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私、豊浜トンネル崩落事故の時、2回目の作戦会議から参加した、陸上自衛隊の災害派遣の現場指揮官でした。約100mの崖の下で厚さ50cm以上あった鉄筋の直径48ミリの鉄筋コンクリートをガンガン割って、その振動で2次崩落が起きたら、下で作業する自衛隊員約50名は生き埋めになるな、死ぬ時はみな一緒だと死を覚悟して作業にあたりました。当時5万トンと言われた崩落した岩盤をどう処理するかが一番の問題でしたが、私が作戦会議の時、爆速が遅い爆破を専門とする業者に依頼して下さい。陸上自衛隊の保有する爆破薬では、爆速が早すぎて、下敷きになっている方々に危害が及ぶと意見を申し上げて、除去方法が決まりました。最初、トンネルの中を直接見た時、約3mあるはずのバスがタイヤのホイールの直径80cm位に潰されていたので、20名の方は生きてはいらっしゃらないかもと思いましたが、医師が現場で判断を下すまでは、全員生きていらっしゃるという前提で行動しなければ、親族の方が納得されないと思い陸上自衛隊の爆速の早い爆薬は使用すべきでないと確信して意見を申し上げました。
当時の状況、詳しく教えて頂きありがとうございます。危険な現場で尽力して下さった方々のご苦労は想像も出来ません。今回、動画を上げた事で色々な方々からコメントを頂きました。それらを取り入れて、再度まとめた動画をつくりたいとも考えております。あの様な事故が二度と起きないように、また、原因はどうあれ、あの現場にいた方々の努力を多くの人に伝えるために。
ありがとうございました!この事故の犠牲者の遺族です。妹の娘が当時中学生になろうという時に事故に合いました。自分はロシアのカニ母船に乗船中で共に居た他社の人から短波放送を聞いていて事故を知ったそうで教えてくれました。自分は霊感が強いというか?CANADAに居た時も従兄が亡くなった時に5,6人の仲間と夕食をとっていたところシャンデリア風の電球がパカパカといって切れました。丁度居住区の裏が十字架のある墓地の見えるところだったのですがあまり気にかけても居ませんでしたが妙に背中がゾクゾクして来て居てそのこと皆に話しました。翌朝、朝食時に日本から電話がかかって来て従兄がなくなりましたとの訃報でした。ロシアの母船でその事故知る前夜の休む前に、同じように電球がパカパカとなって切れました。その翌日にそニュースを知り緊急に無線電話を借り姉のところ連絡したら日本で大ニュースになっているとの事でした。 結局妹の家に行ったのは4月になっていました。救助に携わった人たちには寒い中の賢明なる気苦労の感謝に堪えませんです。ありがとう様でした。
最近、古平に行ってないです。懐かしいです。古平小学校卒業
ですから、同級生とお話ししたいですね。ありがとうございます。
当時、ペーペーながら報道クルーの1人として余市側に居ました。余市側は近くの港の民宿を借り切って対応してましたが、古平側は神恵内から冬閉鎖されていた道道を臨時開通してまわり込んで向かっていたと記憶。余市側は状況が分からず混乱の一方。そして、個人的ながら親戚にこの一帯を走るバス会社の関係者がいたので、当時は気が気ではなかったことを思い出します。
ゾヌさん、探索お疲れ様でした。亡くなられた方、遺族の方も無念で苦痛な思いをされたと思います。また救助作業された方々も二次災害の可能性もある中尽力されてました。この事故は風化させないためにも後世に伝えていかなければならないと思う次第でございます。勇気ある探索ありがとうございます!
その様に仰って頂けると大変有り難いです。願わくば若い世代にも事故と現状を知る助けになればいいなと思ってます。
あの時の事故で巻き込まれたバスの後輪がぺしゃんこになってたのを思い出します。事故の生生さを物語ります。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします
新豊浜トンネルきれいに作られてますね。
1996年での北海道の中で1番悲惨な事故
見本のような溶結凝灰岩の塊で出来た岬ですね。先食いのお話になってしまいますが、ゾヌさんのことだから旧豊浜トンネル坑口に建立された観音様に手を合わせていらっしゃると思います。もう誰も人は来ないだろうと一人静かに佇んでいらっしゃる観音様と事故に遭われた皆様にどうか「寂しくないよ」とお伝え下さいませ。
観音様、意外に小さかったんですよね。なんとなく大きなイメージがあったのですが。優しく微笑んでおられました。静かに手を合わせてきました。
ダイナマイトで岩盤を爆破した模様をテレビ中継で観ていました。
ニュースで事故の映像を見た時は唖然となりましたね。あんな巨大な岩が崩落するなんて、信じられませんでした。この事故の7年前に起きた福井県の越前海岸でのトンネル崩落事故でもバスに乗っていた15人全員が亡くなっていますね😢😢
豊浜トンネルは古平の豊浜トンネルと乙部の豊浜トンネルがありますね。その豊浜トンネル2つとも崩落事故があったそうです。古平のは岩盤崩落事故ですが乙部のは山津波(土砂崩れ)の事故でした。
なにか因果なものを感じてしまいますよね・・乙部町の方は冬に訪れたのですが、やはり雪の中では状況が伝わりにくいと思い、夏場に再訪して動画をお届けしたいと考えております。
ここは若い頃に古平側の景色好きでよくドライブで来ました、本当にテレビを見て愕然としました、旧道も迂回路で通りましたが古平側から余市側にぬけるのに大渋滞で4~5時間は掛かったと記憶しております。
あれだけの区間に数時間とはえらいこっちゃですね・・竜仙洞を通る事が出来たとはちょっと羨ましい。
この目で見てみたいという気持ち、大切だと思います
ありがとうございます。
NHKの生中継映像が心霊映像になってました。岩が太陽光線の角度の関係で苦しむ人の顔に見えていたんです。恐ろしい映像でした。
事故前にはそのトンネル上部にはシミがそう見えても居たのも事実です…・・よくその道路、トンネルを通って見ていましたから。事故を思い出したら必ず念仏を唱えるようにしております・・・・・
セタカムイ岩を迂回したなんて、スゴイ。
ご覧の通りそこまで難しくはなかったのです。
搬出されたバスの車体が高さ数十cmしかなかったニュース映像は忘れられません。ご冥福をお祈り申し上げます…
あの事故の時、入院していたので逐一テレビでニュースを見ていました。同じ道内で起きたことで本当に怖かったし、何度も通ったこともあったので。
また懐かしいネタが出てますね初代セタカムイトンネルは、新しい鉄板で塞がれたのは、確か2014年前後だったかな?それまでは、錆びて腐った鉄板だったので、簡単に外れて出入り自由でしたw余市側坑口も、2/3はセタカムイ大崩落で埋まってましたが、気の利いた方がスコップ残してくれたので、出入りは簡単でしたよ撤去されてなかったら、トンネル内には磯舟があると思います
やってますなぁ(笑)でもセタカムイの大崩落の状況を見ると隧道内を通るなんておそろしや。もし死ぬにしても外を見ながら死にたい、なんつって。
現在は防災記念公園と慰霊碑がある場所はフェンスが出来て通常なら降りて行けませんよね?崩落事故前の夏に家族でドライブの途中にここに立ち寄り、ゴツゴツの海岸で遊んだことがあります。トンネルの名前も岩の名前も知りませんでした。ある日事故の映像を見ていて変わった形の岩に気が付きました。セタカムイ岩です。遊んだ時の写真が残っていて思い出したんです。もう遊ぶ事もないでしょうけど、もしかしたら自分らが事故に巻き込まれていた可能性もあったのではと今でも思います。近くには親戚宅があり、事故当時は炊き出しのお手伝いをしたそうです。隧道などは波の音しか聞こえませんが、それがかえって恐怖を感じさせます。
あと数分、数秒ずれていたら助かったかもしれないし、逆に巻き込まれていたかもしれないと、あそこをよく通る方は皆思ったのでしょうね。落石も多い場所の様ですし海岸に近づくのはやめた方が良いでしょう。
岩盤崩落時の救出作業ので際に爆破で砕けた岩盤が顔に見え怖い印象が当時ありました。
色々な方が顔の事を書いておられますね。私は幼く、よく覚えていませんが、何かが見えたのは確かなのでしょう。
我古平に生まれ、育ちました!事故前のトンネルの少し手前の方の上部にはシミが出来ていて何度か見ていて気味が悪いので視なくなっていたことがあります。1部の人達のうわさになっていた事があります。長年雨水がたまって来ていて浸食されてつぶれたものと思っております。我の妹の娘が中学生になろうとしていた矢先の事故遭遇者になりました。自分の娘と同様に可愛がっておりいつも軽いその娘を抱き上げてタカイタカイをしていました……
教え子が犠牲になった同僚、発破をかけた友人の会社、駆けつけたレスキュー隊員だった妹の彼、それぞれから聞いた現場の状況は世間様に伝えれるものではありませんでした。
事故で犠牲になった方、あの様な場所で対応にあたられた方々、想像すると大変でしたねと言う言葉すら容易に口には出せません。
元々海外伝いの道が昭和末期まで途切れ途切れの状態で、船でしか行けないような集落すらあったと聞きます。そこにトンネルで道を繋げたのは良いですが、当時の技術では崩落まで防げなかったのは仕方ないです。
雄冬岬などはそんな集落ばかりだった様ですね。技術的、費用的にもまず道路が出来る事が最優先で安全性はある程度目をつぶるしかなかったのでしょうね。
我小学5年生ころまでは古平港から余市まで定期船で行った記憶があります。
44ヤマグチさんは、ボートとドローン使ってましたよね!ゾノさん凄いけど、何かあったら命の危険があるじゃないですか‼️命を大切に!
大事故の現場にお邪魔するからにはそれなりのリスクは代償であると思ってます。
北海道の海沿いの道は見るものがいっぱいあるなぁ
いっぱいあるんですよね~見ようとするとそれなりに危険ですが。
あのとき自分は20代半ばで、当時放送されていたラジオ「日高晤郎ショー」で入るニュースのたび遅々とした状況がアナウンスされ、番組が終わる夕方になっても改善しない状況に、日高さんも最後まで悲痛なコメントをしているのをカーラジオで聞いていた記憶がありますバスも乗用車(たしか青いハイラックスサーフ?)もペシャンコで、バス乗客に高校生が多く乗車していたのも余計痛ましく、記憶に残る事故でしたあのように圧倒的な質量が自分の上にのしかかると思うとゾッとしますゾヌ様の動画、いつも楽しみにしていますがご自愛くださいヘタレな位で十分以上なんですから。
私は小学生でしたが巨岩がトンネルを押し潰しているあの映像は鮮烈に焼き付いております。あと数秒ずれていたら巻き込まれなかったかもしれないと思うとあまりに不運。私も今回は大丈夫でしたが、落石にでも当たって命を落としたら犠牲者が眠る現場を汚してしまいますね。気をつけます。
古平に来たのであれば稲倉石鉱山も行ってはいかがでしょうか??
鉱山跡も手を出したい気持ちはありますが道が決まってる廃道より遭難とかのリスクが高そうですよね。正直方向音痴のケがあるもので・・
パート2が配信されたので、急ぎこちらを拝見しました(笑)。導入編かと思いきや、既にアドベンチャーに突っ込んでる!
そりゃあもうそこがウリですから。
旧旧セタカムイ隧道が開通する前は、余市山道という山道で使われていたそうです。
古平の町史などを読むと山道時代の苦労や道路建設までの経緯がこれでもかと書いてありますね。
非常電話がダイヤル式だとまずくないですか?!私かけ方わかりません
そうかあ・・子供の頃は黒電話だったから分かります
今はダイヤル式ないからね
このトンネル事故はなんとなく覚えています。悲しい😖💦事故でしたね! 遺族の方々の悲痛なコメントをニュースで観ていた記憶があります(ToT) それにしても凄い装備ですね(^^)v ゾヌさんの一年がかりの執念を感じました❗️パート2もよろしくです☘️ ありがとうございます🌷
小学生だった当時はトンネルが崩れたんだぐらいにしか思っていなかったのですが、後にとても恐ろしい事故だった事を知って関心が高まったんですよね。ある意味でひとつの区切りになった探索でした。
顔みたいに見えるいわだらけでしたね。 事件から約30 年ほど経ちますが。事故に遭った方へのご冥福をお祈りするとともに、このような事件事故が起こらないように日本政府は対策を怠らないようにして欲しいと思います
旧旧セタカムイ隧道ルートは大崩壊して本来の坑口じゃないところから鉄板をこじ開けて入るというなかなかブッ飛んだルートです。今は行けませんが。セタカムイ隧道の崩壊があったし、この何年か前に小山野隧道が崩壊してるし、小規模な崩落は何回もあったし、ちょっと開発局の対応が不適切だったのでは、と思いますね。技術的な制約もあったでしょうが、太島内トンネルの旧道にあるような補強や岩盤を爆破したり、石部海上橋のような橋を掛けるなり、それなりの対策をしてれば良かったと思いますね。
現場を見て、さらに色々調べると開発局の不手際は否めないとは感じています。また、直前の異変の時点で通行止めが出来ていれば・・太島内トンネルの補強構造物はとんでもないなぁと現場でびっくりしました。それでも周囲には落石がありましたが・・
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 都市伝説めいた話ですが、岩盤が落下する前に小規模な崩落があり、たまたま通った人が通行止にしていた所、警察が余計なことはするな、といって通行止を無理矢理解除させたそうです。さらに、その話はテレビで一回放送されたきり触れられることは無かったとか...
@@電話の金融マルフク公式 それが実話なら・・誠に残念な話ですね・・・もし通行止めをやめさせた警察官がいるとしたらどんな気持ちで過ごしているのか・・
あの事故(事件と言っていいでしょうね。)の時は自分は高校生でした。犠牲になった方々数名も高校生…つまり、同い年…他人事ではない事態に生還を祈っていました。あれからもう20年以上経ったのですね。せめて、遺族の方々がいつでも手を合わせられる様に現場までの道を確保してほしいと思ったのは俺だけでしょうか?
私は小学生だったので事故の重大さをよく認識していませんでした。後年、調べて戦慄した次第です。まさか現場に行くとは考えていませんでしたが・・道の確保は・・難しいかもしれませんね。岩質も悪いみたいだし。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 今の慰霊碑になってからは“せめて現場に”という想いがあったのではないでしょうか…また現場に行く機会がありましたら、皆の想いを観音像に込めてくださいます様、お願いいたします。また、今後の活動にも言えますが、気をつけて探索してください。
非常電話はダイヤル式で受話器を持ち上げてから操作する仕組みですが、平成以降ダイヤル式電話機がほとんど使われなくなり、公衆電話で受話器を上げてから操作をする動作を経験したことのない人が増えていることを考えると、若者世代が非常時にこれらのデバイスをスムーズに使えるものだろうかと少しばかり不安になります。
ゾヌ様お疲れ様でした。ここの事件は、太田トンネルや雷電海岸線をはじめ北海道の道路に大きな影響をもたらしたと思います。現在では海上からしか見ることは叶わず、事件を風化させない為にもやはり地上からここを訪れる事は重要かと思います。PartⅡ以降もお待ちするとともに、遠くから犠牲者の方々に黙祷いたします。
色々なところで陸からは行けないと書かれていたので身構えていたのですが、実際やってみてアレ?と言う感じでした。勿論安全とは言いがたいですが・・元は自分自身の興味ですが、若い世代が事故を知る助けになればいいなとも思っております。
2012年の笹子トンネル事故を思い出します!オオクワガタ採集に行く時に通ってました!12月に幼虫採集する予定でした!高速道路代ケチって甲州街道使いました!助かったけど気持ち悪いので10年以上採集に行ってませんよ!
なに押してんねん ボタンバチ当たるでぴえん(;_;)
1996年?それよりも全然前でしたよ。
私、豊浜トンネル崩落事故の時、2回目の作戦会議から参加した、陸上自衛隊の災害派遣の現場指揮官でした。約100mの崖の下で厚さ50cm以上あった鉄筋の直径48ミリの鉄筋コンクリートをガンガン割って、その振動で2次崩落が起きたら、下で作業する自衛隊員約50名は生き埋めになるな、死ぬ時はみな一緒だと死を覚悟して作業にあたりました。当時5万トンと言われた崩落した岩盤をどう処理するかが一番の問題でしたが、私が作戦会議の時、爆速が遅い爆破を専門とする業者に依頼して下さい。陸上自衛隊の保有する爆破薬では、爆速が早すぎて、下敷きになっている方々に危害が及ぶと意見を申し上げて、除去方法が決まりました。最初、トンネルの中を直接見た時、約3mあるはずのバスがタイヤのホイールの直径80cm位に潰されていたので、20名の方は生きてはいらっしゃらないかもと思いましたが、医師が現場で判断を下すまでは、全員生きていらっしゃるという前提で行動しなければ、親族の方が納得されないと思い陸上自衛隊の爆速の早い爆薬は使用すべきでないと確信して意見を申し上げました。
当時の状況、詳しく教えて頂きありがとうございます。危険な現場で尽力して下さった方々のご苦労は想像も出来ません。
今回、動画を上げた事で色々な方々からコメントを頂きました。それらを取り入れて、再度まとめた動画をつくりたいとも考えております。
あの様な事故が二度と起きないように、また、原因はどうあれ、あの現場にいた方々の努力を多くの人に伝えるために。
ありがとうございました!
この事故の犠牲者の遺族です。
妹の娘が当時中学生になろうという時に事故に合いました。
自分はロシアのカニ母船に乗船中で共に居た他社の人から短波放送を聞いていて事故を知ったそうで教えてくれました。
自分は霊感が強いというか?CANADAに居た時も従兄が亡くなった時に5,6人の仲間と夕食をとっていたところシャンデリア風の電球がパカパカといって切れました。
丁度居住区の裏が十字架のある墓地の見えるところだったのですがあまり気にかけても居ませんでしたが妙に背中がゾクゾクして来て居てそのこと皆に話しました。
翌朝、朝食時に日本から電話がかかって来て従兄がなくなりましたとの訃報でした。
ロシアの母船でその事故知る前夜の休む前に、同じように電球がパカパカとなって切れました。
その翌日にそニュースを知り緊急に無線電話を借り姉のところ連絡したら日本で大ニュースに
なっているとの事でした。 結局妹の家に行ったのは4月になっていました。
救助に携わった人たちには寒い中の賢明なる気苦労の感謝に堪えませんです。
ありがとう様でした。
最近、古平に行ってないです。懐かしいです。古平小学校卒業
ですから、同級生とお話ししたいですね。ありがとうございます。
当時、ペーペーながら報道クルーの1人として余市側に居ました。余市側は近くの港の民宿を借り切って対応してましたが、古平側は神恵内から冬閉鎖されていた道道を臨時開通してまわり込んで向かっていたと記憶。余市側は状況が分からず混乱の一方。そして、個人的ながら親戚にこの一帯を走るバス会社の関係者がいたので、当時は気が気ではなかったことを思い出します。
ゾヌさん、探索お疲れ様でした。
亡くなられた方、遺族の方も無念で苦痛な思いをされたと思います。
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この事故は風化させないためにも後世に伝えていかなければならないと思う次第でございます。勇気ある探索ありがとうございます!
その様に仰って頂けると大変有り難いです。
願わくば若い世代にも事故と現状を知る助けになればいいなと思ってます。
あの時の事故で巻き込まれたバスの後輪がぺしゃんこになってたのを思い出します。事故の生生さを物語ります。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします
新豊浜トンネルきれいに作られてますね。
1996年での北海道の中で1番悲惨な事故
見本のような溶結凝灰岩の塊で出来た岬ですね。
先食いのお話になってしまいますが、ゾヌさんのことだから旧豊浜トンネル坑口に建立された観音様に手を合わせていらっしゃると思います。
もう誰も人は来ないだろうと一人静かに佇んでいらっしゃる観音様と事故に遭われた皆様にどうか「寂しくないよ」とお伝え下さいませ。
観音様、意外に小さかったんですよね。なんとなく大きなイメージがあったのですが。優しく微笑んでおられました。静かに手を合わせてきました。
ダイナマイトで岩盤を爆破した模様をテレビ中継で観ていました。
ニュースで事故の映像を見た時は唖然となりましたね。あんな巨大な岩が崩落するなんて、信じられませんでした。この事故の7年前に起きた福井県の越前海岸でのトンネル崩落事故でもバスに乗っていた15人全員が亡くなっていますね😢😢
豊浜トンネルは
古平の豊浜トンネルと
乙部の豊浜トンネルが
ありますね。その豊浜トンネル2つ
とも崩落事故があったそうです。
古平のは岩盤崩落事故ですが
乙部のは山津波(土砂崩れ)
の事故でした。
なにか因果なものを感じてしまいますよね・・
乙部町の方は冬に訪れたのですが、やはり雪の中では状況が伝わりにくいと思い、夏場に再訪して動画をお届けしたいと考えております。
ここは若い頃に古平側の景色好きでよくドライブで来ました、本当にテレビを見て愕然としました、旧道も迂回路で通りましたが古平側から余市側にぬけるのに大渋滞で4~5時間は掛かったと記憶しております。
あれだけの区間に数時間とはえらいこっちゃですね・・
竜仙洞を通る事が出来たとはちょっと羨ましい。
この目で見てみたいという気持ち、大切だと思います
ありがとうございます。
NHKの生中継映像が心霊映像になってました。岩が太陽光線の角度の関係で苦しむ人の顔に見えていたんです。恐ろしい映像でした。
事故前にはそのトンネル上部にはシミがそう見えても居たのも事実です…・・
よくその道路、トンネルを通って見ていましたから。
事故を思い出したら必ず念仏を唱えるようにしております・・・・・
セタカムイ岩を迂回したなんて、スゴイ。
ご覧の通りそこまで難しくはなかったのです。
搬出されたバスの車体が高さ数十cmしかなかったニュース映像は忘れられません。
ご冥福をお祈り申し上げます…
あの事故の時、入院していたので逐一テレビでニュースを見ていました。同じ道内で起きたことで本当に怖かったし、何度も通ったこともあったので。
また懐かしいネタが出てますね
初代セタカムイトンネルは、新しい鉄板で塞がれたのは、確か2014年前後だったかな?
それまでは、錆びて腐った鉄板だったので、簡単に外れて出入り自由でしたw
余市側坑口も、2/3はセタカムイ大崩落で埋まってましたが、気の利いた方がスコップ残してくれたので、出入りは簡単でしたよ
撤去されてなかったら、トンネル内には磯舟があると思います
やってますなぁ(笑)
でもセタカムイの大崩落の状況を見ると隧道内を通るなんておそろしや。もし死ぬにしても外を見ながら死にたい、なんつって。
現在は防災記念公園と慰霊碑がある場所はフェンスが出来て通常なら降りて行けませんよね?崩落事故前の夏に家族でドライブの途中にここに立ち寄り、ゴツゴツの海岸で遊んだことがあります。トンネルの名前も岩の名前も知りませんでした。ある日事故の映像を見ていて変わった形の岩に気が付きました。セタカムイ岩です。遊んだ時の写真が残っていて思い出したんです。もう遊ぶ事もないでしょうけど、もしかしたら自分らが事故に巻き込まれていた可能性もあったのではと今でも思います。近くには親戚宅があり、事故当時は炊き出しのお手伝いをしたそうです。
隧道などは波の音しか聞こえませんが、それがかえって恐怖を感じさせます。
あと数分、数秒ずれていたら助かったかもしれないし、逆に巻き込まれていたかもしれないと、あそこをよく通る方は皆思ったのでしょうね。落石も多い場所の様ですし海岸に近づくのはやめた方が良いでしょう。
岩盤崩落時の救出作業ので際に
爆破で砕けた岩盤が顔に見え怖い
印象が当時ありました。
色々な方が顔の事を書いておられますね。
私は幼く、よく覚えていませんが、何かが見えたのは確かなのでしょう。
我古平に生まれ、育ちました!
事故前のトンネルの少し手前の方の上部にはシミが出来ていて何度か見ていて気味が悪いので
視なくなっていたことがあります。
1部の人達のうわさになっていた事があります。
長年雨水がたまって来ていて浸食されてつぶれたものと思っております。
我の妹の娘が中学生になろうとしていた矢先の事故遭遇者になりました。
自分の娘と同様に可愛がっておりいつも軽いその娘を抱き上げてタカイタカイをしていました……
教え子が犠牲になった同僚、
発破をかけた友人の会社、
駆けつけたレスキュー隊員だった妹の彼、
それぞれから聞いた現場の状況は世間様に伝えれるものではありませんでした。
事故で犠牲になった方、あの様な場所で対応にあたられた方々、想像すると大変でしたねと言う言葉すら容易に口には出せません。
元々海外伝いの道が昭和末期まで途切れ途切れの状態で、
船でしか行けないような集落すらあったと聞きます。
そこにトンネルで道を繋げたのは良いですが、当時の技術では崩落まで防げなかったのは仕方ないです。
雄冬岬などはそんな集落ばかりだった様ですね。
技術的、費用的にもまず道路が出来る事が最優先で安全性はある程度目をつぶるしかなかったのでしょうね。
我小学5年生ころまでは古平港から余市まで定期船で行った記憶があります。
44ヤマグチさんは、ボートとドローン使ってましたよね!ゾノさん凄いけど、何かあったら命の危険があるじゃないですか‼️命を大切に!
大事故の現場にお邪魔するからにはそれなりのリスクは代償であると思ってます。
北海道の海沿いの道は見るものがいっぱいあるなぁ
いっぱいあるんですよね~見ようとするとそれなりに危険ですが。
あのとき自分は20代半ばで、当時放送されていたラジオ「日高晤郎ショー」で入るニュースのたび遅々とした状況がアナウンスされ、番組が終わる夕方になっても改善しない状況に、日高さんも最後まで悲痛なコメントをしているのをカーラジオで聞いていた記憶があります
バスも乗用車(たしか青いハイラックスサーフ?)もペシャンコで、バス乗客に高校生が多く乗車していたのも余計痛ましく、記憶に残る事故でした
あのように圧倒的な質量が自分の上にのしかかると思うとゾッとします
ゾヌ様の動画、いつも楽しみにしていますがご自愛ください
ヘタレな位で十分以上なんですから。
私は小学生でしたが巨岩がトンネルを押し潰しているあの映像は鮮烈に焼き付いております。あと数秒ずれていたら巻き込まれなかったかもしれないと思うとあまりに不運。
私も今回は大丈夫でしたが、落石にでも当たって命を落としたら犠牲者が眠る現場を汚してしまいますね。気をつけます。
古平に来たのであれば稲倉石鉱山も行ってはいかがでしょうか??
鉱山跡も手を出したい気持ちはありますが道が決まってる廃道より遭難とかのリスクが高そうですよね。正直方向音痴のケがあるもので・・
パート2が配信されたので、急ぎこちらを拝見しました(笑)。
導入編かと思いきや、既にアドベンチャーに突っ込んでる!
そりゃあもうそこがウリですから。
旧旧セタカムイ隧道が開通する前は、余市山道という山道で使われていたそうです。
古平の町史などを読むと山道時代の苦労や道路建設までの経緯がこれでもかと書いてありますね。
非常電話がダイヤル式だとまずくないですか?!私かけ方わかりません
そうかあ・・子供の頃は黒電話だったから分かります
今はダイヤル式ないからね
このトンネル事故はなんとなく覚えています。悲しい😖💦事故でしたね! 遺族の方々の悲痛なコメントをニュースで観ていた記憶があります(ToT) それにしても凄い装備ですね(^^)v ゾヌさんの一年がかりの執念を感じました❗️パート2もよろしくです☘️ ありがとうございます🌷
小学生だった当時はトンネルが崩れたんだぐらいにしか思っていなかったのですが、後にとても恐ろしい事故だった事を知って関心が高まったんですよね。
ある意味でひとつの区切りになった探索でした。
顔みたいに見えるいわだらけでしたね。 事件から約30 年ほど経ちますが。事故に遭った方へのご冥福をお祈りするとともに、このような事件事故が起こらないように日本政府は対策を怠らないようにして欲しいと思います
旧旧セタカムイ隧道ルートは大崩壊して本来の坑口じゃないところから鉄板をこじ開けて入るというなかなかブッ飛んだルートです。今は行けませんが。
セタカムイ隧道の崩壊があったし、この何年か前に小山野隧道が崩壊してるし、小規模な崩落は何回もあったし、ちょっと開発局の対応が不適切だったのでは、と思いますね。技術的な制約もあったでしょうが、太島内トンネルの旧道にあるような補強や岩盤を爆破したり、石部海上橋のような橋を掛けるなり、それなりの対策をしてれば良かったと思いますね。
現場を見て、さらに色々調べると開発局の不手際は否めないとは感じています。また、直前の異変の時点で通行止めが出来ていれば・・
太島内トンネルの補強構造物はとんでもないなぁと現場でびっくりしました。それでも周囲には落石がありましたが・・
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 都市伝説めいた話ですが、岩盤が落下する前に小規模な崩落があり、たまたま通った人が通行止にしていた所、警察が余計なことはするな、といって通行止を無理矢理解除させたそうです。さらに、その話はテレビで一回放送されたきり触れられることは無かったとか...
@@電話の金融マルフク公式
それが実話なら・・誠に残念な話ですね・・・もし通行止めをやめさせた警察官がいるとしたらどんな気持ちで過ごしているのか・・
あの事故(事件と言っていいでしょうね。)の時は自分は高校生でした。犠牲になった方々数名も高校生…つまり、同い年…他人事ではない事態に生還を祈っていました。あれからもう20年以上経ったのですね。せめて、遺族の方々がいつでも手を合わせられる様に現場までの道を確保してほしいと思ったのは俺だけでしょうか?
私は小学生だったので事故の重大さをよく認識していませんでした。
後年、調べて戦慄した次第です。まさか現場に行くとは考えていませんでしたが・・
道の確保は・・難しいかもしれませんね。岩質も悪いみたいだし。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 今の慰霊碑になってからは“せめて現場に”という想いがあったのではないでしょうか…また現場に行く機会がありましたら、皆の想いを観音像に込めてくださいます様、お願いいたします。また、今後の活動にも言えますが、気をつけて探索してください。
非常電話はダイヤル式で受話器を持ち上げてから操作する仕組みですが、平成以降ダイヤル式電話機がほとんど使われなくなり、公衆電話で受話器を上げてから操作をする動作を経験したことのない人が増えていることを考えると、若者世代が非常時にこれらのデバイスをスムーズに使えるものだろうかと少しばかり不安になります。
ゾヌ様お疲れ様でした。ここの事件は、太田トンネルや雷電海岸線をはじめ北海道の道路に大きな影響をもたらしたと思います。現在では海上からしか見ることは叶わず、事件を風化させない為にもやはり地上からここを訪れる事は重要かと思います。PartⅡ以降もお待ちするとともに、遠くから犠牲者の方々に黙祷いたします。
色々なところで陸からは行けないと書かれていたので身構えていたのですが、実際やってみてアレ?と言う感じでした。勿論安全とは言いがたいですが・・
元は自分自身の興味ですが、若い世代が事故を知る助けになればいいなとも思っております。
2012年の笹子トンネル事故を思い出します!オオクワガタ採集に行く時に通ってました!12月に幼虫採集する予定でした!高速道路代ケチって甲州街道使いました!助かったけど気持ち悪いので10年以上採集に行ってませんよ!
なに押してんねん ボタン
バチ当たるで
ぴえん(;_;)
1996年?
それよりも全然前でしたよ。