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ローマ軍だって麦の粥で地中海全域を制した。狩りで獲れた肉が出た時には「我々は麦粥を啜って勝つ事が誇りなのに」と不満の声が上がったとか
白米が主食の徳川将軍は小柄で短命が当たり前。田舎育ちで将軍になる可能性のなかった吉宗は玄米だったはず。吉宗だけは巨漢で長生き。
「粗食」と思いきや現代でいえば逆に意識高い系贅沢ご飯だったとは。
そもそもとして精白って歩留まり減るから勿体ないもんね。そう考えると燕麦って栄養バランスはともかく高い。かなりの割合の「ヌカ」混ぜて食わされてるようなもんだから。ちなみに玄米って農家直売だと、まあまあ安いらしいね。
玄米で炭水化物と多種類のビタミン&ミネラル。そして味噌で塩分と植物性タンパク質、つまりソイプロテイン。現代のスポーツ選手が摂取しているものと比べても引けをとらない栄養ですね。以前博物館で戦国武将の鎧を見たことがありますが、その中には現代のプロレスラーと変わらない体格でないと着ることが出来ないような大きさの物がありました。江戸時代の日本人より、明らかに戦国時代の人達の方がガタイが良いですね。
朝ごはんの伝統的定番、米と味噌汁って理に適ってるんですね😊
戦国武将は鶴を高級食材として珍重し、伊達政宗などが好んで食べていたそうです日本昔話しによると庶民は狩りも食べることも禁止され、密猟すると○刑されることがあったとか
現代人視点からだと必要な栄養をカロリーとかタンパクの摂取量で見がちで世界的な基準値とかも設定されてるけど実際には食べるものによって吸収効率が違ったり、腸内細菌の構成によっては窒素固定できたりするから明治以前の日本人もそうだったのかも。ニューギニアの高地の人とかはほとんどイモが中心でタンパク質摂取量は日本人の半分くらいでも立派な体格の人が多い。むしろ欧米食文化が入ってきて肥満したり適応出来ずに糖尿なったりしてる。
解説されているように質素と言っても玄米と味噌汁でほぼ完全栄養食なわけで、豊かであってもカロリー過剰で各種栄養素が不足しがちな現代の食事よりよほど健康的なのは皮肉の一言。ただ消化の悪い玄米を味噌汁だけで結構な量を食べるというのは、やってみると結構キツいです…。
玄米と味噌汁だけで、完全栄養食な訳がない。タンパク質もビタミンB、C、Eも足りないしカルシウムも足りない。尿酸だけ、多く摂取している。
玄米を1日2食以上摂取するのは消化が悪いので難しく、分づき米だったと考えられている。味噌汁の具として、芋や野菜を入れれば完全栄養食。現在の栄養学からすると、タンパク質が足りないようだが、腸内細菌によってアミノ酸を含む様々な栄養を産出していたと考えられ、数ヶ月程度なら栄養不足にならなかった、と考えられる。ちなみにオレの食生活も基本は(分づき米+もち麦+黒米の)麦飯+きのこと根菜たっぷりの味噌汁+野菜お椀一杯で、納豆や魚が追加のこともある。管理栄養士からは、「ここまで栄養がそろった食事はそうない」と言われた。
貴方は食物繊維を取り過ぎ。タンパクを取らな過ぎ。「その髪型似合うね」→煽てられてずっと続けてる人みたい。栄養士何か十人十色で、個人対応で傷付けない事を言ってるだけだよ。病院に勤務して指導してるけど患者の「生タヒ」の責任何か無いのだから。
@@順一加藤-j7k あなたこそ、無責任な発言だ。確かに私の自己分析では、野菜と食物繊維の摂取は多いと思ったが、管理栄養士はそこは指摘しなかった。代わりに指摘したのがタンパク質の摂りすぎの日があると言うことだ。9日間の食材とその重量を分析し、1日あたりのタンパク質摂取量は90~120gであった。私は大柄で運動量もそれなりに多いが、それでも1日120gは摂りすぎとのことであった。しかも、その中でも、日々植物性タンパク質が60~80%を占め、植物性タンパク質の摂りすぎとのことであった。米、大豆製品、野菜から十分タンパク質は摂れる。野菜でも、枝豆、ブロッコリー、インゲン、そら豆など、タンパク質を比較的多く含む野菜もあるからだ。私は逆に植物性タンパク質を過剰摂取しないように注意している。
戦闘時は戦国時代でも燃料を節約するために白米が基本。あと、戦国時代でもハゼやイワシ等の干し魚は普通に食っていたぞ。漁村が存在していたということは、海産物を売って米や麦を買っていた=海産物を農民が買っていたということだ。
日本の様に湿気の多い土地柄の国では他の国より保存食が発達しやすい環境だったのかもしれませんね。他の国の古代や中世、日本の戦国時代と同じくらいの時の世界ではどのような保存食が合ったのか知りたいですね、特に軍事的な糧食面で。
肉や油は一見栄養価が高いように見えるが細胞が栄養源として利用するためには糖新生という代謝過程でブドウ糖に変える必要があり、デンプンのように即ブドウ糖に変わる訳では無い。反面体の組織を作るアミノ酸や脂肪酸に変わりやすいので体作りには有利。また肝臓や筋肉に蓄えられる糖源のグリコーゲンは1~2時間分しか無いので食事を3回に分けるか消化の遅い玄米を腹一杯詰め込むかと言うことになる訳です。
石田三成「これがバリカタや!」
戦国時代の食事っていうと、湯漬けのイメージ。朝炊いて硬くなった米に、お湯かけて食べやすくする感じ。まあ粗食ですよね。
粗食っても量も塩分が多いからな。まさに「粗い食事」だよね。
最近は野菜を全く食べない子、お菓子しか食べない子とか多いからまともに感じてしまう…
食い物は、武器に次いで最重要なのね。それと食べ方なのね。何かと工夫はしてたのね。
そりゃ敵も粗食で戦ってるわけだから条件は同じだよ
そういうことじゃなくて、今ほど栄養学にも乏しく食べ物の種類も限られてた時代に、機械化された輸送車や道路もない中で長期的に戦えた理由を説明してるんでしょ
あと秀吉は大根とごぼう大好きエピソードもありますね。天下取った後、故郷の尾張中村の人々が気を利かせて泥臭い庶民の食べ物大根・ごぼう以外を送ろうとしたら「なんで大根ごぼう送らないんだ!」って怒って年貢免除を解除した、ってハナシとか。
瓶詰め缶詰めはまさに軍用に開発されたのでは?
蒸した強飯なら、洗米時に流れ出る栄養素も減りそうだな
この時期はまだまだ赤米黒米も多かったからなあ
三成って賤ケ岳の戦いでは先陣で戦い戦功第一になっていますし、朝鮮にも渡って軍指揮してますよね。
鍋がわりには、鉄兜を使っていたのかな?
長年、豊臣軍の兵站を担ってきた石田三成が、米の食い方を知らなかったと言うのは理屈として無理がありすぎるのでは?そもそも当時の西軍は個々に独立性が高く、他の大名の軍の運用に関して三成が口出しできるような立場でもないと思いますよ。
抑日本には虎昔から生存していないのに、どうやって虎肉を?(´・ω・`) 10:31
江戸時代は17世紀以降だが、3食になったのは桃山時代ごろなのか、江戸時代初期の17世紀後半のことなのか?
江戸時代の江戸の町人の最高の贅沢食が白米だったと言われている。令和の我々からすればキャビアやホワグラ、トリフ、高級イクラを食べる感覚だったかもしれない。
これは粗食というより、合理的な栄養食と言うべきだ。特に味噌󠄀汁、納豆とご飯の組み合わせは、お互いに必須アミノ酸を補い合い最強だと思う。友人に関西人で納豆が嫌いな人がいたんだが、彼はなんと、納豆をそのまま食べるので嫌いだったそうだ。ビジネスホテルの朝ご飯で、ご飯に納豆をかけると、「結構イケますね。」と言っていた。関西人は納豆の食べ方を知らないだけだと思う。
関西出身だけどむしろご飯に掛けたり温めたりアレンジが加わるのが嫌ですね。私はそのままじゃないと無理です。
美食で、デブデブになつたら戦場で動けず、殺されてしまうよ。
脱「米と味噌」的なもの推し進めている現代日本国はそれで良いんかな
ダイスは土が肥えてないとよく取れない
日本人は和食じゃないと体温が上がらないんよ
三英傑は全員東海の生まれだから味噌大好きだよね
レンチンご飯もレンジか湯煎で加熱する必要があるね。湯煎の場合も加熱が足らないとデンプンが十分にアルファ化せずに腹を壊すもとになる。
玄米1升はきついな
豊臣秀吉の味噌味のタコ焼美味そう
現代の格闘家も基本的に「粗食」で鍛えて戦ってるだろ。
動物性の栄養素はガッツリ摂っているけどね。
戦国時代の武士もガッツリ肉食してるだろ。現代の格闘家の方がソイプロテイン、ホエイプロテインで肉食して無いと思うけど…
@@順一加藤-j7k 戦国時代にはガッツリ肉食のような非経済なことは出来ないよ。そもそも食肉の流通も当時ほぼ皆無だしね。
流通の有無と肉食の有無は別の話で禁止されて無ければ強者が肉を食べるのは世の常。江戸時代で禁止されていても「薬喰い」で文化が残っていた。
菜食主義の方が結果残してるからブームになってるんだよな
戦に参加すれば原則は飯食べれるよね。
so shock!
食事の内容は地味だったかもしれないけど、肖像画に描かれている戦国武将はたいがいは肥満体だから量でけはかなり食べていたと思う、あと間食もそれなりにしてたんじゃないかな?
胃袋裂いて財政を食糧から探るので見栄の部分も大きかったと思う。栄養素の概念なんてなかった時代なんだから。
1日2食だと、間食が多そう…
強飯って何かそうするメリットあるのかな(-ω- ?)
そもそも時代背景として家の近くで食べられる物が多く取れ、尚かつ無駄なフードロスが無い時代を踏まえて考えて方が良いのではないだろうか?
水に漬けようが生米では腹壊すわよそれに石田三成が全軍に指令してたワケじゃなし、それぞれの軍のベテランが指示してましたやろ虚々実々というか虚々々実といった感じせめて鯛の天ぷらエピソードに胃癌を入れるとか、兵糧丸の2、3個で一日大丈夫にツッコミいれてくれないと、全体が胡散臭くなってしまいます
「そしょく」って読むんか死んだじいちゃんから「そじき」って教わったわ
現代の基準で考えてはいけません、元々が粗食ですからね。
いまは玄米や麦飯は超々高級品だから一般庶民は食べられない…山盛り麦飯、お金持ちの贅沢よね。
飛鳥時代に中国共産党あるの草
幕末だか明治初期だかに来日したドイツ人医師が日本の飛脚があまりにも速く走るのに驚いてこの人達に欧州最先端の栄養学に基づいて食事させたらどうなるだろうと実験したら途端にスタミナ切れ起こして元の食事に戻してくれと懇願されたって話があるね肉とか卵とか食わせたらしい
大谷翔平は17合食ってる
武将は戦闘しねえからな
そりゃ漢だから?
ローマ軍だって麦の粥で地中海全域を制した。狩りで獲れた肉が出た時には「我々は麦粥を啜って勝つ事が誇りなのに」と不満の声が上がったとか
白米が主食の徳川将軍は小柄で短命が当たり前。
田舎育ちで将軍になる可能性のなかった吉宗は玄米だったはず。
吉宗だけは巨漢で長生き。
「粗食」と思いきや現代でいえば逆に意識高い系贅沢ご飯だったとは。
そもそもとして精白って歩留まり減るから勿体ないもんね。
そう考えると燕麦って栄養バランスはともかく高い。かなりの割合の「ヌカ」混ぜて食わされてるようなもんだから。
ちなみに玄米って農家直売だと、まあまあ安いらしいね。
玄米で炭水化物と多種類のビタミン&ミネラル。そして味噌で塩分と植物性タンパク質、つまりソイプロテイン。
現代のスポーツ選手が摂取しているものと比べても引けをとらない栄養ですね。以前博物館で戦国武将の鎧を見たことがありますが、その中には現代のプロレスラーと変わらない体格でないと着ることが出来ないような大きさの物がありました。
江戸時代の日本人より、明らかに戦国時代の人達の方がガタイが良いですね。
朝ごはんの伝統的定番、米と味噌汁って理に適ってるんですね😊
戦国武将は鶴を高級食材として珍重し、伊達政宗などが好んで食べていたそうです
日本昔話しによると庶民は狩りも食べることも禁止され、密猟すると○刑されることがあったとか
現代人視点からだと必要な栄養をカロリーとかタンパクの摂取量で見がちで世界的な基準値とかも設定されてるけど実際には食べるものによって吸収効率が違ったり、腸内細菌の構成によっては窒素固定できたりするから明治以前の日本人もそうだったのかも。ニューギニアの高地の人とかはほとんどイモが中心でタンパク質摂取量は日本人の半分くらいでも立派な体格の人が多い。むしろ欧米食文化が入ってきて肥満したり適応出来ずに糖尿なったりしてる。
解説されているように質素と言っても玄米と味噌汁でほぼ完全栄養食なわけで、豊かであってもカロリー過剰で各種栄養素が不足しがちな現代の食事よりよほど健康的なのは皮肉の一言。ただ消化の悪い玄米を味噌汁だけで結構な量を食べるというのは、やってみると結構キツいです…。
玄米と味噌汁だけで、完全栄養食な訳がない。
タンパク質もビタミンB、C、Eも足りないしカルシウムも足りない。
尿酸だけ、多く摂取している。
玄米を1日2食以上摂取するのは消化が悪いので難しく、分づき米だったと考えられている。味噌汁の具として、芋や野菜を入れれば完全栄養食。現在の栄養学からすると、タンパク質が足りないようだが、腸内細菌によってアミノ酸を含む様々な栄養を産出していたと考えられ、数ヶ月程度なら栄養不足にならなかった、と考えられる。
ちなみにオレの食生活も基本は(分づき米+もち麦+黒米の)麦飯+きのこと根菜たっぷりの味噌汁+野菜お椀一杯で、納豆や魚が追加のこともある。管理栄養士からは、「ここまで栄養がそろった食事はそうない」と言われた。
貴方は食物繊維を取り過ぎ。
タンパクを取らな過ぎ。
「その髪型似合うね」→煽てられてずっと続けてる人みたい。
栄養士何か十人十色で、個人対応で傷付けない事を言ってるだけだよ。病院に勤務して指導してるけど患者の「生タヒ」の責任何か無いのだから。
@@順一加藤-j7k あなたこそ、無責任な発言だ。
確かに私の自己分析では、野菜と食物繊維の摂取は多いと思ったが、管理栄養士はそこは指摘しなかった。
代わりに指摘したのがタンパク質の摂りすぎの日があると言うことだ。
9日間の食材とその重量を分析し、1日あたりのタンパク質摂取量は90~120gであった。私は大柄で運動量もそれなりに多いが、それでも1日120gは摂りすぎとのことであった。しかも、その中でも、日々植物性タンパク質が60~80%を占め、植物性タンパク質の摂りすぎとのことであった。
米、大豆製品、野菜から十分タンパク質は摂れる。野菜でも、枝豆、ブロッコリー、インゲン、そら豆など、タンパク質を比較的多く含む野菜もあるからだ。
私は逆に植物性タンパク質を過剰摂取しないように注意している。
戦闘時は戦国時代でも燃料を節約するために白米が基本。
あと、戦国時代でもハゼやイワシ等の干し魚は普通に食っていたぞ。
漁村が存在していたということは、海産物を売って米や麦を買っていた=海産物を農民が買っていたということだ。
日本の様に湿気の多い土地柄の国では他の国より保存食が発達しやすい環境だったのかもしれませんね。他の国の古代や中世、日本の戦国時代と同じくらいの時の世界ではどのような保存食が合ったのか知りたいですね、特に軍事的な糧食面で。
肉や油は一見栄養価が高いように見えるが細胞が栄養源として利用するためには糖新生という代謝過程でブドウ糖に変える必要があり、デンプンのように即ブドウ糖に変わる訳では無い。反面体の組織を作るアミノ酸や脂肪酸に変わりやすいので体作りには有利。また肝臓や筋肉に蓄えられる糖源のグリコーゲンは1~2時間分しか無いので食事を3回に分けるか消化の遅い玄米を腹一杯詰め込むかと言うことになる訳です。
石田三成「これがバリカタや!」
戦国時代の食事っていうと、湯漬けのイメージ。
朝炊いて硬くなった米に、お湯かけて食べやすくする感じ。
まあ粗食ですよね。
粗食っても量も塩分が多いからな。
まさに「粗い食事」だよね。
最近は野菜を全く食べない子、お菓子しか食べない子とか多いからまともに感じてしまう…
食い物は、武器に次いで最重要なのね。それと食べ方なのね。何かと工夫はしてたのね。
そりゃ敵も粗食で戦ってるわけだから条件は同じだよ
そういうことじゃなくて、今ほど栄養学にも乏しく食べ物の種類も限られてた時代に、機械化された輸送車や道路もない中で長期的に戦えた理由を説明してるんでしょ
あと秀吉は大根とごぼう大好きエピソードもありますね。
天下取った後、故郷の尾張中村の人々が気を利かせて泥臭い庶民の食べ物大根・ごぼう以外を送ろうとしたら
「なんで大根ごぼう送らないんだ!」って怒って年貢免除を解除した、ってハナシとか。
瓶詰め缶詰めはまさに軍用に開発されたのでは?
蒸した強飯なら、洗米時に流れ出る栄養素も減りそうだな
この時期はまだまだ赤米黒米も多かったからなあ
三成って賤ケ岳の戦いでは先陣で戦い戦功第一になっていますし、朝鮮にも渡って軍指揮してますよね。
鍋がわりには、鉄兜を使っていたのかな?
長年、豊臣軍の兵站を担ってきた石田三成が、米の食い方を知らなかったと言うのは理屈として無理がありすぎるのでは?
そもそも当時の西軍は個々に独立性が高く、他の大名の軍の運用に関して三成が口出しできるような立場でもないと思いますよ。
抑日本には虎昔から生存していないのに、どうやって虎肉を?(´・ω・`) 10:31
江戸時代は17世紀以降だが、3食になったのは桃山時代ごろなのか、江戸時代初期の17世紀後半のことなのか?
江戸時代の江戸の町人の最高の贅沢食が白米だったと言われている。令和の我々からすればキャビアやホワグラ、トリフ、高級イクラを食べる感覚だったかもしれない。
これは粗食というより、合理的な栄養食と言うべきだ。
特に味噌󠄀汁、納豆とご飯の組み合わせは、お互いに必須アミノ酸を補い合い最強だと思う。
友人に関西人で納豆が嫌いな人がいたんだが、彼はなんと、納豆をそのまま食べるので嫌いだったそうだ。
ビジネスホテルの朝ご飯で、ご飯に納豆をかけると、「結構イケますね。」と言っていた。
関西人は納豆の食べ方を知らないだけだと思う。
関西出身だけどむしろご飯に掛けたり温めたりアレンジが加わるのが嫌ですね。
私はそのままじゃないと無理です。
美食で、デブデブになつたら戦場で動けず、殺されてしまうよ。
脱「米と味噌」的なもの推し進めている現代日本国はそれで良いんかな
ダイスは土が肥えてないとよく取れない
日本人は和食じゃないと体温が上がらないんよ
三英傑は全員東海の生まれだから味噌大好きだよね
レンチンご飯もレンジか湯煎で加熱する必要があるね。湯煎の場合も加熱が足らないとデンプンが十分にアルファ化せずに腹を壊すもとになる。
玄米1升はきついな
豊臣秀吉の
味噌味のタコ焼美味そう
現代の格闘家も基本的に「粗食」で鍛えて戦ってるだろ。
動物性の栄養素はガッツリ摂っているけどね。
戦国時代の武士もガッツリ肉食してるだろ。
現代の格闘家の方がソイプロテイン、ホエイプロテインで肉食して無いと思うけど…
@@順一加藤-j7k 戦国時代にはガッツリ肉食のような非経済なことは出来ないよ。
そもそも食肉の流通も当時ほぼ皆無だしね。
流通の有無と肉食の有無は別の話で禁止されて無ければ強者が肉を食べるのは世の常。
江戸時代で禁止されていても「薬喰い」で文化が残っていた。
菜食主義の方が結果残してるからブームになってるんだよな
戦に参加すれば原則は飯食べれるよね。
so shock!
食事の内容は地味だったかもしれないけど、肖像画に描かれている戦国武将はたいがいは肥満体だから量でけはかなり食べていたと思う、あと間食もそれなりにしてたんじゃないかな?
胃袋裂いて財政を食糧から探るので見栄の部分も大きかったと思う。栄養素の概念なんてなかった時代なんだから。
1日2食だと、間食が多そう…
強飯って何かそうするメリットあるのかな(-ω- ?)
そもそも時代背景として家の近くで食べられる物が多く取れ、尚かつ無駄なフードロスが無い時代を踏まえて考えて方が良いのではないだろうか?
水に漬けようが生米では腹壊すわよ
それに石田三成が全軍に指令してたワケじゃなし、それぞれの軍のベテランが指示してましたやろ
虚々実々というか虚々々実といった感じ
せめて鯛の天ぷらエピソードに胃癌を入れるとか、兵糧丸の2、3個で一日大丈夫にツッコミいれてくれないと、全体が胡散臭くなってしまいます
「そしょく」って読むんか
死んだじいちゃんから「そじき」って教わったわ
現代の基準で考えてはいけません、元々が粗食ですからね。
いまは玄米や麦飯は超々高級品だから一般庶民は食べられない…山盛り麦飯、お金持ちの贅沢よね。
飛鳥時代に中国共産党あるの草
幕末だか明治初期だかに来日したドイツ人医師が
日本の飛脚があまりにも速く走るのに驚いて
この人達に欧州最先端の栄養学に基づいて食事させたらどうなるだろうと実験したら
途端にスタミナ切れ起こして元の食事に戻してくれと懇願されたって話があるね
肉とか卵とか食わせたらしい
大谷翔平は17合食ってる
武将は戦闘しねえからな
そりゃ漢だから?