【奥会津の“樹になる人々” 】#21 消えたマタギ集落『三条』
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- Опубликовано: 3 окт 2024
- 日本の原風景を感じさせる福島県金山町。奥会津の豊かな自然と調和しながら、樹木のように根ざして生きる人々を描く連載ドキュメンタリー。
奥会津最後のマタギと呼ばれる猪俣昭夫さん(71歳)は20代の頃、金山町の中でも特に閉鎖的だった山奥の集落・三条の老猟師と知り合う。のちに民俗学者の調査によって、三条は江戸時代以前に旅マタギが新潟から山を越えて定着した集落だったことが判明する。冬には陸の孤島となる三条から若者たちは去り、後継者を失ったマタギの師匠は余所者である昭夫さんを仲間として受け入れ、マタギ猟師としての知恵や技術、心得を伝えた。
そして今、昭夫さんは金山町に移住してくる若者たちを温かく受け入れ、精神的な支えになりたいと決意を新たにしている。
(2022年6月上旬取材)
演出・撮影・編集:児玉知仁
制作サポート:御牧賢秀
プロデューサー:河本志穂
※三条集落の貴重な写真は、金山町教育委員会様と、奥会津を50年以上にわたり撮影し続けたアマチュア写真家の竹島善一様よりお借りしました。50年は無理ですが、竹島さんのあくなき探究心と行動力を見習って、これからも記録していきたいと思っています。
<音楽ライセンス>
♪ Motivational And Inspiring Trailer
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♪ Gymnopedie 1 Erik Satie
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♪ UPLIFTING CINEMATIC ACTION
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昭夫さんは人間国宝に相応しいと思います。
これからも時間を共有させていただきながら、その姿や言葉を記録していきたいと思っています。ご視聴ありがとうございました。
猪俣さんの話しかた とっても優しい話しかたですね 強い人は 優しいですね。若ければ 井俣さんに 会いに行きたいですね。
ご視聴いただき、ありがとうございます。昭夫さんは本当に強く優しい方です。まだまだ一緒に過ごし、お話を伺いたいと思っています。
新潟市生まれで茨城に就職し、水戸市の近くに住んで78歳になりました。まだ、高速が未完成の頃に
会津の脇を通って新潟市の実家に帰る折りに会津の峠を通ったことがあり、このシリーズを見て
感慨にふけってます。来年でも、移住した方々の様子を見させて頂ければありがたいです。
ご視聴ありがとうございます。私も東京から峠を越えていく時はワクワクします。是非、若者たちに会いにいらして下さい。
素晴らしい映像です。感動しました。有難うございます。私も11/16で72歳になりました。郡山市安積町で建設機械等の修理をしている会社員です。一度訪ねてみたいですね。
機会があれば、ぜひ訪ねてみて下さい。
このシリーズ大好きです
待ってました!
更新が滞りがちですが、気長に続けていきますので、これからもよろしくお願いします!
初めてきました、「マタギ」の昭夫さんの案内とても良く素晴らしいです。僕などは関東平野ののっ原生まれなので山育ちの苦労は全く分かりませんが、幕末史では「佐幕派」会津(藩)が好きです。ほとんど歩行困難な今旅できませんが、昔は「信州と温泉」、会津城見にちょっと行きました。お元気で!!
ご視聴いただき、ありがとうございます。奥会津はお年寄りも元気に野良仕事をしているのに驚かされます。これからも時々覗いていただけると嬉しいです。
集落が消える寂しさ
悲しいです。
歴史の記憶だけでも伝えたいです。
いつも楽しく拝見しております、昭夫さんの行動や考え方に勉強させて頂いています。
更新頑張ってよろしくお願い致します。
ご視聴いただき、ありがとうございます。更新ペースが遅い分、時間をかけて取材させていただくつもりです。末永く、よろしくお願いします。
40年前に渓流釣りで霧来沢に入りました。廃村になったので集落の空き地に駐車し、少し戻って、入渓できるポイントから釣りあがりました。たいへん美しい渓でしたが、上流で雨が降ると鉄砲水なり、怖い思いをしました。常に流れてくる物や、水量の増加に注意しないとだめです。道に上れるところは限られています。禁漁になってからも紅葉を見に行ってました。また行きたくなりました。宿は小栗山の民宿「宮本」でした。
急斜面が多い地形のようですね。これからはクマにも注意が必要かもしれません。ご視聴ありがとうございました。
寒いですが 取材がんばって下さい。
昭夫さん、素晴らしですね。
人間、というより、男はそんな考え方ができなくなる生き物だと思うのです。
それが、あの年齢で、若者を受け入れて、やさしくきびしく指導していってくれている。
若い移住者が、その期待にこたえられるかどうかは難しいと思います。
田舎の世界は、とても過酷です。特に、今どきの若い世代には。
その道を開いてくれているのは、地元の力を持つ昭夫さんのような方がいたからだと思います。
今年他界した父は、それができただろうか、と、昭夫さんを観ながら考えています。
金山町とは比較にならないほど開けた場所に居ますが、閉鎖的な土地柄です。
この番組に登場している若者が言うように、定年後にスローライフを求めて移住するというのは、破綻が目に見えています。
若者でなければ、居つけませんし、若者は移ろいやすいので、突然いなくなっても文句は言えません。
よくやっていると思いますよ。金山町の冬は、今の都会の人では想像できないほど過酷です。
昭夫さんがいたから、移住者の人たちも踏ん張っていられるのだと思います。
私も今年から鉄砲猟師の仲間入りをしました。
私も昭夫さんに弟子入りをしたいですね。
スタッフの皆様、ぜひともこの土地の人たちの暮らしを、客観的に報道していただきたいと思っています。
期待しております(^^)/
シリーズを通しての貴重なご感想をいただき、ありがとうございました。励みになります。鉄砲猟師の仲間入りをされたとのこと。機会があれば、是非、昭夫さんを訪ねてみてください。私も鉄砲の代わりにカメラを携えて、記録を続けていきたいと思います。これからもよろしくお願いします。
亡き父の故郷南会津郡戸赤という部落です。裏庭辺りには、クマが出たとか
😅
川が綺麗
春には「戸赤の山桜」
平家の落ち武者が逃げのびて来たのではないかと、思いを巡らせていました。
歩けるうちに、もう一度行きたい場所。
ご視聴ありがとうございました。
30年くらい前、峰越林道を新潟側から通った時はまだ小学校がありました。三条という名前から落人伝説のある集落ですよね。
小学校の実物をご覧になったのですね。羨ましいです。ご視聴ありがとうございました。
南会津に来た平家の落人がマタギになったっていう話がある。
そういう説もあるそうですね。
受け入れてくれないどころか、嵌められて殺されたりしますものね。