京阪【京津線】前面展望:京阪山科→京津三条(地上路線在りし頃)
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- Опубликовано: 20 авг 2024
- '89.8撮影:京都市営地下鉄東西線への乗り入れ開始に伴い、'97年 京津線の三条~御陵間の地上路線が廃止されました。その廃止区間を8年前に撮影した前面展望映像をお届けします。この部分廃止と同時に廃車となった「京津線の顔」80形の姿も御覧いただけます。なお本動画は、昭和の路面電車05の内容に、色修正や字幕等の全面的な再編集を施したUG(アップグレード)版となります。
下記の動画も、是非ご覧ください。
↓動画「京津線 前面展望(別所→浜大津→京阪山科)」はこちら
• 京阪【京津線】前面展望:旧塗色600形の頃(...
宜しければ、下記動画にもお付き合いください
↓「昭和の路面電車」再生リスト Tram
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87年かな、家族で京都旅行に行った際に、タクシーから始めてみて、京都市電ってもう無いのに路面??ってビックリしたことを思い出します。その後、社会人になった97年9月、廃止直前の横川軽井沢を乗ってから長野から「しなの」を使って彦根、一泊して安土城址を探索した後、大津・浜大津から最初で最後の京津線に乗車しました。とにかくよかった。連携した車両が路面を走りさらに路面にある電停に止まっていく。勾配、カーブ、軒下を通っていくのは圧巻でした。景色と体感に夢中で、更にフィルム時代ということもあって残るは記憶のみ。こうしてトレースすることのできる映像が残っているなんて!有難い限りです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
大都市の路面電車が消えて久しいのを知っているからこそ、予期せぬ場所で路面を行く電車に不意に出くわすと嬉しい驚きがありますよね。後年の貴殿乗車時の記憶をトレースされるのに少しでも役立ったのなら、当方としても嬉しい限りです。横軽のあとに京津線に乗られたというのは、偶然かもしれませんが「急勾配」繋がりですね!
今では「京津線」と言っても御陵〜びわ湖浜大津間だけになり寂しい限りです‼️
ポール集電時代からのファンです。
600系は駆動性能アップして力強いですね。
260系時代は蹴上の66.7パーミル登るのに苦労していました。
個人的には追分〜大谷間が好きでした。
急行は石山寺行きにあり、浜大津でスイッチバックして石山坂本線に入っていました。
江若鉄道の浜大津駅もあり、当時が懐かしいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
今でも路面区間があり、そして地下路線にも直通しており、京津線のように沿線風景が変化の富む魅力的な路線は少ないと思います。私が訪問した当時は既に260系には会えませんでした。
乗った車両は急行じゃなくて準急です。京津三条~御陵までの路面区間は通過でした。基本的に石山坂本線と共用で600形と700形が固定でしたが、旧型車も廃止当日に久々に入りました。80形は京津三条~四宮の普通だけでしたが、早朝深夜だけは普通としてびわこ浜大津まで乗り入れてました。
九条山駅は廃止後、廃車車両の留置と解体が行われました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
間違いをご指摘いただき恐縮です。80形とは異なり車輛にステップを備えていないので、路面区間で客扱いはできなかった訳ですね。80形が四宮より先まで入ることがあったとは知りませんでした。
@@昭和電車チャンネル 準急が走っていない早朝深夜には三条-浜大津の80形による普通運用がありました。変わった運用では早朝深夜に四宮-浜大津の送り込み・取り込みを兼ねた区間列車がありましたがこの区間は準急でも各駅停車であるにも関わらず、準急で走る列車と普通で走る列車がありました。なおごくたまに検査の都合による車両不足から80形が準急運用に入ることがあり、利用者は車両の色で種別を認識しているため誤乗防止の案内をかなり丁寧にやっていたようです。
当時は山科に行く用事も無かったから乗ったことはなかったけど、今にして思えば乗っておくべきだったな。廃止後しばらくは線路やホームもそのまま残ってたし。
街並みも懐かしい。貴重な映像ありがとうございます😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
路線が廃止されてから、或いは車輛が廃車されてから「乗っておけば良かった!」と思い返す事例は、私にも沢山ございます・・
何度か乗ったことのある京津線。通勤や通学ではないので頻繁に乗ったわけではないが京阪山科から京阪三条までを1995年1月17日朝に利用している。
当時はJRで滋賀県から京都市内に通勤していたが大津と山科・・・もしかすると逢坂山のトンネル内かもしれないが午前5時46分、のちに「阪神淡路大震災」といわれる大地震が発生。
自分の乗っていたJR電車は山科駅までは走行したが地震が近畿地方で発生したこととしばらく電車は山科駅で停車することを構内アナウンスした。
すぐに動き出すだろうと電車内で待機していたが電車は動かない。駅員さんに聞くと凄い地震だったのでいつ電車が動き出すかわからないという返事だった。それでタクシーに乗ろうと駅前に出たが朝早過ぎたのもあるだろうが同じ考えを先にした人が乗っていってしまったのか1台もタクシーはいない。途方に暮れていたが京阪電車が京阪山科駅に入ってきたのでとりあえず飛び乗って京阪三条まで乗車した。
しかし勤務先は河原町五条。当時すでに地下になっていたからか動いていない。しかたなく朝の河原町を走っていった。
そして勤務先で見たテレビに驚いた。怪獣のいない怪獣映画・・・。神戸の街が・・・。
自分は走行中の電車にいたので地震の揺れを知らなかった。
あれからずいぶんと経ちそのとき乗った山科から京阪三条も今は地下になっているが、あのとき京阪山科駅にきた京阪電車の映像はおそらく一生忘れないだろう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
あの日実際に体験されたがゆえに、今でも鮮明に記憶されているのですね。貴殿の文章を読ませていただくと、まるでドキュメンタリー映像のように生々しい光景が目に浮かぶようでした。
日本の路面電車はとても美しいです、共有してくれてありがとう like 🔔💯🤝ok my friend
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
Thank you for watching and commenting.
これは貴重な映像ですね。地下鉄が開業する間近の頃の動画はいくつか既に投稿されていますが、それより更に前の89年の動画は極めてレアだと思います。
1:32この踏切のそばの左側にある線路脇の建物は、踏切の遮断機がまだ手動だった時代に遮断機を上げ下げする職員の控室として使われていた建物だそうです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この踏切わきの廃墟っぽい建物は何気なく見過ごしてましたが、いわゆる「踏切小屋」だったのですね。たしかに一般の住居にしては線路や踏切に近過ぎですよね。
この時代の京津線に乗ってみたかった
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
今から思うと、夢のような光景ですよね。
この映像は準急です。この時期に急行はないです。
昔は、直通の
石山寺〜三条間で、急行と準急が運行されてた時代が懐かしいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
誤りをご指摘いただき恐縮です。急行と準急が存在していた時代もあったのですね。
鴨東線開業後は車内放送が更新されて、石山坂本線・浜大津駅到着前には「京都三条・出町柳・大阪・宇治方面は(以下省略)」、京津線・京津三条駅到着前には「大阪京橋・淀屋橋・宇治・出町柳方面は(以下省略)」にそれぞれ変更されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
鴨東線の開業は '89.10なので、この動画は、その直前の時期となります。
車の免許を取った前年に地上部分が廃止されて自分でこの辺を
運転するようになった頃には痕跡もほぼなかったですが今でも
実感するのは「併用軌道時代だったら御陵〜三条間は絶対に
車で通りたくない」ですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
併用軌道でのクルマの運転では、道路が狭かったり混んでいたりすると、電車に接触しないかヒヤヒヤすることもありますよね。私の地元の江ノ電では、併用軌道で電車と並んで走るのは危なくて不可能ですが、少し後ろから電車を追いかけるのは大好きで、よくやってました(笑)。
ruclips.net/video/MbyxsbLE5wM/видео.html
ruclips.net/video/t0J2Q51h8_Y/видео.html
平成元年の時点では、この600形のコンプレッサーは、種車である260形の流用品のままだったんですね。
モーターがカルダン駆動なのに、何か違和感があります。この頃は、京津線に訪れていないので、動画で視る事ができて良かったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
駆動系とコンプレッサーとで時代が異なる例もありますよね。
@@昭和電車チャンネル でも、それが良くもあるんですよね。昭和62年頃でしたが、京津線経由で石山寺に行った際、乗った500形が旧式のコンプレッサーでした。多分、260形からの改造なので、そのままだったのですね。
三条通は交通量も多く電車の運転も大変そうですね。
車が割り込んできたりするので。
三条京阪のバスターミナルも今と比べて賑わっていますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
まあ、地下化されるのも必然だったということでしょうね。
併用軌道時代、時刻表上は、山科~三条が10分とされていましたが(急行)、混雑時(夕方ラッシュ等)は30分近くかかっていました。しかも電車の中も大混雑。。。
地下鉄ができて、ようやくいつでも10分程度で走るようになりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
道路の混雑や信号待ちの影響を受けない定時運行が、やはり地下鉄の強みですね。
現東西線の通学利用者です。馴染みのある景色もあり興味深いです😮
時間短縮もそうですが、運賃はどうだったんでしょうか?今は地下鉄は高いので有名なので笑
現嵐電のように現在の換算で250円ほどでしょうか🤔
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
あいにく運賃は憶えておりませんが、事業者間を跨らない時代であれば手頃な金額だったのでしょう。
開通早々その運賃問題がのしかかりまして、発着駅の組み合わせによっては一気に高くなった区間さえあります(さらに大津線各駅の運賃表には「京阪本線の乗車券は京阪三条駅で別途にお買い求め下さい。」と記した注意書きが付加された)。
道路の渋滞に巻き込まれて動けなくなっている写真を多く見てきましたが、
混んでなくてもこんな感じだとちょっと議題に上がってしまいそうですよね…
じゃ、地下鉄に変えたら?と言っても乗り継ぎで高額運賃で客離れって何が正解だったんでしょうね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰るように、道路がそれほど混雑していなくてもノロノロ運転でしたね。「地下鉄乗り入れ」は一般に事業者間をまたがるので、どうしても運賃が高くなりますよね。
この京津線の御陵から京津三条が廃止されるのは8年後の1997年10月11日で御陵から京津三条まで10分だったのが翌日に開業した京都市交通局市営地下鉄東西線では5分となり身近になった。by酒向正也
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
地下鉄の5分に対して、路面時代は10分だったとのことですが、道路事情によってはもっと掛かったことでしょうね。
昔蹴上から京津三条まで乗りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
曜日や時間帯にもよりますが、やはり道路は混雑していたでしょうね。
併用区間の軌道の状態がキレイで、揺れも少ないのは、現在でも感心しますね。
同じ京都市内でも、晩年の京都市電の軌道は“ガタガタ”といった感じで、走行時の揺れも激しく、京津線の80形の乗り心地のよさとは、比較にならなかったです。
これも、「“公営”と“民営”の違い」だったのでしょうか?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
軌道の保守,整備の違いがあったのどうか判りませんが、京都市電より京津線の方が全体的に車輛が新しかったことによるかもしれないですね。京都市電の全廃前、中高生の頃に乗りに行かなかった(行けなかった)ことが私としては悔やまれます。この京津線や、叡電、嵐電との「平面交差」、見たかったなぁ・・・
これでは遅しい、何より危険です。速くて安全な地下鉄が出来て良かったですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
料金はアップしましたが、利便性や安全性は間違いなく向上しましたね。