ポイント解説~氏姓・臣籍降下~
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- Опубликовано: 7 сен 2024
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• 農家と学ぶ日本史
<参考>
『もういちど読む山川日本史』山川出版社
『日本史用語集』山川出版社
『詳説日本史図録』山川出版社
重野陽二郎『センター試験 日本史Bの点数が面白いほどとれる本』中経出版
山崎圭一『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』SBクリエイティブ
尾脇秀和『氏名の誕生』ちくま新書
森岡浩 監修『名字の歴史』宝島社TJMOOK
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田舎育ちじゃない人間からすると、現代の屋号ってのがホントに意味不明なんだわ。
この辺も解説して欲しいところ。
屋号の解説動画を作ってみました。
ruclips.net/video/wTv2_wLyQwM/видео.html
尺は長くなりましたが、屋号や、本家・新宅といった家の関係などについてまとめてあります。
@@umesan_azemichi
ありがとうございます!
叔母の家に遊びに行き、近くの海で魚を釣っていたら、知らないおばさんから「どこの子ね?」と声をかけられて、苗字を名乗っても分かってもらえなく困っていたら、もう一人のおばさんが「ああ、沖中屋さんとこの子じゃ」と言ってくれて皆さん納得してた。
瀬戸内の島での出来事。
屋号呼び、すごく良くわかります。私の実家の集落は、全体で苗字が5種類くらいしかなくて、しかも全体の6割くらいは同じ苗字でした。なので、屋号で区別しないと収拾つかないんですよね(笑)
集落の電話帳にも、本名の他に屋号も載ってました。
ほとんどの時代劇は諱で呼んじゃってますが、
三谷幸喜の大河では諱でなく仮名で呼ばせることが多いですね。
北条義時は小四郎、真田信繁は源次郎と最後まで呼ばれてました。
歴史好きのこだわりなのかな。
確かに!
でも視聴者には諱じゃないとわかりにくいからなんでしょうね
さらに、官職を持つ人物は、徳川家康のことを「内府(内大臣の略)」、石田三成のことを「治部(治部少輔の略)」とか、ちゃんと官職で呼ばせていて、その辺の時代考証は凄くこだわりがありますね。きわめつけは、豊臣秀吉を「とよとみのひでよし」と姓のあとに「の」が入るところをきっちり押させていたりとか。
三谷さんシッカリしてますね
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戦国武将は出世するに従って名前が変わりやすいですからねぇ。
官職呼びだと信長は上総介以外にも尾張守だったり弾正だったりしますし
低い身分から成りあがった秀吉に至っては官職が関白から太閤に変わる以前に名字が木下→羽柴→豊臣に変わってますし。
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豊臣を「とよとみの」って読む事を知りながらなんで木下や羽柴と同列の名字だと言ってしまうのか。
秀吉は最後まで名字が羽柴。
豊臣は平や源や藤原と同列の氏だっての。
うちも田舎じゃ屋号の方で呼ばれてましたね。
学校の中じゃ名字で呼ばれ、町の人からは屋号で呼ばれるから小さい頃は妙な気分になりましたねw
私の両親の田舎も同じ苗字が多いので屋号で呼ばれるそうです。
都会もそうやったんやで
非常に解りやすい解説をありがとうございます😂
氏姓問題、やっと理解出来ました🍀
わかりやすかったです!
改めて整理できました。
ぼくの祖父母(父方)は7人兄弟で、親戚の集まりは大人数で賑やかだった記憶があります。
ちなみに、地元では屋号を使っていますね。
17:26
諱(本名)の名乗りを避けていた理由の説明で、DEATH NOTEを取り上げたのは秀逸ですね。
呪い殺されるリスクを避けるためとだけ説明するより感覚的に納得しやすい。
ちなみに諱(いみな)は忌み名(いみな)とも表されますね。
「千と千尋の神隠し」も、名前を取り上げられることで刃向かえなくなるという、古来からの習わしを活かしてましたね
漁師も屋号使うよ
屋号で呼ばないとそこの漁港の漁船がみんな同じ名前だから区別できんのよ
氏姓と名字、仮名と諱については教科書に載せるべきだと思う。
仮名は「かりな」ではなく「けみょう」だと思います。烏帽子親が付け、烏帽子親の何番目かの烏帽子児ということで、実の兄弟でも烏帽子親が違うと逆転することがあります。例えば曽我兄弟の十郎、五郎は五郎が弟。
「花神」で蔵六が上士になって名乗りを決める際「諱は… 死んでから過去帳に書くくらいでまあ使わんけど…」みたいなこと言ってましたね
これ、印象的でした、諱の意味がわかりました♪
千年後に名字も名前も廃れてマイナンバーだけが残った世界が訪れれば、
我々の名前もさぞ珍しく思われるでしょうな
「昔の人は公の場でマイナンバーを名乗りませんでした。最近のドラマのセリフは演出です」とかね
徳川家康や織田信長などは、領地である三河殿や尾張殿とも呼ばれました。
江戸時代の大名も、多くは領地で呼ばれましたね。
「次郎三郎」ってなんやねんっていつも思う。「三郎四郎」もいる。
三郎家の出身です。
うちの場合は江戸中期に三男の三郎が分家して代々三郎兵衛、三郎右衛門等、「⚪︎田三郎⚪︎⚪︎」を名乗りました。三郎四郎はいませんが、三四郎、三郎六郎はいましたね。
次郎三郎という通称も「次郎家の三郎さんの家」を示す次郎三郎という通称が家の名乗りとして代々世襲されたんだろうと思っています。
一族に何人か三郎が居た場合、父親が次男の子の三男だったら次郎三郎(略して次郎三または次三郎)。長男の子なら太郎三郎、三男の子の三男なら小三郎または新三郎。
南極物語
茶屋四郎次郎
次郎家の三郎、三郎家の四郎、四郎家の次郎。
那須余一(与一)は、十余り一で十一郎の事。
現代も会社名(氏)支店名(苗字屋号) 役職(かばね・官職名)これに名前がついてると考えれば、現代人の名刺も未来人から見たら、やけに長い名前だなと思うんじゃないだろうか。現代でも下の名前でいきなり呼ばれることが少ないように諱も使われず、仮名がが今の名字くらいの感覚だったならほとんどが腑に落ちる。
宇多天皇は異例中の異例ですが、宇多源氏は雅信に始まって、子孫からは佐々木秀義や佐々木道誉、尼子経久などの有名人が多く出ていますね。
平氏からは近代になってからも東郷平八郎は正式な名乗りとして平実良
がありました。
親の名前と屋号あるある。
実家の本家に仕舞われてる一族の歴史の書物みたいなのに、たまに「平」から始まって途中に自分の苗字が挟まってるクソ長い名前のおじさんが出てくる理由がわかりました…。
いつから農家になってるんだろう。
明治以降も氏姓はなくなりましたが位階勲等功級官職爵位については公文書での名乗りは残ってましたね。従一位大勲位功一級元帥海軍大将侯爵東郷平八郎など
現在でも国会議員が在職中に亡くなった時に国会で追悼演説がなされる際に叙勲や贈位されていたりすると氏名の前に位階勲等が附されているようです。
めちゃくちゃ面白かった。
織田と徳川で氏・姓の順序が違うのは何か理由があるのかな?
すごく分かりやすかったです。30年以上昔の話ですが自分も「〜の新宅の息子」と名乗れと教えられました。爺さんがまあまあ有名で、私がその次男の子だからです。
新宅の〜という名乗り方を久しぶりに思い出しました。うちは分家だったので、あぁ新宅の◯◯ちゃんね。と言われた覚えがあります。
地域名、屋号、祖父・父親の名で名乗るのわかる…。
別地域に住む親戚に電話掛ける時に「〇〇(地域名)なんですが…」って名乗ったり、「□□(父親名)の息子です」って言うことある。
屋号は店やってたり庄屋だったり、苗字帯刀が許された豪農だったりしないと持ってないから、全ての家系にあるわけじゃないんですよね…(自分の場合、母方家系は屋号を誇らしく語ってたけど父方家系で屋号は聞いたことがないので)。
母の実家の裏の家は「鍛冶屋」でしたねw
鍛冶屋の隣に「本家」があり、
母の実家の斜向かいが・・・なぜか「分家」(分家筆頭とかなのかな?)
母の実家の屋号は知らないのですが、
爺ちゃんの名前で通じてました。
「お前どこの誰よ?」って訊かれるから
「どこどこの誰々です」と返答
そういう間に入る「の」
母親の出身は普通の農家で、その地域の古い家は皆屋号持ってたから屋号って田舎なら皆好き勝手名乗り始めて定着したもんだと思ってたが違ったのか…
うちは家系図でみると自分で13代目の農家の息子ですが、戦前までは苗字持ちの豪農でしたが屋号って聞いたことないな。
「戦前までは360度遠くまで見渡す限りうちの土地だった」がなくなったばあさんの口癖でしたw
ご先祖様の刀とかがあるので、元は下級武士の家系だったのかなーと思ってますが、そのせいですかね?
別に宝剣みたいな刀(当時の鑑定で800万)もあったらしいですが曾祖父が亡くなった際に次男が相続して持ってたらしい。
家紋も〇に三本羽なので武士系の家紋です
もっと資料が残ってればよかったのですが、親父が結婚して家を建て替えた際に色々と間違って捨てているのと
私が小さい頃まであったクソでかい倉庫と蔵も壊したので紛失しているものが多い。
前は何々が残ってたがいつの間にか無くなった・・・と言う物が偶に聞きます。
あ、13代目といいましたが、うちは元は分家筋みたいで分家になって13代目で本家筋のほうはもっと古いです
西郷さんの話し面白い😊
私の母親は誕生時に窓口のミスで名前最後の「子」を記載されずそのままに😂
親戚内では「子」付きで呼ばれてました。
隆盛の場合は弟の従道も役人の勘違いから従道になってしまいましたね
確か本当は隆道じゃなかったかな
つまり某SF小説に出てくる「リン(苗字)・スューニュ(姓称号)=ロク(初代当主)・ヤルルーク(階級)・ドリューニュ(公子)・ハイダル(領地)・ジント(名前)」というバチクソ長い名前はまだマシっていうことですな。
なつかしい。もう完結したのかな?
昔の勤め先で、そこまで大きくない組織なのに鈴木姓の社員がやたら多く、鈴木姓の方とやり取りする場合は、フルネーム、部署、役職、(場合によってはその方の出身地)で確認しないと業務伝達上のトラブルになる環境に居たことがありましたが、あの頃の私は氏や姓の発達プロセスを追体験していたのですね....
大学の講義で教授が、ドラマで部下が信長様って呼ぶけどあれは実際あり得ないってむしろ斬り殺されるって言ってたかも
呼ぶ時は右府様っていうとか
5:48コレって、一郎や太郎は呪詛の対象になりかねんから長男にわざと次郎と名前を付けたってケースもあったみたいやぞ
誰も触れてないけど隆盛が不憫すぎるwwww
忠臣蔵で有名な吉良上野介も上野介は役職名で本名は義央だったような
ヨシヒサ読みに変わってますよね
@@user-qc6fb9fj3r 結局この動画にあったように本名を知られてはならないので字とか役職名で呼ばれてた方が史実には近いのでしょうね
豊臣に関しては、何故ノが入らないのか疑問。
それ故に羽柴秀吉が名前なのに、まるで豊臣が苗字と勘違いしている人が多い
トヨトミ「ノ」秀吉ではない理由はなんだったのでしょうね。
それとも数ある姓の中で「ノ」が入る方がマイナーだったのかな
豊臣性をもらった時に、羽柴性を捨てたと思っているんだと思います。
羽柴って織田の部下時代の二人の先輩「柴田」と「丹羽」から取ったものですし、そんなもの出世したんだから要らないと思うでしょう。
豊臣は氏で羽柴は名字。家康は大丈夫だったが秀忠は秀吉の生前に羽柴武蔵守などと名乗らされてる。
当時は「ノ」が入っていたのでないでしょうかね、徳川の世に消されたとかw
氏素性と言うように全てでその人の成りがわかるようになっていますよね。それは全ての人が生き方に誇りを持つ、持たなければならない、、と言うことです.それが基礎にあって社会が構成されていましたね。一般庶民であってもその考え方はありました。乱世になりそれらの縛りが緩くなっても地域の長は誰が何時誰から生まれたのかを記録していましたね。日本人は現代になってもその記録を辿ることは可能です。ルーツが明確であれば誇りを持ちます。当然のことですが、どこの誰でもずっと前に辿っていくと必ずどこかの誰かから繋がっています。さらに辿ると歴史上の人物に行き着きます。
これを全部通して使うことはまずありえないでしょう。
通常は、
織田三郎
織田信長
織田上総介
朝廷など公式には
平朝臣信長
だけど、上総介は勝手に名乗っており、朝廷から受けたものじゃない。
確か、弾正忠従五位下が朝廷の叙任じゃなかったかな。
弾正忠従五位下 平朝臣信長
が公式文書での名乗りかと。
最終的には、右大臣。
正二位右大臣 平朝臣信長
右府様
ちなみに権大納言とか権官は定員外の任官。
太宰府の権帥とか、帥は長官だけど定員外で実権なしの、完全な左遷。
位階より官職が上なら例えば
従四位上行刑部卿
位階より官職な下なら例えば
正四位上守刑部卿
と署名する。
中世以降大納言中納言は権官のみ
「信長」は実名で『花押』でしか使わなかったと思うよ。官職を得たときは平朝臣信長と「姓(かばね)+実名」なので記録に残ったけどね
信長の弾正忠も私称ですよ。もとは弟信勝が父親から受け継いで弾正忠を名乗っていたので信長は仕方なく、上総介を名乗っていました。それで弟を殺したあと、弾正忠を短期間私称しました。直後の桶狭間の戦いの後は尾張守です。もっとも弾正忠という官位も正式にはないです。正確には弾正大忠か弾正小忠ですが、これもそのように称する武将もだれもいません。
弾正忠は信長の父信秀が山科言継の要請に応じ御所の修繕費を献金したことにより、朝廷に認められている。
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山科言継による四位、五位の叙任記録である歴名土代を、国立国会図書館デジタルアーカイブで確認しましたが、従五位下に以下の記載があります。
織田弾正忠
平信長 同二 三 十八 同日昇殿
同二は、先の藤原充房の記載が天正元年で、それを受けての同二年なので天正二年のこと。
つまり一応公式な記録に、
「織田弾正忠、平信長は天正二年三月十八日に従五位下に叙任され昇殿を許された」
と記載があり、正式に叙位任官されたと思われます。
こういうのを見ると五摂家みたいに概ね現代まで系譜が残ってたりして、結局昔偉かった人たちが今もそこそこ偉い役職についてたりするに面白さと恐ろしさを感じるわ。
あと西郷エピソードは純粋に面白いw
公家方の桓武平氏を先祖に持つものです。
祖母に聞いた話なのですが桓武平氏には、のちに武家平家となり清盛などを輩出した平高望流(葛原親王の子か孫で動画内の通り)とは別に葛原親王の子とされる平高棟流が存在します。高棟流の平氏は公家である堂上平氏としてときには大納言などになっていたそうです。
清盛の正室になった時子の実家ですね
昭和の頃はその土地で何代も暮らしていたりそこそこ知られた家の人間だと、地名の苗字の父や祖父の名前の新宅とか本家筋の何番目の娘の息子や娘って自己紹介があったような気がするし、その様に聞かれたりもした遠い記憶。
本籍地は、周辺に同じ苗字の家が多いから、屋号が使われることがありますね。
うちは5代前か6代前の下の名前です。
どちらも同じ名前なので、どちらか(あるいはそれ以上前か)は解りません😅
役目地位も含めて自分である
という姿勢がいいね
人の間で居場所があって初めて人間なんだと
私の中学時代の同級生に甥っ子とおばさんが同級生という子がいました。私はおばさんである子とは小学校が同じ、甥っ子である子とは高校(2年までしか通ってない)が同じです。おばさんである子の方が誕生日が少しだけ遅いのでその子は生まれた時からおばさんらしいです。
めっちゃ勉強になった
秀吉も教科書なんかには「羽柴から豊臣に変わって……」みたいな感じになってるけど、豊臣は本姓で苗字ではないんだよねぇ。藤原道長(ふじわらノみちなが)、源賴朝(みなもとノよりとも)、みたいに『とよとみノひでよし』とすべきだと思う。
姓と名の間には苗字と違って「の」が入るんですよね
…あれ? 渡辺綱
なんでなんでしょうね?
姓をつけると「豊臣朝臣」で「とよとみのあそん」と「の」を付けたと思いますが・・・
だから、その後は「藤吉郎」よりも
「豊吉郎」に改めた方が良いケース
うちも屋号使ってましたね
小さいときには大家の何々くんとかお年寄りから呼ばれたりして、なんで大家?ってなった記憶があります
最近は廃れつつあるので、次の世代にはなくなるんじゃないかな
平朝臣織田上総介 と 徳川次郎三郎源朝臣 と順番が違う理由ってあるんですか?
全部通して名乗る事はなかったはずです。
三国志でも、本によって劉備玄徳とか諸葛亮孔明とか書いてるけど、そんな呼び方はありえなくて、
劉備、諸葛亮
劉玄徳、諸葛孔明
玄徳、孔明
官職なら、左将軍宜城亭候予州牧や丞相
同様に
織田三郎、徳川次郎三郎
織田信長、徳川家康
官職では右府、参州、内府など
公式文書では
平朝臣信長、源朝臣家康
更に秀吉、家康が天下統一する過程で豊臣姓や羽柴姓、松平姓を各大名に配りはじめました。
なので江戸時代になると
松平陸奥守(伊達氏)
松平薩摩守(島津氏)
のように呼ばれるようになります
実際にこのめっちゃ長い名前を名乗ることは無くて、正式名称と普段使いの名前の2つの名前を使い分けていたと考えると分かりやすいと思います。
源朝臣従五位下三河守家康(朝廷、神社などで使用)
松平三河守、徳川三河守、松平次郎三郎(対人で使用)
の2通りの読みですね
源朝臣従五位下松平三河守家康等の使用はあり得ない
たしかに気になります。
足利義満が朝廷に出した書類では、カクカクシカジカということになるのでしよう。
しかし、明に出した書類では、両方書いてますね。「両方書くのは、なぜ?」と思ってしまいます。
明治4年の姓尸不称令で、家名を、氏姓と苗字のどちらか一つに絞りなさいとなった。
明治5年の複名禁止令で、仮名と諱のように名前を複数持ってはならないとなった。
明治5年の改名禁止令で、登録済みの家名の変更が禁止された。
明治4年の壬申戸籍、これは明治4年に全部完成したものではなさそうな気がします。けれども、その壬申戸籍は、『氏』か『苗字(名字)』かのどちらにしたものであったのでしょうか。
他方、下の名前は、『仮名(けみよう)』、『通り名』、『諱』と複数載せても良かったのでしょうか。気になるところです。
@@mattsong3975 さん
わたしの祖父母の祖父母までは戸籍で辿れましたが、
皆さん、苗字が一つ、名前が一つでしたよ。
なんとか令を発布しても、現代とは違ってなかなか行き渡らなくて、
そもそも登録が進まなかったと聞いたことがあります。
そうなのですか、有り難うございました。
辿られた戸籍は、戦前の戸籍制度の元で作成されたもので、分家しない限り、一族のお名前が追加され続ける仕組みのものかな、と推測いたします。
ご先祖の戸籍が初めて出来上がったあとに、分家して新たに作ったものでしようか(その場合は、どこの戸籍から分家したか…で、本家の戸籍も気になりますね)。
あるいは、戸籍制度で戸籍が新規に作られた、それがそのままという戸籍でしようか。
今は、婚姻すればかならず、戸籍はあらたにつくりますね。
@@mattsong3975 さん
辿れるのは明治19年式戸籍までみたいです。
明治5年式戸籍は閲覧できないようですが、複数の名前が書いてあったかもしれませんね。
うちの家も昔は仮名は代々 四郎左衛門だったらしい
姓は、本来女系出自を表す。
漢字の字義そのままである。
ところが、八色の姓が制度化されて、天皇家を頂点とした出自的な階級制度とした。故に、八色の姓の頂点は、真人「宮家関連」、次が朝臣「朝廷の重臣」となる。故に、姓は本来の意味とは異なり、宮家がランク付けた家系評価である。
神動画。 永らく、徳川慶喜は源慶喜であったはずで明治の世となった時に、本名はどちらであるべきだったんだろう? と疑問でした。世が親天皇制のなった時にこそ源慶喜が正式であるべきだろうし、歴史では徳川慶喜としか残っていないし、明治4年の壬申戸籍で「源」は綺麗さっぱり消えるものなのか? と思っていたら、大隈重信が菅原朝臣重信だったと。ならば国の法律よりも氏名が有効概念だったとの証左となりますね。 明治においても
源慶喜が正式と考えて良いのでしょう。 さらに現在の世でも先祖が源氏であったなら 戸籍外で源と名乗っても良い。と言う事か。と思われます
壬申戸籍とは、現在は一般に閲覧禁止?とされている戸籍のことですね。
士族とか平民とかの続称が書かれているのは聞いてましたが、大隈重信の場合、「朝臣」という『カバネ(姓)』も書いてあるのですね。
壬申戸籍は、続称とともに、カバネもあるのでしようか?
@@mattsong3975 いえ、逆だと思われます。明治新政府の壬申戸籍は、日本の律令制度以来の名前の概念を改めて、名字と名前の構成にした制度だと思われます。その為、源などは法令上消えたわけです。だがより親天皇制国家ならば、徳川は源であるべきであるし、個々の家も天皇からいただいたものは消える事はないだろうと、どっちなのだろと
町人なので苗字+仮名+本名でした。町人や農民に無かったのは氏と姓で苗字は大体あったんですよね。
そこらへんが分かってない人が多い。
農村だとまとまって同じ苗字の所(今の私の付近もそう)にしているの多いですけど
母方の地元はかなりバラバラだったからもしかして江戸のころよりあったのかな?
@@kirin4126 農村も場所に因るのかな?私の近所の農村は苗字があったそうです。ちなみに大阪です。
@@user-rr6on5gn2x苗字だけじゃなく町民や農民にも氏姓があったケースはそれなりにある
正確には「名字帯刀御免」などという言葉があるように、苗字については公称は特別な許可を得た者以外は許されていませんでした。
これをもって、「苗字は持ってなかった」とも言えるし、「実際には先祖代々受け継いでいたので持っていた」とも、どちらとも言えますね。
氏姓名字仮名諱の順番は前後することがあるのでしょうか。
バカボンの弟はハジメちゃんつまりバカボンはいないものと・・・・・
次男だから次男(つぎお)と、とても安直につけられた我が伯父さん
厳密にいえば、三千代が橘の氏を賜っても、その氏は葛城王には引き継げないですよ。
氏は、男系の血統名ですから。
そうとも言えない
鎌足が藤原をもらったときにいとこなども藤原を名乗り出している
その後、不比等が成長し立身出世してから、天皇に頼んで藤原を名乗ることができる者を不比等に限定した
姓を貰った三千代または天皇が誰に継がせるか決めていればその者が継ぐことになると思われる
実際、女系も男系とともに尊ばれる。橘氏の氏の長者は藤原氏の氏の長者が兼務している
イチローは昭和初期生まれ説(イチローは次男、ちな兄も存命)
父親の名前の一部をもらってたはず
なんで数字の方与えたのかって話ですが😂
どこから見ても田舎の出身ですが、屋号がない地域でした。
母の実家(同じ市内の街中)のほうは屋号があったので、わたしの中では屋号=街という間違った印象に😅
そう、そのあたりが教科書でも混乱してるのが良くないのよね
織田信長、徳川家康と呼ぶのなら、羽柴秀吉でないと呼称が合わないし、
豊臣秀吉と呼ぶのなら、平信長、源家康に揃えないと呼称が合わないのよ。
彼は正式には豊臣朝臣羽柴藤吉郎秀吉なんでね
確かにこんな感じでしたね本名。
最近の大河は仮名を使うこと増えたが、諱で通すほうが話が分かりやすいんだよね・・・リアリティも大事だがわかりやすさも大事よ
伊織とか、格好良い名前と思っている人が多いですが、
頼母とかと同じく、なんちゃって官職名ですしね。
戦国武将の氏姓をどこに書くのかもっと深く説明してほしい。
親の名前あるある・・・
漁師の家だったので船の名前とかで判断する人も居ました。なにせ近所に同じ苗字が複数人w
後は、家が分家だったので親父が本家の〇男坊とか話すと「ああ~」みたいな。
田舎あるあるですねぇ
「朝臣」ばっかりになってややこしくなったら、普通なくすか変えるかしそうなものなのに、さらに新しい称号をつくるのがおもしろいな
私の田舎も年配の方に何処の子かと聞かれたら屋号◯◯の次男ですって答えますね。同じ苗字が多いので本名言っても理解してもらえない(笑)。
隋書だと俀王姓阿毎字多利思北孤、姓はアマ、アメと言っているから、アマが姓だったんだと思ってた。だから「天孫」で「天皇」なんだと。
氏姓苗字官職仮名諱でも苗字仮名氏姓諱の順番でもどっちでもいいんですか?
田舎は同じ苗字が多くて名前を聞いても年齢層が違うと分からないけど
屋号聞くとすぐ分かりますよ。
9:02 サザエさんもと思ったけどちゃんと例として出てきた
親戚同士だと名字が同じなので屋号で区別してましたねw
私の場合母の実家の土地では母の実家の屋号+(方言キツめ)お兄ちゃんで周囲に呼ばれていた😅
父親の名前や地名を名乗る、よくわかります。
「〇〇(父親)の息子です」とか「〇〇(地名)の〇〇(苗字)です」
こう言えばだいたいわかってくれます。
姓(かばね)は、下層民(地下凡下のうち、凡下かなあ)には与えられないという理解でよいのでしようか?
蘇我大臣入鹿の家の使用人たち、奴婢たちとか。また、入鹿の家族や蘇我氏分家の当主や構成員たち。
蘇我氏分家でも蘇我倉山田みたいな有力分家の当主は、しつかり姓(かばね)がありますけども。
姓は地位や役割を示す称号とのことですが、天智天皇が与えた藤原などの姓はそれとは異なるのでしょうか?
律令体制での戸籍制度ですが、ウヂとカバネはどうなつていたのでしようか?
ウヂノカミやその親族は、戸籍に載せたのでしようか。カバネもあると思いました。
それとも、戸籍に載るのは、公民(隷属民)、ウヂの隷属民だけでしようか? こういうとき、カバネはなさそうにも思いました。
公式文書だけに使うというのは、今で言うところのセキュリティ意識だったのかな
実印はむやみに使わないみたいな
俺てっきり家康は三河守かと思ってた。
愛子内親王が赤十字社に入社されましたが、
履歴書の苗字の欄にはなんと書いたんだろう…と思いました。
皇族は名のみの記載ですね、
運転免許証もそうです。
宮号は苗字ではないので書きません。
@@user-ponkotsukakumei紙とは違いスマホの本人確認や設定は名字を記入しないと登録できないと思うんですが、どうしているんでしょうか?
@@omnt6750
確か特別設定だったはずです。
そもそも皇族には戸籍が無く
本籍地も「日本国」のみなので
契約段階から一般国民とは違ってきます。
システム上苗字の欄に入力しないと先に進めないとかの場合、便宜上「敬宮」って書いてると勝手に予想します
西郷隆盛のくだりでメッチャ笑った
信長は平 朝臣が先で家康は源 朝臣が後なのには何か理由があるのでしょうか?
徳川家康は藤原姓→源姓→藤原姓→源姓→藤原姓→豊臣姓→源姓と使い分けていました、まぁ氏素性の定かではない土豪なので箔付けに必死だったのでしょう
これは羽柴秀吉も同じですね
秀吉は天皇からの征夷大将軍就任要請を断って関白へなりましたが
織田信長は越前の神官だった家系なので平家説はあり得ますね
16:18これって現代でいうところのタイでやってるチューレンってことよね。
磯野(名字)藻屑(仮名・通称)源素太皆なので、磯野カツオは源氏の男系男子でいいですか?
アーノルド・シュワル・ツェネッガー
ヤバイ😨
麦わら帽子の👒
裸ん坊可愛い😊😅
あっ、中学の社会の先生の質問への答え正解してたやんかー、😂ひでえー、間違いにされたわ
信長と家康の氏姓の位置、なんで順番が違うのでしょう。どこでも良いの?
家康は将軍になるために清和源氏名乗ったって言われてるね(将軍は源氏か平氏しかなれなかったから、要は皇族の血が大事、だから秀吉は将軍に成れず、関白になった)
物部そのものが かばね でしょう 忌部源大将。。。。。。。となるのでは
2分40秒辺り、皇統譜 は歴代天皇の戸籍、皇族全体の戸籍は 大統譜
に記載されます。
屋号多いね。昔営んでいた商売とかが屋号になってるとか。
先祖の出身地が屋号になったりとかね。
酢を醸造してたので酢屋とか焚きもの屋とか商売していないけど先祖が丹波から出て来て丹波屋とかね。同じ名字で〇〇の歯医者とか〇〇の溶接屋とかね。
西郷隆盛のエピソード聞いてなぜか志村けんさんを思いだした
(原理はやや違うけど…)
夫婦同姓とか議論ありますけど、この言葉はいつ頃、出来たのかな、と思います。
今は、「氏(うじ)」も「姓(せい)」も「苗字/名字」もごちゃごちゃですけども、このごちゃごちゃ状況を前提に新たに作られた言葉なのかなと訝しんでいます。
ひょっとして、もともとある言葉であり、「婚姻により『カバネ』は同じとなるか、否か」の議論であつたのかも知れないと疑っております。それを今は別の意味でしれっと使っているのかな、と。
民法(婚姻法)では、流石に「氏(うじ)」と書いています。
諱本名って現代でも友達以外あまり呼ばないね
信長様とか違和感なく聞いてるけど、上司まして様とか敬ってる相手の下の名前呼んでるって違和感しかない
いや、“せい”と“カバネ”は違う
同じ文字なんですが
“カバネ”はそのまま官位/身分/八色姓
“せい”は本姓、本来の姓、つまり血縁集団、氏の意味
うちの祖父は何故か戸籍上は父親になってるし曽祖父時代から養子縁組関係ぐちゃぐちゃになってたw
「せい」と「かばね」が同じ漢字だから余計に??になる。
戦国時代も結局源氏と平氏の跡目争いなんですよね
織田信長が上総介を僭称していた時代にはまだ三位以上の官位を得ていなかったので、「朝臣」姓は諱の後ろに付けなきゃならないのでは?
「織田上総介三郎信長朝臣」じゃないかと。
三位以上なら氏の後に朝臣を付ける。
地元で親や屋号を名乗るのはよく分かる
商売してるから余計に
あれ?俺は菅原だから朝臣?な〜んてね
明治神宮の昭憲皇后も誤って昭憲皇太后のまま。神名を誤ったまま直さない
日本人ておおやけに決まったことを方向転換させるのすごく苦手ですよね
この辺の面倒な名前の構造はブラジルあたりだと現役だな。
元サッカー日本代表の闘莉王は「マルクス・トゥーリオ・リュージ・ムルザニ・タナカ」だったっけw リュージは父親の名前由来だったか。
「三郎」は信長限定だったんだろうか?三郎さんいっぱいいそうで、「三郎殿」がその場に20人くらいいるとか
信長がその場にいるなら間違いなく「御館さま」って呼ばれるから区別はつくよ。
ちなみに「上様」とは呼ばれてないだろね。
上様は将軍様に向けていうから。
だから暴れん坊将軍で「上様」って呼ばれる。
上様の上は全ての武士の上に立つ人だから。
苗字「織田」と本姓「平」が逆というか位置が違うような...多分「織田次郎三郎平信長」が正しいのでは?