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そもそも零戦は機動部隊に300、基地航空隊に300、残りは予備機で1000機程度で生産終了って予定だった。あれだけ量産するのが判っていたならあんな複雑な形にしなかったって堀越さんも語っている。確かに量産には向かない形ですね。
本当に防弾強化すれば性能が劣化したのか強化すべきはそこで むしろ搭乗員の生命を守り技能の優秀な搭乗員を残すことが戦争で戦っていく上での最重要項目だったと思う だから決死の覚悟で亡くなられた方には申し訳ないけれども やっぱり特攻には賛成できない
人間を部品の一部にしてしまった時点で先はありませんね。もうどうしようも無いからそうなってしまうんでしょうけど。
@@丸山丸男-z7f 自国の国民を守るための戦争で有るべきなのに 国体護持のみに突進した戦争では 人命など二の次なんでしょう
先の戦争の目的が当初から国体護持です。それは今の自衛隊も変わりません。
特攻攻撃を発案した人間には、明治維新を乗り越えた軍人のような知恵やしたたかさや柔軟な発想がない。世代が変わり上層部は高学歴の秀才ばかりがしめた。理想ばかりで現実的な戦略がない。でも現場の兵士は勇気も気概も愛国心も超一級だった…とても悲しい。
はなっから統帥の外道と言ってるだろうが😮💨
生産性と言うのは重要ですね。ソビエトは桁違いだった。
急降下が苦手なのは、強度の問題だと思われがちだが、実際には翼面荷重が小さいことが大きい。急降下したくても翼が発生させる大きな揚力が落下速度を抑えてしまうのだ。翼面荷重が大きい飛行機が鉄球が落っこるみたいにどんどん高度を下げるのに対し、ゼロ戦は上空に取り残されるみたいになる。上昇時はこれが逆に利点となる。エンジンの力だけで上昇する高翼面荷重の飛行機に対し、大きな揚力を発生させながら上昇するゼロ戦は、当時のどの飛行機よりも上昇性能は良く、「上昇中のゼロを決して追ってはならない」と言われていた。エースパイロットたちはこれを利用して上昇して追ってくる米軍機が失速して落ちていくところを、反転して撃墜するというのをよくやっていたらしい。
零戦手に入れる前にサッチウィープは使われ出したはず
現代にも零戦に通じる工業製品があります。それはホンダ車。軽い・速い・運動性もいい・燃費が良く吹き上がりの良い発動機・・そして衝突したら(被弾)したら乗員の被害が大、修理が困難・・ホンダが早くにエアバッグやABSを導入したのはメーカーも乗員保護の脆弱性を解ってたからですな。
戦闘機に乗ったら、おしっこも💩も無理!その時点で常人には無理~~~
日本はベテラン操縦士を前線で使い潰した。米国は後方へ配置転換してパイロット養成講師とした。最初のうちはゼロにボコボロに負けていたが、中盤からは優勢になった。最後はヘルキャットとかが登場して一方的な戦いになった。
零戦に大いに関係した基礎科学、使用した燃料のオクタン価、無線機。無線機は殆ど役に立たず、母艦、僚機の援護、指示も通信手段は発光、旗旒だけ。一人でグラマンの編隊と対峙する不利な状況もあった。
当初はパイロットも優秀で勝ち続けたが徐々にパイロットに犠牲が出始めると新人のレベル低下により今度は防御の薄さが仇になり始める。特攻の頃になると新人の学生上がりばかりでまともに戦ったら勝てるはずがないレベル。
優秀なパイロットの命を使い捨てにしたから…南方に派兵された水木しげるの陸軍兵士たちが、少し被弾しただけで火を吹くゼロ戦を「マッチ」と呼んでた。どこの誰か知らないが自分たちを守って死んだとパイロットを見上げる、「マッチだ」とても悲しいシーン。
薄い防御なんてものさえなかったのです。通常当時の戦闘機には操縦席に背面には操縦士を守る装甲板があるのが当たり前だったのに、ゼロ戦にはそれすらなかったのですよ。堀越二郎には飛行機能を追求するだけで、操縦士の命を守る思想はありませんでした。
@@ponnta88-o2d ~軍のありえないほど矛盾しためちゃくちゃな要求に、ライバル社は不可能といって辞退してしまう、不可能な要求を具象化させた天才は性能のために他の全てをそぎ落とす~堀越は天才だが、会社員で技術者でしかない。命を軽んじてたのはあの時代の日本全体にあった気がします。国の舵を切った人々に欠けてたものがあったと思いました。
零戦の20ミリ機関砲はショウベン弾と言われ弾着もバラつきあまり当たらなかったそうだ。堀越氏は主桁の強度不足で発射時に主桁が振動したのだろうと言っていたそうだが、日本は無理せずにブローニングのコピーを使い4門装備だったらまだ増しな戦いが出来たろう。まあそれ以前の問題の方が多かろうが。
アクタン・ゼロがそこまで重要かは疑問が残るけどね米軍の新型機や新戦法と言われてるものって日米開戦前から既定路線としてあったからね主にバトルオブブリテンでの戦訓が大きかったと言われF6FやF4Uなんかもどちらかと言えば対ドイツを想定して作られた機
アクタンゼロへの対抗で設計されたのはF8Fですからね。F6Fはもともと計画されていた1000馬力級の戦闘機から2000馬力級戦闘機への切り替えにすぎません。
@@kei-i1y 確かに昔は零戦への対抗とか日本機を参考にしたという書籍もありはしましたけど、もう与太話扱いですよ。F8Fの開発や設計に影響を与えたのもドイツ機であるFw190に尽きますから。アクタン・ゼロがなくても米軍は零戦への対抗策を打ち出せましたし、飛行可能な鹵獲機はアクタンゼロ以前にもありました。その入手経緯とタイミングがあまりにドラマチックなので「アクタンゼロなかりせば」と今も過度に強調さてるんですね。
@@underhat-gc4ru ごめんなさい。調べてみたらF8Fは零戦もFw190 も関係なく、グラマンの社長が、やっつけ仕事で無駄の多いF6Fから贅肉を取り去ろうとして再設計したものでした。
@@kei-i1y いやFw190Aは影響ないとは言い切れないでしょ。グラマン社のテスパイがイギリスで鹵獲機に乗っている点は有名だし、当時のイギリスがFw190から受けたショックを鑑みれば開発において念頭には置いているでしょう。それがコンセプトにどれほど影響を与えたかは別にして色々参考やお手本にしているのはほぼ確実。外観からも例えば主脚の引き込みがF6Fから全然変わっているけどこれはFw190を参考にしただろうし、排気管の処理もそうですね。このあたりは昔から言われているし陣風やキ100(5式戦)なども同じ文脈ですよね。また昇降舵、主翼平面形の類似なども指摘されていますね。たしかに図面でよく見るとF6Fをコンパクトにしたはずが各所がむしろFw190に似ているんですよ。
全く関係ないってことはないかと思います。どちらの鹵獲機のテストにもグラマンは人を派遣してますから。ただグラマンの偉いとこはヒントはもらったけど真似には走らなかったことですかねFw190は胴体を絞って面積を減らそうと頑張ってるけど空冷エンジン機では胴体を絞ったら大きなエンジンに視界を遮られるだから機体全体は小さく抵抗を減らすけど胴体を太くして操縦席を高くするのはやめない零戦が強いのは軽量だからだけど、それは翼面荷重を低くしてるから、じゃないから大きな翼は抵抗が増えて弱くなる重くなるだけ百害あって一利なし小さな胴体に小さな翼なら軽く強くできる…とあと何に対抗するためF8Fかというと最大の敵はやっぱコルセアですかねえ
忘れてはならない事は・・・今もそうだが・・・どんなに素晴らしい機体が開発されても,結局戦果を大きく左右するのはパイロット自身の能力である・・・如何に優秀なパイロットを育てるかが重要である・・・日本が敗戦した理由は,その優秀な人材が枯渇した事だ・・・敗戦理由は・・・パイロットはもちろん開発者でさえ使い捨てにされ,優秀な人材がいなくなってしまったことだと思う・・・どんな先進的な科学技術も,結局使うのは人なのだ・・・人を育てなければ,重要視しなければ・・・国も企業も滅ぶ・・・
欧米以外で航空機、艦船、戦車など全て国産化できたのは日本だけ。それは称賛に値することですよ。で、型式の呼び方は「にいいち型」「ごうにい型」などと呼ぶのが正しいようです。
さすがに最高速度は300ktですね。ノットの方。ただ比島の航空撃滅戦は零戦無敵神話の大事な場面なのにSNSではあまり語られていないのでこれを取り上げて頂いたのは良かったです。あとキルレの数字は米軍公式記録ではあっても、残念ながらどれもデタラメなんですよね。今回の動画は米軍が見た、との前提なのでこれはこれで良いですが、であればキルレ12:1の方も紹介した方がフェアだったかな〜とは思います。でもって緒戦の1.7についてですがこれについては、両軍の損失を突き合わせることで今日、誰でも割と簡単に検証できます。wikiも最近訂正入っているので見てみて頂ければと。ウェーク島、珊瑚海、ミッドウェー。珊瑚海で沈んだレキシントンの詳報に少し怪しい所があったり、劣勢下での護衛を全うした飛龍攻撃隊や、逆に護衛任務を放棄して保身を図ったサッチ隊との戦いで不利には傾くものの対等条件で戦った場合は圧倒的でした。例えば8月7日のガ島進攻戦初日。零戦17陸攻27をF4Fの母艦機62で迎え撃った空戦では零戦の損失2に対しF4Fは11を失ない、フレッチャーはあまりの損失に驚き、上空支援の約束をかなぐり捨ててガ島近海から機動部隊を撤退させました。彼は別件で後ほど更迭されることになります。また1942年のキルレはほぼガ島攻防戦での数字となりますが、梅本弘氏が両軍の記録を丁寧に照合された労作があり、数字はここでは述べないもののほぼ互角。かたや沿岸監視員、レーダーの早期警戒網と空中無線を活用した万全の防空体制、損傷してもすぐ降りられる自軍上空の有利条件。かたや交代要員なし、疲労限界かつ1000km彼方の進攻戦、燃料タンクに一発でも被弾すればソロモン海でサメの餌食。とあってかなり不利に傾いて当然のところ、前線部隊の奮戦を認めて良いものと思います。問題は機体性能と言うより作戦指導の方でした。最近はゲームの影響からかどうもこのキルレにフォーカスがよく当たるんですが、そも空戦の結果は残骸が残る戦車戦と異なり、綺麗に数字で表すことはできません。特に零戦の場合、単一の機種でこの時期、F2A、F4F、P38、P39、P40などとも渡り合っているので、どの機種が何機墜としたとかは分からない。P40相手なら動画の通り、ほぼ損失なしで60から100機ほど撃破しているんですが、米側の方はガンカメラがついてはいてもそこまでの確認はしていないんです。なので米軍の単機種ごとのキルレはダブルカウントを免れないし、F6Fのキルレ19:1なども単なる見込み値だと言った見方もあります。私自身、特に零戦に肩入れする訳ではないのですがこのミスリードについてはSNSから消えて、もっと公正な評価がされることを望む次第。
知識自慢か?のーがき長すぎ!
戦闘中の撃墜確認なんて米軍も日本側も同じように不正確です。被弾するとすぐに火を噴く零戦と違って、防弾がよく煙を吹いてもなかなか落ちない米軍機は、日本側のほうがダブルカウントやオーバーカウントが多いですよ。零戦は1対多の戦闘が多かったため、機体の性能差よりキルレシオが悪くなるのは避けられないし、大戦後期のF6F相手だと19:1ってのも十分あり得る数値です。実際にカモにされてましたからね。
エセックス級でのF6Fが約40機で、キルレが19なら760機😅零戦の生産数は?戦果報告は何処も同じような物だと思います😅
@@ヤーマイ 個々の戦闘ではなく、大戦中の総数で検証しますか?総生産数が10,000機を超える零戦は、9割近くが米軍との戦闘で失われました。対してF6Fは大戦中に生産された12,000機のうち日本との戦闘で失われたのが300機ほどです。なので零戦とF6Fのキルレシオが20:1でも別段おかしくはありません。先に述べた通り、圧倒的に多数の敵が組織的に高速一撃離脱を繰り返すと、速度に劣るうえ無線が使えず連携のできない零戦は一方的になぶられるだけになり、極端なキルレシオになったとしても何ら不思議ではありません。
いやおかしい、これが典型的なダブルカウント。大戦中、零戦が対峙したのは主なところだけでもF6Fの他にF4F、P38、P39、P40、P51、F4F、F4Uこれくらいはある。これらがよってたかって零戦の10,000機余りを喪失させた訳で、何なら地上撃破や海中投棄、特攻なんかもある。逆も然り。44年頃から本格参戦し始めたF6Fの損失300とするならその19倍の機数というのは零戦単機種ではなく、日本機総合しての交換比率だろうと言われるのはこの辺が理由。そしてこの19:1を言うなら緒戦の零戦のキルレは12:1。これは米側の報告値だから上振れすることはあっても下振れはない。しかし、そもそも上の方が言われているし自分も述べたけども、どの機種が敵の何の機種を墜としたかなんて分からないんです。空戦ごとにそんなチェックはしてないし、そもそもガンカメラもろとも撃墜される機体もある。残骸を検証することなど物理的にできない。だから空戦のキルレなどはいい加減。信憑性などないと言われているんです。ただ戦争末期において数を揃えた米軍に対し、日本側の損失が一方的だったことは疑いようはないしそこは特に否定もしません。
スバルもゼロ戦を制作していた。
些末な事を指摘することをお許しください。低速可変ピッチプロペラは誤りです。定速可変ピッチプロペラが正しい。周速が音速を超えないように外周速を固定してプロペラの迎角(むかえかく)を制御することで推力を制御する方式です。この方式は、発動機の負荷制御を蝶番弁で行うことと併せて零戦の航続距離を延ばし、格闘戦時の推力制御の肝となる重要なことなので敢えて申し添えるところです。
零戦は良くも悪くも当時の日本の国力をよく表した戦闘機だと思います。零戦の性能やエピソードをあげて零戦を生み出した日本の技術はすごいと評価される方もいますが私は日本の低い基礎技術、科学技術力でよく零戦を作り上げたと思っています。防弾性能うんぬんは昔から言われますが零戦初期の900馬力級エンジンで要求性能を防弾装備して満たすのは不可能どころか動画内でも言われていますが防弾装備していない機体でも血の滲む軽量化の努力がされています。初期の華々しいエピソードからまともな後継機が遅れに遅れたことから後半の悲惨なエピソードまでドラマを背負った機体であるし低いテクノロジーしか持たない日本が一時的にも世界水準の戦闘機を生み出し実際に運用して使用できて大戦果をあげたというのは色々な人の努力の成果だと思います。
かつての甲冑には背面のパーツに「臆病板」という名前が与えられていたそうな。そういう意識も引き継がれてしまったんだなあ。現代でも残ってると思う。「三軍得やすく一将得難し」 搭乗員は将ではないかもしれないけど熟練者は得難いことにおいて同様。ご自身も周囲もそういう意識醸成して欲しかったなあ。赤い彗星さんにしても強がりなんですよね…😅
優秀と言われる堀越二郎設計者の「防弾装置は着けろと言われなかったから着けなかった。」の発言に注目してほしい。 例え防弾装置を着けなかったとしても52型各種の重量増加による実質的性能低下からすれば11、21型の性能低下は僅少であり、操縦士保護の同エンジンの隼が海軍より低いオクタン価のガソリンと操縦席のみとはいえ防弾装置を着けていたことを考えれば、その設計からして過ちだったことが解ると思います。
隼との違いは航続距離の考え方ですね、局地戦闘機的な考えの隼と遠距離の爆撃機護衛が求められた零戦その航続距離が仇となり遠距離飛行の帰り道、寝落ちしてしまって墜落した機体が多数当時は与圧なんて無かったし飛行服着てようが極寒の中何時間も飛べばそりゃそうなるよねえ撃墜されたB29(与圧機)の搭乗員がシャツ1枚だったのをアメリカは物資不足で搭乗員に飛行服も着せれれない!と宣伝したとかしないとか
未だに陸上戦闘機と艦載戦闘機を比較したがる阿呆がいる事に呆れる。対空砲火あり&回収の可能性ありが前提の航続距離の短い陸上戦闘機。長駆して敵地上空での制空と長駆中の雷撃隊・爆撃隊の護衛&不時着水≒回収不能な艦載戦闘機。陸上戦闘機にとって防弾は必須。艦載戦闘機にとって航続距離は必須。ついでに自動シーリングに不可欠なゴムは国内に存在しない。必要な前提が違い過ぎる上に小型軽量な1,500馬力級の発動機もなく、ギリギリ1,000馬力級の発動機に乏しい鉱物資源。文句があるなら零戦と同等の性能を十分な防弾性能持たせた機体を設計・製造してみせろ、不可能だろうがな。
大間違い・・・、急降下できない・・・。じゃなくて急降下を継続できない・・・。高度一万メートルでは燃料があっという間に無くなる、それは航続距離の長い零戦じゃなくて局地戦の雷電の場合です・・・、勘違いしないでね・・・。
ら
エンジンの馬力が全ての源。例えば能力値が1000の栄エンジンを攻撃500と運動性500に極振りしたピーキーな戦闘機が零戦。能力値が2000のエンジンを搭載して平均値に割り振った機体が出てきたらもはや勝てないわな。
栄にしても誉にしても、アメリカのコピーエンジンをいじくりまわしていただけなんだよね。冶金技術、ベアリングなどの工作精度、大型鍛造プレス機などが無い中、劣悪な素材と低い加工精度で劣化コピーエンジンをどうやったとしても1000馬力クラスがぎりぎりで、オリジナルのように2000馬力、3000馬力とパワーアップすることができなかった。
零戦の20㎜機関砲の有効射程距離は何mですか? 例えばグラマンに致命的損害を与えられる距離。私の勝手な想像では100m以下だと思うのですが。確実に撃墜するには50mかな。
300mでも撃墜できるでしょうが、命中させることが極端に難しくなるだけ。
米軍も艦船の対空用に採用したスイスのエリコン社のライセンス生産品、銃単体の性能なら初期型の1号銃でも優秀だった。しかし空戦では50mにまで近づいても弾道修正する前に弾切れになってほとんど当たらなかった、対戦闘機戦ではほぼ役に立たず、零戦の撃墜戦果のほとんどは7.7㎜によるパイロットキルやエンジンへの収束弾によるもの、そりゃ、ベテランがいなくなれば、勝ちは無くなるわな。これは20㍉を搭載した主翼の剛性不足が原因で、後に紫電に乗り換えたパイロットは20㎜が良く当たるのに驚いたそうだ。
主翼の剛性不足で弾道がブレるため100m以内に接近しないとだめで、そうすると真後ろから打つと敵機の胴体の両サイドを機銃弾がすり抜けるため、照準器をずらして片翼側の機銃でしか狙いがつけられないという使いにくい機銃。照準にもたついていると数に勝る他の敵に後ろを取られて落とされるという、有効射程も何もない操縦と射撃の熟練者以外は扱えない代物。
最高速度が300キロは動画制作の時の打ち間違いですよね
零戦の開発が爆撃機の護衛の為と言うのは違うと思いますよ。その為なら制約の多い艦上機では無く陸上運用機の方が良いでしょう。戦闘機相手なら命中率が悪く弾数も少ない20ミリ機銃は必要無いと思いますよ。それに海軍が要求したのは航続距離では無く滞空時間ですからね。
結局足の長いことを良いことに配備が始まった直後から爆撃機護衛に駆り出されていますし…それに仮に零戦が20ミリを採用しなかった場合、7.7ミリをさらに積むしかない(海軍の航空用中口径機関銃は3式13.2ミリ機関銃を待たなければいけないし、陸軍のホ103は数も足りず海軍に回す余裕はないし12.7ミリとしてみても威力が低い)ので頑丈なF4FやF6F相手への有効打を完全に失うことになる
@@そらきち-u4t それは為にする議論でしょう。零戦の開発の第一義は艦隊防空用のインターセプターを得ることにあるのです。11年度性能標準の改正から艦戦は20㎜と7.7㎜の混載が"標準"となります。その用途は「敵攻撃機の阻止撃攘」「敵観測機の掃討」です。この"敵攻撃機"には陸上機まで想定されています。そのため高速と高い上昇力なにより大口径機銃の搭載が必要なのです。この改正に先立って海軍は20m㎜機銃搭載戦闘機を既に構想しており、すなわち20㎜を艦戦に装備することが技術的に可能となったことを受けて性能標準が改正されているのです。十二試艦戦は20㎜機銃搭載機として試作指示されたのであり、"20㎜を選択した"わけではありません。"13㎜を選択できなかった"のではなく13㎜では海軍の求める”艦上戦闘機”には不足ということですね。あなたが仰るのは中攻は魚雷を装備しない爆撃に特化した機体として開発すべきだったというようなものです。また、三式13ミリ機銃は"待たなければいけない"機銃でしょうか?M2のコピー機銃を獲得するのに当時技術的なハードルがあったとは思えません。本当に欲しければもっと前に獲得できるでしょう。
ゼロ戦というと「人命軽視」という単語を入れたがるが、各国が戦闘機などに防弾装備をつけるようになるのは1940年に行われたバトル・オブ・ブリテンの戦訓によるもので、ゼロ戦が開発された頃は他の戦闘機も似たようなものだった。米軍機でも本格的に防弾装備をつけ始めたのは1943年くらいから。工業力があったから普及が早かっただけ。おそらくゼロ戦にやられっぱなしだった言い訳に、アメリカの技術者あたりが戦後に言い始めたことだろう。でも、バトル・オブ・ブリテンの戦訓を徹底的に活用したのはアメリカだったのは確か。
よくここまで調べましたね😊52型に甲乙丙なんて種類があるのを初めて知りました。また零戦が中島飛行機でも生産されていたことも😢零戦14種類の解説も楽しみにしています😊
当時は日本の飛行機は同盟国のドイツ製、パイロットもドイツ軍パイロットって言われてたとか何とか。有色人種見下してた当時だと飛行機、戦車すら作れないと思ってただろうね。それが米国の飛行機、戦車、船を撃破することが出来るってのは御の字だろうね。
knとkmを間違えているところある
アメリカと日本の人命に対する考え方が浮き彫りになった戦争でしたね。「攻撃は最大の防御」「決死覚悟」「やるしかないんだよ」みたいな言葉は日本にしかない気がします。アクタン・ゼロはアンラッキーでしたが、鹵獲されなくても時間の問題だったでしょう。なにしろ、今日10機堕としても翌日は100機来る状態でしたから。 勝てる訳がない。
アクタン島で墜落して弱点を見抜かれた。装甲が薄いなど。
令和の世だし、F3はゼロの愛称がいいなあ。
低速回転プロペラ?定速か恒速ではなくて?
ただの編集ミス?でしょ?
300ノットと300キロを間違えるのはだめよ
しが1つ多い
現在の護衛艦も食らわない前提だぁぬ公共輸送車両なんかは日米で考え方違うね
そりゃ大和の弾薬庫すら一撃でぶち抜いてくるような対艦ミサイルが主流なんだから当たらない方向に進みますわな…
1943年4月頃には、零式の防弾脆弱性の核心は「被撃墜の大半は火災による」と結論が出ていた。4年末から翼内燃料タンクに自動消火装置が装備が先行し、防弾ガラス・座席後部防弾鋼板装備が後追する形で防弾が導入されていった。しかしエンジンの馬力は弱く構造強度の低い根本課題は変えられないわけで、急降下性能が低く燃えやすい戦闘機はそもそも特攻機にしちゃあダメだろというのは後世の後知恵wつか、自称歴史好きさんはよぉ、武士道だの散華だの死生観だのを「日本人の価値観」とか言うが、武士は江戸時代の人口8%だろが。近代徴兵制以後、一部名家出の将校以外9割9分が「士道の覚悟」と無縁な平民によって陸海軍は成り立っていたことくらいわかるだろう。15年戦争・大戦末期になって親類縁者親兄弟友人知人上司部下から戦死者が出て、逃げるに逃げられなくなるまで大量の徴兵忌避が横行していたし、臨時招集から逃げるやつも少なからずいた。最前線から逃げた高級将校もいたよな? これが日本人の武士道精神と言えるか?平民(百姓・漁民・町工人)からなる国民国家軍たる大日本帝国陸海軍は、フィクションの武士道を大和魂と捏造し平民に押し付けただけだ。
華夏航空らや😊😊
確かに武士道では無いね!庶民でも日露戦争で生きて帰れるなんて奇跡!更に強い米国…逃げるとか生き恥なら自害するしかない(;_;)
ほんとこれ。明治教育の成功は百姓を武士に仕立て上げたこと。基本的に絶対服従の精神のもと出来損ないを底上げする教育方針に基づいていると日本の教育にはそういうところを感じる。弊害は固定概念に陥りやすい、臨機応変さに欠ける人を多く生み出す教育でもあったと思う。この教育方針は現在の日本教育にも影響を残していると感じる。そうやって百姓町人を強戦士に仕立て上げた日本人は日清日露に勝ちドイツにも勝ち驕り高ぶりあらゆるものを敵に回して破綻した。
ゼロ戦は極端に軽量化したため急降下すると空中分解したり、操縦席やタンクに防弾装甲が施されていないため敵の攻撃に対して丸裸の常態でした。明らかな欠陥航空機です。今ではゼロ戦か世界最強だったなんて言う人は誰もいません。
エンジンリソースから取捨選択の必要があり盛者必衰は動画で語られてるのに見てないんですか?
海軍の要求に応じて設計されたものだから、それが海軍のニーズだったわけだ。どの戦闘機も欠陥を抱えている。使う側がいかに長所を引き出し、短所を突かれないようにすることができるかどうかで名機にもなる駄作機にもなる。坂井に言わせると零戦の最大特徴はその航続距離・時間であった。それを活かして初戦では大活躍したわけだ。Bf109はいわば欠陥だらけの戦闘機だが、その長所を活かして戦えるエースパイロットには最後まで愛された。
ダッチハーバー奇襲とかいう糞の役にも立たない作戦でゼロ戦まで鹵獲されるとかゴミだろ
ミッドウェーの陽動作戦では…違ってたらごめんなさい🙏
@@エム-b9l そうですけどわざわざ戦力分散させてまで陽動するメリットがね😅
@@taigaow1995 米軍が騙されてくれたら運がいいかもです!まぁーそんなに甘くないですね(*^^*)
そもそも零戦は機動部隊に300、基地航空隊に300、残りは予備機で1000機程度で生産終了って予定だった。
あれだけ量産するのが判っていたならあんな複雑な形にしなかったって堀越さんも語っている。
確かに量産には向かない形ですね。
本当に防弾強化すれば性能が劣化したのか強化すべきはそこで むしろ搭乗員の生命を守り技能の優秀な搭乗員を残すことが戦争で戦っていく上での最重要項目だったと思う だから決死の覚悟で亡くなられた方には申し訳ないけれども やっぱり特攻には賛成できない
人間を部品の一部にしてしまった時点で先はありませんね。
もうどうしようも無いからそうなってしまうんでしょうけど。
@@丸山丸男-z7f 自国の国民を守るための戦争で有るべきなのに 国体護持のみに突進した戦争では 人命など二の次なんでしょう
先の戦争の目的が当初から国体護持です。
それは今の自衛隊も変わりません。
特攻攻撃を発案した人間には、明治維新を乗り越えた軍人のような知恵やしたたかさや柔軟な発想がない。世代が変わり上層部は高学歴の秀才ばかりがしめた。理想ばかりで現実的な戦略がない。でも現場の兵士は勇気も気概も愛国心も超一級だった…とても悲しい。
はなっから統帥の外道と言ってるだろうが😮💨
生産性と言うのは重要ですね。ソビエトは桁違いだった。
急降下が苦手なのは、強度の問題だと思われがちだが、実際には翼面荷重が小さいことが大きい。急降下したくても翼が発生させる大きな揚力が落下速度を抑えてしまうのだ。翼面荷重が大きい飛行機が鉄球が落っこるみたいにどんどん高度を下げるのに対し、ゼロ戦は上空に取り残されるみたいになる。
上昇時はこれが逆に利点となる。エンジンの力だけで上昇する高翼面荷重の飛行機に対し、大きな揚力を発生させながら上昇するゼロ戦は、当時のどの飛行機よりも上昇性能は良く、「上昇中のゼロを決して追ってはならない」と言われていた。エースパイロットたちはこれを利用して上昇して追ってくる米軍機が失速して落ちていくところを、反転して撃墜するというのをよくやっていたらしい。
零戦手に入れる前にサッチウィープは使われ出したはず
現代にも零戦に通じる工業製品があります。それはホンダ車。軽い・速い・運動性もいい・燃費が良く吹き上がりの良い発動機・・そして衝突したら(被弾)したら乗員の被害が大、修理が困難・・ホンダが早くにエアバッグやABSを導入したのはメーカーも乗員保護の脆弱性を解ってたからですな。
戦闘機に乗ったら、おしっこも💩も無理!その時点で常人には無理~~~
日本はベテラン操縦士を前線で使い潰した。米国は後方へ配置転換してパイロット養成講師とした。最初のうちはゼロにボコボロに負けていたが、中盤からは優勢になった。最後はヘルキャットとかが登場して一方的な戦いになった。
零戦に大いに関係した基礎科学、使用した燃料のオクタン価、無線機。
無線機は殆ど役に立たず、母艦、僚機の援護、指示も通信手段は発光、旗旒だけ。
一人でグラマンの編隊と対峙する不利な状況もあった。
当初はパイロットも優秀で勝ち続けたが徐々にパイロットに犠牲が出始めると新人のレベル低下により今度は防御の薄さが仇になり始める。特攻の頃になると新人の学生上がりばかりでまともに戦ったら勝てるはずがないレベル。
優秀なパイロットの命を使い捨てにしたから…
南方に派兵された水木しげるの陸軍兵士たちが、少し被弾しただけで火を吹くゼロ戦を「マッチ」と呼んでた。どこの誰か知らないが自分たちを守って死んだとパイロットを見上げる、「マッチだ」とても悲しいシーン。
薄い防御なんてものさえなかったのです。通常当時の戦闘機には操縦席に背面には操縦士を守る装甲板があるのが当たり前だったのに、ゼロ戦にはそれすらなかったのですよ。堀越二郎には飛行機能を追求するだけで、操縦士の命を守る思想はありませんでした。
@@ponnta88-o2d
~軍のありえないほど矛盾しためちゃくちゃな要求に、ライバル社は不可能といって辞退してしまう、不可能な要求を具象化させた天才は性能のために他の全てをそぎ落とす~堀越は天才だが、会社員で技術者でしかない。
命を軽んじてたのはあの時代の日本全体にあった気がします。国の舵を切った人々に欠けてたものがあったと思いました。
零戦の20ミリ機関砲はショウベン弾と言われ弾着もバラつきあまり当たらなかったそうだ。堀越氏は主桁の強度不足で発射時に主桁が振動したのだろうと言っていた
そうだが、日本は無理せずにブローニングのコピーを使い4門装備だったらまだ増しな戦いが出来たろう。まあそれ以前の問題の方が多かろうが。
アクタン・ゼロがそこまで重要かは疑問が残るけどね
米軍の新型機や新戦法と言われてるものって日米開戦前から既定路線としてあったからね
主にバトルオブブリテンでの戦訓が大きかったと言われF6FやF4Uなんかもどちらかと言えば対ドイツを想定して作られた機
アクタンゼロへの対抗で設計されたのはF8Fですからね。
F6Fはもともと計画されていた1000馬力級の戦闘機から2000馬力級戦闘機への切り替えにすぎません。
@@kei-i1y 確かに昔は零戦への対抗とか日本機を参考にしたという書籍もありはしましたけど、もう与太話扱いですよ。
F8Fの開発や設計に影響を与えたのもドイツ機であるFw190に尽きますから。
アクタン・ゼロがなくても米軍は零戦への対抗策を打ち出せましたし、飛行可能な鹵獲機はアクタンゼロ以前にもありました。
その入手経緯とタイミングがあまりにドラマチックなので「アクタンゼロなかりせば」と今も過度に強調さてるんですね。
@@underhat-gc4ru ごめんなさい。
調べてみたらF8Fは零戦もFw190 も関係なく、グラマンの社長が、やっつけ仕事で無駄の多いF6Fから贅肉を取り去ろうとして再設計したものでした。
@@kei-i1y いやFw190Aは影響ないとは言い切れないでしょ。グラマン社のテスパイがイギリスで鹵獲機に乗っている点は有名だし、
当時のイギリスがFw190から受けたショックを鑑みれば開発において念頭には置いているでしょう。それがコンセプトにどれほど影響を与え
たかは別にして色々参考やお手本にしているのはほぼ確実。外観からも例えば主脚の引き込みがF6Fから全然変わっているけどこれはFw190
を参考にしただろうし、排気管の処理もそうですね。このあたりは昔から言われているし陣風やキ100(5式戦)なども同じ文脈ですよね。
また昇降舵、主翼平面形の類似なども指摘されていますね。たしかに図面でよく見るとF6Fをコンパクトにしたはずが各所がむしろFw190に
似ているんですよ。
全く関係ないってことはないかと思います。どちらの鹵獲機のテストにもグラマンは人を派遣してますから。
ただグラマンの偉いとこはヒントはもらったけど真似には走らなかったことですかね
Fw190は胴体を絞って面積を減らそうと頑張ってるけど空冷エンジン機では胴体を絞ったら大きなエンジンに視界を遮られる
だから機体全体は小さく抵抗を減らすけど胴体を太くして操縦席を高くするのはやめない
零戦が強いのは軽量だからだけど、それは翼面荷重を低くしてるから、じゃないから大きな翼は抵抗が増えて弱くなる重くなるだけ百害あって一利なし
小さな胴体に小さな翼なら軽く強くできる…と
あと何に対抗するためF8Fかというと最大の敵はやっぱコルセアですかねえ
忘れてはならない事は・・・今もそうだが・・・
どんなに素晴らしい機体が開発されても,結局戦果を大きく左右するのはパイロット自身の能力である・・・如何に優秀なパイロットを育てるかが重要である・・・日本が敗戦した理由は,その優秀な人材が枯渇した事だ・・・敗戦理由は・・・パイロットはもちろん開発者でさえ使い捨てにされ,優秀な人材がいなくなってしまったことだと思う・・・
どんな先進的な科学技術も,結局使うのは人なのだ・・・
人を育てなければ,重要視しなければ・・・国も企業も滅ぶ・・・
欧米以外で航空機、艦船、戦車など全て国産化できたのは日本だけ。
それは称賛に値することですよ。
で、型式の呼び方は「にいいち型」「ごうにい型」などと呼ぶのが正しいようです。
さすがに最高速度は300ktですね。ノットの方。ただ比島の航空撃滅戦は零戦無敵神話の大事な場面なのにSNSではあまり語られていないのでこれを取り上げて頂いたのは良かったです。
あとキルレの数字は米軍公式記録ではあっても、残念ながらどれもデタラメなんですよね。今回の動画は米軍が見た、との前提なのでこれはこれで良いですが、であればキルレ12:1の方も紹介した方がフェアだったかな〜とは思います。
でもって緒戦の1.7についてですがこれについては、両軍の損失を突き合わせることで今日、誰でも割と簡単に検証できます。wikiも最近訂正入っているので見てみて頂ければと。
ウェーク島、珊瑚海、ミッドウェー。珊瑚海で沈んだレキシントンの詳報に少し怪しい所があったり、劣勢下での護衛を全うした飛龍攻撃隊や、逆に護衛任務を放棄して保身を図ったサッチ隊との戦いで不利には傾くものの対等条件で戦った場合は圧倒的でした。
例えば8月7日のガ島進攻戦初日。
零戦17陸攻27をF4Fの母艦機62で迎え撃った空戦では零戦の損失2に対しF4Fは11を失ない、フレッチャーはあまりの損失に驚き、上空支援の約束をかなぐり捨ててガ島近海から機動部隊を撤退させました。彼は別件で後ほど更迭されることになります。
また1942年のキルレはほぼガ島攻防戦での数字となりますが、梅本弘氏が両軍の記録を丁寧に照合された労作があり、数字はここでは述べないもののほぼ互角。
かたや沿岸監視員、レーダーの早期警戒網と空中無線を活用した万全の防空体制、損傷してもすぐ降りられる自軍上空の有利条件。かたや交代要員なし、疲労限界かつ1000km彼方の進攻戦、燃料タンクに一発でも被弾すればソロモン海でサメの餌食。とあってかなり不利に傾いて当然のところ、前線部隊の奮戦を認めて良いものと思います。問題は機体性能と言うより作戦指導の方でした。
最近はゲームの影響からかどうもこのキルレにフォーカスがよく当たるんですが、そも空戦の結果は残骸が残る戦車戦と異なり、綺麗に数字で表すことはできません。
特に零戦の場合、単一の機種でこの時期、F2A、F4F、P38、P39、P40などとも渡り合っているので、どの機種が何機墜としたとかは分からない。P40相手なら動画の通り、ほぼ損失なしで60から100機ほど撃破しているんですが、米側の方はガンカメラがついてはいてもそこまでの確認はしていないんです。
なので米軍の単機種ごとのキルレはダブルカウントを免れないし、F6Fのキルレ19:1なども単なる見込み値だと言った見方もあります。
私自身、特に零戦に肩入れする訳ではないのですがこのミスリードについてはSNSから消えて、もっと公正な評価がされることを望む次第。
知識自慢か?のーがき長すぎ!
戦闘中の撃墜確認なんて米軍も日本側も同じように不正確です。
被弾するとすぐに火を噴く零戦と違って、防弾がよく煙を吹いてもなかなか落ちない米軍機は、日本側のほうがダブルカウントやオーバーカウントが多いですよ。零戦は1対多の戦闘が多かったため、機体の性能差よりキルレシオが悪くなるのは避けられないし、大戦後期のF6F相手だと19:1ってのも十分あり得る数値です。実際にカモにされてましたからね。
エセックス級でのF6Fが約40機で、キルレが19なら760機😅零戦の生産数は?
戦果報告は何処も同じような物だと思います😅
@@ヤーマイ 個々の戦闘ではなく、大戦中の総数で検証しますか?
総生産数が10,000機を超える零戦は、9割近くが米軍との戦闘で失われました。
対してF6Fは大戦中に生産された12,000機のうち日本との戦闘で失われたのが300機ほどです。
なので零戦とF6Fのキルレシオが20:1でも別段おかしくはありません。
先に述べた通り、圧倒的に多数の敵が組織的に高速一撃離脱を繰り返すと、速度に劣るうえ無線が使えず連携のできない零戦は一方的になぶられるだけになり、極端なキルレシオになったとしても何ら不思議ではありません。
いやおかしい、これが典型的なダブルカウント。
大戦中、零戦が対峙したのは主なところだけでもF6Fの他にF4F、P38、P39、P40、P51、F4F、F4Uこれくらいはある。これらがよってたかって零戦の10,000機余りを喪失させた訳で、何なら地上撃破や海中投棄、特攻なんかもある。逆も然り。
44年頃から本格参戦し始めたF6Fの損失300とするならその19倍の機数というのは零戦単機種ではなく、日本機総合しての交換比率だろうと言われるのはこの辺が理由。
そしてこの19:1を言うなら緒戦の零戦のキルレは12:1。これは米側の報告値だから上振れすることはあっても下振れはない。
しかし、そもそも上の方が言われているし自分も述べたけども、どの機種が敵の何の機種を墜としたかなんて分からないんです。空戦ごとにそんなチェックはしてないし、そもそもガンカメラもろとも撃墜される機体もある。残骸を検証することなど物理的にできない。
だから空戦のキルレなどはいい加減。信憑性などないと言われているんです。
ただ戦争末期において数を揃えた米軍に対し、日本側の損失が一方的だったことは疑いようはないしそこは特に否定もしません。
スバルもゼロ戦を制作していた。
些末な事を指摘することをお許しください。低速可変ピッチプロペラは誤りです。定速可変ピッチプロペラが正しい。
周速が音速を超えないように外周速を固定してプロペラの迎角(むかえかく)を制御することで推力を制御する方式です。
この方式は、発動機の負荷制御を蝶番弁で行うことと併せて零戦の航続距離を延ばし、格闘戦時の推力制御の肝となる重要なことなので
敢えて申し添えるところです。
零戦は良くも悪くも当時の日本の国力をよく表した戦闘機だと思います。
零戦の性能やエピソードをあげて零戦を生み出した日本の技術はすごいと評価される方もいますが私は日本の低い基礎技術、科学技術力でよく零戦を作り上げたと思っています。
防弾性能うんぬんは昔から言われますが零戦初期の900馬力級エンジンで要求性能を防弾装備して満たすのは不可能どころか動画内でも言われていますが防弾装備していない機体でも血の滲む軽量化の努力がされています。
初期の華々しいエピソードからまともな後継機が遅れに遅れたことから後半の悲惨なエピソードまでドラマを背負った機体であるし低いテクノロジーしか持たない日本が一時的にも世界水準の戦闘機を生み出し実際に運用して使用できて大戦果をあげたというのは色々な人の努力の成果だと思います。
かつての甲冑には背面のパーツに「臆病板」という名前が与えられていたそうな。そういう意識も引き継がれてしまったんだなあ。現代でも残ってると思う。
「三軍得やすく一将得難し」 搭乗員は将ではないかもしれないけど熟練者は得難いことにおいて同様。
ご自身も周囲もそういう意識醸成して欲しかったなあ。
赤い彗星さんにしても強がりなんですよね…😅
優秀と言われる堀越二郎設計者の「防弾装置は着けろと言われなかったから着けなかった。」の発言に注目してほしい。
例え防弾装置を着けなかったとしても52型各種の重量増加による実質的性能低下からすれば11、21型の性能低下は僅少であり、操縦士保護の同エンジンの隼が海軍より低いオクタン価のガソリンと操縦席のみとはいえ防弾装置を着けていたことを考えれば、その設計からして過ちだったことが解ると思います。
隼との違いは航続距離の考え方ですね、局地戦闘機的な考えの隼と遠距離の爆撃機護衛が求められた零戦
その航続距離が仇となり遠距離飛行の帰り道、寝落ちしてしまって墜落した機体が多数
当時は与圧なんて無かったし飛行服着てようが極寒の中何時間も飛べばそりゃそうなるよねえ
撃墜されたB29(与圧機)の搭乗員がシャツ1枚だったのをアメリカは物資不足で搭乗員に飛行服も着せれれない!と宣伝したとかしないとか
未だに陸上戦闘機と艦載戦闘機を比較したがる阿呆がいる事に呆れる。
対空砲火あり&回収の可能性ありが前提の航続距離の短い陸上戦闘機。
長駆して敵地上空での制空と長駆中の雷撃隊・爆撃隊の護衛&不時着水≒回収不能な艦載戦闘機。
陸上戦闘機にとって防弾は必須。
艦載戦闘機にとって航続距離は必須。
ついでに自動シーリングに不可欠なゴムは国内に存在しない。
必要な前提が違い過ぎる上に小型軽量な1,500馬力級の発動機もなく、ギリギリ1,000馬力級の発動機に乏しい鉱物資源。
文句があるなら零戦と同等の性能を十分な防弾性能持たせた機体を設計・製造してみせろ、不可能だろうがな。
大間違い・・・、急降下できない・・・。じゃなくて急降下を継続できない・・・。
高度一万メートルでは燃料があっという間に無くなる、それは航続距離の長い零戦じゃなくて局地戦の雷電の場合です・・・、勘違いしないでね・・・。
ら
エンジンの馬力が全ての源。
例えば能力値が1000の栄エンジンを攻撃500と運動性500に極振りしたピーキーな戦闘機が零戦。
能力値が2000のエンジンを搭載して平均値に割り振った機体が出てきたらもはや勝てないわな。
栄にしても誉にしても、アメリカのコピーエンジンをいじくりまわしていただけなんだよね。
冶金技術、ベアリングなどの工作精度、大型鍛造プレス機などが無い中、劣悪な素材と低い加工精度で
劣化コピーエンジンをどうやったとしても1000馬力クラスがぎりぎりで、オリジナルのように2000馬力、3000馬力とパワーアップすることができなかった。
零戦の20㎜機関砲の有効射程距離は何mですか? 例えばグラマンに致命的損害を与えられる距離。
私の勝手な想像では100m以下だと思うのですが。確実に撃墜するには50mかな。
300mでも撃墜できるでしょうが、命中させることが極端に難しくなるだけ。
米軍も艦船の対空用に採用したスイスのエリコン社のライセンス生産品、銃単体の性能なら初期型の1号銃でも優秀だった。しかし空戦では50mにまで近づいても弾道修正する前に弾切れになってほとんど当たらなかった、対戦闘機戦ではほぼ役に立たず、零戦の撃墜戦果のほとんどは7.7㎜によるパイロットキルやエンジンへの収束弾によるもの、そりゃ、ベテランがいなくなれば、勝ちは無くなるわな。これは20㍉を搭載した主翼の剛性不足が原因で、後に紫電に乗り換えたパイロットは20㎜が良く当たるのに驚いたそうだ。
主翼の剛性不足で弾道がブレるため100m以内に接近しないとだめで、そうすると真後ろから打つと敵機の胴体の両サイドを機銃弾がすり抜けるため、照準器をずらして片翼側の機銃でしか狙いがつけられないという使いにくい機銃。照準にもたついていると数に勝る他の敵に後ろを取られて落とされるという、有効射程も何もない操縦と射撃の熟練者以外は扱えない代物。
最高速度が300キロは動画制作の時の打ち間違いですよね
零戦の開発が爆撃機の護衛の為と言うのは違うと思いますよ。
その為なら制約の多い艦上機では無く陸上運用機の方が良いでしょう。
戦闘機相手なら命中率が悪く弾数も少ない20ミリ機銃は必要無いと思いますよ。それに海軍が要求したのは航続距離では無く滞空時間ですからね。
結局足の長いことを良いことに配備が始まった直後から爆撃機護衛に駆り出されていますし…
それに仮に零戦が20ミリを採用しなかった場合、7.7ミリをさらに積むしかない(海軍の航空用中口径機関銃は3式13.2ミリ機関銃を待たなければいけないし、陸軍のホ103は数も足りず海軍に回す余裕はないし12.7ミリとしてみても威力が低い)ので頑丈なF4FやF6F相手への有効打を完全に失うことになる
@@そらきち-u4t それは為にする議論でしょう。零戦の開発の第一義は艦隊防空用のインターセプターを得ることにあるのです。
11年度性能標準の改正から艦戦は20㎜と7.7㎜の混載が"標準"となります。その用途は「敵攻撃機の阻止撃攘」
「敵観測機の掃討」です。この"敵攻撃機"には陸上機まで想定されています。そのため高速と高い上昇力なにより大口径
機銃の搭載が必要なのです。
この改正に先立って海軍は20m㎜機銃搭載戦闘機を既に構想しており、すなわち20㎜を艦戦に装備することが技術的に可能とな
ったことを受けて性能標準が改正されているのです。十二試艦戦は20㎜機銃搭載機として試作指示されたのであり、"20㎜を選択
した"わけではありません。"13㎜を選択できなかった"のではなく13㎜では海軍の求める”艦上戦闘機”には不足ということですね。
あなたが仰るのは中攻は魚雷を装備しない爆撃に特化した機体として開発すべきだったというようなものです。
また、三式13ミリ機銃は"待たなければいけない"機銃でしょうか?M2のコピー機銃を獲得するのに当時技術的なハードル
があったとは思えません。本当に欲しければもっと前に獲得できるでしょう。
ゼロ戦というと「人命軽視」という単語を入れたがるが、各国が戦闘機などに防弾装備をつけるようになるのは1940年に行われたバトル・オブ・ブリテンの戦訓によるもので、ゼロ戦が開発された頃は他の戦闘機も似たようなものだった。米軍機でも本格的に防弾装備をつけ始めたのは1943年くらいから。工業力があったから普及が早かっただけ。おそらくゼロ戦にやられっぱなしだった言い訳に、アメリカの技術者あたりが戦後に言い始めたことだろう。
でも、バトル・オブ・ブリテンの戦訓を徹底的に活用したのはアメリカだったのは確か。
よくここまで調べましたね😊52型に甲乙丙なんて種類があるのを初めて知りました。また零戦が中島飛行機でも生産されていたことも😢零戦14種類の解説も楽しみにしています😊
当時は日本の飛行機は同盟国のドイツ製、パイロットもドイツ軍パイロットって言われてたとか何とか。有色人種見下してた当時だと飛行機、戦車すら作れないと思ってただろうね。それが米国の飛行機、戦車、船を撃破することが出来るってのは御の字だろうね。
knとkmを間違えているところある
アメリカと日本の人命に対する考え方が浮き彫りになった戦争でしたね。
「攻撃は最大の防御」「決死覚悟」「やるしかないんだよ」みたいな言葉は日本にしかない気がします。
アクタン・ゼロはアンラッキーでしたが、鹵獲されなくても時間の問題だったでしょう。
なにしろ、今日10機堕としても翌日は100機来る状態でしたから。 勝てる訳がない。
アクタン島で墜落して弱点を見抜かれた。装甲が薄いなど。
令和の世だし、F3はゼロの愛称がいいなあ。
低速回転プロペラ?
定速か恒速ではなくて?
ただの編集ミス?でしょ?
300ノットと300キロを間違えるのはだめよ
しが1つ多い
現在の護衛艦も食らわない前提だぁぬ
公共輸送車両なんかは日米で考え方違うね
そりゃ大和の弾薬庫すら一撃でぶち抜いてくるような対艦ミサイルが主流なんだから当たらない方向に進みますわな…
1943年4月頃には、零式の防弾脆弱性の核心は「被撃墜の大半は火災による」と結論が出ていた。4年末から翼内燃料タンクに自動消火装置が装備が先行し、防弾ガラス・座席後部防弾鋼板装備が後追する形で防弾が導入されていった。
しかしエンジンの馬力は弱く構造強度の低い根本課題は変えられないわけで、急降下性能が低く燃えやすい戦闘機はそもそも特攻機にしちゃあダメだろというのは後世の後知恵w
つか、自称歴史好きさんはよぉ、武士道だの散華だの死生観だのを「日本人の価値観」とか言うが、武士は江戸時代の人口8%だろが。
近代徴兵制以後、一部名家出の将校以外9割9分が「士道の覚悟」と無縁な平民によって陸海軍は成り立っていたことくらいわかるだろう。
15年戦争・大戦末期になって親類縁者親兄弟友人知人上司部下から戦死者が出て、逃げるに逃げられなくなるまで大量の徴兵忌避が横行していたし、臨時招集から逃げるやつも少なからずいた。
最前線から逃げた高級将校もいたよな? これが日本人の武士道精神と言えるか?
平民(百姓・漁民・町工人)からなる国民国家軍たる大日本帝国陸海軍は、フィクションの武士道を大和魂と捏造し平民に押し付けただけだ。
華夏航空らや😊😊
確かに武士道では無いね!庶民でも日露戦争で生きて帰れるなんて奇跡!更に強い米国…逃げるとか生き恥なら自害するしかない(;_;)
ほんとこれ。
明治教育の成功は百姓を武士に仕立て上げたこと。
基本的に絶対服従の精神のもと出来損ないを底上げする教育方針に基づいていると日本の教育にはそういうところを感じる。弊害は固定概念に陥りやすい、臨機応変さに欠ける人を多く生み出す教育でもあったと思う。この教育方針は現在の日本教育にも影響を残していると感じる。
そうやって百姓町人を強戦士に仕立て上げた日本人は日清日露に勝ちドイツにも勝ち驕り高ぶりあらゆるものを敵に回して破綻した。
ゼロ戦は極端に軽量化したため急降下すると空中分解したり、操縦席やタンクに防弾装甲が施されていないため敵の攻撃に対して丸裸の常態でした。明らかな欠陥航空機です。今ではゼロ戦か世界最強だったなんて言う人は誰もいません。
エンジンリソースから取捨選択の必要があり盛者必衰は動画で語られてるのに見てないんですか?
海軍の要求に応じて設計されたものだから、それが海軍のニーズだったわけだ。どの戦闘機も欠陥を抱えている。使う側がいかに長所を引き出し、短所を突かれないようにすることができるかどうかで名機にもなる駄作機にもなる。坂井に言わせると零戦の最大特徴はその航続距離・時間であった。それを活かして初戦では大活躍したわけだ。
Bf109はいわば欠陥だらけの戦闘機だが、その長所を活かして戦えるエースパイロットには最後まで愛された。
ダッチハーバー奇襲とかいう糞の役にも立たない作戦でゼロ戦まで鹵獲されるとかゴミだろ
ミッドウェーの陽動作戦では…違ってたらごめんなさい🙏
@@エム-b9l そうですけどわざわざ戦力分散させてまで陽動するメリットがね😅
@@taigaow1995 米軍が騙されてくれたら運がいいかもです!まぁーそんなに甘くないですね(*^^*)