やっぱメタルにいった小野正利を知らない人がいるんだなあ。小野正利がらみで覚えているのは、CMタイアップがついていた、二人だけのストーリーズがガルベスのCMに変えられたことww 山根康広さんはGet along togetherが代表曲って言ったほうがしっくりくる。ファンじゃないから曲名は覚えてないけど、数曲はラジオで流れていた。
その一発でさえ当てられない人たちの方がよほど多いだろうから、一発でも当てられたらラッキーですよ。 伊丹さんは、還暦過ぎたいまでも関西中心でライブをしていますよ。以前は他のアーティストに曲提供したり、ツアーのサポートもしていましたね。アレンジャーになったのは高校の後輩でもあり、side by sideのメンバーでもあった十川知司さんです。 アラジンの高原兄さんは地元で家業に携わる傍ら、イベントの司会、曲提供などしています。自分で曲を書く人は、その後もそれなりに活動している方が多いですね。
一発屋って悪い意味で使われることが多いけど一発当てるだけでもすごいこと。
一発すら当たらない歌手が圧倒的に多いから。
一発屋と言われても、一発も出なかった方々の方が圧倒的に多いので、
むしろ幸せを掴めた方々ですね。プライドは別として。
今では一発屋扱いされてる鼠先輩が殺虫剤のCMのセリフで
「不発よりはいいでしょ」って言ってましたね。
何年か前、堀江氏がTVで一発屋と紳助氏に茶化されたとき「一発ヒットしたから、まだこの世界で生きている」と言ったことを思いだしました。俺もどんな世界でもいいからスポットライト浴びたい。
C-C-Bは全然一発屋ではないです
一番売れたのはRomanticが止まらないですが
他にもヒット曲沢山ありますよ
私も一発屋とは思いません。ちなみに私が1番好きな『Lucky Chanceをもう一度』は紅白で歌われました!
一人静か
中森明菜に楽曲提供して影が薄いけどC-C-Bも歌ってた
私は『空想KISS』が好きでした。
元気なブロークンハート
瞳少女
中森明菜さんに書いた「二人静」は関口誠人さんが作曲し歌ったのでソロシングルですね。
ZIGGYめっちゃ好きやったわ。
C-C-B は一世を風靡したけど一発屋ではないなぁ
ZIGGY は高校の時バンドでコピーしてたからGLORIAがドラマ主題歌で使われた時「何で?」と疑問だった。それが流行って以降は聞かなくなった
一発でも売れればこうして名前が残る。
それだって歌手の中のほんのひと握り。
CCBは当日大好きで、ビデオやレコードを買っていましたよ♪コンサートにも行きました(笑)
大事MANブラザーズバンドのボーカルの人は、「高価な墓石を建てるより安くても生きてるほうが素晴らしい」と歌ったけれども「それが大事」の印税で墓石を買ったというのをネタにしていましたね。
堀江淳さんは、スゴくいい人ですよ。会った時びっくりしたのを覚えてますよ。
第19回ポプコングランプリ受賞曲伊丹哲也「街が泣いてた」グランプリを取っても16万枚しか売れず、一段下の入賞曲だった雅夢「愛はかげろう」の方が61万枚と4倍売れた大ヒット曲になってしまった…。
まさに一発屋を超えた一発!
「それが大事」には小学生の頃とても励まされたなぁ。
新しいクラスに馴染めずにいたところ、さらに夏休み前に幼馴染が転校してしまって気持ちが沈んでクラスでも孤立しがちになって…。
でも当時大流行していたこの曲とマッキーの「どんなときも。」に救われたのを思い出しました。
CCBはヒット曲多いんだから一発屋じゃないだろ。🤔
9:06 頭を向けて寝られないってボケか天然か難しい
チャラくて嫌いだった。
解散コンサート行きましたww
一発屋というより代表曲ですね。
あみんの岡村さんは、後に「夢をあきらめないで」という歌でヒットを出してますね
今、公式チャンネルの歌を聞きながら書いてますw
CCBとZIGGYが一発屋はおかしい。
ZIGGYは近年、ボーナストラックだけどGLORIAがDragonForceにカバーされてた。あと、RUclipsでだけど森重さんも見かけた。本当に一発屋なら取り上げられないと思うけど。
C-C-Bは明らかに一発屋じゃないなあ。紅白にも出たけどそこで歌ったのはRomanticじゃなくてLucky Chanceだし。
他にも名曲多いしぜひベストアルバム聞いて欲しい。ファン歴37年目の御意見でした。箱だが最推しは笠くん。
「不自然な君が好き」はよかったなあ。
前略、道の上より は好きだったなぁ。夜のヒットスタジオで見た時はカッコいいって思った。ギバさんとか今でも活躍されてるメンバーもいますよね。
リーダーの小木茂光さんも活躍してるよね
哀川翔も
あの歌声にはインパクトが有り良く覚えています
LOOK 「 シャイニン.オン君が哀しい」
シャイニンオーン🎵の歌詞(高音)から入るところなんか最高でした!
これに対抗しての一発、東京JAP!これはボーカルよりもドラムの赤坂泰彦が有名になったのがとんでもない…。
@@meckey1939
摩天楼ブルースだね。直ぐ分かった!
@@meckey1939
対抗?と言えば、CADILLAC好きだったな!
キャディラック、ドラマ挿入歌だった「青春のあいうえお」は知っている。(作詞にA-JARIのShadowOfLoveを書いた一発屋メーカー秋元康を使ったとんでもない作品だったが…。)
ちなみにLOOKキーボードの山本はるきちさん、渡辺満里奈さんの「深呼吸して」を書き作曲家としても一発当てています。
逆に言えば一発当てるのが難しい時代だったな❗️
C-C-Bドラムでボーカルって凄いですよね。ギターボーカルより、ドラムボーカルは難しいですよね。
当時は稲垣潤一さんもドラムボーカルでした。
CCBのアルバムは兄が持っていたので持ち歌はそれなりにあるのは知っていました。
カラオケで歌い続けられてたりするおかげで堀江淳さんは今でもメモリーグラスの印税が年間100万円ほど入ってくるそうですよ
堀江淳のメモリーグラスは一発屋の曲だが、作詞作曲をシンガソングライターの堀江淳が作ったので、ベストソング集のCDやカラオケに出るので版権と印税で年間4~5百万の収入が有るとテレビで言っていた。
からくりTVの替え歌では『水割りが苦手で、頼むのはお湯割り 飲み屋でマスターがガッカリしてるのよ』とかやってましたな。
移住説とかデマ流したヤツへの恨み節みたいな部分もありましたなぁ…
@@johnduegombei
一応、替え歌選手権では、歌詞を『出たの移住説 そうよ居場所は海南島 ●●(躍り? 歌い?)つづけてもう動けないらしい』にしてましたよ♪ヽ(´▽`)/
GAOはヒット曲でいきなり「サヨナラ」だったね~
彼女はボーイッシュ、中性的なイメージでしたね。あの曲は日テレ系の素敵にだましてというドラマの主題歌で、主演に前年に朝ドラヒロインとなった鈴木京香さんだった…
CCBが一発屋なら逆に一発屋でない流行歌手を探す方が難しいだろうな。一世風靡セピアとZIGGYも違う
CCBは絶対に一発屋ではない。
高原兄さんは確かに一発屋だったが、羞恥心がヒットした事で実は能力が高いお人だったというのがよく分かった。
CCBは6曲くらいヒットがあるから、全然一発屋には遠い
まさかC-C-Bを一発屋扱いする輩がいるとは思わなかった
グループで一発屋なら、SALLYとレイジー
高原さん作曲の「風よ鈴鹿へ」は鈴鹿8耐には欠かせない名曲です。チーム紳助が参戦していた頃は前夜祭でほぼ毎回歌ってくれました。
CCBは、一発屋ではないでしょう。代わりに ザ・ヴィーナスの「キッスを目にして」を取り上げてほしかったです。
ただジューシーフルーツは1発のような、ギターの柴矢さんはナンノと奥さんに書いて作曲でも当てたけど…。
ヴィーナスもデビュー曲のシャーロックホームズを捕まえてもそれなりにヒットしているんだよね、キッスを目にして の後に出した ペパーミントラブがこけたような記憶があるけどね
C-C−B……笠くん、好きだったなー
でも、レコード(!)は買わず、ラジオを録音してました。
5曲ほど入れたかな?
そして、最後に入れてたのが、「ラッキーチャンスをもう一度」だった。www
C-C-Bを一発屋と呼ばないでー
ロマンティックが有名なだけで沢山シングル出してるしその都度チャートインしてたしあの頃の歌番組には必ずでてましたから!!そのくくりに入れないでほしい…
売り上げ的には及ばないけど♫スクールガールって曲が印象に残っています
真っ先にアラジンを思い浮かべた…入ってた(泣笑)
流行ってる歌手の方々よりもあまりテレビに顔の出ない歌手が好みでした🎵。昔は好きだったのにテレビの露出が増えてから、なんだかツマラナクなったと寂しげな意見も聞きます。誰にでも、この人だけはって歌手が存在しますよね🎵
今回のはほんの一部で、まだまだ昭和の一発屋さんは百人以上いますよ。好評みたいなので次回もお願いします。てかカラオケ🎤良く行くから年代別ランキングで曲探すと1曲しかないアーティストさん結構います。
懐かしい面々のご紹介、ありがとうございます。
一世風靡SEPIAといえばアニメ魁!!男塾のOP『汚れつちまった悲しみに…』も捨てがたい。
不良・ツッパリといった当時でも廃れつつあった硬派の心意気を高らかに歌う爽快感が良き。俺の青春もナンボのもんじゃい!
C-C-Bは一発屋じゃねえ
クスリ中毒を出してしまったのが一発視される一因かも!
一発屋と言われるけれど、時代を越えて歌い継がれる名曲がほとんどです。
一発屋というのは現在もがんばっている
アーティストに大変失礼である。
一曲でも売れればラッキーだと思う世の中には全く売れず消えていく人達が沢山いるのだから。
一世風靡セピア=『魁!!男塾』の主題歌を歌った
汚れちまった悲しみに ですね。
LOVE THREEとか…
幾時代ありまして。
それが大事は時々愛が勝つとどっちだったかわからなくなるw
あみんは岡村孝子がソロになってからの方が活躍してる気がする。
「夢をあきらめないで」が有名だけど、
あの歌声が好きだった。
アルバムも何枚か買った記憶。
そう言えばトムキャットが出てないなぁ、、
この動画観てたらウェディングベルを歌ってたシュガーを思い出したよ
オイラは
アンタのバラードと夢想花と愛は陽炎と花盗人とふられ気分でロックンロールと顔を思い出しました
コッキーポップ懐かしいな……
ZIGGYは大好きなので。悲しいなあ?
C-C-Bは当時はあまり好きなバンドではなかったけど、今は「Romanticが止まらない」を聞くと、懐かしさがこみ上げてくる。
中山美穂さん出演のドラマ主題歌。『毎度おさわがせします(シリーズ1)』(1985年1月8日 - 1985年3月26日)
それにこのドラマは、中山美穂さん歌手になる前のドラマです。(歌手デビューは、1985年6月21日)
あと渡辺英樹さんが早逝してしまい、再結成やテレビ出演できないのが一番痛いのかも…。
@@meckey1939ドラムの笠さんも一昨年12月に熊本でなくなりました😢あと少しで三回忌、キーボード田口が、先頃💊で3回目の逮捕。天国でガックリと、涙雨の台風10号🍃🌀☔みたいです。
ZIGGYは今でもたまに聞いてるんだけど…
後、東京JAPや、「バージンブルー」を歌ったバンド(名前忘れた)も懐かしい‼️
「バージンブルー」は「サリー」というバンドの曲です。未だにフルで歌えてしまう私……。
解散ライブの時に「いつもこれだけ客が来てくれていたら解散せずに済んだのに!」と言ったらしいですよ。
東京JAP、解散したらボーカルよりもドラムが有名になった!
C-C-Bは「Lucky Chanceをもう一度」もヒットしたし一発屋ではないでしょ全然。
C-C-Bの音楽性は高いと思うけどな。
当時にしては、相当革新的だったと思う。
あと、松本隆-筒美京平ラインも強力すぎる。
ジギーとジーグが紛らわしかった。
バンド名と曲名が一致してしまうと別の曲が出せない事に早く気付く事の方がよっぽど大事。
ZIGGYの「そこそこの売り上げがあった」曲は、劇空間プロ野球、銀座ジュエリー・マキ、HEY!HEY!HEY!、コナンとタイアップがあったのでどれも聴いてる印象
大事MANは、クレヨンしんちゃんの曲になったうたをうたおうも好きだったな…
俺はパプワくんのED曲に使われた「もしかすっとナンセンス」も好きでした。
大事MANといえばやまだかつてないテレビで一世風靡した。横浜市の成人式にゲスト出演された…
個人的にはclassの夏の日の1993を推したい。チャゲアスみたいでカッコよかったんだがなぁ。一曲しか知らんw
class、一人亡くなったので再結成がないのがつらい…。
山根康広さんは「Get Along Together」
小野正利さんは「You're the Only」のイメージが強く、その他ではヒット曲に恵まれなかったという印象がある
やっぱメタルにいった小野正利を知らない人がいるんだなあ。小野正利がらみで覚えているのは、CMタイアップがついていた、二人だけのストーリーズがガルベスのCMに変えられたことww
山根康広さんはGet along togetherが代表曲って言ったほうがしっくりくる。ファンじゃないから曲名は覚えてないけど、数曲はラジオで流れていた。
そうなんだ、オールマン ブラザーズ バンドをもじって付けたバンド名だとずっと思ってた。
一発屋でも
記憶に残っているね
C-C-Bは一発屋じゃない!
その通り‼️あれだけ売れてたのにラッキーチャンスはもう一度は年間21位だったし空想キッスも1位とって長くトップ10内にとどまっていたし
毎回おもうけど調査力がハンパないですね。凄いです。
音楽の好みは人それぞれだからな!! レコード会社からしたら、どれだけ良い楽曲を作ろうが、売れなければ意味が無い。大変だよね!!
あみん、あの独特のステップを踏みながらの歌唱が印象深いです。
あみんの岡村孝子さんといえば「夢をあきらめないで」です。何かの番組で使用されていましたね。
発表から2年ほど経ったとき、高校の修学旅行でお世話になったバスガイドさんがお別れの際に歌ってくれました。
当時、男子の間では可愛いガイドさんに当たったと喜んでいた記憶が湧きました。
みんなで歌って、泣きました。
最後はフェリーでのお別れで、紙テープ投げての例のお別れ。さらにみんなで大泣きよ。
シャツに「〇〇さん、大好きだ!!!」って書いたのを投げてた奴もいました。
当時、文芸部員のガチ「陰キャ」だった私ですが、なぜか腕組んでの2ショットで写真を撮ってくれました。
ガイドさんに「写真、いいですか?」って声かけたら、なんだかんだでこうなってしまいました。
それがなぜか卒アルに掲載されて大騒ぎになったのはいい思い出です。
一風堂の「すみれセプテンバーラブ」をお忘れですよ?(笑)
のちにSHAZNAがカバーしたやつですね
見岳章さん、作曲家として歴史的名曲(川の流れのように)を残してるから一発とは言えない。
SHAZNAも一発屋かは分かりませんが、長くは続かなかった。その後、イザムはショムニのエンディングの素顔なままでという名曲を出した。後に俳優となられて二時間ドラマでもお目にかかった…
カブキロックスも歌ってた曲!
それも懐かしい😆
土屋昌巳さん?
ヤマハポプコンからデビューした歌手は
一発屋が多い。
あと、世界歌謡祭に出演した歌手も。
ポプコンは年2回、世界歌謡祭は年1回だったからポプコングランプリ=世界歌謡祭グランプリではなかった。
グラシェラ・スサーナさん!!
ポプコンはコンテストであってオーディションでは無い。
そこを解らん連中が一発屋と揶揄する。
霊夢さん、頭じゃなくて、足をむけて眠れない!です。
一世風靡は、渋谷の公園通りで踊ってましたよ!よく観に行きました。池袋でありがたや、ありがたやとやっていたのが、野々村まことくんです♪れいしんかいですね!
一世風靡セピアの前略、道の上よりの「道の上」はスズキのスクーター・LoveⅢのタイアップソングだったから。そして、ソイヤ!の掛け声をふんだんに活かしたのが影響していると思う。
「Loveスリー、一世風靡だ!」のナレーション、SUZUKIの字幕をバックにカゲロウ立ち込める正面からの走行シーン、キャッチコピーの「ストリートヒーロー」…何もかもが刺激的だった。
リストにありませんが記憶に残る昭和から平成の一発屋歌手がいました。
そのアーティストはBEAT BOYS(実際の名前はAの部分が逆さま)で、曲の名は「誰よりもLady Jane」でした。
ライオンの洗顔フォーム「PAGE ONE」のCMに使用されていました。CMキャラは西村知美でした。
その後の動向は不明です。
この曲だけのイメージが強いのは
城みちるのイルカに乗った少年!今でも根強いのがすごい!昭和だなあ。
一発当ててそれだけで食えるなんてすごいことですよ。雇われじゃない個人事業主だからよくわかります🤣
時代に合った曲。
伊丹哲也さんは、私の卒業した高校の先輩です。軽音楽クラブで活躍しておられたそうです。
一世風靡セピア、小木茂光さんを忘れないでください
小木茂光さんは、バラエティー番組に出ると「ソイヤソイヤソレソレ」のフリをリクエストされていました。嫌がらずにやってくれて、「いい人だなぁ」と思った記憶がある。
まさか「それが大事」が日本文化に取り込まれたアメリカが舞台で、1人の女性がゾンビやヤクザや怪獣と戦うカオスなゲーム(発売日未定)の主題歌に使用されるとは思ってもいなかった
完全無欠のロックンローラー
私が中学3年生の頃大流行しました。(1982年春頃?)誰が1番マネが上手いか競い合っておりました。今思うと…
「恥ずかしい〜!」です😁💦
CCBは一発屋と言ったら失礼過ぎですね。
一世風靡もそれなりにヒットはあったんだよな。
男塾のOPEPも担当してたし。
高原兄さんは地元の富山でタレント活動をしています。競輪の唄やら地元の応援ソングも作っています。本業は電気屋の社長さんです。
それよりすごいのは北陸新幹線黒部宇奈月温泉駅のテーマソング、はくたか号が発車するときに彼作曲のメロディーが流れます。
平成の一発屋の共通の特徴は、その売れたCDが、中古屋店頭の50円コーナーとかに長年大量に置かれ続けてたりしたことw
今回紹介された人やグループのも、ほぼ全部が、そういうとこにあった
平成の一発屋もそうですが、ワンズとかも変色するくらい放置されていましたね…でも昭和のシングル盤などはそこまで酷い扱われ方ではないですね!
一発屋じゃないけど、globeや安室奈美恵のCDが売れすぎて、中古市場で50円くらいになっていた。あと、ドリカムや米米に至っては10円だった。売れすぎてダブつくという現象が多かったイメージ。
堀江淳は当時、TV番組トップテンの追っかけマン(現地リポーター)だった小堺一機氏の話で、毎週行くたびに態度が変わって行く(大きくなって行く)のでびっくりしたという逸話がありますな(笑)
ZIGGYはGLORIAをリリースした2年後の
アルバムKOOL KIZZで1位取ってますよ。
ただ、このアルバムに入っているDont Stop
Believingを先行シングルにしてプロモーションに力を入れていれば、もっと売れていただろうな
パンプキン・パイとシナモンティーは好きでした
まさかあのマスターの店があみんだとは知らなかった!
安眠って書いてあみん
さらに「あみん」の英語表記はユーミン(松任谷由実さん・Yuming)に対抗してAmingでした。
伊丹哲也のピーク時と「伊丹幸雄のコーナー」がラジオで盛り上がっていた時期が同じころだったこともあり、完全にこの二人を混同していた。
「伊丹幸雄のコーナー」確かそれMBSヤンタンやなかった?😅
石川優子さんとデュエットしましたよね?
伊丹幸夫さんと言ったら、オレたちひょうきん族のイメージがあります。青い麦という曲だったかな?ひょうきんベストテン懐かしか!
平成もOKなら「心凍らせて」の高山厳もお願いします。(デビュー曲の一発屋ではありません。)
また当時、NHKの「二人のビッグショー」と言う番組でこの「心凍らせて」を3回歌うという快挙?を成し遂げました。(最初と最後の2回+番組中盤でピアノの弾き語りで1回の計3回歌っていた。)
忘れません
バンバンから高山さんが抜けた後にバンバンが売れたという
裕木奈江さんも一発屋的女優だったねえ
彼女は北の国からにも出演してました…
一発屋バンドとも言える「摩天楼ブルース」の東京JAPや、「シャイニン•オン 君が哀しい」のLOOK、それと同時期にデビューしたチェッカーズの二番煎じみたいな、SALLYというバンドの「バージンブルー」も取り上げて下さい😅 でもこの二曲は年代にもよりますが、カラオケでは人気なんですよね🎤
LOOK、バンド自体は一発だがメンバーの山本はるきちさんは渡辺満里奈の作曲でも売れた。
シャイニン・オン~はカラオケで歌ったら、いい曲だといわれた。私の歌は下手だから、絶対に鈴木トオルバージョンを聞いたほうがはまるだろう。
何でLOOKが話題になって、ボーカル鈴木トオルの名前がないんだろう。鈴木トオルでは意外に曲が流れてた。
一発屋とは言え懐かしい面々
メモリーグラスは今でもカラオケで歌うおじさん達がいるし
一発屋とは言え残した印象と功績は大きい
C-C-Bって一発屋の部類なの?
前回の動画のコメント欄に名前がある歌手が多いいんしょうですが。掘り下げればまだまだあります。雅夢や伊藤敏弘、辛島美登里などなど。
この企画好きなので、続編もよろしくお願いします!
伊丹哲也&SIDE BY SIDE、アレンジャー&プロデューサーとして有名になったのは伊丹哲也さんでなくSIDE BY SIDEの十川知司さん。
彼の最大のヒットは岡本真夜さん!
デビューできるのも一握りだしその中でも一発当てるのも大変だよね(´・ω・`)
千賀かほる・中山千夏・ジュンとネネなども歌手としては一発屋だったが、最初から一発屋宣言のオーロラ輝子もいたな
中山千夏さんは子役時代から活躍されていて、あとにじゃりんこチエのアフレコもやっていた。さらにその後は政治家としても活躍。この頃の一発屋としては新谷のり子さんとか本田るつこさん、日吉ミミさんもいたなあ…
杉田かおるさん、一曲しか出してないから「一発」というより一戦一勝歌手!
一世風靡は一発屋じゃないし、間違いだらけ。
「風見慎吾のバックダンサーとして踊っていた、それが一世風靡だった」は違う。バックダンサーは佐藤B作と小西博之。一世風靡が仲間として踊ったことがあるというだけ。「バックダンサーの中からセピアとして独立」というのも違う。あくまで劇男からユニットとして派生。
風見のレコードジャケットが「涙のテイクアチャンス」になっていて、さも一世風靡がブレイクダンスを踊ったかのようにされているが、バックダンサーは全く関係の無い別のチーム。後世のためにも出鱈目は今すぐ謙虚に撤去を、どうぞ。
同意です。
一世風靡は結成の経緯からちゃんと説明したほうがいいですね。
@@jagakago9016 本当にそうです。風見は哀川に促されて劇男に入り、柳葉は既に俳優デビューしていたのに。この動画シリーズは、きっとあまり確認せずに思い込みだけで編集しているみたい。知ったかぶりを公にしてほしくないですよね。
一世風靡セピアの時代に生まれててこれを作ってたらニワカにも程があるな
当時劇男のメンバーの中には野々村真もいて、「笑っていいとも」に出ていた当時、付き人やマネージャーに柳葉敏郎が行って、「欽ドン」のレギュラーGETしたんじゃなかったっけ?
柳葉敏郎の欽ドンオーディションの経緯は知りません。彼は元々役者業をしていて金八先生などに出ていて、劇男零心会に加わったのはちょっと遅め。
ZIGGYのSTEP BY STEP好きだった。コナンで覚えた
CCBは、関口さんの脱退とリーダーの渡辺さんの死去が痛かったですね。良い曲沢山有りますよ。一発屋と言えば、キャデラックスリムというグループの「摩天楼」って曲の記憶が。🙄🤨
キャデラック スリムなら孤独のメッセージでしょう、東京 JAPの摩天楼ブルースをごちゃまぜにしてませんか
ZIGGYはドリキャス版の「首都高バトル」のメインテーマとエンディングの曲も担当していたね。
without
The虎舞竜というバンドがあってね…
ロード 15曲もうええやろ
因みに、其の一発屋バンドのTHE虎舞竜のボーカル担当も、あの三船美佳さんの前の旦那でもある高橋ジョージさんだったよね。
堀江淳と来たら五十嵐浩晃そして実は歌手としては一発屋のキャラメルヤ○ザこと田中義剛からのソーラン節で紅白まで行った伊藤多喜雄とつながる
あみんは二曲目の『琥珀色の想い出』もベストテン入りしてたので「一発屋」には当らないと思います。また岡村孝子さんはソロでもヒット曲を出しておられますし。
あみん は、あのチェルシーのCMソングを歌ってました。
あみんのように一曲目が大ヒットして、二曲目がそこそこヒットしてフェードアウトというのが『一発屋』の典型です。
それでもクリスタルキングのように二曲目の『蜃気楼』が50万枚以上(大都会のほぼ半分)売れていたらともかく、『琥珀色の想い出』は20万枚も売れていない(待つわの5分の1以下)ので、一発屋と言われてもおかしくないです。
ただ、あみんの場合は岡村孝子がソロでヒット曲を出しているので、一般的な意味での一発屋とは意味合いが違いますが。
それだと「二曲売れても一発屋」と言う事になるので「一発屋」の意味から外れて来そうな感じが。
あみんにと同じ流れのデュオとしてはその前にいたシモンズやベッツィ&クリス、そのあとのキロロが同じタイプだった。Winkもその要素があって、「待つわ」をWinkが歌ってもイケそうだし、Winkの曲をあみんが歌うとしたら、「アマリリス」という曲か…
@@西島浩-n8q 『待つわ』は「けなげに待つ女」みたいな感じになってましたが、歌のラストは結構エゲツなかったです。
高原兄は地元の富山県でローカルタレントをしています、ローカル放送内で「かいこと」というコーナーを持っています。「かいこと」というのは富山県の方言で「交換」という意味で、高原兄の場合は「物々交換」のようなノリであちこちに出没しています。
一世風靡、CCBは一発屋には入らないねぇ。
しかし、ヤマハのポプコン優勝者に一発屋が多いのは何故だろう。
偶然?今日車のラジオから流れていましたよ。ポケベルが鳴らなくて、それも珍しく最後までフルでね。
あみんはアミン大統領からだとズゥーと思っていたわww
この回に紹介されたアーティストの曲の中で1番の名曲は
アラジンの「道化師」だと自分的には思います
史上最高のB面ソングです
それ、分かります❗
@@桃木守
返信ありがとうございました😀
この曲の良さを分かってくれてる人がいると思うと嬉しいです😄
歌い出は(秋の匂い、あまりにも、寂しいのは何故、)でしたっけ。。幼なながらに切ないなぁ、と想いながら聞いていました。エンディングも、僕が生きるために、君が側にいて欲しい、君が生きる為に、僕が必要で欲しい~、でしたっけ。違ってたらすいません。
@@桃木守
エンディングが最高ですよね~👍
ある意味B面だったからこそコノ曲の良さが際立っているのかも知れません💯
C-C-Bは一発屋じゃないよ!
演歌・歌謡曲の歌い手はカウントダウン番組のベスト10に入るのが必須だったが、歌うことに専念できるからね。一方、ニューミュージック系はギターやピアノなどの楽器を弾きながら歌ったり、作詞作曲も自分で手掛けて、他の人への提供もしているから、単純な比較はできない気がする。山本コウタローさんもラジオ番組で言ってました。「我々はベスト50に入ればヒットです!」
その一発でさえ当てられない人たちの方がよほど多いだろうから、一発でも当てられたらラッキーですよ。
伊丹さんは、還暦過ぎたいまでも関西中心でライブをしていますよ。以前は他のアーティストに曲提供したり、ツアーのサポートもしていましたね。アレンジャーになったのは高校の後輩でもあり、side by sideのメンバーでもあった十川知司さんです。
アラジンの高原兄さんは地元で家業に携わる傍ら、イベントの司会、曲提供などしています。自分で曲を書く人は、その後もそれなりに活動している方が多いですね。
堀江淳さんには一緒に歳を重ねた追っかけが3人います
地方の小さな小屋のライブにも現れるようです