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何でこの物語にこんなにも涙するのか、それは、差別と、過去をたちきろうと、必死に生きる人間の切ない魂の叫び、しかない。
今から45年前、たまり場の喫茶店で松竹映画の招待券が2枚有るから行って来たらとママさんからもらったのでカウンターの行きずりの女性と何のストーリーも知らずに見に行きました。冒頭から砂の器が波で崩れていくシーンに何なのかと鑑賞しているうちに美しい映像と音楽に取り込まれてこれほど魂を揺さぶられた事は他には有りません!そしてエンディングではぐしゃぐしゃになり、どうか照明がつかないでほしいと思った事でした。同伴の女性も無言で感動に浸っていたようでした。一番衝撃的だったのはお父さんが施設で嗚咽のあと、こんな顔の人は知らねえと言うシーンでした。当時19才の若造でしたが未だにこの作品を超える映画には行きあたっておりません。
何回観ても、涙💧涙💧涙💧です。ストーリー、映像、芥川也寸志の曲、すべからく、素晴しく、世の不条理、まさに、人が生まれた時から持って宿命ですからね。😭
不朽の名作です。
「七人の侍」が日本映画の「動」の最高傑作なら、「砂の器」は「静」の最高傑作。
映画が原作を超えた日本映画屈指の傑作として映画史に残りますね🎥🤔😭
日本映画最高峰と言っても過言ではない名作!「砂の器」らい病を患う親。忌み嫌われさすらう親子の過酷な旅。四季の美しさがなお悲しい。心を揺さぶる音楽「宿命」涙が止まりませんでした。
「こんなにも崇高な涙を誘う映画は他にない。」 小島秀夫監督 著書「僕の身体の70%は映画で出来ている」より。
日本映画最高傑作です!砂の器!音楽が!美しい四季を過酷宿命背負い旅する親子。の涙が止まらない!
同感です。丹波さんもしっかりセリフを覚えて来たとの事です。やりがいのある役柄だったのでしょう。
「宿名」「ひまわり」音楽を聴くだけで、情景が浮かび涙が出てしまう。邦映画NO1&洋映画NO1。
宿命ですよ
昔の映画は役者、脚本、監督と全てレベルが高い。原作松本清張だから当たり前ですが。
加藤嘉さんのこんな人知らねー、と叫ぶセリフは日本映画史上に残る言葉ですね!
駅で別れるシーンも忘れられない。親子と巡査のそれぞれの深い悲しみが伝わった。
貧しく辛かった少女時代を思い出しました。コメントしながら泣いてます。😢😢😢
同じです。
今は穏やかな毎日ですか
素晴らしい脚本を書いてくださった橋本忍さんのご冥福をお祈りします。
だめだ・・・。涙腺ゆるみまくる・・・。
監督も凄いと思います。
タイトルは知ってたけど関心がなかった。57才にしてどはまり。俳優人、映像、音楽、すべてが凄い。名作。今後、どこかの映画館で上映することがあれば必ず見る。
同年齢 同告白 私も絶対見ます。
当時14歳の映画ファンだったけど、えらく感動してサントラ盤買ったなぁ。
何度も何度も観て、聞いて泣ける映画はこの砂の器ぐらいですね。本日も涙を1㍑放出です。
もう百回ちかく観た映画です。「砂の器」は何度も映像化されてますが本篇が一番です。劇的に展開される構成、その物語、美しい映像、役者の個性が生きる芝居、そしてこの音楽のテーマ。ラストの三つの場面の同時進行、忘れられない映画作品です。ただ、伊勢の映画館に掲げられた写真で、和賀が秀夫とつながり同一人物であるという判断にいたる必然性が今でも不自然に思えるのですが…
お店のBGMでサントラを流させて頂いています。ご来店下さるお客さんで、「宿命」の音色に「砂の器」ですよね、と反応して下さることもしばしば。忘れられない感動的な映画だったと話される方も。テーマソングに歌詞をつけた菅原洋一さんの歌も味わいぶかいですね。
美和書店?昔、代々木の政党本部の近くにあった書店でしょうか?何か懐かしくて……。社会科学関連の書籍なら、美和書店。それが僕らの常識でした。砂の器は、映画館で2度観ましたが、友人が声を上げて泣いていた事を思い出します。
@@user-wh8bh2co3y 歴史に残る名画ですね。清張さんが今生きておられたらと、ハンセン病患者への国の対応の誤りが明らかになったことに感慨を深められているのではと痛感します。また機会がありましたら、現在の美和書店をのぞいてみてください。ありがとうございます。
やはり、検察庁合同捜査会議と、コンサート、親子の厳しい放浪の3部厚生労働省野村監督の、力量が演出力。
清張の原作を映画化したものだが、清張をして「小説ではここまでの表現は出来ない」と言わしめた傑作。原作は超音波による殺人という荒唐無稽な部分やその他にも冗長な部分があるが、一方親子の放浪の部分の記述はただ一行だけ。映画は各地を彷徨する親子の姿を克明に描いている。背景に流れるピアノ曲がまた素晴しい。
有難うございました。
音楽、芥川也寸志様、です。松本清張先生の最高傑作。松竹作品。こんな映画わ。もう作れません。
丹波哲郎が いい演技をしていますね。特に「 繰り返し 繰り返し」の台詞は演技を超えていますね。
丹波哲郎上手いよねこの映画観てびっくりした
丹波さんは、役作りをしないんだそうです。「役者はてめぇの匂いを出せばいいんだ」と何かのインタビューで答えていたそうで。つまり、この演技は演技ではなく、丹波哲郎というひとの人間性そのものなんだと思います。
@@user-fm1eh2di4l 様 色々な分野でお目にかかります! これで4回目です(笑)。お達者で!
@@user-th3vx9pj5t こんばんは🤗色んなところに出没しています🤣
晩年の大霊界キャラからは想像もできないくらいの名優ぶりを発揮されてますね
吉村「今西さん、和賀は父親に会いたかったんでしょうね?」今西「そんなことは決まっとる!今、父親に会ってる。彼にはもう、音楽、音楽の中でしか父親に会えないんだ。」
「今西さん、和賀は千代吉に会いたかったんでしょうね?」「そんなことは決まっとる!和賀は今、父親に遭ってる。彼はもう音楽、音楽の中でしか父親に会えないんだ。」
戦争による戸籍原本の消失。そして本籍再生。過去を捨てて違う自分になる。そうせざるを得なかったにしてもそれでいいのか…。病気に対する誤った認識のせいで取り返しのつかない人生を送ったのは本浦千代吉だけではない。
朝靄の中、村はずれの坂道を真っ白な巡礼衣をまとった親子がトボトボと登って行く。村はずれの小高い丘に達し、故郷の村を振り返る。先ほどとは一転して朝日に照らされる村。農作業をしている農婦が、岡の方を見つめる。あぁあの親子が旅立って行くんだ。
クリアに聞こえてセリフ覚えるのにいいなぁ…
あかん!パブロフの犬の如く、旋律を聞くだけで勝手に涙が‥‥‥。
黒澤さんの助監督を、つとめていたから。人間を描くちから。
人の心は自分で創る!彼は、あまりにもつらすぎて心は育たなかったか今の若者たちも育ってないよね!彼の心は砂の器!脆いし役立たずなのよね今の若者たちはねガラスに粘土みたいにぐちゃぐちゃな心!鉄板の心は役に立つ!何人も抱えて走るそんな鉄板の心の持ち主が、戦争で特攻隊に散ったじゃなかったか?私達はね、特攻隊に散ったじゃなかった鉄板の子孫!ダイヤモンドの心に育って特攻隊の供養になるのじゃないかなぁ?こんなゴミみたいに育ついじめや情けない悲しみ悲しみ!何なんこれ!みんな舐めたらあかんで
本当は、小津さんだけど少し難しいし、あまり動きがないし音楽もないからよほど映画をしらないと。
砂の器をアニメにしたらどうなりますか?
スタジオジブリ制作になると思いますが、この作品と同じく重く悲しいテーマを扱った『火垂るの墓』のメガホンを取った高畑勲監督亡き今どうなることやら🤔
途中までよかったのに途中から丹波氏の声が変わってしまいこの物語の本質を忘れている。これでは音楽がめちゃくtyになってる。知らんけど
いいなぁ、言えるって、書けるって自由だと、日本人に生まれて感謝しかないです、他の国に生まれていたら、現実しかないです。
この映画の最大の見せ場は、おそらくラストの和賀英良のコンサートシーンで、彼の奏でる曲に合わせて、「宿命」としての不幸な過去が、走馬灯の様に彼の頭の中を駆けめぐる、という演出にあると思いますが、私は、正直このシーンには嫌悪感しか覚えませんでしたなるほど、ハンセン氏病の父親との差別と偏見に曝された放浪の旅、というより巡礼には同情を禁じ得ず、そこに憐れみの涙を流すという事も分からないではありませんしかし、忘れてはならない事は、このコンサートで人生の頂点を極めたと錯覚し、自己陶酔してしまっている和賀英良は、最大の恩人である三木謙一を殺害し、なをかつそれ以外にも愛人を一人、いや、お腹の赤ちゃんも入れて二人を事実上死に追いやっているのでありますにもかかわらず、何の心の動揺も見せず、顔色ひとつ変えず、厚顔にもコンサートを開き、満座の中で演奏が出来るこの男に、果たして人間としての情があると言えるのでしょうか?作中、吉村の「和賀は、父親に会いたかったんでしょうね?」との問いに「そんなことは決まっている!今彼は父親に会っている!彼はもう、音楽の中でしか父親に会えないんだ」と今西は答えますが、私にはこのセリフは、余りに和賀をある意味、買いかぶりすぎているとしか思えませんでした和賀は、会いたかったわけではなく、自分の記憶の中だけに留めておきたかった、それ以外の全ての過去を消し去りたかった・・・それでも宿命という曲を書き上げたのは、決して父親に会いたかったからではなく、ちょうど私小説家が、自らの暗い過去や、いかがわしい側面をネタに作品を発表し、富と名声を得ようとするようなスケベ心にすぎないか、お芝居にある「殺人者の役になり切るために、本当に人を殺してしまう」歪んだ欲望に似た心理の現れでしかない様に思います少なくとも、私には演出上その様にしか見えなかったのですこの映画で、真に同情されるべきなのは、病気の父親と、その父親を陰で支え続けた三木謙一の誠意だけであり、(もっとも、三木の和賀に対する要求には問題もあるかと思いますが・・・)和賀は、三木を殺害した時点で、同情になど全く値しなくなっているのでありますそんな和賀が作曲した事になっている曲を聞きながら、感動の涙を流す・・・その神経や如何に!?私にはさっぱり理解出来ません
何でこの物語にこんなにも涙するのか、それは、差別と、過去をたちきろうと、必死に生きる人間の切ない魂の叫び、しかない。
今から45年前、たまり場の喫茶店で松竹映画の招待券が2枚有るから行って来たらとママさんからもらったのでカウンターの行きずりの女性と何のストーリーも知らずに見に行きました。冒頭から砂の器が波で崩れていくシーンに何なのかと鑑賞しているうちに美しい映像と音楽に取り込まれてこれほど魂を揺さぶられた事は他には有りません!
そしてエンディングではぐしゃぐしゃになり、どうか照明がつかないでほしいと思った事でした。同伴の女性も無言で感動に浸っていたようでした。一番衝撃的だったのはお父さんが施設で嗚咽のあと、こんな顔の人は知らねえと言うシーンでした。当時19才の若造でしたが未だにこの作品を超える映画には行きあたっておりません。
何回観ても、涙💧涙💧涙💧です。ストーリー、映像、芥川也寸志の曲、すべからく、素晴しく、世の不条理、まさに、人が生まれた時から持って宿命ですからね。😭
不朽の名作です。
「七人の侍」が日本映画の「動」の最高傑作なら、「砂の器」は「静」の最高傑作。
映画が原作を超えた日本映画屈指の傑作として映画史に残りますね🎥🤔😭
日本映画最高峰と言っても過言ではない名作!「砂の器」らい病を患う親。忌み嫌われさすらう親子の過酷な旅。四季の美しさがなお悲しい。心を揺さぶる音楽「宿命」涙が止まりませんでした。
「こんなにも崇高な涙を誘う映画は他にない。」 小島秀夫監督 著書「僕の身体の70%は映画で出来ている」より。
日本映画最高傑作です!砂の器!音楽が!美しい四季を過酷宿命背負い旅する親子。の涙が止まらない!
同感です。丹波さんもしっかりセリフを覚えて来たとの事です。やりがいのある役柄だったのでしょう。
「宿名」「ひまわり」音楽を聴くだけで、情景が浮かび涙が出てしまう。邦映画NO1&洋映画NO1。
宿命ですよ
昔の映画は役者、脚本、監督と全てレベルが高い。
原作松本清張だから当たり前ですが。
加藤嘉さんのこんな人知らねー、と叫ぶセリフは日本映画史上に残る言葉ですね!
駅で別れるシーンも忘れられない。親子と巡査のそれぞれの深い悲しみが伝わった。
貧しく辛かった少女時代を思い出しました。コメントしながら泣いてます。😢😢😢
同じです。
今は穏やかな毎日ですか
素晴らしい脚本を書いてくださった橋本忍さんのご冥福をお祈りします。
だめだ・・・。涙腺ゆるみまくる・・・。
監督も凄いと思います。
タイトルは知ってたけど関心がなかった。57才にしてどはまり。俳優人、映像、音楽、すべてが凄い。名作。今後、どこかの映画館で上映することがあれば必ず見る。
同年齢 同告白 私も絶対見ます。
当時14歳の映画ファンだったけど、えらく感動してサントラ盤買ったなぁ。
何度も何度も観て、聞いて泣ける映画はこの砂の器ぐらいですね。
本日も涙を1㍑放出です。
もう百回ちかく観た映画です。「砂の器」は何度も映像化されてますが本篇が一番です。劇的に展開される構成、その物語、美しい映像、役者の個性が生きる芝居、そしてこの音楽のテーマ。ラストの三つの場面の同時進行、忘れられない映画作品です。ただ、伊勢の映画館に掲げられた写真で、和賀が秀夫とつながり同一人物であるという判断にいたる必然性が今でも不自然に思えるのですが…
お店のBGMでサントラを流させて頂いています。ご来店下さるお客さんで、「宿命」の音色に「砂の器」ですよね、と反応して下さることもしばしば。忘れられない感動的な映画だったと話される方も。テーマソングに歌詞をつけた菅原洋一さんの歌も味わいぶかいですね。
美和書店?昔、代々木の政党本部の近くにあった書店でしょうか?何か懐かしくて……。社会科学関連の書籍なら、美和書店。それが僕らの常識でした。砂の器は、映画館で2度観ましたが、友人が声を上げて泣いていた事を思い出します。
@@user-wh8bh2co3y 歴史に残る名画ですね。清張さんが今生きておられたらと、ハンセン病患者への国の対応の誤りが明らかになったことに感慨を深められているのではと痛感します。また機会がありましたら、現在の美和書店をのぞいてみてください。ありがとうございます。
やはり、検察庁合同捜査会議と、コンサート、親子の厳しい放浪の3部厚生労働省
野村監督の、力量が演出力。
清張の原作を映画化したものだが、清張をして「小説ではここまでの表現は出来ない」と言わしめた傑作。原作は超音波による殺人という荒唐無稽な部分やその他にも冗長な部分があるが、一方親子の放浪の部分の記述はただ一行だけ。映画は各地を彷徨する親子の姿を克明に描いている。背景に流れるピアノ曲がまた素晴しい。
有難うございました。
音楽、芥川也寸志様、です。松本清張先生の最高傑作。松竹作品。こんな映画わ。もう作れません。
丹波哲郎が いい演技をしていますね。
特に「 繰り返し 繰り返し」の台詞は演技を
超えていますね。
丹波哲郎上手いよね
この映画観てびっくりした
丹波さんは、役作りをしないんだそうです。
「役者はてめぇの匂いを出せばいいんだ」
と何かのインタビューで答えていたそうで。
つまり、この演技は演技ではなく、丹波哲郎というひとの人間性そのものなんだと思います。
@@user-fm1eh2di4l 様 色々な分野でお目にかかります! これで4回目です(笑)。お達者で!
@@user-th3vx9pj5t
こんばんは🤗
色んなところに出没しています🤣
晩年の大霊界キャラからは想像もできないくらいの名優ぶりを発揮されてますね
吉村「今西さん、和賀は父親に会いたかったんでしょうね?」
今西「そんなことは決まっとる!今、父親に会ってる。彼にはもう、音楽、音楽の中でしか父親に会えないんだ。」
「今西さん、和賀は千代吉に会いたかったんでしょうね?」
「そんなことは決まっとる!和賀は今、父親に遭ってる。彼はもう音楽、音楽の中でしか父親に会えないんだ。」
戦争による戸籍原本の消失。そして本籍再生。過去を捨てて違う自分になる。そうせざるを得なかったにしてもそれでいいのか…。病気に対する誤った認識のせいで取り返しのつかない人生を送ったのは本浦千代吉だけではない。
朝靄の中、村はずれの坂道を真っ白な巡礼衣をまとった親子がトボトボと登って行く。村はずれの小高い丘に達し、故郷の村を振り返る。先ほどとは一転して朝日に照らされる村。農作業をしている農婦が、岡の方を見つめる。あぁあの親子が旅立って行くんだ。
クリアに聞こえてセリフ覚えるのにいいなぁ…
あかん!パブロフの犬の如く、旋律を聞くだけで勝手に涙が‥‥‥。
黒澤さんの助監督を、つとめていたから。人間を描くちから。
人の心は自分で創る!彼は、あまりにもつらすぎて心は育たなかったか
今の若者たちも育ってないよね!
彼の心は砂の器!脆いし役立たずなのよね
今の若者たちはねガラスに粘土みたいにぐちゃぐちゃな心!
鉄板の心は役に立つ!何人も抱えて走る
そんな鉄板の心の持ち主が、戦争で特攻隊に散ったじゃなかったか?
私達はね、特攻隊に散ったじゃなかった鉄板の子孫!ダイヤモンドの心に育って特攻隊の供養になるのじゃないかなぁ?
こんなゴミみたいに育ついじめや情けない悲しみ悲しみ!何なんこれ!みんな舐めたらあかんで
本当は、小津さんだけど少し難しいし、あまり動きがないし音楽もないから
よほど映画をしらないと。
砂の器をアニメにしたらどうなりますか?
スタジオジブリ制作になると思いますが、この作品と同じく重く悲しいテーマを扱った『火垂るの墓』のメガホンを取った高畑勲監督亡き今どうなることやら🤔
途中までよかったのに途中から丹波氏の声が変わってしまいこの物語の本質を忘れている。これでは音楽がめちゃくtyになってる。知らんけど
いいなぁ、言えるって、書けるって自由だと、
日本人に生まれて感謝しかないです、他の国に生まれていたら、現実しかないです。
この映画の最大の見せ場は、おそらくラストの和賀英良のコンサートシーンで、彼の奏でる曲に合わせて、「宿命」としての不幸な過去が、走馬灯の様に彼の頭の中を駆けめぐる、という演出にあると思いますが、私は、正直このシーンには嫌悪感しか覚えませんでした
なるほど、ハンセン氏病の父親との差別と偏見に曝された放浪の旅、というより巡礼には同情を禁じ得ず、そこに憐れみの涙を流すという事も分からないではありません
しかし、忘れてはならない事は、このコンサートで人生の頂点を極めたと錯覚し、自己陶酔してしまっている和賀英良は、最大の恩人である三木謙一を殺害し、なをかつそれ以外にも愛人を一人、いや、お腹の赤ちゃんも入れて二人を事実上死に追いやっているのであります
にもかかわらず、何の心の動揺も見せず、顔色ひとつ変えず、厚顔にもコンサートを開き、満座の中で演奏が出来るこの男に、果たして人間としての情があると言えるのでしょうか?
作中、吉村の「和賀は、父親に会いたかったんでしょうね?」との問いに「そんなことは決まっている!今彼は父親に会っている!彼はもう、音楽の中でしか父親に会えないんだ」と今西は答えますが、私にはこのセリフは、余りに和賀をある意味、買いかぶりすぎているとしか思えませんでした
和賀は、会いたかったわけではなく、自分の記憶の中だけに留めておきたかった、それ以外の全ての過去を消し去りたかった・・・
それでも宿命という曲を書き上げたのは、決して父親に会いたかったからではなく、ちょうど私小説家が、自らの暗い過去や、いかがわしい側面をネタに作品を発表し、富と名声を得ようとするようなスケベ心にすぎないか、お芝居にある「殺人者の役になり切るために、本当に人を殺してしまう」歪んだ欲望に似た心理の現れでしかない様に思います
少なくとも、私には演出上その様にしか見えなかったのです
この映画で、真に同情されるべきなのは、病気の父親と、その父親を陰で支え続けた三木謙一の誠意だけであり、(もっとも、三木の和賀に対する要求には問題もあるかと思いますが・・・)
和賀は、三木を殺害した時点で、同情になど全く値しなくなっているのであります
そんな和賀が作曲した事になっている曲を聞きながら、感動の涙を流す・・・
その神経や如何に!?
私にはさっぱり理解出来ません