小野派一刀流を生んだ【小野忠明】最強の剣豪は性格もめんどくさい!?
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- 今回は小野派一刀流を生んだ剣豪「小野忠明」を紹介です!
剣へのこだわりが強い余りに結果めんどくさくなってる人ですw
人間らしくて親近感がわきますね☆
圧倒的クズ最強剣士 仏生寺弥助
• 幕末最強の社会不適合者!【仏生寺弥助】その人...
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#歴史クズ伝説 #剣豪シリーズ #隠れた偉人伝説 #歴史 #剣豪 #アウトローシリーズ
今回は剣豪小野忠明さんを紹介です!自分に真っ直ぐなあまり結果的に性格悪くなってる感じですねw
剣豪、刀、剣術解説はこれからもバシバシ紹介してきます!
是非チャンネル登録、高評価、コメよろです!
確かに自分に真っ直ぐやね〜。でもそれが周りの迷惑にもなるって気づいて欲しかったなw......ヴィルヘルムのクソガキがw
実力のある煽りカス…
範馬勇次郎かな?
以前、私が出させていただいた
リクエストでもありますので、
嬉しかったです。
ありがとうございます。
30年以上前に川崎市にある
清明館館長日森さんが
小野派一刀流の使い手だったよ
誰にも伝授しないと
言っていたよ
伊藤一刀斎と小野忠明までの
お話しをしてくれたよ
みんな中条流の使い手だよ
桃井流から剣道の竹刀が生まれた
鹿島神宮、香取神宮の
神を拝んでいたよ
地上最悪な剣豪だったらしいですよ
中段からの片手技の面
裏小手、最強の剣術ですよ
あれはズルイ技ですよ
どんな風にか教えられないけどね
現代だとツィでクソリプ流しまくって噛みついてきた奴の住所特定してリアルファイトしに行きそう
リアルファイトする度胸あるだけマシ
性格悪いと言うか、小野さんは自分こそが最強と思っていた気がする。剣の道に忠実に生きたあまりややこしい性格になった典型例
宮本武蔵も五輪書で肩書をつけて門下を集め徒党を組んでも所詮烏合の衆~剣の道は合理性の探求と実戦あるのみと言ってますし。まぁ戦国から太平の世に移り変わり剣豪のあり方も色々だったのでしょう。
まぁコレを性格が悪いと取れる時代は平和なのかもしれません^ ^
田中大輔
武蔵に剣術が飛び抜けて強かったイメージない
だから未だに
剣道界でも亜流扱いですよ
今の日本剣道連盟は
桃井流が基本的な技だから
竹刀を使っているから
@@田中流星-k9r
武蔵は剣術家ではなく、兵法家ですからね。
漫画「あずみ」で小野忠明さんが登場していたので彼の存在は知ってました。漫画では柳生が悪役だったので、対立する忠明はむしろ人格者のような書かれ方をしてました。実際はこんなハチャメチャな人だとは全く知りませんでした。ぴろすけさん、ありがとうございます。
破天荒ですよ、小野派一刀流
道場ではいろんな破天荒話を聞いたよ
信じられない性格だったですよ
自分が強ければなんでもあり
日頃から人と会うと戦っていた
口癖で
口癖喧嘩が大好きだったから
将軍様も何のその
怖いから自由にさせたらしいですよ
お金にも汚くて借金して
追い剥ぎして斬るそんなすさんな
若者だったらしいですよ
あずみにでてくる時代では
年配だから多少大人の振る舞い
したと思うけどね
自分も『あずみ』で知った口で、同じ感想です。
漫画では威厳のある老剣豪って感じだったのに……
戦国時代の事で、まだ、強い地方豪族も居たでしょう、太平になった江戸後期でさえ、戦がなくなって実戦経験がない為、武士は罪人の遺体で切る恐怖を拭っていたと書物に残っています。そもそも指南役に推薦したのは柳生但馬守、江戸の街で女性を人質に刀を持った男の立て篭もりが有り、それを助けた事から指南役にという話も一説に有る方です、この話は現在の派閥争いから出ているのではないですかね?将軍のご子息を守る為に現代の武道ではなく、文字通りの身を守る剣術を教える師匠として間違った事を言っているとは思えません。刀を相手に鉄扇で相手をしたのも殺生を控えた為では?何か嫌な感じがする話です。
いつみても面白い。副社長ハンニバルのそのあとよろしくお願いします。
サッパリしたグズかと思ったら陰湿系だったw
家臣の両腕砕くとか半端ねぇな…
腕に覚えが誰よりもあるので、自分よりも重用されている人に対して嫉妬心があったんでしょうね
いまでもよくみる風景
クソリプに思わず大爆笑w
戦国期の武将は「強さこそ全て」って人が多くて、こーゆー性悪とまでは行かなくとも
不器用な御仁が多かったようですね。
まぁ、戦争中だからそういう人しか生き残れなかったのかもね…。
生きる全てだったらしいですよ
荒んだ性格も
つまり今のネットは戦国時代の可能性が…?
織田信長が家臣達に茶の湯を推奨してたのも、野盗か山賊のような家臣達に少しでも行儀作法を覚えさせようと思ってだったとか。
遠くで見てる分には良いけど、絶対に関わりたくは無いタイプ
柳生新陰流は将軍専用で、基本的に他流試合はしない、全国からの腕自慢を黙らせる役目が小野派一刀流なので、真の実力者、故に多少の事が有っても閉門にならなかった。
師匠の一刀斎も取り上げてほしいです
彼も相当偏屈だったそうですから
なんか伝説では、小野善鬼が奥義の巻物を咥えて水瓶の下に隠れたんですよね。
それを御子上典膳が、瓶ごと斬ったって話でしたよね。後の瓶割刀で。
善鬼は、死んでも奥義の巻物を口から離さなかった。
それで、しかたなく小野の姓を継ぐからって言ったら、巻物を放して死んでったとか。
毎度引き込まれる語りっぷり敬服いたします。
現代に置き換えて考えれば、会社に一人は居るねこう言う根性ぐされ。
「あずみ」に一目置いた小野忠明のお話ですね。面白かったです。
強さがあるから空気読む必要も権力に媚びる必要もないというのは正直憧れます。性格も含めて伊藤一刀斎の後継者らしくて好感度上がりました。
良く勘違いされがちだけど、多数で一斉に掛かる方が強いというのは間違い。
漫画などで「お前たち一斉に掛かって来いよ」みたいなのは個人戦における戦術として正しい。
軍事では各個撃破が最良だが、事個人戦では多数の不利という物も存在する。
こと柳生新陰流みたいな個人戦闘重視の道場剣術においては「味方が邪魔になる」という事態が発生することが多い。
要するに攻撃したいときに別の誰かが切り込むとか、味方に当てたりしないかという無意識下の不安がブレーキになってパフォーマンスが落ちる。
其処をつけば場合によって格上を打倒も可能。
ましてや同格相手なら非常に有利に戦える。
いやいや、理屈はともかく実際やってみなって。多数どころか二人相手でもまず不可能だから。
@@neo-chinidone
まぁ、実際に日常生活のさなかで多人数相手に喧嘩吹っ掛けるような機会なんてあり得ないので、机上の空論であるというのはその通りです。
理は有ってもそれを実行するには、実践中に同格の剣士相手に位置取りを上手く取れるというレベルの実力が必要であることは間違いありません。
今読み返すと最初の私のコメントには「理論上」という一語が抜けてしまっていますね。
これでは語弊があるので、後に付け加えておきます。
ご指摘いただき有り難うございました。
@@小倉おぐら百弌ももいち
早速のご返答有り難うございます。当方剣は初心者ですが前職で徒手にて複数人数を相手にする機会が多く現場での難しさが身に染みていた為ついムキになって大人気ない物言いをしてしまいすみませんでした。然し御返答を読みこの様な場で思いがけず聡いお方とお話が出来た事を嬉しく思います。
確かに凡人なら、体力勝負ってところもありますよね。
合戦でも、長い時間どの様に体力を持ち続けたのか興味のあるところです。それと、乱戦になった場合の戦いとはどう言ったものであったのか? それらの答えは、色々と研究されて諸説あるようですが。
様々な状況で生死を懸ける戦いの中生き残るのは、多義にわたる特別な才能の能力・実力・頭脳が必要であったろうと想像します。
真剣同士の戦いなら尚更で、究極の覚悟が必要ですもんね。偶然とかたまたまとかでなく生き残った理由も。
柳生をひきあいにだして、柳生を落とすことで、小野忠明や一刀流をもちあげるような語り方は良くないと思います。
そして、小野忠明や柳生宗矩が生きた時代の柳生流は、道場剣術でも1対1のみを想定した剣術でもありません。
徳川実紀(徳川家の公式文書)には、大阪夏の陣で秀忠の本陣にいた宗矩は奇襲をかけてきた豊臣方の兵士7人を新陰の殺人刀(せつにんとう)で斬ったと記録されています。
「あのとき但馬は7人斬った」と、秀忠はたびたび口にしていたそうですよ。
仏生寺弥助は情があって、バカでもいいやつ感ある人物として記憶に残ってます☺
それに対して、小野忠明は終始ハチャメチャで楽しかったです😂
こいつの生きてる時代にネットがなくて良かった。
戦国末期の貧さ
だから少年期はかなり荒んだ
極悪じゃないと生きていけない
からだと思う
剣に出会えて追い剥ぎ人斬りに
それを指摘された
伊藤一刀斎に付き纏い
何とか食べて生きる
後世に残る極悪人だと聞いているよ
@Ono_Tadaaki_Saikyo
「引用ツイート*@☆☆イキりすぎワロタwww
悔しかったら部下全員連れてケンカ挑んでこいよwww」
「正直徳川のボンボンはみんな剣術の何たるかをクソほども分かってねぇよなw」
「@☆☆ハイ俺の全面勝利ー!wwwwねぇ、どんな気持ち?あれだけイキっててボロ負けしてどんな気持ち?ねぇ?wwm9(^Д^)プギャー」
「@Hidetada_Tokugawa
剣術って殺す業だから殺さない剣術って存在する意味www」
「どれだけ家が良かろうと剣術は実戦が全て!ガキが語るもんじゃないよなぁw」
十兵衛さん、忠明さんは鬼神のように強かったと話したらしいですね。
柳生十兵衛は、一時期小野忠明の元で学んだとも言われてますね。
ぴろすけのテンションバク上がり
確か幕末の新選組にいた斉藤一が小野派一刀流だったはず!?
だから強いのね!!
子孫の方は「上になにも付かないただの一刀流」と言われていて、多数の分派がある一刀流のどの流派か長い間謎でしたが、新選組研究家の赤根氏が警視庁の資料から無外流と特定されました。
無外流は山口一刀流(一刀流という名称だが、伊藤一刀斎の一刀流とは別系統の流派)を学んだ辻月丹が起こした流派なので、子孫には一刀流で伝わったのではないか、と言われています。
ただこれも諸説あって、無外流を学んだのは警官時代ではないかとか色々言われています。
さすが 実戦派のいっとうさいの弟子だなぁ。
宗矩さん、人格者ていうけどどのくらい人格者だったかと言うと当日剣術が殺人剣だと唱えられているなかで人を活かす活人剣を唱えるぐらいの人格者。
殺人刀(せつにんとう)の対義語である活人剣は、相手の動きを引き出してカウンターをとる戦術面の思想だったはず。
その後意味がずれて行ったようですが、、、。
@@user-dd2fj6dl3p それは宗矩さん以前の新陰流のことだと思います。ただ、天下太平の世と呼ばれる江戸時代が来ると沢庵和尚の剣禅一如を取り入れてこれを活人剣と定義し現在の武道の思想の根本ができたと記憶しています。
@@丸さだ 私は尾張の立場の話ばかり聞いてきたので、偏見あるところご容赦を。
@@user-dd2fj6dl3p
まあその応用が先手なしの護身術ってのは理にかなってんだけどね
思想としての活人剣の下りは柳生宗矩が三代将軍 徳川家光のために作成した新陰流の指南書である兵法家伝書に出てきます。文脈としては「武力というものは人を殺すための忌避すべき手段(殺人刀)である。しかし、その忌避すべき手段も人々を苦しめて世を乱す悪人を殺すために使うのであれば世を正し悪に苦しめられる民草を救う事になるのでそれは人を活かす力(活人剣)と言えるのではないか。」といった感じです。武術というよりも、上に立つ者が力を行使するにあたっての心得を剣術指南という皮をかぶせて将軍家光に説いたという側面が強い気がします。六一さんのおっしゃっている戦術面・技術面での活人剣については江戸柳生含めた新陰流では共通しているはずです。
昔のハチャメチャしてる人ってやっぱり面白いよね
コメディー見たいですごく面白かったです。
謹慎で済むのがすごい
口先ではなく絶対的な実力主義に重きを置いていたのに、最終的に口が災いを呼んでしまいましたね
秀忠の精神論を否定した彼が精神性の問題で剣術家の名声に泥を塗ることになったのは皮肉ですね。
ぴろすけさんの動画は毎回見ています。とても楽しみにしています。
ある意味非常に戦国時代らしい人間やな
個人の能力が高過ぎて
上司や同僚、部下が低レベルに見えて仕方が無い為、
ついつい余計な事を言って
調和を乱してしまうが故に
会社から仕事はできるが、
扱いづらい奴ということで
要所要所で
懲罰処分されている残念な人ですねw
小野一刀流、神子上典膳、小野忠明、柳生じゃない方の剣術指南役、
いずれも言葉や存在ぐらいは知ってたけど、初めて一つにつながった
柳生(数千~最終的に万石)との待遇の差が、不満の爆発につながったのかもしれませんね
性格が悪いからね
みんなに剣術を教えていないからね
不思議な人ですよ
剣豪3に出てきた人だ。頑固な職人みたいな人だったんだな。
小野忠明といえば信長の野望で戦闘以外のパロメータが低すぎるっていう印象しかありませんでした。
あいつか、確かに武力バカって感じのキャラだよねw
まあ、河野水軍からしたら喉から手が出るほど欲しい武将だなあ
それな🤣
小野忠明無双w!敵陣に聞いてこいはパワハラが過ぎるw
一刀流溝口派(溝口派一刀流)も、小野派一刀流の流れを組んだ流派です。
小野忠明さんって、身体能力的に「宮本武蔵」?
こんなに強さに爽快感がない(嫌われた)剣豪珍しいですね。
なんにしても、ピロスケさんの語りが楽しいよ。
逸話によると、
宮本武蔵とすれ違う時に目が合って、武蔵がよけた。
十兵衛は走って逃げた。
怖すぎです。
@@ベテルギウスタウ さん
しかも性格の悪さも或る意味強みであり凄味ってのも余計に嫌ですね (笑)
@@ベテルギウスタウ
武蔵は剣術家ではなく兵法家でしたから、リスクの高い相手に対して避けられるなら避けるのも有りという考え方でしょうね。
柳生十兵衛は、一時期小野忠明の元で学んだとも言われてます。
今回の投稿、凄く嬉しかったです💖
ということはめっちゃ強い剣豪だったってことですね。柳生十兵衛をコヨリ1本で倒したという逸話があったくらいです。実は宮本武蔵は小野治郎右衛門忠明と同時期の剣豪でありながら武蔵は小野忠明との決闘は避けました。負けると思ったからだと思います。
江戸と熊本だよ接点がないですよ
宮本武蔵は初老で細川家に使えたよ
偶然に両方ともに片手で使える
技ですよ
長いカイの木刀では
何方か強いか?
考えるだけで面白いですよ
武蔵は剣術家ではなく兵法家でしたから、剣による力比べに興味がなく、如何にして勝つかを追求していましたから、確実に勝てる相手としか戦いませんからね。
小野忠明には、御子神天膳が本名と言う説
と小野善鬼が本名と言う説の二通りある
と思いますが、私は後者だとおもっています。
ちなみに、小野派一刀流の開祖は
小野忠明の息子です。
御子神天膳の弟は忠也派一刀流の開祖に
なりました。
おそらく、忠明は 一刀流 としか
名乗っていなかったのではないかと
思われます。
興味深いのは、天膳と善鬼の果たし合い
以降、伊東一刀斎の消息が誰も知らされていないと言うことでしょうか?
わたしは、伊藤一刀斎は御子神典膳が創った架空の人物だと考えています。
師匠ということで江戸で道場をあずけていたらある日突然居なかった、でそのまま。しかも御子神天膳と弥五郎は剣術のほかに幻術を使ったとまで言われてます。
この人、もとの名前が御子神次郎右衛門とかいって
神職だか風魔の忍者だか手品師だか
で十兵衛や武蔵を眼力で退かせたとか、それで公儀剣術指南役なんだから
当時からウソかマコトかわかんないキャラ。
弱いくせにエラそうにしているやつ、ってのが許せなかったんでしょうな。
戦国時代、力がすべてじゃん!て思っていたのでしょう。
時代が平和になるにつれ、はみ出してしまったんでしょう。
だからみんな剣術士になったよ
それが今の剣術の基本に
剣道につながる歴史ですよ
人間らしくっていいじゃん
俺は好きやぞ
性格悪くても強ければそれが正義になっちゃうんだよなぁー。時代ですね。
柳生が3000石、小野が600石って、上に愛想振るまえないと給料に差が出るってことかな。
いつの時代も変わらないよね。
コミュ力が最強のパラメータなんだわなー。
エジソンとかアインシュタインも結局のところコミュ力だしね。
愛想に通じるかもしれませんが、上からしてみればその石高で小野家全体を強くして徳川を支えなさいよという意図が主なので、単純に単体でしか強くない小野に沢山の石高を渡しても良い使い方ができないだろうという判断だと思います
後の時代(現代)の知名度にも繋がってきますよね。
剣の腕前だけはいいが軍規違反はするわ積極的に波風を立てるわパワハラするわプライドの高さが裏目に出てすぐに喧嘩するわで周囲への実害込みで扱いづらいことこの上ない人材と、剣の達人で生まれも素行も良くて事務作業をこなせて部下の教育がきちんとできて人望も厚くて人脈の広い人材どっちを重用したい?前者を重用してお賃金上げて政治的に重要な役職につけたいと思う?
@@suirenbachiまさしくそういうことですね
小野忠明の性格悪いのは、兄弟子の小野善鬼のせいかも知れないと個人的には思います。何故ならば、この兄弟子の強さは正に悪鬼その者で、勝負は時の運で正に奇跡的に勝った。その時、兄弟子の強さを超える何かが取りついたのだと思います。
剣は神腕でも、政治においては欠陥を有している小野忠明と剣も政治も、出来る柳生宗則さんの違いですね。
面白いです。近々柳生新陰流の初稽古に参陣しようと思案していますが、その前に小野派一刀流について調べたいと思います。
大変勉強になりました。
信長の野望でたまに仲間になる剣豪はこの人だったかと納得しました
生家も行ったことあるしお墓も近所の成田山にある
PS2ソフトの「剣豪3」で彼を知りましたが、伊藤一刀斎ルートに進むと彼のウザい性格がちらほらでてきますねwしかも強いw
実力がないのに人気物ぶってるのタレントとかに苛立ちを覚えるのと同じなんだろうね
実力あるのに 評価が見合っていない いつかやるさん 期待してます
とりあえず今日のぴろすけTシャツめっちゃかわいい それ欲しい
やばいくらいに強かったということは聞いたことありましたが、こんな人だったとは・・・・・。
面白かったですよ。
忠明さんは全然性格悪くない。
ただ生きる上で率直、正直だっただけで、日本人の大多数に蔓延る事無かれ主義やソンタク的処世術を嫌っていただけなのかも知れません。
私個人的には生き方の方向性にとても共感を覚えました。
少なくとも、彼の生きた時代は間違いなく今とは違い、命 に価値や大事と言う概念はなかったでしょう。
そう鑑みれば、彼の行動には何の
矛盾もなく、むしろ一貫した行動だった
のではないかと思えます。
何せ、彼と同時代を生きた 徳川光國
も若い頃は、日常的に市中の浪人を
殺して廻っていたと記述もあります。
@@onhon8484 貴重な返信をして下さりありがとうございます❗
天は二物を与えずとはまさにこの事ですねw
小野一刀流派の祖である小野忠明って確かに強かったようです。
実際に、
柳生流継承している柳生家側は小野忠明に対して一対一の勝負を避けた事で有名。
(小野忠明の存在等々があったから、柳生流は他流試合禁止したとも言われている。)
ものすごく思い出した人物がいる。
青木真也。
なんかわかります。
なんでかわからないけど青木真也さん好きというか、嫌いになれないんですよね
忠明、正直に生きた 偉い
全然知らなかった、知りたくなかったw
小野派一刀流の開祖だからきっと神様みたいな超然とした人だったんだよね!とか思ってたのに、、、
神子上天膳ですよ、なんていったって。
神子上で天膳、名前が既に「僕が考えた最強のキャラ」なんすよ。
こんなヤバい人だなんて知らなかったよ。
将軍家光も剣術訓練で足腰たたなくなるほどに叩きのめしたから
家光は優しい柳生にベッタリになったという話まである人なので
歴史は残酷なもんやw俺もヴィルヘルムにリストラされてるし、その後のドイツもめちゃくちゃや。...あの坊やが理想と現実の区別がちゃんと分けて考えられる皇帝やったらなぁ...。
現代の剣道に直結する一刀流の開祖ですからね。
出自が常識人の思う人徳者であって欲しかったかもしれないけど、
この人、妖術使いですから。
柳生の活人剣のほうが建前いいですよね。
しかし開祖や二代目は無茶苦茶でも、剣に現実的な実戦力を持っていたから、その後の柳生流が衰退していったのに対して、一刀流は幕末まで隆盛を誇り、現代剣道にまで繋がっていきましたから。
小野忠明を鬼忠明と呼んだそうですね。
性格の問題ならば、新田宮流の名人 和田平助も結構な者だったそうです😅
作家の故、峰隆一朗氏が
著書で小野善鬼が神子上典膳と伊東一刀斉を倒して小野次郎ェ門になったと言う説をあげていたが、確かにどこにも無理が無いのて案外その説が正しいのではないかと思う。
家康に最初面談した時、人間離れした技量で士官出来なかったそうですが病に掛りながらもやっと立てこもり犯を誅殺したのを家康が聞きき士官出来たそうです
この性格をさらに越えるライバル
師からすら忖度されるレベルで性格悪いとか
偉人というか異人ですねw
というかイ(キリ)人
中国の八極拳の使い手(李書文)の事を思い出してしまいましたは。
強くなりすぎると、横柄で性格悪くなるんかもねー
元々の性格が気難しいのもあるでしょうね。
この回ほんと好きw
もしよろしければ大石進の紹介をお願いします!
今度は柳生宗冬の紹介を、してください
完全にやることなすこと言ってること全部5ちゃんねるのやきうの民のそれやんけ!
なんで3回も謹慎くらって3回とも許されてるんですかね...
実力のある煽りカス…
範馬勇次郎かな?
仏生寺弥助の方がまだマシかもしれない
典膳殿がまた死んで…じゃなかった暴れておるぞー
吉川英治の宮本武蔵にも出てきましたね。どういう役か忘れましたけど最後出奔してしまったところだけ覚えてます。
南條範夫「士魂魔道 」にも主人公の師匠として登場しますが、
…まあハタ迷惑な狂人あつかいでしたね…
いつも見てます、とても面白いです
杉谷善住坊について解説してほしい!
まぁ、善鬼との一騎打ちの前に師匠から瓶割刀を譲って貰って「お前が後継だから必ず勝て」とサポートして貰ってるんですよねぇ
小野善鬼…名前からしていい奴なんだか 悪い奴なんだか…
解説見させていただいた限りでは性格が悪いとは思えませんでしたが、
率直すぎる性格で損してそうな感じですね('ω')
「剣は実戦が全て、口先の件は畳で泳いでいるようなもの」
は映画「切腹」の仲代達也さんのセリフを思い浮かべます('ω')
今回の話もおもしろかったです👍
現代よりも昔の方がとんでもねーやつたくさんいたんだろうなーと思います。
でも、昔だったら即ボコボコにされますかね。
ボコボコにできない、強くて性格の悪いやつはたち悪いですね(笑)
万喜城の攻防で引き分けた相手は槍の正木大膳、南総里見八犬伝にも出てくる八犬士以上に強いスーパーマンです。
それで勝浦正木氏こそが現在すべての徳川姓の母系です。そして江戸幕府になると正木は後北条に滅ぼされた本姓の三浦家を復活させます。小田原城が落ちた後は秀忠に仕えた正木茂正は隠居して三浦浄心と号し書いたのが「北条五代記」
小田原攻めの最中に房総は家康の本多忠勝に平秦されてしまいまして忠勝の娘が嫁いだのが真田信之、秀忠が上田城を攻めるときに御子神典膳も参加したが・・・
謎の入道「柳生宗矩とか邪道の江戸柳生じゃんww尾張柳生こそ正当最強だからwwww」
こんばんは、いつもオープニングの3人の一人はどこにいったんですか?
クソやろーの紹介がなんだか大好き。
だって、人間臭いんだもん。
クソやろーシリーズ作って欲しいな。
口先ばかりの奴らを懲らしめたツンデレ剣士に脳内変換された。
伊藤一刀斎を恨んでつきまとて
無理矢理弟子入りしたらしいですよ
お互い粗暴だったからね
強すぎて周りが稽古サボってるように感じたのかもしれないですね
小野派一刀流とはどんな剣術なのか、ぴろすけさんに解説して貰いたいです!
一刀流は基本はそのまんま現代の剣道になるのですけどね。
それだけじゃなくて、幻術超能力を使えたそうなんですよ。謎です。
奥義の「斬り落とし(木の葉落としと言われることもある)」に結実すると言われる。
俺は峰隆一郎から知ったから、特に違和感なかったな
シグルイの虎眼のモデルも、どっちかといえばコレのような気がするわ
ちなみに峰隆一郎版では小野善鬼は死なず、典膳を返り討ちにしたあげく、典膳になりすました上で後年自分の本名に戻してるんだよね
その際師匠の伊藤一刀斎も一緒に殺めたから、その後の消息が解らなくなったという設定でしたね。
小野忠明の最初の名前カッコイイ
とにかく舐められないように、畏怖されるようにしていくというスタンスなのかなと思いました。
剣豪3で真剣有の道場の話が出てきていた記憶がある。
将軍家指南役の、二枚看板でやってたけど性格災いしてたけどでも現代社会だとあまり付き合いたくないですね
柳生とのくだりはソースが後世の一刀流の弟子が書いたものなのが、むしろ忠明の名誉を損ねてると思う。
尾張柳生と江戸柳生は仲悪いし、これは大嘘は間違いない。十兵衛も江戸柳生では浮いている。本当の柳生の真髄である柳生新陰流宗家は、尾張柳生である。
現代では、日本古武道協会の理事であり理事長の職にありますよ。尾張柳生は。今も一族は健在。柳生新陰流も勿論健在です。
閉門って何かと思ったら自宅蟄居のことなんすね・・・勉強になりました
今風に言うと、在宅勤務?
@@largehill9736
自宅謹慎では?
たしか剣豪ってゲームでこの小野忠明を斬ることができたような気が、、、
wikiにも載っていますが千葉県の成田高校の体育館の裏山に墓がありまして、私が小さい時には夏の町内のお化け大会に使われてました(´・ω・)
逸話を教えて頂きありがとうございました、合掌🙏
師匠の伊藤一刀斎と兄弟子の小野善鬼も剣術取ったら、只の性格破綻者確実です。特に兄弟子の小野善鬼は悪鬼みたいで、強いなんてレベルじゃ無かったですね。戦争帰りの人間が、PTSDに罹るのと同じです。
おもしろかったです( ´∀` )
よりにもよって、なんで真田信之の所に蟄居することになったんだw
お兄ちゃんの寿命がゴリゴリ減っていきますな(´・ω・`)
本多忠勝の繋がりだと思います。
@@user-ws6ro8nl4o
お兄ちゃん意外と御長寿でしたが、死ぬまで苦労人でしたからね。
なんだかんだDM晒しとは秀忠も結構キレてんなwww
小説などでは小野善鬼戦の前後で性格が変わったイメージです。