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実質4年落ちのマシンでシーズン3勝って考えると、マシンとあとほんの少しの強運に恵まれていたら間違いなく複数回チャンピオンになってたと思う
ロニー・ピーターソンは赤いペガサスにも出ていましたね。モナコでケンとテニスしてるシーンを覚えています。
ロニーピーターソン!アグレッシブなドライビング!ファンです!
大好きだったロニー・ピーターソンを取り上げてくれてありがとうございます。AUTO SPORT誌で悲報を知った時は愕然とし、すごく落ち込みました。動画の中でも触れている通り、本当に運のなかった人で、1973年は、当時の新記録となる年間9回のポールポジションを取った上、前年のチャンピオンであったチームメイトのエマーソン・フィッティパルディを何度も上回るレースを見せていたのにチャンピオンになれず、最後のレースとなった1978年のイタリアGPも、当日のウォームアップ走行でロータス79をクラッシュさせてしまったため、本戦はスペアカーの78で出走し、事故の際に激しく炎上し骨折してしまいました。78は燃料タンクがサイドポンツーン内にもあって、燃料タンクがパイロットの後方のみにある79ならあれほど炎上はしなかったし、モノコックもより強固な79なら骨折もなかったのではと言われてました。その後も活躍するマリオ・アンドレッティやクレイ・レガツォーニなんかより若かったので、もっともっと走る姿を見ていたかったです。
当時の事故の速報は、全国紙のスポーツ欄で、小さく報じられました。事実なのか確認もできない状況で、当時は月いち発売のAUTO SPORTで詳細な記事を見たときは愕然としてしまいました。その後はF1への興味が薄れてしまい、AUTO SPORTを読む事も無くなり、心の整理がつくまで時間がかかりました。
@@松本市在住 そうでした。記憶違いをしてましたね。思い出しました。その当時、予備校の寮に住んでいて、先にスポーツ新聞を見た隣の部屋の男が私がF1ファンだと知っていて「ピーターソンが死んだらしいぞ」って言って慌てて新聞を見てからその事実を知ったのでした。
@@ibukulo還暦超えでRUclipsみながらコメント残す貴方に感動
サイドウェイロニーは世代ではありませんでしたが改めて当時の状況を知れて感慨深いです。ありがとうございました。私にとっての衝撃的・悲劇的事故は当時隆盛を誇ったCARTでのグレグ・ムーアの事故死ですがネットの無い時代の出来事は当時のファンの方々にとってとりわけ衝撃だったことは想像に難くありません(合掌)。
アンドレッティは、ピーターソンが亡くなってからF1では全く勝てなくなりましたね。それほどライバルの存在というのは大きいのでしょう。
ロニーピーターソン、無冠の帝王でしたが本当にかっこいいドライバーでした☺️🏁JPSカラーのロータスとヘルメットのカラーリングがベストマッチです👍
ロニー・ピーターソンは今でも好きなF1ドライバーです。特にロニーのブルーにイエローのバイザーが付いているヘルメットがカッコ良かったですね❗
豪快なドライビングの一方で趣味は熱帯魚を飼育という180度も違うキャラクターで70年代のドライバーの中でも個性的でした。
移籍先のマシンが旧式化&ハズレマシンだったのが痛かったね、Lotusでもタイヤ供給してたグッドイヤーの意向もありマリオに優れたエンジンやパーツが優先されてた、速さではロニーが上回ってたのに
表記としては“ペタソン”、“ペテルソン”なんてのもありましたね。→“ロニー”は変わらず。
F1史上最も愛するドライバーです。アンドレッティのサポートに全力をついやし、決して愚痴らず穏和で口数が少ない人柄との事でした。80年にはBMWとマクラーレンとロニーのジョイントが決まっていたのにこの顛末。この先機会があればスェーデンのお墓を訪ねてみたいです。
79年にマクラーレン入は確定していたが、BMWの話はどこから?BMWは82年にブラバムと組むのだが?
@@tawarabunpiti おっさんの記憶なので正確ではないかもしれませんがロニーは箱車でも活躍してましたよね?その時に出ていた話だと昔の本か雑誌かに書いていたことを書いてます。
Rピーターソン、この動画で振り返ってみると、本当に不運のドライバーでしたね。時代は違いますがクリス・エイモンと似ているところありますね。チーム移籍のタイミングもあと1年我慢すればという感じでしたね、ひさし付きのお馴染みのヘルメットはデビュー当時からなのは知りませんでした。アルポレートがリスペクトしてカラーリングをイメージしたヘルメットは有名ですし、86年はひさし付きのタイプを使っていました。ホント医療ミスがなければ・・。
ラウダとは気があったというエピソードありますよね。ラウダの事故につながる西ドイツの大雨の危険なレースに対しても、ラウダの中止の訴えに賛同していたと聞きますし。ロニーは今まで最高のドライバーだと思います。誰もがその走りに魅了される凄いドライバーはもう現れないんでしょうね。
戦闘力の高いマシンを求めてチームを移籍するとそのチームのマシン開発が低迷期に入る不運が繰り返されたドライバーだった。マシンの戦闘力が低下するほどサイドウェイ・ロニーと呼ばれたコーナーリングを駆使して才能を見せつけた。長身のハンサムボーイで狭いモノコックに身体を折り畳むように収めていたのが印象的でした。
マシンの開発能力ではマリオ・アンドレッティの方が上と言われ、ピーターソンはナチュラルドライバー。79に乗ったシーズンは速かったがセカンドに徹したようでした。
当時、追悼って訳じゃないけどタミヤの1/12のドライバーモデルを改造してロニー作ったなメットにバイザー付けたりヘルメットスカート付けたり・・・今でも飾ってある
今でも76年の日本GPを思い出します。予選から行ってましたのでタイムアタックから見る事が出来ました。ロニーは3回目のアタックで 一気に13秒台まで短縮しました。富士にはマーチのスポーツカーノーズもマッチしたのでしょうけど最終コーナーの度胸一発ですよね。 終生、マシンにツキが無かったですよね。でもどんなマシンでも力ずくで乗りこなし彼とロータス72Ⅾとモナコが一番印象に残りますね。 自分の中では彼こそ華やかなF1ドライバーそのもでした。
ロニーピーターソンを取り上げて頂きありがとうございます。1978年富士スピードウェイをロータス79で走るのを観たかったです。
当時、TV中継はなく、私のF1の情報源はオートスポーツ誌でした。 私はNo2扱いにもかかわらずマリオに迫る勢いのロニーをひたすら応援しており、イタリアGPの結果に期待して書店でオートスポーツ誌を手に取った時、表紙がロニーの顔写真だったので。マシンじゃなく顔?と思いながら表紙をめくると、炎上するロータス78の写真が。。。あまりにも衝撃的でした(涙) あの時のことは今でも強い衝撃として記憶から消えません
ロニーが亡くなった時、ロータス78のプラモデルをカーナンバー6、のロニー仕様でつくり、長い間大切にしてました、豪快なドリフトでスーパースウェードと呼ばれたロニー、本当に悲劇のヒーローだったと思います、
イタリアGPの事故の際、ジョー本田さんによると、ピーターソンの足は実は切断されてマシンから救出されたそうです。そうでないという話もありますが、そうであってほしいものです。ピーターソンは見かけによらず新人の頃は荒っぽいレースをしたようで、下位フォーミュラで生沢徹がヘアピンの進入で後ろからピーターソンにぶつけられてリタイヤ。レース後生沢氏が文句を言いに行くと「これがレースだろ」とキョトンとした表情で小手たそうです。
もし事故が無かったら、現在もスウェーデンGPがあった上、(マシン運が良かった場合)チャンピオン経験1回はあったと思う…あともしかしたら、ボルボ、サーブ、ケーニグセグのどれかがF1に参戦していた可能性も…
アルボレートが憧れて同じカラーリングのヘルメットで走っていたのも有名ですよね。自分はこの当時生まれていなかったですが、ロニーにチャンピオンになってほしかったです😢今までの誰よりも一番に大好きなドライバーです‼️
そのアルボレートも逝ってしまった....。
本当に悲しいですね😢
ニキ・ラウダ「何だよこの医療体制、ありえないよ!」
93年monzaでクラッシュしたG.ベルガーが、イタリアで死にたくないとコメントしたのを思い出しました。
医療ミスと断言されていますが、骨盤や大腿骨など太い骨に骨折が起こった患者さんに脂肪塞栓症候群が起こり肺などがやられ、時に亡くなってしまうような事は現代の医学でも起こりえて完全には防ぎえないものなのです。。私もピーターソンが好きでした。赤ペガのキャラもよかったなあ。
今春、ウン十年振りにバイク購入。メットも新調してブルーの帽体にイエローバイザーを装着(予備のメットも同仕様)お気に入りレーサーNO.1!それがロニーペテルソン。
世界一❗いや宇宙一最高最強のヘルメット❗です❗ちなみに小生のバイクヘルメットも当然ロニーです
あのレース、ピーターソンは79がトラブルでスペアカーの78で出ていた。79は燃料タンクがセンターに1個、かたや78はサイドポンツーン内にもタンクがあった。79であれば火災が起こらずそうすれば敗血症になる可能性がもっと少なくなったかも?つくづく運のない人だと思う。カッコよくて好きなドライバーです。
ピーターソンの死因は敗血症ではなく、手術が原因で脂肪などが血管に入り込み多臓器不全を起こした事では?
後に日本のレースで活躍することになるアンドリュー・ギルバート・スコットがピーターソン家の近くに住んでいて、ピーターソンが時折父親を訪ねてきたというエピソードを知って驚いた。ピーターソンの死は勿論、その後奥さんも自死を遂げてしまい大きなショックを受けたことも。スコット自身は明かしてないがレーシングドライバーの道を歩ませることになったのは身近にそういう人がいたからなのかもしれない。
ロニーピーターソンのF1での走りは迫力ありましたね。いろんなチームの車乗っていましたね、!
78年のシーズンを終了したら、マクラーレンに移籍するという噂があったそうです。もし延命して、マクラーレンに移籍していたらM28の駄作ぶりに苦労していたかもしれませんね。この事故でピーターソンの78に接触したハントは、死ぬまでパトレーゼを非難して自分の件を認めなかったようです。
79年よりも、p-34に一年早く乗っていたらって想像してしまいます。
イタリア人として、私はあなたの言語をほとんど理解できません。しかし、素晴らしい画像の選択をおめでとうございます。ありがとう、偉大なロニーのファンから。
字幕の「ア」だけが細いのが気になって話が頭に入らなかった
事故時に乗っていたのは79ではなくTカーの78で、クラッシュしたとき燃料タンクがセンターバック方式の79なら火災に至らなかったのではという指摘もありますねぇ(78はサイドポンツーンと中央の3分割方式)
しかし、火災は直接の死因ではなかったようでしたね。
動画解説ありがとうございます。不運な最後が本当に残念です 合掌。
世界最速のパン屋の息子…ヘルメットのポーラーベアが印象的でした。
ロニーの死は本当に残念…パトレーゼはその後90年代に最強のナンバー2、200戦錬磨の鉄人になると誰が予想したか
7:04 フェラーリ640より生まれて来るのが早過ぎたセミオートマでしたね。
映画「ポール・ポジション」の冒頭に「ロニー・ピーターソンに捧ぐ」って入ってたなあ。
この動画を観たあとロニーピーターソンの関連動画を見ましたがドリフトが上手くて驚きました。今のフォーミュラカーでドリフトしてほしかったな。
ロニー大好きでした、ロニー.ビルヌーブ.セナとこの3人が同じサーキットで、走って欲しかった、皆F1の伝説パイロットです
フィッテバルディ、スチュワート「なにおぅ!」
スウェーデン人という事で、ヨハンソンを思い出した。共に名門チームの低迷期に在籍していたところも似ている。
ロニーが最後に乗ったロータス78のプラモデル、作りましたよ。
1番好きなレーサー。
ハンサムで温厚な性格を持ち、アグレッシブな走りを魅せたスウェーデン人F1レーサーミケーレ・アルボレートとピエルルイジ・マルティニが尊敬するF1レーサーだった
ミケーレのヘルメットデザインはロニーのデザインのそれでしたよね。
大好きなドライバーでした。とにかく車に恵まれなかった。仮にロニーが生きていて、チームに残っても、翌年からウィリアムズ活躍、チャンピオン獲得なので、またダメだったでしょう。因みにマクラーレン移籍の話もありました。本当に残念です。ニキが言ってましたが、イタリアの病院は、床に煙草の灰が転がっているような、ひどい状態だったようです。ドイツの病院なら・・・😭
78年の体制前のマリオ・アンドレッティとの確執やビルヌーブとの確執、ラウダとの親交など色々と逸話がありますね。ビルヌーブの伝記では確かモナコの邸宅の前のオーナーがロニーだったはず。70年代の最速ドライバーの1人ですね。
命に別条は無いと思われていたのに一転、死に至ってしまった、医療措置がしっかりしてればと思うと・・・・・亡くすには非常に惜しい人物でしたね。ぺテルソンが操るマシンの車載映像をニコ動の某動画で見たことがあるけど、見た目とは裏腹に非常に繊細なドライビングをしていたようです。
73年はロータス内で厚い信頼と期待を受け、それによりエマーソンが孤立してしまうというかわいそうな面もあったですね。ロータスに出戻る際に、スムーズな走りが要求されるロータス78をサイドウェイロニーが乗りこなせるわけがない、と言われてましたが、ちゃんと適応した走りを披露したのはさすがでした。イタリアの事故ではロニーよりタイヤが当たって意識不明に陥ったブランビラのほうが危なかったんですよね。
フルフェイスなのにジェットヘルみたいなブリム付けてるのが格好良く見えたなぁ。ジルやハントみたいなハンサムではなかったけど「男前」だったサイドウェイ・ロニー。池沢さとしのせいで「ピーターソン=ヒール」な印象にされたのが兎に角納得いかん
それが理由というわけでもないでしょうけど「ペテルソン」と表記される場合も多いですね。
サーキットの狼での印象の後にビルヌーブとの事故があったから、やっぱりそういうドライバーなんだと勘違いしてしまった(当時小学生の身には事故の詳細はわからなかった)。赤いペガサスを見て印象が変わり、いままで嫌っていたことを悪く感じて応援し始めた矢先の事故でした。才能溢れるドライバーだったのに非常に残念です。そういえば、池沢早人師のサーキットの狼Ⅱモデナの剣ではピーターソン再登場してるんですよね(死んでなかったらしい)相変わらず汚い性格なんだけど、主人公の性格が明るすぎて卑怯な行いが空回りするおもろいオッサンになってましたけど。
@@user-ch7yp5qc7k 「隼人・ピーターソン」というキャラクター自体にはとても魅力を感じるのが悔しいんですけどねw 後の『ルー語』に繋がる?似非英語やオネエキャラを先取りしたような個性は寧ろ愛すべき存在なのですが・・・池沢氏の過剰なフェラーリ愛や政治的紛争のせいで自分はアンチ・(F1の)フェラーリになりました
昔に、何処かの漫画で「誠実なる壊し屋」でピーターソンの事を知りました。それ以来、色々とピーターソンに興味があり、色々と資料を漁った記憶があります😀
サーキットの狼に、ピーターソン名の人物が出て来て何となくニンマリします。
スウェーデン人なので「ピーターソン」ではなく「ペテルソン」と覚えていた人も多いのでは?
無冠の帝王ロニーピーターソン!ありがとう!
池沢さとし先生のサーキットの狼のライバルキャラの隼人ピーターソンのモデルとなった人物ですね。名前は聞いていたが詳細よく知らなかったので取り上げて貰ってありがとうございました。
ロ二.ピ一タ一ソン👍。懐かしいF1ドライバーですよね,マ一チ ロータス ティレル で活動しました。ただ大クラシユで命を失う😭無冠王でF1の人生を終わった。今回ロ二.ピ一タ一ソンの紹介説明有り難うございました👏👏👏👊👊👊🙏🙏🙏💯
サイドウェイロニーよ、永遠に(泣)!😭
スーパースゥェードよ永遠なれ(泣)!😭
ロニーピーターソンのヘルメットがカッコ良かった、ラウダ ハント アンドレッティ の人気ドライバーのヘルメットの上を行く。ロニーのタイレルとシェクターのウルフの組合せは今でも1,2を争うカッコ良さだと思っている!
確か両肩を担がれてマシンから離れていく姿が最後に見た姿だったかな?その後に亡くなるというニュースは本当に驚きました。
あの時手振ってなかったっけ?本当に無念です…。
ロニーピーターソンはティレルロータスマーチのマシンに乗りましたフジテレビのF1中継ではティレルのマシンをドライブしました映像が流れましたティレルのイメージが強いドライバーでした
見てて切ないドライバーだと感じました😥生まれる前だから、勉強になったけどもっといろいろ知ろうと思います😥
コーナーリング中のマシンの姿勢w
77年の富士でジルビルヌーブと絡んで事故っていたが、当時、反対側にいたので何があったかわからなかったが残念だった。
動画にもある内容ですが、チームの移籍が常に裏目に出たと言えるでしょう。その後のもらい事故、応急処置の悪さと本当に運にもツキにも見放されていたとしか言えないですね。
「ア」だけフォントが違う…
ピーターソンのクラッシュでハントはネチネチとパトレーゼを非難し続けた。ラウダなどがパトレーゼの出走を拒否する事態に。観客からはユダヤ人差別のヤジが飛ぶ。この頃からパトレーゼはやけくそになった感じがある。私たちの知っている落ち着いた感じのパトレーゼは困難を乗り越えた後の姿。
彼の走り見たかったというのが本音です。彼ほど好きなドライバーはいません
実はロニーが亡くなった日が自分の誕生日(´;ω;`)やはりロニーといえばロータスのイメージが強いけど77年の6輪ティレルも印象的ハントはF1中継での解説時にはパトレーゼに対してこの事故のせいもあってかなり辛辣なコメントばかり浴びせていたそうです。
遠因はいろいろありますが、直接的な原因はハントの急激な車線変更だと私は思っています。
ロニーピーターソンの墓が墓荒らしにより墓標がボロボロになったんですよね(。>д
「サーキットの狼」の隼人ピーターソンは多分、ロニーを意識した命名だったと思う。漫画の世界では悪役だったけどね。池沢先生の創造力を掻き立てたんだろうな。
私が中学3年生の時ですが、夜のニュースでイタリアGPの事故、放送してました。
死亡までの経過を見るとクラッシュシンドロームからの急性腎不全だったんじゃないかと推測できるけど当時は対応方法があまり知られていなかったかも
漫画「サーキットの狼」でロニーをモデルにした隼人ピーターソンが登場した時はメッチャいやな悪役として描かれていたので、池沢先生はピーターソン嫌いなのか?と思っていました
ロニーが事故死してしまった際に、池沢先生はロニーへの追悼コメントを当時の少年ジャンプ誌
に掲載してたのを見た記憶がある。
龍アレジ
そのアグレッシブなドライビングスタイルでスクーデリアフェラーリも注目していたかもです。エンツォフェラーリもピーターソンの才能も認めてチーム入りを模索していたと思います。
JPSロータス在籍時アンドレッティが予選用タイヤに対しロニーがレース用なのに、アンドレッティを上回るタイムを見て、なんて凄いドライバーなんだと感じファンになりましたが、とても残念な最期で、もっと凄いレースを見続けたかったです。
大好きな、F1ドライバーの、1人です😆
79年にマクラーレンに移籍することが決まってたそうです。事故で亡くならなければワールドチャンピオンになれたかもしれません。不運なドライバーでした。あと確かロニーの奥さんは、ロニーを失ったショックから立ち直れず、のちに自ら命を断ちました。
いつもサーキットに同行していましたがモンツァには体調不良で来れなかった時に事故にRUclipsでロニーと仲睦まじく一緒に歩く映像観ましたが本当ラブラブな夫婦でしたし、奥様の心中を察すると(´;ω;`)
確か奥さんはロニーの最期にも立ち合えなかったそうですね(濃霧でヘリが間に合わなかった)。悲劇のF1ドライバーです・・・
良いレーサーだったのに、一度も、チャンピオンには、ならず。不運も、あるんだけど、残念です!
性能の劣るマシンでも腕でどうにかできた数少ないレーサーですね。
何気に覚えとくとためになることもあったりなかったり
やっぱり安全性向上には、偉大な犠牲が必要なのかと思ったけど、助かったはずの患者を殺してしまうようじゃあねぇ…。ニキ・ラウダの言う通りですね
実力も人気もあったドライバーだったそうですね。昔のF1好きの上司は「ペテルソン」って呼んでました‼️ シド・ワトキンス先生の本だかで、だいぶ前に読んだような…そう言えば、スウェーデン人のF1ドライバーって、あまり聞かないですね。あっ、6輪マシンのミニカー持ってます‼️(笑)
今晩は。僕も、「ペテルソン」派です。
スウェーデンのF1ドライバーですかぁ・・・ステファン・ヨハンソンくらいしか思い出せません
癌で亡くなったこれまた悲運のドライバー、グンナー・二ルソンもスウェーデン人です。あ・・・・うぷ主さんには、グンナー・二ルソンの事もぜひ取り上げてほしいです。
残念ながら、努力だけではどうにもならない人生...。
ピーターソンは天才肌タイプだから、チャップマンに気に入られなかったイメージ。ヘルメットのカラーリングを受け継いだミケーレ・アルボレートもお願いします。
チャップマンはロニーのドライビングスタイルを「勝利のための非常に大きな武器」とリスペクトし、彼のブレーキングテクニックを最大限に活かすことを考えて、電磁クラッチ=2ペダル(4ペダル)のtype76開発を進めたと言われています。
ハントが炎の中から助けだしたのに残念としか
ニキの親友だったのに
79がトラブルで78に乗換えたのが残念です78は燃料タンクがサイド、コックピット後ろなら助かりましたね非情に残念です。
モノコックの剛性強度ともに実は79は78に劣っているとのことだから死因は火災には起因していないのでもっと死に近づいていただろう
@@crankyfranky9801 78はモノコックの強度向上に努めたのに79は剛性ダウンしていたそうですね。大分後になってから関係者の証言で判明しましたが。その旨が記載された本買いました
@@FA3737 パトリック・ヘッド曰くグリッド上でエンジンをかけたらモノコックのリベットが浮くのが見えたwとか78はコクピットサイドが高くアルミハニカムの使用量が多かったのに79はチャップマンのせいでケチったようですね79ではコクピット後ろに燃料タンクをまとめたのも当時規則違反のところFIAにゴリ押しで認めさせたもんだから数年後の88でもゴリ押しが通用すると思って暴走する下地にもなってしまったね
イタリアGPの事故はフジTV放送のF1GPで見ました。黙祷しました。
スーパースゥェード
何から何まで不運すぎる。。。
ピーターソンはリアルタイムドライバーではありませんが好きなドライバーの1人です。ちょっと質問ですが、ティレル時代のP34、フロント4輪のグリップ不足を解消する為にフロントをワイドトレッド化したってどういう事なんでしょうか?無知ですいません。いつも動画は楽しいです。
移籍する度に裏目に出る。運が無かったとしか言いようがありませんね。そういえばロイテマンも似たような境遇だったような…まぁ、ロイテマンは政治家としては大成功しましたけど。
なぜ?コーリンは、1975年から開発していた、78の情報をロニーに教えなかったですかね⁉️教えていたら?1978年のチャンピオンは?変わっていたかも?
6輪ティレルもドライブしましたよねぇ~
世界一❗最高最強のドライバーです❗ヘルメットは宇宙一‼️
池沢センセ偶然かも知れんけどわちきが好きなドライバーばっかり悪役の名前にすんだよな( ̄▽ ̄;)ロニーといい、アレジといい・・ロニーはジル関係の本で知りました。
アンドレッティはチームオーダーでチャンピオンになれただけなのにボヤかしましたね。
コミチ?
ア
ラウダがイタリアの医療体制を批判してます。間違いかも知れませんが、確か『レーサーの死』と言う本で、ピーターソンが手術を受けた手術室はタバコの吸い殻が落ちていた、と言うような事を読んだ記憶があります。あり得ませんよね、手術室で喫煙なんて。
数少ない記録ではなく記憶に残るドライバーだね。
日本初のf1の富士で、生澤氏が言ったかはわたしの記憶はわかりませんが、ピーターソンはコーナーの攻めかたは天才と言っていた記憶がある、今のf1は速いでしょうが、つまらない。
アメリカのストックカーレースで黄旗無視して追い越ししてクラッシュして解説車から暴走族か?と言われていたのを思い出しました~
確かに落命したのは、医療ミスだったみたいですが事故の時に膝から下が千切れてしまってドライバーとして復活は無かったでしょうね。
実はレーシングスーツの裾が伸びていただけで膝から下が切れたように見えただけらしいです。
@@nobutakaimai5981 そうなんですね。昔なにかの雑誌に救助に行ったジェームス・ハントがロニーの足は千切れていたと答えた記事を見たことがあったのでずっと信じていました。
実質4年落ちのマシンでシーズン3勝って考えると、マシンとあとほんの少しの強運に恵まれていたら間違いなく複数回チャンピオンになってたと思う
ロニー・ピーターソンは赤いペガサスにも出ていましたね。モナコでケンとテニスしてるシーンを覚えています。
ロニーピーターソン!アグレッシブなドライビング!ファンです!
大好きだったロニー・ピーターソンを取り上げてくれてありがとうございます。
AUTO SPORT誌で悲報を知った時は愕然とし、すごく落ち込みました。
動画の中でも触れている通り、本当に運のなかった人で、1973年は、当時の新記録となる年間9回のポールポジションを取った上、前年のチャンピオンであったチームメイトのエマーソン・フィッティパルディを何度も上回るレースを見せていたのにチャンピオンになれず、最後のレースとなった1978年のイタリアGPも、当日のウォームアップ走行でロータス79をクラッシュさせてしまったため、本戦はスペアカーの78で出走し、事故の際に激しく炎上し骨折してしまいました。
78は燃料タンクがサイドポンツーン内にもあって、燃料タンクがパイロットの後方のみにある79ならあれほど炎上はしなかったし、モノコックもより強固な79なら骨折もなかったのではと言われてました。
その後も活躍するマリオ・アンドレッティやクレイ・レガツォーニなんかより若かったので、もっともっと走る姿を見ていたかったです。
当時の事故の速報は、全国紙のスポーツ欄で、小さく報じられました。事実なのか確認もできない状況で、当時は月いち発売のAUTO SPORTで詳細な記事を見たときは愕然としてしまいました。その後はF1への興味が薄れてしまい、AUTO SPORTを読む事も無くなり、心の整理がつくまで時間がかかりました。
@@松本市在住 そうでした。記憶違いをしてましたね。思い出しました。その当時、予備校の寮に住んでいて、先にスポーツ新聞を見た隣の部屋の男が私がF1ファンだと知っていて「ピーターソンが死んだらしいぞ」って言って慌てて新聞を見てからその事実を知ったのでした。
@@ibukulo還暦超えでRUclipsみながらコメント残す貴方に感動
サイドウェイロニーは世代ではありませんでしたが改めて当時の状況を知れて感慨深いです。ありがとうございました。私にとっての衝撃的・悲劇的事故は当時隆盛を誇ったCARTでのグレグ・ムーアの事故死ですがネットの無い時代の出来事は当時のファンの方々にとってとりわけ衝撃だったことは想像に難くありません(合掌)。
アンドレッティは、ピーターソンが亡くなってからF1では全く勝てなくなりましたね。
それほどライバルの存在というのは大きいのでしょう。
ロニーピーターソン、無冠の帝王でしたが本当にかっこいいドライバーでした☺️🏁
JPSカラーのロータスとヘルメットのカラーリングがベストマッチです👍
ロニー・ピーターソンは今でも好きなF1ドライバーです。特にロニーのブルーにイエローのバイザーが付いているヘルメットがカッコ良かったですね❗
豪快なドライビングの一方で趣味は熱帯魚を飼育という180度も違うキャラクターで70年代のドライバーの中でも個性的でした。
移籍先のマシンが旧式化&ハズレマシンだったのが痛かったね、Lotusでもタイヤ供給してたグッドイヤーの意向もありマリオに優れたエンジンやパーツが優先されてた、速さではロニーが上回ってたのに
表記としては“ペタソン”、“ペテルソン”なんてのもありましたね。→“ロニー”は変わらず。
F1史上最も愛するドライバーです。
アンドレッティのサポートに全力をついやし、決して愚痴らず穏和で口数が少ない人柄との事でした。80年にはBMWとマクラーレンとロニーのジョイントが決まっていたのにこの顛末。
この先機会があればスェーデンのお墓を訪ねてみたいです。
79年にマクラーレン入は確定していたが、BMWの話はどこから?BMWは82年にブラバムと組むのだが?
@@tawarabunpiti
おっさんの記憶なので正確ではないかも
しれませんがロニーは箱車でも活躍してましたよね?その時に出ていた話だと昔の本か雑誌かに書いていたことを書いてます。
Rピーターソン、この動画で振り返ってみると、本当に不運のドライバーでしたね。
時代は違いますがクリス・エイモンと似ているところありますね。
チーム移籍のタイミングもあと1年我慢すればという感じでしたね、ひさし付きのお馴染みのヘルメットはデビュー当時からなのは知りませんでした。
アルポレートがリスペクトしてカラーリングをイメージしたヘルメットは有名ですし、86年はひさし付きのタイプを使っていました。
ホント医療ミスがなければ・・。
ラウダとは気があったというエピソードありますよね。ラウダの事故につながる西ドイツの大雨の危険なレースに対しても、ラウダの中止の訴えに賛同していたと聞きますし。
ロニーは今まで最高のドライバーだと思います。誰もがその走りに魅了される凄いドライバーはもう現れないんでしょうね。
戦闘力の高いマシンを求めてチームを移籍するとそのチームのマシン開発が低迷期に入る不運が繰り返されたドライバーだった。
マシンの戦闘力が低下するほどサイドウェイ・ロニーと呼ばれたコーナーリングを駆使して才能を見せつけた。
長身のハンサムボーイで狭いモノコックに身体を折り畳むように収めていたのが印象的でした。
マシンの開発能力ではマリオ・アンドレッティの方が上と言われ、ピーターソンはナチュラルドライバー。79に乗ったシーズンは速かったがセカンドに徹したようでした。
当時、追悼って訳じゃないけどタミヤの1/12のドライバーモデルを改造してロニー作ったな
メットにバイザー付けたりヘルメットスカート付けたり・・・今でも飾ってある
今でも76年の日本GPを思い出します。予選から行ってましたのでタイムアタックから見る事が出来ました。ロニーは3回目のアタックで
一気に13秒台まで短縮しました。富士にはマーチのスポーツカーノーズもマッチしたのでしょうけど最終コーナーの度胸一発ですよね。
終生、マシンにツキが無かったですよね。でもどんなマシンでも力ずくで乗りこなし彼とロータス72Ⅾとモナコが一番印象に残りますね。
自分の中では彼こそ華やかなF1ドライバーそのもでした。
ロニーピーターソンを取り上げて頂きありがとうございます。1978年富士スピードウェイをロータス79で走るのを観たかったです。
当時、TV中継はなく、私のF1の情報源はオートスポーツ誌でした。 私はNo2扱いにもかかわらずマリオに迫る勢いのロニーをひたすら応援しており、イタリアGPの結果に期待して書店でオートスポーツ誌を手に取った時、表紙がロニーの顔写真だったので。マシンじゃなく顔?と思いながら表紙をめくると、炎上するロータス78の写真が。。。あまりにも衝撃的でした(涙) あの時のことは今でも強い衝撃として記憶から消えません
ロニーが亡くなった時、
ロータス78のプラモデルをカーナンバー6、のロニー仕様でつくり、長い間大切にしてました、豪快なドリフトでスーパースウェードと呼ばれたロニー、
本当に悲劇のヒーローだったと思います、
イタリアGPの事故の際、ジョー本田さんによると、ピーターソンの足は実は切断されてマシンから救出されたそうです。そうでないという話もありますが、そうであってほしいものです。ピーターソンは見かけによらず新人の頃は荒っぽいレースをしたようで、下位フォーミュラで生沢徹がヘアピンの進入で後ろからピーターソンにぶつけられてリタイヤ。レース後生沢氏が文句を言いに行くと「これがレースだろ」とキョトンとした表情で小手たそうです。
もし事故が無かったら、現在もスウェーデンGPがあった上、(マシン運が良かった場合)チャンピオン経験1回はあったと思う…あともしかしたら、ボルボ、サーブ、ケーニグセグのどれかがF1に参戦していた可能性も…
アルボレートが憧れて同じカラーリングのヘルメットで走っていたのも有名ですよね。
自分はこの当時生まれていなかったですが、ロニーにチャンピオンになってほしかったです😢今までの誰よりも一番に大好きなドライバーです‼️
そのアルボレートも逝ってしまった....。
本当に悲しいですね😢
ニキ・ラウダ「何だよこの医療体制、ありえないよ!」
93年monzaでクラッシュしたG.ベルガーが、イタリアで死にたくないとコメントしたのを思い出しました。
医療ミスと断言されていますが、骨盤や大腿骨など太い骨に骨折が起こった患者さんに脂肪塞栓症候群が起こり肺などがやられ、時に亡くなってしまうような事は現代の医学でも起こりえて完全には防ぎえないものなのです。。
私もピーターソンが好きでした。赤ペガのキャラもよかったなあ。
今春、ウン十年振りにバイク購入。メットも新調してブルーの帽体にイエローバイザーを装着(予備のメットも同仕様)お気に入りレーサーNO.1!それがロニーペテルソン。
世界一❗いや宇宙一最高最強のヘルメット❗です❗ちなみに小生のバイクヘルメットも当然ロニーです
あのレース、ピーターソンは79がトラブルでスペアカーの78で出ていた。79は燃料タンクがセンターに1個、かたや78はサイドポンツーン内にもタンクがあった。79であれば火災が起こらずそうすれば敗血症になる可能性がもっと少なくなったかも?つくづく運のない人だと思う。カッコよくて好きなドライバーです。
ピーターソンの死因は敗血症ではなく、手術が原因で脂肪などが血管に入り込み多臓器不全を起こした事では?
後に日本のレースで活躍することになるアンドリュー・ギルバート・スコットがピーターソン家の近くに住んでいて、ピーターソンが時折父親を訪ねてきたというエピソードを知って驚いた。ピーターソンの死は勿論、その後奥さんも自死を遂げてしまい大きなショックを受けたことも。スコット自身は明かしてないがレーシングドライバーの道を歩ませることになったのは身近にそういう人がいたからなのかもしれない。
ロニーピーターソンのF1での走りは迫力ありましたね。いろんなチームの車乗っていましたね、!
78年のシーズンを終了したら、マクラーレンに移籍するという噂があったそうです。
もし延命して、マクラーレンに移籍していたらM28の駄作ぶりに苦労していたかもしれませんね。
この事故でピーターソンの78に接触したハントは、死ぬまでパトレーゼを非難して自分の件を認めなかったようです。
79年よりも、p-34に一年早く乗っていたらって想像してしまいます。
イタリア人として、私はあなたの言語をほとんど理解できません。
しかし、素晴らしい画像の選択をおめでとうございます。
ありがとう、偉大なロニーのファンから。
字幕の「ア」だけが細いのが気になって話が頭に入らなかった
事故時に乗っていたのは79ではなくTカーの78で、クラッシュしたとき燃料タンクがセンターバック方式の79なら火災に至らなかったのではという指摘もありますねぇ(78はサイドポンツーンと中央の3分割方式)
しかし、火災は直接の死因ではなかったようでしたね。
動画解説ありがとうございます。
不運な最後が本当に残念です 合掌。
世界最速のパン屋の息子…
ヘルメットのポーラーベアが印象的でした。
ロニーの死は本当に残念…
パトレーゼはその後90年代に最強のナンバー2、200戦錬磨の鉄人になると誰が予想したか
7:04 フェラーリ640より生まれて来るのが早過ぎたセミオートマでしたね。
映画「ポール・ポジション」の冒頭に「ロニー・ピーターソンに捧ぐ」って入ってたなあ。
この動画を観たあとロニーピーターソンの関連動画を見ましたがドリフトが上手くて驚きました。
今のフォーミュラカーでドリフトしてほしかったな。
ロニー大好きでした、ロニー.ビルヌーブ.セナとこの3人が同じサーキットで、走って欲しかった、皆F1の伝説パイロットです
フィッテバルディ、スチュワート「なにおぅ!」
スウェーデン人という事で、ヨハンソンを思い出した。共に名門チームの低迷期に在籍していたところも似ている。
ロニーが最後に乗ったロータス78のプラモデル、作りましたよ。
1番好きなレーサー。
ハンサムで温厚な性格を持ち、アグレッシブな走りを魅せたスウェーデン人F1レーサー
ミケーレ・アルボレートとピエルルイジ・マルティニが尊敬するF1レーサーだった
ミケーレのヘルメットデザインはロニーのデザインのそれでしたよね。
大好きなドライバーでした。
とにかく車に恵まれなかった。
仮にロニーが生きていて、チームに残っても、翌年からウィリアムズ活躍、チャンピオン獲得なので、またダメだったでしょう。
因みにマクラーレン移籍の話もありました。
本当に残念です。
ニキが言ってましたが、イタリアの病院は、床に煙草の灰が転がっているような、
ひどい状態だったようです。
ドイツの病院なら・・・😭
78年の体制前のマリオ・アンドレッティとの確執やビルヌーブとの確執、ラウダとの親交など色々と逸話がありますね。
ビルヌーブの伝記では確かモナコの邸宅の前のオーナーがロニーだったはず。
70年代の最速ドライバーの1人ですね。
命に別条は無いと思われていたのに一転、死に至ってしまった、医療措置がしっかりしてればと思うと・・・・・亡くすには非常に惜しい人物でしたね。
ぺテルソンが操るマシンの車載映像をニコ動の某動画で見たことがあるけど、見た目とは裏腹に非常に繊細なドライビングをしていたようです。
73年はロータス内で厚い信頼と期待を受け、それによりエマーソンが孤立してしまうというかわいそうな面もあったですね。
ロータスに出戻る際に、スムーズな走りが要求されるロータス78をサイドウェイロニーが乗りこなせるわけがない、
と言われてましたが、ちゃんと適応した走りを披露したのはさすがでした。
イタリアの事故ではロニーよりタイヤが当たって意識不明に陥ったブランビラのほうが危なかったんですよね。
フルフェイスなのにジェットヘルみたいなブリム付けてるのが格好良く見えたなぁ。ジルやハントみたいなハンサムではなかったけど「男前」だったサイドウェイ・ロニー。池沢さとしのせいで「ピーターソン=ヒール」な印象にされたのが兎に角納得いかん
それが理由というわけでもないでしょうけど「ペテルソン」と表記される場合も多いですね。
サーキットの狼での印象の後にビルヌーブとの事故があったから、やっぱりそういうドライバーなんだと勘違いしてしまった(当時小学生の身には事故の詳細はわからなかった)。
赤いペガサスを見て印象が変わり、いままで嫌っていたことを悪く感じて応援し始めた矢先の事故でした。
才能溢れるドライバーだったのに非常に残念です。
そういえば、池沢早人師のサーキットの狼Ⅱモデナの剣ではピーターソン再登場してるんですよね(死んでなかったらしい)
相変わらず汚い性格なんだけど、主人公の性格が明るすぎて卑怯な行いが空回りするおもろいオッサンになってましたけど。
@@user-ch7yp5qc7k 「隼人・ピーターソン」というキャラクター自体にはとても魅力を感じるのが悔しいんですけどねw 後の『ルー語』に繋がる?似非英語やオネエキャラを先取りしたような個性は寧ろ愛すべき存在なのですが・・・
池沢氏の過剰なフェラーリ愛や政治的紛争のせいで自分はアンチ・(F1の)フェラーリになりました
昔に、何処かの漫画で「誠実なる壊し屋」でピーターソンの事を知りました。それ以来、色々とピーターソンに興味があり、色々と資料を漁った記憶があります😀
サーキットの狼に、ピーターソン名の人物が出て来て何となくニンマリします。
スウェーデン人なので「ピーターソン」ではなく「ペテルソン」と覚えていた人も多いのでは?
無冠の帝王ロニーピーターソン!ありがとう!
池沢さとし先生のサーキットの狼のライバルキャラの隼人ピーターソンのモデルとなった人物ですね。名前は聞いていたが詳細よく知らなかったので取り上げて貰ってありがとうございました。
ロ二.ピ一タ一ソン👍。懐かしいF1ドライバーですよね,マ一チ ロータス ティレル で活動しました。ただ大クラシユで命を失う😭無冠王でF1の人生を終わった。今回ロ二.ピ一タ一ソンの紹介説明有り難うございました👏👏👏👊👊👊🙏🙏🙏💯
フィッテバルディ、スチュワート「なにおぅ!」
サイドウェイロニーよ、永遠に(泣)!😭
スーパースゥェードよ永遠なれ(泣)!😭
ロニーピーターソンのヘルメットがカッコ良かった、ラウダ ハント アンドレッティ の人気ドライバーのヘルメットの上を行く。ロニーのタイレルとシェクターのウルフの組合せは今でも1,2を争うカッコ良さだと思っている!
フィッテバルディ、スチュワート「なにおぅ!」
確か両肩を担がれてマシンから離れていく姿が最後に見た姿だったかな?
その後に亡くなるというニュースは本当に驚きました。
あの時手振ってなかったっけ?本当に無念です…。
ロニーピーターソンはティレルロータスマーチのマシンに乗りましたフジテレビのF1中継ではティレルのマシンをドライブしました映像が流れましたティレルのイメージが強いドライバーでした
見てて切ないドライバーだと感じました😥生まれる前だから、勉強になったけどもっといろいろ知ろうと思います😥
コーナーリング中のマシンの姿勢w
77年の富士でジルビルヌーブと絡んで事故っていたが、当時、反対側にいたので何があったかわからなかったが残念だった。
動画にもある内容ですが、チームの移籍が常に裏目に出たと言えるでしょう。
その後のもらい事故、応急処置の悪さと本当に運にもツキにも見放されていたとしか言えないですね。
「ア」だけフォントが違う…
ピーターソンのクラッシュでハントはネチネチとパトレーゼを非難し続けた。
ラウダなどがパトレーゼの出走を拒否する事態に。
観客からはユダヤ人差別のヤジが飛ぶ。
この頃からパトレーゼはやけくそになった感じがある。
私たちの知っている落ち着いた感じのパトレーゼは困難を乗り越えた後の姿。
彼の走り見たかったというのが本音です。彼ほど好きなドライバーはいません
実はロニーが亡くなった日が自分の誕生日(´;ω;`)
やはりロニーといえばロータスのイメージが強いけど77年の6輪ティレルも印象的
ハントはF1中継での解説時にはパトレーゼに対してこの事故のせいもあって
かなり辛辣なコメントばかり浴びせていたそうです。
遠因はいろいろありますが、直接的な原因はハントの急激な車線変更だと私は思っています。
ロニーピーターソンの墓が墓荒らしにより墓標がボロボロになったんですよね(。>д
「サーキットの狼」の隼人ピーターソンは多分、ロニーを意識した命名だったと思う。漫画の世界では悪役だったけどね。池沢先生の創造力を掻き立てたんだろうな。
私が中学3年生の時ですが、夜のニュースでイタリアGPの事故、放送してました。
死亡までの経過を見ると
クラッシュシンドロームからの急性腎不全だったんじゃないかと
推測できるけど当時は対応方法があまり知られていなかったかも
漫画「サーキットの狼」でロニーをモデルにした隼人ピーターソンが登場した時はメッチャいやな悪役として描かれていたので、池沢先生はピーターソン嫌いなのか?と思っていました
ロニーが事故死してしまった際に、池沢先生はロニーへの追悼コメントを当時の少年ジャンプ誌
に掲載してたのを見た記憶がある。
龍アレジ
そのアグレッシブなドライビングスタイルでスクーデリアフェラーリも注目していたかもです。
エンツォフェラーリもピーターソンの才能も認めてチーム入りを模索していたと思います。
JPSロータス在籍時アンドレッティが予選用タイヤに対しロニーがレース用なのに、アンドレッティを上回るタイムを見て、なんて凄いドライバーなんだと感じファンになりましたが、とても残念な最期で、もっと凄いレースを見続けたかったです。
大好きな、F1ドライバーの、1人です😆
79年にマクラーレンに移籍することが決まってたそうです。事故で亡くならなければワールドチャンピオンになれたかもしれません。不運なドライバーでした。あと確かロニーの奥さんは、ロニーを失ったショックから立ち直れず、のちに自ら命を断ちました。
いつもサーキットに同行していましたが
モンツァには体調不良で来れなかった時に事故に
RUclipsでロニーと仲睦まじく一緒に歩く映像観ましたが
本当ラブラブな夫婦でしたし、奥様の心中を察すると(´;ω;`)
確か奥さんはロニーの最期にも立ち合えなかったそうですね(濃霧でヘリが間に合わなかった)。悲劇のF1ドライバーです・・・
良いレーサーだったのに、一度も、チャンピオンには、ならず。不運も、あるんだけど、残念です!
性能の劣るマシンでも腕でどうにかできた数少ないレーサーですね。
何気に覚えとくとためになることもあったりなかったり
やっぱり安全性向上には、偉大な犠牲が必要なのかと思ったけど、助かったはずの患者を殺してしまうようじゃあねぇ…。ニキ・ラウダの言う通りですね
実力も人気もあったドライバーだったそうですね。昔のF1好きの上司は「ペテルソン」って呼んでました‼️ シド・ワトキンス先生の本だかで、だいぶ前に読んだような…そう言えば、スウェーデン人のF1ドライバーって、あまり聞かないですね。あっ、6輪マシンのミニカー持ってます‼️(笑)
今晩は。
僕も、「ペテルソン」派です。
スウェーデンのF1ドライバーですかぁ・・・ステファン・ヨハンソンくらいしか思い出せません
癌で亡くなったこれまた悲運のドライバー、グンナー・二ルソンもスウェーデン人です。
あ・・・・うぷ主さんには、グンナー・二ルソンの事もぜひ取り上げてほしいです。
残念ながら、努力だけではどうにもならない人生...。
ピーターソンは天才肌タイプだから、チャップマンに気に入られなかったイメージ。
ヘルメットのカラーリングを受け継いだミケーレ・アルボレートもお願いします。
チャップマンはロニーのドライビングスタイルを「勝利のための非常に大きな武器」とリスペクトし、彼のブレーキングテクニックを最大限に活かすことを考えて、電磁クラッチ=2ペダル(4ペダル)のtype76開発を進めたと言われています。
ハントが炎の中から助けだしたのに残念としか
ニキの親友だったのに
79がトラブルで78に乗換えたのが残念です78は燃料タンクがサイド、コックピット後ろなら助かりましたね非情に残念です。
モノコックの剛性強度ともに実は79は78に劣っているとのことだから
死因は火災には起因していないのでもっと死に近づいていただろう
@@crankyfranky9801 78はモノコックの強度向上に努めたのに79は剛性ダウンしていたそうですね。大分後になってから関係者の証言で判明しましたが。その旨が記載された本買いました
@@FA3737 パトリック・ヘッド曰くグリッド上でエンジンをかけたらモノコックのリベットが浮くのが見えたwとか
78はコクピットサイドが高くアルミハニカムの使用量が多かったのに79はチャップマンのせいでケチったようですね
79ではコクピット後ろに燃料タンクをまとめたのも当時規則違反のところFIAにゴリ押しで認めさせたもんだから
数年後の88でもゴリ押しが通用すると思って暴走する下地にもなってしまったね
イタリアGPの事故はフジTV放送のF1GPで見ました。黙祷しました。
スーパースゥェード
何から何まで不運すぎる。。。
ピーターソンはリアルタイムドライバーではありませんが好きなドライバーの1人です。
ちょっと質問ですが、ティレル時代のP34、
フロント4輪のグリップ不足を解消する為にフロントをワイドトレッド化したってどういう事なんでしょうか?
無知ですいません。
いつも動画は楽しいです。
移籍する度に裏目に出る。
運が無かったとしか言いようがありませんね。
そういえばロイテマンも似たような境遇だったような…
まぁ、ロイテマンは政治家としては大成功しましたけど。
なぜ?コーリンは、1975年から開発していた、78の情報をロニーに教えなかったですかね⁉️教えていたら?1978年のチャンピオンは?変わっていたかも?
6輪ティレルもドライブしましたよねぇ~
世界一❗最高最強のドライバーです❗ヘルメットは宇宙一‼️
池沢センセ
偶然かも知れんけど
わちきが好きなドライバーばっかり悪役の名前にすんだよな( ̄▽ ̄;)
ロニーといい、アレジといい・・
ロニーはジル関係の本で知りました。
アンドレッティはチームオーダーでチャンピオンになれただけなのにボヤかしましたね。
コミチ?
ア
ラウダがイタリアの医療体制を批判してます。間違いかも知れませんが、確か『レーサーの死』と言う本で、ピーターソンが手術を受けた手術室はタバコの吸い殻が落ちていた、と言うような事を読んだ記憶があります。あり得ませんよね、手術室で喫煙なんて。
数少ない記録ではなく記憶に残るドライバーだね。
日本初のf1の富士で、生澤氏が言ったかはわたしの記憶はわかりませんが、ピーターソンはコーナーの攻めかたは天才と言っていた記憶がある、今のf1は速いでしょうが、つまらない。
アメリカのストックカーレースで黄旗無視して追い越ししてクラッシュして解説車から暴走族か?と言われていたのを思い出しました~
確かに落命したのは、医療ミスだったみたいですが事故の時に膝から下が千切れてしまってドライバーとして復活は無かったでしょうね。
実はレーシングスーツの裾が伸びていただけで膝から下が切れたように見えただけらしいです。
@@nobutakaimai5981 そうなんですね。昔なにかの雑誌に救助に行ったジェームス・ハントがロニーの足は千切れていたと答えた記事を見たことがあったのでずっと信じていました。