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最近、佐々木先生のチャンネルで雨宮先生が、ただ自然に立つ、ただ自然に座る、ただ自然に寝ると仰っていた事と凄く繋がるところがあるなと思いました!
般若の意味合いが怖い御面のイメージだったからなんで?って思ってたのがなんかしっくりきたと言うか腑に落ちた。まんま北川先生聞いてくれてその後に入ってくる感覚が凄い量ですね。多くの問答してなくても解ってて北川先生の最低限の質問で確認してるみたいで多くの会話してお話しする方も自分を確認してるみたいに見えてしまいます。不思議な感覚。
思考も感覚、というのは仏教独特の考え方ですよね。改めて考えると不思議な考え方です
やることを少なくすれば、より、深く見える、、。シンプルですが、沢山大切な教えを頂きました。有難うございます。
私が次に何を考えるかわからないので、やはり思考は外側からきますね。
関係性の話とか調心の話は深くて納得だなあ、和尚さん言語化能力がすごすぎますね。
仏教哲学って面白いし為になるというかちょっとした気づきのような感覚を与えてくれますね。仏教的なメタファー表現は、秀逸なんだろうなという気がします。修行をして「俺がもっと出てくる」というお話、よくわかる気がします。自分の場合は、二十代後半くらいに我流で座禅、瞑想をしていた頃に自我が増長して躁状態になり一気に精神バランス崩壊しました😅凡夫の「日常」に活かせるやり方があり、正しい指導をしてくださる方が身近にいればまたやってみたいな。
個人的な感覚ですが、ちょっと前に、勉強などで「実感」が出てくると効率が落ちることに気づきました。何かやってるけど進んでて、振り返ると効率がよかったと確認できる みたいな状態が今のところベストです。ただ、実感がないということは進む方向が合わないことにもなりかねず、速度と方向の兼ね合いが課題でした。この方向でいいんだという悟りをもって進めるようになりたいと感じました。
これは凄い内容だ。この禅僧は多分合気とか何でもできるのでは?禅の姿勢で突きを打てば相当な重さの突きになる。
魔境と自分では区別できないのが難しいところですね
すごい面白い。昔の剣豪が禅を学んだのはこういう理由か…なんて想像しました。
調いいね をし続けたいです(笑 面白いお話を聞かせていただき、引き出していただきありがとうございます。
武術をしていない自分にも大いに役立つ内容でした。アップありがとうございました🙏
死ぬ前までには藤田さんの元で修行したい。
心が暴走してました。死にたかったんです。物理的な、化学反応的な、電気的なものの総合的なバランスが、自分だと、知識としては知ってたのに。呼吸してたら泣いてしまいました。ありがとうございます(;O;)
めっちゃ面白かった✨一度お話し聞いてみたい✨✨
自分という我が強いのが人ですから、感覚と思考に至るまで、外部からの刺激を無駄に受信しては発信しなきゃとあくせく生き急ぐ。
思考やイメージや感情の感覚器としての脳っていうのはおもしろいですね。感情は身体感覚、内臓感覚でもありますし。感覚に対して、意識に特権を置きがちですから。光と音と同じように、思考やイメージもまた、感覚器としての脳の対象とするのはありですね。繰り返される特定反応としての、思考やイメージに詰まるのが一番やっかいですからね。それを握りこんでしまうとろくなことにならないですね。
悟りを得た人、ブッダは真理の世界に到達したという意味でしたね。法華経には真理の世界は、衆生所遊楽、生きとし生けるものが遊び楽しめる場所であると説かれています。
鳥が愉快に笑ってる😄
何もしてない様にしている時でも、俺という自我主導でいつも何かに抵抗して生活活動しているんですね。
動画を見て、禅って瞑想と似ているなぁと思いました。興味深い話が聴けて面白かったです。
悟りや達人の明確な定義はわかりませんが、少なくとも達人とは多くの人がそう評価しているのなら当てはまると思います👍極致に達したというより、ある一定領域を超えた人はみな達人ではないでしょうかただ少なくとも、匿名で「お前は達人じゃない」とかいちいち言ってくる人たちの中に達人や悟った人は居ないでしょうね笑
無意識に委ねる。意識で自分の身体をすべてコントロールしようとしない。そういう時間を作る。
生存欲求と種の保存。基本的に人間は、生物的な根元的欲求に動かされている。そういう動物の肉体を持つ存在。天地一体心身統一。天から地球の中心に向かって働く力。大地に引っ掛かった状態で抵抗する働き。そういう条件の中で最適な姿勢と立ち振舞いを実現させる、心と身体。解剖学的に、生理学的に、運動科学的に、そして物理学的に。約60兆個もの動物細胞によって構成されている“自分”が、この世界という自然現象の中で、望ましい状態にあるように。細胞のひとつひとつの働きがなるべく、望ましい状態にあるように。興味深く視聴させて頂きました。ありがとうございます。
生活即座禅ですね
元オカルト少年としてはこういうお話大好きです。達人先生方の「体が自然にやってくれるから任せる」系のトピックに触れて感じたのが、「人体標準搭載の自動機能にやってもらう」という発想です。で、ここからがオカルトなんですが、この自動機能って超自然というよりオーバーテクノロジー(人類が未熟なため解明できていないだけで、れっきとした物理作用で動作している)なんじゃないかって感じます。なんでそんなものが搭載されてるのか?やっぱり、現生人類は「真人」が猿を素材として作った亜人種だったのだ!なんつって。
自動化ってのは、そこら辺の単細胞生物(自我が無い)ですら搭載してる機能ですよ人間ほど自我が発達(と言って良いのか分からないけど)していないそこら辺の哺乳類の方が人間よりも全然自動化に体を委ねてる
身体操作も座禅もグルいないと難しいですね、、、
最近、佐々木先生のチャンネルで雨宮先生が、ただ自然に立つ、ただ自然に座る、ただ自然に寝る
と仰っていた事と凄く繋がるところがあるなと思いました!
般若の意味合いが怖い御面のイメージだったからなんで?って思ってたのがなんかしっくりきたと言うか腑に落ちた。まんま北川先生聞いてくれてその後に入ってくる感覚が凄い量ですね。多くの問答してなくても解ってて北川先生の最低限の質問で確認してるみたいで多くの会話してお話しする方も自分を確認してるみたいに見えてしまいます。不思議な感覚。
思考も感覚、というのは仏教独特の考え方ですよね。改めて考えると不思議な考え方です
やることを少なくすれば、より、深く見える、、。シンプルですが、沢山大切な教えを頂きました。有難うございます。
私が次に何を考えるかわからないので、やはり思考は外側からきますね。
関係性の話とか調心の話は深くて納得だなあ、和尚さん言語化能力がすごすぎますね。
仏教哲学って面白いし為になるというかちょっとした気づきのような感覚を与えてくれますね。
仏教的なメタファー表現は、秀逸なんだろうなという気がします。
修行をして「俺がもっと出てくる」というお話、よくわかる気がします。
自分の場合は、二十代後半くらいに我流で座禅、瞑想をしていた頃に自我が増長して躁状態になり一気に精神バランス崩壊しました😅
凡夫の「日常」に活かせるやり方があり、正しい指導をしてくださる方が身近にいればまたやってみたいな。
個人的な感覚ですが、ちょっと前に、勉強などで「実感」が出てくると効率が落ちることに気づきました。何かやってるけど進んでて、振り返ると効率がよかったと確認できる みたいな状態が今のところベストです。ただ、実感がないということは進む方向が合わないことにもなりかねず、速度と方向の兼ね合いが課題でした。この方向でいいんだという悟りをもって進めるようになりたいと感じました。
これは凄い内容だ。この禅僧は多分合気とか何でもできるのでは?禅の姿勢で突きを打てば相当な重さの突きになる。
魔境と自分では区別できないのが難しいところですね
すごい面白い。昔の剣豪が禅を学んだのはこういう理由か…なんて想像しました。
調いいね をし続けたいです(笑 面白いお話を聞かせていただき、引き出していただきありがとうございます。
武術をしていない自分にも大いに役立つ内容でした。アップありがとうございました🙏
死ぬ前までには藤田さんの元で修行したい。
心が暴走してました。死にたかったんです。物理的な、化学反応的な、電気的なものの総合的なバランスが、自分だと、知識としては知ってたのに。呼吸してたら泣いてしまいました。ありがとうございます(;O;)
めっちゃ面白かった✨
一度お話し聞いてみたい✨✨
自分という我が強いのが人ですから、感覚と思考に至るまで、外部からの刺激を無駄に受信しては発信しなきゃとあくせく生き急ぐ。
思考やイメージや感情の感覚器としての脳っていうのはおもしろいですね。
感情は身体感覚、内臓感覚でもありますし。
感覚に対して、意識に特権を置きがちですから。
光と音と同じように、思考やイメージもまた、感覚器としての脳の対象とするのはありですね。繰り返される特定反応としての、思考やイメージに詰まるのが一番やっかいですからね。それを握りこんでしまうとろくなことにならないですね。
悟りを得た人、ブッダは真理の世界に到達したという意味でしたね。法華経には真理の世界は、衆生所遊楽、生きとし生けるものが遊び楽しめる場所であると説かれています。
鳥が愉快に笑ってる😄
何もしてない様にしている時でも、俺という自我主導でいつも何かに抵抗して生活活動しているんですね。
動画を見て、禅って瞑想と似ているなぁと思いました。
興味深い話が聴けて面白かったです。
悟りや達人の明確な定義はわかりませんが、少なくとも達人とは多くの人がそう評価しているのなら当てはまると思います👍
極致に達したというより、ある一定領域を超えた人はみな達人ではないでしょうか
ただ少なくとも、匿名で「お前は達人じゃない」とかいちいち言ってくる人たちの中に達人や悟った人は居ないでしょうね笑
無意識に委ねる。意識で自分の身体をすべてコントロールしようとしない。そういう時間を作る。
生存欲求と種の保存。基本的に人間は、生物的な根元的欲求に動かされている。そういう動物の肉体を持つ存在。
天地一体心身統一。天から地球の中心に向かって働く力。大地に引っ掛かった状態で抵抗する働き。そういう条件の中で最適な姿勢と立ち振舞いを実現させる、心と身体。
解剖学的に、生理学的に、運動科学的に、そして物理学的に。約60兆個もの動物細胞によって構成されている“自分”が、この世界という自然現象の中で、望ましい状態にあるように。
細胞のひとつひとつの働きがなるべく、望ましい状態にあるように。
興味深く視聴させて頂きました。ありがとうございます。
生活即座禅ですね
元オカルト少年としてはこういうお話大好きです。達人先生方の「体が自然にやってくれるから任せる」系のトピックに触れて感じたのが、「人体標準搭載の自動機能にやってもらう」という発想です。で、ここからがオカルトなんですが、この自動機能って超自然というよりオーバーテクノロジー(人類が未熟なため解明できていないだけで、れっきとした物理作用で動作している)なんじゃないかって感じます。なんでそんなものが搭載されてるのか?やっぱり、現生人類は「真人」が猿を素材として作った亜人種だったのだ!なんつって。
自動化ってのは、そこら辺の単細胞生物(自我が無い)ですら搭載してる機能ですよ
人間ほど自我が発達(と言って良いのか分からないけど)していないそこら辺の哺乳類の方が人間よりも全然自動化に体を委ねてる
身体操作も座禅もグルいないと難しいですね、、、