【小沢治三郎の最期】最後の連合艦隊司令長官。「君たちは決して死ぬな」小沢長官は部下たちに最後の訓示を行った。
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- Опубликовано: 11 июн 2023
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「大西も死んだ、宇垣も死んだ。皆死んでしまったら誰がこの戦争の後始末をするんだ!」
いたずらに死を美化することなく、現実に向き合った小沢提督の名言だと思います。
海軍の下級兵士であった父は、小沢閣下を尊敬していました。閣下の率いる囮艦隊に参加した「日向」の主計兵の父は、ほとんど海戦について語りませんでしたが、マスコミなどの作戦批判には、「あの時現場に居なかった者が、何を言うんだ!」などと敢然と抗議していました。
昭和20年8月16日に、沖縄に向けて宇垣纏が部下を引き連れて特攻をした報を聞き、小沢治三郎長官は「既に終戦の詔勅が渙発され停戦の指示が出ているのに、特攻したければ自分一人でやればよかったでないか?陛下の詔勅に反しその上に、陛下の赤子を無駄に死なせるとは言語道断だ。」と憤怒した。
小沢長官の怒りはもっともだと思います。
宇垣に死後授与された勲一等旭日大綬章は絶対に剥奪するべきだし、靖国に合祀されているのも不快です。
最期の連合艦隊司令長官小沢治三郎さん…実は幼い頃に祖母に連れられてお墓参りに行ったことがあります。「お国の為にその身を犠牲にされた小沢さんや英霊となった兵隊さんたちのことを忘れてはいけないよ。8月はほんの少しでいいから戦争のことを考えてほしい」と言ってたのを子供の頃ながらに覚えてます。
深く頭を下げ、長く手を合わせていた祖母のことを思い出す度に小沢さんたち英霊への鎮魂を祈るばかりです。
自分のひいおじいちゃんは、日本陸軍のパイロットで、入隊して、日本の為に戦い、家族を守る思いが強かったと思います。限られた状況でも諦めずに戦い尽くしたそれが軍人だと思います。小さい頃は、そんな事も知らずに生きていたのが恥ずかしいです。だからこそ、戦争について知る必要があると思います。自分は将来水陸機動団に希望して皆様の命を守る事を約束します
貴重な情報です、有難う御座います。
小沢さんに平穏な余生が有ったことを知って嬉しいです。
小沢長官の発案だった空母を主力とした機動部隊の編成は当時としては破天荒な構想でしたがいかに先進的だったかは、現代でもそのまま実施されていることです。
名将と信じていた山本元帥について種々問題のある人物であったと知りがっかりしている時に、マリアナ海戦の敗軍の将, 小沢中将が名将だったことをこの企画と生出寿氏の著書で理解でき感慨深いものがあります。帝国海軍の失敗は人事と敵を知らずの情報戦の軽視でした。
現場のたたき上げが冷遇されるって、今の日本の官僚制度はそもそも戦前のこうした軍隊にその原型を見る事ができると言えますね。
海軍自体が役所ですから
自殺は潔い、なんて綺麗ごと。
汚名を恐れず、後始末・敗戦処理までやるのは素晴らしい。
自殺が"綺麗ごと"or"潔い"はタイミングによるんじゃないかな?後始末・敗戦処理をやった後に自殺なら"潔い"になる。また、それらをしないでの自殺なら"綺麗ごと"として評価されやすくなると思う。
陸軍大将とは反対ですが、これも賢明な決断だと思います。
陸軍の「生きて虜囚の辱しめを受けず」は国民党軍や八路軍が基本捕虜を取らず拷問の末嬲り殺しにするからまだ妥当だけど、海軍の将官が戦闘中に自決してどないすんねん
お前の代わりなんぼでもいるんか?と問い詰めたい小一時間問い詰めたい
@@user-sz4ie3ev6c 逆に阿南閣下が自決したからこそ、小沢閣下はあえて辛酸舐めると知っていながら生きる事を選んだのかもしれませんね。
なんの後始末をしたのですか?何もしていないと思います。また、陸軍の杉山元や田中静壱のように、後始末が終わったあとで自決すればよいのではないですか。
敗北ばかりの戦績だが、小沢閣下の胸中には日本の為に粉骨砕身し戦い抜いたという何物にも勝り、何者にも穢されない誇りがあったと思う
小沢治三郎元司令長官の葬儀の際には、米国大使館付海軍武官が参列したそうです。かつての「敵」から尊敬の念を受ける武人であったことをこの事実が証明しています。
ミッチャー、スプルーアンス、ニミッツ等の米軍将官にリスペクトされてました。開戦まえから。
アメリカ海軍が現在でも高く評価する帝国海軍将官は小沢治三郎中将です。
@@user-zk1lk9ep5e 山本五十六が敗戦後まで生きていても同じだったでしょ
敵将ながらチェスターニミッツ元帥も素晴らしい言葉をおっしゃっていますね。まさにその通りだと思いました。敵の将軍提督は敵の名将を尊敬するといいますがまさにその通りですね。
晩年の小沢栗田両提督の写真は初めて見ました。貴重な映像をありがとうございます
なんかこの二人は年取った顔の方が味わいや品格があっていいね。
海軍の小沢中将と井上大将の両名が部下に慕われていたというエピソードはよく目にする。
こういう動画はその人となりを知ることが出来てありがたい。
知将井上提督は唯我独尊的だったときいております。大将をⅠ-3等に分類して公言される人物で、ウエーキ攻略と珊瑚海空戦の失敗があります。亡き先輩にこう公言すると激高しておりました。
井上成美が「部下に慕われていたというエピソードはよく目にする」?
初耳です。
具体例よろしく願いたい。
同期の将官からは非常に嫌われていたという話ならよく聞く。
(草鹿任一、小沢治三郎、岸本鹿子治、等)
陸上部隊司令官や兵学校校長という似た様な経歴を過ごした草鹿任一とは真逆に、旧部下や教え子らが殆ど訪ねて来ないため、戦後に再婚した話さえ随分長いこと知られていなかったとも聞く。
百一号作戦や珊瑚海での拙劣な指揮は航空関係者からは随分根に持たれていた。
三羽ガラス(こんなものは当時の海軍記者の地口に過ぎないのだが)とやらの親分たる米内光政の葬儀には顔を出しもしなかったというが、その折にも参列者の感想は
「やっぱりね」「あの人は」
というものが多かったとも聞く。
井上成美が部下に慕われていたとのエピソードとやらの出典をゼヒ御教示願いたい。
井上大将は、よい意味でも悪い意味でも真面目な人なので、艦長だった頃は、兵士から好かれていなかったが。
阿川弘之 井上成美・・・
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小沢治三郎閣下が長官に就任された時、既に聯合艦隊の面影は無く敗戦処理の役割を担わされ、力量を発揮することなく敗戦を迎えたことは残念に思います。
井上成美閣下と共に尊敬する海軍の偉人です。
人事からは年功序列等は撤廃すべきなのがよくわかりますね。
この方は、内規のため開戦時に機動部隊の指揮官になれなかったのが最後まで尾を引いた。
終戦時の言葉には「開戦に引きずりこんだ奴らは全員腹を斬れ」という本音が隠されています。
内規で空母機動部隊の指揮官になれなかったのではなく、嶋田や永野達には有能だが都合が悪い人物と捉えられていたのが真相のようです。
山本五十六は、小澤治三郎を第一航空戦隊司令に推す人事を提案していました。
南雲の方が永野や嶋田らに近しいことだけを優先した訳です。
小澤治三郎は、連合艦隊の演習、訓練を企画し実行して指導していました。上層部が小澤に丸投げしてたので、通称「小澤学校」と言われていました。
条約型空母の開発、航空機の運用、戦術を大西と共に生み出し、臨機応変な対応を心掛けるように指導し、「教本を見るな」と訓練や演習で徹底していました。
年次で下の小澤が演習や訓練を取り仕切ることに反発していた南雲は、空母の運用等何も解らないならば、気に入らなくとも小澤に教えを受けるべきでした。
上層部は山本の人事を却下したものの配慮したのか小澤を中将に昇進させ第三艦隊司令に就けて、山下と共にマレー進攻作戦に従事させました。この時、第三艦隊の軽空母では英軍東洋艦隊や基地攻撃に航空打撃力が足りないと判断して陸軍航空隊や陸にある海軍の航空隊と連携をするべく根回しして作戦を成功させましたが、後に南雲が機動部隊を率いてインド洋方面作戦の航空機の運用で実績を上げて自信を持ったものの実際は陸の航空隊と戦果を分けた訳であり、余計な自信を南雲につけさせてしまったことが、ミッドウエーの敗戦に繋がってしまいました。
映画「連合艦隊」で小沢提督を丹波哲郎が演じてましたね。
この方が機動部隊の指揮官なら、また違った結果になっていたかも知れませんね。
海軍大臣として開戦し、軍令部総長として終戦する及川古志郎大将に向かい、
「閣下の『やむ得ない』で始まった戦は、また『やむ得ない』で終わるのですな」
と、痛烈な一言を浴びせるのだった。
岡本喜八監督なら、それをラストシーンにしただろう。
松林宗恵監督は、あの一言から逆算して小沢閣下に丹波先生をキャスティングしたように思う。
大西さんや宇垣さんは、目の前で見送り俺も行くってあどけない少年を送り出したから、あの様に責任取って有言実行した分、批判は出来ない。死に遅れたって気持ちが強い子たちがお供しますって言って連れて行ったのもある意味で人の情。小沢さんは、生き残って膨大な残務処理をされて苦しまれたと思う。周りの自決を止めて後世の発展に寄与されたからそれも苦しい責任の取り方ですよね。責任を取るって言うに易く行う事は困難ですから
太平洋戦争後半、機動部隊を率いて戦った長官。しかしその時はあまりにも戦力差がありすぎた。せめてミッドウェーを優柔不断な南雲でなく小沢に任せてたらと思ってしまう。
南雲は水雷屋だから魚雷戦なら手腕を発揮したんだろうになぁ。
@@tomohikoo8949 ですね。
南雲閣下は水雷畑育ちですから、航空戦には不向きでしたから。
適材適所さえ出来ていれば、南雲閣下の後世での名声もまた変わったと思います。
誰に任せても同じでしょう。ない袖は振れないのに、日露戦争みたいにロシア革命がおこるように画策したり、アメリカに仲裁に貼ってもらう手配をするなど、終わり方を決めて開戦したのではないことに注目するべきだと思います。
航空部隊とは魚雷や大型爆弾を用いる空飛ぶ水雷艇が中心であり、よく言われる小沢や山口だって水雷畑の人間なのに、水雷畑であることを理由に南雲を航空戦に不向きとするのはおかしいと思わないんだろうか。
なにより現場指揮官や参謀レベルの人間がその無責任な職務と同じ感覚で天皇の船を預かる艦隊の責任者が務まると思うのも不思議でならない。
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戦争中の将官で航空畑なんてほとんどいないからな。源田ぐらいの世代になるとパイロット上がりもいるが。
小沢閣下の活躍が開戦劈頭であったならばと思います。
敵将ニミッツ閣下も山本閣下より優秀な司令官はいないと言っていたようでしたが、小沢閣下の可能性を惜しむ発言には、驚きました。
やはり、巨大な組織は年功に関係なく適材適所が21世紀になっても必要だと思います。
個人的には日本の年功序列システムが原因で一番活躍出来なかった名将だと思います。
それな明治から昭和に入って
軍部が官僚化してからおかしくなった
戦前に米海軍は提督は全員が平時大佐で戦時は年功でなく必要人物を提督に昇進しておりました。現在にも通じる米国の強さでしょう。
中学を出てすぐに海兵に入っていれば、先輩の方になっていたんだがな。
アメリカ海軍がハルゼーやスプルーアンスをローテーションで機動部隊司令官としたように、日本海軍も山口多聞と小沢治三郎をローテーションで機動部隊司令官にできてればよかったんですけどね。
頭が固いからそれが出来ないんだよ
辛口の戦史家であるサミュエル・モリスンをして「最高の船乗り」と言わしめた提督、発想や識見、折々の言葉は「武人」というに相応しい。後世の目から見れば、その能力にふさわしいポストは別にあったにしても、おかれた立場で己を全うしたというところが美しい。10代半ばの頃、『丸』に連載されていた伝記を楽しみに読んでおりましたが、提督その人をもっと知るには、まだ当時の自分は知的にも精神的にも幼かったなあと最近思います。
懐かしいサミュエル・モリスンに言及されました。彼の公式海軍記録, 太平洋海戦誌20余巻の再販を希望。
人間臭いエピソードが大好き。武勲は色々あるけど人となりを見るにはやっぱりエピソードだな。
そうか、栗田と最後に会話してたんだ。。二人にしか分からない会話なんだろうな。。。
小沢さんは同じ柔道をやるものとして尊敬できる
余人を以ては代え難し名将なり、よく分かりました。
人間的に出来た人の顔してます。
訓示は本当に日本の為を思ってのお言葉だと理解しました。
現代社会でもこういった上司がいると働きがいがあると思います。
小沢提督が指揮をした部隊は全力で戦う事ができた。
日本は人事が下手なのは今でも周りを見てみれば良く分かる(苦笑)
自決はそうする必要があると判断するなら自決してもいいと思う。
戦後、井上成美海軍大将(最後の大将昇任)も子どもたちに熱心に英語を教える個人塾をしていたそうです!
旧日本海軍は年功序列で司令官を決めてたからな。山口提督や小沢提督が太平洋戦争序盤から指揮を取ってたら変わってたかも。いずれは物量で押されたでしょうが。そもそもアメリカとの戦争は勝てないとわかっていたでしょうけど。
だから、山本元帥は日本の全艦隊でアメリカ本土に奇襲する作戦を立てたが、東條英機に却下されてしまった
結局、海と空とジャングルもアメリカさえ知らない陸軍部に日本は敗れてしまった
小澤治三郎提督は、第三艦隊司令に就きマレー進攻作戦に山下と共に成功させました。その際英軍東洋艦隊を撃滅していますよ。開戦初期から戦果をあげてはいました。
元々、戦前から連合艦隊を訓練し指導して育てた人物なのだと言うことを理解していない人が多いのです。
条約型空母の設計、開発、航空機の運用を大西と共に作りあげていたことを米軍の提督達も知っていたので、スプルーアンスもミッチャーもフレッチャーもリスペクトして最も警戒していた人物であり、山本の米軍太平洋艦隊の航空戦力、艦隊戦力を早期撃滅して講和を目指す考えを理解していた人物ですよ。
今回も、勉強になりました❗
宇垣にはっきり言った言葉が、素晴らしいですね(笑)
後輩には歯に衣着せぬコメントが出来るんだな(宇垣さんは40期で小沢さんより後輩)。
こういう合理的思考の出来る軍人が最初から軍の指揮をしていれば、あんな無様な負け方をしなくても済んだんじゃないかと思ってしまう。
小沢提督はすきだが彼の主張する遠距離砲撃、遠距離空軍攻撃はすべて失敗、以外と成功例のないが人格的に優れた提督であった。
1番必要な時に違う場所で闘い
険悪な陸軍とも本当に闘う相手は誰なのか?と解いて共に闘う雰囲気作りをしたり、レイテ戦の時は卒歴の順序よりも作戦成功を優先して栗田艦隊の指揮下に入ったりと作戦をいかに成功させて勝つためにはどうするべきか?を考えて実践していた指揮官
連合艦隊司令長官も初めは、多くの部下を死なせて何が司令長官か⁉️と固辞していたが、終戦工作を成功させこれ以上の犠牲を出さないための早期終戦実現のために必要な人材❗️と説得されて ならば大将昇任ではなく中将のままで良い と言って連合艦隊司令長官の任を引き受けたと本で読みました
大西・宇垣両司令の自決には賛否ありますが、自分は特攻する隊員に 自分も後から必ず行く❗️と言いながら特攻する事も自決する事もなく生き延びた指揮官達よりはマシだと思っています
また小沢提督の 上の者が死んでしまったら誰が、責任を取るのだ❗️むやみに自決するべきではない‼️との考え方にも一理ありどちらが良いのかは、今でも考えさせられる所があります
生きてこそ。これに尽きる。
やっぱまじで祖国日本の声落ち着く
映画連合艦隊では、「丹波哲郎」さんが演じておられて、その後の様子が気になっていたのですが、戦犯として処刑されることなく往生されたんですね。
小沢中将は、味方の索敵機が帰還が遅くなり夜となってしまった。すぐさま各艦隊頭上にライトを照らすように命令した。ライトを照らして味方の索敵機を誘導した。1歩間違えば米軍の索敵機に位置を知らす事になり、危険な場面となり得る。しかし小沢中将は、ライトを照らした。味方の索敵機は無事帰還し、米軍にも見つからなかった
角田は助けなかったね。
駆逐艦を一隻分派してやれば済んだのに
正義感が強すぎて、不良グループと決闘したとか…。
不良は不良で補修次第では有能な戦力になります
瑞鶴が沈没する時 司令部は先に退艦するが 兵の罵声を受け退艦したと本で読んだ事ある…
当時では異例ではないか…
レイテ沖海戦での戦死者数は、七千人とも一万人とも言われるからな。
囮にせよ「沈められても敵を引っ張るのが任務」の作戦を指導して自分が真っ先に逃げたんじや、そりゃ罵声も浴びるだろう。
当然の話だと思う。
「有能な人物だった」と言うが、戦そのものは惨敗しているのだ。
負ける「有能」が助かるのは、将兵数千人の生命や奮闘に見合うものなのか。
罵倒は当然だろうと思う。
海兵37期って本当キャラクター揃いで個人的に好きな期です
井上、小沢、岩下、岩村、草鹿任、大川内、鮫島…錚々たる顔ぶれ。
五十六の32期に並びますね。
@@ぼんとんおちゃ 堀悌吉などいますからね。
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堀悌吉、五十六、吉田、塩沢、嶋田。堀は大角人事の犠牲にならなければ、間違いなく大将でしたね。
陸士だと中学校卒業しか入れなかった19期かな。
連合艦隊司令長官に親補された人物は24人いる。
そのうち戦役に従事した連合艦隊司令長官は、伊東長官、東郷長官、山本長官、古賀長官、豊田長官、小沢長官の6人。
最後の連合艦隊司令長官を取り上げたのなら、最初の連合艦隊司令長官も取り上げて欲しい。
どちらも国のために戦ったことに変わりはないのだから。
若き日に三船久蔵十段と喧嘩して勝ったらしい
正座して、聴かせて頂きました。
小沢提督が機動部隊の指揮官や早い段階で海軍の中枢にいれば、勝敗は変わらないとしても、もう少し戦没者が少なくなった可能はあります。南雲中将の機動部隊指揮官の任命は、年功序列もあるかもしれないが、山本五十六が参謀等のスタッフの人事や補佐があれは、自身がコントロールをしやすい南雲も、あえて選んだという考えもあると思います。
確か小澤中将は、兵学校入校時の成績は160数名中160番位だっったみたいですね、それが、兵学校卒業時の席次は16番だったそうで、小澤さんの動機で最後に海軍大将に任じられた
井上さんもその頑張りを相当、評価されていたみたいですね。
戦争がなければ社会に貢献する立派な人生を送ったことでしょう。
小室直樹が小沢治三郎は大変な名将ですよと称えているな
スプルーアンス提督と同い年の1886年生まれだね、ニミッツ元帥が上司だったら良かったのに。
そうすると船乗りとして東郷元帥の孫になってしまうねw
東宝映画の連合艦隊で丹波哲郎さんが演じてた。
似てたですよね。
「止むを得ないに始まって、止むを得ないに終わるのか…」
確か三船久蔵先生も投げ飛ばしてるんだよな。
小澤さんは、彼の性格からして本当は生き残ったことを悔やんでいたかもしれませんね。
小沢提督は帝国海軍の諸葛孔明と言われる程の名将であったと言われております。
真珠湾攻撃に当たっては、「皇国の興廃を此の一戦に掛けるなら、旧式戦艦も小型空母も合わせて全戦力でこれに当たれ」と言っております。確かに、小沢提督の指摘通り、開戦劈頭でハワイを徹底的に破壊又は占領してしまえば米国は太平洋の拠点を失い、日本への反攻作戦は困難になります。
マリアナ沖海戦でのアウトレンジ戦法を愚策と非難されることもありますが、当時の日米の科学技術やパイロットの練度を考慮すればその作戦には理解出来る部分もあると思います。
歴史にifは禁物ですが、その人望や統率力、見識、見敵必殺の精神等、どれを取っても開戦時に連合艦隊司令長官や、機動部隊長官となって縦横無尽の指揮をして頂ければ、歴史は変わったのではないかと思われます。
人事とハンモックナンバーの関係がよく話題に出るが、今の自衛隊も防大の成績順で上位は20年先まで出世街道が保証されてると聞いたことがある。もしそうなら、何かを為すより、失敗しないように、上官に憎まれないように神経を集中させるだろうな。平時だからいいのか?有事はいつ起こるか分からない時代だと思うけど。
確かにそう思う。珊瑚海やミッドウェーのみならず、真珠湾やインド洋でも違ったに違いない。
「やむを得ないに始まり、やむを得ないで終わるか」
潔い軍人‼️
ご冥福をお祈り申し上げます。😭
井上が4艦隊司令長官に転出した時、ほぼ同時期に南遣第三艦隊司令長官に転出。陸軍の初戦を支援したところから見ても名将ですね。
小沢提督は陸軍を重視してただ一人の海軍上級士官といわれております。井上大将は陸さん大嫌いでした。
これは現代自衛隊にも言えると思う。実戦向きの人間は少ない。
草鹿の写真が違いますね。
従兄弟の龍之介になってます。
我が国は物資、技術でなく人事人選で敗れた
そして、栗田健男氏を一切、責めず庇い続けていたのは意外でした。
ミッドウェイで南雲ではなく小沢が空母を率いていたら。と思ってしまう
小澤治三郎 閣下 はわが地元 宮崎県児湯郡高鍋町出身 であります。
戦後 静かに 宮崎県 高鍋町で余生を過ごされました。
先年、生家が保存されたと聞きましたが?
@@user-md2ci8mb6b さん 高鍋町 の町中に ちゃんと保存されています。
小澤さんは戦後 質素に静かに過ごされたと聞いております。いっさい 戦争の話はされなかったということです。
小沢指令長官、山口多聞一航戦提督が理想です。
宇垣について1人で死ねはその通り。
何で他が巻き込まれないといけないのか
小沢治三郎は日本本土防衛で活躍した
4:12の写真は龍之介だけど
恐らくこの草鹿は任一のこと言ってますね
水雷艇を作る提案を一蹴してしまったのは汚点だったなぁ。
せめて機動部隊運用は小沢治三郎と山口多聞、主力艦隊は山本五十六長官の編成が理想だな。
小沢提督がもっとも活躍したのはマレー作戦のときですね。
無条件降伏後のソ連軍侵攻を非難するなら、宇垣の行動も非難されるべき。
彼の行動が個人の暴挙であるにしても、そうした暴挙を食い止めることも敗戦国の務め。
それ以前に宣戦布告前の姑息な奇襲攻撃で開戦。「勝てば官軍」という言葉もあるが、
戦争に勝ててもない。
わし九州生まれなんだけど、山本五十六さん以後の連合艦隊司令長官は総て九州出身ばかり!古賀峯一さんは、佐賀出身!豊田副武さんは大分出身!最後の連合艦隊司令長官の小沢治三郎さんは、宮崎出身!ただそれだけの事だけどね笑
だから負けたんだな
@@user-eq2se8qb4i 誰が指揮官になっても負けていたんだよ!
@@user-jj6vm1lw3w 九州人によってとどめを刺されました
土肥原賢二の解説お願いします‼️
丸に連載されていた小澤司令官に関する小説おもしろかったな。
海鳴りですね
質問です!ティックトックにあなたのショート動画を無断転載してそうな人がいるのですが、ティックトック垢作ってますか?
山本五十六みたいなギャンブラーじゃなくてこの方が最初から山本五十六の立場だったら真珠湾攻撃は無かっただろうな。
平時なら年功序列の人事でも良かったかもしれない。しかし戦時には実力主義の人事にすべきだっただろう。
小沢もようやく機動艦隊を指揮できる事になったマリアナ海戦では惨敗したが、もうこの時期には戦力差があり過ぎて個人の能力ではどうにもならなかった。
「未熟な搭乗員で無理な作戦を行った」と言う批判もあるが、未熟な搭乗員を考慮すれば、そもそも艦隊の出撃自体無理な話。小沢には酷な話であると思う。
命令を受けた以上はどんなに無茶でも出来る限りのことはしなきゃいけないと戦後に語ってますね。
レイテ突入作戦 小沢がおとりでハルゼーを引き付けたのに なんて日だ と言いたかったんだろうが・・・・
空母大鳳の艦長だった方かな🤔誰が司令長官になっても戦争の帰趨は決まっていただろう。戦略の失敗は戦術ではリカバリ出来ないからなぁ😢
小沢さんは立派な軍人です、しかし終戦時に部下に死ぬなと言うなら敗戦が避けられない時期の若い人の特攻に反対して欲しかったです。
連合艦隊司令長官の前職は軍令部次長(軍令部勤務あり)
大和特攻を承認して無駄死にさせたのは華麗にスルーしてるな。
山本五十六が辞めると言った時この人がなっていたら…😢
…パン屋の二代目と重なります
小沢さんも敵艦隊を引きつける為に努力した
日米合作映画のトラトラトラの1場面で、機動部隊の司令長官には、南雲よりも小沢が適任ではないか。というシーンがある。それだけ、太平洋戦争を知っている人は、小沢の不在を嘆いていた。もしも、小沢が司令長官に着任したならば、真珠湾の2次攻撃・ミッドウェー海戦・第二次ソロモン海戦・南太平洋海戦は、良い意味で違った筈だ。アメリカ軍兵器の質・量が整備される前ならば、それなりにチャンスはあった。小沢が司令長官に着任したときは、パイロットは南太平洋海戦・イ号作戦・ロ号作戦で有能なパイロットは皆無で、アメリカ軍の多数の戦闘機・後方確認レーダー・自動敵味方識別装置・VT信管の存在で敗戦となった。レイテ海戦の囮では、軽空母一隻を沈めている。ロ号作戦終了後に自分の残ったパイロットが少数なので、涙を流した。確かに小沢が最初から、司令長官であっても、B29と原爆の存在を考えると、終戦が1年か2年延びるだけだ。
海軍の適材適所でないハンモックナンバー優先の人事の弊害がこの様な結果になった。ルーズベルトがアイクとかニミッツを又ニミッツがスプルアンスを数段飛びで抜擢したアメリカの人事とは格段の差がある。この点でもすでに我が軍は負けていた。国力の差以前の問題。
ハンモックナンバーは藩閥打破のための評価の見える化。政治家のコネあって初めて出世出来るアメリカの方が原始的
良い嫁ですな!オザワサン!
陸上勤務がない=軍令部、海軍省がないという意味。
学校の教官はあるので艦隊勤務のみだったわけではない。
航空畑だと、地上の航空部隊の司令もあるな。塚原さんとか草鹿任さんとか。
前田慶次みたいだな。めちゃくちゃかっこいい
小沢は政治を知らぬ生粋の軍人だった訳だ
アウトレンジ戦法・・・・。今で言えば、超長距離飛翔ミサイル攻撃のことや、ICBMもそれに準ずるかな
畑元帥の紹介して下さい
小沢が1航戦の長官ならミッドウェーは負けなかったろうな
誰が指揮でも負けるだろ。島の飛行場を潰せない内に、敵から発見されて一方的に攻撃されたら。戦力が根本的に不足なんだよ。
大西は部下思いの上官だった
部下たちに会いに行くため自刃🇯🇵
小沢治三郎さんは立派だった。レイテ海戦で、航空機も空母の足りない状況で、あのハルゼーを引き付けて奮闘した。戦後に責任をもつ姿勢も立派だったと思います。欧米は合理的に敵の情報を知るため日本語のわかる人員を大切にした。少し違うかも知れないが、敵性言語と英語を遠ざけて、欧米人の考えや作戦について真剣に情報を得ようとしていたのか大きな疑問。
確かこの方アル中みたいで手が震えてたらしいよ😂
マリアナ沖海戦でのアウトレンジ戦法の着眼点は良かった。ただ、米軍の高性能レーダーやVT信管にやられたという点で、不運な司令官だと思います。
小沢氏が開戦時の連合艦隊を率いて、山口多聞氏と連携して真珠湾を攻撃していれば、ミッドウェー海戦は起こらず、日本軍はハワイを占領していたかも知れない。
占領する兵隊はどこでもドアですね分かります。
高鍋町の出身だよね僕はとなりの西都市出身だけど
栗田のUターンは死に物狂いで囮をした小沢からしたらはらわた煮えかえる程だろうが、終わった事を言っても仕方ないと栗田を批判しなかったのは武士道の表れか⁉︎