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動態で保存しているのも整備士さん達の情熱も凄いけど、何よりもこれを会社として認めてやらせてくれる事が一番すごい。
このご時世に文化財保護に投じるだけの儲けが出てる健全経営ってのがすごい
@@あやは-e3n 神奈中さんは多岐に渡って様々な事業展開をされているので企業体力は存分にありそうですよね😃この時代公共交通事業だけでは厳しいので、他のバス事業者さんも頑張っていただきたい。
大きいバス会社としての、使命感というか責任感というか、そういうものが根底にあるのかなと想像します。
1981年に、廃車を寄せ集めて造ったという酔狂である
岡山在住 70歳の元 エンジニアです。 子供の頃に父親が 良く薪で走るバス の話をしていたので、 長い間 どういう原理で走るのだろうと思っていましたが、 今回 実物を見て感動しました。 関係者のご苦労に敬意を表すとともに、 これからも長く 動態 保存して下さる様🍀
戦争中に我が家の近所に住む親戚宅が運送屋を営んでおり、時々祖父が、そこのおじさんに「おい敏一、ちょっと手伝いに来い!」と呼ばれて木炭トラックのエンジン始動を手伝いに行っていたそうです。祖父が言うには「あんなもん、釜に点火してエンジン始動まで40分やぞ!」と言っていました。祖母も「あの頃はお金だけ持って行ってもバスに乗せてくれやんだ。薪持っていかんとあかんのや。」と言っていました。
現在でも北朝鮮が現役で使ってる技術で、RUclips上で写真や動画を見ることが出来ます。それと冷戦中のアメリカも、万が一核戦争が起きた場合、トラクター等に木炭エンジンを使うつもりでいた様子で、当時のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)のガイドラインを、ネット上で見ることが出来ます。 @sasakkey2635 木賃宿は聞いた事ありますが、木賃バス?というのは初めて聞きました。
子供の頃ありました。懐かしい。
😳
父親が戦時中に東京の乗合バスの運転手でした。戦争により燃料不足でガソリンの代替えとして木炭を使用し、一酸化炭素中毒にかかり危ない経験をした事をを聞かされています。エンジンを始動させるまでが大変です。貴重な産業遺産です。戦争の生き証人ともいえます。神奈中さん ありがとうございます。
私が3歳か4歳頃我が家に木炭自動車があったので懐かしいですね。当時は乗合バスも木炭だった。冬には困ってた。焚き火のあとトラックを押してエンジンが焚き火の上に行くようにして😂エンジンを温めて稼働させる。荷台の前の方に釜があって炭が入っていて火を付けてエンジンをかけていたの思い出します。凄いよな。前に回ってクランクでエンジンを回すことも。これがまた大変力仕事。助手の役目でしたね。懐かしいなぁ。木炭車ありがとうございます
この整備士さん、難なく運転してるのが凄い。
すげぇ。まじで動いてる。歴史の雑学で存在は知ってたけど、本当に動いている姿にただただ感動。
EVバスから石炭バスまで動かす神奈中はすごいな。営業所も広大ですね。
会社でこういう遊び心ができる日本であってほしい
戦時中の代替燃料として開発された木炭バス、それを動態で保存されてる神奈中整備士のみなさんはすごいと思います。バスの状態も非常に良く、第二次大戦の生き証人として後世に残してほしいものです!
良い物を見せて頂きました。
本で存在は知っていましたが、実在し稼働状態にしている会社があるとは驚くとともに、感動すら覚えます。貴重なものだと思いますので、今後とも大事にしていただけると嬉しいです。拝見させていただきまして、ありがとうございます。
小学校5年の時の夏休み、校庭に三太号が来ていたのを見ました!あれから約40年、保存してくれていたのですね!とても感激しました。その年の夏休み自由研究で自分は、三太号の模型を作りました。
一度不完全燃焼でガスを発生させて、そのガスで走るんですね。そのおかげで普通のエンジンの改造で走る。当時の工夫と苦悩がうかがえる歴史的遺産ですね。今後も動態保存できるように応援しています。一酸化炭素中毒だけには気を付けて。
一周回って再生可能エネルギーですかね?
再生可能エネルギーの中のバイオマス燃料に相当しそうですね。木炭ガスは当時はかなり研究されたみたいですけど、非力なのと大して安くならないということで廃れたみたいです。
@@NegiMoeあの頃の木炭車はガソリンタンクも搭載されており、その気になればコックで燃料系統を切り替えてガソリンで動かすことも出来ました。冬に一酸化炭素で始動し辛い時はガソリンで始動していたと言う話も聞いた事があります。
そんなに柔軟に切り替えられたんですね。ハイブリッドだw
@@NegiMoe ソースはWikipediaなのですが、コックで燃料系統を切り替えられる機構を悪用(?)して、終戦直後にヤミで手に入れたガソリンで車を走らせるときにいかにも「代用燃料で走ってますよ」アピールするのに役立ったとか。
だいたいこの手の古い車両はクセがあるので、ベテラン整備士さんが状態確認走行すると思うんですが、若めの整備士さんが、走行させるというのがなんか胸熱!今すぐではなくとも、旧車のバスを復活させることがあった際に、この体験が役立ちそう。
さすが関東一のバス会社とも言える神奈中バスが歴史的にも貴重な車両を保存してたとは。しかも動態復活できるまでの整備士さんがいることも凄い。是非イベント等でお目にかかりたいです。バスの良いところを今後も沢山発信していってください。
神奈中はバス所有台数で言ったら関東一ではなく日本一ですよ!
西鉄は分社化してますから、ある意味棚ぼたですね。
ただでさえディーゼルよりもトルクの細いガソリンエンジンを代燃仕様の薪ガスで回してるのですからクラッチワークには気を使いそうですね。代燃車は上り坂になると乗客もみんな降りて一緒に押した、という話もよく聞きますね。貴重な産業遺産を復活維持させてくださっていて素晴らしいと思います。
祖父が戦前からバスの運転手でした。復員後も九州で路線バスの運転手でした木炭バスはトルクがなく、坂道毎に乗客の男性は降りて後から押して運行していたといっていました。
まさかバス会社さんで今も動態保存されているとは!神奈中バスさんは歴史遺産に理解があって素晴らしいですね。
凄いですね。祖父が戦後、バス運転士でした。やはり薪か石炭バスで当時はパワーが無く登坂では乗客にバスを押してもらっていた。というエピソードを子供の頃に聞きました。
貴重ですね~当時の運転手さんも今では少くなってきてるんじゃないですか。
今走ってたら乗りに行きます😂
保存し続ける会社、整備をする方々、そして当時この車両の開発製造に携わった全ての人が素晴らしいですね。
bravo🎉🎉
元分社社員です、あの三太号が!?な気持ちで見てました。子会社分社統合などで私は在籍続けられませんでしたが。育った神奈川のあこがれたバスドライバー、バス会社に今一度夢を見させていただきました。これからも神奈川のバス会社かっけぇべ!で、お願いしますw
三太号が動いた 神奈中さん凄い子供の頃 小学校に来て乗った記憶が有ります厚木営業所で整備して伊勢原営業所で動かす‼️凄い整備士さんお疲れ様でした。
よく見たら伊勢原営業所じゃないの。
3:57辺りに映ってる建物からして運ばれた場所は、恐らく神奈川中央交通西 伊勢原営業所ではなかろうかと。
整備士さんもすごいけどこの車両を保存してなおかつ自走できるのは凄い…会社の社風もいいんだろうな。いいもの見せてもらいましたありがとうございます。
懐かしいですね、私の子供の頃はこの様な車でしたね、私の知って言う方がガスの逆流を防ぐ所か?パテントを取っていた様な気もしますが?、私も認知の耄碌者ですから?でも、懐かしいですね、 貨物用には電機自動車も有った様な気もしますが?特に駅構内では。私もダットサンの750CC?が最初でしたが!懐かしいが乗る気は有りません!
少し前に北海道旭川のバス会社が63年製3軸バスをレストアして話題になりましたがこれは更に20年以上遡った戦中戦前物とは凄い。動態保存というのが最高ですねぇ。バス会社というのは好事家が多いのでしょうかw
子供の頃 中島飛行機の社宅に
もうこれ動く文化遺産だよね。凄いの一言
文化ではないwww頭悪いのバレるぞ!!!
日本で一番熱いバス会社😊
驚いたなー公式がこんなことしてるのね俺もバスドライバーだからいつかボンネットバスとかモノコックのバスを生で見てみたい
すごい!整備士さんの腕前にも感嘆
神奈中さん最高だよ❗️遊び心がある職場って羨ましいな
これは凄いわ、同業他社ですが神奈中バスの規模はデカイのは知っていましたが、薪で動くバス🚌なんて映像でも初めて見ました😊
いつも利用しております。社歌だけが最初アップロードされていたので期間限定なのかと思っていたのですが、薪バスの動画が出てきてびっくりしました。燃料が事欠く時代に、知恵を尽くして作られたバスで、動くところを見るのも初めてでした。技術の継承という点で最高の教材だと思います。願わくば、今後も技術の継承という点を含めて動く三太号を見たいと思います。PS:ゴジラ-1.0を見たあとで、この動画を見るとゴジラスタッフは三太号をなぜ探さなかったんだ!!と思ってしまいます。
ロストテクノロジーのはずなのに受け継がれているのがスゴイ。
現役当時も整備や運行は大変だったんでしょうね。先人の労苦が偲ばれます。
本当に感動しました!関係者の皆様ありがとうございました😊
本当にお疲れ様でした。これを動かす整備士さんたちには脱帽です!
乗合自動車乗車は国民学校低学年時代なので記憶あいまいですが懐かしい。いつ頃まで使用されていたのかな。神奈中がこのような歴史的乗り物を動態保存されていることに驚きと感謝。神奈中整備の諸氏、御苦労様でした。
素晴らしい。ありがとうございます。
凄い。70年以上前の薪を焚いて動かすバスを復元させるとは本当に凄いです。動かすのにさぞかし努力なされたことでしょう。
コレに乗った記憶がある・・・と言うと歳がバレる。その時見た記憶では、走ってる時も後ろの釜炊き台でオジサンが何か作業してた。母の里帰りで自分は未だオンブされてた赤子だったが、明確な記憶がある。この乳幼児時代の記憶では、金沢八景がミニ松島だったり、湘南辺りの東海道が浮世絵の東海道五十三次の面影が残ってたり、江ノ島に和船の渡し船で渡った記憶とか、上野動物園で猿の電車に乗ったり、世田谷辺りは茫漠とした冬枯れの畑だったり、海老名耕地を寂しく行く小田急の貨物列車だったり、この頃の風景は映画“ヘッドライト”の寂しい風景とソックリ。共に第二次世界大戦禍の跡が幼児にもわかる程に、強かったのだろう。
このバスが伊勢原市辺りで、トラックに乗っかって陸送されている瞬間をみましたwこれだったんですね。
これは純粋に素晴らしい。
父親が戦時中に木炭自動車のトラックで中島飛行機の工場、三鷹市から、神奈川県藤沢市の荏原ポンプの工場に酸素のボンベを取りいって、登り坂は上がらなくて、クルマを降りて押したなんで話を聞いて、チカラの無いトラックと、人力でガスボンベを積むのも人力頼りで、厳しい時代だ!と思ったのを思いましました
この手がかかるバスを実際につかってた当時もすごいと思うしこのエンストできない状況でこの時代のバスをエンストせずに運転できる人もすごいし何より整備技術と動態保存できていることがすごい.会社の利益には直結しないのに.
環境があーだこーだ言っているこの時代にこのバスを復活してくれた神奈中に感謝
かっこいい👍👍
化石燃料を使用しないからカーボンニュートラル!
@@wtnktmy薪という有機物を燃やしている時点でカーボンネガティブなんだよなぁ…(重箱の隅をつつく輩)
薪という有機物の炭素は、成長過程で空気中の二酸化炭素を吸収したものなんだよなぁ
@@この先生きのこるには-r9c バイオ燃料ね。排出するCO2は成長中に吸収してるものだから
くぅぅ、あらゆる部品・装置がカワイイ!
蒸気機関の車両があることは知っていたけどまさか不燃焼ガスで走る車両があるとは驚いた...でも車は生き物と言われてきた所以をものすごく感じで がんばれ...!!!ってつい声を出してしまう。最高に可愛くて愛おしい車両だ🥰🥰
当時の街音の一つにこのエンジン音があってそれが令和の今になっても聞けてると思うと何だかわくわくしますね!バッテリーがない場合は前回フロントにささってた手回し棒でエンジンかけるのかな それも見てみたい
涙が出て ます~~なつかしい 私80才、良く保管して あったね!家の近くでいつも運転手さんが薪をくべ、手廻しの風送り機でサイレン見たいな音がして 乗客や近所の大人が出てきて手伝っていた、これから坂道を登りきる為に一苦労して木炭バスって言ってた方向指示機もいい動画見させて頂きました ありがとう
こういうレトロバス走らすとか素敵すぎる
どうにか動かそうと頑張る整備士さんたちの姿に感動🥲︎
これは凄い!全く夢物語。整備士さん強者ぞろいですね。
これは貴重な動く機械遺産に値しますね。木炭を燃やしたガスで走るというバスを末永く大切にして欲しいと私も思います。2024.1.10
歴史的にも価値のあるバスを動態保存され整備されているのが素晴らしいです。お疲れ様です。
6:59〜後輩のバス達が通り過ぎる大先輩に立礼・敬礼しているように見えますね。やはりこの時代の車ですと変速はダブルクラッチでしょうか。難なく運転できる整備士さんの腕が凄いです。
ナンバープレートが当時のままですねすごい貴重な車両の貴重な運行映像だと思います✨🤣👍
パワステもシンクロも無い、走行出来るまで時間がかかる😮昔のバス運転手さんは大変やったんやろなぁ😂
ロストテクノロジーをこうやって令和の時代に維持されていることがすごい。豊田会長が見られたら乗りたいといおっしゃるかも。
バスのデザインがかわいいですね
1981年頃に今は無き神田の交通博物館でこれに乗った事があります前後に少し動く状態だったので復元作業が終わった直後だったと思います
凄い…戦前・戦中のこんなレアすぎるバスが走れるようになるとは…1度は見に行きたいですね😳
一度名古屋に来た時乗りに行きました。
よう知らんけど、これ戦前にも走ってたの?
@@セバスチャンランド ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A4%AA%E5%8F%B7?wprov=sfti1ご参照ください。
神奈中すごーい。リアル乗合自動車。走ってる。
このセルの音懐かしい、分かる人は分かる。バッテリーの性能が下ちる冬はエンジンの下で焚火してエンジンかけた記憶があります。
男たちの熱い夢に共感いたしました。ありがとうございました。
駐車している若い衆の周りを、戦後の復興やバスガール、当時の町並みを思いながら走るおじいちゃん
アポロウィンカーの動作が見れるのは貴重。
この前 福島県立博物館で、木炭バスを見たんですが、当時どんな感じで走ってたんだろうなぁと気になってたので、この動画を見て感動しました☺kanachu さん感謝!
やばい、まさにスチームパンクでカッコいい。
粘土塗るの ジープにありましたね向こうは戦勝国なので燃料は真面でしたが渡河する場面で電気系統念入りに塗ってました
見どころ0:00 オープニング0:07 前回のおさらい0:17 営業所移動3:02 木を燃やしてく3:44 バッテリー4:18 エンジン作動4:46 エンジンの中見4:49 いい音のマフラー5:23 推しポイント5:50 遂に10年ぶりの走行!1番おすすめ!6:06 走行中の車内6:34 右折してく8:16 バックしていく8:44 走行終了!実験大成功!!8:57 お知らせ
全部最高で草
@mwmwmwmwmmw ハッピーセットは草
これはこの世界の片隅にに出てたやつやー。すごい…。「木炭バスは上がってこれんかったでしょ」のやつやー
昭和レトロなバス初めて見ました!や~60代70代80代90代の男女の高齢者方はかつてこのレトロなバスでお出掛けした事でしょう!
このバスを保存してるのはすごく賢いと思う。これからも保存できることを願います🤲
薪を燃やすのに一苦労。エンジンをかけるのに一苦労。輸送車から地面に下ろすのにも一苦労。大変な手間だったんですな。それだけに走り出した時の感動はひとしおでありましょう。
木炭車なんてまだ日本に存在してたのか…戦時中に活躍したと言われる車両ですね😊
今注目のバイオマス燃料ですね!
めっちゃアツいストーリーですね!見ていてとても興奮しました!ありがとうございました
ロマンある〜楽しい動画ありがとうございます
父親は戦時中の木炭トラックの荷台に自転車に乗ったままつかまって、峠越えしたと言っていました。それでも振り落とされないくらいアンダーパワーだったのですね。このバス年代物ですので、動態保存してやって下さい。
お疲れ様です、ボンネットバスなんかまだあるんですか!?貴重ですネ😲✨🌠🌟🌠🌟☝🏻👌🏻👍🏼
貴重すぎます!ナンバープレートもレアすぎですね!
これの復元が完成したのが現役時代から40年弱が経過した1981年だったとか。ということは、復元されてからのほうがすでに長い時間が経過しているということ。神奈中の皆さんの動態保存のご苦労は並大抵ではないですね!
今でも北の一部地域では稼働しているとききます。物資が少ない戦時中にエンジニアの工夫とアイディアの素晴らしさを感じます。また動態で保存されている方達の努力と熱意を感じる動画です😊
重ステだから大変でしょう。良い運動になりますね💪
77年前のバスを動体保存されている事は素晴らしい、
すごいすごい! 見たい 乗りたい!
運転をして居る「メカさん」が楽しそうでグッド!
吸ったら死ぬ毒ガスで動くところが何ともワイルド。それで倒れた整備員を便所に寝かすとアンモニアで復活したらしい。
人の起こし方も随分とワイルドですね
整備さん凄いな~想像の範囲で言ってハンドルは重ステでクラッチは2回だから大変だったんじゃないか~?ましてや木炭で走るんだからメカニック者にしたら初恋の人にでも出会ったくらいにドキドキものになったと思うよ!
はじめまして!!木炭バスが動態保存で残されているのは貴重で凄いですね!!🙂👍
最強なエコカーですね!
貴重な現役資料ですね。素晴らしいです。
懐かしかったです,自分が幼い頃に何回か乗ったことが有りました。確か4歳頃だったと思います😂その後は20代の頃でした。
昔はこんなバスが走っていたんですね。SLの自動車版って感じでしょうか。燃料の代わりに薪を燃やしてガスで走る。当時としては画期的なアイディアだっあのでしょうね。今はガソリン、軽油、値段は置いておいて、普通にどこでも手に入ります。技術の進歩って素晴らしいですね。そのガソリン等の販売のスタンドもEV車の普及に伴い数を減らしてる今日。貴重な映像ありがとうございました。
従業員の車が停まってる場所で試運転とはなかなか緊張感がありますね
少し前にテレビで紹介されていた時は不動の状態でしたね。走る姿が見れないかなあと思っていた矢先の復活、ご苦労もあったと思いますがおめでとうございます。
当時はバスだけじゃなくトラックも木炭で走っていたようですね。某中堅運送会社の社史的な本を読んだ時に書いてありました。「朝の5時から全車一斉に薪をくべると辺り一帯が煙だらけになって空から雀が落ちてきた。それでも近隣住民から苦情が来る事は無かった。そういう時代だった」だそうです。
神奈中さん、こんなに歴史ある会社だったんですね。実験させてくれる会社の度量も、整備士さんたちの技術や明るさも良いです!とりわけ若そうな運転手さんが緊張しつつ、かつ誇らしげに乗り回す様子微笑ましいです。
ごめんなさい、当時から保存しているのかと思ったら復元プロジェクトだったんですね。ますますすごいです!
某大学のキャンパスで先日見ました。実際に動いている様子、すごかったです。薪が燃える匂いと音がすさまじく、ああ、時代はどんどん良くなっているのだなと感じます。まさに温故知新。
私の祖父が木炭車の運転手をしてました。温泉旅館の送迎車だったそうです。いつも不具合があったそうで、不具合の状態で舗装されてない峠を越えて関東の整備工場に持ち込んでたとか。貴重な動画、ありがとうございました。
いつか乗ってみたいですね〜そして最後の舞岡営業所のエンディングいいですね〜
動態で保存しているのも整備士さん達の情熱も凄いけど、何よりもこれを会社として認めてやらせてくれる事が一番すごい。
このご時世に文化財保護に投じるだけの儲けが出てる健全経営ってのがすごい
@@あやは-e3n 神奈中さんは多岐に渡って様々な事業展開をされているので企業体力は存分にありそうですよね😃この時代公共交通事業だけでは厳しいので、他のバス事業者さんも頑張っていただきたい。
大きいバス会社としての、使命感というか責任感というか、そういうものが根底にあるのかなと想像します。
1981年に、廃車を寄せ集めて造ったという酔狂である
岡山在住 70歳の元 エンジニアです。 子供の頃に父親が 良く薪で走るバス の話をしていたので、 長い間 どういう原理で走るのだろうと思っていましたが、 今回 実物を見て感動しました。 関係者のご苦労に敬意を表すとともに、 これからも長く 動態 保存して下さる様🍀
戦争中に我が家の近所に住む親戚宅が運送屋を営んでおり、時々祖父が、そこのおじさんに「おい敏一、ちょっと手伝いに来い!」と呼ばれて木炭トラックのエンジン始動を手伝いに行っていたそうです。祖父が言うには「あんなもん、釜に点火してエンジン始動まで40分やぞ!」と言っていました。祖母も「あの頃はお金だけ持って行ってもバスに乗せてくれやんだ。薪持っていかんとあかんのや。」と言っていました。
現在でも北朝鮮が現役で使ってる技術で、RUclips上で写真や動画を見ることが出来ます。
それと冷戦中のアメリカも、万が一核戦争が起きた場合、トラクター等に木炭エンジンを使うつもりでいた様子で、
当時のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)のガイドラインを、ネット上で見ることが出来ます。
@sasakkey2635
木賃宿は聞いた事ありますが、木賃バス?というのは初めて聞きました。
子供の頃ありました。懐かしい。
😳
父親が戦時中に東京の乗合バスの運転手でした。
戦争により燃料不足でガソリンの代替えとして木炭を使用し、
一酸化炭素中毒にかかり危ない経験をした事をを聞かされています。
エンジンを始動させるまでが大変です。
貴重な産業遺産です。
戦争の生き証人ともいえます。
神奈中さん ありがとうございます。
私が3歳か4歳頃我が家に木炭自動車があったので懐かしいですね。当時は乗合バスも木炭だった。冬には困ってた。焚き火のあとトラックを押してエンジンが焚き火の上に行くようにして😂エンジンを温めて稼働させる。荷台の前の方に釜があって炭が入っていて火を付けてエンジンをかけていたの思い出します。凄いよな。前に回ってクランクでエンジンを回すことも。これがまた大変力仕事。助手の役目でしたね。懐かしいなぁ。木炭車ありがとうございます
この整備士さん、難なく運転してるのが凄い。
すげぇ。まじで動いてる。
歴史の雑学で存在は知ってたけど、本当に動いている姿にただただ感動。
EVバスから石炭バスまで動かす神奈中はすごいな。営業所も広大ですね。
会社でこういう遊び心ができる日本であってほしい
戦時中の代替燃料として開発された木炭バス、それを動態で保存されてる神奈中整備士のみなさんはすごいと思います。
バスの状態も非常に良く、第二次大戦の生き証人として後世に残してほしいものです!
良い物を見せて頂きました。
本で存在は知っていましたが、実在し稼働状態にしている会社があるとは驚くとともに、感動すら覚えます。貴重なものだと思いますので、今後とも大事にしていただけると嬉しいです。拝見させていただきまして、ありがとうございます。
小学校5年の時の夏休み、校庭に三太号が来ていたのを見ました!あれから約40年、保存してくれていたのですね!とても感激しました。その年の夏休み自由研究で自分は、三太号の模型を作りました。
一度不完全燃焼でガスを発生させて、そのガスで走るんですね。そのおかげで普通のエンジンの改造で走る。当時の工夫と苦悩がうかがえる歴史的遺産ですね。今後も動態保存できるように応援しています。一酸化炭素中毒だけには気を付けて。
一周回って再生可能エネルギーですかね?
再生可能エネルギーの中のバイオマス燃料に相当しそうですね。木炭ガスは当時はかなり研究されたみたいですけど、非力なのと大して安くならないということで廃れたみたいです。
@@NegiMoeあの頃の木炭車はガソリンタンクも搭載されており、その気になればコックで燃料系統を切り替えてガソリンで動かすことも出来ました。冬に一酸化炭素で始動し辛い時はガソリンで始動していたと言う話も聞いた事があります。
そんなに柔軟に切り替えられたんですね。ハイブリッドだw
@@NegiMoe ソースはWikipediaなのですが、コックで燃料系統を切り替えられる機構を悪用(?)して、終戦直後にヤミで手に入れたガソリンで車を走らせるときにいかにも「代用燃料で走ってますよ」アピールするのに役立ったとか。
だいたいこの手の古い車両はクセがあるので、ベテラン整備士さんが状態確認走行すると思うんですが、若めの整備士さんが、走行させるというのがなんか胸熱!
今すぐではなくとも、旧車のバスを復活させることがあった際に、この体験が役立ちそう。
さすが関東一のバス会社とも言える神奈中バスが歴史的にも貴重な車両を保存してたとは。
しかも動態復活できるまでの整備士さんがいることも凄い。
是非イベント等でお目にかかりたいです。
バスの良いところを今後も沢山発信していってください。
神奈中はバス所有台数で言ったら関東一ではなく日本一ですよ!
西鉄は分社化してますから、ある意味棚ぼたですね。
ただでさえディーゼルよりもトルクの細いガソリンエンジンを代燃仕様の薪ガスで回してるのですからクラッチワークには気を使いそうですね。代燃車は上り坂になると乗客もみんな降りて一緒に押した、という話もよく聞きますね。貴重な産業遺産を復活維持させてくださっていて素晴らしいと思います。
祖父が戦前からバスの運転手でした。
復員後も九州で路線バスの運転手でした
木炭バスはトルクがなく、坂道毎に乗客の男性は降りて後から押して運行していたといっていました。
まさかバス会社さんで今も動態保存されているとは!神奈中バスさんは歴史遺産に理解があって素晴らしいですね。
凄いですね。祖父が戦後、バス運転士でした。やはり薪か石炭バスで当時はパワーが無く登坂では乗客にバスを押してもらっていた。というエピソードを子供の頃に聞きました。
貴重ですね~
当時の運転手さんも今では少くなってきてるんじゃないですか。
今走ってたら乗りに行きます😂
保存し続ける会社、整備をする方々、そして当時この車両の開発製造に携わった全ての人が素晴らしいですね。
bravo🎉🎉
元分社社員です、あの三太号が!?な気持ちで見てました。子会社分社統合などで私は在籍続けられませんでしたが。育った神奈川のあこがれたバスドライバー、バス会社に今一度夢を見させていただきました。これからも神奈川のバス会社かっけぇべ!で、お願いしますw
三太号が動いた 神奈中さん凄い
子供の頃 小学校に来て乗った記憶が有ります
厚木営業所で整備して伊勢原営業所で動かす‼️凄い
整備士さんお疲れ様でした。
よく見たら伊勢原営業所じゃないの。
3:57辺りに映ってる建物からして運ばれた場所は、恐らく神奈川中央交通西 伊勢原営業所ではなかろうかと。
整備士さんもすごいけど
この車両を保存して
なおかつ自走できるのは凄い…
会社の社風もいいんだろうな。
いいもの見せてもらいました
ありがとうございます。
懐かしいですね、私の子供の頃はこの様な車でしたね、私の知って言う方がガスの逆流を
防ぐ所か?パテントを取っていた様な気もしますが?、私も認知の耄碌者ですから?
でも、懐かしいですね、 貨物用には電機自動車も有った様な気もしますが?
特に駅構内では。私もダットサンの750CC?が最初でしたが!懐かしいが乗る気は有りません!
少し前に北海道旭川のバス会社が63年製3軸バスをレストアして話題になりましたが
これは更に20年以上遡った戦中戦前物とは凄い。動態保存というのが最高ですねぇ。
バス会社というのは好事家が多いのでしょうかw
子供の頃 中島飛行機の社宅に
もうこれ動く文化遺産だよね。凄いの一言
文化ではないwww頭悪いのバレるぞ!!!
日本で一番熱いバス会社😊
驚いたなー
公式がこんなことしてるのね
俺もバスドライバーだから
いつかボンネットバスとかモノコックのバスを生で見てみたい
すごい!整備士さんの腕前にも感嘆
神奈中さん最高だよ❗️
遊び心がある職場って羨ましいな
これは凄いわ、同業他社ですが神奈中バスの規模はデカイのは知っていましたが、薪で動くバス🚌なんて映像でも初めて見ました😊
いつも利用しております。
社歌だけが最初アップロードされていたので期間限定なのかと思っていたのですが、薪バスの動画が出てきてびっくりしました。燃料が事欠く時代に、知恵を尽くして作られたバスで、動くところを見るのも初めてでした。技術の継承という点で最高の教材だと思います。
願わくば、今後も技術の継承という点を含めて動く三太号を見たいと思います。
PS:ゴジラ-1.0を見たあとで、この動画を見るとゴジラスタッフは三太号をなぜ探さなかったんだ!!と思ってしまいます。
ロストテクノロジーのはずなのに受け継がれているのがスゴイ。
現役当時も整備や運行は大変だったんでしょうね。先人の労苦が偲ばれます。
本当に感動しました!
関係者の皆様ありがとうございました😊
本当にお疲れ様でした。
これを動かす整備士さんたちには脱帽です!
乗合自動車乗車は国民学校低学年時代なので記憶あいまいですが懐かしい。いつ頃まで使用されていたのかな。
神奈中がこのような歴史的乗り物を動態保存されていることに驚きと感謝。神奈中整備の諸氏、御苦労様でした。
素晴らしい。ありがとうございます。
凄い。70年以上前の薪を焚いて動かすバスを復元させるとは本当に凄いです。動かすのにさぞかし努力なされたことでしょう。
コレに乗った記憶がある・・・と言うと歳がバレる。
その時見た記憶では、走ってる時も後ろの釜炊き台でオジサンが何か作業してた。母の里帰りで自分は未だオンブされてた赤子だったが、明確な記憶がある。この乳幼児時代の記憶では、金沢八景がミニ松島だったり、湘南辺りの東海道が浮世絵の東海道五十三次の面影が残ってたり、江ノ島に和船の渡し船で渡った記憶とか、上野動物園で猿の電車に乗ったり、世田谷辺りは茫漠とした冬枯れの畑だったり、海老名耕地を寂しく行く小田急の貨物列車だったり、この頃の風景は映画“ヘッドライト”の寂しい風景とソックリ。
共に第二次世界大戦禍の跡が幼児にもわかる程に、強かったのだろう。
このバスが伊勢原市辺りで、トラックに乗っかって陸送されている
瞬間をみましたw
これだったんですね。
これは純粋に素晴らしい。
父親が戦時中に木炭自動車のトラックで中島飛行機の工場、三鷹市から、神奈川県藤沢市の荏原ポンプの工場に酸素のボンベを取りいって、登り坂は上がらなくて、クルマを降りて押したなんで話を聞いて、チカラの無いトラックと、人力でガスボンベを積むのも人力頼りで、厳しい時代だ!と思ったのを思いましました
この手がかかるバスを実際につかってた当時もすごいと思うし
このエンストできない状況でこの時代のバスをエンストせずに運転できる人もすごいし
何より整備技術と動態保存できていることがすごい.
会社の利益には直結しないのに.
環境があーだこーだ言っているこの時代にこのバスを復活してくれた神奈中に感謝
かっこいい👍👍
化石燃料を使用しないからカーボンニュートラル!
@@wtnktmy
薪という有機物を燃やしている時点でカーボンネガティブなんだよなぁ…(重箱の隅をつつく輩)
薪という有機物の炭素は、成長過程で空気中の二酸化炭素を吸収したものなんだよなぁ
@@この先生きのこるには-r9c バイオ燃料ね。排出するCO2は成長中に吸収してるものだから
くぅぅ、あらゆる部品・装置がカワイイ!
蒸気機関の車両があることは知っていたけどまさか不燃焼ガスで走る車両があるとは驚いた...
でも車は生き物と言われてきた所以をものすごく感じで がんばれ...!!!ってつい声を出してしまう。
最高に可愛くて愛おしい車両だ🥰🥰
当時の街音の一つにこのエンジン音があってそれが令和の今になっても聞けてると思うと何だかわくわくしますね!
バッテリーがない場合は前回フロントにささってた手回し棒でエンジンかけるのかな それも見てみたい
涙が出て ます~~なつかしい 私80才、良く保管して あったね!家の近くでいつも運転手さんが薪をくべ、手廻しの風送り機でサイレン見たいな音がして 乗客や近所の大人が出てきて手伝っていた、これから坂道を登りきる為に一苦労して木炭バスって言ってた方向指示機もいい動画見させて頂きました ありがとう
こういうレトロバス走らすとか素敵すぎる
どうにか動かそうと頑張る整備士さんたちの姿に感動🥲︎
これは凄い!全く夢物語。整備士さん強者ぞろいですね。
これは貴重な動く機械遺産に値しますね。木炭を燃やしたガスで走るというバスを末永く大切にして欲しいと私も思います。2024.1.10
歴史的にも価値のあるバスを動態保存され整備されているのが素晴らしいです。お疲れ様です。
6:59〜後輩のバス達が通り過ぎる大先輩に立礼・敬礼しているように見えますね。やはりこの時代の車ですと変速はダブルクラッチでしょうか。難なく運転できる整備士さんの腕が凄いです。
ナンバープレートが当時のままですね
すごい貴重な車両の貴重な運行映像だと思います✨🤣👍
パワステもシンクロも無い、走行出来るまで時間がかかる😮昔のバス運転手さんは大変やったんやろなぁ😂
ロストテクノロジーをこうやって令和の時代に維持されていることがすごい。豊田会長が見られたら乗りたいといおっしゃるかも。
バスのデザインがかわいいですね
1981年頃に今は無き神田の交通博物館でこれに乗った事があります
前後に少し動く状態だったので復元作業が終わった直後だったと思います
凄い…戦前・戦中のこんなレアすぎるバスが走れるようになるとは…
1度は見に行きたいですね😳
一度名古屋に来た時乗りに行きました。
よう知らんけど、これ戦前にも走ってたの?
@@セバスチャンランド ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A4%AA%E5%8F%B7?wprov=sfti1
ご参照ください。
神奈中すごーい。リアル乗合自動車。走ってる。
このセルの音懐かしい、分かる人は分かる。
バッテリーの性能が下ちる冬はエンジンの下で焚火してエンジンかけた記憶があります。
男たちの熱い夢に共感いたしました。ありがとうございました。
駐車している若い衆の周りを、戦後の復興やバスガール、当時の町並みを思いながら走るおじいちゃん
アポロウィンカーの動作が見れるのは貴重。
この前 福島県立博物館で、木炭バスを見たんですが、当時どんな感じで走ってたんだろうなぁと気になってたので、この動画を見て感動しました☺kanachu さん感謝!
やばい、まさにスチームパンクでカッコいい。
粘土塗るの ジープにありましたね
向こうは戦勝国なので燃料は真面でしたが
渡河する場面で電気系統念入りに塗ってました
見どころ
0:00 オープニング
0:07 前回のおさらい
0:17 営業所移動
3:02 木を燃やしてく
3:44 バッテリー
4:18 エンジン作動
4:46 エンジンの中見
4:49 いい音のマフラー
5:23 推しポイント
5:50 遂に10年ぶりの走行!1番おすすめ!
6:06 走行中の車内
6:34 右折してく
8:16 バックしていく
8:44 走行終了!実験大成功!!
8:57 お知らせ
全部最高で草
@mwmwmwmwmmw ハッピーセットは草
これはこの世界の片隅にに出てたやつやー。すごい…。「木炭バスは上がってこれんかったでしょ」のやつやー
昭和レトロなバス初めて見ました!や~60代70代80代90代の男女の高齢者方はかつてこのレトロなバスでお出掛けした事でしょう!
このバスを保存してるのはすごく賢いと思う。
これからも保存できることを願います🤲
薪を燃やすのに一苦労。エンジンをかけるのに一苦労。輸送車から地面に下ろすのにも一苦労。大変な手間だったんですな。それだけに走り出した時の感動はひとしおでありましょう。
木炭車なんてまだ日本に存在してたのか…
戦時中に活躍したと言われる車両ですね😊
今注目のバイオマス燃料ですね!
めっちゃアツいストーリーですね!見ていてとても興奮しました!ありがとうございました
ロマンある〜
楽しい動画ありがとうございます
父親は戦時中の木炭トラックの荷台に自転車に乗ったままつかまって、峠越えしたと言っていました。それでも振り落とされないくらいアンダーパワーだったのですね。このバス年代物ですので、動態保存してやって下さい。
お疲れ様です、ボンネットバスなんかまだあるんですか!?貴重ですネ😲✨🌠🌟🌠🌟☝🏻👌🏻👍🏼
貴重すぎます!ナンバープレートもレアすぎですね!
これの復元が完成したのが現役時代から40年弱が経過した1981年だったとか。ということは、復元されてからのほうがすでに長い時間が経過しているということ。神奈中の皆さんの動態保存のご苦労は並大抵ではないですね!
今でも北の一部地域では稼働しているとききます。物資が少ない戦時中にエンジニアの工夫とアイディアの素晴らしさを感じます。また動態で保存されている方達の努力と熱意を感じる動画です😊
重ステだから大変でしょう。
良い運動になりますね💪
77年前のバスを動体保存されている事は素晴らしい、
すごいすごい! 見たい 乗りたい!
運転をして居る「メカさん」が楽しそうでグッド!
吸ったら死ぬ毒ガスで動くところが何ともワイルド。
それで倒れた整備員を便所に寝かすとアンモニアで復活したらしい。
人の起こし方も随分とワイルドですね
整備さん凄いな~
想像の範囲で言ってハンドルは重ステでクラッチは2回だから大変だったんじゃないか~?
ましてや木炭で走るんだからメカニック者にしたら初恋の人にでも出会ったくらいにドキドキものになったと思うよ!
はじめまして!!木炭バスが動態保存で残されているのは貴重で凄いですね!!🙂👍
最強なエコカーですね!
貴重な現役資料ですね。素晴らしいです。
懐かしかったです,自分が幼い頃に何回か乗ったことが有りました。
確か4歳頃だったと思います😂その後は20代の頃でした。
昔はこんなバスが走っていたんですね。
SLの自動車版って感じでしょうか。
燃料の代わりに薪を燃やしてガスで走る。
当時としては画期的なアイディアだっあのでしょうね。
今はガソリン、軽油、値段は置いておいて、普通にどこでも手に入ります。
技術の進歩って素晴らしいですね。
そのガソリン等の販売のスタンドもEV車の普及に伴い数を減らしてる今日。
貴重な映像ありがとうございました。
従業員の車が停まってる場所で試運転とはなかなか緊張感がありますね
少し前にテレビで紹介されていた時は不動の状態でしたね。
走る姿が見れないかなあと思っていた矢先の復活、ご苦労もあったと思いますがおめでとうございます。
当時はバスだけじゃなくトラックも木炭で走っていたようですね。
某中堅運送会社の社史的な本を読んだ時に書いてありました。
「朝の5時から全車一斉に薪をくべると辺り一帯が煙だらけになって空から雀が落ちてきた。それでも近隣住民から苦情が来る事は無かった。そういう時代だった」
だそうです。
神奈中さん、こんなに歴史ある会社だったんですね。実験させてくれる会社の度量も、整備士さんたちの技術や明るさも良いです!とりわけ若そうな運転手さんが緊張しつつ、かつ誇らしげに乗り回す様子微笑ましいです。
ごめんなさい、当時から保存しているのかと思ったら復元プロジェクトだったんですね。ますますすごいです!
某大学のキャンパスで先日見ました。実際に動いている様子、すごかったです。薪が燃える匂いと音がすさまじく、ああ、時代はどんどん良くなっているのだなと感じます。まさに温故知新。
私の祖父が木炭車の運転手をしてました。
温泉旅館の送迎車だったそうです。
いつも不具合があったそうで、不具合の状態で舗装されてない峠を越えて関東の整備工場に持ち込んでたとか。
貴重な動画、ありがとうございました。
いつか乗ってみたいですね〜
そして最後の舞岡営業所のエンディングいいですね〜