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今日も素敵なお着物が見れて嬉しかったです。うちは母が加賀友禅派で、私の黒留袖も加賀友禅で誂えてくれました。弟の結婚式で着ただけですが、本当に美しくて虫干しの際は前に座ってしばらく眺めています。母のと並べると本当に絵画のようです☺️
Ireene Adler さん加賀友禅を2枚もお持ちなのですね。鑑賞には良いですね〜😊
ご紹介いただきありがとうございます。改めて見直してみます。
ギネス認定きものコレクション さんこの度もご依頼、ありがとうございました🙇♂️いつも勉強させていただいております🙇♂️
素晴らしい紋にも加賀の品格なのですね五彩は五色だと思っていました本日も学ばせて頂き有り難うございました。
中村真知子 さんいつもご視聴コメントありがとうございます🙇♂️この文様を活かす為に紋の演出は控えめなのです。加賀五彩はあくまでもイメージの選出色なのですね。
いつもご返信有り難うございます無知なのが恥ずかしいです学ばせて頂き感謝です。
@@中村真知子-o5d さんこちらこそいつもありがとうございます🙇♂️私も知っていることしか話していませんので😅🙏分からないことだらけですよ😅
派手さがなく流れるような絵柄が素敵な逸品ですね✨加賀友禅は落款も染めだとは知りませんでした。もしかしたら一枚持っているかもです。🍀
Lughルー さんいつもご視聴コメントをいただき、ありがとうございます😊
品格、納得です、ありがとうございます。
三瓶真理子 さんご視聴、コメントありがとうございます🙇♂️
京と加賀のイメージは京友禅は花が正面を向いて華やか加賀は自然に咲いている様で大人しいと言うようなぼんやりしたものでしたが染めの違いも大きいのですね…
窪田直子 さん京友禅は制約がありませんが、加賀はいくつかの約束事を作ってきました。近年また少しずつ新たな変化が見られますね。
大好きな加賀友禅を取り上げてくださり、有難うございます。今後機会がありましたら、京友禅のお着物と並べてご説明頂けたら、と思います。つらつら思いますに、加賀金沢は確か金箔の産地だったかと思いますが、敢えて金彩をしなくなったところが不思議だったり…。比べますと京都の方が外来文化の影響が強いのかしら、など。いかが思われますか?
さとみこ さん加賀友禅はいくつかの約束事がありますが、それも決定されたものではありません。京友禅は全くそういう約束事はありませんので、京友禅を取り上げての解説はあまり意味が無いのでは、と思います。京都は新しいモノをいち早く取り込む街なので、何でもアリなのですね😊
加賀友禅における加賀五彩という言葉の歴史的な使用事実は無いと思います。出典はなにかあるのでしょうか。加賀五彩は戦後の高度成長期に問屋の小川さんが九谷焼の五彩を真似して加賀友禅の販売戦略として使用しただけのものと老舗の仕上げ屋さんから聞きました。なので、五彩の色も作家によっても組合が言っているのと違います。加賀友禅の名称も大正時代に初めて使われたもので江戸時代には外様の加賀に加賀友禅はありませんでした。宮崎友禅菜が金沢で加賀友禅を広めたとか教えたとかいう事実も確認されていません。金沢では宮崎友禅斎が描いたと言われる生地の端切れ一枚見つかっていません。研究者の論文や、染色史研究の第一人者の山辺知行先生も宮崎友禅斎と加賀友禅の関係を考えるのは無理があるとおっしゃっています。今では龍谷寺の友禅斎の墓も確かな根拠や裏付けは無いと言うのが妥当となっています。人間国宝の二塚先生は当時はそもそも顔料は5色しか無かったから加賀だけの特別なものでは無いとおっしゃっています。個人的には百貫先生の色使いは天才的で2、300色も使われていたと聞いています。10数色ぐらいの五彩ではなく点描画のような幻想的な彩色です。
今日も素敵なお着物が見れて嬉しかったです。
うちは母が加賀友禅派で、私の黒留袖も加賀友禅で誂えてくれました。弟の結婚式で着ただけですが、本当に美しくて虫干しの際は前に座ってしばらく眺めています。
母のと並べると本当に絵画のようです☺️
Ireene Adler さん
加賀友禅を2枚もお持ちなのですね。
鑑賞には良いですね〜😊
ご紹介いただきありがとうございます。
改めて見直してみます。
ギネス認定きものコレクション さん
この度もご依頼、ありがとうございました🙇♂️
いつも勉強させていただいております🙇♂️
素晴らしい
紋にも加賀の品格なのですね
五彩は五色だと思っていました本日も学ばせて頂き有り難うございました。
中村真知子 さん
いつもご視聴コメントありがとうございます🙇♂️
この文様を活かす為に紋の演出は控えめなのです。
加賀五彩はあくまでもイメージの選出色なのですね。
いつもご返信
有り難うございます
無知なのが恥ずかしいです
学ばせて頂き
感謝です。
@@中村真知子-o5d さん
こちらこそいつもありがとうございます🙇♂️
私も知っていることしか話していませんので😅🙏
分からないことだらけですよ😅
派手さがなく流れるような絵柄が素敵な逸品ですね✨
加賀友禅は落款も染めだとは知りませんでした。もしかしたら一枚持っているかもです。🍀
Lughルー さん
いつもご視聴コメントをいただき、ありがとうございます😊
品格、納得です、ありがとうございます。
三瓶真理子 さん
ご視聴、コメントありがとうございます🙇♂️
京と加賀のイメージは京友禅は花が正面を向いて華やか
加賀は自然に咲いている様で大人しいと言うような
ぼんやりしたものでしたが染めの違いも大きいの
ですね…
窪田直子 さん
京友禅は制約がありませんが、加賀はいくつかの約束事を作ってきました。
近年また少しずつ新たな変化が見られますね。
大好きな加賀友禅を取り上げてくださり、有難うございます。
今後機会がありましたら、京友禅のお着物と並べてご説明頂けたら、と思います。
つらつら思いますに、加賀金沢は確か金箔の産地だったかと思いますが、敢えて金彩をしなくなったところが不思議だったり…。
比べますと京都の方が外来文化の影響が強いのかしら、など。
いかが思われますか?
さとみこ さん
加賀友禅はいくつかの約束事がありますが、それも決定されたものではありません。
京友禅は全くそういう約束事はありませんので、京友禅を取り上げての解説はあまり意味が無いのでは、と思います。
京都は新しいモノをいち早く取り込む街なので、何でもアリなのですね😊
加賀友禅における加賀五彩という言葉の歴史的な使用事実は無いと思います。出典はなにかあるのでしょうか。加賀五彩は戦後の高度成長期に問屋の小川さんが九谷焼の五彩を真似して加賀友禅の販売戦略として使用しただけのものと老舗の仕上げ屋さんから聞きました。なので、五彩の色も作家によっても組合が言っているのと違います。加賀友禅の名称も大正時代に初めて使われたもので江戸時代には外様の加賀に加賀友禅はありませんでした。宮崎友禅菜が金沢で加賀友禅を広めたとか教えたとかいう事実も確認されていません。金沢では宮崎友禅斎が描いたと言われる生地の端切れ一枚見つかっていません。研究者の論文や、染色史研究の第一人者の山辺知行先生も宮崎友禅斎と加賀友禅の関係を考えるのは無理があるとおっしゃっています。今では龍谷寺の友禅斎の墓も確かな根拠や裏付けは無いと言うのが妥当となっています。人間国宝の二塚先生は当時はそもそも顔料は5色しか無かったから加賀だけの特別なものでは無いとおっしゃっています。個人的には百貫先生の色使いは天才的で2、300色も使われていたと聞いています。10数色ぐらいの五彩ではなく点描画のような幻想的な彩色です。