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しのぶさんも『全集中の呼吸・常中』の訓練のときに、できて当然だが、できるようになるには相当の鍛錬が必要だと言ってましたが、そもそも鬼滅に出てくる剣技や体技って、高度な内容の中の更に難易度の高いことができて、ようやくスタートラインに立てるって考えると、乗り越えないといけないものが多すぎですね😅炭治郎が『何かひとつできるようになっても…、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ』って、心折れそうになるのも納得です😓
もっと時間があったら悲鳴嶼さんや炭治郎は極みの領域に入っていたのだろうか……なんて考えちゃいますが、やっぱり縁壱さんは規格外ですね……
無一郎は痣が何箇所にも(たぶん手足にも?)出ている描写も気になっていたんだよね。赫刀も最初に自分の力だけで出していたしね。やっぱり天才として描かれているんだなと思いました。
このセリフみたいに、縁壱が自分のこと過小評価してるというか、自分の規格外さを理解してない感じが、黒死牟からしたら不快だろうな
技を極めた者の行き着く先はある意味孤独じゃないかと思う❗️沢山の絵師様方が描いてくださった縁壱様はすべて素敵です~😆👍️✨
継国兄弟は顔面偏差値の高い男を上手く描く画力に長けた絵師に愛されてんなーとはつくづく思う。
むいむいの天才っぷりも改めて示された気がする
技を極めるのと道を極めるのは違う概念だと思うけどね、継国兄弟の会話がかみ合わないのもそのせい
ワニ先生そこの3つの間をずっと考えてこの人はここまで、この人はここまで、とちゃんと描いてたんだなぁ。週刊少年誌に連載する先生だから当然なのかもしれないけど、やっぱりワニ先生は凄いな🐊
煉獄さん、透き通る世界を使いこなしてる描写ありますよね。炭治郎の内臓が見えて止血をアドバイスしてる場面があるので、あれは透き通る世界の伏線だと思ってます。
善逸の霹靂一閃もできる、使いこなす、極めるの段階になってますね桑島師匠に極め抜けと言われたとおり。霹靂一閃→霹靂一閃神速→火雷神
おそらく道と言うのが剣の道だけではないと言う意味と思ってます。語ってるのも炭吉だったので、剣士ではなかった炭治郎の父がクマを一撃で倒せる実力なのも結局道と言う先の極めた先には同じ世界が待ってると言う緑壱の達観した考えなんでしょう。
とても解りやすい解説ありがとうございます。漫画、アニメ、小説を一からまた見たくなりました。
殺気が消えるというのは、無の境地。禅の悟りのような感じなのでしょうね。宇宙(他)と自分を隔てるものが消えて、自在になる。
ほんと縁壱だけ格ゲーに登場したらダメなタイプのスペックだよな
メッシの例えが的確すぎて笑いました
できる、使いこなす、極める ←これ好き
普段の仕事だと使いこなす以上の練度はオーバースペックであることが多いから、そこまで極める時間があるならほかの仕事を「使える」ようにしろやって思うだろうな。実社会では雷の壱の型を極めるに近いところまで行った善逸よりは弍から陸まで使える獪岳の方がよほど優秀。
@@aomiginyu 仕事に通ずるものがあるよね
「知る」、「分かる」、を「できる」、「使いこなす」、「極める」の前に入れるとさらに学習レベルというものを細かく表現できますよ。
縁壱「剣の道、強さを極めた先に有るのは悪しきをくじき、弱きを護ろうとする心……。彼らもこの道を行けば自然とその境地に至るだろう。」こういうことが伝えたかったのかな?(´∀`)
メッシに煽られてブチ切れるロナウドで笑った的確過ぎるわ
こう見ると、どれだけ日の呼吸に近づいているかが根源にあるようで、ひめじまさんがもし日の呼吸、ヒノカミ神楽の指南受けていたら、面白い事になってそうでつくづくひめじまさんすげえ
縁壱が言ってる道を極めるというのは技のことではないです。もっと哲学的なこと。茶道、書道、華道など剣とはかけ離れた分野でも道とつくものは同じ境地に至るとされ、恐らく真理はひとつということなんじゃないか。この「同じ道にたどり着く」という言葉は、元々は剣豪宮本武蔵が言ったことです。真理はわからないけど、無の境地から発出する技は頭で計算されたものでなく、ベストな解が自然に出される。かと言って偶然の産物でもない。たぶんそれがどのような道でも同じ境地ということなのではないでしょうか。
メッシの例え草
今日あらためて1巻から23巻最終巻まで読んだけど、異次元すぎて、言葉を失う。そもそも私は「少女マンガ」も大好きで、それは恋愛キャッキャウフフが好きというより女性が物事を発想する際の天才性、つまり女性マンガ家が複数人格を、あるいは複合的環境を、さも「当然そうである」かのように易々と描写していく様に、驚愕を覚えるからだ。この点で、男性作家がこの境地にたどり着いているのを見たことが、あまりない。んで、「鬼滅の刃」、ワニ先生に戻るが、要するに天才で、はっきり言って、何もかもが凄すぎて、信じられない。これは要するに「面白いマンガ」だ。すごい。すごすぎる。
あと8日でこのセリフを聞ける♪
鬼上については、必要な部分だけ透ける様に調整している様な、極の真ん中くらいだと思いたい。
俺も同意見。殺気や闘気が消えないのは鬼上の性格の問題やろな。
兄上は継国縁壱が居なかったら継国縁壱と似たような事を誰かに言い放った可能性が高いと思っちゃったんだよなー。
@@aomiginyu 「自分達に並び立つものが現れる」は口が裂けても言わないと思う自分こそが最強じゃないと気が済まない性格だろうし
@@tspla8599 猗窩座に対する態度を見るとそうとも限らんぞ、と思う。最強でありたい気持ちと誰かに追いついてほしい気持ちが相混ぜなのではないかと。もっとも現実はそこに継国縁壱がいるばっかりに追いつけない存在まである事でややこしいことになってるけど
@@aomiginyu 猗窩座では絶対に黒死牟へ勝てないからこその余裕というか猗窩座が本当に黒死牟へ届きうるほど強かったら容赦なく殺してたと思う最終戦でも潔く負けを認めた童磨、猗窩座に比べて黒死牟はバケモノになってまで足掻こうとしたからね縁壱亡き今最強なのは自分だから縁壱以外の相手には絶対に負けられないからな
これでいけば炭治郎の父、炭十郎のレベルは相当高いところまでいってる。病弱だったけど、死の10日ほど前に熊殺しした場面で明らか。
崇高な精神 世界というか、魂の行き着く先は極めた者は結局同じ場所にたどり着くという事なのかなと思ってました。
縁壱 うたとヤる時透き通ってすごかっただろうなw
ここで触れられなかった黒死牟の「痣」の練度は炭治郎以上、継国縁壱以下あたりかな。怪物化してもまだ痣があるあたり、なんか炭治郎よりは上そう。
0:25 ここのツッコミが好き💗11:12👍
0:30戦いで血を流したことないって呪術廻戦の五条よりも凄いよね。
赫刀も見たいなぁ
場所は、心の世界、精神の世界だという方に私も一票です。鬼滅の刃は全体を通して身体的強さより精神的強さを重要視します。道を極めていけば最も重要なことは心を成熟させ完成していく事だと気づき、心の成長とは誰かのために生きることで豊かに強くなる。そして無限に影響を及ぼす力ともなる。その点から見ると縁壱自身も「果たすべきことを何一つ果たせなかった」と話すようにその境地に至っていないと言えるかも知れません。巌勝も炭吉もどうしたらそのような剣技の境地に到達できるのか?と聞いたと思いますが、縁壱は道を極めていけば人格の完成が人生で一番成すべきことであると気づきそこには私も至っていないというのが上記の後悔の言葉だと思います。縁壱は巌勝に大変配慮し、また尽くしましたが、抱える複雑な思いをもっと深く理解し愛する事ができていたら、こんな事にはならず鬼の世界も無くする事が出来たのに、それが出来なかった為、後孫が大変な苦難の道を行かなければならないことを予知していたと思われます。
炭治郎の透き通る世界は堕姫との戦いの時のは違うのでしょうか?透けて見えてはいませんが、「なんだか、凄く遅いなあ」と一時的に覚醒していた時のやつです。まともに呼吸できていなかったですが、透き通る世界の目覚め?って感じですかね?
透き通る世界に入る前の前兆みたいなものですかね
炭治郎が透き通る世界に至ったのは半天狗の中の本体切る時ですよ
筋肉や血の巡りを操作して黒死牟を騙した所を鑑みても悲鳴嶼さんは極みに近かったのかもな
現代の極道の事だな。反抗期→ヤンキー→極道。行き着くところはすべて同じ→刑務所。
透き通る世界とか痣に限定しちゃってるから、柱でも「できる」のステージになっちゃってるんだよな。全体で見れば柱レベルはほぼ全員「できる」よりの「使いこなす」の位置に入るんじゃないか?(伊黒さん、透き通る世界に入ったときにちょっとミスってたけど)
柱の場合、たとえば呼吸の話とかだったら「使いこなす」から「極める」に踏み込んでいるだろうなと思う。その場合「できる」人は村田さんとかになっちゃうけど
@@aomiginyu 自分もそんな感じのことを言いたかったんですw
鬼滅の刃1巻での炭治郎が至った境地「隙の糸」は、実は「透き通る世界」の初期段階ではなかったか。炭治郎はなまじ透き通ることに拘りすぎたが故に、火之神神楽によって幼少から蓄積されていた道の極みに至れなかったのかもしれない。
「同じスケスケでもスケが違う」うむ、理解した!極めたゾ!(極めてない
ふむふむ結局努力なんて無駄、天才には敵わないって事よね🤣
縁壱は常に見える世界がスケスケなのは😅うたさんがいつも当たり前を教えてくれたって言ってたのもその事だったのね
このセリフは別に技のことだけを言っているのではないと思う。要は「極めた場所はひとつ」ということしか言っておらず、その認識を前提とするなら、「どういう道を辿ろうが、なにを習得しようが、継承者や指導者がいようがいまいが、極めさえすれば誰しもが同じ場所にたどり着く(だから自分には特別な価値はないし、今後になんの不安も心残りもない)」というのは論理的に理解できる。ただし、縁壱の極致まで行けたものは作中にいなかった。しかしそれは彼の認識を否定しない。ただ、数百年では現れなかったというだけだ。おそらく縁壱は、彼にとって至極わかりきった、論理的にわかりやすく、ごく当然のことを口にしただけなのに、兄上には煽りだと思われ、屈辱を与え、恐れられた。そのことが悲劇だったのだ
いやまあ、こっちが必死にレベル上げしているのに、チートにそんな事いわれたらきれるのはしゃーない気がする。なら、課金すればよいではないかって言われて、課金したけどそれでもチートには敵わない
異路同帰という言葉はあるが、これは「極める」というニュアンスにやや弱い。縁壱にとって「極める」が何を意味していたのかが気になったな。
しかし分析する方も作者もすげえな、ここまで考えて作られた作品だったとは思わなかったわ。俺はこういうのを三段階じゃなく五段階で考えているよ、すなわち知らない、知ってる、出来る、使いこなす、極めるという順番。技術にしても道にしても現在ほとんどの人間は職人や僧侶でさえせいぜい知ってる位のレベルだと思うので、この三段階からレベル下げた五段階の考え方の方が分かりやすいと思ってる。
知る、分かる、できる、つかいこなす、極める と分けると、人の学習レベルを理解しやすくなりますよ。
この剣士があの緋村抜刀斎を凌駕する剣士なのか!?
映画見ましたよーーーー
煉獄さんが痣、透き通る世界に至っていたら本気のアカザと良い勝負できたのだな
痣の場合は作者の描き忘れもあると思う😂😂笑
作者が単行本修正けっこうするタイプだからそれはない
もう少し鬼殺隊を見てよりいち超えする人出るのみたいけどそうなったら無惨復活しちゃうんだよね
透き通る世界は、煉獄さんも出来てたよね。炭次郎の止血のシーン
あれは違くないか?
@@cotoharu8686 ほな、違うか~おかんが言うには服の上から破れた血管あることを指摘してるみたいだけどさもそれが見えているかのように
@@須崎南 煉獄さんは出血しているからその傷口=血管を意識して呼吸で止めろ。と言いたかったんじゃないかな?病気等でもない限り血管負傷してなければ血が出ないわけだし。
@@user-kage0815 「破れた血管がる」の後に炭次郎がその血管を見つけると「そこだ」って言ってる見えてるようにね。意識出来たのを関知したのは謎だけどね。「呼吸を極めれば様々なことが出来るようになる」この後の台詞も意味深だよね
@@須崎南 アニメの感じだと、煉獄さんに破損した血管を見つけるよう指示される→炭治郎が破れた血管を見つけてハッとした表情をする→その反応をみて煉獄さんはそこを止血しろという→炭治郎が咳きこみつつ安堵するのを見て止血成功を察する煉獄さん、という感じかもしれません。「呼吸を極めれば~」の所は過去の炎柱たちが残した書記があるので、その中に透き通る世界などについて記述があったのかもしれません。なので煉獄さんが会得していたのか本で知識を保有していたものの会得には至っていなかったのかは微妙なところかと思います。
極めたものは、孤独ということかと思ってた。
違うと思うけど現代で道を極めても 何の大会でも一位しか取れないよって言ってるんかな
ムザンが1800に別れて逃げる時に1500切り捨てた、ってスゲーな。一瞬で1500刀を繰り出すって?最もムザンの細胞を3~4個一度に切るだろうから1500回刀を振ったわけではないだろうけど。やはり凄いな。
縁一はもはや人間なのか疑問
炭治郎のお父さんは明らかに極み状態だったと思う。
普通に自分の極めた技を他の人のためにに使うそして、可能なら自分の技を受け継いでもらうってことじゃないの?見方によっちゃ無惨ですらそうしてたわけで
忌み子として遠ざけられ、兄を慕いながら、愛憎入り交じる嫉妬を向けられる。無惨達のような鬼さえ居なければ縁壱が願ったのは愛する人との静かな暮らし。誰もが…人の才能を羨むけど…。特別な能力を持ったものは現代で言えば人に利用されたりする。純粋ならば孤独の内に早逝する。幸せかどうかは誰にも解らないと思います。🧑🚒🧑🍳😢
猗窩座というか上弦って鬼と人の区別つけるタイプなのに闘気のない「人間」に黒死牟含んでると思わん
炭十郎はかなり極まってきたから生きてたら主人公だったかもしれん
メッシの例えおかしくなかろうか?チーム戦だと生まれる国で難易度違いすぎるし、辿り着く場所=バロンドール とかになるんじゃない?
蜜璃ちゃんやしのぶさんの身体がスケスケに……?
内臓が見えてしまうけれどね😅
世阿弥やな
炭十郎が1番弟に近かったの残念すぎる。
「道を究めた者が辿り着く場所はいつも同じだ」、これを境地の話だと思うのはちょっと疑問です。だから縁壱は「自分は大したものではない」と言ってるのではないですか。縁壱は結局無惨を倒せず、愛する場所も人も守れなかった。『孤独』だったからでは無いですか?。現代で縁壱の境地に至ってない者たちが、縁壱が倒せなかった無惨を倒せましたよね?。
W杯の例えが浅すぎて草
孤独って言いたいんだろ
サムネって収斂進化のことを言ってるんじゃないの?
たどり着く場所に言及する考察があいまいな感で残念剣の道も医者の道も「極めた」人間が見る風景・精神の境地その職に対し極めた人間の共通するモノ、それについて何か答えを探れるものとして期待したが・・・
極めるとはもうそれ以上がないという状態、それ以上がないとは、そこが人間の限界だと納得できている状態、人間の限界が身に染みて分かると、人という存在はそこまでしか到達できない存在なのだと分かり、「私たちはそれほど大した存在ではない」となり、顕示欲や上昇欲によって自我が歪むことがなくなる。
スケスケ😂
BoBo
メッシのクリロナに対する煽りは草。まあ、今のメッシは正直かなり劣化してるが。
しのぶさんも
『全集中の呼吸・常中』の訓練のときに、できて当然だが、できるようになるには相当の鍛錬が必要だと言ってましたが、
そもそも鬼滅に出てくる剣技や体技って、高度な内容の中の更に難易度の高いことができて、ようやくスタートラインに立てるって考えると、乗り越えないといけないものが多すぎですね😅
炭治郎が
『何かひとつできるようになっても…、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ』
って、心折れそうになるのも納得です😓
もっと時間があったら悲鳴嶼さんや炭治郎は極みの領域に入っていたのだろうか……なんて考えちゃいますが、やっぱり縁壱さんは規格外ですね……
無一郎は痣が何箇所にも(たぶん手足にも?)出ている描写も気になっていたんだよね。赫刀も最初に自分の力だけで出していたしね。やっぱり天才として描かれているんだなと思いました。
このセリフみたいに、縁壱が自分のこと過小評価してるというか、自分の規格外さを理解してない感じが、黒死牟からしたら不快だろうな
技を極めた者の行き着く先はある意味孤独じゃないかと思う❗️沢山の絵師様方が描いてくださった縁壱様はすべて素敵です~😆👍️✨
継国兄弟は顔面偏差値の高い男を上手く描く画力に長けた絵師に愛されてんなーとはつくづく思う。
むいむいの天才っぷりも改めて示された気がする
技を極めるのと道を極めるのは違う概念だと思うけどね、継国兄弟の会話がかみ合わないのもそのせい
ワニ先生そこの3つの間をずっと考えてこの人はここまで、この人はここまで、とちゃんと描いてたんだなぁ。
週刊少年誌に連載する先生だから当然なのかもしれないけど、やっぱりワニ先生は凄いな🐊
煉獄さん、透き通る世界を使いこなしてる描写ありますよね。
炭治郎の内臓が見えて止血をアドバイスしてる場面があるので、あれは透き通る世界の伏線だと思ってます。
善逸の霹靂一閃もできる、使いこなす、極めるの段階になってますね
桑島師匠に極め抜けと言われたとおり。
霹靂一閃→霹靂一閃神速→火雷神
おそらく道と言うのが剣の道だけではないと言う意味と思ってます。
語ってるのも炭吉だったので、剣士ではなかった炭治郎の父がクマを一撃で倒せる実力なのも
結局道と言う先の極めた先には同じ世界が待ってると言う緑壱の達観した考えなんでしょう。
とても解りやすい解説ありがとうございます。漫画、アニメ、小説を一からまた見たくなりました。
殺気が消えるというのは、無の境地。
禅の悟りのような感じなのでしょうね。
宇宙(他)と自分を隔てるものが消えて、自在になる。
ほんと縁壱だけ格ゲーに登場したらダメなタイプのスペックだよな
メッシの例えが的確すぎて笑いました
できる、使いこなす、極める ←これ好き
普段の仕事だと使いこなす以上の練度はオーバースペックであることが多いから、
そこまで極める時間があるならほかの仕事を「使える」ようにしろやって思うだろうな。
実社会では雷の壱の型を極めるに近いところまで行った善逸よりは弍から陸まで使える獪岳の方がよほど優秀。
@@aomiginyu 仕事に通ずるものがあるよね
「知る」、「分かる」、を「できる」、「使いこなす」、「極める」の前に入れるとさらに学習レベルというものを細かく表現できますよ。
縁壱「剣の道、強さを極めた先に有るのは悪しきをくじき、弱きを護ろうとする心……。彼らもこの道を行けば自然とその境地に至るだろう。」
こういうことが伝えたかったのかな?
(´∀`)
メッシに煽られてブチ切れるロナウドで笑った
的確過ぎるわ
こう見ると、どれだけ日の呼吸に近づいているかが根源にあるようで、ひめじまさんがもし日の呼吸、
ヒノカミ神楽の指南受けていたら、面白い事になってそうでつくづくひめじまさんすげえ
縁壱が言ってる道を極めるというのは技のことではないです。もっと哲学的なこと。茶道、書道、華道など剣とはかけ離れた分野でも道とつくものは同じ境地に至るとされ、恐らく真理はひとつということなんじゃないか。この「同じ道にたどり着く」という言葉は、元々は剣豪宮本武蔵が言ったことです。
真理はわからないけど、無の境地から発出する技は頭で計算されたものでなく、ベストな解が自然に出される。かと言って偶然の産物でもない。たぶんそれがどのような道でも同じ境地ということなのではないでしょうか。
メッシの例え草
今日あらためて1巻から23巻最終巻まで読んだけど、
異次元すぎて、言葉を失う。
そもそも私は「少女マンガ」も大好きで、それは恋愛キャッキャウフフが好きというより
女性が物事を発想する際の天才性、つまり女性マンガ家が複数人格を、あるいは複合的環境を、
さも「当然そうである」かのように易々と描写していく様に、驚愕を覚えるからだ。
この点で、男性作家がこの境地にたどり着いているのを見たことが、あまりない。
んで、「鬼滅の刃」、ワニ先生に戻るが、
要するに天才で、
はっきり言って、何もかもが凄すぎて、信じられない。これは要するに「面白いマンガ」だ。
すごい。すごすぎる。
あと8日でこのセリフを聞ける♪
鬼上については、必要な部分だけ透ける様に調整している様な、極の真ん中くらいだと思いたい。
俺も同意見。殺気や闘気が消えないのは鬼上の性格の問題やろな。
兄上は継国縁壱が居なかったら継国縁壱と似たような事を誰かに言い放った可能性が高いと思っちゃったんだよなー。
@@aomiginyu 「自分達に並び立つものが現れる」は口が裂けても言わないと思う
自分こそが最強じゃないと気が済まない性格だろうし
@@tspla8599 猗窩座に対する態度を見るとそうとも限らんぞ、と思う。
最強でありたい気持ちと誰かに追いついてほしい気持ちが相混ぜなのではないかと。
もっとも現実はそこに継国縁壱がいるばっかりに追いつけない存在まである事でややこしいことになってるけど
@@aomiginyu 猗窩座では絶対に黒死牟へ勝てないからこその余裕というか
猗窩座が本当に黒死牟へ届きうるほど強かったら容赦なく殺してたと思う
最終戦でも潔く負けを認めた童磨、猗窩座に比べて黒死牟はバケモノになってまで足掻こうとしたからね
縁壱亡き今最強なのは自分だから縁壱以外の相手には絶対に負けられないからな
これでいけば炭治郎の父、炭十郎のレベルは相当高いところまでいってる。病弱だったけど、死の10日ほど前に熊殺しした場面で明らか。
崇高な精神 世界というか、魂の行き着く先は極めた者は結局同じ場所にたどり着くという事なのかなと思ってました。
縁壱 うたとヤる時透き通ってすごかっただろうなw
ここで触れられなかった黒死牟の「痣」の練度は炭治郎以上、継国縁壱以下あたりかな。
怪物化してもまだ痣があるあたり、なんか炭治郎よりは上そう。
0:25 ここのツッコミが好き💗
11:12👍
0:30戦いで血を流したことないって呪術廻戦の五条よりも凄いよね。
赫刀も見たいなぁ
場所は、心の世界、精神の世界だという方に私も一票です。
鬼滅の刃は全体を通して身体的強さより精神的強さを重要視します。
道を極めていけば最も重要なことは心を成熟させ完成していく事だと気づき、心の成長とは誰かのために生きることで豊かに強くなる。そして無限に影響を及ぼす力ともなる。
その点から見ると縁壱自身も「果たすべきことを何一つ果たせなかった」と話すようにその境地に至っていないと言えるかも知れません。
巌勝も炭吉もどうしたらそのような剣技の境地に到達できるのか?と聞いたと思いますが、縁壱は道を極めていけば人格の完成が人生で一番成すべきことであると気づきそこには私も至っていないというのが上記の後悔の言葉だと思います。
縁壱は巌勝に大変配慮し、また尽くしましたが、抱える複雑な思いをもっと深く理解し愛する事ができていたら、こんな事にはならず鬼の世界も無くする事が出来たのに、それが出来なかった為、後孫が大変な苦難の道を行かなければならないことを予知していたと思われます。
炭治郎の透き通る世界は堕姫との戦いの時のは違うのでしょうか?透けて見えてはいませんが、「なんだか、凄く遅いなあ」と一時的に覚醒していた時のやつです。まともに呼吸できていなかったですが、透き通る世界の目覚め?って感じですかね?
透き通る世界に入る前の前兆みたいなものですかね
炭治郎が透き通る世界に至ったのは半天狗の中の本体切る時ですよ
筋肉や血の巡りを操作して黒死牟を騙した所を鑑みても悲鳴嶼さんは極みに近かったのかもな
現代の極道の事だな。反抗期→ヤンキー→極道。行き着くところはすべて同じ→刑務所。
透き通る世界とか痣に限定しちゃってるから、柱でも「できる」のステージになっちゃってるんだよな。
全体で見れば柱レベルはほぼ全員「できる」よりの「使いこなす」の位置に入るんじゃないか?
(伊黒さん、透き通る世界に入ったときにちょっとミスってたけど)
柱の場合、たとえば呼吸の話とかだったら「使いこなす」から「極める」に踏み込んでいるだろうなと思う。
その場合「できる」人は村田さんとかになっちゃうけど
@@aomiginyu
自分もそんな感じのことを言いたかったんですw
鬼滅の刃1巻での炭治郎が至った境地「隙の糸」は、実は「透き通る世界」の初期段階ではなかったか。
炭治郎はなまじ透き通ることに拘りすぎたが故に、火之神神楽によって幼少から蓄積されていた道の極みに至れなかったのかもしれない。
「同じスケスケでもスケが違う」うむ、理解した!極めたゾ!(極めてない
ふむふむ
結局努力なんて無駄、天才には敵わないって事よね🤣
縁壱は常に見える世界がスケスケなのは😅
うたさんがいつも当たり前を教えてくれたって言ってたのもその事だったのね
このセリフは別に技のことだけを言っているのではないと思う。要は「極めた場所はひとつ」ということしか言っておらず、その認識を前提とするなら、「どういう道を辿ろうが、なにを習得しようが、継承者や指導者がいようがいまいが、極めさえすれば誰しもが同じ場所にたどり着く(だから自分には特別な価値はないし、今後になんの不安も心残りもない)」というのは論理的に理解できる。ただし、縁壱の極致まで行けたものは作中にいなかった。しかしそれは彼の認識を否定しない。ただ、数百年では現れなかったというだけだ。
おそらく縁壱は、彼にとって至極わかりきった、論理的にわかりやすく、ごく当然のことを口にしただけなのに、兄上には煽りだと思われ、屈辱を与え、恐れられた。そのことが悲劇だったのだ
いやまあ、こっちが必死にレベル上げしているのに、チートにそんな事いわれたらきれるのはしゃーない気がする。
なら、課金すればよいではないかって言われて、課金したけどそれでもチートには敵わない
異路同帰という言葉はあるが、これは「極める」というニュアンスにやや弱い。
縁壱にとって「極める」が何を意味していたのかが気になったな。
しかし分析する方も作者もすげえな、ここまで考えて作られた作品だったとは思わなかったわ。
俺はこういうのを三段階じゃなく五段階で考えているよ、すなわち知らない、知ってる、出来る、使いこなす、極めるという順番。
技術にしても道にしても現在ほとんどの人間は職人や僧侶でさえせいぜい知ってる位のレベルだと思うので、この三段階からレベル下げた五段階の考え方の方が分かりやすいと思ってる。
知る、分かる、できる、つかいこなす、極める と分けると、人の学習レベルを理解しやすくなりますよ。
この剣士があの緋村抜刀斎を凌駕する剣士なのか!?
映画見ましたよーーーー
煉獄さんが痣、透き通る世界に至っていたら本気のアカザと良い勝負できたのだな
痣の場合は作者の描き忘れもあると思う😂😂笑
作者が単行本修正けっこうするタイプだからそれはない
もう少し鬼殺隊を見てよりいち超えする人出るのみたいけどそうなったら無惨復活しちゃうんだよね
透き通る世界は、煉獄さんも出来てたよね。
炭次郎の止血のシーン
あれは違くないか?
@@cotoharu8686
ほな、違うか~
おかんが言うには
服の上から破れた血管あることを指摘してるみたいだけど
さもそれが見えているかのように
@@須崎南 煉獄さんは出血しているからその傷口=血管を意識して呼吸で止めろ。と言いたかったんじゃないかな?病気等でもない限り血管負傷してなければ血が出ないわけだし。
@@user-kage0815
「破れた血管がる」の後に炭次郎がその血管を見つけると「そこだ」って言ってる見えてるようにね。
意識出来たのを関知したのは謎だけどね。
「呼吸を極めれば様々なことが出来るようになる」この後の台詞も意味深だよね
@@須崎南 アニメの感じだと、煉獄さんに破損した血管を見つけるよう指示される→炭治郎が破れた血管を見つけてハッとした表情をする→その反応をみて煉獄さんはそこを止血しろという→炭治郎が咳きこみつつ安堵するのを見て止血成功を察する煉獄さん、という感じかもしれません。「呼吸を極めれば~」の所は過去の炎柱たちが残した書記があるので、その中に透き通る世界などについて記述があったのかもしれません。なので煉獄さんが会得していたのか本で知識を保有していたものの会得には至っていなかったのかは微妙なところかと思います。
極めたものは、孤独ということかと思ってた。
違うと思うけど現代で道を極めても 何の大会でも一位しか取れないよって言ってるんかな
ムザンが1800に別れて逃げる時に1500切り捨てた、ってスゲーな。一瞬で1500刀を繰り出すって?最もムザンの細胞を3~4個一度に切るだろうから1500回刀を振ったわけではないだろうけど。やはり凄いな。
縁一はもはや人間なのか疑問
炭治郎のお父さんは明らかに極み状態だったと思う。
普通に
自分の極めた技を他の人のためにに使う
そして、可能なら自分の技を受け継いでもらうってことじゃないの?
見方によっちゃ無惨ですらそうしてたわけで
忌み子として遠ざけられ、兄を慕いながら、愛憎入り交じる嫉妬を向けられる。
無惨達のような鬼さえ居なければ縁壱が願ったのは愛する人との静かな暮らし。
誰もが…人の才能を羨むけど…。
特別な能力を持ったものは
現代で言えば人に利用されたりする。
純粋ならば孤独の内に早逝する。
幸せかどうかは誰にも解らないと思います。🧑🚒🧑🍳😢
猗窩座というか上弦って鬼と人の区別つけるタイプなのに闘気のない「人間」に黒死牟含んでると思わん
炭十郎はかなり極まってきたから生きてたら主人公だったかもしれん
メッシの例えおかしくなかろうか?
チーム戦だと生まれる国で難易度違いすぎるし、辿り着く場所=バロンドール とかになるんじゃない?
蜜璃ちゃんやしのぶさんの身体がスケスケに……?
内臓が見えてしまうけれどね😅
世阿弥やな
炭十郎が1番弟に近かったの残念すぎる。
「道を究めた者が辿り着く場所はいつも同じだ」、これを境地の話だと思うのはちょっと疑問です。だから縁壱は「自分は大したものではない」と言ってるのではないですか。縁壱は結局無惨を倒せず、愛する場所も人も守れなかった。『孤独』だったからでは無いですか?。現代で縁壱の境地に至ってない者たちが、縁壱が倒せなかった無惨を倒せましたよね?。
W杯の例えが浅すぎて草
孤独って言いたいんだろ
サムネって収斂進化のことを言ってるんじゃないの?
たどり着く場所に言及する考察があいまいな感で残念
剣の道も医者の道も「極めた」人間が見る風景・精神の境地
その職に対し極めた人間の共通するモノ、それについて何か答えを
探れるものとして期待したが・・・
極めるとはもうそれ以上がないという状態、それ以上がないとは、そこが人間の限界だと納得できている状態、人間の限界が身に染みて分かると、人という存在はそこまでしか到達できない存在なのだと分かり、「私たちはそれほど大した存在ではない」となり、顕示欲や上昇欲によって自我が歪むことがなくなる。
スケスケ😂
BoBo
メッシのクリロナに対する煽りは草。まあ、今のメッシは正直かなり劣化してるが。