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琴線に触れるって touch the chordsって言うんだ!
おもろいからなんでもいい
深く説明しないけどアンチがいるってのは一流の証だよね
村上のテーマって好きという気持ちで人間は互いに繋がっていたいのに、初源に人々はそれを奪わることで自意識を獲得してしまっているから、その欠如した自己を生きるしかない物語りで、その奪う者が日本や世界を現実に起動さしている個人の中に内在化した支配システムで、それを取り戻す主人公の戦いがSf 的なドラマになってると言えるのだけ、結末が曖昧だね。
社会の上の方にいる人たちはたくさんお金を持っていて学歴もスキルもあって世界の気に入った場所に軽く行ける。そういう人たちのいる社会のそうでない人たちは自分の場所に置き去り?にされる。そういう人たちの寝ぼけた曖昧な喪失感が村上春樹の魅力なんだろうと思う。でもそろそろ村上春樹の先を見ることのできる作家が現れそうな予感がある。そういうのを読む子供ならばあくびをしながらやって来る半端ない未来を見据えてコヨーテみたいに吠えることが出来るかもしれない。遠くでわかれた友達が吠えている。
ファンタジーな小説が好き
ドライブ感のある文章、読みやすいリズム。きめ細やかな情景描写。的確な比喩。わかりやすい答えなんて安いし、価値がない。長編の全体に設置された比喩に心を動かされる。難しい言葉は使わずに、定義しがたいテーマ、言いたいこと、を比喩化し総体的に流れで表現すること、それが『物語』の機能である。魂のソフト・ランディング。井戸(イド=自意識)や森の中、洞窟の深くで異世界に入り込み、悪や暴力に対抗する。そこで真理に出会うこと=自分の内面の探索、心理学的な自己治癒、魂の浄化、を体験する→人(人類)にとって大切な事である。想像力が大事。女性(異性)は進むべき指針であり入り口であり出口でもある。(男男と女女と男女の話)=求めるもの。普通に生きてきた自分には書くべきことは何もなかった。作家になろうという幻想を捨て去ったとき,表面的な「私」の奥底に広がる普遍的な「私」の世界が立ち上がってきた。自分の内的世界に通じる「井戸」を見つけ,その「井戸」を掘り下げてみようと思った。「井戸」 に「深く潜って,自分をどこまでも普遍化していけば,場所とか時間を超えて,どこか別の場所に行 けるんだという確信が得られた」。その別な場所とは,物語が生まれ出てくる母性的な場であるとと もに暴力と性の根源につながる場でもあった。「自我」を内側から語るのではなく,「自我」を解体してしまうことによって,個別の生を超えた真 の「自我」に到達できる。それには「物語性の回復」が必要だという考えである。物語とは,意識的に構造化された無意識世界であると村上春樹は考えている。
相槌が段々雑になってる笑
字幕で外国人の話を聞いている時に急に日本人が字幕なしで喋ると話が入りにくい、特におっさん
?
ジョジョてきなうけられかた?
昨今の異世界アニメよりは中身がある様だな
というかラノベの始祖が春樹やぞ
ねじまき鳥 間違いない
村上春樹は「自分は弱い人間の側に立つ」と言っているが、彼の小説には巨大権力と戦うとか、社会的弱者や弱い人間に対する同情の要素は全く存在しない。 そもそも、彼の文学は、浮世離れした空想小説の要素が強い。というのもその理由は、彼自身が生命の危険を感じたり、本当に苦労して汗水たらして働いた経験がないからであり、ましてや商業的に大成功した今日では金持ちになってますます『弱い人間の側に立つ』ことは出来なくなっている。いい加減に善人面をすることを止め、稼いだお金を社会に還元するなどの社会貢献をしてもらいたい。 そうでないと、彼がいかに政治的な発言をしようが、偽善者にしか聞こえない。
Mori Soba コメントさせて頂きます。村上春樹さんは20代に汗水たらして働いていた時期があることを「職業としての小説家」に書かれています。そして、貴殿の巨大勢力の定義によりますが、村上春樹さんの小説にそれが全くないとは私には思えません。長文失礼いたしました。普段コメントしない人間ですので、なにか変でしたらスルーしてください。
+広瀬蟻んこ「職業としての小説家」は読んでいないので知りませんでしたが、個人的に、彼の小説は現実感が薄い感じがするのですね。 小説の主人公達は、お勤め人や労働者ではなく、いわば定職を持たないような人物ばかりですし。 実際のところ、日本でも世界でも、読者層は若者モノトリアム世代や中流層が中心なのではないでしょうか。現実に、村上春樹自体がもともと政治的なコミットメントを持たない人物であることは皆さんが意識的無意識的に感じていることです。 「アンダーグラウンド」とかは、悪に対する憤りとかはあるのでしょうけど。 戦前戦中の作家たちにとって、生きていくために働くこと、戦禍から生き延びる事が自明な課題であったのと異なり、戦後世代がいわば小説ネタに乏しいロスジェネレーションであることは、如何ともしがたいのです。彼の空想的小説手法に関しても、ヴァージニア・ウルフ、プルースト、ジョイスあたりからの発展なのでしょうが、こういう作家たちは中産階級以上の恵まれた社会階層であり、村上春樹も正にそうであると感じます。 つまり、彼自身が食うに困らない社会階層の代表であり、そういう人物が食うに困らないモノトリアム世代・中流層を相手に小説を書いているという現実を理解すべきです。
浮世離れ感や、現実の社会に存在するいわゆる「底辺」とか「生活のための労働」的な経験は少ないんだろうなぁ、とは思いますが、基本は絶対的な悪だとか抗えない権威との戦いを描いていると思いますよ。羊をめぐる冒険、ダンスダンスダンス、ねじまき鳥クロニクル、海辺のカフカ、1q84、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、アフターダーク、あたりがそれに該当するかと。
文学といっても小説なんて娯楽なんやから好きに書いたらええんやない?テーマから入らない作家は多いよ
@@眠る男 村上春樹は好きに書いている。 それ自体は本人の自由。 指摘したいのは「だったら巨悪や不正な権力者に抗っているフリをするな」ということ。
琴線に触れるって touch the chordsって言うんだ!
おもろいからなんでもいい
深く説明しないけどアンチがいるってのは一流の証だよね
村上のテーマって好きという気持ちで人間は互いに繋がっていたいのに、初源に人々はそれを奪わることで自意識を獲得してしまっているから、その欠如した自己を生きるしかない物語りで、その奪う者が日本や世界を現実に起動さしている個人の中に内在化した支配システムで、それを取り戻す主人公の戦いがSf 的なドラマになってると言えるのだけ、結末が曖昧だね。
社会の上の方にいる人たちはたくさんお金を持っていて学歴もスキルもあって世界の気に入った場所に軽く行ける。そういう人たちのいる社会のそうでない人たちは自分の場所に置き去り?にされる。そういう人たちの寝ぼけた曖昧な喪失感が村上春樹の魅力なんだろうと思う。でもそろそろ村上春樹の先を見ることのできる作家が現れそうな予感がある。そういうのを読む子供ならばあくびをしながらやって来る半端ない未来を見据えてコヨーテみたいに吠えることが出来るかもしれない。遠くでわかれた友達が吠えている。
ファンタジーな小説が好き
ドライブ感のある文章、読みやすいリズム。きめ細やかな情景描写。的確な比喩。わかりやすい答えなんて安いし、価値がない。
長編の全体に設置された比喩に心を動かされる。難しい言葉は使わずに、定義しがたいテーマ、言いたいこと、を比喩化し総体的に流れで表現すること、それが『物語』の機能である。魂のソフト・ランディング。
井戸(イド=自意識)や森の中、洞窟の深くで異世界に入り込み、悪や暴力に対抗する。そこで真理に出会うこと=自分の内面の探索、心理学的な自己治癒、魂の浄化、を体験する→人(人類)にとって大切な事である。想像力が大事。
女性(異性)は進むべき指針であり入り口であり出口でもある。(男男と女女と男女の話)=求めるもの。
普通に生きてきた自分には書くべきことは何もなかった。作家になろうという幻想を捨て去ったとき,表面的な「私」の奥底に広がる普遍的な「私」の世界が立ち上がってきた。自分の内的世界に通じる「井戸」を見つけ,その「井戸」を掘り下げてみようと思った。「井戸」 に「深く潜って,自分をどこまでも普遍化していけば,場所とか時間を超えて,どこか別の場所に行 けるんだという確信が得られた」。その別な場所とは,物語が生まれ出てくる母性的な場であるとと もに暴力と性の根源につながる場でもあった。「自我」を内側から語るのではなく,「自我」を解体してしまうことによって,個別の生を超えた真 の「自我」に到達できる。それには「物語性の回復」が必要だという考えである。物語とは,意識的に構造化された無意識世界であると村上春樹は考えている。
相槌が段々雑になってる笑
字幕で外国人の話を聞いている時に急に日本人が字幕なしで喋ると話が入りにくい、特におっさん
?
ジョジョてきなうけられかた?
昨今の異世界アニメよりは中身がある様だな
というかラノベの始祖が春樹やぞ
ねじまき鳥 間違いない
村上春樹は「自分は弱い人間の側に立つ」と言っているが、彼の小説には巨大権力と戦うとか、社会的弱者や弱い人間に対する同情の要素は全く存在しない。 そもそも、彼の文学は、浮世離れした空想小説の要素が強い。
というのもその理由は、彼自身が生命の危険を感じたり、本当に苦労して汗水たらして働いた経験がないからであり、ましてや商業的に大成功した今日では金持ちになってますます『弱い人間の側に立つ』ことは出来なくなっている。
いい加減に善人面をすることを止め、稼いだお金を社会に還元するなどの社会貢献をしてもらいたい。 そうでないと、彼がいかに政治的な発言をしようが、偽善者にしか聞こえない。
Mori Soba コメントさせて頂きます。村上春樹さんは20代に汗水たらして働いていた時期があることを「職業としての小説家」に書かれています。そして、貴殿の巨大勢力の定義によりますが、村上春樹さんの小説にそれが全くないとは私には思えません。長文失礼いたしました。
普段コメントしない人間ですので、なにか変でしたらスルーしてください。
+広瀬蟻んこ
「職業としての小説家」は読んでいないので知りませんでしたが、個人的に、彼の小説は現実感が薄い感じがするのですね。 小説の主人公達は、お勤め人や労働者ではなく、いわば定職を持たないような人物ばかりですし。 実際のところ、日本でも世界でも、読者層は若者モノトリアム世代や中流層が中心なのではないでしょうか。
現実に、村上春樹自体がもともと政治的なコミットメントを持たない人物であることは皆さんが意識的無意識的に感じていることです。 「アンダーグラウンド」とかは、悪に対する憤りとかはあるのでしょうけど。 戦前戦中の作家たちにとって、生きていくために働くこと、戦禍から生き延びる事が自明な課題であったのと異なり、戦後世代がいわば小説ネタに乏しいロスジェネレーションであることは、如何ともしがたいのです。
彼の空想的小説手法に関しても、ヴァージニア・ウルフ、プルースト、ジョイスあたりからの発展なのでしょうが、こういう作家たちは中産階級以上の恵まれた社会階層であり、村上春樹も正にそうであると感じます。 つまり、彼自身が食うに困らない社会階層の代表であり、そういう人物が食うに困らないモノトリアム世代・中流層を相手に小説を書いているという現実を理解すべきです。
浮世離れ感や、現実の社会に存在するいわゆる「底辺」とか「生活のための労働」的な経験は少ないんだろうなぁ、とは思いますが、基本は絶対的な悪だとか抗えない権威との戦いを描いていると思いますよ。
羊をめぐる冒険、ダンスダンスダンス、ねじまき鳥クロニクル、海辺のカフカ、1q84、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、アフターダーク、あたりがそれに該当するかと。
文学といっても小説なんて娯楽なんやから好きに書いたらええんやない?
テーマから入らない作家は多いよ
@@眠る男 村上春樹は好きに書いている。 それ自体は本人の自由。 指摘したいのは「だったら巨悪や不正な権力者に抗っているフリをするな」ということ。