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12:20 「大人のための遊び場」を聞いて、なるほどと思いました。勝ち負けなんかないんですよね。スポーツではあるけど、人生にはない。勝負と言うなら、私は負け組だけど…正直、私らしくいられる。
座禅は、ゲームから降りる事。観音様と、世界に戻って遊びたい、、、。響きます!
総てを手放した後の、真剣な遊戯としての観音業ですね。
ここで師が話されているゲームとか遊びという言葉、比喩の意味を感じ取ってお話を聞くのが良いですね。フリスビーは良い例えですね。フリスビーには勝った負けたは要らない。どんなふうに投げどんなふうに風に運ばれどんなふうに相手に届くか。そしてまた受け取れるか。それが遊び方ですね。そして私たちの生き方全体がひとつのゲームなのだと気づいて遊ぶ(生きる)ことですね。
異文化のバックグラウンドをもつ外国人僧侶ならでは観点が新鮮です。駒沢大学→僧侶→世襲→寺の繁栄は世俗的ゲームという指摘は手厳しいですね。その一方で、禅は「遊び」それも勝ち負けではないフリスビー(他者とのやりとり)だという言葉はとても興味深いです。
世界のなかで遊ぶ生き方ってよいですね。 関係ないですがお寺で落語会、もっとあると嬉しいです。
一服した後、観音様と遊ぶという考えはいいね
もう普通の現代日本人には、観音菩薩も阿弥陀如来も信じられないですからね。
ただの真理記述。ただの真理記述です。仏陀であり、世尊であられる真理勝者の説法によると禅は浮いてくる雑念をひたすら払うという。それによる大きなメリットは 自分自身の思考プロセス が分かってくるということが メリットだと。そして 本来 瞑想というものは 自分自身の内側にある、自己 本来のものを認識する作業であり、その後の総制、そしてデータの入れ替えのプロセスがないのが問題である。とされているただ真理ではまず証知、遮断、現証、修習、のプロセスをもつが何よりも自分の状態をまず知る事が大事であり、ほとんどの人々はここさえできていないと。禅 によってかなりの雑念が、落ちてくると。これはメリットであると仏陀であり世尊であられる真理勝者はおっしゃられた。最後に原始仏典で繰り返し 記載されてること それは喜び 楽しみ 平安 そして全ての幸福 の第1スタートは怠惰でないことから始まると。全ての善、善き事も 全ては怠惰でないことが 出発地点であると。全ての悩み苦しみ 不幸 は 怠惰から出発すると。怠惰というものは 崖から落ちるよりも 毒を飲むよりもひどい結果になる というような記載が仏典にはっきり 記されてる。よってつとめ 励むことが 初めて あり 全てであると。原始仏典。真理教典。仏、世尊の説法。これら より すべて引用 抜粋
12:20 「大人のための遊び場」を聞いて、なるほどと思いました。
勝ち負けなんかないんですよね。
スポーツではあるけど、人生にはない。勝負と言うなら、私は負け組だけど…正直、私らしくいられる。
座禅は、ゲームから降りる事。観音様と、世界に戻って遊びたい、、、。響きます!
総てを手放した後の、真剣な遊戯としての観音業ですね。
ここで師が話されているゲームとか遊びという言葉、比喩の意味を感じ取ってお話を聞くのが良いですね。フリスビーは良い例えですね。フリスビーには勝った負けたは要らない。どんなふうに投げどんなふうに風に運ばれどんなふうに相手に届くか。そしてまた受け取れるか。
それが遊び方ですね。
そして私たちの生き方全体がひとつのゲームなのだと気づいて遊ぶ(生きる)ことですね。
異文化のバックグラウンドをもつ外国人僧侶ならでは観点が新鮮です。駒沢大学→僧侶→世襲→寺の繁栄は世俗的ゲームという指摘は手厳しいですね。その一方で、禅は「遊び」それも勝ち負けではないフリスビー(他者とのやりとり)だという言葉はとても興味深いです。
世界のなかで遊ぶ生き方ってよいですね。 関係ないですがお寺で落語会、もっとあると嬉しいです。
一服した後、観音様と遊ぶという考えはいいね
もう普通の現代日本人には、観音菩薩も阿弥陀如来も信じられないですからね。
ただの真理記述。
ただの真理記述です。
仏陀であり、世尊であられる真理勝者の説法によると
禅は浮いてくる雑念をひたすら払うという。
それによる大きなメリットは 自分自身の思考プロセス が分かってくるということが メリットだと。
そして 本来 瞑想というものは 自分自身の内側にある、
自己 本来のものを認識する作業であり、
その後の総制
、そしてデータの入れ替えのプロセスがないのが問題である。
とされている
ただ真理では
まず証知、遮断、現証、修習、のプロセスをもつが
何よりも自分の状態をまず知る事が大事であり、
ほとんどの人々はここさえできていないと。
禅 によってかなりの雑念が、落ちてくると。
これはメリットであると
仏陀であり世尊であられる真理勝者は
おっしゃられた。
最後に原始仏典で繰り返し 記載されてること それは
喜び 楽しみ 平安 そして全ての幸福 の第1スタートは怠惰でないことから始まると。
全ての善、善き事も 全ては怠惰でないことが 出発地点であると。
全ての悩み苦しみ 不幸 は 怠惰から出発すると。
怠惰というものは 崖から落ちるよりも 毒を飲むよりもひどい結果になる というような記載が仏典にはっきり 記されてる。
よってつとめ 励むことが 初めて あり 全てであると。
原始仏典。
真理教典。
仏、世尊の説法。
これら より すべて引用 抜粋