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エヴァが存在しない世界⬇エヴァという作品が完結した俺らの世界って解釈して自分は納得した
初見の時、単純に「さ、エヴァは終わりです。続きは現実、あなた達の世界です。楽しみましょう」って受け取りました。破ではミサトが、現実は楽しいみたいなことを四号機登場前のアスカに言ってたような …
実際こうやって考察したり友人や他人でもエヴァを通じて語り合ったりできてるしね!もはやエヴァは概念や社会現象そのものになりつつあるな…
この考察めっちゃ納得あと四号機じゃなくて三号機では?
3号機です
ご指摘の通り三号機の間違いですね。お恥ずかしい…
これが一番しっくり来る。エヴァのキャラクターたちも呪縛を解いて現実世界に解放して、小難しい事考えてないでみんなも現実を楽しめって言われた気がするんよ。だから爽やかにエヴァから卒業出来た
最後の駅はまだマイナス宇宙なんじゃないかって思ってる。最後にシンジくんが「行こう!」って言ったのはマイナス宇宙を抜け出してみんなのところに行こう!っていう解釈で受け取った
なるほどです!こうやって、皆さんの解釈を聞いてそれぞれに視点がいろいろある事が面白いですね
この発想は無かった。それなら世界の改ざんも最低限で済むしシンジらしいかも。
確かにありかも
俺もそう思ってた。周りには同じ考えが居なくかったので同士がいてよかった
それだと先にマイナス宇宙から脱出したはずのアスカがいるの意味不明だよね
まだラストシーンはマイナス宇宙の中であれからまた第三村に戻るって考察好き
俺もまだあれはマイナス宇宙だと思っていました。
マリとシンジは第3村がある世界に戻ったと思う駅のシーンからは完全に俺たちに向けた映像かな大人になったシンジ=TV版からシンエヴァを見続けてきた視聴者首輪=旧劇で納得出来ずにエヴァの呪縛に捕らわれ続けた証マリが首輪を外す=新劇からの新キャラがシンエヴァを通してエヴァはこれで完全に終わりと告げる呪縛から開放された視聴者エヴァの象徴でもあった電車に乗らず駅の外に出る=2次元見るのも程々にして現実もしっかり見ていこうというメッセージで終わりを迎えた感
映画初見時はシンジが神(3次元)になってエヴァの世界(2次元)を修復し、3次元的な存在になったシンジは2次元の世界に戻れなくなって、現実世界(3次元)で暮らすようになったってかなりメタな感じで解釈した。
オバ専(マリはQ、シンで47歳)のシンジが駅のホームでマリを待っている間に反対側のホームの人達を見てたら寝てしまってその時見た夢がエヴァの世界だと考えたらすべてが腑に落ちた
レイやアスカなどの救済を考えると、結局『エヴァのない世界』じゃなく『(かつて)エヴァがあった世界』に辿り着くよりは、現実とクロスした本当の意味での(インパクトによる被害もなく皆の軌跡も残る世界としての)『エヴァのない世界』に辿り着くという、綺麗な完結だったなと私は感じました。
マリ「よっしゃギリギリ間に合った!」隣の友達「いや(作画)間に合ってないが」俺「そういうことちゃうねん...」
ごもっともです。駅のシーンがエヴァの居ない世界だと思われがちですが、私もネオンジェネシス後は脱出したヴィレクルーや第3村の人たちが居るエヴァが居ない世界とシンジ達が新しく作ったエヴァのいない世界の二つがありますね。エヴァが居なくなったネオンジェネシス後もシンジはマイナス宇宙に溶け込みそうになったあたり、少なくともシンジは世界を新しく作った後もマイナス宇宙に居る。駅の世界がインパクトによって出来た世界ならシンジはマイナス宇宙に溶ける訳が無いですし。孤独になって誰からも認識されず虚構に消えそうになった。そこにマリという他人が迎えに来たことによって”相補性”が生まれ2人の認識でもう一つエヴァの居ない世界を作ったのだと私は解釈します。ラストシーンはアニメと現実が混じってて「虚構も現実もどちらとも自分達にとっては現実!」みたいなオタクに優しいメッセージでいいですね…
シンジの望んでいた相補性のある世界がちゃんと作られたということですよね…!
シンジもマリも、自分を補完したのかな?シンジの補完=母との別れマリの補完=エヴァとの別れ
正直よくわかんないとこあるけども、テレビ版の終わり方で「はぁ?何これ手抜きかよ?」って思った私にはこの終わり方はスッキリしたし良かった。庵野さんお疲れ様でしたありがとう。
赤い大地を疾走するエヴァ8+2号機は本当に失踪してしまったんだな...
どこ.....どこだ....
凄いな···· “匂い” と言う台詞すら 破 から続く1つのキーアイテムになっていたのだから。
もう終わってから、2ヶ月か、、早いな、考察見るのも好きだけど、やっぱ公開して何回も映画を見に行った時が1番楽しかったなぁ(´・ω・`)関係なくてすまん(笑)
劇場で見るのが、いいですよね…
劇場でいろんな年齢層のエヴァ好き同士が集まってるなぁ〜って感じながら見れたの、コロナ禍だったけれど、楽しかったね。。
アマプラでめっちゃみてるけど見に行った時がやっぱり一番楽しかった
子供と行ったのだけどあの時に感じた劇場でのワクワク感は中々ないくらいの感じでした。当時TVからしたら全ての最後の終わりでしたから劇場での中では人生で一番どうなんのかな?って思いでいたからね。僕も1番楽しく期待した日でもあったと思います。
まだまだ楽しみ尽くすまでには時間がかかりそうだぜ
エヴァ留年万歳!!
槍がコメントしてて草
ここまで考察できるのすごw私はエヴァは完結したっていつのを表現して宇部新川のシーンってことで解釈してた
結構納得できたでもマリのモデルが安野モヨコさんっていうのは庵野監督がシンエヴァで登壇した時に否定してたはず
個人的にシンジくん達とほぼ同じ歳という事もあるせいか、駅のシーンは妙な感覚があって見ている人にもしかして記憶が無いだけで使徒やエヴァが本当に存在していて、今生きている現実世界はシンジくんが創造してできた新しい世界に居るんじゃ無いか??と錯覚させる為の演出だと解釈してました!
世界5分前仮説、のような。
エヴァが存在しない世界は、わたしたちのいる現実世界ってわたしは思いました。
庵野さんもかみさんもらったし「映画見てるお前ら!アニメ見てるヒマ有ったら大事な人見つけて一緒にがんばれ!」と受け取った。
余計なお世話だよな。
矛盾点っていうかエヴァのなくなった世界=今の私たちの世界が成り立ったってことなんじゃないかな?
シンジとマリが現実世界に行ったとするなら、あの駅にいたアスカやレイやカヲルは果たして誰になるのか
そこが俺も1番の謎だわ
多元宇宙論とか少しかじってみると結構しっくりくるんだよねこのラスト
この説でいうと向かい側の1番線ホームにいた、レイ、アスカ、カヲルらのご一行はどう位置づけられるんでしょうか。
マリとシンジとは隔てられたところにいるということは、何かを象徴的な存在という事になりますよね。そこを曖昧にするあたり、庵野監督だなと思いますよね…
@@図解エヴァンゲリオン考察 駅と言えば旅立ちと見送り、ということなのかもしれませんね。この駅はイマジナリーな世界と現実世界との境、門の象徴なんでしょうか。一行は左側(村方向)へ去って行きましたね。
彼らが乗った茶色の電車は今は動いてない旧式らしいので虚構側とお別れの意味では?
@@ryojin2 めちゃめちゃ納得です!アスカやカヲルくんや綾波に対しての疑問もこの考察が1番だと思います!
@@yuto6418 アスカがなぜ一人でいた(来た)のかもわかる気がします。切ないですね。
マリのモデル安野モヨコ説は以前アップロードされてたエヴァラジオで制作陣により完全否定されてました。鶴巻さんだと言ってましたよ!
エヴァのいない世界、旧劇のアスカやレイとカヲルが存在していい世界、現実の世界の3つの世界があるのかな〜っていう...。2つ目の世界がないと色々苦しんだ3人がそのまま消えてしまうのは悲しいなと。最後のプラットフォームのシーンは三人共もうシンジのことは認識できないが普通の人間としての生活を送っているよっていうメッセージだと思うと救いがあるな〜って思います。
そもそもマリは何者で何の目的を持っていて、なぜあらゆる知識を持っていて、戦闘能力も高いのか??仮設5号機で初めての実戦、なのに全てをうまくこなせてしまう。シンジを迎えに行く事を最初から宣言している。このままでは物語の外、違う次元から来たチートキャラ。という最悪の結果になってしまう。なんとか物語の中のキャラとして説明してほしいです。
なるほど、庵野さんと奥さんと考えるとかなり納得いきます!
マリは...感情を他人に見せないんだよね。笑っているだけ。弱みを見せたくないんだろうな。一方で古今東西の本を読みたいとか、「ワンコ君」とか「使徒もどきが...」と見下したりしている。かなり『支配欲』が強そう。
それに対してへなへな男子のシンジ君にはしりに引かれる位が丁度いいのかも笑笑
エウレカみたいに第三村で世界を修復してる間に現実世界でその余波が少しずつ起こって記憶を受け継いでるカオル アスカ マリ シンジ レイが現実世界でリツコさんたちが第三村を中心に問題を解決していくみたいな映画作ってくれないかなあとは記憶を99%失ってるミサトさんがシンジくんに母性か恋かわからないままアプローチして、マリがあたふたしてくれると最高
エヴァのパクリのエウレカ(褒め言葉です。)をパクるエヴァなんか凄いwそんで序でエウレカの監督呼んだのに、使えないって、一切絵コンテ使わなかった庵野監督鬼畜過ぎる。
普通に復興したんじゃないかな?だから6年後の世界を描いているし、最後第3村のシーンを映したし、元々第3村があった場所を中心に映してるし、DSSチョーカーをつけてたとか?
なるほどなぁ~~映画の感動がより高まった…!良い映画、そして良い動画でした🎥
似たよう解釈です!もし第三村に戻ったならそれを絵で描写すると思うし、そうしなかったのはシンジは本来アディショナルインパクトで消えるはずが父と母とマリに救われて、現実世界に生きることとなった。という終わり方が好きです。
第三村は消えて無くなったわけじゃなくてマリとシンジの他はみんな第三村で生活してるって事?
「東京大学物語」のラストみたいに、実は全て夢でした的にも感じた私は間違ってるでしょうか?
流石にそこまでの夢オチでは無いですw確かにそう感じるかもしれませんが、しっかりと世界線を変えても過去に経験したことは変わらないわけですから。
ネオンジェネシスによって作り出されたエヴァのない世界=最後の現実の世界だと思ってたわ。エヴァが居なくてもいい世界→新世紀エヴァンゲリオンというアニメを通した物語がなくても登場人物が生きていける世界→登場人物が現実のような世界で生きた世界線。的な
世界の書き換えはもしもボックス的な物で、後腐れを残さない為に、救われた状態にしてからエヴァの無い世界に書き換えした結果、現実と似てる世界になったって程度にしか考えてなかった。元々エヴァ世界は異質な要素を除けば、現実と地名が同じようなぐらい現実に近い世界観だったし…コメント欄の深い解釈すごいなぁ…
ラストの矛盾点について、とても面白い考察です。でも個人としては何処も矛盾点を感じなかったです。それは単純にシンジ君がゴルゴダオブジェクトから創生された「時間を戻さない、エヴァがなくても生きていける世界=ネオンジェネシス」へ還る術がないところを、マリに拾って貰って、その世界に還ってきたで納得してます。でなければエヴァ時代に存在していた、DSSチョーカーをその世界でもまだ付けていた理由が説明出来ない気がします。
映画を観た後めっちゃモヤモヤしてたけど、これ見てめっちゃスッキリしました!
単純に、エヴァのない世界になって成長しない呪いが解けて急速復興した~○年後~って訳じゃ無いのか第3村に宇部新川駅があったのなら、そのままの世界線で未来にああなってる可能性もあるかな?と思ってた
2次元も3次元もそこに優劣はなく、虚構も現実と一続きってことをラストに言いたかったのかな?アニメ、ゲーム、CG、特撮などの世界での存在感はめざましいですし。物語のラストを深掘り考察、いいですね。
庵野監督もあえて雑な終わらせ方をしてファンを現実に引き戻そうとしたって自分で言ってるし、お前らシンジ達みたいに現実に戻れってメッセージだと思う
シンジ「現実世界の巨乳が良い!!」
宇部新川駅のコア化が解除されたらああなった…てだけじゃないのアレ
シンジ、マリのいる世界は別世界ですよね。天国とか、ゴルゴタオブジェクトとか。そうでなければせっかく作ったエヴァの世界が台無しってのもありますが、自分はせっかくミサトさんが命がけで守ったクルーや、息子、あの世界が無かったかのように別世界に切り替わってしまうのはなんだか浮かばれないなと思っていました。最後までミサトさんは息子に何もできなかったと後悔してましたし、後にリツコから息子リョウジに母がした事を説明して頂ければ報われるかなと。歴史の教科書なんかにも載ったりして。
じゃあアスカたちはエヴァがない世界線に行ったとしたらマイナス宇宙からプラグが飛ばされたとき第3村にいましたよね?なぜ急にエヴァがない世界線にいったんですか?
似た別人という解釈でいいと思います
それと駅が虚構と現実という境界線なら駅ってもしかしてイマジナリー(精神世界)ですか?
シンジとマリが最後に現実世界て大人になっているのはもしかしたら庵野監督のエヴァンゲリオンという夢が終わり大人になったことを意味しているのかもしれませんね
エヴァが存在しない幸せな世界→エヴァのせいで不幸になった人たちのいく世界(例みどり)エヴァがあった世界でしか幸せになれない世界→アスカなどエヴァが無かったらそもそも存在しない人たちがいく世界(ケンスケの父はエヴァに関係なく死に、ケンスケ本人は序破でエヴァに対して興奮してるのでどちらかと言うとこっちの世界へ来る)って解釈してる
第三村のミニチュアセットにある駅は天竜二俣駅では?
でも結局マリは何者?これだけはどーしても釈然としない
そこだけは釈然としませんね。何回考えても、キリスト教とか、安野モヨコさんとかメタ的な視点からしか考察ができない存在です
アダムが第4使徒、第5使徒と色んな種類の使徒を産み出すことが出来てたし、リリス(綾波ユイ)がリリンとは別に産み出した使徒だったんじゃないか説
執着⇒終着 ですよね?
おっしゃる通りです…!
@@図解エヴァンゲリオン考察 さんでも内容は素晴らしかったです!たのしく最後まで拝見させていただきました。^^ありがとうございます。
ラストの現実世界で高校生になったシンジを見て、そもそもエヴァンゲリオンというものは、高校生のシンジの空想の世界の話だったと思ってしまいました。
エヴァが終劇した後の世界(俺たちの世界)に来たって事かな。
な、涙が出そうです
なんで矛盾する事になるのか分からない第3村とヴィレクルーの乗ってきたやつのシーンって、そもそもエヴァが必要ないならヴィレクルーも存在しないし、第3村もないからまだエヴァいる世界じゃない?あとシンジをマリが迎えに行く理由は初号機ぶっ刺して使えんくなるからエヴァないと現実に帰れないからじゃないの?
話はもっと単純。エヴァは現実世界に適応できない庵野が創り出した「復讐、皆殺し、自慰」の世界。マリ=モヨコと出会ったシンジ=庵野がエヴァを卒業して現実に戻っただけ。色のない作画や、箱(スタジオ)の中での戦いのシーンは庵野が「これはアニメですよ」と言ってるだけ。
盛大な卒業式って印象はありますよね!
ケン・イシカワ時空ならもっとヤバい。「暴力・皆殺し・破壊・ヤクザ」と惑星破壊・ビッグバンとマジで魔境だからエヴァなど虚無の戦いの前ではチャチな遊びに過ぎぬ!!(ドワォ)
庵野監督はシンジに再会できるかもしれないって言ってたからまた作るんじゃないかな卒業はしていないと思う
@@キキとジジ-f1i また作ってほしいね
@@もぐらさん-l2r そうですねまた作ってほしいですね
最期のエヴァである8号機が神の姿なの?
ホントに庵野監督は頑張ったと思う歴史に残る超大作、様々な年代の方々でも知っているような作品を作った庵野監督は偉大な方だよ…動画と関係なくてすいません💦🙇♂️
僕も関係なくてすいません
鬱を発病しつつも、作り上げるってところに、根っからのクリエイターである事が分かりますよね…!
@@図解エヴァンゲリオン考察 鬱病=高濃度ゲッター線汚染状態による現実認識能力の超越。もしもQの時に大量のゲッター線を浴びていたらエヴァを完結することなく宇宙の真理を悟りながら石川氏の様にゲッターと同化していたかもしれない…
結局旧劇も新劇もラストはイデオンのまねで終わったのさ。
え、式波オリジナルが言ってる最後のエヴァって13号機のことでしょ笑
やっとわかったオップファータイプのエヴァがアダムスだってことが。遅いかな?w
ラストシーンは新たにループしている可能性が極めて高いと私は思います。つまり、ラストシーンは「ネオンジェネシス」とは、全く別の庵野さんによる「ループ」によって創造された世界なのだと。そう考えれば、あの飛躍にも納得が行きます。
『マリがシンジを別世界に連れ出した』という解釈は腑に落ちますね
これは矛盾と言うのか?
この作品のテーマは相補性で監督はストーリーだけでなく制作過程やメタ的な視点でもそれを貫いただからNHKの的を得ないスポットの当て方にイラつき必要以上にオマージュを多投しオリジナルとは相補性の賜物ということ伝えたかったのでは相補性のある世界は相補的手法で作られるラストの実写世界はシンジを通した他者とマリを通した他者が相補性のうねりとなり創生された世界じゃないかな
おっしゃる通り、相補性のうねりが生まれた、というところがかなり重要ですね!
俺ん家この駅の近くで候
ただただ羨ましい。年末年始にチョコっとお邪魔します。駅前に映ったビジネスホテル泊まりたい。
_( _ーωー)_TV・旧劇・新劇の全てループ世界で繋がってると感じた。現実世界からまたエヴァの世界が描かれて…
ならエヴァの無い世界の人達はシンジ君とマリのいない世界で生きてるのか、、、現実にみんなを持って来れないんかな、でもせっかくエヴァの無い世界を作ったからなぁ、、
どうせなら空白の14年間か、エヴァの無い世界と現実世界のその後を作って欲しいなぁ、
各キャラクターがそれぞれの世界線に行ったんだと思います。それぞれの世界線にそっくりさんがいてる印象です。
悲しい; ;みんな同じ世界で今までの記憶を引き継いだまま幸せに暮らして欲しかった; ;
@@闇が深いケホンゴン それしか方法がなかったのだと思います。🤔広い意味合いでいうエヴァの呪縛から解放かと。悪魔で新劇シリーズの世界線での話なので。旧劇や単行本の世界線とはまた別です。🤔
アスカの(シングルエントリーじゃなかったの?)ってセリフもわかんない、、その前にアスカとサクラがもう1人のパイロットが爆死って話してたのに
カオルの魂は残っとって肉体だけ消えたんじゃない?
なんにせよQの13号機は2人で操縦してたのは分かってることだと思うんよ。アスカは13号機は1人だけでも操縦できるって思ってたんかな??
Qも最後シンジ1人で操縦して槍抜いてたから出来るんじゃない?
一人で動けるかはわかってなかったとしたらカヲル一人の魂しかないからまだシングルエントリー何じゃないのかってことじゃね?
正直この人毎回難しく考えすぎでは?
2度見に行ったけどとてもここまで考察できなかったオレはバカだなあ…カットのテンポが早過ぎてついて行けてなかったようだ
庵野秀明と庵野モヨコが手を繋いで駅から走り出すってオチ
旧劇のリブートだから、駅のシーンは「おめでとう」のシーンでしょ。声優が変わったことから緒方恵美さんと庵野監督に対する「おめでとう」だと思ってる。
韓国で視聴中の韓国人なのに、ナレーションを少しゆっくりしていただければアンドゥェルカヨ?言う速度が速すぎて理解するのが大変です...
復興するまでこの世界にお暇説昔こんなss書いたな量産機に勝ちサードインパクトを阻止したものの世界はめちゃくちゃになり復興するまで並行世界で暮らすという内容あまりにつまらないからupしなかったけど
う〜む、何か難しく考え過ぎかなー。このアニメ世界の話で、世界が元どおりをなっただけ。
宇部新川駅のシーンは、シンジの夢だと思っている。胡蝶の夢オチだね。
そう言う考え方もあるんですね。岡田斗司夫さんも同じような考察をされてましたが自分はそこには違和感感じなかったしそこまで深い意味を考えませんでした。エヴァの無い世界って単純に昨日まで存在したエヴァが今日からはもう無いよって話じゃなくエヴァが存在してた事実も理由も無い世界、つまり始まりの時から使徒もいなければセカンドインパクトも無かった世界何じゃないですかね?当然ネルフも存在しなければ赤い海や大地もないし、使徒と戦うために作られた機械や設備もない。つまりアスカやヴィレクルーがマイナス宇宙から帰還するために第3村へ持ち込んでしまった謎のカプセル以外は無かった事になってだけじゃないでしょうか?だから3次元と2次元の境界とかじゃなく第3村の外は当たり前にそこにあった現実の街がひろがっているんだと思います。劇中の人物たちも第3村の中で暮らす事も出来るし外の街へ飛び出して行く事も自由何じゃないのかな?ただ当たり前の2028年に戻った世界でヴィレや第3村の人達が辛い過去の経験と記憶をどう認識しているのか分かりませんし、作中でどう表現すゆのかも難しいから敢えて触れないって選択になった気がします。世界はそのままにただエヴァが物理的に存在しない世界を作りたいなら槍で貫かなくても、破壊してマイナス宇宙に放置して置けばいい話なので、エヴァの存在した事実を人々の記憶から根こそぎ消してしまってるので宇部新川駅の反対側も同じような街並みになってるとおもってました。
しっくりくるね。自分も漠然とそんなイメージだった。
なるほどです…!おっしゃる解釈もしっくり来ますね!
ずっと思ってたことが言語化されてる
神話にしたかったのでは
小説版もとむ🤓
奇跡の1コメ!爆笑
まじでたまたまの奇跡の奇遇からの最高❤
おめでとう🎉
@@TanakaTanaka7 ありがとうございます!笑笑
ありがとうございます😊
おめっとさん
自分が死んだらあの世でプリキュア鬼滅エバァアイマスシャニマスノクチル特急プリキュア鬼滅エバァアイマスシャニマスノクチルワイドビューひだ八十三号アニメ名古屋発アニメ高山行運転する(あの世高山運輸区運転士日下部車掌和田)以上
いきなり誤字で観る気失せた。
中々良く考えられた考察でした面白かったです。ただこれを「考察」では無く「解説」と紹介するのはいかがなものかと思います。なのでこの解説動画とは関係無く敢えて自分の「私見」という名の「愚見」を述べさせて頂きます。シンエヴァンゲリオンのラストの矛盾点もクソも庵野の我々への上から目線のアニメを見てる観客への「卒業しろ」と云う大きなお世話の嘲りで有り、庵野自身は嫁(モヨコ=マリ)とアニメなんかより高尚な特撮の世界(現実)で活躍していくという我々への悪意有るメッセージでしかないと思います。絶賛する馬鹿は必ずといってよい程「宇部新川駅」が最後のシーンに選ばれた理由を庵野の故郷以外のエヴァ世界とは全く関係ない場所でしかなく、つまり庵野が自分の心象風景を表現する事でエヴァ世界を私物化し作品そのものを陳腐化させた。まあ、現在アマプラの評価がダダ下がりで「3.7」いずれは「3.5」辺りで落ち着く事だろう。上映当初は大絶賛の嵐でツイッター等も反対意見を許さず、映画評論サイトや雑誌での評価が「4.8」から「4.6」から下がらなかった事からも現在の評価の差はあまりにも激しすぎる。つまりはあの評価はステマと電通等の業者が作り出した欺瞞でしかなく、しばらくして冷静な作品への評価はかなり低いものになるであろう。長文失礼いたしましたが、所詮はただの「愚見」でしか有りませんので「ご一笑」して頂ければ幸いです。
相変わらず鋭い指摘ですね…!シンエヴァを終わらせないと、次のステップに進めないという、庵野監督の儀式みたいな映像ですよね
エヴァが存在しない世界
⬇
エヴァという作品が完結した俺らの世界
って解釈して自分は納得した
初見の時、単純に「さ、エヴァは終わりです。続きは現実、あなた達の世界です。楽しみましょう」って受け取りました。破ではミサトが、現実は楽しいみたいなことを四号機登場前のアスカに言ってたような …
実際こうやって考察したり友人や他人でもエヴァを通じて語り合ったりできてるしね!
もはやエヴァは概念や社会現象そのものになりつつあるな…
この考察めっちゃ納得
あと四号機じゃなくて三号機では?
3号機です
ご指摘の通り三号機の間違いですね。お恥ずかしい…
これが一番しっくり来る。
エヴァのキャラクターたちも呪縛を解いて現実世界に解放して、小難しい事考えてないでみんなも現実を楽しめって言われた気がするんよ。
だから爽やかにエヴァから卒業出来た
最後の駅はまだマイナス宇宙なんじゃないかって思ってる。最後にシンジくんが「行こう!」って言ったのはマイナス宇宙を抜け出してみんなのところに行こう!っていう解釈で受け取った
なるほどです!こうやって、皆さんの解釈を聞いてそれぞれに視点がいろいろある事が面白いですね
この発想は無かった。
それなら世界の改ざんも最低限で済むしシンジらしいかも。
確かにありかも
俺もそう思ってた。周りには同じ考えが居なくかったので同士がいてよかった
それだと先にマイナス宇宙から脱出したはずのアスカがいるの意味不明だよね
まだラストシーンはマイナス宇宙の中であれからまた第三村に戻るって考察好き
俺もまだあれはマイナス宇宙だと思っていました。
マリとシンジは第3村がある世界に戻ったと思う
駅のシーンからは完全に俺たちに向けた映像かな
大人になったシンジ=TV版からシンエヴァを見続けてきた視聴者
首輪=旧劇で納得出来ずにエヴァの呪縛に捕らわれ続けた証
マリが首輪を外す=新劇からの新キャラがシンエヴァを通してエヴァはこれで完全に終わりと告げる
呪縛から開放された視聴者
エヴァの象徴でもあった電車に乗らず
駅の外に出る=2次元見るのも程々にして現実もしっかり見ていこう
というメッセージで終わりを迎えた感
映画初見時は
シンジが神(3次元)になってエヴァの世界(2次元)を修復し、
3次元的な存在になったシンジは2次元の世界に戻れなくなって、現実世界(3次元)で暮らすようになったってかなりメタな感じで解釈した。
オバ専(マリはQ、シンで47歳)のシンジが駅のホームでマリを待っている間に反対側のホームの人達を見てたら寝てしまってその時見た夢がエヴァの世界だと考えたらすべてが腑に落ちた
レイやアスカなどの救済を考えると、結局『エヴァのない世界』じゃなく『(かつて)エヴァがあった世界』に辿り着くよりは、現実とクロスした本当の意味での(インパクトによる被害もなく皆の軌跡も残る世界としての)『エヴァのない世界』に辿り着くという、綺麗な完結だったなと私は感じました。
マリ「よっしゃギリギリ間に合った!」
隣の友達「いや(作画)間に合ってないが」
俺「そういうことちゃうねん...」
ごもっともです。駅のシーンがエヴァの居ない世界だと思われがちですが、私もネオンジェネシス後は脱出したヴィレクルーや第3村の人たちが居るエヴァが居ない世界とシンジ達が新しく作ったエヴァのいない世界の二つがありますね。
エヴァが居なくなったネオンジェネシス後もシンジはマイナス宇宙に溶け込みそうになったあたり、少なくともシンジは世界を新しく作った後もマイナス宇宙に居る。駅の世界がインパクトによって出来た世界ならシンジはマイナス宇宙に溶ける訳が無いですし。
孤独になって誰からも認識されず虚構に消えそうになった。そこにマリという他人が迎えに来たことによって”相補性”が生まれ2人の認識でもう一つエヴァの居ない世界を作ったのだと私は解釈します。
ラストシーンはアニメと現実が混じってて「虚構も現実もどちらとも自分達にとっては現実!」みたいなオタクに優しいメッセージでいいですね…
シンジの望んでいた相補性のある世界がちゃんと作られたということですよね…!
シンジもマリも、自分を補完したのかな?
シンジの補完=母との別れ
マリの補完=エヴァとの別れ
正直よくわかんないとこあるけども、テレビ版の終わり方で「はぁ?何これ手抜きかよ?」って思った私にはこの終わり方はスッキリしたし良かった。庵野さんお疲れ様でしたありがとう。
赤い大地を疾走するエヴァ8+2号機は
本当に失踪してしまったんだな...
どこ.....どこだ....
凄いな···· “匂い” と言う台詞すら 破 から続く1つのキーアイテムになっていたのだから。
もう終わってから、2ヶ月か、、早いな、
考察見るのも好きだけど、やっぱ公開して何回も映画を見に行った時が1番楽しかったなぁ(´・ω・`)
関係なくてすまん(笑)
劇場で見るのが、いいですよね…
劇場でいろんな年齢層のエヴァ好き同士が集まってるなぁ〜って感じながら見れたの、コロナ禍だったけれど、楽しかったね。。
アマプラでめっちゃみてるけど
見に行った時がやっぱり一番楽しかった
子供と行ったのだけどあの時に感じた劇場でのワクワク感は中々ないくらいの感じでした。当時TVからしたら全ての最後の終わりでしたから劇場での中では人生で一番どうなんのかな?って思いでいたからね。僕も1番楽しく期待した日でもあったと思います。
まだまだ楽しみ尽くすまでには時間がかかりそうだぜ
エヴァ留年万歳!!
槍がコメントしてて草
ここまで考察できるのすごw
私はエヴァは完結したっていつのを表現して宇部新川のシーンってことで解釈してた
結構納得できた
でもマリのモデルが安野モヨコさんっていうのは庵野監督がシンエヴァで登壇した時に否定してたはず
個人的にシンジくん達とほぼ同じ歳という事もあるせいか、駅のシーンは妙な感覚があって見ている人にもしかして記憶が無いだけで使徒やエヴァが本当に存在していて、今生きている現実世界はシンジくんが創造してできた新しい世界に居るんじゃ無いか??と錯覚させる為の演出だと解釈してました!
世界5分前仮説、のような。
エヴァが存在しない世界は、わたしたちのいる現実世界ってわたしは思いました。
庵野さんもかみさんもらったし「映画見てるお前ら!アニメ見てるヒマ有ったら大事な人見つけて一緒にがんばれ!」と受け取った。
余計なお世話だよな。
矛盾点っていうか
エヴァのなくなった世界=今の私たちの世界が成り立ったってことなんじゃないかな?
シンジとマリが現実世界に行ったとするなら、あの駅にいたアスカやレイやカヲルは果たして誰になるのか
そこが俺も1番の謎だわ
多元宇宙論とか少しかじってみると結構しっくりくるんだよねこのラスト
この説でいうと向かい側の1番線ホームにいた、レイ、アスカ、カヲルらのご一行はどう位置づけられるんでしょうか。
マリとシンジとは隔てられたところにいるということは、何かを象徴的な存在という事になりますよね。そこを曖昧にするあたり、庵野監督だなと思いますよね…
@@図解エヴァンゲリオン考察 駅と言えば旅立ちと見送り、ということなのかもしれませんね。
この駅はイマジナリーな世界と現実世界との境、門の象徴なんでしょうか。一行は左側(村方向)へ去って行きましたね。
彼らが乗った茶色の電車は今は動いてない旧式らしいので虚構側とお別れの意味では?
@@ryojin2
めちゃめちゃ納得です!
アスカやカヲルくんや綾波に対しての疑問もこの考察が1番だと思います!
@@yuto6418 アスカがなぜ一人でいた(来た)のかもわかる気がします。切ないですね。
マリのモデル安野モヨコ説は以前アップロードされてたエヴァラジオで制作陣により完全否定されてました。鶴巻さんだと言ってましたよ!
エヴァのいない世界、旧劇のアスカやレイとカヲルが存在していい世界、現実の世界の3つの世界があるのかな〜っていう...。
2つ目の世界がないと色々苦しんだ3人がそのまま消えてしまうのは悲しいなと。
最後のプラットフォームのシーンは三人共もうシンジのことは認識できないが普通の人間としての生活を送っているよっていうメッセージだと思うと救いがあるな〜って思います。
そもそもマリは何者で何の目的を持っていて、なぜあらゆる知識を持っていて、戦闘能力も高いのか??仮設5号機で初めての実戦、なのに全てをうまくこなせてしまう。シンジを迎えに行く事を最初から宣言している。このままでは物語の外、違う次元から来たチートキャラ。という最悪の結果になってしまう。なんとか物語の中のキャラとして説明してほしいです。
なるほど、庵野さんと奥さんと考えるとかなり納得いきます!
マリは...感情を他人に見せないんだよね。笑っているだけ。
弱みを見せたくないんだろうな。
一方で古今東西の本を読みたいとか、「ワンコ君」とか「使徒もどきが...」と見下したりしている。
かなり『支配欲』が強そう。
それに対してへなへな男子の
シンジ君にはしりに引かれる位が
丁度いいのかも笑笑
エウレカみたいに
第三村で世界を修復してる間に
現実世界でその余波が少しずつ起こって
記憶を受け継いでるカオル アスカ マリ シンジ レイが現実世界で
リツコさんたちが第三村を中心に問題を解決していく
みたいな映画作ってくれないかな
あとは記憶を99%失ってるミサトさんがシンジくんに母性か恋かわからないままアプローチして、マリがあたふたしてくれると最高
エヴァのパクリのエウレカ(褒め言葉です。)をパクるエヴァなんか凄いw
そんで序でエウレカの監督呼んだのに、使えないって、一切絵コンテ使わなかった庵野監督鬼畜過ぎる。
普通に復興したんじゃないかな?
だから6年後の世界を描いているし、最後第3村のシーンを映したし、元々第3村があった場所を中心に映してるし、DSSチョーカーをつけてたとか?
なるほどなぁ~~
映画の感動がより高まった…!
良い映画、そして良い動画でした🎥
似たよう解釈です!
もし第三村に戻ったならそれを絵で描写すると思うし、そうしなかったのは
シンジは本来アディショナルインパクトで消えるはずが父と母とマリに救われて、現実世界に生きることとなった。という終わり方が好きです。
第三村は消えて無くなったわけじゃなくてマリとシンジの他はみんな第三村で生活してるって事?
「東京大学物語」のラストみたいに、実は全て夢でした的にも感じた私は間違ってるでしょうか?
流石にそこまでの夢オチでは無いですw
確かにそう感じるかもしれませんが、しっかりと世界線を変えても過去に経験したことは変わらないわけですから。
ネオンジェネシスによって作り出されたエヴァのない世界=最後の現実の世界だと思ってたわ。エヴァが居なくてもいい世界→新世紀エヴァンゲリオンというアニメを通した物語がなくても登場人物が生きていける世界→登場人物が現実のような世界で生きた世界線。的な
世界の書き換えはもしもボックス的な物で、後腐れを残さない為に、救われた状態にしてからエヴァの無い世界に書き換えした結果、現実と似てる世界になったって程度にしか考えてなかった。元々エヴァ世界は異質な要素を除けば、現実と地名が同じようなぐらい現実に近い世界観だったし…
コメント欄の深い解釈すごいなぁ…
ラストの矛盾点について、とても面白い考察です。でも個人としては何処も矛盾点を感じなかったです。それは単純にシンジ君がゴルゴダオブジェクトから創生された「時間を戻さない、エヴァがなくても生きていける世界=ネオンジェネシス」へ還る術がないところを、マリに拾って貰って、その世界に還ってきたで納得してます。でなければエヴァ時代に存在していた、DSSチョーカーをその世界でもまだ付けていた理由が説明出来ない気がします。
映画を観た後めっちゃモヤモヤしてたけど、これ見てめっちゃスッキリしました!
単純に、エヴァのない世界になって成長しない呪いが解けて急速復興した~○年後~って訳じゃ無いのか
第3村に宇部新川駅があったのなら、そのままの世界線で未来にああなってる可能性もあるかな?と思ってた
2次元も3次元もそこに優劣はなく、虚構も現実と一続きってことをラストに言いたかったのかな?アニメ、ゲーム、CG、特撮などの世界での存在感はめざましいですし。
物語のラストを深掘り考察、いいですね。
庵野監督もあえて雑な終わらせ方をしてファンを現実に引き戻そうとしたって自分で言ってるし、お前らシンジ達みたいに現実に戻れってメッセージだと思う
シンジ「現実世界の巨乳が良い!!」
宇部新川駅のコア化が解除されたらああなった…てだけじゃないのアレ
シンジ、マリのいる世界は別世界ですよね。天国とか、ゴルゴタオブジェクトとか。
そうでなければせっかく作ったエヴァの世界が台無しってのもありますが、
自分はせっかくミサトさんが命がけで守ったクルーや、息子、あの世界が無かったかのように別世界に切り替わってしまうのはなんだか浮かばれないなと思っていました。
最後までミサトさんは息子に何もできなかったと後悔してましたし、後にリツコから息子リョウジに母がした事を説明して頂ければ報われるかなと。歴史の教科書なんかにも載ったりして。
じゃあアスカたちはエヴァがない世界線に行ったとしたらマイナス宇宙からプラグが飛ばされたとき第3村にいましたよね?なぜ急にエヴァがない世界線にいったんですか?
似た別人という解釈でいいと思います
それと駅が虚構と現実という境界線なら駅ってもしかしてイマジナリー(精神世界)ですか?
シンジとマリが最後に現実世界て大人になっているのはもしかしたら
庵野監督のエヴァンゲリオンという夢が終わり
大人になったことを意味しているのかもしれませんね
エヴァが存在しない幸せな世界→エヴァのせいで不幸になった人たちのいく世界(例みどり)
エヴァがあった世界でしか幸せになれない世界→アスカなどエヴァが無かったらそもそも存在しない人たちがいく世界(ケンスケの父はエヴァに関係なく死に、ケンスケ本人は序破でエヴァに対して興奮してるのでどちらかと言うとこっちの世界へ来る)って解釈してる
第三村のミニチュアセットにある駅は天竜二俣駅では?
でも結局マリは何者?
これだけはどーしても釈然としない
そこだけは釈然としませんね。何回考えても、キリスト教とか、安野モヨコさんとかメタ的な視点からしか考察ができない存在です
アダムが第4使徒、第5使徒と色んな種類の使徒を産み出すことが出来てたし、リリス(綾波ユイ)がリリンとは別に産み出した使徒だったんじゃないか説
執着⇒終着 ですよね?
おっしゃる通りです…!
@@図解エヴァンゲリオン考察 さん
でも内容は素晴らしかったです!
たのしく最後まで拝見させていただきました。^^
ありがとうございます。
ラストの現実世界で高校生になったシンジを見て、そもそもエヴァンゲリオンというものは、高校生のシンジの空想の世界の話だったと思ってしまいました。
エヴァが終劇した後の世界(俺たちの世界)に来たって事かな。
な、涙が出そうです
なんで矛盾する事になるのか分からない
第3村とヴィレクルーの乗ってきたやつのシーンって、そもそもエヴァが必要ないならヴィレクルーも存在しないし、第3村もないからまだエヴァいる世界じゃない?
あとシンジをマリが迎えに行く理由は
初号機ぶっ刺して使えんくなるから
エヴァないと現実に帰れないからじゃないの?
話はもっと単純。
エヴァは現実世界に適応できない庵野が創り出した「復讐、皆殺し、自慰」の世界。
マリ=モヨコと出会ったシンジ=庵野がエヴァを卒業して現実に戻っただけ。
色のない作画や、箱(スタジオ)の中での戦いのシーンは
庵野が「これはアニメですよ」と言ってるだけ。
盛大な卒業式って印象はありますよね!
ケン・イシカワ時空ならもっとヤバい。「暴力・皆殺し・破壊・ヤクザ」と惑星破壊・ビッグバンとマジで魔境だからエヴァなど虚無の戦いの前ではチャチな遊びに過ぎぬ!!(ドワォ)
庵野監督はシンジに再会できるかもしれないって言ってたからまた作るんじゃないかな
卒業はしていないと思う
@@キキとジジ-f1i
また作ってほしいね
@@もぐらさん-l2r
そうですね
また作ってほしいですね
最期のエヴァである8号機が神の姿なの?
ホントに庵野監督は頑張ったと思う
歴史に残る超大作、様々な年代の方々でも知っているような作品を作った庵野監督は偉大な方だよ…
動画と関係なくてすいません💦🙇♂️
僕も関係なくてすいません
鬱を発病しつつも、作り上げるってところに、根っからのクリエイターである事が分かりますよね…!
@@図解エヴァンゲリオン考察 鬱病=高濃度ゲッター線汚染状態による現実認識能力の超越。もしもQの時に大量のゲッター線を浴びていたらエヴァを完結することなく宇宙の真理を悟りながら石川氏の様にゲッターと同化していたかもしれない…
結局旧劇も新劇もラストはイデオンのまねで終わったのさ。
え、式波オリジナルが言ってる最後のエヴァって13号機のことでしょ笑
やっとわかった
オップファータイプのエヴァがアダムスだってことが。遅いかな?w
ラストシーンは新たにループしている可能性が極めて高いと私は思います。つまり、ラストシーンは「ネオンジェネシス」とは、全く別の庵野さんによる「ループ」によって創造された世界なのだと。そう考えれば、あの飛躍にも納得が行きます。
『マリがシンジを別世界に連れ出した』という解釈は腑に落ちますね
これは矛盾と言うのか?
この作品のテーマは相補性で監督はストーリーだけでなく制作過程やメタ的な視点でもそれを貫いた
だからNHKの的を得ないスポットの当て方にイラつき必要以上にオマージュを多投しオリジナルとは相補性の賜物ということ伝えたかったのでは
相補性のある世界は相補的手法で作られる
ラストの実写世界はシンジを通した他者とマリを通した他者が相補性のうねりとなり創生された世界じゃないかな
おっしゃる通り、相補性のうねりが生まれた、というところがかなり重要ですね!
俺ん家この駅の近くで候
ただただ羨ましい。
年末年始にチョコっとお邪魔します。
駅前に映ったビジネスホテル泊まりたい。
_( _ーωー)_TV・旧劇・新劇の全てループ世界で繋がってると感じた。現実世界からまたエヴァの世界が描かれて…
ならエヴァの無い世界の人達はシンジ君とマリのいない世界で生きてるのか、、、
現実にみんなを持って来れないんかな、
でもせっかくエヴァの無い世界を作ったからなぁ、、
どうせなら空白の14年間か、エヴァの無い世界と現実世界のその後を作って欲しいなぁ、
各キャラクターがそれぞれの世界線に行ったんだと思います。それぞれの世界線にそっくりさんがいてる印象です。
悲しい; ;
みんな同じ世界で今までの記憶を引き継いだまま幸せに暮らして欲しかった; ;
@@闇が深いケホンゴン それしか方法がなかったのだと思います。🤔広い意味合いでいうエヴァの呪縛から解放かと。悪魔で新劇シリーズの世界線での話なので。旧劇や単行本の世界線とはまた別です。🤔
アスカの(シングルエントリーじゃなかったの?)ってセリフもわかんない、、
その前にアスカとサクラがもう1人のパイロットが爆死って話してたのに
カオルの魂は残っとって
肉体だけ消えたんじゃない?
なんにせよQの13号機は2人で操縦してたのは分かってることだと思うんよ。
アスカは13号機は1人だけでも操縦できるって思ってたんかな??
Qも最後シンジ1人で操縦して槍抜いてたから出来るんじゃない?
一人で動けるかはわかってなかったとしたらカヲル一人の魂しかないからまだシングルエントリー何じゃないのかってことじゃね?
正直この人毎回難しく考えすぎでは?
2度見に行ったけどとてもここまで考察できなかったオレはバカだなあ…カットのテンポが早過ぎてついて行けてなかったようだ
庵野秀明と庵野モヨコが手を繋いで駅から走り出すってオチ
旧劇のリブートだから、駅のシーンは「おめでとう」のシーンでしょ。
声優が変わったことから緒方恵美さんと庵野監督に対する「おめでとう」だと思ってる。
韓国で視聴中の韓国人なのに、ナレーションを少しゆっくりしていただければアンドゥェルカヨ?言う速度が速すぎて理解するのが大変です...
復興するまでこの世界にお暇説
昔こんなss書いたな
量産機に勝ちサードインパクトを阻止したものの世界はめちゃくちゃになり復興するまで並行世界で暮らすという内容
あまりにつまらないからupしなかったけど
う〜む、何か難しく考え過ぎかなー。
このアニメ世界の話で、
世界が元どおりをなっただけ。
宇部新川駅のシーンは、シンジの夢だと思っている。
胡蝶の夢オチだね。
そう言う考え方もあるんですね。
岡田斗司夫さんも同じような考察をされてましたが自分はそこには違和感感じなかったしそこまで深い意味を考えませんでした。
エヴァの無い世界って単純に昨日まで存在したエヴァが今日からはもう無いよって話じゃなくエヴァが存在してた事実も理由も無い世界、つまり始まりの時から使徒もいなければセカンドインパクトも無かった世界何じゃないですかね?
当然ネルフも存在しなければ赤い海や大地もないし、使徒と戦うために作られた機械や設備もない。
つまりアスカやヴィレクルーがマイナス宇宙から帰還するために第3村へ持ち込んでしまった謎のカプセル以外は無かった事になってだけじゃないでしょうか?
だから3次元と2次元の境界とかじゃなく第3村の外は当たり前にそこにあった現実の街がひろがっているんだと思います。
劇中の人物たちも第3村の中で暮らす事も出来るし外の街へ飛び出して行く事も自由何じゃないのかな?
ただ当たり前の2028年に戻った世界でヴィレや第3村の人達が辛い過去の経験と記憶をどう認識しているのか分かりませんし、作中でどう表現すゆのかも難しいから敢えて触れないって選択になった気がします。
世界はそのままにただエヴァが物理的に存在しない世界を作りたいなら槍で貫かなくても、破壊してマイナス宇宙に放置して置けばいい話なので、エヴァの存在した事実を人々の記憶から根こそぎ消してしまってるので宇部新川駅の反対側も同じような街並みになってるとおもってました。
しっくりくるね。
自分も漠然とそんなイメージだった。
なるほどです…!おっしゃる解釈もしっくり来ますね!
ずっと思ってたことが言語化されてる
神話にしたかったのでは
小説版もとむ🤓
奇跡の1コメ!爆笑
まじでたまたまの奇跡の奇遇からの最高❤
おめでとう🎉
@@TanakaTanaka7 ありがとうございます!笑笑
ありがとうございます😊
おめっとさん
自分が死んだらあの世でプリキュア鬼滅エバァアイマスシャニマスノクチル特急プリキュア鬼滅エバァアイマスシャニマスノクチルワイドビューひだ八十三号アニメ名古屋発アニメ高山行運転する(あの世高山運輸区運転士日下部車掌和田)以上
いきなり誤字で観る気失せた。
中々良く考えられた考察でした面白かったです。
ただこれを「考察」では無く「解説」と紹介するのはいかがなものかと思います。
なのでこの解説動画とは関係無く敢えて自分の「私見」という名の「愚見」を述べさせて頂きます。
シンエヴァンゲリオンのラストの矛盾点もクソも庵野の我々への上から目線のアニメを見てる観客への「卒業しろ」と云う大きなお世話の嘲りで有り、
庵野自身は嫁(モヨコ=マリ)とアニメなんかより高尚な特撮の世界(現実)で活躍していくという我々への悪意有るメッセージでしかないと思います。
絶賛する馬鹿は必ずといってよい程「宇部新川駅」が最後のシーンに選ばれた理由を庵野の故郷以外のエヴァ世界とは全く関係ない場所でしかなく、つまり庵野が自分の心象風景を表現する事でエヴァ世界を私物化し作品そのものを陳腐化させた。
まあ、現在アマプラの評価がダダ下がりで「3.7」いずれは「3.5」辺りで落ち着く事だろう。
上映当初は大絶賛の嵐でツイッター等も反対意見を許さず、映画評論サイトや雑誌での評価が「4.8」から「4.6」から下がらなかった事からも現在の評価の差はあまりにも激しすぎる。
つまりはあの評価はステマと電通等の業者が作り出した欺瞞でしかなく、しばらくして冷静な作品への評価はかなり低いものになるであろう。
長文失礼いたしましたが、所詮はただの「愚見」でしか有りませんので「ご一笑」して頂ければ幸いです。
相変わらず鋭い指摘ですね…!
シンエヴァを終わらせないと、次のステップに進めないという、庵野監督の儀式みたいな映像ですよね