Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ニーチェはとても好きです。彼の哲学は本質的に「病原体に侵入されない体になれば病気をしない人間になれる」みたいな話なので、「なるほど完璧な作戦っスね、 不可能だという点に目をつぶれば」案件なのだと思います。
文章からジョジョの凄味が滲み出てくる
共産主義と一緒やな
「フハハハッ!!」「人はその短い命を繋ぎ、今なお文明を築き続けることで完璧な作戦とやらを実行し続けているのだよ…」
@@ファイナルウォーズクモンガ ジョジョってそんな皮肉の入ったセリフあるの?
@@user-zh2fk9vo1u 割りと皮肉言うで、勝ち名乗りしてテンションが爆上がりした後に主人公にボコられる。
でもニーチェは牧師の家に生まれ、英才教育を受けて自身も超優秀でキリスト教の教義をマスターしてたんだよね。その上でキリスト教を否定するって凄いこと。
マスターしてないとちゃんとした否定ってできないからね……
敬虔なキリスト教徒だったからこそ、違和感に気づいた部分はあるんでしょうね。そしてだからこそ発言に重みがある。
だからこそですね。
まだ人生進学とか就職失敗しただけなのに諦めた奴らが人生は無駄だなんて言ってても説得力ないね
まあ、おじさんみたいな「あんまヒトを信じないロクデナシ」だったのよ。たぶん。(・3・)
恋に落ちたら心を奪われたと表現する場合があります「鉄道模型を捨ててから夫の様子がおかしい」の中にも「一緒に心を捨ててしまった」という表現があります精神を安定させたり快楽を求めたりと何かに縋るのが人間を人間たらしめるのだと考えますそれは親や恋人のような人でもお気に入りのアイテムでも仕事のような行為でも構いませんそれを失わざるおえない状況になれば認知的不協和を起こして正当化するし現実逃避するのだと思います
ニーチェの視点は的を射ているとは思いますが、ニーチェの目指した生き方は現実的ではないのでしょうね。私も動画で書いたように目をそらし、何かにすがりつつ生きていくんだろうなとは今のところは思っています。それが悪いこととも思いませんし(開き直り)
そう考えるとソクラテスの説いた「善く生きる」という考えはあらゆる人生哲学に対する根源的支柱というか、一種の"救い"のように思えなくもないですね。そりゃ当たり前の綺麗事だろと言われればそうかもしれないけどだからこそあらゆる生き方の出発点にもなり得る。自分の形に合った善い生きやすさを求められればそれで良いんだと思います。
亡くなったベルセルクの作者も宗教家庭に生まれ育ち、その強烈な反動でベルセルクを描き始めたからガッツの台詞にあれほど説得力があったんだと思う
否定する先が「宗教」「神」から「自己そのもの」になる時代が来るなんてニーチェは想像してたんかなあ…
今は科学とか理性とかそっち方面も出てきてますし、おもしろいですよねえ。
自分を神として生きていけばいいんだよ。神なんて曖昧なものさ
@@月詠咲夜 「俺は神だ!!」って自分に言い聞かせて生きていくの?おもろ
@@月詠咲夜 実際日本人は何かしらの神の末裔なんだしあながち間違ってないんだよなあ後はもう自我以外を一切信用しないで生きる覚悟と自信の行動の責任を持つ気力だけあれば何にも怯える必要はない究極的に考えれば自己責任論
@@松田しげもりもり すんごーく疲れそうでもやってみたいな
凄く面白い解説でした!僕は自分の期待を裏切ってくる自分にニヒリズムです。
視聴後「よっしゃ、ワイも超人目指して頑張るゾ!」数分後「あれ?超人って他者に左右されない人のことだよな?ワイ、ニーチェに左右されてね?」超人目指すのやーめた!(数分坊主)
生臭坊主で草
そこに数十秒で気付けた貴方は優秀です
数分で髪の毛が増える超人定期。
@@kafkafranz1983 坊主だから髪が減ってるんだよなぁ(泣)
究極、生きる事自体が周りに左右されてる定期…
曲解すれば、ニーチェが言う「自分で決断して強く生きる」ことって「自分の理性の正しさ」に絶対的な価値を置いて人生の不条理さから目を逸らしてるとも言える気がする。(素晴らしい動画をありがとうございます!)
人は真実ではなく、信じることで生きていますから。。。
理性信仰が進んだ近代らしい思想ではありますよね。(こちらこそいつもありがとうございます!)
@@廃物祐人 「人は真実ではなく、信じることで生きていますから。。。」ああ……、まさに、その通りと思った。そして、だからこそ、このために、人間である科学者も、科学的態度を取れないことがある。
理性!多分、昔の自分も、「理性以外のもの」が分からないこと、理性以外の能力が低すぎて、ないようなものだったから、突き詰めた答えが「虚無」になってしまったのかも。「理性以外のもの」に目を向ければ、それが見える人間であれば、だいぶ見える世界は違っていた。だから、言ってみれば、頭でっかちの人がなりやすいと言えば、なりやすいのかな。頭で、理屈でばかり物事を見てしまう。知識だけで物事を見てしまう。これから未来で発見されるであろう知識の可能性も、不確実だからと外に捨て、現在の、それも自分が理解できる範囲内で、世界を考えてしまう。考えてしまっていた。考えすぎていた。もっとシンプルで良かった。なぜ気づかなかったのだろうと今では思う。「喜び」とか「楽しい」とか、もうそれが、価値だと。……でも、当時の自分に、そう訴えても、馬耳東風、なぜか理解できないのだろうなぁと思った。理屈でないからかな。「喜びや楽しさ」というのは理屈じゃなかったから、だから信用できない、考える対象にならない、と判断していたのかもしれない。理屈ばかりで物事を見ていた。いや、今でもそういう傾向がある。理屈、つまり、言葉、表面上の言葉の意味ばかりにとらわれがちだ。
@@心視聴 でも真実と事実とはまた違えます事実という足跡(痕跡、順序)は消えませんそれを辿ることで私達はこの世の仕組みへ真理へ近づきます全ては真実です違和感を感じるのは、人間の歴史が編み出した、未熟で不完全なルール故それに人って、結構せっかちがありますから結論を急がないことです
アンサイクロペディアのニヒリズムのページ、すごい分かりやすくて好き
“ “
ニーチェがなぜそういう分析をしたかという部分の説明がされていて感心しました。何にしてもそうですが物事の「経緯」というのはその本質を知る上で大切だと感じます。動画の作成は大変だと思いますが、丁寧かつ深掘りした動画を待ってます
小さい頃自分否定的レベルMAXになった時この考えにたどり着きました。常識という概念が本当に怖かったし絶対という言葉がトラウマになってました。どう足掻いても自己犠牲が1番としか考えられなくなるし苦しみの先に本当の優しさがあるんですよね…人間性がある限り完璧な人類にはならないし超越しなければ完璧な世界も生まれないという矛盾しまくった世界ですからね…
自分もこの動画で解説されたようなニヒリズムに一時期陥ってしまって、今でもたまに嫌厭的な出来事が起きる度に何もかも諦めたくなる様な思考がよぎってしまうことはありますね…でもそのつど人それぞれの生きやすい形で人生送ればそれで十分僥倖だし、自分もそうすれば良いと割り切ってます。深く思考し過ぎることが必ずしも救いになるわけじゃないし、ある程度悩みに対して自分の中で妥協させる生き方も有りなんじゃないかと思いますね。(まあいいっかみたいな)虚無的になる事を諦めるというのも人間らしさとも言えるのでw
ニヒリズムと友達になれば、楽だよ。一番のお勧めは「自分は幸運で幸福だ」と定義すること。日本に生まれればもう大概幸運で幸福なんだ、それを甘受して生きることの、なんて楽なことか。自分は逆の理由でニヒリズムになった。正直、自分は幸運に恵まれ、特になんの努力も苦労もないのに何不自由ない生活を送ってる。夢も目的も特にないし、持った覚えもない。なのに夢を持つ人、努力する人は挫折したり嘆いたりすることが多い。頑張ってるのにハードモード、楽してるのにイージーモード。この格差を見るだけで、「この世の中の出来事に大した意味はない」と思えてしまう。努力した人は報われることなく苦労し、一方で自分みたいな努力しないで苦労なしみたいな人生送ってるやつもいる。この状況を見てるとすべてがどうでもよく見えてしまう。
そう思いたいけど、老いて床に伏したときにそれを保っていられる自信がない……だからと言ってなにかする訳でもないけど
ソレて「快楽主義」つーんじゃないの?m9(・3・)
コメント主さんの体験からそのような思考に至ったのは正に仏陀のようですね。仏陀も苦労ない王子として生まれたのちこの世には避けることができない四苦があり、それに煩わされないために世の中が一切皆苦であり実態のない諸行無常、ただの縁起による世界だと定義して悟りの道を拓いた。ある種、ニヒリズムと仏教思想は似ているのかもしれませんね。
不自由の自由、自由の不自由…とかくこの世は儘ならない
つまんなそうな人生だな
割と現代人に多そうな考え方ですね現実に目を焼かれたような感じのずっと考えてると辛くなってくる考えですが、それ自体は間違ってはいないので好きです哲学系の動画はコメント欄も醍醐味だと思っているのでここのコメ欄大好きなんですよねいつも動画投稿ありがとうございますリクエストなんですが、クオリアとかの意識についての話も聞いてみたいです
重い話だけど、なぜか元気が出ました。ありがとうございます。
個人的な人生観ですが、「こう生きたい」という目標を持ちつつ、自身のおかれた環境・状況を楽しんで生きるのが一番楽に生きられるなと思います。受験で例えると、志望校合格が目標ですが、不合格ルートじゃなければ楽しめないこともあるからそれはそれでいいじゃんと。要は目標を持って行動しつつ、流れに身を任せる生き方です。自信の信条にこだわりすぎない点である意味の「ニヒリズム」なのかもしれません。個人的意見ですが💭
向上心が「能力」による超人に傾けば傾くほど、人としての「感情」が壊れていく人が出そうですね。私の場合、記憶や価値観、感情がおかしくなったので「超人」にも「人」にもなれませんでしたが、それでも人生を「楽しく過ごせる尊さ」を知る事が出来ました。
ニヒリズムについて考えた人って発狂したり自死したりする人ちらほらいるみたいですからねー・・・。個人的には人生は楽しんだもの勝ちです。そしてその楽しさにはその楽しさを共有できる仲間が必要。だから仲間にも幸せになってほしい、そんくらいの適当さで考えてますねー。
超人にも人にもなれない・・・じゃぁ悪魔超人になるしかw(キン肉マンか!冗談はさて置いても、超人になろうと思うのも人でありたいと思うのも感情が「起こす」事ですし、あるいは感情を捨てたように冷徹でありたいと「思う」のさえ、感情のなせる業ですから、貴方の通って来た道を「おかしい」とはあんまり思わないであげて下さい^^;少し賢くなって幸せになれた貴方の材料なんですから。
@@_yos8201 返信ありがとうございます。一応、ある意味「悪魔(というか悪鬼?外道?)」になりかけた時期はありましたww私の場合「向上心」の為に「良心・本心を騙し、吐き捨てた」しっぺ返しみたいなもんですね。ただ、その生きた道を「間違えてない」とは思えてるのは、私が得た「本心(感情)」ですね。
悩んだ時は、動物を思い起こすようにしています。彼らが虚無に陥ったり、理屈で行動するか?いやしない。彼らが本能を失ったら終わり、動物のように純粋に生きたいものです。
たくさんの腑に落ちる内容で、感動しました
個人的に、ニーチェは「自分の人生を、自分で考えて道を切り開いて生きられたら幸せ」という信仰があったと思うんだよね。俺はそうとも限らない気がするけど。
少し前までニヒリズムだった中どうせ死ぬならやりたいこと全部やって死のうと思って今を生きている
ニヒリズムは「依存していたなにかに裏切られて起こる虚無感」であり、誰にでも起こり得る普遍的な心理現象であると。だから当人を「ニヒリズム乙」と詰ったり嘲ったりするのも逆に「俺様はニヒリストだ!」と粋がるのもよしたほうがいいね。あとニヒリズムと聞いてゾロリかよくする「ニヒニヒ」という笑い声を想定したのはワイだけじゃないはず
ニヒリズムに陥るということは、信じていた何がに裏切られたということ。つまり、信じて戦ったけど破れたということ。負け犬になれるのは戦った者だけだ。それは誇っていい人生の勲章だ。最悪なのは負け犬にもなれない者。リングに上がる度胸もなく、リングサイドから野次を飛ばすだけで自分は世界を知ったと勘違いしている愚か者である。
そもそも「なぜ自分はニヒリズムを克服できていると錯覚していた・・・?」なんですよね。ニヒリズムに陥っていない人でも、現時点でニヒリズムからうまく目をそらせているだけで、いつでも陥る可能性があるわけですし・・・
おじさんはニヒリズムは「ナニカに敗北した喪失感」から得るなんて「負け犬根性」から生まれるのはチョット頂けナイ。裏切られるだの負けるだのではなく、達成した果てに掴んだモノが「思ったよりくだらない」時に感じた「じゃあ今迄の苦労や期待は何だったのか」てゆー労力に見合わぬ成果を知り「ナニカに期待するコトの虚しさよ」てのがニヒリズムだとまあそんなふーに思ってる。(・3・)
自分はませていたのか、幼少から世間を冷めた目で見、虚無感を感じていましたね。親にもニヒルだと言われていた始末w「しらけ世代」などと言われていた時代です。ニヒリズムを越えた先に、悟りの境地みたいなものがあるのかも知れませんね。
世間でいうニヒリズムとニーチェの説くニヒリズムは意味がズレてますね。世間版の方は無気力とか克服すべきネガティブな心理状態という意味合いですが、ニーチェはそもそも克服しなければいけないとは言っていない。ニヒリズムを能動的に生きよ、と言っている。
人生を歩いているとき、突然これまで敷かれていたレールが途切れることがありますね。何かに逆らって真横に脱線するわけでもなく、それは突然消えるんです。そして、道に迷い途方に暮れる感覚が襲ってきます。ニヒリズムに走りそうなその時に大事なのは、ほかに守らなければならない何かを思い出し、そちらに目を向けることができるかだと思います。家族でも、目標でも、はたまた自分の欲でもいいのですが。
恐らくニーチェは否定しそうですが、現実的にはそれが1番の対応策なのかなあと思います。その例えわかりやすくていいですねー!
レールが途切れ、道が塞がれたら別の道を探そう。あてもなく頂上を目指す、それが人生…
仏教とニヒリズムにかねてから近しいものを感じていました。一切皆苦、諸行無常。詳しくないのですがニーチェが仏教に出会っていたらと思うと面白いですね。
おおお!そうなんですよ!近しいものがありますよね!実はニーチェは仏教に出会っていて、褒めてもいたんですよ…!ただ同時に批判もしてたんですよね。ニーチェは神のいない人生でより意欲的に、向上心を持ち生きる超人を推奨している為、仏教の苦しみを無くす為に欲を捨てて、無欲に生きる事を良しとしなかったみたいです。
@@木田まき-f5e仏教大好きなショーペンハウアーを批判した哲学がニーチェですからね
世界一うまいパンは甘くもなく、素晴らしくうまくもなく テレビで言ったり 料理研究家がおすすめしたり ネットで評判になったものでもなく 「腹減った!パンが食いたい!」時にちょうどあったうまいパンです。「これはうまいぬおー」です そのパンを分析するも答えなどないのです 普通のパンです。
御母上様の件、ご愁傷様です。身近な方、特にご家族を亡くす喪失感の大きさをお察し致します。一日も早く心の平穏を得られることをお祈り申し上げます。ニヒリズム、非常にわかりやすいご説明で面白かったです。私個人的には信仰がないので、努力や忍耐に裏切られることが多かったです。克服して超人化は理想的ですが、ニヒリズムに陥らぬようずっとやりあっていくことになりそうです(^^;)
ありがとうございます。1ヶ月は経ちましたので割と今は落ち着いたかなという印象です。ニヒリズムについては私も一生付き合っていくものかなと思っています。まあ子どもができたり神秘体験とかをすると変わるのかもしれませんが、子どもに先立たれるとドボンしてしまう気もしますので、やはり付きまとうものではあるんでしょうね。
「ニヒリズムを克服する方法が超人になること」という考えに裏切られた場合に陥るニヒリズムって強烈そうですよね。発狂した理由これだったりしてね。
克服といっても、否定するのか受け入れて乗り越えるかで異なりますからねえ。虚無を否定したらそりゃ発狂しそう…
参考になりました!自分がだいぶニヒリズムに浸っている事が分かりました…。
超人になるのは辛くて苦しいだろうけど、そういう生き方はかっこよくて憧れるものだなぁ。せめて、何も考えずに流されたり、与えられたものを妄信するのではなく、色んな人の話を聞きつつも、最後は自分の道を決めて行ければ良いなと思います。
ですねー。私は諦めつつ堕落した日々を送っていますが・・・苦笑私は超サイヤ人になりたい。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる サイヤ人?!なかなかクレイジーですね😃では私は完全生命体イフになろうか…知っている人いるかな😅
サイヤ人とか飯いっぱい食わないかんやん。水だけでいいナメック星人がええわw
少し違うかも知れませんが自分は愛する人を失ってからそれからの人生に意義を見いだせなくなり、情熱を失って空虚なまま生きてきました。心の支えが無くなるとどうでも良くなりますね。関係ない話で申し訳ありませんでした。
今自分の気持ちがこの心境でしんどいから助かる
私も定期的になってた時期ありました。重いですよねえ。
最近推しがいなくなったりコロナで仕事が減って働く意味が分からなくなってたらこの動画が出てきたなるほどニヒリズムとはまさにこう言うことなのだな
冷笑主義シオニズムと悲観主義ペシミズムと混同されがちらしいからこの二つについても解説して欲しいな
冷笑主義はシニシズム。物事に対するシニカルな態度や見方。シオニズムは、ユダヤ人たちが自分たちの国家の再興をめざした運動。
能動的ニヒリズムもいつか紹介して欲しいです上手く扱わないとテロリズムにつながりかねない発想だけど、実存主義に繋がる面白い思想だと思ってます
ちらほら能動的ニヒリズムを望む声はあるんですよね・・・尺的に削ってしまいましたが、うーむ、どうしたものか・・・!
ニヒリズムなのに能動的とは、どういうことなのだろう・・・解説されないうちは、一行矛盾にも感じてしまう言葉。
中心的な部分は違うかも知れませんが、「死のう、と思ってから生きやすくなった」みたいなのと似ているのかなと。もう死のう、と思って死ぬのが消極的ニヒリズムとすると、もう死のうと思ってから、でもどうせならと「嫌になったら死ねば良いや」で行動を起こすのが能動的ニヒリズム、みたいな。先にも書きましたが中心的な部分は違うかもしれませんが、感覚的にはそういう感じなのかなと。僕はこの例えで考えています。
能動的ニヒリズムは「神は居ないから自由に生きていい。」という考え方受動的ニヒリズムは「神の世界だから何しても無駄」という考え方ということですか?
語弊を恐れずに言えば、世界を真っ白いキャンバスに見立てるのがニヒリズムの基本で、それを「真っ白だから落書きし放題だぜヒャッハァア!」と見なすのが能動的ニヒリズム「なんの味気も無い…つまらない…別のキャンバスはないのかな…」と見なすのが消極的ニヒリズムかなぁ と解釈してます
私はある意味ニヒリストで、ニーチェが言う強者じゃないので、精々食べるために仕事して、正気を失わないように趣味に時間を費やし、死ぬのを待つのが人生だと受け入れてます。万に1人は自分がしたいこと、自分が出来ること、そしてそれを必要としている人・会社がいて、幸せになれます。それは尊くてめでたいし、私はそう言う人を応援したいです。でも残りの人は救いがないのが残念ですね。
それでも時は流れ続ける。人生は小説より過酷で、だからこそ小説より面白い。
まさに、ですね。小説もおもしろいですけどね笑
小説は2時間も有れば読み終えるし、その中にクライマックスが有るからまだ良い。人生を読み終えるには80年ぐらいかかるもんだから、つい寝てると面白い所を見逃してしまうんよw
ニーチェは自分の考えた思想に自分が追いつけず絶望したのでは?こうあるべきって気持ちが絶望に繋がる気がしますね。まっいっかの精神で生きていこう
ニーチェの絶望に関しては諸説ありますが、そういう側面はあるかもしれませんね。私も割とまあいっか派です。
よかった、自分だけじゃないんだ…そしてほとんどの人が解決できてないんだ…
チャップリンの名言を思い出したので貼ります。「What do you want a meaning for? Life is a desire, not a meaning.」なぜ人生に意味を求めるのか?人生は希望であり、意味ではない。結局“生きる意味”はただの通過点。人生はどれだけ楽しめるか、楽しませるか。ってことなんでしょうね。
生きる意味?自分から言わせてもらうと、ん( -_・)?好き嫌いの話か?という一つの考え方もあります物事全てに意味(目的)はあるただ、そんな自分を納得行くがどうかはまた別です間違えないことだから、変にこじらせないで心行くままに、自由に生きよう
チャップリンらしい言葉ですね。私は楽しむ派です笑
神を信じれば生きるのも楽になるし死ぬのも怖くなくなる。神に依存しない生き方は、各々が自信の価値観と基準と規律を持って生きるので自分本位な生き方になってしまう。そして現代で最も信じられている神はお金だろう。
ニーチェ先生の「超人」思想については、すでに夏目漱石の『吾輩は猫である』の終盤で批判にさらされていたりもしますが、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』はニーチェの思想とユング心理学の影響を受けていて、これらの小説は個人的にはとても面白かったです「イデアと実存」という切り口からアプローチすると、プラトンの「イデア論」とキルケゴールとニーチェとヤスパースと浄土仏教とセットで総合すれば至高の思想体系が爆誕しそうですが、まだ人類はこれらを統合して上手く表現することができていない状態なので、それができれば、あたいがノーベル文学賞・平和賞ダブル受賞よ!(チルノより)
15:01 ここ、現代で主流になってきた相対主義によって絶対的なものが無くなったせいもあるのかなと思いますね。絶対的だと思っていたものが絶対的ではなかった、ということだとも思います。なにかの熱狂的なファンを揶揄して信者と呼ぶこともありますが、ああいう理論を超えた根本的な部分でなにかに没入/熱中/陶酔するのはその依存先が絶対的でないことに「気付かない」ための防衛反応なのかなと思います。それに気付いてニヒリズムに陥らないために。しかし結局皆なにかに執着して依存して狂信して依存して生きている訳で、信者と揶揄して石を投げる人もまた同様に弱点を抱えていると思いますね。ただネットで嘲笑われている人が見つかりやすい場所にあったってだけで。
中学2年生の頃、ある事がきっかけでニーチェと同じ思想に至った。今でもその思想は大切にしてるけど、その思想のせいで今の学校では腫れ物扱いになってしまった。そう考えると、やっぱり思想ってのは表に出すものじゃないよな。リスクしかない。
中2で幸せなニーチェ思考になればそりゃ表に出してまうわ。どんな風に表に出したんよw
@@RR-gs5dk 雑談として自論を述べてただけだよ。僕は何かを定義するのが好きだから、あらゆる事象に対して論理的かつ客観的に熟考し、時には調べ、その上で自分が正しいと思った考えを受け入れる。ただこれは絶対的な結論では無く、新たな情報と共にアップデートしていく。その結果他人の考えが正しいと思えば受け入れる故に聞く耳が無い訳じゃ無いし、むしろ他人の考えを聞くのも好きだから思想に関する話題で盛り上げたいが、周囲の学生は「なんとなく」で済ませたり、わからないからといって直ぐに調べようとする。それに対して僕が自論を展開する訳だから、そういった話よりもドラマやスポーツ選手なんかの話が好きな学生とは気が合わないよね。
@@WANCOSOBA1 ちなみに色んな人と仲良くしてみたいと思う?
@@RR-gs5dk 思わないかな。元々気の合う人とだけ仲良くなれば良いと思ってたから、気の合う人が居ないのならそれで十分。それに、色んな人と仲良くするメリットもあまり無いしね。
母上さまの件は残念でしたね。家族がなくなるとなにか大きな穴が開いた気分になっちゃうんですよねぇ。しばらくは大変ですけど母上の為にも頑張って生きていきましょう。私は中学の時に父上なくしましたが、母が一人で高校出してくれたのでその分頑張って働いて少しでも楽に生活できるよう支えております。まぁこういう経験しますと神なんておったらあんなに家族のために休みもなく働いていた父を奪わんよね、なんて思っちゃいますね
お母さんが亡くなられた事、ご愁傷様です。葬儀など大変な事が沢山あったと思われますが、なにより自身のお身体にこれからは気を使っていただけると幸いです。
人生というのが暇つぶしをするだけのつまらないものならば、虚無感を持って「つまらない」と嘆くよりも、全てを「楽しいッ!」と盲信してる方が人生薔薇色になるって思うことで、私はニヒリズムから解放されてますねぇ。
楽観主義、享楽的上等!
キリスト教の信仰が失われると、時間的な制限が無くなり(最後の審判の否定)、空間的な制限がかかる(天地創造の否定)。つまりキリスト教への信仰が失われると、人々は時間は無限であるが、空間は制限された世界で生きなくてはならないことに気づき、絶望を覚える自分なりのニヒリズムの解釈はこんな感じです。
なるほど、おもしろい解釈ですね。個人的には信仰が失われると時間的な制限はむしろ強くなるような気がしていました。死後の世界が約束されているキリスト教に対し、その崩壊は死=終了を意味するようになるのかなあと
長文失礼します。じっさい、相対性理論も原子の対生成、対消滅も見つかってなかった当時、宇宙は永遠だというのがと科学的事実でした。そこから導き出されたのがニーチェの永劫回帰説です。時間が無限で、原子が増えたり減ったりしないなら、この一瞬はいつかもう一度やって来る。新世界での救済なんてモノは無く、人は何度も同じ人生を生き直す。どうせ無限に続くなら絶望しながら生きるより希望を抱いて生きようぜってのがニーチェの考えだと解釈しています
基本的に論理は非論理的である事を否定できないんよなあ
この考え有害に見えるけど一周回って何やっても無駄なんだから好きに生きように行き着いたりするんだよな
何かしらの困難や挫折、決断を迫られる場面に相対した時、『マジで迷っている』という行為そのものが、自己の問題・課題を自身の力で何とかしようとしているお手本なのかも…と思いました。即断即決できる頼りがいあるリーダーのような人格について言えば、数多ある選択肢をいともたやすく切り捨てることができる絶対的な何かを信じた結果なのかもしれないですね。
決断の根拠を何にどこに置いているか、による気が個人的にはしました。神の意志や常識、誰かの教えなどに照らし合わせることでも即断即決はできますし、そしてある程度の筋とカリスマを発揮することはできますから・・・。迷う場合も基準が複数あることで起こることなので、その中から自分が正しいと思うことを自分の基準で選ぶことができるか、というところが課題になりそうですね。簡単ではなさそうですが、1つの道にはなるかもしれないなあと思います。
だいぶ前に自殺未遂やったことあるんだが、その時に思ったことがまんまこの動画と同じでびっくりした。最後の紹介した1節なんて特にそう
最初にニヒリズムという言葉を使った人じゃなくてニーチェの方が有名になるとか、まさに「自分には価値がない」っていう思想そのまんま体現しててなんか辛くなった。
価値がなくても生きててもいいんじゃない?生きる事に価値を見出だす逆説。
何となくドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を彷彿とさせるような内容ですね。
個人的には人間は中庸である事が好ましいと思ってます自身の寄る辺として外部に信じる何か「も」必要、自分の責任も重荷も自覚して困難な現実に立ち向かっていく意志「も」必要時と場合によってそれを使い分ける知恵と自覚を持ち、一辺倒の考えに染まらずに立ち回る事が肝要かと自分の主人は自分であり思想は道具、思想を自分の主人にしてしまう時点で歪みが生じるのでしょう。宗教であっても、超人観であっても
最近いろんな本を読むのですが、私も中庸さの大切さを思い知らされることが多いように思います。最近はHumanKindって本を読んだのですが、そこではスタンフォード監獄実験とかミルグラムの電気ショックの実験の反証が出てて、これが正しいとは限らないって視点を持てたのは大きかったなと思います。
昔から楽しみにしてます!
ありがとうございます!これからも楽しみにしてもらえる動画になるよう頑張りますー!
編集も内容もすこ
うぽつです。哲学界にニヒリストは多いですが、彼らは根底でニヒリズムにない人たちの言うことは浅薄に見えるようですね。かくいう私も同感です。ニヒリズムとは、世界の根源的な形態そのものでしょうから。
まっすぐな「超人」…ワンピースの超人系(パラミシア)能力者、ルフィ…あーってなった。ためになりました。
マジで大学時代にみーさんの動画に出会ってたら哲学はまったかも。逆に大学では教科書よりこの動画流しておけば授業になると思う笑ちなみに、魔理沙さんの家庭科の授業はいつ上がりますか?ひっそりと楽しみにしてます笑
ふへへ、私の動画なんか哲学者に見せたらガバ過ぎて怒られてしまうんだぜ!家庭科は肉の次ですよねえ・・・なんかリクエストあります?
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 自分は教職課程の一環で哲学の概論を受けただけなんですが、全15回の授業よりためになりました!辛い料理が好きなので、何か上げてくれると嬉しいです😊
「人生に意味はない」「人生はヒマつぶし」「頑張ったって無駄」だいたいひろゆき
「他人は糞」
わかる…挫折とかでもなるということよね…
ニヒリズムはとっても生きやすくて好きなんだけど、頑張ってる人に口出しして水を差す人がいるのも事実なわけであくまで自分の価値観に留めておこうな
口には出さず、胸中で嘲笑うのが醍醐味w
・死後の世界(外側の世界)が存在する・そこにおいては現世での人生を経験すること自体に意味があると仮定するだけでニヒリズムから解放されるスピリチュアルが広まった背景もこの辺りにあるんじゃないかな構造上内側の世界から外側の世界の存在を肯定はできても否定することはできないしな
真面目な人ほどこういう考えになりそうニーチェも真面目だったから
全部どうでもいいし、本質的には意味も価値もないってのは、正しいと思う。だから、それを”実感”させてくれるもの、記憶、思い、立場、関係、それらに着目していくことが重要なんじゃないかと。人が何か”価値”を感じるものを、ある程度共通の仕組みであることが分かっていれば、自分と立場が違う人への理解にもつながると思ってます。理解を増やしていくことは、自分の中の制御できる物事を増やし、また、自分の感情に対しても、それを受け入れられるかどうかの判断につながります。その為には一度、自他含む全てをシステマチックに考える過程が必要です。ニヒリズムは、そのための通過点と考えるとしっくりきます。某犬が言いていた、「人生は配られたカードで勝負するしかない」という言葉に、”配られ方”に意味を求めるのが宗教なら、それを否定するのがニヒリズム。ただ、カードは変えられなくとも、そのカードをどう使うか?の手順・組み合わせを考える方法は、後天的に増やすことができる。
人生がどうでもよくなる感情、ニヒリズムがこれほど強大なものとは初めて知りました。正直自分は『人生における絶対的なものに裏切られる』というのはあまり経験したことがなく、あったとしても宗教よりかはショボいものでニヒリズムを本当に感じたことはないと思ってますが、当時はまさしく時代の病だったんだろうなと感じました。僕も常々自分で意思決定する事の重要性は感じていて、たとえ大きく失敗した時も自分の決断だからと納得できるので社会や常識に反していようとも、自分の事は自分で決めるべきだと思います。後悔も恥も苦しみも失敗も山ほどありますし僕の現状はクソみたいですが自分を愛して、死に際に泥にまみれていようとも納得と幸福を感じている人生にしたいなと思います。自分は弱いまま生きる事肯定派なので自分とまともに戦いませんが、それを選択したニーチェは尊敬します。
自分の弱さを受け入れられるのは強い人間ですよwそれが出来ずに虚勢を張るのが弱い人間…
自分の最大の敵は自分、みたいなこともニーチェは言ってましたね。
推してたアイドルに恋人発覚で発狂する人たちを見てるとニヒリズムを感じる
アイドルとて人間で女性ってのを受け入れていない盲信…
極端な話ですが、ある程度の倫理と法の範囲内で多様な個人の価値観や生き方を受容しようとする現代社会や現代人は既に超人であるともいえるかもしれません。そう考えるとニーチェははるか昔に現代人と同じ価値観を持つことができたとても先進的な思想の持ち主ですね。
ニーチェがこんなに脳筋だったとは思わんかった…自分も半分脳筋だからめちゃくちゃ同意したけど
ニーチェを推す哲学クラスタや生前の弟子や後輩からしたらニーチェこそも「宗教」なんだよなぁってちょっと思いました。「わーい!推しすごーい!」もある種の信仰ですから……
思い出した。小中学生あたりに、こんな考え方をしていた。多分、自分にとってニヒリズムに大影響したと思う考え方。これからしぬまでの人生を考える。その間、「良いこと」と「悪いこと」の量を考える。これからの人生、心が挫けるような『悪いこと』が複数回は起きる、というのは可能性が高いどころでなく、ほぼ100%確実だと考えた。しかし、「生きていて良かった」と思えるレベルの『良いこと』が起こる確実性は……、あんまりないと判断してしまった。そして、それら、これからも人生を生きた場合の、「良いことと悪いことの総量」を考えてみると、差し引きしたら、マイナスになる可能性大、……と、そう判断してしまった。だから、人生はなるべくはやくしぬのが良いのだと、実は生まれてすぐしぬのが望ましいのだと、むしろ生まれなければ、なお良し、なのだと考えるように。けれども、自分はしねなかった。とても臆病、怖がりだった。元々鬱っぽい性格と、理屈っぽい(頭でっかちな)性格もあり、人生の良し悪しを【主観的に】計算してしまった。これもまた、理性で人生を図ろうとした誤り。図れるものではない、人生など。
なんで悲観的観測しか出来ないのかw可能かどうかはともかく、希望だけは持った方が人生明るいのでは。良い悪いも主観でしかないし。
例えば、この世が虚しくとも、この人生を愛せる何かを見つければ良い。
私は消極的ニヒリズムですが、私は人の絶望が好きなので、自分で絶望して自分で悦に浸れるので結構楽しいです。
裏切る側の痛みは少ないけど、裏切られる側はこれから会う人みんな信じれなくなるから、ニヒリズムに陥りやすとい思う。
それもあるかもしれないですね。まあ裏切られる側も「裏切られたと感じたら」って時点で余計に・・・
キリスト教とかは2000年だったか、経過しているのに、まだ廃れない、まだ飽きられない。新しいものに取って代わったりしないのかな。それとも、名前だけ一緒で、中身が変わっていっているのかな。何にしろ、とても息の長いフィクションで、すごいと思う。魅力も興味も感じないが……
20分長いなって一瞬思ったけど、その価値はありやした。好きな米津の歌詞にもニヒリストって言葉あったし、またひとつ賢くなれて嬉しいぜい
どの曲ですか?
@@DAKKII.RUclips 多分、TEENAGE RIOTですね。(スペル怪しい)
@@takahiro8602 おけです
ニヒリスト気取ってグルーミー
既視感あると思ったらそうだったのか
神を信じます!という行動も神を信じる自分の心を信じてるってことだからね〜結局自分が一番正しい考えを持ってるし自分の言うことは全部正論なんだよ 他人に依存なんかできないんだよ 他人に依存するということも自分が決めているから
この世はきっと地獄で、産声は断末魔、感動は喪失を生み、暖かさは寒さを教えてくれる。力は格差を与え、生は平等の絶望を振りまき、命は呪いを紡いでいく。ハレルヤ!賛歌と笑みは亡者達が希望で塗装した地獄への道・・・
この世は地獄、苦痛を感じるために生まれるという見方はある意味ニヒリズムとは違う、「人生にしっかりとした意味がある」と捉える発想になるのではないか?と私は思います。それが肯定的なものではないだけですし・・・どうなんでしょう?(丸投げ)
そういう考え方ってニヒリズムというより非出生主義ですね。この世は地獄。そもそも生まれてこないことが一番の幸せ。でもコメ主さんのコメントからは、この世は地獄と自虐しながら産まれた以上は覚悟して受け入れるしかないという強かさも感じます。そういうの、キライじゃないわっ!
地獄だけではない、お前もぬくもりを覚えているはずだ…
人生には何の意味もないし人間は何の価値もないのだから、何をやっても良いし何を考えても良いと思う。だって大した影響など与えられないのだから、好きな事をやれば良い。影響を与えないと言う事は誰からも観察されていないし誰も接触してこない。他人から認められたいと言う自尊心や他人に勝ちたいと言う競争心闘争本能を捨ててしまえば、ニヒリズムなど意味を成さないのでは無いでしょうか?
TwitterやBlogにどんな情報を載せようがRUclipsにどんな動画を上げようが、どんなコメントをつけようが、世の中はただ流れるだけ。アクセス数がゼロでもバズってもそこに意味はなく時間が過ぎるだけなのですよね。例えば日記や記録、日々の習慣や癖や自分を形作る無駄なものの数々。SNSの課金とかスポーツとか健康とか。全てが無駄でどれを選択しても有意義なものなど無いのだから、好きな無駄を選ぶべきだし、自分の無駄を他人に押しつけるべきじゃない。無駄なんだから。と思ってます。
煩悩を捨てる事もニヒリズムなんですかねえ…解らんw
「神は死んだ」という言葉は革命的ではあるけど革命を起こすにも長年の支配者とか資本家がいなければ革命できないし、1から10まで宗教だった時代より響かないかもしれない…
自分が信じていたものに裏切られる経験ってニヒリズムに陥るだけじゃなく認知的不協和を拗らせて先鋭化するパターンもあるから厄介だよなあ。そうやって変な行動を起こさないためにもやっぱり過信と鵜呑みはってやつだよね。
ルサンチマン化するやつですねー。信じたい何かを守るために誰かや何かのせいにする・・・そういう人はとっととニヒリズムに陥った方が良い(暴論)
僕キリスト教だけど、まあ場所によって違うだろうけど僕が教えて貰ったのは「頑張って努力すれば、イエスはその行いを見てるから最後はイエスが成功に導いてくれる。そう信じて生きよう」ようは実際にイエスが助けてくれる、助けてくれないとゆう事象が大事ではなく、いつかは助けてくれるという希望をもつ。結果がどうなるかなんて分からないんだから、じゃあプラス思考で失敗すると考えるより成功すると信じたほういい、って感じやね。なんかニヒリズムに陥らないようにする感じになってる
今ってなんだかんだみんなニヒリストで5段階の受容のプロセスを人生通してやってるんだろうなあって理解してる
5段階の受容プロセス・・・?でもみんなニヒリストっていうのは間違ってはないと思います。気づいてない人、気づく必要がないほど幸福だったり忙しかったりする人とかはいると思いますが。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 死の受容へ至る「否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容」のことではないかと。
受容→乗り越え→昇華→応用…
勉強になりました😊期待はずれがあった時に、ニヒリズムになってしまう💬これはどうしても逃れられないなぁ💧
だからこそ、ベルセルクのガッツのセリフである『祈るな、手が塞がる』という言葉が刺さるんだよなぁ
ある程度この辺勉強してきた人なんだけど、ちゃんとニーチェの考えを学べばニヒリズムは絶対的な自己肯定なんだけどね。端っこだけかじって、誤った理解で解説している本が多いけど。「何をやっても無駄」じゃなくて「何度やっても同じ結果なるのだ」というのがニーチェ哲学の姿勢。ニヒリズムに陥る、というのは間違いで、むしろ肯定的なもの。前向きなペシミズム、とも言えるし、実際そのように説明してる文献もあったと思う。今の自己は何度人生をやり直しても今の自己になったのだ、つまり今の自分は間違いじゃない、ということ。諦めなんだけど、諦めじゃないというか。そして、ルサンチマン(力の無い弱者の強者に対する嫉妬、恨み)に囚われるのでなく、己を鍛錬して超人たれ、と言ったのがニーチェ哲学。曲解されがちだけど、ニーチェはひたすら個にとって正しいこと、理想論を主張しているんだよ。それができる人間が何割いるかは別として。ただ、正しいことを主張するのが哲学だから、理想を主張するのは間違っていない。それから、ニーチェはキリスト教的な集団主義を否定したのであって、宗教的な神を否定したかったんじゃなく、文化的な神を否定したかったんだよ。(この辺は昔のヨーロッパのキリスト教的ムラ文化を理解しないと、そもそも日本人は理解しにくい)でもこれは、日本人的な集団主義、同調圧力に置き換えて考えることもできる。そういうものを否定し、人の足を引っ張りたい煩悩から脱却し、自分の人生を見つめ直せ、って考えは、今のインターネット社会にこそ刺さる部分はあると思う。
最も解りやすいコメントです。固定していただきたいくらいw
うぽつ動画面白かったです
ありがとナス!
縋らないのは人には無理だし、縋りすぎると堕落するし、人間の生存難易度高すぎでは?
それでも生存することはできる・・・そう、日本ならね!
ニーチェの解説かなり面白かった
最近まで人生の意味を見つけようとして足掻き続けていたけど、ついこの間ようやく諦めが付いた気がしています今の方が正しい意味でのニヒリズム状態だと思いますが、足掻いていた時の方がよっぽどこの世なんてどうでもよく思えていましたそう考えると、真のニヒリズムはどちらなのかなぁなんて
いい意味での諦め、らしいから後者かな。
バカになる or ニヒリズムで死にかける の2択がニヒリズム脱却の手段だと思うな
死にかけたら、悔いのないように生きたいと思うようになるとか、そんな感じのことを言ってるのかな?
@@とつまさニヒリズムで希望をもてなくなると鬱になり、鬱が行き過ぎると過呼吸を引き起こすんですけど、それが無意識で引き起こされるかつ、心臓を握って止められるぐらい苦しくて、その苦しみから脱却するためにニヒリズムを抜け出そうとしたって言う実体験ですね〜!
@@Nemui_Suiなるほど。ニヒリズムから脱却したいと心から感じるような苦しみを体験するという事でしたか。体験談まで話して下さりありがとうございます。
3択目、ないしそれ以上の選択肢をご教授ください
@@kamhiro96063択目を出すとするなら「現実に染まり過ぎない」ってことですかね🤔よく大人って希望を持とうとしても「年齢が」「金が」「時間が」「世間体が」って現実を語ってあったはずの夢をどんどん自分で潰し、その末路が「俺の人生に希望ってあったのか」ってなってしまいニヒリズムになるただこれは日本の頭が良くて尊敬されるイメージがリアリストな人っていうのが根付いてるせいで、社会で生きるための防衛本能でそうなっている側面もあるんですけどね😢だから自分が50歳だろうがなんだろうが、心で子供で馬鹿みたいな希望が出てきても、それを「現実見ろよ」って言葉を使って潰さずに、子供になってその希望とちょっとは向き合ってみる事が大切なのかなと思いますよ〜!
「ドリフターズ」の織田信長は、虚無感の反動で、あれだけアグレッシブに成ったと考えると、面白いですよね。
ニヒリズムというのは確かに現代にも多そう···けどまぁなんだかんだいって、皆結構すぐに復帰とかするんじゃないかなぁとも思った。自分に長期間そう言う経験がないだけかもしれないけど。ニヒリズムに陥る事が問題ではなくて、ニヒリズムのまま過ごすのが問題なのではないなかなって思った。あと細かいところで、弱い人間·強い人間とは何か。とか、動画趣旨とは違うけど宗教その物の存在意義とかも関係する話なのかなと感じた。いつも考えさせられる動画で本当に面白いっす。
ニヒリズムの規模によりますかねえ。たかがスポーツや勉強、恋愛の挫折なら知れてますが(失礼w)、事人生の指針が揺らぐと一大事ですから…
私は「頑張る」に裏切られて以降、5〜6年ニヒリズム
現代日本の若い人達はこの思想の人多そう。
どうすればニヒリズムを減らせるだろうかと考えた時に、ニヒリズムは信じてたものに裏切られた時に発現するという定義の元で、裏切ることが無い(少ない)ものを信じれば良いと思いました。そこで思いついたのが「自分」を信じるということです。自分は自らの意思でコントロールが可能ですし、どんな時でも信じることができると思ったからです。しかし、裏切る確率が極めて低い「自分」を信じすぎると不信感を抱くもの(他人)が増え、それらと対立し、争いが起こり、結果的に自然状態に近い状態になってしまうのでは無いでしょうか。良ければご意見、ご感想お願いしますm(_ _)m
その自分が極めて不安定で頼りないですから、思い込めばいいのですかねえ。自分:他人=7:3 、くらいの信用割合でいいのかも知れません。
要するに信じる者は救われてるんじゃなくて救われているつもりになっているだけということですね。ある種のプラシーボ薬に依存しているようなものなのでしょうか
そんな感じだと思います。まあ死後の世界や神的なるものが本当にあるのだとすれば話は変わってきますけどね。どの立場に立つかでプラセボなのか、必要な信仰なのか変わる気がします。
生物学の視点からニーチェの思想は納得できます。でも、ニヒリズムがあるとゆー事は、進化論的にはそれがある事で生存戦略上有利に働いたからだろう。けど、そこにどんな利点があったのかなー???追記↓ニヒリズムに陥ると、“絶対視する何かがある事の危うさ”を強く記憶に留められる。ならばー…(多くの人が絶対視しがちな)常識を疑いたくなるってゆー衝動を起させるシステムの一部だったりするのかな?常識(社会性動物の社会ルール)を疑う個体が群れ内にいれば、常に常識を点検し環境に最適化させる事ができるかもだしー云々(←思いつきの仮説でござる。)仮にそうならば、ニヒリズムの絶望感もしっかり味わってから立ち直って、忘れずに生きる事が大切なのかなータブンネー
老子や荘子の思想はニヒリズムの到達点な気がしています。そして私はそれが真理に一番近い思想だとも思っています。
よくわかんないけど、みんな最初は自分に自信を持ってたと思うけど、ある時、自分は大したことができないって気づいたから信仰の対象を外に求めるようになったんじゃないかな。それを自分の道は自分で決めろと言うのは、信仰の対象を自分に戻せって意味で、それは結局、また自分に裏切られるだけのような気がする。
万能感ってやつですかね?誰だったか忘れましたが信仰に目覚めることを「性の目覚め」って表現した人がいた気がします。要は生理現象みたいなもんで、誰もが通る道だ、みたいな感じ。万能感の喪失とセットと捉えるとなんか納得できる気がします。ちなみに裏切られないほど強固に持つからこその超人だったり・・・
自分の能力、というより価値観や判断力を信用すればいいのでは。
某マイナスが大好きなので助かります!!!
御母堂様のご冥福をお祈りいたします。たとえこの世界が虚無に満ちていて人生に意味がなかったとしても生まれた以上は生きていくしかない。だったら腹括って受け入れてやる。ビールが美味い。推しが尊い。生きる理由なんかそれだけで十分だ。自分はニーチェの哲学をそんな風に勝手に解釈しています。超人になれない凡人としては、ね。
ありがとうございます。私もそんな感じです。ビールと日本酒がうまい。友人とのバカ騒ぎが楽しい。動画投稿楽しい。仮に今みたいなことができなくなったとしても、それ以外に楽しみにを見つけつつ人生を有意義に浪費していきたいと思っています。
「超人を目指しなさい、でわかりましたという人はいない」昔の自分は、けっこう同意したかもしれない。超人というか、人間的な性質を捨てる、ということは必要だと考えていた。で……、自分には無理だった。無理だったが、まだ完全には諦めていない。あくまで自力では無理だが・・・という段階だから。
目指すだけはやってみても良いんですが、そこに到達しないからと言って、責め始めたら全てが狂うんです。「神様ってシステム、ぜんぜん絶対とちゃうやんけ!」で始まったはずのニヒリズムが、どこからか「完璧超人崇拝」という宗教に変わったような物です。本来ならキリスト教も、教会に皆が従って考えるのを放棄するような教えじゃ無く、如何にして隣人を愛するかを知恵比べして競う様な宗教だったはずなんですけどね。最初にキリストさんがアガペーに溢れていて、周りの人もアガペーで溢れ始めたから、このまま連鎖反応させれば世界が幸せになるんじゃね?と、期待していたはずなのに・・・戦争とか、飢饉とか、どうしようもない社会の危機によって一部が崩されて、「もっと完璧にアガペーで満たさねば」なんて考えてしまったがばっかりに、異教徒排除や魔女狩りにまで発展し、十字軍や免罪符乱発、清教徒革命、その先に決して血みどろ無しでは語れないフランス革命や、ナポレオンの専横、果てに、そういった宗教観を極端に否定した社会主義や国家社会主義までが発生する遠因になってるんですよね。だからって、現代人はそういう負の歴史からも多くを学んでいるので、一概に全部を否定するもんじゃありませんけどね。
超人…世捨人、野人のイメージwよい例えなら、ここぞで捨て身になれたりゾーンに入れる人。
ニーチェはとても好きです。彼の哲学は本質的に「病原体に侵入されない体になれば病気をしない人間になれる」みたいな話なので、「なるほど完璧な作戦っスね、 不可能だという点に目をつぶれば」案件なのだと思います。
文章からジョジョの凄味が滲み出てくる
共産主義と一緒やな
「フハハハッ!!」
「人はその短い命を繋ぎ、今なお文明を築き続けることで完璧な作戦とやらを実行し続けているのだよ…」
@@ファイナルウォーズクモンガ ジョジョってそんな皮肉の入ったセリフあるの?
@@user-zh2fk9vo1u 割りと皮肉言うで、勝ち名乗りしてテンションが爆上がりした後に主人公にボコられる。
でもニーチェは牧師の家に生まれ、英才教育を受けて自身も超優秀でキリスト教の教義をマスターしてたんだよね。その上でキリスト教を否定するって凄いこと。
マスターしてないとちゃんとした否定ってできないからね……
敬虔なキリスト教徒だったからこそ、違和感に気づいた部分はあるんでしょうね。そしてだからこそ発言に重みがある。
だからこそですね。
まだ人生進学とか就職失敗しただけなのに諦めた奴らが人生は無駄だなんて言ってても説得力ないね
まあ、おじさんみたいな「あんまヒトを信じないロクデナシ」だったのよ。たぶん。
(・3・)
恋に落ちたら心を奪われたと表現する場合があります
「鉄道模型を捨ててから夫の様子がおかしい」の中にも「一緒に心を捨ててしまった」という表現があります
精神を安定させたり快楽を求めたりと
何かに縋るのが人間を人間たらしめるのだと考えます
それは親や恋人のような人でもお気に入りのアイテムでも仕事のような行為でも構いません
それを失わざるおえない状況になれば認知的不協和を起こして正当化するし現実逃避するのだと思います
ニーチェの視点は的を射ているとは思いますが、ニーチェの目指した生き方は現実的ではないのでしょうね。私も動画で書いたように目をそらし、何かにすがりつつ生きていくんだろうなとは今のところは思っています。それが悪いこととも思いませんし(開き直り)
そう考えるとソクラテスの説いた「善く生きる」という考えはあらゆる人生哲学に対する根源的支柱というか、一種の"救い"のように思えなくもないですね。
そりゃ当たり前の綺麗事だろと言われればそうかもしれないけど
だからこそあらゆる生き方の出発点にもなり得る。
自分の形に合った善い生きやすさを求められればそれで良いんだと思います。
亡くなったベルセルクの作者も宗教家庭に生まれ育ち、その強烈な反動でベルセルクを描き始めたからガッツの台詞にあれほど説得力があったんだと思う
否定する先が「宗教」「神」から「自己そのもの」になる時代が来るなんてニーチェは想像してたんかなあ…
今は科学とか理性とかそっち方面も出てきてますし、おもしろいですよねえ。
自分を神として生きていけばいいんだよ。
神なんて曖昧なものさ
@@月詠咲夜 「俺は神だ!!」って自分に言い聞かせて生きていくの?
おもろ
@@月詠咲夜 実際日本人は何かしらの神の末裔なんだしあながち間違ってないんだよなあ
後はもう自我以外を一切信用しないで生きる覚悟と自信の行動の責任を持つ気力だけあれば何にも怯える必要はない
究極的に考えれば自己責任論
@@松田しげもりもり すんごーく疲れそう
でもやってみたいな
凄く面白い解説でした!
僕は自分の期待を裏切ってくる自分にニヒリズムです。
視聴後「よっしゃ、ワイも超人目指して頑張るゾ!」
数分後「あれ?超人って他者に左右されない人のことだよな?ワイ、ニーチェに左右されてね?」
超人目指すのやーめた!(数分坊主)
生臭坊主で草
そこに数十秒で気付けた貴方は優秀です
数分で髪の毛が増える超人定期。
@@kafkafranz1983
坊主だから髪が減ってるんだよなぁ(泣)
究極、生きる事自体が周りに左右されてる定期…
曲解すれば、ニーチェが言う「自分で決断して強く生きる」ことって「自分の理性の正しさ」に絶対的な価値を置いて人生の不条理さから目を逸らしてるとも言える気がする。
(素晴らしい動画をありがとうございます!)
人は真実ではなく、信じることで生きていますから。。。
理性信仰が進んだ近代らしい思想ではありますよね。
(こちらこそいつもありがとうございます!)
@@廃物祐人 「人は真実ではなく、信じることで生きていますから。。。」
ああ……、まさに、その通りと思った。
そして、だからこそ、このために、人間である科学者も、科学的態度を取れないことがある。
理性!
多分、昔の自分も、「理性以外のもの」が分からないこと、理性以外の能力が低すぎて、ないようなものだったから、突き詰めた答えが「虚無」になってしまったのかも。
「理性以外のもの」に目を向ければ、それが見える人間であれば、だいぶ見える世界は違っていた。
だから、言ってみれば、頭でっかちの人がなりやすいと言えば、なりやすいのかな。
頭で、理屈でばかり物事を見てしまう。知識だけで物事を見てしまう。これから未来で発見されるであろう知識の可能性も、不確実だからと外に捨て、現在の、それも自分が理解できる範囲内で、世界を考えてしまう。考えてしまっていた。
考えすぎていた。
もっとシンプルで良かった。なぜ気づかなかったのだろうと今では思う。
「喜び」とか「楽しい」とか、もうそれが、価値だと。
……でも、当時の自分に、そう訴えても、馬耳東風、なぜか理解できないのだろうなぁと思った。
理屈でないからかな。「喜びや楽しさ」というのは理屈じゃなかったから、だから信用できない、考える対象にならない、と判断していたのかもしれない。
理屈ばかりで物事を見ていた。
いや、今でもそういう傾向がある。
理屈、つまり、言葉、表面上の言葉の意味ばかりにとらわれがちだ。
@@心視聴
でも
真実と事実とは
また違えます
事実という足跡(痕跡、順序)は消えません
それを辿ることで
私達はこの世の仕組みへ
真理へ近づきます
全ては真実です
違和感を感じるのは、
人間の歴史が編み出した、未熟で不完全なルール故
それに
人って、結構せっかちがありますから
結論を急がないことです
アンサイクロペディアのニヒリズムのページ、すごい分かりやすくて好き
“ “
ニーチェがなぜそういう分析をしたかという部分の説明がされていて感心しました。何にしてもそうですが物事の「経緯」というのはその本質を知る上で大切だと感じます。
動画の作成は大変だと思いますが、丁寧かつ深掘りした動画を待ってます
小さい頃自分否定的レベルMAXになった時この考えにたどり着きました。常識という概念が本当に怖かったし絶対という言葉がトラウマになってました。どう足掻いても自己犠牲が1番としか考えられなくなるし苦しみの先に本当の優しさがあるんですよね…人間性がある限り完璧な人類にはならないし超越しなければ完璧な世界も生まれないという矛盾しまくった世界ですからね…
自分もこの動画で解説されたようなニヒリズムに一時期陥ってしまって、今でもたまに嫌厭的な出来事が起きる度に何もかも諦めたくなる様な思考がよぎってしまうことはありますね…
でもそのつど人それぞれの生きやすい形で人生送ればそれで十分僥倖だし、自分もそうすれば良いと割り切ってます。
深く思考し過ぎることが必ずしも救いになるわけじゃないし、ある程度悩みに対して自分の中で妥協させる生き方も有りなんじゃないかと思いますね。(まあいいっかみたいな)
虚無的になる事を諦めるというのも人間らしさとも言えるのでw
ニヒリズムと友達になれば、楽だよ。
一番のお勧めは「自分は幸運で幸福だ」と定義すること。日本に生まれればもう大概幸運で幸福なんだ、それを甘受して生きることの、なんて楽なことか。
自分は逆の理由でニヒリズムになった。正直、自分は幸運に恵まれ、特になんの努力も苦労もないのに何不自由ない生活を送ってる。夢も目的も特にないし、持った覚えもない。
なのに夢を持つ人、努力する人は挫折したり嘆いたりすることが多い。頑張ってるのにハードモード、楽してるのにイージーモード。この格差を見るだけで、「この世の中の出来事に大した意味はない」と思えてしまう。
努力した人は報われることなく苦労し、一方で自分みたいな努力しないで苦労なしみたいな人生送ってるやつもいる。この状況を見てるとすべてがどうでもよく見えてしまう。
そう思いたいけど、老いて床に伏したときにそれを保っていられる自信がない……だからと言ってなにかする訳でもないけど
ソレて「快楽主義」つーんじゃないの?
m9(・3・)
コメント主さんの体験からそのような思考に至ったのは正に仏陀のようですね。
仏陀も苦労ない王子として生まれたのちこの世には避けることができない四苦があり、それに煩わされないために世の中が一切皆苦であり実態のない諸行無常、ただの縁起による世界だと定義して悟りの道を拓いた。
ある種、ニヒリズムと仏教思想は似ているのかもしれませんね。
不自由の自由、自由の不自由…
とかくこの世は儘ならない
つまんなそうな人生だな
割と現代人に多そうな考え方ですね
現実に目を焼かれたような感じのずっと考えてると辛くなってくる考えですが、それ自体は間違ってはいないので好きです
哲学系の動画はコメント欄も醍醐味だと思っているのでここのコメ欄大好きなんですよね
いつも動画投稿ありがとうございます
リクエストなんですが、クオリアとかの意識についての話も聞いてみたいです
重い話だけど、なぜか元気が出ました。ありがとうございます。
個人的な人生観ですが、「こう生きたい」という目標を持ちつつ、自身のおかれた環境・状況を楽しんで生きるのが一番楽に生きられるなと思います。
受験で例えると、志望校合格が目標ですが、不合格ルートじゃなければ楽しめないこともあるからそれはそれでいいじゃんと。要は目標を持って行動しつつ、流れに身を任せる生き方です。
自信の信条にこだわりすぎない点である意味の「ニヒリズム」なのかもしれません。個人的意見ですが💭
向上心が「能力」による超人に傾けば傾くほど、人としての「感情」が壊れていく人が出そうですね。
私の場合、記憶や価値観、感情がおかしくなったので「超人」にも「人」にもなれませんでしたが、それでも人生を「楽しく過ごせる尊さ」を知る事が出来ました。
ニヒリズムについて考えた人って発狂したり自死したりする人ちらほらいるみたいですからねー・・・。
個人的には人生は楽しんだもの勝ちです。
そしてその楽しさにはその楽しさを共有できる仲間が必要。だから仲間にも幸せになってほしい、そんくらいの適当さで考えてますねー。
超人にも人にもなれない・・・じゃぁ悪魔超人になるしかw(キン肉マンか!
冗談はさて置いても、
超人になろうと思うのも人でありたいと思うのも感情が「起こす」事ですし、
あるいは感情を捨てたように冷徹でありたいと「思う」のさえ、
感情のなせる業ですから、
貴方の通って来た道を「おかしい」とはあんまり思わないであげて下さい^^;
少し賢くなって幸せになれた貴方の材料なんですから。
@@_yos8201 返信ありがとうございます。
一応、ある意味「悪魔(というか悪鬼?外道?)」になりかけた時期はありましたww
私の場合「向上心」の為に「良心・本心を騙し、吐き捨てた」しっぺ返しみたいなもんですね。
ただ、その生きた道を「間違えてない」とは思えてるのは、私が得た「本心(感情)」ですね。
悩んだ時は、動物を思い起こすようにしています。
彼らが虚無に陥ったり、理屈で行動するか?いやしない。
彼らが本能を失ったら終わり、動物のように純粋に生きたいものです。
たくさんの腑に落ちる内容で、感動しました
個人的に、ニーチェは「自分の人生を、自分で考えて道を切り開いて生きられたら幸せ」という信仰があったと思うんだよね。俺はそうとも限らない気がするけど。
少し前までニヒリズムだった中どうせ死ぬならやりたいこと全部やって死のうと思って今を生きている
ニヒリズムは「依存していたなにかに裏切られて起こる虚無感」であり、誰にでも起こり得る普遍的な心理現象であると。
だから当人を「ニヒリズム乙」と詰ったり嘲ったりするのも逆に「俺様はニヒリストだ!」と粋がるのもよしたほうがいいね。
あとニヒリズムと聞いてゾロリかよくする「ニヒニヒ」という笑い声を想定したのはワイだけじゃないはず
ニヒリズムに陥るということは、信じていた何がに裏切られたということ。つまり、信じて戦ったけど破れたということ。
負け犬になれるのは戦った者だけだ。それは誇っていい人生の勲章だ。
最悪なのは負け犬にもなれない者。リングに上がる度胸もなく、リングサイドから野次を飛ばすだけで自分は世界を知ったと勘違いしている愚か者である。
そもそも「なぜ自分はニヒリズムを克服できていると錯覚していた・・・?」なんですよね。
ニヒリズムに陥っていない人でも、現時点でニヒリズムからうまく目をそらせているだけで、いつでも陥る可能性があるわけですし・・・
おじさんはニヒリズムは「ナニカに敗北した喪失感」から得るなんて「負け犬根性」から生まれるのは
チョット頂けナイ。
裏切られるだの負けるだのではなく、
達成した果てに掴んだモノが「思ったよりくだらない」時に感じた「じゃあ今迄の苦労や期待は何だったのか」てゆー
労力に見合わぬ成果を知り
「ナニカに期待するコトの虚しさよ」てのがニヒリズムだと
まあそんなふーに思ってる。
(・3・)
自分はませていたのか、幼少から世間を冷めた目で見、虚無感を感じていましたね。親にもニヒルだと言われていた始末w
「しらけ世代」などと言われていた時代です。
ニヒリズムを越えた先に、悟りの境地みたいなものがあるのかも知れませんね。
世間でいうニヒリズムとニーチェの説くニヒリズムは意味がズレてますね。世間版の方は無気力とか克服すべきネガティブな心理状態という意味合いですが、ニーチェはそもそも克服しなければいけないとは言っていない。ニヒリズムを能動的に生きよ、と言っている。
人生を歩いているとき、突然これまで敷かれていたレールが途切れることがありますね。
何かに逆らって真横に脱線するわけでもなく、それは突然消えるんです。
そして、道に迷い途方に暮れる感覚が襲ってきます。
ニヒリズムに走りそうなその時に大事なのは、ほかに守らなければならない何かを思い出し、そちらに目を向けることができるかだと思います。
家族でも、目標でも、はたまた自分の欲でもいいのですが。
恐らくニーチェは否定しそうですが、現実的にはそれが1番の対応策なのかなあと思います。
その例えわかりやすくていいですねー!
レールが途切れ、道が塞がれたら別の道を探そう。
あてもなく頂上を目指す、それが人生…
仏教とニヒリズムにかねてから近しいものを感じていました。
一切皆苦、諸行無常。詳しくないのですがニーチェが仏教に出会っていたらと思うと面白いですね。
おおお!そうなんですよ!近しいものがありますよね!実はニーチェは仏教に出会っていて、褒めてもいたんですよ…!ただ同時に批判もしてたんですよね。
ニーチェは神のいない人生でより意欲的に、向上心を持ち生きる超人を推奨している為、仏教の苦しみを無くす為に欲を捨てて、無欲に生きる事を良しとしなかったみたいです。
@@木田まき-f5e仏教大好きなショーペンハウアーを批判した哲学がニーチェですからね
世界一うまいパンは甘くもなく、素晴らしくうまくもなく テレビで言ったり 料理研究家がおすすめしたり ネットで評判になったものでもなく 「腹減った!パンが食いたい!」時にちょうどあったうまいパンです。「これはうまいぬおー」です そのパンを分析するも答えなどないのです 普通のパンです。
御母上様の件、ご愁傷様です。身近な方、特にご家族を亡くす喪失感の大きさをお察し致します。一日も早く心の平穏を得られることをお祈り申し上げます。
ニヒリズム、非常にわかりやすいご説明で面白かったです。私個人的には信仰がないので、努力や忍耐に裏切られることが多かったです。克服して超人化は理想的ですが、ニヒリズムに陥らぬようずっとやりあっていくことになりそうです(^^;)
ありがとうございます。1ヶ月は経ちましたので割と今は落ち着いたかなという印象です。
ニヒリズムについては私も一生付き合っていくものかなと思っています。まあ子どもができたり神秘体験とかをすると変わるのかもしれませんが、子どもに先立たれるとドボンしてしまう気もしますので、やはり付きまとうものではあるんでしょうね。
「ニヒリズムを克服する方法が超人になること」という考えに裏切られた場合に陥るニヒリズムって強烈そうですよね。
発狂した理由これだったりしてね。
克服といっても、否定するのか受け入れて乗り越えるかで異なりますからねえ。
虚無を否定したらそりゃ発狂しそう…
参考になりました!
自分がだいぶニヒリズムに浸っている事が分かりました…。
超人になるのは辛くて苦しいだろうけど、そういう生き方はかっこよくて憧れるものだなぁ。
せめて、何も考えずに流されたり、与えられたものを妄信するのではなく、色んな人の話を聞きつつも、最後は自分の道を決めて行ければ良いなと思います。
ですねー。私は諦めつつ堕落した日々を送っていますが・・・苦笑
私は超サイヤ人になりたい。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
サイヤ人?!
なかなかクレイジーですね😃
では私は完全生命体イフになろうか…
知っている人いるかな😅
サイヤ人とか飯いっぱい食わないかんやん。
水だけでいいナメック星人がええわw
少し違うかも知れませんが自分は愛する人を失ってからそれからの人生に意義を見いだせなくなり、情熱を失って空虚なまま生きてきました。心の支えが無くなるとどうでも良くなりますね。関係ない話で申し訳ありませんでした。
今自分の気持ちがこの心境でしんどいから助かる
私も定期的になってた時期ありました。重いですよねえ。
最近推しがいなくなったりコロナで仕事が減って働く意味が分からなくなってたらこの動画が出てきた
なるほどニヒリズムとはまさにこう言うことなのだな
冷笑主義シオニズムと悲観主義ペシミズムと混同されがちらしいからこの二つについても解説して欲しいな
冷笑主義はシニシズム。
物事に対するシニカルな態度や見方。
シオニズムは、ユダヤ人たちが自分たちの国家の再興をめざした運動。
能動的ニヒリズムもいつか紹介して欲しいです
上手く扱わないとテロリズムにつながりかねない発想だけど、実存主義に繋がる面白い思想だと思ってます
ちらほら能動的ニヒリズムを望む声はあるんですよね・・・
尺的に削ってしまいましたが、うーむ、どうしたものか・・・!
ニヒリズムなのに能動的とは、どういうことなのだろう・・・
解説されないうちは、一行矛盾にも感じてしまう言葉。
中心的な部分は違うかも知れませんが、「死のう、と思ってから生きやすくなった」みたいなのと似ているのかなと。
もう死のう、と思って死ぬのが消極的ニヒリズムとすると、
もう死のうと思ってから、でもどうせならと「嫌になったら死ねば良いや」で行動を起こすのが能動的ニヒリズム、みたいな。
先にも書きましたが中心的な部分は違うかもしれませんが、感覚的にはそういう感じなのかなと。僕はこの例えで考えています。
能動的ニヒリズムは「神は居ないから自由に生きていい。」という考え方
受動的ニヒリズムは「神の世界だから何しても無駄」という考え方
ということですか?
語弊を恐れずに言えば、世界を真っ白いキャンバスに見立てるのがニヒリズムの基本で、
それを「真っ白だから落書きし放題だぜヒャッハァア!」と見なすのが能動的ニヒリズム
「なんの味気も無い…つまらない…別のキャンバスはないのかな…」と見なすのが消極的ニヒリズム
かなぁ と解釈してます
私はある意味ニヒリストで、ニーチェが言う強者じゃないので、精々食べるために仕事して、正気を失わないように趣味に時間を費やし、死ぬのを待つのが人生だと受け入れてます。万に1人は自分がしたいこと、自分が出来ること、そしてそれを必要としている人・会社がいて、幸せになれます。それは尊くてめでたいし、私はそう言う人を応援したいです。でも残りの人は救いがないのが残念ですね。
それでも時は流れ続ける。
人生は小説より過酷で、だからこそ小説より面白い。
まさに、ですね。小説もおもしろいですけどね笑
小説は2時間も有れば読み終えるし、
その中にクライマックスが有るからまだ良い。
人生を読み終えるには80年ぐらいかかるもんだから、
つい寝てると面白い所を見逃してしまうんよw
ニーチェは自分の考えた思想に自分が追いつけず絶望したのでは?
こうあるべきって気持ちが絶望に繋がる気がしますね。
まっいっかの精神で生きていこう
ニーチェの絶望に関しては諸説ありますが、そういう側面はあるかもしれませんね。
私も割とまあいっか派です。
よかった、自分だけじゃないんだ…そしてほとんどの人が解決できてないんだ…
チャップリンの名言を思い出したので貼ります。
「What do you want a meaning for?
Life is a desire, not a meaning.」
なぜ人生に意味を求めるのか?人生は希望であり、意味ではない。
結局“生きる意味”はただの通過点。人生はどれだけ楽しめるか、楽しませるか。ってことなんでしょうね。
生きる意味?自分から言わせてもらうと、
ん( -_・)?好き嫌いの話か?
という一つの考え方もあります
物事全てに意味(目的)はある
ただ、そんな自分を納得行くがどうかは
また別です
間違えないこと
だから、変にこじらせないで
心行くままに、自由に生きよう
チャップリンらしい言葉ですね。私は楽しむ派です笑
神を信じれば生きるのも楽になるし死ぬのも怖くなくなる。
神に依存しない生き方は、各々が自信の価値観と基準と規律を持って生きるので自分本位な生き方になってしまう。
そして現代で最も信じられている神はお金だろう。
ニーチェ先生の「超人」思想については、すでに夏目漱石の『吾輩は猫である』の終盤で批判にさらされていたりもしますが、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』はニーチェの思想とユング心理学の影響を受けていて、これらの小説は個人的にはとても面白かったです
「イデアと実存」という切り口からアプローチすると、プラトンの「イデア論」とキルケゴールとニーチェとヤスパースと浄土仏教とセットで総合すれば至高の思想体系が爆誕しそうですが、まだ人類はこれらを統合して上手く表現することができていない状態なので、それができれば、あたいがノーベル文学賞・平和賞ダブル受賞よ!(チルノより)
15:01 ここ、現代で主流になってきた相対主義によって絶対的なものが無くなったせいもあるのかなと思いますね。絶対的だと思っていたものが絶対的ではなかった、ということだとも思います。
なにかの熱狂的なファンを揶揄して信者と呼ぶこともありますが、ああいう理論を超えた根本的な部分でなにかに没入/熱中/陶酔するのはその依存先が絶対的でないことに「気付かない」ための防衛反応なのかなと思います。それに気付いてニヒリズムに陥らないために。
しかし結局皆なにかに執着して依存して狂信して依存して生きている訳で、信者と揶揄して石を投げる人もまた同様に弱点を抱えていると思いますね。ただネットで嘲笑われている人が見つかりやすい場所にあったってだけで。
中学2年生の頃、ある事がきっかけでニーチェと同じ思想に至った。今でもその思想は大切にしてるけど、その思想のせいで今の学校では腫れ物扱いになってしまった。そう考えると、やっぱり思想ってのは表に出すものじゃないよな。リスクしかない。
中2で幸せなニーチェ思考になればそりゃ表に出してまうわ。どんな風に表に出したんよw
@@RR-gs5dk 雑談として自論を述べてただけだよ。僕は何かを定義するのが好きだから、あらゆる事象に対して論理的かつ客観的に熟考し、時には調べ、その上で自分が正しいと思った考えを受け入れる。ただこれは絶対的な結論では無く、新たな情報と共にアップデートしていく。その結果他人の考えが正しいと思えば受け入れる故に聞く耳が無い訳じゃ無いし、むしろ他人の考えを聞くのも好きだから思想に関する話題で盛り上げたいが、周囲の学生は「なんとなく」で済ませたり、わからないからといって直ぐに調べようとする。それに対して僕が自論を展開する訳だから、そういった話よりもドラマやスポーツ選手なんかの話が好きな学生とは気が合わないよね。
@@WANCOSOBA1 ちなみに色んな人と仲良くしてみたいと思う?
@@RR-gs5dk 思わないかな。元々気の合う人とだけ仲良くなれば良いと思ってたから、気の合う人が居ないのならそれで十分。それに、色んな人と仲良くするメリットもあまり無いしね。
母上さまの件は残念でしたね。家族がなくなるとなにか大きな穴が開いた気分になっちゃうんですよねぇ。しばらくは大変ですけど母上の為にも頑張って生きていきましょう。私は中学の時に父上なくしましたが、母が一人で高校出してくれたのでその分頑張って働いて少しでも楽に生活できるよう支えております。まぁこういう経験しますと神なんておったらあんなに家族のために休みもなく働いていた父を奪わんよね、なんて思っちゃいますね
お母さんが亡くなられた事、ご愁傷様です。
葬儀など大変な事が沢山あったと思われますが、なにより自身のお身体にこれからは気を使っていただけると幸いです。
人生というのが暇つぶしをするだけのつまらないものならば、虚無感を持って「つまらない」と嘆くよりも、全てを「楽しいッ!」と盲信してる方が人生薔薇色になるって思うことで、私はニヒリズムから解放されてますねぇ。
楽観主義、享楽的上等!
キリスト教の信仰が失われると、時間的な制限が無くなり(最後の審判の否定)、空間的な制限がかかる(天地創造の否定)。
つまりキリスト教への信仰が失われると、人々は時間は無限であるが、空間は制限された世界で生きなくてはならないことに気づき、絶望を覚える
自分なりのニヒリズムの解釈はこんな感じです。
なるほど、おもしろい解釈ですね。
個人的には信仰が失われると時間的な制限はむしろ強くなるような気がしていました。死後の世界が約束されているキリスト教に対し、その崩壊は死=終了を意味するようになるのかなあと
長文失礼します。
じっさい、相対性理論も原子の対生成、対消滅も見つかってなかった当時、宇宙は永遠だというのがと科学的事実でした。
そこから導き出されたのがニーチェの永劫回帰説です。時間が無限で、原子が増えたり減ったりしないなら、この一瞬はいつかもう一度やって来る。新世界での救済なんてモノは無く、人は何度も同じ人生を生き直す。
どうせ無限に続くなら絶望しながら生きるより希望を抱いて生きようぜってのがニーチェの考えだと解釈しています
基本的に論理は非論理的である事を否定できないんよなあ
この考え有害に見えるけど
一周回って何やっても無駄なんだから好きに生きよう
に行き着いたりするんだよな
何かしらの困難や挫折、決断を迫られる場面に相対した時、『マジで迷っている』という行為そのものが、自己の問題・課題を自身の力で何とかしようとしているお手本なのかも…と思いました。即断即決できる頼りがいあるリーダーのような人格について言えば、数多ある選択肢をいともたやすく切り捨てることができる絶対的な何かを信じた結果なのかもしれないですね。
決断の根拠を何にどこに置いているか、による気が個人的にはしました。
神の意志や常識、誰かの教えなどに照らし合わせることでも即断即決はできますし、そしてある程度の筋とカリスマを発揮することはできますから・・・。
迷う場合も基準が複数あることで起こることなので、その中から自分が正しいと思うことを自分の基準で選ぶことができるか、というところが課題になりそうですね。簡単ではなさそうですが、1つの道にはなるかもしれないなあと思います。
だいぶ前に自殺未遂やったことあるんだが、その時に思ったことがまんまこの動画と同じでびっくりした。最後の紹介した1節なんて特にそう
最初にニヒリズムという言葉を使った人じゃなくてニーチェの方が有名になるとか、まさに「自分には価値がない」っていう思想そのまんま体現しててなんか辛くなった。
価値がなくても生きててもいいんじゃない?
生きる事に価値を見出だす逆説。
何となくドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を彷彿とさせるような内容ですね。
個人的には人間は中庸である事が好ましいと思ってます
自身の寄る辺として外部に信じる何か「も」必要、自分の責任も重荷も自覚して困難な現実に立ち向かっていく意志「も」必要
時と場合によってそれを使い分ける知恵と自覚を持ち、一辺倒の考えに染まらずに立ち回る事が肝要かと
自分の主人は自分であり思想は道具、思想を自分の主人にしてしまう時点で歪みが生じるのでしょう。宗教であっても、超人観であっても
最近いろんな本を読むのですが、私も中庸さの大切さを思い知らされることが多いように思います。
最近はHumanKindって本を読んだのですが、そこではスタンフォード監獄実験とかミルグラムの電気ショックの実験の反証が出てて、これが正しいとは限らないって視点を持てたのは大きかったなと思います。
昔から楽しみにしてます!
ありがとうございます!これからも楽しみにしてもらえる動画になるよう頑張りますー!
編集も内容もすこ
うぽつです。哲学界にニヒリストは多いですが、彼らは根底でニヒリズムにない人たちの言うことは浅薄に見えるようですね。かくいう私も同感です。ニヒリズムとは、世界の根源的な形態そのものでしょうから。
まっすぐな「超人」…
ワンピースの超人系(パラミシア)能力者、ルフィ…
あーってなった。
ためになりました。
マジで大学時代にみーさんの動画に出会ってたら哲学はまったかも。
逆に大学では教科書よりこの動画流しておけば授業になると思う笑
ちなみに、魔理沙さんの家庭科の授業はいつ上がりますか?
ひっそりと楽しみにしてます笑
ふへへ、私の動画なんか哲学者に見せたらガバ過ぎて怒られてしまうんだぜ!
家庭科は肉の次ですよねえ・・・なんかリクエストあります?
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 自分は教職課程の一環で哲学の概論を受けただけなんですが、全15回の授業よりためになりました!
辛い料理が好きなので、何か上げてくれると嬉しいです😊
「人生に意味はない」
「人生はヒマつぶし」
「頑張ったって無駄」
だいたいひろゆき
「他人は糞」
わかる…
挫折とかでもなるということよね…
ニヒリズムはとっても生きやすくて好きなんだけど、頑張ってる人に口出しして水を差す人がいるのも事実なわけで
あくまで自分の価値観に留めておこうな
口には出さず、胸中で嘲笑うのが醍醐味w
・死後の世界(外側の世界)が存在する
・そこにおいては現世での人生を経験すること自体に意味がある
と仮定するだけでニヒリズムから解放される
スピリチュアルが広まった背景もこの辺りにあるんじゃないかな
構造上内側の世界から外側の世界の存在を肯定はできても否定することはできないしな
真面目な人ほどこういう考えになりそう
ニーチェも真面目だったから
全部どうでもいいし、本質的には意味も価値もないってのは、正しいと思う。
だから、それを”実感”させてくれるもの、記憶、思い、立場、関係、
それらに着目していくことが重要なんじゃないかと。
人が何か”価値”を感じるものを、ある程度共通の仕組みであることが分かっていれば、
自分と立場が違う人への理解にもつながると思ってます。
理解を増やしていくことは、自分の中の制御できる物事を増やし、
また、自分の感情に対しても、それを受け入れられるかどうかの判断につながります。
その為には一度、自他含む全てをシステマチックに考える過程が必要です。
ニヒリズムは、そのための通過点と考えるとしっくりきます。
某犬が言いていた、「人生は配られたカードで勝負するしかない」という言葉に、
”配られ方”に意味を求めるのが宗教なら、それを否定するのがニヒリズム。
ただ、カードは変えられなくとも、そのカードをどう使うか?
の手順・組み合わせを考える方法は、後天的に増やすことができる。
人生がどうでもよくなる感情、ニヒリズムがこれほど強大なものとは初めて知りました。
正直自分は『人生における絶対的なものに裏切られる』というのはあまり経験したことがなく、あったとしても宗教よりかはショボいものでニヒリズムを本当に感じたことはないと思ってますが、当時はまさしく時代の病だったんだろうなと感じました。
僕も常々自分で意思決定する事の重要性は感じていて、たとえ大きく失敗した時も自分の決断だからと納得できるので社会や常識に反していようとも、自分の事は自分で決めるべきだと思います。
後悔も恥も苦しみも失敗も山ほどありますし僕の現状はクソみたいですが自分を愛して、死に際に泥にまみれていようとも納得と幸福を感じている人生にしたいなと思います。
自分は弱いまま生きる事肯定派なので自分とまともに戦いませんが、それを選択したニーチェは尊敬します。
自分の弱さを受け入れられるのは強い人間ですよw
それが出来ずに虚勢を張るのが弱い人間…
自分の最大の敵は自分、みたいなこともニーチェは言ってましたね。
推してたアイドルに恋人発覚で発狂する人たちを見てるとニヒリズムを感じる
アイドルとて人間で女性ってのを受け入れていない盲信…
極端な話ですが、ある程度の倫理と法の範囲内で多様な個人の価値観や生き方を受容しようとする現代社会や現代人は既に超人であるともいえるかもしれません。そう考えるとニーチェははるか昔に現代人と同じ価値観を持つことができたとても先進的な思想の持ち主ですね。
ニーチェがこんなに脳筋だったとは思わんかった…
自分も半分脳筋だからめちゃくちゃ同意したけど
ニーチェを推す哲学クラスタや生前の弟子や後輩からしたらニーチェこそも「宗教」なんだよなぁってちょっと思いました。「わーい!推しすごーい!」もある種の信仰ですから……
思い出した。小中学生あたりに、こんな考え方をしていた。
多分、自分にとってニヒリズムに大影響したと思う考え方。
これからしぬまでの人生を考える。
その間、「良いこと」と「悪いこと」の量を考える。
これからの人生、心が挫けるような『悪いこと』が複数回は起きる、というのは可能性が高いどころでなく、ほぼ100%確実だと考えた。
しかし、「生きていて良かった」と思えるレベルの『良いこと』が起こる確実性は……、あんまりないと判断してしまった。
そして、それら、これからも人生を生きた場合の、「良いことと悪いことの総量」を考えてみると、
差し引きしたら、マイナスになる可能性大、
……と、そう判断してしまった。
だから、人生はなるべくはやくしぬのが良いのだと、実は生まれてすぐしぬのが望ましいのだと、むしろ生まれなければ、なお良し、なのだと考えるように。
けれども、自分はしねなかった。とても臆病、怖がりだった。
元々鬱っぽい性格と、理屈っぽい(頭でっかちな)性格もあり、人生の良し悪しを【主観的に】計算してしまった。
これもまた、理性で人生を図ろうとした誤り。
図れるものではない、人生など。
なんで悲観的観測しか出来ないのかw
可能かどうかはともかく、希望だけは持った方が人生明るいのでは。
良い悪いも主観でしかないし。
例えば、この世が虚しくとも、この人生を愛せる何かを見つければ良い。
私は消極的ニヒリズムですが、私は人の絶望が好きなので、自分で絶望して自分で悦に浸れるので結構楽しいです。
裏切る側の痛みは少ないけど、裏切られる側はこれから会う人みんな信じれなくなるから、ニヒリズムに陥りやすとい思う。
それもあるかもしれないですね。まあ裏切られる側も「裏切られたと感じたら」って時点で余計に・・・
キリスト教とかは2000年だったか、経過しているのに、まだ廃れない、まだ飽きられない。
新しいものに取って代わったりしないのかな。
それとも、名前だけ一緒で、中身が変わっていっているのかな。
何にしろ、とても息の長いフィクションで、すごいと思う。魅力も興味も感じないが……
20分長いなって一瞬思ったけど、その価値はありやした。
好きな米津の歌詞にもニヒリストって言葉あったし、またひとつ賢くなれて嬉しいぜい
どの曲ですか?
@@DAKKII.RUclips 多分、TEENAGE RIOTですね。(スペル怪しい)
@@takahiro8602 おけです
ニヒリスト気取ってグルーミー
既視感あると思ったらそうだったのか
神を信じます!という行動も神を信じる自分の心を信じてるってことだからね〜結局自分が一番正しい考えを持ってるし自分の言うことは全部正論なんだよ 他人に依存なんかできないんだよ 他人に依存するということも自分が決めているから
この世はきっと地獄で、産声は断末魔、感動は喪失を生み、暖かさは寒さを教えてくれる。
力は格差を与え、生は平等の絶望を振りまき、命は呪いを紡いでいく。
ハレルヤ!賛歌と笑みは亡者達が希望で塗装した地獄への道・・・
この世は地獄、苦痛を感じるために生まれるという見方はある意味ニヒリズムとは違う、「人生にしっかりとした意味がある」と捉える発想になるのではないか?と私は思います。それが肯定的なものではないだけですし・・・どうなんでしょう?(丸投げ)
そういう考え方ってニヒリズムというより非出生主義ですね。この世は地獄。そもそも生まれてこないことが一番の幸せ。
でもコメ主さんのコメントからは、この世は地獄と自虐しながら産まれた以上は覚悟して受け入れるしかないという強かさも感じます。
そういうの、キライじゃないわっ!
地獄だけではない、お前もぬくもりを覚えているはずだ…
人生には何の意味もないし人間は何の価値もないのだから、何をやっても良いし何を考えても良いと思う。だって大した影響など与えられないのだから、好きな事をやれば良い。影響を与えないと言う事は誰からも観察されていないし誰も接触してこない。他人から認められたいと言う自尊心や他人に勝ちたいと言う競争心闘争本能を捨ててしまえば、ニヒリズムなど意味を成さないのでは無いでしょうか?
TwitterやBlogにどんな情報を載せようがRUclipsにどんな動画を上げようが、どんなコメントをつけようが、世の中はただ流れるだけ。アクセス数がゼロでもバズってもそこに意味はなく時間が過ぎるだけなのですよね。例えば日記や記録、日々の習慣や癖や自分を形作る無駄なものの数々。SNSの課金とかスポーツとか健康とか。全てが無駄でどれを選択しても有意義なものなど無いのだから、好きな無駄を選ぶべきだし、自分の無駄を他人に押しつけるべきじゃない。無駄なんだから。と思ってます。
煩悩を捨てる事もニヒリズムなんですかねえ…解らんw
「神は死んだ」という言葉は革命的ではあるけど革命を起こすにも長年の支配者とか資本家がいなければ革命できないし、1から10まで宗教だった時代より響かないかもしれない…
自分が信じていたものに裏切られる経験ってニヒリズムに陥るだけじゃなく認知的不協和を拗らせて先鋭化するパターンもあるから厄介だよなあ。
そうやって変な行動を起こさないためにもやっぱり過信と鵜呑みはってやつだよね。
ルサンチマン化するやつですねー。信じたい何かを守るために誰かや何かのせいにする・・・そういう人はとっととニヒリズムに陥った方が良い(暴論)
僕キリスト教だけど、まあ場所によって違うだろうけど僕が教えて貰ったのは
「頑張って努力すれば、イエスはその行いを見てるから最後はイエスが成功に導いてくれる。そう信じて生きよう」
ようは実際にイエスが助けてくれる、助けてくれないとゆう事象が大事ではなく、いつかは助けてくれるという希望をもつ。結果がどうなるかなんて分からないんだから、じゃあプラス思考で失敗すると考えるより成功すると信じたほういい、って感じやね。なんかニヒリズムに陥らないようにする感じになってる
今ってなんだかんだみんなニヒリストで5段階の受容のプロセスを人生通してやってるんだろうなあって理解してる
5段階の受容プロセス・・・?
でもみんなニヒリストっていうのは間違ってはないと思います。気づいてない人、気づく必要がないほど幸福だったり忙しかったりする人とかはいると思いますが。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
死の受容へ至る「否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容」のことではないかと。
受容→乗り越え→昇華→応用…
勉強になりました😊
期待はずれがあった時に、ニヒリズムになってしまう💬
これはどうしても逃れられないなぁ💧
だからこそ、ベルセルクのガッツのセリフである『祈るな、手が塞がる』という言葉が刺さるんだよなぁ
ある程度この辺勉強してきた人なんだけど、ちゃんとニーチェの考えを学べばニヒリズムは絶対的な自己肯定なんだけどね。
端っこだけかじって、誤った理解で解説している本が多いけど。
「何をやっても無駄」じゃなくて「何度やっても同じ結果なるのだ」というのがニーチェ哲学の姿勢。
ニヒリズムに陥る、というのは間違いで、むしろ肯定的なもの。前向きなペシミズム、とも言えるし、実際そのように説明してる文献もあったと思う。
今の自己は何度人生をやり直しても今の自己になったのだ、つまり今の自分は間違いじゃない、ということ。
諦めなんだけど、諦めじゃないというか。
そして、ルサンチマン(力の無い弱者の強者に対する嫉妬、恨み)に囚われるのでなく、己を鍛錬して超人たれ、と言ったのがニーチェ哲学。
曲解されがちだけど、ニーチェはひたすら個にとって正しいこと、理想論を主張しているんだよ。それができる人間が何割いるかは別として。
ただ、正しいことを主張するのが哲学だから、理想を主張するのは間違っていない。
それから、ニーチェはキリスト教的な集団主義を否定したのであって、宗教的な神を否定したかったんじゃなく、文化的な神を否定したかったんだよ。
(この辺は昔のヨーロッパのキリスト教的ムラ文化を理解しないと、そもそも日本人は理解しにくい)
でもこれは、日本人的な集団主義、同調圧力に置き換えて考えることもできる。
そういうものを否定し、人の足を引っ張りたい煩悩から脱却し、自分の人生を見つめ直せ、って考えは、今のインターネット社会にこそ刺さる部分はあると思う。
最も解りやすいコメントです。
固定していただきたいくらいw
うぽつ
動画面白かったです
ありがとナス!
縋らないのは人には無理だし、縋りすぎると堕落するし、人間の生存難易度高すぎでは?
それでも生存することはできる・・・そう、日本ならね!
ニーチェの解説かなり面白かった
最近まで人生の意味を見つけようとして足掻き続けていたけど、ついこの間ようやく諦めが付いた気がしています
今の方が正しい意味でのニヒリズム状態だと思いますが、足掻いていた時の方がよっぽどこの世なんてどうでもよく思えていました
そう考えると、真のニヒリズムはどちらなのかなぁなんて
いい意味での諦め、らしいから後者かな。
バカになる or ニヒリズムで死にかける の2択がニヒリズム脱却の手段だと思うな
死にかけたら、悔いのないように生きたいと思うようになるとか、そんな感じのことを言ってるのかな?
@@とつまさ
ニヒリズムで希望をもてなくなると鬱になり、鬱が行き過ぎると過呼吸を引き起こすんですけど、
それが無意識で引き起こされるかつ、心臓を握って止められるぐらい苦しくて、その苦しみから脱却するためにニヒリズムを抜け出そうとしたって言う実体験ですね〜!
@@Nemui_Suiなるほど。ニヒリズムから脱却したいと心から感じるような苦しみを体験するという事でしたか。体験談まで話して下さりありがとうございます。
3択目、ないしそれ以上の選択肢をご教授ください
@@kamhiro9606
3択目を出すとするなら「現実に染まり過ぎない」ってことですかね🤔
よく大人って希望を持とうとしても「年齢が」「金が」「時間が」「世間体が」って現実を語ってあったはずの夢をどんどん自分で潰し、その末路が「俺の人生に希望ってあったのか」ってなってしまいニヒリズムになる
ただこれは日本の頭が良くて尊敬されるイメージがリアリストな人っていうのが根付いてるせいで、
社会で生きるための防衛本能でそうなっている側面もあるんですけどね😢
だから自分が50歳だろうがなんだろうが、心で子供で馬鹿みたいな希望が出てきても、それを「現実見ろよ」って言葉を使って潰さずに、
子供になってその希望とちょっとは向き合ってみる事が大切なのかなと思いますよ〜!
「ドリフターズ」の織田信長は、虚無感の反動で、あれだけアグレッシブに成ったと考えると、面白いですよね。
ニヒリズムというのは確かに現代にも多そう···けどまぁなんだかんだいって、皆結構すぐに復帰とかするんじゃないかなぁとも思った。
自分に長期間そう言う経験がないだけかもしれないけど。
ニヒリズムに陥る事が問題ではなくて、ニヒリズムのまま過ごすのが問題なのではないなかなって思った。
あと細かいところで、弱い人間·強い人間とは何か。とか、動画趣旨とは違うけど宗教その物の存在意義とかも関係する話なのかなと感じた。
いつも考えさせられる動画で本当に面白いっす。
ニヒリズムの規模によりますかねえ。
たかがスポーツや勉強、恋愛の挫折なら知れてますが(失礼w)、事人生の指針が揺らぐと一大事ですから…
私は「頑張る」に裏切られて以降、5〜6年ニヒリズム
現代日本の若い人達はこの思想の人多そう。
どうすればニヒリズムを減らせるだろうかと考えた時に、ニヒリズムは信じてたものに裏切られた時に発現するという定義の元で、裏切ることが無い(少ない)ものを信じれば良いと思いました。そこで思いついたのが「自分」を信じるということです。自分は自らの意思でコントロールが可能ですし、どんな時でも信じることができると思ったからです。
しかし、裏切る確率が極めて低い「自分」を信じすぎると不信感を抱くもの(他人)が増え、それらと対立し、争いが起こり、結果的に自然状態に近い状態になってしまうのでは無いでしょうか。良ければご意見、ご感想お願いしますm(_ _)m
その自分が極めて不安定で頼りないですから、思い込めばいいのですかねえ。自分:他人=7:3 、くらいの信用割合でいいのかも知れません。
要するに信じる者は救われてるんじゃなくて救われているつもりになっているだけということですね。
ある種のプラシーボ薬に依存しているようなものなのでしょうか
そんな感じだと思います。まあ死後の世界や神的なるものが本当にあるのだとすれば話は変わってきますけどね。
どの立場に立つかでプラセボなのか、必要な信仰なのか変わる気がします。
生物学の視点からニーチェの思想は納得できます。
でも、ニヒリズムがあるとゆー事は、進化論的にはそれがある事で生存戦略上有利に働いたからだろう。けど、そこにどんな利点があったのかなー???
追記↓
ニヒリズムに陥ると、“絶対視する何かがある事の危うさ”を強く記憶に留められる。ならばー…(多くの人が絶対視しがちな)常識を疑いたくなるってゆー衝動を起させるシステムの一部だったりするのかな?常識(社会性動物の社会ルール)を疑う個体が群れ内にいれば、常に常識を点検し環境に最適化させる事ができるかもだしー云々(←思いつきの仮説でござる。)
仮にそうならば、ニヒリズムの絶望感もしっかり味わってから立ち直って、忘れずに生きる事が大切なのかなータブンネー
老子や荘子の思想はニヒリズムの到達点な気がしています。そして私はそれが真理に一番近い思想だとも思っています。
よくわかんないけど、みんな最初は自分に自信を持ってたと思うけど、ある時、自分は大したことができないって気づいたから信仰の対象を外に求めるようになったんじゃないかな。それを自分の道は自分で決めろと言うのは、信仰の対象を自分に戻せって意味で、それは結局、また自分に裏切られるだけのような気がする。
万能感ってやつですかね?誰だったか忘れましたが信仰に目覚めることを「性の目覚め」って表現した人がいた気がします。要は生理現象みたいなもんで、誰もが通る道だ、みたいな感じ。万能感の喪失とセットと捉えるとなんか納得できる気がします。
ちなみに裏切られないほど強固に持つからこその超人だったり・・・
自分の能力、というより価値観や判断力を信用すればいいのでは。
某マイナスが大好きなので助かります!!!
御母堂様のご冥福をお祈りいたします。
たとえこの世界が虚無に満ちていて人生に意味がなかったとしても生まれた以上は生きていくしかない。だったら腹括って受け入れてやる。ビールが美味い。推しが尊い。生きる理由なんかそれだけで十分だ。
自分はニーチェの哲学をそんな風に勝手に解釈しています。超人になれない凡人としては、ね。
ありがとうございます。
私もそんな感じです。ビールと日本酒がうまい。友人とのバカ騒ぎが楽しい。動画投稿楽しい。仮に今みたいなことができなくなったとしても、それ以外に楽しみにを見つけつつ人生を有意義に浪費していきたいと思っています。
「超人を目指しなさい、でわかりましたという人はいない」
昔の自分は、けっこう同意したかもしれない。超人というか、人間的な性質を捨てる、ということは必要だと考えていた。で……、自分には無理だった。
無理だったが、まだ完全には諦めていない。あくまで自力では無理だが・・・という段階だから。
目指すだけはやってみても良いんですが、
そこに到達しないからと言って、責め始めたら全てが狂うんです。
「神様ってシステム、ぜんぜん絶対とちゃうやんけ!」で始まったはずのニヒリズムが、どこからか「完璧超人崇拝」という宗教に変わったような物です。
本来ならキリスト教も、教会に皆が従って考えるのを放棄するような教えじゃ無く、如何にして隣人を愛するかを知恵比べして競う様な宗教だったはずなんですけどね。
最初にキリストさんがアガペーに溢れていて、周りの人もアガペーで溢れ始めたから、このまま連鎖反応させれば世界が幸せになるんじゃね?と、期待していたはずなのに・・・
戦争とか、飢饉とか、どうしようもない社会の危機によって一部が崩されて、
「もっと完璧にアガペーで満たさねば」なんて考えてしまったがばっかりに、
異教徒排除や魔女狩りにまで発展し、十字軍や免罪符乱発、清教徒革命、
その先に決して血みどろ無しでは語れないフランス革命や、ナポレオンの専横、
果てに、そういった宗教観を極端に否定した社会主義や国家社会主義までが発生する遠因になってるんですよね。
だからって、現代人はそういう負の歴史からも多くを学んでいるので、
一概に全部を否定するもんじゃありませんけどね。
超人…世捨人、野人のイメージw
よい例えなら、ここぞで捨て身になれたりゾーンに入れる人。