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そのC623にSL復活の会より末席で関わりました。あくまで『フィクション』とされているので野暮は自粛させて頂きますが、幾つか気になりまして...①C623復活の前段として、手宮での保存に関する小樽市との協議が進まず、その留置期間に万が一に備えて手入れをしていた事。②扇形庫の保存策とした『小樽鉄道硝子』企画は築港機関区企画室の和田氏がほぼ独力で骨子を作り、企画書だけは作られたが適当な提出・プレゼン担当者が道総局におらず、後に副総局長として左遷された松田昌士氏に直訴して日の目を見たが、既に売却が内定していた事から止む無くC623復活に舵を切った事。③ハドソンと共に上島珈琲本社がハドソンを上回る拠出をした事。④当時の労組(全動労)は当局へ靡いたと一方的に糾弾し、当時の企画室メンバーは唯一外部の企業や民間人と窓口にあった一人を除いて全員が民営化と同時に退職し、『組合員雇用云々』は無かった事。⑤JR東日本の2度の要請のうち1度目(奥羽本線計画)は土崎工場と調整を進めた段階で、自動給炭器撤去+コンクリ埋め固めとの方針が示され、機能設計上安全が担保出来ないと断られたもので、2度目(東北本線計画)では軸重軽減解除をしなければ能力が発揮出来ない事に対する修繕方針の食い違いと、自動給炭器に関する技術途絶から断念したもの。(ボイラー圧力低減のお話はそのコンクリの破損防止の目安として出てきたもので、労基届出のボイラー仕様はそのまま16気圧とする方針だったと記憶しております。)⑥北海道鉄道文化協議会専務理事の銃刀法違反はその後処分保留で釈放とされ、その事件発生以前から上島珈琲本社含むサブスポンサーの撤退は決定していたもの。ちなみに市民団体としての鉄文協とは別に資金決済管理を行う有限会社鉄文社があり、その存在がスポンサーからの巨額資金に対する保証的存在であり、ハドソン単独運営に切り替わった段階で鉄文社は解散、その役割はハドソンの下請企業だった株式会社未来計画が替わったもので、同時に顧問・相談役・会長とはほぼ意思疎通途絶状態となり、この運営の仕組の一方的変更からそれまで陰で支えた多数の有力者・支援者が去った事が組織運営崩壊の引金の一つ。⑦JRの勘違いによる追加資金供出が水面下では大きな問題になりかけていた事。その余波から今もスハシ441は使い続けているとの嘆きも。⑧現在世間に出ているC623復活(再復活→鉄文協計画)の実情的話題は核心部分に触れられない状態で、断片的に出されている事で情報に混乱がある様です。この核心部分の情報は知っている方=関与する方で、プラスよりマイナスの部分が大きく、今後機会があっても御本人からは語り難いものと存知ます。私も情報と保安で関与した者として、お世話になった方や本当に苦闘された方の賞罰に関わるものばかりで、現時点では全ては語れません。私も国鉄で禄を喰んだ者ですから、作中のバブル云々は少々当てはまらない部分と拝見しておりましたが、幾人かの方の御投稿の通り、資金的問題は大きく、特に『勘違い出資要請』が今も北海道会社でC623の活用ができない大きな足枷になっていると推定しております。上の幾つかは私も直接その場に居りましたもので、恐縮ながら批判めいた書き方となってしまっておりますが、今もなおC623を忘れない方が多く御出でになる事が、鬼籍に入られた『本当に苦闘した人々』や『築機の神々』への最大の御供養となっていると存知ます。長文失礼致しました。永理庵尊微
トレインタイムス様から直接ご意見を賜りまして大変光栄で感謝しております。また動画もご覧いただきありがとうございます。この物語はフィクションであることや、RUclipsという公器ですので、鉄文協という名前は出してしまいましたが、かなりの部分自らの感情を抑えて製作しました。小樽ガラスの件も、そうあるべきだったよな、から考えたものですので、事実はおっしゃる通りのことなのでありましょう。私が訴えたいのは、ファンからの浄財を集めた機関車を保管しているJR北が、今後どうしていくのかを説明する義務があるでしょうということで、過去の様々な活動をされた関係する法人・個人をあげつらう意図は全くありません。20年以上もだんまりというは奇妙です。さらに今回の動画で少しでもC62に何かの進展のかすかな一助になればというのが、C62ファンとしての願いです。
御丁寧に御返事を賜り、誠にありがとうございます。ご参考までに関係年表をご案内致します(手前ミソで恐縮です...)www.c623.npo-jp.net/2rail/230c623/623-hist.htmJR北海道は明確な方針を示せない理由がございます様で、裏付がとれないものですから...実は社内でこの計画の全体を掌握していた方はとても少なく、その中心となる方は全員が亡くなられております。なので尚のこと、困難な状態となってはいるものの、奥羽計画や盛岡計画では貸与どころか譲渡の意向すらございましたもので、全く手の付けられないものでもなく、また人目を忍んで現在も『手宮移送前作業』は為されております...現時点で私が申し上げられるのはこの程度のもので...すみません...
ご返信ありがとうございます。頂いたリンクを見て、あれ?と思い昔Webで読んで衝撃を受けた走将の記事と似ているなと思いましたら、トレインタイムス様はまさにご当人様なのですね。今回の動画でフランが演じている子供は、かつて読んだ走将の文章の記憶をモチーフにしたものです。C62が走らなくなってから休むことなく活動を続けられていること敬服いたします。私も微力ながらRUclipsやTwitterで声を挙げ続けようと思います。
あららら....これは!!!...何と申しましょうかお恥ずかしい限りです...ちなみに私は横浜市生まれではございますけれども、育ちは足立区西新井でして、なりたかったのは駅員さんでした(笑)数年前から走将記と題してC623機の記録などを映像化しようとしております。まだまだ構成や内容の確認で遅々として進まず、と言う状態ではございますが、このままですと「恨み節」になる危険がございますもので、何か未来のヒントにして頂ける内容を織り交ぜようと苦心惨憺です...今後とも、何卒宜しくお引き立て賜りたく、また貴殿作品を楽しみにさせて頂きたく存知ます。まだまだ復活の可能性がゼロになるまで、旗は降ろせない年寄でございます...
何か貴チャンネルとコラボしてC62を盛上げられるようなことができるといいですね!私よりずっとお若いので継続され頑張ってください。貴チャンネル応援します。
3号機は手宮に持って行く前に徹底的にボイラーを乾燥させたから動態復活の時ボイラーは大丈夫だったもの船底型の炭水車が一部腐っており自力走行ができない状態のため機関車を呼んで引っ張ってもらい 小樽築港機関区に運んでもらい国鉄OBにも来てもらい ある程度の修理してから 苗穂工場に運び本格的な修理を実施したそうです小樽築港での修理も大変で 圧力弁が壊れて使いものにならなくなったり 一部の部品展示中に盗難あって無かったりかなり大変な作業だったようです。
ご視聴頂きありがとうございます。私の推測は、小樽での復元のあと苗穂に持って行くのは、現場レベルでは知らなかったのだろうということです。だからなんで苗穂に!?という話がありましたが、メディアやWebにはかなり伏せられていることです。営業運転7年間できたことは素晴らしい事で良かったのですが、その後の処遇はちょっとひどいですね。JR北だけが悪いわけではないとも思います。
砂留踏切(小樽市内)では、父と一緒に「ニセコ」を見に行きました、2、3の重連(2、16の事も有ったな?)築港機関区も行ったな~。もう50年以上昔の話か...。
ご視聴頂きありがとうございます。それは良い経験をされましたね。私から見ると羨ましいですね。北海道は遠くて遠くて。飛行機が使えるようになって身近にはなりましたが、お金がかかりすぎますよね。
羽田空港から千歳空港行のJALとANAの便が多い。
現役時代から日本ナショナルトラスト協会が運営してC62ニセコ号として運行していた際整備をされてた方のお話によればC62-3が運行されていない大きな要因としてはやはりお金に尽きるそうです。SLを運転するにはSLの機関士を最低1名&機関助士を2名育成せねばならず、その育成が現在は大井川鉄道でしか行えない事、またカマ自体が大型機の為その為の設備整備や修理部品の作成コストが大変高く、そう言った事にお金を投資する暇があれば千歳線や函館本線をどうにかしなさいと言うのが実情で、中々大型機の運行と言う物はハードルが高いそうです。また、これはニセコ号時代にもあったそうですが、SL自体に金を掛けてもファンがやって来るのは鉄道では無く車であり運行すればするほど鉄道会社が赤字になると言う悪循環の為事実上運行が不可能なのだと仰っておりましたね。そう言った意味では鉄道ファンが運行会社にお金を落とさない事には走らせられないと言うのが真相の様です。因みにこの方は「カマ屋」と言う愛称を持っており、SL界では知らない人が居ない位の方だったりします。
ご視聴頂きありがとうございます。大スポンサーのゲーム会社が降りたことがとどめを刺しました。おっしゃることはごもってもですね。だからJR北に荷が重すぎるのですが、手放さない。その理由は公開すべきではないでしょうかね。理解できません。蒸気機関車復元は法律のハードルが高いのですが、ファンがお金出してできる範囲出ないとうまく行かないでしょう。ですから撮影会一回に高額な入場料を撮ったり、もし営業運転するならば豪華な食堂車で集客し儲かるような仕組みが必要です。その現場まで鉄道を使わずともペイできるようにしなくてはなりませんね。もう鉄道を使って汽車を見に行こうというのは忙しい人々には難しいですよね。
9:55 全く同感です現在まで日本が発展出来たのは数多くのSL達の活躍が有ったからこそのものこの重要な産業文化遺産を後世に伝えるためにもっと国が管理してもいいと思うし動態保存機は国宝に指定するべきだと思います。どちらにしても根絶やすことは絶対許されないことだと思います。
ご視聴頂きありがとうございます。英国が国有、私有ふくめ800両以上の機関車が動ける状態にあるという事実とくらべて、何が日本は足りないのか、できないのか?あまりに単純すぎる質問にすら答えられません。一体どういうことなのでしょうね。C62級の機関車が数十台以上あって、本線もとんでもない速度で毎週何処かで走っている。撮り鉄もいますが、みんな乗って楽しんでいる。日本の何かシステムがおかしいのでしょうね。
私的には、京都鉄道博物館に動態保存でやってくれたら、C622号機も居るから、C62形蒸気機関車全盛期が再現出来ると思う。
3号の由来的には梅小路は適切ですね。しかしながらC62を西のほうにばかり集結させてほしくないですね。常磐線の仙台以南か函館~大沼で年2、3回でも良いので運行してもらいたいです。
函館大沼間あたりで、一旦走らせる構想もあったみたいです。🚂@@Yukkuri-Lab
お疲れさまでした。当時は札幌に近いマンションに住んでいて、ベランダから高架線を回送されるC62を見ることが出来ました。今思えば1枚くらい写真撮っておけば良かったな~
本編見ていただき誠にありがとうございます。苗穂に回送して築港に戻る時ですよね。札幌駅で夜行を待っているときC62が通りたまげた話を聞いたことがあります。鉄道写真撮るのは昔から億劫で、きっかけが無いとなかなか動けないですよね。お金もかかりますし。
自分は1995年11月、最終運転の小樽行きに乗車しました。もういいかなと思って書きます。C623は火室上部のステーが復活の際はその多くが切れてしまっているそうです。長年の雨ざらしで腐っていたこと、分割民営化での運転まで時間がなく切断したままの箇所もあるなど問題があったのですが、そのままの状態で1995まで運転されました。もし再々復活で検査を受ける際にはそこを新しく作り直さないと通らないが、それはかなり難しい。。。。あの時は全般検査を受けるための資金がなかったと言われていましたが、知られていた金額にはそのステー取り付けの費用はうやむやにされていたのですが実ははるかに資金が必要だったはずで、C623はボイラーの状態が悪いのです。ステーの問題はほとんど認識されていないように思いますが、確か2000年のC11ニセコの時だったかな、他の蒸気の復活も行った方の誰かから聞いたと言うことにしておきます。雨の銀山、目の前でC623が大空転した時の凄まじさは今でも覚えています。
ご視聴頂きありがとうございます。説得力のあるコメントをありがとうございます。銀山は私も行きましたが、C62で定数が少ないのに厳しい走りだったのは、乗務員の習熟度なのかと思っていましたが、ボイラーの調子もあっのでしょうね。私はもはやC62を山線で走らせる事は、正直なところではほぼ諦めているのですが、解体よりは、静態保存、それより現役環境内での保存(梅小路)、またそれより構内運転が良いと思っています。屋外での保存は見るに耐えない状態となることが多く、圧縮空気でも良いので何処かのJR施設内で動かしてもらいたいです。
あら...ステーは規程通りに修繕していましたよ...SSKさんから伺いましたので...
ステーの件は何が本当なのか自信がなくなりました。自分は C623とその後のC11の復活作業をされた方から、C11ニセコ号が運転を開始した年に、簡単には復活できない理由があるとして聞いたのですが。もう闇の中でしょうか。もう撮影場所を求めてヒグマを恐れながら歩いた山線が無いのが寂しいです。1995年は東京からですが、臨時も含めて全運転日に出席しました。
C62 3が仮にJR東に譲渡されたとしても今のJR東は合理化·コスト削減を進めていますので復活したとしてもSL銀河の様に何処かのタイミングで廃止されてしまうんじゃないかと思います。(夢の無い事を言っているのは分かっていますが、動画を拝見してC62を動態保存で走らせるには今の日本は窮屈になりすぎてしまったのかなとも思いました)
ご覧いただきありがとうございます。コメントもありがとうございます。その通り窮屈な国になりましたね。安全・安心な生活が遅れる分には申し分ないのでしょうが、人はそれだけでは満足できませんよね。東北のC58の去就は今後どうなるのでしょうか?
個人的にはJR東の復活対象をC61にしたのは、高崎のD51と新津のC57のノウハウが活かせるからだと思ってます。(少なくともボイラーは一緒ですから)
JR北にとってC623がお荷物だというなら、JR西に譲渡して梅小路に置いて欲しかったです。梅小路なら専門の整備工場があるから持病の軸焼けも改善できてスチーム号牽引も出来たであろうし、何より1、2、3、と連番で並ぶ姿が見られたのに。(T_T)
Gottonさん、JR北にはお荷物でしょうけど、もう動かす必要もないならば、固定資産税だけ払っていれば良いので、他に譲渡しないのは意地を張っているとしか思えません。まぁ、他のJR各社ももはや手を上げるお金も無くなってしまい、とても残念です。
梅小路には既にC62が3両もあるので、これ以上JR西日本が引受けるでしょうか…
@@鉄道模型大好きおじさん さまたしかに梅小路にはC62は静態保存機の1号機と動態保存機の2号機、交通科学博物館(大阪市、廃館)から移籍された展示機の26号機がありますね。しかし、26号機は別としてそこに半動態の3号機が加わる事で1、2、3の連番が成るのですから、観光の目玉になる可能性が生まれます。更に梅小路には修繕工場がありますから、3号機の軸焼けを直してスチーム号牽引機として自走復活させる事もできると思います。(^^)
@@Yukkuri-Lab さま返信遅くなって申し訳ありません。m(_ _)mせっかく営業運転のためにボイラーを新しく造り直して『若返り』させたのに、たった11年ほどしか走れず軸焼けを酷くさせて走れなくしてしまったのは残念でなりませんでした。梅小路に来れば軸焼けを直して構内走行できるようになるはずですから、観光の目玉としても3号機を招致したいものですね。
C62の3号機が動態復帰していたのも、相当前のことなんですね。てっきり、10年近く前までは動いていたんだと思い込んでいました。そして、蒸気機関車の保存に限ったことではありませんが、個人個人の熱意とお金だけで出来ることには限界があるのに、むしろ自助努力万能論だけがバブル時代からずっと残り続けてしまっていて、何かがおかしいなと動画を拝見しながら考え込んでしまいました。火を入れて蒸気を発しながら動いていれば必ず伝わってくるモノがある「栄光の名機」、再国有化というわけにはいかないんでしょうか。最後になりましたが、100回アップお疲れ様です。そしておめでとうございます!
いつも励ましていただきありがとうございます。他の方にも回答したのは、JR北がC62に手を出そうとしないのは、過去のトラウマですよ。金ならばC62であればどんなことしても集まります。クラファン、有料撮影会とか当時に無かった手法がありますから。その意味で鉄文協マネージメントの不手際は本当に大きな禍根を残したし、燃え上がって気前よく金を出したスポンサーにも非がありますね。梅小路のような構内運転にしておけば、将来に動態で走らせる夢を保ちつつ長くC62を動かせたと確信しています。C62のことになると熱くなってしまうのですが、それだけ夢がある特殊な機関車ですね。(C59が一番好きなのですが、もうありませんから)
JR東が予備機を探していた頃にそういえばC62 3が動態復活の候補に上がったことがありましたね…
ご視聴頂きありがとうございます。はいそのように聞きました。ストーカー不使用と使用圧力の低下で意見が合わなかったとか。
JR東日本ではストーカーを撤去して重油焚きにすると言ったのが北海道を怒らせて話が無くなったみたいです、東日本のC61はストーカー撤去してますからね。企画乗車券等で提携している北と東でも譲れないところも有るのでしょう。
苗穂の工場に大事に仕舞われているならば…時期が来ればまた動いて居る姿を見れる日が来るかも知れない…雨晒しで公園とかに据えられるよりよっぽど良い…今のJR北海道には復活させて云々言う力は無さそうですし…中々難しいとは思う…可能性なら西日本か九州だろうけど、何方もコロナ禍で経営的にも難しいと思う。其れ以前に歴史ある苗穂の工場のプライドからも今は動かせ無いが、手放しもしないと思う…
ご視聴頂きありがとうございます。苗穂はC11もろくに修理できないのに、C62できますでしょうか?結局小樽時代からの技術の継承が出来ているのでしょうか?とても疑問です。
@@Yukkuri-Lab もう無理みたいですね。苗穂の匠も今は昔ですし。そもそもJR北海道は保線の技術すら継承できなかったくらいなので、あとはお察しでしょう。
投稿100回目おめでとうございます!
ご視聴頂きありがとうございます。前から100回めはC62と決めていたのですが、山線廃止と聞いたので、3号機をやることにしたものです。
@@Yukkuri-Lab 走ってる姿がみたいなぁ
期待していれば、いつか必ずみれますよ!
元JR北海道職員です。14年前に直接苗穂運転所でSLを検査修繕で関わりましたが、物凄く興奮した記憶が有ります。今は辞めましたが、JR北の思い出はかなり有ります!(気動車のみでしたが…)あとついでに小樽、小樽と連呼されてますが、小樽市民ですw
ご視聴頂きありがとうございます。そうですかJR北の職員さんでしたか。お仕事とはいえ良い経験をされて羨ましいです。今回の動画は関係者へのインタビューも行いましたし、私自身国鉄の急行ニセコ時代から3号機を見ていてかなり思い入れがありました。でも外から見れないことは伝聞だったり、思い込みも多いと思いますので、これは違うだろう!という点あればよろしくご指摘いただければとてもうれしいです。ところで最後の貴コメントはどういう意味でしょうか?
動画内で、小樽と出てきたので、自分が小樽市民だって事をただ強調させたかっただけですよwあと、ついでに、JR北海道で、職場内のパワハラで辞めたクチです。いろいろピリピリしてた職場に居ました。
なるほど、そういう意味でしたか。鉄道会社って厳しいのは当然、安全のためという題目に乗じてかなり酷いところが多い様ですね。私が趣味的に好きな京急もそうです。ハラスメントはいかなる手を使ってでも対抗してやることが大事ですね。後からでも労基はもとより簡易裁判所に訴えてやることもできますね。
線路がつながっているうちにJR東日本へ移籍させ、常磐線のいわきー仙台の区間で復活してくれないかなと思っています。このまま朽ちてしまうのはあまりに惜しい。
ご視聴頂きありがとうございます。3号機の事はこちらで2回特集し、様々ご意見を頂きました。北が意地張ってるのもありますが、抗えない組織とか人の問題もあるみたいで、動画ではあまりっつ込まない方が良いかなぁとも思ってます。現状では東への譲渡は到底考えられないでしょう。
JR東日本はここ数年で保管中の車両を沢山スクラップにしているので信用できない保線もまともにできない会社では走行は難しい今の経営者のうちは移籍させないで欲しい。
復活した時に原チャリで、C62-3を折り返しの倶知安まで追っかけて、ちょうど汽笛を鳴らした所にでくあして、汽笛がやまびこで帰ってきたんですよ!生まれて初めて蒸気機関車の汽笛に感動しました❗今はやりのクラウドファンディングでもやって資金を募って復活して欲しいです!でも北では維持するのは無理かも❗
ご視聴頂きありがとうございす。1988年って最近のことですよね。C62が初めて見た蒸気機関車というのはとても幸運ではないですか。JR北が何で20年以上もC62を放っておくのか公式に説明してもらいたいです。
一回だけ復活運転撮りに行ったっけかな運転の無い時期は休車指定掛けて、どうにか7年持たせたけど、全検費用が捻出できなかったので復活運転が終了してしまったのでしたねまぁJR北と鉄文協の確執も大きかったですが
ご視聴いただき有難うございます。トドメを刺したのはゲーム会社のスポンサー打ち切りですね。その後そのゲーム会社も無くなってしまいました。(今は大手に吸収されました)JRを頼らずに7年やれたのは凄いことですが、本線を走らせる必要があったのかは疑問なのです。
私は、今年54歳になりますが、子供の頃散髪に行く床屋さんで、今は亡き少年キングの連載していた、銀河鉄道999を読むのが大好きで、モデルになった蒸気機関車が、C62だったのが凄い衝撃でした!車やバイク、機械物は動かしていないとすぐにダメになってしまいます!どうか動態保存して欲しいです!ちなみにふるさとは、小樽です!
ご視聴頂きありがとうございす。54歳ということは、ごく幼少のころ急行ニセコをご覧になっていたかもしれませんね。私は当時北海道に何度も行ったことを昨日のことのように思い出しますが、やはりC62の印象が絶大ですね。ほかの地方のC62とは何かが違うというか。呉線とか常磐線とは違うんですよ。急行ニセコの重連って人間の作り出したものじゃない乗り物のような感覚です。
C62 3号機をぜひ復活させてほしいです。D51やC61の次に自分が好きな機関車なので、もう一度走る姿をみたいです。
中村さん、ご視聴頂きありがとうございます。構内運転で3号機かならずは動くようになると信じています。本線は無いでしょう。
オープニングのD51、懐かしい。新鶴見操車場のD51791。昭和45年にさよなら運転して現役引退した。
ご視聴頂きありがとうございます。気が付いていただけましたね。高島貨物線が家から見えるというのをイメージしたものです。791東京駅に来ましたね。私は行きませんでしたが。ナクイチとか言われていました。
小樽築港機関区が解体されたことは本当に残念です‼️まあ、残ったところで結果は同じだったかもしれません....。文化遺産を残すことがいかに難しいか、このC62 3と小樽築港機関区がいい例です.......。
ご視聴頂きありがとうございます。バルブ時代も終わりかけていて、慌てて土地を売ったのでしょうね?日本中同じ理屈で扇形庫とターンテーブルを無くしたところ多かったですね。
@@Yukkuri-Lab 小樽築港機関区&築港ヤード跡地を売却してその結果誕生したマイカル小樽(現ウイングベイ小樽)は案の定大失敗。石原裕次郎記念館も建物の老朽化で撤退。新幹線予定駅は山の中。小樽は街をどう立て直すかのビジョンがあまりに行き当たりばったり過ぎる。(まあ破綻寸前の財政状況で出来る事が限られるのもあるけど)
ご視聴いただき有難うございます。私自身扇型庫が壊されてからそちらに行ってはいないのですが、小樽全体としては旅行客に魅力のある街になったと思っています。地元の方々が住みやすいのかはわかりませんが。ただ鉄道の街小樽、日本最大の機関車を走らせていた小樽というのは綺麗さっぱり無くなってしまったということですね。
@@Yukkuri-Lab 小樽は基本横並び気質なんですが、だからと言って古いものを大事にするかと言えばそうでもなく。今ある歴史的建造物は「たまたま」取り壊される事も無く残っちゃっただけ。シビアでドライな街です。住みやすさは…。ドカ雪と山坂が全てかな。また自分たちのテリトリーを壊さない限りはウエルカムですが、人のテリトリーにずけずけと入ってくるのは田舎あるあるでしょうか。
私のようにほんわかしたところにしか住んでいない者にとっては厳しそうな街ですね。小樽はみんないい街だよと言いますが、旅人の感傷と現実は違うのですね。
もう山線が廃止になるのならせめて今一度2号3号の重連で急行ニセコを運転してほしい
ご視聴頂きありがとうございます。急行ニセコがなくなってから50年いつも再現を望んでいました。客車が無くなり、山線が無くなりようやっと諦めがつくようになりました。
苗穂の扇形庫に入れて「魅せる」展示にすれば人も集まり活性化も期待できるのにと思っていたが、今や転車台が寂しく残ってるだけだもんな。気候の良い時期だけでもよく見える場所に引っ張り出してくれないかな。昔SL運用廃止後しばらく数両のSLが苗穂の側線(本線から見える場所)に留置されていてナンバープレートも無い姿は無残だったけど横を通るたびに元気をもらえた。そういう事なんだけどな。
ご視聴頂きありがとうございます。昔は廃車体を大宮辺りまで行くとよく見かけました。国鉄の線路にあるだけで廃車体でもワクワクしました。扇形庫なんか簡単に作れますよ。東武でも作りましたしね。要は20年以上たっても、かつてのC62ニセコのことがトラウマになっていることではないでしょうか。JR北がクラファンやったり動態後一人10万円の入場料で構内走行見学をさせるとかできますよね。金のことは問題ではないと思います。動画では批判していませんが、彼らはそれだけに罪なことをしたと思います。
17号機がリニア鉄道館入りし、それ以外の3両が京都に集まっている現状現存するC62の中で唯一普段幽閉されていることが残念でなりません。JR北海道にはもう動かしてとまで言う気はないからせめてこの貴重な産業遺産を観光資源として活かしてほしいです。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよ。東日本にはこの3号機しかないのです。だから是非いつかJR東が引き受けて欲しいです。東北復興支援の効果絶大です。C62は常磐でゆかりはありますから。
~C623~これからも、ニセコで走って欲しいです。東京民ですが、SLは、大好きなので。
C62-3は夢を追うファンだけでは済まされない闇があるようなので、最近私はあまり深く突っ込まないことにしているんですよ。
現在の苗補にはSLを運用できるだけの設備が残されているか不安ですな東は大宮、西は京都がメインでほかにできそうなところが思いつきませんし
ご視聴頂きありがとうございます。苗穂は大丈夫です。倶知安や長万部から特殊器具を調達していて、捨ててなければ使えるはずです。でも復元も運行もできる体力はないすね。ですから私は国有化すべき段階じゃないかと思っています。
@@Yukkuri-Lab 国民の税金を無駄なことに使わないで下さい。
いろいろご意見はあろうかと思いますが、産業遺産ですからね。私は国の管理が妥当だと思いました。
@@Yukkuri-Lab 全く同感です。
100回目おめでとうございます!!築港機関区のラウンドハウスは本当に惜しいです。日本の鉄道保存の失敗の一つだと思います。 C62 3は直江津のD51の様な存在を目指していたのですかね。C62 3を動かす方法 団体が買い取って運行をJR(ひょっとしたら3セクの方が良いかも)に委託(C12 164の様に)苗穂で空気機関車(しかし、本線復帰はほぼ不可能になるかと)ですかね。どこか廃線になったところにSLだらけの保存鉄道をつくりそこで走らせる。(しかし、そのような線区にC62が入れないかもしれないしお金もない)小銭稼ぎはグッズ販売ですかね。銚子電鉄がグッズで相当儲けているので上手にすれば良いアシストになるのではないでしょうか。C62 3復活を願っています。
ご視聴頂きありがとうございます。うれしいコメントもありがとうございます。やる気が出ます。築港の扇形庫は東洋一とか言っていましたが、実は中国にはもっと大きなのがありますね。だから私は日本一と言い換えています。でも立派すぎるくらい立派な扇形庫ですよね。C62-3は直江津というより、機関車と機関庫と取り巻く一式を文化として維持保存することだったんですね。退職者対策もあったはずです。築港でそれだけの雇用を確保したかったんでしょう。だから国鉄最後の日に合わせてOBも交えて復元したのです。扇形庫では国府津機関区は最初の鉄筋コンクリート造りだったはずでとてもエレガントな造形でした。あれを壊されたのも腹が立ちましたね。今なら間違いなく保存になっていたはずと思います。C62はまず圧縮空気からでよいと思います。機関にダメージは与えないです。タイの蒸気機関車のような解決応報もありでしょう。C62は意外に軸重は軽いので、線路規格が低くてもゆっくり走れば大丈夫ですが、曲線が多いところだとダメージ与えると思います。やはり夢と期待を込めて上野(尾久)ー高崎間じゃないでしょうか?JR北が金を集めるなら、まず動態化してもらい、メンバー制で見学・撮影会を有料でやればよいでしょう。一回10万円でも来る人は多いはず。
@@Yukkuri-Lab 梅小路蒸気機関車館に土産物屋を併設した施設というイメージでしょうか。よくSLが復活しない理由に撮り鉄にマナーの悪い人がいることが挙げられますが日常的に走らせれば良いと思います。例えば223やE233を好んで取る人は少ないと思います。誰もいつでも撮れる列車の写真なんて撮りませんから。大井川鐵道や京都鉄道博物館でも大きなイベントがない限り撮り鉄か集まっているようには感じませんから。
扇形庫の何本分かをガラス工芸工場、残りをショッピングセンターとC62-3の検修エリアとかだったと聞いています。港沿いは操車場がデカいのが航空写真でも分けりますが、そこを展示運転させる。というのがオリジナルプランの一つみたいです。いつも走っているものは激パ状態にはならないというのは同感ですね。英国も毎週上野駅のようなところから蒸気列車が走っていますので、別に珍しくもないわけで、また線路内立ち入って怪我したり亡くなっても、鉄道側は100%責任は問われませんから、日本と考え方が違うところがやりにくいのでしょう。
@@Yukkuri-Lab 日本は狭いし個人は金持ちとは言い難いですし考え方も違うしでイギリス流は日本では上手くいかないんでしょうね。
ユニクロの社長が蒸気機関車大好きだったら違っていたかもしれませんねぇ。
私はC62 3の走っていた時代は知りませんが苗穂工場でC62 3を見て少し感動しました。JR東にもC62 3を渡す計画があったようですがメカニカルストーカーを使わない事がJR北に刺さったのかそれも無くなって残念です。小樽築港の男達や苗穂の匠が動態化したのにもう1度火を入れ走る姿を見られないのが残念です。いかに動態保存が難しいかわかりました。
ご視聴頂きありがとうございます。動態保存機C62-3を非公開にして構内運転日を設けて1回10万円/一名でどうでしょう。ELには興味ありませんが、品川の機関車撮影会が15000円で毎回満員でしたから。私も年一回は行きますよ。2年位で動態化の設備投資は取り戻せるのでは?それをやって当初の小樽の鉄道を中心とする文化の発信地として再興できるかもしれません。
東は、C62は保有していないですから。🚂実は、当時の国鉄が最終番号の49号車を保存する構想があったらしいけど。保存する、場所が決まらず解体してしまったみたいです。東も、当時の国鉄に先見の明がある人がいたらってことですね‼️東海は、当時の国鉄が17号車を最終的に名古屋に戻す構想があって保存することになったようですね❗動かして欲しいけど、東海は新幹線やリニアのことで見向きもしない。
コメント有難うございます。C62は上野にバンバン来ていましたし、東京駅からも常磐線行きが出発していました。ですから縁が無いことはありませんね。3号機は梅小路出身ですから縁はありませんが。当時の保存機集結場所を梅小路ではなく、当初の計画の小山であればかなり違った展開だったことでしょう。個人的にはターンテーブルのある尾久か高崎に引き取って欲しいです。
@@Yukkuri-Lab 金持ちですね。
いえいえ借金だらけの貧乏人ですよ。私は3号機には思い入れあるので、趣味を超えていますから会いにいくのは当然かなと思っています。
小樽機関区の画像は、懐かしさを感じますね。今から33年前、僕が中学生の頃に復活したC62を朝早くに機関区へ行って写真撮りました。今では、いい思い出です。
北海道へたっぴ釣りチャンネルさん、ご視聴いただきありがとうございました。え?!もうそんな昔になっちゃったんですね。RUclips登録しました。お互い末長く頑張りましょう。
平機関区の49号もどこかで保存してくれれば現在1両も残ってない汽車会社製が残れたんですが、しかし国鉄での保存だと後の民営化で大粛清で潰された可能性も考えられるので共栄興業あたりで保存してもらえれば良かったと考える。3号とは関係ないのだが2号は東海道線時代から外れの機関車であまり調子が良くなかったと言われてますね。
ご視聴有難うございます。平に限らす東北の大型機でまともに残っっているのは仙台のC60-1ぐらいでしょうか。C61の20が動態なのは嬉しいですが。常磐線の電化でC62を残そうという話にならなかったですね。昭和42年頃だと廃車体を引き受けて保存展示なんて考えなかったでしょう。2号機は調子悪い悪いという話がよく出てきて、実際の機関士の話もありますね。実際のところ私は個体差とか癖の違いじゃ無いかと思っています。大事にするため小樽〜長万部の前補機に多く割り当てられてたのですね。
最近BSで劇場版銀河鉄道999二作が放映されて見たが、ラストナンバー49の兄弟機である劇中機関車の48も保存されなかったのが誠に残念。平機関区では好調機ということで、最後の特急仕業であるゆうづる牽引機の常連として名を馳せたのに。
@5 red 常磐線のC62は全滅でしたね。ゆうづるはC62牽引区間では夜か朝早すぎて人目に触れなかったのでメジャーじゃなかったのが残念でした。
復活運転の時にゲームメーカーのハドソン社の多大成る御支援で復活出来たとこのハドソン社の御支援が無ければ復活運転は出来なかったと言われてる社長はC62が大好きでハドソンはC62の車軸配置の事東日本が譲渡を申し出たけどC62は癖の有る車両で運転するのは難しく復活運転が出来たのは現役当時の機関士と助手が当時はまだ現職で有ったまた整備も癖が有り 軸焼けもし易くこれも現役当時の整備士がまだ現役だったのも大きく
ご視聴いただき有難うございます。ハドソンと上島珈琲、小樽の漁網会社ですよね。主な支援先は。ハドソンは最後まで面倒を見ていて、社長の故郷のニセコに転車台を移設までして延長運転しました。夢があってよかったですね。20年以上経った現在では保守技術の継承も無いので、たとえ復帰しても本戦はJR北では無理だと思っています。
@@Yukkuri-Lab 何せハドソン(ゲームメーカー)の社名の由来がC62のハドソン型からきてますからね。特別な思い入れがあったのではと。
ハドソン社は、コナミスポーツコンピュータエンタテインメントに買収された。
扇形庫取り壊しも含めてバブル景気に湧きすぎた弊害なんでしょうねぇ…
ご視聴頂きありがとうございます。JR北がバルブの最後期にあたり、土地を高く売れる最後だと考えて売り払ったんでしょう。そこには目先の事しか考えられない私企業の論理が表れていますね。
苗穂の座敷牢に幽閉しておくくらいなら、転車台で”北の門番”として鎮座してくれれば、また違った人生を歩めたのかな、と思ったこともありました。しかし扇形庫も無くなり叶わぬ夢に。。いっそのこと旧追分に持って行った方が大事にしてもらえそうですが縁遠い事もあり、外野が大騒ぎしそうですしJR北同士でも余計なメンツ問題があったりして無理でしょうね。可哀そうな3号機とも思いましたが、様々な思惑から一瞬でも解放されている今がもしかすると幸せなのかもしれません。
ご視聴頂きありがとうございます。JR北は道民からも見捨てられている状況みたいですから、ここらでJR東に頭下げて引き取ってもらう時期でしょうね。上野の尾久には転車台がありますし、構内も広い。C62とゆかりの深いところですから。西には多くのC62ありますからそちらではなく東です。本線を動かすことは無くても尾久の構内で入場料とって運転すれば集まりますよ。
C62-3号機はJR北保管が続いたのが不幸としか言いようがないですね。まだ動けるのに何をするでもなく、苗穂工場の中にただ置いているだけ。これなら早いうちに梅小路に引き取ってもらうべきだったと思います。とはいえ一応保管してくれているだけでもありがたいと考えるべきでしょうか。石炭消費も多くメンテナンスにも手間のかかる機体なので採算の見込みがないアクションは取れないのは理解しますが、この先大きなスポンサーが現れることも考えにくいので、このまま埃をかぶり続けるだけなのでしょうね。北海道の鉄道全般に関しては、JR北や国に対策を丸投げする姿勢をとり続けた高橋知事や、夕張を踏み台にして潰した後任の鈴木知事の口だけ・傍観ぶりが衰退を加速しているように見えてならず、山線の廃止が決まり、新幹線開業後は函館~長万部間がどうなるかすら不透明な状況では、地元民としては仮に再復活させるにも走らせられる在来線区がもう無い、なんていう未来すら想像してしまいます。
くたきちさん、ご視聴頂きありがとうございます。私はJR北、道民の方々の合意で北海道には主要幹線と新幹線、札幌近辺を除き鉄道は要らないと判断されていると思っています。また3号機は北海道の誇りであり他地方に譲渡・売却なんかとんでもないと思われていることも理解しています。ですから北海道の鉄道が総意のようになり、北の経営安定化のめどが立てば、象徴としての3号機は復活すると期待しています。
北海道新幹線が黒字になったら、登別温泉駅や東室蘭駅から長万部駅までの高速運転をすれば、集客出来そうな気がします。
それでも俺はいつかは復活してくれると思ってる。復活が出来る可能性に掛ける、それしか出来ないけど復活出来ることを信じてる。
ご視聴頂きありがとうございます。そうですよね。現在の状態は異常だと思っています。構内運転でも良いので動かしてほしいものです。
趣旨とずれて申し訳ないのですが、SLは残るのにEL・DLは動態保存されないのが残念で仕方ありません。保守部品を考えると蒸気のほうが簡単とは思いますが、もう十分に台数があるのでこれからは無煙化後の車両も動態保存してほしいところです。
ご視聴頂きありがとうございます。ごめんなさい、私はDLは好きではないのでコメントできません。ひねくれものなので昔からの主義を宗旨替えすることができません。ただDE10は乗せていただいたこともあってちょっと気になります。DF50も蒸気とマッチングして悪くはないです。また旧型ELは好きですが撮影にはそれを目的に行ったことはほとんどないです。
そう言われればそうですね。あえて言うなら碓氷のEF63位でしょうか?一方電機はかなり古い機体も「動態」ではなく「現役」の車両も中小私鉄にはありますね。
そういえば一度だけですが、友人にせがまれて宗谷本線の塩狩峠のDD53のC55の列車の後部補機を目当てに行ったことがありました。碓氷峠に保存されている機関車そのものだったのを知ったのは最近です。
なつかしい‼️ニセコ号に乗ったので今もまた乗りたいです。C62-3って北海道で走るイメージが高いので廃止しないでニセコだけなく稚内と網走、帯広、釧路も走ってみたいです。
土肥さん、ご視聴頂きありがとうございます。C62ニセコ乗られたんですね。もう3号機は本線を走ることは無いんだろうと思っています。北海道新幹線が札幌まで行ったときに、構内を走り汽笛を鳴らすイベントで駆り出されるのだろうなと思うのです。
ありがとうございます。C62って日本の中に復活してるのは北海道のみ!で今は廃止かな?C62の姿が見られなくなり惜しいです。今の復活してるのは高崎駅のD51とC61、山口県のC57とD51、秩父のC58だけ?老朽化のため新しい部品がないともう終わりになるよね!C62は1回だけ乗ったのでよかったと思っています。(小樽からニセコ)まだ乗りたいな!C62ってSLの最後の蒸気機関車だったというよね!
そうですね。急行ニセコが無くなって、私は腑抜けになりました。
1988年と1994年の2回、C62 3号機のSLニセコ号に乗車した事があります。人生初のSL乗車でした。今思えば小樽築港の扇形庫を梅小路のようにしなかったのは痛恨事でしたね。もしかしたら小樽鉄博みたいな感じで鉄道遺産を継承できたかもしれないのに。でも維持費が掛かりそうだからJR北はそういう事はやらないかな……。
ご視聴頂きありがとうございます。営業運転するころには実は売却先が決まっていたそうです。この亜付近の小樽の現状と比較してどちらが良かったのだろう?と思いますが当時はそれがベストで唯一の選択肢だったのでしょう。
小樽築港機関区跡は、現在イオンモール小樽。
そう見たいですね。あのエリアはあまり上手くいっている様には思えないことを視聴者様からお聞きしました。
叶わぬ夢とは分かっていますが、山線を走る勇姿が見たい。
ご視聴いただき有難うございます。もう見れないと思うとやるせない気持ちでいっぱいです。でも未来に向けて動態である方が良いと思うので、苗穂でいいですから構内運転可能な範囲で直して欲しいものです。それもできないならばJR東に譲ってもらいたいです。
それどころか山線の存続そのものが…
この区間の廃止って問題ですよね。
C62-3にそんな話があったとは初耳でした。2号機が今でも動いていることを考えると、かなり気の毒だなと思ってしまいます。今のJR東じゃ買い取ってくれなさそうだし、期待するなら東武やJR西や梅小路で活躍してくれたら嬉しいですね。いつかEF58-61と同じように名で目にしてみたいです。
ご視聴頂きありがとうございます。3号機を取り巻く闇はかなりの深さですよ。3号機には何ら責任あることではありませんが、それだけ引き付ける魅力があるのは事実ですね。人を狂わせるという意味で。私もその一人です。鉄道遺産として国が管理して欲しい。高輪ゲートウェイの高輪築堤の保存工事やっていますが、そこで煙を吐いて保存なんてサプライズがあったら最高ですけど。ほぼこの夢みたいなことが国鉄最後の日のニュースで現実に起こったこと見たので、3号機ならあるかもと期待しちゃいます。
C62-3号機はJR東日本が買い取りを打診したが断られ、C61-20の復元に切り替えた、という噂がありますね。
はい、それは事実のようです。JR東がストーカーを外すとか、使用圧力をさげるとかごねてJR北がNG出したという話もありますね。
C62-3号機は高速運転が身上なので、長万部駅ー東室蘭駅を高速運転させて、新幹線乗客を誘引する方が集客増になる気がします。
007 montokuさん、ご視聴頂きありがとうございます。この動画をアップしてから様々な方のご意見を伺っていると、3号機が本線を走る可能性と言うか物理的にもできないなぁと思うようになってきました。英国のように最新技術で新造できれば別ですが。
@@Yukkuri-Lab動態保存しても長続きしない気がします。残すならば、「札幌駅ー東室蘭駅」の特急に乗り換え接続する定期運用SL の方が集客出来そうな気がしました。
聞いた話だとJR東日本がD51、C57に続く第3の蒸気機関車の復活を計画した際、その候補機の中にC623もあり、JR東日本は実際にJR北海道に譲渡に向けての交渉を行ったそうだが、JR北海道はこれは拒否したそうな。噂によると拒否した理由の一つに『北海道新幹線札幌開通後の観光資源として道内に残しておきたかったから』というのがあったそうな。もしこの噂が事実だったとして、JR北海道の言う『観光資源』とやらが再復元を意味しているものなのかは定かではないが。
ご視聴頂きありがとうございます。JR北が断った他の理由はJR東がストーカーを使用しないこと、蒸気圧力を下げることを提示したとも聞いています。新幹線札幌延伸の際にはC62-3が汽笛で迎えるとか。そのくらいはして欲しいものですね。
C622号機とC623号機が活躍した、函館本線小樽ー長万部間が廃止されて、バス転換が決まってしまった。これにより函館本線は、函館ー長万部間と小樽ー旭川間に分断されてしまう。函館ー札幌間は、噴火湾の複線区間の室蘭本線と千歳線のみになった。
いつもご視聴頂きありがとうございます。もともとは貨物は室蘭本線、客車は山線と分けていたことで、山線に急行列車が多かったそうです。ていね→ニセコとDC化できなかったのは荷物車の関係ですね。そうなると現状山線は要りませんという判断は妥当でしょうが、一時でも熱くなった場所が無くなるのは、精神的にかなり打撃大きいですよ。
@@Yukkuri-Lab 特急北海が函館本線山線を経由して、函館ー札幌間を結んだが、国鉄分割民営化前の昭和61年11月1日のダイヤ改正を持って廃止されてしまった。この列車の廃止でキハ40形のローカル列車しか運行されなくなって、さらなる減便に減便を重ねて、ハイブリッドDCH100形のローカル列車しか運行されなくなった。そして、北海道新幹線新函館北斗ー札幌間の開業の前に廃止となり、バス転換となる。
本線と名がつく路線はこれまでにどれだけ廃止されたことか。国土のリスク管理上問題ですよ。
@@Yukkuri-Lab 名寄本線と言う本線があったが、100円稼ぐのに営業係数5980円かかる赤字ローカル線で平成元年に廃止されてしまった。代行バスも廃止縮小されてしまった。
後年xx本線が無くなったと聞いて、実に驚いたことがありますが、名寄本線も9600の重連を撮りに行ったことがあるので、感慨にふけったこともありました。私は駅撮り好きなのですが、当時の駅の写真を見ているとみんなが鉄道に頼り切っているのが良くわかります。
バブル真っ只中の89~90年頃、「C62ニセコ」のニセコ駅での折り返し時間が極端に短く、乗務員の休憩時間も取れないダイヤのことがありました。これは1日に2往復運行を目論んでいた、と聞いたことがあります。またこの頃航空会社が座席を買っていた?のか平日も連日運行していました。私もこのころ乗ったことがありますが、当日でも楽に指定席が買えたし、実際乗ると車内もガラガラでとても運行費用をペイするとは思えませんでした。連日走らせることで車両の摩耗は進んだでしょうし、結局最後の頃は年に何日も運行できない事態になりました。動画にも出ていましたが運行主体のマネジメントが杜撰だったと言えると思いますし、ある意味C623も被害者といえるかもしれません。
ご視聴頂きありがとうございます。小樽ーニセコ間が73㎞、小樽ー長万部が140kmですから、前者の場合2往復できないこともないですね。実際48年までの普通列車は後者で往復していましたから。がらがらだったという話はよく聞きました。じっくり考えれば満席はあり得ないですよね。でも7年間で10万キロ走っていないのですよ。もう蒸気が無くなっていた時代でしたから専用となる仕事が多くのしかかって、コストがべらぼうになったのでしょう。ですから後になってよく考えると当初の梅小路スタイルで動態保存し、許されれば年に2、3回本線を走らせる程度で長持ちさせてもらいたかったですね。
@@Yukkuri-Lab 様、早速のご返信ありがとうございます。仰る通り、当初の梅小路のように通常は機関区で見せてたまに特別列車で運行する形なら長続きしたでしょう。梅小路の最初の頃のC622「白鷺号」もそのようなことを考えていたようですし、動画に出ていたC571「京阪100年号」の事故が梅小路のみならず小樽にも影を落としたであろうことは否めません。梅小路のように新しい客車を牽引して小樽ー札幌のような電化区間を走らせていたらあそこまで人気が出たか微妙で、現役時代を彷彿させる無装飾で旧型客車を牽引して山線を走ったから、私自身北海道に通い詰めてしまったと思っています。
現役時代そのままという点でマニアックな列車でしたから、マニアを惹きつけたのは間違い無いです。私も復活蒸気の中で例外で何回か行きましたから。でも7年間もやっていると一巡して飽きられるのですよね。ビジネスであれば何か変化がないと、そしてビジネスが成功しないとC62は継続できない仕組みだったんです。
コロナ禍前なら東日本に持ってくれば動かせたかもしれない。しかし曰く付きとはいえC623を北海道が手放すとは思えず、今となっては仮に他所へ持ってったとしてもまともに維持できるかどうか。少なくとも西は無理。もしこれが可能な程の余力があるならC571とC612をさっさと直してるはず。
ご視聴頂きありがとうございます。おっしゃる通りですね。JR東ももう無理でしょう。でも赤字のタイ国鉄ですら、動態保存機を5輌も維持し続け、のべ年間6回走らせている。大井川鉄道もそうですね。JRは安全運転のための法規がむずかしすぎるでしょうね。
車庫に保管しても資産とみなされたて税金もバカにはならないはず。この不景気では、どこか外資系レジャー施設でも譲歩されるか、下手すればスクラップという結末もありますね。東北のC58も同様で、保管費すら支払いたくないのが会社側の本音のはずです。私は動態保存、本線運行も残り数年で終わると見ています。これは鉄道に限りませんが、日本人は文化を楽しむには経済的、精神的にも貧乏になり過ぎました。
HMS HOODさん、まあ車籍があると莫大な費用がかかりますから、今の様な廃材扱いでなら多めに見てくれると思いました。JRの蒸気数年持つかな?圧縮空気で機関区を走らせるのも鉄道遺産を残す良いと思います。荒屋新町機関支区とか面白そうです。
以前JR東がこの3号機を欲しいとJR北に申し込みしたけど、この機関車は渡せ無いと断られたと言う話しが有りますね、C11は後進運転が出来る為転車台が要らない、運行コストが安い、小型で扱いやすい、走る線路を選ばないなどで、今も釧路湿原を走っていますね、ただカニ目は本州に貸し出されましたが、譲渡されたのでは、無く貸し出し中と定年退職した親戚が言っておりました。
ご視聴頂きありがとうございます。2回JR東が頼んで2回断られたそうですね。一回目はC61で二回目がC58の時だそうです。C11が運行経費安いと扱いやすいという話が多いのですが、本当でしょうか。部品はいっぱいありそうなのでその点は良いでしょうけど。C62をC11のようにゆっくり走らせれば同じだと思います。そもそもJR北はC62-3復活にあたりお金は出していません。運行経費も常に満席の代金をもらっていました。そうまでして熱いファンの力で復活させたものを20年以上も眠らせているのは少々腹立たしいです。
@@Yukkuri-Lab ガタイが違うから経費も違うと思って間違いないんじゃないスか?軸重と入線可能線区に関してもそちらのほうがお詳しいのでお察しいただけたいです。
@himats tosh ご指摘の通りなんでしょうね。まぁ燃費は違うでしょうけど、致命的ではないと思います。
一時はファ●コンブームで一世を風靡した地場の某スポンサー企業が、リスク分散もせず頼り切ってたた●ぎんの破綻の煽りで弾け飛んだのも大きかったかな?この件はあそこの創業者がSLマニアで情熱的に動いたとも聞きました。
ご視聴頂きありがとうございます。おっしゃる通りです。創業者の方はニセコ町でしたね。だからターンテーブル移設費用も負担して延長運転していました。7年間継続したことを取って大事業を達成したとも評価できましょうが、後世に様々禍根を残した営業運転であったことは事実ですね。
客寄せパンダのc623を他に渡したくないアスベストの問題もあるし全ては金に絡んだ悲しい話ファンは何処でも良いから2号との重連を望んでます。
ご視聴頂きありがとうございます。孤高の存在であってほしいですね。でもそれでは見に来てくれないですよね。ですから国有化してしっかり保存してもらいたいと思います。偉大な鉄道遺産ですから、赤字で青色吐息のJR北には任せておきたくないです。
C621/CC622/C623を一度集合させて、欲しいです。
ご視聴頂きありがとうございます。みなさん3号機は梅小路に持って行って欲しいとおっしゃる方がおおいですね。私は一輌ぐらいは関東において欲しい。JR東が引き取ってしっかり動態保存してもらいたいです。営業運転は望みません。
それなら、26号車かな?
そうでしたね。西はC62をいっぱい持っていてずるいですね。
c62 3復活による集客はすごいでしょうね。この動画を見てる人の8割は行きそうですから。復活させたことを考えれば公園の機関車よりは安く復元できるんでしょうけど。c11 207号機のように貸出で復活でもいい気がしますが、いくら軸重軽減されているとはいえ国鉄最大クラスの蒸気機関車ですから横圧等問題は出そうですね。c11のほうが運用費は安いでしょうね。単純な起動までの時間など小型機のほうが便利ですから。ただ北海道だと関西、関東からは費用が掛かり、結果集客は復活直後から3年が限界な気がしますが。それにc11 207号機にあったATSの増設等も必要なのでは。重油タンクも交換されたりするかもしれませんし。 確か3号機の特徴に重油タンクが左?に寄ってると聞きましたが。本当かわかりませんがJR東はc62 3号機を走らせようとしたがJR北が拒否したため第二候補であり、c62に比較的近いc61 20号機が復活した的な話を聞きましたが。本当ならc61 20は今も静態で、c62 3号機のJR東仕様も存在したかもしれませんが。
ご視聴頂きありがとうございます。仰る通り最初の一年は凄いことになるでしょうで。でもやはりジリ貧かなあと思います。北海道までの旅費って馬鹿になりませんからね。少し前なら中国に行って蒸気機関車撮影するのとあまり変わらなかったのではないでしょうか。英国のディナートレインの様に高額な料金を取った列車を定期的に走らせるのはとても考えていただきたい。料亭の懐石が三万だとしたら、それを蒸気列車でやる訳です。夜間でいいでしょう。撮り鉄も乗り込んできますよ。英国はこれが蒸気ツアーの目玉ですね。勿論食材は一流の本格の食堂車が必要ですが。
@@Yukkuri-Lab 北海道は避暑地として夏場は相場が上がるので、冬のsl列車としてc11の釧路湿原号のような運行や、あえて蒸気暖房での空調でも面白いかと思いますが。食堂車は難しそうですが、sl北斗星などで蒸気機関車牽引寝台列車でも人気は出そうですね。機関士さんたちは大変そうですし、沿線地域から反対も多そうですが。これに関してはJR東の夜汽車水上はすごいですよね。
撮り鉄はお金を落とさないのであれば、冬の夜走らせるのが良いですね。例えば、長万部~室蘭片道、ホテル代込みで翌日夜に長万部に戻るとか。乗車したお客さんだけに仕切ら田場所で撮影会を含めるとか。
@@Yukkuri-Lab 北海道は追いかけるのにレンタカーが必須ですからね。撮り鉄プランなんかで追いかけるバス、宿泊、ホームの一部貸し切りなんかで撮り鉄からも利益を得ることもできますが。もしくは沿線の撮影スポットに安全上柵を2重にして間に有料で入れるとか、カシオペアのように運賃を一回数万クラスの豪華特急にするか。撮影会のようなイベントをちょくちょくやるか。単純にクラファンで復活までは行けそうですけどね。
おっしゃるご提案良いですね。確かに撮り鉄でも地元に落とす金はありますね。JR北は手宮に持って行く様なことを考えているのでしょうか?汽笛を鳴らすぐらいはやるかも知れませんね。
C623号機、C622号機とC6226号機が待つ京都鉄道博物館に保存出来たら良い。もちろん、動態復元して、京都ー大阪間の新快速列車として。
ご視聴頂きありがとうございます。3号機は足回りがさび付かないように、動かしてもらっているようですね。JR北はもうこれ以上のことはできないでしょうから、JR東に譲ってほしいです。京都はC62いっぱいいるから、上野の横の尾久が良いです。
@@Yukkuri-Lab 実現したら、毎週末通いますね。間違いなく。
動態復帰は賛成ですが、本線運行はどうでしょうね?精々でSLスチーム号牽引くらいではないでしょうか。個人的には1号機も動態復帰して欲しいのですが。f(^_^;
復元工事から10万キロは走ってない・・・けれど、95年頃から27年ほどの不動期間・・・機械的にはこっちのダメージの方が遥かに大きいだろうな・・・動かし過ぎもあまり良くないけど、それ以上に動かさない方が遥かにダメですからね・・・
ご視聴いただき有難うございます。たまに動かしてる様ですが、ボイラーはオーバーホール必要でしょう。C62-2号機のような修繕で構内運転で良いので、できれば嬉しいですね。
車も同じで、年間1万キロコンスタントに走ってきた車と、年間2000キロしか走っていない5年落ちなら調子は5年落ちの方がよい場合がある。ただしメンテナンスされて普通の扱い方だった場合。SLの保存機など200万キロ近く走った車両が多いですね。新幹線0系など600万キロ走ったのが保存されています。
ご覧頂きコメント頂戴し有難うございます。蒸気機関車の場合短いもので100万キロ、通常は200万キロで廃車になっていました。C62の3号機は苗穂でボイラーはほぼ新製され、細かな部分も大きく手が入れられており、国鉄の最後に築港で動態化した時よりずっと状態は良いはずです。営業運転は期待しないし無理でしょうが、せめて構内運転を可能にして保存を続けて欲しいし、それすらできなければ手放して、JR東に頭下げて引き取ってもらった方がいいでしょう。と勝手なこと言ってすみません。
@@Yukkuri-Lab 私も営業運転には厳しい検査があると梅小路機関区の年輩者から話を聞きました。SLスチーム号として、他にも短い直線でB20の走行がありました。動くB20はこれだけです。石炭炊いて走るC62-3の姿が見たいですね。
構内を走るスチーム号は備品扱いの動態保存機でも対応できるので、構内が広ければ迫力ある走りはちょっとだけでも堪能できるでしょうね。苗穂も広そうなので行けるんじゃないでしょうか。
幼い頃に999を見て育った高校生です個人的に3号機は今は苗穂で眠っているほうがいいと思います。今起こしてしまったらもっとボロボロになりそうで怖いですしかし、調子が良かった32号機を何故破棄したのか?
ご視聴頂きありがとうございます。私は基本的に静態保存機は残念に思うほうです。動ける形で静態なら諸外国にもよくありますし。ボロボロになることは無いと思います。タイの国鉄ですら、年に4回動かし続けられるのですから。どのみち本線を走ることはできませんが、広い苗穂の構内を前進・後退走ってもらいたいです。32号をスクラップにしたのは、欲しいというところが無かったことと、全検切れでその予算>糸崎から異動させる費用だったからですね。
@@Yukkuri-Lab なるほどそうでしたか、丁寧な解説ありがとうございました。
英国に学びたいけど、SL発祥の国とは熱意が歴然と違いますね。トルネードを新しくつくる英国のようになることは難しいと思います。だけど希望を捨てたくはない、SL文化を残したいものです。
akioさん、ご視聴頂きありがとうございました。メンバー加入も頂き本当にありがとうございました。発明した国とそれを導入した籠の文化の国の違いはおおきいですね。国が保存しようとする動きも無いのは蒸気に限らず、自動車、飛行機もそうですね。私も蒸気とそれを取り巻く鉄道情景を後世に残したいというのが、RUclips活動の動機となっています。
@@Yukkuri-Lab さん 素晴らしい動機をお持ちですね。失ってしまったら取り戻せないものがあります。日本の鉄道文化もその一つです。新幹線だけが残り、SLが日本からすべて姿を消す、こんな日本であってはいかにも残念。いまから新しいC62をつくるという意気込みが無ければSLを遺すことなど出来ないと思っています。線路がなくなるかもしれない山陰線で運転したいです。
akioさん、そういう動機で金儲けなんて全く思っていません。でも面白くしなければ自己満足の内容になりますし、面白くするためには作品にリソースを振らなければなりませんし、モチベーションも維持しなければなりません。ですからRUclipsの収益は必要なんです。先般収益はく奪されて、復活したのですが、人工音声を止めて対策してみました。途端に視聴率が激減したので、明日アップするのは半分戻してみて様子をうかがうことにしました。
@@Yukkuri-Lab さん 収益があっても悪いことなんてありません。いろんな経費もいると思います。
iphoneの動画がブレるので、いただいた収入を足してジンバルを購入しました。
昭和63年4月29日に小樽ー倶知安間にSLニセコ号が復活運行される。北海道鉄道文化財団の資金調達して、JR北海道が運行する方式だ。しかし、北海道鉄道文化財団の資金調達が難航して、平成7年10月31日を持ってSLニセコ号の運行終了。C623号機はJR北海道苗穂工場に永久封印の形で保存されてしまった。
7年間良くやったのは事実ですが、もっとしっかりマネージメントできていれば永続的にできたはずだと思います。もちろん一年二年休止期間あっても良かったです。それが2022年になってもまるで変化が無い異常な事態。何かがおかしいですよ。
@@Yukkuri-Lab JR北海道は、京都鉄道博物館に動態保存されているC622号機を里帰りさせて、SL急行ニセコ号を運行させたら良いのに。無理なら、京都鉄道博物館に永久保存させたら良い。もちろん動態保存で。
個人的には高崎か尾久が良いです。😅
@@Yukkuri-Lab JR東日本の高崎運輸センター又は尾久車両センターに動態保存案。さらには、さいたま大宮鉄道博物館に保存案も良いかも。
C62が上野駅に入ってくるのをもう一度見たいので、尾久がいいですね。
東が61を選んだのは大正解では。整備などに精通したベテランが減少する中でボイラはD51、足回りはほぼC57。ハドソンの社名を考えれば、62への思い入れは大きかったのでしょうが。1・2の2両が残っているから、相対的に3の存在意義は大きくないのが実情では。私としては17の復活が、、、最近見に行ってないけど名古屋での状態は?
ご視聴頂きありがとうございます。そうですね。C61はつぶしがきくと思います。私はかなり好き嫌い激しいので、今残っている動態機がD51とC11が多いのがあまり気に入りません。C57は好きですが。その中でハドソンの大型機を復活させてくれたことは趣味的にJR東に感謝しています。関西以東にC62が残っていないのが面白くないですし、もっとも可能性がありそうなのがJR東かなと思うのです。17号は広島や糸崎で見たことがありますが、名古屋の博物館には行ったことありません。
@@Yukkuri-Lab 様15~17のトリオが好きでした。呉線に行った時は阿賀のトンネルを出てくる安芸が17でした。東山公園に17が居たときは、名古屋に行った時には必ず時間を作って会いに。C11が多いのは経費の点でしょうね、今度元江若鉄道のC11が東武で復活。子供の頃に何回か見ただけですが、江若の廃止が確かS42年、良くご無事で。江若、楽しかったですよ。夕ラッシュでの機械式気動車3連、ブザー合図での3名の機関士の運転、蒸機の気笛合図と同じでしたね。下らないたわごとにお付き合いありがとう御座います。
楽しいコメント嬉しいです。ところで糸崎のC59・C62っていつも汚い印象あるのですが、いかがでしょう?またもし18号が下りつばめマークをつけて糸崎に残っていたらと思うと呉線ももっと大盛況だったでしょうね。
@@Yukkuri-Lab 様私は最末期しか知らないのですが、確かに梅小路や福知山のかまに比べれば。詳しくは分かりませんが、あのシンダの量では清掃が追いつかないのでは。トンネルも、機関士泣かせの小断面だったようですし。あちらはやはり、勾配線区での大型機の定期重連が人を呼んでいたと思います。最終年の夏休み最中の呉線でも、そんなに同好の士は居なかったですし。
C59なんか煙室扉錆びていて。海が近いから仕方無かったのでしょうね。
高校生の時小樽駅から函館駅までc62型駅には単線専用のタブレット閉塞信号が有りましたね~~北海道良かっですね。動画見せいただき有り難うございますね。
ご視聴いただき有難うございます。鉄道設備について詳しくないのですが、タブレット閉塞ってもう1、2箇所しかないと最近知りました。これからも当チャンネルをよろしくお願いいたします!
なんか、東日本がC62 3が本州に動態復活させようと持ちかけたのに北海道側が断ったって話を聞いたことがあります。(その代わりに復活したのがC61 20号機)なんで、北海道側が断ったのか復活させる余裕でもあったのでしょうかね😅
ご視聴いただきありがとうございます。東はストーカーを取り外す(C61は外した)、使用圧力を下げる(C61/D51やっている)と伝えたらそれでは譲れないとなったとか。本当なら意味わからないですね。
@@Yukkuri-Lab こんにちは。ちなみにストーカーの件ですが、この調整がかなりの難物らしくもう調整できる人がいないと聞きました。で、C61を復活させましたがストーカーを撤去したからなのか今でも不具合を出す事が多いそうです。
偶々拝見しました。梅小路の2号機もですが、C62ともなるとまともに走らせるようにすると一兆円あったとしても足りない、と踏んでおります。JR西のC571ももうあちこちガタガタで難しくなっているようで。
RedsMagicさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。何年も3号機の復活は期待してきましたが、最近は圧縮空気が動くようにさせるので精一杯(一度改造すると不可逆的)だろうなと思うようになりました。
カシオペアクルーズの牽引機として使うのはどうかな?クルーズの運賃に維持費を盛り込んだ形で。
ご視聴頂きありがとうございます。最高です!実現したら夢のようです。尾久機関区所属でお願いしたいです。
JR北海道の貴重な資産なので本州ではなく苗穂に居て欲しいです。但し全検に掛かる費用が1億円ですからね資金面は大変だと思いましたよ。
ご視聴頂きありがとうございす。そのお気持ちよくわかりますよ。でもJR北では資金的に持て余すでしょうね。技術的にも後継者に伝授されていたのか?全検費用は1億では到底足らないようです。期限付きで各地へ貸出しならよろしいですか?
同感
C62-3号機 試作も兼ねた先行量産機4両のうちの1台、今も3号機も含め初期生産が3台も残ってるのは生産台数が少ない割には奇跡でしょう。それだけC62が人気あるからでしょうが不運なのは4号機、事故後すでにC62は余剰だからと修理されず廃車…実はC62って鉄道ファンが思ってるほど現場では評判よくなかったのかもと思ってしまいます。そうあくまでもC59を補う存在でしかなかったってことです…
Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。そういえば4号機ってありましたね。C59を作り続けても良かったでしょうね。その後C60に改造出来たわけですから。でもストーカーが付かないので、労働環境が拙かったでしょう。C59の特急つばめもC62と同じ時間で走っていたので、力不足はないでしょうね。
@@Yukkuri-Lab C59は戦後型だけでも100両近く生産予定でしたから国鉄としては必要十分な性能だと思ってたのでしょう。C60に改造されたのは燃焼室の無い戦前型が中心で、問題の多い戦前型を幹線運用から外したい意図もあったのでしょう。戦後型のC59とC62なら石炭事情が改善されてるなら案外甲乙つけがたい面がありそうですよ…
戦後にC57とC59を増産していたらGHQから待ったがかかり中断。機関車が不足していたので改造という名目で説得してC61とC62を製造、C57とC59の動輪が生産中止のため宙に浮いていたのでメーカー救済のためにC61とC62に使用した。
平機関区ではC62はでかすぎて扱いにくくC61の方が運転しやすかったらしいです。
今となってはC62唯一の生き残りが京都鉄道博物館内で動いているスチーム号になっている2号機だけなんだよな…もう無理だと踏ん切り付けたなら梅小路の京都に譲渡してしまえばよかったものの
ご視聴いただき有難うございます。JR北はよく真意が分からないのですが、どうしても手放したく無い様なのです。理由を明らかにして欲しいものです。
JR東日本は、C62 3を購入しようとしましたが、JR北海道に断られてしまいましたね。
久保さん、ご視聴頂きありがとうございます。JR北は東がストーカ取り外すとか、使用圧力を下げるとか条件が気に入らなかったとか聞きますが、本当のところはわかりません。
C623号機は、昭和31年の東海道線全線電化開業前に先行して、宮原機関区から小樽築港機関区に転属して、函館本線山線での急行列車牽引に従事した。その後、C622号機など10両が小樽築港機関区に転属して、本格的に函館本線山線での急行列車牽引が始まった。最初は、函館ー札幌ー旭川ー網走間の急行大雪と函館ー札幌間の急行ていね、後の急行ニセコ。最後は、C622号機梅小路機関区里帰り記念三重連さよなら急行ニセコ号で運行終了。小樽鉄道記念館に静態保存されたが、昭和61年10月に、動態復元を目指して、昭和62年3月31日のさよなら国鉄北海道イベントで復活の狼煙を上げて、本格的な動態復元作業が開始。昭和63年4月29日にSLニセコ号として、小樽ー倶知安間で復活。翌年にはニセコに達した。しかし、資金難で平成生まれ7年10月31日の運行を最後に運行終了。苗穂工場で静態保存されてしまった。
ご視聴頂きありがとうございます。素晴らしいまとめ方ですね。北海道に行ったのは七輌で、後で二輌ですから合計九輌です。最初はていねではなく、まりもです。
大坂孝幸様東海道本線全線電化当時、2号機は大阪は宮原機関区所属、3号機は梅小路機関区所属でした。2号機の里帰り先は宮原区になります。3号機はC62の函館本線移動のトップで渡道しております。他の機関区から集めた機関車ばかりの梅小路蒸気機関車館に1両くらい梅小路機関区所属経験ありの蒸機がいても良いのでは・・・と思います。3号機は梅小路蒸気機関車館に帰してもらいたい。
自分はやっぱりC62 3のスポンサーの話になるとハドソンソフトを思い出します。社名の由来にもなったC62に思い入れが有ったのでしょうね。(当時のゲームソフト「桃太郎電鉄」のTVCMにもC62が出てました)そのハドソンも今は無く…
ご視聴頂きありがとうございます。ハドソンはとても強いサポーターだったのですが、フジテレビが降りたことが引き金になったというお話も伺いました。もっと調査して動画にまとめたいと思っています。
JR北海道は、C623号機を運行させられないのは、かなりの赤字を出してしまっており、函館本線山線も廃止、バス転換が決まってしまった。C623号機は、もう苗穂工場からC622号機が待つJR西日本梅小路運転区に持って行って、京都鉄道博物館に保存出来たら良い。もちろん、動態復元作業を行って。
いつもご視聴頂きありがとうございます。いやー、西にはC62はいっぱいありますから、ここは尾久に保存してもらって、構内運転で集客が現実的だと思いますがいかがでしょうか。
@@Yukkuri-Lab それなら、大宮鉄道博物館所有で:尾久運転区配置でどうでしょうか。
最高ですね!
JR九州であれば、他の機関車をレストアする財源も数年かければ十分確保出来る可能性がありそうな気もしますが、C62の車重だと走らせる路線が今はもう無さそうですね…。C62の苦手な高い勾配や、カーブした路線多いですし。大分県にあるC55も結局そんなこんなで白紙になりましたしね。どこかの大金持ちの鉄道好きなRUclipsrなり企業家が資金提供とかしてくれたら復活まではなんとかなりそうですが。うーん(´-`)
ご視聴頂きありがとうございます。そしてC62の事を考えていただきうれしいです。私はC62の穴場としては常磐線じゃないかなと思います。仙台~平(いわき)片道でも良いです。どちらもターンテーブルないですからね。復興支援にもなりますし。首都圏からも乗りに行くお客さんは多いのでは?それがだめなら尾久の操車場で保管し広い構内を週末走らせお金を取るとか。JR北の手におえる代物ではないでしょう。
@@Yukkuri-Lab さんとんでもありません!この動画を拝見されている方々からしたらニワカでしかない人間ですが。。笑「ファンからの大きな声もないしこのまま黙っとこう」とも見えてきます。資金提供をできる財力がなくとも、蒸気機関車という貴重な財産を愛好している人達がいるからこそ廃棄せず残してると思っていたいです。だから少しでも良いから放置している理由を教えて欲しいですね。
はい、JR北は説明責任があると思います。それを聞かないと次のアクションが考えられませんものね。
How unfortunate that they scraped to many of the class probably because they’re broke
Indeed
失礼します。苗穂に静態保存されていることは聞いておりましたが、このような理由でしたか。北はプライドのみで保存していても宝の持ち腐れです。もう今の経営状態では運用できるところへ譲渡するのがよろしいのではないかと思いました。JRとは関係ありませんけど、小樽の鉄道車両の保存状態は酷いですね。保存している以上はなんとかならんものかと思います。車両群が痛々しいです。
ご視聴、コメントいただき有難うございます。JR北もいつかなんとかしようとは思っているとは思いますが、ずるずると20数年経ってしまっています。先送り先送りでこうなっているのですね。その間修復技術も廃れているでしょう。C11もまともに治せないくらいですから。こいうことにならないように、最初の計画通りに扇型庫+3号機の動態保管(営業運転想定なし)でやっていくべきだったというのが動画の言いたかったことです。もちろんJRだけが悪いわけではなく、鉄文協も先を読む力と努力が不足していたし、景気の悪化もあります。それならば、JR他のグループに頭下げて引き取ってもらうのが最善の策でありましょう。
結局は[地獄の沙汰]も何とか出来そうな[先立つもの]次第…当時年収350万円=今は200万円未満=に満たなかったオレがそれこそ[清水の舞台から飛び降りる]覚悟で3口9万円寄付したが…結局1度も現車を見ることは叶わなかった(運行日には仕事の繁忙期。身内の結婚式でも休暇申請ハフ可能な職場環境では逢いに行く為の休暇なんて不可能だった)。現役当時そのままの姿で…のConcept自体は良かったし客車も往時のものだったから尚更現役時代を彷彿とさせてくれていたが…発足当初は所謂バブル景気で世の中浮かれていたけど程なく其れが弾け早速資金繰りが苦しくなって仕舞った。運営主催者側の組織がきちんと機能していなかったのが最大の原因だろうね。更に加え組織の上層部にとんでもないScandalがあったのはいただけなかった(銃刀法違反で逮捕された為その人物を強制除名した旨会報に載っていた)。C62は生まれて初めて接した蒸機であり、物心付くか付かないかの頃に世話になったカマ。そして1~4号機は地元日立笠戸工場の生まれとあっては愛着も思い入れもあるカマだけに動態復活は切に願うが現状ではほぼ夢物語だね…orz閑話休題以下余談考えてみれば日立製の1~4号機の内3両が在姿ってのは或る意味凄い(4号機は不幸にも踏切事故で[殉職]、一族最初の廃車となってしまった)。築港メンバー中最も調子の良かった32号機が検査期限で墜ちるとなった時現場では…調子の良くない2号機とナンバー付け替えて残そうか?…って意見すらあった由。最後の2・3・15・16の中ではハの字エプロン埋込みTailRightを残した15号機が実は個人的には一推し(広島工場担当蒸機の標準仕様でガキの頃はこれが標準仕様だと思い込んでいた)だった(^^);
ご視聴頂きありがとうございます。頂いたコメント実に心に染みます。罪なことをした活動だったということを総括したうえで、次の3号機のあるべき姿を見つけていくのが今のファンの役目でしょう。今回の動画で多くの方々に見て頂き、問題点を考えて頂き、このままでいいのかを少しでも提起できたことは良かったです。かならず営業運転はできなくとも復活すると思います。今後10年かかったとしても。私はC62ならすべて好きなのですが、3号機はナンバープレートの位置が低いので可愛い顔していて好きです。
2:11 9633に会ったことがあります。追分の機関区だったでしょうか。とても懐かしいです。
ご視聴いただきありがとうございます。9633ですが戦時中に小樽築港にやってきてから梅小路に行くまでずっと入換機でした。ですからご覧になったのは小樽であろうと思います。
私の案ですがC62 3号機を空気機関車に改造して苗穂工場内で走らせる保存運転が一番復活できやすいと思っています。あのC62が急加速して走る姿を見たいです。なんなら私は将来C62 3を復活するプロジェクトを立ち上げてそのスポンサーになってC62 3をまた走らせたいという目標を掲げるぐらいC62 3を復活させたいです。
ご視聴頂きありがとうございます。勇ましいご提言で感激です。圧縮空気でも良いですが、先週アップした動画のタイのテンダーに置いた最新式ボイラーによる復元もありでしょうし。牽引力が圧倒的に違います。個人(法人)が所有してJRに運行を委託するような英国のような仕組みが、日本では許されていないようなのですが、路線と限定するなどしていくらでもやろうと思えばできるはずですよね。C11とD51ばかりではあまりにお粗末です。
@@Yukkuri-Lab 日本は新設ボイラーは法律で禁止されていますしそういうのにほんとに厳しくて後継者もどんどん減っていく一方なのでますます日本の蒸気機関車の保存が危ういです。
移動式のボイラーが禁止だったですよね。でも法律ですから変えられますよ。まだまだ盛り上がりが少ないということなのでしょうね。鉄道ファンは昨今肩身が狭いし逆風っですね。
@@Yukkuri-Lab その肝心の法律を変える余裕と気力がないんですよね、コロナ対応のせいで…
動態保存して欲しいですね。
ご視聴頂きありがとうございます。本当にそうですよね。圧縮空気からはじめてもよいですから、そろそろ明るい見通しを示していただきたいし、JR北の義務でしょう。
願わくは、3号機を苗穂から梅小路(京都鉄道博物館)に移送して1、2、3連番で揃えて欲しいです。京都なら持病の軸焼けトラブルも解消されるはずですし、ボイラーも営業運転のために新調されていますから、動態保存は可能なはずです。
ご視聴頂きありがとうございます。いやー勘弁してください。関東・東北に欲しいです。上野の尾久がベストですね。普段は人目に触れさせず、構内運転だけで入場料一回20000円でどうでしょう。設備投資すぐに元が取れるはずです。震災復興のために常磐線沿いの駅に出張も良いですね。
新幹線維持する資金がって有る訳出し腐らせないで復活差せて欲しい😵
ご視聴頂きありがとうございます。腐らせないという条件は大前提ですね。静態保存なんてことになったら大変ですよね。
JR西日本に譲渡したら?どうでしょうか?2号、3号の共演出来るし、梅小路も、山口線での使用も?
ご視聴頂きありがとうございす。西にC62が集結してそれはずるいですね!
JR東日本の尾久運転区に持って行って良い。
JR西日本のC62が梅小路に集結している件ですが 1号機は広島の鉄道学園に 26号機は鉄道科学館にあってそこが閉鎖になって何処かに移さないといけなくなったのでですが巨体なので梅小路に移設したそうです つやまの博物館が他にあるのですがターンテーブルがC62に対応していないのでD51-2号機がそっちに行きました。 3号機をもし復活させるのでしたらボイラーを大阪のサッパボイラーで修理してもらい、梅小路の修理工場で修理してもらうしかないとおもいます 設計図、修理用工具は現在ここにしかなく 苗穂工場にあったぶんは処分されて修理できないとおもいます。2号機はここに道具等があるお陰で動態運転ができます 道具は鷹取工場が閉鎖のとき移設したとニュースで紹介されてました。 JR東はC62修理できる設備がなくD51までしかできる設備がないのでC61を復元したともありました。
@尼崎のまさ 様 返信遅れて申し訳ありません。詳細な情報を頂きありがとうございます。西にC62が集まってというのは関東の人間のたわごとと聞き流してください。現実にC62-3が動くことが目的ですから。同じ日本ならば数時間以内にどこでも見に行けますものね。
ゆっくりなんでも見ていって研究所さん返信ありがとうございます。C62-3号機ですが前の復活運転のときボイラーの修理をサッパボイラーに頼んで修理してました。大井川鐵道のC11は小型機でボイラーの修理は地元の工場で修理できるのですが中型機以上のクラスに成ると現在ここでしか修理できないそうです。大井川鐵道以外の会社のSLは全てここで修理してます、2号機のボイラーの水漏れとかもここで修理してます 梅小路の修理設備ですがC62を持ち上げられるクレーン、C62の消耗部品等を作る旋盤装置など鷹取工場から移設機械などがあり設計図も持っているので2号機の動態運転ができる様になっています。昔はどこの工場にもあったのですが苗穂工場は工具を廃棄してると思いますし、JR東にはC62クラスの部品が作れる旋盤装置がないとおもいます。 だから3号機を復活させるにには梅小路の修理設備に持ってきて直してもらうしかないと思いますがどうですか。蒸気機関車の動態保存の難しいところは、費用の他に当時の工具等所持してるところです。
個人的には売れるときに東日本に売れるうちに売って債務圧縮すればいいのにと思いますが・・
いつもご視聴頂きありがとうございます。2度も断られたとか。今となってはJR東はお金ないので、無理な話でしょう。C58と交換するとか。ファンに怒られますね。
動かすのは無理でしょう。カマの修理点検、合格しないとならない。お金が莫大にかかるし、修理できる機関区はわずか。部品製造とか時間もかかる。圧力検査に耐える耐久力があるか。足回りも検査がいる。動いていないピストンの修繕なくして動けない。仮にすべて実現できたら1回だけの走行はあり得ない。何回もイベントで走らせないと。北の大地ならできるだろうが、お客さんが来るか?実現は北海道では難しい。
ご視聴いただき有難うございます。夢を語らなければ、北海道での復元はJR北はお金は無いし、スポンサーも無いでしょう。しかし梅小路の2号機の様に構内運転に限れば可能かと。苗穂の広い校内で有料で撮影会(一人2万円とか)を定期的に開催すれば元は取れるし、将来の希望にもつながると思っています。稼働させないことが良くないなぁと思っています。
3号機は渡道したということは不調機だったのかな。梅小路の動体保存候補は当初は1番機だったが2番機の人気の影に隠れてしまい、選にもれたが小郡から広島と渡り、最後は梅小路にやってきた。もし1番機が始めから梅小路に入っていたら2番機が北海道に保存されて3番機は解体、なんて事もあったかも知れない。他の一桁ナンバーは比較的早くに廃車になっているので試作機として作られた3両は強運の持ち主か
SKTさん、ご視聴いただき有難うございます。3号機はずっと梅小路でしたので、特急つばめや鳩の運用は定期にはなかったと理解してます。梅小路のC62がいまいちなのを集めたのかどうかはわかりません。個人的には1号機が動態で残っているという条件で1号機が梅小路で保存され、2号機は3号機と一緒にそのままの姿で残って欲しかったです。
最初に渡道したC62は3号機との事。色々試験走行が行われて線路への負荷が如何程かを調べて問題なしという事で追加投入された。3番機は本州時代にかもめを牽引している写真を見た。広島までのロングラン後別のC62と付け替えでいたがヘッドマークのデザインが違っていた
SKTさん、かもめは京都からなのでC59と一緒に3号機が牽引したことでしょう。
2と3を比べるのなら2の方が調子は悪かったみたいで燕マークがついてたから生き残った様なもの、北海道で常に2号が先頭に立ってたのは運行区間を短くするためだと聞いた事がある。品川で展示のための改装で軸受が痛んでいるので2号は本線走行は不可だそうです。
SLいいですよね☺️動態保存でお金がかかるから!!と言うのは1企業でやろうとするから駄目なんだと思う!!今の時代はクラウドファンディングと言う便利な制度があるのでそれを利用したり、1企業で駄目なら沢山の企業が力を合わせて運営していくしかないと思う!!廃車·静態保存は無しで!!線路は北海道から九州南部まで繋がっているんです。日本縦断イベントやって欲しいですね☺️
ご視聴頂きありがとうございます。クラファンですよねぇ。JRの安全運航規程をクリアさせたり、機関士の育成まで金を出すようにまでしないとなぁとか等々考えたら、企画・運営だけで一企業みたいな組織になりますし、ネガティブなことだらけです。ですから主要な機関車は国有化だと思っています。国立の鉄道博物館として保存・運営してもらい、その営業運転の時はJRに線路借りるというのがあるべき姿だと思っています。C62-3で我々は様々学びましたから、同じことを繰り返すのではなく反面教師としてベターな状況を作れると思います。
最後は、車検代金一億が工面できず、7年のニセコ牽引は無くなった!とも言われている!
ご視聴いただき有難うございます。その通りです。ゲームメーカーのサポートが受けられないことで、全般検査の費用がない事、次年度の運航経費が捻出できなかったのです。
将来C62 3を空気機関車で復活させる夢をもっているけどできるかな…?保存状態はかなり良いと思うし…走らせるのなら廃止される函館本線や岩見沢から苫小牧間の室蘭本線、富良野線、廃止された日高本線とかで走らせたいな…
asechanさん、ご視聴頂きありがとうございます。圧縮空気は機関車を動かせるだけの力しかないので、本線走るためには、タイのミカドの説明にあるような産業用ボイラーを乗せる必要があります。でも日本は動くものに蒸気ボイラーを新たに乗せることできないんですよ。
@@Yukkuri-Lab そうですよね…日本は法律に本当に厳しい国ですからね…新しいボイラーが作れないのならそれは今もなお動態保存している蒸気機関車に余命宣告を与えているようなもんですよ…鉄道遺産の一つでもある蒸気機関車を後世に伝えるのなら尚更矛盾していることをしていると私は思っています…なので後世に伝えるのならやっぱり直接走っている姿を間近で見ないといけません…空気機関車も動態保存の方法の一つとして本格的に考えてみたらどうなのかなと思います…
静態保存機はそれはそれで意義あるのですけど、足回りが塗装してあるのが苦手で見に行く気になれないです。空気でも動けば、足回りは現役機種のものでとても興味がわきます。(真岡のD51や9600です。大田区のC57-66もそうですね)
@@Yukkuri-Lab でも一部の静態保存機では手入れされずにどんどん錆びてしまう姿を見ると胸が痛くなりますね…問題はシリンダーが無事なら動けるですよね…私は廃止された線路を活用して空気機関車の運転体験で後世の人に伝えたいと思うのですがどうですかね…
鉄は結局土に還ってしまいますからね。確かにシリンダーが動けば大丈夫でしょうね。後は車台かな。崇高なお考えには賛同いたします。
C 62 3号機の蒸気機関車の復活際には、京都鉄道博物館への無償譲渡を。
ご覧いただきありがとうございます。西日本にC62が集まってしまうのはちょっと悲しいです。私は尾久機関区に保存して構内で運転して欲しいと願っています。
上野ー大宮間の大宮鉄道博物館所有で、尾久運転区配置で動態復元されると良い。
自分的には東武で南栗橋~日光間あたりで走らせろよと思っていましたが、この動画でそれがまず無理と分かり残念な次第です大体SLなんて関東圏の人はパレオやみなかみ号で乗り慣れているし機関車もThe,SLな風体のC58,57やC61,D51なのに今時あんなタンク機をちょこっと走らせてどうするのてな感じです、どうせ走らすなら最強のSLC62-3でも走らせんかいてな思いでした。こいつをレストアして更に走らせる為インフラ整備を行うのなら快速潰す価値はあったんですけどね
ご視聴頂きありがとうございます。かなりの部分おっしゃるところに同意します。C11ですよね… もちろん無いよりずっと良いのですが、C11を三台よりC62一台の方が100倍良いというのはファンの勝手な想いで勘弁ください。
c62って今のJRからしたら維持費用ヤバそうだよね。
ご視聴いただき、コメントもいただき有難うございます。C11よりは金はかかるでしょうね。でも苗穂の構内を走らせている程度なら参観費をとればペイするのでは?と思っています。
@@Yukkuri-Lab てかなんか東が復活する蒸気の一つの候補に上がったらしいですね。北海道に比べて資金がある東に譲渡すれば良かったのに今の北海道じゃ宝の持ち腐れよ。
はい、おっしゃる通り2回東が北に頼んだ様ですね。東はストーカー廃止、ボイラー圧力下げる条件を出して、北がNGを出したとか。3号機にはあれこれ思い入れがあるのか、将来なんとかするのか分かりませんが、公式に考え方を発表すべきですよね。
@@Yukkuri-Lab 東はc61の復活の際にストーカ外してましたしね。現代の技術で整備性の悪さを改良して欲しかった所です。
ストーカーのメーカーは今のダイハツですね。他にあったのか存じませんが。この時勢では是非作りたいと申し出てくれるとは思えないですから無理でしょうね。
金がかかりすぎたんだよね。当時で3億だっけ?ボイラーの法律が変わって現役当時の構造では認可されなくなたのもなぁ。今の構造じゃ傷むの早いし。苗穂に保管されているもののまた大修理が必要とか。それでも復活当時はちまちま火入れてた2号機よりよっぽど状態良かったらしいけど。東日本に貸し出しとけば今頃元気に走り回ってたかな。
ご視聴頂きありがとうございます。その通りですね。東日本だったらきっと有意義に使ったことでしょうね。水戸や平の常磐仕様に戻して、復興の先駆者として多くのお客さんを呼び込んだかもしれません。でも現実は苗穂で眠り続けさせていた。まぁC11も修理できないぐらいですから、C62なんてとても手に負えない状況になっているのでしょうか。
@@Yukkuri-Lab 復活運転当時に何度か乗りに行ってました。小樽駅で見る生の迫力は他のSLとは全く違ってましたね。平日は結構空席目立ってましたから正直7年はよく頑張った方だと思いますよ。資金集めもギリギリだったろうし、手宮線の線路撤去寸前に引っ張り出したって感じでしたよね。苗穂の技術も設備もあの辺りがタイムリミットだったように思います。
私は動画でも言いましたが、営業運転はやるべきではなく扇形庫を中心としたC62の機関車保守技術を継承できる場として生かしてほしかったです。
函館山線も、廃線に。
ご視聴頂きありがとうございます。本当に北海道の鉄道の凋落も行くとこまで行っちゃったと思いますね。
@@Yukkuri-Lab 何とか、存続できなかったのかと思う。池北線は、一度は三セクに移行しただけに残念でならない。🚂迂回路としての役割が、あると思う。
廃線になると線路も設備も一式と壊され、一部は廃墟巡りやオカルトスポット等で一時はもてはやされるでしょうが、国土の安全保障上本線級は営業運転せずに国有にして最低限の設備と保線はやるべきだと思います。
@@Yukkuri-Lab 余市町は、最後まで存続したかったんですね❗陸別町も最後まで存続したかったから。🚂重ってみえる。
確かスキー客の利便性が高かったとか。そういえばスキー人口も激減していますね。オーストラリアからのスキー客が多かったり中国からのお客さんが多いのですが、今日本は海外観光客をシャットダウンしていますからね。今後も簡単ではないでしょう。
もし これを生かすならJR東に無償貸出かな
ご視聴頂きありがとうございます。JR北でもいいですから苗穂の構内を運転させてほしいです。おそらくもう営業運転はダメでしょうから。
三位一体に、なりきれなかったんですね❗末期の頃、鉄道文化協議会に入会していました。理想と現実は、程遠かった。
ご視聴いただき有難うございます。まさにおっしゃる言葉はとても適切ですね。鉄文協の会員でいらしたのですね。今回の動画を作るにあたり会員の方とお話ししましたが、やはり私の考えていたことと同じでした。
当初は、東京で展示という構想もあったらしいですね‼️個人的には、東京よりも沖縄で展示したかったですね‼️沖縄の子たちにC62の姿を間近で見せてあげたかった。🚂
沖縄のD51のちょっと悲しい姿を見ると、永久保存ではなく、地方を回って展示会(以前品川に来ましたね)の様な形はどうでしょう。日本国内は列車で移送するのですが、欧州ではトレーラーに乗せて移動させるケースが多いです。私も何度か英国のハイウェイでみました。法律jで難しいならば、フェリーもあると思います。沖縄にも行けますし。集客ならそちらの利便が良いかもしれないです。
@@Yukkuri-Lab確かに、状態はひどいですね‼️あのD51が,沖縄に渡ったいきさつは心を打つものです。🚂日本に鉄道が開通して100年になったのと沖縄が日本に復帰したのを記念して。🚂当時の門司鉄道管理局が,沖縄の子たちを招待したのをきっかけに。🚂
本物の蒸気機関車が欲しいといわれて当時の国鉄が贈ったものらしいです。鉄道に関して北海道は、衰退しているけど。沖縄は、復興途上中ですね‼️
ハイフェンを取り去り、C623という表記にしませんか。
ご視聴いただきありがとうございました。C623が一般的なのでしょうか?それでしたら、そのようにしたいと思いますが。
鉄文協幹部の金も持ち逃げ。
ご視聴いただき有難うございます。XX法違反で複数の逮捕者が出ましたね。おっしゃる噂もあった記憶があります。動画では触れていませんが。残念なことです。やはり金は集まる機関車なんでしょうね。
c62はもしかしたら、解体……?
kohki Lightningさん、ご視聴頂きありがとうございます。それは100%無いと考えます。
JR西は梅小路か津山かで動かせそうだけどSL北びわこ中止したりお金👛は無いみたいだからなぁ。(´・ω・`)
ご視聴いただき有難うございます。どこもコロナ禍とそれに続く働き方改革で移動が大きく減少していてそれは一時的なものでは無いでしょう。しかしサステイナビリティを突き詰めていけば自動車を減らし鉄道へという流れは社会の変革と共にあるはずですから、JR東はしっかり儲けてC62を北海道から引き取ってもらいたいです。西にはC62一杯いますから東にください。
本線運転用は、D51200になってしまった。🚂
途中になってしまいました。🚂西は、C571は、あの後故障して京都に戻ってどこまで修繕されているの?な?
次の修理のようですが、C61を先にするかもしれないみたいです。
そもそも主要都市間での旅客輸送を担っていた機関車が北海道に都落ちさせられること自体が私としては悲しい。早く梅小路に返してほしいです。一時期JR東により復元される話もありましたが、どうせ東は後先考えず蒸気圧の上限の引き下げやストーカー撤去を行うことでしょう。機関車のナーフされた姿は見たくありません。JR西日本に移るのが理想ですが、財政的に動態保存は無理でしょう。そもそも軸重が重く、どこそこ走らせられない機関車を2両も動態で保存することが現実的ではありません。いち鉄道ファンとしては、京都でかもめのヘッドマークをつけて静態保存されるだけでも嬉しいことです。c623を辺境の地に閉じ込めて中途半端な整備で朽ちていく姿を鉄道ファンは見ることしかできない今の状況が最悪です。遺産をまともに管理できない赤字会社に保管されるだけでは誰も笑顔にはならないはずです。
ご視聴頂きありがとうございます。都落ちということばは私にもグサッときますが、それはさておき、縁の深さでは梅小路は適切ですね。でも東北でも常磐線なら復興支援の名目もたちますし、JR東に本当は引き取ってほしいですね。でも最近蒸気運転元気が無いしお金もないようですから今は無理でしょう。C62は思われているほど軸重重くありません。上野~高崎でもターンテーブル両方にありますから一番良いのですが。とにかく火を入れて構内だけでも動く形にいい加減にやってもらいたいものです。
辺境の地? ひどい言い方。なおさら北海道から出したくなりました。
@ゆっくりなんでも見ていってね研究所 そういえば常磐線はC62牽引のゆうづるが走っていた線路でしたね。梅小路にC623が来ると十文字ハンドルにされそうですね。C623にはなんとなく一文字ハンドル以外は合わないと思うので、そういった面でもJR東日本は適切ですね。もしJR東日本が今からc623を再び動態にすると仮定した場合、C6120やD51498のように最大蒸気圧の引き下げ、またはメカニカルストーカーの撤去を行うような気がします。(空転が多くなった反省でオリジナルを維持する可能性はありますが)蒸気機関車の整備は電車・気動車に比べ手間がかかり、できるだけ労力を減らそうということでかかる措置をとったことが推測されますが、こういったことを考えるとJR東日本はなんとなくビジネスライクというか、なんかロマンがないというか…
そうなんですよね。JR東は人事異動でもあって積極的に蒸気を動かそうというプロモーターがいなくなったのかわかりませんが、コロナで酷い目にあっているとは言え全く消極的になってしまいました。そもそもC62-3を譲ってくれ、でもストーカー無しと蒸気圧を下げるのが条件とJR北に申し入れてNGを食らったと聞いています。最近整備されたJR西のD51-200は正規の蒸気圧15kg/cm2で運用していますので、それほど違いがあるのかなぁ?と思っています。十文字ハンドルは何回か動画でもアピールしたのですが、私は北海道のC62には勘弁してもらいたいです。もちろん常磐線にも十文字のC62はいたので、それはそれで良いのですが、2号機、3号機は北海道ですから十文字はあり得ません。
@@ラム-s7g はくつるではなく、ゆうづるね。
あたしゃ、たまたまC62・3の運転台に乗せたことがあるwww
ご視聴頂きありがとうございます。私も北海道でC62-2号機に運転台に乗せてもらいました。前方視界が非常に悪いのでびっくりしたのを覚えてます。石炭お土産にもらいました。
京都に来て欲しいよ
ご覧いただき有難うございます。個人的には尾久に来て欲しいです。ヤードも広いですからね。本線走らせなくても一回見学1万円でどうでしょう?
梅小路なら動態にしてC622と重連に
どうでしょうか。どのみち本線は走られないでしょうから。以前梅小路で1号機と重連で旧型客車を連結して展示していましたが、何の感傷も抱かなかったですね。重連は函館本線の山線だから価値があったのであって、呉線や常磐線でもたまに見かけたような重連と同じだと思うからです。でもみたことがない方々には重要なのかな。勝手言って申し訳ありません。
@@Yukkuri-Lab 1万円は高いなあ。無料の場所があるんだし、鉄道博物館で2000円いかないから。躊躇しますね。1日の給料以上だから。
最近品川でELが四輌やってきてヘッドマークを取っ替え引っ替えする撮影イベントが入場料15000円で大盛況だったので、2万円でも良いかなと思っています。電気機関車では行きませんがC62なら必ず行きます。外から見られない様にするとか。せこいですけど。
日本で1番大きくて最強の蒸気機関車なので、C62形蒸気機関車は「怪物」って1部の人から呼ばれてますね…。尾道の、D51 422号蒸気機関車の動画を見ていただきありがとうございます。よろしければ、時報みたいな音のする「D51 422号蒸気機関車に、ヒロの声を入れてみた(その349)」も見に来てください。🙏お願いします。🙏
ご視聴頂きありがとうございます。C62は見たことありますでしょうか?でっかいですよぉ。
@@Yukkuri-Lab 京都鉄道博物館で見た事があります。扇状機関庫の外で展示されてました。
そうですか。ヒロさんは本当に機関車好きなんですね。色々お出かけになられて。今週末はD51特集やるので見てくださいね。
@@Yukkuri-Lab D51形蒸気機関車特集の時に、「D51形蒸気機関車は、「きかんしゃトーマス」に登場するヒロのモデル…。」と紹介してもらえると嬉しいです。
コメントに追記しておきました。今日の夜7:30に公開しますので、是非ご覧ください。
西日本に譲って復活させるといいと思います
ご視聴頂きありがとうございます。C61やC57も修理するお金が無いようですので、C62はとても無理でしょう。JRであればもっともあり得るのは東かなと思います。
@@Yukkuri-Lab 西日本って言ったのは2号機との重連が期待できるからです。無理そうで残念ですね
いや!東にはC61がありますから重連は大丈夫です。🙂
そのC623にSL復活の会より末席で関わりました。
あくまで『フィクション』とされているので野暮は自粛させて頂きますが、幾つか気になりまして...
①C623復活の前段として、手宮での保存に関する小樽市との協議が進まず、その留置期間に万が一に備えて手入れをしていた事。
②扇形庫の保存策とした『小樽鉄道硝子』企画は築港機関区企画室の和田氏がほぼ独力で骨子を作り、企画書だけは作られたが適当な提出・プレゼン担当者が道総局におらず、後に副総局長として左遷された松田昌士氏に直訴して日の目を見たが、既に売却が内定していた事から止む無くC623復活に舵を切った事。
③ハドソンと共に上島珈琲本社がハドソンを上回る拠出をした事。
④当時の労組(全動労)は当局へ靡いたと一方的に糾弾し、当時の企画室メンバーは唯一外部の企業や民間人と窓口にあった一人を除いて全員が民営化と同時に退職し、『組合員雇用云々』は無かった事。
⑤JR東日本の2度の要請のうち1度目(奥羽本線計画)は土崎工場と調整を進めた段階で、自動給炭器撤去+コンクリ埋め固めとの方針が示され、機能設計上安全が担保出来ないと断られたもので、2度目(東北本線計画)では軸重軽減解除をしなければ能力が発揮出来ない事に対する修繕方針の食い違いと、自動給炭器に関する技術途絶から断念したもの。(ボイラー圧力低減のお話はそのコンクリの破損防止の目安として出てきたもので、労基届出のボイラー仕様はそのまま16気圧
とする方針だったと記憶しております。)
⑥北海道鉄道文化協議会専務理事の銃刀法違反はその後処分保留で釈放とされ、その事件発生以前から上島珈琲本社含むサブスポンサーの撤退は決定していたもの。ちなみに市民団体としての鉄文協とは別に資金決済管理を行う有限会社鉄文社があり、その存在がスポンサーからの巨額資金に対する保証的存在であり、ハドソン単独運営に切り替わった段階で鉄文社は解散、その役割はハドソンの下請企業だった株式会社未来計画が替わったもので、同時に顧問・相談役・会長とはほぼ意思疎通途絶状態となり、この運営の仕組の一方的変更からそれまで陰で支えた多数の有力者・支援者が去った事が組織運営崩壊の引金の一つ。
⑦JRの勘違いによる追加資金供出が水面下では大きな問題になりかけていた事。その余波から今もスハシ441は使い続けているとの嘆きも。
⑧現在世間に出ているC623復活(再復活→鉄文協計画)の実情的話題は核心部分に触れられない状態で、断片的に出されている事で情報に混乱がある様です。
この核心部分の情報は知っている方=関与する方で、プラスよりマイナスの部分が大きく、今後機会があっても御本人からは語り難いものと存知ます。
私も情報と保安で関与した者として、お世話になった方や本当に苦闘された方の賞罰に関わるものばかりで、現時点では全ては語れません。
私も国鉄で禄を喰んだ者ですから、作中のバブル云々は少々当てはまらない部分と拝見しておりましたが、幾人かの方の御投稿の通り、資金的問題は大きく、特に『勘違い出資要請』が今も北海道会社でC623の活用ができない大きな足枷になっていると推定しております。
上の幾つかは私も直接その場に居りましたもので、恐縮ながら批判めいた書き方となってしまっておりますが、今もなおC623を忘れない方が多く御出でになる事が、鬼籍に入られた『本当に苦闘した人々』や『築機の神々』への最大の御供養となっていると存知ます。
長文失礼致しました。
永理庵尊微
トレインタイムス様から直接ご意見を賜りまして大変光栄で感謝しております。また動画もご覧いただきありがとうございます。
この物語はフィクションであることや、RUclipsという公器ですので、鉄文協という名前は出してしまいましたが、かなりの部分自らの感情を抑えて製作しました。
小樽ガラスの件も、そうあるべきだったよな、から考えたものですので、事実はおっしゃる通りのことなのでありましょう。
私が訴えたいのは、ファンからの浄財を集めた機関車を保管しているJR北が、今後どうしていくのかを説明する義務があるでしょうということで、過去の様々な活動をされた関係する法人・個人をあげつらう意図は全くありません。20年以上もだんまりというは奇妙です。
さらに今回の動画で少しでもC62に何かの進展のかすかな一助になればというのが、C62ファンとしての願いです。
御丁寧に御返事を賜り、誠にありがとうございます。
ご参考までに関係年表をご案内致します(手前ミソで恐縮です...)
www.c623.npo-jp.net/2rail/230c623/623-hist.htm
JR北海道は明確な方針を示せない理由がございます様で、裏付がとれないものですから...
実は社内でこの計画の全体を掌握していた方はとても少なく、その中心となる方は全員が亡くなられております。
なので尚のこと、困難な状態となってはいるものの、奥羽計画や盛岡計画では貸与どころか譲渡の意向すらございましたもので、全く手の付けられないものでもなく、また人目を忍んで現在も『手宮移送前作業』は為されております...
現時点で私が申し上げられるのはこの程度のもので...すみません...
ご返信ありがとうございます。頂いたリンクを見て、あれ?と思い昔Webで読んで衝撃を受けた走将の記事と似ているなと思いましたら、トレインタイムス様はまさにご当人様なのですね。今回の動画でフランが演じている子供は、かつて読んだ走将の文章の記憶をモチーフにしたものです。
C62が走らなくなってから休むことなく活動を続けられていること敬服いたします。
私も微力ながらRUclipsやTwitterで声を挙げ続けようと思います。
あららら....これは!!!...何と申しましょうかお恥ずかしい限りです...
ちなみに私は横浜市生まれではございますけれども、育ちは足立区西新井でして、なりたかったのは駅員さんでした(笑)
数年前から走将記と題してC623機の記録などを映像化しようとしております。
まだまだ構成や内容の確認で遅々として進まず、と言う状態ではございますが、このままですと
「恨み節」
になる危険がございますもので、何か未来のヒントにして頂ける内容を織り交ぜようと苦心惨憺です...
今後とも、何卒宜しくお引き立て賜りたく、また貴殿作品を楽しみにさせて頂きたく存知ます。
まだまだ復活の可能性がゼロになるまで、旗は降ろせない年寄でございます...
何か貴チャンネルとコラボしてC62を盛上げられるようなことができるといいですね!
私よりずっとお若いので継続され頑張ってください。貴チャンネル応援します。
3号機は手宮に持って行く前に徹底的にボイラーを乾燥させたから
動態復活の時ボイラーは大丈夫だったもの
船底型の炭水車が一部腐っており自力走行ができない状態のため
機関車を呼んで引っ張ってもらい 小樽築港機関区に運んでもらい
国鉄OBにも来てもらい ある程度の修理してから 苗穂工場に運び本格的な修理を実施したそうです
小樽築港での修理も大変で 圧力弁が壊れて使いものにならなくなったり 一部の部品展示中に盗難あって無かったり
かなり大変な作業だったようです。
ご視聴頂きありがとうございます。私の推測は、小樽での復元のあと苗穂に持って行くのは、現場レベルでは知らなかったのだろうということです。だからなんで苗穂に!?という話がありましたが、メディアやWebにはかなり伏せられていることです。営業運転7年間できたことは素晴らしい事で良かったのですが、その後の処遇はちょっとひどいですね。JR北だけが悪いわけではないとも思います。
砂留踏切(小樽市内)では、父と一緒に「ニセコ」を見に行きました、2、3の重連(2、16の事も有ったな?)築港機関区も行ったな~。もう50年以上昔の話か...。
ご視聴頂きありがとうございます。それは良い経験をされましたね。私から見ると羨ましいですね。北海道は遠くて遠くて。飛行機が使えるようになって身近にはなりましたが、お金がかかりすぎますよね。
羽田空港から千歳空港行のJALとANAの便が多い。
現役時代から日本ナショナルトラスト協会が運営してC62ニセコ号として運行していた際整備をされてた方のお話によればC62-3が運行されていない大きな要因としてはやはりお金に尽きるそうです。
SLを運転するにはSLの機関士を最低1名&機関助士を2名育成せねばならず、その育成が現在は大井川鉄道でしか行えない事、またカマ自体が大型機の為その為の設備整備や修理部品の作成コストが大変高く、そう言った事にお金を投資する暇があれば千歳線や函館本線をどうにかしなさいと言うのが実情で、中々大型機の運行と言う物はハードルが高いそうです。
また、これはニセコ号時代にもあったそうですが、SL自体に金を掛けてもファンがやって来るのは鉄道では無く車であり運行すればするほど鉄道会社が赤字になると言う悪循環の為事実上運行が不可能なのだと仰っておりましたね。
そう言った意味では鉄道ファンが運行会社にお金を落とさない事には走らせられないと言うのが真相の様です。
因みにこの方は「カマ屋」と言う愛称を持っており、SL界では知らない人が居ない位の方だったりします。
ご視聴頂きありがとうございます。大スポンサーのゲーム会社が降りたことがとどめを刺しました。おっしゃることはごもってもですね。だからJR北に荷が重すぎるのですが、手放さない。その理由は公開すべきではないでしょうかね。理解できません。
蒸気機関車復元は法律のハードルが高いのですが、ファンがお金出してできる範囲出ないとうまく行かないでしょう。ですから撮影会一回に高額な入場料を撮ったり、もし営業運転するならば豪華な食堂車で集客し儲かるような仕組みが必要です。その現場まで鉄道を使わずともペイできるようにしなくてはなりませんね。もう鉄道を使って汽車を見に行こうというのは忙しい人々には難しいですよね。
9:55 全く同感です
現在まで日本が発展出来たのは数多くのSL達の活躍が有ったからこそのもの
この重要な産業文化遺産を後世に伝えるためにもっと国が管理してもいいと思うし
動態保存機は国宝に指定するべきだと思います。
どちらにしても根絶やすことは絶対許されないことだと思います。
ご視聴頂きありがとうございます。英国が国有、私有ふくめ800両以上の機関車が動ける状態にあるという事実とくらべて、何が日本は足りないのか、できないのか?あまりに単純すぎる質問にすら答えられません。
一体どういうことなのでしょうね。C62級の機関車が数十台以上あって、本線もとんでもない速度で毎週何処かで走っている。撮り鉄もいますが、みんな乗って楽しんでいる。日本の何かシステムがおかしいのでしょうね。
私的には、京都鉄道博物館に動態保存でやってくれたら、C622号機も居るから、C62形蒸気機関車全盛期が再現出来ると思う。
3号の由来的には梅小路は適切ですね。しかしながらC62を西のほうにばかり集結させてほしくないですね。常磐線の仙台以南か函館~大沼で年2、3回でも良いので運行してもらいたいです。
函館大沼間あたりで、一旦走らせる構想もあったみたいです。🚂@@Yukkuri-Lab
お疲れさまでした。
当時は札幌に近いマンションに住んでいて、ベランダから高架線を回送されるC62を見ることが出来ました。
今思えば1枚くらい写真撮っておけば良かったな~
本編見ていただき誠にありがとうございます。苗穂に回送して築港に戻る時ですよね。札幌駅で夜行を待っているときC62が通りたまげた話を聞いたことがあります。鉄道写真撮るのは昔から億劫で、きっかけが無いとなかなか動けないですよね。お金もかかりますし。
自分は1995年11月、最終運転の小樽行きに乗車しました。もういいかなと思って書きます。C623は火室上部のステーが復活の際はその多くが切れてしまっているそうです。
長年の雨ざらしで腐っていたこと、分割民営化での運転まで時間がなく切断したままの箇所もあるなど問題があったのですが、そのままの状態で1995まで運転されました。
もし再々復活で検査を受ける際にはそこを新しく作り直さないと通らないが、それはかなり難しい。。。。あの時は全般検査を受けるための資金がなかったと言われて
いましたが、知られていた金額にはそのステー取り付けの費用はうやむやにされていたのですが実ははるかに資金が必要だったはずで、C623はボイラーの状態が悪いのです。
ステーの問題はほとんど認識されていないように思いますが、確か2000年のC11ニセコの時だったかな、他の蒸気の復活も行った方の誰かから聞いたと言うことにしておきます。
雨の銀山、目の前でC623が大空転した時の凄まじさは今でも覚えています。
ご視聴頂きありがとうございます。説得力のあるコメントをありがとうございます。銀山は私も行きましたが、C62で定数が少ないのに厳しい走りだったのは、乗務員の習熟度なのかと思っていましたが、ボイラーの調子もあっのでしょうね。
私はもはやC62を山線で走らせる事は、正直なところではほぼ諦めているのですが、解体よりは、静態保存、それより現役環境内での保存(梅小路)、またそれより構内運転が良いと思っています。屋外での保存は見るに耐えない状態となることが多く、圧縮空気でも良いので何処かのJR施設内で動かしてもらいたいです。
あら...ステーは規程通りに修繕していましたよ...SSKさんから伺いましたので...
ステーの件は何が本当なのか自信がなくなりました。自分は C623とその後のC11の復活作業をされた方から、
C11ニセコ号が運転を開始した年に、簡単には復活できない理由があるとして聞いたのですが。もう闇の中でしょうか。
もう撮影場所を求めてヒグマを恐れながら歩いた山線が無いのが寂しいです。1995年は東京からですが、臨時も含めて全運転日に出席しました。
C62 3が仮にJR東に譲渡されたとしても今のJR東は合理化·コスト削減を進めていますので復活したとしてもSL銀河の様に何処かのタイミングで廃止されてしまうんじゃないかと思います。(夢の無い事を言っているのは分かっていますが、動画を拝見してC62を動態保存で走らせるには今の日本は窮屈になりすぎてしまったのかなとも思いました)
ご覧いただきありがとうございます。コメントもありがとうございます。その通り窮屈な国になりましたね。安全・安心な生活が遅れる分には申し分ないのでしょうが、人はそれだけでは満足できませんよね。東北のC58の去就は今後どうなるのでしょうか?
個人的にはJR東の復活対象をC61にしたのは、高崎のD51と新津のC57のノウハウが活かせるからだと思ってます。(少なくともボイラーは一緒ですから)
JR北にとってC623がお荷物だというなら、JR西に譲渡して梅小路に置いて欲しかったです。
梅小路なら専門の整備工場があるから持病の軸焼けも改善できてスチーム号牽引も出来たであろうし、何より1、2、3、と連番で並ぶ姿が見られたのに。(T_T)
Gottonさん、JR北にはお荷物でしょうけど、もう動かす必要もないならば、固定資産税だけ払っていれば良いので、他に譲渡しないのは意地を張っているとしか思えません。まぁ、他のJR各社ももはや手を上げるお金も無くなってしまい、とても残念です。
梅小路には既にC62が3両もあるので、これ以上JR西日本が引受けるでしょうか…
@@鉄道模型大好きおじさん さま
たしかに梅小路にはC62は静態保存機の1号機と動態保存機の2号機、交通科学博物館(大阪市、廃館)から移籍された展示機の26号機がありますね。
しかし、26号機は別としてそこに半動態の3号機が加わる事で1、2、3の連番が成るのですから、観光の目玉になる可能性が生まれます。
更に梅小路には修繕工場がありますから、3号機の軸焼けを直してスチーム号牽引機として自走復活させる事もできると思います。(^^)
@@Yukkuri-Lab さま
返信遅くなって申し訳ありません。m(_ _)m
せっかく営業運転のためにボイラーを新しく造り直して『若返り』させたのに、たった11年ほどしか走れず軸焼けを酷くさせて走れなくしてしまったのは残念でなりませんでした。
梅小路に来れば軸焼けを直して構内走行できるようになるはずですから、観光の目玉としても3号機を招致したいものですね。
C62の3号機が動態復帰していたのも、相当前のことなんですね。てっきり、10年近く前までは動いていたんだと思い込んでいました。
そして、蒸気機関車の保存に限ったことではありませんが、個人個人の熱意とお金だけで出来ることには限界があるのに、むしろ自助努力万能論だけがバブル時代からずっと残り続けてしまっていて、何かがおかしいなと動画を拝見しながら考え込んでしまいました。
火を入れて蒸気を発しながら動いていれば必ず伝わってくるモノがある「栄光の名機」、再国有化というわけにはいかないんでしょうか。
最後になりましたが、100回アップお疲れ様です。そしておめでとうございます!
いつも励ましていただきありがとうございます。
他の方にも回答したのは、JR北がC62に手を出そうとしないのは、過去のトラウマですよ。金ならばC62であればどんなことしても集まります。クラファン、有料撮影会とか当時に無かった手法がありますから。
その意味で鉄文協マネージメントの不手際は本当に大きな禍根を残したし、燃え上がって気前よく金を出したスポンサーにも非がありますね。
梅小路のような構内運転にしておけば、将来に動態で走らせる夢を保ちつつ長くC62を動かせたと確信しています。
C62のことになると熱くなってしまうのですが、それだけ夢がある特殊な機関車ですね。(C59が一番好きなのですが、もうありませんから)
JR東が予備機を探していた頃にそういえばC62 3が動態復活の候補に上がったことがありましたね…
ご視聴頂きありがとうございます。はいそのように聞きました。ストーカー不使用と使用圧力の低下で意見が合わなかったとか。
JR東日本ではストーカーを撤去して重油焚きにすると言ったのが北海道を怒らせて話が無くなったみたいです、東日本のC61はストーカー撤去してますからね。企画乗車券等で提携している北と東でも譲れないところも有るのでしょう。
苗穂の工場に大事に仕舞われているならば…時期が来ればまた動いて居る姿を見れる日が来るかも知れない…
雨晒しで公園とかに据えられるよりよっぽど良い…
今のJR北海道には復活させて云々言う力は無さそうですし…
中々難しいとは思う…
可能性なら西日本か九州だろうけど、何方もコロナ禍で経営的にも難しいと思う。
其れ以前に歴史ある苗穂の工場のプライドからも今は動かせ無いが、手放しもしないと思う…
ご視聴頂きありがとうございます。苗穂はC11もろくに修理できないのに、C62できますでしょうか?結局小樽時代からの技術の継承が出来ているのでしょうか?とても疑問です。
@@Yukkuri-Lab もう無理みたいですね。苗穂の匠も今は昔ですし。そもそもJR北海道は保線の技術すら継承できなかったくらいなので、あとはお察しでしょう。
投稿100回目おめでとうございます!
ご視聴頂きありがとうございます。前から100回めはC62と決めていたのですが、山線廃止と聞いたので、3号機をやることにしたものです。
@@Yukkuri-Lab
走ってる姿がみたいなぁ
期待していれば、いつか必ずみれますよ!
元JR北海道職員です。
14年前に直接苗穂運転所でSLを検査修繕で関わりましたが、物凄く興奮した記憶が有ります。
今は辞めましたが、JR北の思い出はかなり有ります!(気動車のみでしたが…)
あとついでに小樽、小樽と連呼されてますが、小樽市民ですw
ご視聴頂きありがとうございます。
そうですかJR北の職員さんでしたか。お仕事とはいえ良い経験をされて羨ましいです。今回の動画は関係者へのインタビューも行いましたし、私自身国鉄の急行ニセコ時代から3号機を見ていてかなり思い入れがありました。
でも外から見れないことは伝聞だったり、思い込みも多いと思いますので、これは違うだろう!という点あればよろしくご指摘いただければとてもうれしいです。
ところで最後の貴コメントはどういう意味でしょうか?
動画内で、小樽と出てきたので、自分が小樽市民だって事をただ強調させたかっただけですよw
あと、ついでに、JR北海道で、職場内のパワハラで辞めたクチです。
いろいろピリピリしてた職場に居ました。
なるほど、そういう意味でしたか。鉄道会社って厳しいのは当然、安全のためという題目に乗じてかなり酷いところが多い様ですね。私が趣味的に好きな京急もそうです。ハラスメントはいかなる手を使ってでも対抗してやることが大事ですね。後からでも労基はもとより簡易裁判所に訴えてやることもできますね。
線路がつながっているうちにJR東日本へ移籍させ、常磐線のいわきー仙台の区間で復活してくれないかなと思っています。このまま朽ちてしまうのはあまりに惜しい。
ご視聴頂きありがとうございます。
3号機の事はこちらで2回特集し、様々ご意見を頂きました。北が意地張ってるのもありますが、抗えない組織とか人の問題もあるみたいで、動画ではあまりっつ込まない方が良いかなぁとも思ってます。
現状では東への譲渡は到底考えられないでしょう。
JR東日本はここ数年で保管中の車両を沢山スクラップにしているので信用できない保線もまともにできない会社では走行は難しい今の経営者のうちは移籍させないで欲しい。
復活した時に原チャリで、C62-3を折り返しの倶知安まで追っかけて、ちょうど汽笛を鳴らした所にでくあして、汽笛がやまびこで帰ってきたんですよ!生まれて初めて蒸気機関車の汽笛に感動しました❗今はやりのクラウドファンディングでもやって資金を募って復活して欲しいです!でも北では維持するのは無理かも❗
ご視聴頂きありがとうございす。1988年って最近のことですよね。C62が初めて見た蒸気機関車というのはとても幸運ではないですか。JR北が何で20年以上もC62を放っておくのか公式に説明してもらいたいです。
一回だけ復活運転撮りに行ったっけかな
運転の無い時期は休車指定掛けて、どうにか7年持たせたけど、全検費用が捻出できなかったので復活運転が終了してしまったのでしたね
まぁJR北と鉄文協の確執も大きかったですが
ご視聴いただき有難うございます。トドメを刺したのはゲーム会社のスポンサー打ち切りですね。その後そのゲーム会社も無くなってしまいました。(今は大手に吸収されました)
JRを頼らずに7年やれたのは凄いことですが、本線を走らせる必要があったのかは疑問なのです。
私は、今年54歳になりますが、子供の頃散髪に行く床屋さんで、今は亡き少年キングの連載していた、銀河鉄道999を読むのが大好きで、モデルになった蒸気機関車が、C62だったのが凄い衝撃でした!車やバイク、機械物は動かしていないとすぐにダメになってしまいます!どうか動態保存して欲しいです!ちなみにふるさとは、小樽です!
ご視聴頂きありがとうございす。54歳ということは、ごく幼少のころ急行ニセコをご覧になっていたかもしれませんね。私は当時北海道に何度も行ったことを昨日のことのように思い出しますが、やはりC62の印象が絶大ですね。ほかの地方のC62とは何かが違うというか。呉線とか常磐線とは違うんですよ。急行ニセコの重連って人間の作り出したものじゃない乗り物のような感覚です。
C62 3号機をぜひ復活させてほしいです。D51やC61の次に自分が好きな機関車なので、もう一度走る姿をみたいです。
中村さん、ご視聴頂きありがとうございます。構内運転で3号機かならずは動くようになると信じています。本線は無いでしょう。
オープニングのD51、懐かしい。
新鶴見操車場のD51791。昭和45年にさよなら運転して現役引退した。
ご視聴頂きありがとうございます。気が付いていただけましたね。高島貨物線が家から見えるというのをイメージしたものです。
791東京駅に来ましたね。私は行きませんでしたが。ナクイチとか言われていました。
小樽築港機関区が解体されたことは本当に残念です‼️
まあ、残ったところで結果は同じだったかもしれません....。
文化遺産を残すことがいかに難しいか、このC62 3と小樽築港機関区がいい例です.......。
ご視聴頂きありがとうございます。バルブ時代も終わりかけていて、慌てて土地を売ったのでしょうね?
日本中同じ理屈で扇形庫とターンテーブルを無くしたところ多かったですね。
@@Yukkuri-Lab 小樽築港機関区&築港ヤード跡地を売却してその結果誕生したマイカル小樽(現ウイングベイ小樽)は案の定大失敗。石原裕次郎記念館も建物の老朽化で撤退。新幹線予定駅は山の中。小樽は街をどう立て直すかのビジョンがあまりに行き当たりばったり過ぎる。(まあ破綻寸前の財政状況で出来る事が限られるのもあるけど)
ご視聴いただき有難うございます。私自身扇型庫が壊されてからそちらに行ってはいないのですが、小樽全体としては旅行客に魅力のある街になったと思っています。地元の方々が住みやすいのかはわかりませんが。ただ鉄道の街小樽、日本最大の機関車を走らせていた小樽というのは綺麗さっぱり無くなってしまったということですね。
@@Yukkuri-Lab 小樽は基本横並び気質なんですが、だからと言って古いものを大事にするかと言えばそうでもなく。今ある歴史的建造物は「たまたま」取り壊される事も無く残っちゃっただけ。シビアでドライな街です。
住みやすさは…。ドカ雪と山坂が全てかな。また自分たちのテリトリーを壊さない限りはウエルカムですが、人のテリトリーにずけずけと入ってくるのは田舎あるあるでしょうか。
私のようにほんわかしたところにしか住んでいない者にとっては厳しそうな街ですね。
小樽はみんないい街だよと言いますが、旅人の感傷と現実は違うのですね。
もう山線が廃止になるのならせめて今一度2号3号の重連で急行ニセコを運転してほしい
ご視聴頂きありがとうございます。急行ニセコがなくなってから50年いつも再現を望んでいました。客車が無くなり、山線が無くなりようやっと諦めがつくようになりました。
苗穂の扇形庫に入れて「魅せる」展示にすれば人も集まり活性化も期待できるのにと思っていたが、今や転車台が寂しく残ってるだけだもんな。気候の良い時期だけでもよく見える場所に引っ張り出してくれないかな。
昔SL運用廃止後しばらく数両のSLが苗穂の側線(本線から見える場所)に留置されていてナンバープレートも無い姿は無残だったけど横を通るたびに元気をもらえた。そういう事なんだけどな。
ご視聴頂きありがとうございます。昔は廃車体を大宮辺りまで行くとよく見かけました。国鉄の線路にあるだけで廃車体でもワクワクしました。
扇形庫なんか簡単に作れますよ。東武でも作りましたしね。
要は20年以上たっても、かつてのC62ニセコのことがトラウマになっていることではないでしょうか。JR北がクラファンやったり動態後一人10万円の入場料で構内走行見学をさせるとかできますよね。金のことは問題ではないと思います。
動画では批判していませんが、彼らはそれだけに罪なことをしたと思います。
17号機がリニア鉄道館入りし、それ以外の3両が京都に集まっている現状現存するC62の中で唯一普段幽閉されていることが残念でなりません。JR北海道にはもう動かしてとまで言う気はないからせめてこの貴重な産業遺産を観光資源として活かしてほしいです。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよ。東日本にはこの3号機しかないのです。だから是非いつかJR東が引き受けて欲しいです。東北復興支援の効果絶大です。C62は常磐でゆかりはありますから。
~C623~これからも、ニセコで走って欲しいです。東京民ですが、SLは、大好きなので。
C62-3は夢を追うファンだけでは済まされない闇があるようなので、最近私はあまり深く突っ込まないことにしているんですよ。
現在の苗補にはSLを運用できるだけの設備が残されているか不安ですな
東は大宮、西は京都がメインでほかにできそうなところが思いつきませんし
ご視聴頂きありがとうございます。苗穂は大丈夫です。倶知安や長万部から特殊器具を調達していて、捨ててなければ使えるはずです。でも復元も運行もできる体力はないすね。ですから私は国有化すべき段階じゃないかと思っています。
@@Yukkuri-Lab 国民の税金を無駄なことに使わないで下さい。
いろいろご意見はあろうかと思いますが、産業遺産ですからね。私は国の管理が妥当だと思いました。
@@Yukkuri-Lab
全く同感です。
100回目おめでとうございます!!
築港機関区のラウンドハウスは本当に惜しいです。日本の鉄道保存の失敗の一つだと思います。
C62 3は直江津のD51の様な存在を目指していたのですかね。
C62 3を動かす方法
団体が買い取って運行をJR(ひょっとしたら3セクの方が良いかも)に委託(C12 164の様に)
苗穂で空気機関車(しかし、本線復帰はほぼ不可能になるかと)ですかね。
どこか廃線になったところにSLだらけの保存鉄道をつくりそこで走らせる。(しかし、そのような線区にC62が入れないかもしれないしお金もない)
小銭稼ぎはグッズ販売ですかね。銚子電鉄がグッズで相当儲けているので上手にすれば良いアシストになるのではないでしょうか。
C62 3復活を願っています。
ご視聴頂きありがとうございます。うれしいコメントもありがとうございます。やる気が出ます。築港の扇形庫は東洋一とか言っていましたが、実は中国にはもっと大きなのがありますね。だから私は日本一と言い換えています。でも立派すぎるくらい立派な扇形庫ですよね。C62-3は直江津というより、機関車と機関庫と取り巻く一式を文化として維持保存することだったんですね。退職者対策もあったはずです。築港でそれだけの雇用を確保したかったんでしょう。だから国鉄最後の日に合わせてOBも交えて復元したのです。
扇形庫では国府津機関区は最初の鉄筋コンクリート造りだったはずでとてもエレガントな造形でした。あれを壊されたのも腹が立ちましたね。今なら間違いなく保存になっていたはずと思います。
C62はまず圧縮空気からでよいと思います。機関にダメージは与えないです。タイの蒸気機関車のような解決応報もありでしょう。
C62は意外に軸重は軽いので、線路規格が低くてもゆっくり走れば大丈夫ですが、曲線が多いところだとダメージ与えると思います。やはり夢と期待を込めて上野(尾久)ー高崎間じゃないでしょうか?
JR北が金を集めるなら、まず動態化してもらい、メンバー制で見学・撮影会を有料でやればよいでしょう。一回10万円でも来る人は多いはず。
@@Yukkuri-Lab 梅小路蒸気機関車館に土産物屋を併設した施設というイメージでしょうか。
よくSLが復活しない理由に撮り鉄にマナーの悪い人がいることが挙げられますが日常的に走らせれば良いと思います。例えば223やE233を好んで取る人は少ないと思います。誰もいつでも撮れる列車の写真なんて撮りませんから。大井川鐵道や京都鉄道博物館でも大きなイベントがない限り撮り鉄か集まっているようには感じませんから。
扇形庫の何本分かをガラス工芸工場、残りをショッピングセンターとC62-3の検修エリアとかだったと聞いています。港沿いは操車場がデカいのが航空写真でも分けりますが、そこを展示運転させる。というのがオリジナルプランの一つみたいです。いつも走っているものは激パ状態にはならないというのは同感ですね。英国も毎週上野駅のようなところから蒸気列車が走っていますので、別に珍しくもないわけで、また線路内立ち入って怪我したり亡くなっても、鉄道側は100%責任は問われませんから、日本と考え方が違うところがやりにくいのでしょう。
@@Yukkuri-Lab 日本は狭いし個人は金持ちとは言い難いですし考え方も違うしでイギリス流は日本では上手くいかないんでしょうね。
ユニクロの社長が蒸気機関車大好きだったら違っていたかもしれませんねぇ。
私はC62 3の走っていた時代は知りませんが苗穂工場でC62 3を見て少し感動しました。
JR東にもC62 3を渡す計画があったようですがメカニカルストーカーを使わない事がJR北に刺さったのかそれも無くなって残念です。
小樽築港の男達や苗穂の匠が動態化したのに
もう1度火を入れ走る姿を見られないのが残念です。
いかに動態保存が難しいかわかりました。
ご視聴頂きありがとうございます。
動態保存機C62-3を非公開にして構内運転日を設けて1回10万円/一名でどうでしょう。ELには興味ありませんが、品川の機関車撮影会が15000円で毎回満員でしたから。私も年一回は行きますよ。
2年位で動態化の設備投資は取り戻せるのでは?それをやって当初の小樽の鉄道を中心とする文化の発信地として再興できるかもしれません。
東は、C62は保有していないですから。🚂実は、当時の国鉄が最終番号の49号車を保存する構想があったらしいけど。保存する、場所が決まらず解体してしまったみたいです。東も、当時の国鉄に先見の明がある人がいたらってことですね‼️東海は、当時の国鉄が17号車を最終的に名古屋に戻す構想があって保存することになったようですね❗動かして欲しいけど、東海は新幹線やリニアのことで見向きもしない。
コメント有難うございます。C62は上野にバンバン来ていましたし、東京駅からも常磐線行きが出発していました。ですから縁が無いことはありませんね。3号機は梅小路出身ですから縁はありませんが。当時の保存機集結場所を梅小路ではなく、当初の計画の小山であればかなり違った展開だったことでしょう。個人的にはターンテーブルのある尾久か高崎に引き取って欲しいです。
@@Yukkuri-Lab 金持ちですね。
いえいえ借金だらけの貧乏人ですよ。私は3号機には思い入れあるので、趣味を超えていますから会いにいくのは当然かなと思っています。
小樽機関区の画像は、懐かしさを感じますね。
今から33年前、僕が中学生の頃に復活したC62を朝早くに機関区へ行って写真撮りました。
今では、いい思い出です。
北海道へたっぴ釣りチャンネルさん、ご視聴いただきありがとうございました。え?!もうそんな昔になっちゃったんですね。RUclips登録しました。お互い末長く頑張りましょう。
平機関区の49号もどこかで保存してくれれば現在1両も残ってない汽車会社製が残れたんですが、しかし国鉄での保存だと後の民営化で大粛清で潰された可能性も考えられるので共栄興業あたりで保存してもらえれば良かったと考える。3号とは関係ないのだが2号は東海道線時代から外れの機関車であまり調子が良くなかったと言われてますね。
ご視聴有難うございます。平に限らす東北の大型機でまともに残っっているのは仙台のC60-1ぐらいでしょうか。C61の20が動態なのは嬉しいですが。常磐線の電化でC62を残そうという話にならなかったですね。昭和42年頃だと廃車体を引き受けて保存展示なんて考えなかったでしょう。
2号機は調子悪い悪いという話がよく出てきて、実際の機関士の話もありますね。実際のところ私は個体差とか癖の違いじゃ無いかと思っています。大事にするため小樽〜長万部の前補機に多く割り当てられてたのですね。
最近BSで劇場版銀河鉄道999二作が放映されて見たが、ラストナンバー49の兄弟機である劇中機関車の48も保存されなかったのが誠に残念。
平機関区では好調機ということで、最後の特急仕業であるゆうづる牽引機の常連として名を馳せたのに。
@5 red 常磐線のC62は全滅でしたね。ゆうづるはC62牽引区間では夜か朝早すぎて人目に触れなかったのでメジャーじゃなかったのが残念でした。
復活運転の時にゲームメーカーのハドソン社の多大成る御支援で復活出来たと
このハドソン社の御支援が無ければ復活運転は出来なかったと言われてる
社長はC62が大好きでハドソンはC62の車軸配置の事
東日本が譲渡を申し出たけど
C62は癖の有る車両で運転するのは難しく復活運転が出来たのは現役当時の機関士と助手が当時はまだ現職で有った
また整備も癖が有り 軸焼けもし易く
これも現役当時の整備士がまだ現役だったのも大きく
ご視聴いただき有難うございます。ハドソンと上島珈琲、小樽の漁網会社ですよね。主な支援先は。ハドソンは最後まで面倒を見ていて、社長の故郷のニセコに転車台を移設までして延長運転しました。夢があってよかったですね。20年以上経った現在では保守技術の継承も無いので、たとえ復帰しても本戦はJR北では無理だと思っています。
@@Yukkuri-Lab
何せハドソン(ゲームメーカー)の社名の由来がC62のハドソン型からきてますからね。特別な思い入れがあったのではと。
ハドソン社は、コナミスポーツコンピュータエンタテインメントに買収された。
扇形庫取り壊しも含めてバブル景気に湧きすぎた弊害なんでしょうねぇ…
ご視聴頂きありがとうございます。JR北がバルブの最後期にあたり、土地を高く売れる最後だと考えて売り払ったんでしょう。そこには目先の事しか考えられない私企業の論理が表れていますね。
苗穂の座敷牢に幽閉しておくくらいなら、転車台で”北の門番”として鎮座してくれれば、また違った人生を歩めたのかな、と思ったこともありました。しかし扇形庫も無くなり叶わぬ夢に。。いっそのこと旧追分に持って行った方が大事にしてもらえそうですが縁遠い事もあり、外野が大騒ぎしそうですしJR北同士でも余計なメンツ問題があったりして無理でしょうね。可哀そうな3号機とも思いましたが、様々な思惑から一瞬でも解放されている今がもしかすると幸せなのかもしれません。
ご視聴頂きありがとうございます。JR北は道民からも見捨てられている状況みたいですから、ここらでJR東に頭下げて引き取ってもらう時期でしょうね。上野の尾久には転車台がありますし、構内も広い。C62とゆかりの深いところですから。西には多くのC62ありますからそちらではなく東です。本線を動かすことは無くても尾久の構内で入場料とって運転すれば集まりますよ。
C62-3号機はJR北保管が続いたのが不幸としか言いようがないですね。まだ動けるのに何をするでもなく、苗穂工場の中にただ置いているだけ。これなら早いうちに梅小路に引き取ってもらうべきだったと思います。とはいえ一応保管してくれているだけでもありがたいと考えるべきでしょうか。
石炭消費も多くメンテナンスにも手間のかかる機体なので採算の見込みがないアクションは取れないのは理解しますが、この先大きなスポンサーが現れることも考えにくいので、このまま埃をかぶり続けるだけなのでしょうね。
北海道の鉄道全般に関しては、JR北や国に対策を丸投げする姿勢をとり続けた高橋知事や、夕張を踏み台にして潰した後任の鈴木知事の口だけ・傍観ぶりが衰退を加速しているように見えてならず、山線の廃止が決まり、新幹線開業後は函館~長万部間がどうなるかすら不透明な状況では、地元民としては仮に再復活させるにも走らせられる在来線区がもう無い、なんていう未来すら想像してしまいます。
くたきちさん、ご視聴頂きありがとうございます。私はJR北、道民の方々の合意で北海道には主要幹線と新幹線、札幌近辺を除き鉄道は要らないと判断されていると思っています。また3号機は北海道の誇りであり他地方に譲渡・売却なんかとんでもないと思われていることも理解しています。
ですから北海道の鉄道が総意のようになり、北の経営安定化のめどが立てば、象徴としての3号機は復活すると期待しています。
北海道新幹線が黒字になったら、登別温泉駅や東室蘭駅から長万部駅までの高速運転をすれば、集客出来そうな気がします。
それでも俺はいつかは復活してくれると思ってる。
復活が出来る可能性に掛ける、それしか出来ないけど復活出来ることを信じてる。
ご視聴頂きありがとうございます。そうですよね。現在の状態は異常だと思っています。
構内運転でも良いので動かしてほしいものです。
趣旨とずれて申し訳ないのですが、SLは残るのにEL・DLは動態保存されないのが残念で仕方ありません。保守部品を考えると蒸気のほうが簡単とは思いますが、もう十分に台数があるのでこれからは無煙化後の車両も動態保存してほしいところです。
ご視聴頂きありがとうございます。ごめんなさい、私はDLは好きではないのでコメントできません。ひねくれものなので昔からの主義を宗旨替えすることができません。ただDE10は乗せていただいたこともあってちょっと気になります。DF50も蒸気とマッチングして悪くはないです。また旧型ELは好きですが撮影にはそれを目的に行ったことはほとんどないです。
そう言われればそうですね。
あえて言うなら碓氷のEF63位でしょうか?
一方電機はかなり古い機体も「動態」ではなく「現役」の車両も中小私鉄にはありますね。
そういえば一度だけですが、友人にせがまれて宗谷本線の塩狩峠のDD53のC55の列車の後部補機を目当てに行ったことがありました。碓氷峠に保存されている機関車そのものだったのを知ったのは最近です。
なつかしい‼️ニセコ号に乗ったので今もまた乗りたいです。C62-3って北海道で走るイメージが高いので廃止しないでニセコだけなく稚内と網走、帯広、釧路も走ってみたいです。
土肥さん、ご視聴頂きありがとうございます。C62ニセコ乗られたんですね。
もう3号機は本線を走ることは無いんだろうと思っています。北海道新幹線が札幌まで行ったときに、構内を走り汽笛を鳴らすイベントで駆り出されるのだろうなと思うのです。
ありがとうございます。C62って日本の中に復活してるのは北海道のみ!で今は廃止かな?C62の姿が見られなくなり惜しいです。今の復活してるのは高崎駅のD51とC61、山口県のC57とD51、秩父のC58だけ?老朽化のため新しい部品がないともう終わりになるよね!C62は1回だけ乗ったのでよかったと思っています。(小樽からニセコ)まだ乗りたいな!C62ってSLの最後の蒸気機関車だったというよね!
そうですね。急行ニセコが無くなって、私は腑抜けになりました。
1988年と1994年の2回、C62 3号機のSLニセコ号に乗車した事があります。人生初のSL乗車でした。
今思えば小樽築港の扇形庫を梅小路のようにしなかったのは痛恨事でしたね。もしかしたら小樽鉄博みたいな感じで鉄道遺産を継承できたかもしれないのに。でも維持費が掛かりそうだからJR北はそういう事はやらないかな……。
ご視聴頂きありがとうございます。営業運転するころには実は売却先が決まっていたそうです。
この亜付近の小樽の現状と比較してどちらが良かったのだろう?と思いますが当時はそれがベストで唯一の選択肢だったのでしょう。
小樽築港機関区跡は、現在イオンモール小樽。
そう見たいですね。あのエリアはあまり上手くいっている様には思えないことを視聴者様からお聞きしました。
叶わぬ夢とは分かっていますが、山線を走る勇姿が見たい。
ご視聴いただき有難うございます。もう見れないと思うとやるせない気持ちでいっぱいです。でも未来に向けて動態である方が良いと思うので、苗穂でいいですから構内運転可能な範囲で直して欲しいものです。それもできないならばJR東に譲ってもらいたいです。
それどころか山線の存続そのものが…
この区間の廃止って問題ですよね。
C62-3にそんな話があったとは初耳でした。2号機が今でも動いていることを考えると、かなり気の毒だなと思ってしまいます。
今のJR東じゃ買い取ってくれなさそうだし、期待するなら東武やJR西や梅小路で活躍してくれたら嬉しいですね。いつかEF58-61と同じように名で目にしてみたいです。
ご視聴頂きありがとうございます。3号機を取り巻く闇はかなりの深さですよ。3号機には何ら責任あることではありませんが、それだけ引き付ける魅力があるのは事実ですね。人を狂わせるという意味で。私もその一人です。
鉄道遺産として国が管理して欲しい。高輪ゲートウェイの高輪築堤の保存工事やっていますが、そこで煙を吐いて保存なんてサプライズがあったら最高ですけど。
ほぼこの夢みたいなことが国鉄最後の日のニュースで現実に起こったこと見たので、3号機ならあるかもと期待しちゃいます。
C62-3号機はJR東日本が買い取りを打診したが断られ、C61-20の復元に切り替えた、という噂がありますね。
はい、それは事実のようです。JR東がストーカーを外すとか、使用圧力をさげるとかごねてJR北がNG出したという話もありますね。
C62-3号機は高速運転が身上なので、長万部駅ー東室蘭駅を高速運転させて、新幹線乗客を誘引する方が集客増になる気がします。
007 montokuさん、ご視聴頂きありがとうございます。
この動画をアップしてから様々な方のご意見を伺っていると、3号機が本線を走る可能性と言うか物理的にもできないなぁと思うようになってきました。英国のように最新技術で新造できれば別ですが。
@@Yukkuri-Lab動態保存しても長続きしない気がします。残すならば、「札幌駅ー東室蘭駅」の特急に乗り換え接続する定期運用SL の方が集客出来そうな気がしました。
聞いた話だとJR東日本がD51、C57に続く第3の蒸気機関車の復活を計画した際、その候補機の中にC623もあり、JR東日本は実際にJR北海道に譲渡に向けての交渉を行ったそうだが、JR北海道はこれは拒否したそうな。噂によると拒否した理由の一つに『北海道新幹線札幌開通後の観光資源として道内に残しておきたかったから』というのがあったそうな。もしこの噂が事実だったとして、JR北海道の言う『観光資源』とやらが再復元を意味しているものなのかは定かではないが。
ご視聴頂きありがとうございます。JR北が断った他の理由はJR東がストーカーを使用しないこと、蒸気圧力を下げることを提示したとも聞いています。新幹線札幌延伸の際にはC62-3が汽笛で迎えるとか。そのくらいはして欲しいものですね。
C622号機とC623号機が活躍した、函館本線小樽ー長万部間が廃止されて、バス転換が決まってしまった。
これにより函館本線は、函館ー長万部間と小樽ー旭川間に分断されてしまう。函館ー札幌間は、噴火湾の複線区間の室蘭本線と千歳線のみになった。
いつもご視聴頂きありがとうございます。もともとは貨物は室蘭本線、客車は山線と分けていたことで、山線に急行列車が多かったそうです。ていね→ニセコとDC化できなかったのは荷物車の関係ですね。そうなると現状山線は要りませんという判断は妥当でしょうが、一時でも熱くなった場所が無くなるのは、精神的にかなり打撃大きいですよ。
@@Yukkuri-Lab 特急北海が函館本線山線を経由して、函館ー札幌間を結んだが、国鉄分割民営化前の昭和61年11月1日のダイヤ改正を持って廃止されてしまった。この列車の廃止でキハ40形のローカル列車しか運行されなくなって、さらなる減便に減便を重ねて、ハイブリッドDCH100形のローカル列車しか運行されなくなった。
そして、北海道新幹線新函館北斗ー札幌間の開業の前に廃止となり、バス転換となる。
本線と名がつく路線はこれまでにどれだけ廃止されたことか。
国土のリスク管理上問題ですよ。
@@Yukkuri-Lab 名寄本線と言う本線があったが、100円稼ぐのに営業係数5980円かかる赤字ローカル線で平成元年に廃止されてしまった。代行バスも廃止縮小されてしまった。
後年xx本線が無くなったと聞いて、実に驚いたことがありますが、名寄本線も9600の重連を撮りに行ったことがあるので、感慨にふけったこともありました。
私は駅撮り好きなのですが、当時の駅の写真を見ているとみんなが鉄道に頼り切っているのが良くわかります。
バブル真っ只中の89~90年頃、「C62ニセコ」のニセコ駅での折り返し時間が極端に短く、乗務員の休憩時間も取れないダイヤのことがありました。これは1日に2往復運行を目論んでいた、と聞いたことがあります。またこの頃航空会社が座席を買っていた?のか平日も連日運行していました。私もこのころ乗ったことがありますが、当日でも楽に指定席が買えたし、実際乗ると車内もガラガラでとても運行費用をペイするとは思えませんでした。連日走らせることで車両の摩耗は進んだでしょうし、結局最後の頃は年に何日も運行できない事態になりました。動画にも出ていましたが運行主体のマネジメントが杜撰だったと言えると思いますし、ある意味C623も被害者といえるかもしれません。
ご視聴頂きありがとうございます。小樽ーニセコ間が73㎞、小樽ー長万部が140kmですから、前者の場合2往復できないこともないですね。実際48年までの普通列車は後者で往復していましたから。がらがらだったという話はよく聞きました。じっくり考えれば満席はあり得ないですよね。でも7年間で10万キロ走っていないのですよ。もう蒸気が無くなっていた時代でしたから専用となる仕事が多くのしかかって、コストがべらぼうになったのでしょう。
ですから後になってよく考えると当初の梅小路スタイルで動態保存し、許されれば年に2、3回本線を走らせる程度で長持ちさせてもらいたかったですね。
@@Yukkuri-Lab 様、早速のご返信ありがとうございます。
仰る通り、当初の梅小路のように通常は機関区で見せてたまに特別列車で運行する形なら長続きしたでしょう。梅小路の最初の頃のC622「白鷺号」もそのようなことを考えていたようですし、動画に出ていたC571「京阪100年号」の事故が梅小路のみならず小樽にも影を落としたであろうことは否めません。梅小路のように新しい客車を牽引して小樽ー札幌のような電化区間を走らせていたらあそこまで人気が出たか微妙で、現役時代を彷彿させる無装飾で旧型客車を牽引して山線を走ったから、私自身北海道に通い詰めてしまったと思っています。
現役時代そのままという点でマニアックな列車でしたから、マニアを惹きつけたのは間違い無いです。私も復活蒸気の中で例外で何回か行きましたから。でも7年間もやっていると一巡して飽きられるのですよね。ビジネスであれば何か変化がないと、そしてビジネスが成功しないとC62は継続できない仕組みだったんです。
コロナ禍前なら東日本に持ってくれば動かせたかもしれない。しかし曰く付きとはいえC623を北海道が手放すとは思えず、
今となっては仮に他所へ持ってったとしてもまともに維持できるかどうか。
少なくとも西は無理。もしこれが可能な程の余力があるならC571とC612をさっさと直してるはず。
ご視聴頂きありがとうございます。おっしゃる通りですね。JR東ももう無理でしょう。でも赤字のタイ国鉄ですら、動態保存機を5輌も維持し続け、のべ年間6回走らせている。大井川鉄道もそうですね。JRは安全運転のための法規がむずかしすぎるでしょうね。
車庫に保管しても資産とみなされたて税金もバカにはならないはず。この不景気では、どこか外資系レジャー施設でも譲歩されるか、下手すればスクラップという結末もありますね。東北のC58も同様で、保管費すら支払いたくないのが会社側の本音のはずです。私は動態保存、本線運行も残り数年で終わると見ています。
これは鉄道に限りませんが、日本人は文化を楽しむには経済的、精神的にも貧乏になり過ぎました。
HMS HOODさん、まあ車籍があると莫大な費用がかかりますから、今の様な廃材扱いでなら多めに見てくれると思いました。
JRの蒸気数年持つかな?圧縮空気で機関区を走らせるのも鉄道遺産を残す良いと思います。荒屋新町機関支区とか面白そうです。
以前JR東がこの3号機を欲しいとJR北に申し込みしたけど、この機関車は渡せ無いと断られたと言う話しが有りますね、C11は後進運転が出来る為転車台が要らない、運行コストが安い、小型で扱いやすい、走る線路を選ばないなどで、今も釧路湿原を走っていますね、ただカニ目は本州に貸し出されましたが、譲渡されたのでは、無く貸し出し中と定年退職した親戚が言っておりました。
ご視聴頂きありがとうございます。2回JR東が頼んで2回断られたそうですね。一回目はC61で二回目がC58の時だそうです。C11が運行経費安いと扱いやすいという話が多いのですが、本当でしょうか。部品はいっぱいありそうなのでその点は良いでしょうけど。C62をC11のようにゆっくり走らせれば同じだと思います。
そもそもJR北はC62-3復活にあたりお金は出していません。運行経費も常に満席の代金をもらっていました。そうまでして熱いファンの力で復活させたものを20年以上も眠らせているのは少々腹立たしいです。
@@Yukkuri-Lab ガタイが違うから経費も違うと思って間違いないんじゃないスか?軸重と入線可能線区に関してもそちらのほうがお詳しいのでお察しいただけたいです。
@himats tosh ご指摘の通りなんでしょうね。まぁ燃費は違うでしょうけど、致命的ではないと思います。
一時はファ●コンブームで一世を風靡した地場の某スポンサー企業が、リスク分散もせず頼り切ってたた●ぎんの破綻の煽りで弾け飛んだのも大きかったかな?
この件はあそこの創業者がSLマニアで情熱的に動いたとも聞きました。
ご視聴頂きありがとうございます。おっしゃる通りです。創業者の方はニセコ町でしたね。だからターンテーブル移設費用も負担して延長運転していました。
7年間継続したことを取って大事業を達成したとも評価できましょうが、後世に様々禍根を残した営業運転であったことは事実ですね。
客寄せパンダのc623を他に渡したくない
アスベストの問題もあるし
全ては金に絡んだ悲しい話
ファンは何処でも良いから2号との重連を望んでます。
ご視聴頂きありがとうございます。孤高の存在であってほしいですね。でもそれでは見に来てくれないですよね。ですから国有化してしっかり保存してもらいたいと思います。偉大な鉄道遺産ですから、赤字で青色吐息のJR北には任せておきたくないです。
C621/CC622/C623を一度集合させて、欲しいです。
ご視聴頂きありがとうございます。みなさん3号機は梅小路に持って行って欲しいとおっしゃる方がおおいですね。私は一輌ぐらいは関東において欲しい。JR東が引き取ってしっかり動態保存してもらいたいです。営業運転は望みません。
それなら、26号車かな?
そうでしたね。西はC62をいっぱい持っていてずるいですね。
c62 3復活による集客はすごいでしょうね。この動画を見てる人の8割は行きそうですから。
復活させたことを考えれば公園の機関車よりは安く復元できるんでしょうけど。c11 207号機のように貸出で復活でもいい気がしますが、いくら軸重軽減されているとはいえ国鉄最大クラスの蒸気機関車ですから横圧等問題は出そうですね。c11のほうが運用費は安いでしょうね。単純な起動までの時間など小型機のほうが便利ですから。
ただ北海道だと関西、関東からは費用が掛かり、結果集客は復活直後から3年が限界な気がしますが。
それにc11 207号機にあったATSの増設等も必要なのでは。重油タンクも交換されたりするかもしれませんし。 確か3号機の特徴に重油タンクが左?に寄ってると聞きましたが。
本当かわかりませんがJR東はc62 3号機を走らせようとしたがJR北が拒否したため第二候補であり、c62に比較的近いc61 20号機が復活した的な話を聞きましたが。
本当ならc61 20は今も静態で、c62 3号機のJR東仕様も存在したかもしれませんが。
ご視聴頂きありがとうございます。仰る通り最初の一年は凄いことになるでしょうで。でもやはりジリ貧かなあと思います。北海道までの旅費って馬鹿になりませんからね。少し前なら中国に行って蒸気機関車撮影するのとあまり変わらなかったのではないでしょうか。
英国のディナートレインの様に高額な料金を取った列車を定期的に走らせるのはとても考えていただきたい。料亭の懐石が三万だとしたら、それを蒸気列車でやる訳です。夜間でいいでしょう。撮り鉄も乗り込んできますよ。英国はこれが蒸気ツアーの目玉ですね。勿論食材は一流の本格の食堂車が必要ですが。
@@Yukkuri-Lab
北海道は避暑地として夏場は相場が上がるので、冬のsl列車としてc11の釧路湿原号のような運行や、あえて蒸気暖房での空調でも面白いかと思いますが。
食堂車は難しそうですが、sl北斗星などで蒸気機関車牽引寝台列車でも人気は出そうですね。機関士さんたちは大変そうですし、沿線地域から反対も多そうですが。
これに関してはJR東の夜汽車水上はすごいですよね。
撮り鉄はお金を落とさないのであれば、冬の夜走らせるのが良いですね。例えば、長万部~室蘭片道、ホテル代込みで翌日夜に長万部に戻るとか。乗車したお客さんだけに仕切ら田場所で撮影会を含めるとか。
@@Yukkuri-Lab
北海道は追いかけるのにレンタカーが必須ですからね。撮り鉄プランなんかで追いかけるバス、宿泊、ホームの一部貸し切りなんかで撮り鉄からも利益を得ることもできますが。
もしくは沿線の撮影スポットに安全上柵を2重にして間に有料で入れるとか、カシオペアのように運賃を一回数万クラスの豪華特急にするか。
撮影会のようなイベントをちょくちょくやるか。
単純にクラファンで復活までは行けそうですけどね。
おっしゃるご提案良いですね。確かに撮り鉄でも地元に落とす金はありますね。JR北は手宮に持って行く様なことを考えているのでしょうか?
汽笛を鳴らすぐらいはやるかも知れませんね。
C623号機、C622号機とC6226号機が待つ京都鉄道博物館に保存出来たら良い。
もちろん、動態復元して、京都ー大阪間の新快速列車として。
ご視聴頂きありがとうございます。3号機は足回りがさび付かないように、動かしてもらっているようですね。JR北はもうこれ以上のことはできないでしょうから、JR東に譲ってほしいです。京都はC62いっぱいいるから、上野の横の尾久が良いです。
@@Yukkuri-Lab
実現したら、毎週末通いますね。
間違いなく。
動態復帰は賛成ですが、本線運行はどうでしょうね?
精々でSLスチーム号牽引くらいではないでしょうか。
個人的には1号機も動態復帰して欲しいのですが。f(^_^;
復元工事から10万キロは走ってない・・・
けれど、95年頃から27年ほどの不動期間・・・
機械的にはこっちのダメージの方が遥かに大きいだろうな・・・
動かし過ぎもあまり良くないけど、それ以上に動かさない方が遥かにダメですからね・・・
ご視聴いただき有難うございます。たまに動かしてる様ですが、ボイラーはオーバーホール必要でしょう。C62-2号機のような修繕で構内運転で良いので、できれば嬉しいですね。
車も同じで、年間1万キロコンスタントに走ってきた車と、年間2000キロしか走っていない5年落ちなら調子は5年落ちの方がよい場合がある。ただしメンテナンスされて普通の扱い方だった場合。SLの保存機など200万キロ近く走った車両が多いですね。新幹線0系など600万キロ走ったのが保存されています。
ご覧頂きコメント頂戴し有難うございます。蒸気機関車の場合短いもので100万キロ、通常は200万キロで廃車になっていました。C62の3号機は苗穂でボイラーはほぼ新製され、細かな部分も大きく手が入れられており、国鉄の最後に築港で動態化した時よりずっと状態は良いはずです。営業運転は期待しないし無理でしょうが、せめて構内運転を可能にして保存を続けて欲しいし、それすらできなければ手放して、JR東に頭下げて引き取ってもらった方がいいでしょう。と勝手なこと言ってすみません。
@@Yukkuri-Lab 私も営業運転には厳しい検査があると梅小路機関区の年輩者から話を聞きました。SLスチーム号として、他にも短い直線でB20の走行がありました。動くB20はこれだけです。石炭炊いて走るC62-3の姿が見たいですね。
構内を走るスチーム号は備品扱いの動態保存機でも対応できるので、構内が広ければ迫力ある走りはちょっとだけでも堪能できるでしょうね。苗穂も広そうなので行けるんじゃないでしょうか。
幼い頃に999を見て育った高校生です個人的に3号機は今は苗穂で眠っているほうがいいと思います。
今起こしてしまったらもっとボロボロになりそうで怖いです
しかし、調子が良かった32号機を
何故破棄したのか?
ご視聴頂きありがとうございます。私は基本的に静態保存機は残念に思うほうです。動ける形で静態なら諸外国にもよくありますし。
ボロボロになることは無いと思います。タイの国鉄ですら、年に4回動かし続けられるのですから。どのみち本線を走ることはできませんが、広い苗穂の構内を前進・後退走ってもらいたいです。32号をスクラップにしたのは、欲しいというところが無かったことと、全検切れでその予算>糸崎から異動させる費用だったからですね。
@@Yukkuri-Lab なるほどそうでしたか、
丁寧な解説ありがとうございました。
英国に学びたいけど、SL発祥の国とは熱意が歴然と違いますね。トルネードを新しくつくる英国のようになることは難しいと思います。だけど希望を捨てたくはない、SL文化を残したいものです。
akioさん、ご視聴頂きありがとうございました。メンバー加入も頂き本当にありがとうございました。発明した国とそれを導入した籠の文化の国の違いはおおきいですね。国が保存しようとする動きも無いのは蒸気に限らず、自動車、飛行機もそうですね。私も蒸気とそれを取り巻く鉄道情景を後世に残したいというのが、RUclips活動の動機となっています。
@@Yukkuri-Lab さん 素晴らしい動機をお持ちですね。失ってしまったら取り戻せないものがあります。日本の鉄道文化もその一つです。新幹線だけが残り、SLが日本からすべて姿を消す、こんな日本であってはいかにも残念。いまから新しいC62をつくるという意気込みが無ければSLを遺すことなど出来ないと思っています。線路がなくなるかもしれない山陰線で運転したいです。
akioさん、そういう動機で金儲けなんて全く思っていません。でも面白くしなければ自己満足の内容になりますし、面白くするためには作品にリソースを振らなければなりませんし、モチベーションも維持しなければなりません。ですからRUclipsの収益は必要なんです。
先般収益はく奪されて、復活したのですが、人工音声を止めて対策してみました。途端に視聴率が激減したので、明日アップするのは半分戻してみて様子をうかがうことにしました。
@@Yukkuri-Lab さん 収益があっても悪いことなんてありません。いろんな経費もいると思います。
iphoneの動画がブレるので、いただいた収入を足してジンバルを購入しました。
昭和63年4月29日に小樽ー倶知安間にSLニセコ号が復活運行される。
北海道鉄道文化財団の資金調達して、JR北海道が運行する方式だ。
しかし、北海道鉄道文化財団の資金調達が難航して、平成7年10月31日を持ってSLニセコ号の運行終了。C623号機はJR北海道苗穂工場に永久封印の形で保存されてしまった。
7年間良くやったのは事実ですが、もっとしっかりマネージメントできていれば永続的にできたはずだと思います。もちろん一年二年休止期間あっても良かったです。それが2022年になってもまるで変化が無い異常な事態。何かがおかしいですよ。
@@Yukkuri-Lab JR北海道は、京都鉄道博物館に動態保存されているC622号機を里帰りさせて、SL急行ニセコ号を運行させたら良いのに。
無理なら、京都鉄道博物館に永久保存させたら良い。もちろん動態保存で。
個人的には高崎か尾久が良いです。😅
@@Yukkuri-Lab JR東日本の高崎運輸センター又は尾久車両センターに動態保存案。
さらには、さいたま大宮鉄道博物館に保存案も良いかも。
C62が上野駅に入ってくるのをもう一度見たいので、尾久がいいですね。
東が61を選んだのは大正解では。整備などに精通したベテランが減少する中でボイラはD51、足回りはほぼC57。
ハドソンの社名を考えれば、62への思い入れは大きかったのでしょうが。
1・2の2両が残っているから、相対的に3の存在意義は大きくないのが実情では。
私としては17の復活が、、、最近見に行ってないけど名古屋での状態は?
ご視聴頂きありがとうございます。そうですね。C61はつぶしがきくと思います。私はかなり好き嫌い激しいので、今残っている動態機がD51とC11が多いのがあまり気に入りません。C57は好きですが。その中でハドソンの大型機を復活させてくれたことは趣味的にJR東に感謝しています。関西以東にC62が残っていないのが面白くないですし、もっとも可能性がありそうなのがJR東かなと思うのです。17号は広島や糸崎で見たことがありますが、名古屋の博物館には行ったことありません。
@@Yukkuri-Lab 様
15~17のトリオが好きでした。呉線に行った時は阿賀のトンネルを出てくる安芸が17でした。
東山公園に17が居たときは、名古屋に行った時には必ず時間を作って会いに。
C11が多いのは経費の点でしょうね、今度元江若鉄道のC11が東武で復活。
子供の頃に何回か見ただけですが、江若の廃止が確かS42年、良くご無事で。
江若、楽しかったですよ。夕ラッシュでの機械式気動車3連、
ブザー合図での3名の機関士の運転、蒸機の気笛合図と同じでしたね。
下らないたわごとにお付き合いありがとう御座います。
楽しいコメント嬉しいです。ところで糸崎のC59・C62っていつも汚い印象あるのですが、いかがでしょう?またもし18号が下りつばめマークをつけて糸崎に残っていたらと思うと呉線ももっと大盛況だったでしょうね。
@@Yukkuri-Lab 様
私は最末期しか知らないのですが、確かに梅小路や福知山のかまに比べれば。
詳しくは分かりませんが、あのシンダの量では清掃が追いつかないのでは。
トンネルも、機関士泣かせの小断面だったようですし。
あちらはやはり、勾配線区での大型機の定期重連が人を呼んでいたと思います。
最終年の夏休み最中の呉線でも、そんなに同好の士は居なかったですし。
C59なんか煙室扉錆びていて。海が近いから仕方無かったのでしょうね。
高校生の時小樽駅から函館駅までc62型駅には単線専用のタブレット閉塞信号が有りましたね~~北海道良かっですね。動画見せいただき有り難うございますね。
ご視聴いただき有難うございます。鉄道設備について詳しくないのですが、タブレット閉塞ってもう1、2箇所しかないと最近知りました。
これからも当チャンネルをよろしくお願いいたします!
なんか、東日本がC62 3が本州に動態復活させようと持ちかけたのに北海道側が断ったって話を聞いたことがあります。(その代わりに復活したのがC61 20号機)
なんで、北海道側が断ったのか復活させる余裕でもあったのでしょうかね😅
ご視聴いただきありがとうございます。
東はストーカーを取り外す(C61は外した)、使用圧力を下げる(C61/D51やっている)と伝えたらそれでは譲れないとなったとか。本当なら意味わからないですね。
@@Yukkuri-Lab こんにちは。ちなみにストーカーの件ですが、この調整がかなりの難物らしくもう調整できる人がいないと聞きました。で、C61を復活させましたがストーカーを撤去したからなのか今でも不具合を出す事が多いそうです。
偶々拝見しました。
梅小路の2号機もですが、C62ともなるとまともに走らせるようにすると一兆円あったとしても足りない、と踏んでおります。
JR西のC571ももうあちこちガタガタで難しくなっているようで。
RedsMagicさん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。
何年も3号機の復活は期待してきましたが、最近は圧縮空気が動くようにさせるので精一杯(一度改造すると不可逆的)だろうなと思うようになりました。
カシオペアクルーズの牽引機として使うのはどうかな?クルーズの運賃に維持費を盛り込んだ形で。
ご視聴頂きありがとうございます。最高です!実現したら夢のようです。尾久機関区所属でお願いしたいです。
JR北海道の貴重な資産なので本州ではなく苗穂に居て欲しいです。
但し全検に掛かる費用が1億円ですからね資金面は大変だと思いましたよ。
ご視聴頂きありがとうございす。そのお気持ちよくわかりますよ。でもJR北では資金的に持て余すでしょうね。技術的にも後継者に伝授されていたのか?全検費用は1億では到底足らないようです。期限付きで各地へ貸出しならよろしいですか?
同感
C62-3号機 試作も兼ねた先行量産機4両のうちの1台、今も3号機も含め初期生産が3台も残ってるのは生産台数が少ない割には奇跡でしょう。それだけC62が人気あるからでしょうが不運なのは4号機、事故後すでにC62は余剰だからと修理されず廃車…実はC62って鉄道ファンが思ってるほど現場では評判よくなかったのかもと思ってしまいます。そうあくまでもC59を補う存在でしかなかったってことです…
Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。そういえば4号機ってありましたね。
C59を作り続けても良かったでしょうね。その後C60に改造出来たわけですから。でもストーカーが付かないので、労働環境が拙かったでしょう。C59の特急つばめもC62と同じ時間で走っていたので、力不足はないでしょうね。
@@Yukkuri-Lab
C59は戦後型だけでも100両近く生産予定でしたから国鉄としては必要十分な性能だと思ってたのでしょう。C60に改造されたのは燃焼室の無い戦前型が中心で、問題の多い戦前型を幹線運用から外したい意図もあったのでしょう。
戦後型のC59とC62なら石炭事情が改善されてるなら案外甲乙つけがたい面がありそうですよ…
戦後にC57とC59を増産していたらGHQから待ったがかかり中断。機関車が不足していたので改造という名目で説得してC61とC62を製造、C57とC59の動輪が生産中止のため宙に浮いていたのでメーカー救済のためにC61とC62に使用した。
平機関区ではC62はでかすぎて扱いにくくC61の方が運転しやすかったらしいです。
今となってはC62唯一の生き残りが京都鉄道博物館内で動いているスチーム号になっている2号機だけなんだよな…
もう無理だと踏ん切り付けたなら梅小路の京都に譲渡してしまえばよかったものの
ご視聴いただき有難うございます。JR北はよく真意が分からないのですが、どうしても手放したく無い様なのです。理由を明らかにして欲しいものです。
JR東日本は、C62 3を購入しようとしましたが、JR北海道に断られてしまいましたね。
久保さん、ご視聴頂きありがとうございます。
JR北は東がストーカ取り外すとか、使用圧力を下げるとか条件が気に入らなかったとか聞きますが、本当のところはわかりません。
C623号機は、昭和31年の東海道線全線電化開業前に先行して、宮原機関区から小樽築港機関区に転属して、函館本線山線での急行列車牽引に従事した。その後、C622号機など10両が小樽築港機関区に転属して、本格的に函館本線山線での急行列車牽引が始まった。
最初は、函館ー札幌ー旭川ー網走間の急行大雪と函館ー札幌間の急行ていね、後の急行ニセコ。
最後は、C622号機梅小路機関区里帰り記念三重連さよなら急行ニセコ号で運行終了。小樽鉄道記念館に静態保存されたが、
昭和61年10月に、動態復元を目指して、昭和62年3月31日のさよなら国鉄北海道イベントで復活の狼煙を上げて、本格的な動態復元作業が開始。昭和63年4月29日にSLニセコ号として、小樽ー倶知安間で復活。翌年にはニセコに達した。
しかし、資金難で平成生まれ7年10月31日の運行を最後に運行終了。
苗穂工場で静態保存されてしまった。
ご視聴頂きありがとうございます。
素晴らしいまとめ方ですね。北海道に行ったのは七輌で、後で二輌ですから合計九輌です。
最初はていねではなく、まりもです。
大坂孝幸様
東海道本線全線電化当時、2号機は大阪は宮原機関区所属、3号機は梅小路機関区所属でした。2号機の里帰り先は宮原区になります。3号機はC62の函館本線移動のトップで渡道しております。
他の機関区から集めた機関車ばかりの梅小路蒸気機関車館に1両くらい梅小路機関区所属経験ありの蒸機がいても良いのでは・・・と思います。3号機は梅小路蒸気機関車館に帰してもらいたい。
自分はやっぱりC62 3のスポンサーの話になるとハドソンソフトを思い出します。
社名の由来にもなったC62に思い入れが有ったのでしょうね。
(当時のゲームソフト「桃太郎電鉄」のTVCMにもC62が出てました)
そのハドソンも今は無く…
ご視聴頂きありがとうございます。ハドソンはとても強いサポーターだったのですが、フジテレビが降りたことが引き金になったというお話も伺いました。
もっと調査して動画にまとめたいと思っています。
JR北海道は、C623号機を運行させられないのは、かなりの赤字を出してしまっており、函館本線山線も廃止、バス転換が決まってしまった。
C623号機は、もう苗穂工場からC622号機が待つJR西日本梅小路運転区に持って行って、京都鉄道博物館に保存出来たら良い。
もちろん、動態復元作業を行って。
いつもご視聴頂きありがとうございます。
いやー、西にはC62はいっぱいありますから、ここは尾久に保存してもらって、構内運転で集客が現実的だと思いますがいかがでしょうか。
@@Yukkuri-Lab それなら、大宮鉄道博物館所有で:尾久運転区配置でどうでしょうか。
最高ですね!
JR九州であれば、他の機関車をレストアする財源も数年かければ十分確保出来る可能性がありそうな気もしますが、C62の車重だと走らせる路線が今はもう無さそうですね…。C62の苦手な高い勾配や、カーブした路線多いですし。
大分県にあるC55も結局そんなこんなで白紙になりましたしね。
どこかの大金持ちの鉄道好きなRUclipsrなり企業家が資金提供とかしてくれたら復活まではなんとかなりそうですが。うーん(´-`)
ご視聴頂きありがとうございます。そしてC62の事を考えていただきうれしいです。
私はC62の穴場としては常磐線じゃないかなと思います。仙台~平(いわき)片道でも良いです。
どちらもターンテーブルないですからね。復興支援にもなりますし。首都圏からも乗りに行くお客さんは多いのでは?それがだめなら尾久の操車場で保管し広い構内を週末走らせお金を取るとか。
JR北の手におえる代物ではないでしょう。
@@Yukkuri-Lab さん
とんでもありません!
この動画を拝見されている方々からしたらニワカでしかない人間ですが。。笑
「ファンからの大きな声もないしこのまま黙っとこう」とも見えてきます。
資金提供をできる財力がなくとも、蒸気機関車という貴重な財産を愛好している人達がいるからこそ廃棄せず残してると思っていたいです。
だから少しでも良いから放置している理由を教えて欲しいですね。
はい、JR北は説明責任があると思います。それを聞かないと次のアクションが考えられませんものね。
How unfortunate that they scraped to many of the class probably because they’re broke
Indeed
失礼します。
苗穂に静態保存されていることは聞いておりましたが、このような理由でしたか。
北はプライドのみで保存していても宝の持ち腐れです。もう今の経営状態では運用できるところへ譲渡するのがよろしいのではないかと思いました。
JRとは関係ありませんけど、小樽の鉄道車両の保存状態は酷いですね。保存している以上はなんとかならんものかと思います。車両群が痛々しいです。
ご視聴、コメントいただき有難うございます。JR北もいつかなんとかしようとは思っているとは思いますが、ずるずると20数年経ってしまっています。先送り先送りでこうなっているのですね。その間修復技術も廃れているでしょう。C11もまともに治せないくらいですから。
こいうことにならないように、最初の計画通りに扇型庫+3号機の動態保管(営業運転想定なし)でやっていくべきだったというのが動画の言いたかったことです。もちろんJRだけが悪いわけではなく、鉄文協も先を読む力と努力が不足していたし、景気の悪化もあります。それならば、JR他のグループに頭下げて引き取ってもらうのが最善の策でありましょう。
結局は[地獄の沙汰]も何とか出来そうな[先立つもの]次第…当時年収350万円=今は200万円未満=に満たなかったオレがそれこそ[清水の舞台から飛び降りる]覚悟で3口9万円寄付したが…結局1度も現車を見ることは叶わなかった(運行日には仕事の繁忙期。身内の結婚式でも休暇申請ハフ可能な職場環境では逢いに行く為の休暇なんて不可能だった)。
現役当時そのままの姿で…のConcept自体は良かったし客車も往時のものだったから尚更現役時代を彷彿とさせてくれていたが…発足当初は所謂バブル景気で世の中浮かれていたけど程なく其れが弾け早速資金繰りが苦しくなって仕舞った。
運営主催者側の組織がきちんと機能していなかったのが最大の原因だろうね。
更に加え組織の上層部にとんでもないScandalがあったのはいただけなかった(銃刀法違反で逮捕された為その人物を強制除名した旨会報に載っていた)。
C62は生まれて初めて接した蒸機であり、物心付くか付かないかの頃に世話になったカマ。そして1~4号機は地元日立笠戸工場の生まれとあっては愛着も思い入れもあるカマだけに動態復活は切に願うが現状ではほぼ夢物語だね…orz
閑話休題以下余談
考えてみれば日立製の1~4号機の内3両が在姿ってのは或る意味凄い(4号機は不幸にも踏切事故で[殉職]、一族最初の廃車となってしまった)。築港メンバー中最も調子の良かった32号機が検査期限で墜ちるとなった時現場では…調子の良くない2号機とナンバー付け替えて残そうか?…って意見すらあった由。最後の2・3・15・16の中ではハの字エプロン埋込みTailRightを残した15号機が実は個人的には一推し(広島工場担当蒸機の標準仕様でガキの頃はこれが標準仕様だと思い込んでいた)だった(^^);
ご視聴頂きありがとうございます。頂いたコメント実に心に染みます。罪なことをした活動だったということを総括したうえで、次の3号機のあるべき姿を見つけていくのが今のファンの役目でしょう。今回の動画で多くの方々に見て頂き、問題点を考えて頂き、このままでいいのかを少しでも提起できたことは良かったです。
かならず営業運転はできなくとも復活すると思います。今後10年かかったとしても。私はC62ならすべて好きなのですが、3号機はナンバープレートの位置が低いので可愛い顔していて好きです。
2:11 9633に会ったことがあります。追分の機関区だったでしょうか。とても懐かしいです。
ご視聴いただきありがとうございます。9633ですが戦時中に小樽築港にやってきてから梅小路に行くまでずっと入換機でした。ですからご覧になったのは小樽であろうと思います。
私の案ですがC62 3号機を空気機関車に改造して苗穂工場内で走らせる保存運転が一番復活できやすいと思っています。あのC62が急加速して走る姿を見たいです。
なんなら私は将来C62 3を復活するプロジェクトを立ち上げてそのスポンサーになってC62 3をまた走らせたいという目標を掲げるぐらいC62 3を復活させたいです。
ご視聴頂きありがとうございます。勇ましいご提言で感激です。
圧縮空気でも良いですが、先週アップした動画のタイのテンダーに置いた最新式ボイラーによる復元もありでしょうし。牽引力が圧倒的に違います。
個人(法人)が所有してJRに運行を委託するような英国のような仕組みが、日本では許されていないようなのですが、路線と限定するなどしていくらでもやろうと思えばできるはずですよね。
C11とD51ばかりではあまりにお粗末です。
@@Yukkuri-Lab 日本は新設ボイラーは法律で禁止されていますしそういうのにほんとに厳しくて後継者もどんどん減っていく一方なのでますます日本の蒸気機関車の保存が危ういです。
移動式のボイラーが禁止だったですよね。でも法律ですから変えられますよ。
まだまだ盛り上がりが少ないということなのでしょうね。鉄道ファンは昨今肩身が狭いし逆風っですね。
@@Yukkuri-Lab その肝心の法律を変える余裕と気力がないんですよね、コロナ対応のせいで…
動態保存して欲しいですね。
ご視聴頂きありがとうございます。本当にそうですよね。圧縮空気からはじめてもよいですから、そろそろ明るい見通しを示していただきたいし、JR北の義務でしょう。
願わくは、3号機を苗穂から梅小路(京都鉄道博物館)に移送して1、2、3連番で揃えて欲しいです。
京都なら持病の軸焼けトラブルも解消されるはずですし、ボイラーも営業運転のために新調されていますから、動態保存は可能なはずです。
ご視聴頂きありがとうございます。いやー勘弁してください。関東・東北に欲しいです。上野の尾久がベストですね。普段は人目に触れさせず、構内運転だけで入場料一回20000円でどうでしょう。設備投資すぐに元が取れるはずです。震災復興のために常磐線沿いの駅に出張も良いですね。
新幹線維持する資金がって有る訳出し腐らせないで復活差せて欲しい😵
ご視聴頂きありがとうございます。腐らせないという条件は大前提ですね。静態保存なんてことになったら大変ですよね。
JR西日本に譲渡したら?どうでしょうか?2号、3号の共演出来るし、梅小路も、山口線での使用も?
ご視聴頂きありがとうございす。西にC62が集結してそれはずるいですね!
JR東日本の尾久運転区に持って行って良い。
JR西日本のC62が梅小路に集結している件ですが 1号機は広島の鉄道学園に 26号機は鉄道科学館に
あってそこが閉鎖になって何処かに移さないといけなくなったのでですが巨体なので梅小路に移設したそうです つやまの博物館が他にあるのですがターンテーブルがC62に対応していないのでD51-2号機が
そっちに行きました。 3号機をもし復活させるのでしたらボイラーを大阪のサッパボイラーで
修理してもらい、梅小路の修理工場で修理してもらうしかないとおもいます 設計図、修理用工具
は現在ここにしかなく 苗穂工場にあったぶんは処分されて修理できないとおもいます。
2号機はここに道具等があるお陰で動態運転ができます 道具は鷹取工場が閉鎖のとき移設したと
ニュースで紹介されてました。 JR東はC62修理できる設備がなくD51までしかできる設備がない
のでC61を復元したともありました。
@尼崎のまさ 様 返信遅れて申し訳ありません。詳細な情報を頂きありがとうございます。西にC62が集まってというのは関東の人間のたわごとと聞き流してください。現実にC62-3が動くことが目的ですから。同じ日本ならば数時間以内にどこでも見に行けますものね。
ゆっくりなんでも見ていって研究所さん返信ありがとうございます。
C62-3号機ですが前の復活運転のときボイラーの修理をサッパボイラーに頼んで
修理してました。大井川鐵道のC11は小型機でボイラーの修理は地元の工場で
修理できるのですが中型機以上のクラスに成ると現在ここでしか修理できないそうです。
大井川鐵道以外の会社のSLは全てここで修理してます、2号機のボイラーの水漏れとか
もここで修理してます 梅小路の修理設備ですがC62を持ち上げられるクレーン、C62の
消耗部品等を作る旋盤装置など鷹取工場から移設機械などがあり設計図も持っているので
2号機の動態運転ができる様になっています。昔はどこの工場にもあったのですが
苗穂工場は工具を廃棄してると思いますし、JR東にはC62クラスの部品が作れる旋盤装置が
ないとおもいます。 だから3号機を復活させるにには梅小路の修理設備に持ってきて
直してもらうしかないと思いますがどうですか。
蒸気機関車の動態保存の難しいところは、費用の他に当時の工具等所持してるところです。
個人的には売れるときに東日本に売れるうちに売って債務圧縮すればいいのにと思いますが・・
いつもご視聴頂きありがとうございます。2度も断られたとか。今となってはJR東はお金ないので、無理な話でしょう。C58と交換するとか。ファンに怒られますね。
動かすのは無理でしょう。カマの修理点検、合格しないとならない。お金が莫大にかかるし、修理できる機関区はわずか。部品製造とか時間もかかる。圧力検査に耐える耐久力があるか。足回りも検査がいる。動いていないピストンの修繕なくして動けない。仮にすべて実現できたら1回だけの走行はあり得ない。何回もイベントで走らせないと。北の大地ならできるだろうが、お客さんが来るか?実現は北海道では難しい。
ご視聴いただき有難うございます。夢を語らなければ、北海道での復元はJR北はお金は無いし、スポンサーも無いでしょう。
しかし梅小路の2号機の様に構内運転に限れば可能かと。苗穂の広い校内で有料で撮影会(一人2万円とか)を定期的に開催すれば元は取れるし、将来の希望にもつながると思っています。稼働させないことが良くないなぁと思っています。
3号機は渡道したということは不調機だったのかな。梅小路の動体保存候補は当初は1番機だったが2番機の人気の影に隠れてしまい、選にもれたが小郡から広島と渡り、最後は梅小路にやってきた。もし1番機が始めから梅小路に入っていたら2番機が北海道に保存されて3番機は解体、なんて事もあったかも知れない。他の一桁ナンバーは比較的早くに廃車になっているので試作機として作られた3両は強運の持ち主か
SKTさん、ご視聴いただき有難うございます。3号機はずっと梅小路でしたので、特急つばめや鳩の運用は定期にはなかったと理解してます。梅小路のC62がいまいちなのを集めたのかどうかはわかりません。個人的には1号機が動態で残っているという条件で1号機が梅小路で保存され、2号機は3号機と一緒にそのままの姿で残って欲しかったです。
最初に渡道したC62は3号機との事。色々試験走行が行われて線路への負荷が如何程かを調べて問題なしという事で追加投入された。3番機は本州時代にかもめを牽引している写真を見た。広島までのロングラン後別のC62と付け替えでいたがヘッドマークのデザインが違っていた
SKTさん、かもめは京都からなのでC59と一緒に3号機が牽引したことでしょう。
2と3を比べるのなら2の方が調子は悪かったみたいで燕マークがついてたから生き残った様なもの、北海道で常に2号が先頭に立ってたのは運行区間を短くするためだと聞いた事がある。品川で展示のための改装で軸受が痛んでいるので2号は本線走行は不可だそうです。
SLいいですよね☺️動態保存でお金がかかるから!!と言うのは1企業でやろうとするから駄目なんだと思う!!今の時代はクラウドファンディングと言う便利な制度があるのでそれを利用したり、1企業で駄目なら沢山の企業が力を合わせて運営していくしかないと思う!!廃車·静態保存は無しで!!線路は北海道から九州南部まで繋がっているんです。日本縦断イベントやって欲しいですね☺️
ご視聴頂きありがとうございます。クラファンですよねぇ。JRの安全運航規程をクリアさせたり、機関士の育成まで金を出すようにまでしないとなぁとか等々考えたら、企画・運営だけで一企業みたいな組織になりますし、ネガティブなことだらけです。ですから主要な機関車は国有化だと思っています。国立の鉄道博物館として保存・運営してもらい、その営業運転の時はJRに線路借りるというのがあるべき姿だと思っています。C62-3で我々は様々学びましたから、同じことを繰り返すのではなく反面教師としてベターな状況を作れると思います。
最後は、車検代金一億が工面できず、7年のニセコ牽引は無くなった!とも
言われている!
ご視聴いただき有難うございます。その通りです。ゲームメーカーのサポートが受けられないことで、全般検査の費用がない事、次年度の運航経費が捻出できなかったのです。
将来C62 3を空気機関車で復活させる夢をもっているけどできるかな…?
保存状態はかなり良いと思うし…
走らせるのなら廃止される函館本線や岩見沢から苫小牧間の室蘭本線、富良野線、廃止された日高本線とかで走らせたいな…
asechanさん、ご視聴頂きありがとうございます。
圧縮空気は機関車を動かせるだけの力しかないので、本線走るためには、タイのミカドの説明にあるような産業用ボイラーを乗せる必要があります。でも日本は動くものに蒸気ボイラーを新たに乗せることできないんですよ。
@@Yukkuri-Lab そうですよね…
日本は法律に本当に厳しい国ですからね…
新しいボイラーが作れないのならそれは今もなお動態保存している蒸気機関車に余命宣告を与えているようなもんですよ…
鉄道遺産の一つでもある蒸気機関車を後世に伝えるのなら尚更矛盾していることをしていると私は思っています…
なので後世に伝えるのならやっぱり直接走っている姿を間近で見ないといけません…
空気機関車も動態保存の方法の一つとして本格的に考えてみたらどうなのかなと思います…
静態保存機はそれはそれで意義あるのですけど、足回りが塗装してあるのが苦手で見に行く気になれないです。空気でも動けば、足回りは現役機種のものでとても興味がわきます。(真岡のD51や9600です。大田区のC57-66もそうですね)
@@Yukkuri-Lab でも一部の静態保存機では手入れされずにどんどん錆びてしまう姿を見ると胸が痛くなりますね…
問題はシリンダーが無事なら動けるですよね…
私は廃止された線路を活用して空気機関車の運転体験で後世の人に伝えたいと思うのですがどうですかね…
鉄は結局土に還ってしまいますからね。確かにシリンダーが動けば大丈夫でしょうね。後は車台かな。崇高なお考えには賛同いたします。
C 62 3号機の蒸気機関車の復活際には、京都鉄道博物館への無償譲渡を。
ご覧いただきありがとうございます。西日本にC62が集まってしまうのはちょっと悲しいです。
私は尾久機関区に保存して構内で運転して欲しいと願っています。
上野ー大宮間の大宮鉄道博物館所有で、尾久運転区配置で動態復元されると良い。
自分的には東武で南栗橋~日光間あたりで走らせろよと思っていましたが、
この動画でそれがまず無理と分かり残念な次第です
大体SLなんて関東圏の人はパレオやみなかみ号で乗り慣れているし
機関車もThe,SLな風体のC58,57やC61,D51なのに今時あんなタンク機をちょこっと走らせて
どうするのてな感じです、どうせ走らすなら最強のSLC62-3でも走らせんかいてな思いでした。
こいつをレストアして更に走らせる為インフラ整備を行うのなら快速潰す価値はあったんですけどね
ご視聴頂きありがとうございます。かなりの部分おっしゃるところに同意します。C11ですよね… もちろん無いよりずっと良いのですが、C11を三台よりC62一台の方が100倍良いというのはファンの勝手な想いで勘弁ください。
c62って今のJRからしたら維持費用ヤバそうだよね。
ご視聴いただき、コメントもいただき有難うございます。C11よりは金はかかるでしょうね。でも苗穂の構内を走らせている程度なら参観費をとればペイするのでは?と思っています。
@@Yukkuri-Lab てかなんか東が復活する蒸気の一つの候補に上がったらしいですね。
北海道に比べて資金がある東に譲渡すれば良かったのに今の北海道じゃ宝の持ち腐れよ。
はい、おっしゃる通り2回東が北に頼んだ様ですね。東はストーカー廃止、ボイラー圧力下げる条件を出して、北がNGを出したとか。3号機にはあれこれ思い入れがあるのか、将来なんとかするのか分かりませんが、公式に考え方を発表すべきですよね。
@@Yukkuri-Lab
東はc61の復活の際にストーカ外してましたしね。現代の技術で整備性の悪さを改良して欲しかった所です。
ストーカーのメーカーは今のダイハツですね。他にあったのか存じませんが。この時勢では是非作りたいと申し出てくれるとは思えないですから無理でしょうね。
金がかかりすぎたんだよね。当時で3億だっけ?ボイラーの法律が変わって現役当時の構造では認可
されなくなたのもなぁ。今の構造じゃ傷むの早いし。苗穂に保管されているもののまた大修理が必要とか。
それでも復活当時はちまちま火入れてた2号機よりよっぽど状態良かったらしいけど。東日本に貸し出しとけば
今頃元気に走り回ってたかな。
ご視聴頂きありがとうございます。その通りですね。東日本だったらきっと有意義に使ったことでしょうね。水戸や平の常磐仕様に戻して、復興の先駆者として多くのお客さんを呼び込んだかもしれません。でも現実は苗穂で眠り続けさせていた。
まぁC11も修理できないぐらいですから、C62なんてとても手に負えない状況になっているのでしょうか。
@@Yukkuri-Lab 復活運転当時に何度か乗りに行ってました。小樽駅で見る生の迫力は
他のSLとは全く違ってましたね。平日は結構空席目立ってましたから正直7年はよく頑張った方だと思いますよ。
資金集めもギリギリだったろうし、手宮線の線路撤去寸前に引っ張り出したって感じでしたよね。苗穂の技術も
設備もあの辺りがタイムリミットだったように思います。
私は動画でも言いましたが、営業運転はやるべきではなく扇形庫を中心としたC62の機関車保守技術を継承できる場として生かしてほしかったです。
函館山線も、廃線に。
ご視聴頂きありがとうございます。
本当に北海道の鉄道の凋落も行くとこまで行っちゃったと思いますね。
@@Yukkuri-Lab 何とか、存続できなかったのかと思う。池北線は、一度は三セクに移行しただけに残念でならない。🚂迂回路としての役割が、あると思う。
廃線になると線路も設備も一式と壊され、一部は廃墟巡りやオカルトスポット等で一時はもてはやされるでしょうが、国土の安全保障上本線級は営業運転せずに国有にして最低限の設備と保線はやるべきだと思います。
@@Yukkuri-Lab 余市町は、最後まで存続したかったんですね❗陸別町も最後まで存続したかったから。🚂重ってみえる。
確かスキー客の利便性が高かったとか。そういえばスキー人口も激減していますね。オーストラリアからのスキー客が多かったり中国からのお客さんが多いのですが、今日本は海外観光客をシャットダウンしていますからね。今後も簡単ではないでしょう。
もし これを
生かすなら
JR東に無償貸出
かな
ご視聴頂きありがとうございます。JR北でもいいですから苗穂の構内を運転させてほしいです。おそらくもう営業運転はダメでしょうから。
三位一体に、なりきれなかったんですね❗末期の頃、鉄道文化協議会に入会していました。理想と現実は、程遠かった。
ご視聴いただき有難うございます。まさにおっしゃる言葉はとても適切ですね。鉄文協の会員でいらしたのですね。今回の動画を作るにあたり会員の方とお話ししましたが、やはり私の考えていたことと同じでした。
当初は、東京で展示という構想もあったらしいですね‼️個人的には、東京よりも沖縄で展示したかったですね‼️沖縄の子たちにC62の姿を間近で見せてあげたかった。🚂
沖縄のD51のちょっと悲しい姿を見ると、永久保存ではなく、地方を回って展示会(以前品川に来ましたね)の様な形はどうでしょう。日本国内は列車で移送するのですが、欧州ではトレーラーに乗せて移動させるケースが多いです。私も何度か英国のハイウェイでみました。法律jで難しいならば、フェリーもあると思います。沖縄にも行けますし。集客ならそちらの利便が良いかもしれないです。
@@Yukkuri-Lab確かに、状態はひどいですね‼️あのD51が,沖縄に渡ったいきさつは心を打つものです。🚂日本に鉄道が開通して100年になったのと沖縄が日本に復帰したのを記念して。🚂当時の門司鉄道管理局が,沖縄の子たちを招待したのをきっかけに。🚂
本物の蒸気機関車が欲しいといわれて当時の国鉄が贈ったものらしいです。鉄道に関して北海道は、衰退しているけど。沖縄は、復興途上中ですね‼️
ハイフェンを取り去り、C623という表記にしませんか。
ご視聴いただきありがとうございました。C623が一般的なのでしょうか?
それでしたら、そのようにしたいと思いますが。
鉄文協幹部の金も持ち逃げ。
ご視聴いただき有難うございます。XX法違反で複数の逮捕者が出ましたね。おっしゃる噂もあった記憶があります。動画では触れていませんが。残念なことです。やはり金は集まる機関車なんでしょうね。
c62はもしかしたら、解体……?
kohki Lightningさん、ご視聴頂きありがとうございます。それは100%無いと考えます。
JR西は梅小路か津山かで動かせそうだけどSL北びわこ中止したりお金👛は無いみたいだからなぁ。(´・ω・`)
ご視聴いただき有難うございます。どこもコロナ禍とそれに続く働き方改革で移動が大きく減少していてそれは一時的なものでは無いでしょう。しかしサステイナビリティを突き詰めていけば自動車を減らし鉄道へという流れは社会の変革と共にあるはずですから、JR東はしっかり儲けてC62を北海道から引き取ってもらいたいです。西にはC62一杯いますから東にください。
本線運転用は、D51200になってしまった。🚂
途中になってしまいました。🚂西は、C571は、あの後故障して京都に戻ってどこまで修繕されているの?な?
次の修理のようですが、C61を先にするかもしれないみたいです。
そもそも主要都市間での旅客輸送を担っていた機関車が北海道に都落ちさせられること自体が私としては悲しい。早く梅小路に返してほしいです。
一時期JR東により復元される話もありましたが、どうせ東は後先考えず蒸気圧の上限の引き下げやストーカー撤去を行うことでしょう。機関車のナーフされた姿は見たくありません。
JR西日本に移るのが理想ですが、財政的に動態保存は無理でしょう。そもそも軸重が重く、どこそこ走らせられない機関車を2両も動態で保存することが現実的ではありません。
いち鉄道ファンとしては、京都でかもめのヘッドマークをつけて静態保存されるだけでも嬉しいことです。
c623を辺境の地に閉じ込めて中途半端な整備で朽ちていく姿を鉄道ファンは見ることしかできない今の状況が最悪です。遺産をまともに管理できない赤字会社に保管されるだけでは誰も笑顔にはならないはずです。
ご視聴頂きありがとうございます。都落ちということばは私にもグサッときますが、それはさておき、縁の深さでは梅小路は適切ですね。でも東北でも常磐線なら復興支援の名目もたちますし、JR東に本当は引き取ってほしいですね。でも最近蒸気運転元気が無いしお金もないようですから今は無理でしょう。C62は思われているほど軸重重くありません。上野~高崎でもターンテーブル両方にありますから一番良いのですが。とにかく火を入れて構内だけでも動く形にいい加減にやってもらいたいものです。
辺境の地? ひどい言い方。なおさら北海道から出したくなりました。
@ゆっくりなんでも見ていってね研究所
そういえば常磐線はC62牽引のゆうづるが走っていた線路でしたね。
梅小路にC623が来ると十文字ハンドルにされそうですね。C623にはなんとなく一文字ハンドル以外は合わないと思うので、そういった面でもJR東日本は適切ですね。
もしJR東日本が今からc623を再び動態にすると仮定した場合、C6120やD51498のように最大蒸気圧の引き下げ、またはメカニカルストーカーの撤去を行うような気がします。(空転が多くなった反省でオリジナルを維持する可能性はありますが)
蒸気機関車の整備は電車・気動車に比べ手間がかかり、できるだけ労力を減らそうということでかかる措置をとったことが推測されますが、こういったことを考えるとJR東日本はなんとなくビジネスライクというか、なんかロマンがないというか…
そうなんですよね。JR東は人事異動でもあって積極的に蒸気を動かそうというプロモーターがいなくなったのかわかりませんが、コロナで酷い目にあっているとは言え全く消極的になってしまいました。そもそもC62-3を譲ってくれ、でもストーカー無しと蒸気圧を下げるのが条件とJR北に申し入れてNGを食らったと聞いています。最近整備されたJR西のD51-200は正規の蒸気圧15kg/cm2で運用していますので、それほど違いがあるのかなぁ?と思っています。
十文字ハンドルは何回か動画でもアピールしたのですが、私は北海道のC62には勘弁してもらいたいです。もちろん常磐線にも十文字のC62はいたので、それはそれで良いのですが、2号機、3号機は北海道ですから十文字はあり得ません。
@@ラム-s7g
はくつるではなく、ゆうづるね。
あたしゃ、たまたまC62・3の運転台に乗せたことがあるwww
ご視聴頂きありがとうございます。私も北海道でC62-2号機に運転台に乗せてもらいました。
前方視界が非常に悪いのでびっくりしたのを覚えてます。石炭お土産にもらいました。
京都に来て欲しいよ
ご覧いただき有難うございます。個人的には尾久に来て欲しいです。ヤードも広いですからね。本線走らせなくても一回見学1万円でどうでしょう?
梅小路なら動態にしてC622と重連に
どうでしょうか。どのみち本線は走られないでしょうから。以前梅小路で1号機と重連で旧型客車を連結して展示していましたが、何の感傷も抱かなかったですね。
重連は函館本線の山線だから価値があったのであって、呉線や常磐線でもたまに見かけたような重連と同じだと思うからです。でもみたことがない方々には重要なのかな。勝手言って申し訳ありません。
@@Yukkuri-Lab 1万円は高いなあ。無料の場所があるんだし、鉄道博物館で2000円いかないから。躊躇しますね。1日の給料以上だから。
最近品川でELが四輌やってきてヘッドマークを取っ替え引っ替えする撮影イベントが入場料15000円で大盛況だったので、2万円でも良いかなと思っています。
電気機関車では行きませんがC62なら必ず行きます。外から見られない様にするとか。せこいですけど。
日本で1番大きくて最強の蒸気機関車なので、C62形蒸気機関車は「怪物」って1部の人から呼ばれてますね…。
尾道の、D51 422号蒸気機関車の動画を見ていただきありがとうございます。
よろしければ、時報みたいな音のする「D51 422号蒸気機関車に、ヒロの声を入れてみた(その349)」も見に来てください。
🙏お願いします。🙏
ご視聴頂きありがとうございます。C62は見たことありますでしょうか?
でっかいですよぉ。
@@Yukkuri-Lab
京都鉄道博物館で見た事があります。
扇状機関庫の外で展示されてました。
そうですか。ヒロさんは本当に機関車好きなんですね。色々お出かけになられて。
今週末はD51特集やるので見てくださいね。
@@Yukkuri-Lab
D51形蒸気機関車特集の時に、「D51形蒸気機関車は、「きかんしゃトーマス」に登場するヒロのモデル…。」と紹介してもらえると嬉しいです。
コメントに追記しておきました。今日の夜7:30に公開しますので、是非ご覧ください。
西日本に譲って復活させるといいと思います
ご視聴頂きありがとうございます。C61やC57も修理するお金が無いようですので、C62はとても無理でしょう。JRであればもっともあり得るのは東かなと思います。
@@Yukkuri-Lab 西日本って言ったのは2号機との重連が期待できるからです。無理そうで残念ですね
いや!東にはC61がありますから重連は大丈夫です。🙂