『自分を愛する技術』楽に生きるフェリファブ哲学No.9
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- Опубликовано: 12 сен 2024
- #自己肯定感#自分軸#自己理解 #楽に生きる #自分学 #フェリファブ哲学
自己肯定感を哲学の視点で自然に高め、自分を愛するための技術の紹介です。
より楽に生きるには大切な要素です。
どうしても自分を責めてしまう、自分を好きだなんて思えない、そんな人におすすめの回です。
これまで私たちは間違った古い方法でしか自分を愛してはいけないと思っていたので、それを覆す新しい考え方を自分に適応していくためには、学ぶべき技術があります。それを丁寧に紹介していきます。
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フェリファブさんの動画を何度も観させてもらって、
「自分しかいない王国の王」が、生まれた時以来の「全肯定」の
法整備をちゃくちゃくと進めています♨️😂
時々、エゴさんからの異議申し立てがありますが、きっと大丈夫!
さらりさらりと流し流れていきマッスル💪
忘れてきたことを思い出させてくださりいつもありがとうございます🙏🧡
自分を愛する技術=全肯定
シンプルで最高です。
よくよく考えると、こんな簡単なことが難しいと感じるんですからこじらせちゃってるんですよね笑
ありがとうございます。
これまでの、「条件付きの自分を愛する感覚」からの脱却中です。
でもなんとなくでもそれを始めてから、生きるのが楽になりましたし、敵になる人が激減した実感があります。
こんにちは。最近フェリファブさんの動画に出会い、毎日視聴しております😌楽になる気づきをたくさんいただいています🙇♀️父親の不快な言動に対し「不快に思う自分もOK」、父親を許せないことに対し「許せなくてもOK。父親ではなく、そんな父親を創り出した自分を許そう」と思うと不思議と父親へのモヤモヤは消えました😃フェリファブさんの動画でもっと勉強して、どうしても腑に落とせないところは個人セッションで落としていきたいと思っています。素敵なチャンネルをありがとうございます😊
フェリファブ哲学さん
どうなっても、どンな状態でも、自分を好きでいます❤️。
全部自分で決めて行きます。
手垢がついてもはや脅迫的なゲシュタルトすら形成してる"無条件の愛"みたいな概念をうまく言い換えてるのすばらしいです。
これめっちゃいい…
人を嫌ってしまう自分が嫌なんだなって思う習慣つけて自分がどんなふうに変化するかやってみます✨
自己受容、自己受容している人は自分を愛せます。自分の醜さや汚さやも
受け入れて、他者と共存の可能性を秘めている人は人間了解を持った人ですね。
無条件の愛、無条件の許しですね、ありがとうございます
小さい頃に, 欲しくも無かった物をお店で万引きした時に、自分が悪い子とも何とも思わなかった。ただその状態を見つめていたもう一人の自分がいた事を覚えています。あれは条件の無い愛だったのだろうかと、ふと今思いました。
おっしゃる通りです おそれいりました
病気が嫌なのは、病気だからという理由で自分から嫌われるのが嫌というよりも、病気によってやりたいことができなくなったり制限がかかるからじゃないですか・・・?
自分を愛するように隣人を愛しなさい。他者配慮的な生き方が
幸せな人です。悟りの境地です。
どうしてもハッピーイベントでいち早く幸せになりたい!安心したい!と悶々ととしている自分が出てきます😂
障がいが短所だから治せと言われ続けたせいで全肯定なんて難しすぎて出来るか分からない。
治せないし死ぬまで障害者なのに。
辛い。
良いことが起こったり、自分の良い面に気づいたりしたときはどのように考えれば良いでしょうか?
素直に肯定してしまうと無条件の愛から遠ざかってしまう気がします。
かと言って、ポジティブな出来事を肯定しないのもなんか違う気がします。
質問ありがとうございます。とても鋭い、すばらしい質問ですね!
「無条件の愛=物事を判断してはいけない」というふうに思いがちですが、実はそうではありません。
無条件の愛は、本当に私たちの想像以上に無条件です。つまり、いいことに対して「これは良いこと」と思うことも別にいいですし、それを「あ、今いいことって判断しちゃった。これはだめだ」思ったとしても、それすらも良いのです。無条件の愛がうまくできているかどうかすら、実は無条件の愛は気にしていません。無条件に「それでいい」と言うだけです。
「何を思っても、その思ったことに対して何を思ってもいい、どこまでいってもそれでいい」という、文字通り全肯定の感覚です。
真面目な方は「○︎○をやると自分が今頑張っていることと逆走するんじゃないか」と考えてしまいがちですが、実はそこに正解不正解などなく、そのジレンマすら、別にそれで無条件に良い、という視点に立つことが「自分が自分から最も欲しい全(超包括的)肯定」つまり無条件の愛を自分に与えることになります!
だから、良いことも喜んでください!肝心なのは「自分が無条件の愛をうまくできているか」をチェックしないことです。無条件の愛は、そういう性質のものではないからです。もしチェックしてしまっても、それすら気楽に肯定してください。
「全部がそれでいい」という包括する視点でやれば、それはもう狭い意味の判断の中にいる状態とは、すでに異なる次元に存在することになるからです。
丁寧で分かりやすい回答ありがとうございます!
なるほど!なんとなく分かった気がしました。
物事を判断してはいけないのかと思っていたし、無条件の愛ができてるかどうかチェックしまくってました、、、
試してみたいと思います!
無条件の愛には2段階あると勝手に思っています。
一段階目は、無条件に自分を愛せるようになることを目指す状態。
二段階目は、無条件に自分を愛せることができなくても、それすら愛し、ほんとうに何でも良いという状態。
主さんが動画で説明してくださった、ネガティブな感情に対する対処方法は、一段階目に繋がることであって、実は別にそれが上手くできても出来なくてもどちらでも良いと言う視点に立つことが、二段階目みたいな理解です。
僕は一段階目の考え方はとても良いと思うのですが、二段階目はあんまピンと来ていない状態です。頭で理解は出来るけど、心が納得してくれないという感じです。
今の僕の理解度では、なにがなんでも肯定しろ!みたいな投げやりな考え方にすら思えてしまいます。
何でも良いと言う立場に立てば、無理に納得する必要もないのかなと思ったり。
まだ一段階目の無条件の愛をうまくやりたいという気持ちがあります。
ここで、二段階目については一旦置いておいて、質問なのですが、主さんが説明してくださった、一段階目に繋がるネガティブな感情の扱い方の、ポジティブな感情バージョンってありますか?
例えば、自分の頭が良いと思ったときに素直に肯定して、自分が凄いと思ったら、頭が良い悪いが自分の評価の一部になります。
そうしたら、自分の頭が悪いと感じたとき、自分を100%肯定することができなくなります。
頭が良い悪いが判断基準ではないと自分に言い聞かせても、頭が良いと言うことで自分を肯定したのだから、判断基準になってしまっています。
かと言って、ポジティブな出来事を肯定しないのも違う気がします。
なにか良い考え方はありますか?
それとも、一段階目の無条件の愛をうまくやるのは、そもそも現実的でなく、二段階目の無条件の愛の立場に立つ努力をするべきですか?
何言ってるか分かんなかったらすみません。自分でも良く分かんなくなってきました。
無条件の愛って難しいですね…でも面白い。
僕が誤解しているところや、なにかアドバイスなどがあれば教えてください!
長文失礼しました。
@@user-xw4gj5wd2h こんばんは、ご質問ありがとうございます。
仰っていること、とてもよくわかりますよ!ちゃんとご自分に向き合われているからこそ出てくる疑問だと思います!
まず、無条件の愛を楽に生きる道具として使うのなら、「自分は無条件の愛をうまくできているかどうか」ということを確認する義務からすら自分は自由だ、という気楽さを思い出してください。「自分がうまくできているかどうか、を常にチェックし判断したがる」のが、これまでの私たちの性質で、無条件の愛とは逆の性質だからです。そしてそれが人を苦しくしてしまう原因です。あくまでも、心地よい楽な気持ちになれる道具として、無条件の愛のことを考えて見てください。自分の心地よい範囲を逸脱しないことも、自分への愛です。
・愛の段階について
ご自分の心地よいところから始めてぜんぜん良いと思います!
「どうあってもいい、どんな自分でも全肯定できる(というか、肯定するのに条件がないので、しない理由がない)」という感覚、これは、「すごい意味不明な境地に達している」ように思われるかもしれませんが、実はそんなことなく、いい意味で「判断がバカになっているだけ」とも言えます。でも、そのバカになる勇気、が実はとても重要なことなのです。意味の世界で「バカ」になることで、意味でがんじがらめになっていたものが簡単に解けやすくなるからです。ようは、意味のイカダに乗っていたのを諦めて、「こっちのほうがいいじゃん」と全肯定の大きな船に乗り換えるような感じです。
・ポジティブな感情の扱い方
「諸刃の剣問題」ですね。わかりますよ。この解決策が「全肯定」です。
ポジティブなことが起こるというのはラッキーでたまたま起こるわけではありません。自分の意識が観察するから体験できるわけで、自分が引き起こして体験できていることです。だからこそ「すごい」わけです。そして、ネガティブなことが起こるのも、外の世界がランダムに持ってきたものではなく、自分の意識が主体的に体験しているわけです。なので、どちらも平等に自分の意識が観察しなければ体験すらできないことです。だから、ネガポジ関係なく「すごい自分!」と言っていいのです。それが人間が人間をやりにきた本当のスタンスです。
何を肯定して、何を否定しても、そのどちらも「自分は楽しんでるんだな」とまるっと肯定する〆のワンクッションを入れる工夫をしてみてくださいね。
PS.「バン思考とアラウ思考」というショート動画を過去に出していますが、もしかしたら参考になるかもしれません。 ruclips.net/video/imVUIxiW4fA/видео.html
@@Felixfabricご丁寧にありがとうございます。参考になりました!
【メモ】
心の中の自分自治区(国王)なら
権限が無くて実現できないものごとは存在しない
造作もないことを出来ないふりをして、レギュレーションをかけて楽しんでいたのだなと