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隆家が眼病を患わず、太宰府へ行くことがなかったならば、この戦いの結果は大きく違っていただろうと思うと、歴史の采配の不思議を感じるね。
こういう運命的な流れを見ると、世界の深層には普通の人間には察知できない何らかの組織が活動している気配を感じてしまうね。
日本って不思議な国ですね。昔からずーっと滅びないから🥰
朝廷中枢の者たちのことは、現代のことと照らし合わせても、刺さる話だなと思う。
ご先祖の頑張りに涙が出てくるな未知の相手はさぞ恐ろしかっただろう
平安貴族が最も勢いあった時期でこれだとそりゃ武士に実権握られるのも当然か
公任たちの恩賞不要論は全くもって誤った意見だと思う。藤原隆家の防衛した大宰府は、奈良時代に対外防備および九州を総管するため設置された役所である。中央から任命され、その役職にある隆家が軍事力を持って外敵を打ち破ることは、至極筋の通った話なので恩賞を認めないということは返って中央政権の権威を損なうことに繋がり、貴族は自分達の首を絞めることになる
太宰府設置は記紀には記されていない。だから大宰府の正確な創建年は不明。
白山江の戦い(663年)で負けたための国防施設を周囲に造ってるわけだから、正確に分からなくても、奈良時代以前ということくらいは分かりますよ。
女真って馬賊みたいなイメージしかないから海越えて乗り込んできたのが意外でしかない
ツングース系は基本的に馬乗らんよ。
@@日本人目覚めて下さいいつまで狩猟で生活している民族なのに馬乗らない?
ツングース系は基本的に採集・狩猟民族でしたから女真でも狩猟グループや遊牧グループに別れてたっぽいけど、それは後々の話
漁労の民でもある。
女真はこのあと金帝国を創建して遼を滅ぼし、徽宗帝と皇子たちを拉致して宋帝国を南に追いやり、おそらくチンギスハーンが登場しなかったら宋にかわる統一王朝を築いていただろうし、後年にはそのモンゴルをも従えて清という大帝国を築き上げている。康熙・雍正・乾隆と三代続けて名君も輩出したし、かなり有能な民族である。
日本が海外からの襲撃と言えば元寇ですが、それ以前から色々あったのですね。勉強になりました。
たまたま偶然ですが、先週に葉室麟氏の小説「刀伊入寇・藤原隆家の闘い」を読み終えたところです。この小説は葉室麟氏の作品としては珍しいアドベンチャーファンタジー仕立ての小説となっています。この動画で紹介されているそのままの歴史に隆家の私生活を重ねて描かれた作品で、なかなか楽しめる小説でした。
一度読みましたが、また読み返さなければ。
❤
葉室麟の刀伊入寇、私も読みました。感動物ですね。
隆家の偉い所は、全然足りない朝廷の恩賞の不足分を自腹で補って共に戦った武将たちに与え、その功に報いたことである。なので九州の武士たちの間では後世まで隆家の功績を称えていた。撃退したさいの戦術も計算された鮮やかなものだった(戦の経験も無いのに不思議だが)ようで、名将だったといえる。
小説になるとは、最初分別なき人と思ってましたら、貴族らしくない、大和魂の持ち主。天晴。武士らしい人。
高校の頃、古文の授業で大鏡「隆家の剛毅」として刀伊の入寇の話を知り平安貴族でもこんな豪胆で有能な人がいたのかと驚いた。来年の大河番組が楽しみです。
平安時代のドズル・ザビだと思ってます
「光る君へ」の影響もありますがこの動画で「刀伊の入寇」を分かりやすく知る事が出来て、ありがたいです🙏
元寇の資料とかから想像するに、当時はもっと内陸に海岸線があったはず…警固所とかも海から近かったはずだから、更に切迫してただろうなぁ。
当時の警固所は鴻臚館のそば、舞鶴公園内辺り〜赤坂らしいです。現在の中央区警固とは別の場所です。
隆家はマジで道長なんぞ比べものにならない傑物で菊池氏が多少系図変えたのも分かる
菊池氏は系図を変えたのではなく隆家の子孫です。隆家→政則(幼名基定ー隆家五男)→則隆(菊池に改名)
詳しく知らなかったので解説していただいてありがたいです。
忘れられた歴史という感じですね。応永の外寇や寧波の乱、三浦(さんぽ)の乱にも興味あります。全然時代が違いますが、阿倍比羅夫の征討もかなりの遠征で興味深いです。ネットの日本の年表見ても載ってませんが、英雄の選択という番組の年表に載ってました。
隆家は貴族とは思えない凄い気性で!剛腕ってイメージです。撃退して流石の道長も恩賞を渋々与えたと習ったイメージでした
刀伊の入寇は、高校の日本史で習いました。こんなに酷いことがなされていたなんて知りませんでした。詳細に教えていただきありがとうございました。
昔の戦争なんて全部こんなもんだぞ
平安貴族の危機への興味のなさは、現代のマヌケな政治家みたいやな。
中央政府は危機感なかったね。現場に近いところはさすがに現実を見た。それから一部の貴族は戦場に自らちゃんと行ったよ。今の政治家と同列に扱うのは失礼だろう。
当時の中央の貴族としては"国難に際して有名な寺社に祈祷を依頼する(寄進もする)"事が対応だったと聞いたことがあります。感覚の違いではありますが、寄進だけで現場に報いないのはどうかと思います。
平安貴族がクソすぎて武士が生まれたのは不幸中の幸い。隆家は九州の人たちにとって英雄の中の英雄ですね。平安時代に面白い話なんてあまり知らなかったので、ほんとに見ごたえがありました。何なら大河ドラマにできそうな話でした。
雅なイメージがあった隆家さん。こんなに武闘派だったとは知らなんだ。
いつの世も、中央の役人どもは己のことしか関心無く、地方を置き去りにする。
高麗に使者を送り、討伐を依頼し、人質を送還してきた高麗の使者に黄金300両を与えたと大鏡にあります。
来年の大河「光る君」で取り上げられるみたいですね。
武士の発祥について、非常に興味深く視聴しました。有難う御座いました。
やっぱ武士が台頭するまでの朝廷は国防に関しては無能の極みだったんだなしかし壱岐対馬は色んな時代で悲惨な目に逢いっぱなしだな
今日の沖縄北海道にとっても他人事では無いよなぁ
秦王朝の趙高や後漢末期の張譲や明王朝末期の魏忠賢のような奴らが政治家になってこの国を牛耳ってるようなものですからね。
それ全部ちょー国賊じゃん
@@takazaki1824 東京大阪もねというか日本全国がやばいです
対馬は今も韓国からの観光客で大変迷惑を受けていますね。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど名こそ流れて なほ聞こえけれ隆家の誉れは時代を越えて、現代でも評価されています。
藤原隆家、太宰府に赴任して、刀伊と戦うって波瀾万丈の人生ですね!!😅
藤原隆家は腰痛だったか、何かの病気持ちでそれに悩んでいてね大宰府によい医者がいると聞いて、自ら赴任を望んでいたそうだ
ああ、眼病だったか。動画でも言っているな
へぇー、驚いた‼️藤原公卿にもそんな骨の有る漢がいたとは😮藤原隆家かぁ.....覚えておくぞ🎵その名を❗️やはりいるところには漢がいるものなのだなぁ😂
そやで不良貴族の隆家はマジカリスマあの道長ですら恩賞を渡さ無いと行けないと恩賞出したから
むしろ隆家を主人公にした大河にしてほしいです
実現するかもしれませんね
藤原隆家は中世九州の豪族菊池氏の家祖だと言われています(そうではないという説もあるようですが)。のちに菊池氏は後醍醐天皇の子供の1人である懷良親王を擁して太宰府を占拠するわけです。隆家の偉大なる業績は後醍醐天皇も一目置いていたのかもしれませんね。今回もすごく勉強になりました。ありがとうございます。
藤原隆家の孫の菊池則隆の子孫には西郷隆盛がいますね
菊池氏が参加した征西府は、倭寇説あるね
いや結局、藤原政則の系図は京都側藤原家にも残っており政則の墓も熊本に現存していることから菊池氏は隆家の子孫で確定しているよ。歴史学の悪いところはせっかく新しい研究が進んでも古い教科書から進んでいないとそれがさも一説のように残ってしまうこと。恩賞も菊池領を与えられて丸く収まってる。ロマンなのは元寇文永の役のとき参加した武士団が大宰府小弐家と肥後菊池家、松浦党というこの刀伊の入寇に関わった人たちが鎌倉幕府がうだうだしている間に独自に防衛戦を始めたのが運命を感じますね。
隆家の子孫なら九州の武士の家ではwelcomeだと思うので、もっと広がっていると思う。
追伸:隆家の子々孫々は繫栄しました。(例:池禅尼など)
この当時、すでに防人は廃止されてたんだっけ?武士は軍隊ではなく、私兵。だから始まりから終わりまでずっと「家」単位で動いてた。
防人は平安初期に廃止されたようです。飛鳥時代から奈良時代にかけての朝廷には、唐軍が攻めてくるかもしれないという恐怖があったようです。でも奈良末期に、唐で内乱が起こり唐は弱体化、もう唐軍が攻めてくることはないと、平安期には朝廷はすっかり安心してしまっていたようです。
桓武天皇の時代に廃止された模様>防人
防人・・・さきもり と読みます。読めない人がいるかもしれんので(さだまさしファンなら読めるw)。
@@giantnioinoba2023パチスロで覚えたから大丈夫だ👌
刀伊に虐殺を免れ拉致された人間は「労働力」なんて生易しい境遇ではなく、実際には「食料」として連れ去られていたそうです。
リアル鬼、、?🥶
元寇と同じく両手のひらに孔をあけて綱を通して船べりにぶら下げたということですね。
その残虐さの遺伝子は現在も変わっていません。日本人の優しさはあの国にとってはつけいる材料でしかないですね。恐ろしいです😢
大陸系の蛮族は、想像を絶する残虐さですね🤯
刀伊に関しては、そのような記録は聞かされてないが刀伊は拉致した人たちのうち、年老いた者たちは殺害し、海に投げ捨て壮年の働けそうな者たちは残したというから奴隷として売り飛ばすのが目的だったのでしょう
刀伊の入寇で一番ヤバいのは律令自体が崩壊しかかっていて軍団も整備できなくなったところに侵略を受けているからワンチャン日本滅ぼされる可能性があったことなんよね
こんなところにも、「幕府」成立の萌芽が…
平安貴族は、特に『穢』を畏れて居たので『死』とか『血』なんてのを兎に角避けてましたからねぇ。褒賞の件も関わり合いになるのさえ忌避したかったのではないかと。元寇の時に褒賞を出さなかったのも同じ理由が少なからず有ったんじゃないですかねぇ。
井沢元彦さんの「逆説の日本史」でも触れてます。
平安期の貴族だけではなく、現代の一般人にも受け継がれている宗教観だと思います。何も大戦後の「民主化」「平和教育」の結果ではありません。
元寇の時は武家の北条氏だからそこは関係無いのでは無いでしょうか。
@@onejapan8791元寇の際、撃退の報告を朝廷に上げても褒賞無しだったので北条氏が自腹を切って褒賞を出したってのはアタシの中では有名な話だと認識してました。このおかげで鎌倉時代の武士は、源氏ではなく幕府に御恩を施されたので御奉公で還すと言う封建制度が確立したと習った気がします。
@@佐藤宏征-m2c さん幕府が褒賞を出した話は知らなかったですね……元軍を撃退したが防衛戦なので褒賞がないため武士の不満がたまり、それが鎌倉幕府の滅亡の原因となったと習いました。主従関係で言えば朝廷と武士ではなく、幕府と武士なので朝廷はあまり関係無いと言う認識です。権威は朝廷、権力は武士と言う構図が既に確立されていたと思っています。
大変面白かったです!御堂道長が盛栄した時代に刀伊という外圧からの侵略があったことも、甥っ子の隆家なる傑人が退けたことも知りませんでした。対馬、壱岐の人々は元寇のときも悲惨な目にあわれて痛ましい限りです。
藤原隆家、華やかな貴族としての顔だけでなく精悍な武人としての二つの顔を持った文武両道の立派な前線指揮官だったのではないかって思うと同時に、この人こそが事実上の最初の武士というか侍に相応しいなって思えます。
😢
対馬、壱岐の人々って本当に可哀そう・・・
同じことがまた起きそうな気がする。
@@makotofujii904対馬と壱岐から▲鮮を追放し、ミサイル並べて軍事要塞化しないといけない。まともな国なら当然そうしてる。 それどころか今は、▲鮮人がずいぶん入り込んで投資して観光に来て、対馬は▲鮮の領土などと歴史の捏造しプロパガンダし領土強奪をしようとしてる。それが▲鮮人というものだということを日本人は理解すべき。 尖閣諸島も竹島も北方領土も樺太も沖縄も北海道も九州も大阪その他日本中あちこちで▲鮮人や共産主義者,そのお仲間が歴史を捏造プロパガンダし領土泥棒をしようとしてる。
安定という惰眠をむさぼり、安危に対しても自分の栄達や恋愛以外に関心なしというのは国家に限らず組織ではよくあること。武士の世の潜在的なきっかけと考えれば、その後も納得の事件。もっと大きく扱ってほしい。
最後の朝廷が刀伊との闘いの功労者に対して恩賞を与えるか否かを議論しているのを聞いた時にはいまの日本の国会での安保に関する議論を聞いているようで、ぞっとしたよ
@@御神誉黎全然変わっとらん。
3:38 この歌で驚くのは「目がよく見えないので月もよくみえないなぁ」という意味もあるそうです。自分の権勢を誇る歌じゃなかったのでわないかと解釈されてた。
この2年ほど、『枕草子』『紫式部日記』『蜻蛉日記』などを読んで、世界史の教科書ではごくごく表面的にしか触れていなかった、藤原氏とその周辺の人間関係にもそこそこ詳しくなりました。その上でこうした動画を見ると、また違った見方ができて、大変に興味深いです🙂。
元寇は有名だがあまり知られていない刀伊の入寇。然し体を張り日本を守ってくだされた先達に感謝申し上げます。🙏
早田ひなさんも…
京都に戦の炎が及ばない限りは、公家衆も事の重大さに気づかないわけだ。武士の世になってからは、大変やわな(特に応仁の乱)。
この時の松浦での戦いの後、元寇が攻めてきた際も松浦党武士達(松浦海賊)は活躍して元に対して徹底抗戦し殲滅するわけです。博多では昔から言うこと効かない子供に対して「むくり」や「むこ」がやってくると戒めていた。 博多西区の蒙古山(別名:ムクリ岳)がある。
隆家は、三条天皇の時に済時の娘が立后する際、道長の政略でほとんどの公卿が欠席する中、実資らと共に立后式に出席した数少ない公卿のひとりで、実資と隆家はもともと仲が良かったようです。刀伊の入寇の際も、隆家は朝廷への知らせとは別に実資あての手紙を届けました。非道長派の実資と隆家、大河ドラマでこの二人がどのように描かれるのか興味があります。
二人は仲が良かったのですか?兄の伊周は、冴えない貴公子だと思いますが、中関白家も隆家中心であればよかったと思います。小野宮家と協同すれば、道長流を排除できたのではと無想します。
2024(R6)大河〝光る君へ〟10〜11世紀の腐り切った時代ですが、ドラマの軸は狭い京都朝廷の内裏となり、地方の荒れた戦闘場面は描かれないと思われます😓
来年の大河「光る君へ」に藤原隆家出てくるみたいだから触れてくれるかなあ
無理。隆家は竜星涼が演じるそうだが、九州に赴くところで終わるだろうな。
実際に戦った平為賢が出てきたので(その家来双寿丸と賢子を出会わせて)本気でやると思う。(これがなかったら戦無しの大河となる)
12月1日の大河ドラマ光る君へで、刀伊の入寇が描かれるみたいですよ。
いやあまさか式部を大宰府に行く展開にして絡めてくるとはね。これはフィクションだけど主人公が歴史の大事件を見たっていうのは大河ではよくある話だがそうきたか。今までそこまで大きくは史実からは逸脱してなかったので意外だが楽しみでもある。
モンゴル帝国の樺太侵攻の解説も見てみたいです!
応永の外寇、元寇の実態を子供たちに教えなければならない…
比較的、注目されない事を発信頂きとても嬉しく思います。藤原隆家の真実とは言い過ぎかもしれませんが、外敵退治という別の面が公表された点は、歴史の1ページに刻まれたと思います。ありがとうございます!
隆家は、枕草子や大鏡にたびたび出てくるので、古文の世界ではおなじみの人物ですが、もともと父道隆が摂政、兄伊周が内大臣で、姉定子が一条帝の中宮、自身も確か中納言で、当時としては超エリートだったはず。太宰の権帥は明らかに左遷で、そこで腐らずに、地道に在地の武士団を組織していたから、入寇に適切に対応できたのではないかと思われます。光源氏も須磨流謫の際、土着化した受領の明石入道と結んでいるので、平安貴族も決して無能だったのではなく、地方の在地領主層を摂関家の武士団として組織化する手を打っていたのではないかと思います。
なーんだ姦盗賊の下げ話か
得川カス康が
吉川・小早川・輝元の裏切りのお陰で天下を取れたのに減封し、福島を取り潰したより遥かにまともな報酬じゃん♪
権門の育ちにもかかわらず武魂を失っていないとは、隆家は根っからの武人だったんですね。平安時代の藤原一族の一人として、明らかに変わり種です。しかし、その男が優れた将才の持ち主だったというのは、歴史の神が選んだ運命の男だったんですね。
お
非常に勉強に成り、有難う御座いました。小生の先祖も元寇の時、鎌倉幕府から大宰府に派遣され(元々、源義朝の家臣)その後九州に土着したと伝えられて居ります。
由緒正しい立派なお家柄でいらっしゃるのですね!
@@rtpc5 それ程でも有りません。先祖の先祖の大先祖は、サルかゾーリムシです。
何か残っている記述等ありませんか?
@@nadeshiko5689 記述等は有りませんが、尾張地方の著名な豪族の名前と、福岡県の我が家の一族の伝承のみです。
案外(武家は)本に載ってたりする
2:37 高麗語でtoiと発音していたものを、日本が刀伊と当て字したんだろうけど、そのころハングルなんてまだ存在してないだろ。
東夷=刀伊?
現代日本も平安貴族な東京グロバより地方創生で力を付けていくべきですね。
「刀伊の入寇」勉強になりました。
刀伊払いというのが、アンゴルモア(元寇)の漫画に出てきますが…こんな歴史があったんですねしかし…九州武士が強いのは…日本の激戦区だったから…なんですね
今でも北朝鮮から人さらいに来てるじゃないの。スイスのように民間防衛って必要。
最近のサヨク「日本みたいな衰退国家を攻めてくる国なんて有る訳がない」台湾問題というやつを知らないのかな?
昔のあさせん半島の人口移動の理由が誘拐・拉致だから仕方がない。
これだから、武士の時代になるわけですね。
この蛮行が有ったのに約千年後日本秀吉が攻めたら虎の威を借りた様に食いついてくる
女真(満州族)が南下したのが後の朝鮮王朝
この刀伊の入冦は知っていましたが❔こんなに詳しくはなかったです。学校では刀伊の入冦っとしかなかったです。詳しい資料も全然なかったです。ほとんどは元寇ばかりでした。平将門の乱も起こってましたから、
ていうか日本史と世界史をリアルタイムでも見ていくと日本人と外国人でまるで戦い方や生き様の感覚が違う武士と蛮族ほんとに同じ人間かと問いたくなる地元の外国人もほんとに酷い、蛮族平安時代と違うのは戦えないという点
多分、この国のお偉方や上の人たちがそれを知ってるから、わざとそうやって戦える力を日本人から奪って、徹底的に自虐的なことを植え付けようとしてるのかも。自分の学生時代の教師たちは特に酷くて、徹底的に自虐的なことを叩き込まれましたから。日本人は○されても犯罪に巻き込まれても何も言い返せないし、言い返す資格なんて無いし、全てにおいて日本人が悪いからそうなるんだとか。
御成敗式目ができるまで武士と蛮族なんて大差ない
一般人を斬り捨ててもなんの処罰もなかった武士は蛮族じゃないのか?
隆家の神社があれば御礼に参らねば
私も喜んで参拝します。
1019(刀伊来る)年とか言う、バカほど解りやすい年に来てくれた受験生の味方。
「刀伊、九州に来襲せり。」と、覚えた。
「勉強しろよTOEIC」で覚えました(^^)
関ヶ原の戦いと並んでわかりやすい。
応永の外寇も刀伊の入寇のちょうど400年後です覚えやすかったですよね
とい苦しむだと思った
現代でも、海賊じゃないにしろ、似たような事をしている国がありますねいずれ、その国も刀伊と同じ道を辿るんでしょうね...
厄介なことに国際的なネットワークを構築してるのがその頃と違うところですが。場合によってはこういうのの摘発に日本も本腰を入れるべきに思いますが、少なくとも連合国の五つの内の二つは日本を牽制する目的で逆に利用してるでしょうね。
刀伊の入寇懐かしすぎる高校の時にコレはテストで差が付く問題!って思って覚えたけど模試でも試験でも問われなかったなぁ
さだまさしのセイヤングで『大鏡少年』呼ばわりされた古典教師がネタにされていたなぁ。『今年の〇×大の古典試験には大鏡が出るぞ』と生徒に言って、案の定鬼外しをし、受験した女生徒から恨み言の代わりに仇名を奉られたって件ですが。コレが日本史の先生なら『十違の入稿』扱いだったりするようで。高校の史学の先生は、なぜか自作のプリントを使って授業を進める人が多いので『入稿』としたのでしょうが、コレには笑ってしまった。
公家が自分のことしか考えてないのは今と変わらないんだな
とても勉強になりました。有難うございます。
その時の都の為政者と今の国の為政者、とても似てるように感じてしまいました。🤔
隆家の時代から、指示がないのに戦ったんで恩賞なしなどと、今の左巻き政党のような、呑気なこと言っていたのがいたんだ…
殆どが無しって言ってたが!あの道長が出さないとアカンと思う程の事をした偉人
元寇前の鎌倉幕府にもこの事件は知られていただろうか。それにしても対馬や壱岐の人は毎回災難に遭って可哀そう(小並感)
国境地帯ってそういうリスク抱えてるもの
眼病治療で大宰府に行った際に、こういうことが起こるとはなんともドラマチックですな。中央との確執含め映画かドラマにしたら面白そうだ。それにしてもこういう国難を教科書数行で終わらせる日本の教育は大丈夫なのだろうか、と思ってしまうね。
藤原朝廷、検討士が多過ぎでしょ……
国防をおろそかにして自分の出世しか興味ない当時の公家、今の外務省みたい。😶
絶対貴族制3000年は伊達じゃないです
「 個別の案件にはお答えできません」…ざ〜けんな!!
外務省だけではなく財務省(旧大蔵省)が諸悪の根源。GHQの占領政策で日本を強くしないのが奴らの存在意義だからな。財政法4条と憲法9条の関係がそれを物語っているのだよ。
どっちかというと財務省の方では?
@@koge3977 どっちもでしょうね
ハングル文字を日本語に当てはめたところ、刀伊と呼んだと言われていましたが、ハングル文字が発明されたのは室町時代なので、襲来があった頃に、既に刀伊と呼ばれていたら、ハングルとは別の由来でしょうねぇ。
とてもわかり易い。NHK番組はよくわからなかった。光る君と合わせるととてもよく分かつた。ほめます🎉
シルクロードはカスピ海からアムール川迄の日本海に出ると舟の旅で物流があったがヒマラヤ山脈の地下水の汲み上げで水がなくなりモンゴル帝国ができたと何かの本で読みました❗らくだで運ぶよりやはり舟ですね❗
平安時代の貴族は現代の政治家と生態が良く似ている。
岸田「これがわーくにに対する侵略であるのかまず検討を重ね」みたいなな💢
平安貴族を舐めちゃいけない。基本働かないし、領土の管理を任せられても京を出て田舎に行きたがらないから、地元の有力武士に仕事を丸投げして貴族達は、基本その武士達からくる税をピンハネしてた。朝廷もそれを見てみぬふり。あと平安貴族は血を恐れるとか言うけど、かなり血生臭くもあった、ある皇族のエピソードでは、気に入らない貴族を皇族と取り巻き達が京の街で待ち伏せして、馬車を襲ってその気に入らない貴族を衣服がボロボロになるまでリンチして半殺しにしたとかね。
今の政治家は平安の貴族よりもインテリではないし、平安の貴族は今の政治家ほど働いていない
いや全然昔のほうがレベルが高いよ 問題にもならない筋はちゃんと通ってるわけだし
似てるw 侵略者の誤算は不良貴族の隆家のカリスマ!馬を走らせて決戦に行く先々で豪族が隆家に臣従しながら!討伐に向かった事w流石の道長も恩賞を出したらしいからな
ノブレス・オブリージュ。公家→武士の世になったのも必然。
公家の威光を利用してという特殊な状態になるんだけどねー笑武士は強いけど、法律やしきたりとかそういう文化面が無知だったから、お金払って公家や貴族から学んだ。それに公家や貴族の威光を使った方が楽ってのもあったしねー。
武家が全く公家と関係なかったかとそうでもない。源氏や平家は天皇が子供に苗字を与えて独立させてる。あなたのイメージは恐らく織田信長以降の物では?
@@三木英太郎みきえいたろう 織田以降も結局、天皇、貴族のちから、威光が有効だったから、秀吉や家康はむしろ利用したよねー
@@著著 そういった公家社会からの決別が鎌倉幕府で武家の論理を押し通す時代を作るようになったんだよ。そこで流行しはじめるのが禅宗。鎌倉時代以降漢語造語が多く造られはじめるんだよ。それに古今和歌集の正当教授は細川家が受け継いで。貴族が教えられるのは源氏物語ぐらいしかなくなっていく。大名間の結婚が禁止されて以降結局公家から嫁をもらう程度の付き合い料を払っていただけだな。
とても勉強になります!
なんか、九州の武者が強い理由が分かる気がするな(・ω・)これだけ外敵から侵攻があれば強くならざるを得ないよな(^_^;
今も九州で防大に進学する人や自衛隊に入隊をする人が多いのは、こういった歴史的背景が有ってのことなのかな?
@@池田博機 現在も続く地理的な事情とかもね。
中央は助けてくれない。と言う事も学んだと思う。
当時の侵略は分かりやすいが、現在の方が着々と侵略されつつあると思います。手をこまねいてみているだけでしかないのが歯がゆい。尖閣、竹島、北方4島、更には合法・非合法移民。
北海道は約4分の1が中華資本に買われた。領土がドンドン失われている。
尖閣諸島・竹島・北方四島を侵略してる中国・韓国・ロシアや非合法移民への警戒なら分かるが、なぜ"合法"移民までも警戒するんです?合法にまで不満に思うのなら、もはやそれは移民に対してではなく、その法を制定した日本政府・国会に警戒すべきレベルです。
@@juniortrump2887それ有名なデマだぞ
@@シュレーダーa北宮 新潟県庁近くの広大な土地も買われた。対岸にある北朝鮮の港は中国に租借されている。
藤原道長も若い頃は数々やらかしていて、決してお上品ではなかった。道長の息子頼道がやらかしてないだけで、どの平安貴族も程度の差こそあれ暴力沙汰を起こしていて、自ら暴力をふるうこともあれば、従者にやらせることもあった。
隆家がいなかったらどうなっていたんでしょうね。それよりこんな腑抜けが実在するのかと思うくらいの人間が中枢にいるというのは日本史あるあるなのかな?
刀伊の入寇 初めて聞きました。
今大河ドラマでヘラヘラしてるあの兄ちゃんが、これから救国の英雄クラスの働きをするとは……全然知らなかった!
中央の貴族の行動は今の政治家の雰囲気と似た物を感じる。
なんで?
来年の大河ドラマ、本筋ではないけど、このエピソード入れてくるかな?
日本わ、凄い、むかしの文献や、国と國の交渉記録乎、残し続けて、居ると、言う事が凄い!
この話今の政府とかぶりまくるのですが。宏池会はお公家集団なんて揶揄されていますが…やばくないですか?
今と変わらないじゃん
長崎事件とか、日本軍は何もせず、車夫と元剣客の警官が暴れまくる清海軍の兵士を撃退したしねー笑
事件は知っていたけど、こういう顛末だったとは知りませんでした。藤原隆家が偶然優秀だったわけで、同時の政府は軍事がかなりダメダメですな。
今の政府と同じですよ(笑)
長崎事件も調べてみ。何も変わってない笑
現代は平安時代に似てる部分あるしその内地方の人が再武装始めだしそう
あまり知られていない日本国民が虐殺された事件、ハングルに翻訳して拡散したいぐらい
公家政権の腐敗が浮き彫りになった事件と
自分の昇進と詩歌って、まるで今の政治家&高級官吏みたいだな。エッフェル松川、木原誠二、ガソリーヌ(笑)
あれ?当時ハングル?ってあったんでしたっけ?
あれは15世紀に作られた記号…
大河で安倍晴明が「隆家さまは道長さまを助けることになる」って言ってたけど これかあにしても行成と公任さあ・・ 実資はさすが大河でどう描かれるか楽しみだ動画ありがとうございます!
永山さん、早い段階で何とかしといて良かった。
藤原隆家の後裔の菊池氏の末裔が中学で出逢った親友であり恩人です(浪人期には本当に助けられました)(苗字は菊地だけれども).僕はバリバリの理系ですが,親友が菊池氏の末裔でもっと詳しく知りたいのと日本史への興味から日本史Bを選択しました. 熊本に行ったら菊池神社にお参りしに行きたいです.
刀伊の入寇や元寇で思うことがあるんですが、このとき日本に上陸した敵兵が日本にそのまま住んで(捕虜になったり)子孫を残したとかないんですかね?もしかしたら、現代の日本人の中にその当時の敵兵の子孫がいたりとかするかもしれません
十分にあり得ます。
捕虜でも、乱暴狼藉者は斬り罪、「蒙古襲来」 元冠の時とおなじだが、「蒙古襲来」 元冠時より緩い。捕虜は帰還してもころされるから、残留したい者は部落民として場所をして残留を許可。
子孫がいて何か問題あるんか?
福岡の唐人町ってそういうことでしょ
元寇前は、使いのものは全て斬首した、と聞いています。スパイだから。鎌倉幕府は、北条時宗かな、素晴らしいと思います。今も、強くなるしかない‼️
名前ぐらいしか知らなかったのですが、興味深かったです。来年の大河ドラマにも出てくるかな?
ソロモン海戦などの入り組んだ海戦も見てみたいです!
大河ドラマでどう扱うか、楽しみです。
そりゃこの後武士の時代になっていくわな
私の時代は、刀伊の入寇は習いませんでした。
古文で知った皮肉よ...(私事ですが)
私もです。福岡市の遺物の整理補助に臨職に行った時に元寇の少し下の遺物から火事場の匂いがしまして。混ざって古めの製塩土器とか出てたからわかったんですが「この時代なんかあったんだな」と思ってたら「トイやね」と言われ。。。
隆家が眼病を患わず、太宰府へ行くことがなかったならば、この戦いの結果は大きく違っていただろうと思うと、歴史の采配の不思議を感じるね。
こういう運命的な流れを見ると、世界の深層には普通の人間には察知できない何らかの組織が活動している気配を感じてしまうね。
日本って不思議な国ですね。昔からずーっと滅びないから🥰
朝廷中枢の者たちのことは、現代のことと照らし合わせても、刺さる話だなと思う。
ご先祖の頑張りに涙が出てくるな
未知の相手はさぞ恐ろしかっただろう
平安貴族が最も勢いあった時期でこれだとそりゃ武士に実権握られるのも当然か
公任たちの恩賞不要論は全くもって誤った意見だと思う。
藤原隆家の防衛した大宰府は、奈良時代に対外防備および九州を総管するため設置された役所である。
中央から任命され、その役職にある隆家が軍事力を持って外敵を打ち破ることは、至極筋の通った話なので
恩賞を認めないということは返って中央政権の権威を損なうことに繋がり、貴族は自分達の首を絞めることになる
太宰府設置は記紀には記されていない。だから大宰府の正確な創建年は不明。
白山江の戦い(663年)で負けたための国防施設を周囲に造ってるわけだから、正確に分からなくても、奈良時代以前ということくらいは分かりますよ。
女真って馬賊みたいなイメージしかないから海越えて乗り込んできたのが意外でしかない
ツングース系は
基本的に馬乗らんよ。
@@日本人目覚めて下さいいつまで狩猟で生活している民族なのに馬乗らない?
ツングース系は基本的に採集・狩猟民族でしたから
女真でも狩猟グループや遊牧グループに別れてたっぽいけど、それは後々の話
漁労の民でもある。
女真はこのあと金帝国を創建して遼を滅ぼし、徽宗帝と皇子たちを拉致して宋帝国を南に追いやり、おそらくチンギスハーンが登場しなかったら宋にかわる統一王朝を築いていただろうし、後年にはそのモンゴルをも従えて清という大帝国を築き上げている。
康熙・雍正・乾隆と三代続けて名君も輩出したし、かなり有能な民族である。
日本が海外からの襲撃と言えば元寇ですが、それ以前から色々あったのですね。
勉強になりました。
たまたま偶然ですが、先週に葉室麟氏の小説「刀伊入寇・藤原隆家の闘い」を読み終えたところです。この小説は葉室麟氏の作品としては珍しいアドベンチャーファンタジー仕立ての小説となっています。この動画で紹介されているそのままの歴史に隆家の私生活を重ねて描かれた作品で、なかなか楽しめる小説でした。
一度読みましたが、また読み返さなければ。
❤
葉室麟の刀伊入寇、私も読みました。感動物ですね。
隆家の偉い所は、全然足りない朝廷の恩賞の不足分を自腹で補って共に戦った武将たちに与え、その功に報いたことである。
なので九州の武士たちの間では後世まで隆家の功績を称えていた。
撃退したさいの戦術も計算された鮮やかなものだった(戦の経験も無いのに不思議だが)ようで、名将だったといえる。
小説になるとは、最初分別なき人と思ってましたら、貴族らしくない、大和魂の持ち主。天晴。武士らしい人。
高校の頃、古文の授業で大鏡「隆家の剛毅」として刀伊の入寇の話を知り平安貴族でもこんな豪胆で有能な人がいたのかと驚いた。来年の大河番組が楽しみです。
平安時代のドズル・ザビだと思ってます
「光る君へ」の影響もありますが
この動画で「刀伊の入寇」を分かり
やすく知る事が出来て、ありがたい
です🙏
元寇の資料とかから想像するに、当時はもっと内陸に海岸線があったはず…
警固所とかも海から近かったはずだから、更に切迫してただろうなぁ。
当時の警固所は鴻臚館のそば、舞鶴公園内辺り〜赤坂らしいです。現在の中央区警固とは別の場所です。
隆家はマジで道長なんぞ比べものに
ならない傑物で菊池氏が多少系図変えたのも分かる
菊池氏は系図を変えたのではなく隆家の子孫です。隆家→政則(幼名基定ー隆家五男)→則隆(菊池に改名)
詳しく知らなかったので解説していただいてありがたいです。
忘れられた歴史という感じですね。応永の外寇や寧波の乱、三浦(さんぽ)の乱にも興味あります。全然時代が違いますが、阿倍比羅夫の征討もかなりの遠征で興味深いです。ネットの日本の年表見ても載ってませんが、英雄の選択という番組の年表に載ってました。
隆家は貴族とは思えない凄い気性で!剛腕ってイメージです。
撃退して流石の道長も恩賞を渋々与えたと習ったイメージでした
刀伊の入寇は、高校の日本史で習いました。こんなに酷いことがなされていたなんて知りませんでした。詳細に教えていただきありがとうございました。
昔の戦争なんて全部こんなもんだぞ
平安貴族の危機への興味のなさは、現代のマヌケな政治家みたいやな。
中央政府は危機感なかったね。
現場に近いところはさすがに現実を見た。
それから一部の貴族は戦場に自らちゃんと行ったよ。今の政治家と同列に扱うのは失礼だろう。
当時の中央の貴族としては"国難に際して有名な寺社に祈祷を依頼する(寄進もする)"事が対応だったと聞いたことがあります。感覚の違いではありますが、寄進だけで現場に報いないのはどうかと思います。
平安貴族がクソすぎて武士が生まれたのは不幸中の幸い。隆家は九州の人たちにとって英雄の中の英雄ですね。平安時代に面白い話なんてあまり知らなかったので、ほんとに見ごたえがありました。何なら大河ドラマにできそうな話でした。
雅なイメージがあった隆家さん。こんなに武闘派だったとは知らなんだ。
いつの世も、中央の役人どもは己のことしか関心無く、地方を置き去りにする。
高麗に使者を送り、討伐を依頼し、人質を送還してきた高麗の使者に黄金300両を与えたと大鏡にあります。
来年の大河「光る君」で取り上げられるみたいですね。
武士の発祥について、非常に興味深く視聴しました。有難う御座いました。
やっぱ武士が台頭するまでの朝廷は国防に関しては無能の極みだったんだな
しかし壱岐対馬は色んな時代で悲惨な目に逢いっぱなしだな
今日の沖縄北海道にとっても他人事では無いよなぁ
秦王朝の趙高や後漢末期の張譲や明王朝末期の魏忠賢のような奴らが政治家になってこの国を牛耳ってるようなものですからね。
それ全部ちょー国賊じゃん
@@takazaki1824 東京大阪もね
というか日本全国がやばいです
対馬は今も韓国からの観光客で大変迷惑を受けていますね。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
隆家の誉れは時代を越えて、現代でも評価されています。
藤原隆家、太宰府に赴任して、刀伊と戦うって波瀾万丈の人生ですね!!😅
藤原隆家は腰痛だったか、何かの病気持ちでそれに悩んでいてね
大宰府によい医者がいると聞いて、自ら赴任を望んでいたそうだ
ああ、眼病だったか。動画でも言っているな
へぇー、
驚いた‼️
藤原公卿にも
そんな骨の有る漢がいたとは😮
藤原隆家かぁ.....
覚えておくぞ🎵
その名を❗️
やはりいるところには
漢がいるものなのだなぁ😂
そやで不良貴族の隆家はマジカリスマ
あの道長ですら恩賞を渡さ無いと行けないと恩賞出したから
むしろ隆家を主人公にした大河にしてほしいです
実現するかもしれませんね
藤原隆家は中世九州の豪族菊池氏の家祖だと言われています(そうではないという説もあるようですが)。
のちに菊池氏は後醍醐天皇の子供の1人である懷良親王を擁して太宰府を占拠するわけです。隆家の偉大なる業績は後醍醐天皇も一目置いていたのかもしれませんね。
今回もすごく勉強になりました。ありがとうございます。
藤原隆家の孫の菊池則隆の子孫には西郷隆盛がいますね
菊池氏が参加した征西府は、倭寇説あるね
いや結局、藤原政則の系図は京都側藤原家にも残っており政則の墓も熊本に現存していることから菊池氏は隆家の子孫で確定しているよ。
歴史学の悪いところはせっかく新しい研究が進んでも古い教科書から進んでいないとそれがさも一説のように残ってしまうこと。
恩賞も菊池領を与えられて丸く収まってる。ロマンなのは元寇文永の役のとき参加した武士団が大宰府小弐家と肥後菊池家、松浦党というこの刀伊の入寇に関わった人たちが鎌倉幕府がうだうだしている間に独自に防衛戦を始めたのが運命を感じますね。
隆家の子孫なら九州の武士の家ではwelcomeだと思うので、もっと広がっていると思う。
追伸:隆家の子々孫々は繫栄しました。(例:池禅尼など)
この当時、すでに防人は廃止されてたんだっけ?
武士は軍隊ではなく、私兵。だから始まりから終わりまでずっと「家」単位で動いてた。
防人は平安初期に廃止されたようです。飛鳥時代から奈良時代にかけての朝廷には、唐軍が攻めてくるかもしれないという恐怖があったようです。
でも奈良末期に、唐で内乱が起こり唐は弱体化、もう唐軍が攻めてくることはないと、平安期には朝廷はすっかり安心してしまっていたようです。
桓武天皇の時代に廃止された模様>防人
防人・・・さきもり と読みます。
読めない人がいるかもしれんので(さだまさしファンなら読めるw)。
@@giantnioinoba2023
パチスロで覚えたから大丈夫だ👌
刀伊に虐殺を免れ拉致された人間は「労働力」なんて生易しい境遇ではなく、実際には「食料」として連れ去られていたそうです。
リアル鬼、、?🥶
元寇と同じく両手のひらに孔をあけて綱を通して船べりにぶら下げたということですね。
その残虐さの遺伝子は現在も変わっていません。日本人の優しさはあの国にとってはつけいる材料でしかないですね。恐ろしいです😢
大陸系の蛮族は、想像を絶する残虐さですね🤯
刀伊に関しては、そのような記録は聞かされてないが
刀伊は拉致した人たちのうち、年老いた者たちは殺害し、海に投げ捨て
壮年の働けそうな者たちは残したというから
奴隷として売り飛ばすのが目的だったのでしょう
刀伊の入寇で一番ヤバいのは律令自体が崩壊しかかっていて軍団も整備できなくなったところに侵略を受けているからワンチャン日本滅ぼされる可能性があったことなんよね
こんなところにも、「幕府」成立の萌芽が…
平安貴族は、特に『穢』を畏れて居たので『死』とか『血』なんてのを兎に角避けてましたからねぇ。褒賞の件も関わり合いになるのさえ忌避したかったのではないかと。元寇の時に褒賞を出さなかったのも同じ理由が少なからず有ったんじゃないですかねぇ。
井沢元彦さんの「逆説の日本史」でも触れてます。
平安期の貴族だけではなく、現代の一般人にも受け継がれている宗教観だと思います。何も大戦後の「民主化」「平和教育」の結果ではありません。
元寇の時は武家の北条氏だからそこは関係無いのでは無いでしょうか。
@@onejapan8791
元寇の際、撃退の報告を朝廷に上げても褒賞無しだったので北条氏が自腹を切って褒賞を出したってのはアタシの中では有名な話だと認識してました。このおかげで鎌倉時代の武士は、源氏ではなく幕府に御恩を施されたので御奉公で還すと言う封建制度が確立したと習った気がします。
@@佐藤宏征-m2c さん
幕府が褒賞を出した話は知らなかったですね……
元軍を撃退したが防衛戦なので褒賞がないため武士の不満がたまり、それが鎌倉幕府の滅亡の原因となったと習いました。
主従関係で言えば朝廷と武士ではなく、幕府と武士なので朝廷はあまり関係無いと言う認識です。
権威は朝廷、権力は武士と言う構図が既に確立されていたと思っています。
大変面白かったです!御堂道長が盛栄した時代に刀伊という外圧からの侵略があったことも、甥っ子の隆家なる傑人が退けたことも知りませんでした。対馬、壱岐の人々は元寇のときも悲惨な目にあわれて痛ましい限りです。
藤原隆家、華やかな貴族としての顔だけでなく精悍な武人としての二つの顔を持った文武両道の立派な前線指揮官だったのではないかって思うと同時に、この人こそが事実上の最初の武士というか侍に相応しいなって思えます。
😢
対馬、壱岐の人々って本当に可哀そう・・・
同じことがまた起きそうな気がする。
@@makotofujii904
対馬と壱岐から▲鮮を追放し、ミサイル並べて軍事要塞化しないといけない。まともな国なら当然そうしてる。
それどころか今は、▲鮮人がずいぶん入り込んで投資して観光に来て、対馬は▲鮮の領土などと歴史の捏造しプロパガンダし領土強奪をしようとしてる。それが▲鮮人というものだということを日本人は理解すべき。
尖閣諸島も竹島も北方領土も樺太も沖縄も北海道も九州も大阪その他日本中あちこちで▲鮮人や共産主義者,そのお仲間が歴史を捏造プロパガンダし領土泥棒をしようとしてる。
安定という惰眠をむさぼり、安危に対しても自分の栄達や恋愛以外に関心なしというのは国家に限らず組織ではよくあること。
武士の世の潜在的なきっかけと考えれば、その後も納得の事件。
もっと大きく扱ってほしい。
最後の朝廷が刀伊との闘いの功労者に対して恩賞を与えるか否かを議論しているのを聞いた時には
いまの日本の国会での安保に関する議論を聞いているようで、ぞっとしたよ
@@御神誉黎全然変わっとらん。
3:38 この歌で驚くのは「目がよく見えないので月もよくみえないなぁ」という意味もあるそうです。自分の権勢を誇る歌じゃなかったのでわないかと解釈されてた。
この2年ほど、『枕草子』『紫式部日記』『蜻蛉日記』などを読んで、世界史の教科書ではごくごく表面的にしか触れていなかった、藤原氏とその周辺の人間関係にもそこそこ詳しくなりました。その上でこうした動画を見ると、また違った見方ができて、大変に興味深いです🙂。
元寇は有名だがあまり知られていない刀伊の入寇。然し体を張り日本を守ってくだされた先達に感謝申し上げます。🙏
早田ひなさんも…
京都に戦の炎が及ばない限りは、公家衆も事の重大さに気づかないわけだ。
武士の世になってからは、大変やわな(特に応仁の乱)。
この時の松浦での戦いの後、元寇が攻めてきた際も松浦党武士達(松浦海賊)は活躍して元に対して徹底抗戦し殲滅するわけです。博多では昔から言うこと効かない子供に対して「むくり」や「むこ」がやってくると戒めていた。 博多西区の蒙古山(別名:ムクリ岳)がある。
隆家は、三条天皇の時に済時の娘が立后する際、道長の政略でほとんどの公卿が欠席する中、実資らと共に立后式に出席した数少ない公卿のひとりで、実資と隆家はもともと仲が良かったようです。刀伊の入寇の際も、隆家は朝廷への知らせとは別に実資あての手紙を届けました。
非道長派の実資と隆家、大河ドラマでこの二人がどのように描かれるのか興味があります。
二人は仲が良かったのですか?
兄の伊周は、冴えない貴公子だと思いますが、中関白家も隆家中心であればよかったと思います。
小野宮家と協同すれば、道長流を排除できたのではと無想します。
2024(R6)大河〝光る君へ〟
10〜11世紀の腐り切った時代ですが、ドラマの軸は狭い京都朝廷の内裏となり、地方の荒れた戦闘場面は描かれないと思われます😓
来年の大河「光る君へ」に藤原隆家出てくるみたいだから触れてくれるかなあ
無理。
隆家は竜星涼が演じるそうだが、九州に赴くところで終わるだろうな。
実際に戦った平為賢が出てきたので(その家来双寿丸と賢子を出会わせて)本気でやると思う。(これがなかったら戦無しの大河となる)
12月1日の大河ドラマ光る君へで、刀伊の入寇が描かれるみたいですよ。
いやあまさか式部を大宰府に行く展開にして絡めてくるとはね。これはフィクションだけど主人公が歴史の大事件を見たっていうのは大河ではよくある話だがそうきたか。今までそこまで大きくは史実からは逸脱してなかったので意外だが楽しみでもある。
モンゴル帝国の樺太侵攻の解説も見てみたいです!
応永の外寇、元寇の実態を子供たちに教えなければならない…
比較的、注目されない事を発信頂きとても嬉しく思います。
藤原隆家の真実とは言い過ぎかもしれませんが、外敵退治という別の面が公表された点は、歴史の1ページに刻まれたと思います。
ありがとうございます!
隆家は、枕草子や大鏡にたびたび出てくるので、古文の世界ではおなじみの人物ですが、もともと父道隆が摂政、兄伊周が内大臣で、姉定子が一条帝の中宮、自身も確か中納言で、当時としては超エリートだったはず。太宰の権帥は明らかに左遷で、そこで腐らずに、地道に在地の武士団を組織していたから、入寇に適切に対応できたのではないかと思われます。光源氏も須磨流謫の際、土着化した受領の明石入道と結んでいるので、平安貴族も決して無能だったのではなく、地方の在地領主層を摂関家の武士団として組織化する手を打っていたのではないかと思います。
なーんだ姦盗賊の下げ話か
得川カス康が
吉川・小早川・輝元の裏切りのお陰で天下を取れたのに減封し、福島を取り潰したより遥かにまともな報酬じゃん♪
権門の育ちにもかかわらず武魂を失っていないとは、隆家は根っからの武人だったんですね。
平安時代の藤原一族の一人として、明らかに変わり種です。
しかし、その男が優れた将才の持ち主だったというのは、歴史の神が選んだ運命の男だったんですね。
お
非常に勉強に成り、有難う御座いました。小生の先祖も元寇の時、鎌倉幕府から大宰府に派遣され(元々、源義朝の家臣)その後九州に土着したと伝えられて居ります。
由緒正しい立派なお家柄でいらっしゃるのですね!
@@rtpc5 それ程でも有りません。先祖の先祖の大先祖は、サルかゾーリムシです。
何か残っている記述等ありませんか?
@@nadeshiko5689 記述等は有りませんが、尾張地方の著名な豪族の名前と、福岡県の我が家の一族の伝承のみです。
案外(武家は)本に載ってたりする
2:37 高麗語でtoiと発音していたものを、日本が刀伊と当て字したんだろうけど、
そのころハングルなんてまだ存在してないだろ。
東夷=刀伊?
現代日本も平安貴族な東京グロバより地方創生で力を付けていくべきですね。
「刀伊の入寇」勉強になりました。
刀伊払いというのが、アンゴルモア(元寇)の漫画に出てきますが…こんな歴史があったんですね
しかし…九州武士が強いのは…日本の激戦区だったから…なんですね
今でも北朝鮮から人さらいに来てるじゃないの。スイスのように民間防衛って必要。
最近のサヨク「日本みたいな衰退国家を攻めてくる国なんて有る訳がない」
台湾問題というやつを知らないのかな?
昔のあさせん半島の人口移動の理由が誘拐・拉致だから仕方がない。
これだから、武士の時代になるわけですね。
この蛮行が有ったのに
約千年後日本秀吉が攻めたら
虎の威を借りた様に食いついてくる
女真(満州族)が南下したのが後の朝鮮王朝
この刀伊の入冦は知っていましたが❔こんなに詳しくはなかったです。学校では刀伊の入冦っとしかなかったです。詳しい資料も全然なかったです。ほとんどは元寇ばかりでした。平将門の乱も起こってましたから、
ていうか日本史と世界史をリアルタイムでも見ていくと日本人と外国人でまるで戦い方や生き様の感覚が違う
武士と蛮族
ほんとに同じ人間かと問いたくなる
地元の外国人もほんとに酷い、蛮族
平安時代と違うのは戦えないという点
多分、この国のお偉方や上の人たちがそれを知ってるから、わざとそうやって戦える力を日本人から奪って、徹底的に自虐的なことを植え付けようとしてるのかも。
自分の学生時代の教師たちは特に酷くて、徹底的に自虐的なことを叩き込まれましたから。
日本人は○されても犯罪に巻き込まれても何も言い返せないし、言い返す資格なんて無いし、全てにおいて日本人が悪いからそうなるんだとか。
御成敗式目ができるまで武士と蛮族なんて大差ない
一般人を斬り捨ててもなんの処罰もなかった武士は蛮族じゃないのか?
隆家の神社があれば御礼に参らねば
私も喜んで参拝します。
1019(刀伊来る)年とか言う、バカほど解りやすい年に来てくれた受験生の味方。
「刀伊、九州に来襲せり。」と、覚えた。
「勉強しろよTOEIC」で覚えました(^^)
関ヶ原の戦いと並んでわかりやすい。
応永の外寇も刀伊の入寇のちょうど400年後です覚えやすかったですよね
とい苦しむだと思った
現代でも、海賊じゃないにしろ、似たような事をしている国がありますね
いずれ、その国も刀伊と同じ道を辿るんでしょうね...
厄介なことに国際的なネットワークを構築してるのがその頃と違うところですが。
場合によってはこういうのの摘発に日本も本腰を入れるべきに思いますが、少なくとも連合国の五つの内の二つは日本を牽制する目的で逆に利用してるでしょうね。
刀伊の入寇懐かしすぎる
高校の時にコレはテストで差が付く問題!って思って覚えたけど模試でも試験でも問われなかったなぁ
さだまさしのセイヤングで『大鏡少年』呼ばわりされた古典教師がネタにされていたなぁ。
『今年の〇×大の古典試験には大鏡が出るぞ』と生徒に言って、案の定鬼外しをし、受験した女生徒から恨み言の代わりに仇名を奉られたって件ですが。
コレが日本史の先生なら『十違の入稿』扱いだったりするようで。
高校の史学の先生は、なぜか自作のプリントを使って授業を進める人が多いので『入稿』としたのでしょうが、コレには笑ってしまった。
公家が自分のことしか考えてないのは今と変わらないんだな
とても勉強になりました。
有難うございます。
その時の都の為政者と今の国の為政者、
とても似てるように感じてしまいました。
🤔
隆家の時代から、指示がないのに戦ったんで恩賞なしなどと、今の左巻き政党のような、呑気なこと言っていたのがいたんだ…
殆どが無しって言ってたが!あの道長が出さないとアカンと思う程の事をした偉人
元寇前の鎌倉幕府にもこの事件は知られていただろうか。
それにしても対馬や壱岐の人は毎回災難に遭って可哀そう(小並感)
国境地帯ってそういうリスク抱えてるもの
眼病治療で大宰府に行った際に、こういうことが起こるとはなんともドラマチックですな。
中央との確執含め映画かドラマにしたら面白そうだ。
それにしてもこういう国難を教科書数行で終わらせる日本の教育は大丈夫なのだろうか、と思ってしまうね。
藤原朝廷、検討士が多過ぎでしょ……
国防をおろそかにして自分の出世しか興味ない当時の公家、今の外務省みたい。😶
絶対貴族制3000年は伊達じゃないです
「 個別の案件にはお答えできません」…ざ〜けんな!!
外務省だけではなく財務省(旧大蔵省)が諸悪の根源。GHQの占領政策で日本を強くしないのが奴らの存在意義だからな。財政法4条と憲法9条の関係がそれを物語っているのだよ。
どっちかというと財務省の方では?
@@koge3977 どっちもでしょうね
ハングル文字を日本語に当てはめたところ、刀伊と呼んだと言われていましたが、
ハングル文字が発明されたのは室町時代なので、襲来があった頃に、既に刀伊と呼ばれていたら、ハングルとは別の由来でしょうねぇ。
とてもわかり易い。NHK番組はよくわからなかった。光る君と合わせるととてもよく分かつた。ほめます🎉
シルクロードはカスピ海からアムール川迄の日本海に出ると舟の旅で物流があったがヒマラヤ山脈の地下水の汲み上げで水がなくなりモンゴル帝国ができたと何かの本で読みました❗らくだで運ぶよりやはり舟ですね❗
平安時代の貴族は現代の政治家と生態が良く似ている。
岸田「これがわーくにに対する侵略であるのかまず検討を重ね」
みたいなな💢
平安貴族を舐めちゃいけない。
基本働かないし、領土の管理を任せられても京を出て田舎に行きたがらないから、地元の有力武士に仕事を丸投げして貴族達は、基本その武士達からくる税をピンハネしてた。朝廷もそれを見てみぬふり。
あと平安貴族は血を恐れるとか言うけど、かなり血生臭くもあった、ある皇族のエピソードでは、気に入らない貴族を皇族と取り巻き達が京の街で待ち伏せして、馬車を襲ってその気に入らない貴族を衣服がボロボロになるまでリンチして半殺しにしたとかね。
今の政治家は平安の貴族よりもインテリではないし、平安の貴族は今の政治家ほど働いていない
いや全然昔のほうがレベルが高いよ 問題にもならない
筋はちゃんと通ってるわけだし
似てるw 侵略者の誤算は不良貴族の隆家のカリスマ!馬を走らせて決戦に行く先々で豪族が隆家に臣従しながら!討伐に向かった事w
流石の道長も恩賞を出したらしいからな
ノブレス・オブリージュ。公家→武士の世になったのも必然。
公家の威光を利用してという特殊な状態になるんだけどねー笑
武士は強いけど、法律やしきたりとかそういう文化面が無知だったから、お金払って公家や貴族から学んだ。
それに公家や貴族の威光を使った方が楽ってのもあったしねー。
武家が全く公家と関係なかったかとそうでもない。源氏や平家は天皇が子供に苗字を与えて独立させてる。あなたのイメージは恐らく織田信長以降の物では?
@@三木英太郎みきえいたろう 織田以降も結局、天皇、貴族のちから、威光が有効だったから、秀吉や家康はむしろ利用したよねー
@@著著 そういった公家社会からの決別が鎌倉幕府で武家の論理を押し通す時代を作るようになったんだよ。そこで流行しはじめるのが禅宗。鎌倉時代以降漢語造語が多く造られはじめるんだよ。それに古今和歌集の正当教授は細川家が受け継いで。貴族が教えられるのは源氏物語ぐらいしかなくなっていく。大名間の結婚が禁止されて以降結局公家から嫁をもらう程度の付き合い料を払っていただけだな。
とても勉強になります!
なんか、九州の武者が強い理由が分かる気がするな(・ω・)
これだけ外敵から侵攻があれば強くならざるを得ないよな(^_^;
今も九州で防大に進学する人や自衛隊に入隊をする人が多いのは、こういった歴史的背景が有ってのことなのかな?
@@池田博機 現在も続く地理的な事情とかもね。
中央は助けてくれない。と言う事も学んだと思う。
当時の侵略は分かりやすいが、現在の方が着々と侵略されつつあると思います。
手をこまねいてみているだけでしかないのが歯がゆい。
尖閣、竹島、北方4島、更には合法・非合法移民。
北海道は約4分の1が中華資本に買われた。領土がドンドン失われている。
尖閣諸島・竹島・北方四島を侵略してる中国・韓国・ロシアや非合法移民への警戒なら分かるが、なぜ
"合法"移民までも警戒するんです?
合法にまで不満に思うのなら、もはやそれは移民に対してではなく、その法を制定した日本政府・国会に警戒すべきレベルです。
@@juniortrump2887それ有名なデマだぞ
@@シュレーダーa北宮 新潟県庁近くの広大な土地も買われた。
対岸にある北朝鮮の港は中国に租借されている。
藤原道長も若い頃は数々やらかしていて、決してお上品ではなかった。道長の息子頼道がやらかしてないだけで、どの平安貴族も程度の差こそあれ暴力沙汰を起こしていて、自ら暴力をふるうこともあれば、従者にやらせることもあった。
隆家がいなかったらどうなっていたんでしょうね。それよりこんな腑抜けが実在するのかと思うくらいの人間が中枢にいるというのは日本史あるあるなのかな?
刀伊の入寇 初めて聞きました。
今大河ドラマでヘラヘラしてるあの兄ちゃんが、これから救国の英雄クラスの働きをするとは……全然知らなかった!
中央の貴族の行動は今の政治家の雰囲気と似た物を感じる。
なんで?
来年の大河ドラマ、本筋ではないけど、このエピソード入れてくるかな?
日本わ、凄い、むかしの文献や、国と國の交渉記録乎、残し続けて、居ると、言う事が凄い!
この話
今の政府とかぶりまくるのですが。
宏池会はお公家集団なんて揶揄されていますが…
やばくないですか?
今と変わらないじゃん
長崎事件とか、日本軍は何もせず、車夫と元剣客の警官が暴れまくる清海軍の兵士を撃退したしねー笑
事件は知っていたけど、こういう顛末だったとは知りませんでした。
藤原隆家が偶然優秀だったわけで、同時の政府は軍事がかなりダメダメですな。
今の政府と同じですよ(笑)
長崎事件も調べてみ。何も変わってない笑
現代は平安時代に似てる部分あるしその内地方の人が再武装始めだしそう
あまり知られていない日本国民が虐殺された事件、ハングルに翻訳して拡散したいぐらい
公家政権の腐敗が浮き彫りになった事件と
自分の昇進と詩歌って、まるで今の政治家&高級官吏みたいだな。エッフェル松川、木原誠二、ガソリーヌ(笑)
あれ?
当時
ハングル?って
あったんでしたっけ?
あれは15世紀に作られた記号…
大河で安倍晴明が「隆家さまは道長さまを助けることになる」って言ってたけど これかあ
にしても行成と公任さあ・・ 実資はさすが
大河でどう描かれるか楽しみだ
動画ありがとうございます!
永山さん、早い段階で何とかしといて良かった。
藤原隆家の後裔の菊池氏の末裔が中学で出逢った親友であり恩人です(浪人期には本当に助けられました)(苗字は菊地だけれども).
僕はバリバリの理系ですが,親友が菊池氏の末裔でもっと詳しく知りたいのと日本史への興味から日本史Bを選択しました.
熊本に行ったら菊池神社にお参りしに行きたいです.
刀伊の入寇や元寇で思うことがあるんですが、このとき日本に上陸した敵兵が日本にそのまま住んで(捕虜になったり)子孫を残したとかないんですかね?もしかしたら、現代の日本人の中にその当時の敵兵の子孫がいたりとかするかもしれません
十分にあり得ます。
捕虜でも、乱暴狼藉者は斬り罪、「蒙古襲来」 元冠の時とおなじだが、「蒙古襲来」 元冠時より緩い。捕虜は帰還してもころされるから、残留したい者は部落民として場所をして残留を許可。
子孫がいて何か問題あるんか?
福岡の唐人町ってそういうことでしょ
元寇前は、使いのものは全て斬首した、と聞いています。
スパイだから。
鎌倉幕府は、北条時宗かな、素晴らしいと思います。
今も、強くなるしかない‼️
名前ぐらいしか知らなかったのですが、興味深かったです。来年の大河ドラマにも出てくるかな?
ソロモン海戦などの入り組んだ海戦も見てみたいです!
大河ドラマでどう扱うか、楽しみです。
そりゃこの後武士の時代になっていくわな
私の時代は、刀伊の入寇は習いませんでした。
古文で知った皮肉よ...(私事ですが)
私もです。福岡市の遺物の整理補助に臨職に行った時に元寇の少し下の遺物から火事場の匂いがしまして。混ざって古めの製塩土器とか出てたからわかったんですが「この時代なんかあったんだな」と思ってたら「トイやね」と言われ。。。