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一部、編集にミスがあったので、修正版を再アップしました。修正前の動画をご覧くださった方、いいねボタンやコメントを下さった方、申し訳ございませんでしたm(__)m
この方のゲームはやったことは無いのですが、この方がゲーム作りをやめた後に作った、バスのチケット販売機のシステムは、同じシステムエンジニアとして参考になるものでした。当時の販売機では画面から購入する金額を選択すると、すぐに次の画面に移動するのが当たり前でした。この方の作ったは販売機は、購入する金額を選択すると、次の画面に移動する前に、選択した金額のボタンが一瞬引っ込んで見えたそうです。今では当たり前の動作ですが、当時はこのようなユーザーにわかりやすい作りは意識されていませんでした。ゲームでユーザインターフェースを作ってきた人は違うなーと感心しましたね。
自分が、好きなゲームは?と聞かれたらまず出てくる作品。
ゲーム制作者というより、アーティストと言ったほうがしっくりくるようなタイプの人だったと記憶しています彼が存命だったら今のゲーム業界、もしかしたらさらに別分野で活躍していたかもしれないと思うと、本当に惜しいですね。私自身も学歴については落ちこぼれですが、人それぞれ輝く場所がどこかにあると思わせてくれる人物です。
最晩年に2ちゃんに来ててすごい気さくに裏話語ってくれてたな
『才能は凄いんだろうけど、(今の)自分の好みと合ってる作品が……』なイメージだったな。
たまに早すぎたと言われるが、むしろ時代に合ってたんじゃないかな…今の技術を使えばこのくらいのことができちゃうんだよ、というものを見せる人としてしっかりしたポジションを確立できた。今の時代は絶対に遊びやすさが求められるし、最先端の技術を使おうと思えばかなりの人員とお金がいる。洋ゲーですら遊びやすいからね。でもこう言う事ができる人は世界に何人もいない。やはり天賦の才があったと思います。
このゲームずっと押し入れにある・見てみる!
飯野賢治さんのTwitterのアカウントが今も存在していますよね。2013年2月17日が最後のツイートになってました。自分は2しか遊んだ事がありませんがとても独特な雰囲気のゲームでした
こんにちは。ゲーム業界のものです。いつもすごく手間のかかった動画、ありがとうございます。いつも言葉にできないくらい感動してみてます。
飯野賢治... SCEとの関係性も含めて、本当にピュアな男だなと思っています。
ラジオも全話まだ持ってて、たまに聞きます。子供っぽくて見栄っ張りだけど、色んな人を惹きつける魅力のある人でした。ラジオで未来を語ってる時には、その未来に自分がいないとは思わなかったでしょうね…。残念です。
確かに人を惹きつける方だったように強く感じます。どんなインタビューでも、『この記事が世に出る時は過去の自分の発言だ』という認識をもって答えられてたように思います。故に鋭角な言葉で発せられてたのでしょう。もしよろしければ、お持ちのラジオ音声を動画などで公開してもらえないでしょうか。お願いします。
@@nenchan. 番組の半分は音楽なんでRUclipsそのまま上げられないんすよね…けどアーカイブしたいな
当時普段ゲームしない兄がサターン版を買って来て、凄くのめり込んで遊んでましたゲームのテンポはちょっとアレかもしれないんですが、演出がとにかく素晴らしくてゲームに引き込まれました音楽も素晴らしかった
ウルトラマン倶楽部2はシリーズでも比較的評判良かったのですよね。(80が出てくる当時としても激レア作品)一日で辞めた教材屋の話には、契約を取った家庭に後日謝罪に行ったという変な所で筋を通したがるエピソードが好きですね。この後も飯野氏は誰もやらないような筋を通しに行ってしまうのですけど。
ファンだったので、イベントに会いに行ったことがあります。風のリグレットDC版かD2の頃。もっと彼の作品をプレイしたかった。
飯野賢治ファンだった私には、すごく楽しめました。後半楽しみにしています。
昔、ファミ通か何かで読んだ話飯野氏が電車に乗っていると「エネミーだ!エネミーだ!」と若い男達から指を刺された。飯野氏は「俺は敵か?」と心の中で言ったそうです。
お疲れ様です。相変わらずシンプルで分かりやすく、そして動画時間が短く感じられる程の興味深い内容ですね!Dの食卓をプレイしてみた時は何も分からなくて放り出しましたが、今回また興味を持ちました。後編も楽しみにしてます!!
5:43 「恐ろしくピュアで、曲がったことが大嫌い」たとえ周囲から「青い」と言われようと、氏が「自分に正直に信念に従って」行動していたのは、端から見てもあの当時、十分すぎるほど伝わってきていました。自分は氏の作品は好きではないし、他者と一緒にプレイした程度ですが、風のリグレットなど、「ゲームの可能性を広げてくれた」という意味では評価しています。右を見ても左を見ても、国内を見ても海外を見ても、「進化の袋小路」に達してしまった現在のゲーム業界を見るにつけ、氏のような異端の才能の喪失を惜しく思いますね・・・。
当時のメディアの空気感として、飯野賢治とマイケルジャクソンはいくら叩いてもいいみたいな風潮がありましたね改めてゲームへの映画的演出の導入や、一見不親切とも思える文字を排除したUIは今日に至るゲーム業界へのジャイアントステップになったと思います
気が付けば飯野さんより年上になったかご冥福をお祈りいたします友人の家でプレイして衝撃を受けました何だぁこのゲームは? と何もわからない状態から始まりローラと供に少しずつ進む面白さがありましたスルメゲーですかね?後編も(多分中編w)も楽しみにしております
都内の石神井の方の火葬場で、火葬のレーンが偶然、身内の火葬と隣合わせでびっくりした記憶があります。今でも記憶に残るゲームを作っていただいて感謝ですね・・・
まさしく早すぎた天才。
数少ないゲームタイトルしか残ってないがどれも斬新でしたよね。
なるほど作曲が出来る人だったんだな。それで後にマイケルナイマンにゲーム音楽を依頼するという当時は驚きの行動も...。ゲームを全くやらない私が飯野さんの名前だけ知っている理由はマイケルナイマンだったりします。生い立ち等を聞けて良かった。
ううぅ。クリアしたはずなのに、内容が思い出せない…!
3:23 なっつかしいな!全部面白かったわ。
素晴らしい語りです。
今まで生きてたらとんでもない怪作かつ傑作を幾つも産んでたのかもなぁ
リグレットは名作
ファミ通で連載されていた鈴木みそ先生のおとなのしくみでクロスレビューについて語っていたのが印象的でした。そんな自分はリアルサウンドが大好きでしたね~
「飯野賢治」といえば、「時代の寵児」「風雲児」「辣腕家」といったイメージでしたね。あと「金持ちクリエーター」の走りかな(笑)でも前半生は本当に辛い経験をされてきたのですね。夭折されてしまったのが、本当に惜しまれます。
飯野さんはサブカルなどへの造詣がとても深くて、深夜ラジオを毎週聞いてました。当時受けた影響は間違いなく自分のコアになっています。それだけに突然の訃報を聞いたときはショックでした。あらためて、ご冥福をお祈りします。
これ、どこかのゲームメーカー、例えばカプコンとかがリメイクしてくれないかな?REエンジンとかと相性良さそうなんだけど。
この時代のポリゴンゲーすきマリアとかガレリアンズとかクロックタワーとか
ゲーム批評は結構彼を押してましたね、別冊で「飯野賢治の本」とか出してたし
ものすごくはっきり物を言う人で相当好き嫌いが分かれるタイプの人でしたね。自分は割りと好意的に見てて当時はラジオも聞いてました。ただゲームも相当尖った内容が多くていつの間にかひっそり消えていったイメージです。300万本売れるRPGを作ってるみたいな話してたんですけどね。
初めてエネミー0をプレイしたときの難しさにビックリしたわ。敵が見えないし音の鳴る間隔と高低で距離と方向を判断して、しかも一定時間チャージしないと撃てない銃(イージーモードで弾数3)で戦うんやもんな。 印象的やったから飯野さんだけはずっと覚えてたわ。
エネミーゼロに関しては若しかしたら作り方次第でバイオを超える様なゲームになったと思うので非常に残念に思います。無二のゲームを作れる人は凄いなと思います。
このゲームの不幸なところは、先ず予算等の都合により『3DO』というマイナーなハードで出さざるを得なかった事。そして『PS』というメジャーなハードに移植されたものの、数ヶ月後に発売された『バイオハザード』と比較され、敬遠される事が多かった事。実際、個人的に『Dの食卓』は3DOで遊んで結構好きだったんだが、その頃友人はPSで『バイオハザード』にハマっており、結局『Dの食卓』を勧めてもやってくれなかった。という経験がある。単純に比較するものではないが、個人的には『バイオハザードの記憶を消して遊んで欲しい作品』と思っていた。
めっちゃ続きが楽しみです!
ひきこまれました。続篇すぐみます。
いずれ出るであろうサターンミニには是非このDの食卓を収録してほしい。
はじめて遊んだのが中学生の時で、その時に何となくだけど直感的に外国のゲームだと思って遊んでた
他の方の動画でも書いたのですが、(自己認識がどうであれ)飯野氏は紛れもなく天才だったと思います。そして多くの天才は理解されない孤独を感じ孤立しています。氏は能力も活力もあり状況を打破することができました。才能があったことがはたして幸せだったのかわかりません。ただ晩年はSNSに関心があったとも聞きますし、生きておられたらコメント欄で裏話の1つや2つ書いていたでしょうね。
@@setsuna3155 傍目から見れば十二分に成功していても本人はコンプレックスを抱えているということは珍しくないです。だからこそ創作を通して癒しを求めるわけです。
@@setsuna3155 >>自分自身がどう感じるかその通り、そしてそれは天才に限りません。
懐かしい。D食は即買いして「すごいすごい」言いながらプレイしたの覚えてます。才能ある人の早逝は悲しい。
子供の頃はWARPのロゴのスプラッシュ画面でもう既に怖かったんだよなぁ、、、
続きがメッチャ楽しみです。
飯野とは子供の頃、よく一緒にゲーセン行ったな。
あの時代にたった数年でポリゴンゲーム作るって、相当凄いことだゲームはあまり好みではないが、天才の成せる技であることに変わりはない40代前半で夭折したのはとても悔やまれる生きていればもっと凄い事を見せてくれただろうに
upありがとうございます。 300万本RPGやリアルサウンド霧のオルゴールをずっと楽しみにしていましたがスーパーワープに業態変更してからあまり情報発信が無くなってそのまま終了してしまったのが残念でした。この人が出てきたあたりから毎週ファミ通を買うのが楽しみでした。(ビッグマウスなことろも笑) 続き楽しみにしています。 ruclips.net/video/wgf96Oo7wc8/видео.html
まわりがプレステ派ばかり、一部のエロ目的がサターン派(いやエロ以外も色々名作もありましたけど)の中、洋ゲー奇ゲーバカゲーがワゴンで投げ売りされまくってる3DOで大満足の日々でした。3DOのソフトほぼコンプリートしかけてたかもしれません。自分が次世代のハードに3DOを選んだ決め手は「Dの食卓」と「宇宙生物フロポン君」でした。今でこそ褒め言葉にもなりませんが、「まるで映画のようなゲーム」と思わずにはいられない新しい時代の幕開けを感じる本作と「フロポン君」を始めとする、「こんなにゲームでふざけていいんだ」と思わされたソフトたち。この振り幅に当時高校生だった自分は頭がクラクラしてワープという会社にメロメロになりました。ショートワープというミニゲーム集は今でも宝物です。動かすハードがないんですけど…後編、楽しみにしてます!!
ミニゲームが詰まったソフトと3DO持ってました、今は手元に無いですね。譲り渡した記憶はあるけど、誰にあげたのか忘れてしまった。
今生きていればRUclipsrとして大活躍だったのかな
D2の最後がなあ雪の質感は良かった
昔のトゥナイト2で知ったわぁ〜
子供の頃に飯野さん見た印象はとても怖い人だという印象でした。人となりを知るととてもナイーブな人だったんだなぁと。知識を持つことにより大分認識が変わるもんだなぁと。
ローラはゲームのいちキャラでは無く女優として売り出してたんですよね今思うとときメモの藤崎詩織同様バーチャルアイドルの走りだった様に思います当時は映像も綺麗で映画を操作してる様な体験が高校生ながら衝撃でした
セガマニアでセガサターンしか持ってなくて 飯野賢治はセガの味方になってくれてたからよく覚えてるわw太ったアミバとか言われてたなぁ 風のリグレット面白かったけど 目をつぶってやると寝ちゃうという当たり前のリスクが表面化したいいゲームだったわ
俺はエネミーゼロをやって、飯野を見限ったなこのゲーム、セーブとロードに回数制限があるんだよなこれにより無駄に難易度が跳ね上がって、俺はクリアを諦めたセーブに制限かあるのはまだ許せるが、ロードに制限があるのは許せなかったロードデータはユーザーのものであって、作り手か勝手に破棄していいものだとは思わないからだだから作り手のエゴに感じた
宇宙生物フロポン君とかOPでパロディしてましたね。
この人、YMOスゲえ好きだったんよね。逝ったの42だったのか…もう、抜いちまったよ…国際フォーラムのD2発表会やら、渋谷パルコのエネミーゼロ 展も行ったな…この人のべしゃりは好きだったわ。あの書籍、ゲームも持ってるわ…
自分は素晴らしいゲームデザイナーだと思っていますが、メディアのプロモーションは上手かったけどゲーム自体はそこまでヒットせず資金が無くなった辺りから制作が行き詰まったかんじでしたね。面白い方ですが、作品自体はそこまで時代を革新する小島秀夫さん程鋭いアイデアが無かったような。
Dの食卓もエネミーゼロも合わなかったけど、風のリグレットはすごく好きだったな。
初めてこのチャンネルに来ました。Dの食卓は当時友達がやっていまして、私はやったことありませんが、隣で友達が遊んでいるのを見ているだけでした。友達はサターン版と、その続編DC版をやってました、とてもハマってましたよ。そんな友達がドはまりしていたゲームをやらなかったことはとても後悔しているので、次回の後編とても楽しみです。チャンネル登録させていただきます!。
ゲーム界の風雲児としてメディアに出てた頃まだ20代だったのは驚きこの人のキャラは好きでゲームいろいろプレイしたけど自分の表現したい事の押し付けが強い感じがして合わなかったアートじゃなくて娯楽なんだから周りの意見を聞けばもっといい商品になったのでは
この手のゲームは当時怖くて自分でできなかったので有り難い♪🤭
高校中退でも一年で再就職決めてるから凄いなぁ
帰ってきたウルトラマン倶楽部2に深く関わっていたと知って異才なのだと強く感じました。もっと関連作に触れたかった。
触れてくれてたはっはっは(恥)ED曲は、アーケードのある作品と同一らしいです。たしか。うろ覚えごめんなさい。
関西(大阪だっけ?)にいる彼女に会うために、月に20万円以上新幹線代に使っていたという話はすっごく覚えてる
散々不親切、と言われていたけどバイオハザード同様 ”不自由な操作が恐怖と緊迫感を増幅する”んですよね わからずにゲーム終了した後、寝ようと横になったときに「あぁ、、あそこはあぁすればいけるかぁ??」とぼんやり考えて次の日にやってみるというようなことをしてましたね^
痩せてたらイケメンだったろうな。凄いクリエーターでしたね。
クロックタワー取り上げてほしい
酷評されることが多いエネミーゼロだけど私は好きでしたノーミス、ノーセーブでクリアできてましたよ
懐かしい
不摂生だけどエネミーゼロまたやりたい
96年だったか?ゲームショウかおもちゃショウの会場でワープのブースにてモーコンの神プレイヤーをボーっと眺めてたら飯野さん本人がブースに現れて驚きました。なんか存在感というかオーラというか凄かった。亡くなったニュースを見た時はショックでしたね。
天才能力のある人間ほどうーん汗
現実feeling on my mind
何故か二年位前に自伝読んだなぁ。
そうか・・・飯野さんの年齢にもう追いついちゃうのか。ちょうど10歳上だったんだなぁもしまだ御健在だったら続編かキャラゲーか移植ものですらまだマシな方で、それより遥かに多くのガチャゲーが幅を利かせている今の時代をどう見て、どう思っていたんだろうなぁ海外インディーズや「判る客」で盛り上がっているsteam・PCゲー市場に希望を見出し、IGA氏や稲船氏の様になっていたのかな・・・
今生きていたらと思うクリエイターの一人だね一時期ゲームから距離おいちゃった時期が残念
昔、3DOで買ったなあ。
うぽつです
ファミ通で、ゲームレビューで点数をつけるのはクリエイターに対して失礼だと怒って編集長とモメてたな。点数低いとゲームが売れなくなる!クリエイターは死活問題だ!って。それは正論だけど、動画内にあったウルトラマンの件もそうだけど、ゲームに熱意のない製作者のゲームのせいでゲームから離れていくユーザーだっているわけで。みんながみんな飯野さんみたいな信念でゲーム作ってるわけじゃない。だから、やっぱゲームレビューは必要なのかも。・・・ただしファミ通、バーチャロンマーズの時のヤラセレビューは今でも許さん。
鈴木みそ著 ”おとなのしくみ”に詳しいですね。
全然違うタイプかもだけど、昔のホリエモンを連想しちゃったよ。ロン毛や中退の経験、親との関係が上手くいっていなかったこと、若くして会社を立ち上げたこと、大風呂敷を広げがちなところ、上の人にも物を言うところ。もしかしてホリエモンは、時代の寵児だった飯野賢治に寄せていた? ・・・なんてね。
ホリエモンは飯野賢治に高学歴を足したらこうなった系ですよね。拗らせまくったらホラレモン。
当時3DOの中古が安かったので買って、それに合わせてDの食卓を買ってやってました。しかし、子供と一緒にやっていて、子供の感性で不気味さが分かるのか、怖いと言って3DOにかけるのも嫌だと言い始めたので、未だに3DOといっしょに押入れの中に眠ったままです。まだ3DOが作動するようだったら、またやってみたいと思ってます。
冒頭のbgm と0:06から始まるbgm を教えて下さい!
両方ともファミコンのマザーの曲です。そう言えば、飯野さんのラジオに鈴木慶一さんが来た事もありましたね。
@@dddd-ds1hh ありがとうございます!めちゃめちゃ気になってたので、嬉しいです!
ローラ・・・!
かぐや様の伊井野のモデルだったりして😂
学歴持ってれば潰しは利くけど、あくまでも「潰し」だからなぁ。そういう意味では、成功に学歴は関係ないと思います。
これ誰か飯野さん。WARPの意志を引き継いでリメイクして発売してくれへんかな😢Dの食卓。エネミーゼロ。😢俺は好きやったな😢もうここはプレステで出すとか!
米国で生を受けていたら大成功していた人だろうね。
学生が作ったデモみたいな代物。なぜこれが評価に値すると思われてるのか謎
メディア露出が多かった頃はロン毛の独特な出で立ちで正直胡散臭そうで尖った作品ばっか作る人だと思ってたそれから何年か経って飯野氏の写真を見かけた際にすっかりスマートになっていて痩せたら凄いイケメンだったんだなと驚いたしかしそれから程なく病死されてしまった・・・波乱万丈な人生だったと思うけど時代に名を残した人だと思ったどうか天国でも人々をアッと言わせる色々な事をやらかしていますように・・・
当時面白かったよなぁ〜最後が衝撃で何回もプレイしたわCAPCOMとかで今の映像技術でリメイク出来んのかな?バイオシリーズ、パラサイトイヴ、FF8、Dの食卓しか最後までプレイしたこと無いけどw
彼の失敗はSONYやHONDAの成功から学ばなかった事だと思う。彼のようなタイプは経営は人任せにして開発に注ぎこめばよかったのに。
惜しい人をなくしたね。
飯野さん何で亡くなったんやろ?
ポリスノーツも、この人でしたっけ?
俺ずっと飯野さんと聴覚障害と嘘ついてた作曲家と一緒だと思ってました。
一部、編集にミスがあったので、修正版を再アップしました。
修正前の動画をご覧くださった方、いいねボタンやコメントを下さった方、
申し訳ございませんでしたm(__)m
この方のゲームはやったことは無いのですが、この方がゲーム作りをやめた後に作った、バスのチケット販売機のシステムは、同じシステムエンジニアとして参考になるものでした。
当時の販売機では画面から購入する金額を選択すると、すぐに次の画面に移動するのが当たり前でした。
この方の作ったは販売機は、購入する金額を選択すると、次の画面に移動する前に、選択した金額のボタンが一瞬引っ込んで見えたそうです。
今では当たり前の動作ですが、当時はこのようなユーザーにわかりやすい作りは意識されていませんでした。
ゲームでユーザインターフェースを作ってきた人は違うなーと感心しましたね。
自分が、好きなゲームは?と聞かれたらまず出てくる作品。
ゲーム制作者というより、アーティストと言ったほうがしっくりくるようなタイプの人だったと記憶しています
彼が存命だったら今のゲーム業界、もしかしたらさらに別分野で活躍していたかもしれないと思うと、本当に惜しいですね。
私自身も学歴については落ちこぼれですが、人それぞれ輝く場所がどこかにあると思わせてくれる人物です。
最晩年に2ちゃんに来ててすごい気さくに裏話語ってくれてたな
『才能は凄いんだろうけど、(今の)自分の好みと合ってる作品が……』
なイメージだったな。
たまに早すぎたと言われるが、むしろ時代に合ってたんじゃないかな…
今の技術を使えばこのくらいのことができちゃうんだよ、というものを見せる人としてしっかりしたポジションを確立できた。今の時代は絶対に遊びやすさが求められるし、最先端の技術を使おうと思えばかなりの人員とお金がいる。
洋ゲーですら遊びやすいからね。
でもこう言う事ができる人は世界に何人もいない。やはり天賦の才があったと思います。
このゲームずっと押し入れにある・見てみる!
飯野賢治さんのTwitterのアカウントが今も存在していますよね。2013年2月17日が最後のツイートになってました。自分は2しか遊んだ事がありませんがとても独特な雰囲気のゲームでした
こんにちは。ゲーム業界のものです。いつもすごく手間のかかった動画、ありがとうございます。いつも言葉にできないくらい感動してみてます。
飯野賢治... SCEとの関係性も含めて、本当にピュアな男だなと思っています。
ラジオも全話まだ持ってて、たまに聞きます。
子供っぽくて見栄っ張りだけど、
色んな人を惹きつける魅力のある人でした。
ラジオで未来を語ってる時には、
その未来に自分がいないとは思わなかったでしょうね…。
残念です。
確かに人を惹きつける方だったように強く感じます。
どんなインタビューでも、
『この記事が世に出る時は過去の自分の発言だ』
という認識をもって答えられてたように思います。
故に鋭角な言葉で発せられてたのでしょう。
もしよろしければ、お持ちのラジオ音声を動画などで公開してもらえないでしょうか。
お願いします。
@@nenchan.
番組の半分は音楽なんでRUclipsそのまま上げられないんすよね…けどアーカイブしたいな
当時普段ゲームしない兄がサターン版を買って来て、凄くのめり込んで遊んでました
ゲームのテンポはちょっとアレかもしれないんですが、演出がとにかく素晴らしくてゲームに引き込まれました
音楽も素晴らしかった
ウルトラマン倶楽部2はシリーズでも比較的評判良かったのですよね。(80が出てくる当時としても激レア作品)一日で辞めた教材屋の話には、契約を取った家庭に後日謝罪に行ったという変な所で筋を通したがるエピソードが好きですね。この後も飯野氏は誰もやらないような筋を通しに行ってしまうのですけど。
ファンだったので、イベントに会いに行ったことがあります。
風のリグレットDC版かD2の頃。もっと彼の作品をプレイしたかった。
飯野賢治ファンだった私には、すごく楽しめました。後半楽しみにしています。
昔、ファミ通か何かで読んだ話
飯野氏が電車に乗っていると「エネミーだ!エネミーだ!」と若い男達から指を刺された。
飯野氏は
「俺は敵か?」
と心の中で言ったそうです。
お疲れ様です。
相変わらずシンプルで分かりやすく、そして動画時間が短く感じられる程の興味深い内容ですね!
Dの食卓をプレイしてみた時は何も分からなくて放り出しましたが、今回また興味を持ちました。
後編も楽しみにしてます!!
5:43 「恐ろしくピュアで、曲がったことが大嫌い」
たとえ周囲から「青い」と言われようと、氏が「自分に正直に信念に従って」
行動していたのは、端から見てもあの当時、十分すぎるほど伝わってきていました。
自分は氏の作品は好きではないし、他者と一緒にプレイした程度ですが、
風のリグレットなど、「ゲームの可能性を広げてくれた」という意味では評価しています。
右を見ても左を見ても、国内を見ても海外を見ても、「進化の袋小路」に達してしまった
現在のゲーム業界を見るにつけ、氏のような異端の才能の喪失を惜しく思いますね・・・。
当時のメディアの空気感として、飯野賢治とマイケルジャクソンはいくら叩いてもいいみたいな風潮がありましたね
改めてゲームへの映画的演出の導入や、一見不親切とも思える文字を排除したUIは
今日に至るゲーム業界へのジャイアントステップになったと思います
気が付けば飯野さんより年上になったか
ご冥福をお祈りいたします
友人の家でプレイして衝撃を受けました
何だぁこのゲームは? と
何もわからない状態から始まり
ローラと供に少しずつ進む面白さがありました
スルメゲーですかね?
後編も(多分中編w)も楽しみにしております
都内の石神井の方の火葬場で、火葬のレーンが偶然、身内の火葬と隣合わせでびっくりした記憶があります。今でも記憶に残るゲームを作っていただいて感謝ですね・・・
まさしく早すぎた天才。
数少ないゲームタイトルしか残ってないが
どれも斬新でしたよね。
なるほど作曲が出来る人だったんだな。それで後にマイケルナイマンにゲーム音楽を依頼するという当時は驚きの行動も...。
ゲームを全くやらない私が飯野さんの名前だけ知っている理由はマイケルナイマンだったりします。
生い立ち等を聞けて良かった。
ううぅ。
クリアしたはずなのに、内容が思い出せない…!
3:23 なっつかしいな!全部面白かったわ。
素晴らしい語りです。
今まで生きてたらとんでもない怪作かつ傑作を幾つも産んでたのかもなぁ
リグレットは名作
ファミ通で連載されていた鈴木みそ先生のおとなのしくみでクロスレビューについて語っていたのが印象的でした。
そんな自分はリアルサウンドが大好きでしたね~
「飯野賢治」といえば、
「時代の寵児」「風雲児」「辣腕家」といったイメージでしたね。あと「金持ちクリエーター」の走りかな(笑)
でも前半生は本当に辛い経験をされてきたのですね。
夭折されてしまったのが、本当に惜しまれます。
飯野さんはサブカルなどへの造詣がとても深くて、深夜ラジオを毎週聞いてました。
当時受けた影響は間違いなく自分のコアになっています。
それだけに突然の訃報を聞いたときはショックでした。あらためて、ご冥福をお祈りします。
これ、どこかのゲームメーカー、例えばカプコンとかがリメイクしてくれないかな?REエンジンとかと相性良さそうなんだけど。
この時代のポリゴンゲーすき
マリアとかガレリアンズとかクロックタワーとか
ゲーム批評は結構彼を押してましたね、別冊で「飯野賢治の本」とか出してたし
ものすごくはっきり物を言う人で相当好き嫌いが分かれるタイプの人でしたね。
自分は割りと好意的に見てて当時はラジオも聞いてました。
ただゲームも相当尖った内容が多くて
いつの間にかひっそり消えていったイメージです。
300万本売れるRPGを作ってるみたいな話してたんですけどね。
初めてエネミー0をプレイしたときの難しさにビックリしたわ。
敵が見えないし音の鳴る間隔と高低で距離と方向を判断して、しかも一定時間チャージしないと撃てない銃(イージーモードで弾数3)で戦うんやもんな。
印象的やったから飯野さんだけはずっと覚えてたわ。
エネミーゼロに関しては若しかしたら作り方次第でバイオを超える様なゲームになったと思うので非常に残念に思います。無二のゲームを作れる人は凄いなと思います。
このゲームの不幸なところは、
先ず予算等の都合により『3DO』というマイナーなハードで出さざるを得なかった事。
そして『PS』というメジャーなハードに移植されたものの、
数ヶ月後に発売された『バイオハザード』と比較され、敬遠される事が多かった事。
実際、個人的に『Dの食卓』は3DOで遊んで結構好きだったんだが、
その頃友人はPSで『バイオハザード』にハマっており、結局『Dの食卓』を勧めてもやってくれなかった。
という経験がある。
単純に比較するものではないが、個人的には『バイオハザードの記憶を消して遊んで欲しい作品』と思っていた。
めっちゃ続きが楽しみです!
ひきこまれました。続篇すぐみます。
いずれ出るであろうサターンミニには是非このDの食卓を収録してほしい。
はじめて遊んだのが中学生の時で、その時に何となくだけど直感的に外国のゲームだと思って遊んでた
他の方の動画でも書いたのですが、(自己認識がどうであれ)飯野氏は紛れもなく天才だったと思います。そして多くの天才は理解されない孤独を感じ孤立しています。
氏は能力も活力もあり状況を打破することができました。才能があったことがはたして幸せだったのかわかりません。ただ晩年はSNSに関心があったとも聞きますし、生きておられたらコメント欄で裏話の1つや2つ書いていたでしょうね。
@@setsuna3155
傍目から見れば十二分に成功していても本人はコンプレックスを抱えているということは珍しくないです。
だからこそ創作を通して癒しを求めるわけです。
@@setsuna3155
>>自分自身がどう感じるか
その通り、そしてそれは天才に限りません。
懐かしい。D食は即買いして「すごいすごい」言いながらプレイしたの覚えてます。才能ある人の早逝は悲しい。
子供の頃はWARPのロゴのスプラッシュ画面でもう既に怖かったんだよなぁ、、、
続きがメッチャ楽しみです。
飯野とは子供の頃、よく一緒にゲーセン行ったな。
あの時代にたった数年でポリゴンゲーム作るって、相当凄いことだ
ゲームはあまり好みではないが、天才の成せる技であることに変わりはない
40代前半で夭折したのはとても悔やまれる
生きていればもっと凄い事を見せてくれただろうに
upありがとうございます。 300万本RPGやリアルサウンド霧のオルゴールをずっと楽しみにしていましたがスーパーワープに業態変更してからあまり情報発信が無くなってそのまま終了してしまったのが残念でした。この人が出てきたあたりから毎週ファミ通を買うのが楽しみでした。(ビッグマウスなことろも笑) 続き楽しみにしています。 ruclips.net/video/wgf96Oo7wc8/видео.html
まわりがプレステ派ばかり、一部のエロ目的がサターン派(いやエロ以外も色々名作もありましたけど)の中、洋ゲー奇ゲーバカゲーがワゴンで投げ売りされまくってる3DOで大満足の日々でした。
3DOのソフトほぼコンプリートしかけてたかもしれません。
自分が次世代のハードに3DOを選んだ決め手は「Dの食卓」と「宇宙生物フロポン君」でした。
今でこそ褒め言葉にもなりませんが、「まるで映画のようなゲーム」と思わずにはいられない新しい時代の幕開けを感じる本作と「フロポン君」を始めとする、「こんなにゲームでふざけていいんだ」と思わされたソフトたち。
この振り幅に当時高校生だった自分は頭がクラクラしてワープという会社にメロメロになりました。
ショートワープというミニゲーム集は今でも宝物です。
動かすハードがないんですけど…
後編、楽しみにしてます!!
ミニゲームが詰まったソフトと3DO持ってました、今は手元に無いですね。譲り渡した記憶はあるけど、誰にあげたのか忘れてしまった。
今生きていればRUclipsrとして大活躍だったのかな
D2の最後がなあ
雪の質感は良かった
昔のトゥナイト2で知ったわぁ〜
子供の頃に飯野さん見た印象はとても怖い人だという印象でした。
人となりを知るととてもナイーブな人だったんだなぁと。
知識を持つことにより大分認識が変わるもんだなぁと。
ローラはゲームのいちキャラでは無く女優として売り出してたんですよね
今思うとときメモの藤崎詩織同様バーチャルアイドルの走りだった様に思います
当時は映像も綺麗で映画を操作してる様な体験が高校生ながら衝撃でした
セガマニアでセガサターンしか持ってなくて 飯野賢治はセガの味方になってくれてたからよく覚えてるわw
太ったアミバとか言われてたなぁ 風のリグレット面白かったけど 目をつぶってやると寝ちゃうという当たり前のリスクが表面化したいいゲームだったわ
俺はエネミーゼロをやって、飯野を見限ったな
このゲーム、セーブとロードに回数制限があるんだよな
これにより無駄に難易度が跳ね上がって、俺はクリアを諦めた
セーブに制限かあるのはまだ許せるが、ロードに制限があるのは許せなかった
ロードデータはユーザーのものであって、作り手か勝手に破棄していいものだとは思わないからだ
だから作り手のエゴに感じた
宇宙生物フロポン君とかOPでパロディしてましたね。
この人、YMOスゲえ好きだったんよね。
逝ったの42だったのか…
もう、抜いちまったよ…
国際フォーラムのD2発表会やら、渋谷パルコのエネミーゼロ 展も行ったな…
この人のべしゃりは好きだったわ。
あの書籍、ゲームも持ってるわ…
自分は素晴らしいゲームデザイナーだと思っていますが、メディアのプロモーションは上手かったけど
ゲーム自体はそこまでヒットせず資金が無くなった辺りから制作が行き詰まったかんじでしたね。面白い方ですが、作品自体はそこまで時代を革新する小島秀夫さん程鋭いアイデアが無かったような。
Dの食卓もエネミーゼロも合わなかったけど、風のリグレットはすごく好きだったな。
初めてこのチャンネルに来ました。
Dの食卓は当時友達がやっていまして、私はやったことありませんが、隣で友達が遊んでいるのを見ているだけでした。
友達はサターン版と、その続編DC版をやってました、とてもハマってましたよ。
そんな友達がドはまりしていたゲームをやらなかったことはとても後悔しているので、次回の後編とても楽しみです。
チャンネル登録させていただきます!。
ゲーム界の風雲児としてメディアに出てた頃まだ20代だったのは驚き
この人のキャラは好きでゲームいろいろプレイしたけど
自分の表現したい事の押し付けが強い感じがして合わなかった
アートじゃなくて娯楽なんだから周りの意見を聞けばもっといい商品になったのでは
この手のゲームは当時怖くて自分でできなかったので有り難い♪🤭
高校中退でも一年で再就職決めてるから凄いなぁ
帰ってきたウルトラマン倶楽部2に深く関わっていたと知って異才なのだと強く感じました。もっと関連作に触れたかった。
触れてくれてたはっはっは(恥)
ED曲は、アーケードのある作品と同一らしいです。
たしか。うろ覚えごめんなさい。
関西(大阪だっけ?)にいる彼女に会うために、月に20万円以上新幹線代に使っていたという話はすっごく覚えてる
散々不親切、と言われていたけどバイオハザード同様 ”不自由な操作が恐怖と緊迫感を増幅する”んですよね わからずにゲーム終了した後、寝ようと横になったときに
「あぁ、、あそこはあぁすればいけるかぁ??」とぼんやり考えて次の日にやってみるというようなことをしてましたね^
痩せてたらイケメンだったろうな。
凄いクリエーターでしたね。
クロックタワー取り上げてほしい
酷評されることが多いエネミーゼロだけど私は好きでした
ノーミス、ノーセーブでクリアできてましたよ
懐かしい
不摂生だけどエネミーゼロまたやりたい
96年だったか?ゲームショウかおもちゃショウの会場で
ワープのブースにてモーコンの神プレイヤーをボーっと
眺めてたら飯野さん本人がブースに現れて驚きました。
なんか存在感というかオーラというか凄かった。
亡くなったニュースを見た時はショックでしたね。
天才能力のある人間ほどうーん汗
現実feeling on my mind
何故か二年位前に自伝読んだなぁ。
そうか・・・飯野さんの年齢にもう追いついちゃうのか。ちょうど10歳上だったんだなぁ
もしまだ御健在だったら続編かキャラゲーか移植ものですらまだマシな方で、
それより遥かに多くのガチャゲーが幅を利かせている今の時代をどう見て、どう思っていたんだろうなぁ
海外インディーズや「判る客」で盛り上がっているsteam・PCゲー市場に希望を見出し、IGA氏や稲船氏の様になっていたのかな・・・
今生きていたらと思うクリエイターの一人だね
一時期ゲームから距離おいちゃった時期が残念
昔、3DOで買ったなあ。
うぽつです
ファミ通で、ゲームレビューで点数をつけるのはクリエイターに対して失礼だと怒って編集長とモメてたな。点数低いとゲームが売れなくなる!クリエイターは死活問題だ!って。それは正論だけど、動画内にあったウルトラマンの件もそうだけど、ゲームに熱意のない製作者のゲームのせいでゲームから離れていくユーザーだっているわけで。みんながみんな飯野さんみたいな信念でゲーム作ってるわけじゃない。だから、やっぱゲームレビューは必要なのかも。・・・ただしファミ通、バーチャロンマーズの時のヤラセレビューは今でも許さん。
鈴木みそ著 ”おとなのしくみ”に詳しいですね。
全然違うタイプかもだけど、昔のホリエモンを連想しちゃったよ。
ロン毛や中退の経験、親との関係が上手くいっていなかったこと、若くして会社を立ち上げたこと、大風呂敷を広げがちなところ、上の人にも物を言うところ。
もしかしてホリエモンは、時代の寵児だった飯野賢治に寄せていた? ・・・なんてね。
ホリエモンは飯野賢治に高学歴を足したらこうなった系ですよね。拗らせまくったらホラレモン。
当時3DOの中古が安かったので買って、
それに合わせてDの食卓を買ってやってました。しかし、子供と一緒にやっていて、子供の感性で不気味さが分かるのか、怖いと言って3DOにかけるのも嫌だと言い始めたので、未だに3DOといっしょに押入れの中に眠ったままです。まだ3DOが作動するようだったら、またやってみたいと思ってます。
冒頭のbgm と0:06から始まるbgm を教えて下さい!
両方ともファミコンのマザーの曲です。
そう言えば、飯野さんのラジオに鈴木慶一さんが来た事もありましたね。
@@dddd-ds1hh ありがとうございます!めちゃめちゃ気になってたので、嬉しいです!
ローラ・・・!
かぐや様の伊井野のモデルだったりして😂
学歴持ってれば潰しは利くけど、あくまでも「潰し」だからなぁ。そういう意味では、成功に学歴は関係ないと思います。
これ誰か飯野さん。WARPの意志を引き継いでリメイクして発売してくれへんかな😢
Dの食卓。エネミーゼロ。😢俺は好きやったな😢もうここはプレステで出すとか!
米国で生を受けていたら大成功していた人だろうね。
学生が作ったデモみたいな代物。なぜこれが評価に値すると思われてるのか謎
メディア露出が多かった頃はロン毛の独特な出で立ちで正直胡散臭そうで尖った作品ばっか作る人だと思ってた
それから何年か経って飯野氏の写真を見かけた際にすっかりスマートになっていて痩せたら凄いイケメンだったんだなと驚いた
しかしそれから程なく病死されてしまった・・・
波乱万丈な人生だったと思うけど時代に名を残した人だと思った
どうか天国でも人々をアッと言わせる色々な事をやらかしていますように・・・
当時面白かったよなぁ〜
最後が衝撃で何回もプレイしたわ
CAPCOMとかで今の映像技術でリメイク出来んのかな?
バイオシリーズ、パラサイトイヴ、FF8、Dの食卓しか最後までプレイしたこと無いけどw
彼の失敗はSONYやHONDAの成功から学ばなかった事だと思う。
彼のようなタイプは経営は人任せにして開発に注ぎこめばよかったのに。
惜しい人をなくしたね。
飯野さん何で亡くなったんやろ?
ポリスノーツも、この人でしたっけ?
俺ずっと飯野さんと聴覚障害と嘘ついてた作曲家と一緒だと思ってました。