A.カッペルレッティ : 神秘 Arrigo Cappelletti : Mistica

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  • Опубликовано: 30 сен 2024
  • 作者は1877年11月、イタリアのコモに生まれ、生涯をコモで過ごし1946年10月、同地に逝いた作曲家、オルガニスト、指揮者。ボローニャの音学院で1905年にオルガンのディプロマ、1911年に合唱のディプロマを取得し、ボローニャのフィラルモニカではピアノと作曲法、吹奏楽を、ミラノのヴェルディ音楽院ではオルガン、合唱といった課程で次々とディプ
    ロマを獲得した。経歴からも推測できるように多様なジャンルに作品があるが、特にオルガン作品を得意とし、コモでは1907年から1928年までカルドゥッチ音楽院の校長とサン・フェデーレ教会のオルガニストを、また数年間は大聖堂のオルガニストも務め、パリをはじめとして各地のオルガン曲コンクールでも度々入賞したという。また特に後年傾倒したと思われる宗教音楽のジャンルにも優れた作品を残しており、殊に対位法を駆使したその作曲技法には自信を持っていたと思われる。また、生地コモの山々をこよなく愛し、かなり距離のあるミラノのスカラ座まで歩いて通ったという。斯界では同地の伝統あるマンドリン合奏団である“Circolo Mandolinistico Flora”(現“Orchestra Plettro Flora”)の指揮者として1903年から20年近くにわたり活躍した。この楽団は後にU.ボッタキアリやU.ゼッピも指揮をとったが、カッペルレッティは後年はコンクールの指揮やプロモーション等楽団の運営面を担い、彼らとの親交も厚かったという。
     本作は1931年に“IlPlettro”誌で発表され、創刊25周年を記念して主幹のA.ヴィツァーリに献呈された格調高い作品。透明感のある世界観に包まれ、一つの主題を「彩り」を変えながら展開するオーケストレーションの妙が絶妙に美しく、またオルガン曲のような敬虔さを感じさせる。1934年に別出版された事からしても好評かつヴィツァーリや“Il Plettro”誌にとって特別な楽曲だったと言えるだろう。決して多いとは言えない作者のプレクトラム作品の中でも最も完成度が高いものの一つである。ところがこの作品は殆ど取り上げられる事がないのもまた事実で、本邦においてはかつて武井守成男爵が1936年に「マンドリン・ギター研究」誌に以下のような論説を掲載している事に注目しておきたい。
    《アルリーゴ・カッペッレッティ(Arrigo Cappelletti)と云う人は一種の変質的作家である。一般に最も馴染まれているInno Mandolinistico Floraでさえ可成りアブノーマルな風格と手法をもっている。と云って彼は決してモダーンな作家ではない。やはりロマンティシズムの中をさまよう一人なのである。ただ彼の作品はロマンティシズムがゆがめられていると云う感を一般に与える。それで一番困ることは彼の手法なり和声なりがどうも明快さを欠くことである。と云って彼は決して凡庸な作家ではない。彼自身としては彼の作品に対する明らかな主張と同感をもっていることは間違いないのである。強いて云えば彼は結局妥協性の少ないエゴイストなのであろう。そしてそれは彼の長所であると同時に短所である。Misticaという小品がある。小品ではあるが充分内容的にとり上げられる作品であるにも拘らず親しまれにくいのはどうしたわけであろう。やはり前述の理由によるのである。中略 親しみ難いカッペッレッティ。彼は確かに一般から遠ざけられている。けれども彼は決して近よれない作家でなはいと考える。》(現代仮名遣い直して引用)
     ちなみに“Mistica”というタイトルは慣例に従い「神秘」と訳しているが、イタリア語では「純粋な、けがれなき」「精神的な、霊的な」「秘法の、奥義の」というニュアンスもあるようで、そうした語感も含めて味わっていただけたらと思う。
    解説:横澤 恒
    参考資料:
    ・Arrigo Capelletti, musicista comasco 1877-1946 ; Nodo libri (2010)
    ・「マンドリン・ギター研究」1936 年第10 号 ; オルケストラ シンフォニカ タケヰ(1936 )

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