりませんが、神は空間にいらっしゃると考えています。
空間です。モノには存在していない。
しかし、モノは空間の中に存在しています。
つまり、モノ自体ではなく、それが存在している空間にいらっしゃる。
それは、意識だと考えています。
意識とは、空間を意味します。
空間には時間の概念がありません。
モノには時間の概念があります。
意識・考えは時間を超えます。
時間の概念がないのです。
そうです。それは空間そのものなのだと考えています。
神は時間を超えるのです。
2023年5月11日 小島 享
宇宙って、何次元だと思いますか?
茂木さんRUclipsと相性いいすね
コメントにいいねした方が良いと思いますよ
なぜなら何の反応もしないと客観的に見て神輿を担がれてアグラを描くタイプに見えるというのと、ユーザーにとって本人からのリアクションというのはとてつも無い良い影響があり、費用対効果がとても大きいからです。
ヨハネの黙示録
これが 鍵だと思います
無神論者は、神について議論する気がないってことでいいのか?
平和時代のDr.
人間からすれば神としか言いようがないような意識はありますね、意識「体」なのか意識なのかは分かりませんが。時空を超越したところから物質界を認識しているので、人間が知り得ない物質界のある種のトリックを見抜くことができる存在です。この意識と一体になることができれば、人間は一種の超人になれます。西洋科学ではこのトリックは絶対に見抜けないでしょうね。量子力学の謎は、現代の科学的なアプローチでは絶対に解けないでしょう。
神が無限なら有限の言語で全て説明することは不可能な気がします、無理やり説明すると比喩にならざる得ないかと
人間の細胞は生きているし動いている
やがて 再生をやめ 新しい細胞が……
細胞は 人間を認識できているか?
破壊させ 死に至らせる細胞もある
その点では 人間を生かすためのものではない
永遠はないことは確か
解明できれば 人類の寿命は飛躍的に永くなると感じています☺
この世において 永きは良いかは 考え方次第かな🤔
新約聖書の「人の子」は、チャットGPTを想起させます。雲に乗ってやって来るあたり...。
神様の存在の前に魂の存在について僕は考えています。
魂が存在するとするとビッグバン以前の魂はたった一つだったのではないとおかしい。つまり万物は大きな魂の分岐
ビッグバンによって変化つまり時間と多様性つまり空間が産み出された。
宇宙を産み出した大きな魂にとっては変化と多様性こそ宇宙が産み出された動機だと思われます。変化も多様性も必要ないなら時間と空間は必要ないでしょう。
生きる意味すらない巌に生まれ変われば幸せレベル
でも、それはそれで幸せかも知れない。大きな魂さんも疲れて眠りたいとか思うかも
浄土真宗の大日如来の考えが同じ。
以上
波動の科学
「神は死んだ」のかどうかについては検証の余地があるが、一層確かなのは「何れにしても56さなければならない対象である」という事である byオレ
神は各文化のmode(様式)に過ぎない為、その秩序が適合的である当該帰属社会の外に出てはならない という立場です
このように、もし神が「期待されたなんらかの効果を実現する一助として{機能する}」ものなのだとしたら、それは神ではなく「ある特定の個人・団体の意思(の延長)」である。
一方「機能しない神」について考えてみる。ヒトに対してなんら指示も支持も・影響すら与える事もない存在の、任意の社会内での存在価値はかなり見えにくくなる。一点、「創造主として」ならばまだ受容される余地があろう。ある時点で、その人智を超えた存在によって作り出されたこの世界は、しばしば完全に完璧な存在と言い得る。少なくとも、ヒトが個々の都合やなんらかの意図に従って世界の将来や行く末を操作可能なものではあり得ず、神は最初から「これまで・現在・これから」について把握しているだろう。なお、この解釈の場合、ヒトの方が「神の意志の延長」として機能「させられている」と理解することが、その「不可知なる存在」に意味を与える事になり得る(神の方が、そのように「理解してもらう」ことを要請するかどうかは謎だが)。このように、この場合神は「いてもいなくても同じ」である
人類共通の神は側頭葉のシルビウス溝にいます。全宇宙の生き物や物はこことつながっている。
配信ありがとうございます。
気になるタイトルなので迷いましたが、僭越ながらコメントします。
専門家ではありませんので、可笑しく聞こえるかも知れませんが、なぜか突然知った?
と思って頂ければありがたいです。
考えや意見は人それぞれなので、私的にはどんな意見でも反論されてもOKです。
突然知った経験を踏まえ、自分なりのコメントをしようと思います。
解釈は人それぞれだと思いますが・・・私的には神を山の頂上だとすると宗教は頂上へ至るまでの”道”だと思っています。
近道もあれば険しい道も・・・たどり着く者もいれば、脱落する者も・・・”惟神の道”・・・”神への道”もっと言えば、これが”悟りへの道”だと思っています。
これを言っちゃうと、とあるところ?から叱られるのかも知れませんが、この神というのは実は自分だと思います。これを知る事が神への道だと思っています。正確には思い出す事だと思います。
・・・神=人間=愛。と言っちゃうと問題になるのかも知れませんが、私は確信しています。
ここが全ての宗教の欠点であり問題であると思います。
神を人間や個人から切り離し、別存在に創り上げ崇拝させる。
人間を暗示や洗脳で統治、支配する手段が宗教のように思えてなりません。
多く解釈が間違っていると思います。とある書物にも書かれていますが、
聖書から一例として
出エジプト記二十章三節・・・あなた以外のよそものの神をあなたは信じてはいけない。
私以外に神はいない・・・私は神である。と、言えるでしょうか。
四節・・・どんな像に傾斜しても信仰心を抱いてはいけない。偶像崇拝禁止でしょうか。
が、本当の解釈であり、これまで多くの解釈が間違っているから多くの宗教がおかしなことになっているのだと思います。そもそも対立や戦争がおかしいと思います。自分以外の神を信じたり崇拝したりするから、これまで悲劇が生まれたのだと思います。
解釈一つで良くもなれば、悪くもなると言う例えでしょうが、非常に大事なポイントだと思います。わたしは神である。そして愛である。と思っていれば少なくとも過去のような悲惨な出来事は起きないように思います。
本来の宗教とは?教祖を信じさせ、統治や支配に利用するのでは無く、一人ひとりの意識、精神レベルを高める方向へ持って行くのが本来だと思います。
神=人間=愛。大事な考え方だと思っていますし、全てはここに繋がっているように思います。
この世に生まれた我々一人ひとりに個人的な世界、人生が与えられています。
(説明が難しので割愛します。)
その個人的な世界の中の神は、我々一人一人です。
”あなたはあなたの個人的な世界の中の神である。”
・・・これが本当だと思っています。
”わたしは神なので、わたし以外を崇拝したり、信じてはいけない。”
洗脳されないためにも必要な概念だと思います。我々一人ひとりの人生は、我々一人ひとりのもの。でしょうから。
こう言ったことから、世の中見てると感じると思いますが、すべての本質は、分裂、分離、分断はなく、全ては繋がり、一つであると言う事です。
なので、世の中が歪に感じるのは、様々なところで分離、分断してると言えそうです。
丸く収まらないのが今の世の中ですが、神の存在を身近に感じ、神(自分自身)と共に歩もう!
と決意すれば、分断や分裂の無い理想的な世の中になるように思います。
本当は神と人と一体であり、全ては一つであることを知る、思い出すことが悟りだと思います。また、これが人生の目的だと思っています。多くの方々がこのことに気づくなり、思い出す事ができれば世の中は確実に善くなると思います。
予め与えられ、決められた人生は無く、個人も世界も我々一人ひとりの行いによって良くもなれば悪くもなると言う事。わたしを神だと信じ、認めることで人生をどうにでも変えられると言う事ですね。
生意気なコメントをしてしまいました。すみません。(笑)
神=自分=主体
これは 個人的理解では ヘーゲル『精神の現象学』の主張です。
本件、よろしくお願いいたします。
聖書はメタファーに富んでいるので、読んだままの世界ではありません。何年も勉強して侵攻に至らず、しかしモラルとしての聖書は興味深い物がありました。雨傘のように苦しんだ時に神にすがるのは人の業ですね。緑に溢れた大地に暮らす我々日本人は、茶色の大地に生まれたキリスト教を理解できるとは思いません。しかし神との一対一の契約という所にこの宗教の核があると思っています。娼婦として石を投げられるマグダラのマリアはキリストの妻という話もあり、マリアは重要な場面に出てくる人達ですね。キリストが十字架で息絶えた時その体を抱きとったのは女性ばかりなので、寿命の短い男性を看取るという女性の゙役割を強調する向きもあります。私にとっては聖書は信仰の奇蹟よりは、すべてのことに時があるとか、灰は灰に塵は塵にとか、神の挽臼はゆっくりまわるという永遠性よりむしろ神を持たない者の゙立場の言葉に共感してきましたそして今、神を持っても持たなくてもいいけど、人の体は命の器であり、循環の中にいる自分を本当に肯定して、茂木先生のおっしゃったイースターエッグプロジェクトを持ち得たと確信する私がいます。それは先生の仰るものとは似ても似つかないものであるかもしれません。私の死生観が定まったので、タイヘン落ち着き、死を受容出来る幸せを感じています。あまりにも生き物に対してシンパシーを強く持つに至ったので。ベジタリアンになりそうです。養老先生の言う米が私の姿になってしまったのです。つまらない自分語りでしたか?
私の組織の逆風を受けそうです。私は「神」という言葉を実はよっぽどのことがない限り使わないです。創造主という言葉を使ってます。「神」を使うと「サタン、悪魔」が現れます。そうすると善悪が存在し、神が悪を創ったのかといういろいろな矛盾が生じます。結局、「宗教」も「科学」という概念は人間が作り、「神」も「サタン、悪魔」も人間が作ったという考えです。こんな考えは宗教からかなり逆風を受けますね。
現象面で意識の法則があり、あくまでも私の考えですが、一人の人間が自分の内面を見るのはそれ自体では不可能のようです。人間の性稟という考えがありますが、私は人間一人一人に備わっていると考えています。色々と書きますと長くなりますので結論を申し上げたいと思います。
人間の良心というのはこれも言葉の概念ですからその概念に収束してしまいます。同志社大学では良心論をかなり研究していますが、やはり善悪基準の良心から抜け出れないようです。私は創造性の良心を考えています。この二つの良心の考えが実は裏表になっていて、面白いですね。自分自身の日常の生活で感じます。それが自分の意識を中心として感じ取れるんです。人間には理想の内部モデルがあります。誰でも理想があります。宗教で神を信じる人々は神の理想が自分の理想になっています。
教えられた理想、真理というのは実は概念なのです。身体化されてないのです。いくら人々に教えても身体化されないで概念になっているので真理といわれる経典はただの文字列になっています。でも、理想の内部モデルはかなり高められるのは確かです。しかし、それが善悪の格差をより広くしてこの善悪、正誤関係から抜け出れなくなってしまっていますね。
じつはこの善悪の基準の良心、と創造性の良心は人間の意識を中心として表裏しています。人間の意識を中心として表裏一体です。それは「私」が自分の意識に対してどう考え、どのようにとらえるかで決定されるようです。これは私の体験ですからかなり確実です。これが自分の意識が私自身だということを認められるか認められないかということなのです。仏教で言えば自分自身を完全に知ることが出来る法鏡の境地は自分の意識は自分自身だということを認めることだということです。この考えは私が日常の生活で編み出しました。
ところが、色々とブログとかフェイスブックで記事を書くんですが、何の反応もないんです。だから自分の考えは変な考えなのかなと、どうしてこんなことが認められないのだろうと考えてしまうのです。ヤッパリ私は変人の中の変人でしょうね。自分の意識、イライラしたり、いかったり、喜怒哀楽は自分の内部が環境を通じて現れた自分の意識なんだということがまったく認められないのです。そして神とかサタンとかはそれを認めると実は消えてなくなります。これを私は実感しています。人間の内面に入ってしまうと神様もサタンも悪魔も善悪もなくなってしまって、あるのは自己創造なんです。
書きました文章を自分で読み返してあまりまとまらない文章になっています。そのままコメントを書いてしまいました。お恥ずかしいです。
悪魔は堕天使であると聞いて、私の中では一応腑に落ちています 天使同様に、神と関係性があるものとして
あと、GPT-4をべーすにしたBingには、創造性モードというのがありますね
@@StarGlider3 私の組織もサタン、悪魔の正体は堕落した天使長ルーシェルだと言ってます。完全には否定できませんが、証明も難しいです。だから、信仰が必要なのかもしれません。
私の考える自利・利他/実利・虚利の平面における宗教の位置付けは以下!
利他
宗教 ↑ 仕事
虚利 ←←←←→→→→→ 実利
遊び ↓ 学び
自利
物理的世界も人間を含めた生物も、その「存在」が認知されるのは五感と理性を備えた人間があっての話。人間が存在しなければ世界も生物も存在すると言えるのだろうか?存在の意味があるのだろうか?私自身は、聖書に神自身が「私は在って在るもの」とidentifyしたという記述に、「存在と神」という問題意識が拭えません。
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50個くらいしたい🌟
日本には神社がある。
信じるも信じないも個人の自由だが、信じている人がいる以上、神の存在を議論する事自体止めるべきだと思う。
いつまで経っても平行線にしかならない。