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大阪市60系は前面窓に大型ガラスを採用したのが斬新でしたね、これに関しては他車への影響があったものでした。カチカチシートはモケット貼りに変えられても他の鉄道よりものすごく固かったです。
私も30年前に御堂筋線梅田~江坂を通勤で利用していましたが、30系のシートも硬かったのを憶えています。その点、50系は座り心地がよく乗客からも職員からも愛され、車両が引退する時には惜別の涙を流していた職員もいたらしいです。
京阪5000系5扉車両は、多扉車両のパイオニアであり最後まで現役であり続けた事を考えればオワコンではなく、時代の要請に応えたレジェンドです。
そうだ、そうだー。
昔の本には「高校野球とレッツゴーヤングの時はテレビカーは満員になる」と書いてあった。
紅白歌合戦やプロ野球中継等々も。
逆に新技術の出現や環境の変化でコストや保守・性能の問題がクリア出来て復活した物もあります。動画にも出てきた東急デハ200の「低床式路面電車」や電気式気動車・同ディーゼル機関車等「オワコン」になりかけた物も今やそちらの方が主流になりました。その時は「オワコン」でも決して無駄ではなかったという事ですね。
②子供の頃利用した栃尾電鉄が映っていたのでビックリ👀③大阪市交60系の固いシート🆚阪急3300系。座り心地の差は歴然❗️⑦TVカーは関西の誇り✌️
私も60系が来た時は阪急の車両を待ちました。本当にあのシート嫌でした。
一番のオワコンは、抵抗制御と直流電動機の使用のような気もしますな
①電気ブレーキの廃熱を利用した暖房ですが、国鉄の電気式ディーゼルカーキハ44000系でも採用されています。さらに遡ると、日本初の電気式ディーゼルカーである相模鉄道キハ1000形(後の日立電鉄モハ13形)が採用したのが私の知る最も古い事例です。
エンジンの排熱ほど熱量が上がらないんでしょうね。電気抵抗では。
排熱利用の暖房は相鉄の初代5000形でも採用されましたね。更に7000系の一部の車両ではヒートポンプ式のエアコンも採用されたけど、本格的には普及しなかったですね…
多扉車ついでに、東武が日比谷線直通用に従来の20000系の5扉バージョンの20050系を導入しました。この車両、平成初期の落成にもかかわらず、ドア上にシャープ製のカラー液晶モニターが採用され、停車駅や乗換えの案内が表示されました。(また、当時の東武の制服を着たマスコットがお辞儀をする画像もありました。)平成2年に落成された東武のスペーシアはデッキの出入り扉の上には3色のLEDモニターが採用されていましたが、通勤車両にカラー液晶が採用されたのは驚くべき事だと思いますが、当時は液晶の故障も多く、結局は撤去されてしまい、その後、東武の新型車には50070系までカラーモニターが採用されることはありませんでした。他社でも同時期に液晶モニターは採用されなかったと思います。
電照式広告とテレビカーは、オワコンというよりは車内LCDディスプレイで発展的解消したって感じですね。
橋本-八幡市で電波が悪くなったのはいい思い出
あそこで中継局が変わるんでしたっけ?アンテナも違う方向を向いたのが2つついてましたね。
103系の数少ない長所として、冬の暖房がホカホカでそのまま寝てしまいそうなくらいに快適だったことが挙げられる。今の車両は省エネを意識して効きが悪いうえに片持ち式で足に温風が来ずに寒いんだよね。
8:04これは中々斬新ですね
連接構造のE331系は普及することなく、さらに休車を繰り返して数年で廃車になりましたね。一度も見ることはありませんでした。連接構造の車両は小田急50000形も17年で比較的早く運用離脱しましたね…
廃熱利用の暖房設備については「出てくるのが早すぎた」というのもあるのかもしれませんね。今の時代で考えたら「エコだねえ」ですが、あの頃ではたぶん「ちょうどいい温度に調整」というのができなかったのかもしれませんね。ちなみに多扉車に関しては京阪のそれを知った時「いいなあ、関西の電車は。こっちにも5ドア車走ってるけど、ピーク時以外に必要がないドアのところに座席が下りてくるような仕様になってないのに」と思いましたね。あの技術、日比谷線直通列車(5ドア車)にも取り入れてほしかったですね。ピーク時でない時に座席数が少なくなるのが嫌いでした。
Wikipediaにもありますが京成のテレビカーは致命的なテレビ不足問題があった日本テレビが開局直後に多数設置した街頭テレビの一つですただ、放送時間が平日は昼と夜、土日は昼から夜だけで昼に走る特急に使われたので放送時間に合ってないことが多く特に当時の目玉、力道山のプロレス中継が見られることは稀だったようですね
なので 夏季の夜にテレビのプロレス中継を見せる為だけの臨時列車「納涼プロレス電車」を京成上野↔京成千葉で走らせた事がありました。海沿いの千葉線を走らせたのは開けた窓から涼しい海風を浴びるためです。
京成は少し早すぎたみたいですね。この頃は力道山の中継がやっていた感じですね
街頭テレビをリアルで体験した人が、もうどれくらい残っているのだろうか・・・。あ、大阪西成の三角公園には、今もありますよ。
相鉄のオリジナル車の装備に殆ど広まらなかったのが結構ありますね……油圧式自動窓台車のオートグリスタ(台車の給油部分にワンレバーで一括給油)直角カルダン駆動同軸形ディスクブレーキ(パイオニア型ではない)ヒートポンプ形空調装置……
自動窓は京阪(7200・9000系)や阪急(8000・8300系)で採用されたが、更新の際には撤去されたな。
@@けん-o4y さん京阪や阪急は空気式の自動窓でしたね。小田急のワイドドア車にも採用されたけど、後が続きませんでした……
たくみっくさんのパク…ではなく、オマージュですねwなかなか楽しいです。
種村直樹さんは京阪沿線の出身ですが、京阪のテレビカーに対し、「車窓が楽しめる鉄道には不要のサービス」と、スマホなどなかった時代に、既にオワコンと認定していたのを思い出しました。
種村直樹氏はレールライターの方ですね。昔の時刻表に紀伊半島観光、伊勢志摩観光の投稿されていましたが鉄道だけでなくバスや飛行機もルートとして紹介されていました。京阪沿線御出身の関西人だったのですね
確かに、あの種村先生は、そういう視点をお持ちだったところに、先見の明がありましたね。テレビカーは、子どもの頃乗っても、基本NHK中心のため、好きなアニメや特撮等がやっておらず、つまらなかったような思い出が…(^-^;(笑)
高校野球、プロ野球、大相撲がメインでしたからね。あと京阪電鉄提供のABCフラッシュニュース(笑)
@@ゴンタオヤジ 子供向けのある鉄道書に、京阪のテレビカーはNHKの大人向けの番組ばかり放送していて、子供には面白くないと書かれていたのを読んだ記憶があります。
11PMでも放送していたのでしょうか?(⌒▽⌒)。終電間際になるのでありませんが。まあNHKに限ったら大人でもつまらないですね。なら八幡、淀あたりの景色見ている方がいいですね。
テレビカー、NHKの受信料が高くつき、案外費用がかかると思うのだが。
京阪にも容赦ないでしょうね。それが原因でオワコンになったかもしれません
無料特急のサービスの一環なので、著作権法第38条3項の規定で、街頭テレビや電器店のテレビと同じ扱いになり、受信料は払わなくていいはずですよ。それより、沿線に高い建物が建ったり、電車自身の発する高周波雑音で受信状況が大変悪くなってしまったのが、オワコンの原因の一つらしいですね。
蒸気機関という動力方式がオワコン…というのはおいといてw鉄輪とレールの摩擦の小ささを利用して大量輸送を少ないエネルギーでまかなうという「技術」はいつまでも続きそうですね。
貫通路は跨座式モノレールやLRTに幅広なのがありますね。電車の制御器とモーターは、修理部品が無いとかで強制終了ぽい終わりかたかと。非電化路線も、JR西日本が電気式を本格採用することが決定したら、変速機式のディーゼル車が絶滅しそうですね。
垂直カルダンはナローゲージの他、改軌前の志摩線モ5401型に採用されましたね。近鉄鉄道まつりというイベントで当時のパンフレットを購入して図面を見ましたが、垂直カルダンの構造がまあ複雑でメンテがしにくそうでした。この車両は養老線に転属後、電装解除されてしまったようですね。あとは御堂筋線30系のレザーシートは懐かしい!でも嘔吐物対策だったとは。もう一つ、リトラクタブルヘッドライトは近鉄の団体用車両「楽」のスカート部分に補助的なもの(こちらは本当に飛び出すもの)が装備されていましたが、昨年のリニューアルで撤去されてしまいました。
垂直カルダン駆動は北勢線に200系として残っているそうです。ビデオの通り私が乗車したのは全て吊りかけしきでした。レザーシートは本当に懐かしく感じて作りました。堺筋線のは酷かったでした
飛行機でもLCCだとレザーシート(本革)はよくあります、拭くだけできれいになるので。
@@heitetsu4649 さんいや、違うんです💦説明が足りなかったようで🙇💦北勢線200形はかつて垂直カルダンを載せていたのであって、三重交通から近鉄へ引き継がれた後の1971年に電装解除されてトレーラーとなっています。理由はメンテナンスのやり辛さでした。電動車時代、構造上台車の上方向にモーターが出っ張るので、今でも一部の台車上の床が少し高くなっているところがその名残りです。
30系のレザーシートは、まるで昭和の病院の待合室のベンチそのものでしたよね…「楽」の蓋付きライトは京成100系に追随するように当時近鉄が採用しましたが、おっしゃる通り、近年のリニューアル工事でさりげなく撤去されてましたから、要するに鐵道界からは、リトラクタブルライト装備車は消滅した、ということに。
そうでしたか。シンフォニーテクノロジー(神鋼電機の後身)のホームページをみると確かにトレーラーやクレーンがあったのでそちらにシフトされたのでしょう。
交流モーターの車軸直接ドライブ方式がそのうち登場します。VVVFがバイポーラ方式からMOSバワートランジスタに替わります。8軸駆動、大幅な軽量化、サスペンションも根本的に替わります。JR東、近鉄は試験的に実験しています。
垂直カルダンは、台車架装の駆動装置を特殊狭軌に取り付けようと無理をした結果ですが、それならなぜ単純に気動車同じような床下架装にしなかったのかと疑問に思いますね。ビニールレザーシートは生まれた時代が早すぎたんでしょうね。冷暖房があれば問題なかったでしょうけど。営団銀座線の1500系(旧)も電照式広告ではなかったですか?はめ込みでしたが、光って見えないという苦情があったらしいですが。京阪テレビカーは、民放を受信しているときに競争他社の広告が始まった途端、急いで車掌がチャンネル変更に走ったという逸話がありますね。ドレミファ・インバータって確か京急の技術者の人が「どうせ雑音が出るのならば、せめて心地よい音にしよう」ということで仕様を決定したと聞きました。最近では使わなくなったといえば、1モータ2車軸駆動の台車も見かけなくなりましたね。名古屋市電の乗越カルダンとか、豊橋市内線の異径台車とかもありましたね。自動車輸送貨車やカートレイン・モトトレインもなくなりましたね。
豊橋の異径台車車種は名鉄の開発です…岐阜の美濃町線用でした超低床車両の実績がない日本車両がむりやり作ったのが「モ800型」です車内は中央が低く両端に向けてスロープ状になっている変則床でした(そのための特殊台車です)豊橋へ譲渡され、試運転すると某交差点を曲がれない(台車が車体に干渉する)とか色々あった車両です
@@himecal さま。異径台車の低床車の前例はアメリカのパシフィックエレクトリックの市内線車両がたぶん最初ですね。ほかに海外では記憶ですみませんがヨーロッパで床がスロープになった車両があったと思います。日本ではこれだけでしたね。実績がなかった分、外国の文献などを参考にしながら設計されたと思います。800形は名鉄のオーダーメイドで曲がれないのは仕方がないにしろ、アルナのリトルダンサーは標準設計のレディメイドの車両。そのリトルダンサーUaでも曲がれなかったので、特殊なカーブと考えたほうがいいと思います。リトルダンサーは他社にも採用例が多くありますから。それより道路改良や路線改良をしてこなかった行政側にも問題がありますね。
1電動機2軸駆動台車は国鉄EF30・80と東急初代6000系が採用してましたね。軽量 安価で空転に強いのが特徴でしたが 歯車機構が複雑になるのが難点でした。東急6000系は直角カルダン車はそうでもありませんでしたが 平行カルダン車はギア鳴り音が喧しく「サイレン電車」と呼ばれていました。走行音をupされた方がいらしたので参考までに。ruclips.net/video/BpBy6b3xwZs/видео.html
そのナローゲージでは、内燃動車のエンジンをそのままモーターに置き換えた形の「車体装荷カルダン駆動」を採用した事例もありますよ。垂直カルダンを採用した栃尾鉄道、淡路交通では車体装荷カルダンも採用しています。特に栃尾鉄道では、車体装荷カルダンと吊り掛け式を一つの台車に取り付けた珍車もありました。
@@N--T さま。海外では多数採用例があるのに不思議ですね。海外の一部のLRVやイギリスのクラス390とかスペインの120形軌間可変電車なんかに使われていますね。
ドレミファインバータに限らず、ジーメンスの主要機器はメンテナンスに手間がかかるので継続発注に繋がらないのはありますな……広島電鉄の5000形グリーンムーバーは今や数編成が部品取りで休廃車になり、共食い整備になっている状態……
グリーンムーバーが出た時は広島県民的には「古臭い広島電鉄が背伸びしたで!」と話題になったのを覚えてます。
広島に行ったとき、あの電車をわざわざ待って乗ったものです。路面電車=古典的な乗り物の固定観念を払拭した車両だったのに、引退が始まっているなんて、残念です…
熊本電鉄とJR四国の一部電車で採用している川崎の台車「ef-wing」も普及しなきゃ、そちらの仲間入りに・・・・・
連接台車は何故か好きです。小田急やタルゴなどはカーブが多い路線が原因という気もします。タルゴ方式を長崎新幹線のフリーゲージに活用できないのですか。100系新幹線の二階建ても好きでした。二階は天井がやや低く荷物棚が窮屈でした。一階部分に普通席がある車両があり、指定席料金でほぼグリーン車仕様の座席に座れました。幅広貫通路は1960年代阪急の車両であり、通学時に乗ったことがあります。阪急の貫通路の断面は、キノコ型ではなく通常の箱形?でした。発車時・停車時の風圧が強かったです。
二階建ての新幹線は、食堂車の眺望が最高でしたよ。いまでも忘れられません。だって食堂の窓が防音壁の上にあるのですから、沿線の風景を遮るものが何もなかった。それに合わせて窓も天井にかかるように大きかったような。
グランドひかりですね。1度二階建ての食堂車で食事をしたいと、出張時に東京から博多まで6時間以上(当時のダイヤ)乗車した同僚がいました。
@@太田光児 さま。実はX1編成です。まだこの編成しかなかったときに時刻表を見て予約を取り乗車。朝の東京駅出発から食堂車の入り口で壁のエッチングのレリーフを見ながら待って入場、頑張って静岡あたりまで、洋定食でねばりましたが、今にして思うと和定食も食べておくべきだったと後悔してます(笑)。それから自席まで、グリーン車など各車を散策と言う名の移動(笑)。実車はたしか新幹線博物館に所蔵されていますね?。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 様 記念すべきX1編成に乗車されたのですか。羨ましいですね。一階にグリーン個室のあるタイプですか。出張で一番乗車したのが100系なので思い入れがあります。帰路はわざと100系ひかりで帰ったこともありました。
タルゴは客車方式ですから軌間可変も比較的容易ですし、新幹線に要求される走行性能も満たせません
パイオニア台車もこのカテゴリーに入るのかな?あと、オワコン化以前の問題ですが、テスト車両も含むとガスタービン車や新幹線の「ネコミミ」ブレーキなんかも新技術への挑戦でしたね。
205系の添加界磁励磁制御は在来車の省エネ化に貢献したかと?(営団5000系や名鉄・京阪・阪神等で在来車から改造してるし)
7:48 全断面広幅貫通路は、大阪モノレールで走ってますよー
一軸連接のタルゴですが高速電車にも採用されており試運転で時速370キロ 営業列車で時速300キロです、
びわこ号の連接部分がホロではなくドラム構造であることは、いまでこそ写真や図面での解説が公開されて周知されているように思いますが、以前は実写を見たことがある人以外は意外と知られていなかったようですむかしある有名鉄道車両メーカーの見学会で開発の人とその話をしたときには、思いっきり全否定された上になにもものを知らない人のような扱いを受けたことがありますね。
二階建て車両も人気が一定数あるからオワコンという言葉は合わんかも知れやんけど減ったよな近鉄ビスタカーも一部居住性が狭いとかで今現在はハイデッカー使用だけになり新幹線も今は二階建て車両はゼロやからな
あおぞら号を参考に設計された車両が、オーストラリアで大量に走ってますから着眼点はまちがいがなかったとも思いますが、いかんせん機器室の考え方が違いましたね。むこうは全車2階建てですから。新幹線は旅の楽しみより通勤手段となってしまいましたから、しかたがないですね。いまは車内販売がオワコンにならないように祈りたい。
しまかぜのカフェが久しぶりのビスタ新造でしたね。JR東の普通列車グリーンは中央線導入で増産中です。
蒸気機関車にはギースル式煙突なんてのがありましたね。燃焼効率向上に貢献したらしいですが、普及しませんでしたね。形状上、クルクルパーが取り付けられなかったからだろうと思うのですが…ご存知の方がいらしたらお教えください。
よそのチャンネルの動画を見るに火の粉止めがつけられないようです。後、オーストリアのライセンス品なので、使用料取られたとか。
斬新な装備や技術はオワコンになった訳ではなく、試作車や試験車が作られて試用されて実績を積んで実用化されているのだが、一部量産形式与えられて廃形式になったのがありますねぇ・・・。E331系て言うんですが・・・。 鉄道車両に新技術採用は難しいのですよ。
単軸の連接車があったのですね。理由を聞くと納得します。
8:19モノレールにはなりますが、大阪高速鉄道の1000系・2000系もこの貫通路です。
広幅貫通路は見通しがよく移動がしやすかったので乗ってるときはすごくよかったでもよくよく考えると普通の人は移動なんてそんなしねえなと思ったのと動画中記述の理由もあり無くなったのは納得多扉車はラッシュ時の乗り降りの速度が圧倒的に違うホームドアの関係でなくなってしまったがドア位置に寄らないホームドア方式も開発が進んでるので完全撤廃はちょっと早まってしまったのではないかと思った(ただその後コロナ問題で結果的に多扉車が必要なラッシュが解消してるが)
東京メトロ東西線で広いドアの車両が来ると、乗り降りがしやすくて嬉しい。
電機子チョッパ制御は部品の安い界磁チョッパ制御に切り替わった印象です。界磁添加励磁制御は抵抗制御に部品を足して回生ブレーキを使用できるようにしたものです。界磁チョッパ制御は国鉄では採用されませんでしたが理由は電機子チョッパ制御や界磁添加励磁制御は保守が簡単な直巻モーターが使えますが、界磁チョッパ制御は保守に難の有る複巻モーターを使わなければならなかった為です。なお、界磁チョッパ制御は私鉄では積極的に採用されています。
電気子チョッパ制御が本来のチョッパ制御で界磁チョッパ制御は抵抗制御の弱め界磁だけチョッパ制御にした界磁位相制御の発展系の半チョッパ制御半抵抗制御だからな
こんばんは。京急は新技術の採用が多い分、オワコン技術も多いですね。頑なに片開扉を続け普通用として乗降時間短縮が必要な800形も両開きではなく片開4扉を採用しましたが両開3扉に対する優位性が無いこと、ホームドアへの対応が必要となったことから廃止されました。個人的には品川や文庫で増結する4両編成が3扉の旧1000形だったり4扉の700形だったりした頃は整列乗車をどうコントロールしていたのかが気になります。
新技術を採用したらそれだけ捨てるものや途中で諦めるものも多かったのですね。京急は片開き多かったですね。ことでんに行った1000形は全部片開きでした。ちなみに阪神も赤胴車の大半は片開きで普通のジェットカーだけ両開きでした。赤胴車も7000やなんば線と乗り入れようと計画された赤胴車あたりから両開きになり今は完全両開きになりました
京急が頑なに片開き扉を使い続けていたのは、「扉は片開き・前照灯は1灯」という伝統があり、当時の日野原副社長がそれに拘っていたという事もあったようです。「片開きの方が窓が大きく車内が明るい」という考えからで、開閉時間のハンデを解消すべく物凄く早く開閉するのも特徴でした。2000形から前照灯が2灯になり、両開き扉となったのはその副社長さんが退いた為で、偉い人が変に拘るとやりにくい一つの事例ですね。名鉄も当時の社長が逝去するまで「2扉クロスシート」に拘ってましたし。
トップが変わると方針も変わりますね。JR東海のフィクサー兼名誉会長がご逝去されたのでこちらも変化があるかもしれません
2100形が製造されていた頃は、政府が海外製品の使用を推し進めていたのと、円高による価格の優位性があり、制御装置はシーメンスですが、シートはスウェーデン製だと聞いています。E501系は完全にコスト削減を目指したために採用したのではないかと思います。
テレビカーってNHKの受信料取られたんだろうけど車両単位なのか列車単位なのか。ふと気になりました。
著作権法第38条3項に、「放送され、又は有線放送される著作物(放送される著作物が自動公衆送信される場合の当該著作物を含む。)は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、受信装置を用いて公に伝達することができる。通常の家庭用受信装置を用いてする場合も、同様とする」・・・ということで、乗客サービスの一環で、視聴のために特別に料金を徴収しなければ、受信料は払わなくても良いそうですよ。それから余談ですが、インターネット放送に関しては文化庁が、「権利制限の対象となる自動公衆送信(送信可能化)は、専ら原放送の放送対象地域内において同時再送信が行われる場合に限られています。一般に、個人が行うインターネット送信については、原放送の放送対象地域に限定して同時再送信することは困難であり、この地域要件があることにより、専ら放送対象地域内に限定して同時再送信をすることができないインターネット送信は、権利制限の対象とはならないことになります」・・・ということらしいです。
連接車は三両編成の路面電車で現役ですねw
テレビカーは門真よしみで松下製でした
第二弾が作られても入れそうもないキハ285系。このシリーズが続くならツイングルシートは何処かで登場しそう。
あれもそうでしたね。可動式座席の座り心地はまるでベンチでした。その京急では700形でモケットをビニールレザーに張り替えた座席を試用した事があったそうでしたが、やはり汗ばむトラブルでやめたそうです。他にも小田急2300形の転換式リクライニングシートや、国鉄と東急車輛の共同開発でクハ79929に試験的に載せた元祖デュアルシート(ロングシートの座席が元になったので 向かい合わせクロス状態では病院の待合室状態で どっちにしても中途半端だった。)と座席だけでも色々と迷作がありましたね。
オワコンではなく「意欲的な挑戦」と言って頂きたいね実戦で収集したデータは無駄ではない
相鉄のボタンで窓が開くとかですね!
阪急にもありますが、最新の1000,1300系ではなくなりました。
自分は理系ではないのですがかつては技術的問題を解決するのに機械的な手法を用いることが多かったように思います。ここ30年位は半導体とコンピュータの急速な発展で解決しているように思います。幕公告→液晶テレビ公告のようにオワコンになっても発想は受け継がれているものもあると感じました。
レザーシートは京急にもありました。デハ700型4扉車の一部が登場当時採用してました。大阪市交の様なコチコチではなくソフトでゆったりしてました。まだ非冷房の時代で、夏場の苦情から他と同じに代えられましたが。
鉄道とは直接関係無いですが、自動車のリトラクタブルヘッドライトがオワコン化したのは、以前はヘッドライトの光軸高さ規制があったことや、アメリカでSAE規格型のヘッドライトしか認められておらず、低いボンネットのスーパーカーではそれらをクリアするためでした。
システムを文系で逃げる……( ゚д゚)ハッ!たく○っくさん?w
文系はやっぱり文系ですね。おそらくあの方もWikipedia見て理解しようとされましたが多分、難解だったと思います。でも理系の分野をやさしく面白く語られるのはたけておられますね。敬服します。ただオワコンは使わせていただきました。私的には205の界磁励磁xxxがいまだに覚えられません。
実家最寄り駅が北大阪急行の某駅だったので、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)のカチカチシートはよく覚えています。色は赤だったような・・・夏は汗がべっとりくっついて嫌だったのを覚えています。
リトラクタブルライトは、京成100系の後、意外ともう一つ、近鉄20000系「楽」も採用してた。何故かスカートに、補助灯として蓋付きライトが。これも何気に、近年のリニューアル工事で、例の阪急モドキのメタリック仕様に変わってから、その蓋付きライトは、さりげなく撤去されており、要するに鐵道界からは、リトラクタブルライト装備車は消滅していた…という。
シートとワイドドアは民度の問題だな
オワコン・文系...これで最後におっさんギャグ(ダジャレ)が有ったら、た◯み○くチャンネルw最近オワコンになりつつあるのは振り子式の車体傾斜装置ですかね。
ワイドドアはラッシュ時の停車時間の遅延対策として採用したものの、小田急が確認した結果、余計遅れる様になったと聞いている。
なんだか電気子チョッパも界磁添加励磁制御も、抵抗制御よりも早く廃車されているような気がします。
電子部品が製造されてないからね……GTOインバーターが後を追う。多分添加励磁制御よりGTOインバーターが先に消えるかも。
500系について、20世紀の時点での300㎞運転に達した初めての新幹線車両で、東京~博多間の所要時間を5時間割れに貢献したのに、車体のつくりや、製造コストやメンテ、運用も独自に設定する必要があったなどの理由からjr東海に嫌われました。ご存じでしょうか。鉄道ファンに大人気のあの新幹線です。ruclips.net/video/nEm7da_oPLU/видео.htmlこちらも取り上げてほしかったな。
鉄道ではないですが、電照式広告枠は一時期、阪急バスの運転席後方にありましたが、動かなかったり止まらなかったり故障が多かった。
小田急のワイドドアがオワコンになったのはホームドアが大きな原因。
コレはいい企画ですね。垂直カルダンはHO模型みたい。大阪60系も初期はビニルだったね
子供の頃夏に窓を全開した営団6000系の初期車に乗っていたら駅を出て加速中に進行方向反対側に強めの風が吹いて、2両前の車両の床に落ちていた新聞紙がホバークラフトのように床を移動して目の前を通過して行った事がありました。それだけ風の吹き抜けが酷い電車でした。そういえばその6000系から始まったワンタッチで正面から階段が飛び出す非常口も使われなくなりましたね。
阪急でも3000系以前の車両は広幅貫通路が多くてやっぱり新聞が走っていってました(笑)自分は見通しが良くて広々とした感じが好きでした。それと、やっぱり非常口は使わないにこしたことがないですね。
京阪5000形の昇降式補助座席は、たしか実用新案を取っていたと思いますよ。仮に他で採用した会社で装置が元で万が一のことが起こらないように構造を公開したと聞いたことがありますが、同じものを採用した会社はありませんでしたね。
あの座席は走行試験を何度も実施されたようで上から落ちてくるかどうかの耐久試験もあったそうです。結局関東に多扉車が普及したときは座席折りたたみ式になりました
@@heitetsu4649 さま。地域性の差もあるとは思いますが、閑散時にゆったり着席するよりラッシュ時にいかに多くの乗客を詰め込むかに重点をおいていたのでしょうね。それから常に開くドアとラッシュ時しか開かないドアがあるのが紛らわしく面倒だったのかもしれませんね。整列乗車という点で。
京阪5000系の3ドアモード時の座席数は、5000系の前に製造された2400系よりも多くなり、ラッシュ時と日中の閑散時双方の需要を両立させた構造でした。当時は冷房付き通勤車が2400系と5000系しかないこともあって、日中は急行メインに使われたので座席数が少ないというのは結構深刻な問題だったようです。
振り子はまだ最前線だけど心配
京浜急行の2代目600形の一部車両(初期型)で使われたツイングルシートを取り上げてほしかった
今回もありがとうございます。「オワコン」そう来ましたか。垂直カルダンは、かつてそれを載せていた三岐鉄道北勢線の200系がまだ生きている事にも触れて欲しかったです。個人的には0系新幹線電車や京阪5000系に使われていた「ヒートポンプエアコン」が何故オワコンになったのか?暖房の時は寧ろ電気ヒーターよりも消費電力が少ないのにと思います。ワイドドアや多扉車も発想は良かったし実際一時期その効果は発揮出来たんですけどね。チョッパは中国語では「斬波」と書くそうです。文字がそのまま意味を表していますね。
この度もありがとうございました。いただきました企画がヒントとなり、いろいろ思い浮かんできました。ヒートポンプエアコンもいいですね。私が垂直カルダンであげた動画が三岐鉄道の北勢線ですが、この車両は吊りかけ式なので、別の車両ですね。200系は。チョッパ制御の中国語がそのままですね。今度は例の博物館をやってみます。今後ともよろしくお願いいたします。
@@heitetsu4649 さん楽しみにお待ちしております。関係ありませんが、東海の葛西名誉会長が亡くなられましたね。あと「こうや号」が橋本の車庫で脱線して車体にもかなりの損傷があったのが気掛かりです。
ヒートポンプエアコンは、近鉄21000系で東芝製のものが使用されていますが、最近では使用例が少なくなりましたね。
DD54のキメドロ式。どのような構造なのかはよく知らない。EF58やDD51に暖房用に装備されていた蒸気発生装置。
初めて知った。ありがとうございました。
非常にマイナーな校正コメントで恐縮ですが、タイトルは「なったか」ではないでしょうか?
ですね。失礼いたしました
連接台車は整備が大変と小田急の工場が言ってましたね。
東武もカルダン駆動は持て余してましたね。保育社の本に書いてありました。
2000年初期まで5000系の吊りかけ式が野田線に走っていました。カルダンには抵抗があったのでしょうか。
5700系の5720形に載せられた直角カルダンですね。特急車にはいち早く最新技術を採用する東武らしく東急(5000系)や小田急(2200形)よりも1年早い1953年の採用でした。故にまだ未完成だったのでしょうね調子が悪くて数年で吊り掛け式に改造されてしまいましたが 1700系白帯(はくたい)車が登場して吊り掛け式の5700系が急行に格下げされても 5720形は時にはその1700系と併結して特急運用に活躍していました。珍しい東芝製の台車を履いた電車でもありましたね。
カルダン式は構造が複雑になるので、初期は整備現場泣かせだったそうです。京阪80形のように、色々と新基軸を詰めこんだのでカルダン駆動にすると流石に手に負えないということであえて吊り掛け式にした事例もあります。
界磁添加励磁制御もあまり採用例無かったよな
シーメンスは古河グループと合弁で設立したのが富士電機
富士電機から派生したのが富士通。派生した方が大きくなりましたね
@@heitetsu4649 そして 富士通とシーメンスで合弁子会社「富士通シーメンス」(たしか携帯インフラ事業)を…この会社には「おじいさんの家に引き取られた孫娘」感が…
トマソンの事か…………
このチャンネルも新コンテンツの出現でオワコンになるかもしれませんよ。せいぜいがんばってくださいねwって「オワコン」を使って表現してみました
大阪市60系は前面窓に大型ガラスを採用したのが斬新でしたね、これに関しては他車への影響があったものでした。
カチカチシートはモケット貼りに変えられても他の鉄道よりものすごく固かったです。
私も30年前に御堂筋線梅田~江坂を通勤で利用していましたが、30系のシートも硬かったのを憶えています。その点、50系は座り心地がよく乗客からも職員からも愛され、車両が引退する時には惜別の涙を流していた職員もいたらしいです。
京阪5000系5扉車両は、多扉車両のパイオニアであり
最後まで現役であり続けた事を考えれば
オワコンではなく、時代の要請に応えたレジェンドです。
そうだ、そうだー。
昔の本には「高校野球とレッツゴーヤングの時はテレビカーは満員になる」と書いてあった。
紅白歌合戦やプロ野球中継等々も。
逆に新技術の出現や環境の変化でコストや保守・性能の問題がクリア出来て復活した物もあります。
動画にも出てきた東急デハ200の「低床式路面電車」や電気式気動車・同ディーゼル機関車等
「オワコン」になりかけた物も今やそちらの方が主流になりました。
その時は「オワコン」でも決して無駄ではなかったという事ですね。
②子供の頃利用した栃尾電鉄が映っていたのでビックリ👀③大阪市交60系の固いシート🆚阪急3300系。座り心地の差は歴然❗️⑦TVカーは関西の誇り✌️
私も60系が来た時は阪急の車両を待ちました。本当にあのシート嫌でした。
一番のオワコンは、抵抗制御と直流電動機の使用のような気もしますな
①電気ブレーキの廃熱を利用した暖房ですが、国鉄の電気式ディーゼルカーキハ44000系でも採用されています。さらに遡ると、日本初の電気式ディーゼルカーである相模鉄道キハ1000形(後の日立電鉄モハ13形)が採用したのが私の知る最も古い事例です。
エンジンの排熱ほど熱量が上がらないんでしょうね。電気抵抗では。
排熱利用の暖房は相鉄の初代5000形でも採用されましたね。更に7000系の一部の車両ではヒートポンプ式のエアコンも採用されたけど、本格的には普及しなかったですね…
多扉車ついでに、東武が日比谷線直通用に従来の20000系の5扉バージョンの20050系を導入しました。
この車両、平成初期の落成にもかかわらず、ドア上にシャープ製のカラー液晶モニターが採用され、
停車駅や乗換えの案内が表示されました。
(また、当時の東武の制服を着たマスコットがお辞儀をする画像もありました。)
平成2年に落成された東武のスペーシアはデッキの出入り扉の上には3色のLEDモニターが採用されていましたが、
通勤車両にカラー液晶が採用されたのは驚くべき事だと思いますが、当時は液晶の故障も多く、結局は撤去されてしまい、
その後、東武の新型車には50070系までカラーモニターが採用されることはありませんでした。
他社でも同時期に液晶モニターは採用されなかったと思います。
電照式広告とテレビカーは、オワコンというよりは
車内LCDディスプレイで発展的解消したって感じですね。
橋本-八幡市で電波が悪くなったのはいい思い出
あそこで中継局が変わるんでしたっけ?アンテナも違う方向を向いたのが2つついてましたね。
103系の数少ない長所として、冬の暖房がホカホカでそのまま寝てしまいそうなくらいに快適だったことが挙げられる。
今の車両は省エネを意識して効きが悪いうえに片持ち式で足に温風が来ずに寒いんだよね。
8:04これは中々斬新ですね
連接構造のE331系は普及することなく、さらに休車を繰り返して数年で廃車になりましたね。一度も見ることはありませんでした。連接構造の車両は小田急50000形も17年で比較的早く運用離脱しましたね…
廃熱利用の暖房設備については「出てくるのが早すぎた」というのもあるのかもしれませんね。今の時代で考えたら「エコだねえ」ですが、あの頃ではたぶん「ちょうどいい温度に調整」というのができなかったのかもしれませんね。
ちなみに多扉車に関しては京阪のそれを知った時「いいなあ、関西の電車は。こっちにも5ドア車走ってるけど、ピーク時以外に必要がないドアのところに座席が下りてくるような仕様になってないのに」と思いましたね。あの技術、日比谷線直通列車(5ドア車)にも取り入れてほしかったですね。ピーク時でない時に座席数が少なくなるのが嫌いでした。
Wikipediaにもありますが京成のテレビカーは致命的なテレビ不足問題があった日本テレビが開局直後に多数設置した街頭テレビの一つです
ただ、放送時間が平日は昼と夜、土日は昼から夜だけで昼に走る特急に使われたので放送時間に合ってないことが多く
特に当時の目玉、力道山のプロレス中継が見られることは稀だったようですね
なので 夏季の夜にテレビのプロレス中継を見せる為だけの臨時列車
「納涼プロレス電車」を京成上野↔京成千葉で走らせた事がありました。
海沿いの千葉線を走らせたのは開けた窓から涼しい海風を浴びるためです。
京成は少し早すぎたみたいですね。この頃は力道山の中継がやっていた感じですね
街頭テレビをリアルで体験した人が、もうどれくらい残っているのだろうか・・・。
あ、大阪西成の三角公園には、今もありますよ。
相鉄のオリジナル車の装備に
殆ど広まらなかったのが結構ありますね……
油圧式自動窓
台車のオートグリスタ(台車の給油部分にワンレバーで一括給油)
直角カルダン駆動
同軸形ディスクブレーキ(パイオニア型ではない)
ヒートポンプ形空調装置……
自動窓は京阪(7200・9000系)や阪急(8000・8300系)で採用されたが、更新の際には撤去されたな。
@@けん-o4y さん
京阪や阪急は空気式の自動窓でしたね。
小田急のワイドドア車にも採用されたけど、後が続きませんでした……
たくみっくさんのパク…ではなく、オマージュですねw
なかなか楽しいです。
種村直樹さんは京阪沿線の出身ですが、京阪のテレビカーに対し、
「車窓が楽しめる鉄道には不要のサービス」と、
スマホなどなかった時代に、既にオワコンと認定していたのを思い出しました。
種村直樹氏はレールライターの方ですね。昔の時刻表に紀伊半島観光、伊勢志摩観光の投稿されていましたが鉄道だけでなくバスや飛行機もルートとして紹介されていました。京阪沿線御出身の関西人だったのですね
確かに、あの種村先生は、そういう視点をお持ちだったところに、先見の明がありましたね。
テレビカーは、子どもの頃乗っても、基本NHK中心のため、好きなアニメや特撮等がやっておらず、つまらなかったような思い出が…(^-^;(笑)
高校野球、プロ野球、大相撲がメインでしたからね。あと京阪電鉄提供のABCフラッシュニュース(笑)
@@ゴンタオヤジ
子供向けのある鉄道書に、京阪のテレビカーはNHKの大人向けの
番組ばかり放送していて、子供には面白くないと
書かれていたのを読んだ記憶があります。
11PMでも放送していたのでしょうか?(⌒▽⌒)。終電間際になるのでありませんが。まあNHKに限ったら大人でもつまらないですね。なら八幡、淀あたりの景色見ている方がいいですね。
テレビカー、NHKの受信料が高くつき、案外費用がかかると思うのだが。
京阪にも容赦ないでしょうね。それが原因でオワコンになったかもしれません
無料特急のサービスの一環なので、著作権法第38条3項の規定で、街頭テレビや電器店のテレビと同じ扱いになり、受信料は払わなくていいはずですよ。
それより、沿線に高い建物が建ったり、電車自身の発する高周波雑音で受信状況が大変悪くなってしまったのが、オワコンの原因の一つらしいですね。
蒸気機関という動力方式がオワコン…というのはおいといてw
鉄輪とレールの摩擦の小ささを利用して大量輸送を少ないエネルギーでまかなうという「技術」はいつまでも続きそうですね。
貫通路は跨座式モノレールやLRTに幅広なのがありますね。
電車の制御器とモーターは、修理部品が無いとかで強制終了ぽい終わりかたかと。
非電化路線も、JR西日本が電気式を本格採用することが決定したら、変速機式のディーゼル車が絶滅しそうですね。
垂直カルダンはナローゲージの他、改軌前の志摩線モ5401型に採用されましたね。近鉄鉄道まつりというイベントで当時のパンフレットを購入して図面を見ましたが、垂直カルダンの構造がまあ複雑でメンテがしにくそうでした。この車両は養老線に転属後、電装解除されてしまったようですね。
あとは御堂筋線30系のレザーシートは懐かしい!でも嘔吐物対策だったとは。
もう一つ、リトラクタブルヘッドライトは近鉄の団体用車両「楽」のスカート部分に補助的なもの(こちらは本当に飛び出すもの)が装備されていましたが、昨年のリニューアルで撤去されてしまいました。
垂直カルダン駆動は北勢線に200系として残っているそうです。ビデオの通り私が乗車したのは全て吊りかけしきでした。レザーシートは本当に懐かしく感じて作りました。堺筋線のは酷かったでした
飛行機でもLCCだとレザーシート(本革)はよくあります、拭くだけできれいになるので。
@@heitetsu4649 さん
いや、違うんです💦
説明が足りなかったようで🙇💦
北勢線200形はかつて垂直カルダンを載せていたのであって、三重交通から近鉄へ引き継がれた後の1971年に電装解除されてトレーラーとなっています。
理由はメンテナンスのやり辛さでした。
電動車時代、構造上台車の上方向にモーターが出っ張るので、今でも一部の台車上の床が少し高くなっているところがその名残りです。
30系のレザーシートは、まるで昭和の病院の待合室のベンチそのものでしたよね…
「楽」の蓋付きライトは京成100系に追随するように当時近鉄が採用しましたが、おっしゃる通り、近年のリニューアル工事でさりげなく撤去されてましたから、要するに鐵道界からは、リトラクタブルライト装備車は消滅した、ということに。
そうでしたか。シンフォニーテクノロジー(神鋼電機の後身)のホームページをみると確かにトレーラーやクレーンがあったのでそちらにシフトされたのでしょう。
交流モーターの車軸直接ドライブ方式がそのうち登場します。
VVVFがバイポーラ方式からMOSバワートランジスタに替わります。
8軸駆動、大幅な軽量化、サスペンションも根本的に替わります。JR東、近鉄は試験的に実験しています。
垂直カルダンは、台車架装の駆動装置を特殊狭軌に取り付けようと無理をした結果ですが、それならなぜ単純に気動車同じような床下架装にしなかったのかと疑問に思いますね。
ビニールレザーシートは生まれた時代が早すぎたんでしょうね。冷暖房があれば問題なかったでしょうけど。
営団銀座線の1500系(旧)も電照式広告ではなかったですか?はめ込みでしたが、光って見えないという苦情があったらしいですが。
京阪テレビカーは、民放を受信しているときに競争他社の広告が始まった途端、急いで車掌がチャンネル変更に走ったという逸話がありますね。
ドレミファ・インバータって確か京急の技術者の人が「どうせ雑音が出るのならば、せめて心地よい音にしよう」ということで仕様を決定したと聞きました。
最近では使わなくなったといえば、1モータ2車軸駆動の台車も見かけなくなりましたね。名古屋市電の乗越カルダンとか、豊橋市内線の異径台車とかもありましたね。自動車輸送貨車やカートレイン・モトトレインもなくなりましたね。
豊橋の異径台車車種は
名鉄の開発です…岐阜の美濃町線用でした
超低床車両の実績がない日本車両が
むりやり作ったのが「モ800型」です
車内は中央が低く両端に向けてスロープ状になっている変則床でした(そのための特殊台車です)
豊橋へ譲渡され、試運転すると
某交差点を曲がれない(台車が車体に干渉する)とか
色々あった車両です
@@himecal さま。
異径台車の低床車の前例はアメリカのパシフィックエレクトリックの市内線車両がたぶん最初ですね。ほかに海外では記憶ですみませんがヨーロッパで床がスロープになった車両があったと思います。日本ではこれだけでしたね。実績がなかった分、外国の文献などを参考にしながら設計されたと思います。
800形は名鉄のオーダーメイドで曲がれないのは仕方がないにしろ、アルナのリトルダンサーは標準設計のレディメイドの車両。そのリトルダンサーUaでも曲がれなかったので、特殊なカーブと考えたほうがいいと思います。リトルダンサーは他社にも採用例が多くありますから。
それより道路改良や路線改良をしてこなかった行政側にも問題がありますね。
1電動機2軸駆動台車は国鉄EF30・80と東急初代6000系が採用してましたね。
軽量 安価で空転に強いのが特徴でしたが 歯車機構が複雑になるのが難点でした。
東急6000系は直角カルダン車はそうでもありませんでしたが 平行カルダン車はギア鳴り音が喧しく「サイレン電車」と呼ばれていました。
走行音をupされた方がいらしたので参考までに。
ruclips.net/video/BpBy6b3xwZs/видео.html
そのナローゲージでは、内燃動車のエンジンをそのままモーターに置き換えた形の「車体装荷カルダン駆動」を採用した事例もありますよ。垂直カルダンを採用した栃尾鉄道、淡路交通では車体装荷カルダンも採用しています。特に栃尾鉄道では、車体装荷カルダンと吊り掛け式を一つの台車に取り付けた珍車もありました。
@@N--T さま。海外では多数採用例があるのに不思議ですね。海外の一部のLRVやイギリスのクラス390とかスペインの120形軌間可変電車なんかに使われていますね。
ドレミファインバータに限らず、ジーメンスの主要機器はメンテナンスに手間がかかるので継続発注に繋がらないのはありますな……広島電鉄の5000形グリーンムーバーは今や数編成が部品取りで休廃車になり、共食い整備になっている状態……
グリーンムーバーが出た時は広島県民的には「古臭い広島電鉄が背伸びしたで!」と話題になったのを覚えてます。
広島に行ったとき、あの電車をわざわざ待って乗ったものです。路面電車=古典的な乗り物の固定観念を払拭した車両だったのに、引退が始まっているなんて、残念です…
熊本電鉄とJR四国の一部電車で採用している川崎の台車「ef-wing」も普及しなきゃ、そちらの仲間入りに・・・・・
連接台車は何故か好きです。小田急やタルゴなどはカーブが多い路線が原因という気もします。タルゴ方式を長崎新幹線のフリーゲージに活用できないのですか。100系新幹線の二階建ても好きでした。二階は天井がやや低く荷物棚が窮屈でした。一階部分に普通席がある車両があり、指定席料金でほぼグリーン車仕様の座席に座れました。幅広貫通路は1960年代阪急の車両であり、通学時に乗ったことがあります。阪急の貫通路の断面は、キノコ型ではなく通常の箱形?でした。発車時・停車時の風圧が強かったです。
二階建ての新幹線は、食堂車の眺望が最高でしたよ。いまでも忘れられません。だって食堂の窓が防音壁の上にあるのですから、沿線の風景を遮るものが何もなかった。それに合わせて窓も天井にかかるように大きかったような。
グランドひかりですね。1度二階建ての食堂車で食事をしたいと、出張時に東京から博多まで6時間以上(当時のダイヤ)乗車した同僚がいました。
@@太田光児 さま。
実はX1編成です。まだこの編成しかなかったときに時刻表を見て予約を取り乗車。朝の東京駅出発から食堂車の入り口で壁のエッチングのレリーフを見ながら待って入場、頑張って静岡あたりまで、洋定食でねばりましたが、今にして思うと和定食も食べておくべきだったと後悔してます(笑)。それから自席まで、グリーン車など各車を散策と言う名の移動(笑)。
実車はたしか新幹線博物館に所蔵されていますね?。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 様 記念すべきX1編成に乗車されたのですか。羨ましいですね。一階にグリーン個室のあるタイプですか。出張で一番乗車したのが100系なので思い入れがあります。帰路はわざと100系ひかりで帰ったこともありました。
タルゴは客車方式ですから軌間可変も比較的容易ですし、新幹線に要求される走行性能も満たせません
パイオニア台車もこのカテゴリーに入るのかな?
あと、オワコン化以前の問題ですが、テスト車両も含むとガスタービン車や新幹線の「ネコミミ」ブレーキなんかも新技術への挑戦でしたね。
205系の添加界磁励磁制御は在来車の省エネ化に貢献したかと?(営団5000系や名鉄・京阪・阪神等で在来車から改造してるし)
7:48 全断面広幅貫通路は、大阪モノレールで走ってますよー
一軸連接のタルゴですが高速電車にも採用されており試運転で時速370キロ 営業列車で時速300キロです、
びわこ号の連接部分がホロではなくドラム構造であることは、いまでこそ写真や図面での解説が公開されて周知されているように思いますが、以前は実写を見たことがある人以外は意外と知られていなかったようです
むかしある有名鉄道車両メーカーの見学会で開発の人とその話をしたときには、思いっきり全否定された上になにもものを知らない人のような扱いを受けたことがありますね。
二階建て車両も人気が一定数あるからオワコンという言葉は合わんかも知れやんけど減ったよな
近鉄ビスタカーも一部居住性が狭いとかで今現在はハイデッカー使用だけになり新幹線も今は二階建て車両はゼロやからな
あおぞら号を参考に設計された車両が、オーストラリアで大量に走ってますから着眼点はまちがいがなかったとも思いますが、いかんせん機器室の考え方が違いましたね。むこうは全車2階建てですから。
新幹線は旅の楽しみより通勤手段となってしまいましたから、しかたがないですね。いまは車内販売がオワコンにならないように祈りたい。
しまかぜのカフェが久しぶりのビスタ新造でしたね。JR東の普通列車グリーンは中央線導入で増産中です。
蒸気機関車にはギースル式煙突なんてのがありましたね。燃焼効率向上に貢献したらしいですが、普及しませんでしたね。形状上、クルクルパーが取り付けられなかったからだろうと思うのですが…ご存知の方がいらしたらお教えください。
よそのチャンネルの動画を見るに
火の粉止めがつけられないようです。
後、オーストリアのライセンス品なので、使用料取られたとか。
斬新な装備や技術はオワコンになった訳ではなく、試作車や試験車が作られて試用されて実績を積んで実用化されているのだが、一部量産形式与えられて廃形式になったのがありますねぇ・・・。E331系て言うんですが・・・。
鉄道車両に新技術採用は難しいのですよ。
単軸の連接車があったのですね。理由を聞くと納得します。
8:19
モノレールにはなりますが、大阪高速鉄道の1000系・2000系もこの貫通路です。
広幅貫通路は見通しがよく移動がしやすかったので乗ってるときはすごくよかった
でもよくよく考えると普通の人は移動なんてそんなしねえなと思ったのと動画中記述の理由もあり無くなったのは納得
多扉車はラッシュ時の乗り降りの速度が圧倒的に違う
ホームドアの関係でなくなってしまったがドア位置に寄らないホームドア方式も開発が進んでるので
完全撤廃はちょっと早まってしまったのではないかと思った(ただその後コロナ問題で結果的に多扉車が必要なラッシュが解消してるが)
東京メトロ東西線で広いドアの車両が来ると、乗り降りがしやすくて嬉しい。
電機子チョッパ制御は部品の安い界磁チョッパ制御に切り替わった印象です。
界磁添加励磁制御は抵抗制御に部品を足して回生ブレーキを使用できるようにしたものです。
界磁チョッパ制御は国鉄では採用されませんでしたが理由は電機子チョッパ制御や界磁添加励磁制御は
保守が簡単な直巻モーターが使えますが、界磁チョッパ制御は保守に難の有る複巻モーターを使わなけ
ればならなかった為です。
なお、界磁チョッパ制御は私鉄では積極的に採用されています。
電気子チョッパ制御が本来のチョッパ制御で
界磁チョッパ制御は抵抗制御の弱め界磁だけチョッパ制御にした
界磁位相制御の発展系の半チョッパ制御半抵抗制御だからな
こんばんは。京急は新技術の採用が多い分、オワコン技術も多いですね。頑なに片開扉を続け普通用として乗降時間短縮が必要な800形も両開きではなく
片開4扉を採用しましたが両開3扉に対する優位性が無いこと、ホームドアへの対応が必要となったことから廃止されました。個人的には品川や文庫で増結
する4両編成が3扉の旧1000形だったり4扉の700形だったりした頃は整列乗車をどうコントロールしていたのかが気になります。
新技術を採用したらそれだけ捨てるものや途中で諦めるものも多かったのですね。京急は片開き多かったですね。ことでんに行った1000形は全部片開きでした。ちなみに阪神も赤胴車の大半は片開きで普通のジェットカーだけ両開きでした。赤胴車も7000やなんば線と乗り入れようと計画された赤胴車あたりから両開きになり今は完全両開きになりました
京急が頑なに片開き扉を使い続けていたのは、「扉は片開き・前照灯は1灯」という伝統があり、当時の日野原副社長がそれに拘っていたという事もあったようです。
「片開きの方が窓が大きく車内が明るい」という考えからで、開閉時間のハンデを解消すべく物凄く早く開閉するのも特徴でした。
2000形から前照灯が2灯になり、両開き扉となったのはその副社長さんが退いた為で、偉い人が変に拘るとやりにくい一つの事例ですね。
名鉄も当時の社長が逝去するまで「2扉クロスシート」に拘ってましたし。
トップが変わると方針も変わりますね。JR東海のフィクサー兼名誉会長がご逝去されたのでこちらも変化があるかもしれません
2100形が製造されていた頃は、政府が海外製品の使用を推し進めていたのと、円高による価格の
優位性があり、制御装置はシーメンスですが、シートはスウェーデン製だと聞いています。
E501系は完全にコスト削減を目指したために採用したのではないかと思います。
テレビカーってNHKの受信料取られたんだろうけど車両単位なのか列車単位なのか。ふと気になりました。
著作権法第38条3項に、「放送され、又は有線放送される著作物(放送される著作物が自動公衆送信される場合の当該著作物を含む。)は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、受信装置を用いて公に伝達することができる。通常の家庭用受信装置を用いてする場合も、同様とする」
・・・ということで、乗客サービスの一環で、視聴のために特別に料金を徴収しなければ、受信料は払わなくても良いそうですよ。
それから余談ですが、インターネット放送に関しては文化庁が、「権利制限の対象となる自動公衆送信(送信可能化)は、専ら原放送の放送対象地域内において同時再送信が行われる場合に限られています。一般に、個人が行うインターネット送信については、原放送の放送対象地域に限定して同時再送信することは困難であり、この地域要件があることにより、専ら放送対象地域内に限定して同時再送信をすることができないインターネット送信は、権利制限の対象とはならないことになります」
・・・ということらしいです。
連接車は三両編成の路面電車で現役ですねw
テレビカーは門真よしみで松下製でした
第二弾が作られても入れそうもないキハ285系。このシリーズが続くならツイングルシートは何処かで登場しそう。
あれもそうでしたね。
可動式座席の座り心地はまるでベンチでした。
その京急では700形でモケットをビニールレザーに張り替えた座席を試用した事があったそうでしたが、やはり汗ばむトラブルでやめたそうです。
他にも小田急2300形の転換式リクライニングシートや、国鉄と東急車輛の共同開発でクハ79929に試験的に載せた元祖デュアルシート(ロングシートの座席が元になったので 向かい合わせクロス状態では病院の待合室状態で どっちにしても中途半端だった。)と座席だけでも色々と迷作がありましたね。
オワコンではなく「意欲的な挑戦」と言って頂きたいね
実戦で収集したデータは無駄ではない
相鉄のボタンで窓が開くとかですね!
阪急にもありますが、最新の1000,1300系ではなくなりました。
自分は理系ではないのですがかつては技術的問題を解決するのに機械的な手法を用いることが多かったように思います。ここ30年位は半導体とコンピュータの急速な発展で解決しているように思います。幕公告→液晶テレビ公告のようにオワコンになっても発想は受け継がれているものもあると感じました。
レザーシートは京急にもありました。デハ700型4扉車の一部が登場当時採用してました。
大阪市交の様なコチコチではなくソフトでゆったりしてました。
まだ非冷房の時代で、夏場の苦情から他と同じに代えられましたが。
鉄道とは直接関係無いですが、自動車のリトラクタブルヘッドライトがオワコン化したのは、以前はヘッドライトの光軸高さ規制があったことや、アメリカでSAE規格型のヘッドライトしか認められておらず、低いボンネットのスーパーカーではそれらをクリアするためでした。
システムを文系で逃げる……
( ゚д゚)ハッ!
たく○っくさん?w
文系はやっぱり文系ですね。おそらくあの方もWikipedia見て理解しようとされましたが多分、難解だったと思います。でも理系の分野をやさしく面白く語られるのはたけておられますね。敬服します。ただオワコンは使わせていただきました。私的には205の界磁励磁xxxがいまだに覚えられません。
実家最寄り駅が北大阪急行の某駅だったので、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)のカチカチシートはよく覚えています。色は赤だったような・・・
夏は汗がべっとりくっついて嫌だったのを覚えています。
リトラクタブルライトは、京成100系の後、意外ともう一つ、近鉄20000系「楽」も採用してた。何故かスカートに、補助灯として蓋付きライトが。
これも何気に、近年のリニューアル工事で、例の阪急モドキのメタリック仕様に変わってから、その蓋付きライトは、さりげなく撤去されており、要するに鐵道界からは、リトラクタブルライト装備車は消滅していた…という。
シートとワイドドアは民度の問題だな
オワコン・文系...これで最後におっさんギャグ(ダジャレ)が有ったら、た◯み○くチャンネルw
最近オワコンになりつつあるのは振り子式の車体傾斜装置ですかね。
ワイドドアはラッシュ時の停車時間の遅延対策として採用したものの、小田急が確認した結果、余計遅れる様になったと聞いている。
なんだか電気子チョッパも界磁添加励磁制御も、抵抗制御よりも早く廃車されているような気がします。
電子部品が製造されてないからね……
GTOインバーターが後を追う。
多分添加励磁制御よりGTOインバーターが先に消えるかも。
500系について、20世紀の時点での300㎞運転に達した初めての新幹線車両で、東京~博多間の所要時間を5時間割れに貢献したのに、車体のつくりや、製造コストやメンテ、運用も独自に設定する必要があったなどの理由からjr東海に嫌われました。
ご存じでしょうか。鉄道ファンに大人気のあの新幹線です。
ruclips.net/video/nEm7da_oPLU/видео.html
こちらも取り上げてほしかったな。
鉄道ではないですが、電照式広告枠は一時期、阪急バスの運転席後方にありましたが、動かなかったり止まらなかったり故障が多かった。
小田急のワイドドアがオワコンになったのはホームドアが大きな原因。
コレはいい企画ですね。垂直カルダンはHO模型みたい。大阪60系も初期はビニルだったね
子供の頃
夏に窓を全開した営団6000系の初期車に乗っていたら
駅を出て加速中に進行方向反対側に強めの風が吹いて、2両前の車両の床に落ちていた新聞紙が
ホバークラフトのように床を移動して目の前を通過して行った事がありました。
それだけ風の吹き抜けが酷い電車でした。
そういえばその6000系から始まったワンタッチで正面から階段が飛び出す非常口も使われなくなりましたね。
阪急でも3000系以前の車両は広幅貫通路が多くてやっぱり新聞が走っていってました(笑)自分は見通しが良くて広々とした感じが好きでした。
それと、やっぱり非常口は使わないにこしたことがないですね。
京阪5000形の昇降式補助座席は、たしか実用新案を取っていたと思いますよ。仮に他で採用した会社で装置が元で万が一のことが起こらないように構造を公開したと聞いたことがありますが、同じものを採用した会社はありませんでしたね。
あの座席は走行試験を何度も実施されたようで上から落ちてくるかどうかの耐久試験もあったそうです。結局関東に多扉車が普及したときは座席折りたたみ式になりました
@@heitetsu4649 さま。地域性の差もあるとは思いますが、閑散時にゆったり着席するよりラッシュ時にいかに多くの乗客を詰め込むかに重点をおいていたのでしょうね。
それから常に開くドアとラッシュ時しか開かないドアがあるのが紛らわしく面倒だったのかもしれませんね。整列乗車という点で。
京阪5000系の3ドアモード時の座席数は、5000系の前に製造された2400系よりも多くなり、ラッシュ時と日中の閑散時双方の需要を両立させた構造でした。当時は冷房付き通勤車が2400系と5000系しかないこともあって、日中は急行メインに使われたので座席数が少ないというのは結構深刻な問題だったようです。
振り子はまだ最前線だけど心配
京浜急行の2代目600形の一部車両(初期型)で使われたツイングルシートを取り上げてほしかった
今回もありがとうございます。
「オワコン」そう来ましたか。
垂直カルダンは、かつてそれを載せていた三岐鉄道北勢線の200系がまだ生きている事にも触れて欲しかったです。
個人的には0系新幹線電車や京阪5000系に使われていた「ヒートポンプエアコン」が何故オワコンになったのか?
暖房の時は寧ろ電気ヒーターよりも消費電力が少ないのにと思います。
ワイドドアや多扉車も発想は良かったし
実際一時期その効果は発揮出来たんですけどね。
チョッパは中国語では「斬波」と書くそうです。
文字がそのまま意味を表していますね。
この度もありがとうございました。いただきました企画がヒントとなり、いろいろ思い浮かんできました。ヒートポンプエアコンもいいですね。私が垂直カルダンであげた動画が三岐鉄道の北勢線ですが、この車両は吊りかけ式なので、別の車両ですね。200系は。チョッパ制御の中国語がそのままですね。今度は例の博物館をやってみます。今後ともよろしくお願いいたします。
@@heitetsu4649 さん
楽しみにお待ちしております。
関係ありませんが、東海の葛西名誉会長が亡くなられましたね。
あと「こうや号」が橋本の車庫で脱線して車体にもかなりの損傷があったのが気掛かりです。
ヒートポンプエアコンは、近鉄21000系で東芝製のものが使用されていますが、最近では使用例が少なくなりましたね。
DD54のキメドロ式。どのような構造なのかはよく知らない。EF58やDD51に暖房用に装備されていた蒸気発生装置。
初めて知った。ありがとうございました。
非常にマイナーな校正コメントで恐縮ですが、タイトルは「なったか」ではないでしょうか?
ですね。失礼いたしました
連接台車は整備が大変と小田急の工場が言ってましたね。
東武もカルダン駆動は持て余してましたね。
保育社の本に書いてありました。
2000年初期まで5000系の吊りかけ式が野田線に走っていました。カルダンには抵抗があったのでしょうか。
5700系の5720形に載せられた直角カルダンですね。
特急車にはいち早く最新技術を採用する東武らしく東急(5000系)や小田急(2200形)よりも1年早い1953年の採用でした。
故にまだ未完成だったのでしょうね
調子が悪くて数年で吊り掛け式に改造されてしまいましたが 1700系白帯(はくたい)車が登場して吊り掛け式の5700系が急行に格下げされても 5720形は時にはその1700系と併結して特急運用に活躍していました。
珍しい東芝製の台車を履いた電車でもありましたね。
カルダン式は構造が複雑になるので、初期は整備現場泣かせだったそうです。
京阪80形のように、色々と新基軸を詰めこんだのでカルダン駆動にすると流石に手に負えないということであえて吊り掛け式にした事例もあります。
界磁添加励磁制御もあまり採用例無かったよな
シーメンスは古河グループと合弁で設立したのが富士電機
富士電機から派生したのが富士通。派生した方が大きくなりましたね
@@heitetsu4649 そして 富士通とシーメンスで
合弁子会社「富士通シーメンス」(たしか携帯インフラ事業)を…
この会社には
「おじいさんの家に引き取られた孫娘」感が…
トマソンの事か…………
このチャンネルも新コンテンツの出現でオワコンになるかもしれませんよ。せいぜいがんばってくださいねw
って「オワコン」を使って表現してみました