Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
追記この動画では、クモハユニという形式の解説でありまして。42系電車の詳細な解説動画ではないため、ご理解いただきたいと思います。一部表現では一色単に解説しているところもあるため、近々別動画として取り上げようと考えております。
2:12で登場する車内写真はクモハユニ44803号車ですね。この車輌は一時期大糸線を経て身延線に入ったのでパンタグラフを後ろへ移設してその部分の屋根を低くしています。他の同型車は屋根全体がペチャンコスタイルでした。また、この車輌のクロスシートはオハ60と同じ文字通りの✘脚に❝必殺垂直板張り背もたれ❞になっていますが、これは第二次大戦中に撤去されたクロスシートを復旧する際、廃車される木造車体の三等客車の座席を流用したものといわれています。
まず突っ込みどころを何点か。0:52 横須賀線に導入されたのは32系電車です。42系電車(クモハ42,クモハ43)は元々1934年の吹田~須磨間の電化開業に際し、京阪神地区に導入された車両となります。1:44 モハユニ44は1935年の新製当初からずっとモハユニ44で、1959年の称号改正によりクモハユニ44となっています。1:52 クモハユニ64は元々1944年にモハユニ61001として製造された車が、モハユニ44100→クモハユニ44100を経て1961年に改造を受けた車両となります。改造時に客室側に運転台を新設し、前後の両方に運転台がある車両となりました。そしてクモハユニ64(モハユニ44000)はモハ51(後のクモハ51)が基本設計となっている為、客室扉は片側2カ所設置となっています。とまぁさておき、32系電車自体は1930年という早い段階で横須賀線を電車化するに当たり、長距離の輸送に配慮したクロスシートを配置。更に制御車のクハ47、付随車のサロ45、サロハ46、サハ48は初の20m車体で登場。画期的な車両であることは確かですね。電動車のモハ32(後のモハ14→クモハ14)こそ17m車体で登場しましたが、クモハユニ44の基本番代とともに晩年は低屋根化されて身延線で活躍した車両も多かったです。クモハユニ44の基本番代は001~005までの5両が登場し、42系の系列としては唯一関東に新製配置された系列となります。モハユニ44005は戦災で廃車となってしまいましたが、その他の4両は最終的に身延線に集まり、改造時期の違いからクモハユニ44803(モハユニ44003→クモハユニ44000から改造)のみ、パンタグラフを客室側に移設。パンタグラフの設置部分のみ低屋根化されていました。そしてモハユニ44、(旧)モハユニ61何れも横須賀線に導入された車両で、一時期はモハユニ44に集約された時期も有ると言う共通点もありますよね。クモハユニ44000(←(旧)モハユニ44003)とクモハユニ44100(→クモハユニ64000)は、大糸線でともに活躍していた時期も有りました。晩年はクモハユニ44が身延線、クモハユニ64は飯田線で活躍。私はまだ小学生の頃に引退しているのでリアルの姿は見れませんでしたが乗りたかった車両です。
ご視聴ありがとうございます。このコメントに反論を何点か、42系電車は田町電車区と大船電車区双方に配置歴があります。実際に運用もされております。それがモハユニ44型です。それとこの動画ではクモハユニという形式時代の解説でもあるため誤解が生じる点が多いと思いますが、この動画は別に公的な鉄道辞典として作っているわけでもなく、その内容に関しても趣味でやっているため気になったものを取り上げるだけです。また42系などの動画も別々で取り上げようとも考えておりますが、私自身車両解説のためにRUclipsをやってるわけではないのでご理解くださいませ。
@@watagasi583 様返信ありがとうございます。42系電車(クモハ42,クモハ43)ですが田町電車区、大船電車区への配置履歴もありますね。配置後に主電動機が高出力形に交換されたり、3扉化改造が行われるなど趣味的に面白い改造も多数行われており、興味深いところです。動画公開主様の動画公開趣旨理解致しました。これからも動画公開楽しみにしております♪
@@ao1341go まぁ、細かい事はどーでもいいやんいつから日本人はこんなにケツの穴小せぇ事言うようになったン云うたところで所詮自己満足つまり0721と一緒w見れなかった乗れなかったのは仕方ないとして、その辺のデータだけで大口叩くなや
伊那電気鉄道(現飯田線の一部)にはサロハユニフ100という車両がいました。救援車に改造されて1979年まで生き永らえたそうです。
クモハユニ64も飯田線で終焉を迎えたので何かの縁かもしれないですね。
でたwサロハユニフ
サということは電車の一種なはずなのに、客車や貨車に使われるフを使うのもめちゃくちゃw
失礼ながら言わせていただきますと、この動画は最初から最後まで、身延線に在籍した「クモハユニ44」のものですね。飯田線に在籍した「クモハユニ64」の場合、平妻側(つまり客室側)には貫通路があり、そして客室はロングシートでしたから。
誤解を招きそうですのでタイトルを付け足しました。ありがとうございます。クモハユニ64の方は画像の著作権の関連であまり使用できませんでした。個人的には電車の写真に著作権?と疑問に思う事もあります。。。今後は皆さんから写真をコミュニティで集める事も考えております。
クモハユニ44 片側運転台。客室扉1つ。セミクロスシート。客室から郵便と荷物室への扉なし。どちらも切妻。運転室は非貫通。クモハユニ64 両運転台。客室扉2つ。セミクロス→ロング。客室から郵便と荷物室への扉あり。荷物室側が非貫通3枚窓、客室側が貫通扉付きの切妻かなりややこしいですね
昔、マイネロフという寝台車合造の客車がありました。
一等寝台+2等座席車?!
マイロネフ(一等寝台・二等寝台合造車)とマイネロフ(一等寝台・二等座席合造車)がいたようです
@@psychedelicraspberry517 確かにマイメロディに似てますねw
明治37年に設計技師マイネロフによって一等寝台車と二等座席車を合体させた魔改造車両である
@@psychedelicraspberry517 サンライズに一等車とグリーン車の合造車が連結されたらモイネロさんになりますねw
かつて南海電鉄にあった飲食コーナーと手荷物室を併設した一等座席制御車は「クイシニ」。これに飲食コーナーを設けたら「クモハシユニ」になるんですかね?
旧国末期には身延線にも通いました。まず探したのはクモハユニ64でした。乗れた時にはこれか?って感動しましたね。飯田線や大糸線もそうですが?マニュアックなんや旧国を探して乗れた時は嬉しい物でした。この当時は、鉄道ジャーナルやファンの月刊誌で車番と所属を調べて乗りに行きました
戦前関東圏で客室部分だけとはいえ関西急電ボディをもっていたのはクモハユニ44だけ。他はモハ32の系譜。
流電イズムを感じますね
戦前関西へ行けなかった人は本や新聞、映画などでしか本物の急電を見ることができなかったのでこれで我慢みたいな。
@@Tim83246 実際関東の省電ファンは関西の42系,43系,52系が憧れだったそうです。戦後42系,43系が横須賀線に大量転属して来た時は歓喜したそうで流電52系半流43系も?と期待したそうですが残念ながら中間車のサハ,サロハのみ転属。
子供の頃沿線だった横浜線が72系時代に、荷物電車を連結して走っていたのを覚えています。小机駅が荷物取り扱い駅で、時々小荷物を出しに行っていました。
身延線で現役の際、実車を見たことがあります。飯田線のクハユニ56も同様の構造でしょうけど、付随車か電動車の違いなんでしょうね。
@@tetsuchiba87 他の方の動画を探せば出てくると思うのですが、クモハユニ64とクハユニ56は本当に運命に翻弄された車種と言って良いかも知れませんね。
郵便輸送や手小荷物輸送が、鉄道頼りだった時代の落とし子ですね。どちらもトラック輸送に代わり、消えて行った車両です。
制御車に『クハユニ』気動車にも『キハユニ』はありましたが 電動車はこの車だけでしたね。しかし郵便室が狭くて 区分作業する職員さんは やりづらそう。
戦前は木造デハユニ6450、鋼製では短期間ながらモハユニ30もありました。
@@psychedelicraspberry517 展望室が付くとキユテハニ? 永井豪!
護送便専用じゃなかったんだ。
@@takana4381 さま言われてみればそうでした。あの狭さで区分棚があるわけないですよね🙇💦ご指摘 感謝します。
@@psychedelicraspberry517 さまえっ❗あったの😳⁉️じゃ やっぱり狭くて過酷な環境だったかも。扇風機位は付いてたのだろうけど。
これは知りませんでした。小野田のクモハ42は2回くらい、乗りました。鶴見線でも旧型国電、走っていた頃に何度か乗りましたよ。
この車両、昭和55年の身延線で甲府→富士を乗り通しました。とても懐かしいです!
身延線のクモハユニ64何度も乗車しました 甲府行及び富士行の列車に組み込まれることが多かったです 車内車両前方に 仕切りがあり引き戸のドアが取り付けられていて ガラスに「郵便 荷物室」と 書かれてました。
加古川線でキハユニ15に乗ったことがあります😁
乗ってみたかった車両なんだよね〜、身延線に乗れる機会が無かったのが悔やまれる
80年頃は、飯田線、大糸線、身延線、可部線などに旧性能電車が集結しており、登山がてらに乗りに行ったが、形式は忘れてしまったが、このような合造車が他にもいたので乗った。客室が短く閉ざされていて独特の感じだった。海外では、郵便車や荷物車はいまだ多くの国で走っている。今後、荷物車が日本で復活するのかどうかは不明だ。今でもシートなどで客室の一部を区切るなどした簡易荷物車はたまにある。
新幹線や特急で速達性を活かした荷物輸送が始まりました。需要は拡大しつつあるそうでもしかしたら荷物室を持つ車両の再登場もあるかも?
嗚呼 42系の狭窓がズラズラ並んでるの見ると何故か落ち着くんよね
荷物合造車、これからの地方物流の柱として生まれ変わる予感。
記憶が曖昧で正確な時期は不明なのですが、JR東日本の国府津車両センターに、一時他の旧型国電と共に留置されていたのを見た事が有りました…😅
大船入場の伴走で、ちょくちょく来てましたね クモハユニ64
@@hiko2hiko 様成る程そういう事だったんですね!👍
身延線も飯田線もJR東海になったので、今復活させるなら、315系ベースのクモハユニになりそう。
何でも運べる万能選手
身延線や飯田線の80系以外の旧国がスカ色になっていく中、なぜかクモハユニ64000だけは引退までぶどう色を貫きましたね。
最晩年はスカ色になっております。
@@kmtlcmikaku そうでしたか。記憶が曖昧になってますね。ありがとうございます✨
カタカナ5桁形式があったとは初めて知りました!精々、キサロハやオハネフとかの4桁モノ位しか知らなかったので😅
トワイライト瑞風並みに言い難いカタカナ表記😅
これが気動車だとキハユニになって文字が足りないんだよねえ。動力が無ければキクハユニになっていただろうけど当時の状況では実用性無いし。
「クモハユニ64!」特撮番組の新兵器みたいだ😅(クモハユニの予測が「蜘蛛は湯に」だった😂)
オハユニ61やキハユニ25並の「何でもあり」感w
旧型クモハ+荷物車+郵便車
令和の今になって小口荷物の配送に列車対応が見直されて一部の普通車区画分離での試行がされているのでクモハニ位は改造してもいい気がするんだけどなぁ(ユは今じゃ仕分け業務やらないから二で代行できるだろうし)
暖簾で仕切る即席「クハニ233」が高崎線にいたぞ
夢の様な車両ですね。今現在でも特にローカル線で復活して欲しいですね😅四国や九州それに北海道なら映になりますよね、山間部や海岸線なんて最高じゃあないですか😂
ご視聴ありがとうございます!ご視聴ありがとうございます!旧型国電の独特の雰囲気も素晴らしいと思います
ローカル線の始発や昼間運用にピッタリだよね。郵便の他に駅前のコンビニ弁当の輸送なんかでコンビニ店員が直接引き取りに来る形式にすれば、配送車も削減され2024年問題の一助なるわな。
車体のデザインが同時期のキハニ36450に似てる。昔飯田線へ旧型国電撮りに行ったけど、流電モハ52ばかり関心いってて意識しなかったのは残念。
キハニ36450は顔と客室部分が関東型(モハ32の系譜)
私もこの車輌は、知っていました。まぁ、私のイメージでは、身延線時代が一番印象深いですが…。
長くて面白い名前だな。客車に、「オハユニ」とか、気動車に、「キハユニ」となっている。最近では、長くて面白いのは、287系の、「クモロハ286」となっている。長いな。
長いだけならクモハユニフというのがありましたな
クモから始まるのにフで終わるのか... 電車と客車の区別が曖昧だった時代なのかな
子供の頃、ハユニ形式だったら列車内から荷物や郵便送れたら良いのにと思った事あったなあ……
忘れられしクモハユニ44…なお画像はいずれも平妻顔のクモハユニ44で半流線型顔のクモハユニ64は無い
ほとんど画像が著作権で引っかかるので使用していません。よかったら画像の提供よろしくお願いします
世間からすると「ニンニクヤサイマシマシアブラカラメ」的な呪文に聞こえそうな・・・
ゼンマシマシでいいじゃねーかw
現在で復活させれば郵便や宅配の地方拠点間輸送にこそ持って来いの運用な気がする
電車の運転手が荷物の積み下ろしをさせられるw
荷物車を客車二した例ハあった
2:36 、ブルトレに旧客!?
かつての品川•田町界隈の画像です!
なるほどー!@@watagasi583
なぜか連結して置かれているように見えますね。そのまま走るとは思えないですが。
少量の荷物、郵便、乗客乗せて運ぼうとすると、そうならざるを得ないけど、貨車繋いで貨物まで運ぼうと目論んでたのはカオス。
大糸線じゃ機関車代わりだったし
俺の架空国家「もっとカオスな車両欲しい」
サロハユニフ100「…。」
追記この動画では、クモハユニという形式の解説でありまして。42系電車の詳細な解説動画ではないため、ご理解いただきたいと思います。一部表現では一色単に解説しているところもあるため、近々別動画として取り上げようと考えております。
2:12で登場する車内写真はクモハユニ44803号車ですね。この車輌は一時期大糸線を経て身延線に入ったのでパンタグラフを後ろへ移設してその部分の屋根を低くしています。他の同型車は屋根全体がペチャンコスタイルでした。また、この車輌のクロスシートはオハ60と同じ文字通りの✘脚に❝必殺垂直板張り背もたれ❞になっていますが、これは第二次大戦中に撤去されたクロスシートを復旧する際、廃車される木造車体の三等客車の座席を流用したものといわれています。
まず突っ込みどころを何点か。
0:52 横須賀線に導入されたのは32系電車です。
42系電車(クモハ42,クモハ43)は元々1934年の吹田~須磨間の電化開業に際し、
京阪神地区に導入された車両となります。
1:44 モハユニ44は1935年の新製当初からずっとモハユニ44で、
1959年の称号改正によりクモハユニ44となっています。
1:52 クモハユニ64は元々1944年にモハユニ61001として製造された車が、
モハユニ44100→クモハユニ44100を経て1961年に改造を受けた車両となります。
改造時に客室側に運転台を新設し、前後の両方に運転台がある車両となりました。
そしてクモハユニ64(モハユニ44000)はモハ51(後のクモハ51)が基本設計となっている為、
客室扉は片側2カ所設置となっています。
とまぁさておき、32系電車自体は1930年という早い段階で横須賀線を電車化するに当たり、
長距離の輸送に配慮したクロスシートを配置。
更に制御車のクハ47、付随車のサロ45、サロハ46、サハ48は初の20m車体で登場。
画期的な車両であることは確かですね。
電動車のモハ32(後のモハ14→クモハ14)こそ17m車体で登場しましたが、
クモハユニ44の基本番代とともに晩年は低屋根化されて身延線で活躍した車両も多かったです。
クモハユニ44の基本番代は001~005までの5両が登場し、
42系の系列としては唯一関東に新製配置された系列となります。
モハユニ44005は戦災で廃車となってしまいましたが、
その他の4両は最終的に身延線に集まり、
改造時期の違いからクモハユニ44803(モハユニ44003→クモハユニ44000から改造)のみ、
パンタグラフを客室側に移設。パンタグラフの設置部分のみ低屋根化されていました。
そしてモハユニ44、(旧)モハユニ61何れも横須賀線に導入された車両で、
一時期はモハユニ44に集約された時期も有ると言う共通点もありますよね。
クモハユニ44000(←(旧)モハユニ44003)とクモハユニ44100(→クモハユニ64000)は、大糸線でともに活躍していた時期も有りました。
晩年はクモハユニ44が身延線、クモハユニ64は飯田線で活躍。
私はまだ小学生の頃に引退しているのでリアルの姿は見れませんでしたが乗りたかった車両です。
ご視聴ありがとうございます。このコメントに反論を何点か、42系電車は田町電車区と大船電車区双方に配置歴があります。実際に運用もされております。それがモハユニ44型です。
それとこの動画ではクモハユニという形式時代の解説でもあるため誤解が生じる点が多いと思いますが、この動画は別に公的な鉄道辞典として作っているわけでもなく、その内容に関しても趣味でやっているため気になったものを取り上げるだけです。また42系などの動画も別々で取り上げようとも考えておりますが、私自身車両解説のためにRUclipsをやってるわけではないのでご理解くださいませ。
@@watagasi583 様
返信ありがとうございます。42系電車(クモハ42,クモハ43)ですが田町電車区、大船電車区への配置履歴もありますね。配置後に主電動機が高出力形に交換されたり、3扉化改造が行われるなど趣味的に面白い改造も多数行われており、興味深いところです。
動画公開主様の動画公開趣旨理解致しました。これからも動画公開楽しみにしております♪
@@ao1341go まぁ、細かい事はどーでもいいやん
いつから日本人はこんなにケツの穴小せぇ事言うようになったン
云うたところで所詮自己満足つまり0721と一緒w
見れなかった乗れなかったのは仕方ないとして、その辺のデータだけで大口叩くなや
伊那電気鉄道(現飯田線の一部)にはサロハユニフ100という車両がいました。
救援車に改造されて1979年まで生き永らえたそうです。
クモハユニ64も飯田線で終焉を迎えたので何かの縁かもしれないですね。
でたw
サロハユニフ
サということは電車の一種なはずなのに、客車や貨車に使われるフを使うのもめちゃくちゃw
失礼ながら言わせていただきますと、この動画は最初から最後まで、身延線に在籍した「クモハユニ44」のものですね。
飯田線に在籍した「クモハユニ64」の場合、平妻側(つまり客室側)には貫通路があり、そして客室はロングシートでしたから。
誤解を招きそうですのでタイトルを付け足しました。ありがとうございます。クモハユニ64の方は画像の著作権の関連であまり使用できませんでした。個人的には電車の写真に著作権?と疑問に思う事もあります。。。今後は皆さんから写真をコミュニティで集める事も考えております。
クモハユニ44 片側運転台。客室扉1つ。セミクロスシート。客室から郵便と荷物室への扉なし。どちらも切妻。運転室は非貫通。
クモハユニ64 両運転台。客室扉2つ。セミクロス→ロング。客室から郵便と荷物室への扉あり。荷物室側が非貫通3枚窓、客室側が貫通扉付きの切妻
かなりややこしいですね
昔、マイネロフという寝台車合造の客車がありました。
一等寝台+2等座席車?!
マイロネフ(一等寝台・二等寝台合造車)とマイネロフ(一等寝台・二等座席合造車)がいたようです
@@psychedelicraspberry517 確かにマイメロディに似てますねw
明治37年に設計技師マイネロフによって一等寝台車と二等座席車を合体させた魔改造車両である
@@psychedelicraspberry517 サンライズに一等車とグリーン車の合造車が連結されたらモイネロさんになりますねw
かつて南海電鉄にあった飲食コーナーと手荷物室を併設した一等座席制御車は「クイシニ」。
これに飲食コーナーを設けたら「クモハシユニ」になるんですかね?
旧国末期には身延線にも通いました。まず探したのはクモハユニ64でした。乗れた時にはこれか?って感動しましたね。飯田線や大糸線もそうですが?マニュアックなんや旧国を探して乗れた時は嬉しい物でした。この当時は、鉄道ジャーナルやファンの月刊誌で車番と所属を調べて乗りに行きました
戦前関東圏で客室部分だけとはいえ関西急電ボディをもっていたのはクモハユニ44だけ。
他はモハ32の系譜。
流電イズムを感じますね
戦前関西へ行けなかった人は本や新聞、映画などでしか本物の急電を見ることができなかったのでこれで我慢みたいな。
@@Tim83246 実際関東の省電ファンは関西の42系,43系,52系が憧れだったそうです。
戦後42系,43系が横須賀線に大量転属して来た時は歓喜したそうで流電52系
半流43系も?と期待したそうですが残念ながら中間車のサハ,サロハのみ転属。
子供の頃沿線だった横浜線が72系時代に、荷物電車を連結して走っていたのを覚えています。小机駅が荷物取り扱い駅で、時々小荷物を出しに行っていました。
身延線で現役の際、実車を見たことがあります。
飯田線のクハユニ56も同様の構造でしょうけど、付随車か電動車の違いなんでしょうね。
@@tetsuchiba87 他の方の動画を探せば出てくると思うのですが、クモハユニ64とクハユニ56は本当に運命に翻弄された車種と言って良いかも知れませんね。
郵便輸送や手小荷物輸送が、鉄道頼りだった時代の落とし子ですね。
どちらもトラック輸送に代わり、消えて行った車両です。
制御車に『クハユニ』気動車にも『キハユニ』はありましたが 電動車はこの車だけでしたね。
しかし郵便室が狭くて 区分作業する職員さんは やりづらそう。
戦前は木造デハユニ6450、鋼製では短期間ながらモハユニ30もありました。
@@psychedelicraspberry517 展望室が付くとキユテハニ? 永井豪!
護送便専用じゃなかったんだ。
@@takana4381 さま
言われてみればそうでした。
あの狭さで区分棚があるわけないですよね🙇💦
ご指摘 感謝します。
@@psychedelicraspberry517 さま
えっ❗あったの😳⁉️
じゃ やっぱり狭くて過酷な環境だったかも。
扇風機位は付いてたのだろうけど。
これは知りませんでした。小野田のクモハ42は2回くらい、乗りました。鶴見線でも旧型国電、走っていた頃に何度か乗りましたよ。
この車両、昭和55年の身延線で甲府→富士を乗り通しました。とても懐かしいです!
身延線のクモハユニ64何度も乗車しました 甲府行及び富士行の列車に組み込まれることが多かったです 車内車両前方に 仕切りがあり引き戸のドアが取り付けられていて ガラスに「郵便 荷物室」と 書かれてました。
加古川線でキハユニ15に乗ったことがあります😁
乗ってみたかった車両なんだよね〜、身延線に乗れる機会が無かったのが悔やまれる
80年頃は、飯田線、大糸線、身延線、可部線などに旧性能電車が集結しており、登山がてらに乗りに行ったが、形式は忘れてしまったが、このような合造車が他にもいたので乗った。客室が短く閉ざされていて独特の感じだった。海外では、郵便車や荷物車はいまだ多くの国で走っている。今後、荷物車が日本で復活するのかどうかは不明だ。今でもシートなどで客室の一部を区切るなどした簡易荷物車はたまにある。
新幹線や特急で速達性を活かした荷物輸送が始まりました。
需要は拡大しつつあるそうでもしかしたら荷物室を持つ車両の再登場もあるかも?
嗚呼 42系の狭窓がズラズラ並んでるの見ると
何故か落ち着くんよね
荷物合造車、これからの地方物流の柱として生まれ変わる予感。
記憶が曖昧で正確な時期は不明なのですが、JR東日本の国府津車両センターに、一時他の旧型国電と共に留置されていたのを見た事が有りました…😅
大船入場の伴走で、ちょくちょく来てましたね クモハユニ64
@@hiko2hiko 様
成る程そういう事だったんですね!👍
身延線も飯田線もJR東海になったので、今復活させるなら、315系ベースのクモハユニになりそう。
何でも運べる万能選手
身延線や飯田線の80系以外の旧国がスカ色になっていく中、なぜかクモハユニ64000だけは引退までぶどう色を貫きましたね。
最晩年はスカ色になっております。
@@kmtlcmikaku そうでしたか。
記憶が曖昧になってますね。
ありがとうございます✨
カタカナ5桁形式があったとは初めて知りました!
精々、キサロハやオハネフとかの4桁モノ位しか知らなかったので😅
トワイライト瑞風並みに言い難い
カタカナ表記😅
これが気動車だとキハユニになって文字が足りないんだよねえ。
動力が無ければキクハユニになっていただろうけど当時の状況では実用性無いし。
「クモハユニ64!」
特撮番組の新兵器みたいだ😅
(クモハユニの予測が
「蜘蛛は湯に」だった😂)
オハユニ61やキハユニ25並の「何でもあり」感w
旧型クモハ+荷物車+郵便車
令和の今になって小口荷物の配送に列車対応が見直されて一部の普通車区画分離での試行がされているので
クモハニ位は改造してもいい気がするんだけどなぁ(ユは今じゃ仕分け業務やらないから二で代行できるだろうし)
暖簾で仕切る即席「クハニ233」が高崎線にいたぞ
夢の様な車両ですね。今現在でも特にローカル線で復活して欲しいですね😅四国や九州それに北海道なら映になりますよね、山間部や海岸線なんて最高じゃあないですか😂
ご視聴ありがとうございます!ご視聴ありがとうございます!旧型国電の独特の雰囲気も素晴らしいと思います
ローカル線の始発や昼間運用にピッタリだよね。
郵便の他に駅前のコンビニ弁当の輸送なんかでコンビニ店員が直接引き取りに来る形式にすれば、配送車も削減され2024年問題の一助なるわな。
車体のデザインが同時期のキハニ36450に似てる。
昔飯田線へ旧型国電撮りに行ったけど、流電モハ52ばかり関心いってて意識しなかったのは残念。
キハニ36450は顔と客室部分が関東型(モハ32の系譜)
私もこの車輌は、知っていました。まぁ、私のイメージでは、身延線時代が一番印象深いですが…。
長くて面白い名前だな。
客車に、「オハユニ」とか、気動車に、「キハユニ」となっている。
最近では、長くて面白いのは、287系の、「クモロハ286」となっている。
長いな。
長いだけならクモハユニフというのがありましたな
クモから始まるのにフで終わるのか... 電車と客車の区別が曖昧だった時代なのかな
子供の頃、ハユニ形式だったら
列車内から荷物や郵便送れたら良いのにと思った事あったなあ……
忘れられしクモハユニ44…
なお画像はいずれも平妻顔のクモハユニ44で
半流線型顔のクモハユニ64は無い
ほとんど画像が著作権で引っかかるので使用していません。よかったら画像の提供よろしくお願いします
世間からすると「ニンニクヤサイマシマシアブラカラメ」的な呪文に聞こえそうな・・・
ゼンマシマシ
でいいじゃねーかw
現在で復活させれば郵便や宅配の地方拠点間輸送にこそ持って来いの運用な気がする
電車の運転手が荷物の積み下ろしをさせられるw
荷物車を客車二した例ハあった
2:36 、ブルトレに旧客!?
かつての品川•田町界隈の画像です!
なるほどー!@@watagasi583
なぜか連結して置かれているように見えますね。そのまま走るとは思えないですが。
少量の荷物、郵便、乗客乗せて運ぼうとすると、そうならざるを得ないけど、貨車繋いで貨物まで運ぼうと目論んでたのはカオス。
大糸線じゃ機関車代わりだったし
俺の架空国家「もっとカオスな車両欲しい」
サロハユニフ100「…。」