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日本語に訳したものですと限々‥歌詞も悲しげで‥心にジンと染みてくる歌でしたね😢‥
切なく、心が揺さぶられる歌声ですこの曲は、小国ラトビアが、旧ソ連など近隣諸国に侵略・蹂躙されてきたそんなラトビアの悲劇の歴史を”幸せをあげ忘れた”と表現しています”マーラ”は、ラトビア語で命や母性を表す女神の意味だそうです幼い頃のこと 悲しみが襲うと私は母の胸で 抱きしめてもらう母はやさしく笑みを浮かべ 私の耳元で囁くマーラは与えた、娘に、娘に、娘に命を与えて、与えて、与えてくれたマーラは忘れた、娘に、娘に、娘に幸せをあげ忘れた忘れて、忘れて、忘れさられたままに時が過ぎて母は この世にもういないいまは一人きり 一人で生きていく寂しさに襲われると 母の囁きをつぶやくマーラは与えた、娘に、娘に、娘に命を与えて、与えて、与えてくれたマーラは忘れた、娘に、娘に、娘に幸せをあげ忘れた忘れて、忘れて、忘れさられたままに忘却の彼方に 置き去りにしたものが突然よみがえり 私は身がすくむ 私の娘が笑みを浮かべ あの囁きを口ずさむマーラは与えた、娘に、娘に、娘に命を与えて、与えて、与えてくれたマーラは忘れた、娘に、娘に、娘に幸せをあげ忘れた忘れて、忘れて、忘れさられたままにロシアよウクライナにも再び悲劇をもたらすのか?
こんなに涙が止まらない曲は知りません。🌹
何と言う深い哀しみに満ちた曲だろう年端も行かぬ少女がすでにじぶんの人生を諦めているソ連の圧政がどのようなものであったか、歴史を詳しく知っている人がこの曲を聞いたらかなしみを覚えるより、衝撃を受けるはずだここに歌われていることがすでに過去のものになり、ラトビアの人々が幸せに暮らしていることを心から祈っている
異国の地の歌なのに!このメロディを聴いていただけで自然と涙が出る年のせいもあるかもしれないが!切ない歌だな〜
マーラさんの歌声聞いていると、青春のころの思い出が、読みがいります、ずっと素敵な歌声キープしてね
言葉は分からなくても、いい曲、いい歌手はわかります。
とても素敵な心に沁みる名曲です!原曲の素朴なメロディが大変印象的です!
なぜこのメロディは日本人の心をくすぐるのだろうしらずしらずに泪がでてくる
素晴らしい‼️
加藤登紀子さんの歌と原曲では歌詞が全く別物ですね❗️ でもどちらにしても素晴らしいメロディが心を揺さぶる名曲で有ることには変わり無いと思います❤
好きです。1か月に2~5回聴いています。
感動した!本当に心に沁みる最高の歌声です。天使の顔が映し出された時は自然と泪が出てきた。
今からでも、幸せを上げる亊は出来ませんか!素晴らしい唄を有難うございました。考えさせられました、
ラトビアの歌とは知りませんでした~有難うございます
すてきナイスグループ❗素朴で優しい
「マリアは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」なんとも優しい声ですね。
yzxuvw a beautiful video and a wonderful song, great shared my friend
坂田眞澄さんそうですね。子供がまた可愛らしいですね。原曲がこの様な詩とは知りませんでしたが、このメロディーと詩(日本向けも含んでですが)を、思い浮かべながら聴いてると何だか涙が出てくるんですよね 。歳なのか、元々涙もろいのか。まぁ、ドラマ見てもすぐ涙出てくるのは元々からなんですけど。。w
坂田眞澄さんいや...w んなもん分かる訳ないですwそうでは無くて、原曲で日本語で歌ってるのが有りますので、それで分かりましたよ。
替歌の『百万本のバラ』も良い曲だけど元歌の『マーラ(女神)が与えた人生』も良い。強国の間で翻弄されて来た弱小民族の哀しみが胸を打つ。
ソ連支配下のバルト三国の1つラトビアの曲ですね。ソ連人がラトビア語は分からないけどいい曲だからソ連でも歌いたいと言ってできたのがロシア語の歌詞のついた100万本のバラ。こっちは悲恋ですが、原曲の日本語訳は悲惨です。内戦だったりソ連だったりドイツだったり色々な国に支配された歴史を嘆いた曲。マーラ(神様)は命を与えてくれたけど幸せは与えてくれなかったと言う内容。物悲しくて当然。でも心を打つ名曲。加藤登紀子も当然この事を知っておりラトビアでのコンサートで原曲を歌ったそうです。全部加藤登紀子がラジオで教えてくれました。
マーラは神なのか。
Up、有難うございます。
ラトビアの国でしたか。 歌手の名前知りたいですね。ロシアのブガチョワも素敵に歌っています、ある人に似ていて胸が締め付けられます。
最高😃⤴️⤴️の歌
この動画はラトビア原曲のDāvāja, dāvāja、マーラが与えた命(人生)。動画の歌詞に赤いバラの単語は一切無い。赤いバラは社会主義、共産主義の赤い思想を象徴。ソ連はラトビアの曲の歌詞をバラの変な歌詞に変え、赤い思想のプロパガンダ曲に変えた。ラトビア原曲は社会主義、共産主義、ソ連を非難、抵抗運動の歌。ラトビアの神話の女神マーラ、母、娘、命、幸せ、与えた、忘れた等のラトビア語の歌詞が繰り返され、命を与えたが幸せを与え忘れたと女性が嘆いている。百万本、赤いバラ、若者の単語は一切無いのに、ソ連の赤い思想の異常者や反日の者が今も相変わらず嘘をつき騙している。ロシア語版を歌う者、好む者はソ連ロシアの異常者の仲間で要注意。ラトビア原曲の歌詞を調べよ。ラトビアの歴史を知れ。それを知れば、ラトビアの度重なる大国の侵略と支配と云う不幸でラトビアの人々が幸せでは無い状況を嘆き、それに変化を起こし、真の幸せをもたらす抵抗運動の曲と認識する。
ロシアに弾圧されたラトヴィア国の悲しい歴史を物語る歌なんですね!・・・・・男女の浮かれた歌と思っていた自分が恥ずべき事だったのですね!!!
ソ連を単純に「ロシア」と見なして、「ラトヴィア人vsロシア人」という図式を描こうとしているが、それはあまりにも一面的なとらえ方だ。ソ連時代のラトヴィアには、「ソヴィエト体制から抑圧を受けるラトヴィア人」もいれば、「ソヴィエト体制と結び付いてそこから利益を享受するラトヴィア人」もいたことを忘れてはならない。『マーラが与えた人生』の作詞者レオン・ブリエディスは「ソヴィエト体制から抑圧を受けるラトヴィア人」であっただろうが、作曲者ライモンズ・パウルスは「ソ連時代のラトヴィア共和国最高会議民族教育・科学・文化委員会」に所属しており(1985年~)、ソヴィエト体制から利益を享受する面もあったことを見逃してはならない。実際、ラトヴィア人は、ソ連構成民族のなかでは、ソヴィエト体制のエリートを比較的多く輩出している{例:ヤン・ルズターク(1887-1938年)、ヴィクトル・アルクスニス(1950年-)、ボリス・プーゴ(1937-91年)など}。他方で、ソヴィエト体制から禁書扱いされた『収容所群島』(1973-75年)を書いたソルジェニーツィン(1918-2008年)のように、ロシア人のなかにも反ソヴィエト的姿勢をとった人物がいたことを忘れてはならない(ちなみに、ソルジェニーツィンの『収容所群島』の出版解禁に向けて活動したのが、『百万本のバラ』の作詞者ヴォズネセンスキー(1933-2010年)である)。
小野寺毅憲 幸せを求め続ける人は、世界中にいて、普遍的なものです。それを素朴に何世代も歌い続けることが、素晴らしいと思います。でも、焦りは、禁物、「百万本の薔薇」を買っても悲しくなるだけです。小さな幸せは、自分で探せばあるものです。CCCP、Latvia、ジョージア(グルジア)などの国々とは、別個に考えてください。音楽だからです。
林英昭 「小さな幸せは、自分で探せばある」というのなら、神に向かって「マーラは娘(ラトヴィア)に幸せをあげ忘れた」などと文句を垂れるのは、もってのほかだな。それに、「素朴に何世代も歌い続ける」だけで、「幸せを探す」ための実際の行動に出ないのも問題だろう。『百万本のバラ』では、画家ピロスマニ(1862-1918年)は、女優マルガリータとの恋愛を成就させるという「大きな幸せ」こそ得られなかったが、歌詞に「しかし、彼の人生には広場いっぱいの花があった(ロシア語原詞の直訳)」とあるように、「小さな幸せ」は得ることができたのだろう。また、大量のバラを買うことで、花屋には金を与え、女優には一時の幻想的な光景を与えるなどして、他人には確実に「幸せ」をもたらしている。人生では、ときに、わずかな可能性に全てを賭けるような大きな決断を迫られる場面もある。大バクチを打つ気概がなければ、「小さな幸せ」すら得られない場合もある。神に向かって「自分たちに幸せをあげ忘れた」などと文句を垂れるヒマがあったら、「幸せ」を探す・作るための行動に出た方が良いのではないか?
ラトビアの歌だったのか・・・すると10万とか20万とも伝えられるソ連に強制拉致され兵士として督戦隊に押し出され戦場で殺された息子や娘を想う歌・・・なのかな?マーラは命を与えたが生存手段は無理だった・・・帰還無理・・帰還無理・・帰還無理。胸を裂く銃弾、100万のバラ。
とんでもない。貴方のせいではない。
歌詞の転載です。1.子供のころ泣かされると 母に寄り添って なぐさめてもらった そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」 2.時が経って、もう母はいない 今は一人で生きなくてはならない 母を思いだして寂しさに駆られると 同じ事を一人つぶやく私がいる 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」 3.そんなことすっかり忘れていたけど ある日突然驚いた 今度は私の娘が 笑みを浮かべて口ずさんでいる 「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」 ・・・・・・・・・・・とてもせつない、歴史の深淵です。
こんな意味のある歌詞だったのですね。悲しいけれど、良い歌ですよね。
私たしも、母親だけどなかなかこれが幸せよとは言えないものね。やはり幸せは本人の価値観から生まれるものかも。
マーラは、優しいお母さんだったと、娘さんは、知っているから、娘さんは、強く逞しく優しく生きて生き、必ずに幸せになって欲しいもの。マーラさんが、幸せに出来なかった娘さんは、成長するに連れ、周りの人たちに幸せにしていく女性ともなっているはず。戦争で、家族を亡くしたり、拉致をされて、親子が引き離されたり、世の中には、不条理な哀しみもいっぱい。今 私は、自分自身が出来る事を精一杯に頑張り、誰かに傘を差し出す事の出来る大人にならねば。
生きて生きは間違いで、生きていきです。
tomio shigemitsu さん私も同じです。Manabu Yasudokaさん御詳しい私もマーラの元歌に感動します。
原曲のはやはりええですね!歌手もいいけど!
私が初めてこの歌を聴いたのは、1981年か82年頃、NHKテレビ「ロシア語講座」の今月の歌コーナーでした。もちろん、「ソ連の歌」として聴いたのですね。当時のソ連で大人気だったアラ・プガチョワの歌としてだったでしょうか。この歌がラトビアの歌だとは知らなかったけど、確かに作曲の「パウルス」という名前はロシア人っぽくない。そしてプガチョワが歌ったロシア語の歌詞は、グルジア(今度から「ジョージア」と呼ぶそうですが)の画家のエピソードだとか。良くも悪くも「ソ連の歌」ですね。それにしても、このような歌を発掘してすぐに日本に紹介したNHK「ロシア語講座」スタッフの情報力、今から考えると実に侮れないと思います。
Chernoaist2 私も見てました。切ないメロディーが今でも懐かしく記憶にあります。
それは100万本のバラの方ですね。
いいですね、本当に。>
幸せって、100万本のバラでもってしても得られない事があるんですよ、と詠っているようです。幸せは他人や、社会じゃなく、自分の心が決めるモノなんです・・・。私はこの歌曲からそう感じました。
私もそう思います。自分の心が決めるからたとえ幸せでも人に見えにくいことも。声も出さずかみしめることも。不思議ですよね。この歌の美しさと悲しみは必ずしも嘆きでもないような。
全く違う。あなたは無知で酷い。この動画にバラの歌詞は全く無い。これはラトビアが原曲。ソ連に対する抵抗曲。ソ連は歌詞をすり替え、ロシア民謡に誤解させ変な赤いバラの歌にした。なぜか?赤いバラは赤い思想の事。無神論人民奴隷の社会主義、共産主義の極悪非道で劣悪な赤い思想の宣伝曲。無知で愚か、酷過ぎる。
@@鴨井久美子 騙されない様に。この動画の歌詞に赤いバラの単語は一切無い。赤いバラは社会主義、共産主義の赤い思想を象徴している。ソ連はラトビアの曲の歌詞をバラの変な歌詞に変え、赤い思想のプロパガンダ曲に変えた。この動画はラトビア原曲のDāvāja, dāvāja、マーラが与えた命(人生)。社会主義、共産主義、ソ連を非難し、抵抗する歌。ラトビアの神話の女神マーラ、母、娘、命、幸せ、与えた、忘れた等のラトビア語の歌詞が繰り返され、命を与えたが幸せを与え忘れたと女性が嘆いている。百万本、赤いバラ、若者の単語は一切無いのに、赤い思想の異常者や反日の者が今も相変わらず嘘をつき騙している。あなたはラトビア原曲の歌詞とラトビアの歴史を知る必要がある。それを知れば、ラトビアの度重なる大国の侵略と支配と云う不幸でラトビアの人々が幸せでは無い状況を嘆き、それに変化を起こし、真の幸せをもたらす抵抗運動の曲と認識する。
❤❤❤日本でもこの曲を好きな人は1-たくさんいます。ー。2024年8月2日AM12:30今日はいい天気です。❤❤❤❤🎉🎉🎉🎉
魂がプルプルする。
Perfumeの楽曲を追っかけていて、お邪魔しました、中田ヤスタカ氏が、声も音楽の一部として、曲を作っている、この事がよくわかります、言葉は分からなくとも、曲のメロディーラインはわかります、ドレミ楽譜は世界共通やからね❗とは言うものの各々お国柄で、原曲は内容的に日本人が思う幸せな物は少ないですね❗
百万本のバラの前身の曲と言うより原曲ではないですか。加藤登紀子に痺れ、ここRUclipsでロシアの歌かと思ったらなんとロシアに占領されていたラトビアの歌だったとは。ずいぶん遠回りしてしまった。
Здорово! ) International melody.
元歌の歌詞を教えて頂いて、感謝します、とても奥の深い歌なのですね・・・でも、この母(マーラ)が、「ロシア」でなくとも、世の中の多くの母は、同じことをやっているような・・・?そうした意味でも、奥の深い歌です。でもこの歌は、元の歌詞では、これほど世界的なヒットにはならなかったでしょうし、ちょっと変なラブソングとして流行らせた、プガチョワさんや、加藤登紀子さんのセンスも、十分、評価していいと思います、この歌が広く知られたからこそ、元歌にも触れることが出来たのですからね。
百万のバラの原曲だそうです
乳がんで死んだクラスメートがクラス会で歌ったのが「百万本のバラ」。RUclipsでロシアの歌手に行き着きそしてここに行き着いた。もの悲しい曲ですね。でも心に染みいる歌です。
原曲はロシアではありません、むしろ旧ソ連の弾圧下にあったラトビア共和国が発祥です。仰る通り原曲は「恋の歌」ではなく、女性の立場から輪廻を我が子に諭すような歌詞になっています。命は授かるものだけど、どうやって幸せを掴むのかはお前次第だよ、という意味でしょうか。原曲の日本語版は、小田陽子さんが歌っています。
最初20年程までしょうか加藤登紀子の歌に痺れ、ここRUclipsでロシアの歌手の歌を聞いてロシアの歌だと思ったらロシアに弾圧されたラトビアの歌でしかも歌詞が百万本~とは大違いだそうですね。混乱しました。悲しげな曲ですが心に残りますね。解説有り難うございました。
原曲のこの「マーラが与えた人生」のロシア語? ラトビア語?の歌詞が知りたい。是非原語歌詞を載せてあるのを見たいです。どなたか探してください。何卒お願いします。
加藤登紀子バージョンもいいけど原曲も心に染みて来るいい曲ですね。
加藤versionよりも久保田早紀versionを聴けば違いが分かります。
ソヴェトがラトビアから奪ったのが百万本のバラです。加藤登紀子は左巻きです!
歌手は、アイヤ クレレでした。
❤❤❤❤❤😂😂🎉🎉🎉😢😢😮😅😅😊😊
元々のルーツはロシアに翻弄されたラトビア人のロシアに対する恨みの曲をロシア側が内容を改ざんして、ロシア民謡として世に出したとか…ロシア文学を学ぶ人はロシア贔屓ですが、ウクライナの惨状を見れば、根底にあるロシア気質は褒められたモノとは言えません。
岸田文雄は国の為に何一つ働かないで…税金泥棒の典型ですな…🤔
ラトビアってバルトの祖国だった?
ラトビアのアロハ・オエ❓
『魔羅(マラ)が与えた人生』『百万本の薔薇』……。タイトルだけを見ると、ガチホモが喜んでホイホイ飛びついてきそうな歌だな。
日本語に訳したものですと限々‥
歌詞も悲しげで‥
心にジンと染みてくる歌でしたね😢‥
切なく、心が揺さぶられる歌声です
この曲は、小国ラトビアが、旧ソ連など近隣諸国に侵略・蹂躙されてきた
そんなラトビアの悲劇の歴史を”幸せをあげ忘れた”と表現しています
”マーラ”は、ラトビア語で命や母性を表す女神の意味だそうです
幼い頃のこと 悲しみが襲うと
私は母の胸で 抱きしめてもらう
母はやさしく笑みを浮かべ 私の耳元で囁く
マーラは与えた、娘に、娘に、娘に命を
与えて、与えて、与えてくれた
マーラは忘れた、娘に、娘に、娘に幸せをあげ忘れた
忘れて、忘れて、忘れさられたままに
時が過ぎて母は この世にもういない
いまは一人きり 一人で生きていく
寂しさに襲われると 母の囁きをつぶやく
マーラは与えた、娘に、娘に、娘に命を
与えて、与えて、与えてくれた
マーラは忘れた、娘に、娘に、娘に幸せをあげ忘れた
忘れて、忘れて、忘れさられたままに
忘却の彼方に 置き去りにしたものが
突然よみがえり 私は身がすくむ
私の娘が笑みを浮かべ あの囁きを口ずさむ
マーラは与えた、娘に、娘に、娘に命を
与えて、与えて、与えてくれた
マーラは忘れた、娘に、娘に、娘に幸せをあげ忘れた
忘れて、忘れて、忘れさられたままに
ロシアよウクライナにも再び悲劇をもたらすのか?
こんなに涙が止まらない曲は知りません。🌹
何と言う深い哀しみに満ちた曲だろう
年端も行かぬ少女がすでにじぶんの人生を諦めている
ソ連の圧政がどのようなものであったか、歴史を詳しく知っている人がこの曲を聞いたら
かなしみを覚えるより、衝撃を受けるはずだ
ここに歌われていることがすでに過去のものになり、ラトビアの人々が幸せに暮らしていることを心から祈っている
異国の地の歌なのに!
このメロディを聴いていただけで
自然と涙が出る
年のせいもあるかもしれないが!
切ない歌だな〜
マーラさんの歌声聞いていると、青春のころの思い出が、読みがいります、ずっと素敵な歌声キープしてね
言葉は分からなくても、いい曲、いい歌手はわかります。
とても素敵な心に沁みる名曲です!
原曲の素朴なメロディが大変印象的です!
なぜこのメロディは日本人の心をくすぐるのだろう
しらずしらずに泪がでてくる
素晴らしい‼️
加藤登紀子さんの歌と原曲では歌詞が全く別物ですね❗️ でもどちらにしても素晴らしいメロディが心を揺さぶる名曲で有ることには変わり無いと思います❤
好きです。1か月に2~5回聴いています。
感動した!本当に心に沁みる最高の歌声です。
天使の顔が映し出された時は自然と泪が出てきた。
今からでも、幸せを上げる亊は出来ませんか!素晴らしい唄を有難うございました。考えさせられました、
ラトビアの歌とは知りませんでした~有難うございます
すてきナイスグループ❗素朴で優しい
「マリアは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
なんとも優しい声ですね。
yzxuvw a beautiful video and a wonderful song, great shared my friend
坂田眞澄さん
そうですね。子供がまた可愛らしいですね。
原曲がこの様な詩とは知りませんでしたが、
このメロディーと詩(日本向けも含んでですが)を、
思い浮かべながら聴いてると何だか涙が出てくるんですよね 。
歳なのか、元々涙もろいのか。
まぁ、ドラマ見てもすぐ涙出てくるのは元々からなんですけど。。w
坂田眞澄さん
いや...w んなもん分かる訳ないですw
そうでは無くて、原曲で日本語で歌ってるのが
有りますので、それで分かりましたよ。
替歌の『百万本のバラ』も良い曲だけど元歌の『マーラ(女神)が与えた人生』も良い。強国の間で翻弄されて来た弱小民族の哀しみが胸を打つ。
ソ連支配下のバルト三国の1つラトビアの曲ですね。
ソ連人がラトビア語は分からないけどいい曲だからソ連でも歌いたいと言ってできたのがロシア語の歌詞のついた100万本のバラ。こっちは悲恋ですが、原曲の日本語訳は悲惨です。内戦だったりソ連だったりドイツだったり色々な国に支配された歴史を嘆いた曲。マーラ(神様)は命を与えてくれたけど幸せは与えてくれなかったと言う内容。物悲しくて当然。でも心を打つ名曲。加藤登紀子も当然この事を知っておりラトビアでのコンサートで原曲を歌ったそうです。全部加藤登紀子がラジオで教えてくれました。
マーラは神なのか。
Up、有難うございます。
ラトビアの国でしたか。
歌手の名前知りたいですね。
ロシアのブガチョワも素敵に歌っています、ある人に似ていて胸が締め付けられます。
最高😃⤴️⤴️の歌
この動画はラトビア原曲のDāvāja, dāvāja、マーラが与えた命(人生)。
動画の歌詞に赤いバラの単語は一切無い。
赤いバラは社会主義、共産主義の赤い思想を象徴。
ソ連はラトビアの曲の歌詞をバラの変な歌詞に変え、赤い思想のプロパガンダ曲に変えた。
ラトビア原曲は社会主義、共産主義、ソ連を非難、抵抗運動の歌。
ラトビアの神話の女神マーラ、母、娘、命、幸せ、与えた、忘れた等のラトビア語の歌詞が繰り返され、命を与えたが幸せを与え忘れたと女性が嘆いている。
百万本、赤いバラ、若者の単語は一切無いのに、ソ連の赤い思想の異常者や反日の者が今も相変わらず嘘をつき騙している。
ロシア語版を歌う者、好む者はソ連ロシアの異常者の仲間で要注意。
ラトビア原曲の歌詞を調べよ。
ラトビアの歴史を知れ。
それを知れば、ラトビアの度重なる大国の侵略と支配と云う不幸でラトビアの人々が幸せでは無い状況を嘆き、それに変化を起こし、真の幸せをもたらす抵抗運動の曲と認識する。
ロシアに弾圧された
ラトヴィア国の悲しい歴史を物語る歌なんですね!・・・・・
男女の浮かれた歌と思っていた自分が恥ずべき事だった
のですね!!!
ソ連を単純に「ロシア」と見なして、「ラトヴィア人vsロシア人」という図式を描こうとしているが、それはあまりにも一面的なとらえ方だ。ソ連時代のラトヴィアには、「ソヴィエト体制から抑圧を受けるラトヴィア人」もいれば、「ソヴィエト体制と結び付いてそこから利益を享受するラトヴィア人」もいたことを忘れてはならない。
『マーラが与えた人生』の作詞者レオン・ブリエディスは「ソヴィエト体制から抑圧を受けるラトヴィア人」であっただろうが、作曲者ライモンズ・パウルスは「ソ連時代のラトヴィア共和国最高会議民族教育・科学・文化委員会」に所属しており(1985年~)、ソヴィエト体制から利益を享受する面もあったことを見逃してはならない。実際、ラトヴィア人は、ソ連構成民族のなかでは、ソヴィエト体制のエリートを比較的多く輩出している{例:ヤン・ルズターク(1887-1938年)、ヴィクトル・アルクスニス(1950年-)、ボリス・プーゴ(1937-91年)など}。
他方で、ソヴィエト体制から禁書扱いされた『収容所群島』(1973-75年)を書いたソルジェニーツィン(1918-2008年)のように、ロシア人のなかにも反ソヴィエト的姿勢をとった人物がいたことを忘れてはならない(ちなみに、ソルジェニーツィンの『収容所群島』の出版解禁に向けて活動したのが、『百万本のバラ』の作詞者ヴォズネセンスキー(1933-2010年)である)。
小野寺毅憲 幸せを求め続ける人は、世界中にいて、普遍的なものです。それを素朴に何世代も歌い続けることが、素晴らしいと思います。でも、焦りは、禁物、「百万本の薔薇」を買っても悲しくなるだけです。小さな幸せは、自分で探せばあるものです。
CCCP、Latvia、ジョージア(グルジア)などの国々とは、別個に考えてください。音楽だからです。
林英昭 「小さな幸せは、自分で探せばある」というのなら、神に向かって「マーラは娘(ラトヴィア)に幸せをあげ忘れた」などと文句を垂れるのは、もってのほかだな。それに、「素朴に何世代も歌い続ける」だけで、「幸せを探す」ための実際の行動に出ないのも問題だろう。
『百万本のバラ』では、画家ピロスマニ(1862-1918年)は、女優マルガリータとの恋愛を成就させるという「大きな幸せ」こそ得られなかったが、歌詞に「しかし、彼の人生には広場いっぱいの花があった(ロシア語原詞の直訳)」とあるように、「小さな幸せ」は得ることができたのだろう。また、大量のバラを買うことで、花屋には金を与え、女優には一時の幻想的な光景を与えるなどして、他人には確実に「幸せ」をもたらしている。
人生では、ときに、わずかな可能性に全てを賭けるような大きな決断を迫られる場面もある。大バクチを打つ気概がなければ、「小さな幸せ」すら得られない場合もある。神に向かって「自分たちに幸せをあげ忘れた」などと文句を垂れるヒマがあったら、「幸せ」を探す・作るための行動に出た方が良いのではないか?
ラトビアの歌だったのか・・・
すると10万とか20万とも伝えられるソ連に強制拉致され兵士として
督戦隊に押し出され戦場で殺された息子や娘を想う歌・・・なのかな?
マーラは命を与えたが生存手段は無理だった・・・
帰還無理・・帰還無理・・帰還無理。胸を裂く銃弾、100万のバラ。
とんでもない。貴方のせいではない。
歌詞の転載です。
1.子供のころ泣かされると 母に寄り添って なぐさめてもらった
そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
2.時が経って、もう母はいない 今は一人で生きなくてはならない
母を思いだして寂しさに駆られると 同じ事を一人つぶやく私がいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
3.そんなことすっかり忘れていたけど ある日突然驚いた
今度は私の娘が 笑みを浮かべて口ずさんでいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
・・・・・・・・・・・とてもせつない、歴史の深淵です。
こんな意味のある歌詞だったのですね。悲しいけれど、良い歌ですよね。
私たしも、母親だけどなかなかこれが幸せよとは言えないものね。やはり幸せは本人の価値観から生まれるものかも。
マーラは、優しいお母さんだったと、娘さんは、知っているから、娘さんは、強く逞しく優しく生きて生き、必ずに幸せになって欲しいもの。マーラさんが、幸せに出来なかった娘さんは、成長するに連れ、周りの人たちに幸せにしていく女性ともなっているはず。戦争で、家族を亡くしたり、拉致をされて、親子が引き離されたり、世の中には、不条理な哀しみもいっぱい。今 私は、自分自身が出来る事を精一杯に頑張り、誰かに傘を差し出す事の出来る大人にならねば。
生きて生きは間違いで、生きていきです。
tomio shigemitsu さん私も同じです。Manabu Yasudokaさん御詳しい私もマーラの元歌に感動します。
原曲のはやはりええですね!歌手もいいけど!
私が初めてこの歌を聴いたのは、1981年か82年頃、NHKテレビ「ロシア語講座」の今月の歌コーナーでした。もちろん、「ソ連の歌」として聴いたのですね。当時のソ連で大人気だったアラ・プガチョワの歌としてだったでしょうか。
この歌がラトビアの歌だとは知らなかったけど、確かに作曲の「パウルス」という名前はロシア人っぽくない。そしてプガチョワが歌ったロシア語の歌詞は、グルジア(今度から「ジョージア」と呼ぶそうですが)の画家のエピソードだとか。良くも悪くも「ソ連の歌」ですね。
それにしても、このような歌を発掘してすぐに日本に紹介したNHK「ロシア語講座」スタッフの情報力、今から考えると実に侮れないと思います。
Chernoaist2
私も見てました。
切ないメロディーが今でも懐かしく記憶にあります。
それは100万本のバラの方ですね。
いいですね、本当に。>
幸せって、100万本のバラでもってしても得られない事があるんですよ、と詠っているようです。
幸せは他人や、社会じゃなく、自分の心が決めるモノなんです・・・。私はこの歌曲からそう感じました。
私もそう思います。自分の心が決めるからたとえ幸せでも人に見えにくいことも。声も出さずかみしめることも。不思議ですよね。この歌の美しさと悲しみは必ずしも嘆きでもないような。
全く違う。あなたは無知で酷い。
この動画にバラの歌詞は全く無い。
これはラトビアが原曲。
ソ連に対する抵抗曲。
ソ連は歌詞をすり替え、ロシア民謡に誤解させ変な赤いバラの歌にした。
なぜか?
赤いバラは赤い思想の事。
無神論人民奴隷の社会主義、共産主義の極悪非道で劣悪な赤い思想の宣伝曲。
無知で愚か、酷過ぎる。
@@鴨井久美子
騙されない様に。
この動画の歌詞に赤いバラの単語は一切無い。
赤いバラは社会主義、共産主義の赤い思想を象徴している。
ソ連はラトビアの曲の歌詞をバラの変な歌詞に変え、赤い思想のプロパガンダ曲に変えた。
この動画はラトビア原曲のDāvāja, dāvāja、マーラが与えた命(人生)。
社会主義、共産主義、ソ連を非難し、抵抗する歌。
ラトビアの神話の女神マーラ、母、娘、命、幸せ、与えた、忘れた等のラトビア語の歌詞が繰り返され、命を与えたが幸せを与え忘れたと女性が嘆いている。
百万本、赤いバラ、若者の単語は一切無いのに、赤い思想の異常者や反日の者が今も相変わらず嘘をつき騙している。
あなたはラトビア原曲の歌詞とラトビアの歴史を知る必要がある。
それを知れば、ラトビアの度重なる大国の侵略と支配と云う不幸でラトビアの人々が幸せでは無い状況を嘆き、それに変化を起こし、真の幸せをもたらす抵抗運動の曲と認識する。
❤❤❤日本でもこの曲を好きな人は1-たくさんいます。ー。2024年8月2日AM12:30今日はいい天気です。❤❤❤❤🎉🎉🎉🎉
魂がプルプルする。
Perfumeの楽曲を追っかけていて、お邪魔しました、中田ヤスタカ氏が、声も音楽の一部として、曲を作っている、この事がよくわかります、言葉は分からなくとも、曲のメロディーラインはわかります、ドレミ楽譜は世界共通やからね❗とは言うものの各々お国柄で、原曲は内容的に日本人が思う幸せな物は少ないですね❗
百万本のバラの前身の曲と言うより原曲ではないですか。加藤登紀子に痺れ、ここRUclipsでロシアの歌かと思ったらなんとロシアに占領されていたラトビアの歌だったとは。ずいぶん遠回りしてしまった。
Здорово! ) International melody.
元歌の歌詞を教えて頂いて、感謝します、とても奥の深い歌なのですね・・・でも、この母(マーラ)が、「ロシア」でなくとも、世の中の多くの母は、同じことをやっているような・・・?そうした意味でも、奥の深い歌です。
でもこの歌は、元の歌詞では、これほど世界的なヒットにはならなかったでしょうし、ちょっと変なラブソングとして流行らせた、プガチョワさんや、加藤登紀子さんのセンスも、十分、評価していいと思います、この歌が広く知られたからこそ、元歌にも触れることが出来たのですからね。
百万のバラの原曲だそうです
乳がんで死んだクラスメートがクラス会で歌ったのが「百万本のバラ」。RUclipsでロシアの歌手に行き着きそしてここに行き着いた。もの悲しい曲ですね。でも心に染みいる歌です。
原曲はロシアではありません、むしろ旧ソ連の弾圧下にあったラトビア共和国が発祥です。仰る通り原曲は「恋の歌」ではなく、女性の立場から輪廻を我が子に諭すような歌詞になっています。
命は授かるものだけど、どうやって幸せを掴むのかはお前次第だよ、という意味でしょうか。
原曲の日本語版は、小田陽子さんが歌っています。
最初20年程までしょうか加藤登紀子の歌に痺れ、ここRUclipsでロシアの歌手の歌を聞いてロシアの歌だと思ったらロシアに弾圧されたラトビアの歌でしかも歌詞が百万本~とは大違いだそうですね。混乱しました。悲しげな曲ですが心に残りますね。解説有り難うございました。
原曲のこの「マーラが与えた人生」のロシア語? ラトビア語?の歌詞が知りたい。是非原語歌詞を載せてあるのを見たいです。どなたか探してください。何卒お願いします。
加藤登紀子バージョンもいいけど原曲も心に染みて来るいい曲ですね。
加藤versionよりも久保田早紀versionを聴けば違いが分かります。
ソヴェトがラトビアから奪ったのが百万本のバラです。加藤登紀子は左巻きです!
歌手は、アイヤ クレレでした。
❤❤❤❤❤😂😂🎉🎉🎉😢😢😮😅😅😊😊
元々のルーツはロシアに翻弄されたラトビア人のロシアに対する恨みの曲をロシア側が内容を改ざんして、ロシア民謡として世に出したとか…ロシア文学を学ぶ人はロシア贔屓ですが、ウクライナの惨状を見れば、根底にあるロシア気質は褒められたモノとは言えません。
岸田文雄は国の為に何一つ働かないで…税金泥棒の典型ですな…🤔
ラトビアってバルトの祖国だった?
ラトビアのアロハ・オエ❓
『魔羅(マラ)が与えた人生』『百万本の薔薇』……。
タイトルだけを見ると、ガチホモが喜んでホイホイ飛びついてきそうな歌だな。