ネルケ無方老師に聞く【前編】

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  • Опубликовано: 28 дек 2024

Комментарии • 18

  • @ラッキーと雅
    @ラッキーと雅 Год назад +9

    全てを学び全てを愛すのが生きる喜びであり、此処にそれを伝える住職になられた高貴な異国人は尊敬の念しかありません

  • @坪井文子
    @坪井文子 7 месяцев назад +6

    座禅に対して熱く語るネルケさん、顔が生き生きしてて、美しい。😊

  • @良則栗田
    @良則栗田 Год назад +2

    第2件目、親近感、大阪で50年勤めて、野崎観音で座禅会写経に長年参加ブルーシート大阪城での様子、ツアーの伊丹で手に入れた1冊本からご縁に為りました。瑞応寺の僧侶より安泰寺に訪ねたあと、次の本贈呈された思い出で、益々好きになり子供さんの成長にもシャボンの入浴、雪シーズンの事等?永平寺にも慕古の旅や、今年受戒会へと、毎週松山で座禅会にも参加のじいじです❤️

  • @黒麦酒-x5c
    @黒麦酒-x5c Год назад +6

    なかなか素敵な番組!ありがとうございます!ドイツもそしてインド映画、3ideotsを見てインドでさえも同じ悩みを持ちながら今を生きているのだな、と勉強になりました。みな何もわからず不安に追われて生きてる時代。ネルケ師、英語がお話できたら是非今話題のヨギ、サドグル師と対談してほしい!

  • @koko-ps2kq
    @koko-ps2kq 9 месяцев назад +2

    どういう時代にどういう国にどういう親からどういう人間として産まれるかは自分で選べない。
    でも生きる意味とは何かということだけは、自分自身で探って自分なりの答えを見つけて良い。しかもそれは奥が深くて簡単に見つけられるものではない。その過程が生きるということだと感じる。
    つまり生きる意味が予め定められてない事こそ、それが生きる意味であり、生きる価値であると思う。

  • @misikarita2772
    @misikarita2772 Год назад +5

    この話が一番好きです❤
    久しぶりにネルケ師を見、聴き、落ち着きました。
     今頃は母国に行かれてるんでしょうか?
     猛暑の折、ご自愛ください。

  • @酒井昇
    @酒井昇 9 месяцев назад +1

    偏差値志向が答え合わせに在る。答え合わせに無いのが脱力感が生死漂えば人生達観するまで死なせない力が仏教に在る。

  • @良則栗田
    @良則栗田 Год назад +2

    現在大阪の何処のお寺に住んでるのかな?安泰寺を訪ねたことがあります‼️合掌😃栗田。💮

  • @shinichirowatanabe1485
    @shinichirowatanabe1485 Год назад +5

    これを、仏縁というのですね。

  • @shinichirowatanabe1485
    @shinichirowatanabe1485 Год назад +2

    心身一如は、東洋の大発見ですね。

  • @伊藤純-o6i
    @伊藤純-o6i Год назад +4

    生きる意味は人生を全うする事、全うは共に生きると言う事なぜなら自然は全うしているから、ただそれだけですよ。
    合掌礼拝

  • @山﨑やまさきことみことみ

    『どうせ死ぬのに』
    この一言の重みたるや。
    ご自身に向けてのこと、ソレでも、お辛い。
    さて、このことばを、他人様に向けて容易に?無常なり無常なり。さて、もしかしてご自身?他人様のせいには致しませんが、暗黙の了解と表現致しましょうかソレともほかの表現がありましょうか?自分以外の誰かから『お前、どうせ死ぬのに』と言われたとしたら、ソレをご自身の言葉におきかえて日々自分の生きている意味とは、と、絶え間なく問いただして居られたとしましたら、ひのひかりは心の臓を射る矢の如く、吹く風は立ちはだかり進む道は無いと背を向けている如くソレが父の背中てあれば、母亡きあとの自分の生きていく投影としての将来像すら焦点はぼやけて、日々苦しみでありましょう、と、同じではなくとも、共感する部分は、少なからず、と私の勝手にての解釈ですが。

    • @nm-ls5pc
      @nm-ls5pc Год назад +2

      考えは、無。
      考えている間、呼吸に生かされてる。

    • @山﨑やまさきことみことみ
      @山﨑やまさきことみことみ Год назад +2

      @@nm-ls5pc ニンゲンは考える葦である、ってほうが、私には好まれるように思っております。
      呼吸をする事はマサニそれ生きとし生けるものソノモノにて、植物においてすら呼吸はなされます。
      一説によると植物も、語りかけることで、その語りかけに反応するとも聞いたことは御座います。
      考えること、それ、即ち、生きているからこそ、にて、考える故に悩み、考える故に喜び、考える故に、哀しみ、考える故に怒り、考える故に楽しむことを見つけ、哀しみのドン底から己を瞞していると知りつつしばし穏やかなり若しくは哀切なるも善かったとも思える次第。
      私は、特段の何処かの宗教の法名等を貰うような修行もしてはおりませぬ、単なる俗世で生きる賎しき人間に御座います。が、幸いにも祖父母や父の愛情をうけ育てて貰い、その生き死にに立ち会う中で、いくつかの詳しくもないか経を耳にし経を読んでもみたことはございました。その中には、やはり考える事によるからこそ、それを空と例え、空であるからこそ考える、とも、読めるかのような文言にも出逢いました。
      朝日のもとに、血色よく起き上がったとて、夕べには髑髏になる、儚い無常であることも、この生きている現実の社会であるとは、諸行無常であるとの、経でもない古の文学にもつらつらと、ワカッタフリをしながら学校の試験にすら出てくるものにございました。
      さりとて、自縄自縛の言葉のみ、策に溺れるのも、ニンゲンであると、浅はかにも愚かしくも、それ故に、ドコかしら、愛おしくなることも、少なからず、とは、もうせませぬでしょうか。
      とは言え、程が御座いましょうけど。

  • @isaokuge9403
    @isaokuge9403 5 месяцев назад +2

    ネルケ禅師は大悟したのですかな🎉