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8:04 燃え盛る炎の中で汽笛は助けを呼ぶかのように聞こえた。😢めちゃくちゃ涙が出てきそうな話です。
萩野さん、ご視聴頂きありがとうございます。火災の中汽笛が鳴ったのか、鳴ったように聞こえたのか定かではないのですが、確かにそのように聞いております。火事には扇形庫は悲惨ですね。特に追分は木造ですし。
ありがとうございます!
caboose1966さん、えっ!嬉しいです。ありがとうございます。何か共感いただけたようであればとても嬉しいです。
D51の異形、戦時型は小学校の図書館にあった、図鑑「電車、客・貨車」(ポプラ社)の写真で見た時の記憶が蘇りました。ありがとうございます。追分の火事はSL終焉時に残酷な悲しい出来事でした。
futon_hosuさん、ご視聴頂きありがとうございます。その図鑑にも紹介されているのですね。
追分の火災は聞いた時大変なショックでした。戦時型、奈良でも3両が配置されて現役当時見てました。煙室戸の上が欠けているのは、大いなる旅路のドラマのオープニングでトンネルから出るシーンがあり、当時無茶興奮していました。やはりD51,最高ですね。でも静態は見ていて辛いので現役にいつまでも頑張って欲しいです。
hassiemozart さん、ご視聴頂きありがとうございます。私はショックでしたが、当時の口の悪いSLファンの思っていたのと同じことを思いました。今回は1086号機でしたが、603号機が個人的にはショックでした。あれは友人が見て感激したことを聞いていて、すごく綺麗にしていたんですよ。
603,前頭部のみが保存されている様ですね。でもなんか複雑です。当時はこれが精一杯だったのかも・・・・やはりSLは動いている姿が最高ですね。
そうですね、603号は半焼だったので、あのような形で保存展示されているのですね。本当はとても美しい機関車に仕上げられていたんです。
呉線を訪れた際に乗車した12系音戸51号の牽引機が常磐線から来た1068号機でした。常磐線時代に標準化に改装後、メカニカルストーカーまで装備していたと後で知りました🤔
シロクニ さん、ご視聴頂きありがとうございます。1068号機の水戸時代メカニカルストーカの話を入れようかと思いましたが、主題の1086号の番号と被り混乱すると思い止めました。常磐炭のカロリーが低くて大変だったのでストーカ入れたそうですね。
まさかの『抜刀隊』BGMからチアガールとはスパイスがキツい。常陸多賀駅シーン。あの場所は懐かしいです。たぶん、1086号機は幼い頃に見ていた罐なのでしょうね。門デフ1038号機は中々に格好いい。戦時型は直線の構成美が好きです。
HMS HOODさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。私なりに構成を考えました。イントロは戦争イケイケ、朝チアは戦後形の機関車を知らない、知る必要も無い人々ばかりであること…反戦動画で進めていたのを大きく変えたのでアップが遅くなりました。
追分駅機関区の火災は、今でも記憶にあります。火気に注意している場所なのに不審火?とさえ考えたくらい衝撃でした。あまり保存には乗り気ではなかったのか。本当に無くなってゆくんだなぁ…と実感しました。
蒸気機関車は空襲にあったのも、戦闘機の機銃掃射にあったものもいたでしょうね。やっと平和に余生を送れる直前にひどいことになったものです。
D51戦時型といえば、四国の土讃線にて昭和20年代後半〜35年頃にかけてD51戦時型が最大で12両活躍していました。「四国には配属されなかった」と紹介されがちなD51ですが、ネットサーフィンでその情報を見つけた時はびっくりしました。ちなみに重装備型(多度津式集煙装置、重油タンク)に改造された個体も居たみたいです。
かねやん丸のチャンネルさん、ご視聴頂きありがとうございます。四国のD51が一時期いたことは知っていました。私は残念ながら四国には蒸気の撮影に行っていないのですが。四国は日本で最も早く無煙化達成しました。
D51はプラモや鉄道模型でも目にする機会が多かったので子供の時からバランスの取れたプロポーションが好きでした。今日、知らなかった戦時型を拝見して資材不足のなか数を作るで先人たちも無茶をしていたんだなと思い知らされました。新橋に居るC11も含め戦時型の蒸機をスクラップししてはいけないと改めて思いました。。。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。私も含めみんなの知っている戦時形は、カクカクして力強いD51のイメージですが、本物はそうではないんです。わずかな資料を基に現存D51戦時形の写真に合わせたのですが、まだまだですね。あの姿はショックです。模型が出たら受けるかもしれません。
欧州でも簡略化された戦時型SLは醜いと酷評されるものですが、戦時型D51もこんな不気味で無残な姿になっていたとは唖然とするばかり…。こうした戦時設計のために事故や故障が頻発したら却って輸送を阻害するわけで、多少の節約になったところで実効的な意味など無かったでしょうね。それでも最後まで生き残っていた1086号機なのに、最後は火事で焼失とはさらに無残…。
abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。欧州や米国の戦時形は格好は悪いですが、コンクリートや木材は使いませんね。戦時中事故は頻発したわけではなく、戦後ですね。敗戦後すぐに簡易改装で木材コンクリートは鉄材に変えられたので、先週のD52とともに今回のD51の姿は貴重だと思います。8月15日も間近なので皆さんに戦争の無益さを感じて頂くために製作しました。追分の火事は自分では思うところがあるのですが、止めました。
D51 1086の動輪は長万部町と岩見沢市に保管されてますねどちらも見にいきましたが、1086の新製時がこんな姿だったとは知らなかったです
DEGOICEさん、私も最近この1086の当時のオリジナルの写真を見たことが今回の動画を製作するきっかけになりました。
解体されて今は無いですが北海道の日高地方某所に戦後賠償で作られてソ連に送られて還ってきたD51がありました。戦時型は乗り物の多くのジャンルに存在しますがどれも異形というか不気味な佇まいですね。どちらかと言えば私は自動車の方が専門なのですがトヨタ、日産の戦時型トラックはヘッドライト一灯、木製キャブ、前ブレーキ無しでラジエターが剥き出しの酷い姿でした。そんな中に戦前から使っていた皇族や軍部、政権幹部の公用車の代替えを企画し、資材のない中で高級車の試作車を造らせていたというのは全くもって怒りしか出ない所業でした。よって私としては大東亜戦争という呼び方に違和感というか嫌悪感を感じます。
冨山さん、ご視聴頂きありがとうございます。ソ連から戻ったD51解体されてしまったんですね。この機関車賠償ではなく商売としてソ連に輸出されたものです。この時点ではソ連との間に国交は無いのですが、貿易はありました。1956年の日ソ共同宣言では、ソ連は日本国に対して一切の賠償請求権を放棄する。とありますので、賠償で機関車を送ったことは無いです。皇族の車はともかく、軍部や政権幹部は自転車で十分ですよね。大東亜戦争はアメリカ相手の太平洋戦争ではないことをお知らせするために最初からいつも大東亜戦争と動画では言ってます。
ソ連型も大半は解体されてしまったのでしょうか?柏崎に保存してあったのも中越地震の仮設住宅建設時に解体されてしまい今は有りません。
保存を決めた自治体なり法人・個人を問わず、都合が悪くなったら解体というのはあまり理屈が通らない話ですよね。
お疲れ様です、先日に続き今回も色々考えさせられる動画でしたね、D51は数も多くて色々なタイプのある華やかなSLと思ってましたが、そんな悲しい事情もあったのですね🙇
まやまさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。D51はナメクジと標準形の大きな違いだけではなく、戦争を大きくひきずっているのですね。
一応、この戦時型D51が、日本で最初の番台区分とされていますな新橋のC11もそうですが、蕨と鴻巣のC11も戦時型なのを思い出してしまいますな
元真岡線、現在東武線で走ってるC11325も戦時型でしたね……ボイラーのドームは復活時に標準型戻されましたが……静態保存時まではカマボコでした。
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。蕨、鴻巣にもC11いたんですね。304,322号、どちらも日本車両なんですが、最後の頃は車両メーカーに型式を割り振っていたふしがあります。
審美的にはC11にはあれは無いと思っているので、変えて貰えてよかったです。
みんな歯を食いしばって頑張ったカマ達ですね。浦原利穂 氏の写真集「終戦直後の蒸気機関車」でもデフが片方しかないD51や、吹田で特別休車中のD52……当時を偲べます。有難うございました。
くらちゃんさん、ご視聴頂きありがとうございます。この本を探していたのですが、入手できないんですよ。
私は20年近く前、新刊の時に入手出来ました。浦原氏の3部作? 終戦直後の蒸気機関車、終戦直後 大阪の電車、終戦直後 東京の電車、持っていましたが、電車編の2冊は引越しの際に行方不明になりました(泣)……失礼致しました
そのうちメルカリで出てくるのを待ちます。
追分機関区のあの事件、当時は「リストラされた陸蒸気の怨念か」とまで言われたそうで。ちなみに当時はDLが7両か9両、SLが5両か6両留置されていたけれども、確か引き出せたのがDD51-681と685だけ、それ以外は北海道最新鋭の1169号機も炎に焼かれるという中々に悲惨なものだった。なお後年、烈火、火の粉が舞う中引き出せた機関車達2両は天寿全うで彼らの元へ行く際、会社から許可を得て神酒をかけて職員に見送られたそう。
ゆっくり舎人さん、ご視聴頂きありがとうございます。当時の私はかなりショックを受けましたが、同時におっしゃる通りの事を思っていました。今回DLには一切触れていないのもそのためなんですね。8億円の損失だったそうですが、結局原因と責任の所在は不明で片付けられたのですね。扇形庫は火災で焼け落ちるというは前例がないわけではないですが、あれほどの機関車を巻き込んだのは無かったです。
8:00 燃えたときのD51の、機関士の悲しさが、よくわかる動画でした。保存機の、241号機も、燃えたのが、悲しいです。機関車が、燃えると。酷い色ですね。
サハ1650さん、ご視聴頂きありがとうございます。241号は本当に残念でした。しかもギースル仕様でしたし。
そうですよね。機関車史上最悪の事件です。
昔聞いた話、奥中山か布原か忘れたが、Ⅾ51重連の撮影場所。周囲はカメラセットしてワイワイうるさかった。そこに録音機(スイスのNAGRA社製、当時百万円以上した)セットして待っていた人が一計を案じ、大声で、「先頭はナメクジだぞ!」すると一斉に静まり返り、結果良い音が録れたとかw戦時型とは異なる話スマソ
lost sinarさん、ご視聴頂きありがとうございます。私も重いテープレコーダー担いで音を撮りに行ったことがありました。写真撮るより難しいですね。
D51形戦時形。鉄資材節約のために木製デフレクターや蒲鉾形蒸気溜ドームなどD52形に似た特徴があった。戦後、ボイラー交換などから行われる一方、不良ボイラーの機関車は次々と廃車されていった。昭和20年の終戦期には、1115両という日本最大かつ最大製造の蒸気機関車となった。
最大の問題はボイラーの溶接強度、各部の寸法精度で、強度が足りないから爆発するんですね。戦後一応検査していてまずいのは新缶に交換していますから、廃車は多くないと思いますね。
@@Yukkuri-Labさん、やはり、不良ボイラーの機関車の大量廃車は、D51形やD52形にも及んだ。
一部はC61になった物も有ったみたいです、余談ですがナメクジ型からC61になったのは無いそうです。
以前の動画で戦後D51の仕掛りボイラーが三菱に多かったから、C61に回されたと仮説を言ったところ、視聴者様から異論がありました。
前に学校の新聞にC11 292が出ていてすぐ戦時型たみぬいたことがあります!
和鉄さん、ご視聴頂きありがとうございます。新橋の機関車が学校新聞に取り上げられたのですね。
関東で完全な形のD51戦時型は厚木の1119号と筑西の1116号で共に北海道型になる。町田の862号と王子の853号はテンダーが普通の準戦時型となる。筑西以外は屋根付きの保存です。追分機関区の火事は新車のDD51も巻き添え食らって焼死してますね。
N-15 115 さん、ご視聴頂きありがとうございます。個人所有になった1149号をレストアされているのですが、本物の戦時形に仕上げて頂くとインパクト大きいでしょうね。テンダー形状が難しいかな。
@@Yukkuri-Lab D511149=D51999なんですね、救ってくれた方には感謝します、テンダーに関しては戦後の船底型が付いているようなのでこのままの形かと思います、個人保存では上半分を復元するのは流石に無理だと思います、あとはデフの形を北海道型のままで行くか普通型にするかですが個人的には北海道型のままでも良い気がします。
戦争が起こっている影では機関車の製造すらままならない状態だったのですね…戦争の悲惨さを物語っていますね…個人的に何より恐ろしいと思うことは、1944年前半の時点で機関車すらこんな状態のなのに、降伏は1945年後半頃になっているということだと思いますね…
末期色のふくふちさん、ご視聴頂きありがとうございます。RUclipsでも見ることできますが、日本ニュースを時系列に見ていくと、正しい情報を公正に流すことが大事なんだと分かります。
戦時型D51といえば、戦後間もない頃に新津の原型1107号機がお召し列車を牽引しましたね
キハ084 さん、ご視聴頂きありがとうございます。1107は通常の姿でお召運転したんですね。虚飾を廃するというよりテロを警戒したのかもしれません。
追分機関区でD51 241が燃えて廃車になりかわりに廃車予定のD51 321号機が保存されたはずです
ゆっくり実況者最高やんKーさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうですね。それは320号機ですね。
@@Yukkuri-Lab 様そうでしたか教えて頂きありがとうございます
動画を観て気づいたのですが、新橋のC11、デフ枠も戦時型のもののようですね。
やまあきさん、ご視聴頂きありがとうございます。C11の戦時形のデフというものはしりませんでした。 新橋のC11、デフは新品に作り替えているように見えます。
戦時形D51ってのはこうも不気味な姿だとは…戦争というのは恐ろしいものだと常々思うが、今回は別ベクトルでの恐ろしさを感じました。
矢鳴さん、ご視聴頂きありがとうございます。戦時形D51不気味ですよねぇ。メンバーの方には他のオリジナルの姿をシェアしたのですが、木材とかコンクリートというは発想が。まぁ、コンクリートはD51ナメクジの第一動輪の軸重を重くするために使った例もあるようですが。追分の火災ですが、結局闇に葬られていて蒸し返されることは無い点は長い事引っかかってます。
@@Yukkuri-Lab 追分機関区の火災はタバコの不始末的なことを聞いたことがあります
私の知っているのは、扇形庫の屋根の修繕工事をやっていたこと、出火を確認したのは夜11時過ぎであること、です。ですから深夜に修繕工事をやっていないでしょうから、漏電か何かかと思っています。本件皆さん口が堅いですねぇ。
@@Yukkuri-Lab まぁ何かしらの原因がないとこうはならないでしょうが…なんにせよ大きな損失でしたね
ええ、これではD51のパチモンというレベルです。
この1086号機何故だろ俺の心の中の何かを刺激するなぁ〜、これマイクロかKATOで模型化して欲しいなぁ〜
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。何か刺激があったようですね。様々な戦時形の形態あるので全部調べてまたやりたいです。
なんだか違ったカッコ良さがあったなぁ〜って
函館生まれで子供のころ一度だけ五稜郭駅で見ました!蒸気溜が変だと思っていましたが大人になって戦時下製造のやつだとわかりました😊見たのはSL最後の頃でだいぶDD51になっていた時期です😂
荒竹さん、ご視聴頂きありがとうございました。そうなると、昭和48年頃のことですね。
そうです😊今ちょうど60才なので小学校4年生くらいの時です。とても懐かしく思いました😊SLは今でも好きです。いつも面白い動画ありがとうございます😊
急行ニセコが現役のころ五稜郭機関区では、子供たちがC622の運転席に乗せてもらい、構内を走っていました。今の言葉でかなり引きましたよ。でも8割方うらやましかったです。
残念ながらC622号機引退のころはまだ小さすぎて認識がありませんでした😂大人になってから京都に会いに行きました。五稜郭機関区では動かなくなったSLが沢山放置されていて潜り込んだ記憶があります😅
廃車体は可愛そうですね。私もあちこちで見ましたが、写真撮りませんでした。今となっては撮っておけばよかったです。
やはり、戦争には何も良いことは無いんだなと、実感しました。
EFゴハチさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよ。それを皆さんに認識して頂くことが目的の動画なんです。それと火事の恐ろしさです。追分の火事は原因不明で終わっていますが...
7:16 この時D51 1086の譲渡先として内定していたのが栃木県の井頭公園。代替として解体寸前のところを拾われたのが、現在真岡駅のキューロク館にいる49671と聞いたことがあります。
せんにさん、ご視聴頂きありがとうございます。真岡の9600はデフを外して格好良くなりましたね。
昭和20年に日本窒素が発注した国鉄編入機がラストナンバー1161号です。他にもソ連や他国に輸出用に増備されたD51もありました。国内では、北海道胆振線(廃止)の前身胆振縦貫鉄道のD51が加わり950移行の番号が与えれました。しかし、戦時形ではないので量産型と同じである事を追記します。標準形はナメクジ形を意味し量産型が多いのでこちらを採用させて頂きました。
あかつきあかつきさん、ご視聴頂きありがとうございます。最後のD51はいつ作られてどこに行ったのかの話を加えようと思いましたが、複雑で動画が長くなるので止めたんです。胆振縦貫鉄道のD51のことは先日の宗谷本線の動画で954号を登場させました。
昭和51年春の事を思い出しました。ショッキングな出来事でしたね 戦時型の形態に関して勉強になりました。ありがとうございます。😊
flexwind057 さん、ご視聴頂きありがとうございます。その時どう思われましたでしょうか?私はかなり不謹慎なことを思いました。ですから今回DLのことは一切触れなかったのです。
こんばんは 当時の気持ちを思い出すと営業最終機D51603が焼損した事にすごいショックを受けたと思います。あと保存予定機全滅と最新のDLが焼けた事で原因に根拠はありませんが人為的な気がしました。
ありがとうございます。そう感じてしまいますよね。241が最終日の最終列車で追分に戻ったD51で、こちらは消失。603は半焼で京都の嵯峨野鉄道の駅に展示されてます。
追分機関区の火事は放火とか機関区側のd51釜関係の火の不始末とか
ルナマリアさん、ご視聴頂きありがとうございます。私はノーコメントですが、もともと扇形庫の火事というは珍しいものではないので、警察も事故で済ませたんでしょうね。
追分機関区の火災は残念な事でした。組合闘争絡みの放火の噂もありましたが電気溶接工事中の火花が原因の様です。戦時型D51は人吉区の重装備1151号機が印象に残っています。一番調子が良いカマだと機関士の方が言っていた事を覚えています。
k wさん、ご視聴頂きありがとうございます。出荷を確認したのが夜11時なんですよね。工事をやっていたと思えないし、漏電なんでしょうか。五稜郭も全焼したのが昭和44年でしたが、こちらではあんなに混んでいる機関区なのに機関車は大丈夫だったんですよね。扇形庫は火災になるとどうしようもないですね。
京都鉄道博物館に動態保存されているD51200号機とJR東日本高崎車両センター所属機D51498号機は、標準形。
大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。JR東の蒸気は使用圧力が12kg/cm2と大幅に少ないので迫力が不足してますが、長く使うためにはそれもしかたないんですね。
@@Yukkuri-Labさん、戦争激化によって蒸気圧力を15㎏/cmに上げよと鉄道省(国鉄)に対して、軍部からの圧力が強かったからと思われます。死重にコンクリートブロックが使われ:舟底型テンダーなど戦時形貨物蒸気機関車の特長を表しました。
角ばったかまぼこドームと舟底テンダーに菱形台車1021号機:門司機関区1062号機:直方機関区?1064 1150 1155号機は確か若松機関区所属
さすらいのアルバトロスさん、ご視聴頂きありがとうございます。戦時形がボイラーを新しくされたのが昭和33年頃ですね。きっとその頃は九州や北海道で更新の機関車需要が炭鉱の関係でしょうか高まっていますから、新しい力強い機関車の戦時形が多いのかな?ともっています。
うぷ主さん、なんか色々言いたいことがあったようですが、堪えているような気がしますよ。もう好きにしてよいんじゃないのかな?
bolognalanchianoさん、ご視聴頂きありがとうございます。いえいえ、自分の身が可愛いのでリスクは犯したくないです。
1両からケチれる鉄なんて微々たるものだったろうに...かき集めて作った艦船バンバン沈める海軍さん
やねうらきさらぎ さん、ご視聴頂きありがとうございます。本当に同感です。資材不足と同時に製造リードタイムの大幅短縮も視野に入れていたので、あのような格好になっていますね。
もっと悲惨だったのは戦時標準船。ギリギリまで薄められた鋼板、二重底も省略されていたので、座礁イコール沈没。内地で渇望されていたガソリンを満載していたので、敵の機銃弾が当たると大爆発。
ドイツの機関車にも戦時型があります。有名なのは7000輌以上生産されたBR 52で、丸底のWannentenderを連結、簡略化の果てに給水ポンプの代わりにエゼクターを装備するような究極とも言える戦時量産機でした。BR 52以外にもBR 50やBR 86等にも戦時型ÜKがあり、D51と同様なキセの角型化、キャブ窓の省略等の簡略化が図られています。あと真円でない煙室扉は流線型急行機関車BR 01.10やBR 03.10だけかと思っていましたが、日本にもあったのですね。日本型もよく知らないので勉強になります。ありがとうございました。
DB103さん、ご視聴いただきありがとうございます。外国の蒸気は人気出ないのでサブチャンネルでやることにしています。52型はポーランドのイベントの動画をアップしました。ぜひご覧ください。ruclips.net/video/cl4PB7NvI0M/видео.htmlsi=qvCVWRrJV_1dVOQ5
僕はデゴイチの中でも241号機が好きかな…最初から最後まで、追分の箱入り娘。北の大地で特別な煙突を装備し、最後まで石炭を運び続けた。火災は残念だったけど、ラストデゴイチを飾った良い機関車だったと思う。
Anjyo さん、ご視聴いただきありがとうございます。241号は時折私の動画でも登場してきます。ギースルつけた最終列車牽引。焼けてしまいとても残念でした。
いつも為になる動画をありがとうございます。戦時形はその悲壮感が嫌いで余り興味が有りませんでしたが、後年の改装が種々あり面白いですね。追分機関区の火災で汽笛が鳴った話には涙を禁じ得ません…
832buuchanさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。改修が済んだ戦時形はなんか格好良くて好きでした。でもその登場した姿は悲惨なものであったことは伝えたいなと思っていました。その1086は安住の生活が保障されていたのに、焼かれて本当に哀れです。
戦時型の話題と違う話で恐縮ですが、新製直後?のD51254に砂撒き無いのが気になりました。ドームとケージングに内蔵した仕様なのかと察しますが見たことない形状でビックリしました
ほんわか慎さん、ご視聴頂きありがとうございます。内蔵タイプなんですね。杉並での保存機を見ましたが内蔵のままです。私は関心が無かったのですが、どこかで見たような気もします。広島工場が内蔵タイプを外出しに変えてしまうのが得意でしたね。(C62-1とか)
制作されたのに公開されない9600が主役の映画の話は96のゆっくり解説で二回程メールしましたけどその代わりではありませんが1960(昭和35)年公開の東映映画「大いなる旅路」と言うのがあります。岩手、盛岡を舞台にカマ焚きから汽関士に、大正末から昭和、戦前、戦中、戦後。30年間汽車一筋に生きて結婚して家族を持った一人の男の生涯を物語にした物で、幻の映画もこれに準じた話かもしれません。こちらはDVD化されているので観ることが出来ます。因みに劇中に出てくるのは68689、18638(劇中雪崩に巻き困れ転覆)D51224、566、598、886。C5751、170、69、197、C58297。それとC5128のナンバープレートを付けたC57なんて変なのが出来てきます。
芋谷さん、ご視聴頂きありがとうございます。大いなる旅路は、昔国鉄の人に切符貰って見に行ったことがあります。
追分機関区の火災は我々SLファンにとっては語り継がれていかなければならない黒歴史ですね。もし、タイムマシンがこの世に存在するのなら私はこの火災を阻止して歴史を改変したいです。😢
萩野さん、ご視聴頂きありがとうございます。追分の火災の被害は8億円だったそうです。出火原因わからず、だれも責任を負わなかったのではなかったと思います。ですから当時の世相を併せ考えると闇が深いなぁと思うんですよね。可哀想なのは四輌の蒸気機関車です。
鉄道ピクトリアルにD51を1機事に解説していた記事で、戦時形を知りました。因みに関係ないですが、最新号のビックコミックオリジナルで連載中の「てつぼん」って漫画に、話の中で戦時中にいた女性機関士の話がありましたよ。
mcdc さん、ご視聴頂きありがとうございます。パッと見ると新橋のC11と同じく蒸気ドームと砂箱のカバーが四角いだけで、標準形と変わらないのですが、登場したときはすごい姿だったということを分かっていただけたと思います。
4:15 最前線で戦う兵隊に比べて銃後の乗務員はボイラー爆発くらいはなんでもなかった感覚と思います 戦争は人の考えまで狂わせる恐ろしいものです 機関車もその犠牲になったのがこの動画で分かります
まつかぜ82さん、戦争中にバイラーが爆発したD51があって死傷者がでました。乗務員さんたちは戦々恐々だったと伺いました。機関区の管理者はそんな事リスクでもなんでもないと思ったでしょうが。敗戦祈念日も近いので、政治的アピール無しに戦争の愚かさを皆さんに共有いただくためにこれを作りました。
@@Yukkuri-Lab いえいえ 戦争は愚かで恐ろしいと思っています もし自己犠牲をも厭わない戦争賛美と受け取られたなら書き方が悪かったかも知れませんね
全く誤解しておりません。戦争を始めるまでの過程でうごめく政治や利権、政商の動きがどの戦争で必ずあり、吐き気がします。
@@Yukkuri-Lab なら良かったです 蒸気機関車のみならず電気機関車や電車も資材節約の為に粗悪な車両が生まれたと聞きました 戦後の桜木町事故もそれが理由だそうで 改めて戦争は色々なものを疲弊させるやってはならないものと思います
一切の戦争に加担しないことが大事なんだと思います。
関西本線では、準戦時設計のD51が多く、944や882もそうでしたが、本体側は復元されてもテンダーが少し異形でしたね。944は煙室の手すりが簡易のままでした。
関西本線の重油タンクは小さいので、カマボコボイラーの後ろに置くとちょうどバランス取れて格好良いです。
関西本線の戦時形は1007と1054(他にも居たかも)が印象に残ってますが1054は戦時形ながら標準形やD52のように通常のドームなのが特徴でしたね。
そういう個体があるのは、全検の際に遊休の機関車のを持ってきて付け替えたんだなと思います。800,900番台の戦時形D51は仕掛材の関係で通常のパーツを組んだものもありました。
そういえばその火災でDD51も燃えて廃車になった気がはずです
ご視聴頂きありがとうございます。DD51の事もよく知っていましたが、それを述べると、じゃあどう思ったのか?も併せる必要があるので省いたのです。
@@Yukkuri-Lab 様そうでしたか深追いしてなんかすいません
魔理沙に聞いたところ、「ざまぁ~」と思ったなどと口が裂けても言えないと主張していたので止めたんです。
どういう訳か戦時形の機関車を原状復帰する時も、かまぼこドームだけはほとんどそのままでしたね。強度に関係ないから「別にいいや」だったのでしょうかね?
Homare Jumo213さん、ご視聴頂きありがとうございます。例外もあるので、中々面白いです。戦時形でも日立のD51はかまぼこドームではなかったとか。おそらく在庫の関係なのでしょう。
D52の原状復帰タイプやD62改造機は全て通常形のドームに改装されてましたね。
火災の熱で汽笛....まるで生きたまま焼かれてうめき声をあげているようですね😢
ご視聴頂きありがとうございます。汽笛が鳴った話ですが、本当のことの様ですね。動画でも言ってますが本当に可哀想なことになりました。
デコ無しデコイチは初めて知りました……
kaedeさん、ご視聴頂きありがとうございます。おどろおどろしい形状ですよね。こんなの見たらもう終わりだよ。って感想持たなかったのかな?
@@Yukkuri-Lab 脳ミソ出ていそうでやえもんがホラー映画に出てきたようです……(汗)
頭をちぎったアンパンマン
全員ぎょっとしたと思います。それを口に出せないのが日本の怖いところ。今もおんなじですよ。
日本で一番テレビ出演が多い機関車は戦時型なんですよね〜
AKもでるのサブさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですか!私は大井川のC11だとおもってました。
8:03もう蒸気機関車が「助けて…」って言ってるようにしか聞こえない…
よしきさん、ご指摘ありがとうございます。悲しい汽笛でした。本当に汽笛が鳴ったのか、証言は無いのですが、聴いた人は複数いることは知ってます。扇形庫はこういう時にリスクが高いですね。
4:40戦時設計車輌、空襲された車輌は「黙して語ら無い。」
小樽築港機関区 さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。戦中、戦後の混乱期が終わる前にこの哀れな姿は改装されていますので、資料や写真が圧倒的に少ないんですね。このような姿の機関車を復元して梅小路に展示するのは意義あることだと思いますね。
@@Yukkuri-Lab さん、電機ですが、EF13(凸)は手摺りすら付いて無い状態でしたね。
電気機関車は掴まるところがいっぱいあるので省いたのでしょうね。
戦時型のc11は九州にも1台いますよ、北海道の241の火事は有名ですね、 7:44 でも4月ら辺というのは知りませんでした、
JNRC1267さん、ご視聴いただきありがとうございます。3月2日に入換え9600が最終のセレモニーやった後、9600とD51には予備で火が入っており、石炭と水をもらいに動いていたと思います。私は4月5日に撮影した9600に火が入っている写真を見たことがありますが、3月31日の年度終わりに全部火を落とし廃車されたことになっています。(据付ボイラー扱いでいた梅小路のC11-311も同日廃車になっています)その直後の4月13日の火災なんです。
カッコ良かったです……。D51形蒸気機関車は、「きかんしゃトーマス」に登場するヒロのモデルなので大好きです………。今日(8月13日・日曜日)、バンテリンドームナゴヤへ野球⚾観戦に行って来ました。結果は、2−1で広島東洋カープが負けました。(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)その後にタクシー🚕に乗って、東山動植物園のナイトズーへ行きました。ハローキティ新幹線の車内アナウンス(新倉敷駅・西明石駅・新神戸駅・終点新大阪駅)と東山動植物園の象さんの動画を撮影しました。
機関車ヒロさん、ご視聴頂きありがとうございます。トーマスでは、機関車の庫が火事になるというお話はありますか?
@@Yukkuri-Lab 劇場版「きかんしゃトーマス ディーゼル10の逆襲」で、ディーゼル整備工場が火事になりますよ………。
機関車ヒロを1086号機誕生から焼かれる姿に置き換えると、悲惨な話になりますね。
更埴市でしたかね。1001号が解体されたんですよね。大して傷んでいなかったようなのに・・ それに引き換え神戸は東海道・山陽の起終点らしくレストアされたようで・・
石井勉 さん、ご視聴いただきありがとうございます。1001号、写真を見たら長工集煙装置つけていたので調べたら最後は木曽福島にほんの僅かいたんですね。解体されたわけですが、こうやって保存した末に解体するのは機関車を二回○すことだと思っています。貸与した方も責任持って欲しいです。
追分機関区が火災で蒸気機関車最後の運行機D51241号機とD511086号機が焼失。もし火災事故が無かったら、追分機関区は、北海道鉄道博物館になったはずだった。😭😭😭⤵️⤵️⤵️
大坂さん、私は追分の火災には何か原因があったと思います。あの損失は当時で8億円だそうです。国鉄がらみの事件事故は怖いです。
@@Yukkuri-Labさん、追分機関区の火災の原因がたばこの火の不始末か、国労組合員による放火容疑か分からない。もし、この火災事故が無かったらC623号機は、小樽の小樽市交通博物館ではなく、追分町の仮称北海道鉄道博物館に保存されていたかもしれません。
組合のことは言わない方が。北海道は怖いですから。
@@Yukkuri-Lab さん、くわばら、くわばら。
戦時中の鉄道の写真で、電気機関車が壊れた電車を客車代わりに引っ張ったり。旅客機関車が貨物引っ張った姿があった。残酷。
Tiffanyさん、ご視聴頂きありがとうございます。C62でも貨物を牽引したこともありますし、それは余り気にされない方が良いでしょうね。
@@Yukkuri-Lab 映像や写真ある?使い方が計画や本来の目的と異なるので車体に負担がかかり嫌だと思った。
岩徳線でC62は貨物牽引していました。Web等でお探しください。
幻のスーパーなめくじD5123号機。
模型だったら簡単ですね。動力逆転機が付いているのが格好良いです。
@@Yukkuri-Labさん、もし昭和40年代のSLブームで引退列車運行後、京都鉄道博物館かさいたま大宮鉄道博物館(交通博物館)入りして、保存去れていたかもしれません。
❮D51 1086❯「熱い!、、助けて❗」っていっていたのかもしれない、、
NAのお気軽お散歩動画さん、動画ご視聴いただきありがとうございました。とても悲惨な火災事故でした。外に出してあれば助かったのですね。
確か、追分機関区の火災事故では新造間もないディーゼル機関車も多数が焼けてしまったね。扇形庫は木造だし油が染みてただろうから、火がついたらあっという間だったと思われる。
鉄道模型大好きおじさん、ご視聴いただきありがとうございました。機関庫の火災はさほど珍しくなく、昭和44年ごろ五稜郭の扇型庫も焼け落ちましたが、機関車には影響なかったです。追分の火災はいろいろ憶測を呼びましたが、被害額は新型DLも焼けてしまいかなりです。
そういやこのチャンネル最初のほうはモーターショーのおねーちゃんなんかも撮ってたね
himats toshさん、ご視聴頂きありがとうございます。そちらのほうは、一部サブチャンネルに移動しており、機会が有れば新しい動画を作りたいです。
先週のD52に続いて色々考えさせられる動画で、コメントもすっかり遅くなってしまいました。そもそも戦時機関車として登場したD52とまた違って、ナメクジや初期標準型のスマートな形状を見知っている(そして、今でも動態含めて保存機がまだまだ残っている)だけに、殊更戦争のおぞましさが感じられます。D51、D52のボイラー破裂/爆発事故だって、終戦間際か以後に発生したがために明るみに出たもの以外にも、闇に葬られた案件が多々あったのではないかと思えてしまいます。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。コメントありがとうございます。これが同じD51かよぉ!と思った職員は多かったでしょうね。これで勝てると思った人はいないでしょう。
この様な粗悪な設計で作られた機関車を運転する乗務員さん達の心情はいかがなものだったのでしょうかもう二度とこの様な機関車が誕生する事の無い様願います。
デカミツ さん、ご視聴頂きありがとうございます。戦時中D51のバイラー爆発死傷事故があり、乗務員さんたちは毎回生きた心地がしなかったという証言を読んだことがあります。
北海道追分基地での火災は悲劇でしたね。車庫には、蒸気機関車🚂だけでなくDLも被災したらしい。一部が、残った蒸気機関車🚂が、京都で保存されています。助かったのは、DLが数台でした。
後藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。DLも8輌でしたか?合計8億円の損失だったと聞きました。結局うやむやでだれも責任取らなかったのでは?京都のトロッコ列車の駅で一部保存されているのは、動画で触れている半焼の603号ですね。扇形庫のそとで留置されていたD51は無傷で241の代わりになって保管されたりしています。
@@Yukkuri-Lab 安平町に、保存されている、機関車🚂ですね。🚂241号車は、保存する予定でしたから。🚂
以前D51と渾名のついた力士がいたが今はその孫が頑張っている。番付はまだ下だが祖父みたいに上位陣を引っ掻き回す曲者になれば面白くなりそう
SKTさん、ご視聴いただきありがとうございます。そのような名前を付けられたお相撲さんがいたんですね。D52の方が強いと思いますね。
体格だけならD52クラスは大勢いたけど
追分記念館に保存されているD51320号機、本来追分機関区の外に廃車の為に係留されていた、火災により保存されるはずの241が焼失したため保存車両として復活、
ヒマ人空港のさん、ご視聴頂きありがとうございます。320はそうでしたね。
しかし、追分機関区の火事は一体何が原因で起こったんだ?
ご視聴頂きありがとうございました。それは探らない方が良い様です。
追分の火事は放火の可能性があるね。全く火の気の無い扇形庫から深夜、火がなんて怪し過ぎ。
土井さん、ご視聴頂きありがとうございます。私もそうなのかもしれないなとずっと思っているわけですが、動画で言うわけにもいかず。〇〇関係とかいろいろありましたしね。タヒ者や負傷者が居なかったので、後は大人の事情だったのかな?と邪推したり、みんなそう思ったはずです。
国労組合員の過激派グループによるテロ攻撃か❓
それは流石にないかと。
当時も今も労組がね、色々やって来るからね。
なぜか「焼け落ちた生主」と空目しました。(´・ω・`)?
点を入れればよかったです。タイトル字数制限があって、英語タイトル入れるものですからいつも変なタイトルになったなあと思ってます。
負けそうになったら勝手に一方的に降伏できるという勘違いはあまりに酷いよね無知にもほどがある、戦争を知らなすぎる
貴方よりは存じているつもりです。
8:04 燃え盛る炎の中で汽笛は助けを呼ぶかのように聞こえた。😢
めちゃくちゃ涙が出てきそうな話です。
萩野さん、ご視聴頂きありがとうございます。
火災の中汽笛が鳴ったのか、鳴ったように聞こえたのか定かではないのですが、確かにそのように聞いております。火事には扇形庫は悲惨ですね。特に追分は木造ですし。
ありがとうございます!
caboose1966さん、えっ!嬉しいです。ありがとうございます。
何か共感いただけたようであればとても嬉しいです。
D51の異形、戦時型は小学校の図書館にあった、図鑑「電車、客・貨車」(ポプラ社)の写真で見た時の記憶が蘇りました。ありがとうございます。追分の火事はSL終焉時に残酷な悲しい出来事でした。
futon_hosuさん、ご視聴頂きありがとうございます。その図鑑にも紹介されているのですね。
追分の火災は聞いた時大変なショックでした。戦時型、奈良でも3両が配置されて現役当時見てました。煙室戸の上が欠けているのは、大いなる旅路のドラマのオープニングでトンネルから出るシーンがあり、当時無茶興奮していました。やはりD51,最高ですね。でも静態は見ていて辛いので現役にいつまでも頑張って欲しいです。
hassiemozart さん、ご視聴頂きありがとうございます。
私はショックでしたが、当時の口の悪いSLファンの思っていたのと同じことを思いました。今回は1086号機でしたが、603号機が個人的にはショックでした。あれは友人が見て感激したことを聞いていて、すごく綺麗にしていたんですよ。
603,前頭部のみが保存されている様ですね。でもなんか複雑です。当時はこれが精一杯だったのかも・・・・やはりSLは動いている姿が最高ですね。
そうですね、603号は半焼だったので、あのような形で保存展示されているのですね。本当はとても美しい機関車に仕上げられていたんです。
呉線を訪れた際に乗車した12系音戸51号の牽引機が常磐線から来た1068号機でした。
常磐線時代に標準化に改装後、メカニカルストーカーまで装備していたと後で知りました🤔
シロクニ さん、ご視聴頂きありがとうございます。
1068号機の水戸時代メカニカルストーカの話を入れようかと思いましたが、主題の1086号の番号と被り混乱すると思い止めました。
常磐炭のカロリーが低くて大変だったのでストーカ入れたそうですね。
まさかの『抜刀隊』BGMからチアガールとはスパイスがキツい。常陸多賀駅シーン。あの場所は懐かしいです。たぶん、1086号機は幼い頃に見ていた罐なのでしょうね。
門デフ1038号機は中々に格好いい。
戦時型は直線の構成美が好きです。
HMS HOODさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
私なりに構成を考えました。イントロは戦争イケイケ、朝チアは戦後形の機関車を知らない、知る必要も無い人々ばかりであること…
反戦動画で進めていたのを大きく変えたのでアップが遅くなりました。
追分駅機関区の火災は、今でも記憶にあります。火気に注意している場所なのに不審火?とさえ考えたくらい衝撃でした。あまり保存には乗り気ではなかったのか。本当に無くなってゆくんだなぁ…と実感しました。
蒸気機関車は空襲にあったのも、戦闘機の機銃掃射にあったものもいたでしょうね。やっと平和に余生を送れる直前にひどいことになったものです。
D51戦時型といえば、四国の土讃線にて昭和20年代後半〜35年頃にかけてD51戦時型が最大で12両活躍していました。「四国には配属されなかった」と紹介されがちなD51ですが、ネットサーフィンでその情報を見つけた時はびっくりしました。
ちなみに重装備型(多度津式集煙装置、重油タンク)に改造された個体も居たみたいです。
かねやん丸のチャンネルさん、ご視聴頂きありがとうございます。
四国のD51が一時期いたことは知っていました。私は残念ながら四国には蒸気の撮影に行っていないのですが。四国は日本で最も早く無煙化達成しました。
D51はプラモや鉄道模型でも目にする機会が多かったので子供の時からバランスの取れたプロポーションが好きでした。
今日、知らなかった戦時型を拝見して資材不足のなか数を作るで先人たちも無茶をしていたんだなと思い知らされました。
新橋に居るC11も含め戦時型の蒸機をスクラップししてはいけないと改めて思いました。。。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
私も含めみんなの知っている戦時形は、カクカクして力強いD51のイメージですが、本物はそうではないんです。わずかな資料を基に現存D51戦時形の写真に合わせたのですが、まだまだですね。あの姿はショックです。模型が出たら受けるかもしれません。
欧州でも簡略化された戦時型SLは醜いと酷評されるものですが、戦時型D51もこんな不気味で無残な姿になっていたとは唖然とするばかり…。こうした戦時設計のために事故や故障が頻発したら却って輸送を阻害するわけで、多少の節約になったところで実効的な意味など無かったでしょうね。それでも最後まで生き残っていた1086号機なのに、最後は火事で焼失とはさらに無残…。
abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。欧州や米国の戦時形は格好は悪いですが、コンクリートや木材は使いませんね。戦時中事故は頻発したわけではなく、戦後ですね。敗戦後すぐに簡易改装で木材コンクリートは鉄材に変えられたので、先週のD52とともに今回のD51の姿は貴重だと思います。8月15日も間近なので皆さんに戦争の無益さを感じて頂くために製作しました。
追分の火事は自分では思うところがあるのですが、止めました。
D51 1086の動輪は長万部町と岩見沢市に保管されてますねどちらも見にいきましたが、1086の新製時がこんな姿だったとは知らなかったです
DEGOICEさん、私も最近この1086の当時のオリジナルの写真を見たことが今回の動画を製作するきっかけになりました。
解体されて今は無いですが北海道の日高地方某所に戦後賠償で作られてソ連に送られて還ってきたD51がありました。戦時型は乗り物の多くのジャンルに存在しますがどれも異形というか不気味な佇まいですね。どちらかと言えば私は自動車の方が専門なのですがトヨタ、日産の戦時型トラックはヘッドライト一灯、木製キャブ、前ブレーキ無しでラジエターが剥き出しの酷い姿でした。そんな中に戦前から使っていた皇族や軍部、政権幹部の公用車の代替えを企画し、資材のない中で高級車の試作車を造らせていたというのは全くもって怒りしか出ない所業でした。よって私としては大東亜戦争という呼び方に違和感というか嫌悪感を感じます。
冨山さん、ご視聴頂きありがとうございます。
ソ連から戻ったD51解体されてしまったんですね。この機関車賠償ではなく商売としてソ連に輸出されたものです。この時点ではソ連との間に国交は無いのですが、貿易はありました。1956年の日ソ共同宣言では、ソ連は日本国に対して一切の賠償請求権を放棄する。とありますので、賠償で機関車を送ったことは無いです。
皇族の車はともかく、軍部や政権幹部は自転車で十分ですよね。
大東亜戦争はアメリカ相手の太平洋戦争ではないことをお知らせするために最初からいつも大東亜戦争と動画では言ってます。
ソ連型も大半は解体されてしまったのでしょうか?柏崎に保存してあったのも中越地震の仮設住宅建設時に解体されてしまい今は有りません。
保存を決めた自治体なり法人・個人を問わず、都合が悪くなったら解体というのはあまり理屈が通らない話ですよね。
お疲れ様です、先日に続き今回も色々考えさせられる動画でしたね、D51は数も多くて色々なタイプのある華やかなSLと思ってましたが、そんな悲しい事情もあったのですね🙇
まやまさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
D51はナメクジと標準形の大きな違いだけではなく、戦争を大きくひきずっているのですね。
一応、この戦時型D51が、日本で最初の番台区分とされていますな
新橋のC11もそうですが、蕨と鴻巣のC11も戦時型なのを思い出してしまいますな
元真岡線、現在東武線で走ってるC11325も戦時型でしたね……ボイラーのドームは復活時に標準型戻されましたが……静態保存時まではカマボコでした。
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
蕨、鴻巣にもC11いたんですね。304,322号、どちらも日本車両なんですが、最後の頃は車両メーカーに型式を割り振っていたふしがあります。
審美的にはC11にはあれは無いと思っているので、変えて貰えてよかったです。
みんな歯を食いしばって頑張ったカマ達ですね。浦原利穂 氏の写真集「終戦直後の蒸気機関車」でもデフが片方しかないD51や、吹田で特別休車中のD52……当時を偲べます。
有難うございました。
くらちゃんさん、ご視聴頂きありがとうございます。この本を探していたのですが、入手できないんですよ。
私は20年近く前、新刊の時に入手出来ました。浦原氏の3部作? 終戦直後の蒸気機関車、終戦直後 大阪の電車、終戦直後 東京の電車、持っていましたが、電車編の2冊は引越しの際に行方不明になりました(泣)……失礼致しました
そのうちメルカリで出てくるのを待ちます。
追分機関区のあの事件、当時は「リストラされた陸蒸気の怨念か」とまで言われたそうで。
ちなみに当時はDLが7両か9両、SLが5両か6両留置されていたけれども、確か引き出せたのがDD51-681と685だけ、それ以外は北海道最新鋭の1169号機も炎に焼かれるという中々に悲惨なものだった。
なお後年、烈火、火の粉が舞う中引き出せた機関車達2両は天寿全うで彼らの元へ行く際、会社から許可を得て神酒をかけて職員に見送られたそう。
ゆっくり舎人さん、ご視聴頂きありがとうございます。
当時の私はかなりショックを受けましたが、同時におっしゃる通りの事を思っていました。今回DLには一切触れていないのもそのためなんですね。8億円の損失だったそうですが、結局原因と責任の所在は不明で片付けられたのですね。扇形庫は火災で焼け落ちるというは前例がないわけではないですが、あれほどの機関車を巻き込んだのは無かったです。
8:00 燃えたときのD51の、機関士の悲しさが、よくわかる動画でした。保存機の、241号機も、燃えたのが、悲しいです。機関車が、燃えると。酷い色ですね。
サハ1650さん、ご視聴頂きありがとうございます。
241号は本当に残念でした。しかもギースル仕様でしたし。
そうですよね。機関車史上最悪の事件です。
昔聞いた話、
奥中山か布原か忘れたが、Ⅾ51重連の撮影場所。周囲はカメラセットしてワイワイうるさかった。
そこに録音機(スイスのNAGRA社製、当時百万円以上した)セットして待っていた人が一計を案じ、
大声で、「先頭はナメクジだぞ!」
すると一斉に静まり返り、結果良い音が録れたとかw
戦時型とは異なる話スマソ
lost sinarさん、ご視聴頂きありがとうございます。
私も重いテープレコーダー担いで音を撮りに行ったことがありました。写真撮るより難しいですね。
D51形戦時形。
鉄資材節約のために木製デフレクターや蒲鉾形蒸気溜ドームなどD52形に似た特徴があった。
戦後、ボイラー交換などから行われる一方、不良ボイラーの機関車は次々と廃車されていった。
昭和20年の終戦期には、1115両という日本最大かつ最大製造の蒸気機関車となった。
最大の問題はボイラーの溶接強度、各部の寸法精度で、強度が足りないから爆発するんですね。戦後一応検査していてまずいのは新缶に交換していますから、廃車は多くないと思いますね。
@@Yukkuri-Labさん、やはり、不良ボイラーの機関車の大量廃車は、D51形やD52形にも及んだ。
一部はC61になった物も有ったみたいです、余談ですがナメクジ型からC61になったのは無いそうです。
以前の動画で戦後D51の仕掛りボイラーが三菱に多かったから、C61に回されたと仮説を言ったところ、視聴者様から異論がありました。
前に学校の新聞にC11 292が出ていてすぐ戦時型たみぬいたことがあります!
和鉄さん、ご視聴頂きありがとうございます。新橋の機関車が学校新聞に取り上げられたのですね。
関東で完全な形のD51戦時型は厚木の1119号と筑西の1116号で共に北海道型になる。町田の862号と王子の853号はテンダーが普通の準戦時型となる。筑西以外は屋根付きの保存です。追分機関区の火事は新車のDD51も巻き添え食らって焼死してますね。
N-15 115 さん、ご視聴頂きありがとうございます。個人所有になった1149号をレストアされているのですが、本物の戦時形に仕上げて頂くとインパクト大きいでしょうね。テンダー形状が難しいかな。
@@Yukkuri-Lab D511149=D51999なんですね、救ってくれた方には感謝します、テンダーに関しては戦後の船底型が付いているようなのでこのままの形かと思います、個人保存では上半分を復元するのは流石に無理だと思います、あとはデフの形を北海道型のままで行くか普通型にするかですが個人的には北海道型のままでも良い気がします。
戦争が起こっている影では機関車の製造すらままならない状態だったのですね…戦争の悲惨さを物語っていますね…
個人的に何より恐ろしいと思うことは、1944年前半の時点で機関車すらこんな状態のなのに、降伏は1945年後半頃になっているということだと思いますね…
末期色のふくふちさん、ご視聴頂きありがとうございます。
RUclipsでも見ることできますが、日本ニュースを時系列に見ていくと、正しい情報を公正に流すことが大事なんだと分かります。
戦時型D51といえば、戦後間もない頃に新津の原型1107号機がお召し列車を牽引しましたね
キハ084 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
1107は通常の姿でお召運転したんですね。虚飾を廃するというよりテロを警戒したのかもしれません。
追分機関区でD51 241が燃えて廃車になりかわりに廃車予定のD51 321号機が保存されたはずです
ゆっくり実況者最高やんKーさん、ご視聴頂きありがとうございます。
そうですね。それは320号機ですね。
@@Yukkuri-Lab 様そうでしたか教えて頂きありがとうございます
動画を観て気づいたのですが、新橋のC11、デフ枠も戦時型のもののようですね。
やまあきさん、ご視聴頂きありがとうございます。
C11の戦時形のデフというものはしりませんでした。
新橋のC11、デフは新品に作り替えているように見えます。
戦時形D51ってのはこうも不気味な姿だとは…戦争というのは恐ろしいものだと常々思うが、今回は別ベクトルでの恐ろしさを感じました。
矢鳴さん、ご視聴頂きありがとうございます。
戦時形D51不気味ですよねぇ。メンバーの方には他のオリジナルの姿をシェアしたのですが、木材とかコンクリートというは発想が。
まぁ、コンクリートはD51ナメクジの第一動輪の軸重を重くするために使った例もあるようですが。
追分の火災ですが、結局闇に葬られていて蒸し返されることは無い点は長い事引っかかってます。
@@Yukkuri-Lab 追分機関区の火災はタバコの不始末的なことを聞いたことがあります
私の知っているのは、扇形庫の屋根の修繕工事をやっていたこと、出火を確認したのは夜11時過ぎであること、です。
ですから深夜に修繕工事をやっていないでしょうから、漏電か何かかと思っています。本件皆さん口が堅いですねぇ。
@@Yukkuri-Lab まぁ何かしらの原因がないとこうはならないでしょうが…なんにせよ大きな損失でしたね
ええ、これではD51のパチモンというレベルです。
この1086号機何故だろ俺の心の中の何かを刺激するなぁ〜、これマイクロかKATOで模型化して欲しいなぁ〜
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
何か刺激があったようですね。様々な戦時形の形態あるので全部調べてまたやりたいです。
なんだか違ったカッコ良さがあったなぁ〜って
函館生まれで子供のころ一度だけ五稜郭駅で見ました!蒸気溜が変だと思っていましたが大人になって戦時下製造のやつだとわかりました😊見たのはSL最後の頃でだいぶDD51になっていた時期です😂
荒竹さん、ご視聴頂きありがとうございました。
そうなると、昭和48年頃のことですね。
そうです😊今ちょうど60才なので小学校4年生くらいの時です。とても懐かしく思いました😊SLは今でも好きです。いつも面白い動画ありがとうございます😊
急行ニセコが現役のころ五稜郭機関区では、子供たちがC622の運転席に乗せてもらい、構内を走っていました。今の言葉でかなり引きましたよ。でも8割方うらやましかったです。
残念ながらC622号機引退のころはまだ小さすぎて認識がありませんでした😂大人になってから京都に会いに行きました。五稜郭機関区では動かなくなったSLが沢山放置されていて潜り込んだ記憶があります😅
廃車体は可愛そうですね。私もあちこちで見ましたが、写真撮りませんでした。
今となっては撮っておけばよかったです。
やはり、戦争には何も良いことは無いんだなと、実感しました。
EFゴハチさん、ご視聴頂きありがとうございます。
そうなんですよ。それを皆さんに認識して頂くことが目的の動画なんです。
それと火事の恐ろしさです。追分の火事は原因不明で終わっていますが...
7:16
この時D51 1086の譲渡先として内定していたのが栃木県の井頭公園。代替として解体寸前のところを拾われたのが、現在真岡駅のキューロク館にいる49671と聞いたことがあります。
せんにさん、ご視聴頂きありがとうございます。
真岡の9600はデフを外して格好良くなりましたね。
昭和20年に日本窒素が発注した国鉄編入機がラストナンバー1161号です。
他にもソ連や他国に輸出用に増備されたD51もありました。
国内では、北海道胆振線(廃止)の前身胆振縦貫鉄道のD51が加わり950移行の番号が与えれました。
しかし、戦時形ではないので量産型と同じである事を追記します。
標準形はナメクジ形を意味し量産型が多いのでこちらを採用させて頂きました。
あかつきあかつきさん、ご視聴頂きありがとうございます。
最後のD51はいつ作られてどこに行ったのかの話を加えようと思いましたが、複雑で動画が長くなるので止めたんです。
胆振縦貫鉄道のD51のことは先日の宗谷本線の動画で954号を登場させました。
昭和51年春の事を思い出しました。ショッキングな出来事でしたね 戦時型の形態に関して勉強になりました。ありがとうございます。😊
flexwind057 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
その時どう思われましたでしょうか?私はかなり不謹慎なことを思いました。
ですから今回DLのことは一切触れなかったのです。
こんばんは 当時の気持ちを思い出すと
営業最終機D51603が焼損した事に
すごいショックを受けたと思います。
あと保存予定機全滅と最新のDLが焼けた事で原因に根拠はありませんが人為的な気がしました。
ありがとうございます。そう感じてしまいますよね。
241が最終日の最終列車で追分に戻ったD51で、こちらは消失。603は半焼で京都の嵯峨野鉄道の駅に展示されてます。
追分機関区の火事は放火とか機関区側のd51釜関係の火の不始末とか
ルナマリアさん、ご視聴頂きありがとうございます。
私はノーコメントですが、もともと扇形庫の火事というは珍しいものではないので、警察も事故で済ませたんでしょうね。
追分機関区の火災は残念な事でした。組合闘争絡みの放火の噂もありましたが電気溶接工事中の火花が原因の様です。戦時型D51は人吉区の重装備1151号機が印象に残っています。一番調子が良いカマだと機関士の方が言っていた事を覚えています。
k wさん、ご視聴頂きありがとうございます。出荷を確認したのが夜11時なんですよね。工事をやっていたと思えないし、漏電なんでしょうか。
五稜郭も全焼したのが昭和44年でしたが、こちらではあんなに混んでいる機関区なのに機関車は大丈夫だったんですよね。扇形庫は火災になるとどうしようもないですね。
京都鉄道博物館に動態保存されているD51200号機とJR東日本高崎車両センター所属機D51498号機は、標準形。
大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
JR東の蒸気は使用圧力が12kg/cm2と大幅に少ないので迫力が不足してますが、長く使うためにはそれもしかたないんですね。
@@Yukkuri-Labさん、戦争激化によって蒸気圧力を15㎏/cmに上げよと鉄道省(国鉄)に対して、軍部からの圧力が強かったからと思われます。
死重にコンクリートブロックが使われ:舟底型テンダーなど戦時形貨物蒸気機関車の特長を表しました。
角ばったかまぼこドームと
舟底テンダーに菱形台車
1021号機:門司機関区
1062号機:直方機関区?
1064 1150 1155号機は
確か若松機関区所属
さすらいのアルバトロスさん、ご視聴頂きありがとうございます。
戦時形がボイラーを新しくされたのが昭和33年頃ですね。
きっとその頃は九州や北海道で更新の機関車需要が炭鉱の関係でしょうか高まっていますから、新しい力強い機関車の戦時形が多いのかな?ともっています。
うぷ主さん、なんか色々言いたいことがあったようですが、堪えているような気がしますよ。
もう好きにしてよいんじゃないのかな?
bolognalanchianoさん、ご視聴頂きありがとうございます。
いえいえ、自分の身が可愛いのでリスクは犯したくないです。
1両からケチれる鉄なんて微々たるものだったろうに...
かき集めて作った艦船バンバン沈める海軍さん
やねうらきさらぎ さん、ご視聴頂きありがとうございます。
本当に同感です。資材不足と同時に製造リードタイムの大幅短縮も視野に入れていたので、あのような格好になっていますね。
もっと悲惨だったのは戦時標準船。ギリギリまで薄められた鋼板、二重底も省略されていたので、座礁イコール沈没。内地で渇望されていたガソリンを満載していたので、敵の機銃弾が当たると大爆発。
ドイツの機関車にも戦時型があります。有名なのは7000輌以上生産されたBR 52で、丸底のWannentenderを連結、簡略化の果てに給水ポンプの代わりにエゼクターを装備するような究極とも言える戦時量産機でした。BR 52以外にもBR 50やBR 86等にも戦時型ÜKがあり、D51と同様なキセの角型化、キャブ窓の省略等の簡略化が図られています。あと真円でない煙室扉は流線型急行機関車BR 01.10やBR 03.10だけかと思っていましたが、日本にもあったのですね。日本型もよく知らないので勉強になります。ありがとうございました。
DB103さん、ご視聴いただきありがとうございます。
外国の蒸気は人気出ないのでサブチャンネルでやることにしています。
52型はポーランドのイベントの動画をアップしました。ぜひご覧ください。ruclips.net/video/cl4PB7NvI0M/видео.htmlsi=qvCVWRrJV_1dVOQ5
僕はデゴイチの中でも241号機が好きかな…最初から最後まで、追分の箱入り娘。
北の大地で特別な煙突を装備し、
最後まで石炭を運び続けた。
火災は残念だったけど、
ラストデゴイチを飾った
良い機関車だったと思う。
Anjyo さん、ご視聴いただきありがとうございます。
241号は時折私の動画でも登場してきます。
ギースルつけた最終列車牽引。焼けてしまいとても残念でした。
いつも為になる動画をありがとうございます。戦時形はその悲壮感が嫌いで余り興味が有りませんでしたが、後年の改装が種々あり面白いですね。追分機関区の火災で汽笛が鳴った話には涙を禁じ得ません…
832buuchanさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
改修が済んだ戦時形はなんか格好良くて好きでした。
でもその登場した姿は悲惨なものであったことは伝えたいなと思っていました。
その1086は安住の生活が保障されていたのに、焼かれて本当に哀れです。
戦時型の話題と違う話で恐縮ですが、新製直後?のD51254に砂撒き無いのが気になりました。ドームとケージングに内蔵した仕様なのかと察しますが見たことない形状でビックリしました
ほんわか慎さん、ご視聴頂きありがとうございます。内蔵タイプなんですね。杉並での保存機を見ましたが内蔵のままです。私は関心が無かったのですが、どこかで見たような気もします。広島工場が内蔵タイプを外出しに変えてしまうのが得意でしたね。(C62-1とか)
制作されたのに公開されない9600が主役の映画の話は96のゆっくり解説で二回程メールしましたけどその代わりではありませんが1960(昭和35)年公開の東映映画「大いなる旅路」と言うのがあります。岩手、盛岡を舞台にカマ焚きから汽関士に、大正末から昭和、戦前、戦中、戦後。30年間汽車一筋に生きて結婚して家族を持った一人の男の生涯を物語にした物で、幻の映画もこれに準じた話かもしれません。こちらはDVD化されているので観ることが出来ます。因みに劇中に出てくるのは68689、18638(劇中雪崩に巻き困れ転覆)D51224、566、598、886。C5751、170、69、197、C58297。それとC5128のナンバープレートを付けたC57なんて変なのが出来てきます。
芋谷さん、ご視聴頂きありがとうございます。
大いなる旅路は、昔国鉄の人に切符貰って見に行ったことがあります。
追分機関区の火災は我々SLファンにとっては語り継がれていかなければならない黒歴史ですね。
もし、タイムマシンがこの世に存在するのなら私はこの火災を阻止して歴史を改変したいです。😢
萩野さん、ご視聴頂きありがとうございます。
追分の火災の被害は8億円だったそうです。出火原因わからず、だれも責任を負わなかったのではなかったと思います。ですから当時の世相を併せ考えると闇が深いなぁと思うんですよね。
可哀想なのは四輌の蒸気機関車です。
鉄道ピクトリアルにD51を1機事に解説していた記事で、戦時形を知りました。
因みに関係ないですが、最新号のビックコミックオリジナルで連載中の「てつぼん」って漫画に、話の中で戦時中にいた女性機関士の話がありましたよ。
mcdc さん、ご視聴頂きありがとうございます。パッと見ると新橋のC11と同じく蒸気ドームと砂箱のカバーが四角いだけで、標準形と変わらないのですが、登場したときはすごい姿だったということを分かっていただけたと思います。
4:15 最前線で戦う兵隊に比べて銃後の乗務員はボイラー爆発くらいはなんでもなかった感覚と思います 戦争は人の考えまで狂わせる恐ろしいものです 機関車もその犠牲になったのがこの動画で分かります
まつかぜ82さん、戦争中にバイラーが爆発したD51があって死傷者がでました。乗務員さんたちは戦々恐々だったと伺いました。機関区の管理者はそんな事リスクでもなんでもないと思ったでしょうが。
敗戦祈念日も近いので、政治的アピール無しに戦争の愚かさを皆さんに共有いただくためにこれを作りました。
@@Yukkuri-Lab いえいえ 戦争は愚かで恐ろしいと思っています もし自己犠牲をも厭わない戦争賛美と受け取られたなら書き方が悪かったかも知れませんね
全く誤解しておりません。戦争を始めるまでの過程でうごめく政治や利権、政商の動きがどの戦争で必ずあり、吐き気がします。
@@Yukkuri-Lab なら良かったです 蒸気機関車のみならず電気機関車や電車も資材節約の為に粗悪な車両が生まれたと聞きました 戦後の桜木町事故もそれが理由だそうで 改めて戦争は色々なものを疲弊させるやってはならないものと思います
一切の戦争に加担しないことが大事なんだと思います。
関西本線では、準戦時設計のD51が多く、944や882もそうでしたが、本体側は復元されてもテンダーが少し異形でしたね。944は煙室の手すりが簡易のままでした。
関西本線の重油タンクは小さいので、カマボコボイラーの後ろに置くとちょうどバランス取れて格好良いです。
関西本線の戦時形は1007と1054(他にも居たかも)が印象に残ってますが1054は戦時形ながら標準形やD52のように通常のドームなのが特徴でしたね。
そういう個体があるのは、全検の際に遊休の機関車のを持ってきて付け替えたんだなと思います。800,900番台の戦時形D51は仕掛材の関係で通常のパーツを組んだものもありました。
そういえばその火災でDD51も燃えて廃車になった気がはずです
ご視聴頂きありがとうございます。
DD51の事もよく知っていましたが、それを述べると、じゃあどう思ったのか?も併せる必要があるので省いたのです。
@@Yukkuri-Lab 様そうでしたか深追いしてなんかすいません
魔理沙に聞いたところ、「ざまぁ~」と思ったなどと口が裂けても言えないと主張していたので止めたんです。
どういう訳か戦時形の機関車を原状復帰する時も、かまぼこドームだけはほとんどそのままでしたね。
強度に関係ないから「別にいいや」だったのでしょうかね?
Homare Jumo213さん、ご視聴頂きありがとうございます。
例外もあるので、中々面白いです。
戦時形でも日立のD51はかまぼこドームではなかったとか。おそらく在庫の関係なのでしょう。
D52の原状復帰タイプやD62改造機は全て通常形のドームに改装されてましたね。
火災の熱で汽笛....
まるで生きたまま焼かれてうめき声をあげているようですね😢
ご視聴頂きありがとうございます。
汽笛が鳴った話ですが、本当のことの様ですね。
動画でも言ってますが本当に可哀想なことになりました。
デコ無しデコイチは初めて知りました……
kaedeさん、ご視聴頂きありがとうございます。
おどろおどろしい形状ですよね。こんなの見たらもう終わりだよ。って感想持たなかったのかな?
@@Yukkuri-Lab
脳ミソ出ていそうでやえもんがホラー映画に出てきたようです……(汗)
頭をちぎったアンパンマン
全員ぎょっとしたと思います。それを口に出せないのが日本の怖いところ。今もおんなじですよ。
日本で一番テレビ出演が多い機関車は戦時型なんですよね〜
AKもでるのサブさん、ご視聴頂きありがとうございます。
そうなんですか!私は大井川のC11だとおもってました。
8:03
もう蒸気機関車が「助けて…」って言ってるようにしか聞こえない…
よしきさん、ご指摘ありがとうございます。
悲しい汽笛でした。本当に汽笛が鳴ったのか、証言は無いのですが、聴いた人は複数いることは知ってます。扇形庫はこういう時にリスクが高いですね。
4:40戦時設計車輌、空襲された車輌は「黙して語ら無い。」
小樽築港機関区 さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。戦中、戦後の混乱期が終わる前にこの哀れな姿は改装されていますので、資料や写真が圧倒的に少ないんですね。
このような姿の機関車を復元して梅小路に展示するのは意義あることだと思いますね。
@@Yukkuri-Lab さん、電機ですが、EF13(凸)は手摺りすら付いて無い状態でしたね。
電気機関車は掴まるところがいっぱいあるので省いたのでしょうね。
戦時型のc11は九州にも1台いますよ、北海道の241の火事は有名ですね、 7:44 でも4月ら辺というのは知りませんでした、
JNRC1267さん、ご視聴いただきありがとうございます。
3月2日に入換え9600が最終のセレモニーやった後、9600とD51には予備で火が入っており、石炭と水をもらいに動いていたと思います。私は4月5日に撮影した9600に火が入っている写真を見たことがありますが、3月31日の年度終わりに全部火を落とし廃車されたことになっています。(据付ボイラー扱いでいた梅小路のC11-311も同日廃車になっています)
その直後の4月13日の火災なんです。
カッコ良かったです……。
D51形蒸気機関車は、「きかんしゃトーマス」に登場するヒロのモデルなので大好きです………。
今日(8月13日・日曜日)、バンテリンドームナゴヤへ野球⚾観戦に行って来ました。
結果は、2−1で広島東洋カープが負けました。
(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)
その後にタクシー🚕に乗って、東山動植物園のナイトズーへ行きました。
ハローキティ新幹線の車内アナウンス(新倉敷駅・西明石駅・新神戸駅・終点新大阪駅)と東山動植物園の象さんの動画を撮影しました。
機関車ヒロさん、ご視聴頂きありがとうございます。
トーマスでは、機関車の庫が火事になるというお話はありますか?
@@Yukkuri-Lab
劇場版「きかんしゃトーマス ディーゼル10の逆襲」で、ディーゼル整備工場が火事になりますよ………。
機関車ヒロを1086号機誕生から焼かれる姿に置き換えると、悲惨な話になりますね。
更埴市でしたかね。1001号が解体されたんですよね。大して傷んでいなかったようなのに・・ それに引き換え神戸は東海道・山陽の起終点らしくレストアされたようで・・
石井勉 さん、ご視聴いただきありがとうございます。1001号、写真を見たら長工集煙装置つけていたので調べたら最後は木曽福島にほんの僅かいたんですね。
解体されたわけですが、こうやって保存した末に解体するのは機関車を二回○すことだと思っています。貸与した方も責任持って欲しいです。
追分機関区が火災で蒸気機関車最後の運行機D51241号機とD511086号機が焼失。もし火災事故が無かったら、追分機関区は、北海道鉄道博物館になったはずだった。😭😭😭⤵️⤵️⤵️
大坂さん、私は追分の火災には何か原因があったと思います。あの損失は当時で8億円だそうです。国鉄がらみの事件事故は怖いです。
@@Yukkuri-Labさん、追分機関区の火災の原因がたばこの火の不始末か、国労組合員による放火容疑か分からない。
もし、この火災事故が無かったらC623号機は、小樽の小樽市交通博物館ではなく、追分町の仮称北海道鉄道博物館に保存されていたかもしれません。
組合のことは言わない方が。北海道は怖いですから。
@@Yukkuri-Lab さん、くわばら、くわばら。
戦時中の鉄道の写真で、電気機関車が壊れた電車を客車代わりに引っ張ったり。旅客機関車が貨物引っ張った姿があった。残酷。
Tiffanyさん、ご視聴頂きありがとうございます。
C62でも貨物を牽引したこともありますし、それは余り気にされない方が良いでしょうね。
@@Yukkuri-Lab 映像や写真ある?使い方が計画や本来の目的と異なるので車体に負担がかかり嫌だと思った。
岩徳線でC62は貨物牽引していました。Web等でお探しください。
幻のスーパーなめくじD5123号機。
模型だったら簡単ですね。動力逆転機が付いているのが格好良いです。
@@Yukkuri-Labさん、もし昭和40年代のSLブームで引退列車運行後、京都鉄道博物館かさいたま大宮鉄道博物館(交通博物館)入りして、保存去れていたかもしれません。
❮D51 1086❯
「熱い!、、助けて❗」
っていっていたのかもしれない、、
NAのお気軽お散歩動画さん、動画ご視聴いただきありがとうございました。とても悲惨な火災事故でした。外に出してあれば助かったのですね。
確か、追分機関区の火災事故では新造間もないディーゼル機関車も多数が焼けてしまったね。
扇形庫は木造だし油が染みてただろうから、火がついたらあっという間だったと思われる。
鉄道模型大好きおじさん、ご視聴いただきありがとうございました。
機関庫の火災はさほど珍しくなく、昭和44年ごろ五稜郭の扇型庫も焼け落ちましたが、機関車には影響なかったです。追分の火災はいろいろ憶測を呼びましたが、被害額は新型DLも焼けてしまいかなりです。
そういやこのチャンネル最初のほうはモーターショーのおねーちゃんなんかも撮ってたね
himats toshさん、ご視聴頂きありがとうございます。
そちらのほうは、一部サブチャンネルに移動しており、機会が有れば新しい動画を作りたいです。
先週のD52に続いて色々考えさせられる動画で、コメントもすっかり遅くなってしまいました。
そもそも戦時機関車として登場したD52とまた違って、ナメクジや初期標準型のスマートな形状を見知っている(そして、今でも動態含めて保存機がまだまだ残っている)だけに、殊更戦争のおぞましさが感じられます。
D51、D52のボイラー破裂/爆発事故だって、終戦間際か以後に発生したがために明るみに出たもの以外にも、闇に葬られた案件が多々あったのではないかと思えてしまいます。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
コメントありがとうございます。
これが同じD51かよぉ!と思った職員は多かったでしょうね。これで勝てると思った人はいないでしょう。
この様な粗悪な設計で作られた機関車を運転する乗務員さん達の心情はいかがなものだったのでしょうか
もう二度とこの様な機関車が誕生する事の無い様願います。
デカミツ さん、ご視聴頂きありがとうございます。
戦時中D51のバイラー爆発死傷事故があり、乗務員さんたちは毎回生きた心地がしなかったという証言を読んだことがあります。
北海道追分基地での火災は悲劇でしたね。車庫には、蒸気機関車🚂だけでなくDLも被災したらしい。一部が、残った蒸気機関車🚂が、京都で保存されています。助かったのは、DLが数台でした。
後藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。
DLも8輌でしたか?合計8億円の損失だったと聞きました。結局うやむやでだれも責任取らなかったのでは?京都のトロッコ列車の駅で一部保存されているのは、動画で触れている半焼の603号ですね。扇形庫のそとで留置されていたD51は無傷で241の代わりになって保管されたりしています。
@@Yukkuri-Lab 安平町に、保存されている、機関車🚂ですね。🚂241号車は、保存する予定でしたから。🚂
以前D51と渾名のついた力士がいたが今はその孫が頑張っている。番付はまだ下だが祖父みたいに上位陣を引っ掻き回す曲者になれば面白くなりそう
SKTさん、ご視聴いただきありがとうございます。そのような名前を付けられたお相撲さんがいたんですね。D52の方が強いと思いますね。
体格だけならD52クラスは大勢いたけど
追分記念館に保存されているD51320号機、本来追分機関区の外に廃車の為に係留されていた、火災により保存されるはずの241が焼失したため保存車両として復活、
ヒマ人空港のさん、ご視聴頂きありがとうございます。
320はそうでしたね。
しかし、追分機関区の火事は一体何が原因で起こったんだ?
ご視聴頂きありがとうございました。
それは探らない方が良い様です。
追分の火事は放火の可能性があるね。
全く火の気の無い扇形庫から深夜、火がなんて怪し過ぎ。
土井さん、ご視聴頂きありがとうございます。
私もそうなのかもしれないなとずっと思っているわけですが、動画で言うわけにもいかず。〇〇関係とかいろいろありましたしね。タヒ者や負傷者が居なかったので、後は大人の事情だったのかな?と邪推したり、みんなそう思ったはずです。
国労組合員の過激派グループによるテロ攻撃か❓
それは流石にないかと。
当時も今も労組がね、色々やって来るからね。
なぜか「焼け落ちた生主」と空目しました。(´・ω・`)?
点を入れればよかったです。タイトル字数制限があって、英語タイトル入れるものですからいつも変なタイトルになったなあと思ってます。
負けそうになったら勝手に一方的に降伏できるという勘違いはあまりに酷いよね
無知にもほどがある、戦争を知らなすぎる
貴方よりは存じているつもりです。