『哲おじさんと学くん』の勉強会㉙、2024年7月14日

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  • Опубликовано: 21 окт 2024
  • 『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。
    資料:drive.google.c...
    次回は10月6日です。
    詳細情報:muhone.hatenab...
    Chat:
    00:13:31 U: p.104 4行目「剥き身で捉えられた」とp.105 2行目「剥き身の僕」という表現の意味がよく分かりません🤔
    00:17:44 U: 「通常の移動」と対比されていることから推察すれば「剥き身」とは「通常ではない」ということだろうか?🤔
    00:19:13 I: 「剥き身」というのは、「移動しない今」と関係してる感じがします
    00:19:52 U: そもそも「今」に「移動」という表現を使うのはカテゴリー・ミステイクではなかろうか?
    00:21:17 I: 剥き身の今の移動は、本当はないんだけど、思考実験上の話ですよね。
    00:22:54 U: 「私の移動」と「今の移動」は全く異なる現象なのに同じ「移動」という表現を使っているのが混乱の元では無いかと思います。
    00:25:29 U: 「時間の経過」と「主体の転換」を「移動」という語で混同しているのでは?
    00:30:31 U: 「移動」と一括りにすることによって「継続性」という重要な側面が見逃されるのではないでしょうか?
    00:34:09 U: 「同じことを二回やる」のが一種の「辻褄合わせ」で、辻褄合わせの回数には言及していないのでは?
    00:37:16 U: 「辻褄合わせ」が必要なのは通常の時間経過では無くて、過去に戻ったりするタイム・リープの場合のみかと。
    00:38:36 U: 勿論、世界全体が記憶無しで過去に戻る場合も「辻褄合わせ」は不要ですよね。
    00:44:00 S: つじつまあわせをする(したい)のはだれなんですか?
    00:47:33 U: Replying to "つじつまあわせをする(したい)のはだれな..."
    ここは永井先生が神の視点で語っているように思います。
    00:52:43 S: 神視点なら、非普通の時間経過を想定された、われわれ全員がつじつま合わせをしたいということになりますね。
    00:53:56 U: Replying to "神視点なら、非普通の時間経過を想定された..."
    「辻褄合わせ」っての言葉の綾で何らかの「齟齬」というような意味で使っているのではないでしょうか?
    00:54:17 S: でも私は、そもそもその想定、実験に関心がない。
    00:55:06 U: Replying to "でも私は、そもそもその想定、実験に関心が..."
    勿論、大多数の人がそうだと思います。
    00:56:51 U: 〈私〉が記憶を伴わずに岸田首相に移動する、という想定は、結局何の変化も無い事になるので意味の無い想定かと。
    00:59:58 U: 島さん、哲学ってそういうもんなのでは?
    01:01:37 U: 別に叱ってはいません😅個人的見解を述べただけです。
    01:05:37 U: 「辻褄合わせ」って、「想定」から導かれる「結果」というような意味では?
    01:05:54 S: 言葉のあやです。
    01:07:47 U: Replying to "言葉のあやです。"
    永井先生はそういう言葉の綾が多いので、読解には多少の慣れが必要かと思います。体質的な相性もあると思います。私は苦労しています😅
    01:17:24 S: 「有時」巻などを読むと、道元は、「とき」と「時節」と「時間」を区別している感じ願します。
    01:17:33 S: 感じがします。
    01:18:48 U: 時間の経過を「通常の移動」と呼んで、タイム・リープの「移動」と一括りにしているのに違和感を感じます。
    01:20:50 U: Replying to "感じがします。"
    日常用法では「とき」の中に「時節」と「時間」が区別されているかと。
    01:23:35 S: 前回、話が出たように、永井さんがなぜこんな「時間の移動」を持ち出したのかがよくわからないことが、議論を散漫にさせているのでしょうか。
    01:25:29 U: p.105 の哲おじさんの発言が、日常用法として一番まともだと思います。でも最後の「剥き身で捉えられた君は継続せずに消滅した」の意味がよく分かりません。
    01:28:42 U: Replying to "前回、話が出たように、永井さんがなぜこん..."
    永井さんは、〈私〉も〈今〉もその独在性が共通だと想定しているので、〈私〉の話題の後に、〈今〉の話題を出してくるのが恒例です。
    01:29:42 I: 読み進めていくうちに、腑に落ちるような構成になっていてほしい。
    01:30:29 U: この「剥き身」という表現が哲学文脈では独特だと思います。
    01:30:37 S: なるほど。私も、結局は「私」と〈私〉の違いを説明するためかなと感じています。
    01:33:18 U: Replying to "読み進めていくうちに、腑に落ちるような構..."
    永井さんの本は10冊ほど読みましたが、腑に落ちたのはありません。疑問が深まるばかりでした。他方、相性の良い方々には初読時からピンとくるらしいです😅
    01:33:19 S: よくわりました。
    01:38:06 U: デカルトが「コギト」、カントが「超越論的自我」と呼んだモノを、〈私〉と表現した点が、永井先生の popular writer in Japanese としてのセンスの良さだったのだと思います。
    01:43:23 I: 私の移動ということをしつこく思考実験していくうちに、変化しない自分という存在が炙り出されてくるということでしょうか。
    01:43:37 U: 「確認手段の無い移動」、って「神」「観察不可能な粒子」同様、信仰かSFの対象であって学問としては無理ゲーなのではないかと😟
    01:43:54 S: なるほど。でも、前々回だったかに出た、〈私〉=空、というのは、どうみてもおかしい。
    01:45:11 U: Replying to "なるほど。でも、前々回だったかに出た、〈..."
    でも、「無我」ってのは仏教では常套句なのでは?
    01:46:30 S: そうですよ。〈私〉=無我? 逆では?
    01:47:28 U: Replying to "そうですよ。〈私〉=無我? 逆では?"
    「無我」を永井風に「〈私〉=空」と表現したのでは?
    01:49:07 S: 〈私〉は「空」、「無我」じゃない。と私は思います。
    01:50:11 U: Replying to "〈私〉は「空」、「無我」じゃない。と私は..."
    私には「空」と「無」の違いが分りません。同じかと思ってました。
    01:50:59 S: 空=無我です。間違いなく。
    01:52:12 U: Replying to "空=無我です。間違いなく。"
    なら、〈私〉=空=無我、という等式が成立しませんか?
    01:52:51 S: ぜひ、また教えてください。
    01:52:58 U: Reacted to "ぜひ、また教えてください。" with 🙏
    #禅
    #永井均
    #独存性

Комментарии • 2

  • @桜吹雪-c1v
    @桜吹雪-c1v 3 месяца назад +2

    合掌🙏🕯

  • @火童-h1y
    @火童-h1y 3 месяца назад +1

    多分この前の回に言ったと思いますが、
    〈私〉が移動するという想定は、三次元空間または四次元の時空の中に〈私〉が位置を持って存在しているという前提があると思いますが、そもそも〈私〉はそういうものなのでしょうか?
    ぼくは〈私〉や〈今〉があって、その中に2024年や(過去としての)1996年があると思っているので、この想定自体に何か誤りを含んでいるように思えます。
    とはいえ、タウマゼインはその中身を離れて存在しえないですね。私が火童じゃなくてネルケ無方でもおかしくないはずなのに、それでもなぜか私は火童であるという驚きがある。それは必ず自分が誰かでなければ起こらない。想定としては誰でもいいけれども、現にはこの一人でしかタウマゼインは起こっていない。
    同様に、例えば太陽の光の暖かさに驚くのも、違う日の暖かさでもいいし、氷の冷たさに驚いてもいいはずなのに、それでもなぜか「この」太陽の光の暖かさに驚いているのですね。
    「なんでもいいけれども現にこれである」ということ、これって大事なことのように思いますが、〈私〉が移動するという想定はこのことを消してしまう。
    この両側面から、〈私〉が移動するという想定は疑問です。