In September,1940, the Zero first took part in the Chungking Bombing. 27 Chinese figthers were shot down without any loss of the Zero. Since then the wartime capital, Chungking, became defendless until a few years later there were P40 in the sky over China.
真実も虚像も総て語り尽くされた感のあるゼロ戦だが、この黒いカウリングと緑の機体を見ると、何時でも今でも心が踊ります、ゼロ戦は日本の航空機技術を世界に知らしめ私達に誇りを残してくれた特別な航空機でありヒーローの様な存在でした。
開戦時に、あれだけゼロ戦を、準備できたし、その年前半には、陸軍と海軍の、空中模擬空戦の大会が、あり、何度も設定を変えても、隼を、ゼロが圧倒していたらしく、20mm機関砲や、エキストラタンク採用による?航続力は、他国さえも、圧倒していたでしょう❣️
紫電改かゼロ戦なら紫電改だけどどっちもカッコいーよね
極限まで突き詰めた設計は本当に美しい
確かに弱点や短所もあるし、色々な意見はあるとは思いますが、日本が誇る傑作機であったと思います。
日本人として零戦は好きだし、誇りに思います。
日本の零はバランス取れていて見た目はすんなり受け入れれるバランスの取れた機体ですな。
海外で言えばドイツ軍機は武骨で、あまりかっこいいとは思えないけど、イギリス軍のスピットファイアも美しいきれいな機体だと思う。
むたさきさん おれはLuftwaffeの機体もいいと思うけどな!スピットファイアもいいと思うけどわざわざドイツ軍機体をディスる意味がわからん
ごめん、bf-109大好きや
日の丸が本当に似合う世界最強の戦闘機だったようで、素晴らしい技術力が有った証拠でもあり誇らしくも有ります!
開戦当時は最強だったけれど、後半は対応策がしっかりしてきて分が悪くなった。だがそのフォルムの美しさは現在知られている第二次大戦当時のどの戦闘機も敵わない。
米国でもファンがいるほどゼロ戦の美しさは群を抜いて飛行機マニアの心をつかんでいる。
スピットファイアの洗練されたボデーをお忘れなく。
技術の進歩は開発してから結果を得るもの。
しかし、零戦は開発する前に進歩を設定され、技術のみでたどり着いた。
零戦は日本の技術力の魁であり、誇りであることに間違いない。
航空機として本当に美しい。
零戦より美しい飛行機は無いと思う。
世界で一番美しい飛行機、零式艦上戦闘機。この日本を支え、日本を象徴した素晴らしい戦闘機は、未来永劫語り継がれる名機であろう。
各国が「鎖帷子を着てナイフで突っ突きあう」空戦に
現れた「ふんどし一丁で日本刀を振り回す」戦闘機と言った具合か
それくらい身軽で、桁違いの攻撃力
サラシとドスで殴り込む健さんと文太さん、スーツを華麗に着こなしてマシンガンを構えるアメリカ。そういう構図でしたね。
武装だけでいえば日本刀以上だけどね
Ki 63 hilen was also a masterpiece
ゼロ戦は中高度以下で一対一の巴戦をやるなら世界最強。
相手がそれに乗ってこず、集団でダイブ攻撃をやるようだと手も足も出なくなる。
複葉機の時代は旋回性で勝負したが、単葉機になってからは高高度性能と急降下スピードで
勝負するように戦闘形態が変わった。
この手の動画ってコメ欄読んでいるだけで十分に知識を得られる
零戦とはまさに機能美の極み!性能を追求した極めつけの結果あの美しいフォルムがある。例えるなら日本刀!カタナは武器であるにも関わらず見るものに感動すら与えてしまう美しさがある。零戦もまさにそれだ。
被弾されてすぐに爆発。防御能力は低能であったけどね、ゼロ戦
危険な迄に、優れた性能❣️機能美に溢れた、流麗な戦闘機でした❣️
強くて美しい最強戦闘機..末路も美しく悲劇的
優秀なパイロットと優秀な飛行機がバカな司令官の作戦失敗で無にきしてしまった
本当にそこにつきる。
@@siokosyou2006 批判していいのは当時の人間だけ現代人なんて結果論で語ってるだけ恥ずかしいよ
99%の人間は当時の司令官の足元に及ばんぐらい無能やで。
言うだけならアホでもできる。
違うよ当時は若者の志願によりこうなったからちゃんと勉強して言おうね、、
@@十二試艦戦 あ、君ではないからね
当時の最先端技術の機体に中国との戦争で十分に練度を上げた搭乗員が乗り組むという組み合わせでなし得た奇跡。陸軍の戦闘機も活躍していたが、太平洋を縦横無尽に飛び回ったという印象は零戦しかない。
防弾装備ガーという批判もあるが、堀越二郎氏が自身の著作の中で海軍の要求項目に防弾装備に関するものがなかったので盛り込まなかったと記している。さらには艦上戦闘機は艦隊防空用なので、開発当時は艦隊のそばに不時着して救助してもらえばよいと思っていたとのこと。また、製作工数が多く、生産に時間がかかったのも、空母の搭載機数と予備機数を揃えれば大丈夫だと思った。まさか陸上基地での作戦にまで投入され、あんな大量に生産することになるとは思わなかったと記している。
ただただ…美しい。極限まで額面性能に近づけんと開発に携わった方たちの信念の結晶(*`・ω・)ゞ零式艦上戦闘機‼️諦めるな。極めろと。訴えかける零戦。
今は穏やかに魅力的であれ(*`・ω・)ゞ
一番驚いたのは米軍が超超ジュラルミンESDを使ったのが戦後だった事。堀越はESDをスパーに使った先見性に驚く。
こんなに美しい飛行機は、多分2度作れない。
結構日本人は戦後でもとびぬけたスタイルの美しいもの作るよ。
例えばCB750の力強さ、Z750RSの流れるスタイル、ヤマハXS650の美しさ。
むたさきさん 「飛行機」って言ってるやん
OMANGE MANGE
そう思うだろ?
むたさきさん ふぁ!?
F14トムキャットこそ最高の飛行機
零戦は日本の誇り!
翼の長い21型が美しい。
やっぱり職人が乗ってめちゃくちゃ強い機体より、誰が乗ってもそこそこ強い機体の方が強かったのかな。
真珠湾の奇襲大成功でも島を占領せずに急いで逃げ帰るような愚かな行動にその後の敗戦が観える。
後期に出てきた”疾風”(はやて)はいい戦闘機だよ。あれなら十分戦える。
2000馬力あるから、やっぱエンジンだね。
その昔日本海軍はメッサーシュミットを日本に持っていき比較をし、当時性能は良かったけど運動性能がうんkと言うことがわかり、却下した経緯があるからなぁ。
後のグラマンやら高性能の高火力の戦闘機でも巴戦ではエンジンの高出力なんて宝の持ち腐れ。
欧州戦線のように一撃離脱法ならエンジンにものを言わせれるけど。
車でも言えるでしょドリフトで言えば今では非力なパワーなのにAE86が好まれるのは重量バランスと運動性能。
ものすげー馬力をまとったドリ車でもコーナーではいかに性能を出し切るかが焦点。
@@hamasaru
後から絶対火力と大馬力の時代になりましたね
せめてイギリスのように飛燕を本来の液冷版に加えて空冷(金星エンジン)版のものも試作しておくべきだったね。
そうすれば1943年中頃までに5式戦闘機が大量生産されて米軍の本格反抗がマリアナ諸島に迫る前に大量配備でき、疾風のエンジントラブルに追われている間にF6Fあたりに十分対抗できただろうに・・・
零戦パイロット達の当時の写真を拝見してつくづく思うことだが
利発にして凛々しい顔つきに惚れ惚れします 死を覚悟し腹が決まった
男達は晴々しく堂々とした雄姿に成るのですね 武士道ここにありと眼が語っておられる
軽さとパワーの両立
実際に戦ってたんだもんなぁ…
モノクロで見ると現実味ないけど、カラーで見るとやっぱり空を飛んでたんだってなる。
ゼロ戦って簡単に言えば50ccの原付スクーターにレース用の多気筒250ccエンジン積んだようなものだからな。
零戦と大和は日本人の魂なんだよ〜。
山本と永野、米内、近衛
そして 国際金融、共産は
日本ヲぶっ壊した
東條さんや山下さんに
申し訳ないな
あぁ、カッコイイ…
この頃に生まれてたら絶対に零戦パイロットになってる
頑張るんだ!
当時、これだけの機体を、国産化した国が、何カ国あった?
アジアでは日本だけだ。
少なくとも名機であった事は間違いない。
三菱重工ってすげえな 日本の誇り
出た当初はゆるぎない世界最強、だが、変な思想や変な教育、特亜三国工作員はどーしても認めたくない事例。
違う動画で零は役に立たない兵器だとイキった軍オタいたな。
@@iprwafcwkge9899 最悪だな。
そのあと紫電改か疾風という名機を3500機作ったのもすごいことである、終戦の4日前にジェット機が試作飛行したらしい、
中島社も誇りだな
A beautiful aircraft -- I love the Zero!
Nice Maschine best or 1942.
こんなに美しい戦闘機は世界のどこにもないよね。。。
hira1999100 他国の戦闘機もカッコイイですが、フィルターがかかっているのか零が1番かっこよく思えてします
よあ やっぱ日本人だとそう思いたいよね
中国空軍の「今日はこれぐらいにしといてやる」作戦を逆手に取った進藤隊。
零戦は8月から何度か出撃しているが、中国空軍の戦闘機は恐れて退避するばかりで空戦にならなかった。
爆撃が終わり日本機が引き上げると、中国空軍戦闘機が重慶上空を飛び回った。
「どうだ日本軍を追い払ってやったアル!」とのデモンストレーション。
散々爆撃されたのに「今日はこれぐらいにしといてやる」と言う吉本興業のギャグを思い出す(笑)
そこで進藤隊は爆撃終了後帰還したと見せかけて「デモンストレーション中」の中国空軍機をボコボコにしたと言うお話。
零戦の長大な航続距離あっての作戦だった。
零戦の伝説は熟練の搭乗員たちに負うところが大きいと思います。
デイアゴステー二の零戦全巻揃ってあるが なかなか手がつけられずいいたが いよいよ製作にかかることにしますか?👍
ゼロ戦!素晴らしいエピソードも、持ち、日本🇯🇵が誇る、世界屈指の戦闘機ですね〜❣️パイロット👩✈️は、皆さん 大空のサムライですね❣️
艦上である事が色々な制約の基本として考えなければならない事である事。短い甲板の上で離着陸をする事。その上での空中戦闘の向上。軽くする事は航続飛行距離に繋がり、それは戦闘機だけでなく爆撃機にも必要な要素。しかし、軽くする事イコール強度不足では空中戦は疎か爆撃にも支障をきたす。それ等を考え抜いて形にする事。日常に使われている物が戦争を気に開発されていたり、我々が知らない所にも戦争の技術が活かされている事実。とても感慨深いです。
ゼロ戦って今作ったら、一機いくらで製造出来るのかな?
そんなにかからないと思います。当時より品質や精度の高い材料や部品があるので。
当時の設計図があっても完璧な復元は難しいでしょうけど、当時以上の品質にはなると思います。
復元しているのが米国、カナダやロシアというのが何とも皮肉です。
一番卑下しているのが当の日本人というのが寂しいですね。出鱈目コメントも沢山あるし。
@@JPN850R
日本の教育が悪いからね!
戦争は日本国が日本が悪いと馬鹿げた教育をする!
自国が自国を悪いと教育する国は日本くらいでしょ!
マジクソ国家
まぁ心身ともども余裕もあるだろうしさらにいい戦闘機できそう 今の自衛隊の奴とかは零戦より強いんじゃない?
私が子供の頃一級上の戸田地にのお父さんが、海軍甲種合格だったけか? 多く死んだ航空兵の中で唯一現役の零銭乗りで、終戦を迎えて復員したというつわもの、
本物の零銭乗り・・・・だからものすごい、武勇伝や面白い逸話を楽しみにしただろう・・・・。
私もだが、実際、戦後家族も小塩も建ちも。苦しんで、、友のお父さんは、人前で現役時内の話をしなくなった。
唯一、本物の、防空戦闘帽とあの風防メガネの唯一の貴重な物だけで、その面影を知るしかなかったが、、黙して語らなかった、基地に戻らなかった零戦乗りは家に帰りつくまで、英霊として祭られていたと聞いた。
だが一切語らないから、その妻の母親の証言しか知らない。
…いや返ってきたら、飲んだくれては、暴れて、喧嘩しては、血だるまになって帰ってきたって・・・・
子どっもにしてみたらせんごのかちいくさなんてどうでもいい・・・・あの零戦に乗って、荻さんと一戦交えた武勇伝が、ききたかった。
一万も作られたとか、其れじゃあ其の一万の零戦には一人の零銭乗りはいたはずだ・・・・・一万も。
当時は、近くには、米子の航空隊と、日本平の防空基地がある。そして、その米子基地は、あの橘花という、ジェット戦闘機の試作実験場で、あの弓ヶ浜の当時、十分な滑走施設があり、ベニヤ板を一部使ったジェット戦闘機橘花とボテーとした、菊花が試験飛行していたが菊花は、いつも、エンジンだけが燃えて先に疾走してロケット噴射の容易だったと、近所のおじさんは、米子基地の警備隊員で「ああまたきょうもしっぱいしたか」とみていたそうですが、…ベニヤ板っては麻生は、本物を見て言えることだなあと思った。
やがて、大陸からグラマンが飛んできて、一発後方に、高射砲の爆裂弾が当たったグラマンから搭乗員がパラシュートで降りてきたが、回虫に落ちて浮かんだのを、回収したら、すでに、死んでいた(自殺なのか、被弾したのか?不明)
初めて女性パ色pとの死骸を水脈たといっていた。大きな図体の、いかつい顔wwww・・・まあそういってたから
。不遜であるが、・・アそこの陰毛も金髪だったって、・・・余計なことをいとった紆余。
丁重に、埋葬し、死亡時刻発見地点やそういった記録を残すから戦後遺体は、丁寧にGHQi返還したと、いうが、こんなこと日本だけだよね。
そのアメリアか軍の女性兵士の遺族が、後に、訪れたという話も聞いている。
陸海軍がもうちょっと協調性があれば・・・って思うことがあるなあ
上海事変では見事な共同作戦だった。
天皇制国家ではそれは無理でしょうなぁ。縦割り組織だからね
零戦を陸が採用すれば隼は必要なかったし、雷電も鍾馗を採用すれば必要ありませんでしたね。
でも隼はpはないと疾風が生まれて来たかは分から無くなってくる。
本当。協調性あればね。自分の軍が手柄あげることばかり考えてたみたいだもんね。陸軍が成果出してたのに。
協調性あったとしても、石油が結局ないからインドネシアを占領できなければ、長く続けても負けてただろうけど。
世界初の空母が日本でビックリ
ちょんまげスゲェ
他の艦船からの改造ではない空母はね。
改造しての空母は英国が最初で世界初。
@@kero997s さん
空母(新艦)は日本が最初だったのですね?全く知りませんでした。
他のチャンネルのコメントにありましたが、科学技術は軍事でしか発展してないのが残念です。予算案が出せない宿命なんでしょうけど、軍備がないと外交ができないのは本当に悲しいことです。その予算で助かる命がどれだけあるか。
@@kero997s やっぱり二番目戦略は日本なんだなぁ
個人很喜歡二戰時期戰鬥機,感覺那才是屬於男人的浪漫,零戰在那個時代同樣屬於力與美的存在
東亜友好、軍事愛好者万歳
世界一というトロフィーを永久に保持できるものなどありません。零戦はある一時期において世界最強だったので、それに嘘はないでしょう。P51は平均的性能で第二次大戦での最優秀機ですが、朝鮮戦争ではミグ15にかないませんでした。だからと言ってP51を貶めるのはおかしいんでしょう。零戦は名機です。
その「ある一時期において世界最強」も正直怪しいものな気もしますが…
しいて言うならば「ある一時期の一部地域において最強」でしょうか。当時の太平洋方面や中国戦線では日本軍の快進撃が続いていましたが、これはF2Aなどの旧式機や日中戦争を経験した練度の高いパイロットなどが要因で、零戦に限らず一式戦や日本機全般に言えることです。
実際にこれらの旧式機より高性能なF4F(なぜか日本では零戦より格下の戦闘機扱いされてますが)とのミッドウェイでのキルレシオは3:4と負け越しています
正直アジア・太平洋方面の初期に連戦連勝だっただけで世界最強を自称するのは井の中の蛙状態な気がするのですが…
U.S.A.「呼んだ?」
零戦が一番だったのですね。強かったのですね。
はっきり言ってしまうと、残念ですが一番でないですね。
ゼロ戦は、当時世界最高の名機ですね。
アリューシャン列島で不時着した一機を捕獲されて研究されなければ、F6Fも出てこなかったかもしれません。
あの一機さえなければ・・・と言っても始まらないし、操縦士も必死だったでしょうから。
米国は防弾で増加した重量をエンジンパワーで補った。日本は軽量高燃費を最後まで貫いた。
今の自動車業界にも通ずるものです。
兵隊さんありがとうございます🙏
実際、大戦の後期までドッグファイトでゼロに勝てる戦闘機はいなかったと言われるほどの単機ではとんでもないスペックを誇ってた。
大戦後は日本の本国よりもアメリカで大切に保存されて未だに飛べる機体が数機存在し、整備されているのがゼロの設計の歴史的価値を証明している。
そもそもドッグファイトを思考する戦闘機がいないからであって当たり前
そしてスピットの方が勝つでしょうね正直ドッグファイトは
@@ASMR-kt3wo え?スピットと零戦対戦したことあるよ零戦勝ったよドッグファイトで何言ってんの?
何の魂がわたしの心を悔やませるのか分からないがこのような画像を観るたびに何故か泣いてしまう 何の思い入れがあるわけでもなし まして世代でもなきゃその時代を全く ヒストリーとしてしか知らないのに 何故だろう 悲しくて 悲しくて思いが溢れてくる なんなんっだ~!
堀越二郎は世界中で最も優れた戦闘機設計者だ‼️
もちろん零戦は凄いが、乗っていた日本人パイロットがもっと凄い!
確かに。生きて帰れない可能性が高かったのに、文句も言わずに(っていうか言ってはいましたが)戦った。エース級でも終戦まで生き残れたのは戦傷で本土に戻っていたりしたごく一部。あとはみんな亡くなってしまいました。
(*^ー゚)b グッジョブ!!
元セロ戦エース原田要氏曰く『この機に乗ってたら負ける気がしなかった、どこでも勝ってた。』
また実戦よりか訓練の方が厳しかったと仰っておられました。
艦隊も優秀だった。他国じゃ考えられない命中精度を誇っていた。
海空一体なら米国にも負けはしなかった。(開戦時)
それを「航空主兵論」でもってベテランパイロットを悉く浪費してしまったのが山本五十六。
重慶爆撃で、無慈悲な無差別殺戮を繰り返しておりましたからなぁ。真珠湾攻撃もお手の物。その後、戦争末期には、アメリカのb-29にやり返されることになる。果ては原爆ですな
ものすごくかっこいい。だけど戦争は起こってほしくない
零戦のことをあれこれ生半可な知識(特に性能面)で語るひと沢山おるけど
大学や大学院で航空宇宙工学、航空設計を学んだ人なら当時の日本の技術、工業力からするとかなり優秀な機体てあると容易にわかる。
生半可な知識で語るなというのはおかしいが少し勉強してから零戦を見ると見方が変わると思う
おのずとコメントの仕方が変わると思われる
ゼロ戦はあくまでも護衛機だからね。
99艦爆、97艦攻、零式艦戦、航空母艦、酸素魚雷の組み合わせによって
世界最強を誇った。
酸素魚雷は日本のみが実用化していた。
連合国は酸素魚雷をロングランスと呼んで恐れていた。
日本の機動部隊は世界最強であったが、替えが効かない少数精鋭。
アメリカは最初こそ劣勢だったが、次第に工業力にものを言わせ
最終的には3交代制をとり、航空母艦も月に1隻のペースで生産した。
しかもレーダーやVT信管、輪形陣をとり、ミッドウェー海戦で
多くのベテランパイロットを失った日本に、次第に機動部隊に
近づくことさえできなくなった。
山本五十六が半年や1年と言ったのは、駐在武官としてアメリカに
赴任したのでわかっていた事。
たとえハワイを占領したとしても、アメリカ大陸に陸軍をどうやって輸送するのか?
アメリカ大陸を占領する?ありえない。
そこまで考えれば、短期決戦で早期講和しか日本に選択肢はない。
アメリカを早期に叩き、アメリカ国内の厭戦ムードを煽り早期講和。
しかし、真珠湾攻撃は厭戦どころか、アメリカの闘争心に火をつけてしまった。
当初、予定していた通り艦隊決戦で完全勝利し、アメリカの厭戦を煽って
早期講和する方法しか考えられないが、ではどこの国に仲介を頼むのか?
アメリカは講和に乗るのか?、仲介はソビエト?
どれも可能性が低すぎるね。
結局、勝てない戦争はやらない、それしかないでしょう。
+ikeda2013 しかも、最初の劣勢の理由が、植民地駐屯軍で、ろくな装備も兵員も少ないって理由で、凄くがっかりしました。あと、F4Fの頑丈さと技術の高さですね。また、生産力と工業力と技術力は、実際にはどれも技術が必要なので、結局、技術の差になってますし、いいかげん、技術があったなんて夢は壊れてほしいものです。ゼロ戦自体が、装甲無さ過ぎて使えないって結論が出てますし。
+ikeda2013
僕は勉強中なのでレベルの低い論争かも知れないけど、2ちゃん・まとめサイト等で日本が当時アメリカに勝てると踏んでいたなどの意見を見掛けますが、山本五十六の「半年や1年は暴れてみせる」からの後は勝ち目なしの惨敗になるってのが軍上層部の見通しですよね。当時の日本軍は多くの戦略ミスを犯しているとは思いますが、その半年や1年の間に講和に持ち込み停戦したいという負け戦必死の戦略であっても、勝てるとか情勢を完全に読み違えるようなレベルの分析力ではなかったと思うのですがどうでしょう?
もしそんなレベルなら見損なうというか、今後戦争に巻き込まれるかも知れない中で、日本人の立てる戦略や、その基になる情勢分析などに不信を抱かざるを得ない恐ろしい事態だと思います
長すぎて読む気にならんから上の方ちらっと読んだだけですが、
とりあえずヒコーキから酸素魚雷は撃てませんし、酸素魚雷が恐れられていたなんてことは間違いなくありません。笑
酸素魚雷は航空魚雷としては使われてはいませんよ
一つだけ書いておこう
一部を間違えたからと言って全部が間違ってるわけじゃない。
ちなみに酸素魚雷自慢してたけど、それを一笑にふしたのがドイツです。
もう、音響追尾魚雷とか作ってたという・・・
彼らが命を懸けて、国を守ってくれたから今がある。
うわぁ、この映像、すごい・日本の技術者は、最高なんだねー・物作りは、ずば抜けてるからね、技術者は次につながる、一歩ですかね
ゼロ戦ではない
零戦なのだ
究極にまで高められた戦闘、航続力。日本の企業の工業技術の結晶の粋。当時から輸入大国だったのだから『在る物で最高の物作り』が成されたわけだ。
零戦が強かったというより当時のパイロットが化け物揃いだったんだよなあ
低い高高度性能(まあ高高度戦闘は元々想定されてないから仕方なし)、小便弾の20mm、低いロール性能、紙装甲、急降下性能の低さ、高速度域でガタ落ちする運動性能、拡張性の無い機体、遅い巡航速度
こんな機体が最強とか笑っちゃうぜ!!
たどちゃん アメリカの防弾設備に対抗するために20mmにしたらしい
いやいや昭和15年制式当時の日本の戦闘機の中では間違いなく最強だったと思う。96艦戦より強力な武装。97戦にも勝てたと思う。
ゼロ戦の活躍は戦争初期だけ。アメリカは不時着したゼロ戦を徹底的に調べ、弱点を洗い出した。もともと日本軍とアメリカ軍では戦争に対する考えが全く異なっていた。アメリカが戦闘機のパイロット席、燃料タンクの防御に努めたため被弾してもほとんど無傷だったのに対し、日本は防御より軽量化・旋回性能にこだわり、戦闘機とりわけパイロットの防弾は全く考えず優秀なパイロットを大量に失った。機体は被弾すればすぐ燃え上がった。終盤にはジュラルミンもなくなり機体後部を木材と紙で間に合わせたポンコツ機も戦場に投入した。もはやアメリカ機の敵ではなかった。さらに戦争末期には特攻でパイロットを弾のごとく消耗した。これで勝負はついた。因みにパイロット1名の育成には2年の歳月と1億円の経費が必要だといわれる。合理的な思考とバカな精神主義の差。勝つ見込みのない戦争を兵士と国民の死をもって進めた日本軍。正にこの戦争は「バカな大将、敵より恐い」の見本だ。
「ゼロ戦」は🇯🇵🗾🎌の誇りだ❗(^.^)
ありがとう Zero ! 永遠に栄光あれ!
zeroって言うアングロサクソン語が薄っぺらく聴こえるな…
@@skt-h4n それな
零戦ナ?
零戦は安全設備を無視した戦闘機です。
疾風やゼロ戦のデザインでプロペラを外しステルス性能を備えジェットエンジンで改良して欲しい!東京タワーがスカイツリーに変身したみたいに・・・世界最長の後続飛行だったこと軍事小説や漫画作家のページ隅の縦書き参照資料で知った
パソコンとか、なるべく世代の新しい大パワーのPCを使いたいよね。
今からMacのColor Classicとか使いたくない。
美しいし、当時としては傑作機だったけどね。
もし自分が戦場で乗るなら、零戦でも疾風でもなく、ヘルキャットやコルセア、マスタングに乗りたい。
そして巴戦には付き合わずに、サッチウィーブを徹底して生き残りたい。
軍の司令官なら、大量の零戦や疾風じゃなくて、大量のヘルキャットを調達してほしいかな。
でもゲームなら・・・零戦に乗って巴戦で米軍機をたくさん落としたい!
美しさコンテストをしたら、零戦が圧勝だね。
馬力の制約や極限まで攻撃に特化したがゆえの機能美の極致。
最後のシーンはご苦労様ですね。
大尉を『だいい』とよむ、次元大介…最高!(笑)
いつまでも、ルパンの『残された理性とオリジナリティ』であってください!
零戦は、あらゆる意味で『エポックメイキング』であった。
これは、揺るがない。
零戦の『運用』に関していえば、例えるなら、日本シリーズで、初戦完投勝利した投手に『…まだいけそう…だね?行けるね?行けるよ!』て、7戦投げさせるようなもの。
『いや…渾身の変化球、ヒットされたし、ワンアウト満塁も何回かあった。今日なんかバスターがスリーベースになったし…命懸けで優勝したいです!毎日プルペン入ります!でも、次の投手、考えて下さい!他が育つ事はチームの強化、来年に繋がるんです!今年の優勝も、来年への手応えも、両方大事なんです!』
…ん!こんなん、沈頭鋲が嘆いてますけど♪
戦闘機としては途中から落ち目ではあったが
「飛行機」としては終始「傑作」であった事実は変わらない
世界最高の伝説をF3に期待したい。
だるまだるま 楽しみですね
モノコック技術。まさに今の日本
80年前に作られたとは思えない。極上のクオリティー、まさにオーバーテクノロジーだな。
「時代の先を行きすぎた」という意味では、over-engineered (英語)です。蘊蓄ですが。
素晴らしい飛行機❣
一航戦の戦いを一度でいいから生で見たかった
ハワイの真珠湾航空博物館で本物の零戦見てきたわ
思ってるより小さかったのと色が緑じゃなかった
初期の零戦は白色の塗装だったんです
21型では?
芸術的な美しさ。
零戦は最高の戦闘機、パイロットも有能。
でも、作戦海域が広すぎて疲労😂優秀さが仇となった。
一番かっこいい、まじで。
あと日の丸は白縁がない方がいい
終戦の1年ほど前、小学2年生の頃、甲子園で日本軍の兵器の展示会があり、兄に連れられて観に行きました。
呑龍と謂れた爆撃機が大きかった事、フロートを付けた水上機など、飛燕と言われた機首が尖った戦闘機が
恰好良かった。それでもジュラルミン外板は2ミリ程度の薄さでこれで大丈夫なのかなあと子供心ながら心配
だった。
終戦の一年前ってまだ戦時中やん、うちのお婆さん昭和2年生まれの去年92歳で亡くなったが、愛知県の軍需工場で奉公で零の尾翼部作ってたけど、暗号呼称でX系で読んでたぞ。
ウソを言うなウソを。すーぐにウソをついてるのか、記憶があいまいなのか知らんけど。
大体、零がジュラルミン合板で作ってたことは戦後にGHQが公表したことで、軍事機密のましてや戦時中の最新鋭の機体を展示するとかウソを言うなw
例えの現代で言えばアメリカ軍の最新鋭戦闘機F22ラプターが兵器の展示会で展示してるかよwwww
こーゆー平気でウソつく奴ってなん何?
昭和15年中国戦線で零戦がソ連製のイ17戦闘機、27機を零戦12機で相手の戦闘機イ17を24機を撃墜3機が逃走した。零戦に被害無く全機が生還したと当時の新聞で大きく報道されたと言うことです。
Zero.japan.toro.toro.japan.in.its.on.class.24.17.me.wish.japan
涙が出てきた
新兵器(零戦)が配備されることをどうして中国が察知してるんだい ← 気になったところ
スパイやで
中国に、航空支援で、派遣された、アメリカ🇺🇸のシェンノート少佐が、日中戦で、重慶爆撃の際、日本🇯🇵に、低翼単葉の引き込み足の、新鋭戦闘機現る❗️を、本国に、報告しています。でも、アメリカは、何かの間違いとして無視していました。
零をペラを外してジェットエンジンにしてみたくなる
今のステルスラプターと勝負したくなる・・!
Kuwagata Herakuresu 飛ぶ前に事故りますね〜
私はゼロのエンジンを星型レシプロからターボプロップに換装して、主翼をCFRP製に替えてみたくなります。エンジンと主翼がより軽くなった分を利用して操縦系統を操縦索からフライバイワイヤに換えられそうですよね。
Kuwagata Herakuresu 羽すぐ折れそう
カーボンにしたくない?
機能美の結晶みたいな芸術品
靖国神社の遊就館のロビーにある復元された52型には圧倒されます。本当に芸術品。
意外と大きいんだな、というのが自分の抱いた印象でした。
フォルムが美しく格好よく高性能な零戦。戦時中によくここまでのものが作れたなと、感心するばかりだ。幼い頃にテレビアニメで“0戦はやと”を観て初めて零戦が格好いいと思った。それほど素晴らしい戦闘機だった。それがアメリカに一機だけで日本に無いというのが残念!
零戦が活躍出来たのも優秀なパイロットが多くいたから
美しい
最初っから金星型で設計していれば速度も出たはずなのに
黒亀 大型化を嫌っていたからです...
柴田少佐は、源田少佐の旋回格闘性能に、対して、高速と航続距離を主張していたが、必然的に、大きな機体も、馬力アップ待ちで、発展性が、有って良かったかも❣️次の雷電も、楽に開発したかもね〜❗️
kohada_kobou さま
おっしゃる通りだと思います。
陸軍の、隼の後の、鍾馗に、当たりますね!雷電の設計主務は、ゼロ戦の堀越二郎さんです。大口径の三菱製を採用した結果、エンジンの機首絞り込みに、長いシャフトを採用したのが、命取りに!振動との闘いで、丸1年の遅れに❗️戦機を逃してしまいました。私は航空機は、中島の方が、上だと思います!三菱は、爆撃機は、名機を出しましたが、戦闘機は、ダメだと思います🙅♂️。戦争の勝負は、海軍力→制海権→空母打撃群→戦闘機→制空権 です‼️三菱で始まり三菱で、負けた、太平洋戦争でした!今のMRJも、同じく、開発力が、イマイチですね〜❣️ゼロ戦の栄光に、あぐらの描き過ぎがかと⁉️
570キロ
この時代の技術の開発速度って凄いよなぁ。戦時序盤は「ゼロを見たら逃げてよし」がアメリカで常識だったのに後半はただの的だったってんだから。
逃げてよしは別に怯えているわけではないんだぜ
@@とむ-n4k 怯えてはないけど逃げるって何だ
21型と生まれた年が・・同じこんな年に生まれたとは・・!
100歳
零戦が世界一かどうかは自信ないけど大和、武蔵はまじでハッキリ言える。
第一次世界大戦で大艦巨砲主義を世界に知らしめ、第二次世界大戦で航空攻撃の有効性をしらしめ、戦略の最先端を行ってたのに何故かまだ大艦巨砲主義を貫こうとしてたんだよな
いや、自ら戦略改革を起こしたのに残念
飛燕とかP-51のがフォルムは好きなんだよな…
鳥養鶴雄氏の口述には字幕が必要ですね
(防御力)零戦
当時の世界の技術レベルの中で後進国の日本が世界一の戦闘機を開発できたことは、やはり誇るべき偉業だったと思います。精緻な格闘戦闘機のゼロ戦と、力まかせの一撃離脱のヘルキャット。それを可能にした高出力エンジン。それが国力の差だったのでしょうが・・・ゼロ戦はやはり偉大だと思います。
戦前、源田実少佐が当時の柴田武雄中佐と軽戦闘機か重戦闘機かで論陣をはり、
その時は源田実少佐の意見が通りゼロ戦が開発される端緒となったが、
その頃の日本の技術力では高出力エンジンが生産できない裏事情があった、
しかし、時代の趨勢は確実に重戦闘機が主流になりつつあった。
そればかりか、生産された航空機の輸送方法もお粗末であった、
飛行機制作会社と飛行場の距離は100㎞位あり、鉄道があるわけでも、今日のような輸送用のトラックがあるわけでもない、
完成した航空機を一旦分解して、牛車に乗せて飛行場まで4日間位かけて運び、飛行場で再び組み立て、
航空基地に供給するという前時代的な輸送で戦争を行っていた、
それも終戦近くなると飼料不足で牛の頭数も減り、飛行機会社の社員は牛を確保するため駆けずり回ったが、
これが、物価統制令違反で検挙されるという、笑えない話まであった。
人種差別主義者の白人どもをアジアから追い出したウチらのじいちゃんは凄い!零戦超カッコいい!
まったく同感!! あの当時の日本の精神を取り戻さなくては。似非日本人による日本支配を終わらせる必要があると思いますね。
今の日本は日本人に成り済ました在日韓国人、中国人に支配されつつある。戦争中の日本人の精神を取り戻し日本人の為の日本を取り戻すべきだ。
人種差別ってあなたのそのコメントも差別的発言なりますよ?
アメリカに石油を止められた為、外国を攻めた。
この戦争でインドネシアは独立できたが、この戦争は資源が欲しくて攻めただけ・
日本の戦争に対して批判のみを繰り返す人達は欧米人達によって植民地にされ理不尽な扱いを受け、資源と誇りを奪われたアジアの国々の歴史を少しは勉強された方が良いでしょう、多くの日本人兵士はアジアの解放と祖国の栄光を信じ戦争に身を投じ戦場に散って行ったのです、戦後日本の戦争に依って多くのアジアの国々は独立を果たしたのは事実であり、もし日本の戦争が無ければ現在のアジア諸国の独立と繁栄はあったでしょうか、戦争は肯定出来るものではありませんが日本人として日本兵の死を無駄死にだとは思いませんし、先の大戦の総てを否定する事も出来ません。
さすが日本人凄い!国民よ誇りを取り戻せ🙌
零戦は優れた傑作機だけど、最強じゃないし、米軍の評価は隼の方が上だよ。
マツダも飛行機屋さんだよね。
良っかだ、この強いな!
零戦は軽自動車にカローラのエンジン積んだような設計思想なので、そこそこの性能にはなりました。
96式が南京で戦ったのはカーチス(米)?とフィアット(伊)?
日清戦争の時から日本の相手は欧米諸国・・・・・。
技術史が歴史の真実を語ってしまう哀れ。
技術的にも追いかけながら世界を相手に戦った先人に驚愕、感謝。
良いターボチャジャーが完成出来ていたら、まだまだ戦えたと思いますよ、そこが日本科学技術の限界だったのかもね。
+swh32996 いやあ「資源不足」です。資源さえあれば歴史は違っています。
資源が有れば日本はアメリカの挑発には乗らなかったかも知れない。歴史は違っていた可能性は高いと思う。
せやね、資材や燃料を確保しようと植民地を広げていたら植民地全部手放せ!って要求してこられてやむを得ず戦争突入のはず・・・
フレームがコンニャク
日本人のクラフトマンシップは今も昔も世界一だろう
当時の国内情勢にあって最高峰の戦闘機を作り出す
情熱と創造性は驚愕である 兵器であったであろうと
なかろうと先人の偉業を称えるべき。
In September,1940, the Zero first took part in the Chungking Bombing. 27 Chinese figthers were shot down without any loss of the Zero. Since then the wartime capital, Chungking, became defendless until a few years later there were P40 in the sky over China.