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今でもテレビで相撲を見ろのが楽しみです私のお爺さんは羽黒山が大好きで私は9歳のとき吉葉山が大好きでした全勝優勝して横綱になつた時家の中にあつた自転車に乗ってラジオで聞いたのお忘れません外は大雪でしたこのたび動画で見れて大変嬉しいですその後若乃花、弟の貴乃花、千代の富士と続きましたが、令和になつて、好きな力士が出てくるのを待つていますが
独特の体型と顔、すごい柔和な感じ
小学3年生時から(昭和33年)好きな横綱で白黒テレビで応援してました!😅又吉葉山のおじさんが近くに住んでいたこともあってか大好きなお相撲さんでした!😅
北の洋さん、他のばんとりちょうでも、「臨場感」とか「力士に対する愛情」とかすごく伝わってきて説得力抜群だと思います。画面に登場すると嬉しくなります。
関取昇進を決めた直後の赤紙、兵役中の足の銃弾貫通とその後遺症、そして小部屋にいたが故に一門別総当たり制の時代でも強豪力士との総当たりを強いられた人。そういう人生経験があったからこそ、横綱昇進を決めた時の全勝優勝が一層輝いて見えます。
50年前の中学生だった頃、小学館が出していた、「大相撲図鑑」があり、それで吉葉山を知りました。よく聞くのが悲運の横綱と言うイメージがあった横綱でしたが、ツナを締めた風貌が歴代横綱随一と言う評判で、優勝回数とかで判断できる力士ではないことを当時思いました。当時は存命で、年寄りの宮城野を名乗っていたかと思いますが、相撲協会の情報では悲運だの不運とは全然関係なく、本人の性格は明るく陽気で暗さが全然無い人だったとのことです。相撲協会の幹部クラスで栃錦とはすごく馬が合ったらしく、吉葉山が栃錦より早く横綱になったのですが、ほとんど同期生みたいな仲間意識があったそうです。相撲のタイプも栃錦・若乃花とは全然違う大型体形の力士でしたが、リアルタイムでは見れなかった今は、RUclipsで見れて本当にうれしいことです。
ラジオを聞きながら吉葉山を応援してました。美男力士でした。
白鵬の師匠の師匠。白鵬が最初に使った三つ揃いはこの方のモノだったんだよな。貴重な映像ですなぁ。
悲運な横綱とか言われているけど、この横綱ほど強運で精神力が強かった力士もいないだろう。四年もの長き間兵士として戦地に赴き、奇跡的に帰還し、その後横綱へ。話によると、足には戦争で受けた銃弾が残っていたらしい。吉葉山のように当時の若者達が自らを犠牲にしてお国のために戦い、守った今の日本がある。それを忘れてはいけない。感謝しかない。コロナで大変な世の中と言ってるけど、当時の方が大変だったと思う。うちも大叔父さんが陸軍兵士として18で亡くなっているから、余計にそう思う。もっと吉葉山は評価されていい横綱ではなかろうか。
仰る通りです。こういう偉大な先人の方々のお陰で平和が有る事は、忘れてはいけません。
人違い入門のエピソードは無しですか?
体格が格好いいなあ。筋肉質で太鼓腹、でも無駄に太ってない。入門時の顔がまるで女性のようだ。
貫通銃創あってこの相撲はやべぇよ…
横綱になった途端に「落ち目の横綱」と化したはずの吉葉山が、ちょうど1年後に昇進した日の出の勢いの栃錦に対し、横綱同士として6勝0敗(それまで8勝9敗、大関同士としては2勝2敗、吉葉山大関、栃錦関脇で三連敗を含む1勝3敗とカモ)というのは奇異に見えるが、これは栃錦が綱を張って急激に体重が増え、太って俊敏な技が出にくくなって押し寄りの直線相撲に変わったため、パワーで勝る吉葉山としては飛んだり跳ねたりを警戒する必要なく、思い切って前に出られるようになったことが原因だろう。
吉葉山だけではないが、怒涛の寄りなんて言葉がピッタリの相撲が昔は多かった。近頃、うっちゃりなんてあんまり聞かないようだけど、どうだろう。実際見たことはないけど、吉葉山って相撲人形のような横綱だったろうね。
🌈💖🌊吉葉山の、全勝優勝🏆は、中学生で田舎で📻ラジオで聴いていた‼️東京に、出て来て映画🎞館で🏆全勝掛け、横綱鏡里対吉葉山、両者太鼓腹波🌊うつ、力相撲‼️今も目に、焼き付いている🏆💖🌈💖
悲願の全勝優勝し雪中のパレードの人気は、後の若乃花(初代)貴ノ花(初代)の人気をも上回ったそうです。(昭和53年刊、昭和の名力士100人より)
吉葉山関って、なんか顔が助さんを演じてた頃の里見浩太朗氏によく似てる。
ウェイトトレしてる今の力士より筋肉すごいくない?
確か人違いで相撲界入りしたんじゃなかったっけ。
不知火だったのかこれはしらなかった。
このシリーズ、後付けの杉山氏の実況と26代庄之助の掛け声は要らないな…。
今でもテレビで相撲を見ろのが楽しみです
私のお爺さんは羽黒山が大好きで
私は9歳のとき吉葉山が大好きでした
全勝優勝して横綱になつた時
家の中にあつた自転車に乗ってラジオで
聞いたのお忘れません外は大雪でした
このたび動画で見れて大変嬉しいです
その後若乃花、弟の貴乃花、千代の富士
と続きましたが、令和になつて、好きな力士が
出てくるのを待つていますが
独特の体型と顔、すごい柔和な感じ
小学3年生時から(昭和33年)好きな横綱で白黒テレビで応援してました!😅又吉葉山のおじさんが近くに住んでいたこともあってか大好きなお相撲さんでした!😅
北の洋さん、他のばんとりちょうでも、「臨場感」とか「力士に対する愛情」とかすごく伝わってきて
説得力抜群だと思います。画面に登場すると嬉しくなります。
関取昇進を決めた直後の赤紙、兵役中の足の銃弾貫通とその後遺症、そして小部屋にいたが故に一門別総当たり制の時代でも強豪力士との総当たりを強いられた人。
そういう人生経験があったからこそ、横綱昇進を決めた時の全勝優勝が一層輝いて見えます。
50年前の中学生だった頃、小学館が出していた、「大相撲図鑑」があり、それで吉葉山を知りました。よく聞くのが悲運の横綱と言うイメージがあった横綱でしたが、ツナを締めた風貌が歴代横綱随一と言う評判で、優勝回数とかで判断できる力士ではないことを当時思いました。当時は存命で、年寄りの宮城野を名乗っていたかと思いますが、相撲協会の情報では悲運だの不運とは全然関係なく、本人の性格は明るく陽気で暗さが全然無い人だったとのことです。相撲協会の幹部クラスで栃錦とはすごく馬が合ったらしく、吉葉山が栃錦より早く横綱になったのですが、ほとんど同期生みたいな仲間意識があったそうです。相撲のタイプも栃錦・若乃花とは全然違う大型体形の力士でしたが、リアルタイムでは見れなかった今は、RUclipsで見れて本当にうれしいことです。
ラジオを聞きながら吉葉山を応援してました。
美男力士でした。
白鵬の師匠の師匠。
白鵬が最初に使った三つ揃いはこの方のモノだったんだよな。
貴重な映像ですなぁ。
悲運な横綱とか言われているけど、この横綱ほど強運で精神力が強かった力士もいないだろう。
四年もの長き間兵士として戦地に赴き、奇跡的に帰還し、その後横綱へ。話によると、足には戦争で受けた銃弾が残っていたらしい。
吉葉山のように当時の若者達が自らを犠牲にしてお国のために戦い、守った今の日本がある。それを忘れてはいけない。感謝しかない。
コロナで大変な世の中と言ってるけど、当時の方が大変だったと思う。
うちも大叔父さんが陸軍兵士として18で亡くなっているから、余計にそう思う。もっと吉葉山は評価されていい横綱ではなかろうか。
仰る通りです。こういう偉大な先人の方々のお陰で平和が有る事は、忘れてはいけません。
人違い入門のエピソードは無しですか?
体格が格好いいなあ。筋肉質で太鼓腹、でも無駄に太ってない。入門時の顔がまるで女性のようだ。
貫通銃創あってこの相撲はやべぇよ…
横綱になった途端に「落ち目の横綱」と化したはずの吉葉山が、ちょうど1年後に昇進した日の出の勢いの栃錦に対し、横綱同士として6勝0敗(それまで8勝9敗、大関同士としては2勝2敗、吉葉山大関、栃錦関脇で三連敗を含む1勝3敗とカモ)というのは奇異に見えるが、これは栃錦が綱を張って急激に体重が増え、太って俊敏な技が出にくくなって押し寄りの直線相撲に変わったため、パワーで勝る吉葉山としては飛んだり跳ねたりを警戒する必要なく、思い切って前に出られるようになったことが原因だろう。
吉葉山だけではないが、怒涛の寄りなんて言葉がピッタリの相撲が昔は多かった。
近頃、うっちゃりなんてあんまり聞かないようだけど、どうだろう。実際見たことはないけど、吉葉山って相撲人形のような横綱だったろうね。
🌈💖🌊吉葉山の、全勝優勝🏆は、中学生で田舎で📻ラジオで聴いていた‼️東京に、出て来て映画🎞館で🏆全勝掛け、横綱鏡里対吉葉山、両者太鼓腹波🌊うつ、力相撲‼️今も目に、焼き付いている🏆💖🌈💖
悲願の全勝優勝し雪中のパレードの人気は、後の若乃花(初代)貴ノ花(初代)の人気をも上回ったそうです。(昭和53年刊、昭和の名力士100人より)
吉葉山関って、なんか顔が助さんを演じてた頃の里見浩太朗氏によく似てる。
ウェイトトレしてる今の力士より筋肉すごいくない?
確か人違いで相撲界入りしたんじゃなかったっけ。
不知火だったのかこれはしらなかった。
このシリーズ、後付けの杉山氏の実況と26代庄之助の掛け声は要らないな…。