@@decoponism 『フェルマーの最終定理、正しくは「 x, y, z が連続した自然数のとき」という条件はついておらず』 これは私も見た瞬間に気付きました。まあ本筋じゃないのでツッコミませんでしたけどね。 連続した自然数という条件だと厳し過ぎて成り立たないのは自明です。 もしこのような予想だったら証明は簡単だったでしょうね。
「古池“や” 蛙とびこむ 水の音…」 主語の抹殺とは全主体化とも言えますね。短歌(恋歌)から俳句への進化命題(自意識の超克)でしょうか。 英語にもこんなイディオムが― “all in all is all we all are……“ ニルヴァーナ/all apologiesですね。 ケン・ローチの“I,Daniel Blake”もイイ感じです。
英語でも He is broad of shoulder,narrow of hip. (彼は肩が広く、腰がしまっている) It is very kind of you to help me!(手伝ってくれるなんて、あなた、とても親切ね) のように "of" で「主格補語」みたいなのをとる文章があります。 日本語は決して特殊ではないけど英語とは違う方向に突き詰めた言語ととらえることができますね。
40年近く前に「象は鼻が長い」読みました。そのとき「は」と「が」の役割が違うことを知り大変感動したことを覚えています。「こそ」と「けれ」との関係でみると「は」は「である(だ)」と係ると認識しました。 現在日英技術翻訳の仕事をしていますが、元の日本語が「象は鼻が長い」的な文章にしばしば出会います。「は」で提示した枠は「である」でとじられるとして、その枠の中に「が」で導かれる要素を、関係節的に入れることにより解決しています。An elephant is (an animal) whose nose is long. と解釈するようにしています。その意味では、「象は鼻が長い」はそのあとに「動物である」が省略されている構造とも考えられます。 久しぶりに三上さんの話を聞けて良かったです。
【追記】
本動画で参考にした『日本語に主語はいらない』ですが、一部内容に問題があるようで、本動画にも誤りが含まれてしまいました。申し訳ございません。
本件については、こちらの動画で言及しています。
ruclips.net/video/9QWgnPhAh0s/видео.html
また、誤りについては下記の記事に丁寧にまとまっていますので、こちらをご覧ください。
dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579
【さらに追記】
このスレッド含め何人もの方が指摘してくださっていますが、フェルマーの最終定理はx,y,zが連続している必要はありません。
この動画がRUclipsにオススメされたので、私は確か2021年5月辺りに1度拝見しました。しかし「この動画では冒頭に主語の定義がないよ~」「主語はやっぱり必要だよ~」などと反発して動画の途中で見るのを止めたクチです。日が経って改めてオススメされたので見たところ、私のその意見が変わることはありませんでしたが、最後まで楽しく拝見することができました。
お詫び的な別の動画が新たに出ていて、そこで『日本語に主語はいらない』という本が紹介されており、私はその本を初めて知りました。その本のタイトルをもじって私なりに答えを出すなら『日本語に主語は居る』としたいと思います。
動画とてもおもしろく拝見しました。
本題にあまり関係ない点ですが、フェルマーの最終定理について言及してる箇所の間違いが気になったのでコメントさせてください。フェルマーの最終定理、正しくは「 x, y, z が連続した自然数のとき」という条件はついておらず、「3以上の自然数nについて、x, y, z をどんな自然数にとっても x^n + y^n =z^n が成り立たない」という主張です。
ところで、数学では「定理」というのは基本的には証明がされた命題のことを指し、正しいと思われるが正しいことが証明できていない命題は「予想」と呼ばれます。フェルマーの最終定理はフェルマー自身が証明を見つけたと主張していて、今となってはそれが事実かどうか確認する術もないので、歴史的にそう呼ばれていますが、ワイルズが証明を与えるまでは誰も証明を持っていなかったので、「フェルマーの予想」と呼ばれることもあります。
少し込み入った歴史的経緯を書くと、フェルマー自身も実質的に n = 4 の場合の証明は持っていたようです(これは記録が残っています)。n = 4の場合を除けば、n が 2 以外の素数の場合に帰着されるのですが、n = 3 の場合もn = 4の場合と近い議論で比較的簡単に証明されます(それでも中々大変ですが)。n = 5, 7 については個別の証明が発見されましたが、それ以降しばらく目立った進展がありませんでした。19世紀になって、クンマーが登場すると大発展がありました。クンマーは円分体の整数論の深い考察を行い、多くの n の場合を一気に証明しました。クンマーの証明は、n がある仮定を満たすときに フェルマーの定理が正しいことを証明したもので、具体的に n が与えられればその n がクンマーの仮定を満たすかどうかは計算でチェックできます。ただ素数は無限にあり、そのうちどれだけが仮定を満たすかはまだ分かっていません。ある数学者はおよそ 60%くらいの素数がその仮定を満たすという予想を立てています。ただ、革新的だったクンマーの新理論をもってしても、全ての n の場合の証明はできず、そこからワイルズの完全な解決に至るまでにさらに100年以上の年月と、整数論の圧倒的な発展が必要でした。
ワイルズによって証明された現在、結果的に証明に必要だった数学の深さを考えると、ほとんどの専門家は、(仮に別の証明方法があったとしても)一人でそこまで理論を発展させることは到底出来ないだろうからフェルマー自身は証明を持っていなかったに違いない(例えば、証明に論理的なギャップがあったが、出来たと勘違いしていた)と考えています。一方、見た目のシンプルさからは想像がつかないほどフェルマーの定理が本質的に難しかったため、多くの数学者が証明に挑戦する課程で、現代数学を支える重要な発見が色々生まれました。フェルマーの最終定理の主張自体もさることながら、個人的には研究の過程で得られた実りはそれ以上のものだったと思います。
@@decoponism
『フェルマーの最終定理、正しくは「 x, y, z が連続した自然数のとき」という条件はついておらず』
これは私も見た瞬間に気付きました。まあ本筋じゃないのでツッコミませんでしたけどね。
連続した自然数という条件だと厳し過ぎて成り立たないのは自明です。
もしこのような予想だったら証明は簡単だったでしょうね。
枕草子の文体ってそう言うことだったんですね
堀元さんの相槌は好感がもてる
って書き込んで送信しようとしたら象は鼻が長いと同じ構造になっていて送信するまで数分謎に考えた。
外国人に日本語を教える時、「は」はtopic markerと教えるそうです。これを知ったとき『日本語に主語はいらない』で読んだ内容を思い出して、納得感がありました。主語を教える意義は、古文の話もありましたが英語を教えるときくらいかなと思ってます。
は が topic marker で、
が は subject marker というらしいですね。
学者のプライドが学問の進歩を阻害する、って事例は各学会にありそうですね。
三上さんの学説が発表後に主流に成らずとも世に出た事で色んな人が利用する機会を得たのは幸いだ…、って思いました。
全くの偶然から見つけたこの番組。日本語教師をしている私には、この回と「象は鼻が長い」の回がとても気持ちよく入ってきました。なので疑問詞には「が」がつく。「は」ではない。主題を聞いているのではないから。お二人の呼吸も素晴らしいです!これからも、楽しみにしています。
「答えが確実に合ってると分かっているのに、途中式がない証明問題が大量に残されている。解かずにいられるわけがない」
子供の頃に出会っていたら言語学者になろうとしてたかもしれないほどワクワクする言葉でした。とても面白かったです。
1週間前のコメに失礼
権威を求めるのでなければ今からでもなれますよ
@@keiji6688 私はもう他にやりたいことを見つけているので、そちらで手一杯です。権威には特に興味ないですが、出会う順番が違ったらそちらの道に進んでいたかもしれませんね。
@@bar_anbar なるほど。全力でやりたいことがあるのは充実した素敵な人生ですね!私はまだこれというのが決まらないので羨ましいです。慮外ながら理想的な生き方の1つされてる方として応援してます!
まさにロマンですね。
こんなにカッコいい返しが出来る人になりたい(笑)
dnnで表現するのが合理的、というのが現代的な考え方なんじゃないかな。
実際に機械翻訳が実用レベルになりつつあるのは「文法」を捨てたからで、良く出される例だけど、画像の犬と猫をどう区別するか、を膨大な規則を書き連ねたコードで(仮に可能だとしても)表現しようと思わないでしょう?
イタリア語が動詞が活用されるから主語が省略される…というところ、古典文学で主語が省略される理由にとても似ていると思いました。つまり、敬語表現によって主題を浮かび上がらせるために主語がいらない。このことから、日本語において主題はあっても主語はなかったということ、それから敬語表現が発達したということも、なんとなく納得できるような気がいたしました。
中学国語の文法が謎すぎて先生に質問した時、「これも一説を勉強してるだけだから、他の考え方もあるんだよ」と教えていただいた意味がわかりました。
あと、個人的には学校文法やってたおかげで英語の勉強がしやすかったです。
それは良い先生ですね(*^^*)
私もそんな素敵なことがサラッと言えるようになりたいです☺
英語、教えています。経験上 言えることですが、日本語の文法が理解できている生徒は英語の習得が早いです。
現代国語で文法用語を理解してなかったら、英語文法や古典文法は沼ったと思う。
たしかになあ。本好きだったので文章読解には不便を感じたことないけどその分文法の勉強を軽視してて、古文も英語も苦手でしたw
分裂文で理論をこねくり回して説明していたものが主語抹殺論で簡潔に説明できたの、天動説と地動説での惑星の動きの話に似てるなあと思ったら同じ話出てきてちょっとうれしくなった
論理的にも直感的にも三上のほうがしっくり来るのに、学校教育と英語学習の2つの刷り込みでむしろ従来の考え方のほうが直感的にしっくり来る感覚もあるの面白い。
「古典を学ぶときには学校文法がいい」っていうのは、古典が漢文の影響を強く受けているからでしょうね。それこそ漢文は主語と述語がはっきりしてますし。
「言語側には持ち出さないでいただきたい、あいまいの良さもある」って言う水野さん。言語学への愛。熱い!
日本語だと、夏に外出ていきなり「あっつ!(暑い!)」とか冬に「さむっ!(寒い!)」とか、一言でその瞬間に感じたことを叫べるけど、英語だと "It's so hot!" とちゃんと(?)一文にしないと呟くことすらできないなーってずっと思ってました。(痛っ!だけ例外的に Ouch! がある)
三上文法の枠組みでは「暑い!」とかが日本語の形容詞文の一番単純な形なんだと思うとすごくスッキリ理解できるんですね!一方、英語だと形式上主語が必須になる、と。
元プログラマの英語教員で哲学も専攻していた社会科学者の私にとっては前回の動画と合わせて興奮の神回でした。
英語教員は片手間なのですが、対象は日本語を母語とする学生なので、「は」をこれだけ攻略できたことで相当視界が開けました!
英語は英語の、日本語は日本語の独立した理屈があるので、その理屈もひっくるめてその言語で考えないと理解できないのですが、その両者を繋ぐミッシングリングのひとつが「は」である、という大きな気づきを得られました。
元PGとしては、ここでグローバル変数を持ち出されたこともかなりツボでした!
ただしプログラミングと言語学と語学教員と哲学と…全ての分野に通してそれをぶっ刺して初めてその面白さがわかるのかな?とも思いましたが、だからこそ個人的にはいいフックになりました。
ヒエログリフの話も「なるほど!」です。あれ、要するに「漢字仮名交じり」みたいなものなんですね?「命の鍵」の文字もルクソールの遺跡で見たことがありますのでこれまたストンと落ちました。三上学説だけでも目から鱗がボロボロ落ちたのに、本動画後半はさらなる興奮の連続でした!学生にも紹介したいと思います。
良かったですね。
「日本語はスコープが広い。プログラマ的には気に入らない。」言い得て妙ですね。日本語の曖昧さ、即ちバグの起こりやすさを見事に言い当ててるし、それ以降のお二人の会話もとても面白いです。
お客様にメールで説明するとき、誤解が生じないような文章を書こうとすると、英文を直訳したようなへんちくりんな日本語になりがちです。
一読して意味が通じ、解釈に余地がなく、冗長すぎない日本語を書くのは、プログラミングと同じくらい難しいです。
なるほど。"は"は、まさにプログラムでいう所のスコープですね。1度定義すればスコープ内で再定義しないですもんね。
むしろ、「は」によってスコープが決定されるから、論理的であると思いますね。動画のお二人方の会話にあった複数の「は」は、入れ子状にしているってことですから、そのスコープを超えてはいかず、次の「は」が現れるまで有効なわけです。そう考えると、日本語って物凄く論理的で構造的な言語に見えてきます。
@@Sola.No.17 私はオブジェクト指向の省略可能なthis変数を思い浮かべましたね。
学生時代マジックザギャザリングをやっているときに翻訳家の方が日本語はカードゲームのテキストに向かないとこぼしていたのを思い出しました
実際に日本産のトレーディングカードゲームである遊戯王はプレイヤー間で数々の論争を巻き起こしそのカードテキストは親しみをこめて「コンマイ語」と揶揄されています
日本語の懐の深さ(と販売元のノウハウのなさ)の一端を感じられますね…
@@Sola.No.17
確かに。「は」はスコープにあたりますよね。
むしろ「が」はプログラミングで言うと同じ行にしか対応しないわけで、英語のように全ての文に主語の定義(「が」)が必要となると、スコープの概念すらないとても効率の悪いプログラムになりそうです。
趣味でタイ語を勉強しているのですが、タイ語でも「象は鼻が長い」みたいな文がよく出てきます。学習書ではほとんど説明されないでスルーされるのですが、「主題の提示」という考え方をすると非常に分かりやすくなりますね。
主語が要らないは、留学生が日本語は普段の会話ならすごく短い単語レベルで話せて便利って話していたのを思い出した
「行った?(疑問」
「行った(同意」
みたいな
三上さんが高校の数学教師って知って、余計かっこよさがました。
国語と数学って、概念的に繋がっている様に思う。
言語学ガチ勢にプログラミング言語の話題を提示するのは興味深かった
「なでしこ」って日本語のように書けるプログラミング言語があるのですが、それでは「AはB」といった形で「は」を使ってローカル変数を定義しますね。「なでしこ」でも主題みたいな感じがするので、面白いなぁと思いました。
僕は15年前に自然言語処理というアルゴリズムの教授に三上文法を習いました。未だに尊敬しています
コメント欄がこんなに面白いチャンネルも珍しい。
いろんな人の様々な意見、考察を楽しませて貰っています。
「説明すればするほどわかりにくくなる」の分かり味深い。
「より詳細な説明を」が無意識で「より特定できる情報を」になって、ニッチで伝わらない用法が口に出てきてしまうんよねw
主語述語が分かってると、翻訳したり翻訳文読んだりするときにフレームとしてなかなか強力なので、そういう利便性はありそう。(近代ではそういった需要が今よりあっただろうし)
主語述語を勉強したときの、なんかしっくりこない感覚、英語を教わったときの、主語の何様感など、いくつもの謎が鱗が落ちるようにクリアになりました。日本語はメインが文末にあるのになぜ誰もそう言わない、と学校教育から感じていたところです。
ただ、その後に異言語である英語を学ぶ時の橋渡しにはなっている気がします。学生時代には文法的な理解が学習の助けになっていた覚えがあるので。
雑学として、大人になってから「こういう考え方もあるんだよ」と知るのもまた楽しいですしね。
「は」は他と区別する係助詞って習いましたが、同じグループに「も」「こそ」がありますね。「も」は主題を追加、「こそ」はそれが一番の主題と考えれば整理されますね。
なるほど
前回と併せて1時間があっという間に溶けた……
元々この手の話は好きだったけど、どうやら自分は言語学に興味があるらしいってことにこの動画のおかげで気付けて嬉しい。
三上文法面白いから本買って読んでみようかな。
ちなみに、プログラミング言語は「if (Object.isEmpty)」(もしオブジェクトが空ならば)って風に
文章として成立させるのがベストとされる世界だから、言語に近い数式って感じかもしれない。
ふとおすすめに出たからのぞいてみたら30分が一瞬でした
細やかな知識と分かりやすい説明、心地の良い合いの手と質問
脱線する内容にも知的好奇心がくすぐられます
ほんとうに素晴らしい動画です
自然言語の話をしてるときにプログラミング言語の話を持ってきたのはビックリしましたが、
同じ1人のエンジニアとして「は」はグローバル変数、ってめちゃくちゃ的確な例えだな!と思いました!
6:45 副詞と考えると、語順はどうでもいいというのも解決して、個人的にすごくすっきり!
太郎が家でピザを作っている
家でピザを太郎が作っている
確かに!すごく納得した。
私は、旧帝大の言語学科を1980年代に卒業してます。大学時代に、三上章式の日本語文法の講義を受けました。確か、言語学科の学生の必須科目でした。「中学・高校ででたらめな文法を教えられたわ。」と思ったのを覚えています。
今日、この動画で三上章が高校の数学の教師だったという話を聞いて、衝撃を受けました。絶対、東大あたりの大学の偉い先生だと思い込んでましたが、でも考えてみたら、いまだに中学・高校の文法が三上式にならないのは、そうじゃないからなんだな・・・。
それでも、ちゃんと大学で三上文法が教えられていた例もあるとお伝えしたくて、コメントしました。
多くの求学者の為ではなく己れの欲望と地位を守る権威権益者は"学びの園"に於いては全く不要ですね👎
学説を検証すらしないというのは本当に駄目ですね
英語(他国言語)との比較で日本語を浮き彫りにする手法はとても大切だと思いますが
それを盲信して日本語固有の特徴を解体して当てはめるのは文化破壊と言っても過言ではないと思います
上の文章、三上文法に当てはめると『手法』が主題になるんでしょうかね?
普段何気なく使っている日本語の完全な説明が存在しない、というのはすごく不思議で勉強になりました
30:42絵文字で会話する。
世界一短い手紙のこと思い出した。
ユゴーが『レ・ミゼラブル』の売れ行き知りたくて編集者に「?」と手紙を送り、編集者が「!」(つまり「驚くべき売れ行き」)とだけ書いて返送した。
お二人はもちろんコメ欄も賢い人ばっかりやろう
でもたぶん全ては理解できてないあろう高卒とかの私が聞いても面白い話と思ったからなんかすごい
29:04 プログラム言語の話を聞いて、水野さんが「へぇ~」を三回言った。とっても貴重。
日本語文から英文を作るときにいつも感じていた違和感が
この動画のおかげで全て解決しました。
本当にすごい。
ありがとうございます。
主語の「は」はSubjectにするのではなく、As to~とやったり
According to 〇〇's opinion, とやったり、It is 〇〇 that~ とやったり
とにかく主語として英語に訳すとニュアンスが違ってくるような違和感を感じていました。
副詞節か何かにしてから、日本語の文にない何らかの主語を創出するというこの手間暇。
英語と日本語を高低で測ってみれば、英語が「低」で、日本語が「高」ですよね。
どれだけ言わなくていいって言うのは、ね。
情報が少なくても伝わる。文脈に任せる。それが日本語。
一方、「I」とか「YOU」を、たくさん言いましょう。いちいちはっきりさせないと、すごくわかりにくい。
「すごくわかりにくい」→何が「すごく分かりにくい」?日本語を勉強中の英語話者(初心者)なら、ピンとこないはず!
「これは」とか「これが」などありませんので。上記の文章には。
日本語が母語であるのなら、分かってくれたのかな。いったい何がすごく分かりにくいかを。
それこそ私は、教えるときに、かならず助詞にくっついた形で教えていますよ。
「日本語は主語を省略する」
ここに主語を必要とする言語を中心に据えた考えが住みついていることに, 言われて初めて気がついた
ビジネス英語講師+字幕翻訳もやっている者ですが、この動画の「日本語に元々主語という概念がないんだ」という説、とても納得の行く話でした。日本語を英訳するに一番苦労するのはまず主語が見当たらず翻訳者が考えないといけないが、いまいち分からないケースが多い。主語がないとおっしゃる通り動詞の活用出来ないので文が作れない。ずっと主語は存在しているが、「省略されている」と理解していたが、これは必ずしも正しくないと分かりました。英語の生徒さんも日本語の感覚で主語なしで英文を構成しようとするケースもあり、敢えて生徒さんに「主語は何か」と尋ねても困る方々が多い。主語の意識がとても薄い。
締め括りに引き合いに出したフェルマーの最終定理で、
数学が本来のフィールドの三上章が言語学に興味を持ち出したのがなんとなく納得できた
確かに!!
おもしろ!なんとなーく見た動画で、こんなに引き込まれるとは思わなかった!
グローバル変数の例えは素晴らしいと思いました。
プログラミングにおけるグローバル変数と文法(日常会話も含む)における誤解・誤謬を生みやすい日本語の主語の立ち位置の議論がオーバーラップする感じ。
言語学を学んだ趣味プログラマーとして、今回の話題に終始興奮しました
ところで、日本語で記述できるプログラミング言語というのもありまして、それで書くとかなり自然言語に近いコード(即ち文章)が出来上がるので面白いですよ
前回と今回はいわゆる神回ですね!最後の水野さんのメッセージに、胸が熱くなりました!
誰も証明できない問題が大量に残されていて、でも、誰もが答えは合ってると言えるからこそ、研究しがいがあるという、言語学の面白さ。
動画を見ながら終始大興奮でした!!
面白い!!
『中学生だったらよかった❗️』と思った。こんなに楽しい国語の時間は無かった。日本語が70歳になって楽しい‼️と…私は思った。
ありがとうございました❣️🌏
このチャンネルの悪いところは動画を見ながらコメントを読むことができないことです。笑
動画に集中しないと分からなくなっちゃうから、面白いコメントに気を取られては動画を戻すを繰り返してしまいます。
あと、コメントをするときに、この日本語は正しいのか?と不安になってしまうのもちょっとした悩みです。来日20年を超えて、日本語に悩むことが少なくなっていたので、とてもいい刺激です。
ありがとうございます。
日本語は助詞で言葉の意味が変わるので、語順にとらわれない言語だなぁ…くらいは思っていたんですが、「一番言いたいこと」以外は全部あってもなくてもよいオプションという発想のもとに形成されていると考えると、なるほどなぁと納得しました。英語のように語順で言葉の意味が変わると、主語とか目的語とかぜんぶ必要で省略できないですもんね。
7:13の「河童だ!」「河童ってあんまり言わないか…」の流れがツボです。真剣な話をしてる最中に頭の中に河童が浮かんでたのかよ!と思うと
研究対象をしっかり学んだ人から出ない発想ってありますよね。歴史上だと、数学者が他の分野をつまみ食いして賞を取るってのは頻繁にありますし、研究分野に対する理解とは別に、自分の中にある発想をはっきりと取り出す力みたいなのが学者として成功する要素なのかもしれない。
@@pirononnA どちらかというと、頭いい人は何でもできる的な身も蓋もない意味でしたね。
思い浮かべてたのはジョン・ナッシュっていうノーベル経済学賞とった数学者でしたが、ここまで露骨なのは軽く調べた感じあまり居なさそう。
私の恩師は心理学教授だったのですが、経済学でノーベル賞もらいました。ダニエルカネマン。
はい!私はプログラマやってます。
最初の方から日本語の仕様書が曖昧な理由はこれか!
と興味深く見てましたが、正にそんな展開になりましたね。
気をつけるべき点がわかりました。勉強になりました。
私も金谷先生の本読みました。目から鱗が落ちました。「は」は文を超えて影響を与えるスーパー助詞だということでしたね。長年の疑問が氷解してうれしかったです。
今回も楽しかったです。
五文型のSVOOで思い出しましたが、また日本語学をやる際には「やりもらい(あげる・もらう・くれる)」に触れていただけたら嬉しいです(日本語教師時代のトラウマw)
DJフラさん、いつも見てくださってありがとうございます~!!
「やりもらい」、日本語教師のトラウマなんですね!笑
大変興味深いので今度雑談回で扱わせていただきます~!アップはだいぶ先になりそうですが、気長にお待ち下さい!!(堀元)
堀本さんは本当に良い聞き手ですね~
「音の無い言語はあまり無い」(28:00)と言ってすぐに「手話とか有りますけど」と付け加えられるのが凄すぎる
「あまり」と言ってるので、必ずしも0ではないと分かってもらいたいんだけど。
三上文法の話はなんとなくしっていて、うんうんすごいな〜と思って聞いていましたが、プログラミング言語のところから最後の言語学とはまで後半の話が面白すぎて最高でした。ありがとうございます。
三上文法、しっくりきました!言語はその言語を話す人たちの精神、思想にも影響を(相互に)与えていると思うので日本人的思想の説明もできそうです。
三上章説ものすごい納得。
日本語教える人に評判がいいのもなんとなくわかる。
メッセージっていう映画で言語を習得することはその文化や概念を習得することと同じ、みたいな話があったけどそれと通じるものを感じた。
急にグローバル変数の話が出てきたの笑った。
関数をまたいで使える変数が便利なのめちゃくちゃわかる。
逆にグローバル変数に対応できてない言語ってものすごい制約受けながらがんばって言葉作ってるんだなって思った。
”プログラマの夫に「買い物にいって牛乳を1つ買ってきて。卵があったら6つお願い」と言ったら、夫は牛乳を6パック買ってきた。”というジョークがありますが、これはスコープの問題ということになるのでしょうか。
日本語には助数詞も接続詞もあるのに、めんどくさがって使わない方も悪い。
→買い物にいって。牛乳を1本買ってきて。それと、卵があったら(6個入/10個入パックを6個/バラ売りを探して6個)のをお願い。
ああ、私には「卵があったら6つお願い」はどれのことだかわからないよ。
その例でいくとプログラマの方がスコープを広くとってるってことになりますね
牛乳は一つ買ってきて、○○スーパーで売ってる青いパックの1Lのにして、卵があったら・・・・
ならばスコープの問題ですが、最初の例では牛乳のスコープは範囲は最初の一文で終わっています。
ですからスコープの問題ではありません。
オブジェクト・引数を省略した場合のデフォルト処理を誤ってた結果のバグです。
牛乳をn個買う
n=1
if 卵がある: n=6
みたいな考えをしたのか笑
普通は「牛乳は1個買う。卵は6個買う(無ければ買わない)」と受け取るのを、
プログラマ(機械)だと
if (egg.onSale) {
milk = 6;
} else {
milk = 1;
}
と受け取ってしまうっていう皮肉のジョークだから、スコープの話はまた別問題な気がするなぁ。
説明は難しいけど…。
(追記)
ちなみにこのジョーク、原文は英語だから日本語の文法で考えるのはあまり意味が無いかと……。
コメントの情報もすごく有益な内容です!
最近日本語学系RUclipsr熱くて嬉しいんだ😊
一つ前の動画を見てた時から、「グローバル変数みたいだなー」と思ってたので、話題に出してもらって嬉しかったです!
興味ある動画にブチ当たりました。 ありがとうございます。 私は、以前、外国人に日本語を教えていました。 三上さんの本も30年以上前に読んだことがあります。 でも、三上さんは、元々専門家ではなかったのですね、また、彼の理論は、結構無視されているとかなどは、知りませんでした(忘れていたかも)。 さて、日本人にとって、日本語にない概念である英語の”a"や”the"を付ける付けないなどは、私にとって最も難しい英文法だと思っています。 例えば、It"s a pityは、aをつけますが、It"s fun.は、要りませんね。
同じように、日本語では、”は”と”が”の文章は、海外の初心学習者が直面する最初で最大の難問であると、私は常々考えておりました。 この動画では、三上さんの説で、外国人にその違いを説明しやすくなったと言っていますが、日本語の能力のあまりない人たちにどのようにして説明しているのか、非常に興味があります。 もし、ご存知でしたら、ぜひ教えていただきたいものです。 ただ、今回の動画を見てて、また、私なりにちょっと、こんな理屈を考えてもみました。
たとえば、よく使われるものですが、昔ばなしなどでは、”むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、いました。 おじいさんは、山へ芝刈りにーーー。”などとよくあります。 ここでは、最初は、”が”が、使われますね。 もし、主題でいけるなら、最初から、”おじいさんとおばあさんは、いました”で良いように思えますが、日本語としてはおかしいですよね。
でも、この場合、物語の極最初であるので、おじいさんおばあさんに主題を与えることは不可能。 ですので、”むかしむかし(には)、あるところに(は)、おじいさんがいました。”のようにどちらかに(は、には)を付けた想定文が、我々の脳内にあるのではないのか、と? 次の文からは、おじいさんたちの概念は、私達の頭の中にあるので、主題として言及できるから、”は”なのか? そんなことを思ったりしました。 それから、”吾輩は、猫である。”は、最初から自分のことであるので、”は”がOKなのかな、とも?
別の例では、”雨が降っている”と”雨は降っている”の違いは、どこにあるのか? 先の”雨が降っている”では、その前提として、”{今は)雨が降っている”のように(今は)などという単語が省略されていると想定され、あとの文では、”雨”自体に主題、つまり文の中心の内容が提示されている、と説明していいのか?
なんか、そんなことを考えていたら、少々難題だけれども、外国人に説明できそうな気もしてきましたが、やはり簡潔に初心者にでもわかり易くとは、言えないような? やはり、英語の”a"などの件と同じで、根本的な文法が違う言語間では、その辺の根源的な文法事項の説明は、非常に難しいものなのでしょうか? 良かったらご教授ください、お願いします。
おもしろい&かっこいい!
アンポンタンなので、かしこい方の会話を聞いているだけで
静かなエクスタシーを感じてしまう。
しかし、最後の言語学の魅力を語るところは
カッコよすぎでした。
非常に面白かったです。言語とプログラミング言語の違いについてお二人のご意見とこれまでの動画を踏まえて考えてみました。長文ですみません。
非常に直感的ですが、プログラミング言語とは、パロールが伴わない言語体系なのではと思います。
プログラミング言語もラングとしての特徴は概ね持っているように思います。一方、プログラミング言語における言語使用は文法的に正しい使用法に限られ、パロールの範疇である言い間違い等はプログラミング言語では誤作動が生じたり処理が中断したりというエラーが生じるため許容されません。
例えば二人の人間が自然言語を用いて会話をしていて、一方が言い間違いをしても、その受け手は正しい内容を類推することができます。二人の人間がプログラミング言語を用いて会話していても、同様の類推はしうると思います。しかし、これはそのプログラミング言語の体系では本来生じ得ない挙動なはずです。
パロールが伴わない言語体系とは、すなわち文法上の過ちが生じると正常に作動しない(そして、この誤作動がその体系において正しい)言語体系なのではと思います。水野さんが言ったようにもしプログラマー同士がプログラミング言語で会話をしたとしても、例えば一方のプログラマーの言い間違いをもう一人のプログラマーが気づいて本来言いたかったことを類推するような会話が行われた場合、元の言語体系とは異なった挙動をしてしまうことになります。これは同一の言語における話し言葉と書き言葉の違いの範疇を超えており、元の言語と同じ言語と呼んではいけないのではと思いますが、いかがでしょうか。
プログラミングの専門家でも言語学の専門家でもないので、間違っていたらすみません。
30:10 意味と音をとっている文字と音だけとっている文字を混ぜて使っている言語知ってる!
たしか日本語っていうんだよね!
日本語喋れる外人の友達が
「だれはかちましたか?」
って言った時に「ん?」って思った気持ちが解決しました。
三上さんて数学者だったんですね。
それでこんなロジカルでスッキリする文法を思いついたような気がします。
英語は結果(目的?)が最初にきて、日本語は最後にくると言いますが、三上文法だとその最後から説明できるんで、そういう意味では英語と同じなんですね。
以下余談
主題はプログラム言語で言うと(実際の運用的に)メンバ変数のような気がします。
そしてプログラム言語はコンピュータが使う言語(マシン語)を人間が見やすいように変換してるだけなので、コンピュータ同士なら会話していると言えますよー
しゃべってるだけの 番組は 直ぐに止める事が
多いのですが、
この内容の面白さで 前編に続き最後まで見て
しまいました。
言語学に対する 見方がかわりました。
面白い! に。
5:38 主語が決まらないと動詞の活用が決まらないから
目からうろこですわ!
これは英語では三単現だけだから気付きにくい。
イタリア語やると、よく分かるよ。
@@mandelbrotsugee 動詞の活用から主語がわかるから主語が省略されるスペイン語もめちゃ腑に落ちます。
イタリア語がどうかわからないですけど
男性が使う動詞と女性が使う単語が違う国とか主語がないと決まらないから省略されないのか、逆にその単語から主語が分かるから省略されるのかとかいろんな外国語はどうなんだろうとかも気になりますね。
とても面白い動画に出会えてラッキー😃💕
「動詞で主語がわかるから省略」で思い出した。「源氏物語では主語は省略されているが、どの動詞が使われているかで主語がわかる。」と高校で習ったことを。
プログラミングの視点だと、データの整理手法としてある「オブジェクト指向設計」などが主題に近いように感じました。
オブジェクト(クラス)は決めた役割の範囲に責任をもつように製作するので、その名前(クラス名)が主題となり、
そのオブジェクトが持つ子要素の名前(変数や関数名)は主題(オブジェクトの状態)を引き継いでいる。
(次の主題が登場したら次のオブジェクトになる)
近年になって注目されているドメイン駆動設計の視点でもこれは同じことが言えそうですかね。
お二人の組み合わせが色々な意味で絶妙。水野さんの納得感のある説明に加えて堀元さん(理工学部)との掛け合いのおかけで日本語文法とか大嫌いな自分(理工系老人)にも親近感マシマシで楽しいです。
「それが何の(どのように)役に立つのか説明がないのが一番問題」の件は我が意を得たり。
三上さんの剃刀の切れ味、数学教師と聞いて納得です。
確かに主語ではなく、動詞や形容詞などが主役なら、
「僕が、花子に、花を、あげる」も
「花子に、僕が、花を、あげる」も
「僕が」も「花子が」も「花を」が、あってもなくてもいいモノなのだから、
順番を変えても問題ないことになってので、スッキリ説明出来ますね。
前回の動画から続けて拝見させていただきました
あまりの面白さに1時間があっという間に溶けてしまいました…!
言語学って本当に面白い学問なんですね!
メンデルの法則は彼が学者ではなく園芸好きの司祭だったため、学者が再発見するまでの35年間日の目を見なかった。
三上文法が埋没したのも仕方のないことかもしれない。画期的で面白い理論なので再発見してくれる学者が登場するのを期待します。
「古池“や” 蛙とびこむ 水の音…」
主語の抹殺とは全主体化とも言えますね。短歌(恋歌)から俳句への進化命題(自意識の超克)でしょうか。
英語にもこんなイディオムが―
“all in all is all we all are……“
ニルヴァーナ/all apologiesですね。
ケン・ローチの“I,Daniel Blake”もイイ感じです。
「国語」で文法を扱うときに、“このように文法を教えるのは、古文漢文や英語を学ぶときに役立つからだ”、といった前提を伝えてくれたらありがたいなと思いました。
国語文法に対する違和感から苦手意識を持ち、国語がきらいになったらもったいないかなと考えます。
結果として英語に役立っているだけで、本来は英語のためにやっているわけではないからね
日本の教育を考える学者や文科省の人はカリキュラムをもう一度考え直すべきだと思います。
ちなみに漢文は分かるけど、なぜ今の国文法が古典に役立つのかが分かりません
三上さんの理論はすごくしっくりきました。
日本語は、状況から自明な事柄は省略して良いというルールなんだと考えていたので、主題という考えはすんなり入ってきますね。
主題があれば「太郎はどうしたの?」「家でピザを作ってるよ」で成立してるので「太郎が」という主語がなくても良いというのもわかりますし、
更に、状況から自明なら主題の表明すら省略されるのだと思っているので、二人で会話している時は、
「最近どうよ?」から会話が始まっても、「君は」という主題が自明なので発言しないですし、「昨日は太郎に会ってさ」から始まっても、「私は」という主題が自明で発言しないと思ってます。
日本語面白いです。
今、他人の作った謎な既存ソースをリファクタリングしながら聞いていて、プログラム言語との対比が気になるなと思い浮かべていただけに、突然スコープとかの話になってめちゃ嬉しい笑
オブジェクティブな言語が生まれて、さらに例えばJavaからKotlin、JavaScriptからTypeScriptとかいう改善がされて。
言語とコンピュータ言語の対比などをしてくれると個人的にはかなりツボ笑
「私はお金が欲しい」という文を、"I want money."と比べて昔から不思議に思っていたのですが、主格補語と提題の存在を知って腑に落ちた感じがあります。ありがとうございます。
主語補語とはなんですか。聞きましたけど、全然わかりません
@@萱萱-d9m 主語補語、ではなく主格補語です。
主格補語とは、要は主語のことです。「彼は徹夜で仕事を仕上げた」の「彼は」や、「ライオンよりチーターの方が速い」の「チーター(の方)が」が主語です。
英語の勉強をした時に、「英語には必ず主語と動詞が必要です。」と言われたことがきっとあることでしょう。英語文法においては主語と動詞が文法上最も強い要素で、これが無ければ文が成立しません。
日本語で英語の主語動詞に相当するのは主語と述語ですが、実は日本語の主語って英語と違って必ずしも必要じゃなくね?と気づいた人がいたというのが、この動画の内容です。
「主語」というと、何か特別な、絶対に必要なもののように見えてしまいます。でも現実には、日本語版は主語がなくても成立しますよね。「こんにゃくを食べてれば太らないよ。」と言った時、誰が太らないのかと聞かれると、強いていうなら「人が」などになりますが、わざわざ「"人が"こんにゃくを食べてれば太らないよ。」と言うのを聞いたことはないでしょう。
そこで、主語といっても特別じゃない、他の修飾語と同じ普通の要素だということを示すために「主格補語」というよりボヤけた名前をつけてみた、と言っているんですね。
@@user-o-by-Shanksご丁寧な説明をいただき、どうもありがとうございました😊!わかりました。この角度から日本語を考察するのが面白いですね。ちなみに、場合によっては、中国語にも主語必須ではないものだと気がするけど。
英語でも
He is broad of shoulder,narrow of hip. (彼は肩が広く、腰がしまっている)
It is very kind of you to help me!(手伝ってくれるなんて、あなた、とても親切ね)
のように "of" で「主格補語」みたいなのをとる文章があります。
日本語は決して特殊ではないけど英語とは違う方向に突き詰めた言語ととらえることができますね。
英語と日本語は文法、発音ともに正反対の言語とのこと
Perl言語は言語学者のラリーウォールが作った言語なので本人による解説も英語的にこう並ばないと不自然だろ?みたいな論調で書かれていて面白かったのを思い出しました。
ラリーウォールなら喋ろうとしたかもしれない
いやー
ほんとに面白いなぁ。
ずっと聞いてたくなるくらい面白い!
この面白さって学生の頃よくわかんないよー😰って泣きながら
主語がーとか述語がーとかやってたからなんですよね。
学校の勉強って
勉学そのものの知識だったり
考え方のトレーニングとかよく言われますけど
こういう知的好奇心をくすぐる話の基礎知識みたいなことなんですかね。
これをみたら言語学をやらない理由がないと思わせられる内容でした。ものすごく知的好奇心を刺激されます
「は」の解釈ってオブジェクト指向の感覚でいけばプログラマ的に考えてもなんとなく考えられそうですね。
あとはプログラミング言語は機械に命令するための手段なので「人間と機械で対話してる」と言えるのかなと勝手に思いました
中学校で主語述語を習った時に「これ教育内容のほうがおかしいんじゃね?」と違和感を覚えたけど、やはり同じように考えた先人がいて安心した。黙殺されたのは悲しいが。
天才じゃん
おれが国語が苦手だったのはこのせいだったのか
私も日本語が大好きなのですが、「国語」の授業で学んだ文法には非常に違和感がありましたので、動画を拝聴してスッキリしています。
そうか!文法を習ったときに、「動詞」が目的語や主語を取る、というのが、
関数が引数を取るのと似ているな、
と認識していたのですが、「は」と「が」でスコープの違いが出てくる、という視点はとても目から鱗です。
日本語は、省略された部分の候補が広くて、
文脈がないと一意に解釈できない
というのは、省略された語=グローバルな定数の定義が曖昧だから、
と考えるとスゴく整理されます。
英語の授業で、“英語は大事なものから言うという特徴があります。日本語は最後に大事なものを言うので、順番が逆になりますよ〜”みたいな説明を受けた時、じゃあなんで日本語はOVSにならないんだ?って漠然と考えたりしたことがありましたが、そもそも日本語と英語では大事にされるものが違うと考えると納得。
めっちゃ面白かった。
「僕はうなぎだ。」
最初は、「は」は限定的要素かなって思ったけど、「主題定義」って聞いて超納得。
ってことは英語にも主題定義ってあるのかな。言語学ワクワクする。
本当にすごい感動しました。
ありがとうございました。
日本語と英語の違いを軽く触れていただいただけで、なぜ英語がこんなに難解な(納得できない)思いをしていたのか。
「が」や「は」を複数回使うとWordに指摘されて頭を悩ませなければならないのか。
どうして研究する人がいるのか、地動説天動説…。
会話をする中での、意思疎通でどうしてズレが生じたりするのか…自分の言葉が変だからだろうか…?
疑問の根本が一つ解けて消えたような気がしました。ありがとうございます。
日本語がプログミングとしてポンコツなのは同意ですね。ラブコメなんかで勘違いストーリーが成立するのは、主語がないのが起因しているのかも。主題を取り違えば、簡単に反対の意味にもなるし。
こういう学問に興味持ってくれるような教育がなされてたら、学校も楽しかっただろうと思いました。面白かったです
40年近く前に「象は鼻が長い」読みました。そのとき「は」と「が」の役割が違うことを知り大変感動したことを覚えています。「こそ」と「けれ」との関係でみると「は」は「である(だ)」と係ると認識しました。
現在日英技術翻訳の仕事をしていますが、元の日本語が「象は鼻が長い」的な文章にしばしば出会います。「は」で提示した枠は「である」でとじられるとして、その枠の中に「が」で導かれる要素を、関係節的に入れることにより解決しています。An elephant is (an animal) whose nose is long. と解釈するようにしています。その意味では、「象は鼻が長い」はそのあとに「動物である」が省略されている構造とも考えられます。
久しぶりに三上さんの話を聞けて良かったです。
IT分野の人なので、堀元さん側のIT側の知識で水野さんの話を聞いているので、突っ込むポイントが的確でとても楽しく見せていただいています。
プログラミングは言語か?という話題のタイミングで、もうちょっと粘ってほしかったです!
単語は、functionとか、letとかある。変数だって、時によって意味が変わる単語。
並べる規則は、
function youtuberName(personalities, listener) {
if(personalities[0] == 'horimoto' && personalities[1] == 'mizuno') {
return youtuberName == "ゆる言語ラジオ"
}
}
といった、言語形式による並べる規則がある。
プログラミング言語は、音がない言語で、git等で会話されている。
だからソースコードでの会話は行われている!
時代の進化に合わせて出現した、事前に文法が規定された人工言語だーっていうって主張はどうだろう。。
長文すみません!
「は、」が主語ではなく、主題を指す、と言う説明には納得です。私は個人的に「一般連文修飾」と
呼んでいましたけれども。「東京都は、新宿区にお住まいの、田中さんからのお便り」と言う表現も、
お便りの出所の新宿区は、東京にあるんだよという修飾であって、主語じゃないもんね。
顎が抜けるほど面白いお話でした。全くの門外漢ですが,「日本語に主語はいらない」から読んでみます。
もしよろしければ,三上文法の弱点,解釈の難しい文章を紹介いただけると嬉しいです。
この頃の水野さん自信に満ち溢れててカッコよくてすき
中学の国語で文法を習ったとき、一番驚いたのは、動詞(や形容詞など)が活用、つまり変化するということでした。自分の話す言葉は、あまりにも当たり前のことで、例えばハナスがハナ”サ”ナイと変化しているのに、全然気づきませんでした。
考えてみると、英語で主語のことはsubjectと言いますが、これは同時に会議の主題とか、メールの件名というときにも使える言葉で、意味的には「主題」に近い意味を持っていますよね。
あと自分もプログラマなのでグローバル変数のたとえはわかりやすかったですw
主語と主題が曖昧なのです。
言語学には全く詳しかないが三上の学説は分析心理学的観点からは最高に合点がいく。
日本人の自我の構造を考えると信憑性が極めて高く感じる。
西洋言語と異なり一人称が日本語には大量にあることなどは華厳存在論などとの関係から理解できるが、それと同じで母性宗教や多神教文化、禅の永遠の今的な時間性などが持つ一元論的世界観は三上文法と辻褄があう。
心理学的に非常に興味深い。
言語の特徴がその国の自我構造や神話、文化と密接に関連していることは心理学的には疑いようがない。