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徳川吉宗が砂糖の国産化に取り組んでいたのは知らなかった。江戸時代に美味しい和菓子が次々と誕生したのは吉宗の功績だと言えるね。
長命寺桜餅、笹巻毛抜き寿司、日本橋長門の久寿餅...etc...。時代や風俗変われど三百年以上も昔とほとんど変わらない食べ物が食べられることは不思議で幸福
自分のご先祖さま達もこういったお菓子を喜んで食べていたのかなぁと想像すると面白い
まじでこの人の動画毎回見応えがあって大好き
13:45 13:45 13:45 13:45 13:45
11:50
江戸時代は、日本文化にとって最重要な時期だったのですね。
吉原の花魁と餅屋の職人が夫婦になり評判に為った 今も残る幾代餅。ロマンを感じますねぇ。
@@yamatoyamato-pq2zw 何のこっちゃ(笑)
私の祖母が果物の事を水菓子と呼んでいた事を思い出しました😊また、動画の内容もとても面白かったです¨̮♡︎
食べ物の動画に度々登場する「商家の丁稚」ですが、江戸時代当時の商家の主人が丁稚にも小遣いや駄賃を渡し、可愛がって大事に面倒を見ていたと想像すると、なんとも微笑ましく優しい気持ちになります
とても分かりやすくて楽しかったです 昔の食文化は面白いですね
今も昔も食事とは別にお菓子って魅力的ですよね。お菓子を口にすると少し幸せな一時を味合わうことができますよね。今回も面白いお話をありがとうございました。
和菓子食べたくなってきた🤤
お菓子のルーツを知れてよかったです。ありがとうございました。
砂糖が来る前は、干し柿が一番甘いものだったみたいですね。名古屋には干し柿を使って甘味を出した味噌だれをつけて食べる、味噌カツ屋さんがあります。超うまい。
意外と甘い物が充実していた事に驚き。
水菓子って果物のことだったんですね。落語の千両みかんを聞くに、みかんは現代同様、庶民的な果物だったんでしょうね。スナック菓子だとどんなものがあったんでしょうね。仕置人の念仏の鉄とその仲間達はアジトで延々と豆を食ってましたが、落花生とかは江戸時代からあったんですかね。
やっぱり砂糖あってこそのお菓子の発展だなー
なんというか当時の砂糖は本当に生きる糧だったんでしょうね。260年続いた平和な江戸時代、約60年に1度のペースで4度の大きな飢饉が発生した厳しい江戸時代。飢饉に備えた作物などの栽培を優先奨励して贅沢品の砂糖の栽培を禁じられても不思議じゃない。なのに砂糖の栽培を止める事がない辺り、生命維持の為の高カロリー源として、日々を生きる娯楽として、経済活動の一部として、砂糖の持つ役割は重要だったんでしょうね。
お菓子の値段が今の物価とさほど変わらないのが興味深かったです。お饅頭一個120円はちょっと安いのかな。
思いのほか豊な生活だったんだなぁ
塩あんとやらが、うまそう…復活してほしい資料豊富でうれしい
今でも塩あんびんって呼び方で埼玉で食べられてるらしいっすねぇ
@@bcgtd3651 調べたらありました、絶対食べてみたいです、ありがとうございます!
ダ埼玉に名産があった‼️🎉
@@user-bn7vl6bb3n 翔んで埼玉を感じた()
西瓜に塩振ってるのと同じ原理。そういえば、ただの瓜見なくなったな。贅沢になったの。うちも。
紀州みかんの「皮が厚くて人気」っていうのは、頑丈で長期輸送に耐えられるってことだったんだろうか
近世には、庶民が日々のご飯以外に、平時には楽しみの為の菓子を求める裕が十分有った事が知れて嬉しく・有り難いなと思いました!
砂糖の入っていない塩餡も、金鍔の前身(?)の銀鍔も知らなかった。食べてみたい。
吉宗、砂糖だけじゃなくて朝鮮人参まで国産化してるからよっぽど研究熱心だったんだな
真桑瓜って一度食べてみたいよな
滋賀県在住です。今でも滋賀県や京都の一部では、まだマクワウリが栽培され販売されています。アッサリしたメロンです。
前に夏の時期スーパーに行ったら売ってあったよ
京都府のそこそこ田舎のところに住んでいますが、夏になると道の駅や朝市などで当たり前のようにたくさん売っています(つい今まで珍しいものだと知りませんでした…)。味は確かにメロンと比べればあっさりしていますが、それでも確かな甘みと独特の舌触りを楽しめます。大きめでふっくらした下ぶくれの形で、蔓の付け根付近に傷跡が塞がった痕のあるものは甘みが強い事が多いですよ。メロンのような甘い香りが漂い始めれば食べ頃です。
@@KANIKAMA5353 やぶさかな質問なのですが…そこでは一つおいくらで売られていらっしゃるのでしょうか…?
今回も動画配信有難うございました。とても勉強に成りました。😊
私は50歳手前ですが、バアちゃんが果物を水菓子って呼んでたのを思い出しました😮ギリギリ果物の事を水菓子って理解出来る世代なのでしょうね?
時を超えて今でも同じようにきんつばや大福、柏餅にお煎餅を食べられる幸せ。生み出してくれて本当にありがとうございますと先輩方に伝えたいです。和菓子本当に美味しい😊
大変興味深く拝見いたしました。当時のお菓子も結構美味しそうですね。食べてみたいです。時代劇でおまんじゅうやダンゴを食べているシーンはよく見ます。
脂質たっぷりの洋菓子も美味いけど、やっぱ和菓子いいよね🍡
昭和の終わりちかくになるまで果物は最近のものよりずっと甘みが少なくてグレープフルーツにグラニュー糖をかけたりイチゴに練乳をかけてりして食べるのが当たり前だったんだよな。
ああ、そうでしたね。本当に最近の品種は甘くて水菓子とはよく言ったものだと思っていました。 ここまで甘くなくても良いのに……なんて贅沢な事を思ったりして
はえー、イチゴに練乳かけたりとかって、そういうルーツだったんすね
真桑瓜だと馴染みは無いんですがまっか瓜で馴染みがあります💓
いい動画をありがとうございます!😄
味噌餡の柏餅めっちゃ好きだわ売り場に並ぶ事が年々減ってるように思えるから、いつか消える食い物なんだろうか
脇から失礼。自分で作れるようになると、なくならないかもな。自作研究をしてみるのも、面白いかも。
味噌餡の柏餅、丁度明日作ります(*^^*)
虎屋と言えば羊羹をイメージする方が多いですが、京都に本店を置く上菓子司ですね。紹介されていた桜餅の画像は道明寺で、道明寺粉と言う米粉を蒸した生地で餡を包んだ桜餅です。長命寺は小麦粉生地を小判状に焼いた餅に餡を挟んだ桜餅です。基本的に道明寺は桜葉と一緒に食べる、長命寺は桜葉を剥がしてから食べるという違いもあります。これは作り方の違いで、道明寺はベタつくので塩抜きした桜葉を使って作り、手がベタつかないようにする工夫と言われています。長命寺は桜葉が食感を妨げないように、香りと塩味だけを移す工夫と言われています。
クレープタイプではなくてえ?と思いました。
長命寺が関東方面でよく食べられる桜餅、道明寺が関西方面でよく食べられる桜餅ですね。江戸の頃はどっちが主流だったんだろうか?
@@miyotukushitv2475 さんそこまで調べた事が無いので詳しくはわかりませんが、江戸詰めの諸藩の藩士が帰藩した時に広めたりして、西日本でも長命寺桜餅の形が定番になっている土地があるそうです。東日本では長命寺桜餅が定番の方が多いみたいです。
私の小さい頃(前回の東京オリンピック開催の頃)、餅やそれから作るかき餅・あられはどの家でも自作されていました。柏餅も子供たちが山林に柏の葉を取りに行き、母親がもち粉とあずきで作ってくれた。他にも、牡丹餅や汁粉・お焼きなんかは年に数回食べたが、材料も全て自給自足でしたね。
今回の動画も面白かった。砂糖は吉宗の時代から生産を奨励したのですね。饅頭、せんべい、など現代とは少し違うが、原型は同じですね。面白かった。
今の生活スタイルが確立したのは、江戸時代くらいなんだな。学校の社会の時間では習わないから、すごくありがたい。
甘味は美味しいよね😋アンコの甘味は少し甘いのが好き❤️
真桑瓜は大阪や京都ではまっかと言って、農家は各家でも作って食べてました。プリンスメロンほど甘くないけど、大好きでした。柿にグミにイチジクに❤
洋菓子より和菓子が好き。特に、大福と羊羮。
今じゃ水菓子が一番高い
時期によるけれど、南米や豪州産の果物が安いし、ンマイ、ガバガバ食える。まあ国内産の高級ピーオネだとかニャ敵わないけど、懐気にせず食える。害虫が引っ付いてくるのは困るけれど、マンゴ、パパイアなんぞもバナナみたいにはいって来ればいいのに。まくわ瓜は昔食った記憶はあるけれど、味・食感の記憶は無い。
6:43 この写真は道明寺で長命寺ではないですよ〜
面白い動画をありがとうございます。新たな知見も得られて得した気分です。ところで柿と並んで農家の庭先でよく見る栗は菓子にはあまり使わなかったのでしょうか?江戸だと他にも食べ物が色々あるから菓子としては流行らなかったのか。
煎餅といえば日光街道の草加宿でおせんという女性が焼いて売っていたと聞いた事があります。また、琉球や近隣の島々ではさとうきび栽培が盛んだったと思いますが、もっと早く本土に砂糖が入って来なかったのでしょうかね?
織田信長は干し柿が好きで、常に懐に幾つか忍ばせてたり家臣の子供が拝謁した際には、お土産に篭一杯の干し柿を持たせてたり、原産は志那でも、柿って日本人にとっては欠かせない甘味だったんだな~とは思うww。
水飴は米芽や麦芽の酵素を利用して餅米などのデンプンが加水分解されて糖化されたものです。いつ頃から日本にあったかは分かりませんが少なくとも奈良時代には一部で作られていたらしいですね。
最初スイカは血肉色で食べるのを敬遠されてたのに何故同じく赤い色のマグロは寿司等にして普通に食べていたんだろう
赤身は血肉そのものだから吹っ切れていたのではw
当時のマグロはヅケにしていたそうです。今人気のトロなんて脂っこ過ぎて捨てていたとか。赤身をヅケにした物が人気だったそうです。
マグロもしび?って呼ばれてなんとかって聞いたことあります😮曖昧ですみません笑
@@user-el9rc2wi8w そうです。それで武士階級はマグロは食べなかったとか。
水っぽいから、食べてる姿が血を啜るような見た目だったんじゃないか?
マクワウリは子供のころよく食べたけど最近は滅多にみかけなくなったなそして祖父母にとって煎餅は甘い、今でいう瓦煎餅のようなタイプのものでいわゆる今の煎餅はおかきと呼んで区別してました
ワテクシは若い時分は和菓子にほアンマ興味無かったんスが、最近スーパー等に行くと、気が付けば大福だの草餅だのみたらし団子なんて買ってたりしますね。アンパンやジャムパン等も含みますね。ただワテクシの住まう埼玉県川越市には焼団子っつう甘くない団子も在ったして、時たま市内の専門店に買いに行ったり「芋恋」っつうサツマイモ菓子やら饅頭やら芋煎餅やら、良く見りゃイロイロ在りますわ(旨)😁😜😋 (゚д゚) yummy
桜餅ちょっと高いって思ったけどよく考えたら苺大福も同じように一個ずつでその値段で売られてたこと思い出しました。桜餅大好きだから年中食べられるようになって嬉しい…
吉宗やるやん
スロットの?
ばあちゃんが、ぼたもちをよく作ってくれたなあ!僕が食べる専門の倍の大きさのぼたもちは大きい!
歳をとると和菓子の良さが分かってくるんですよね…DNAに刻まれているのかな
マクワウリ!ドラマ「鎌倉殿の13人」でも出てきましたが、鎌倉時代から食べられていたのでしょうかね!(源範頼が畑に何を植えようかと言っていたところ、善児が「マクワウリがよろしいでしょう?」とか言っていきなりぶすっと殺してしまうシーン)
桜餅のイメージインサートが、長命寺の説明なのに上方の道明寺だったのが少し残念。
あなたのコメントを見て調べて見ました。ピンク色した桜餅と全く違った桜餅ですね。コメント有難う御座います。あなたのコメントで調べてみるきっかけになりました。
あれ?長命寺桜餅の写真、道明寺桜餅じゃね・・・?長命寺桜餅(関東風)、道明寺桜餅(関西風)なんやで
養蜂も江戸時代に行われてたらしいけど、蜂蜜が甘味料として使わなかったのが不思議
私の好きなものばかり。
ヨーロッパの食文化は乳製品で味付けする文化で、インドの食文化は香辛料で味付けする文化。一方、日本は砂糖と醤油とか砂糖と味噌で味付けする文化で、日本人にとって砂糖は他の国の人以上に重要だった。昭和の前半ぐらいまでは人に物を贈るのに砂糖を贈ることが多かった。
8:18に出てくる浮世絵には関ヶ原名物砂糖餅と書いてあるけど、砂糖餅だけ触れられてないwなんだろう砂糖餅w
説明されているお菓子が写真のお菓子と一致していないのでちょっと混乱しますね。例えば桜餅の説明は長命寺餅ですが写真は道明寺餅という具合。
😂❤柿や干し柿は庶民の1番のおやつ。サツマイモも
暴れん坊将軍は、3色団子を良く食べていますね。
くそ、グッドボタンが3201番目だった…😮💨もう少し早ければ…っ!😫
落語(孝行糖)には歌舞伎役者(嵐璃寛、中村芝翫)の名前からとって(璃寛糖に芝翫糖♪璃寛糖の本来はうるの小米に寒晒しカヤに銀杏肉桂に丁字チャンチキチンスケテンテン♪)と歌って璃寛糖に芝翫糖を売る人がいたそうですね
江戸の庶民てクリエィテイブ
お菓子ひとつにしても大変奥深いことがわかりました! いつも楽しみています( ^ω^ )テーマが切り替わる時にあと1秒間があると、頭の理解がしやすいです🥺( 車でラジオがわりに聞いているので )
桜餅が食べたい。昔はエンドレス安倍川餅できたけど、若かりし頃のおふざけだね。
塩餡も緑茶と食うとうまいんだよなぁ
いつの時代も甘いものはみんな好きだったんだな(;^ω^)🍡 お手軽甘味は焼き芋だな。落ち葉掃除したあとでお芋入れて焼くだけww
そのサツマイモ普及にも一役買っていたりする吉宗であった(例のナレーション声)
真桑瓜食べてみたいんだけどどこで食べられる?
そういえばガキの頃に甘い味噌餡の柏餅あったけど今見なくなった気がするなあと砂糖が広まったのが江戸時代の後期からみたいだけど中期くらいに作られてた庶民のお菓子は黒砂糖がメインだったってことなのかな?
戦時中(太平洋戦争、大東亜戦争)や戦後の昭和40年頃まで砂糖は今より価値があって、お中元、お歳暮でデパートから金属の円柱状の缶に入った砂糖が届くことがあったよ。
飴の話を聞くと初天神を思い出した。
ベッコアメがあった!飴🍬があったよ!
写真の桜餅は道明寺です…
歌舞伎十八番の助六に登場する朝顔仙平のセリフには(ことも愚かやこの糸鬢は砂糖煎餅が孫、羽衣煎餅はおらが姉様、双六煎餅とは行き合い兄弟、姿見煎餅はおらがいとこ、たけむらの方巻きせんべいが親分で朝顔仙平という色奴様だ)と江戸時代にあった煎餅の名店がセリフに織り込まれています。
大福が大好きです❤️愛しています(*´꒳`*)
とらや出てますね
砂糖の流通で虫歯が蔓延したのか気になるの。
僕も20年以上前に知ったことだけど、親の唾液で虫歯に感染するんだって!ジジババの唾液でもアウト。虫歯にならない人は存在するよ。
砂糖の国産化を目指して、琉球からサトウキビを入れた吉宗さん、偉いっ。
スイカは切って売られてたんですねぇ。
桜餅の紹介時の写真は道明寺ですね。長明寺の桜餅とは違います。出来れば訂正して頂ければよいのですが。。。
この砂糖が庶民に普及して身近になって、虫歯とか増えたりしなかったのかな…当時の虫歯ってどうやって治療してたんだろう?食生活の変化による病気とか気になります。
確か干し柿より甘くしてはいけなかったはず
大岡越前で、塩瀬の饅頭を買いに行くシーンがあって、びっくりした。由井正雪が国家転覆かなんかで、極刑になったとき、西瓜は、血まみれの由井正雪の呪いって噂がたって、気持ち悪がられたって本当?
蜂蜜も水あめも、ふる~い(記紀)時代から記載されているのに、アマカズラみたいな超絶手間と薪が要るものを使っていたのはそれなりに理由が有ったんだろけど、何故か知りたい。
大福餅の起源って、意外な所からあったんだな・・・Σ(゚Д゚)ちなみに・・・江戸時代は逆に・・・白砂糖が高級品で黒砂糖が安価だったのが意外過ぎた・・・Σ(゚Д゚)(現代だと、白砂糖が安価で十割の黒砂糖だと、高値なんだよな🥺・・・)
あまり画面を見ずに音だけ聞いてるからかもだが、音声が平坦なせいで話題の対象が変わったときに気付きにくくて混乱する大きなトピックの変化の時は効果音を入れたり少し間を開けたりしてくれてるけど、そういう工夫をもっと細かく入れてくれるとありがたいなあ内容は面白いから今後も期待してます
某医師が広めたとゆう安道名津なる菓子が大人気を博したとか(笑)
今じゃ、干柿は高級品😅
砂糖を初めて口にした時人はどう思ったのだろうか
安藤なつが食われてたよ
😂南部せんべい?煎餅汁?
茶道では今も干菓子水菓子と言うからね
隅から隅まで米文化なんだなと感じましたまぁ、米で徴税してるくらいだから必然なのかもしれないけどw
讃岐でサトウキビが栽培出来たら、なぜ奄美諸島を治める薩摩の島津家が砂糖の専売特許を持っていたのか理解出来ない。
江戸時代からの言葉だったのか、"水菓子"。オレ、この言葉使ってたら20年上の当時の恋人に伝わらなくて説明必要になったwwwwwwこいつの御母堂は普通に使ってた単語だったのにwww
金平糖くらいかな 知ってるのは
徳川吉宗が砂糖の国産化に取り組んでいたのは知らなかった。
江戸時代に美味しい和菓子が次々と誕生したのは吉宗の功績だと言えるね。
長命寺桜餅、笹巻毛抜き寿司、日本橋長門の久寿餅...etc...。
時代や風俗変われど三百年以上も昔とほとんど変わらない食べ物が食べられることは不思議で幸福
自分のご先祖さま達もこういったお菓子を喜んで食べていたのかなぁと想像すると面白い
まじでこの人の動画毎回見応えがあって大好き
13:45 13:45 13:45 13:45 13:45
11:50
江戸時代は、日本文化にとって最重要な時期だったのですね。
吉原の花魁と餅屋の職人が夫婦になり評判に為った 今も残る幾代餅。ロマンを感じますねぇ。
@@yamatoyamato-pq2zw 何のこっちゃ(笑)
私の祖母が果物の事を
水菓子と呼んでいた事を思い出しました😊
また、動画の内容もとても面白かったです¨̮♡︎
食べ物の動画に度々登場する「商家の丁稚」ですが、江戸時代当時の商家の主人が丁稚にも小遣いや駄賃を渡し、可愛がって大事に面倒を見ていたと想像すると、なんとも微笑ましく優しい気持ちになります
とても分かりやすくて楽しかったです 昔の食文化は面白いですね
今も昔も食事とは別にお菓子って魅力的ですよね。
お菓子を口にすると少し幸せな一時を味合わうことができますよね。
今回も面白いお話をありがとうございました。
和菓子食べたくなってきた🤤
お菓子のルーツを知れてよかったです。ありがとうございました。
砂糖が来る前は、干し柿が一番甘いものだったみたいですね。名古屋には干し柿を使って甘味を出した味噌だれをつけて食べる、味噌カツ屋さんがあります。超うまい。
意外と甘い物が充実していた事に驚き。
水菓子って果物のことだったんですね。落語の千両みかんを聞くに、みかんは現代同様、庶民的な果物だったんでしょうね。
スナック菓子だとどんなものがあったんでしょうね。仕置人の念仏の鉄とその仲間達はアジトで延々と豆を食ってましたが、落花生とかは江戸時代からあったんですかね。
やっぱり砂糖あってこそのお菓子の発展だなー
なんというか当時の砂糖は本当に生きる糧だったんでしょうね。
260年続いた平和な江戸時代、約60年に1度のペースで4度の大きな飢饉が発生した厳しい江戸時代。
飢饉に備えた作物などの栽培を優先奨励して贅沢品の砂糖の栽培を禁じられても不思議じゃない。なのに砂糖の栽培を止める事がない辺り、生命維持の為の高カロリー源として、日々を生きる娯楽として、経済活動の一部として、砂糖の持つ役割は重要だったんでしょうね。
お菓子の値段が今の物価とさほど変わらないのが興味深かったです。
お饅頭一個120円はちょっと安いのかな。
思いのほか豊な生活だったんだなぁ
塩あんとやらが、うまそう…復活してほしい
資料豊富でうれしい
今でも塩あんびんって呼び方で埼玉で食べられてるらしいっすねぇ
@@bcgtd3651 調べたらありました、絶対食べてみたいです、ありがとうございます!
ダ埼玉に名産があった‼️🎉
@@user-bn7vl6bb3n 翔んで埼玉を感じた()
西瓜に塩振ってるのと同じ原理。そういえば、ただの瓜見なくなったな。贅沢になったの。うちも。
紀州みかんの「皮が厚くて人気」っていうのは、
頑丈で長期輸送に耐えられるってことだったんだろうか
近世には、庶民が日々のご飯以外に、平時には楽しみの為の菓子を求める裕が十分有った事が知れて嬉しく・有り難いなと思いました!
砂糖の入っていない塩餡も、金鍔の前身(?)の銀鍔も知らなかった。
食べてみたい。
吉宗、砂糖だけじゃなくて朝鮮人参まで国産化してるからよっぽど研究熱心だったんだな
真桑瓜って一度食べてみたいよな
滋賀県在住です。今でも滋賀県や京都の一部では、まだマクワウリが栽培され販売されています。アッサリしたメロンです。
前に夏の時期スーパーに行ったら売ってあったよ
京都府のそこそこ田舎のところに住んでいますが、夏になると道の駅や朝市などで当たり前のようにたくさん売っています(つい今まで珍しいものだと知りませんでした…)。味は確かにメロンと比べればあっさりしていますが、それでも確かな甘みと独特の舌触りを楽しめます。大きめでふっくらした下ぶくれの形で、蔓の付け根付近に傷跡が塞がった痕のあるものは甘みが強い事が多いですよ。メロンのような甘い香りが漂い始めれば食べ頃です。
@@KANIKAMA5353
やぶさかな質問なのですが…そこでは一つおいくらで売られていらっしゃるのでしょうか…?
今回も動画配信有難うございました。とても勉強に成りました。😊
私は50歳手前ですが、バアちゃんが果物を水菓子って呼んでたのを思い出しました😮
ギリギリ果物の事を水菓子って理解出来る世代なのでしょうね?
時を超えて今でも同じようにきんつばや大福、柏餅にお煎餅を食べられる幸せ。
生み出してくれて本当にありがとうございますと先輩方に伝えたいです。
和菓子本当に美味しい😊
大変興味深く拝見いたしました。当時のお菓子も結構美味しそうですね。食べてみたいです。
時代劇でおまんじゅうやダンゴを食べているシーンはよく見ます。
脂質たっぷりの洋菓子も美味いけど、やっぱ和菓子いいよね🍡
昭和の終わりちかくになるまで果物は最近のものよりずっと甘みが少なくてグレープフルーツにグラニュー糖をかけたりイチゴに練乳をかけてりして食べるのが当たり前だったんだよな。
ああ、そうでしたね。
本当に最近の品種は甘くて
水菓子とはよく言ったものだと思っていました。
ここまで甘くなくても良いのに……なんて贅沢な事を思ったりして
はえー、イチゴに練乳かけたりとかって、そういうルーツだったんすね
真桑瓜だと馴染みは無いんですがまっか瓜で馴染みがあります💓
いい動画をありがとうございます!😄
味噌餡の柏餅めっちゃ好きだわ
売り場に並ぶ事が年々減ってるように思えるから、いつか消える食い物なんだろうか
脇から失礼。
自分で作れるようになると、なくならないかもな。
自作研究をしてみるのも、面白いかも。
味噌餡の柏餅、丁度明日作ります
(*^^*)
虎屋と言えば羊羹をイメージする方が多いですが、京都に本店を置く上菓子司ですね。
紹介されていた桜餅の画像は道明寺で、道明寺粉と言う米粉を蒸した生地で餡を包んだ桜餅です。
長命寺は小麦粉生地を小判状に焼いた餅に餡を挟んだ桜餅です。
基本的に道明寺は桜葉と一緒に食べる、長命寺は桜葉を剥がしてから食べるという違いもあります。
これは作り方の違いで、道明寺はベタつくので塩抜きした桜葉を使って作り、手がベタつかないようにする工夫と言われています。
長命寺は桜葉が食感を妨げないように、香りと塩味だけを移す工夫と言われています。
クレープタイプではなくてえ?と思いました。
長命寺が関東方面でよく食べられる桜餅、道明寺が関西方面でよく食べられる桜餅ですね。江戸の頃はどっちが主流だったんだろうか?
@@miyotukushitv2475 さん
そこまで調べた事が無いので詳しくはわかりませんが、江戸詰めの諸藩の藩士が帰藩した時に広めたりして、西日本でも長命寺桜餅の形が定番になっている土地があるそうです。
東日本では長命寺桜餅が定番の方が多いみたいです。
私の小さい頃(前回の東京オリンピック開催の頃)、餅やそれから作るかき餅・あられはどの家でも自作されていました。
柏餅も子供たちが山林に柏の葉を取りに行き、母親がもち粉とあずきで作ってくれた。
他にも、牡丹餅や汁粉・お焼きなんかは年に数回食べたが、材料も全て自給自足でしたね。
今回の動画も面白かった。砂糖は吉宗の時代から生産を奨励したのですね。饅頭、せんべい、など現代とは少し違うが、原型は同じですね。面白かった。
今の生活スタイルが確立したのは、江戸時代くらいなんだな。学校の社会の時間では習わないから、すごくありがたい。
甘味は美味しいよね😋アンコの甘味は少し甘いのが好き❤️
真桑瓜は大阪や京都ではまっかと言って、農家は各家でも作って食べてました。プリンスメロンほど甘くないけど、大好きでした。柿にグミにイチジクに❤
洋菓子より和菓子が好き。
特に、大福と羊羮。
今じゃ水菓子が一番高い
時期によるけれど、南米や豪州産の果物が安いし、ンマイ、ガバガバ食える。まあ国内産の高級ピーオネだとかニャ敵わないけど、懐気にせず食える。害虫が引っ付いてくるのは困るけれど、マンゴ、パパイアなんぞもバナナみたいにはいって来ればいいのに。まくわ瓜は昔食った記憶はあるけれど、味・食感の記憶は無い。
6:43 この写真は道明寺で長命寺ではないですよ〜
面白い動画をありがとうございます。
新たな知見も得られて得した気分です。
ところで柿と並んで農家の庭先でよく見る栗は菓子にはあまり使わなかったのでしょうか?
江戸だと他にも食べ物が色々あるから菓子としては流行らなかったのか。
煎餅といえば日光街道の草加宿でおせんという女性が焼いて売っていたと聞いた事があります。
また、琉球や近隣の島々ではさとうきび栽培が盛んだったと思いますが、もっと早く本土に砂糖が入って来なかったのでしょうかね?
織田信長は干し柿が好きで、常に懐に幾つか忍ばせてたり
家臣の子供が拝謁した際には、お土産に篭一杯の干し柿を持たせてたり、
原産は志那でも、柿って日本人にとっては欠かせない甘味だったんだな~とは思うww。
水飴は米芽や麦芽の酵素を利用して餅米などのデンプンが加水分解されて糖化されたものです。いつ頃から日本にあったかは分かりませんが少なくとも奈良時代には一部で作られていたらしいですね。
最初スイカは血肉色で食べるのを敬遠されてたのに何故同じく赤い色のマグロは寿司等にして普通に食べていたんだろう
赤身は血肉そのものだから吹っ切れていたのではw
当時のマグロはヅケにしていたそうです。
今人気のトロなんて脂っこ過ぎて捨てていたとか。
赤身をヅケにした物が人気だったそうです。
マグロもしび?って呼ばれてなんとかって聞いたことあります😮曖昧ですみません笑
@@user-el9rc2wi8w
そうです。
それで武士階級はマグロは食べなかったとか。
水っぽいから、食べてる姿が血を啜るような見た目だったんじゃないか?
マクワウリは子供のころよく食べたけど最近は滅多にみかけなくなったな
そして祖父母にとって煎餅は甘い、今でいう瓦煎餅のようなタイプのもので
いわゆる今の煎餅はおかきと呼んで区別してました
ワテクシは若い時分は和菓子にほアンマ興味無かったんスが、最近スーパー等に行くと、気が付けば大福だの草餅だのみたらし団子なんて買ってたりしますね。アンパンやジャムパン等も含みますね。ただワテクシの住まう埼玉県川越市には焼団子っつう甘くない団子も在ったして、時たま市内の専門店に買いに行ったり「芋恋」っつうサツマイモ菓子やら饅頭やら芋煎餅やら、良く見りゃイロイロ在りますわ(旨)😁😜😋 (゚д゚) yummy
桜餅ちょっと高いって思ったけどよく考えたら苺大福も同じように一個ずつでその値段で売られてたこと思い出しました。
桜餅大好きだから年中食べられるようになって嬉しい…
吉宗やるやん
スロットの?
ばあちゃんが、ぼたもちをよく作ってくれたなあ!僕が食べる専門の倍の大きさのぼたもちは大きい!
歳をとると和菓子の良さが分かってくるんですよね…DNAに刻まれているのかな
マクワウリ!ドラマ「鎌倉殿の13人」でも出てきましたが、鎌倉時代から食べられていたのでしょうかね!
(源範頼が畑に何を植えようかと言っていたところ、善児が「マクワウリがよろしいでしょう?」とか言っていきなりぶすっと殺してしまうシーン)
桜餅のイメージインサートが、長命寺の説明なのに上方の道明寺だったのが少し残念。
あなたのコメントを見て調べて見ました。ピンク色した桜餅と全く違った桜餅ですね。コメント有難う御座います。あなたのコメントで調べてみるきっかけになりました。
あれ?長命寺桜餅の写真、道明寺桜餅じゃね・・・?
長命寺桜餅(関東風)、道明寺桜餅(関西風)なんやで
養蜂も江戸時代に行われてたらしいけど、蜂蜜が甘味料として使わなかったのが不思議
私の好きなものばかり。
ヨーロッパの食文化は乳製品で味付けする文化で、インドの食文化は香辛料で味付けする文化。一方、日本は砂糖と醤油とか砂糖と味噌で味付けする文化で、日本人にとって砂糖は他の国の人以上に重要だった。
昭和の前半ぐらいまでは人に物を贈るのに砂糖を贈ることが多かった。
8:18
に出てくる浮世絵には関ヶ原名物砂糖餅と書いてあるけど、砂糖餅だけ触れられてないw
なんだろう砂糖餅w
説明されているお菓子が写真のお菓子と一致していないのでちょっと混乱しますね。
例えば桜餅の説明は長命寺餅ですが写真は道明寺餅という具合。
😂❤柿や干し柿は庶民の1番のおやつ。サツマイモも
暴れん坊将軍は、3色団子を良く食べていますね。
くそ、グッドボタンが3201番目だった…😮💨もう少し早ければ…っ!😫
落語(孝行糖)には歌舞伎役者(嵐璃寛、中村芝翫)の名前からとって(璃寛糖に芝翫糖♪璃寛糖の本来はうるの小米に寒晒しカヤに銀杏肉桂に丁字チャンチキチンスケテンテン♪)と歌って璃寛糖に芝翫糖を売る人がいたそうですね
江戸の庶民てクリエィテイブ
お菓子ひとつにしても大変奥深いことがわかりました! いつも楽しみています( ^ω^ )
テーマが切り替わる時にあと1秒間があると、頭の理解がしやすいです🥺( 車でラジオがわりに聞いているので )
桜餅が食べたい。昔はエンドレス安倍川餅できたけど、若かりし頃のおふざけだね。
塩餡も緑茶と食うとうまいんだよなぁ
いつの時代も甘いものはみんな好きだったんだな(;^ω^)🍡
お手軽甘味は焼き芋だな。
落ち葉掃除したあとでお芋入れて焼くだけww
そのサツマイモ普及にも一役買っていたりする吉宗であった(例のナレーション声)
真桑瓜食べてみたいんだけどどこで食べられる?
そういえばガキの頃に甘い味噌餡の柏餅あったけど今見なくなった気がするな
あと砂糖が広まったのが江戸時代の後期からみたいだけど中期くらいに作られてた庶民のお菓子は黒砂糖がメインだったってことなのかな?
戦時中(太平洋戦争、大東亜戦争)や戦後の昭和40年頃まで砂糖は今より価値があって、お中元、お歳暮でデパートから金属の円柱状の缶に入った砂糖が届くことがあったよ。
飴の話を聞くと初天神を思い出した。
ベッコアメがあった!飴🍬があったよ!
写真の桜餅は道明寺です…
歌舞伎十八番の助六に登場する朝顔仙平のセリフには(ことも愚かやこの糸鬢は砂糖煎餅が孫、羽衣煎餅はおらが姉様、双六煎餅とは行き合い兄弟、姿見煎餅はおらがいとこ、たけむらの方巻きせんべいが親分で朝顔仙平という色奴様だ)と江戸時代にあった煎餅の名店がセリフに織り込まれています。
大福が大好きです❤️愛しています(*´꒳`*)
とらや出てますね
砂糖の流通で虫歯が蔓延したのか気になるの。
僕も20年以上前に知ったことだけど、親の唾液で虫歯に感染するんだって!ジジババの唾液でもアウト。虫歯にならない人は存在するよ。
砂糖の国産化を目指して、琉球からサトウキビを入れた吉宗さん、偉いっ。
スイカは切って売られてたんですねぇ。
桜餅の紹介時の写真は道明寺ですね。長明寺の桜餅とは違います。出来れば訂正して頂ければよいのですが。。。
この砂糖が庶民に普及して身近になって、虫歯とか増えたりしなかったのかな…
当時の虫歯ってどうやって治療してたんだろう?
食生活の変化による病気とか気になります。
確か干し柿より甘くしてはいけなかったはず
大岡越前で、塩瀬の饅頭を買いに行くシーンがあって、びっくりした。
由井正雪が国家転覆かなんかで、極刑になったとき、西瓜は、血まみれの由井正雪の呪いって噂がたって、気持ち悪がられたって本当?
蜂蜜も水あめも、ふる~い(記紀)時代から記載されているのに、アマカズラみたいな超絶手間と薪が要るものを使っていたのはそれなりに理由が有ったんだろけど、何故か知りたい。
大福餅の起源って、意外な所からあったんだな・・・Σ(゚Д゚)
ちなみに・・・江戸時代は逆に・・・白砂糖が高級品で黒砂糖が安価だったのが意外過ぎた・・・Σ(゚Д゚)
(現代だと、白砂糖が安価で十割の黒砂糖だと、高値なんだよな🥺・・・)
あまり画面を見ずに音だけ聞いてるからかもだが、音声が平坦なせいで話題の対象が変わったときに気付きにくくて混乱する
大きなトピックの変化の時は効果音を入れたり少し間を開けたりしてくれてるけど、そういう工夫をもっと細かく入れてくれるとありがたいなあ
内容は面白いから今後も期待してます
某医師が広めたとゆう安道名津なる菓子が大人気を博したとか(笑)
今じゃ、干柿は高級品😅
砂糖を初めて口にした時人はどう思ったのだろうか
安藤なつが食われてたよ
😂南部せんべい?煎餅汁?
茶道では今も干菓子水菓子と言うからね
隅から隅まで米文化なんだなと感じました
まぁ、米で徴税してるくらいだから必然なのかもしれないけどw
讃岐でサトウキビが栽培出来たら、なぜ奄美諸島を治める薩摩の島津家が砂糖の専売特許を持っていたのか理解出来ない。
江戸時代からの言葉だったのか、"水菓子"。
オレ、この言葉使ってたら20年上の当時の恋人に伝わらなくて説明必要になったwwwwwwこいつの御母堂は普通に使ってた単語だったのにwww
金平糖くらいかな 知ってるのは