ジョンレノン44回目の運命の日に送る♪ニューヨークセレナーデ New York Serenade
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- Опубликовано: 17 янв 2025
- ♪ニューヨークセレナーデ New York Serenade(歌ジェニオ、詩曲ジャンモンド)を、ジョンレノン44回目の運命の日に送ります。
1980年12月8日(NY現地時間22時54分、日本時間9日12時54分)の運命の時間まであと1時間、今頃ジョンはNYのRecord Plantスタジオ(321 W 44th St, New York, NY 10036, U.S.A.)にいた。
12月8日の動静を辿ってみた。実際はどうだったのか、どうしてその日だったのか・・・
前日ジョンは理髪店に行き、ビートルズでデビュー前の頃のリーゼント風の髪型にし、黒の革ジャンスタイルに、まるで人生を逆戻りしするかの何かの決意を感じさせる。そして、ジョンだけ全裸でまるで赤子のようにヨーコさんに抱きつくポーズでローリングストーン誌の撮影に応じ、その後、サンフランシスコのFMラジオ局RKOのインタビューを受け、15時半過ぎ、Record Plantスタジオに向かうが、その直前、ハワイ出身の犯人のサインの求めに応じている。
ミキシング作業の後22時50分過ぎ、スタジオからの帰り、ヨーコさんと食事をせず自宅に戻ったが、もしあのまま帰宅せずにレストランに行っていたら。そしてその日はいつものボディガードが休暇でいなく、どうしてノーガードだったのか、誰か付人がいたら・・・
12月8日という日は、幾つもの歴史的な出来事があった日で、お釈迦様が紀元前531年に悟りを開いた日でもあり、真珠湾で開戦の日でもある・・・何か意味があるのではないかと、僕はレコードプラントスタジオからタクシーでダコタハウスまで乗り、セントラルパークでの追悼集会に参加し、追体験してきた。
イマジンサークルでノルウエイから来ていたジョンと似た人と話すと
「ジョンは、翌日サンフランシスコに行き周波数のことで発言する予定だった。ジョンはどうしてもやり遂げたいことがあったんだよ。ところがね・・・」
と証言した。
〜・〜
ドレミファのラ(A)の音の周波数は今440Hzになっていて、ピアノやギターの調律も440Hzを基準にコンサートやレコーディングの現場で使用され、テレビやラジオ、ネットで流れている。しかし440Hzの音は人間にストレスをもたらすという研究結果がある。なぜそんな周波数が世界基準になっているのか?「悪魔の周波数」とも言われる440Hzに気付いた支配者達が、ナチス政府の支援を受け第二次大戦開戦の1939年にBSI(英国規格協会)にA=440Hzを公式に採用させることに成功したから。支配者達は、世界中の人が耳にする音楽で人々を洗脳し、人間がストレスを感じる基準を設けることで世界を牛耳ろうという「人類の奴隷化」が目論見だった。
本来、人々に癒しと生きる力を与え、細胞を修復する周波数はド(C)=528Hzだとされている。この528Hzを持つ代表的な曲が「Imagine」で、ジョンは528Hzの周波数が持つパワーに気付き、この「聖なる周波数」で人々の心を掴んだ。
その影響力に目をつけた支配者達はジョンにA=440Hzの音楽を制作するように圧力をかけるが、ジョンはそれを断固拒否。12月9日にサンフランシスコでのイベントで何らかのメッセージを出そうとしたがその前日ジョンは姿を消した。
ジョンが愛した528Hzの周波数を持つ音楽を作るには、A(ラ音)を444Hzに設定する必要があり、それは「悪魔の周波数」440Hzからの脱却を意味する。「聖なる周波数」528Hzで世界を明るく変えようとしたジョンの存在を脅威に感じた支配者達がジョンを狙った。
〜・〜
ジョンは、死の直前
「世界は狂人によって支配されている。僕らの社会は、馬鹿げた目的のために、呆れた人々によって動かされている」
と喝破していた。
果たして半世紀後の現下の中東やウクライナなどでの戦争を見てジョンは何を思うだろう?
「みんな平和について語るけど、誰もそれを平和的な方法でやってない」
とのジョンの『♪平和を我らに』の歌詞は、予言となって見事に現代世界の矛盾を射抜いている。
今や沈みつつある「地球」という船の上で、愚かにも客室の争奪戦をしている時代は、最早終わらせるべき時に来ている。氷山はすぐ目の前まで迫り沈没は必至。もう戦いや分断している場合ではない。人類共通の敵である気候危機に立ち向かう共同戦線を今すぐ張るべき時に来ている。
「ひとりで見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる」
このジョンの言葉は、理想論ではなく、現実論であり、ヒントでもある。人類は、今こそ目を覚まして、正気になって、損得計算は後回しにし、絶滅危惧種の人類にとって、何が重要なのか、その優先順位を考えるべきだ。未来に向かってアクションに移すべき最後のチャンスを迎えているのだから。
12月8日は、そういう意味で人類全体がその日の意味を考える日でもある。
<1980年12月8日の出来事>
目を覚ますと、セントラルパークには輝くような青空が広がっていた。
明るい目とふさふさのしっぽが印象的な一日だった。- ヨーコ
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レノン夫妻は午前中、『ローリング・ストーン』誌の撮影でアニー・リーボヴィッツと過ごす。
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ジョンは黒いレザージャケットを着て、髪を後ろに流して玄関に来た。不気味なビートルズ・ルックだった。- アニー・リーボヴィッツ
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写真撮影の後、ジョンは RKO ラジオのインタビューを受けるために階下のスタジオワンへ向かった。
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インタビューが終わり、ジョンとヨーコはRKOラジオのスタッフと一緒に写真を撮影。
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ジョンは RKO スタッフの一人にサインをし、ジョンはまた、RKO プロデューサーのために『Double Fantasy』のジャケットにサインした。
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ジョンとヨーコは歩道に出て、ヨーコの次のシングルのミキシング作業のためにレコード・プラントのスタジオに向かうリムジンを待つ。
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ダコタから出てきて、殆ど人がいない入口を眺めながら、ジョンは「私のファンはどこにいるの?」と冗談を言った。
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ジョン、ヨーコ、そして写真家が何枚かの写真に目を通し、リムジンが到着するのを待っていると、ファンが彼らに近づき、ジョンに『ダブル・ファンタジー』のコピーを手渡した。
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見知らぬ男は黙ってアルバムとペンを差し出す。「それにサインしてもいいですか?」ジョンは彼に尋ねる。男は何も言わない。
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ジョンはアルバムにサインして彼に返す。「それでいいですか?」ジョンは尋ねた。男は何も答えず、黙って後ずさりした。
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リムジンをこれ以上待ちたくないジョンとヨーコは、RKO プロデューサーと一緒にスタジオへ向かう。
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ジョンとヨーコはヨーコのシングルのミックスを終え、午後10時30分スタジオを出発。
出発前にジョンはレコードプラントの受付係に最後のサインをする。
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ジョンとヨーコは、軽く食事をするためにレストランに立ち寄ることを一瞬考えましたが、息子におやすみを言うためにまっすぐ家に帰ることにしました。
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午後10時45分、リムジンはダコタに到着。ヨーコが先にリムジンから降り、ジョンがその後を追った。
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ジョンがダコタのアーチ道入り口に入ると、先ほどの奇妙なファンが.38リボルバーから数発を発砲。ジョンは正面の階段でよろめいた。「体が熱い・・・」というのが最後の言葉だったという。
〜・〜
しかし、あの日の結末はマスコミ発表とはいささか違ったのではないかと思えてならない(妄想の範疇で・・・)。実際、ジョンにはお墓もなく、葬式もなかった。
ここから先は想像だが、ジョンは、生死を彷徨った後、蘇り、九死に一生を得て蘇生し、今もどこかで植物状態で祈りの日々を送っているのでは?ある目的があって、姿を隠し、今もどこかで世界平和のために想念しているのでは?いつか医療の進歩で目を覚ます日が来るまで・・・。
これは、「ジョンは永遠の命を持ち生きているはず!」という僕の勝手な願いのイマジンの世界。世界のジョンレノンファンも「生きていて欲しい」と同じ思いではないだろうか。
ジョンによる「音楽革命=ミュージック・レボリューション」は道半ば、今日も続いている。「愛の周波数」C=528Hzに通じるA=444Hzで、ジョンの脳内にあるメロディとワードをモンドを介して世界に発信し続けている。
ジョンは「人は自由に生きていいんだ」と訴え、「平和の大切さ」を拳をあげ叫んだ人だった。社会が当たり前だということを当たり前と思わず、カウンター的な姿勢を大切にし続け、この世を自らの手でよりよいものにしていけるはずというポジティブなイメージを持ち続けた。ジョンレノンがいなかったら僕はきっとこういう活動をやっていなかった。僕はそういう意味でジョンからバトンを受け継いで未来に渡すことで生きている生き物だと思う。
そんな思いでこの曲をNY滞在中に書き、LAの巨匠バンダイクパークス、喜多嶋修の監修で編集・制作した。そして小説『ジョンとヨーコの物語』(上中下三部作)に纏め、ミュージカル『ダディとマザーの軽井沢物語』を公演し、来年『世界連愛四部作〜ジョンとヨーコの物語』として世界公演を目指している。
世界がジョンからのバトンを手にしたら、戦禍も格差も無くなる日がいつか来るはずと信じて・・・
<歌詞>
♪ニューヨークセレナーデ New York Serenade
歌ジェニオ、詩曲ジャンモンド
【1】
愛と共に 歌う明日は あの日 砕けて散った
「愛と平和」に 生きた40年(Forty Years)
12月8日のことだった
メガネに滲んで霞みゆく街
WHY WAS HE SHOT ? どうしてなのか?
IS IT COST OF FREEDOM ? OH NO!
※
New York Serenade ジョンの魂の叫び
New York Serenade 自由の価値を考えよう
New York Central Park 響くジョンのレクイエム
New York Central Park あの空への階段上る
薄れてゆく 意識の中 明日の行方 見つめた
【2】
夢を重ね 紡ぐ明日を 愛に託し 眠った
僕の体の 細胞たちは どこにまた行くのか?
夢がいつか叶うこと 願い 目を閉じた
WHY WAS HE SHOT ? どうしてなのか?
IS IT WORTH OF FREEDOM ? OH NO!
※
la la la la la la
New York Central Park 響くジョンのレクイエム
New York Central Park あの空への階段上る
【転調・アカペラ】
New York Serenade 摩天楼の隙間
New York Central Park この夢 繋げよう
【朗読】
ジョン:全てが終わって また産まれる
ヨーコ:朝日が昇って 今日が始まる
ジョン:君に捧ぐ ミュージックライフ 命をかけて
ヨーコ:愛よ 夢よ 明日を歌おう 子供たちのため
New York Serenade
New York Central Park
We must remain his heart forever
色鮮やかに 時は流れ
愛と夢を歌うよ・・・
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We dedicate to John & Yoko with best regards forever...