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私の父(故人)は、旧海軍の飛行予科練習生(予科練)でしたが、霞ヶ浦でメッサーシュミット(Bf109)を見たことが有ると言っていました。
これ非常にいい動画ですね。一見、劣悪な機体ばかり輸入してる様に見えて、武装の位置や使用部品の消耗頻度。ビス止め技術による軽量化とか学ばれたのでしょう。その結果日本の戦闘機、陸軍は97戦・海軍は96戦になってから世界水準になったことが分かりました😆👍✨
今村均陸軍中将(当時)のご長男である正男さんが陸軍航空審査部の技官でした。今村氏によれば福生飛行場(現:横田基地)で話のあった輸入戦闘機や鹵獲機のP-51をテストし、アメリカはP-51・イギリスはスピットファイア・ドイツはFw190・日本はキ84がそれぞれ一番だと思う、と仰っておりました。
すごいお話ですねスピットファイアのバージョンアップを真似出来たらなマーリンエンジンありきですけど・・・
風立ちぬで本庄がドイツはケチだなって愚痴をこぼしてたが同盟を結んでから気前が良くなった
1930年代に入っても特にアメリカはよく気前よく売ってくれたよね。
それ!余裕すら感じる
世界大恐慌の影響です。あの頃のアメリカは外貨が欲しくてたまらなかったのです。
アメリカは親密国だったけど大陸で日本勢力拡大に比例して急速険悪化。
そのアメリカが仮装敵でオマケに石油 工業機械 くず鉄を輸入しなければ艦隊を維持出来ませんでした(-_-;)
ダグラスDCとかC3フォードとか、ほとんど役に立たない粗悪品ばかだったけどな😢
勉強になりました
こんなに沢山の戦闘機が輸入されたことを知りませんでした。とても勉強になりました。
日本の飛行機研究開始時期は欧米とそんな大差無いのだけれど、大戦末期まで基礎的工業技術と資源の差を埋める事は出来なかったのがとても残念…。
基礎工業技術向上が全体の技術向上につながる発想がなかったんだと思う。エンジンを整備する人は高い技術を持っていても、用品が古かったり用品数が揃わないと結局はないのと同じになる、というような発想がない。だから空冷18気筒エンジンすらまともに運用できずに故障だらけになる。戦後、なぜ誉を皮肉なしに米軍が褒めた(「遅すぎた良いエンジン」という公式コメントを残した)のかという事だと思う。
日本の戦闘機パイロットだって官費で操縦訓練を受けるも、自動車の運転はしたことないしできないしで、実家に自動車のある家なんて当時の日本の一般家庭じゃ考えられない時代。 欧米では大抵の家庭はクルマを持っていたし農家の子達は免許なしでクルマや農耕機の運転はしていた。そんな欧米の子供たちが機械慣れしているのとは日本は条件が違い過ぎる。なので国力の差や違いを屈服した当時の日本人は立派ですね。ネジだって「スタンダード(日本で言うマイナス)」で、「フィリップス(プラス)」が普及し出したのは1950年代になってから。 兵器を見ればわかるけど、エンジンも銃もマイナスネジ。なのでボルトとナットを多用したわけで。昔からお互い侵略のしあいをしてきた欧州で(兵器を造る)工業が発達してきたのも当然。東洋は、そんなの急いで作る必要のない位それだけ平和だったってことでしょ。少なくとも列強国とキリスト教が「お前たちに、文明を教えてやる」と東洋に出張ってくるまでは。
研究用に買ったけど開発中の国産機の方が性能が良かったパターンもあるのか。とはいえ最初期の基礎的な発展は単独では不可能だったろうから有難かっただろうな
戦地で奪った物もありましたが、植民地軍用でしたので、旧式化していたのが多かったです。
逆パターンだと、スウェーデンは零戦の購入を計画していたらしいですね。
日本敗戦後、だいぶ経ってからアフリカのウガンダ?ケニア?まあ何処かの小国から、「零戦をまだ作っているか?作っているなら売って欲しい。」という要望が外務省経由にて正式に入ってきた事があったそうだ。日本旅客機の本に記してあった。
もっと初期の段階からドイツと密接に技術提携していたら、どんなものが産まれていたか想像するだけでワクワクします。日本がもっと早くジェットエンジンの研究をはじめていたら…
日本は結構Bf 109やFWフォッケウルフなど輸入しているんですね。戦火の猛烈な大東亜戦争時は図面を元に三式戦闘機が出来たと思ってました。直列DOHCエンジンの整備に整備兵泣かされて、持ち前の飛行出来なかったらしい事は知ってました稼働出来てもメッサーシュミットの様な高性能発揮出来なく五式戦闘機になった話しは聞いてましたが、実機から開発したのですね。
Fw190A-5は分解しても潜水艦に搭載することは不可能、封鎖突破船(日本側秘匿名称・柳船)で日本に運ばれた
知れて良かった。^ ^えっ、マジック?と思って読んでたので。
これは「フォッケウルフFw25」もそうだった。
Ju88がありませんが。He112は中古機も混じっていて思いっきり在庫処分。
He100やHe112は、海軍が使わないなら陸軍に売ればそっちのほうが有用だったと思う
それは有りかも。三式戦飛燕はメッサーよりもハインケルの方が近い方ですから。
ライセンスを受けてコピー生産よりも技術的参考になった事例ばかりだよな。
それで良かったと思います。フルコピーというのは案外うまくいかないものなんです。加工精度の問題や材質の問題があります。有名な例として飛燕の発動機の問題があります。ドイツの水冷エンジンのフルコピーって、簡単にはいかないんですよね。滑稽な例として、ソ連が自国に不時着したBー29をコピーしたのですが、スターリンが「そのままそっくりコピーしろ」という命令を出したために、日本軍機に穴を開けられた弾痕までコピーしたそうです。でも結局、排気タービン過給器付きの発動機まではコピーできなかったそうです。
@@大東亜解放神-d8p Tu-4に関してはコピーに失敗したのは排気タービンではなくインテグラルタンク、かつヤードポンド法をセンチメートル法に直した際に誤差が出てしまったことでオリジナルより重くて航続力が短くなったと聞いたけど。
複葉機でありながら引き込み脚のグラマンFF-1は、当時としては結構良い性能だったんじゃないかな。
先ずは欧米の飛行機を完全にコピー出来るかを遣るべきだった気がしますね。
こうして見ると、昭和初期まで日本の航空技術って外国から多くを学んでいたんだなと。逆説的に言えばそれだけ航空後進国だったのかと。96式艦上戦闘機、零式艦上戦闘機、97式戦闘機あたりでようやく世界水準に追いついた感じかな。Fw190をよく潜水艦で輸送できたものだと😦
そらそうでしょうこの時代から60年程前はまだ「江戸時代」なんですから····😌
良かったよ。
メッサーシュミットBf109E-7が日本に着いたとき感じんの射撃照準機LeVE-C12Dが取り外された形だった為、日本の技術者は落胆したそうです。
同盟国にも明かせない『軍事機密』だったのですね?!
「わが青春のアルカディア」
その2年後に、より高性能なRevi16A付きのMe210は購入できたようですね。
航空機だけでなく、治具や機械も輸入していたのかな?ハインケル社のハインケル He 178 V2も輸入していれば。。。
戦前の日本は自前で工作機械は作れなくて、ほとんどドイツ、アメリカ製だったんじゃないかな。あとエンジンオイルはほぼアメリカ製。団塊世代ですら話を聞くと「工作機械はやっぱドイツ製」という人が多いし。
@@桜ほよ 本当、当時の基礎工学力が、まだ低かったのが悔やまれますね。
フリッツ・ロージヒカイトの件を書いてくれたのはよし
v143も輸入してたのね!
排気タービンの国産化は素材不足そしてエンジン吸気の「層流」は理解できなかったなだけど現場はそれなりに頑張ったよ
Fw190やMe210hはどうやって輸入したの? まさか遣独潜水艦じゃないよね
しかし、アクタン鹵獲零戦を見たチャンスボートのエンジニアがチャンスボートV-143とほとんど同じ戦闘機であると述べたらしい、一体どこをどう見れば同じ様に見えるのか説明させないとダメだな、どの角度から見ても全く違うだろ。そして、戦後は零戦がV-143のコピーであるという主張が広まったとされるwikipediaの記事は全くデタラメとしか言いようがない、引込み脚が参考にされた位だろう。性能の差はお話にならないし、枕頭鋲の考案に加えて、主翼、尾翼の形といい、胴体の形といい、流れるような流麗な姿の機体は世界には零戦しかない、だから、今でも世界の多くの人々に親しまれ大空を飛び回っているのでしょう。前コメント、ダッチハーバーー>アクタンでした
フォッケウルフはそれでも爆弾と対戦車砲にロケットと低高度であれば万能に戦える戦闘機だったんよな。鍾馗のが軽くてエネ保持には長けててだろうけど、フォッケウルフ程の活躍が出来たかは難しそう。フォッケだってメッサーの偵察機型だって防弾性を捨てれば航続距離は伸ばせてたもんね。
1935頃まで複葉機がまだ飛んでたのか1937から大和型を建造したのよ図面は1935くらいから書いたと察すこんなショボい飛行機に沈められるとは当時の技術スタッフなら誰も思わないだろう
[九○式]❌️きゅうれいしき⭕️きゅうまるしき
me109あるんだったら零戦要らないだろwww
Me109 has a short range. Anata wa baka desune 🤣
まぁ、E-7はE-4の増槽懸吊型だけど、機体も翼も小さいし、翼内に燃料タンク付けてないから
旋回性能・航続距離・軽量を考えたらメッサより必要なんだわ。
イギリス上空の制空権すら取れない戦闘機が太平洋で戦えるわけがないでしょう。戦ってもf4fにボコられるのがオチ。
一撃離脱を得意とするような航空機では爆撃機護衛に向かないし現地で航空優勢(制空権)をとれません。
私の父(故人)は、旧海軍の飛行予科練習生(予科練)でしたが、霞ヶ浦でメッサーシュミット(Bf109)を見たことが有ると言っていました。
これ非常にいい動画ですね。
一見、劣悪な機体ばかり輸入してる様に見えて、武装の位置や使用部品の消耗頻度。ビス止め技術による軽量化とか学ばれたのでしょう。
その結果日本の戦闘機、陸軍は97戦・海軍は96戦になってから世界水準になったことが分かりました😆👍✨
今村均陸軍中将(当時)のご長男である正男さんが陸軍航空審査部の技官でした。今村氏によれば福生飛行場(現:横田基地)で話のあった輸入戦闘機や鹵獲機のP-51をテストし、アメリカはP-51
・イギリスはスピットファイア・ドイツはFw190・日本はキ84がそれぞれ一番だと思う、と仰っておりました。
すごいお話ですね
スピットファイアのバージョンアップを真似出来たらな
マーリンエンジンありきですけど・・・
風立ちぬで本庄がドイツはケチだなって愚痴をこぼしてたが同盟を結んでから気前が良くなった
1930年代に入っても特にアメリカはよく気前よく売ってくれたよね。
それ!
余裕すら感じる
世界大恐慌の影響です。
あの頃のアメリカは外貨が欲しくてたまらなかったのです。
アメリカは親密国だったけど大陸で日本勢力拡大に比例して急速険悪化。
そのアメリカが仮装敵でオマケに石油 工業機械 くず鉄を輸入しなければ艦隊を維持出来ませんでした(-_-;)
ダグラスDCとかC3フォードとか、ほとんど役に立たない粗悪品ばかだったけどな😢
勉強になりました
こんなに沢山の戦闘機が輸入されたことを知りませんでした。とても勉強になりました。
日本の飛行機研究開始時期は欧米とそんな大差無いのだけれど、大戦末期まで基礎的工業技術と資源の差を埋める事は出来なかったのがとても残念…。
基礎工業技術向上が全体の技術向上につながる発想がなかったんだと思う。
エンジンを整備する人は高い技術を持っていても、用品が古かったり用品数が揃わないと結局はないのと同じになる、というような発想がない。
だから空冷18気筒エンジンすらまともに運用できずに故障だらけになる。
戦後、なぜ誉を皮肉なしに米軍が褒めた(「遅すぎた良いエンジン」という公式コメントを残した)のかという事だと思う。
日本の戦闘機パイロットだって官費で操縦訓練を受けるも、自動車の運転はしたことないしできないしで、実家に自動車のある家なんて当時の日本の一般家庭じゃ考えられない時代。 欧米では大抵の家庭はクルマを持っていたし農家の子達は免許なしでクルマや農耕機の運転はしていた。そんな欧米の子供たちが機械慣れしているのとは日本は条件が違い過ぎる。なので国力の差や違いを屈服した当時の日本人は立派ですね。
ネジだって「スタンダード(日本で言うマイナス)」で、「フィリップス(プラス)」が普及し出したのは1950年代になってから。 兵器を見ればわかるけど、エンジンも銃もマイナスネジ。なのでボルトとナットを多用したわけで。
昔からお互い侵略のしあいをしてきた欧州で(兵器を造る)工業が発達してきたのも当然。
東洋は、そんなの急いで作る必要のない位それだけ平和だったってことでしょ。
少なくとも列強国とキリスト教が「お前たちに、文明を教えてやる」と東洋に出張ってくるまでは。
研究用に買ったけど開発中の国産機の方が性能が良かったパターンもあるのか。とはいえ最初期の基礎的な発展は単独では不可能だったろうから有難かっただろうな
戦地で奪った物もありましたが、植民地軍用でしたので、旧式化していたのが多かったです。
逆パターンだと、スウェーデンは零戦の購入を計画していたらしいですね。
日本敗戦後、だいぶ経ってからアフリカのウガンダ?ケニア?まあ何処かの小国から、「零戦をまだ作っているか?作っているなら売って欲しい。」という要望が外務省経由にて正式に入ってきた事があったそうだ。
日本旅客機の本に記してあった。
もっと初期の段階からドイツと密接に技術提携していたら、どんなものが産まれていたか想像するだけでワクワクします。
日本がもっと早くジェットエンジンの研究をはじめていたら…
日本は結構Bf 109やFWフォッケウルフなど輸入しているんですね。戦火の猛烈な大東亜戦争時は図面を元に三式戦闘機が出来たと思ってました。直列DOHCエンジンの整備に整備兵泣かされて、持ち前の飛行出来なかったらしい事は知ってました稼働出来てもメッサーシュミットの様な高性能発揮出来なく五式戦闘機になった話しは聞いてましたが、実機から開発したのですね。
Fw190A-5は分解しても潜水艦に搭載することは不可能、封鎖突破船(日本側秘匿名称・柳船)で日本に運ばれた
知れて良かった。^ ^
えっ、マジック?
と思って読んでたので。
これは「フォッケウルフFw25」もそうだった。
Ju88がありませんが。He112は中古機も混じっていて思いっきり在庫処分。
He100やHe112は、海軍が使わないなら陸軍に売ればそっちのほうが有用だったと思う
それは有りかも。三式戦飛燕はメッサーよりもハインケルの方が近い方ですから。
ライセンスを受けてコピー生産よりも技術的参考になった事例ばかりだよな。
それで良かったと思います。
フルコピーというのは案外うまくいかないものなんです。
加工精度の問題や材質の問題があります。
有名な例として飛燕の発動機の問題があります。
ドイツの水冷エンジンのフルコピーって、簡単にはいかないんですよね。
滑稽な例として、ソ連が自国に不時着したBー29をコピーしたのですが、スターリンが「そのままそっくりコピーしろ」という命令を出したために、日本軍機に穴を開けられた弾痕までコピーしたそうです。
でも結局、排気タービン過給器付きの発動機まではコピーできなかったそうです。
@@大東亜解放神-d8p
Tu-4に関してはコピーに失敗したのは排気タービンではなくインテグラルタンク、かつヤードポンド法をセンチメートル法に直した際に誤差が出てしまったことでオリジナルより重くて航続力が短くなったと聞いたけど。
複葉機でありながら引き込み脚のグラマンFF-1は、当時としては結構良い性能だったんじゃないかな。
先ずは欧米の飛行機を完全にコピー出来るかを遣るべきだった気がしますね。
こうして見ると、昭和初期まで日本の航空技術って外国から多くを学んでいたんだなと。逆説的に言えばそれだけ航空後進国だったのかと。
96式艦上戦闘機、零式艦上戦闘機、97式戦闘機あたりでようやく世界水準に追いついた感じかな。
Fw190をよく潜水艦で輸送できたものだと😦
そらそうでしょう
この時代から60年程前はまだ「江戸時代」なんですから····😌
良かったよ。
メッサーシュミットBf109E-7が日本に着いたとき感じんの射撃照準機LeVE-C12Dが取り外された形だった為、日本の技術者は落胆したそうです。
同盟国にも明かせない『軍事機密』だったのですね?!
「わが青春のアルカディア」
その2年後に、より高性能なRevi16A付きのMe210は購入できたようですね。
航空機だけでなく、治具や機械も輸入していたのかな?ハインケル社のハインケル He 178 V2も輸入していれば。。。
戦前の日本は自前で工作機械は作れなくて、ほとんどドイツ、アメリカ製だったんじゃないかな。あとエンジンオイルはほぼアメリカ製。団塊世代ですら話を聞くと「工作機械はやっぱドイツ製」という人が多いし。
@@桜ほよ 本当、当時の基礎工学力が、まだ低かったのが悔やまれますね。
フリッツ・ロージヒカイトの件を書いてくれたのはよし
v143も輸入してたのね!
排気タービンの国産化は素材不足
そしてエンジン吸気の「層流」は理解できなかったな
だけど現場はそれなりに頑張ったよ
Fw190やMe210hはどうやって輸入したの? まさか遣独潜水艦じゃないよね
しかし、アクタン鹵獲零戦を見たチャンスボートのエンジニアがチャンスボートV-143とほとんど同じ戦闘機であると述べたらしい、一体どこをどう見れば同じ様に見えるのか説明させないとダメだな、どの角度から見ても全く違うだろ。そして、戦後は零戦がV-143のコピーであるという主張が広まったとされるwikipediaの記事は全くデタラメとしか言いようがない、引込み脚が参考にされた位だろう。性能の差はお話にならないし、枕頭鋲の考案に加えて、主翼、尾翼の形といい、胴体の形といい、流れるような流麗な姿の機体は世界には零戦しかない、だから、今でも世界の多くの人々に親しまれ大空を飛び回っているのでしょう。
前コメント、ダッチハーバーー>アクタンでした
フォッケウルフはそれでも爆弾と対戦車砲にロケットと低高度であれば万能に戦える戦闘機だったんよな。
鍾馗のが軽くてエネ保持には長けててだろうけど、フォッケウルフ程の活躍が出来たかは難しそう。
フォッケだってメッサーの偵察機型だって防弾性を捨てれば航続距離は伸ばせてたもんね。
1935頃まで複葉機がまだ飛んでたのか
1937から大和型を建造したのよ
図面は1935くらいから書いたと察す
こんなショボい飛行機に沈められるとは
当時の技術スタッフなら誰も思わないだろう
[九○式]
❌️きゅうれいしき
⭕️きゅうまるしき
me109あるんだったら零戦要らないだろwww
Me109 has a short range. Anata wa baka desune 🤣
まぁ、E-7はE-4の増槽懸吊型だけど、機体も翼も小さいし、翼内に燃料タンク付けてないから
旋回性能・航続距離・軽量を考えたらメッサより必要なんだわ。
イギリス上空の制空権すら取れない戦闘機が太平洋で戦えるわけがないでしょう。戦ってもf4fにボコられるのがオチ。
一撃離脱を得意とするような航空機では爆撃機護衛に向かない
し現地で航空優勢(制空権)をとれません。