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声、語り方、まとめ方、めっちゃ見やすい動画 ありがとうございます
昔の話だが、代々続く網元の家系で、神戸商船出のお爺さんから聞いた、当時は船乗りなら誰でも知ってたというお話。 イザナギ、イザナミの名前からは、ナギだから漕いで、潮目を探そう。イザナミからは、ナミがあるから帆を立てて、潮目に乗ろうになり、天御柱廻るとは、島がご神体だから、島を周回する冒険を意味する。 尚、イザナミは女性、母であるから、母を表わす「オモ」の呼び方から面舵(おもかじ)の意味になる。 つまり波に乗りつつ、右回りに島を一周する意味になる。 だがこれは失敗する。 イザナギに取舵の意味があるかは不明だが、播磨灘とか鳴門の渦潮とか難所尽くしの淡路島を、慎重に潮目を選びながら、回ることに成功したのであろう。 オノコロとは、男のコの或いは男根の意味であり、淡路島は、外洋で鍛えた海人(あま)族が拠点を構え、舟を操ることで四国や畿内全域への進出するには、最適の島だった。 だがこの話は、邪馬台国卑弥呼の時代よりも数千年前の話である。 因みに高知県の四万十川に住んでいた、伊藝さんという古老の話では、祖先は沖縄から来たとの伝承があるそうだ。 沖縄とか南西諸島の人々が、黒潮のまま小舟で小人数ずつやって来たとするなら、四万十は万葉仮名の当て字で、本当の由来は島人(シマント)かも知れない。
素敵なコメントですね!物凄く情景が浮かびました!ありがとうございます😊
こんにちはたまたま先週徳島にの神社巡りをしてきたところです剣山、三木家、栗枝渡神社、倭大國魂神社、倭大国敷神社、磐境神明神社、白人神社、大麻比古神社と回って来ました数年前には沼島にもこのエリアは本当に神秘的ですよねこれから楽しみにしています
徳島の西部の人間です。筋の通った解説と温かいフィールドワークにいつも心躍りながら拝見させていただいています。徳島に住んでいると当たり前すぎて皆んな気にしないのですが、吉野川は東に河口があるので河口から日が登る珍しい川です。そして川上の西に日が沈みます。イザナミ神社がある舞中島は(もしくは中鳥島)は日の沈む方向にあります。(季節による話ですが)生活をしていていつも川から登ってくる大きなお日様やお月様が綺麗だなと思っていました。古代の人もそうだっただろうなと思います。(河川改修を大幅にしているので今の吉野川河口は旧の吉野川の河口ではないですが、、)また徳島に来ることがあれば、ぜひ吉野川の日の出、月の出もご覧ください。
本当に大事な場所は、世俗化させずひっそりと祀ってあると思う
とても興味深い動画、お話しでした。歴史家によっては色んな説がありますが、探究しているうちに歴史的な新事実に巡り合う事も有り得ると思います。みんなが興味を持つ事が大事なんですよね。ありがとうございます。
1ヶ月前に疑いながら阿波説を調べ始めました。もう…嘘がないと思える状況に身震いするほど、ここに倭国があったと思えます。北九州説(東京大学)VS畿内説(京都大学)のような巨大な権力でも見つけることすらできないが、阿波には、怖いほどおおくの神社、古墳がある。それに古事記が、そのまま阿波に当てはまり…何も権力が無くても、ゴリ押ししなくても、ココだと思える。嘘の歴史はもういらない…真実に限りなく近い古代の輝きを見たいです。
近頃、阿波・徳島説の主張に関心を持ってくれる方が増えてきて、地元の阿波説研究者としてうれしい限りです。定説上、日本神話の舞台となった場所は四国をのぞく、西日本各地のかなり広いエリアに設定されていますが、どんな大きな国、あるいは世界各地に拠点を持つ多国籍企業でもその基礎形成は極限られたエリアで行われるのが普通です。そして阿波とは日本という国にとっての揺籃(基礎形成)の地であった・・と阿波説はつねづね主張しています。ですがそれ故に阿波説の主張は偏った物にならざるを得ず、民主主義的(平等主義的)な考えが浸透している現代日本人にとっては、ひどく自己中心な主張に感じられてしまう場合もあるようです。ですがそれにもかかわらず、近年、徳島県民以外の方々が阿波説に理解を示し、阿波説の解説動画まで作ってくれる方が相次いで現れている事には、私共も驚きを禁じ得ないでいます。やっぱり真実を求める人達はしっかりと存在しているのだなぁ・・と感じ入っています。それでは、今後の動画に期待してお待ちしております。まだ完全には阿波説に納得して頂けた訳では無いのかもしれませんが、動画を作っていく過程でup主様の確信がより深まっていくことを期待しています。
これだけの人を惹きつけているのは、それだけ阿波説に説得力があるからだと思います。僕も阿波に秘密が眠っているのは間違いないと思っています^_^
徳島県民です。すばらしい動画でした。…日本人が真実の古代史を知る日は、もうそこに来ています😮オノコロも阿波にあります
徳島県在住の古事記研究をしている者です。三木家は御殿人(みあらかんど)であって、高御産巣日つまり天皇家のご実家であり、践祚大嘗祭の際には宮内庁から三木家へ麁服の調進が来ます。ちなみに忌部は三木家指揮のもと麁服製作をする部族の一つですので、三木家は忌部の子孫ではありません。
倭武神社(ヤマトタケル)倭大國魂神社(ヤマトオオクニタマ)倭大國敷神社(ヤマトオオクニシキ)という名の神社もあります。あと神山(カミヤマ)という地名とか徳島は謎が沢山あります。
高校時代近くに忌部神社と金毘羅さんがあり、金毘羅さんの方が有名なので金毘羅さんしか行ってなかったです。今度徳島へ行ったら絶対に忌部さんも参拝します。
私は徳島県人です。祝詞の太鼓のリズムが阿波踊りの太鼓のリズムと似てると感じました。
ありがとうございます😊脈々と繋がっているのかもしれないですね!
神話成立当時に、九州や四国はともかく、本州も「島」だと認識していたことが驚きだね。交易が盛んに行われていたんだろうね😊
それぞれ、行ってきました。 今後の展開や考察が楽しみです
白人神社の流れていた音楽が独特で、非常に興味津々でした。普通、日本のリズムは表拍に叩きます。でもこでは4拍子としてとらえると、3拍目の裏で入るんですよね。あまり聴いたことがありません。白人という名前に騙されているのかもしれませんが、まるでインドか中近東の音楽に聴こえます🎵
阿波忌部氏と麻は千葉県とも縁が深く、南房総の安房(本来はこちらが阿波で四国の方は粟)は言うまでもなく阿波忌部氏から、上総下総の総は麻の古字だと言われていますね。無数の貝塚や最古級の前方後円墳、大仙陵古墳と同様の金メッキの甲冑セットの存在など古代史における重要性が伺えますが、不思議とこの手の話には挙がって来ないものですね。
勉強になりました。黒岩神社ではいい経験されてよかったですね。黒岩といえば伊予には上黒岩岩陰遺跡(かみくろいわいわかげいせき)がある。上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町上黒岩にある岩陰遺跡。「岩陰遺跡」とは張り出した岩盤を屋根代わりに利用した遺跡のことで、縄文時代1万4千500年まえから1万年も使われており、しかも、女神像を線刻した礫も注目される。長い髪・大きな乳房・こしみの・かすかにわかる逆三角形を、鋭い石器などで小さい緑泥片岩に描いてある線刻像。これは信仰の対象であっただろうといわれており、日本での出土は上黒岩岩陰遺跡が初めてで、世界でも珍しく、日本人が描いた最初の女性像で貴重なものだ。伊予は太古から女性を女神にしていたのである。卑弥呼 を祭り上げる土壌があったのだと妄想している。工学博士 お笑い芸人 遼子規キンジロウ
情報ありがとうございます(^^)
眉山には八つの登る坂が有ります、だから八坂神社八坂神社の元宮が有ります
徳島城の名前が渭津城、イの国と関係ありそうな名前でビックリでした。津は「の」ですからイのお城となります。イは色々な漢字が使用されてて面白いです。
最近ようやく隋書倭国伝を知って、倭国は四国にあったんじゃないの?とか思ってたとこ。今回のシリーズ楽しみ。
阿波の歴史を調べるなら絶対に「善入寺島」を調べて欲しいです!旧地名は粟島(あわしま)という名で、阿波と深そう関係がある名前だったのに遊水池になるのと同時に地名に近くの寺の名前を取って神社なども爆破して、近くの神社に合祀したみたいです。
ありがとうございます😊浮島八幡宮の事ですね!今回時間の都合で立ち寄れなかったので細かく解説に入れていませんがもちろん頭には入っています(^^)神社が爆破されてしまうと言うのは普通のことではないですよね。
淡路島はなぜあわじ島というのでしょう。島ではないところからあわへ行く通過点だからではないでしょうか。ということは名付けた人は阿波と淡路島以外にいたということになります。本州目線ですよね。
コメントありがとうございます😊そうですね、名付けられたのは畿内に移動してからなので本州目線で問題ないと思います。それよりも普通に考えたら畿内へ行く道とするべきなのに、何故阿波へ行く道と名付けられているかが重要だと思っています(^^)
私も かなり前から「淡路島」は「阿波」への道という意味で名づけられたのでないかとずっと思っていました隠された歴史(独断と偏見)💦「淡」は 「阿波」ではないでしょうか?希望的観測で言うなら阿波が先で 淡路島が後 の様な気もします🤔🤔いけない、ロマンが先走ってしまいました😅
普通に考えたら機内へ行く道とするべき、というのはかなり主観、願望が入っています。 畿内が基軸だから阿波へのルートで淡路島。これが現実で”普通”の状態です。そうではない主張はまず浪漫から始まっています。
面白い話しですが 諸説有りですね😃 古代の日本は たくさんの国が存在しています神社の参拝にしても 私の地区では 三拍が 主流なので 東京のある神主に聞いたら明治時代に 二泊に 統一されただけなので 三拍でも 問題無しといわれました しかも結婚式で神々に捧げる 祝詞 の中にはイザナギの 両親の カムロギとカムロミの両名の 名前が 出てきます さぁ どれが真実でしょうね😃
ありがとうございます😊諸説ありで良いと思います。四拍の神社もありますしね(^^)
阿波説と言われていますが、かなり古くから研究者がいらっしゃいますよ。
僕さっき生夷神社に行って来ました✨
淡路島や四国忌部のネタは、とっくに星野之宣が「宗像教授異考録」などで取り上げてしまっているが。あっちは記紀はもちろん、出雲神話や渡来人、ウラシマ伝説に源氏物語まで織り込んだ壮大なタペストリーになっているが。日ユ同祖論が入り込んでしまうと、ちょいと眉に唾付けたくなるが。宗像教授シリーズはフィクションとはいえ、大英帝国博物館も評価された作品なので、あのレヴェルを越えるのは大変な難儀だろうな。
宗像教授、僕も読んでいました!ヤマトタケルの白鳥伝説とかオリオンの三つ星とか、単なるフィクションで片付けるには勿体ない内容ですよね^_^
昔、ここで製鉄(既存の鉄の加工?)をしていた事が分かり分析などの情報を待っています
徳島県阿南市に“加茂宮ノ前遺跡”があり、そこは数千年前の国内最大級・最古の『水銀朱』の加工コンビナートであり、後の製鉄コンビナートになっています。ちなみにその遺跡の隣を流れる那賀川の上流には水銀朱採取跡の“若杉山遺跡”があり、魏志倭人伝には「其山丹有(その山に丹あり)」と卑弥呼の国には丹(水銀朱の含まれた土)が採れる山があると書かれており、現時点で魏志倭人伝の書かれた時代の発見されている水銀朱採掘跡は若杉山遺跡だけですし、その時代の水銀朱加工コンビナートは加茂宮ノ前遺跡だけです。www.lsc-nanbu.com/nanbu-news/7345/
初老の男ですが徳島は関東住みなのでちょっとやそっとでは行けませんがぜひ行ってみたい場所です。さらに最近の邪馬台国は阿波というホットな話題。リタイヤしたら真っ先に行きます。自分の家だけではなくほかの家でも聞いたことがあるのですが先祖が崇神天皇だという話。明治時代のビジネスだったのかもしれませんがなぜか淡路島が先祖の始まりの地だったり。(淡路=これは阿波の領土ということでしょう。もしくは阿波への街道)明治時代までは記紀の件は阿波が関わっていたことになっていたのかもしれないなんて思うこともありますね。都市伝説??まあそうかもしれませんが。。。
おのころ島と沼島の関係がわかりませんが、この辺に以前「ブラタモリ」が来たとき、海岸の石に「鞘型褶曲」の模様があり、天からの鉾(ほこ)でかき回したようになっています。よう知らんけどね。
白人神社の祝詞の太鼓、とても貴重なものありがとうございます。これって、アフリカの太鼓ですよね?
こちらこそコメントありがとうございます^_^アフリカの知識があまり無いのでよくわからないんですが、独特なリズムで気になってしまいました!
ぜんぜん普通の和太鼓ですが。中型のだと思います。外国人の方ですか?
@@sunsun2181 私は冗談ですが、もしかしたらそれを知らないのはあなただけ?それに、私は楽器のことをいっているのではなく、リズムのことをいっているのですが。アフリカの太鼓のリズムって聞いたことありますか?っていうか、もちろん冗談ですよね?
僕の地元のおのころ神社の鳥居は、おっきいよ
福岡にもオノロコ島ありますよ。それにこちらも天皇即位の際必要な食物の最北端。そしてその位置から東西南北で観てみると………面白い場所にたどり着くと思います。
織田信長について少し書かせてもらいますね。福井県丹生郡越前町織田に越前町織田文化歴史館があります。当方がもらった歴史館のパンフレット中に織田信長と剱神社(つるぎじんじゃ)の記述がありまして「織田一族」発祥の地として有名であるともに、織田一族の始祖・親真(ちかざね):平清盛の孫・資盛(すけもり)の遺児で、織田一族の祖とされるが、当町には親真(ちかざね)を剱神社神主・忌部氏を正系とする「忌部氏説」が伝わっていると書かれているんですね。当方が思うには、阿波忌部氏が越前町織田に行っ時に、阿波の神様の御霊(みたま)も持って行き剱神社に祀ったと考えているのですね。また、阿波忌部氏は他県に多くの阿波の神様を祀っており、神社の由来を調べてもらえば阿波につながるんですよ。
ありがとうございます。信長は平氏を名乗る前は藤原も名乗ってましたし、その辺りの姓は家の格を上がるために無理やりこじ付けてる可能性がありそうですよね。
母親は剣山には神様がおられて、白い大蛇が神様を護られてるから、剣山には行かないように言われてましたよ。😀
徳島の人が、淡路島を作った!
あーわ、はあ行からわ行までって意味でしょう。阿吽と同じ意味。
とても興味深い内容です。通説の神武東征はいきなり今の奈良を目指してますが、九州を出た後に現在で言う淡路島→徳島に渡りそこで初めて集落の長となり、地盤を作りました。故に徳島は元大和と言われているのです。邪馬台国と言う書き方は蔑称であり、正しくは山台国と言い九州の霧島にありました。と言い伝えられています。とある口伝より
文明800年周期説・ガイアの法則の地点が【淡路島】らしいですよ。【東経135度ライン】上に次なる文明の中心が来るらしい!
記紀原本ホツマツタヱで私達が忘れてしまったヤマトコトバを学び直し、漢訳された記紀の誤りを正して本当の歴史を子供たちに伝えましょう…。😄
豊葦原之瑞穂国❕☝️大河有ればこそ‼️豊穣の土地❕阿波忌部の麁服‼️若杉山の水銀床❗宮ノ前遺跡~気延山古墳群~👍️!(*≧∇≦)ノ此から期待しています!✴️
邪馬台国は..福岡県の東部か..大分県辺りに有ったが..やがて本体は..東進を始め..瀬戸内海沿岸の岡山や香川..徳島に基地を置いて..近畿地方へと進んで行ったと思います。淡路島(おのころ島)は単なる..通過点で..それ程重要な地区では...無かったのでと思います。と言うのも..淡路島は..海岸線以外は..殆ど山地が占めており..稲作等にも..不適当な場所なので...沢山の人口や..兵士を養うのはかなりきつく..大阪.奈良を落とすには..寧ろ..対岸の..播磨..兵庫が後方地として..好都合だったと思います。それが証拠に.女子供達は(姫)路、食料は飾磨(鹿)間)船乗り達は加古、武器や兵士は兵庫、武庫に置いたので..今も地名にその名残が有るのではと思います。
チャンネル登録します😮❕
東京ですか。調査には遠いですね。狭い範囲とは言え多いので時間がかかりますよ。日本の始まりは古事記、神々、式内社から見てほぼ阿波で間違いないないでしょうね。只、倭国大乱の痕跡がないのです。考察願います。
ありがとうございます😊これまで2回訪問しましたが本当にたくさん行きたい場所があり過ぎて全然足りません。笑倭国大乱については瀬戸内を中心に西日本の広い範囲で起こっていたと思っています。その辺りも少しずつ掘り下げて行けたらと考えております🙇
岡山の阿波は関係ありますか?
吉備も古代史の中で重要な場所の一つですし、付近の地名にも名残がたくさん残っているので関係はあると思います😊岡山の方もいつか行きたいなと思っています!
@進撃の歴史旅『信政の野望』 さん 天石門別八倉比賣神社 です。 天石門別矢倉比賣神社ではありません。 修正してください。
ご指摘ありがとうございます!ミスに気付かず公開していたのでとても助かりました。概要欄にて訂正させて頂きました。
元徳島県民です邪馬台国阿波説は30年以上前から聞いたことはあったけど発掘物とかはあまりないので流石にそれはどうなんでしょうねwただ忌部神社など祭祀上重要なものがあるのは事実個人的には記紀以前の天皇家の祖先の一部の隠居地もしくは勢力争いで敗れたやんごとなき人の流刑地だったのではないかと思ってます
阿波人です❕☝️!(*≧∇≦)ノ推考よろしく😉👍️🎶お願いします!
日本の始まりではなく神社の始まりは阿波でしょう。
淡路島は奈良県から見た阿波路の島なのかな?
海は 海だよ。
徳島県民です。わかりやすい動画ですねしかし、オノコロなど、はじめの国産みと、淡路島は関係ないと思います😢なぜなら、仁徳天皇の和歌が説明つかないからです。
アワ。の意味がわから内はアカンやつ。ア。天。(渡来人(中国人))ワ(ハ)。地(先住民、出雲族)二大勢力がせめぎ合う境界、地域。九州から大和攻略を狙う渡来人の物部(徐福の子孫たち)それに抗う在所の大和の出雲族イザナギの国生み。天孫降臨~神武東征、は、同じ話、歴史がベース大和攻略の橋頭堡、前線基地が阿波。さらには淡路島。大和に東征した物部が要した時間時代と淡路島の西に点在する鉄器工房遺跡の稼働した年代が見事に一致しています。洲本市の旧須本(元来の表記)町内は物部郷。奥座敷?の千草(千軍)大軍の意味。にはスサノオ(物部の祖、徐福)の千草八幡宮物部は道教だったから仙人が住むと考えた高山に上り虚空の星ぼし(特に北斗七星)を拝した。仙人の住む山。仙山→先山(センザン)二大勢力がせめぎ合う一触即発のバトルフィールド、、、阿波岐原播磨国と但馬(生野峠)の境の少し南は粟賀地域(神埼)但馬国と丹波国の境の山は粟鹿山。粟鹿神社は但馬一宮(出雲、大和系)出雲族の境界守護神はサルタ彦大神。(阿多(クナト大神)の御子神、、、愛宕神)
ミキ信夫さん、忌部氏の末裔ですよね?ひぇ〜って感じです。ホツマツタヱでは二限生や二極性を重んじてますが、これのミは女でキは男です。御神酒は元々この漢字ではなく、ヲシテ(文字)のミとキで書かれるもので、結婚式の三三九度で女から拝領する酒です。イザナミのミ、イザナギのキです。この様に二極性、アワもそうですね、アで始まりワで終わるという二極性です。日本の始まりはここである事を隠すために記紀は書かれた印象操作本なのです。ホツマツタヱは記紀の元となったものですが、ここからごっそり削除された部分、捏造されて部分を知れば本当の日本の歴史が見えてきますね。
1800年近くも前だと今の感覚や先入観は排除して先ず頭真っ更にする必要あるでしょうね。一部のある事無い事持ち上げて街起こしのネタに利用するようなのは勘弁です。そう言う意味で実は大多数の徳島県民が無関心でむしろ否定的であるのは現実主義の県民性ゆえな気がします。
そうですね。僕の地元にも大きめの古墳がたくさんあるんですが地元にいた時は全く気にしてなかったので、地元の人感覚だとそうなりますよね^_^何か確定してる訳でもないですが、それでも徳島は十分人を惹きつける魅力ある町だと思います。
我田引水で歴史を語ってはいけない。
ごもっとも。九州派や畿内派には耳が痛い言葉でしょうね。
邪馬台国は四国にあったのでいいと思いますけど、なんでもかんでも阿波からっていうのはおかしい気がします。(別の人が、「神社の名前を小細工で変えるな」とかいって怒っておられました。誰か昔プロパガンダぽくて、変えたみたいです。明治政府 VS 反抗勢力 みたいで不思議です。)昨日、たまたま調べていたら、九州の糸島に 平原遺跡というのがあって、三種の神器がでていて女王の墓で、鏡は八咫鏡と同じデザインだということでした。吉武高木遺跡、奴国首長墓とされる須玖岡本遺跡、伊都国首長墓とされる三雲南小路遺跡の3つともに、三種の神器が出ていて、しかも剣は青銅なので、鉄剣よりあきらかに時代が古いです。阿波のって、辰砂の遺跡は本物だけど、他のが名前とかばっかりで、実物が特に出てないから、ちょっと半分くらい怪しいです。もしかしたら、実はそれがひっかけで、天皇家が何か隠したいのかもって思ったりしました。まあ、研究しないとね。
@@sunsun2181 返信ありがとうございます。確かに阿波説の主張は奈良時代以前はほぼ阿波の一人舞台だと言っている訳ですので、他県の方々から見れば「ふざけんな!」って気持ちになってしまいますよね。正直私もこのような偏った主張を持つ阿波説が世間に広く受け入れらるようになるか甚だ疑問でした。ですが現状を見る限り、こんな自己中な阿波説を理解してくれる人が確実に増えている事も確かなようです。畿内派と九州派の嘘つき合戦に世間がいいかげん疲れてきた・・・というのも一助になっているのでしょう。まあ、急ぐわけではありませんので阿波説が本物かどうか、じっくり時間をかけてご自身で判断なさってください。
信じられないことだねー四国の人たちはなんとなくねー知り合った人達はスッキリする人はいなかったね。
声、語り方、まとめ方、めっちゃ見やすい動画 ありがとうございます
昔の話だが、代々続く網元の家系で、神戸商船出のお爺さんから聞いた、当時は船乗りなら誰でも知ってたというお話。 イザナギ、イザナミの名前からは、ナギだから漕いで、潮目を探そう。イザナミからは、ナミがあるから帆を立てて、潮目に乗ろうになり、天御柱廻るとは、島がご神体だから、島を周回する冒険を意味する。 尚、イザナミは女性、母であるから、母を表わす「オモ」の呼び方から面舵(おもかじ)の意味になる。 つまり波に乗りつつ、右回りに島を一周する意味になる。 だがこれは失敗する。 イザナギに取舵の意味があるかは不明だが、播磨灘とか鳴門の渦潮とか難所尽くしの淡路島を、慎重に潮目を選びながら、回ることに成功したのであろう。 オノコロとは、男のコの或いは男根の意味であり、淡路島は、外洋で鍛えた海人(あま)族が拠点を構え、舟を操ることで四国や畿内全域への進出するには、最適の島だった。 だがこの話は、邪馬台国卑弥呼の時代よりも数千年前の話である。 因みに高知県の四万十川に住んでいた、伊藝さんという古老の話では、祖先は沖縄から来たとの伝承があるそうだ。 沖縄とか南西諸島の人々が、黒潮のまま小舟で小人数ずつやって来たとするなら、四万十は万葉仮名の当て字で、本当の由来は島人(シマント)かも知れない。
素敵なコメントですね!
物凄く情景が浮かびました!
ありがとうございます😊
こんにちは
たまたま先週徳島にの神社巡りをしてきたところです
剣山、三木家、栗枝渡神社、倭大國魂神社、倭大国敷神社、磐境神明神社、白人神社、大麻比古神社と回って来ました
数年前には沼島にも
このエリアは本当に神秘的ですよね
これから楽しみにしています
徳島の西部の人間です。筋の通った解説と温かいフィールドワークにいつも心躍りながら拝見させていただいています。
徳島に住んでいると当たり前すぎて皆んな気にしないのですが、吉野川は東に河口があるので河口から日が登る珍しい川です。そして川上の西に日が沈みます。
イザナミ神社がある舞中島は(もしくは中鳥島)は日の沈む方向にあります。(季節による話ですが)
生活をしていていつも川から登ってくる大きなお日様やお月様が綺麗だなと思っていました。古代の人もそうだっただろうなと思います。
(河川改修を大幅にしているので今の吉野川河口は旧の吉野川の河口ではないですが、、)
また徳島に来ることがあれば、ぜひ吉野川の日の出、月の出もご覧ください。
本当に大事な場所は、世俗化させずひっそりと祀ってあると思う
とても興味深い動画、お話しでした。歴史家によっては色んな説がありますが、探究しているうちに歴史的な新事実に巡り合う事も有り得ると思います。みんなが興味を持つ事が大事なんですよね。ありがとうございます。
1ヶ月前に疑いながら阿波説を調べ始めました。
もう…嘘がないと思える状況に身震いするほど、ここに倭国があったと思えます。北九州説(東京大学)VS畿内説(京都大学)のような巨大な権力でも見つけることすらできないが、阿波には、怖いほどおおくの神社、古墳がある。それに古事記が、そのまま阿波に当てはまり…何も権力が無くても、ゴリ押ししなくても、ココだと思える。嘘の歴史はもういらない…真実に限りなく近い古代の輝きを見たいです。
近頃、阿波・徳島説の主張に関心を持ってくれる方が増えてきて、地元の阿波説研究者としてうれしい限りです。
定説上、日本神話の舞台となった場所は四国をのぞく、西日本各地のかなり広いエリアに設定されていますが、
どんな大きな国、あるいは世界各地に拠点を持つ多国籍企業でもその基礎形成は極限られたエリアで行われるのが普通です。そして阿波とは日本という国にとっての揺籃(基礎形成)の地であった・・と阿波説はつねづね主張しています。ですがそれ故に阿波説の主張は偏った物にならざるを得ず、民主主義的(平等主義的)な考えが浸透している現代日本人にとっては、ひどく自己中心な主張に感じられてしまう場合もあるようです。
ですがそれにもかかわらず、近年、徳島県民以外の方々が阿波説に理解を示し、阿波説の解説動画まで作ってくれる方が相次いで現れている事には、私共も驚きを禁じ得ないでいます。
やっぱり真実を求める人達はしっかりと存在しているのだなぁ・・と感じ入っています。
それでは、今後の動画に期待してお待ちしております。まだ完全には阿波説に納得して頂けた訳では無いのかもしれませんが、動画を作っていく過程でup主様の確信が
より深まっていくことを期待しています。
これだけの人を惹きつけているのは、それだけ阿波説に説得力があるからだと思います。
僕も阿波に秘密が眠っているのは間違いないと思っています^_^
徳島県民です。すばらしい動画でした。…日本人が真実の古代史を知る日は、もうそこに来ています😮オノコロも阿波にあります
徳島県在住の古事記研究をしている者です。
三木家は御殿人(みあらかんど)であって、高御産巣日つまり天皇家のご実家であり、践祚大嘗祭の際には宮内庁から三木家へ麁服の調進が来ます。ちなみに忌部は三木家指揮のもと麁服製作をする部族の一つですので、三木家は忌部の子孫ではありません。
倭武神社(ヤマトタケル)
倭大國魂神社(ヤマトオオクニタマ)
倭大國敷神社(ヤマトオオクニシキ)
という名の神社もあります。
あと神山(カミヤマ)という地名とか徳島は謎が沢山あります。
高校時代近くに忌部神社と金毘羅さんがあり、金毘羅さんの方が有名なので金毘羅さんしか行ってなかったです。今度徳島へ行ったら絶対に忌部さんも参拝します。
私は徳島県人です。祝詞の太鼓のリズムが阿波踊りの太鼓のリズムと似てると感じました。
ありがとうございます😊
脈々と繋がっているのかもしれないですね!
神話成立当時に、九州や四国はともかく、本州も「島」だと認識していたことが驚きだね。交易が盛んに行われていたんだろうね😊
それぞれ、行ってきました。 今後の展開や考察が楽しみです
白人神社の流れていた音楽が独特で、非常に興味津々でした。
普通、日本のリズムは表拍に叩きます。
でもこでは4拍子としてとらえると、3拍目の裏で入るんですよね。あまり聴いたことがありません。
白人という名前に騙されているのかもしれませんが、まるでインドか中近東の音楽に聴こえます🎵
阿波忌部氏と麻は千葉県とも縁が深く、南房総の安房(本来はこちらが阿波で四国の方は粟)は言うまでもなく阿波忌部氏から、上総下総の総は麻の古字だと言われていますね。
無数の貝塚や最古級の前方後円墳、大仙陵古墳と同様の金メッキの甲冑セットの存在など古代史における重要性が伺えますが、不思議とこの手の話には挙がって来ないものですね。
勉強になりました。黒岩神社ではいい経験されてよかったですね。黒岩といえば伊予には上黒岩岩陰遺跡(かみくろいわいわかげいせき)がある。上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町上黒岩にある岩陰遺跡。「岩陰遺跡」とは張り出した岩盤を屋根代わりに利用した遺跡のことで、縄文時代1万4千500年まえから1万年も使われており、しかも、女神像を線刻した礫も注目される。長い髪・大きな乳房・こしみの・かすかにわかる逆三角形を、鋭い石器などで小さい緑泥片岩に描いてある線刻像。これは信仰の対象であっただろうといわれており、日本での出土は上黒岩岩陰遺跡が初めてで、世界でも珍しく、日本人が描いた最初の女性像で貴重なものだ。伊予は太古から女性を女神にしていたのである。卑弥呼 を祭り上げる土壌があったのだと妄想している。工学博士 お笑い芸人 遼子規キンジロウ
情報ありがとうございます(^^)
眉山には八つの登る坂が
有ります、だから八坂神社
八坂神社の元宮が有ります
徳島城の名前が渭津城、イの国と関係ありそうな名前でビックリでした。津は「の」ですからイのお城となります。イは色々な漢字が使用されてて面白いです。
最近ようやく隋書倭国伝を知って、倭国は四国にあったんじゃないの?とか思ってたとこ。今回のシリーズ楽しみ。
阿波の歴史を調べるなら絶対に「善入寺島」を調べて欲しいです!
旧地名は粟島(あわしま)という名で、阿波と深そう関係がある名前だったのに
遊水池になるのと同時に地名に近くの寺の名前を取って
神社なども爆破して、近くの神社に合祀したみたいです。
ありがとうございます😊
浮島八幡宮の事ですね!
今回時間の都合で立ち寄れなかったので細かく解説に入れていませんがもちろん頭には入っています(^^)
神社が爆破されてしまうと言うのは普通のことではないですよね。
淡路島はなぜあわじ島というのでしょう。
島ではないところからあわへ行く通過点だからではないでしょうか。
ということは名付けた人は阿波と淡路島以外にいたということになります。
本州目線ですよね。
コメントありがとうございます😊
そうですね、名付けられたのは畿内に移動してからなので本州目線で問題ないと思います。
それよりも普通に考えたら畿内へ行く道とするべきなのに、何故阿波へ行く道と名付けられているかが重要だと思っています(^^)
私も かなり前から
「淡路島」は「阿波」への道という意味で名づけられたのでないかと
ずっと思っていました
隠された歴史(独断と偏見)💦
「淡」は 「阿波」ではないでしょうか?
希望的観測で言うなら
阿波が先で 淡路島が後 の様な気もします🤔🤔
いけない、ロマンが先走ってしまいました😅
普通に考えたら機内へ行く道とするべき、というのはかなり主観、願望が入っています。 畿内が基軸だから阿波へのルートで淡路島。これが現実で”普通”の状態です。そうではない主張はまず浪漫から始まっています。
面白い話しですが 諸説有りですね😃 古代の日本は たくさんの国が存在しています
神社の参拝にしても 私の地区では 三拍が 主流なので 東京のある神主に聞いたら
明治時代に 二泊に 統一されただけなので 三拍でも 問題無し
といわれました しかも結婚式で神々に捧げる 祝詞 の中には
イザナギの 両親の カムロギとカムロミの両名の 名前が 出てきます さぁ どれが真実でしょうね😃
ありがとうございます😊
諸説ありで良いと思います。
四拍の神社もありますしね(^^)
阿波説と言われていますが、かなり古くから研究者がいらっしゃいますよ。
僕さっき生夷神社に行って来ました✨
淡路島や四国忌部のネタは、とっくに星野之宣が「宗像教授異考録」などで取り上げてしまっているが。
あっちは記紀はもちろん、出雲神話や渡来人、ウラシマ伝説に源氏物語まで織り込んだ壮大なタペストリーになっているが。
日ユ同祖論が入り込んでしまうと、ちょいと眉に唾付けたくなるが。
宗像教授シリーズはフィクションとはいえ、大英帝国博物館も評価された作品なので、あのレヴェルを越えるのは大変な難儀だろうな。
宗像教授、僕も読んでいました!
ヤマトタケルの白鳥伝説とかオリオンの三つ星とか、単なるフィクションで片付けるには勿体ない内容ですよね^_^
昔、ここで製鉄(既存の鉄の加工?)をしていた事が分かり分析などの情報を待っています
徳島県阿南市に“加茂宮ノ前遺跡”があり、そこは数千年前の国内最大級・最古の『水銀朱』の加工コンビナートであり、後の製鉄コンビナートになっています。
ちなみにその遺跡の隣を流れる那賀川の上流には水銀朱採取跡の“若杉山遺跡”があり、魏志倭人伝には「其山丹有(その山に丹あり)」と卑弥呼の国には丹(水銀朱の含まれた土)が採れる山があると書かれており、現時点で魏志倭人伝の書かれた時代の発見されている水銀朱採掘跡は若杉山遺跡だけですし、その時代の水銀朱加工コンビナートは加茂宮ノ前遺跡だけです。
www.lsc-nanbu.com/nanbu-news/7345/
初老の男ですが徳島は関東住みなのでちょっとやそっとでは行けませんがぜひ行ってみたい場所です。
さらに最近の邪馬台国は阿波というホットな話題。リタイヤしたら真っ先に行きます。
自分の家だけではなくほかの家でも聞いたことがあるのですが先祖が崇神天皇だという話。
明治時代のビジネスだったのかもしれませんがなぜか淡路島が先祖の始まりの地だったり。
(淡路=これは阿波の領土ということでしょう。もしくは阿波への街道)
明治時代までは記紀の件は阿波が関わっていたことになっていたのかもしれないなんて思うこともありますね。
都市伝説??まあそうかもしれませんが。。。
おのころ島と沼島の関係がわかりませんが、この辺に以前「ブラタモリ」が来たとき、海岸の石に「鞘型褶曲」の模様があり、天からの鉾(ほこ)でかき回したようになっています。よう知らんけどね。
白人神社の祝詞の太鼓、とても貴重なものありがとうございます。これって、アフリカの太鼓ですよね?
こちらこそコメントありがとうございます^_^
アフリカの知識があまり無いのでよくわからないんですが、独特なリズムで気になってしまいました!
ぜんぜん普通の和太鼓ですが。中型のだと思います。外国人の方ですか?
@@sunsun2181
私は冗談ですが、もしかしたらそれを知らないのはあなただけ?
それに、私は楽器のことをいっているのではなく、リズムのことをいっているのですが。アフリカの太鼓のリズムって聞いたことありますか?
っていうか、もちろん冗談ですよね?
僕の地元のおのころ神社の鳥居は、おっきいよ
福岡にもオノロコ島ありますよ。それにこちらも天皇即位の際必要な食物の最北端。そしてその位置から東西南北で観てみると
………面白い場所にたどり着くと思います。
織田信長について少し書かせてもらいますね。
福井県丹生郡越前町織田に越前町織田文化歴史館があります。当方がもらった歴史館のパンフレット中に織田信長と剱神社(つるぎじんじゃ)
の記述がありまして「織田一族」発祥の地として有名であるともに、織田一族の始祖・親真(ちかざね):平清盛の孫・資盛(すけもり)の
遺児で、織田一族の祖とされるが、当町には親真(ちかざね)を剱神社神主・忌部氏を正系とする「忌部氏説」が伝わっていると書かれてい
るんですね。
当方が思うには、阿波忌部氏が越前町織田に行っ時に、阿波の神様の御霊(みたま)も持って行き剱神社に祀ったと考えているのですね。
また、阿波忌部氏は他県に多くの阿波の神様を祀っており、神社の由来を調べてもらえば阿波につながるんですよ。
ありがとうございます。
信長は平氏を名乗る前は藤原も名乗ってましたし、その辺りの姓は家の格を上がるために無理やりこじ付けてる可能性がありそうですよね。
母親は剣山には神様がおられて、白い大蛇が神様を護られてるから、剣山には行かないように言われてましたよ。😀
徳島の人が、淡路島を作った!
あーわ、はあ行からわ行までって意味でしょう。阿吽と同じ意味。
とても興味深い内容です。通説の神武東征はいきなり今の奈良を目指してますが、九州を出た後に現在で言う淡路島→徳島に渡りそこで初めて集落の長となり、地盤を作りました。故に徳島は元大和と言われているのです。邪馬台国と言う書き方は蔑称であり、正しくは山台国と言い九州の霧島にありました。と言い伝えられています。とある口伝より
文明800年周期説・ガイアの法則の地点が【淡路島】らしいですよ。
【東経135度ライン】上に次なる文明の中心が来るらしい!
記紀原本ホツマツタヱで私達が忘れてしまったヤマトコトバを学び直し、漢訳された記紀の誤りを正して本当の歴史を子供たちに伝えましょう…。😄
豊葦原之瑞穂国❕☝️大河有ればこそ‼️豊穣の土地❕阿波忌部の麁服‼️若杉山の水銀床❗宮ノ前遺跡~気延山古墳群~👍️!(*≧∇≦)ノ此から期待しています!✴️
邪馬台国は..福岡県の東部か..大分県辺りに有ったが..やがて本体は..東進を始め..瀬戸内海沿岸の
岡山や香川..徳島に基地を置いて..近畿地方へと進んで行ったと思います。淡路島(おのころ島)は
単なる..通過点で..それ程重要な地区では...無かったのでと思います。と言うのも..淡路島は..海岸線
以外は..殆ど山地が占めており..稲作等にも..不適当な場所なので...沢山の人口や..兵士を養うのは
かなりきつく..大阪.奈良を落とすには..寧ろ..対岸の..播磨..兵庫が後方地として..好都合だったと
思います。それが証拠に.女子供達は(姫)路、食料は飾磨(鹿)間)船乗り達は加古、武器や兵士は
兵庫、武庫に置いたので..今も地名にその名残が有るのではと思います。
チャンネル登録します😮❕
東京ですか。調査には遠いですね。狭い範囲とは言え多いので時間がかかりますよ。
日本の始まりは古事記、神々、式内社から見てほぼ阿波で間違いないないでしょうね。
只、倭国大乱の痕跡がないのです。考察願います。
ありがとうございます😊
これまで2回訪問しましたが本当にたくさん行きたい場所があり過ぎて全然足りません。笑
倭国大乱については瀬戸内を中心に西日本の広い範囲で起こっていたと思っています。
その辺りも少しずつ掘り下げて行けたらと考えております🙇
岡山の阿波は関係ありますか?
吉備も古代史の中で重要な場所の一つですし、付近の地名にも名残がたくさん残っているので関係はあると思います😊
岡山の方もいつか行きたいなと思っています!
@進撃の歴史旅『信政の野望』 さん
天石門別八倉比賣神社 です。 天石門別矢倉比賣神社ではありません。
修正してください。
ご指摘ありがとうございます!
ミスに気付かず公開していたのでとても助かりました。
概要欄にて訂正させて頂きました。
元徳島県民です
邪馬台国阿波説は30年以上前から聞いたことは
あったけど発掘物とかはあまりないので流石に
それはどうなんでしょうねw
ただ忌部神社など祭祀上重要なものがあるのは事実
個人的には記紀以前の天皇家の祖先の一部の隠居地もしくは
勢力争いで敗れたやんごとなき人の流刑地だったのでは
ないかと思ってます
阿波人です❕☝️!(*≧∇≦)ノ推考よろしく😉👍️🎶お願いします!
日本の始まりではなく神社の始まりは阿波でしょう。
淡路島は奈良県から見た阿波路の島なのかな?
海は 海だよ。
徳島県民です。
わかりやすい動画ですね
しかし、オノコロなど、はじめの国産みと、淡路島は関係ないと思います😢なぜなら、仁徳天皇の和歌が説明つかないからです。
アワ。
の意味がわから内はアカンやつ。
ア。天。(渡来人(中国人))
ワ(ハ)。地(先住民、出雲族)
二大勢力がせめぎ合う境界、地域。
九州から大和攻略を狙う
渡来人の物部
(徐福の子孫たち)
それに抗う在所の大和の出雲族
イザナギの国生み。
天孫降臨~神武東征、
は、同じ話、歴史がベース
大和攻略の橋頭堡、前線基地が
阿波。さらには淡路島。
大和に東征した物部が要した時間時代と
淡路島の西に点在する鉄器工房遺跡の稼働した年代が見事に一致しています。
洲本市の旧須本(元来の表記)町内は
物部郷。
奥座敷?の千草(千軍)大軍の意味。
にはスサノオ(物部の祖、徐福)の千草八幡宮
物部は道教だったから
仙人が住むと考えた高山に上り虚空の星ぼし(特に北斗七星)を拝した。
仙人の住む山。
仙山→先山(センザン)
二大勢力がせめぎ合う一触即発のバトルフィールド
、、、阿波岐原
播磨国と但馬(生野峠)の境の少し南は
粟賀地域(神埼)
但馬国と丹波国の境の山は
粟鹿山。
粟鹿神社は但馬一宮(出雲、大和系)
出雲族の境界守護神は
サルタ彦大神。
(阿多(クナト大神)の御子神、、、愛宕神)
ミキ信夫さん、忌部氏の末裔ですよね?ひぇ〜って感じです。ホツマツタヱでは二限生や二極性を重んじてますが、これのミは女でキは男です。御神酒は元々この漢字ではなく、ヲシテ(文字)のミとキで書かれるもので、結婚式の三三九度で女から拝領する酒です。イザナミのミ、イザナギのキです。
この様に二極性、アワもそうですね、アで始まりワで終わるという二極性です。
日本の始まりはここである事を隠すために記紀は書かれた印象操作本なのです。ホツマツタヱは記紀の元となったものですが、ここからごっそり削除された部分、捏造されて部分を知れば本当の日本の歴史が見えてきますね。
1800年近くも前だと今の感覚や先入観は排除して先ず頭真っ更にする必要あるでしょうね。一部のある事無い事持ち上げて街起こしのネタに利用するようなのは勘弁です。
そう言う意味で実は大多数の徳島県民が無関心でむしろ否定的であるのは現実主義の県民性ゆえな気がします。
そうですね。
僕の地元にも大きめの古墳がたくさんあるんですが地元にいた時は全く気にしてなかったので、地元の人感覚だとそうなりますよね^_^
何か確定してる訳でもないですが、それでも徳島は十分人を惹きつける魅力ある町だと思います。
我田引水で歴史を語ってはいけない。
ごもっとも。九州派や畿内派には耳が痛い言葉でしょうね。
邪馬台国は四国にあったのでいいと思いますけど、なんでもかんでも阿波からっていうのはおかしい気がします。
(別の人が、「神社の名前を小細工で変えるな」とかいって怒っておられました。誰か昔プロパガンダぽくて、変えたみたいです。明治政府 VS 反抗勢力 みたいで不思議です。)
昨日、たまたま調べていたら、九州の糸島に 平原遺跡というのがあって、三種の神器がでていて女王の墓で、鏡は八咫鏡と同じデザインだということでした。
吉武高木遺跡、奴国首長墓とされる須玖岡本遺跡、伊都国首長墓とされる三雲南小路遺跡の3つともに、三種の神器が出ていて、しかも剣は青銅なので、鉄剣よりあきらかに時代が古いです。阿波のって、辰砂の遺跡は本物だけど、他のが名前とかばっかりで、実物が特に出てないから、ちょっと半分くらい怪しいです。
もしかしたら、実はそれがひっかけで、天皇家が何か隠したいのかもって思ったりしました。まあ、研究しないとね。
@@sunsun2181
返信ありがとうございます。
確かに阿波説の主張は奈良時代以前はほぼ阿波の一人舞台だと言っている訳ですので、他県の方々から見れば「ふざけんな!」
って気持ちになってしまいますよね。正直私もこのような偏った主張を持つ阿波説が世間に広く受け入れらるようになるか甚だ疑問でした。
ですが現状を見る限り、こんな自己中な阿波説を理解してくれる人が確実に増えている事も確かなようです。
畿内派と九州派の嘘つき合戦に世間がいいかげん疲れてきた・・・というのも一助になっているのでしょう。
まあ、急ぐわけではありませんので阿波説が本物かどうか、じっくり時間をかけてご自身で判断なさってください。
信じられないことだねー四国の人たちはなんとなくねー知り合った人達はスッキリする人はいなかったね。